1 しこうすいにゅう 思考吹入 thought insertion させられ体験のひとつで、他者によって考えが吹き込まれる体験。他者は強く意識されず、考えがひとりでに外から吹き込まれるという程度のこともある。思考の自己能動性または自己所属感が失われた状態である。シュナイダーによる分裂病の一級症状のひとつである。 思考内容ではなく、「吹き入れられる」点について、能動性と自己所属感を問題にしている。「変な考えが入ってくる」は中間形態であり、「変な考えが入れられる」は思考吹入である。「変な考え」は多くは他人の考えである。しかし思考内容の他者所属性は思考吹入の条件ではない。 2 思考奪取 thought withdrwal させられ体験のひとつで、他者によって考えが抜き取られる体験。「他者」が強く意識されず、「考えが抜き取られる」とだけ訴える場合もある。さらに薄められて、「考えようと思っても考えが抜かれるんです」などと言われることもある。「考えようとしても考えられない」というだけでは思考奪取とは言えない。思考の能動性または自己所属感が失われていることが指標になる。 外からの観察としては、思考途絶と映ることもある。 思考吹入と思考奪取は思考が「入れられる」と「抜かれる」の、対照的な被動的状態を意味しているのだが、思考吹入の場合には「内容を考えた主体」と「吹き入れた主体」とについて誰かと問うことができるのに対し、思考奪取の場合には「抜き取った主体」について問うことができるだけである。微妙な非対称性がある。 したがって、思考吹入の場合には「その思考内容を考えたのは誰か」ではなく「思考を吹き入れたのは誰か」について考え、能動性と自己所属感が失われているかどうか判断するのが、思考奪取との整合性を保つためにはよいだろう。 3 させられ思考 thought alienation させられ体験のひとつで、他者によって考えさせられる体験。思考の能動性が失われた状態である。 思考の能動性が失われ、次第に被動的になるとさせられ思考になり、その中間地点に強迫思考がある。 「考えたくないのに考えてしまう」は正常の場合もあり、支配観念や優格観念のこともある。能動性が失われ、かつ自己所属感が保たれているなら強迫思考である。 「考えたくないのに考えさせられてしまう」はさせられ思考である。 させられ思考の場合、思考の内容は自分に属している。考えるか考えないか、何を考えるかの判断について、能動性が失われ被動的になっている。つまり、思考開始と停止・話題選択のボタンを他人に操作されている状態。 4       考える主体   操作内容と操作する主体 思考吹入    他人    他人の思考内容を他人が吹き入れる 思考奪取    自分    自分の思考内容を他人が抜き取る させられ思考  自分    自分の思考の話題の選択や開始・停止を他人が決める 5 精神療法依存 精神療法なしでは生きていけない状態。気に入ってもらったのは嬉しいのだが、一人立ちできないようでは治療としては失敗である。不可避の場合もあるが、治療者の側にも問題があることがある。 6 憑き物(つきもの)体験 phonomenon of possession =憑依体験 神仏、悪霊や動物がのりうつり、患者に思考させたり行動させたりする状態。狐つきなどという。心因性精神病で見られるが、精神分裂病でも観察される。 シャーマニズム的文化、被暗示性の高い性格などが背景にあって成立する祈祷性精神病では、宗教儀式の間に憑き物状態となる。 7 思考伝播 broadcasting of thought,diffusion of thought =考想伝播 自分の考えが外に漏れ出て他人に知られてしまっていると思う妄想。シュナイダーによる分裂病の一級症状のひとつ。自我境界があいまいになり自分の内側のものが外に漏れ出る自我漏洩のひとつである。 8 自我境界の障害 外から内へ→影響症候群(幻聴、させられ体験など) 内から外へ→自我漏洩 9 幻聴は、自己の能動性の喪失、自己所属感の喪失である。つまり、させられ体験のひとつである。 10 情動 emotion 身体変化を伴うこともある感情。涙を流すなど、生理的な変化を伴うことがある。 11 感情 feeling,affect 気持ちをあらわす一般的な言葉。 12 気分 mood,Stimmung 精神の背景にあり、長く持続する感情の状態。 13 抑うつ気分 depression ゆううつでおっくう、ときにイライラと不安を含む。やる気が出ない、気分が沈む、いやなことばかり思い出す。 14 感情鈍麻 flattening of affect,Gefu"hlsabstumpfung 精神分裂病の慢性期に見られる、感受性の鈍麻した状態。外界に対する感受性が鈍くなり、対人場面での感情交流が平板になる。分裂病ではまた不関性や冷淡とも表現される。離人症の場合の現実感喪失や実感喪失はについては感情鈍麻という言葉は使わない。 15 情動麻痺 Emotinsla"hmung 激しい情動興奮により、知情意の各側面で精神機能が麻痺すること。動物が危機のときに死んだふりで切り抜けることと似ているかもしれない。 16 しかめ顔 grimace,Grimassieren 精神分裂病で観察される表情のひとつで古典的。状況にそぐわず、持続的にしかめ顔をしたり、ひそめ眉、とがり口などを伴うこともある。外来クリニックではあまり出会わないように思う。 17 ひそめ眉 Gesichtsshneiden 精神分裂病で観察される表情のひとつで古典的。状況にそぐわず、持続的に眉をしかめる動作。原因は不明。近眼の人が眉をしかめて視力を一時的に得ようとする場合は別である。 18 とがり口 snout Schnauzkrampf 精神分裂病で観察される表情のひとつで古典的。なぜ口をとがらせたままでいるのかは分からない。 19 プレコックス感 praecox feeling,Praecoxgefu"hl 昔、精神分裂病を早発生痴呆(dementia praecox)と呼んでいたが、そのpraecoxに由来する言葉で、分裂病患者と会っているときに、面接者の心にわき起こる特有の感じのこと。分裂病感と言ってもいいし、分裂病臭さや分裂病らしさと言ってもいい。この直感的な感じは多くの精神科医に共有されていると考えられる。 それが何であるかを客観的に明らかにするのが診断学であるのに、こうした直感的な言葉が残っており、しかもなお有用であるところに、精神医学の著しい特質がある。それは前近代的だということではなく、身体医学との方法論の違いである。患者は対人接触本能に障害があるため、面接者は患者と会うと対人場面での異質性を感じさせられ困惑するのだとかつて説明された。いわば面接者の心がリトマス試験紙のように働いているわけである。この場合の「感じ」とは、単なる表層の印象というものではなく、人間の本来的な深い能力を発揮している「直観」と考えられる(とりあえず「印象」と「直観」という言葉で対比させるとこのような表現になる)。対人接触本能と言われたものは、別の言葉で言えば、集団機能、対人機能とでも言うべきものである。このような側面を客観的な測定で代用することはまだ可能になっていない。したがってこのような意味での「直観診断」が非常に重要であるが、そのことが単なる「印象診断」とならないよう注意が必要である。 20 前景症状について ・前景に現れた症状について、代表的なものを取り上げた。患者の症状について正確に記述することが大切で必須であるが、おおよその見当をつけるには、以下のような類型で十分なことが多い。 ・どれかひとつにあてはまるわけではない。組み合わせて表現することが必要な場合もある。 ・たとえば、躁状態とうつ状態は反対であるが、躁うつ混合状態もある。これは精神機能のある面ではうつ状態で、別のある面では躁状態というように混合した状態である。うつから躁への変化のタイミングは各精神機能ごとに異なることがあるからである。 21 不安状態 anxiety state,Angstzustand 不安が強く頻回に現れる状態。不安発作またはパニック発作は、不安の他に動悸、汗、呼吸亢進、血圧上昇、手指のふるえ、めまい、ふらつき、吐き気などの身体症状を伴う。不安の内容としては、パニックや恐怖といった強度のものから、漠然とした不安まである。もう死んでしまうのではないか、発狂してしまうのではないか、自分で自分をコントロールできなくなってしまうのではないかなどと真剣に思うほど苦しいこともある。 抗不安薬はこの状態によく効く。一般に、クリニックを訪れる人はどのような系統の悩みであるにせよ、不安をかかえていると考えて間違いないので、抗不安薬は役に立つことが多い。 自分ではコントロールできない不安が押し寄せてきて、それは自己所属性を保っているので、強迫性障害に似る。しかし不安が生じること自体を「不合理」とか「ばかばかしい」と感じていないことが多く、その場合には強迫性障害とは異なる構造を持っている。 22 心気状態 hypochondriacal state 理由なく過度に身体状態にこだわり病気ではないかと心配する状態。身体は全く健康のこともあるが、多少の不調を実際に抱えていることも多い。しかし実際の不調に比べて過度に心配する。内科その他身体科での診察では「心配ない、気にしすぎだ」と言われて精神科神経科に紹介される。「自分でもばかばかしいと思うが、どうしても気になってしまう」という場合には強迫症の構造をとる。しかしたいていの場合は「ばかばかしい、不合理だ」とは思わないようである。疾病恐怖は「病気になったらどうしよう」と恐怖するものであり、心気状態は「病気になったしまったらしい、どうしよう」と悩むものである。病気に違いないと確信し、訂正不可能にまで至れば、心気妄想である。 セネストパチー(体感異常症)は心気状態や心気妄想と重なる部分がある。体感の異常を取り上げて名付けるか、そのことについての悩み方の特徴を取り上げて名付けるかの違いである。 23 強迫症候群 強迫の内容が恐怖なら、恐怖症。不安も同じ。「不合理」と思っていない場合には、強迫の構造を持っていないことになる。 24 離人症候群 25 躁状態 manic state うつ状態の逆である。気分は高揚し爽快となり、なんでもないものを見ても感動して楽しい。思考面では思考奔逸がみられ、意欲は亢進する。しかし全体にまとまりがなく、注意は散漫で持続しない。目に付いたもの、耳に飛び込んだ音に引きずられてしまう傾向がある。自己評価は理由なく肥大し(ego expansive)、ときに誇大妄想にまで至る。自分には特別な才能があると信じたりする。 行動面では、多弁多動、たくさんの買い物をして浪費したり、ギャンブルに金をつぎ込んだり、電話をたくさんかけたり、性的逸脱が見られたり、興奮しやすく暴力的になったりと問題が多い。たいてい自分勝手である。夜も眠らず活動を続けることもある。 躁状態での問題点は大きくいえば社会的信用を失うことである。借金が残る、仕事上の信用を失う、異性にだらしないと評価されるなど。あとになって本人は大いに反省するが、あとの祭りである。 躁うつ病の他にステロイド使用時の躁状態が有名である。 躁状態は脳にダメージを残すのかどうかが興味ある問題であるが、長期経過を見ると、反復する躁うつ状態は脳神経細胞になにがしかのダメージを残す印象がある。従って、リチウム剤やカルバマゼピンなどを用いつつ、再発予防に努めることが大切である。 26 うつ状態 depressive state 躁状態の逆である。抑うつと同じ。精神症状としては、ゆううつ、悲しい、おっくう、やる気が出ない、頭が働かない、考えが堂々めぐり、集中困難、仕事の能率が落ちた、悪いことばかり考える、自分には価値がない、不安、イライラ、決断不能、自責ときに他責、怒りっぽい、死にたい、消えてなくなりたいなど。身体症状としては、不眠、食欲不振、性欲減退、頭痛、肩こり、その他多種の自律神経症状などがある。ときに貧困妄想、罪責妄想、心気妄想などの妄想を伴うことがある。 簡単にまとめるときには、「ゆううつ、おっくう、不安・イライラ」が三大精神症状であるとする。 躁うつ病にみられるのはもちろんであるが、分裂病に際しても見られ、シュナイダーは分裂病の二級症状としてあげている。また神経症レベルの状態にも、境界レベルの病態の際にも見られる。結局、症状そのものとしては疾患特異性のないものである。しかしうつ状態の中でも、シュナイダーが提唱したように、「生機(または生気)抑うつ」(vital depression,vitale depression)は内因性うつ病に疾患特異性がある。vitaleな抑うつは、ただ単に気分だけではなくて、体全体が抑うつに苦しんでいる印象で、胸がふさがり、心臓は押し潰されそうで、身体化された抑うつと言うべきようなものである。ただ、このような特有のうつがあれば内因性うつ病を考えるが、なくても内因性うつ病のことは多い。 27 幻覚妄想状態 幻覚や妄想が前景にある状態で、精神分裂病の陽性症状が典型である。アルコール症や老人性痴呆の場合にも見られる。 28 意識障害状態 意識障害の程度に応じて、せん妄状態やもうろう状態などがある。幻覚妄想があるときに意識障害が同時にあるかどうか、痴呆症状があるときに意識障害が同時にあるかどうか、夜間不穏になる場合にも意識障害によるものではないかどうか、問題になる。 29 食行動異常状態 不食と大食を中心とし、隠れて大食する、決まったものばかり食べる、大食後のむりやりの嘔吐や大量下剤による下痢など、食行動にまつわる異常状態である。背景病理としては分裂病、うつ病、学校や職場への適応障害、神経症、青少年の発達途上の一時的障害など、多様な病態が考えられる。重症の場合には命にかかわり、軽症の場合にもいろいろな後遺症を残す可能性があると指摘されている。 30 思考促迫 forced thinking,Gedankendra"ngen 考えが次々に浮かび、抑えようとしても抑えられずまとまりがない状態。自生思考に近いが、もっとまとまりがない。 31 自生思考 autochthones Denken =自生観念 autochthone Idee chthonは「土地、土壌、土着の」。思考について自己能動性が失われ、考え自体がひとりでに生まれ出るようす。または、いま自分が考えようとしていることとは別の思考が、割り込むようにひとりでに浮かんでくること。前者では思考に関しての自己能動性の障害の観点で考えられている。後者では、背景思考の前景化の意味を込めている。私の考えでは、一種の自動症、軽度の自我障害。自己能動性が軽度に損なわれている状態であり、さらに損なわれると、被動性・他律性が強まり、させられ体験になるが、そこまでは至っていない。 精神分裂病の成立を考察するに際して重要である。 32 制縛神経症 anancastic neurosis anancastic,Anankastは「強制」の意。強迫神経症と恐怖症の間に移行を認め、両者を一括した名称。やめようと思っても、抑えようと思っても、どうしようもない状態を含んでいる。しかし観念や感情は自己に所属している。 33 うつ状態のチェック うつ状態の評価尺度としては、SDS(ツングZung自己評価うつ病尺度)などが有用である。これは20項目からなり、抑うつ気分、日内変動、涙もろさ、睡眠障害、食欲不振、性欲減退、体重減少、便秘、動悸、疲労感、困惑、意欲減退、精神運動興奮、絶望、焦燥、決断困難、自己過小評価、空虚感、自殺念慮、不満を患者自身がチェックする。日常の診察では、性欲についてはいかにも翻訳調で問題があるように感じられる。 ほかにはハミルトンうつ状態評価尺度がある。これは観察者が記入するものである。 また、笠原が外来診察に用いて有用であるとして紹介しているものがある。 1)朝いつもより早く目が覚める 2)朝起きたとき陰気な気分がする 3)朝いつものように新聞やテレビを見る気になれない 4)服装や身だしなみにいつものように関心がない 5)仕事に取りかかる気になかなかならない 6)仕事に取りかかっても根気がない 7)決断がなかなかつかない 8)いつものように気軽に人に会う気にならない 9)なんとなく不安でイライラする 10)これから先やっていく自信がない 11)「いっそのこと、この世から消えてしまいたい」と思うことがよくある 12)テレビがいつものように面白くない 13)淋しいので誰かにそばにいてほしい、と思うことがよくある 14)涙ぐむことがよくある 15)夕方になると気分がらくになる 16)頭が重かったり痛んだりする 17)性欲が最近はおちた 18)食欲も最近おちいてる また、診察室での簡便なチェックに「sig E caps」がある。うつにはEnergyのカプセルを処方しろと覚える。 s sleep i interest g guilty e energy c caution a appetite p psychomotor retardation s suicidal idea 34 更年期障害 女性の更年期に、内部ホルモン環境の変化に伴い、自律神経症状を中心とするさまざまな症状に悩まされることがある。それらを更年期症状と総称している。症状形成にはホルモンだけではなく、一部は性格要因により、生活上の様々な要素が関連して、一部は環境要因による。 自律神経症状が前景にあれば自律神経失調症と診断するし、背景にうつ状態があることが分かれば、うつ状態と診断して治療することもある。薬剤は抗不安薬、抗うつ剤、自律神経調整剤、漢方薬などを症状・病態に応じて用いる。また、エストロゲン欠乏症状として見立てた方がよい場合には更年期障害として、微量のホルモン補充療法を施したりもする。診断に際してはクッパーマン指数が役立つ。チェック項目は17からなる。 1)顔が熱くなる(ほてる) 2)汗をかきやすい 3)腰や手足が冷える 4)息切れがする 5)手足がしびれる 6)手足の感覚が鈍い 7)夜なかなかねつかれない 8)夜眠ってもすぐ目を覚ましやすい 9)興奮しやすい 10)神経質である 11)つまらないことにくよくよする(ゆううつになることが多い) 12)めまいやはきけがある 13)疲れやすい 14)肩こり・腰痛・手足の節々の痛みがある 15)頭が痛い 16)心臓の動悸がある 17)皮膚をアリがはうような感じがする 35 妄想の形式と内容 妄想について形式で分類すると、以下のようなものがある。妄想知覚、妄想着想、妄想気分、妄想追想。また、内容で分類すると、以下のようなものがある。被害(迫害)妄想、関係妄想、注察妄想、誇大妄想、血統妄想、恋愛妄想、嫉妬妄想、つきもの妄想、変身妄想、貧困妄想、罪業妄想、心気妄想など。 36 妄想知覚 delusional perception,Wahnwahrnehmung 言葉の印象から誤解を招きやすいのだが、正常に知覚したものについて、妄想を抱くことである。たとえば、玄関にいる黒い犬を見て(正常な知覚)、誰かが自分を迫害していると確信する(妄想)場合などである。対象の知覚には問題がなく、それに対する意味付けが異常である。この体験は対象の知覚と意味付けという二分節からなるものであるとシュナイダーは指摘し、精神分裂病の一級症状のひとつとしている。 37 妄想着想 delusional intuition,autochthonous idea,Wahneinfall 特にきっかけなく突然に、「自分は迫害されている」「自分は神だ」などと着想し確信するもの。シュナイダーは、妄想知覚が二分節性であるのに対して、妄想着想は一分節性であるゆえに精神分裂病の二級症状のひとつとしている。 38 妄想追想 Wahnerinnerung 正しい過去の記憶に妄想的な意味付けがなされる場合と、過去になかったことが妄想的に着想される場合と、両方を含めて呼んでいる。記憶は正しいが、意味付けは妄想的という場合には二節性である。記憶自体が妄想的に生み出される場合は一節性であると考えられる 39 妄想気分 delusional mood,Wahnstimmung 分裂病で、周囲や自分自身について、不気味・異様・ただごとではないと感じられ、ものごとは新たな意味を帯び、いまにも何かが起きそうだと感じられる状態。「確かに見慣れた街並みのはずなのに、自動車で走っていくと、いまにも何か起きそうな異様な雰囲気がはっきり分かった。何かが変わってしまっていた。」などと語る。不安、恐怖、困惑に支配された気分である。世界没落体験(Weltuntergangserlebnis)や世界破滅感に発展することがある。妄想の場合は確信している内容が当然あるわけであるが、妄想気分では内容がなく、しかしいまにも妄想の内容にふさわしいような異様な事態が起こりそうだという気分である。妄想の前段階であることもあると言われる。 40 思考奔逸 flight of idea,Ideenflucht =観念奔逸 躁状態のときに見られる思考異常で、話題がそれながら素早く進行すること。思考が軽はずみに速くなりしかもときに注意転導亢進がみられるため、話の流れを追うことが難しくなる。常識的な連想の輪が1→2→3→4→5と進むとすると、思考奔逸では1→5となってしまう。これに語呂合わせが混じったり、遠くの看護婦や他患者、院内放送の言葉につられて思考が逸れたりするので、ちんぷんかんぷんとなる。しかし、分裂病性の滅裂思考とは区別して考えられている。分裂病性の滅裂思考の場合には1→Dと常識的には無関係のDが突然結合される。分裂病では観念の関連の仕方が崩れているのに対して、躁状態の場合には観念の関連の仕方は保たれており常識の範囲内にあるが、途中が飛ばされるので理解しにくくなる。一応、考え方としては以上のようになるのだが、このように理屈通りに目に映るわけではない。「全然わかんない」というのが素直な印象であるが、全体の気分が躁であり、多弁となり、深みに欠け、また思考内容も誇大的、多幸的、攻撃的になるので、分裂病性の滅裂思考との区別は容易である。 41 思考制止 retardation of idea,Denkhemmung 思考にブレーキがかかった状態。うつ状態で見られる。思考奔逸の逆の状態である。老年者の場合には思考制止が痴呆と見間違えられる場合がある。うつに伴う思考制止は治療可能なので、鑑別診断が大切である。 42 滅裂思考 desultoly thought,zerfahrenes Denken =思路の弛緩 loosening of thinking,Lockerung des Denken、支離滅裂Zerfahrenheit、連合弛緩 loosening of association,Assoziationslockerung 分裂病で見られる思考障害で、常識では1→2→3と関連しているのに、1→Dと常識的には無関係のDが突然結合される。分裂病では観念の関連の仕方が崩れているのでこのようなことが起こると考えられる。滅裂思考を呈する人に絵を描いてもらうと、木の根本から人の足がはえていたりする。「木」と「人の足」の関連の仕方が崩れている。 43 言葉のサラダ Wortsalad 分裂病で、支離滅裂がさらに進行し、文法的構造も失い、単語の羅列に近くなった状態。 44 思考途絶 blocking of thought,Denksperrung 分裂病で考えがぷつりと途切れてしまう状態。考えが抜き取られたので何も考えがないんですと言ったりする。絵を描いてもらうと、山も川も木も、関連なくただ独立して存在しているような絵ができる。 45 迂遠思考 circumstantiality,umsta"ndliches Denken まわりくどい思考。診察室ではしばしば出会う。教科書にはてんかん患者などに典型と書かれているが、軽度の知能障害者にも見られ、その方が出会う頻度は高いように思う。患者さんだけではなくて患者さんの家族にも観察される。特にどの疾患に特徴的ということではない。診察室での迂遠な態度は治療への抵抗の場合もあり、またある種の性格障害の場合もあり、痴呆患者の場合にも見られる。言葉の厳密な定義は「てんかん患者の粘着気質を背景とした場合の、話題の本質に関係のない枝葉ばかりが詳しく、袋小路をさまよい歩く思考様式」といったあたりであろうが、一般にはもうすこし広い意味で用いているようである。 46 思考の保続 perseveration ひとつの考えにとどまり続けて次の考えに移ることができない状態。老年期痴呆などの場合に見られる。単に保続(これも perseveration)と言えば脳器質性疾患で言葉または行動について、話題が変わっても同じ言葉を繰り返したり、状況が変わっても同じ動作を繰り返したりすることを意味する。この現象についての内省的な言葉はあまり聞いたことがないので、自分でもおかしいと思いながらやめられないのかどうかなどについては不明。 47 恐怖症 phobia 現在クリニックで出会う恐怖症は対人恐怖、電車恐怖と不潔恐怖が多いように感じる。何々恐怖症と名付けるときはその症状の構造まで考えているわけではなくて、ただ単に何々が怖いから、何々が苦手だからという言葉を手がかりにしているだけのことが多いだろう。 恐怖の対象物・状況が本当に実際の恐怖に値するものであれば、精神科に来て相談しようとは思わないはずだろう。やはり実際にはそれほど恐怖に値するものではないはずだと自分自身承知していながら、どうしても苦手でやりきれず不安が高まる状態で、これは自分の心の問題なのだと感じている。 不合理と自覚しつつ、どうしても恐怖がわき起こるという側面からは恐怖症と同じ構造である。実際、不潔恐怖は手洗い強迫と結びつくことがある。 疾病恐怖の場合には心気症から心気妄想にまで至ることがある。 対人恐怖の場合には、赤面恐怖のようなものもあれば、自分の何か不快な側面が他人を傷つけて迷惑をかけていると確信する加害妄想まで、内容は様々である。重症対人恐怖症と分類しているものの中には、思春期妄想症や分裂病の始まりの場合などが含まれている。 このように強迫症の構造から妄想の構造までを含むものであり、症状の構造からの分類ではなく、ある特定のものや場面が苦手だという患者の言葉によって名付けている症状である。 臨床の用語とは言えないが、高所恐怖症では、高い場所を危険だと思うのは当然のことで、必要なことでもある。このように不合理とは考えられないものにまで恐怖症と名付ける場合がある。 男性恐怖症という場合には、患者さんの意味しているものが病的な恐怖なのかどうか、吟味が必要である。 48 電車恐怖症→再検討 都会ではかなり多くの人が悩んでいる。多くの人は「電車に乗ることなんか何でもないはずなのに、そんなものを恐怖するなんて不合理だ」とは思っていないようだ。高所恐怖症に似ていて、 電車に乗っていると動悸、吐き気、むかつき、過呼吸、息苦しさなどの身体症状に加えて、どうしようもない不安がこみ上げてくる。 各駅停車はいいが急行は苦手。地上線はいいが地下鉄はだめ。空いていればいいが満員電車はダメ。電車はだめだがタクシーはいい。 自分が具合が悪くなったとき、すぐに止めてもらえる乗り物ならば大丈夫という人もいる。誰か知り合いと一緒なら乗っていられることもある。アルコールを飲まないと電車に乗ることができない人もいる。 原因は様々である。会社恐怖や家庭恐怖の別の表現であることがある。 電車に乗れないので行動が制限される、だから好きなことができないと悩みを語りつつ、自分の本当の問題は家庭を持てないことなのだと洞察している女性もいる。 上記二者は置き換えが起こっている。 揺れが苦手で吐き気がする人もいる。しかし耳鼻科や内科の検査では異常はない。 49 広場恐怖   →再考 agoraphobia =空間恐怖 agoraを広場ととりあえず訳しているが、「場所」という意味で考えた方がよい。 初めて報告した人の症例は、自宅から遠く離れた「大通り」や慣れない「繁華な場所」で不安発作に襲われた。古代ギリシャのagoraは集落の真ん中にある広場で、公共の集会所でもあり、市場の立つ場所でもあった。英語ではmarket。それは日本語では広場でも空間でもない。強いて限定すれば、「自宅以外の公共の場所」という意味あいのようである。 実体を考えてみると、本当に広場が怖いという場合もあるだろうが、人混みが怖いという場合、また、特定の場所が怖いという場合、外出恐怖、遠出恐怖、街路恐怖、乗物恐怖、独りきりになる恐怖などまで広く含む。ときには閉所恐怖をも含むなど、広場恐怖の言葉から出発する初心者には意味不明である。 要するに不安発作が出る状況が「場所」に関係しているかどうかということになる。個々の例で「場所」に関係しているかどうかは、実際はあいまいで、各々のクリエイティブな解釈にまかせられているようである。 しかしながら、DSMではパニックディスオーダーの診断に際してアゴラフォビアの有無が問題になる。その内容は、「パニック発作が起こったときに逃げることができないまたは助けが得られないような場所や状況を恐怖する」「その結果、外出は制限され、独りで外出できない」「たとえば家の外に独りでいる、混雑の中にいる、順番待ちの列の中に立つ、橋の上にいる、バス・列車・車で旅をするなどの状況」と説明されている。 症例に即して考えてみると、患者はそれぞれの場所について、安全か危険かはっきり区別しているようである。自宅は安全、自宅まですぐに帰ってこられる場所なら安全、信号を渡ると赤ならすぐには帰ってこられないので危険。しかし横断歩道を渡りきったところにクリニックを見つけ、不安発作が起きたらそこに駆け込めばいいと考えたら、横断歩道の先もしばらくは安全。ひとりだと危険だが誰かと一緒なら安全。自宅にいるときも、30分以上ひとりでいるのは危険。急行電車はしばらく停まらないから、不安発作が起こったときのことを考えると危険。各駅停車なら、我慢できるかも知れない。地下鉄は、理由が分からないが危険。タクシーはすぐに停めてもらえるので安全。 安全領域と危険領域が区別されている。患者は特に不合理とも思っていないようである。 50 強迫症 手洗い強迫と言われる場合でもいろいろある。典型的に「もうきれいになっていることは自分にも分かっている。それなのにどうしてもやめられなくて十回繰り返さないと落ち着かない。」と不合理の自覚、儀式の付随などが観察される場合もある。一方では、「洗っても洗っても汚い。棚に置こうとすると汚れてしまう。だから洗い続ける。」という場合は妄想の構造である。また、「きれいになったかどうか自信が持てなくて何回も洗う。そばにいる人がもうきれいになったよと言ってくれれば安心できる。」というような自信欠乏者の場合もある。 強迫症と名付けてよいのは、「不合理と自覚していながらやめられない」構造を持つものに対してである。その他の理由で反復行為をしているものについては厳密には強迫症と言ってはならないのだが、内的構造は二の次にして、行為の外形だけを見て名付けている場合もある。内的構造の分析もいつも完全にできるわけでもないし、分類しようとしてもあいまいな場合もあり、中間型のような印象を受ける場合もある。たとえば不合理の自覚についても一貫して不合理と思っているのでもない例もある。 51 閉所恐怖 claustrophobia たとえばエレベーター、しかも窓のないエレベーターを恐怖する。窓があればどうして安心できるのかを尋ねると、発作が起こったときに助けを呼べるからだと言う。しかしそれならインターホンがついているではないかと尋ねると、それ以上は分からないと言う。患者には閉じられた空間に孤立することはとてつもない恐怖である。自分ではどうしようもない不安発作が起こったときのために、安全な場所と危険な場所を区別しているらしい。 52 赤面恐怖 erythrophobia 人前で緊張して赤面することを恐れること。赤面は家族のように深く知っている人に対しては起こらず、また、電車で偶然乗り合わせたような全く見知らぬ人の中でも起こりにくい。名前程度は知られているがまだ本性を深くは知られていない、そのような中間的な状況で起こりやすい。たとえば、結婚式で見慣れない親戚や相手方の親戚が集まる場所などで起こりやすい。 赤面によって実際に仕事に支障があったり友人を失ったりするわけではないので、赤面を自分の一面として受け入れられれば(あるがまま)苦痛は半減する。 53 先端恐怖 aichmophobia ナイフの先端や針の先端を、不合理なまでに極度に恐怖する状態。自分でもおかしいと思うが、恐怖はやまない。 54 対人恐怖 socialphobia,anthrophobia =社交恐怖 日本で症例が多く、研究も盛んな恐怖症であり、対人的な場面で過度に緊張してしまい、仕事がうまく行かないのではないかと恐れたり、友達関係が壊れるのではないかと恐れたりする状態。さらには緊張したらどうしようかと予期して不安状態が続くようになったり(予期不安)、対人場面を回避して生活するようになったりする。若い人に多い。 赤面恐怖のほかに醜形恐怖や自己視線恐怖などが含まれる。後二者は自分の容貌の醜さや自分の視線が他人を不快な思いにさせるのではないかと恐れるもので、加害恐怖、さらには加害妄想と言ってよい面もある。重症例には妄想症と呼ぶべきものもある(思春期妄想症)。 55 単一恐怖 simple phobia 単一物、単一状況への恐怖。たとえば、はさみ、馬、蛇、クモ、細菌などへの恐怖。 56 不安障害 anxiety disorder 不安神経症、パニックディスオーダー、心臓神経症、過呼吸症候群、対人恐怖症、空間恐怖症、単一恐怖症、強迫神経症などを不安を共通項としてまとめて考えて、不安障害と呼ぶ。 57 一節性と二節性  →没 シュナイダーの考え方。妄想知覚は(正しい知覚+妄想的意味付け)で、二節性である。妄想着想は妄想的着想のみの一節性である。分裂病に際しての診断価値が高いのは二節性のものであり、従って、妄想知覚が分裂病の一級症状として採用されている。たとえば、妄想追想の場合にも、(正しい記憶+妄想的意味付け)の構造をとるものと、妄想的着想のみのものとがある。日常の臨床においても、仲間と一緒にいて、そのときはそれほど疲れた風でもなかったのに、次の日になってとても疲れたと訴える場合がある。また、友人と一緒に遊んでその日は楽しかったのに、次の日になって、友人に悪いことをしたから謝りたいと言いだし、友人はそんなことは全然ないよなどと言う場合がある。これらは、体験とその意味付けの二節性を有していると解釈できる。 58 逆行健忘と前行健忘 retrograde amnesia and anterograde amnesia 1月1日に怪我をして意識障害が起こり現在2月だとする。事故前のたとえば12月の記憶が失われるのを逆行健忘という。事故後のたとえば1月の記憶が失われるのを前行健忘という。事故の前には記銘の障害は考えられないので、逆行健忘は回想の障害である。事故の後を忘れる前行健忘では記銘と回想の片方または両方の障害の可能性があると考えられる。 59 既視感と未視感 de'ja' vu and jamais vu 初めて見る情景のはずなのに既に見たことがあるように感じたり、逆に、見たことがあるはずなのに初めて見るもののように感じること。文学作品の中にも描かれているという(トルストイ、ディケンズ、プルーストなどにあるということだ)。体験の構造にまで言及した表現ではないので、疾患に特異性はないし、そもそもこの体験自体は健康者にも起こり、病的体験とは言えない。 しかし既視感が不思議な感じがすることは確かで、前世で体験したことだとか、個人の意識を超えた記憶がよみがえるのだと考える人たちもいる。 情景そのものが同一なのではなく、情景が喚起する内的体験が同一の構造をとっており、それゆえ軽い錯覚が起こるのだと推定される面もある。 センスス・コムニスの観点から説明できる部分もあるかも知れない。 また、視覚に限らず、体験について既体験感を感じることがある。既視感や既体験感と感じるからには、いま経験していることは自分にとって初めてのものだと分かっているはずだとの意見があるが、はっきりそうとも言えないこともある。初めてだったか、あるいは夢の中で経験したか、とあいまいに思うことがある。 既視感の場面はなにかしら情動を伴うもののようで、個人的な調査の範囲では自分にとって好ましい経験のようであった。 目の前にある情景を一瞬早く記憶に格納して、素早く回想しているとすれば、既視感が成立するだろう。 数多くの人が数多くの既視感を経験していることは確かであるから、既視感成立のメカニズムもまた普遍的で起こりやすいものであるだろう。 未視感に出会うことは少ないようである。分裂病での妄想気分に関連した世界変容感や知覚変容感も未視感と似たような言葉で表現される。「見慣れた道で、実際このあいだまでと同じなのに、でも何かがすっかり変わってしまった。同じだけれど、見たことのない街のようだ。」しかしこれは未視感とは呼ばないようだ。 60 知能 intelligence 知能とは、知能テストで測られる精神機能である。 61 痴呆 dementia いったん獲得された知能が何らかの原因により永続的に低下した状態を指す。獲得される前に障害があった場合には知的発達遅滞である。永続的ではない一時的な知能低下としては、老年者のうつ状態でみられる仮性痴呆(偽痴呆ともいう:pseudodementia)、ヒステリーでみられるガンザー症候群(Ganser's syndrome)がある。早発性痴呆は精神分裂病の昔の呼び名である。経過の特性から名付けられた名前であるが、必ずしも痴呆に至らないので使われなくなった。痴呆と言うよりは分裂病性の人格変化であると考えられている。 62 させられ体験 made experience,passivity feeling,gemachtes Erlebnis =作為体験、影響体験、影響感情、させられ現象 思考や行為の自己能動性または自己所属性が失われ、「他人にさせられる」体験をいう。シュナイダーのいう分裂病の一級症状のひとつである。思考はそもそも初めから自分が考えているものであるが、思考奪取、思考吹入、させられ思考では能動性が失われ思考の主体が他者に移っている。行為では、誰かが私の足を動かす(誰かに私の足が動かされる)、感覚では性器をいじられるなどの症状が見られる。感覚面では体感異常とも分類される。ドイツと日本では重視されるものの、それ以外では重く見られないという。英訳はなんとなく落ち着かない。 63 安定剤 「先生、アイスクリームにも安定剤が入っているんですよ。びっくりしました。でも、よく考えてみたら分かったんです。食べるときに冷たくてびっくりするといけないから、気持ちを落ちつけるために安定剤が入っているんでしょうね。私はアイスクリームが好きでよく食べるから、処方してもらっている安定剤は少し減らしてもいいかも知れません。」「そうですね、考えてみます。」 64 末梢神経名称対照表 体性神経 =随意神経 =動物神経 自律神経   =不随意神経  =植物神経 ・交感神経  =活発神経(闘争と逃走・狩猟) =NA (α、β) ・副交感神経 =休息神経(睡眠・消化)    =Ach さて、精神科の困った症状とは、ほとんどが交感神経亢進・副交感神経不活発の状態である。リラックスに欠けているのだ。不安状態とはこれだと言ってもいい。NA upとAch downである。睡眠は不足で、食欲はなくなり、便秘・下痢となる。常に闘争と逃走の状態におかれ、緊張と不安に支配される。 向精神薬はたいていが抗コリン作用を有する。アセチルコリン作用から見れば、これもよくないことだ。 自律訓練法とは、本来不随意な神経系を、随意的にコントロールして、副交感神経優位状態をつくり出すことである。 65 自律訓練法 autogenic training 自律神経はautonomic nerveであるから、自律神経の自律は自分を律するの意味である。一方、自律訓練の自律は自己発生的の意味であり、随意的と言ってもよい。随意的リラックス法、さらに内容を明示するなら随意的筋血管緊張解除法と呼ぶのがよい。ヨガなどの訓練の本質は何かと研究した結果、筋肉と血管の弛緩が本質であるとの結論が得られた。筋肉ならば本来随意的にコントロールできるはずで、それが結局、自律神経系の諸器官の状態を変化させるのだから、血圧、心臓、消化器などの器官はある程度随意的にコントロールできるはずのものである。持続的交感神経緊張状態に対して有効である。つまり、持続的な不安・緊張状態に対処する、薬以外の有効な方法である。 66 環境の奴隷 環境のせいで仕方なかったと考えれば、責任を免れることができる。(環境因説・他責型。)しかしそれは同時に環境の奴隷となっていることだ。人間には環境を選び取る力があるし、未来の環境をつくり出す力もある。 赤ん坊は別だが、ある程度の年齢になれば、いまの自分を決定していると考えているその環境も、自分が半ば選び取ったものである。昨日までの自分の選んだものが、今日の環境である。 環境のいいなりになる人と環境も積極的に選ぶ人の違いは何だろうか。 (たとえばIQの低い人は環境に応じた生き方しかできない。IQが高くてしかも能動的な人は環境にもかかわらず人生を選ぶことができる場合がある。→表現に難あり。) また、神の愛を感じている人は、現在の境遇自体が神から自分に向けての問いかけであると考えることもできる。困難な環境のなかであなたは何をするのかと神に問いかけられ、生き方をもって神に答える。 人間の連帯の価値を信じている人、人類の未来を信じている人、そのほかそれぞれに環境の奴隷とならずにすむだろう。 環境にもかかわらず良く生きることは常に可能ではないだろうか。 67 生活習慣病 成人病の名称をやめて生活習慣病と呼ぼうと提唱されている。大変よいことである。習慣や行動は変えることができる。思考や感情のパターンを変えるよりは易しいことだ。生活習慣病ならば治せると感じられる。(そして、それら悪い生活習慣がなぜやめられないかを考える場合のポイントが不安である。結局は不安のコントロールの仕方の問題なのだ。) 68 境界型人格障害 不安をコントロールするために対人関係を特に異性関係を利用するパターンの人たち。理想的で空想的、強烈な対人関係で不安を癒そうとし、深い関係を常に求め、しかし常に満たされない。対人関係の始まりでは理想的空想的な人物像を投影するので激しい理想化が起こる。しかし現実の人間は患者の空想のレベルには届かないので時間が経てば失望する。失望の裏には見捨てられる不安が常に伏在している。失望とともに怒りが発生し、自分と他人に向けられる。自分に向けられた怒りは抑うつや自殺企図となる。頻回の自殺企図にもかかわらず実際に死ぬことは少ない。他人に向けられた怒りは、他責、暴力、対人操作などとして表現される。感情は強烈さを求めつつ満たされないので、空しさをどうすることもできない。家族関係は助けにならない。この空しさを満たしてくれるものは、見捨てられる不安を打ち消してくれるほど強烈な新しい人間関係だと空想して、次の行動が始まる。 微かな世間並みの幸せに安定していることはできない。幸福にしろ不幸にしろ強烈さを求め、常に不安定である。安定のなかには刺激はなく、刺激を求めれば変化が不可欠である。変化し続ける強烈な人間関係のなかで幸福にしろ不幸にしろ強い感情を感じているときだけ、生きている実感がする。これは、離人症の人たちが、血が出たときに生きているのだと実感できるとか、激しい痛みが襲ったときにだけ生きていることを実感できると述べることと似ている。 他人を振り回していればそのときだけは他人は注意を払いエネルギーを注いでくれる。それが優しさや愛と感じられる。しかし振り回していないと放って置かれて寂しくなる。見捨てられる不安が再燃する。 治療の枠はずしは彼らの好みの行動パターンである。自分のためにどれだけスペシャルサービスをしてくれるかを試す。「先生は仕事だから私に会っているだけでしょう。本当に私のことを心配してくれるなら‥‥」と言い始める。治療の場所、時間、通常してはいけないこと(性的関係など)の枠を破るよう治療者に対して要求し、自分だけ特別扱いであることを、自分に対する愛情と解釈する。このようなスペシャルサービスはいつまでも続くわけがないから、いつかは見捨てられる。見捨てられそうになる時さらに激しい対人関係のピークを体験する。このときが彼らの本当に生きている瞬間である。この痛みが不安を癒す。痛みは快感でもあり、彼らはこの痛みに飢えていると言えるのかも知れない。しかしこれは吹き出す血を見て生きている実感をつかみなおすパターンに似て不毛である。覚醒剤が身を蝕むようなものだ。 見捨てられることが恐いから、どこまでは安全か確かめておきたくなる。次々にエスカレートしているうちに、見捨てられる地点まで来てしまう。「見捨てないで下さい」と何度も念を押すために、人を振り回し続け、そのせいで見捨てられてしまうのである。構造的悪循環である。 人格発達は、一部分では非常に発達しており、魅力的である。しかし一部分は非常に未発達で、空想と現実を区別できないほど機能低下していることがある。 治療者としては枠はずしを要求されたときの対応が難しい。あまりにも明白に拒絶するとそれは患者にとっては見捨てられたことを意味する。不安は高まり、それを鎮めようとして新しい関係を探す。別の医者に行ってしまえば当方としてはとりあえずそれでお終いになるが、しかしそれでは治療になっていない。逆に、そのときは要求を受け入れてすこしだけ枠をはずしたとしても、要求はエスカレートしていつかは拒絶せざるを得ない時が来る。こうした困難に対処する方法として、治療構造を工夫することがあげられる。たとえば、治療の枠を管理する医者と、精神療法担当者とを分離する方法があり、A-Tスプリットと呼んでいる。この方式であれば、枠はずしを要求してきたときに、精神療法担当者はそういった要求をしてきた心の動きを問題にするだけでよい。実際に枠を守るように決定するのは管理医である。精神療法担当者は患者を見捨てないですむ。 69 A-Tスプリット 境界型人格障害を参照。 70 治療構造 精神療法家の愛や献身が患者を癒す、そのような素朴で幸福な関係もなかにはあるが、未熟な愛が患者をいつまでも患者のままにさせておくことも多いので注意を要する。患者を癒すのは愛でもあり専門知識でもあり治療構造でもあると、成熟した見解を持って治療にあたりたいものである。 71 思考化声と幻声 思考化声では内容は自分に属し、声は他者に属している。幻声では内容も声も他者に属している。通常状態では内容も声も自分に属するものである。自己所属感で分類すればこうなる。体験の自己所属感は体験の能動感と同じである。 誰か他人の声が「聞こえる」ということと「聞かせられる」ということとの差はあるだろうか?思考化声と幻聴はさせられ体験に含めてよい。自我の能動性が障害される状態である。 「聞かせられる」、「見られる」という場合、話す、見るの主体は他人にあり、自分はそれらに受動的にさらされるばかりである。 72 離人と能動感 古くから離人症は自己の能動感の障害と言われてきた。その根拠はどこにあるのだろうか。能動感の障害は典型的にはさせられ体験であるはずではないか。 離人感は、感覚面での能動性の障害と言える。感覚は一見すれば受動的なものであるから、能動的感覚とは何か、吟味が必要である。 (『感覚面での能動性』(?)が、「実感」「いきいきとした感じ」につながっている。? 能動性と感覚の問題は深い。) 73 強迫と能動感 自己所属感で説明すれば、行為や思考・感情は自己に所属しているものの、それが不合理でばかばかしいと思っているわけだから、内容に関しての自己所属感は「薄れて」いるようである。 74 強迫 強迫は繰り返し体験とでも言った方がいいのではないか。漢字の意味が分からない。 75 精神科疾患・診断と治療 A脳の解剖と特性‥‥神経伝達物質 Bこころの解剖と特性‥‥防衛、スーパーエゴ、エゴ、イド。 C診断‥‥診断作業の方法 ・前景症状‥‥各種状態像 ・病態水準‥‥鑑別 ・病前性格‥‥典型像 ・環境状況‥‥家庭、職場 ・検査‥‥心理検査・画像診断・脳波・身体的診察 ・背景病理‥‥伝統的診断、外因・内因・心因 ・児童 ・痴呆 D治療‥‥選択法 ・薬 ・精神療法・カウンセリング ・社会復帰療法・環境療法(DC) F制度 ・法律 ・利用可能な制度・相談窓口 76 頭部外傷後人格障害 頭部外傷後に脳の上位機能が失われることによる症状と、それに伴う下位機能の亢進による症状が現れる。上位機能欠損としては抑制欠如、道徳感情低下、自発性減退などが見られる。下位機能亢進としては本来の性格の先鋭化がおこり、爆発性性格、多幸傾向などが見られる。 77 防衛機制 いろいろな種類があるが、現実の歪曲が激しくなるほど、低次のものとなり、自分や周囲におよぼす害も生まれてくる。@現実Aを存在すると半ば認める。健康型。A現実Aは存在しないと考える。→抑圧型。神経症タイプ。B現実Aは存在しないどころか、現実Bが存在するとして、現実解釈をねじ曲げる。→精神病タイプ。現実検討が損なわれている。 (現実検討の点で言えば、Aだって損なわれているはずではないか?) 78 治療者は患者の何を受け入れ、何と連帯するのか? 患者の精神機能は全面的に病的なわけではない。部分的に病的であったり、一時的に病的であったりする。したがってたいていの場合、健康な自我機能は残されていて、治療者が、患者の健康な自我機能と連帯するチャンスは常にある。 病的部分と健康部分とを分けて考えると、健康部分の悩みを受け入れ、健康部分と連帯すればよい。病的部分と健康部分の区別がはっきりしなくなることが精神病の特徴である。区別がはっくりしなくなったとき、区別を再びつけられるよう援助するのが治療者の役割である。病的部分があっても、それを病的と認識できていれば、病識があると言う。病的部分と健康部分の区別をする認知機能は病気におかされていないことになる。 79 空想と夢の意味 現実検討能力を問題とするとき、簡単に言えば、現実と夢・空想・想像を区別する能力を考えている。心の内容と外部現実の区別と言ってもよい。 一般の人に、「夢見る力・空想力・想像力は大変重要なもので、それを否定するようなまたは軽視するような精神医学は浅薄である、患者さんから夢や空想を奪い去るのか、かわいそうすぎる」と非難されたことがある。 空想・夢・非現実と言っても、「自分が国連事務総長だったら‥‥をしてみたいのになあ」という普通の言い方と、「自分は国連事務総長だから‥‥をしてあげますよ」とまじめに言うのとでは意味が違う。当たり前のことである。現実検討能力で問題にしているのは後者である。 一般に言う、夢や空想は、将来の希望であったり、かなわないまでも心に抱き自分を勇気づけるものであったりする。一方、現実検討のことを話す場合の夢・空想は心内のイメージやファンタジーのことであって、幻覚妄想状態のときの心の中にあるものと言ってもよいものである。現実検討能力を現実と妄想を区別する力と言えば分かりやすいが、定義から、妄想は現実とは区別されないものである。現実ではないと判定されたものはイメージとかファンタジーとか呼ぶしかなく、日本語では夢・空想などの言葉を当てている。「心の内容」くらいが穏やかな言い方だろうか。 さて、よく考えてほしいのだが、夢や空想を悪いと言っているのでは決してない。心の中で考えたことがそのまま外部の現実であるかのように思ってしまうところが問題だと指摘しているのである。心の内容と外部の現実を区別できなくなっているとき、精神病状態と呼ぶ。 80 施設によって異なる病像 大学病院と古くからの大病院と街中のクリニック。これらでは出会う病気のタイプも異なり治療も異なるようである。古くからの大病院の入院治療を担当すると、昔からの精神医学教科書が大変役に立つ。クレペリンやシュナイダーの偉さがよく分かる。大学病院の勤務では最近の雑誌報告などがとても役に立つ。街中のクリニックではこれらと少しずつ差がある。古い大病院ではクレペリン以来の精神分裂病、躁うつ病、神経症、性格障害などといった診断学が充分に役立つ。クレペリン以来の伝統的な精神医学は入院治療を中心に考えているらしいところもあって、入院治療に際して役立つのは当然と言えば当然である。しかし街中のクリニックでは役立たないことがある。なぜか。 街中のクリニックに来る人の中には病気のはじまりの人もいる。病気の始まりの時には、いろいろな病気で共通のこともある。非特異的な症状だけが前景に立ち、たとえば、不眠、食欲不振、集中力欠如、うつ状態などが問題になっている場合、一体どんな病気であるのか、判定に根拠を欠く場合がある。 時間が経って、各病気に特有の症状が明らかになるにつれ、診断は容易になる。この時期には入院治療の必要なことも多く、古くからの診断学が役立つ。 81 ファイナル・コモン・パスウェイ final common pathway 脳の疾患について病理の性質が多少異なっても、極度に至れば同様の痴呆状態に至るという考え方。最終共通経路。 はじめは共通・自律神経症状や不安症状(たとえば街中のクリニックに初診する。また、神経科ではなく内科などに相談に行く。)→各病態に応じて特有の症状(入院治療)→最後は共通・痴呆や意欲減退状態 82 アルコール幻覚症 alcoholic hallucinosis アルコール中毒症者にみられる、幻聴を中心とする特有の幻覚状態。本質についての議論は見解が分かれていて、@離脱症状、A潜在していた精神分裂病が顕在化したもの、B独立の器質性精神病、などの考え方がある。「殺される」などの被害的・迫害的な幻聴があり、自殺、自傷、遁走、放火、他害などの問題行動を引き起こすことがある。たとえば自分の腕をノコギリで切るなどの取り返しのつかない悲惨な行動化を引き起こす可能性があることに注意する必要がある。 83 アルコールと薬剤の相互作用 【参照】チトクロームP-450 夜に薬をのんでその上にアルコールを飲んだらいけませんかとの質問がしばしばある。「いけません」が答えであるが、理由は次の通りである。 アルコールが肝臓で代謝・分解されるときには、肝臓にあるチトクロームP-450が必要であるが、P-450は同時に薬剤の代謝にも使われる。先にアルコールを飲んでから薬をのむと、まずアルコールの代謝のためにP-450は使われてしまい、薬の代謝が滞ってしまう。薬の分解が遅れると、強いままの作用がいつまでも残る。そこで薬の効き過ぎが起こる。逆に薬を先にのんだ場合には、薬がP-450を使ってしまうので、アルコールの代謝が遅れる。酔いがいつまでも残ることになる。 また、慢性飲酒の場合には普段から大量のアルコールを処理する必要があるのでP-450が増加している。その状態で薬をのむと、大量のP-450は薬を速やかに分解してしまうので、通常量よりも多い薬剤がないと普通の効き目が現れない。したがってアルコール中毒症者には麻酔薬や精神科の薬が効きにくく、さめやすいことになる。手術を受けるときには注意が必要である。 84 アルコール性肝障害 アルコールを飲んでいてまず心配なのは肝臓であろう。アルコールが原因となる肝障害としては、アルコール性脂肪肝から始まり、アルコール性肝線維症、アルコール性肝炎、アルコール性肝硬変と要注意の病気が並ぶ。そろそろ危ないかなと注意すべき目安としては、 @ 清酒で3合以上(純アルコール量にして60グラム以上)を5年以上飲み続けているとき。 A 検診でγ-GTP高値、高脂血症、肝腫大が指摘されたり、手指に震えがみられるとき、顔面の毛細血管が拡張しているときなど。 B禁酒すると@、Aが改善するとき。 などがあげられる。 85 アルコールと妊婦 妊娠中の飲酒によって胎児に主として知的発達障害が生じることが、現在では世界的な常識であるとされており、胎児性アルコール症候群と呼ばれている。精神・運動発達遅滞、記憶力低下、情動不安定、多動、注意散漫などが観察される。一日純アルコールにして60cc以上が危険量と言われているが、「子供を望む母親は飲酒を中止すべきである」と勧める専門家が多い。妊娠しそうなときや妊娠が分かったときはアルコールを控えるのが安全らしい。 86 アルコールのフラッシャーとフォーマー・フラッシャー アルコールの代謝に必要な酵素のひとつであるALDH2が欠損していると、少量の飲酒で顔が真っ赤になる。このような人をフラッシャー(flasher)と呼ぶ。以前はフラッシャーだったが、鍛えて大酒家になった人はフォーマー・フラッシャー(former flasher)と呼ぶ。最近、飲酒と咽頭癌、食道癌の関連が指摘され、ALDH2欠損者に危険が高いという。研究によれば、「酒を飲み始めて最初の数年はすぐ赤くなっていたが、次第に酒に強くなった」という人はフォーマー・フラッシャーであり、消化器癌に注意すべきである。 87 アルコール性痴呆 alcoholic dementia アルコール中毒症者の10%が痴呆症になるとのデータがある。アルコール中毒症者はビタミンB1欠乏によりウェルニッケ・コルサコフ脳症になり、ニコチン酸欠乏によりペラグラ脳症になり、肝障害にともなって肝性脳症をおこす。これらが広義のアルコール性痴呆に含まれるが、このほかに、栄養障害や肝臓障害がなく痴呆を呈するものがあり、これを狭義のアルコール性痴呆と呼ぶ。記憶障害、判断力低下、感情鈍麻などがみられる。CTでは前頭葉を中心とする脳萎縮所見が確認されている。アルコール中毒症者には特有の判断や認識の甘さ、自己正当化、思考の貧困、感情変化などがみられ、痴呆と言うほどではないものの、単に性格変化とだけ言ってすまされない、器質性の変化を想定させる面もある。これらも前頭葉を中心とする脳萎縮所見と関連しているらしい。脳萎縮は断酒により改善傾向を示すことが特徴である。 88 潜在性肝性脳症 アルコール性肝障害があっても特に異常なく生活している人が、鋭敏な神経機能検査によりはじめて異常が検出される場合がある。患者に自覚症状はなく、周囲の人々もはっきりとは気付かないことがおおい。判断力や決断力の低下がみられ、注意散漫となり、自動車事故や労働災害を起こしやすいという。WAISでは言語性能力は正常、動作性能力(符号、積み木問題)が低下する。CTでは前頭葉中心の萎縮所見がある。欧米では潜在性肝性脳症は顕在性肝性脳症の2〜3倍と推定されている。 89 アルコール精神病 alcoholic psychosis アルコール依存症を基礎として発病する精神病。アルコール性幻覚症、アルコール性嫉妬妄想、アルコール性ウェルニッケ・コルサコフ脳症、肝性脳症、アルコール性痴呆、離脱症状の一つとして振戦せん妄(離脱せん妄)、などが含まれる。このような状態に至る頃には、家族関係も仕事関係も悪化していることが多い。 90 アルコール性嫉妬妄想 alcoholic jealousy アルコールは性衝動を高めはするが、アルコール中毒症者ではインポテンスが少なくないため、結果的に性生活は不満足なものとなり、病的嫉妬に結びつくと言われてきた。学問的には、アルコール中毒が、嫉妬妄想にどのくらい直接に結びついているのかについて見解が分かれている。アルコールにより脳が損傷され、全般に妄想に陥りやすい状態が準備される。ここから嫉妬妄想になるか被害妄想になるか、その他の妄想になるか、それは状況が決めることで、アルコール中毒症者の場合、夫婦仲が悪くなる、経済的に行き詰まる、友人からも見放される、インポテンスになるなどの条件の中で嫉妬妄想が形成されるのであろう。このように見てくれば、アルコール中毒症と妄想反応との二段階に考えることにも理由がある。 91 自我障害 離人体験やさせられ体験、自我漏洩症状などを指す。ドイツ精神医学では、自我意識の特性として、@能動性A(同一時間の空間的)単一性B(過去現在未来にわたり一貫している)同一性C外界や他者との間の境界があることがあげられ、それぞれの障害により自我障害が発生する。@の能動性が障害されれば、離人体験やさせられ体験が生じる。Cが障害されれば、自我漏洩として思考伝播などがみられる。 自我障害は種々の疾患でみられるが、とくに精神分裂病の症状として重要であり、シュナイダーの精神分裂病の一級症状は主に陽性自我障害を指標としたものである。精神分裂病の本質として自我障害を考える流派はいまもある。 92 自我漏洩症状 egorrohea symptom 「自分の中から何かが漏れる」症状を指す。臭いが漏れるのは自己臭妄想や体臭恐怖、思考が漏れるのが思考伝播、自分の視線が他人に迷惑をかけていると感じられるの自己視線恐怖、自分の醜さが他人に迷惑をかけると感じられるのが醜形恐怖。いずれも自分の中の何かが外に出て他人に迷惑をかけているものである(加害妄想)。さらにそのために他人は自分を嫌い避けていると考えるようになる(忌避妄想)。させられ体験は逆に、自分の外の何かが自分の内に入ってきて自分に迷惑を及ぼすもので、方向が逆である。自我境界の病理として自我障害のひとつと考えられる。思春期妄想症との関連で提唱されたもので、思春期妄想症や重症対人恐怖の場合にしばしば見いだされるとする。臨床場面では確かに青年期の対人恐怖症の場合に自我漏洩症状を伴う場合を経験するので意味があると思われる。精神分裂病、境界型人格障害、重症対人恐怖症などと関連がある。 93 思春期妄想症 adolescent paranoia 自我漏洩症状・加害妄想・忌避妄想・重症対人恐怖などを特徴とする、おもに思春期に発生する妄想症。背景病理としては重症神経症の場合もあり、境界型人格障害や精神分裂病の場合もある。外来診療で少なからず出会うので、わが国の臨床的疾患単位として意味があると思われる。治療は背景病理に対しての治療を考えればよい。 94 一級症状 first rank symptoms 精神分裂病の診断に際して第一級の重みを持つとしてシュナイダーがまとめたもの。思考化声、問答形式の幻声、自己の行為に随伴して口出しする形の幻声、身体へのさせられ体験、思考奪取やその他の思考領域でのさせられ体験、思考伝播、妄想知覚、感情や衝動や意志の領域に現れるさせられ体験があげられている。これらがみられて、身体的基礎疾患が見あたらないなら、臨床的に控えめに分裂病と診断してよいとされる。 95 思考化声 thought echo ,echo de la pansee,thought spoken out loud =考想化声、思考反響 自分の考えが、他人の声になって聞こえてくる状態。分裂病の一級症状の一つ。 96 思考吹入 thought insertion =考想吹入 考えが外から吹き込まれて自分の頭に入ってくること。させられ体験の一つで、分裂病の一級症状の一つである。「考えが入れられるんです」と訴える。 97 思考奪取 thought withdrawal 自分の考えが他人によって抜きとられる体験。分裂病の一級症状の一つ。 98 思考途絶 blocking of thought 思考の進行が中絶し、停止する状態。主観的には思考奪取の結果と感じられる場合もある。 99 問答形式の幻声 単に問答形式と言えば、第三者同士が問答しているものと、二人称者と自分が問答するものとの二種が考えられるが、どちらも精神分裂病の診断にあたって重要であるとされ、シュナイダーによる分裂病の一級症状のひとつである。 100 破瓜病 Hebephrenia 破瓜型分裂病のこと。解体型分裂病とも言う。破瓜とは「処女膜が破れる」意味で、思春期のこと。思春期に多い精神病であるから、こう呼ばれる。分裂病の中でも陰性症状が中心で、自閉や感情鈍麻がみられる。分裂病は破瓜型、緊張型、妄想型などと分類されるが、おのおのの要素をいくらかの割合で持っている場合も多いので、特に典型的な場合以外は下位分類を特定しない医師もいる。 101 共依存 co-dependency アルコール依存症の研究から提唱された考え方。支配されることを通して相手をコントロールしようとするアルコール依存症者に対して、自分の内面的な葛藤を他者を支配することによって癒そうとする配偶者がいる。この人間関係を人間関係嗜癖すなわち共依存という。「私がいなければ何もできないあなただから私は離れられない」と演歌に歌われているような状態。離れてしまえば問題は解決するのに、自分の内的な問題が未解決なので離れられないでいる。しかしそれを自分の問題とは認知できないでいる。アルコール依存者の配偶者の他に、医療従事者の中にときに見いだすことができる。 102 嗜癖 addiction =中毒、依存 それがどうしてもやめられない。それなしでいられない。人に言われると「いつでもやめられるから病気なんかではない」と言いながら、実際にはやめられない。周囲の人は悪いことだと思っているのに自分は特に悪いことだとは思っていない。次第に人間関係を損ない、健康を損ない、本人と周囲に不利益をもたらす。 本来は精神に効く化学物質に関して用いる言葉であったが、近年は以下の三分野に拡張されて用いられることがある。 @ 物質嗜癖‥‥アルコール、薬物、食べ物 A 過程嗜癖‥‥ギャンブル、買い物、仕事、宗教、不安、愛情、反復される暴力 B 人間関係嗜癖‥‥共依存 三分野の嗜癖は相伴うことが多い。中毒、嗜癖、依存などの言葉はほぼ同じ。 103 自閉 autism 専門用語としては、現実から遊離して内面の主観的世界に閉じこもること。「現実との生ける接触」を失った状態であるといわれる。一方、一般の言葉としては自閉的と言えば「自分の部屋に閉じこもっている」「他人との感情交流が乏しい」などを意味するようで、診察室でもそのような理解が多い。世間一般の言葉で自閉的と言われている人でも、他人の気持ちや周囲の状況を正確に理解している場合も多く、そのような場合には専門語としては自閉的とは言わない。逆に、世間で普通に生きているが、周囲の状況に非常に無関心で、「いきいきとした接触」を失っている場合には自閉的と言ってよい。 104 自閉症 →児童の部 105 神経症 neurosis 不適切な行動パターンを選択しているために起こる、現実状況への適応障害のこと。 1) 人間は状況に応じて、自分の内部に保存しているさまざまな行動パターンから適切な行動パターンを選択して行動している。 2) さまざまな行動パターンとは、人生の過去のいろいろな場面で身につけた行動パターンである。 たとえば、厳格な祖父に接するうちに、祖父らしい行動パターンを学び取り(防衛機制の言葉で言えば、取り入れ:introjection)、同時にそんな人に対応するときの行動パターンを身につける。また、甘やかしがひどかった祖母に対して、仕事で忙しかった父に対して、見栄っ張りの姉に対してなど。また、家族以外でも、学校時代の友達、先生、近所の人たちなど。 こういったたくさんの行動パターンの中から、現在の状況に役立ちそうなものを引っぱり出して行動している。それはたとえば、職場で仕事をするとき、部下を叱るとき、上司の機嫌をとるとき、紛争を処理するとき、家庭で子供と遊ぶとき、妻と趣味の話をするとき、歯医者で治療を受けるとき、みな少しずつ違った自分でいることから実感できる。状況に応じて柔軟にいろいろな行動パターンを取り出して使うことができて、しかも全体としてはその人らしさが一貫している、そんな状態が普通である。 3) また、個人の経験から蓄えるだけではなく、人間の進化の過程で学び取り、脳に器質的に固定されている行動パターンもある。それは猿も猫もワニも同じ行動パターンを持っているかもしれないものである。 4) 職場で部下を叱る自分と、家で子供と遊ぶ自分が同じであったら何かおかしい。適切な行動パターンを選び出していないからである。 5) こうしてみると、適応障害にはいくつかの原因が考えられることが分かる。 まず、適切な行動パターンを持っていない場合がある。対人経験があまりにも乏しかった場合。対人経験を適切に学習する能力に欠けている場合。 次に、行動パターンの選択が間違っている場合。「いまそんな状況ではないでしょう」と言われかねない。 6) 対人関係がまありに乏しかった場合。経験を補う。現代の暮らしは昔に比べて、いろいろな年代の人やいろいろな境遇の人と出会うことは少なくなっているかもしれない。テレビでは見ているだろうけれど。テレビを見ることが、対人関係の学習になるものかどうか、疑わしい。 7) 対人関係学習能力に欠けている場合。これは問題だ。「良肢位」での固定を目指すSSTなどを考える。分裂病の人は発病してから対人関係の学習も停止していることが多い。 8) 行動パターン選択が間違っている場合。これが神経症である。治療は、適切な行動パターンを選ぶことができるようにすることだ。それにしても、なぜ適切な行動パターンが選択できないのか?明らかに自分にとって不利な選択をしている場合があるのだ。たとえば、電車内でのパニック発作。脳内の、利益の秤が壊れている場合がある。 9) 分かりやすい例。学力試験会場で不安が高まり、ノルアドレナリン上昇、血液は筋肉に集まり、心臓はどきどきになる。たとえば熊で例えるとして、熊から逃げたり熊と戦ったりには最適の態勢になったが、いま目の前に熊がいるわけではない。不安を共通項としているために、熊と出会ったときの反応を選択してしまったことになる。学力試験を前にしての適切な行動選択は、筋肉に血液を集めることではなく、脳に血液を集めることである。 10)状況に適していない行動パターンを選択していることの結果として、どのような症状が出ているかという観点からみたのが神経症。強迫神経症や離人神経症、不安神経症などと症状で呼ぶ。一方、全般的にどんな行動パターンを選択しているかという観点からみれば、性格障害の分類になる。ある場面で一時的にある行動パターンを使うから適応障害になるという場合、現在決まった言い方はされていない。もっぱら症状について名付けている。 11)性格とは結局のところ、行動パターンの選択の特異性について全般的な傾向をとらえて言う言葉だ。 12)行動パターンを大文字、状況を小文字で表す。A-aならばよい適応状態である。B-aでも最高ではないものの最悪ではないという程度の適応ができる。T-aくらいになると、かなり不適応状態であると言えるかもしれない。 13)性格とは、普段の行動パターンのセットであり、それはたとえば、ADERTなどと記述できる。 14)TEGは普段選択している行動パターン(上の例で言えば、ADERT)の中に含まれているPACの各成分を測定し合計したものである。 15)神経症と呼んでいるものは、場面に特異的な、不適応行動パターンの選択である。どこが壊れているのかといえば、不適応行動パターンの修正ができないところだろう。なぜさっさと別のパターンに切り替えられないのか。なぜ硬直しているのか。それが問題。 16)交流分析で、クロスの交流をしている場合など、これが神経症ということだ。状況に適していない行動パターンを選択しているから。 106 アルコールの換算法 清酒一合 ビール大一本 ウイスキーダブル一杯 焼酎お湯割り一合 ワイングラス二杯 純アルコール19〜24グラム 以上が同等で一単位とする。一日三単位以上を五年以上飲んでいる人はそろそろアルコールの害に気をつける必要がある。 107 精神科診断学 @前景症状‥‥状態像の把握 A背景病理1)-病因についての推定(これはあくまで症状の内容・経過の特性・病前性格からの推定にすぎない) B背景病理2)-病態レベル 2,3をクロスさせてさらに1とクロスさせる。 2,3の表参照。 病前性格の位置付けをどう考えるか。 @不安状態、心気状態、強迫症候群、離人症候群、躁状態、うつ状態、幻覚妄想状態、分裂病性残遺(欠陥)状態、恐怖状態、摂食障害、などが代表的である。他に錯乱状態、緊張病症候群、意識障害症候群、せん妄状態、アメンチア、もうろう状態などの状態像がある。典型的な場合はこれでよいが、その他の場合には個々の症状について記述する。たとえば、失声、失歩、不眠状態、衝動コントロール欠如、過度の他罰、など。このなかのいくつかの状態・症状については特異的に効奏する薬剤がある。 A推定の材料。症状の内容、経過の特性、病前性格。 B精神病レベル、神経症レベル、境界レベルを区別する。 108 病前性格 premorbid character 病気になる前に持っている性格。もともとどんな性格傾向であったかを知ることは診断に役立つと考えられている。精神分裂病の病前性格としてあげられているのは分裂気質であり、躁うつ病は循環気質、単極性うつ病は執着気質やメランコリー親和型である。 病前性格は、そのような性格だったのが原因でだんだん病気になっていったというものではない。精神分裂病も躁うつ病、うつ病も、もともとの素質としてその傾きを有しており、そうした素質のあらわれの一つとして病前性格があると考えられる。 人間には持って生まれた気質がある。しかし環境に適応していくためにはもともとの気質のままでは不都合だという場合があり、しだいに別の性格を発達させ、もともとの気質を後天的な性格でくるみ込むようになる。さらに環境が変わっていけばそれに応じて別の性格特徴を付加することもある。このようにして人間の性格は複雑に多層化してゆくと考えられる。 たとえば、もともとが分裂気質で人と距離なく交わるのは苦手だという人が、たまたま知能が高かったので集団のリーダーになったという場合。リーダーとしては多少循環気質の要素を発達させていった方がいい。他のリーダーのあり方などを見ながら次第に循環気質を身につけてゆく。このようにして社会適応を高めてゆく。さらにまた状況が変わり、こんどは一人で仕事をする場面が多くなったりすると、これまで作り上げた性格の上に、再度分裂気質の要素を付加して適応しようとする。 このように考えると、病前性格を診断するときには、現在もっとも表層に現れている性格だけではなく、その人の性格構造がどのような層構造を形成しているのか、人生のそれぞれの時期にどのような性格傾向を発達させたのかを緻密に評価する必要がある。 109 分裂気質 Schizothym 精神分裂病患者が発病前から示す性格特徴のこと。振り返ってみるとこんなタイプの人が多い感じがするという程度のものである。 全体には「対人距離が全般的に遠く、しかも柔軟性がない」ことが特徴で、三型に分類できる。@変人タイプ:気むずかしい、他人との共感が乏しい。A孤独型:対人過敏で傷つきやすい、対他交渉を避ける。B従順型:おとなしい、生真面目、ユーモアに乏しい。分裂気質の人が必ず分裂病になるのでもないし、分裂病の人の病前性格が必ず分裂気質であるということでもない。分裂気質だから性格を変えないといけないということもない。独立独歩でユニーク、まじめで繊細と評価することもできる。 集団の中では中心部にいるのではなくて周辺部の存在であることが多い。対人的に過敏なので、対人距離が遠くなる。 ハリネズミのたとえで言えば、他人のとげが長すぎるように錯覚されている状態である。他人に刺されないように遠くに離れている。そんな人たちである。 110 循環気質 Zyklothym 躁うつ病者が発病前から示す性格特徴。基調として@つきあいがいい、親切、親しみやすい。躁に傾く成分として、A朗らか、ユーモアに富む、元気、激しやすい。うつに傾く成分として、B静か、落ち着いている、物事を苦にする、感じやすい。これら三側面からなる性格である。集団内部では、中心部にいて、リーダーの役割を果たす場合がある。 おおむねの特徴は「対人距離の取り方が柔軟である」ことだろう。状況を素早く察知して、その場の雰囲気に合わせた対応ができる。価値観は現実的であり、超越的な感覚には乏しい。 111 執着気質 うつ病者が発病前から示す性格特徴。一度生じた感情が長く持続し増強することが基本特徴である。責任感が強い、仕事熱心、徹底的、熱中する、几帳面、正直、凝り性である。周囲からは模範的な人、確実な人と見られ、評価は高いことが多い。 112 メランコリー親和型 Typus melancholicus うつ病者が発病前から示す性格特徴。秩序を愛する常識人。仕事は堅実、対他配慮に富み、義理堅く、人と争わず、人の思惑を気にし、人に頼まれると断れない弱気な面がある。 113 感情病の病前性格 bipolar I,bipolar II,monopolarと並べてみる。症状の面では次第に躁成分が減少する。うつ成分は一貫して存在している。病前性格の点でも、次第に躁成分が減少する。 つまり、激しやすさ・熱中性=神経出力増大成分=M(manisch)、几帳面さ・常同性・不変性=神経出力現状維持成分=A(anankastisch)とすると、Mは次第に減少、Aは一貫して保持されている。 114 エゴグラムでは自我状態を三群・五つに分類している。妥当か? PACの三群であるが、たとえば、脳の三層構造を持ち出してはどうか? 115 反応性うつ病 reactive depression 環境への反応として了解可能なうつ状態。失恋したとき、肉親を亡くしたときなど。心因性うつ病(狭義には反応性でも内因性でもないもの。元来は抑うつを引き起こさないはずの情動的緊張などの心因による抑うつ。広義には身体因と内因を除外した広い範囲のものを指す。)、反応性うつ病(環境への反応)、神経症性うつ病(幼児体験に発する未解決の葛藤が原因)、抑うつ神経症(依存性人格障害、境界型人格障害と近縁と考えられる性格の問題を伴うことの多い、葛藤型のうつ状態。)、抑うつ反応(環境に反応するもので反応性うつ病よりもやや軽症のものを指す。)といったように似た言葉がある。厳格に区別しない場合が多いし、そもそも区別できない。 116 脳死問題 脳死は人間の死だと考えてよいかという問題。@脳死とは何か。どのように判定するか。Aそのような脳死は人間の死なのか。B結局人間の死とは何か。などに問題を分解できる。大脳の働きがなければ人間は生きていないのだなどということは大脳が言いそうなことである。生物界には大脳なんかなくても生きている生物がいくらでもいる。生命体として共通の条件はDNAである。人間らしくはないが生きているという状態を考えてもよい。 脳が考えるから、脳死が人間の死になる。DNAが考えれば、自己複製・増殖に役立たないなら、死んでいるのだと判定するかもしれない。 117 男と女のピラミッド 女のピラミッドのダブルスタンダード 自己評価と他者評価 ある集団の中で、誰と誰がカップルになりそうかという問題についての理論。学校のクラスでもサークルでも、また会社内でも、男性集団と女性集団があり、その中での個人の順位はおおむね決まる。猿の集団の順位付けのようなものである。順位付けの価値基準はその集団の性格による。学力が評価されたり、運動能力が評価されたり、また資産や家柄が評価されたり、ルックスや趣味が評価されたりする。それらの重み付けの違いが集団の価値観の特性ということになる。自然な成り行きとして、男性ピラミッドの中での順位が決まり、女性ピラミッドの中での順位が決まる。そして男と女の自然なカップルは、この順位に照らして対応する男女である。ここまでが原則である。 さて、集団の価値観と個人の価値観は、おおむねは一致しているが微妙に違う。また、同性による評価と異性による評価とはずれがある。ここらあたりから恋愛の劇が始まる。 まず現代日本女性の場合には特殊な事情がある。学校時代には男女一緒の教育を受けて、勉強や運動の能力で評価される。それが主な評価の軸となる。男性の場合は家庭を持ってもその評価を延長していればよい。しかし女性の場合には、家事能力や育児能力といった面での評価もなされるようになる。それは学校や会社での評価とはかなり異なった軸になる。料理を上手に作ったり部屋の飾り付けが上手にできたりする能力は、伝統的な価値観を持った人々からは根強く支持されている。 このようにして、女性に関してダブルスタンダードが生まれる。女性は学校・会社でのいままでの自分の努力を評価されない場面に出会ったり、突然良妻賢母のイメージを押しつけられたりする。別の価値基準で測れば、ピラミッドは別のものになる。 118 躁うつ病の成因仮説 MAD細胞の比率が問題 熱中型の要素 熱中過ぎでMタイプ細胞は急にブレイクダウンする。 環境反応型の要素 A細胞が多い人は新しい環境への適応が素早くない。 M細胞が多い人は新しい環境への適応が素早い。    M A D 性格構造   症状 熱中性   環境適応  1 ○ ○ ○    2 ○ ○ ◎  弱力        単相性うつ  3 ○ ◎ ○  制縛        強迫症 遅い  4 ○ ◎ ◎  制縛+弱力     単相性うつ 遅い アパシータイプ  5 ◎ ○ ○  強力     大  6 ◎ ○ ◎  強力+弱力     双極性うつ  大  7 ◎ ◎ ○  強力+制縛     双極性うつ  大  8 ◎ ◎ ◎  強力+制縛+弱力  双極性うつ  大 強力成分は次第にエスカレートして、急にゼロになる。そのときはAとDの成分が残り、性格が変わってしまったかのようにみえる。 5 ー ○ ○ →制縛+弱力……うつ 6 ー ○ ◎ →弱力……うつ 7 ー ◎ ○ →制縛……強迫状態 8 ー ◎ ◎ →制縛+弱力……うつ さらに病前性格との関連 循環気質 ◎ × ◎‥‥◎ ◎ ◎        ◎ ○ ◎ 典型的循環気質 bipolar I 執着気質 メランコリー親和型 × ◎ ◎‥‥○ ◎ ◎ 典型的執着気質 monopolar        ◎ ◎ ◎ × ◎ ○‥‥○ ◎ ○ bipolar II        ◎ ◎ ○ 脳が全体にM細胞に依存している部分が大きいときには、M細胞の機能停止でひどいうつ状態になる。そうではなくて、M細胞が機能停止しても、その機能が占める割合が小さければ大した症状にはならないだろう。 119 脳の神経細胞 数は約千数百億個と見積もられる。うち九割は小脳皮質、一割が大脳皮質で、約140億個。「脳には140億個の神経細胞がある」とよく言われるのは、大脳皮質部分のこと。 120 脳神経細胞の特徴 確実ではないが、日々十万個ずつ失われるという数字が通説となっている。再生不可能。ただし、細胞は再生しなくても、残ったシナプスの可塑性は失われないから、新しくシナプス結合を増やしていけばよいとも考えられる。神経細胞を再生する研究は日々続けられていて、希望もないわけではない。 121 脳の病理学的変化 循環障害、炎症、腫瘍、変性、代謝障害、先天性異常。このほかに原因不明の分裂病性変化、躁うつ病性変化および非定型精神病性変化がありまとめて内因と呼ぶ。また、実際に脳組織に病理学的変化がないのに起こると考えられているものを神経症と呼んでいる。 122 脳のエネルギー代謝の特徴 脳は全身酸素消費量の20%を占める。低酸素状態に極めて弱い。しかしカナリアは人間よりもさらに低酸素状態に弱いので、炭鉱労働者はカナリアを連れて炭鉱内で仕事をする。カナリアが倒れたら酸素欠乏のしるしであるから仕事を中止する。 123 神経伝達物質 神経細胞が次の神経細胞に興奮を伝達するとき、シナプス前にあるシナプス小胞からシナプス間隙に神経伝達物質が遊離され、シナプス後細胞にあるレセプターにとらえられる。レセプター部分から興奮が細胞全体に伝えられる。 カテコールアミン(アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン) S インドールアミン(セロトニン【5-HT】、メラトニン) うつ アセチルコリン 痴呆・向知性薬 グルタミン酸 味の素 ガンマアミノ酪酸 ベンゾジアゼピン 124 メラトニンの話題 アメリカでもてはやされていると報道されている大衆薬。時差ボケ改善には有効という。しかし専門家には今のところそれほど重要視されてはいない。人はいつでも万能の新薬に憧れているように見える。 125 自律神経 歩いたり話したりするのは自分の思い通りにできるし、思わなければ何も起こらない。そのような部分は随意神経が支配している。一方、人間がいちいち意識しなくてもひとりでにうまく働くようにできている部分も体には沢山あって、心臓や消化管などの内臓運動、皮膚からどの程度汗をかくかなどが代表である。これらは不随意なもので自分勝手に動くから自律神経と呼ぶ。動物神経と植物神経という言い方もある。体の移動に使う筋肉に関係していれば動物神経で、それ以外の栄養や保温などに関係している部分は植物神経である。自律神経は植物神経に相当する。自律神経の働きは二つに大別され、休息のときには副交感神経、闘争と逃走のときには交感神経が働く。 126 交感神経 自律神経でノルアドレナリン(ノルエピネフリン)を伝達物質とする系。副交感神経と拮抗してバランスしながら機能を調整する。闘争と闘争(flight and fleet)のときに優位となる系である。パニック発作、不安発作の的には交感神経優位となっている。脈拍は早くなり、血圧は上昇、手に汗握り、のどは渇き、瞳孔は縮み、全身の血液は内臓から筋肉に移動する。すべて戦いの準備として整合的である。たとえば道で熊に出会ったとき、不安や恐怖が引き金となりノルアドレナリンが放出され交感神経優位状態となる。全速力で逃げるのに適切な状態が準備される。しかしまた、試験会場で不安を感じたときも、不安が引き金となって交感神経優位状態となる。この場合には筋肉に血液を集めるのではなくて脳に血液を集めなければならないはずで、反応としては間違っているのであるが、不安が共通の引き金となっているため、仕方がない。いたずらに緊張は高まり、実力は十分に発揮できないままで試験は終わる。教訓としては、不安状態にならなくてすむように、準備をすること。準備が足りなかった場合には、あわてずに、副交感神経優位の場面を頭に思い描くことである。そのためにも、たとえばお気に入りの海辺などを日頃から経験しておくことをお勧めする。 127 副交感神経 自律神経でアセチルコリンを伝達物質とする系。交感神経系と拮抗する。休息のときに優位となる。 ベラドンナアルカロイド(アトロピン)は副交感神経系を働かなくさせる。昔ヨーロッパで舞踏会に行くときはアトロピンを使った。副交感神経が働かなくなり交感神経が優位になる。瞳が大きくなり魅力的に見える。そこでベラ・ドンナ=美しい・女性と呼ばれたと記事にある。瞳が大きくて濡れている状態は甲状腺機能亢進時やスポーツのとき、ジェットコースターで興奮したときにも見られる。すべて恋の始まりとなる。 128 海と山 どちらが別荘としてよいか、好みが別れる。研究によれば、海からの風には交感神経を刺激する粒子が多く含まれている。だから漁村の人たちは一般に荒くれ者というイメージがある。一方、山からの風には副交感神経を刺激する粒子が含まれている。フィットンチッド効果などもそのひとつである。以上の知見を総合して、風が変わるごとに山からの粒子と海からの粒子が程良くブレンドされる場所がよいとの提案もある。どの程度山に近いか、どの程度海に近いか、そのブレンドの仕方は各人の体質と好みと目的によるだろう。 129 シナプス 神経細胞と神経細胞の接合部を指す。神経細胞同士は直接つながっているのではなく、約5万分の1ミリのすき間があいている。すき間をシナプス間隙といい、神経伝達物質が行き交う。神経伝達物質をレセプターが受けとめて、刺激を伝える。現在の向精神薬は神経伝達物質とレセプターの働きをコントロールすることにより効果をあらわすといわれている。 130 レセプター 神経分野でいえば、神経伝達物質を受け取る部分の構造体。日本語では受容器である。生体内ではレセプターの数は一定ではなく、常に調整が続いている。たとえば、何かの理由でドーパミンが少なくなっている状態が長期にわたり続いたとすれば、レセプターを増やして、ドーパミンの恒常的な減少を補おうとする。逆に長期にわたりドーパミンが多すぎる状態が続くとレセプターは減少する。これらは生体のホメオスターシスのひとつと考えられる。 ドーパミンレセプターの面から分裂病を説明しようとする考え方もある。分裂病の死後脳の研究では、ドーパミンレセプターが増えているという報告がある。その意味については、増えたから分裂病になった、分裂病になったから増えた、薬を飲み続けたから増えた、などさまざまな考え方がある。 131 脳血液関門 Blood-Brain barrier 脳の血管には、血管内の有害物質が脳に影響を与えないように、血液中の物質を選択的に脳の側に透過させる仕組みがあり、脳血液関門という。個々では選択的透過が行われるため、薬物の血管内濃度と脳内濃度が一致しない場合がある。ハロペリドールやリチウムなど一部の薬剤についてに血中濃度をモニターしながら治療が行われるが、それはそのまま脳内濃度ではないことに注意が必要である。 132 Blood-Testis barrier ウイルスが精子に組み込まれるとすれば、BTBを通り抜けなければならない。BTBは個体の適応状態を反映しており、適応低下時にはBTBは弱くなり、ウイルスも通りやすくなる。結果として変異は促進され、新しい形質の獲得の可能性を試すことになる。適応がよい場合には、BTBは強固であり、外来のウイルスなどは通さず、精子の遺伝子を現状のまま固定しようとする。環境が変わったときには、これまで適応が悪くて苦しみ続け、変異を模索してきた遺伝子が脚光を浴びることになる。奢る平家は久しからずである。 133 脳機能の局在性 過去の脳機能局在に関する議論は、脳の局所の損傷によってどのような機能欠損が生じるかについての観察を基礎にしていた。また、ペンフィールドの実験は脳外科の手術の途中で脳の表面を電気的に刺激して、その部分の刺激がどのような結果を生むかを調べたものである。これらの手法の場合には、脳のその場所に機能があるのか、機能の中継点なのか、機能の引き金があるのか、いろいろな解釈ができる。 現在はPETなどの装置により、生体内での活動を測定することができるようになった。しかしこれもあまり確実な所見とも言えない面がある。解釈は慎重にすべきであるという意見が少なくない。 134 男の脳と女の脳 男性脳は空間認知能力に優れ、数学、物理、建築に向く。身体・脳とも狩猟に向くという。女性脳は言語能力に優れている。また女性脳は左右の脳をつなぐ脳梁が大きく、女性の方が左右の脳をバランスよく使っていると推定される。こうした特性から女性は育児、教育、看護などに向くと言われる。しかしこれは平均的な傾向であって、個体差は集団差を超えてはるかに大きい。女よりも男が平均身長は高いが、身長の高い女はいくらでもいるのと同じである。 135 右脳と左脳 右脳を活性化するなどマスコミで言われるように、右脳と左脳の機能分化は明白のような印象を与えるが、実際にはそれほどでもない。片方の脳だけを短時間麻酔する方法で調べると、その人に関しての脳の左右差を調べることができる。結果は、左脳と右脳の機能分担も人によりかなりの違いがあるということのようである。 136 レム睡眠・ノンレム睡眠→表 脳と身体のそれぞれの状態 睡眠の状態を、脳波所見を参考にして分類したもの。ノンレム睡眠は普通の眠り。深い眠りで、多少のことをされても目は覚めない。レム睡眠の時期には、Rapid Eye Movementの名の通り、目がきょろきょろ動いていて、脳はある程度働いている。それに反して体は完全にぐったりしていて脱力状態である。自律神経機能は不安定となる。この時期に意識が戻って、体が寝たままだと「金縛り」と感じられる。レム期には夢を見る。またレム睡眠中に目覚めるとすっきりとした目覚めになる。睡眠はノンレム・レムのセットを何回か繰り返して目が覚める。どうせ目覚まし時計を使うなら、自分のレム・ノンレムのセットの時間を知っておいて、その正数倍を考えれば、すっきり目覚められると提案する人がいる。レム・ノンレムのセットは平均90分と言われているが、人によってばらつきがあるのでまず睡眠日記を付けて時間を計ることから始める。何回めかのレム期にちょうど目覚めれば成功である。 137 多因子病 決定的に悪くはない数多くの病因遺伝子の加算によって発症に至るタイプの病気。たいていの高血圧症や糖尿病、内因性精神病はこれに属する。面白いことに、どれも発症は生活習慣とも密接に関連しており、多因子の中には生活習慣という後天的因子まで含めて良さそうである。 138 精神異常の異常とは何か @平均からのずれとしての異常。A価値判断としての異常。B疾病概念としての異常。これらが教科書にはあげられている。しかし実際の診察室では、異常かどうかが問題になることはあまりない。患者さんは困っているから来院する。もし「私は異常なんでしょうか」と聞かれたら、それは「それほど深い不安に悩んでいます」ということだ。悩みについて解決を考えればいいわけで、特に異常かどうかを判定する必要もない。正常だが深い悩みも沢山ある。また家族や周囲の人が来て、誰かについて異常ではないかと言い出したとしても、そのような発言に至るからには誰かが困っているのだ。では、その悩みについて相談しましょうということになる。 精神異常かどうかの判定が求められるのは裁判の場面である。しかしこの場合も判断能力をどの程度保持できていたかが問題なのであって、異常とは何かについて判断する必要はないだろう。 139 異常か正常か 「私の子供は病気でしょうか?」「私の妻は異常でしょうか?」 このような言い方は結局、「私はまだ我慢しなければならないのでしょうか。辛いんです。」という訴えだと思う。本人も困っているが、家族も困っている。誰かが異常だとか病気だとか言ってみても、それで悩みが解決するわけではない。医療としてお役に立てそうか、医療の他にはどんな手だてがありそうか、一緒に考える。家族全体の苦しみをケアしようとする態度が大事である。 140 疾患概念 病理標本の裏付けがなくても疾患と言えるのか。多分言えないと思う。精神科の場合にだけ、控えめに許されているのだろう。 141 ICD-10 WHOによる国際疾病分類(INTERNATIONAL CLASSIFICATION OF DISEASES)のことで、現在は第10版が用いられている。保健所・役所関係の人には大切である。 142 DSM-IV Diagnostic and Statistic Manual of Mental Diseasesの第四版。アメリカ精神医学会が定めた精神障害の診断と統計のためのマニュアルである。多軸診断システムを採用している。統計的手法を用いて研究発表する人には有用である。 143 措置入院 医療保護入院 任意入院 基本的人権の一時的制限 144 リビドー 狭くは性的欲望のこと。広くは人間を突き動かす欲望全般のこと。心のエネルギーのこと。 145 イド・エゴ・スーパーエゴ フロイトの描いた人格構造。 146 意識・前意識・無意識 147 葛藤 conflict 心の中に両立しがたい欲求が同時に存在する状態。旅行に行きたいけど貯金もしたい。食べたいけど太りたくないなど。人生は葛藤の連続であり、適切な妥協点を見つけるのが人生の智恵である。結論として、旅行は年に一回、体重は42キロと決心する。そしてしばしば自分の決心を裏切る。欲求は決心よりもしばしば強い。 148 防衛機制 defense mechanism 欲望が起こったとき、そのままの形で意識したり行動したりすると不安状態となるため、心はその欲望を受け入れることができず、形を変えて納得しようとする。そのようなメカニズムのこと。無意識的な作用である。 防衛機制は、正常、神経症性防衛機制、精神病性防衛機制と分類される。 149 抑圧 repression 意識したくないことを無意識界に追いやること。そうすれば都合の悪い自分を見ないですむ。 150 退行 regression 適応困難な場面で、より低次の適応段階に逆戻りすること。低次の行動様式を選択する。たとえば、中間試験が受けたくなくて二歳の子供に戻ってしまい、指をしゃぶって言葉も話せない状態。大人が子供と遊ぶときに、一時的で部分的な退行を示す。これは健康な退行である。 151 反動形成 reaction formation 衝動が強烈な場合、抑圧するだけでは不十分な場合がある。衝動とは正反対の行動を選択することで不安から逃れようとする。憎しみを何とか処理しようとして溺愛したり、敵意を何とか処理しようとして馬鹿丁寧な態度をとったりする。 152 同一化 identification 自分の理想とする人の真似をして振る舞う。たとえば、母を恋しても父に邪魔されてしまうとき、父と同一化して満足しようとする。→取り入れ? 153 置き換え displacement もともとの衝動を、社会的に受け入れられるものに変更すること。 154 否認 denial 受け入れたくない現実や体験をなかったことにすること。 155 投影 156 取り消し 157 孤立 158 合理化 159 分裂 160 取り入れ 161 昇華 162 象徴化 163 治療抵抗 抵抗 164 転移 transference 165 逆転移 counter-transference 166 行動化 acting out 167 機能性精神病 functional psychosis 英語圏の精神医学で使われる言葉。顕微鏡程度では脳病変(構造変化)を観察できないような精神疾患を指す。顕微鏡では見えないほど微細なレベルでの変化という意味も含まれるが、脳に病変はない(つまり構造は正常である)が機能が異常になり病気が起こっているという意味も含まれる。 しかしながら、ある機能があれば、必然的にそれに対応する構造があるはずである。構造は壊れていないが機能が壊れているという言い方は矛盾している。 168 内因性精神病 身体因で起こるのではなく、心因と遺伝的素因の両者の関与によって起こると見られている疾患。遺伝的素因はどのようなものか不明であり、心因としても特異性は見いだされていない。遺伝性疾患ほど遺伝子に決定されてはいない。一卵性双生児の発病一致率は50%程度である。また、心因となるストレスの関与は確かにあると思われるが、神経症の場合のように強く状況に反応しているわけではない。非特異的ストレスという程度の場合もある。 169 幻覚 「対象なき知覚への確信」である。実在しない対象を知覚していると信じるもの。 170 錯覚 illusion 外界からの知覚入力が実際にあり、それを誤って知覚すること。 171 過剰相貌化 幻覚に関する理論のひとつ。たとえば壁のシミが人の顔など意味のあるものに見える現象について、過剰に意味を読みとろうとする点に着目したもの。 172 人混みが苦手な人の不思議 人の中では緊張するから、行きたくないと言いながら、行ってしまう。なぜか。 昨日は人の中に入って緊張してとても疲れてしまったと語る患者がいて、それでは経験を生かして、次からは疲れすぎない程度でやめておきましょうと指導する。しかしつぎにもまた人の中で活動している。その様子を見ていると特に疲れている様子でもない。次の日になれば疲れて大変だとか緊張して大変だという割には、そのときには平気で、それなりに楽しんでさえいるように映る。 ある人に話しかけられて深い話になってしまい、そのあとで大変な目にあったと話している。それでは次からは人と距離を持って話すようにしましょうと指導するが、つぎにもやはりじっくりと話し込んでいる。 嫌なことであるならなぜ避けようとしないのだろう。話し合いの結果、多分、その時は嫌ではないのだ、後で回想してみて、どんどん嫌な気分に染まっていくのだと思われた。 体験の段階ではさほど嫌な経験ではない。しかし後になってそれを思い出してみると、とても嫌で疲れる体験と感じられている。それは回想の段階で、妄想的な加工が加わるからではないか。 嫌だ嫌だと言いながら、はまりこんでいってしまう、そして次の日になってとても疲れたと言う。こんな人の場合は、回想の仕方に病理があるのではないか。本当にその場で嫌なものならば、回避するようになるはずではないか。 現在形では嫌な気分を知覚できず、回想でしか知覚できないのだと考えてもいい。それを、現在の知覚障害と考えるか、回想時の妄想的付加と考えるか、ということだろう。 173 薬剤使用量 病状や薬剤の効き目・副作用について懇切丁寧に説明すれば、薬剤の使用量は減少するだろう。 まず親切な精神療法を行えば、薬剤は少量ですみ、効果も高い。ときには偽薬で十分なほどである。 もらった薬の全部または一部を捨てる患者も、きちんと話す時間があれば必要十分な薬をもらって全部のむようになるだろう。 不必要な薬を出して平気な医者は、きちんと説明することが必要で、ときには質問もされるとなれば、不要の薬を出すことにためらいを感じるようになるだろう。 医者のかけ持ちをやめるようになる。 きちんと説明もしないような医者にかかっていると不安ばかりが高まる。 というわけで、患者さんのためにも、さらに医療経済の点からも、懇切丁寧な面接が望まれる。 174 薬か精神療法か 精神療法ですむものなら、もちろん精神療法ですませたい。薬は自然の食べ物ではないから、なしですむならその方がいい。 しかし薬には即効性がある。 薬でまず一段階楽にして、そこから本格的に精神療法に取り組むというのもよい作戦である。 175 「薬は自分を変えてしまう。精神を変えてしまう。」という不安。 これは根強い。日本人は自分を変えてしまうことには恐怖を感じていて、できれば自分のままで、その延長として自分を強くして、困難を乗り切りたいと願っている。ある国の人たちは、自分をきっぱりと自分以外のものに変えて、困難を乗り切りたいと思うのだそうだ。その点では、日本人にはドリンク剤やビタミン剤が好まれ、精神科薬剤は敬遠されるのだろう。それは、精神科薬剤がまるで覚醒剤や麻薬のように自分を変えてしまうとの誤解が根底にあるからだろう。 薬の効き目はたいていは、不安を少し遠ざけるだけだ。薬で少しだけ楽にして、時間をかせいでいれば自分の身体の内部に備わっている自然な治癒能力が働いて、精神を調整してくれる。精神そのものにメスを入れているようなものではないのだ。 176 妄想A なぜ幻覚妄想は発生するのか? 1)さまざまな原因からドーパミン過剰状態またはドーパミンレセプター過剰状態になり、ドーパミン系過敏状態となり、幻覚妄想状態になる。証拠としては、ドーパミン遮断薬が幻覚妄想を除去するのに役立つこと。また、脳内ドーパミンを増大させるような薬剤を使うと幻覚妄想状態が引き起こされること。なるほどと思うし、賛成の声も強い。しかしドーパミン系過剰状態が関与している可能性は認めるとしても、それが全てではないだろう。 2)心理面から考えれば、自己の内面にある考え・感情・イメージを、それが自己の内部にあると認めたくないから、外部に投影することで生じると考える。まあそれは当たり前で、対象なき知覚であったり、現実と食い違う確信であったりするのだから、自己の内部に発生しているものに違いない。それがあたかも外部に起源を持つものであるかのように考えてしまうところが病気の部分である。 3)壁のシミが人の顔に見えたり、空の雲がアイスクリームに見えたりする。これをパレイドリアといい、これ自体は普通の人の普通の時に起こることである。しかしこれは本来意味のないところに意味を見てしまうのだから、幻覚妄想状態と同じ構造を持っている。パレイドリアの状態にも、程度の違いを考えることができる。壁のシミが確かに何かの形に似ていると容易に理解できることもあれば、全くどう見ても何にも見えないこともある。星座の形にしてもそうで、とても物語の英雄には見えない。それでも現在のように名前が付いているということは、誰かがそんなことを考えたわけだ。意味のない形に意味を付与する作用には強弱があることが分かる。この作用が強い場合を過剰相貌化といい、弱い場合を脱相貌化といっている。 ドーパミン系の過剰状態は過剰相貌化をもたらす。これは幻覚妄想の起こり易さという、いわば形式を準備している。内容を決めるのは、個人の心理内にある内容である。欲望や関心、不安、そういったものが投影されて、個人に固有の幻覚妄想を生じる。これが幻覚妄想状態である。上の1)は形式を決定し、2)は内容を決定する要因であると考えられる。 逆に、ドーパミン系不足状態は、離人症を準備する。意味を外界に投影する作用が薄れてしまい、意味を感じ取ることができなくなってくる。離人状態はこれが全てではないが、このような成り立ちの離人状態もあり、それは精神分裂病とその周辺の病理の場合に起こるタイプのものである。 相貌化作用でいえば、固定して過剰または過小の場合と、大きく揺れ動く場合の、どちらも病気の原因となると考えられる。これはドーパミン系の言葉で言えば、ドーパミン系過剰または過小で固定されている場合と、両者の間を大きく揺れ動く場合の、両方が病気に関係していると考えられる。症状に翻訳していえば、幻覚妄想状態または離人状態と、この両者を揺れ動く場合とがある。 177 妄想B 自分や身の回りの人が幻覚妄想状態になったら、どうすればいいか? 自然で良性の幻覚妄想状態はないと考えてよいので、専門家に相談して下さい。とは言うものの悲観する必要はありません。手だてはいろいろあります。 178 看護学対処法 身体病の患者さんが精神的に変調を来している場合。 @まず、その人の言っていることや考えていることが現実と一致しているのかどうかを考えてみる。説明したり説得したりして、どんな反応を示すか、様子を見る。現実とかけ離れていることをあくまでも信じ込んでいるならば、「熱心に懇切丁寧に対応する」方針だけではうまくいかないかも知れない。主治医に相談して対策を考える方がよい。 A現実と一致しないことはないのだけれど、考え方や感じ方があまりに極端で、患者さん自身が悩んだりまわりの人を困らせたりしていることがある。性格に問題があるのかも知れない。そんなときは対応の仕方をよく考えなければいけないので、看護ミーティングの場でよく話し合う。 B身体病になるということは、たいていの場合、「自分の大事なものを失う」体験である。これを喪失体験という。身体病になることで身体の機能を失う、そのことによって人生の計画や生きがいを失う、経済力を失う、さらには良好な家族関係を失うなど、失うものがたくさんある。病気になることによって得られるものもたくさんあるのは確かだけれど、そのようなプラスの面を考えられるようになるのはかなり落ち着いてからだろう。 人間は大切なものを失ったときは「うつ状態」になる。だから、病気で通院したり入院したりしている人たちは多かれ少なかれ、うつ状態に傾いている。さらに家族も大切な人の病気に際してはさまざま大切なものを失うのだから、やはりうつ状態に傾く。 したがって、身体病の患者さんと家族に接するときには、うつ状態の人に対しての対応の仕方を頭に入れておけばよいことになるだろう。 Cうつ状態の人に接するときの基本は、話をよく聞くこと、患者さんに真面目な関心を寄せて理解しようとすること、批判するのではなく受け入れること、などである。このとき、@とAの場合には別の対応が必要になるから注意する。 179 燃えつき症候群 なぜ特に看護婦について言われるのだろうか? 完全主義、理想主義、強迫傾向の人が、教師、看護婦、精神療法家などの職業に就いたときに、心身ともに疲労してうつ状態になってしまった状態のこと。自分が職業について理想として思い描いていた状態が、実際には実現困難なものであることを知るにつれて、報われなさに押し潰されて行く。教育やカウンセリングなど人間の精神にかかわる分野では、客観的な評価が曖昧である。自分で自分を評価することになるが、その場合、完全主義の人は自分によい評価を与えることができず、まだ足りないと思うようになる。精神的活力を使い果たしてうつ状態に陥る。 教育や心理の仕事は相手が人間なのだから、自分が努力すればそれに比例して成績が上がるという性質のものではない。したがって完全主義者が本来感じやすい不全感や報われなさが生じやすい分野である。完全主義傾向のある人は、仕事の性質からいって、自分の完全癖を満足させることは難しいのだと最初から頭に入れておく必要がある。教育効果や治療効果を完全にしようと思わずに、自分の記録を完全にするとか、勤務時間を完全にするとか、そのあたりで完全欲を満たすようにしたらどうでしょうか。 180 想像の手紙 「あなたの友人、それは実在でも架空でもいいのですが、その人からの手紙を考えます。それを受け取ったら心から満足できると思うような手紙を自分で書いてみましょう。友人にしてもらいたいこと、言ってもらいたいことを正確に言葉にして書いてみましょう。」物事を多面的に見る訓練になる。 181 精神安定剤 本当の安定剤の他に、比喩的に「心の安定剤」という場合がある。人々は心が不安定になったときのために対処行動を開発しているものである。アルコールを飲んだり、やけ食いしたり、ある特定の対人関係に頼ったり、性的関係を求めてみたり、ギャンブルをしたり、仕事になおさら打ち込んだり、趣味を持っていたり、本を読んだり、ビデオを見たり、いろいろある。この中で限度を越えると依存状態として問題視されるものがある。まず代表はアルコールであり、シンナー・トルエン・覚醒剤・睡眠薬・ある種のかぜ薬などの各種化学物質、ギャンブル、買い物、食べ物、仕事、宗教、暴力、ある種の人間関係などは、度を過ぎれば嗜癖、または依存や中毒と言われるものになる。健康なストレス発散は問題ないのだが、どうしたわけか、問題領域に入り込んでしまうのである。そうした人たちはたとえばアルコールをやめようとしてギャンブルにはまりこんだりするなど、ひとつの問題行動から別の問題行動に移行していることも多いと指摘されている。 要約していえば、彼らは不安に対処する力が弱いということだ。 182 構造主義 人間の本質は情報または構造についての情報であるとする考え方。 思考実験として、人間の体の各部分を切り離して人工物に変えていくとする。義足、義手、義歯、義眼、と次々に変えて行く。たとえば、子供の頃からの手と、義手は同じではないのだから、義手を使うようになった自分はもう昔の自分ではないのだ、だから手は自分の本質の一部なのだと言い張るとしても、その議論には無理がある。変化は起こるだろうが、やはりその人はその人であろう。愛用の靴と愛用の手とでは本質に違いはないだろう。歯を抜いて入れ歯にしても人間の本質が変わるわけではない。では脳を移植したらどうなるか。それは脳だけを残して体全部を入れ替えることだから、結局非常に大規模な体の移植ということになる。 このように考えると、やはり脳にその個人の本質があるだろうということになる。さらに、脳の部分移植を考える。小脳を移植するとして、普段より動きがいいなと感じる程度で、別段不都合はないだろう。脳幹も、取り替えればもっと調子がよくなるかも知れない。では何が自分の本質なのだろう。 意識も記憶の脳神経細胞の作り出すものと考える現在の脳科学の仮定をここでも前提とすれば、結局自分の本質とは、自分に固有の神経細胞のネットワークの仕方ということになるだろう。それは「もの」ではなく、情報ということになるだろう。情報が充分にあれば、この人に固有の神経細胞のネットワークを再現することができるだろう。そうした情報を分析する技術が確立されれば、ミイラは情報ボックスで充分である。生き返るときにはその情報をもとに神経細胞を組み立てればいいわけだ。(困難は大きい。神経細胞の特性は無限であるし、細胞同士の情報伝達の仕方も無限に多彩である。) さらに一歩進めると、実は情報を神経細胞に移さなくてもいいはずである。神経細胞ネットワークを再現したとして、それがどのように働き、何を体験するのかについてはたとえば大規模なコンピューターでシミュレートできるだろう。そうすれば、特に生きる理由もないかも知れない。コンピューターの内部で、ある個人の情報セットが体験し、変化して行くのである。これは生きることと全く同等である。 183 中毒仲間 アルコール中毒や薬物中毒の仲間は、メンバーの立ち直りを喜ばないことがある。せっかく中毒の行動パターンをやめられそうになっているときに、「実はいい話がある」などと言って接近し、それまでの努力をだいなしにしてしまう。この誘惑に打ち勝つことができるかどうかが、立ち直りに成功するかどうかの鍵であることもある。映画やドラマでも、ここで勇気を持ってきっぱりと悪い仲間とは別れなさいと勧めている。ある種の不安を処理するために特定の物質に頼っている場合、その物質の入手の都合から、同じ傾向の人たちと知り合いになる。すると今度は物質依存に加えて対人関係の面でも嗜癖性のパターンを発揮するようになる。そのような集団では、誰かが目覚めて、自分たちの不安消去パターンを否定するような言動をすれば、自分たちの存在の根底を掘り崩されるような不安を感じる。全般に不安に対処する方法が下手な人たちである。個人の不安を消去するために集団を作ったのに、こんどはその集団が不安に脅かされるといっては騒ぐのである。 184 中毒とエスカレート 中毒症者は、アルコール、食べ物、ギャンブル、宗教、対人関係、その他どの場合でも、エスカレートすることが特徴である。一方、躁うつ病者の病前性格として循環気質があり、その特徴の一面として熱中性があげられている。これもつまりはどんどんエスカレートするすることであり、中毒症者のエスカレートと通じる面がある。両者の違いは、循環気質の場合には、ある時点で熱中性を持続できなくなり自然の経過としてうつ期に移行することであり、中毒症者の場合にはそのような移行がないまま持続することである。また、中毒症者の場合には同程度の満足を得るためにさらに強い刺激を必要とする悪循環に陥るのに対して、循環気質の場合には同程度の刺激でも満足が強くなるらしい。 185 熱中性と脳内モルヒネ 熱中性やエスカレートする性質の物質的基盤として、脳内モルヒネが関与しているか関心が持たれるのではないか。 186 精神科診断学 @確実に客観性をもって分かること A推定または印象、意見に属すること の二つを区別する診断学がよいのではないか。 病前性格・生活歴・対人特徴などについて。 行動・情動・思考パターンの特質を描写する。 187 風景構成法 たとえばうさぎが描かれたとして、それは何を意味するのか。そのイメージはその人の心のどの層のどの部分から出てきたのか、その人に即して考察する必要がある。一般化しすぎてはいけない。各個人の内部のイメージシステムを検討する必要がある。 188 防衛機制・取り込みの例 「こっぱずかしい。」発言の分析。 テレサテンの歌が天井から流れてきたとき、ある女性が「よくこんなこと言えるわね、こっぱずかしい」と言った。その女性の普段の言葉遣いからすれば違和感のある表現である。その部分だけがその人らしくないような印象であった。推定すれば、祖母か母か、そのような年代の人の言葉のようであった。 その人は、恋愛についての自分の感情を抑圧している。恋愛部分についての感情は自分の生の感情ではなく、祖母や母の言葉の反復である。その人の全体としての幼さの印象はそうしたところから出ているのだろう。 189 演歌の世界 テレサテンは高級クラブの女たちの、演技を含んだ純愛。 八代亜紀は下層階級の例。時に男は酒と女と賭博に溺れ、私がついていなくてはこの人はやっていけないと考えて女は満足している。 190 悲しい演歌 自分の悲しみを代弁してくれる。感情に形がつけば、カタルシスである。他人の不幸を見ていれば安心できる。 191 性格の三角形 強力、常同、弱力の三角形は、各人なりにバランスをとっている。MADの三角形である。 たとえばMDの比率が大きいときには、Aを大きくさせてバランスをとろうとする。これが循環気質に見られる強迫成分(常同成分)である。先天的には強力成分と弱力成分が優勢で、常同成分は後天的に発達させたものである。だとすれば、強迫症は性格防衛である(A性格を発達させて性格の一部とすることによって適応をはかっている)という言い方もできる。躁うつ状態になり、防衛破綻しているときには、まず薬で抑えた後に、A成分を再建する必要がある。 後天的に発達させることができるのは、Aが最も容易であり、古くから子供のしつけの要点は几帳面さを発達させることに自由点が置かれてきた面がある。世間では几帳面で常同的なことは適度な範囲であれば、信頼性を増し、好ましいことであると考えられている。 A型行動傾向は強力と常同の比率が高い。 常同と弱力の比率が高い場合。‥‥アパシーパターン。常同的パターンで適応する人。環境変化に適応するまで時間がかかる。新しい環境に適応しきれないでダウンすると、常同成分が停止し、弱力成分だけが残る。この状態がアパシーである。新しい状況に常同型行動パターンで対応することができないでいる。:退却神経症の場合、本業からの選択的退却、アルバイトや趣味は興味を持ってできるというものであり、この両者の対比が印象的である。:性格としては、まじめ、おとなしい、礼儀正しい、完全主義、頑固、几帳面、小心、攻撃性に欠ける、積極性に欠ける、自尊心が高い。:強力成分は柔軟性でもある。強力成分に欠ける人は柔軟性に乏しい。 強力だけの比率が多い場合。うつとは無縁の軽躁型。 常同だけの比率が高い場合。強迫性格。 弱力だけの比率が高い場合。抑うつ型性格。 強力成分はノルアドレナリンと交感神経系に関係している。 弱力成分は?と副交感神経と関係している。 A成分はたいていは後天的なしつけの成分なのだと考えてよいかも知れない。 シュナイダーは、強迫性格は自信欠乏の裏返しだと考える。しかしそれは自信というものの基準が高いからだろう。自分の正確さの基準が高いのである。 幼児期の悲しい体験は弱力性を増大させる。 三成分は、持って生まれた比率でもあるが、後天的な影響により比率が変化する? 弱力性とは、運命を甘受することである。 人の力ではどうすることもできない無力感が弱力性成分を強化する。 192 定義する作業 辞典では意見ではなく事実を伝えたい。たとえば旅行ガイドであれば、どこの景色がいいとかどこに行けば楽しいとか、それは意見である。しかしどこに何があるという情報については事実である。それに相当するものを伝えたい。しかしそれが難しい。 分裂病とは何かと説明しようとしても、各国ごとにさまざまな診断基準があり、それらを集めたものが出版されているほどである。 富士山とは何かと説明しようとしても、境界の説明が難しい。中心部については誰にも異論はないだろう。しかしどこまでがなぜ富士山なのか、説明は難しい。遠くに行くほど明瞭である。 分裂病の中核部分については異論はないだろうが、分裂病の周辺部分については意見が分かれることもある。それでも何とか医者同士で話は通じている。 では分裂病は難しいから、症状について事実を提示したらどうだろうか。しかしそれも難しいのである。幻覚妄想にしても客観的に測定することもできず、患者さんの語る言葉や行動を医者の側で「深く」解釈する必要がある。たとえば、「自発性の減退」という場合、言葉で言えばひとまとめにできるものの、うつ病の場合にはおっくうさと言うし、分裂病の場合には無為と表現している。その他にはアパシーでも見られる。そしてそれぞれの場合にやや違いがある。これについてはなんとか理解できる。ところが、離人症の場合、分裂病、うつ病、神経症などいろいろな場合に見られる。それぞれの場合で離人症に違いはあるのか、ないのか。どのようにして差があるかないか確かめることができるのか。そんなことさえも分からない。全く原始的な話である。 定義しようとすれば、学説の紹介にもなってしまう。結局複雑になる。 そこで、患者さんと家族の皆さんに役立つ情報を伝える。学説はひとつでよい。 そして説明は事実そのものでなくても、分かりやすいたとえ話を重視する。 193 依存(甘え)のよい面 不安をコントロールするために依存は役に立つ。過度の依存はすすめられないが、適切な依存は人間として普通のことである。依存はいけないといってたらいの水と一緒に赤ん坊まで流してはいけない。 194 自己記入式テスト その人が自分をどれくらい飾っているかも分かる。また、自己評価の低さについても評価できる。誇大的か、卑下的か、実際の面接時の印象と比較して評価することになる。したがって、実際の面接がやはり基礎になる。郵送で採点していたのでは、表面的なことしか分からない。自己評定と面接を組み合わせることで、人格の立体的な構造が明らかになる。 たとえば、「人に親切にしないではいられない」に○と記入した人が、普段はどのような言動をしているのかを背景として考えれば、いろいろなことが分かる。 195 受容 受容派の人は、単に嫌われることが怖いだけのこともある。迎合する。みんな自分のためである。一時的に嫌われてもなお相手の利益に立つことができない、弱さがあるのである。 196 リフレイミング 再枠付け。視点を変えて物事を見る。洞察的精神療法では、リフレイミングをすすめることによって、物事を多面的に見ることができるよう導く。多元的な価値観を身につけることは人格の深まりである。 197 ヒステリーと境界例の違い 人格の未熟といえば、どちらも未熟である。ヒステリーは全般に小学生程度にまで退行し、境界例は部分的に赤ん坊にまで退行する。人格水準としてみれば、こういうことになる。 境界例はでこぼこな退行、ヒステリーは全般的ななだらかな退行と言えるかも知れない。 WAISで折れ線パターンが特異的発達障害で、LD。全般的レベル低下は知能発達遅滞である。それと同じように、人格水準を人格要素ごとに分析したときに、全般的低下を示すのはヒステリータイプ、折れ線で部分的に低下しているのが境界型タイプではないか。 また、症状の面でいえば、不安が前面に出たり、衝動コントロールが悪かったりで、類似している面はある。 転換ヒステリーも、解離性ヒステリーも、症状としては特有で、境界例とは重ならない。 昔からの習慣でヒステリーといっているタイプは、全般に人格が未熟で、行動面では衝動コントロールや欲求コントロールがまずい、対人的には未発達で甘えが見られる、などの点が特徴であろう。 ヒステリーは分裂病とは全く関係がない。 ヒステリー型:全般に低下するが、神経症レベルにとどまる。小学生程度。 境界型:精神病レベルので低下するが、部分的。その他の部分の機能は高い。 境界例の人は治療者に対しても理想的な満足を求める。対人的に「理想的・空想的・強烈な」対人関係を求める。異性についても治療者についても。 昔はヒステリーとパチー(精神病質)でだいたい表現できた。このごろは細分化されて、ヒステリーは転換型ヒステリー、解離型ヒステリー、パチーは境界型、反社会性、自己愛性などと表現される。すると、中間型や分類不能が他が必ず出てくる。それらは仕方がないから、昔で言うヒステリーとしか言いようがない。 もともと連続したものを類型で表現するのには無理がある。性格障害多次元空間でも考えて、多次元の要素について連続量として測定し、座標に位置づけるようにするのがよい。測定は、ストレスに対するアドレナリン反応性などが最適であるが、現状では心理テストにより測定した数値を使用すればよいであろう。こうしたことがうまく行けばよいのだが。 198 浦島太郎と竜宮城 施設(竜宮城)の外では適応できない人のこと。施設病、ホスピタリズム。スタッフとしては、患者さんを浦島太郎にして施設に縛り付けておいてはいけない。あくまで社会復帰が目標である。施設が居心地よくなった人は、このまま仕事を辞めて、毎日でも来ますなどと言い出す。居心地がよくなくてはならないが、現実世界と切り離された竜宮城であってはならない。しばらくいたら現実社会に戻る力が備わるような場所でありたい。竜宮城で遊んでいるうちに浦島太郎は社会復帰不可能になりましたというのでは治療になっていない。 199 自分からのレッテル張り 「私はACだ」という発言は、「おまえはACだ」という発言を誘発する。 200 進化論の不思議 ワニの赤ちゃんは唇がないので、乳首を吸っておっぱいを飲むことができない。ワニの母には乳房も乳首もない。こんな状態から、ほ乳類になると突然のように母には乳房と乳首、子供には唇ができて、哺乳ができるようになる。哺乳類になったわけだ。しかしこれは独立に起こったことなのだろうか?進化の途上では、役にも立たない乳房があった時期があるのだろうか。このような不思議もいずれ何かで説明されるだろうと期待するなら、とてつもない楽観主義と言わなければならないだろう。 201 楽観主義 くじけない心。努力は報われると信じて努力を続ける態度。成功の可能性が1%でもあれば、その可能性を追求してみる態度。何もしないでもどうにかなるだろうと信じる態度とは異なる。 202 悲観主義 努力はどうせ報われないと思いながら生きること。失敗の可能性が1%でもあれば、その可能性に縛られる。 203 受容 acceptance カウンセラーのクライエントに対する態度として、受容が言われる。ロジャーズによれば、「無条件の肯定的・積極的関心」と同義であり、ひとりの人格として重んじる態度である。しかしこのことはクライエントの現状を無批判に肯定することではない。カウンセリングとは、批判することではないが、無条件に肯定したり受容したりすることではない。無条件に関心を持つことと無条件に受容することとは全く違う。 受容すべきなのは、患者の今現在外にあらわれている言葉や行動ではない。よく生きたいと願うクライエントの心を受容するのである。その人の健康な自我と同盟するという「自我同盟」と似たところがある。 現状ではなく、可能性を受容すると言ってもよい。 このように見てくれば、よく生きるとは何か、現状よりも他の可能性がよいのか、これらの点について価値観が入り込む。ここのところを自己コントロールするのがプロである。 無条件の受容は治療的退行を引き起こす。それは治療効果を狙ったうえでの意図的な退行操作でなければならない。そのためには、どのようなクライエントに治療的退行が有効であるのかを、見極める必要がある。治療者によってまた施設によって方針が違うだろうが、我々としては、生育の歴史の中に葛藤の根源があるタイプの神経症に限って、治療的退行を適応と考えている。その他の場合には、退行操作は自我の脆弱性を亢進させてしまうので、禁忌である。このような事情から、受容的態度の前に、正確な診断が不可欠である。 204 意識と無意識 【参】自由意志、自意識、他意識 自意識と他意識という分類を考えてみる。自意識とは、自分の心の内容についてモニターする働きのこと。自己内部についての意識である。他意識とは外部感覚を処理して反応する部分である。他意識は感覚器官を通じてのものであり、自意識は感覚器官を通してのものではない。自己の内部状態についての直接知覚である。 膝蓋腱反射を考えてみる。腱が伸びたとの感覚→脊髄で処理→筋収縮といった経路で反射が起こる。ここではいわゆる意識は働いていない。「無意識的な反射」と言ってよい。自意識はただ結果を意識するのみである。 感覚→他意識で処理→運動。 他意識には内省は生まれない。ただ自動処理するのみである。 では、人間の意志や思考は何の役に立つのか?思考は他意識の処理過程である。意志と感じられるものは、自意識の作用である。 膝蓋腱反射では刺激→反応の経路が明白だから自意識も自分で決めたと感じることはない。 自分の自由意志で足をあげたと思い込むだけである。錯覚に過ぎない。 なぜそのような錯覚が必要であったか?生存の役に立っているのか? 他意識は自動反応部分である。 自意識は自動反応を能動的反応と錯覚する装置である。 自意識の役目は、自己の内部状態についてモニターして記憶しておいて、他者の内部状態について推定することである。 この推定ができない個体は「共感性に乏しい」ことになる。これが集団機能の中核と考えてよいだろう。@ また、他者からの推定を許さない独自の内部状態を持っている人もあるだろう。こうした人たちも、集団機能は欠如することになる。A @は自意識の機能の障害であり、分裂病型。自意識機能の障害としては、時間遅延効果の障害としての能動性の障害が見られ、自動症、離人症、させられ体験が並ぶ。自分の考えなのに他者の声として聞かされるのが幻聴であり、させられ体験の一部として考えることができる。そのほかの幻覚体験についてはまた別の成り立ちではないか。@の系列には幻声と他者からのまなざしの体験が属する。被注察感をどう考えられるか、不明。妄想は訂正不可能な確信とまとめることに疑問がある。(自発性減退の例)。被害妄想については、させられ体験との連続で考えることができるのではないか。 Aは他意識(自動反応装置)の障害であり、性格障害であると考えられる。 自由意志とは、錯覚であり、自意識はたとえば膝蓋腱反射をも自由意志の結果であると思い込むような装置である。 205 カテゴリーの問題 自発性減退とカテゴライズすることで、分裂病の無為も、うつ病の億劫さも、アパシーや退却症候群の自発性減退も、あたかも同列のものであるかのようにまとめて考えがちであるが、それは不正確である。 たとえば、離人症状につても、いろいろな病態で起こる離人状態が同じと考えていいかどうか、疑わしい。 もし、ひとまとめにして意味がないものをひとまとめにして扱おうとしているのならば、カテゴリー設定について考え直す必要がある。 たとえば、架空のキリスト教的精神病理学で、神の症状・悪魔の症状・天使の症状などと分類して考察したとしても、それは病態そのものの問題ではなくて、考察する人間の脳の中身の問題になってしまう。そのような本来の目的とは乖離した考察をしてはいないか、再考を要する。 206 外界の認知 感覚器官を通じて、世界が認知されている。これは途方もない奇跡である。 脳の中に世界のモデルを持っていて、それが外界とうまく対応している。うまく対応しているとは、生活に支障のない程度に対応が成り立っているということだ。 207 物質と人間 人間の脳は、物質の延長である。したがって自由意志は錯覚である。知覚は実体の部分の特性を認知しているだけだ。それらをもとに脳の中で世界を構成しているに過ぎない。構成された世界は外界の世界とほどほどの一致を確保している。それは進化の過程で長い時間をかけて獲得されたものだ。 構成された世界は個体ごとに変異が生じるように仕組まれている。変異がよりよい適応を生むからである。 どのようにしていま私が意識しているような意識内容と作用が形成されてきたものか、考えるとやはり大きな断絶があるようにも感じる。石ころが極度に複雑化され統合化されたものがこの意識だと言うのだろうか?しかしとりあえずは物質的一元論でどこまで説明できるか試みるべきだろう。物質の側から説明を積み重ねて、どこまで可能なのか見極める、それが間接的に神に至る道である。そして人間の理性はそのように厳密に道を通してしか、神に近づくことができない。人間のその他の能力はもっと直接に神を感じている部分もあるけれど、そこには錯誤も多いと感じられる。 208 自由意志 石には自由意志はない。下に落ちようとする意志を見るというなら、それは比喩というものだ。魚が餌を食べる。意志と言ってもよいが自動反応と言ってもよい。言葉の定義によるのだが、私の定義では、自動反応である。物質の法則による決定論的なプロセスによるならば、それは自動反応である。物質の法則による決定論的なプロセスによらないならば、それは自由意志の可能性がある。魚、ワニ、犬と考えて、自由意志があるとは思えない。 人間の場合、膝蓋腱反射は自由意志ではない。自動反応である。人間の体の各所に自動反応がある。神経系の各所に自動反応がある。そして私は人間の神経系のどこにも自由意志を見いだすことができない。自由意志の感覚は錯誤であると思う。 結局ニュートン的な決定論の世界観を支持しているのだ。神はさいころを振らない。人間はもちろん、さいころを振らない。 フロイトは精神の決定論を主張すべきだった。 量子力学の不確定性は自由意志論とは関係がない。 209 物理学と精神科学 物理学の目的は世界の成り立ちを理解することである。宇宙の成立と発展。宇宙の法則。時間はビッグバンとともに発生したという時、人間の認識作用の壁を感じる。物理学の行き着く先に、認識論がある。認識論の基礎は脳科学である。物理学の法則は、物質の法則でもあり、それを認知する精神の法則でもある。 ニュートンとカントの出会う場所がすなわち人間の精神である。 210 認知とスケール 人間の認知は日常生活で便利なように発達してきた。人間の脳は人間の背丈に応じた範囲での世界の法則を転写して蓄えていった。だから、センチメートルからキロメートル程度の物理学は人間の感覚にぴったり合う。しかし微細な世界の量子力学になると、理解が難しくなる。また、全宇宙規模の話になると感覚がついていかない。 211 交感神経とノルアドレナリン パニック状態が交感神経系亢進状態だというなら、ノルアドレナリンをブロックすればいいだけのことではないか。 212 分裂とは何か 昔、連合心理学というものがあった。人間の精神は、観念の連合によって成り立っているとする。たとえば、家、戦車、平和などの観念が、それぞれのまとまりを持ち、かつ、他の観念との関係を持ちつつ、心の中に蓄えられていて、その結果精神が成立しているとする。これらの観念の連合、つまり関係の仕方が崩れたものを「分裂」状態と呼んだ。観念の輪郭そのものが失われてしまうなら、むしろ痴呆に近いだろう。家は家、戦車は戦車、そこまではいいのだが、それらの関係になると崩れているという状態が分裂である。はなはだしい分裂を支離滅裂という。やや分裂している状態を連合弛緩(loosening of association)という。 現在は連合弛緩や支離滅裂は思考の障害として分類され、分裂病性残遺状態(欠陥状態)または陰性症状のひとつと見なされる。 観念の連合と言うからぱっとしないが、現在では神経細胞の連合と言ってもほぼ通じるだろう。構造としては同じことだ。神経細胞の連合が崩れているから、精神分裂病がおきる。これは素朴で明確な考え方であろう。もっとも、現在は「家概念細胞」があるというわけではないからもう少し変更が必要ではあるが。 213 自由意志と軸選択理論  →没 量子力学の解釈のひとつ。量子力学の方程式が、未来について確率的にしか提示しないのは、実際に未来が複数個あり、存在確率はその個数に応じているのだと考える。そうすると、現在の意識はどの未来に属するかが問題となるだろう。複数の(つまりは無限個の)意識に分散するのか、あるいは、意識はひとつで、投影された影が無限個となるのか、‥‥。 あるいは、ひとつの意識がひとつの宇宙を選択するのか。その場合、その選択が人間の意志である。意志は個人のひとつだけのものではなくて、人類のすべての意志の総和である。人間の意志の総和が宇宙のあり方を決める。軸を選択するのである。 214 「私には分かる」 とも狂いの危機。分からないはずのことが分かるとは、実は分からないことが分からなくなっているのだ。 215 錯覚と幻覚の発生 まず錯覚。たとえば視覚ならば、光刺激は眼球から、視交差、外側膝状体、後頭葉視覚領へと伝えられる。その間に刺激は徐々に変形されて行く。光刺激自体は単なる光の粒の集まりだったものが、次第に意味のあるまとまりとして認知されて行く。脳内の伝達の過程でエラーが発生すると錯覚となる。 幻覚の場合。最初の光刺激はない。眼球から後頭葉視覚領に至る間のどこかで、自発信号の形のエラーが起こる。そこから後の信号処理としては通常と同等である。視覚領では、あたかも外界に対応する刺激があるかのように解釈する。眼球に近いほど要素的で、視覚領に近いほど、意味のまとまりを持ったものになるだろう。 こうしたタイプの錯覚・幻覚論は分かりやすいが、幻覚現象の一部分のみしか説明していないだろう。典型的には幻覚妄想を伴う場合の側頭葉てんかんの場合である。 @パレイドリアタイプ。意味作用が過剰である。これは錯覚の延長のように思われるが、意味作用の過剰という点では、妄想にも通じる。 A妄想タイプ。先に意味がある。これは妄想というべきであるが、幻覚の定義にもあてはまる。 錯覚と幻覚を分けるわけ方にはあまり意味がないのではないか。さらに幻覚と妄想を分けることにもあまり意味がないだろうと考えられる。 シュナイダーの二節性 @は二節性。意味付加作用のみが異常である。 Aは一節性で、はじめから妄想である。 216 離人症状 離人症とは全般に 存在の現実性がピンと感じられない、実在感の希薄化、喪失、違和感、疎隔感が起こる。 @内界意識離人症=自己の体験や行動の能動感消失=人格感消失(狭義の離人症) A外界意識離人症=外界対象の実在感の希薄=現実感消失または非現実感 B身体意識離人症=身体の自己所属感の喪失・自己感覚の疎隔=自己身体喪失感 そのほかに有情感喪失感(生き生きとした感じ)という表現もある。これらを含んだものが離人症状である。 頭では分かるが実感としてピンと来ない。実感がわかない。 本人は病識を有していて辛い。しかもその行動を見ているだけでは他人からは異常が分からない。 @内界意識離人症=自己の体験や行動の能動感消失=人格感消失(狭義の離人症) 自分がない 空っぽだ 喜怒哀楽が感じられない。つまらないとも思わない。何も感じない。 頭が麻痺している ゼンマイが切れた 自分がやっているのは分かるのに、自分がしているという実感がない 自分はもとの自分ではなくなってしまった A外界意識離人症=外界対象の実在感の希薄=現実感消失または非現実感 ものが何だか変 ものが遠くにある まるでこの世のものではないみたい 立体感がない 現実ではない 夢のよう 通じ合うものがない 意味がよく分からない 自分とものとを隔てる膜がある ベールが一枚かかったかのようだ 世界が生き生きと感じられない 町を歩いている人が生きている感じがしない ものごとに現実感がない 実感がない ものが実際にある感じがしない 生き生きとした感じがない ものごとが死んでいるよう 空虚な感じ 見慣れた街なのによそよそしい 景色を見ても映画を見ているようによそよそしい 目に入るがぼやけてピンと来ない 音楽を聴いても音だけ聞こえる感じ 言葉にすることは難しい。「めまい」のようなものだ。 B身体意識離人症=身体の自己所属感の喪失・自己感覚の疎隔=自己身体喪失感 自分の体ではない 暑さ寒さの感じがない 痛みも分からない 味も分からない 肌に膜が張っている 自分の体が生きている感じがしない 恐怖性不安・離人症候群=強いストレスの後に生じる離人症を伴う広場恐怖。こんな記載もある。 また、強度の疲労や不安のときに感じるある種の感覚が、離人と似ているのかどうか。 『「自分は自動人形になってしまった」という感じが発展すると、自己が二重になり、行動する自己と、それを外部から眺める自己とが二つに分かれてしまうこともある。』 夢との対比。脳の構造の手がかり。意識の構造の手がかり。 意味を投与する作用が失われている。パレイドリアの逆。相貌化喪失。意味が剥奪される。 「意味」と「能動感」と「実感」の関係 外界や自己に関する変容感、非現実感。こうした変容を苦痛に感じる自我が存在し、体験が二重になる(mental diplopia)。体験が二重になる点で、強迫症と似たところがある。 なるほど。もどかしい感じについては「もどかしい、何となく変だと」痛切に感じているらしい。ということは、やはり自分のことについて感じている部分が残っているのだ。 すべてがぼやけて遠ざかって行くのなら、自己の状態についての陳述もなくなるはずだろう。 非現実化と能動性が薄れて自動化 外界物が非現実化し生き生きとした感じが薄れるということと、自己の能動性が薄れて自分の動きが自動化していると感じられることとを離人症状というひとつの言葉であらわしていることの意味。→同一の患者に起こるからである。同一の病理が推定される。 そもそも外界物質には「生き生きとした感じ」などあるはずがない。「現実化」も「非現実化」もあるはずがない。 そもそも自己の能動性などはあるはずがない。(あると素朴な直感では信じられているけれど。) どちらもあるはずのないものをあると思っていて、それが失われたことを嘆いているのである。 人が共通に持っている錯覚をなくした。それを症状だといっているのである。 まあ、とにかく、普通ではないことが起こっているのは確かだ。 217 脳の層構造・ジャクソニズム 脳の機能分類、構造区分にはさまざまな考え方がある。 エゴグラムのPAC、脳の進化の構造としての爬虫類、哺乳類、人間の脳(古皮質、旧皮質、新皮質)、個体の生存のため、種の保存のため、自己実現のため(マスローの欲求の段階図)。 進化の原則は、過去のものを捨ててしまうのではなく、再利用する形で新しい体制に組み込むことだ。ヒレだったものを再利用して、手足にしている。エラだったものは肺になっている。虫垂は今のところ再利用できていないので、一見むだにくっついている(本当にむだかどうかは分からないけれど)。脳のレベルでも、古い脳を新しい体制に組み込むことで再利用がなされていると考えられる。 古い機能単位を利用するのだから、新しく作るのは、それら古い部分をどのように利用するかの指令を出す部分だけでよい。さらに新しい機能はもっと上位の指令を出すことによって可能になるだろう。このようにして脳の機能の層構造ができる。それはそのまま脳の解剖学的構造でもある。 では、脳が壊れるときは、どんなことが起こるだろうか。構造は古いものほど頑丈にできている。新しいものほど壊れやすい。長い時間を生き延びてきた構造が壊れにくい構造になっているのは分かりやすい。そこで、人間の脳でも、壊れやすいのは一番新しい部分である。一番新しい部分は、機能として考えれば、一番高級な部分、古い部分を総合的に使う部分である。人間の脳の機能でいえば、総合的な判断やいろいろな素材を組み合わせて新しいものを創造する部分である。そこが壊れると、判断は部分的になり、創造は反復になる。 上位部分が下位部分を支配するときに、抑制的に支配する場合と、促進的に支配する場合とがある。脳の傾向としては、抑制的に支配する場合が多い。このことから、上位機能が壊れたときに、下位機能の突出が起こり、それを「脱抑制」と呼んでいる、。下位機能の突出傾向をうまく抑えることでコントロールして、役に立つ機能を引き出していたものが、上位からの抑制を失うわけだから、下位機能の突出が起こるわけだ。脱抑制の症状としては、過度にわがままになってみたり、過度の性欲を呈したりすることがある。 アルコール中毒症などで、脳の高級機能が失われることがある。その場合に、倫理観欠如を呈したり、粗暴になったりする。それは脱抑制の印象を与える。ある種の性格障害でも、このような症状が観察されるのは、アルコール症と同様の、高級機能の欠損が関与しているかも知れない。もっとも、アルコール症は、もともとが不安耐性の低い人に起こりやすいとの見解もあるので、アルコールのせいで高級機能が失われるのか、高級機能が失われているからアルコールに依存するのか、はっきりとは分からない。 胎児の時期に脳に微細な損傷を受ける機会は、近代都市文明にさらされれば多くなると考えられる。流行性感冒、タバコの煙、排気ガス、機密性の高い部屋での酸素欠乏、アルコール、売薬、医者から出される薬、覚醒剤など各種物質、食品添加物、食品のかび、電磁波、X線、それからストレス。母親には何でもないことでも、胎児の脳にどんな影響があるか、心配すればきりがない。 脳の機能が壊れたときに、その部分の機能が失われれば、それを陰性症状と呼ぶ。同時に、これまで抑制されてきた下位の機能が突出することがあり、それを陽性症状と呼ぶ。 以上のような考え方がジャクソニズムである。 このように書けばまことに明白な理論のようであるが、実際には明白でもない。ある症状が陰性症状であるか、陽性症状であるか、決め手に欠けることもある。また、ある機能が欠損し、かつある機能が過剰となることによって生じる症状があるとすれば、これを度のように分類するか、問題もある。たとえば、幻覚妄想は陽性症状であり、意欲減退・感情鈍麻は陰性症状である。 上位の機能が壊れたときに、脳は下位の機能で代理させる。このときに特有の症状が出ると考えられる。 218 離人感 目で見ただけでは信じられなくて、手で触って確かめてみたいと思うような感じ。でも、遠くにあるビルだとそんなこともできない。 街並みがどんよりとしていて、なんともいえない感じ。 自分の手が、本当に自分の手なのか、納得がいかない。動かせば動くから自分の手だなとは思うけれど、本当かなという感じ。 ガラスを通してみているようで。きれいなガラスでも、窓ガラスを開けてみると、やっぱり違うでしょう、そんな感じ。 219 躾 子供の躾は大抵は、几帳面さ、礼儀、完璧癖を育成する方向のものである。その点からは躾とは抑制系を発達させることである。脳は促進系を発達させるよりは、抑制系を発達させるほうがたやすいことが理由である。 220 精神遅滞 mental retadration(MR) =精神発達遅滞 原因を問わず、知能指数が70以下の状態。ICD分類と文部省分類がある。      文部省    ICD 全人口の2〜3% IQ70〜50 軽度    軽度      75% IQ50〜20 中等度    中度(50〜35) 20% 重度(35〜20) 5% IQ20以下 高度    最重度   軽度の場合には小学生程度の知能は確保できるので自立して生活することができる。中等度の場合には成人しても部分的助力が必要であり、高度の場合には日常生活の全面的な助力が必要である。特殊学級や養護学校で教育するかどうかは、その時のIQだけではなく、性格傾向、運動能力、感情発達なども加味して、最適の教育環境を提供できるよう配慮する。ノーマライゼーションの考え方を重視すれば、統合教育の中で工夫するのが望ましく、そのために教育力を高めてゆく必要がある。 全般に環境の影響を受けやすく、恵まれた環境では手に職をつけることも可能であるが、環境に恵まれない場合には困難な状況に押し潰されることも少なくない。この点で環境整備が大切である。またこのことから、知能とは困難な環境にもかかわらず未来を切り開く力であるとも考えられる。 原因として、胎児期のさまざまなダメージが考えられるが、その中で近年の話題としては、インフルエンザとアルコールがある。妊娠中期にインフルエンザに感染した場合、流産率が高くなったり、出生体重が減少したりする。脳にもダメージがあると考えられ、その理由として、インフルエンザに母が感染して免疫ができると、抗体が胎児の脳を攻撃するのではないかとする説が話題になっている。また、アルコールが胎児に影響を与えることはほぼ確実で、妊娠の可能性のある女性は飲酒を中止した方がよいと勧告されている。 221 幻覚 「対象なき知覚」、「知覚すべき対象なき知覚」または「対象なき知覚への確信(conviction sur la perception sans objet)」。「確信」を重く見れば、妄想に近付く。知覚は感覚から意味までを含むので、その幅に応じて幻覚も考えられる。 空間の特定の場所にはっきりと存在すると固く信じられるものは真性幻覚であり、ひょっとしたら自分のイメージなのかも知れないと思えるものは偽幻覚である。実在の水音、風音に混じって聞こえてくるのは機能幻覚と呼ぶ。しかしシャワーの水音の中に電話の音が聞こえてくるのは異常ではない。 単純な要素的な音が聞こえてくる場合(要素幻覚)から、メッセージを明確に持った言葉が聞こえてくる場合(幻声)まで、様々である。メッセージまたは意味がより明確に付与されているほど、妄想に近くなる。 入眠時幻覚、出眠時幻覚は寝入りばなとおきぬけに現れる幻覚である。意識レベルが低下しているときに現れるもので、必ずしも異常とは考えられない。 幻聴のなかでも幻声が精神分裂病に多い。患者は幻声と会話をしたり(二人称幻声)、幻声同士がひそひそと自分のことを言っていると悩んだり(三人称幻声)、自分の考えが声になって困ると言ったり(思考化声)する。行為批評幻声は、幻声が患者の行為について「便所に行った」「薬を飲んだ」などとコメントを加えるものを言う。 幻触は「性器をいじくられる」などという訴えとなる。させられ体験と言ってもいいし、体感異常と表現してもいい。それはどの程度要素的な感覚に近いか、どの程度メッセージや意味を含んだ経験に近いかによる。 人間は他の哺乳類に比較すれば圧倒的に視覚の動物であると思われるのに、幻視は幻声ほど問題にならない。それは人間の意味の伝達が音声による言葉を介してのことが多いからであろうと思われる。人間が言葉を頭の中に思い浮かべるとき、文字で、たとえば明朝体の青い字でなどは思い浮かべないだろう。(考えが文字になって見えるのは、考想可視と呼ばれ、まれであると記載されている。)時間の流れを伴った音声言語で、ちょうど喉を少し震わせて発音するくらいの調子で、思い浮かべるのではないだろうか。(これは私が文章を書くときの様子をとりあえず標準として引いているのだが。) 幻視は分裂病よりは器質性疾患で目立ち、たとえばアルコール性の幻視では小動物(ネズミやゴキブリ)が見えたり、腕をアリやクモがはいまわっていたりする。またアルコール症では圧迫幻視=リープマン現象が有名で、閉眼させて上眼瞼を圧迫すると、幻視が誘発される。 (上記はあまり意味を含まない幻視であるが、意味を豊かに含む幻視については、見えることよりもその意味付けがやはり問題になるので、妄想と名付けることが多い。→削除) 頭のうしろにものが見えるというときは、視界の外に視覚が成立しているわけで、域外幻覚と呼ばれる。 幻嗅、幻味、については診察室ではあまり見かけない。 以上は感覚器官の種類に応じての分類であるが、幻聴特に幻声の占める割合が圧倒的に大きいことからしても、「聞こえてくる」という属性を手がかりにすることはあまり有効ではないように思う。そしてこのことが、幻覚現象を神経学的に考えることの限界を説明するだろう。てんかん発作のような自発的信号発生を機序として仮定した場合、聴覚に偏ることは説明が難しいだろう。人間にとって意味の伝達はどのようにしておこなわれるのかについての考察が大切だろう。 222 病識と病感 Krankheitseinsicht,insight into disease and Krankheitsgefu"hl,feeling of disease 「分裂病では病感はあっても、真の病識は得られにくい」と言われるとき、病感は不調の感じ、病識は病気に関する真の理解、という程度の意味である。感覚と理解の差である。たとえば、「いまとても不安である。その原因は、アイツラが自分を迫害しているからだ」と言えば、病感はあるが、病識には欠けているわけである。「いまとても不安である。自分は迫害妄想に悩まされているからだ。」と言うなら病感だけではなく病識も得られていることになる。両者の差は、「自分は迫害妄想に悩まされている」と認知する部分が病気におかされているか否かである。分裂病は自分が病気になっていることを理解する部分さえもおかされる病気であり、そうであれば治療を望むはずはないだろう、ということになる。このような状態のときに責任能力もないのは当然であろう。これは痴呆でも見られることであるが、痴呆の場合の病識のなさはそれを観察する者としては自然に納得できる。分裂病の場合には了解不可能の印象を与える。 223 生きがい worth living,worthwhile life,raison de vivre,sinnvolles Leben,wertvolles Leben 人生の意味。人生の価値。生きる理由。生きがいを確実に感じている人は、精神的に強い。生きる理由があるから強いのだろう。 224 絵画療法 各人に特有のイメージシステムを前提として、絵画表現を通じて治癒を導く技法。各人の内部でのイメージシステムが分からなければ、たとえば風景構成法で描かれた「うさぎ」についてもその意味を考えることは難しい。逆に、絵画などで表現することによって、イメージシステムは次第に明らかになるし、変化もする。その変化が治癒と関係しているのではないかと考える。 225 カウンセリング 深層と浅層の二種の作用からなる。 浅層作用:心からの関心を向け、傾聴、受容、支持、表現、説得、洞察の技法を用いつつ、患者の人格発展を援助すること。 深層作用:カウンセラーの人格の力が無言のうちに、無意識のうちに、クライエントの人格に影響を及ぼすこと。 226 カウンセリングの害 カウンセリングについての国民全体の理解が深まっていない現状では、さまざまな誤解がある。説教や人生訓を垂れることがカウンセリングだと信じている人もいるし、無条件の受容がカウンセリングの愛なのだと信じている人もいる。こうした誤解はすぐに誤解だと分かるから、罪は深くはないだろう。 カウンセリングを外科の開腹手術にたとえてみよう。 術前:消毒→カウンセラーの精神的な衛生を保ち、クライエントの精神を「汚染」しないようにする。逆にクライエントの精神病理に「汚染」されないように技術を身につける。 手術中:どこを切れば血が出るか、解剖と病理を知る。→どんな言葉・態度が患者の心を傷つけているのか知る。心が血を流しているのが見えるまで感受性を訓練する。 手術後:しっかり閉じる。→診察室から出るときには、心の傷をしっかり閉じて、新しい「汚染」にさらされないようにする。 手術なら、治療者の操作がどのような結果をもたらしたか、目で見ることができる。しかしカウンセリングの場合には、クライエントの心が血を流して悲しんでいても、カウンセラーに見えていないことがある。切れば血が出るということを分かっていない人、またはそのことを頭で理解していても実際には見えていない人がカウンセリングをしたら、クライエントの心は血まみれになるのである。 ところが、自分にはものが見えていないことを知ることは難しいことだ。人は誰でも自分の目に見えているものですべてだと思わざるを得ないのだから、自分の目には見えていないものがあると知ることは原理的に非常に難しいことである。 従って、カウンセラーになるためのトレーニングが必要である。トレーニングの必要のない、天性のカウンセラーという人は確かにいて、その人は心の現象に関して非常に明瞭な視力を持っている。そうでない人は、一度心の視力測定をしてもらいなさいということになる。視力が足りなかったら、メガネをかければいい。よほどの乱視でなければどうにかなるものだと思う。視力が足りないままで運転をしていたら自分も相手も傷つけることになる。 227 内因 endogenous cause 精神障害の原因を、心因、内因、器質因と三大別し、さらに性格障害、精神発達遅滞を加えて五つに大別したときの、ひとつ。目覚まし時計がひとりでに鳴り出すように、特に誘因なく内側から自然に起こってくる病気について、その原因を指す言葉。ドイツ精神医学で用いられてきた独特の概念であり、「内部的な未知の原因」を意味し、現在は不明であるが、おそらく脳の器質的障害として発見されるであろうと期待されるものである。遺伝子レベルで規定されていると考えられるものの、双子観察からの知見によれば一致率は約50%であり、決定論的なものではなく、多因子的に形成される素質と思われる。現在内因性精神病といえば、精神分裂病、躁うつ病(内因性うつ病を含む)、非定型精神病を指す。今日では内因性うつ病と心因性うつ病を区別するときに重要である。内因性うつ病は、素質・体質がより大きく関与しており、心因性うつ病は素質の関与がより小さい。 228 心因 psychogenic cause 精神障害の原因を、心因、内因、器質因と三大別し、さらに性格障害、精神発達遅滞を加えて五つに大別したときの、ひとつ。心が体験するストレスが原因となる場合を心因性疾患と呼び、神経症や心身症、心因反応が含まれる。心因性で症状が主に自律神経系に発現するものを心身症、主に精神病レベルの精神症状を呈するものを心因反応、その他の心因性疾患を広く神経症と呼ぶ。 229 器質因 organic cause 【類】 身体因 somatogenic cause、外因 exogenous cause 精神障害の原因を、心因、内因、器質因と三大別し、さらに性格障害、精神発達遅滞を加えて五つに大別したときの、ひとつ。器質因は脳性と脳外性に分けられる。脳外傷、脳萎縮、脳循環障害などは脳性のもので脳器質性疾患と呼ばれる。感染症、内分泌疾患、膠原病などによるものは脳外性であり、症状精神病と呼ぶ。有害物質による中毒性精神病も器質因に含める。 230 外因 exogenous cause 個体の外部に存在する病因のこと。器質因と心因を含む。 231 身体因 somatogenic cause 器質因と同じ。 232 精神分裂病 schizophrenia おそらく器質性であるが現状では原因不明の精神病。経過の特性としては、主として青年期に発症し、段階的に進行しつつ、適切な治療を加えない場合には特有の適応障害を残す場合がある。症状は陽性症状と陰性症状に分類して考えられる。陰性症状の代表としては、しばしば現実把握が失われ自己の内面世界にのみ住むこともある自閉、ほかには感情鈍磨がある。陽性症状としては特有の自我障害が見られる。 233 躁うつ病 manic-depressive psychosis おそらく器質性であるが現状では原因不明の精神病。経過の特性としては、躁うつの二相性またはうつだけの一相性の周期を反復する。周期が終われば後遺症状を残さず治癒する。特有の病前性格が指摘されており、循環気質、執着気質、メランコリー親和型などがある。症状は、うつの精神症状としておっくうさ、ゆううつ、不安・イライラがあり、うつの身体症状として睡眠障害、食欲低下、さまざまな自律神経症状、躁の精神症状として誇大妄想、抑制がきかなくなる、睡眠もとらず働き続ける、種々の程度の興奮がみられる。 234 両極性うつ病 双極性うつ病 躁うつ病で、躁とうつを繰り返すものをいう。うつのみを繰り返す場合は単極性うつ病という。言葉の上では、うつ病は単極性で、躁うつ病は両極性とするのが整合的であるが、実際は両極性障害に比較して単極性障害が圧倒的に多いため、代表としてうつ病と呼び、躁うつ病、感情障害、気分障害を意味する場合がある。その場合は、両極性うつ病という、矛盾した用語が成立するが、両極性感情障害のことである。最近はさらに細分し、躁状態があるものは bipolar I、軽躁状態にとどまるものは bipolar II として区別することがある。 235 単極性うつ病 躁うつ病で、うつのみを繰り返すものをいう。躁とうつを繰り返す場合は両極性うつ病という。 236 感情病 躁うつ病を中心とした感情の変調を症状とする病気のこと。 237 気分障害 躁うつ病を中心とした気分の変調を症状とする病気のこと。 238 精神分析 精神分析学 psychoanalysis フロイトによって創始された学問。人の思考や行動の背後にある無意識的動機、幼児体験がおよぼす影響、不安と各種防衛機制、治療における転移と抵抗など、現在でも重要な視点を含んでいた。その後は多数の後継者たちにより、自我心理学、対象関係論などさまざまな進展がみられている。 239 せん妄 delirium 軽い意識障害の中でも、精神運動興奮(興奮や多動)を伴う意識混濁で、不安、恐怖、錯覚、幻覚、妄想を伴うことがある。老年者では夜間せん妄が起こりやすい。昼夜逆転し、夜眠らずに興奮したり幻視を体験したりする。またアルコール禁断症状として振戦せん妄がみられる。手がふるえ、発熱発汗を伴い、注意散漫、失見当識、小動物幻視などが起こる。 240 振戦 tremor 勝手に体の一部がふるえる、ふるえのこと。身体の一部がある固定点のまわりで、規則的に繰り返し運動を示す不随意運動の一種。手、指、舌などに好発する。病的振戦には静止時振戦、姿勢振戦、動作時振戦(企図振戦)などがある。静止時振戦はパーキンソニズムでみられ、企図振戦は脳血管障害でみられることがある。振戦だけが症状である本態性振戦は老人に好発し、老人性振戦と呼ぶ。 241 続発性パーキンソニズム secondary parkinsonism 【参照】薬剤性パーキンソニズム drug induced parkinsonism 振戦、固縮、無動、姿勢反応障害を呈するものをパーキンソニズムというが、特発性のものはパーキンソン病といい、続発性のものは続発性パーキンソニズムとまとめて呼んでいる。脳炎、一酸化炭素中毒、マンガン中毒、脳梗塞後の血管性障害などに続いて起こるものを指している。抗精神病薬(メジャートランキライザー)を使用した場合の副作用としてみられるものは薬剤性パーキンソニズムと呼ぶ。 242 姿勢反応障害 243 退行期うつ病 involutional depression =初老期うつ病 244 滞続言語【辞典には載せない】 Stehende Redesart 同じ言葉や文章を繰り返すこと。連続的な言葉の繰り返しは保続であるが、他の言葉を挟んで同一の言葉が繰り返されるのが滞続言語である。側頭葉型ピック病に多いとされる。 245 脱水 dehydration 体液の不足した状態。老年者では、口渇に対する感受性の低下や腎機能低下などに起因して、脱水状態に陥りやすい。脱水時には意識障害や脳梗塞が起こりやすくなるので注意が必要である。経口的にまたは静脈内点滴で水分を補う。 246 多発梗塞性痴呆 multi-infarct dementia 痴呆症のひとつで、脳血管性痴呆に属する。記憶障害などの痴呆症状は段階状に悪化し、局所神経症状(巣症状)、構音障害、感情失禁、人格保持などが特徴である。 247 知能検査 intelligence test 知能を客観的に定量する方法として、WAIS、Bender gestaltテスト、三宅式記名力検査法、田中・ビネー式などがある。子供用としてはWISC-Rなどがある。 248 遅発性ジスキネジア tardive dyskinesia 長期間の抗精神病薬治療の後に出現すると言われている、舌、口、顎を中心とする反復的・常同的な不随意運動。しかしながら、同様の不随意運動が、抗精神病薬の出現する以前の記録にもあることが指摘されていることなどから、薬のせいではなく、病気の長期経過の中で起こる症状のひとつではないかとの少数意見もある。起こったら薬を変更調整することが多い。 249 痴呆 dementia 知能の全般的低下状態。 250 痴呆の評価尺度 evaluation scale of dementia 痴呆の程度を客観的に定量するテストとしては、改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)、N式精神機能検査、コース立方体テスト、国立精研式痴呆スクリーニングテスト、ミニ・メンタル・ステート・テスト、ベントンの視覚記銘テストなどが用いられる。それぞれ特徴があり役に立つ。 251 デイケア day care デイホスピタル 精神障害者が社会復帰をめざして対人関係トレーニングなどを行う。入院と異なり、夜は各自の家に帰り、日中のケアを行うことから、デイケアまたはデイホスピタルと呼ぶ。施設の性格により、患者クラブのようにレクリエーション中心のところから、職業に向けた訓練が中心のところまで、多彩である。精神分裂病の陽性症状は薬剤で抑えて、陰性症状はデイケアで対処する。 252 動作性知能 performance IQ WAISの動作性テストによって評価される知能。テストは絵画完成、絵画配列、積木問題、組み合わせ問題、符号問題の五つからなる。脳器質性障害では言語性知能よりも動作性知能の低下が著しい。 253 ドーパミン dopamine ノルアドレナリンの前駆物質で、血管内に投与すると強心作用、腎血管拡張作用などがある物質。脳内では、黒質線条体系、中脳辺縁系、中脳皮質系などに分布している。黒質線条体系のドーパミン欠乏はパーキンソン病をひきおこす。メジャートランキライザーはドーパミンレセプターをブロックすることにより、抗幻覚妄想作用を示すと考えられている。ドーパミンレセプターはD1からD4まで、さらにはそれ以上に細分化されているが、精神分裂病に対しての効果は主にD2が関与していると推定されている。 254 日常生活動作 activities of daily life(ADL) 自立した生活に必要な基本動作の評価。起居移動、食事、排泄、更衣、入浴などが中心項目となる。起居移動は特に重要で、ベッド上ADL、ベッドサイドADL、室内ADL、室外ADLなどと分類する。 255 尿失禁 urinary incontinence 尿を漏らしてしまうこと。老年期痴呆で問題になることが多い。排尿中枢の神経細胞が侵された場合には回復は困難であるが、意識障害に伴って起こる尿失禁などは回復可能であるので、鑑別診断が大切である。 256 脳萎縮 brain atrophy 脳神経細胞の脱落や萎縮により、脳が全体として小さくなること。脳回にすきまができたり、脳室の拡大として認められる。アルツハイマー病で著明である。 257 脳血管障害 cerebrovascular disorder 脳の血管障害であり、脳梗塞(血栓性‥‥その部位の動脈が粥状硬化を呈し、その結果詰まるもの。塞栓性‥‥他の部位、たとえば心臓などから飛んできて詰まるもの。)、一過性脳虚血発作、頭蓋内出血(脳出血、くも膜下出血)、高血圧性脳症、脳静脈血栓症、脳動脈炎症性疾患、血管奇形、血管発育異常などが含まれる。多くは脳卒中として急激に発症し、脳局所症状を呈することも多い。 258 脳血管性痴呆 vascular dementia 脳血管の病変に起因する痴呆症。多発梗塞性痴呆が頻度として多いが、その他にビンスワンガー病なども含む。記憶障害などの痴呆症状は段階状に悪化し、局所神経症状(運動麻痺や病的反射)、構音障害、感情失禁、小刻み歩行、人格保持などが特徴である。時間経過と症状の分布の両方の特徴としてまだらであるという意味で、まだら痴呆と呼ぶ。 259 長谷川式簡易知能評価スケール 改訂長谷川式簡易知能評価スケール HDS-R(Hasegawa's dementia rating scale -revised) 痴呆症の程度を評価するテスト。言語に関係した知能をテストする項目からなっており、短時間で実施可能で、信頼性も高いので、日本で広く用いられている。言語以外の能力を測定するためには、他のテストを併用する。 260 まだら痴呆 lacunar dementia 多発梗塞性痴呆の特徴をとらえた表現。精神機能の損なわれ方、身体症状の現れ方、時間経過の特性のどれについても、まだらであることから言われる。精神機能としては、たとえば記憶能力と判断力、感情表現力などの間に差がある。身体症状としても、症状の分布があちらこちらにみられる。時間経過の面では、段階的に不定期に進行するなどが特徴である。 261 心因性うつ病 psychogenic depression =反応性うつ病 reactive depression ストレスをきっかけとしてうつ状態を呈するに至るもの。反応性うつ病とほぼ同義。身体因性うつ病および内因性うつ病との鑑別が大切である。心因性うつ病では、日内変動が不明確で、他責的、依存性が高く、抗うつ薬への反応が悪いことがある、などの特徴を有する。心因性うつ病とは言っても、心因が100%とは考えられず、心因性うつ病を成立させる基盤としての脳の構造があると想定される。 262 被害妄想 persecutory delusion 妄想により被害感を感じ悩むもの。精神分裂病に多く、老年期痴呆でもしばしばみられる。 263 ヒステリー hysteria 神経症のひとつのタイプ。心理的問題が身体にあらわれる転換ヒステリーでは、ヒステリー性失声、ヒステリー性運動麻痺などがみられる。解離ヒステリーでは人格の解離がみられ、二重人格や多重人格、生活史健忘などが起こる。ヒステリー性格は、演技性性格とも呼ばれ、芝居じみた様子が特徴である。症状形成には、抑圧をはじめとする心理的防衛機制が重要な役割を果たしていると考えられている。 264 ピック病 Pick's disease 初老期に発症する痴呆症のひとつで、アルツハイマー病との鑑別を要する。人格変化(無関心、抑制欠如など)、反社会的行為(暴力、盗みなど)を特徴とする。同じ言葉を繰り返す滞続言語がみられる。 265 非定型うつ病 atypical depression =退行期うつ病、初老期うつ病 266 不安神経症 anxiety neurosis 【類】パニックディスオーダー 不安発作が主症状となる神経症。不安発作時には、動悸、呼吸困難、発汗、ふるえ、めまいなどが生じ、死ぬのではないかと思うほどの不安に襲われる。心臓に関して特に訴えが集中する場合には心臓神経症と呼ぶ。最近ではパニックディスオーダーと呼ぶことも多い。抗不安薬が比較的よく効く。支持的精神療法を併用する。電車恐怖は都会に多い。我々のクリニックでは「電車克服の会」を継続している。しばらく精神療法を続けていると、電車が本当の問題ではないこと、本当の問題に取り組めないでいるのはどうしてなのか、などについて洞察が深まる。 267 不眠症 insomnia 睡眠障害と同義。入眠障害、中途覚醒、早朝覚醒などのタイプに分けて考えられている。背景にどのような疾患があるのか、環境調整の余地はあるのか、心因に対して精神療法が適切か、などを慎重に鑑別診断する。中途覚醒、早朝覚醒の場合、背景にうつ状態がある場合があり、抗うつ薬が役に立つ。その他の場合はベンゾジアゼピン系薬剤を適切に用いればよい。しかし睡眠時無呼吸症候群は、ベンゾジアゼピンの適応ではないので注意を要する。 268 ベンダー・ゲシュタルト・テスト Bender gestalt test 幾何学図形を提示して、白紙の上に模写させるテスト。ゲシュタルトとはひとまとまりの図形というほどの意味である。脳器質性疾患、痴呆などの場合に用いられる。 269 保続症 perseveration ある言葉またはある動作を命じて言わせたり、動作させたりした後に、別の言葉や動作を命じても、前と同様の反応を繰り返す現象。痴呆症でみられることがある。 270 本態性振戦 essential tremor 振戦のみが症状で、動作時に利き手の上肢に出現することが多い。精神的緊張によって増強する。「ふるえるかなと意識し始めるとふるえる」と語る人もいる。家族歴を有することが多い。β遮断薬が用いられる。効かなければ、抗不安薬、抗精神病薬、抗パーキンソン薬などが選択となる。 271 妄想型分裂病 paranoid scizophrenia 破瓜型、緊張型とならぶ精神分裂病のタイプ。妄想を主要症状とする。発病年齢は遅く、30歳以降のことも多い。経過は長く人格は比較的保たれる。薬が著効しないときでも、人生を楽しむには充分な程度に回復することを目標とすればよい。 272 夜間せん妄 night delirium せん妄は一般に夜間に起こりやすい。外界の光も音も減少して感覚遮断状況に近くなることに加えて、呼吸循環機能が低下することも関連していると言われている。老年期痴呆の場合、夜間せん妄が起こりやすい。しかしせん妄による失禁や徘徊であれば、治療可能な場合があるので、治療不可能なものとの鑑別が大切である。 273 薬剤性胃潰瘍 drug-induced gastric ulcer ステロイドホルモン、アスピリンなどの薬剤により起こった胃潰瘍。発症の詳細は不明の部分もある。潰瘍の程度を勘案しつつ対策を考える。必ずしも薬の変更を要しない場合も多い。 274 妄想 delusion 訂正不可能な確信。現実や常識に反する考えを思いつくこと自体は病的ではない。その考えを検証した後に、現実や常識に反する場合にも訂正・棄却できなかったり、人に言わないで黙っていられなかったりするならば、妄想と呼ばれる。人々は様々な程度に訂正不能な確信を抱いているものであるが、その考えがその人の社会生活を困難なものにする場合に問題となる。たとえば、盗聴されていて苦しいという訴えに対して、周囲の人が「重要人物でもないあなたがどうして‥‥」と説得を始めたとすると、それは周囲の無理解と受け取られ、患者さんをますます孤独な戦いに追い込んでしまう。患者さんが妄想を口にするときは、よほど考え詰めて、絶対に間違いがないと確信できたときだと思ってよいからである。周囲の人の説得が有効なくらいなら、もっと早く自分で訂正しているはずである。ところがその一方で、こんなおかしなことってあるのだろうかと半信半疑の面もあるのである。「あなたも信じられないくらい不思議なことだと思うでしょう?まわりの人が分かってくれなくても、仕方がないくらい不思議なことですよね。」などと言えば、同意してくれる。従って、周囲の対応としては、「あんまり不思議すぎて、その考え自体には賛成できないけれど、そのように考えていればとてもつらいだろうということは理解できる。つらさを軽くするためには専門家に相談してみたらどうだろうか。」と話を進めるのがよい。 精神分裂病に被害妄想をはじめとする妄想があらわれることの多いのは事実であるが、妄想があるからといって精神分裂病というわけではない。 275 恋愛妄想 妄想に基づいて、相手が自分を愛していると確信している状態。反対に、妄想に基づいて、自分が相手を愛していると確信している状態については、妄想と言わず恋愛と呼ぶ。ここに恋愛の本質が露呈している。 276 被害妄想 妄想に基づいて、自分は被害を受けていると確信している状態。 277 嫉妬妄想 妄想に基づいて、自分の恋人や配偶者が他の人を愛していると確信し、嫉妬するに至る状態。老齢男性やアルコール中毒の男性のインポテンス、女性の場合の容色の衰えなどが背景にあり、もう自分は相手を性的に満足させられないと考えている場合に起こりやすい。しかし最近では実際に裏切りがある場合も少なくない。その場合には、推論のプロセスは妄想に影響されているとしても、裏切られたという結論だけは事実と一致する場合もあり、注意深い扱いが必要である。 278 血統妄想 妄想に基づいて、自分はある特別な血統の人間であると確信している状態。皇族貴族に関するものから、財界人・政治家に関するものまで、さまざまなケースがある。「私は誰々の子供」と言う場合も、マッカーサー、天皇、田中角栄、西武の堤などと時代の風潮を反映する点で、妄想は現実と全くかけ離れているものではないようである。 279 幻覚 hallucination 外界に対応する刺激がないのに知覚を生ずる現象。周囲の誰にも声が聞こえないのにその人にだけ声が聞こえる場合など。刺激が存在し、別の何かであると知覚するのは錯覚である。他の人たちには電信柱に見えたものが、その人にだけ人影に見えた場合には錯覚と呼ぶ。知覚の正しさは多数決によるものではないのだが、実際上は多数決と常識によっている。クーラーのうなり音に混じるように人の声が聞こえる場合には、機能性幻聴と呼び、病的な場合も正常の場合もある。シャワーの音の中に電話の音が混じりあわてるケースなどは、病気ではない場合でもしばしば生じる。幻覚は様々な疾患で生じるが、幻覚体験自体が病的とは言えず、幻覚の内容や持続、さらに背景の病理を検討する必要がある。専門家に相談しておくほうが安心である。 またたとえば幻聴を体験している場合、実際に幻聴があることと、幻聴があると妄想していることと区別できるだろうかという問題があり、難問である。たとえば、ヒトラーが私に命令している幻聴が聞こえていると訴える場合、ヒトラーはドイツ語で語っているのか、日本語で語っているのかと問題にすれば、あいまいになることが多い。この場合は、ヒトラーが私に命令しているという妄想があると記述した方が適切である場合もあると考えられる。 280 薬剤(過敏)性肝障害 drug-induced liver injury 抗生剤、抗精神薬、抗不整脈薬などの起因薬剤により生じた肝障害。発熱、発疹、皮膚掻痒、黄疸などを初発症状とし、白血球増加が起こることがある。老年者で多剤併用している場合には起こりやすい。抗精神薬による肝障害をチェックするために、六ヶ月に一度程度の血液検査が推奨されている。 281 薬疹 drug eruption 薬物が直接にまたはアレルギー機序を介して、皮膚や粘膜に異常反応を起こしたものをいう。多くは地図状じんましんの形をとる。ほかに日光疹型薬疹や苔せん型薬疹がある。薬疹が現れたら薬剤を中止するのが一般的な方針である。年月を経ても同じ反応が起こることがあるので、薬剤を使用する前に、薬疹や食事アレルギーについての問診が必要である。 282 薬物性せん妄 drug-induced delirium 老年者では薬物の代謝・排泄の能力が低下していることがあるため、軽度の意識障害を呈しやすく、ときとしてせん妄状態に至ることがある。比較的よくみられる原因薬剤として、三環系抗うつ剤、睡眠剤(ベンゾジアゼピン系)、抗パーキンソン剤(アーテン、シンメトレルなど)があげられる。これらの薬剤を使用中にせん妄が観察されたときには、痴呆や脳梗塞などと即断する前に薬剤の影響について検討する必要がある。 283 薬理動態 pharmacodynamics 薬物が体内で代謝され排泄されるまでの動きのこと。各種臓器の機能低下の程度、体全体に対する脂肪・水分の構成比率変化などが薬物動態に影響している。経口薬物の場合は、胃・腸、血中アルブミン、肝臓、腎臓が主に関与しており、老年者の場合にはそれぞれ、吸収の低下、アルブミン結合薬物の減少、代謝低下、排泄低下の傾向にある。各薬物の最適量と、薬物間の相互作用を勘案した上での工夫が必要である。たとえば老年者では若年者の薬物量の1/2〜2/3が安全域とされる。さらに血中濃度と臨床的有効量は老年者の場合必ずしも一致しないことがあるといわれるので注意が必要である。普通量の半分から使用を始めるくらいで間違いはない。 284 予備能力 reserve function 各臓器は普段は能力の一部だけを使っており、普段は使っていない予備能力があるから緊急時に対応できるのであるが、老年者では健康な場合でも潜在的に予備能力の低下が起こっている場合がある。疾病への抵抗力や薬剤への反応を考える場合に考慮すべきである。老年者への薬剤投与は、多剤併用はできるだけ避け、普通使用量の半分程度から始めて、ゆっくり増加させる。 285 利尿薬 diuretics 高血圧症の治療に用いられることがあるが、現在ではかつてほど用いられていない。低K血症、低Na血症、脱水、循環血液量減少による心拍出量の低下などの副作用が起こることがあり、心臓の冠状動脈への危険因子となることが指摘されている。 286 良性発作性頭位眩暈 benign paroxysmal positional vertigo 【参照】悪性発作性頭位眩暈 一定の頭位により誘発される内耳性のめまい。難聴は伴わず、純回旋性眼振を伴い、20〜30秒で消失する。良性である。 287 悪性発作性頭位眩暈 malignant paroxysmal positional vertigo 【参照】良性発作性頭位眩暈 一定の頭位により誘発される中枢性のめまい発作。1分以上の持続がみられ、繰り返し誘発される。脳循環系疾患、腫瘍、小脳・脳幹の変性疾患などにみられる。内耳性の良性めまいと鑑別する必要がある。悪性と名付けられているが、悪性腫瘍を意味するものではない。 288 老人振戦 senile tremor =本態性振戦 289 老年期痴呆 dementia in senium アルツハイマー型老年痴呆と脳血管性痴呆を代表とする、老年期の痴呆症。老年期痴呆、老年痴呆、老人性痴呆などがあり紛らわしい。老人性痴呆はもっとも広い呼び方。それを年齢で区切った場合、65歳以降に発症したものを老年期痴呆、それ以前に発症したものを初老期痴呆と呼ぶ。病気の原因で区別すれば、脳血管性痴呆(出血や梗塞)、老年痴呆(アルツハイマー病、ピック病)に大別できる。 290 老年痴呆 senile dementia =アルツハイマー型老年痴呆、アルツハイマー病 アルツハイマー病はもともとは初老期の痴呆を指したが、老年期タイプの場合も病気の本質は同じであるということで、初老期も老年期も、アルツハイマー型の脳変性がある場合にアルツハイマー病またはアルツハイマー型老年痴呆または老年痴呆と呼んでいる。記憶障害、見当識障害、感情障害、性格変化、思考障害、行動異常などの痴呆症状が、血管性痴呆に比して直線的に進行し、全般的痴呆を呈するに至る。初期から病識に乏しい。ピック病ほどではないが早期からの人格障害がある、神経学的症候や脳局所症候が目立たない、などが特徴である。脳萎縮や脳室拡大がCTやMRIで確認できる。脳代謝改善薬などが用いられる。 291 アルコール症 alcoholism 【同】アルコーリズム、アルコール依存症、アルコール中毒症 【参照】 アダルトチルドレン(AC,ACOA:Adult Children of Alcoholism)、共依存、振戦せん妄、匿名アルコール者の会(AA) 急性と慢性に分けられる。若い人の「イッキのみ」などで起こるのが急性アルコール中毒で、死に至ることがある。急激なアルコール濃度の上昇は死の危険があることを広く常識とする必要がある。慢性アルコール中毒は、過量のアルコールを長期間飲み続けた結果、嗜癖・依存状態となったもので、肝障害、脳症、精神障害、末梢神経障害などを起こし、さらに家族を巻き込む(アダルトチルドレン、共依存など)点で、問題の広がりは大きい。主婦のキッチンドリンカーなども問題となる。 治療は断酒が第一であるが、無理な場合も多い。環境調整、家族教育など多面的なアプローチが必要とされる。 単にやめればよいといっても解決にはならない。やめられない理由を考えなければならない。心のすきまをアルコールで埋める習慣は日本には根強い。現在では昔ほどの深酒の習慣はなくなりつつあり、若者世代では覚醒剤や麻薬も代用となる。眠れないときに酒を飲む、他人が元気がないときには酒に誘う、とりあえず酒を介してうちとけるなど、社会に浸透している行動パターンがあり、アルコール中毒の誘因となっている。最近のアルコール飲料コマーシャルはますます大量になりつつある。 社会要因から目を転じて、個人の内面を考えるとき、ひとつの視点は喪失体験である。喪失体験からの立ち直りのプロセスがうまく完成せず、アルコール中毒に陥る場合がある。あらためて喪失体験を完成し、体験を消化吸収するように努力すると良い。喪失体験の自分にとっての意味が何であったか、探求することが中心課題となる。 AAは匿名アルコール者の会(Alcoholics Anonymous)で、アルコールからの立ち直りをめざす人たちが集まり、体験を共有し励まし合う会である。有効だと思うので、病院、保健所や精神保健センターなどで紹介を受けるとよい。 アルコール性肝障害が早期に発現した場合にはアルコールを控えるようになるため、脳が決定的に侵されないうちにアルコールの悪影響が止むのではないかとの見解もある。逆に、肝臓が丈夫な大酒家は脳が侵されないよう注意が必要である。 292 アルコール性小脳変性症 alcoholic cerebellar degeneration 慢性アルコール中毒にみられる小脳変性症。中年期以降に歩行障害で発症することが多い。初期ならば断酒、栄養改善、ビタミン補給、などで改善する可能性がある。 293 アルツハイマー神経原線維変化 Alzheimer's neurofibrillary change アルツハイマー病で大脳皮質などに多発する変化で顕微鏡で確認できる程度の病変である。非痴呆性老人脳でも海馬などに限局して少量出現することがある。 294 アルツハイマー病 Alzheimer's disease 初老期から老年期にかけて発症する原因不明の器質性痴呆である。神経細胞の減少、老人斑、アルツハイマー神経原線維変化、顆粒空胞変性が広くびまん性に多数出現する。症状は、記銘力低下、見当識障害、失語、失行、失認、行動異常、人格変化があり、進行性である。CTやMRIで脳室拡大、脳萎縮を観察できる。脳波では基礎律動の徐波化を認める。全経過は4〜6年といわれている。 295 一過性全健忘 transient global amnesia 中年以降に好発し、突然に前兆なく起こる。最近の記憶が消失する逆行健忘であり、数時間で回復することが多い。発作中も意識清明であり、日常生活動作には障害がない。発作中にも病感があり、どうして自分はここにいるのか、自分は何をしようとしているのか、と悩んだりする。後遺症を残さず全治する。 296 アルコール性肝症 297 アルコール幻覚症 alcohol hallucination アルコール離脱症候群とは別のもので、アルコール依存症者で大量飲酒に引き続いて急激に発症する。敵対的・脅迫的な内容の幻聴が多い。大部分は数週内に治癒するが、一部は慢性の妄想状態に移行する。アルコールに誘発された精神分裂病とみる意見がある。 298 アルコールと消化器癌 アルコール依存者に消化器癌の発症の割合が多いことが注目されている。食道癌などに検診で注意した方がよい。 299 一過性脳虚血発作 transient ischemic attack(TIA) 一過性に脳虚血発作により脳局所症候が生じ、24時間以内に完全に回復する場合を言う。5〜15分程度で回復することが多い。微小塞栓、盗血現象(鎖骨下動脈でみられる)、血管圧迫などが原因となる。内頚動脈と椎骨脳底動脈で症状が異なる。 300 運動失行 motor apraxia 身についていたはずの動作が拙劣となる現象。指の巧緻運動の障害は手指失行、麻痺はないのに足が動かない歩行失行などがある。 301 運動失調 ataxia 多くの筋肉を協調して働かせることができなくなる状態。特に、伸筋と屈筋の協調が失われる場合があげられる。手のひらを表裏とすばやく動かす運動や、人差し指を膝と鼻の間で往復させる運動によりテストする。 302 エアマットレス alternative pressure pad 褥瘡を防ぐために有効なマットレス。体圧の分散、湿度コントロールなどにより 褥瘡予防ができる。 303 遠隔記憶 remote memory 【参照】近接記憶 昔から覚えている古い記憶。自分の生年月日、一年は365日など。痴呆症の場合の記憶障害は、主に近接記憶が失われるものであって、遠隔記憶は保たれることが多い。 304 嚥下障害 difficulty in swallowing 食事を飲み込むことが困難になること。老年期痴呆で嚥下障害がみられるようになると家庭での介護は限界に近い。 305 オリーブ核・橋・小脳萎縮症 olivopontocerebellar atrophy 脊髄小脳変性症の一型で、主に下オリーブ核、橋、小脳に強い変性を生じる。40〜50歳代に始まり、徐々に進行する。小脳症状として運動失調や構音障害がみられ、パーキンソン症状群のような錐体外路症状、自律神経症状、病的反射などが観察される。パーキンソン症候群が考えられる場合に鑑別が必要である。 306 開口障害 disturbance of opening mouth 顎関節症、リウマチ、瘢痕化などの場合がある。老年者では歯の具合、不適合な義歯、関節異常、精神的原因などにより起こる。老人の場合、トレーニングをしてやや回復する場合もある。 307 かいば 海馬 hippocampus 大脳辺縁系に属し、記憶機能に関連しているとみられている部分。アルツハイマー病では著明な変化をみる。Hippocamposとは、ギリシャ神話に出てくる、馬の胴に魚の尾の怪物で、海馬と翻訳する。その前脚を連想しての命名だという。初心者には何のことだか全く実感が湧かない。海馬の、側脳室に突出した部分を海馬足といい、アンモン角ともいう。Ammonはエジプトの太陽神で、その頭部を連想しての命名であるというが、こちらも異文化の架空のもので初学の者には全く見当がつかない。星座の名を学ぶときに似ている。すぐ忘れるのが当たり前で、記憶障害ではない。 「竜の落とし子」 308 灰白質脳症 poliencephalopathy 灰白質に主病変が存在する病気を総称する言葉であるが、亜急性初老期灰白質脳症が歴史的に有名である。現在はクロイツフェルト・ヤコブ病のひとつととらえられている。 309 片麻痺のリハビリテーション rehabilitation for hemiplegia 脳血管障害などによる片麻痺のリハビリテーションは神経細胞が傷害された場合の機能再建のよいモデルとなる。ジャクソニズムの原則から、より下位の機能から再建を開始し、より上位の機能回復に至るよう、プログラムを組む。おおむねは体の中心に近い筋肉の運動から始めて、しだいに遠位部の運動の取り組めばよい。これと同様の原則を精神機能の再建にも応用したいが、容易ではない。なお、片麻痺のリハビリテーション中にうつ状態が起こりやすいことが指摘されている。その原因として脳の器質的損傷によるうつ状態がまず考えられる。さらに、身体機能が失われたという喪失体験への反応としてのうつ、また、仕事ができなくなるなど今後の生活を考えてのうつ等、心理的な要因も重なっているようである。 310 寡動 bradykinesia(hypokinesia) 随意運動に際して、動作開始や動作自体に要する時間が延長した状態で、錐体外路症状のひとつ。動作が緩慢になる。パーキンソン症候群では、振戦、固縮、寡動が三大症状である。 311 仮面うつ病 masked depression うつ病の症状にはおっくう、ゆううつ、いらいら、不安などの精神症状と、不眠、食欲減退、便秘、めまい、痛み、肩こり、各種自律神経症状などの身体症状がある。うつ病の中には精神症状は前景に立たず、身体症状のみが訴えられるタイプのものがあり、仮面うつ病と呼ぶ。注意深い生活歴・病前性格・現病歴の聴取の上で診断され、抗うつ薬・抗不安薬が役立つ。精神症状は仮面で隠して、一般的な自律神経症状などで装っているという意味あいである。 312 肝性昏睡 hepatic coma 肝硬変、劇症肝炎、亜急性肝炎でみられることのある意識障害。血中アンモニアを肝臓が処理できなくなり、血中芳香族アミノ酸が増加し脳組織内に移行することから意識障害が起こると考えられている。芳香族アミノ酸の代謝産物の一部がノルアドレナリンの代わりに偽神経伝達物質として振る舞うのだという。神経伝達物質の働きを考える上で興味深い。当然であるが、入院治療が必要である。 313 癌性小脳変性症 carcinomatous cerebellar degeneration 悪性腫瘍に合併して小脳症状を呈するもので、亜急性脊髄小脳変性症ともいう。歩行時のふらつきやめまいなどの小脳症状が悪性腫瘍に先行して出現することもあるので、注意を要する。 314 観念失行 ideational apraxia たとえば、たばこに火をつけることを目的とする動作の場合、マッチを取り出す、マッチをこする、たばこの先に火をつけるなどの部分的な動作はできるのに、たばこに火をつけるという一連の動作として完成することができなくなる場合をいう。運動の企画そのものができなくなるもので、優位半球頭頂葉病変による。 315 記憶障害 disturbance of memory 記憶は理屈の上からは「覚える、保つ、思い出す」の三段階に分けて考えられている。覚えると思い出すの部分の障害は、それぞれ記銘障害と想起障害と呼ばれる。痴呆症、コルサコフ症候群、健忘症候群は記銘障害、ど忘れは想起障害である。実際には理屈通りにくっきりと区別できるわけではない。痴呆症では新しいことをある程度の時間覚えていられないタイプの記憶障害が多く、新長谷川式検査に取り入れられている。 不必要なことは忘れるのも大切な機能であるので、「消去する」も大切である。老年に至ると不必要なことの見極めがついてくるから、覚えないでおくことも多くなる。消去機能の不全もいろいろな不愉快さを引き起こしているはずであるが、病気として名前が付けられてはいない。 うつ状態の時には、過去の記憶の中からうつにつながる部分だけを取り出してつなぎ合わせたビデオを見ているかのような、とてもゆううつで自責的な状態になる。「うつ場面選択想起」とでも名付けたい状態である。また、うつ病になる人たちは熱中の果てに疲れすぎてその反動でうつ状態になったと学習して納得しているはずなのに、次の時にも全く同じような経過でうつ状態に陥ってしまう。すっかり忘れている状態をみると、これはうつ病に独特の一種の記憶障害ではないかとも思われる。何かに熱中しているときには「躁場面選択想起」が起こっているため、うつにまつわることはすっかり忘れているのではないかと思われる。 316 企図振戦 intension tremor 動作時に目的物に近づくほど増大するふるえ。たとえば手でしょうゆのビンをつかむときなどに見られる。小脳が責任部位で、脳血管障害やウィルソン病などで出現する。動作時振戦とほぼ同じ。逆は静止時振戦で、パーキンソン症候群の時に見られる。 317 強迫症 強迫性障害 強迫神経症 obsessive-compulsive disorder(OCD) 強迫症状とは、考えや感情または行動が、ばかばかしいと思いながらもやめられない状態である。確認強迫や手洗い強迫が典型である。軽度の場合には一種の癖と思われている場合もある(たとえば爪をかむ)。完全癖といわれる程度に薄まれば、症状というよりは性格傾向のひとつと考えられる。人間社会に広く分布する儀式や迷信を考察するにあたっても重要な視点となる。特に宗教と倫理の方面では強迫性格者の果たす役割は小さくない。 文学者倉田百三は、数字を加減乗除しないではいられない強迫症や、いろはを最初から最後まで何度も繰り返し唱える強迫症など、多彩な症状を自身で体験し記載した。 ジュディス・ラパポート著「手を洗うのが止められない」の邦訳(晶文社)は、強迫性障害にどんなに多くの人々が悩み、そのことを口にできず一人で悩んでいるか、いきいきと描いている。興味のある人には一読の価値がある。 清潔強迫の裏側には不潔恐怖がある場合があり、確認強迫の裏側には自己不確実性性格がある場合があるなど、症状の成り立ちの考察も面白い。 無意味であると一方では考えながら、一方ではそれをやめられない。しかもどちらも自分自身の考え・行動である。こう考えれば、一種の自我障害としてとらえることができる。 強迫症状がある場合、背景にうつ病や精神分裂病がある場合もあり、また特にそういった背景はなく強迫症または強迫神経症と呼ぶべき場合もある。背景病理によって治療は異なるので、診断は専門医に相談すべきである。うつ病を背景に持つ強迫症と精神分裂病を背景に持つ強迫症、さらにそれ以外の強迫症の違いがどこにあるか、同じものなのかという問題については、興味深いが確定的な結論はないのが現状である。 かつてはフロイトによる精神分析的理解が主であったが、クロミプラミン(商品名アナフラニール)などの三環系抗うつ剤、ブロマゼパム(商品名レキソタン)などの抗不安薬がよく効くことが知られてからは、脳内神経回路の問題として考えられることが多い。特に、人類の歴史をさかのぼり、過去のいずれかの時点で適応的で有利であった行動が脳の神経回路として残存し、それが現在の生活には不適応であるのにひょっこり顔を出してしまったといったタイプの解釈がなされている。 318 拒食症 refusal of food 【参照】思春期やせ症、神経性食思不振症、過食症、食行動異常症 食事を自分の意志で拒絶すること。若い女性タレントの場合がしばしば報道される。神経性食思不振症、うつ病、精神分裂病などで見られる症状であり、また、背景に病理を持たない独立した症状と見えることもある。神経性食思不振症にみられる場合が多い。その他には、自分の犯した罪に対する罰として食べてはいけないと確信していたり(うつ病)、食べてはいけないと幻聴に命令されていたり(分裂病)、食べ物に毒が入っていると確信していたり(分裂病)、いろいろな場合があるので背景の病理を見極めて治療にあたる。若い女性に多く見られる神経性食思不振症に伴う拒食症の場合、拒食と同時に過食が見られることも多い。過食のあとには無理な嘔吐や下剤の大量使用などが見られることもあり、拒食症と一面的に名付けるよりは、食行動異常症などと呼ぶ方がふさわしいだろう。原因不明であるから、母との関係の問題など心因主義に傾きがちなのもやむを得ないが、薬剤も適切に用いながら、総合的に対処すべきである。若い人が多いので人格の問題が不可避的に絡んでくる。また、教育的観点が大切にもなる。ボーダーライン・シフトまたはアノレクシア・シフトとでも呼ぶべき固い治療構造であたらないと治療は難しい。診断と治療に関して、英米のマニュアルがある。拒食と巨食は紛らわしいので、不食と過食としたほうが、耳で聞いても間違いがないだろうと思われる。 319 拒絶症 negativism 外部からの働きかけに対して徹底的に拒絶する態度。食事を勧めても拒否、面会も拒否、トイレ誘導も拒否などである。妄想状態、うつ状態、痴呆症などで見られることがある。全面的拒絶ではなく部分的拒絶のことも多い。 320 拒薬 denial of drug-taking 【参照】コンプライアンス 明白な拒薬の場合は対策も明白で、説得と対話である。緊急時には注射も使える。外来通院患者の場合の拒薬は対策が難しい。外来で診察していると、誰々先生からの薬は実はのんでいないとか、カプセルを一粒だけにしてあとは捨てているとか、そんな話をよく聞く。選び方もそれぞれで、なかには抗パーキンソン薬を捨てて抗精神病薬だけを飲んでいたりする。これでいいと自分が信じていれば、副作用も起こらないらしい。自分が主治医として薬を出している場合にはそんな打ち明け話はもちろん聞けないので困ることがある。服薬確認が是非必要な場合には血中濃度の測定という方法もあるが、そこまでする必要もないだろう。薬を調整して欲しいと言われて調整する場合にも、その中のどれが実際に飲まれているのか、推測するしかない。飲まなかった薬を捨てる人もいるし、自宅の押入にしまっておく人もある。スタッフはたまに部屋を訪問してみるのがよいと思う。背景には薬付けにされているのではないかと、医療に対して不信感を抱いている状況があると思われる。そんな人たちも、漢方薬は副作用がなくて安心だからと信じこんでせっせと飲んでいるのが不思議である。 拒薬は患者さんの自主性の表現であると評価する人たちもいる。薬を飲ませるのは、薬を飲ませて自主性を奪い、結果として薬を飲ませ続けるためであるとする。話としてはおもしろいが、薬を飲み続けることが分裂病の再発防止に役立つことは確かなこととしてよいようなので、やはりきちんと飲んでいただければそれに越したことはない。 321 起立性低血圧 orthostatic hypotension 急に立ち上がったときに、全身の血管の収縮が遅れて、脳が一時的に虚血状態となる。立ちくらみがして目の前が真っ白になったりする。運動不足の人や老齢の人に、また降圧薬使用中に起こったりする。向精神薬を使用中に起こることがある。特に薬の使い始めに起こって不安に思う場合がある。しばらく続けて体が馴れれば起こらなくなることが多いし、昇圧剤を加えて調整することもできるので心配はいらない。 322 筋強剛 =筋固縮 323 筋固縮 muscle rigidity 屈筋と伸筋の両方が緊張亢進している状態。錐体外路系疾患に特有である。パーキンソン症候群では歯車様固縮が起こる。錐体路障害では痙直(spasticity)が見られる。→調査 324 近接記憶 recent memory 最近のできごとに関する記憶。「近接」の範囲は数秒から数年と言われていて全く漠然としていが、即時記憶と遠隔記憶の中間程度のものを指す。痴呆症の場合、近接記憶の障害がもっとも問題となる。 325 緊張性尿失禁 stress incontinence 腹圧性尿失禁のこと。老年女性や多産婦に多いとされ、咳、くしゃみ、笑いなどにより、腹圧が増したときに起こる。 326 くも膜下出血 327 クロイツフェルト・ヤコブ病 Creutzfeldt-Jakob disease 大多数は初老期以降に発症し、痴呆、幻覚、運動麻痺などを呈し、二年以内くらいで死に至る。脳に海綿状(スポンジ状)変性が起こる。このため、亜急性海綿状脳症の別名がある。かつて初老期痴呆の一種と思われていたが、感染性のものであることが分かり、プリオン(PRION:proteinaceous infectious particles:蛋白性感染粒子)によるものではないかと考えられている。移植によってうつることから、移植性痴呆とも言われる。イギリスの狂牛病を起こすプリオンは、羊の脳病(スクレイピー)も起こし、その羊の脳を食べる習慣のある部族は同様の脳の病気におかされ、クル病と呼ばれる。 328 軽症うつ病 笠原氏の提唱になる、内因性ではあるが精神病レベルではない、その意味で軽症のうつ病のこと。内因性うつ病は精神病レベルの病態を呈し、心因性(反応性)うつ病は神経症レベルの病態を呈するというドイツ精神医学の伝統的な通念に訂正をせまっている。治療の原則は内因性うつ病の治療と同じ。近年は精神分裂病もうつ病も軽症化の傾向にあり、外来クリニックで通院治療する症例が増え続けている。 329 頸性眩暈 cervical vertigo 頸部の屈伸・捻転により誘発されるめまい、ふらつき。耳鳴り、難聴を伴うこともある。頸部の筋、靱帯、脊髄神経根、交感神経、椎骨動脈などが刺激されて起こるものと推定されている。めまい、ふらつきの鑑別診断は難しいく、耳鼻科、神経内科と回って、心因性ではないかと言われて精神神経科に来ることが多い。 330 下痢 331 言語性知能 verbal IQ 332 抗うつ薬 antidepressant =抗うつ剤 うつ状態を改善する薬。背景にある病理がうつ病でも、精神分裂病でも、神経症でもかまわない。三環系と四環系があり、四環系の方が抗コリン作用などの副作用が少ないようである。余病のない成人男性の場合には三環系抗うつ剤を充分量使えば早く楽になれるのでよい。副作用には、便秘、口渇、眠気、だるさなどがあるが、いずれもしばらく使い続けるうちに気にならなくなることが多い。尿閉の場合は相談を要する。緑内障がある場合には使用は控える。心電図をチェックすること。 333 口渇 向精神薬の副作用として頻度が高い。我慢できる範囲のものが大部分である。アメやトローチをなめる、茶で口をしめらしておくなどで充分な対策となる。場合によっては薬剤で調整するが、漢方薬の白虎加人参湯などを勧める人もいる。 334 高血圧性脳症 hypertensive encephalopathy 急激な血圧上昇時に、頭痛、吐き気、意識障害などの頭蓋内圧亢進症状を呈するもの。外来では、部下を怒り出すと頭痛がする、セックスをすると頭痛がするなどの相談で訪れる。まず血圧の調整をしてからゆっくりと状態を評価する方針でよい。最近では一日一回の服用でよく、一日の血圧変動も自然なタイプの薬剤が開発されているのでコントロールしやすい。 335 甲状腺機能亢進症 hyperthyroidism 甲状腺ホルモンの過剰状態。精神的には躁状態に傾く。易怒性、元来の人格傾向の先鋭化、イライラ、不眠、過敏状態などがみられる。ときにうつ状態が見られるという。甲状腺ホルモンを調整することで治療できるので、見逃さないことが大切である。 336 甲状腺機能低下症 hypothyroidism 甲状腺ホルモンの欠乏状態。精神的には全般的にうつ状態に類似する。意欲低下、疲れ易さ、不活発、寒がりなどがみられる。疑いが持たれるときは、血液検査で甲状腺ホルモンの関連の項目をチェックすればよいだけなので手軽である。甲状腺ホルモンを補うことで治療できるので、見逃さないことが大切である。特に、老人性痴呆と見える人で、甲状腺機能が低下している場合には、甲状腺機能を調整してみることが役立つ。笑顔が戻るとスタッフもうれしいものである。 337 構成失行 constructional apraxia 幾何学的図形を構成することができなくなる。たとえば、紙に家を描くことができない、積木で立体をつくることができない、など。図形の全体の構成を頭のなかで把握できなくなるためと思われる。 338 抗精神病薬 antipsychotics 強力精神安定剤と同じ。メジャー・トランキライザーともいう。ハロペリドール、クロルプロマジンをはじめとして、多種類がある。抗ドーパミン作用が中心で、精神分裂病や躁状態に用いられる。意識水準は低下せず、興奮は静まり、過敏さを取り除く。副作用は、眠気、だるさ、口渇、手指のふるえなどであるが、いずれも対策があるので、医師に相談すればよい。長期服用による副作用として考えられているものもあるが、服薬の利益の方が大きいと考えられる場合が多く、ときに変薬で対応する。精神分裂病は抗精神病薬の登場によって外来コントロール可能な疾患となった。高血圧の場合、降圧薬によって血圧を下げて、高血圧から起こるさまざまな障害を防止している。同様に、精神分裂病の場合、抗精神病薬によって体質的な神経過敏を抑え、日常生活で起こるストレスに対処しやすくしている。 339 向精神薬 psychotropic drugs 脳に作用して精神機能を整える薬を総称する。睡眠薬、抗てんかん薬、抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬、気分安定薬、などをあげることができる。抗精神病薬と紛らわしいが、はっきり区別して用いられている。他の薬と同様、老年者の場合には通常量の半分以下から使用を始める。 340 向精神薬副作用 side effects of psychotropic drugs 副作用は、本来、主作用に対する言葉であり、有害作用を意味するものではない。しかし診察室ではほぼ有害作用と同義に用いられている。世間の評判では、副作用がないのが漢方薬、副作用が強いから飲まない方がいいのが精神科の薬、となっているようである。薬品カタログや解説本をみると、たくさんの副作用が羅列されているので恐くなってしまう。製薬会社は発生頻度を考慮せずに並列しているので、実際の有害作用発生状況を把握するには役立たないのである。 実際上は、服薬中止すべき副作用と服薬継続してよい副作用とに区別して考えればよい。服薬継続してもよい場合にも、患者さんの不安が強すぎるようなら臨機応変に対処すればよい。服薬中止すべき場合は限られている。1)薬疹などアレルギー反応が出たとき。2)心電図で異常が出て危険なとき。3)緑内障のあるときは抗うつ剤は中止。4)甲状腺、腎臓、肝臓などに変調があるときは慎重に考慮。用量を考慮すべきものとしてたとえば、胃薬のシメチジン服用時などがある。いま飲んでいる薬を飲むべきか捨てるべきか、迷う人は多い。専門家でなければ正しい判断は難しく、薬について悩むことでさらに悩みが深くなってしまうこともあるので、専門家に相談するようにして欲しい。患者さんの中に「薬のハムレット」は少なくない。痴呆が進行するのではないか、依存・中毒状態になるのではないかなどの質問もあるが、意志の指示通りの服用をしている限り心配はない。 341 考想化声 thought hearing =思考化声 自分の考えたことが外部の声になって聞こえてくる状態。幻聴のひとつであるが、思考内容は自己に属し、声は他者に属する点が特徴である。 342 夜間せん妄 老人の場合、夜間に軽度の意識障害を呈して、興奮することがある。夜は意識状態が低下しやすいのに加えて、外界からの刺激が少なくなるので、暗闇が怖い、静寂が怖い、などの要因もあり夜間せん妄を起こしやすい。夜でも灯りをつけて明るくしておくことが夜間せん妄解消に役立つことがある。 343 抗パーキンソン病薬 抗パーキンソン薬 抗パ剤 antiparkisonian drugs パーキンソン病の際に用いられるのはもちろんであるが、精神科領域では向精神薬の副作用としての薬剤性パーキンソン症候群に対して用いられることが多い。手指のふるえやロレツのまわりにくさが改善される。具体的には抗コリン薬であるビペリデン(アキネトン)、塩酸トリヘキシフェニジール(アーテン)、抗ヒスタミン薬である塩酸プロメタジン(ヒベルナ)などを用いる。 344 抗不安薬 minor tranquilizer 不安をしずめ、筋肉の緊張をほぐし、心を穏やかにする薬。ベンゾジアゼピン系薬剤が中心である。脳内ではGABA系に作用しているものと考えられている。副作用としては、軽い眠気が起こることがあるが、量を調整すればよい。代表的な薬はエチゾラム(デパス)、アルプラゾラム(ソラナックス)などである。不安神経症をはじめとする各種神経症状態、精神分裂病、躁うつ病、てんかんなどに広く用いられる。指示された使い方に従っていれば、依存・中毒の心配はない。 345 昏睡 coma 【参照】意識障害、せん妄 高度の意識障害。眠り続ける。 346 罪業妄想 delusion of culpability 自分は罪人だ、とりかえしのつかない罪を犯したと事実に反して確信している状態。うつ病でみられることがある。 347 作業療法 occupational therapy(OT) 身体障害や精神障害の回復期に、軽作業によって、身体・精神機能全般の回復をはかる治療法。作業能力改善と社会性機能改善を目的とする。ボルトをねじにはめる作業や封筒作りなどから、やや熟練を要する作業まで、施設によって特徴がある。仕事に直接結びつくイメージがあるので、社会復帰へのステップとして重要である。仕事ができれば将来に対する自信がわく。なお、作業療法士(occupational therapist)もOTと略称する。 348 作話 confabulation 作り話。痴呆症の場合に、記憶の欠損を作話で埋めることがある。嘘をつくのも平気になったと倫理観の低下を嘆くのではなく、嘘で埋めて取り繕うだけの社会性が残っていると評価することができる。慢性アルコール中毒の際にみられるコルサコフ症候群は、記銘力低下、失見当識、健忘、作話を呈するものをいう。 349 三叉神経痛→外科の本で調べる trigeminal neuralgia 発作的電撃的痛みが顔面に起こるもの。原因不明のものもあるが、動脈が三叉神経を圧迫していて、動脈の脈動に伴って痛みが生じる場合もあり、神経血管圧迫症候群という。手術が有効な場合がある。薬物としてはカルパマゼピン(テグレトール)を試してみる。他に抗てんかん薬や抗うつ剤が効くこともある。 350 視覚失認 visual agnosia 目には異常がないのに、脳内の処理の異常により、見えているものが何であるか認識できない状態。優位半球後頭葉の病変により生じる。たとえば、鉛筆を見ても、それが何であるか分からない。しかしそれを手で触ると、鉛筆だと答えられる。知人の顔を見ても思い出せない相貌失認、色が分からない色彩失認、物の空間的関係の認知障害である視空間失認などが含まれる。痴呆症の場合、視空間失認により、徘徊を続けることがある。 351 自殺→調査 suicide 年代で見ると、二十歳台と六十歳以上の人たちに特に問題である。疾病で見ると、精神分裂病、うつ病などで多い。実際には死因統計よりも多くの例が自殺していると思われる。精神科臨床においては自殺を防ぐことが大変重要な仕事となる。死なないと約束をとりつけたり、薬剤を調整したり、家族との関係を調整したりと、さまざまに努力するものの結局防ぐことができない場合もある。スタッフ一同は大きなダメージを受ける。家族は自殺を納得できず、否認したりスタッフを責めることもあなど、いわゆる「喪の仕事」の各段階を経験するようである。 どうか死なないでほしい。生きていれば何とかなるものである。今後は治療法もどんどん改善されるだろうし、社会全体としても住みやすいものになってゆくはずである。いつまでも今のつらい状態が続くのではないと考えて、ぜひ生きてほしい。 352 失見当識 disorientation =指南力低下 場所、時、状況、自分自身について正しく把握することができなくなっている状態。老年者で失見当識が見られる場合には意識障害と痴呆症の鑑別が必要になる。 353 実験神経症 experimental neurosis いくつかのカテゴリーがあるが一例としては、弁別困難な近似刺激間でなお弁別を強制した場合に神経症状態をつくりだすことができる。楕円形を見せて、赤か青のレバーを押させる。縦長の楕円を見たら赤いレバーを押すと正解。横長の楕円を見たら青いレバーを押すと正解。正解の場合には餌が出る。不正解の場合には床に電流が流れて不愉快な思いをする。このような設定をしておいて、充分に馴れたあとで、楕円をどんどん円に近づけて行く。弁別は不可能となり、深い悩みに陥る。神経症状態となり、食欲不振となったり、無意味な常同行動を呈したりする。対人関係場面で、弁別困難な近似刺激間でなお弁別を強制される場合はしばしばあると考えられる。たとえば、女性の何気なさそうなひとこと、謎のような瞳。それらが何を意味しているのか、弁別は困難なことが多いが、男性はなお弁別を強いられている。 354 失行 apraxia 運動麻痺などはないのに、すでに学習されて修得されている動作ができなくなること。観念失行、構成失行、着衣失行など各種が知られている。 355 着衣失行 dressing apraxia 着衣、脱衣が困難になるが、運動障害などはない。ズボンを頭にかぶったりする。痴呆症などで見られることがある。 356 失語症 aphasia すでに言語を学習し使用することができていたのに、大脳の特定部分の障害により、言葉の理解ができなくなったり、言葉を話すことができなくなったりすること。聴覚や口の運動に障害はない。ブローカは運動失語を、ウェルニッケは感覚失語を記載した。失語症に出会ったら、失語症鑑別診断検査を実施して、リハビリテーションの専門家に依頼する。 357 失算 acalculia すでに計算を学習し修得していたのに、大脳損傷により計算ができなくなること。優位半球頭頂葉後方下部病変による。ゲルストマン症候群は手指失認、左右失認、失書、失算からなる。ほかに痴呆でも見られる症状である。 358 失認 agnosia 感覚機能は損なわれていないのに、対象物の意味が把握できない状態。視覚失認、聴覚失認、触覚失認などがある。 359 状況意味失認 中安の提唱する、分裂病のメカニズムに関係した概念。状況についての知覚は間違っていないのに、状況の意味を間違えている場合をいう。たとえば、机の上にかばんがあったとして、状況の意味を把握して、誰かが忘れたと考えたら届けるし、トイレに行っただけですぐに戻ってくるだろうと考えたらそのままにしておくだろう。この状況意味の把握ができないと、周囲の人には理解できない行動になる。分裂病の始まりには、状況意味失認があると中安は提案する。 360 自発性減退 lack of spontaneity 意欲を持って自分から何かしようとすることがなくなった状態。うつ状態でみられるときには「おっくうさ」と表現する。精神分裂病の場合には「無為」と表現される。抽象的に表現すれば共通点もありそうであるが、現実には相当違う。アパシー症候群の場合にも自発性減退が見られるが、それは本業についてであって、趣味や副業についてはやる気があって楽しめている。薬のせいでやる気がなくなったと感じる人は多いものであるが、誤解のことが多く、多くは病気の回復過程でおこる一時的な自発性減退である。さらに回復が進めば、消える。 361 情動失禁 affective incontinence =感情失禁 少しの感情のうごきも、すぐに外に漏れて出てしまう状態。少しのことで泣いたり笑ったりする。脳血管性痴呆で見られる状態が典型的である。脱抑制症状のひとつ。怒ったり泣いたりして尿便失禁するのではない。 362 小歩症 marche a petits pas 軽度に前屈し小刻みに歩く。老年者に見られる。大脳基底核の小梗塞が原因と推定されている。パーキンソン症候群の場合にもこきざみ歩行となるが、突進現象、すくみ足が観察され、階段は楽に上がれるなどの特徴がある。 363 ショート・ステイ short stay =寝たきり老人短期保護制度 364 健忘 ammnesia 体験の全体を忘れてしまうこと。食事の場合を例に取れば、健常の物忘れの場合は、今朝の食事の献立が思い出せない。健忘症の場合には食べたこと自体を忘れてしまう。このような意味で体験の全体を忘れることから、健忘と呼ばれる。診察場面でも、面接の予約をしたのに、予約の時間を忘れるのではなく、予約したこと自体を忘れる患者さんがいて、それは健忘である。健常の物忘れやど忘れとやや性質が異なると考えられる。 365 触覚失認 tactile agnosia 手指の触覚には異常がないのに、物を手で触れてもそれが何であるか分からない状態。目で見れば何であるか判別できる。反対側の頭頂葉後部、上縁回近辺の病変による。 366 ショック shock 医学用語としては心血管系の病的状態のひとつで、急激な低血圧や循環不全を指す。大量出血の際などに見られる。一般語彙としては心理的衝撃のことで、「ショックを受けた」といえば、大きな心理的なストレスにさらされたことを意味している。医学用語と一般語の一致しない一例。 367 初老期うつ病 =退行期うつ病 368 初老期痴呆 presenile dementia 65歳以前を初老期というが、初老期に始まる原因不明の痴呆のこと。そのなかである程度輪郭の知られている有名なものにはアルツハイマー病とピック病がある。アルツハイマー病は健忘が、ピック病は人格変化が顕著である。年齢で分ける趣旨は、52歳の痴呆と84歳の痴呆ではやはり病気が違うだろうということで、素朴な直感に基づいている。その点では意味があるが、たとえば63歳と67歳とで病気が違うわけではないから、やはり病態の本質を見ることが大切である。 369 性格障害 personality disorder =性格異常、異常性格、人格異常、異常人格、人格障害 【類】精神病質 psychopathy、精神病質人格 【参照】演技性障害、自己愛性障害、境界性障害、反社会性障害 性格の問題のために社会適応が困難な場合をいう。特に社会適応困難と言うほどではないものは性格傾向(personality trait)という。英語ではpersonalityとcharacter、日本語では人格と性格、どちらの言葉を採用するかも問題となる。障害と異常も語感が違う。人格は性格よりも深い何かで、異常は障害よりも困難な事態を感じさせる。最もソフトに言うには性格障害、シリアスに言うなら人格異常となるだろう。 シュナイダーの分類やDSM分類が有名である。DSMでは演技性障害、自己愛性障害、境界性障害、反社会性障害などを紹介している。実際の症例の場合には、「そのような面もあるが、別の場面ではこうだ」などということも多く、スタッフ間で着眼点の違いから意見の異なることもある。非常に典型的な場合には文献の記載と見事に一致する場合もある。 370 反社会性人格障害 antisocial personality disorder 無責任で反社会的な性格のため社会適応が困難な場合をいう。易怒的、攻撃的、暴力的、犯罪の反復、性的乱脈、家族虐待などの特徴があげられる。 371 演技性人格障害 histrionic personality disorder クジャク(ピーコック)性格とも呼ばれる。派手好きで、人の注目を集めることを好み、芝居じみている。自分勝手でわがままで、被暗示性が高い。人格成熟の不足を指摘する意見もある。ヒステリーを起こしやすいのでヒステリー性格ともいう。 372 自己愛人格障害 narcissistic personality disorder 全般的誇大性、共感欠如、他者による評価への過敏性などによって特徴づけられる。ギリシャ神話のナルシスは自分の姿にうっとりしてしまい、一時的にとても幸せだった。自己愛人格障害の場合には自分で自分をほめて、うっとりしていることができないため、他者による評価を求める。しかし内的には空想的誇大感があるため、それに見合うだけの評価を与えてくれる他人は滅多にいないはずである。空想的誇大感が現実的なものに訂正できればよいのだが、共感欠如し、他人や世の中についての現実把握がずれていることが多いため、空想的誇大感は訂正できないまま存続することになる。このようにして不全感を抱えたまま、社会適応が次第に困難になってゆく場合がある。 373 境界型人格障害 borderline personality disorder =境界例、境界パーソナリティ構造(BPO:borderline personality organization) 対人関係の不安定を主徴とし、衝動性コントロールが悪く、行動の不安定を伴い、情緒は激しく変わりやすい。これらの結果として社会適応に困難をきたしている状態。他人を過度に理想化してみたり、次には理由もなく非難してみたりする。診察室でスタッフに対して理想化と脱理想化が典型的に起こる。また、周囲の人々の間の反目を燃え上がらせるような対人操作をみせることも特徴である。自殺企図を繰り返したり、周囲の人たちを巻き込み振り回すような行動があるため、周囲の困惑は深い。治療は容易ではないがさまざまな試みが紹介されつつある。入院治療時には上記の特徴に対処するため、市橋の紹介しているボーダーライン・シフトとでも言うべきような特別の体制が必要である。ポイントはスタッフ間で充分な情報交換と意見交換を行い、対応に差がないようにしておくこと、治療構造をよく考え、ATスプリットなども場合に応じて採用することなどである。 374 心気症 hypochondria 実際は病気ではないのに、自分は病気ではないかと心配している状態。説得も聞き入れず、訂正しがたい確信にまで至った場合には、心気妄想と呼ぶ。背景にうつ病や精神分裂病があることもある。 375 神経症 neurosis 神経症という言葉の用い方としては、二つに大別される。ひとつは脳病としての外因性精神病と内因性精神病に対立して、心因性または環境因性に起こる病気を指す。他のひとつは、病態レベルの深さを表現する言葉で、精神病レベルと神経症レベルとを区別する。多くの場合は、心因性のものは神経症レベルであり、脳疾患の場合には精神病レベルとなるので問題はないのであるが、細かな議論になると原則通りには行かなくなり、混乱することがある。 376 (広義の)精神病    病因分類   脳病        非脳病(広義の心因)=もっとも広義の神経症        外因    内因    (狭義の)心因  環境因 コンピューター CPU CPU+KB+HD HD KB 病態レベル 精神病レベル    (狭義の)精神病      心因反応        外傷 精神分裂病        脳血管性傷害 躁うつ病 神経症レベル      内因性軽症うつ病(笠原) 神経症・心身症 外因=判明済みの脳器質因 内因=不明の脳器質因(素因)+環境因・心因‥‥比重はさまざまである。 環境因=現在の明白な、意識層の心理的ストレス→支持的療法 心因=幼児体験を典型とする、抑圧・隠蔽されている、無意識層の心理的ストレス→洞察療法 内因は「原因未だ不明の脳病」と同義ではない。素因と環境因、心因の加算である。比重はさまざま。 分裂病の双子一致率は50%、それだけが素因ということになる。それ以外の部分が50%である。 脳病の場合、それ自体とそれに影響を受ける生活のことを考えると、どちらも心理的なストレスとなり、上の分類で言えば、環境因となる。複雑な場合には心因として働く場合もある。従って、排他的ではない。脳病の場合心因・環境因を伴うのは普通。心因・環境因の場合は脳病とは独立である。 しかしながら、脳にある程度の弱さがないと、心因・環境因があった場合にも、発症には至らない印象である。 病態レベルについて 病態レベルとは、病気の本質の深さについていう言葉。病態水準。精神機能を環境適応の観点から評価したもの。 神経症レベルと精神病レベルの違いは、 1)現実検討(reality testing)が侵されていれば、精神病レベル。保たれていれば、神経症レベル。 2)用いている防衛機制の種類。神経症レベルの防衛機制としては‥‥があげられる。精神病レベルの防衛機制としては‥‥があげられる。 神経症レベルと精神病レベルの中間に位置するものまたは両者の間を揺れ動くタイプのものを境界(型)パーソナリティ構造(BPO:bordreline personality organization)という。境界型人格障害の基盤となる。 強迫神経症や離人神経症と呼ぶ場合、強迫症状や離人症状が前景にあり、その病態レベルは神経症レベルであるということを意味している。同様の症状が前景にあっても、精神病レベルならば、その背景病理を重視して精神分裂病やうつ病と呼ぶ。 3)了解可能ならば神経症レベル、了解不可能ならば精神病レベル。 心因性に生じる病気の総称。主に自律神経系に症状が出るものは心身症と呼び、たとえば胃潰瘍、めまいなどがある。主に随意筋を中心に症状が出るものは転換ヒステリーと呼び、失声や失立、失行がある。それ以外のものは神経症と総称するが、症状の特徴によって、不安神経症、恐怖神経症、強迫神経症、解離ヒステリー、離人神経症、抑うつ神経症、心気神経症などを区別している。 学問的にも歴史的変遷があり、また、日常語としての使い方は学問的な背景を持った言葉の使い方とは異なっている面もあり、言葉の意味の変化や範囲を手短に説明することは難しい。診察室で患者さんに「私はやはりノイローゼですか?」と聞かれて、医師が「そうですね、軽いノイローゼでしょう」と答えている場合、両者が何を考えているのか、吟味が必要である。 「二、三日前まで全く平常に歩けていた女性が、突然歩けなくなった。神経学的診察をしてみると、筋肉も神経もとくに異常はないようである。家族に話を聞いてみると、もともとが大げさで演技的なところのある性格で、二日前に職場でいざこざがあって家に帰ってきてから絶対に辞めてやるといきまいていた。次の日、朝から歩けなくなっていた。診察をして、しばらく自宅静養するよう話をした。二十日くらい経つうちに元に戻った。何の後遺症もない。」このような場合、身体的には何も異常がないのに、心のストレスが原因で起こっているように見える。 病気の原因として、感染症や新生物と並立して、心因性(神経因性)があることが古くから知られていた。心因性の歩行麻痺と、脳性の歩行麻痺を区別することは神経学者の大きな課題であった。この課題のなかから、精密な神経診断学が発達していった。心因性麻痺の場合、たいていは神経解剖の原則に反した症状を見せるので、専門医は鑑別できるのだが、少数の例ではそれができない。完全に神経学の原則通りの症状を心因性の疾患で呈することがあるという。それを一部の神経内科医は、診断学の不完全さと考えている。 神経因性 neurogenic と心因性 psychogenic ほぼ同義としてよい。 377 振戦せん妄 delirium tremens アルコール依存症者が、急激な断酒をした際の禁断症状のひとつ。興奮を伴う意識障害で、落ち着きなく、注意散漫、失見当識などを呈する。小動物や昆虫(ゴキブリなどが多い)の幻視があり、皮膚の上を這い回っているように感じるなど、辛い体験をする。もうこりごりだ、絶対に酒はやめると言ったりもするが、そのうち忘れるようである。 378 身体失認 autotopagnosia[auto=自己 topo=場所 a=否定 gnosia=認知] 身体の位置の認識や身体各部位の呼称ができなくなる。手指失認、左右失認などがある。優位半球頭頂・後頭・側頭葉の境界部の病変で生じ、両側性であるという。 379 錐体外路疾患 extrapyramidal disease 錐体外路は運動ニューロンへの間接的な賦活系である。その異常により、種々の筋緊張異常や不随意運動が起こる。パーキンソン症候群が代表である。 380 睡眠障害 sleep disturbance 眠れない人は実に多い。原因もさまざまである。なかには眠りすぎるのが悩みの人もいる。何時間寝ていれば充分なのかと質問されるが、人生を充分に生きられるならば何時間でもよい。おおむね七〜八時間前後が統計の数字で、最近は短くなる傾向にある。年齢によって眠りの時間も深さも変化し、個人差も大きい。というわけで、全く漠然としたものである。 臨床的に睡眠は精神状態の指標として有用である。眠れないから全般に不調なのだとも、全般に不調だから眠れないのだとも言える。眠れないときはまず、背景に疾患がないか調査する。うつ病や精神分裂病で睡眠障害が生じるし、神経症一般で睡眠は妨げられる。さらに睡眠時無呼吸症候群やナルコレプシーなどを鑑別診断する必要がある。こうしてみると、睡眠障害は呼吸器疾患の際の咳のようなもの、身体疾患の発熱のようなもので、神経系の不調のしるしであるが、それだけでは原因は不明で、専門家に相談した方がよい事態であるといえる。 眠れないときにアルコールを使う習慣は根強いが、賛成できない。 381 睡眠薬 hypnotics 効果によって睡眠導入剤(sleep inducer)、睡眠持続剤などに分けられる。現在はベンゾジアゼピン系薬剤が中心に用いられており、安全性は高い。診察場面で質問が多いのは、常習性についてである。薬がないと眠れなくなってしまうのではないかとの心配である。@薬も体にとっては自然な食べ物ではないから、全体としてなるべく少量ですませたほうがよい。Aそのためには、だらだらといつまでも続けないこと。必要十分な量で、なるべく短い期間の治療を目指す。B長くなって心配なら、ときどき別の薬を使ったり、休薬日を作ってみるのもよい。C量や時間についての指示を守る。アルコールとの併用は避ける。D普通ならそろそろやめられる頃なのにやめられないとしたら、それは少し根の深い問題があるのではないかということになるだろう。環境や心理についての詳しい調査が必要である。この場合は、薬に依存性があるからやめられなくなったのではなくて、自分の問題が解決していないからやめられないのだろう。 ときに依存を形成する人はいる。しかし薬について十分に詳しい説明をしながら精神療法も併用している場合には、数は少ない。 382 睡眠導入剤 sleep inducer 効き始めがはやくて、薬が体から消えるのもはやいタイプの睡眠剤。入眠困難の場合に最適である。 383 スティール症候群 →外科の本で調べる steal syndrome 鎖骨下動脈盗血症候群が有名。ほかに眼動脈盗血現象などがある。 384 脊髄小脳変性症 spinocerebellar degeneration 運動失調を中心症状とし、小脳とその連絡路にあたる領域が慢性進行形に障害される変性疾患。原因は不明であるが、しばしば遺伝性に生じる。小脳型、脊髄小脳型、脊髄型に分類され、老年者では小脳型が多く、錐体外路症状や自律神経症状を呈することも多い。 385 線条体黒質変性症 striatonigral degeneration 線条体と黒質の変性により、パーキンソニズム、錐体路徴候、自律神経症状を呈する疾患。中年から初老期に発症する。パーキンソニズムであるが、Lドーパが無効である。 386 脊椎管狭窄症 spinal canal stenosis 脊椎に骨変化などが起こり脊椎管狭窄になると、脊髄圧迫が生じ、運動障害や感覚障害が発生する。原因は骨変化の他に、脊椎滑り症、骨棘、後縦靭帯骨化症、黄色靭帯骨化症などがある。 387 コンピューターによる比喩。 CPUとHDとKBに分ける。キーボードからの入力がCPUで処理されて、ハードディスクに記憶されている。必要に応じてハードディスクから取り出して加工する。 CPUの障害‥‥精神病:処理プロセスの障害 キーボード‥‥現実神経症:現在の入力が不適切な場合 ハードディスク‥‥精神神経症:現在までの蓄積。幼児体験の病理。 ーーーーー パソコンとワープロ プログラムが固定されているかどうか。プログラムが固定されているワープロは、下級生物に似ている。閉じた輪で、トライアル・アンド・エラーによって最適DNAを選び出す。 プログラムが固定されていないパソコンは、環境に対してプログラムの入れ替えによって対応することができる。その点で、新しい学習能力を獲得している。開いた輪である。 開いた輪として生まれて、環境のあり方を取り入れ、親の世代の適応方式を取り入れて成長する。 ということは、ここに病理の発生する基盤がある。 輪は子供時代に合わせて次第に閉じる。その後の変化が激しければ、対応しきれないかも知れない。 388 @前景症状‥‥強迫、離人、などa,b、c、など。 A背景病理‥‥A病態レベルとB疾患分類‥‥A×Bのマトリックスができる。それぞれの項目をX、Y、Zなどとする。 見立て=(a,c、d、、、)×(X) 389 嫉妬 人間関係を大きく支配するマイナスエネルギー。破壊的である。羨望はプラスエネルギーであることもある。 390 恋愛 妄想状態は、恋愛状態をたとえにすると分かりやすい。たとえば、周囲の説得は逆に火に油を注ぐばかりであり、訂正不可能である。思春期に妄想状態になりやすく、同時に恋愛しやすい。何かのホルモンがこのような「訂正不可能な確信」の成立に役立っているのだろう。 391 CPU,KB,HDの比喩。 人間は生まれたときに、大部分が空っぽのハードディスクを持って生まれてくる。子供プログラムが完成する。しかしその後に大人プログラムに取りかかる。ここに思春期危機が訪れ、分裂病などの発症をみる。 392 起立性調節障害(OD) 現在不登校児は75000人とも言われるが、その中に起立性調節障害の児童が意外に多いことが指摘されている。起立性調節障害は10歳頃から増加し、朝起きが悪く、午前中はぼんやりしていて夜になると元気になることから、「フクロウ病」のあだ名がある。朝、頭痛や腹痛を訴え、立ちくらみや脳貧血を呈する。学校の一限に間に合わないのでそのまま不登校になってしまう。「学校に行きたくない」と言って休む子供と違い、「学校に行きたいのに朝起きられなくて行けない」との訴えが特徴である。うつ病の日内変動に似ることから、うつ病との鑑別も必要である。また、睡眠リズム障害のときにも、朝調子が悪く学校に行けない場合があり、ビタミンB12が睡眠リズム補正に役立つことがあるので、鑑別が大切である。 起立性調節障害の治療は朝、起床予定時間の40分前にふとんの中にいたままで昇圧剤を投与し、予定時間に起こす。これですっきり学校に行けるようになることがある。毎食後に昇圧剤を投与しても役に立たないことが多いので、起床前に投与する方法は頭の良い工夫であると思われる。 393 項目ごとに望みたいこと ・読む人が、「自分や家族の場合にはそれに当てはまるのかどうか」の判断の役に立つ。 ・治るのか。後遺症はあるのか。進行を遅らせることは何に注意していればよいのか。 ・どんなとき相談に行くべきか。どんなときは見守っていればよいのか。どんなときは少し生活の変更が必要なのか。 ・専門家に相談に行くとすればどこに行けばよいのか。連絡先。 394 自由意志 free will 【同】意志の自由 古くからの哲学的論争点であり、現在もまた重要な、しかし困難な論点である。精神医学ばかりでなく、刑法でも重要な問題であり、責任能力論に関連する。つまり、人間に自由意志がないのなら、罪についての責任もないだろうということになる。 人間に(一般に生物に)自由意志はあるのかと考えてみて、自分自身についての体験から出発すれば、自由意志が存在することは自明のことである。しかし生物一般に関して客観的に考えれば、自由意志は存在しないと考えられる。 議論の前提として「意志とは何か」について考えておく必要がある。たとえばコンピューターに、一貫して円周率の計算を続けるようなプログラムを与えておく。その場合、「このコンピューターは円周率の計算を続けようという強い意志を持っている」と表現していいだろうか?内部から発生する意志とは何だろう?内部とは何か? 人間の脳が神経細胞の複雑な連絡だけから成立しているとして、自由意志は存在すると考えられるだろうか?神経細胞ネットワーク以外に、その奥に霊魂が存在するなどと仮定しなければ、自由意志の存在は否定せざるを得ないだろう。 自由意志に対立する状態として、自働機械が考えられる。外部状態と内部状態に応じて反応するだけの自働機械と、自由意志を持つ人間との違いはどこにあるのだろうか。本質的な違いはないと思われる。したがって、人間に自由意志は存在しないと結論せざるを得ない。 人間の精神活動は分子活動からのみ説明されると仮定すれば、自由意志はないと結論できる。分子活動の結果としての自由意志を考えられるというのなら、自由意志についての定義が我々とずれているのだと思う。 宗教的な前提をおけば、違いは明瞭であるかもしれない。しかしその場合にも、人間に特権的な地位を与えない限りは、石ころにも自由意志があると結論しかねない。 石ころと、植物と、猫と、人間と。どこから自由意志はあるのか。人間に自由意志があるのなら、石ころにも、「そこに居続けようとする意志」「地球の真ん中に向かおうとする意志」などを感じ取ることができる。石ころには自由意志がないのなら、コンピューターには自由意志がないのなら、人間にも自由意志はない。 こんなにも自明なことなのに、合意形成が難しいのは、我々人間の素朴な常識が邪魔しているだけだ。 395 自律神経失調状態 自律神経系の器官の障害を中心とし、場合によっては不定愁訴全般を含む。動悸、血圧上昇・低下、呼吸促迫、息切れ、頭痛、めまい、ふらつき、口渇、唾液過多、吐き気、嘔吐、胃痛、食欲不振、腹痛、便秘、下痢、多汗、無汗、冷汗、寝汗、微熱、顔のほてり、顔面紅潮、顔面蒼白、冷え性、手足のしびれ、手足の感覚麻痺、手足のふるえ、不眠、悪夢、全身倦怠感、肩こり、腰痛、関節痛、筋肉痛、皮膚蟻走感、排尿障害、インポテンス、耳鳴り、難聴など。また、精神面でイライラ、くよくよ、悲観的、怒りっぽい、無気力、易疲労感など。 精神分裂病、躁うつ病、不安神経症、更年期障害をはじめとし、さまざまな疾患でみられる。上記症状のいくつかが見られるというだけで自律神経失調症または自律神経失調状態と診断してよいので、疾患の構造や病態にまで踏み込まない、表層的な表現である。 396 支離滅裂 incoherence 概念の輪郭崩壊と、概念間の関係崩壊により生じる。言動が了解不能でまとまりなく映る。意識清明な分裂病患者について用いる。 397 事例性 caseness 疾病性(illness)と対照される語。疾病性は医学的判断による疾病の認定であり、原則的には病理診断が中心となる。事例性は患者の主観、周囲の人々の感じ方、社会の規範などによって決定づけられるような、問題ありとする認定である。「病気だ」というよりは「解決すべき問題がそこにある」という認識である。身体各科でも疾病性を主に扱いつつ事例性に注意を払っているが、精神科・神経科では事例性の比重が一層重い。人格障害の一部、犯罪、非行などは疾病性に注意を払いながら事例性を解決すべく努力する。 398 了解 表層での了解と深層からの了解が言われる。 表層での了解は、患者の話を聞いていて自然に平明に了解できる次元のことで、子供の頃の様子や近頃の環境が現在の辛さをつくり出していると考えられるものである。 時間をさかのぼった原因から現在の状態が了解される場合には、発生的了解である。現在の状況から現在の辛さが了解できるならば、静的了解である。 深層からの了解はたとえば精神分析のように、無意識の層の力動から理解されるものである。(シュナイダーの図参照) 了解する側の了解能力に左右される場合がある。了解能力が不足しているがゆえに了解できない場合もある。逆に、了解し得ないものを私には了解できると誤解している場合もある。 了解不能なものは説明が可能なだけであり、精神病は了解不可能であるとされた。 399 成功したときに破滅する人物  →没 those wrecked by success 成功しそうになると神経症を発症して破滅するタイプの人物。フロイトがマクベス夫人を例としてあげている。成功はそのまま良心の責めを引き出すことになり、鋭い葛藤状況が生まれるからだと説明される。 400 予期不安 expectation anxiety 不安神経症やパニック障害の場合に、一度強烈な不安発作を体験すると、こんどはその不安発作を恐れて持続的な不安に悩むようになる。これを予期不安と呼ぶ。この時期には不安回避行動が見られるようになる。 401 現実検討と見当識 reality testing and orientation 現実検討能力と現実見当は紛らわしいが、違うもの。現実把握の点では似ている面もある。 402 カタルシス(浄化) catharsis 無意識層に抑圧していたものを自由に表現することによって、心の緊張を解くこと。浄化法、通風療法、除反応、煙突掃除などとも呼ばれる。煙突がつまって部屋が煙だらけになったとき、煙突掃除をするとすっきりするのと同じである。無意識層に抑圧せざるを得なかった事情自体は変わらないのに、表現するだけで好転するのは、抑圧を続けることは心のエネルギーをたくさん消費するから、抑圧をやめることで心のエネルギーを別の方面に使えるようになるからだろう。 これは自発的な表現でなくても、たとえば映画、小説、歌謡曲などに共感し、自分の内面と共通のものの表現を見いだすだけでもよい。それは心の無形の悩みに形を付けてくれる。映像や言葉でくっきりと表現されるのを見れば、それだけで心の整理がつく。 「やつあたり」は攻撃性が本来攻撃すべき対象に向けられず、攻撃しても安全な対象に向けられる場合で、多くは弱い者に向けられる。夫の会社での怒りを「やつあたり」で発散され、受けとめざるを得ない妻は一種のカタルシス療法を行っていることになる。その妻のやつあたりに付き合っているのが猫である。 飲み屋で皿を割ったりするのも一種のカタルシスである。 カタルシスに付き合わされた人はときに嫌な思いをする。そんな時は人間関係を壊すことがあるので注意が必要である。 403 過敏性大腸症候群 irritable bowel syndrome,IBS 心身症のひとつで、腹痛や下痢、便秘が続くが諸検査によっても原因が見つからないもの。器質的病変ではなく、ストレスによる機能性のものと考えられる。内科で検査したあと、精神科・神経科に紹介される。よく話を聞いて、環境調整、心理療法、薬物療法などの適応を探る。薬物は抗不安薬、抗うつ剤、自律神経調整薬、整腸剤その他を病態に応じて考える。確かにすっきりしなくてつらいけれども、だからといって人生の楽しみをあきらめてはいけないと思う。 404 機能性疾患 functional disease たとえば腎臓を顕微鏡で調べてみても異常が見つからない、しかし尿検査で異常がある。この場合に機能性疾患と呼ぶ。 一応そういうことだが、機能性疾患の背景となる形態学的な異常がないかと言えば、そんなことはない。機能にはそれを可能にする構造が必ずあるのである。ただ、それを人間が見つけられるかどうかというだけのことである。 つまり、機能の異常は見つかったが、その裏付けとなる構造が発見できないでいるとき、機能性疾患と呼んでいるだけである。 すべての疾患は機能に異常があり、しかもその裏付けとなる構造の異常が存在するのである。 たとえば、足の骨が曲がっているためにまっすぐ歩けない場合。骨を顕微鏡で見ても、異常はないだろう。それは顕微鏡レベルの異常ではないからだ。構造の異常はすべてがミクロなレベルに還元できるのでもない。 405 病理の推定 正常と器質性脳障害を両端におく。正常→性格障害→神経症→うつ病→分裂病→器質性精神病と一応並べられる。単一精神病論に近い。 何を基準にして並べるか。器質性精神病は明白に診断可能であり、その精神症状を観察できる。そこを出発点にして、正常者との間の距離を測ろうというものである。何がその要素になっているかははっきりしない。 最終的に自分に不利なことをしているのは器質性に近い。最終的に自分に有利なことをしているのは正常・性格障害に近い。自分の行為の効果について、時間的に離れた効果、間接的な効果まで計算した上で行為できているならば、精神機能は高い。つまり損なわれていない。 「現実把握の歪み(reality testing:現実検討)」 自己中心的な振る舞いも、人格の中心部から出ていて、さまざまなたくらみに彩られている場合、より性格障害に近い。 明白で直近の直接の利益を狙う場合、どちらかといえば器質的である。 他人の思惑に敏感、他人を操作する、欺く場合には性格的である。 直接の利益と、間接の利益。 めくらましの戦術が高級な場合には性格的。 性格問題にも二通りある。ひとつは人格低格状態からくる、未熟な人格(ヒステリー性格)。ひとつは人格の各要素の発達がバラバラで、不統合な状態(境界型人格障害)。移行型は当然ある。 道徳感情や羞恥の感情についてはまた別なのかも知れない。 406 うつ病と分裂病を並べて対照させる考え方 これは良くないのではないか。うつ病は個々の脳神経細胞の性格の問題である。分裂病は脳の構築の事情からくるものである。 建築で例えると、うつ病は建築材料の問題である。分裂病は全体の設計の問題である。 407 離人と知覚 離人症を知覚障害の系列で考えてみたくなるのは理解できる。 知覚障害は、末梢感覚障害(低次の末梢の問題)→失認(高次の中枢の問題)と大別できる。離人はこの系列で考えれば、超高次の機能障害とも考えられる。 408 偽幻覚 →知覚、表象、幻覚、偽幻覚 自己の内部に発生したイメージだということは承知しているものの、自分の意志ではどうにもならないもの。自己所属感は保持されているが、自己能動性は失われている状態。自己所属の点でイメージに似て、能動感喪失の点では知覚・幻覚に似る。                  外部所属・実体的    内部所属・画像的 意志に左右されない(能動性喪失) 知覚・幻覚       偽幻覚 意志に左右される(能動性保持)              イメージ(表象) 409 幻覚妄想状態 幻覚妄想状態の時、意識は清明かあるいは意識障害があるかをチェックする必要がある。 410 行為に伴う幻声 患者は自分の動作について、「彼女は今それをするよ。今度はそれ。」と人々が話しているのを聞く。患者の行為はいちいち批評されたり、指図されたりする。 指図に従って動く場合に、指図の内容は他者に属し、それにしたがって動く選択は自分に属して能動的に判断している。 声に従うかどうかの能動性が奪われ、自動的・被動的・他動的になった場合にはさせられ体験になってゆく。 411 幻覚妄想の形式と内容 形式を決めるのは病理である。内容を決めるのは欲求や無意識の力動などである。 412 思考促迫 思考促迫は分裂病の時に用いる言葉である。 413 一節性と二節性 →調査 Glied 自然な観念連合のひとまとまり→節 ? 一節性=外界認知も失われている→より器質的な病理を推定させる。 二節性=外界認知の一部は保たれている+意味付けの障害→分裂病に特有の症状 「玄関の黒い犬」の知覚から出発する自然な観念連合→一節 これに異常な意味付けが「接ぎ木される」感じ。それは「異質な二者の不自然な結合」と映る。この状態を二節性と表現している。 414 強迫 指標は「圧倒性」。 強迫の内容ごとにギリシャ語で名付けても意味がない。200個。 強迫症と恐怖症の関係‥‥強迫観念の内容が不安の場合? 415 心の辞典 止むに止まれぬ探求癖 416 言葉の網の目 言葉の網の目の差は感情の網の目の差。個人によって、民族によって。 個人の内部で、名付ける作業の意味。それが成長・成熟である。未分化な感情が分化した感情になるとき、名付ける作業が不可欠である。それは言葉でも良いし、映画による表現やその他の表現でもよい。自分で見つけるのはクリエイティブな作業で困難もある。他人の表現の中に自分の内面の問題との同型性を見つければそれで落ち着く。それもまた名付ける作業である。 417 両価性 両価性がはっきりと問題になることは少ない。ブロイラーが分裂病の指標としてあげているにもかかわらず。これはなぜか?症状が変化しているのか。診断学がずれているのか。 418 不安 不安の二種。A現実不安(actual)。B対象のない神経性的不安。 Aは現実の状況に対する反応である。 Bは現実の状況とは対応しない・脳内神経伝達物質の異常と考えてよい。 419 精神という多面体 すっきり分類分析できない 420 交代性意識 意識がB2→A2→B1→A1→B→Aと時間系列として並べる。患者はAではA2,A1を知っているが、Bの系列については知らない。BではB1,B2を知っているが、Aの系列については知らない。時間経過における同一性障害である。解離性ヒステリーで見られる。 421 自我意識 ヤスパースによる。 1他者に対する自我の区別 2能動意識 3瞬間における単一性の意識 4時間経過における同一性の意識 5実存意識(シュナイダー) 実存意識の喪失として訴えられるものは疎隔体験であろうと思われる。 422 疎隔 離人の内容。 知覚、感情、欲求が異和的、非現実的、疎隔、偽物。 423 経過の特性 病理の性格は経過の特性にあらわれる。 血管性のようなものなら場所特異性があるはず。 この頃緊張型が少ないのはどうしてか。 破瓜型と妄想型の違いは何か。→病理が同一ならば(分裂病と一括するからには病理が同一なのだろう)、違いは場所だということにはならないか? 分裂病は多少の違いはあっても、自我障害・被害妄想が多いなど、共通点が多い。同じ場所が壊れているのか?それとも、事例化するのがこうしたタイプだからだろうか? 血管性の場合 1)ダメージを受けやすい血管がある。 2)事例化しやすい場所がある。 424 強迫 シュナイダーから。 「強迫体験とは、平静時には無意味であると知りながら、主観的強迫の体験を伴って現れる、押さえつけられない意識内容のことである。そこから行為も生じるが、それを強迫行為という。しかし行為の行われないこともあり、それを強迫不履行あるいは恐怖症という。」 「無意味であると知りながら」については意味のあることもあるので、必ずしも無意味とは言えない面もある。 ポイントは「圧倒性」である。 形式としては、 強迫表象、嫌なことを思い出してしまう、性的光景を思い出してしまう。 思考習慣、壁紙の模様・敷石を数える、後ろから読まなければならない。 疑問強迫、時間と永遠について。 無意味・解決不能の問い、当たり前のことについてなぜと問う。 毒物・汚物を前にしてそれによって不幸が起こるかも知れないという不安。 責任強迫、チェック行動。 罪責強迫、誰かを傷つけてしまった。 状況強迫、橋から飛び降りるのではないか、窓からものを投げ捨てるのではないか。神聖な場所で卑わいなことをやってしまうのではないかという不安。広場・閉所での不安。 注目強迫、洋服がきちんとしていないのではないかという不安。赤面恐怖をもちじっさいに赤面してしまう。どもるのではないかと思ってどもってしまう場合。 など。 状況強迫と注目強迫は恐怖症。 自己所属・自動・意志に反して・不快不合理な内容 自我異和的かどうかは微妙。 恐怖症との同型性。結局別な名付け方でしかないということか? 強迫表象(obssession)‥‥ひとりでに浮かぶ、不快不合理な考え・イメージ 電車恐怖 電車恐怖強迫と言うべきか? 「電車が恐い」がいつも強迫的に浮かぶのではない。 能動 →自動→被動→他動    強迫 させられ 強迫にやめる自由はない 425 精神医学における疾病概念 社会で邪魔になるものを病的と呼ぶのなら、ある特定の価値観から勝手に判断しているだけである。比喩的に「病気」と言っているに過ぎない。医学的疾病概念とは関係ない。 医学的に病気であるということと、社会的価値とは関係がない。医学的に病気であるとは、身体的・形態学的に変異があり、健康や生命を損なう場合である。 426 生気的悲哀 生気的悲哀と心的(反応的)悲哀とは別々の「層」から出てくる。生気的悲哀は基底から、心的反応的悲哀は上層のものである。基底層は身体と密接に結びついている。 生気的うつ病でも、たいていは了解的で心的(反応的)な上部構造が、二次的に構築される。それは陰性の自己評価感情となる。(シュナイダー) 427 せん妄 意識混濁が運動不穏と結びついたもの。 428 アメンチア 意識障害で、困惑と思考散乱が前景に立つもの。 429 広場恐怖 ウェストファルは広場恐怖の原因について、眼筋障害による「広場めまい」説を否定し、不安を重視した。強迫現象と関係づけた。 430 プレコックス praecoxとは、「急速に進行する」の意。 431 プレコックス感 極度の不安に包まれている人に相対した場合、他者は不安の信号を読みとり、@危険から遠ざかるか、またはA危険に共同して対処しようと試みる。@にするかAにするかは、受け取る側の事情と、発している不安の信号の内容によるだろう。 分裂病者は、自分にだけ感じられる不安におののき、不安信号を発信し続けており、それが相対した他人にはプレコックス感として受け取られるのかも知れない。「不安フェロモン」が分泌されているのではないかと推定する考え方もある。 集団内での不安信号の伝達説である。 しかしながら、他者は分裂病者から不安を感じ取るのではないだろう。何か一種異様な感じを受けて、友達にはなれそうもない感じがする。人間らしい感じが何か欠けている。これは不安が満ちているのではない。人間同士で発し合っている「人間フェロモン」が欠けている、そんな印象。 分裂病の人たちの中には、「おどおど、びくびく、他人を警戒している」タイプと、「人間としての手応えに薄い」タイプがいる。 432 事例性の例 宗教活動に熱心な女性。家庭を全く犠牲にしてあれほど宗教活動に打ち込むのは、精神病だと夫が言う。しかし本人は、現実把握に歪みはなく、「夫と子供に我慢を強いるのは申し訳ないがいつかは分かってくれると信じている。」と語っている。「自分とまわりの人が幸せになるのがよい宗教ではないですか?」と尋ねると、それは教理問答の第一ページにあることだとのことで、たくさんの言葉が返ってくる。 軽度のうつ状態が認められるだけで、特に精神障害の故に宗教活動にのめり込んでいるとも思えない。その旨を夫に説明すると失望していた。 →未完 433 強迫診断の例 ただ単にある行為を反復するだけでは強迫行為とは言えない。不合理性の自覚・自己所属感の存在・自己能動感は希薄になり自動性が高まるなどの指標が必要である。 例えば、皿洗いや手洗いを反復している患者について、「皿が何回洗っても本当に汚れているから」とか「洗い終わって水切りかごに立てるときに汚れてしまう、気のせいではなく本当に」と言えばそれは妄想に属する。 「皿が何回洗っても汚れているような気がする」「そばにいる人にもうきれいになったよと言ってもらうと安心して皿洗いをやめられる」と言うなら、自信欠乏者と言うべきである。 「皿がきれいになったことは分かっているけれど、何となくやめられない、十回だけ洗おうと決めている」「まだ汚いという考えがひとりでに浮かんできてしまう。本当はきれいになっていると感じてはいるが、その考えが浮かんでしまうとまた洗わなくてはいけない」などと言うなら、強迫症である。 「洗ったかどうか忘れてしまう」という場合もある。 洗い方が悪くてきれいにならないから何回も洗う場合もある。 また、強迫症で「まだ汚い、また洗わなくてはならない」という考えが浮かぶ状況の中で、その人の洗い方が実際に下手で汚れがいつも残るとしたら、思考内容と現実は偶然一致しているわけである。この場合には強迫症は隠蔽される。 実際の言葉の使い方としては、厳密な用い方の一方で、主観をあまり問題とせずに行為の外観だけで強迫行為と名付けていることもあるので注意を要する。 434 受動的攻撃 435 疾患について、 患者の注意すべき点 家族の注意すべき点 436 ◇予備知識 ・各症状間の関係 ・症状の構造 ・見取り図 ◇前景症状の把握 ・意識レベル ・主観症状 ・客観症状 ・前景症状群‥‥列挙 ◇その他診断に必要な情報 ・病態レベルの把握 ・病前性格(そのために生活歴) ・家族歴・遺伝負因 ・身体症状・身体診察・薬物歴 ・脳波・画像診断 ・心理検査 437 基礎解説とさらに詳しい解説を分けて、二段階にする。 図・表を多用する。 438 対人距離 対人距離の取り方が硬直していて、はじめは遠く、ある時点で急激に接近しすぎるのが分裂気質の特性である。 循環気質は対人距離の取り方が柔軟である。相手に合わせながら伸び縮みの加減がうまい。→これは循環気質がというのではなく、普通は、つまり分裂気質以外は、ということだ。 対人距離が遠い・近いで分裂気質・循環気質を分類するのは不正確である。 しかしながらこのように分裂気質と循環気質を同一平面上の排他的な二者として論じるのは間違いではないかと思う。 439 知情意と分けるのに応じて、分裂病、躁うつ病、てんかんと論じていた本があった。恐ろしいことである。述語が「三つ」で同一だから主語が一致するとするのは未開人の論理である。述語の一致から主語の一致を結論したり、部分の一致から全体の一致を結論する思考法を述語論理またはパラ論理的思考あるいはフォン・ドマールス(von Domarus,1944)の原理と呼ぶ。 440 世界観 世界はよいか悪いか。世界に能動的にかかわるか受動的にかかわるか。 この世界はよい。世界に能動的にかかわる。→創造者。 この世界はよい。世界に受動的にかかわる。→鑑賞者。 この世界は悪い。世界に能動的にかかわる。→革命家。 この世界は悪い。世界に受動的にかかわる。→厭世家。 441 症状を説明する方法。 @思考、感情、などでまとめて提示する。 A分裂病系、うつ病系、躁病系、などとまとめて提示する。 これはどちらの面も大切である。@隣り合った症状とどのように違うのか。区別の基準。Aどのような症状と伴って現れるのか。そのことによって症状の性質が分かりやすくなる。縦糸と横糸のようなものだ。 442 EQ emotional quotient 情緒指数または感情指数。自分の感情をコントロールする技能および対人交流の技能、さらには集団内での振る舞いについての技能。IQが高くてもそれを充分に発揮するためには対人的な技能が必要な場合が多いのでEQも大切である。 「EQ……」は読んで面白い本である。 443 デイケアの意義 ◇フロイトの時代の神経症はヒステリーに代表されるようなintrapsychicな病理であった。個人の内面での葛藤が中心で、イド、エゴ、スーパーエゴなどで考察するのが適切であった。従って、個人精神療法が有効であった。現代ではinterpersonalな病理への変化が言われている。対人関係の中で病理は現れ、治療場面の設定としても対人関係場面が必要である。 ◇この頃は厳しすぎる超自我が問題となって症状を起こしている人は少ない印象である。厳しい超自我と強い抑圧(これによって起こる問題がintrapsychicなものである)は過去のものとなっているのではないか。フロイトの時代とは違う。 ◇言葉が悪いが、現代では逆にわがままが過ぎて、他人に迷惑をかけている印象である。 ◇集団内では個人精神療法の場合よりも多彩な転移関係が展開する。 ◇個人面接を併用する。 ◇集団内で多様な転移関係を観察し、特徴や問題点を把握し、それを個人面接のなかで取りあげ改善してゆく。interpersonalな病理に対しての治療にはこのような集団場面が不可欠である。 ◇患者クラブとしてのデイケアにも意義はある。しかしそれだけで充分な時代ではない。interpersonalな病理へのケアの場として、デイケアが求められている。 ◇集団精神療法、集団力動、対人関係、交流分析、生活療法、生活類型、SST。 ◇病理によって対応は異なる。受容的・人格退行促進的=うつ病と神経症の一部のみ。生活再建・人格成長促進的=その他の大部分(分裂病、性格障害など)。 ◇人格退行的に接した場合には、デイケアから外に出るときには普通の人格水準の戻っているようにする必要がある。退行したままで外に出ると「浦島太郎」である。 ◇従来のデイケアは患者クラブであり、結局「竜宮城」だった。浦島太郎は、時間を楽しく過ごしたが、社会適応には失敗したのである。 ◇社会復帰をめざすことは、一部では社会の価値観に妥協することである。それが良いことかと問われるだろう。しかし、まずとにかく生きることが大切だ。霞を食べて生きられるわけではない。デイケアにいるよりも、仕事をした方がいい。一人でいるよりも結婚して家庭を持った方がいい。そのような常識的な価値観にまず妥協しよう。食えるようになったらゆっくりと哲学しよう。 444 ボーダーラインシフト 市橋の提案した境界型性格障害の治療方法のひとつ。→論文 445 分かることと、分かろうとする態度と。 分かることはできない場合もある。しかし分かろうと努力している態度はいつでも可能である。 446 感受性を育てること。 芸術に親しむこと。高い人格に触れること。本物に触れるための投資を惜しまないこと。 447 躁うつ病 熱中後うつ病または熱中後無気力病と言ってよい。MAD理論。 これ以外のうつ状態、たとえば、反応性に起こるもの、成功の寸前に罪悪感にとらえられてうつ状態になるもの、性格障害によるもの、妄想に原因してうつ状態となるもの、などがある。 448 枠 境界例患者は、どこまで私のために特別なことをしてくれるのか、枠を無視してくれるのか、約束よりも緊急時の対応で私を慰めてくれるのか、試そうとしている。 449 強迫症 強迫症の指標としての不合理の自覚。 シュナイダーは、ときにばかばかしくない、有益で有意義な思考内容の反復もあるという。従って、「不合理の自覚」は定義としては狭すぎて不適切という。 行為  清潔強迫      反復行為 内面  不潔恐怖      不潔妄想 不合理の自覚(+) 不合理の自覚(ー) 現れ方が軽度に自我異和的である。不都合なとき、そぐわないとき、に出現して困らせる。 思い切って、「内容は別問題」「問題なのは出現の様式。出現の時と場所について、自分が不都合と思っているにもかかわらず出現する。」「不都合と思うのは内容が不都合もしくは不合理と思うものである場合が多いだろう。」 精神病理学は「形式」の面から定義していきたい。(なるべく) 450 意志・看護・心理の初期研修の材料。 勉強すべき文献を付す。 451 正確な複雑さと不正確な単純さ。 まずは理解しやすい説明。これを手がかりとして、細部を訂正してゆけばよい。 452 軽症分裂病 軽症内因性うつ病を精神分裂病でも考えてみたもの。 症状は神経症性の不安が主体。時に離人症などを呈する。病態水準は神経症レベルで、現実検討は保たれている。しかし病前性格、人生の歩みなどを加味して判断される背景病理は分裂病である場合。 →笠原の「外来分裂病」をチェック。 453 背景性格 病前性格は背景性格と言った方がいいのではないか? 454 電車恐怖は恐怖症か? 強迫            中間領域  妄想に近い ばかばかしいと思っている ばかばかしいどころではない。本当に恐い。 電車恐怖の場合、「ばかばかしいと思うがどうしても恐さが振り払えない」のではない。「本当に心底恐い」のである。 「現実の恐さに反する程度にまで恐い」と言っていい。妄想のレベルである。電車恐怖妄想と言うべきである。 455 定義は法律で決めたわけではないのだから、ある程度曖昧である。そこで実際の運用に即する必要もある。また一方で、クリエイティブな定義も提案したい。 【流通している定義】と【提案したい定義及びその理由】を二段階に分けて紹介するのが親切である。 456 プレコックス感 本能・直感という言葉が使われることの意味。たとえば、異性を見ているときの直感のようなものではないか。どの人が良いか選択する目が潜んでいる。それを正確に言語化する習慣はない。(それはなぜだろう?)一目惚れとか直感とか言っている。 目の前にいる人の何かを感じているのだ。 分裂病の人が「結婚して子供を作る」ことについてはハンディはなく、従って分裂病の遺伝子も減らないのだとの議論が一般的である。そうだろうか?ハンディはやはりあるように思うが? 457 自我障害の標識 能動→自動→被動→他動 自己 自己 グレイ他者 自己所属感はこれとどう重なるか。独立の軸であるか。自己所属感は自我境界の話だろう。 自我障害の標識としては何個で充分か?→中安を参照。 458 外胚葉系診断学 神経系と皮膚は外胚葉に共通して属する。ともに自己と外界との接点で働いている。神経系の敏感さは皮膚系の敏感さと共通すると仮定してみる。 外界からの刺激を記憶して、次回から反応の仕方を変えたりする動きも共通である。免疫の場合にも記憶は大切な働きである。 たとえば、以前口唇ヘルペスが出たとする。酒を飲んで赤くなったときに、以前のヘルペスの跡がくっきりと浮かび出たりする。この現象は、分裂病の履歴現象と似ていないこともない。ストレスがかかったとき、耐えきれなくなるのは、決まった場所である。それはその個体に歴史があるからである。 外界に対する敏感さを皮膚反応で測定できないか。それを外胚葉系診断学という。 459 内容と形式 夢の場合。強い欲望や葛藤があるから夢を見るのではない。夢を見る条件は別にある。そして夢を見る条件が整ったとき、内容は何になるか、それは欲望や葛藤が決定する。 パレイドリアの場合。壁のシミを見て、何に見えるか。何かに見えるか、単に壁のシミに見えるか、それは相貌化作用の強弱による。相貌化作用が充分に強かった場合には、何かが見える。何に見えるかは、やはりその人の欲望や葛藤、心理の歴史による。 幻覚妄想についても同様の事情がある。従って、幻覚妄想を形式で分類する作業は、脳の病理を反映している。内容で分類することは、心理内容を反映している。 幻覚妄想や夢、パレイドリア、全て形式と内容は別である。形式は脳の状態を反映している。内容は心理の内容を反映している。 従って夢分析は心理の内面を探るものとして大切である。 分裂病で被害妄想が圧倒的に多いのは、人間心理に一般に被害的なものが基底状態として存在しているからであると思われる。妄想が発生する条件が整ったとき、人間は一般に被害的な内容を注入するものだということだ。それは人間の生きる知恵として有利なものであっただろう。身を守り、種を守るものであったはずである。 また別の考えによれば、幻覚妄想状態に至った場合に、世界は見慣れない異質な場所として体験され、まるで異国で一人さまようような心細さであると言われる。そのような場合に人は被害的になり、警戒的になる。この指摘によれば、被害的状態は反応性であり、了解可能であるとさえ言える。 460 離人症と能動性 離人が能動性の障害であると記載されるのはなぜか。浅い意味では、「自分が何かしているという実感が薄れる」という症状をとらえて、能動性の障害と言っているようである。 しかしさらに深い意味も考えられる。人間が何かを知覚するときには、ただ受動的に感受しているのではない。知覚には能動性が含まれている。コウモリが自分から超音波を発して、その反射を受け取るように、人間の側から対象に「網を投げかけるようにする」能動性が含まれているのではないかと考えられる。 たとえば、低次の例では、目で見るときも手で触っているように能動性を発揮している。目は「ざらざらした」質感をとらえるが、それは手が能動的に動くことによって獲得する感覚である。 さらに高次の説明を述べれば、眼球を固定した場合、視覚的認知がどれだけ制限されるかという実験がある。眼球を動かして能動性を発揮することによって、感覚を手に入れているのである。 こうした事情から、知覚には能動性が関与していることが考えられる。そして離人症が能動性の障害であるという記述の深い意味がここにあると考えられる。 461 自我障害 能動性‥‥させられ系、離人、強迫。 自己所属感‥‥幻声 自我境界‥‥自我漏洩 (自我漏洩に影響体験を対置するのは間違いであることになる。?自我境界の障害を上位に置き、それを自我漏洩と影響体験に分ける。影響体験は能動性の障害としても説明される。?) 二重自我や交代人格などの症状を除外した、自我障害の一部を一級症状と呼ぶ。 462 不安にはパニックから弱い不安まで強弱がある。 463 自我親和的と自我異和的 ego syntonic and ego alien(dystonic?) 464 無意識の二層 集合的無意識と個人的無意識に分ける。集合的無意識は人類または更に広くは生物全体が進化の途上に記録していった無意識の記憶である。 絵画療法などの場合に出現したイメージが何を意味しているのか、メッセージは何であるか、考える場合に、参考になる。即ち、たとえば「うさぎ」が何を意味しているのか、その人の内部のイメージシステムを探るとき、そのイメージは心のどの層から出たものか考えてみる。 集合的無意識層から出たものであれば、ある程度類型的であるから、ある程度公式的な読みとり方も可能になるであろう。しかしそれもある程度である。公式的な読みとり方は常に危険である。 また、無意識層のイメージシステム形成にあたっては、言語システムの影響が大きい。言語はそれ自体、イメージ間の暗黙の関連を含む。それが心に取り入れられて無意識層の形成に関与しているとも考えられる。 つまり、集合的無意識も個人的無意識も、言語システムから来る無意識にある程度は「汚染」または影響されていると考えられる。 465 交感神経は散瞳させる。副交感神経は縮瞳させる。 466 模倣 人まねをすることが主な行動パターンとなっている人々がいる。人まね性格。これは集団としては大切である。生存の戦略としても、自分の能力が特に高くなくても、能力の高い誰かの真似をしていれば、能力が高いかのように振る舞うことができて、大変有利である。 467 三叉神経痛 neurovascular compressionに対して、神経血管除圧術を行う。 468 葛藤が症状を起こすだろうか? 葛藤は症状の内容を決めるだけである。 病理が形式を決める。葛藤が内容を決める。それが神経症である。 いわゆる心因性疾患はない! その人はすでに病的状態であったが、葛藤内容が特になかったので、症状の内容がなかった。症状の形式はすでにあった。 不適応はストレス信号となり他の防衛システム・行動様式を探す。 適応が低下すると、免疫系が低下するように、別の行動様式にスイッチが入る。 469 産褥精神病 puerperal psychosis 出産後数週以内に起きる精神病状態の総称。原因としては、身体的にホルモン環境の変化がまず考えられる。心理的には親になることや夫婦関係の変化などがストレスとなると思われる。たとえば、親との間の葛藤が未解決な人の場合、自分が親になるにあたって、未解決の葛藤が再燃するとも解釈される。 状態像としてはうつ状態が多く、その場合には産後抑うつとも呼ばれる。うつ状態になったときには嬰児殺しや心中の危険があるので注意を要する。分娩後十日くらいまでに起こる軽度のうつ状態で、理由もなく涙もろかったりするものはマタニティブルーと呼んでいる。産後抑うつとの区別は特に明確ではないが、うつの軽度のものを指しているようである。 470 月経前緊張症候群 premenstrual tension 月経前の場合には多くは月経予定一週間くらいから、不安、イライラ、抑うつ、無気力、衝動的、過食、アルコール多飲、易怒的、頭痛、浮腫、過眠、不眠、下痢、便秘、吐き気、めまい、動悸、発汗などに悩まされるもの。月経前のほかに月経中、月経後、また排卵に一致して、不快な気分を訴える場合がある。月経前のタイプと同じ原因かどうかは不明である。 471 生殖精神病 女性の場合、月経、妊娠、出産、更年期と、生殖機能に関係しての精神不安定状態が種々知られており、それらを総称して生殖精神病と呼んでいる。たとえば、月経前緊張症候群、産褥精神病、マタニティブルー、産後抑うつ、更年期障害、更年期うつ病などを含む。症状発現がホルモン系の変動に直結している印象があるので興味を持たれている。しかし現在は性ホルモンそのものだけではなく、性ホルモンと相互作用するいろいろな系も含めた多因子型の脆弱性を想定しているようである。 472 目次 ◇脳の解剖と特性 ◇心理の解剖と特性 ◇精神の異常とは・疾病見取り図 ◇予備知識・症状の名付け方 ◇前景症状の把握・各状態像 ・自我障害 ・うつ病系症状 ・痴呆系症状 ・その他の症状群 ◇背景病理の把握 ・病態レベル ・背景性格 ・家族歴、遺伝負因 ・心理テスト所見 ◇古典的疾病分類・総論 ◇古典的疾病分類・各論 ・分裂病 ・躁うつ病 ・神経症 ・痴呆 ・アルコール症 ・性格障害 ◇治療 ・薬物療法 ・精神療法 ◇とりまく社会 ・法制度 ・相談窓口・社会資源 ◇索引 473 見取り図     能動ー自動ー被動ー他動 運動           させられ 思考     自動思考  させられ 感覚     離人    させられ 強迫症の位置づけ? 474 能動感 そもそもなぜ自分が行為している感じなど生じるのか?外界の生き生きとした感じなどなぜ生じるのか?物の実感とは何か? 予測(普通の意味の予測ではない・照合作用のこと)との一致とずれ 外国旅行の生き生きとした感じ 見慣れた景色がくすんでくる様子→自動化・無意識化・照合機能停止 475 非定型精神病      分裂病  躁うつ病 症状   S MD 経過 Shub Phase S+Shub=S S+Phase=Atypical MD+Shub=?(MDIのひとつのタイプ)……だんだん悪くなるタイプがある。 MD+Phase=MDI……考えるに、これは嘘ではないか?これは反応性かも知れない。 Phaseで済むものは反応性なのかも知れない。 476 Front signs or syndromes (problems) 前景症状 Background pathology 背景病理 477 脳の中のイメージ 脳の中に像を結んでいる外界の像。これは本来外界とは関係のない独立のものである。しかしながら、外界と一致していれば都合がよいので、照合できる部分については一致するようになっている。この一致が生存可能性を高める。 照合はある存在の全体について実行することはできないし、必要もない。実際の生活に必要なところから一致を確かめていればよいわけだ。 trial and error により蓄積されてきた結果である。それがいま人間の各人の内部にある像である。それは外界そのものではない。 創造力の問題はそうしたことにつながっている。 はずれかどうか知らないがたくさんの物を創り出し、それを現実と照合する。この作業を繰り返している。 478 離人症 離人症状について、解離性障害として記載されることがある。「自己の精神過程または身体から遊離し、自分が外部の傍観者であるかのような感情の体験」「ロボットになったような、夢の中にいるような感情の体験」とDSM3Rでは記述されている。これでは何が本質なのか分からない。 479 能動性意識 知覚、思考、感情、行為の自己所属性あるいは(現)存在意識と、自分がしているという実行意識からなる。(濱田) 能動性意識の障害に、離人症、させられ現象、 しかし、能動性と言うからには、自己所属性はすでに前提されている。実行意識もあやふやな語である。 結局、能動性はほかの言葉に還元されない。行為や感情や思考の主体が自分であるという感覚である。 行為の主体が自分であるとは? ・意志する者と実行する者。意志するのは自分。実行するのは自分。→能動性。 ・意志するのは他者、実行するのは自分。→させられ体験。 思考の主体が自分であるとは? ・意志するのは自分、思考するのは自分。→能動性。 ・意志するのは他者、思考するのは自分。→させられ思考。 ・意志するのは他者、思考するのも他者、思考を入れられる→思考吹入 ・意志するのは他者、思考するのは自分、思考を抜かれる→思考奪取 感情 ・? 480 ego-syntonic 自我親和性……欲動や表象が自我に受け入れられること ego-alien 自我異和性……欲動や表象が自我に受け入れ難いこと。フロイトは自我が抑圧する性衝動に用いた。 ego-syntonic と ego-dystonic 自我親和性と自我異質性……自己の規範に調和し共存するか否か。(Jones,E.1938) 優格観念は自我親和性を持ち、強迫観念は自我異質性を持つ。 強迫……自分としては出てきてほしくないと思っている行動や思考や感情や欲望が、自己の意志に反して出てきてしまう状態。 不合理か否かだけではない。反道徳的であったり、自分の趣味に合わなかったりするもの。 481 ヒステリー性格者 模倣を主な行動様式とする。発達の不十分な個体の場合にはよい戦略である。未熟だから模倣戦略は価値がある。 482 病態水準 神経症レベルと精神病レベルとは言っても、それほど明白に区別されるわけではない。精神病レベルとは言っても、一時的であるのが通例である。神経症レベルや正常者は決して一時的にも精神病レベルにならないであろうか?意識障害は当然除外するとして。 個人の内面で、妄想的確信とすれすれの信条はかなりあるのではないか。人に話す的には反省も働くから訂正されることが多いとしても、自分だけで非反省的に思っているときには妄想すれすれの考えというものは少なくないようにも思う。ある意味ではそれが人間の「ふくらみ」というものではないか。 病態レベルについても、個人ごとにだいたいの傾向が観察されるだけである。本質的に違うわけではなく、なだらかな移行があるだけである。 483 疾病性と事例性 同性愛者に対する考え方の変遷。DSM3では同性愛者は精神障害のひとつであった。DSM3Rになって、除外された。 同性愛者について、病理標本の裏付けはないままに、ということはつまり疾病性の確実な根拠はないままに、疾病性の推定のみによって精神障害のひとつとされていたことになる。ひとつの世界観の押しつけであったわけだ。 本人や周囲の人々の苦しみを取り上げることはよい、つまり事例性をまず認める。しかしそこから疾病性を認定するにはやはり断層がある。断層があるということを忘れてはならないのに、常識というものの力の強さゆえ、忘れがちである。断層を埋めるものは身体に還元される異常、典型的には病理標本である。 484 対人距離 接触恐怖の一面がないだろうか?人混みが苦手。 485 場所の診断と病理の性格の診断 脳の特性から、場所に特有の機能がある。従って、症状には場所の特性が反映される。また、病理の性格の反映がある。たとえば血管性障害、新生物、変性疾患などの病理の特性が反映される。 脳血管障害の場合には、症状の出現の時間的特性に病理の特性が反映されている。場所の特性は症状の内容そのものに反映されている。これをモデルとして分裂病とうつ病と神経症を考えられないか。 486 てんかん性格 epireptischer Charakter =粘着気質 viscosty temperment,Kollathym 粘着性と爆発・解放の両極構造を持つ。ドストエフスキーが代表としてあげられる。 粘着性は、几帳面・融通がきかない・執拗・まわりくどいなどの特徴で示される。関心の転換が不活発で持続的である。迂遠思考は特徴のひとつで、なかなか話の核心に至らず、周辺部をうろうろ往復し続ける。ときに衒学的でエスプリに欠ける。平たくいえば、くどい。 爆発性も特徴である。これはてんかん発作から直接に連想される特性で、易刺激的、爆発的、暴動的などと表現される。感情はしばしば極端な振幅を見せる。悲しみも喜びも巨大である。賭事に熱中する面もある。一か八かの一瞬に生きている実感がこみ上げてくる。固着性が強い。予約の時間は厳守し、服薬も比類なく正確である。 我慢に我慢を重ねて(粘着性)、限界を過ぎると爆発してしまう(爆発性)。「はっと気がついてみると、相手は血まみれになって倒れている。どうしたんだろうと思ってみるが思い出せない。右手がぬるぬるするので見ると、べっとりと血がついている。周囲には人だかりだ。何か大変なことをしてしまったらしい。」 487 風土と気質 和辻哲郎「風土」の例。 気候風土と気質性格との関連はもっとも素朴には、南の島で育ったから「温暖な」性格とか、北国で育ったから暗くて陰気とか、東北地方は我慢強いとかの説があり、因果関係の理解に手間取るようなものである。 海からの風には交感神経を刺激する粒子が含まれている。漁村の人々は交感神経優位の人間になる。荒くれ者のイメージである。山の風には副交感神経を刺激する粒子が含まれている。山の人たちは副交感神経優位の人間になる。これも、単純な二分説に属し、使用している論理は述語論理のようである。 農業従事者は予測可能な収穫をあてにして几帳面な態度で責任感を強く持って仕事をする。収穫は保存可能であり、未来を計画しながら生きる。田圃が四角いのも、収穫量の計算に適しているからだという。二宮尊徳が代表である。 漁業従事者の場合は漁獲は予想不可能であり、魚は大部分は腐る。従って刹那的になる。 商業道徳はおおむね農業道徳から発する。 農業生産物が保存可能になったのは近年であり、税を物納せず貨幣で納めるようになったもの近年である。農産物はすぐに腐り、物納した税もすぐに腐るという世界では、執着気質型の性格はあまり活躍できないだろう。近代になって初めて、執着気質は活躍するようになったものであろう。 風土が気質を選択する。 488 ヤロムの集団精神療法の治療因子 1よくなるという希望をもつこと 患者集団の中にいると、自分もあのように悲惨な状態になって、人生をむだに過ごすのかと思うと絶望する。病気がひどくなるだけではなくて、人格も腐り、犯罪まがいのことで生きて行くようになると気付かされる。 2普遍性(自分だけではないのだと気付く) ずるいのは自分だけではない、怠け者なのは自分だけではないと気付き、居直る。それだけのことだ。金のためなら何でもするのは自分だけではない。 3情報 教育的情報はある。それは役立つ。しかし患者の間に流通する不正確で有害な情報も実に多い。「薬は多すぎるとだめ。自分でこっそり減らす。」「あの赤い薬をやめたらすっきりしたから、君もやってごらん。」「被害妄想までいったらもうだめだ。治る見込みないよ。」など。本当に困ったものである。 4思いやり。愛他的行為により、自己評価を高める。 相手を見下すことと背中合わせである。自分より不幸な人がいることを確認するだけの行為になっていないか。貧しい心は治らない。もしも愛他的行為をしたとしても、余計なお世話だと誤解される。相手は被害妄想に悩んでいるのだから。 5家族関係についての修正感情体験 そこまで患者同士の関係は深まらないし、スタッフとの間でも同様。集団としての力動が発生しない。修正悪感情体験ならばある。 6社会適応技術の学習 SSTどころの話ではない。指摘するのがまず難題。指摘しても分かってくれない。分かってくれても治しようがない。患者同士のことでいえば、三千円を借りておいて、手持ちの不要のがらくたで返済する。ネックレスを値段を偽って売りつけようとする。こんな社会適応は学ぶのだ。相手が病気ならば騙しやすい。 7行動を模倣する 仕事をしないでぶらぶらする。そのために生活保護を申請する。そのために親を捨てる。親の金を使ってギャンブルに通う。模倣が勧められる行為であるのは、よいモデルがいるときである。よいモデルはデイケアに来るだろうか? 8対人関係の学習 悪い対人関係パターンだけを学習する。善意は踏みにじられて返却される。この世界はひどいところだと学習する。こんな対人関係は知らない方がよい。こんなひどい人がいることも知らない方がよい。そして、こんなひどい人と自分が同質なのだとは絶対知らない方がよい。 9集団凝集性 全然高まらない。分裂病の人たちはもともとが集団機能の低い人たちである。この人たちに集団凝集性を求めるのは間違っている。いつまで立っても傍観者である。今日見学に来た人と変わらない。誰かのコンサートで偶然同席した人以上の関係ではない。クリニックの待合い室にいるのと変わらない。 10カタルシス 前提は強力な超自我である。しかしそんなものはない。自我さえも薄い。イドも薄くなっている。お門違いである。カタルシスを促進しようとすれば、退行促進的となり、最悪の結果を招く。 11実存的因子 彼らほど不条理に直面している人々はいない。それなのに彼らほど実存の感覚に遠い人たちもいない。反省的意識に乏しい。 結局、病人同志が集まって何かをしようというのが間違っているのだ。お互いに悪影響を与えあうだけだ。本当に治りたいと思ったら、普通の人たちの普通の集団で治療すべきだと思う。 489 集団精神療法の言葉 集団を記述する言葉をどれだけ持っているかが問題である。我々の現状では、個人の内面から見た対人関係を記述する言葉が多い。対人関係そのものに焦点を当てた言葉、集団そのものに焦点を当てた言葉が不足している。集団のことや対人関係のことは、個人の内面の記述に還元できないからこそ、集団の心理学があるのだ。 intrapsychicな言葉から、interpersonal さらには group itself の言葉で記述することが必要である。 490 集団精神療法の技術 集団の設定(枠・構造・約束・目的)、メンバーの決定、経過に応じた対応。集団設定としては、退行のレベル設定も大切。どこまで現実的でどこまで空想的な集団であるか、性格付けが重要。 491 集団設定 時間、場所、休むときの連絡の要否、自由参加か限定参加か、参加の目的、結果はどのようにして評価されるか、家族との意思統一、プログラム内容(レクか訓練か)。 途中参加はどうするか。卒業するか。何人にするか。年齢、性別、疾病、病態レベル、社会機能レベル。 492 メンバー決定 対人関係パターンの把握。集団内での振る舞いについての予測。 患者の目的と予想される効果、そのための必要条件と予想される挫折。 役割、期待。 治療者は自分でメンバーを選ぶことが大切。何をしたいかは、どんなメンバーを選ぶかということと同じである。 また、患者も自分で希望することが大切。強制入院ではないのだから、本人の意思が第一である。また、家族の意向も大切。 493 集団治療技法 リーダーシップのあり方。個人精神療法との組み合わせ方。情報のフィードバックの仕方。役割分担の仕方(A-Tなど)。 特に、集団場面の指導と、個人精神療法での指導とを組み合わせる技術が大切。各々の担当を違う人が担当するのがよいかも知れない。 494 非定型精神病 経過は相性(Phase)であり、症状は分裂病とうっかり言う。しかしそれは分裂病症状なのだろうか?たんなる妄想状態ということではないか?自我障害の特徴を確実に備えているか?→言葉の選択に注意。 経過に本質を見るか、症状に本質を見るか。→もちろん両方であるのだが……。 495 人に何か言われるとそれが見えてしまう。(オバQなど)。患者・篠の場合。 496 治療者の自己一致 この態度が患者によい影響を与える。 497 理想社会 資本主義経済も社会主義経済も、人より楽をして多く儲けようと思うから弊害が出る。 498 ソクラテスの毒杯 彼が毒杯を受け入れたのは、「悪法も法」だからではない。霊魂の不滅を信じ説いていたのだから、毒杯を拒む理由はなかった。 499 イデアと実在 プラトンのイデアの説は多少の拡張解釈を許してもらうなら、多様な解釈が可能である。プラトンが現在の言葉で語るなら、と考えてもいい。 目に見える現実はイデア(真の存在)の影であるという。これは量子力学の解釈とも関係する。また、人間の知覚についての議論とも関係する。真の実在は確率的に存在しており、人間の観察によって、ひとつに定まる。それが観察される。観察される前には猫は「確率的に死んでいる」のだ(シュレディンガーの猫・量子効果が猫の生死に直結している箱の例)。 人間の知覚は真の実在の一部分の性質を、感覚器官の特性を通して把握している。極めて部分的で間接的な認知である。 では、人間は「真の実在」イデアを知ることができるのだろうか?不可知である。 500 アパシーシンドローム 病前性格としては、真面目、おとなしい、手のかからないいい子、礼儀正しい。頑固、強情、融通がきかない、強迫的、几帳面、完全主義。小心、攻撃性欠如、積極性欠如。自尊心が高いので敗北と屈辱を異常なほどに嫌がる。勝負する前に降りてしまうことがある。 本業からは退却するが、アルバイトや趣味には打ち込むことがある。この選択的退却に注目して、退却神経症と呼ぶ(withdrawal neurosis,avoidant neurosis)。 分裂病とうつ病は除外する。 501 妄想【追記】 何かの考えを、それは妄想であると判断するとき、真実ではないと判定していることになるが、何を根拠に真実かどうかの判定をしているのだろう。 真実であると考える根拠には、大別して三つあると思われる。 1)経験を吟味した客観的事実。しかしこれは錯覚や考え違いということもある。単なる偶然ということもある。間違いのない確実な経験を求めて、科学が発達してきた。検証可能で反復可能な事実は何かを吟味する。 2)集団内の常識。科学の観点からは真実とは言いがたい場合でも、その集団内で常識として共有されていれば、真実と言って良い場合がある。したがって、誰かの所属する集団は何であるか、そこではどのような常識を共有しているのか、慎重に考慮する必要がある。 3)宗教的啓示。これは神から直接に多くは一回限り、真実が伝えられる事態である。これこそ典型的な妄想ではないかとする考え方もあるが、しかしそれは唯物論的な規範の中での思考である。世界の人々の考える「真実」は宗教的啓示によるものも無視できない。 2)は多数決で決まる真実である。集団の中で生きるとは、この常識についての多数決を受け入れるということでもある。受け入れない場合にも、そのことについては沈黙を守るということだ。 1)は手続きに従えば少数意見も尊重される可能性がある。むしろ、2)のタイプの常識の中には迷信や錯覚、偶然などが多すぎるので、間違わないようにできないかと考え、経験を洗練する方法として発達してきた面がある。したがって、しばしば1)と2)は対立する。昔から引用される典型例はガリレオである。 ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたとすれば、そのとき天動説は集団内の常識として真実であったし、一方、地動説はガリレオの厳密な観察から考えて真実であった。1)と2)のふたつの基準がぶつかっている状態である。 妄想か否かを考えるとき、実際にはあまり悩むことはない。むしろ、患者さんが確信を語るとき、それは何を根拠にした確信なのか、上のどのあたりに属する確信なのかを心の中で確認しながら話を進めるのがよいのではないか。 キリスト教の旧約聖書を文字どおりに信じる立場の人にとっては、世界は神が七日でつくりあげたもので、進化などない。しかし進化を信じる人たちの立場からは、生物の進化は「科学的真実」である。 削除 さらには宇宙がどのようにしてできたのかという、宗教者にとっても、唯物論者にとっても、興味深い問題もある。ビッグバンはあったのか、あったとして、その爆発から時間と空間が始まったとはどういう意味なのか。ビッグバンがなかったとしたら、世界の歴史はどこまで遡ることができるのか。 治療者側の判断の根拠や、世間の常識の由来にも敏感になっている必要がある。 502 薬の量 抗精神病薬や抗不安薬が、ドーパミンやGABAと関連していると仮定して話を進めよう。精神分裂病の急性期に抗精神病薬を投与すると陽性症状はおさまる。薬剤はドーパミンレセプターをブロックして、ドーパミンの伝達を抑制していると考えられている。しばらく経つと、症状も安定して薬剤量も少なくなり維持量で落ち着いている状態となる。そこまで来たら、社会復帰をめざしてデイケアを始める。デイケアは集団場面も設定し、多少のストレスもかけながらこころを賦活する。つまりはせっかく落ち着いていた脳内でのドーパミンを再び活発にしていることになる。症状再発の危険もあるので、薬剤をやや多めに調整することが必要になる。 一方で薬剤によってドーパミンを抑えながら、一方で生活療法やデイケアでドーパミンを活発にしようとしている。これはどういうことだろうか?このような事情であれば、デイケアなどしなくても、薬剤を減らせば十分であるはずだ。しかし現実はそうではない。ドーパミン単一で考えているから不十分な考察しかできないのだろう。 ある患者さんに対して、どの程度の量の薬を処方するかについて、客観的に決められる最適量があるはずである。それが科学というものだ。しかし医者によって判断が異なることが多い。 ひとつの理由は治療目標の違いである。どの状態をめざすかによって、薬剤種類も量も異なってくる。再発防止だけを最優先にするか、そうではなくて、早い社会復帰を優先するか。(もちろん、こう言ってしまっては不正確だ。再発を防止しつつ社会復帰に向けるのが治療であり、二つを両立させなければならない。両立を図る中で、どちらに重点を置くかという微妙な判断のことである。) しかし一方ではこんな事情もあるのではないかと考えている。医者やスタッフ、施設全体の雰囲気などが異なれば、患者の精神に与える影響も異なる。単純化して言えば、この医者と会っているとドーパミンがたくさん出るのに、あの医者と会っていてもドーパミンはあまりでないといった具合である。厳しい医者や優しい医者がいるし、母性的な人も父性的な人もいる。患者の精神構造もそれぞれ異なるので、厳しい医者の前でドーパミンがたくさん出る人もいるし、厳しい医者の前ではドーパミンはあまり出ない人もいるだろう。したがって、医者によって薬剤量に違いが出てくる。あの医者は薬が多い、別の医者は少ないという場合、このような理由もある。 では一歩進んで、医者の態度やパーソナリティにも最適点が考えられるのではないかという問題についてはどう考えればよいだろうか。患者さんのパーソナリティが多様であるという事実が前提になる。患者さんの多様さに応じた医者の多様さがあれば、需要と供給はバランスするのではないか。客観的にどの場合にも最適な医者のパーソナリティがあるわけではなくて、相性の問題である。そして、その組み合わせに応じて、薬剤の選択がなされる。こう考えてくれば、ある患者さんに対しての理想の処方は何かという問題には、普遍的に正しい唯一の答えはないことになるだろう。 一般的傾向として、説明が丁寧で、患者さんによく納得してもらっている医者の場合には薬は少なくてすむ。しかしまた、そのように丁寧で立派な医者がいれば、そこに難しい患者さんが集まる傾向もあり、結果として薬は多くなるという事情もある。 503 人生についての態度の平面 性格把握の一方法として取り上げても良いのではないか。 504 転移・退行・自我のもろさ 転移を引き出す操作は、同時に退行促進的であり、場合によっては幻覚妄想状態を引き起こす。 転移を起こさなければ分析できないが、起こしたときには退行しすぎで元に戻らないというのでは失敗である。診察したでだけ起こる、限定された退行であればよいのだが。 自我境界のもろい人には、むしろまわりに自我境界の代替物を提供することの方が適切である。固い構造の部屋、揺れ動かない態度・意見など。 505 内因性 脳器質性と心因性の両方であること。双子研究の一致率は50%である。これを強調すること。単なる「現在原因不明の、しかし将来発見されるであろう脳器質因」ではないこと。 506 患者は治療者を試す 自分のためにどれだけ枠をはずしてくれるか、破ってくれるか、それを愛だと見なしたがる。自分をどれだけ特別扱いしてくれるかを試そうとする。 507 分裂病の多様性 この多様なありさまを分類する方法はないものだろうか。例えば、全景症状の組み合わせとして、分類することはできそうではないか?なぜしないのだろう? 分裂病症状と一括してはいけない。不安、強迫、被害妄想と数えて、病前性格の描写を加える。そのような中から類型を取り出す。 まあ、今までもそのようにしてきたわけだ。その中から、妄想型分裂病とか、思春期妄想症とかが取り出されてきた。 508 精神病と神経症の見取り図 こころの病気の見取り図 定義が先にあって、それに従って病気が作られたのではない。人が相談に来るから何とかする、これが出発点である。 509 分裂病は曖昧である 多様なファンタジーを引き出す。哲学者(人間の精神構造から不可避に生じる問題)、教育学者(育て方の問題)、理系の人(神経伝達物質の問題)、革命家(社会構造の問題)、それぞれに自分なりの分裂病の原因と治療を思い描いている。 まだ神話の時代を生きているのだ。 510 現実神経症……キーボードからの変な入力。0で割り算したり。 精神神経症……キーボードからの入力はハードディスクに蓄えられてゆく。ハードディスクへの情報蓄積が少しまずかったらどうなるか?必要な情報を取り出そうと思っても、間違った応答をしてしまう。間違った演算をしたりする。強迫神経症など。 511 子供時代に一応の完成をする。大人になるにあたって、新しい適応が必要になる。「建て替え」が起こる。子供は平屋で、大人は二階建てのようなものだ。子供時代に完成したものの一部を解体して、二階部分の建設を始める。それがうまく行かない場合に分裂病の危険がある。 512 受容的態度は退行を促進する。 自分では言わずにおこうと思っていたことも、思わず言ってしまったりする。 逆に、現実検討を高めるカウンセリングも大切である。 513 身体表現化されている心的問題。この場合、カウンセラーがこころの問題ではないですかと言えば、拒絶される。なぜなら、こころの問題であることを拒絶するために、身体化しているから。それは抵抗様式そのものである。だから、解除させるのは難しい。 514 他人の人生の選択をどのように援助するか。 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の場合。他人の人生にどのようにかかわり合えるか。 まるで父親のように接していたからといって、父親のように子供の人生を決定的に左右してよいものだろうか?よいはずがない。父でさえよいはずがない。 アルフレードはトトの将来を思い、女と別れるように勧める。また、女にも、別れてくれと言う。さらには、女からの伝言をトトに伝えず、結局二人は別れることになる。女と結婚すればトトは一生故郷の町で埋もれるだろう、それではいけないというのがアルフレードの考え。 しかしどの女と結婚するかについて、アルフレードが口出しをする理由はないではないか?あの女のどこがそれほど決定的に不適格なのか、全く描写されていない。女と一緒にローマで映画の仕事をしたっていいはずではないか?それがなぜできないのか描かれていない。 だいたい、父親でさえ、息子の人生を決めることなどできない。忠告はできるだろうが、伝言を伝えないという、消極的な作為は許されないのではないか。そんなことをして、なお自分の善意に確信が持てるものだろうか?持てないと思う。 アルフレードという教育もない男が考えもなしについつい親切のつもりでしてしまった、消極的な作為であると解釈できるだろうか。彼なりの善意であったのだと。彼は二度と故郷には帰ってくるなとトトに命じる。その真意は何なのか。ローマに幸せがあるとなぜ彼は考えるのか。 トトの小さな自我が考えるのではなく、もっと大きな自我としてアルフレードが考えている。一種のカウンセラーとして。トトには自覚できないとしても、トトの人生を大局的に見渡すことのできる、外部の人格としてアルフレードがいたとしたら? トトは表面的には納得できないでいるのだが、深層では納得できている。仕方がなかったのだと思っている。アルフレードがいたから、彼のせいにできたのであって、彼がいなければトトは自分で女と別れてローマへと出発しただろう。彼のせいにできるのだからトトは気が楽だ。運命のせいだとか、アルフレードのせいだとか言っていられる。しかし実際は、心の深いところでのトトの打算の結果なのだ。 人は自分の一番の願いをかなえながら生きているのだ。トトの一番の願いは何であったか。女と暮らすことではなかったのだ。 実際、トトは女を探すことに一所懸命ではなかった。 打算家なのにロマンチックでありたいと思っている。夢想家のポーズを楽しむだけの打算家である。 515 患者は目先の問題に対して、現実的で簡易な解決を求める傾向がある。 治療者は心の発展をめざす傾向がある。 516 教科書(たとえば笠原のもの)の読み方の本。別の考え方や、そのような書き方になっている理由。 517 病気を進化のなごりとしてみる。 身体で言えば、腰痛、近視など。心・脳については動物行動学などで考える。 過去に適応的であった行動様式の、誤った応用。 不安が高まったとき、ノルエピネフリンを高くして、闘争と逃走の体勢にする。それは昔は良い作戦であった。しかし現代ではそのような作戦はまずい。スポーツ選手の場合くらいしか役に立たない。 試験会場で筋肉に血液を集めてみても無駄である。 518 効率の良い民主主義という言葉の矛盾。効率の良い社会とは、集権的で独裁的なものだ。 519 コンピューターの比喩。 人間の特性は生まれた時からオープンリングであるということ。 故に、幼児体験は大切である。 精神療法は、リングのオープン部分を操作することだ。 520 被害妄想が分裂病に多い理由 ・言葉も知らない外国にひとりぼっちになったとき、被害的になる。 ・周囲の状況をよく把握できないときは被害的になった方が自分を守ることができる。これは長い間の淘汰の歴史が脳に刻み込まれているのではないか。 ・ロールシャッハのようなものだ。また、転移・逆転移と同じことだ。状況や意味が不明の時は、自分の内部にあるものを対象に投影してひとまず解釈する。 ・結局、被害妄想は原発的に生じるのではない。混乱し意味不明となるのが第一のプロセスであり、それに対する反応として被害妄想が生じるのであろう。 521 人格中核喪失状態 分裂病と覚醒剤中毒後遺症は区別ができないくらい似ていることがある。そんな時、役に立つ項目。分裂病者は原則として嘘がつけない。集団の中では他者に遠慮している。中毒後遺症者は平気で嘘をつく。集団内では自己中心的である。西丸参照。 522 定義 もっとも広義の分裂病から、もっとも狭義の分裂病までを並べて検討してみる。たとえば以下のように。 @性格傾向を判断材料とする。→分裂病ではうつ症状も神経症症状も出る。 A幻覚妄想状態・現実検討の喪失を基準とする。→病態水準。 B自我障害(さらに厳しくはシュナイダーの一級症状)を基準とする。 以上は現在症からの診断。 C経過の特性を重く見る。→しかしこれでは何十年も経ってからでないと診断できないことになる。決定的に不都合。しかしこれがもっとも病理の本質と関係しているかも知れない。 性格傾向、病態水準、症状、経過と次第に絞って行くイメージ。だんだん輪が狭まる。 523 エディプスコンプレックス Oedipus complex 異性の親への愛着と同性の親への敵意、敵意が知られて処罰される不安などを要素とする考え方で、フロイトの精神分析のひとつの頂点。男の子の成長に関するものを限定してエディプスコンプレックスと呼び、女の子の場合にはエレクトラコンプレックスと呼ぶ場合がある。 さて、フロイトによれば男根期に男の子は母が大好きで結婚したいと思う。さらには相姦を願望する。しかし父がいるからかなえられない。父に嫉妬し、その死を願う。そのまま母と仲良くしていると母は「おちんちんちょん切っちゃうわよ」などと言って脅かす(去勢恐怖)。もう父と争っても勝てないのだとあきらめて、敵意を抑圧し父と同一化する戦略をとる(同一化、取り入れ、男性化、超自我の形成)。潜伏期の始まりに抑圧は完了する。 以上のような過程がうまく進行しないで、未解決のまま持ち越してしまうと、神経症の原因となるという考え方である。 フロイトのこの考え方に対する現代の精神医学者の態度は様々である。万能薬のように大切にする人はもういない。  エディプス王神話の概略を紹介しよう。  テーバイの王ライウスは、「これから産まれてくる子はお前を殺すだろう」という神託を受ける。女王ヨカスタが男子を産んだとき、王は乳児を山麓に捨てて、死ぬにまかせるように命じた。  羊飼いは乳児を発見して、ポリバス王に届け、王は子供を養子にした。歩けないようにアキレス腱を切断されていため、足が腫れていた。そこでエディプス(Oedipus)と名付けられた。Oediはedemaであり、腫れているの意、Pusは足のことである。  青年となったエディプスはコリントを後にして旅に出る。たまたま十字路でライウスと出会い、道を譲れ譲らないで喧嘩となり、実の父であるライウスを殺害してしまう。  次にエディプスはスフィンクスの所にやってきた。スフィンクスは旅人に謎を出し、解けない場合には殺していた。  「朝は四つ足、昼には二本足、夜には三本足、これは何か。」この謎を「人」と見事に解いたところ、スフィンクスは屈辱から飛び降り自殺をした。  テーバイの人々は感謝して、エディプスを王とし、彼をヨカスタと結婚させた。  近親相姦は神を怒らせ、テーバイに悪疫が流行した。神託によれば、ライウス殺しが悪疫の原因と出て、エディプスは犯人を捜した。その結果、彼自身が殺人者であり、母と結婚している身であることが分かる。ヨカスタは首を吊って死に、エディプスは彼女のブローチで自分の目をついて盲目となる。  以上が、エディプスの物語である。しかしそれにしても、なぜエディプスはこのような過酷な運命を生きなければならなかったのか。エディプスに罪があったのだろうか?  こうした悲劇の淵源は、父ライウスの傲慢にあった。若くしてテーバイの王位についたライウスは、王位を狙っていた叔父を放逐したことがある。ライウスは、旅の間はペロプ王の保護を受けていた。ライウスがペロプの庶子を誘惑して同性愛的関係を持ったことから、この保護者は、自分の好意と親の誇りを踏みにじられたと怒り、復讐を決意し、呪いをかけた。ライウスが息子の手で殺され、そのベッドが息子に奪われるような運命が彼に与えられた。  これもライウスの悲劇の説明であって、エディプスの悲劇の理由にはなっていない。エディプスの人生全体は、父ライウスの傲慢とその償いのために消費されているようである。  産まれたばかりのエディプスは無垢ではなかったか。罪のないままで、「足腫れ」の身にされてしまう。罪のない者がなぜ過酷な運命を引き受けなければならないのか。これが神の意思なのか。これは後にドストエフスキーが、その文学の主題として取り上げている。  貧しく過酷なロシアの風土の中で、無垢の子供たちが、命を奪われ、あるいは奴隷的な労働に縛り付けられる。このような現実は神が望んだものなのか。神が何かの意図を持って設計したものなのか。それならば一体どんな意図があったのか。産まれてまもなく、残虐に殺害されて行く子供たちの、この問に神が答えられないなら、私はこの世界への入場券を返却する、とまで物語の登場人物に語らせている。  エディプスも同じ問を発するだろう。そして神は答えない。 患者の運命と我々健常者の運命を隔てているものは何か? 524 集団 集団を記述する言葉とメンバー間の関係を記述する言葉を我々は十分に持っているか。観察し、記述し、介入する。その前提として、言葉を持つこと。 全体ー(個々の人の総和)=集団独自の何か。G-(a+b+c+d+e)=0ではない。 また、(a+b+c)+(d+e)と(a+b)+(c+d+e)は等しくない。 個々のメンバーはどのような集団の中にいるかによって、振る舞いが大きく異なる。全体の記述は欠かせない。たとえば、「場の力」と言ってもよい。 525 機能性疾患 機能性疾患という場合に二種類がある。@本来構造変化があるのだが、道具が未熟なため見つけられないでいる場合。これは本来の意味での機能性疾患ではない。A異常のレベルがある程度高次である場合、還元主義的な手法では異常が見つからない場合がある。たとえば、骨がマクロのレベルで曲がっている場合。骨ならば見えるが、腎臓ではどうか?脳ならばどうか?脳で骨の湾曲に対応するものは何か? 526 二重拘束説 うまい例:? 分裂病原性母親 527 真の愛 真に愛を持って接するとはどういうことか? 例えば、親の愛と考えてみる。父母の愛。しかし現実の父母は、医学的・心理学的知識の点では欠けている場合がある。 治療者は、部分的にではあるが、理想の親の役割を引き受けている。充分な専門知識と経験、将来への展望を持った人間が本当に親身になったとして、どのように接するものか。 親であり、医学・心理学の知識と治療経験が豊富なものとしての役割。 528 パターナリズム プロセスとしての自己決定権を尊重するのか、結果としての幸せを尊重するのか。イエスキリストに盲目的に従う蟻塚の蟻の群になってしまうのがよいのだろうか? 529 SSTの原理 刺激→受信機能→処理機能→発信機能→行動 受信機能という言葉は曖昧である。SENSE,PERCEPTION,さらには状況意味認知などまで、幅がある。一部は処理機能にまで踏み込んでいる。PERCEPTIONですでに処理機能を働かせている。 しかしそれは言葉の用い方の問題でもあろう。 また、人間の認知として、テレビカメラが映像をとらえるような視覚機能ではないだろうということも考慮すべきであろう。むしろ、こちらから網を投げて情報をスキャンしている印象である。 客観的実在を仮定して、それを信号として受信し、処理するという図式はあまりよろしくないだろうと思うがどうか? そんなこともあるが、全体として、脳の機能は、「SENSE→処理→MOVE」と一括できる。(継ぎ目をどこにとるかは難しいという意味。現実には、幾個かの神経細胞のつながりがあるだけで、この三段階のというわけではない。はじめの感覚細胞の時点ですでに情報処理は始まっている。網膜はすでに脳である。) 処理の内容としては、結局は情報の総合ということであろう。経験を加味し、予測を加味し、まわりの状況を加味し、総合判断を加え、行動をアウトプットしている。 分裂病の場合、この処理過程が動いていない。あるいは誤動作している。その場合、どこが間違っているのか、詮索することはやめて、新しい単純な「反射経路」を作っておこうというのが要するにSSTであると思われる。 SSTの問題点 集団精神療法一般に言えることであるが、患者同士が一緒に何かをやることに意味があるのかどうか、それを考えるべきだ。 例えば、自動車運転の未熟な者が集まって、指導を受け、他の未熟な人の失敗や熟達の様子を見て参考にする。感想を語り合い、こつを伝授しあう。この一連の集団の動きが一般人には有効である。しかし精神分裂病の場合、集団内での学習機能や共感機能がまさに障害されているのではないか。程度の差はあるにしても。 例えば、健常者8人の中に患者一人を入れて、ロールプレイプレイを行う場合。それと、患者8人でロールプレイを行う場合とを比較して、どちらが効果が上がるだろうか。 「相手もひどい精神病」という状況は、精神病院内の集団療法の場合には仕方がない。むしろ、出発点にある条件である。 しかしそれが真に治療的か考えてみたい。 片麻痺のリハビリをする人が、もう一人の片麻痺患者と一緒にリハビリをする。それはよいことか? 励まし合い、陥りやすい誤りを学びあう点ではよいことである。しかし筋肉・神経のことを考えれば、健常者にガイドしてもらう方がいいに決まっている。 分裂病者の場合、励まし合いなど集団特性を生かす方向の効果がどれだけ期待できるだろうか?ある場面では、悪い効果ばかりが伝達されて行くこともある。 たとえは悪いが、そして実際を知らないので不正確であるが、少年院で悪いことをさらに学んで一層の悪になって行く少年のようではないか?あるいは、悪い性質を持った友達が、彼を餌食にしてしまう。 親はどう考えるだろうか?病気の人同士仲良く遊べばいいと考えるか?(そもそも遊べるだろうか?)健常児の中でできる抱けよい習慣を真似してほしいと考えるだろうか? 生活保護受給者の生活態度を見て、生活保護になれば楽だと考えた人がいる。人間は真似をするものだ。 集団の場では、よいモデルを提示しないといけない。よいモデルのよい態度が伝染していけば、それはよい集団療法である。 よいモデルの提示。それが大事だ。 これがSSTに欠けている。 530 妄想と社会性機能 妄想は社会性機能の欠如と考えられる。 なぜなら、自己内部の想念を現実と照合して訂正する機能は、社会性機能と考えられるからである。(荻野・ジャネ) この考え方は、真実は実験的事実のうちにあるのではなく、真実は集団内の了解のうちにあるとしているようだ。 真実の源泉。 @実験・直接経験‥‥理性‥‥理科系の真実 A集団的了解・権威による提示‥‥集団性‥‥文化系の真実・集団内の合意事項・制度 B啓示‥‥超越性・時に精神病理 なぜ自意識はあるのか。反省的意識は何の役に立つのか。‥‥集団機能。集団内の他人の意向を推定することができるようになる。 531 ハリネズミの話‥‥なぜ緊張してしまうのか 緊張について ・結婚式の挨拶・記帳、朝礼当番 ・緊張状況‥‥ 親しい(家庭、自分がどんなにくだらない人間かはばれている。)、 知らない(電車内・関係は生まれない。「誰か」「どんな人か」は問題にならない。)、 その中間(学校、職場。「誰か」はばれているが、どんなにくだらない人間かはばれていない。結婚式などがよい例。) ・全く知らない人の中で緊張してしまう人と、中間場面で緊張する人は違う。 緊張をプラスに利用する ・緊張しない人はいない‥‥よい緊張にできるか‥‥スポーツ選手のイメージトレーニング ・プラス思考 ・脳のシミュレーション機能‥‥集中力の大切さ‥‥集中すれば、より多くの神経細胞が参加して、よりよいシミュレーションができる。現実の先取り。 ・抑制する、促進する。それを制御する上位中枢に働きかけて、そこを促進する。抑制よりも、上位を促進する方針の方がいい。 ・心の多面性‥‥多重人格‥‥あなたの中にも別の自分が眠っている ・いまは眠っている自分を呼び覚ますには‥‥心のトレーニング‥‥いつも同じ自分ではない ・家庭、職場、愛人宅、同窓会、父兄会、それぞれに違う自分を出している。 対人距離について ・ハリネズミ‥‥対人距離‥‥人と一緒にいたい、しかし傷つけられる。適切な距離を身につける。 532 検閲 censorship 無意識界の欲望の中の、意識化しては都合の悪いものを自我や超自我が「検閲」して意識化しないようにする作用をいう。そのまま無意識層に抑圧されてしまい、そのような欲望はなかったものとされる場合もあれば、変形されて意識層に出てくる場合もある。 533 神経症 心因が神経症を起こすのではなく、神経症は軽度の器質性障害にとどまり、機能障害も軽度である。主な症状は低位の防衛機制の使用である。その場合、心的内容に問題がある場合、即ち葛藤的な場合には、症状が出る。低位の防衛機制では処理しきれないからである。 ・心因が神経症を起こすのではない。 ・器質性や内因性精神病ほど決定的な脳障害が起こるわけではない。 ・症状は、高位の防衛機制の消失と低位の防衛機制の出現である。これは陽性症状と陰性症状としてジャクソニズムで考えることが出きる。 ・この状態で、心理の内容が葛藤的であれば、処理しきれなくなる。即ち症状が出る。 ・神経症を準備するのは器質因である。 ・葛藤内容がなければ症状形成しない。強い葛藤があればそれに応じた症状が出る。 ・一種のストレス脆弱性モデルである。分裂病と神経症は一元化できる。脆弱性の内容は少しずつ違う。(?) ・妄想のプールから、噴出する。精神病レベルの場合には妄想が生のまま噴出する。神経症の場合には加工されて噴出する。正常の場合には訂正される。 ・妄想生成と訂正のプロセスは、トライアルアンドエラーである。 534 病態水準 病態水準は明確ではない。むしろ印象に近い。変動する。変動の幅を測定しているとも言える。変動したとしても、現実検討は失われないとするのが神経症レベルである。しかしそうだろうか? 神経症レベルでも、正常人と言われている人でも、よくよくインタビューすれば、そこには現実から遊離したファンタジーもあるはずである。人間の精神機能とはそうしたものだ。ただ、それは現実ではないとインタビューアーに対しては言える。それが現実検討は保たれているということだ。言えるとしても、心底そうだろうか?精密に聞きただせば、曖昧な部分にぶつかるものではないか?しかしそれは精密に聞けばということである。 人間はその本質からして、妄想的なのだと言える。したがって精密に聞きただせば、誰もが妄想的である。 本質が妄想的で、根の部分には妄想があるから、脳の一部が壊れたとき、妄想が訂正されずに噴出するのであろう。 フロイトは、リビドーの生の形での噴出を自我と超自我が抑えているのだと考えた。抑えきれないものについては変形加工する。検閲機能である。 似たような図式として、次々にわき上がる妄想を訂正するのが上位機能である。上位機脳が失われるに従って、伏在する妄想が噴出する。 535 分裂病の本質 分裂病は場所の病理なのか。 ・血管型の何かが多様な部位で起こっているとしたら、(そうでなければ多彩な症状は説明できそうにない)、場所依存性ということになる。どこか?→丹羽の本にあった。否定的。 ・ドーパミン系の系統的変性疾患だとしたら、整合的か? ・経過の特性と症状の特性=病理の特性と障害部位(場所)の特性 536 定義 症状についても、広い曖昧な定義から、狭い厳密な定義まで、並べてみる。強迫症、離人症など。うつ病や分裂病についても並べてみる。ぼやけてゆく様子を見ることに意味があるのではないか?絞り込んでゆく過程で、何が本質かが問われる。ひょっとすれば、枝分かれがあるかも知れない。 537 還元主義と全体主義 集団の記述 要素に還元して要素間の関係を記述して行けば、全体の記述ができると考えるのはやはり間違いではない。ただ、複雑すぎるということだろう。複雑さを回避するためには全体を記述する言葉を持てば便利である。複合した現実を含んだ高次の言葉ということになるだろうか。しかしその分抽象的で類型的である。 集団全体を記述することと、個々のメンバーについてカルテを書くこととの間には越えられない溝があるのだと考えてよいのだろうか。 家族システム論は、責任回避の論理のようにも映る。誰かが悪いのではない、結果として一番弱い人に症状が結実する。これは家族のみんなが納得しやすい考え方である。 538 神経症と精神病の二分 精神病院には民衆が入れられ精神病として扱われる。脳が壊れたのだとされる。 民間のクリニックでは(たとえばフロイト)富裕な階級の患者が通院し、神経症として治療を受ける。心理的ストレスが原因であるとされる。 違う病気なのだろうか?同じ病気について別の扱い方をしているだけなのだろうか? 環境が病像を変えているのではないか。 539 転移神経症 神経症を、無害な、主治医との関係に限定された、転移神経症に変換して、治癒と見なすこと。 540 反応としての神経症 悩みがあれば軽度から重度までの神経症状態を呈する。 従って、精神症状=(器質性成分+葛藤内容)+前二者に対する主体の反応(神経症成分=不安処理のための反応)となる。ここから症状を整理して行くことができないか。 神経症成分などという言葉は誤解のもとであるから廃止した方がよい。 541 理由のない不安 従来、神経症性の不安は不安の内容や対象がはっきりしない不安と表現されてきた。そのような不安もあるが、恐怖症の場合のように明確な対象を持つ場合との境界はあいまいである。不安の源がはっきりしない場合に無意識層の力動を考えるのも方法である。しかしそれは反応性の不安ではなくて、脳内の神経伝達物質の変調としての不安と考えることもできるだろう。心理的な理由がないのだからそのような考えるのが自然である。 理由のない不安=脳の変調 542 防衛機制 不安を処理するメカニズムのこと。神経症と同じ。 543 環境反応 症状形成に器質性因子や性格よりは環境条件が圧倒的に大きな非常を占めていると考えられるもの。 病態レベルが神経症レベルのものについては、短期のものを急性ストレス反応と呼び、数日で軽快する。長期にわたるものを適応障害と呼ぶ。精神病レベルのものは心因反応と呼ぶ。環境が変われば症状は消える。 544 全般性不安障害 generalized anxiety disorder 不安障害の中で不安発作(=恐慌発作 panic attack)のない慢性不安状態を主徴とするタイプのものを指す。日本では伝統的には馴染みのないものであるが、DSMで紹介された。 不安を主徴とする疾患を不安障害と呼び、不安発作を呈する群(=パニックディスオーダー)と不安発作のない慢性不安状態を呈する群(全般性不安障害)とに二分される。全般性不安状態の不安状態は「慢性不安」の点で、パニックディスオーダーの予期不安の状態に似ているとする意見もある。 臨床場面では全般性不安障害と診断する場面はあまりないように思う。なじみが足りないためであろうか。 545 ゲシュタルト学説 「全体は部分の総和以上のものである」とするドイツの学説。 ゲシュタルト崩壊とは、知覚されたものが全体の構造を失い個々の要素に解体すること。これを分裂病の中心症状と考える見解があり、連合弛緩に通ずる面があるとする。確かに、風景構成法で「全体の構成が失われている」と表現するときゲシュタルトが失われていると言い換えてよいだろう。山、川、家、たんぼと個々の要素は描けているのに、それらを全体のまとまりとして風景に構成することができない状態である。 風景構成法で、解体した全体構成を取り戻す作業をすすめることはゲシュタルト再建をめざしていることになる。 546 パニックディスオーダー =恐慌性障害 不安を主徴とする不安障害の中で、不安発作が主徴となるタイプの疾患。 不安発作(=恐慌発作)→発作のない時にも持続的に不安(予期不安)→逃げられない場所・助けが得られない場所を回避(広場恐怖=危険な場所・状況を色分けする) 心因性の見方から生物学的な見方へ。薬剤(イミプラミン・アルプラゾラム)が有効、パニック惹起物質の存在、寝ているときでも起こることなどが背景にある。 したがって、診断に際しては、予期不安の有無、広場恐怖の有無について記載する必要がある。パニックの起こる状況について、誘因物質も含めた詳細な問診が必要である。 547 治癒因子 カウンセリングの治癒因子。外側から数えてゆくと、@治療構造A専門知識B人格(自己一致)。 まず重要なのが治療構造である。時間、場所、その他いろいろな約束。治療構造を固く保つことで治療構造が内在化されて行く。それは社会化されてゆくということでもある。 専門知識はカウンセリングの中心である。薬、性格、行動、症状などに関するアドバイスであったり、ともに考える姿勢であったりする。 人格の影響は患者の深層に見えない形で浸透して行く。患者の成長は実はこのレベルで起こるのかも知れない。このレベルで大切なのは自己一致(congruence)の原則である。治療者自身が言葉と行動、感情を一致させ、さらには本来の自己と現在の自己を一致させることである。この点での不一致を見てしまうと患者は治療者を信頼しなくなる。 Aは意識のレベルへの影響、Bは無意識のレベルへの影響と考えてもよい。治療者としても、Aは意識的にコントロールできるが、Bはコントロールできない部分もある。 548 自己一致 (self)congruent 治療者自身が真実であり純粋であること、本来の自己と現実の自己が一致していること。言葉、行動、感情など他面にわたって自己として一致し統合されていること。自己一致が人格への信頼を生み、患者の人格を成長させる契機となる。カウンセラーは自己一致の状態にあることが、受容や共感といった技法に優先して大切である(ロジャーズ)。 549 広場恐怖 agoraphobia 本来の語義は、agoraすなわち、広場、街、マーケット、人混みの中などに対する恐怖症ということであるが、パニック障害の診断に際して広場恐怖があるかどうかという場合には、特定の場所や状況に関係した恐怖症があるかという意味である。その場合には閉所恐怖(エレベーター、電車、飛行機など)や外出恐怖(一人で街を歩けないなど)も含んだ概念に拡張して用いている。結局、「広場」の語は場所という程度の意味になっている。 正確にいえば、「不安発作が起こったとき安全な場所・状態に避難できない」ならばそこは危険である。そのような危険な場所や状況を恐怖し回避すること。 550 不安障害 @パニック障害 A恐怖症+強迫性障害=制縛性障害 B全般性不安障害 心的外傷後ストレス障害などは環境反応とする。 551 対人恐怖症 anthrophobia 青年男子に好発。 @自我漏洩型……赤面、自己視線、体臭、醜貌……重症タイプは妄想を形成する。重症対人恐怖または思春期妄想症。 Aそのほか様々な疾患で見られる。 552 強迫性格 几帳面、完全主義、自己中心的、堅苦しさ、秘められた攻撃性 553 強迫性障害 @ばかばかしい(もしくは不快な)考えやイメージが、A意志に反して、B繰り返し頭に浮かんできて、C止めようと思っても意志ではどうにもできない。(笠原) 支配観念……自我親和的 させられ思考……他動的 飲酒・ギャンブル・盗癖……自我親和的 強迫……自我異質的 ego-dystonic @自我異質的 A能動性消失、非他動的、自動的 B反復性 C自動的 554 転換ヒステリー conversion type 心理の問題が身体の問題に転換されているタイプのヒステリー。失声、失立、失歩、慢性疼痛などが代表的である。 診断のポイントは、@内科・神経内科的に診察しても原因がつかめない。A性格傾向として、演技性性格。B疾病利得の存在。C症状に対して不安が不釣り合いに小さい。深刻味に欠ける。 555 解離ヒステリー dissociative type 本来ひとつであるはずの人格が、解離し複数になる障害。二重人格や多重人格がある。成熟の程度が違う各人格が交代して現れる。交代人格とも呼ぶ。どれかの人格が他の人格について知っているかどうかは、症例によって異なるようである。シュナイダーはお互いのことを知らないと記載している。 全生活史健忘は名前や住所を含む全生活史を忘れてしまうものである。それらの記憶は別の人格部分に属していて、アクセスできない状態であると考えられる。 荻野の報告している古い症例では、多重人格が高次の人格からしだいに低次のものに向かって順次出現し、治癒の過程では低次の人格から順次高次のものに統合が起こったと報告されており、ジャクソニズムの原則を確認するものであるとしている。 556 照合時間遅延タイプ分裂病 自生思考、離人感、強迫性障害、させられ体験を含む、照合時間遅延症状を呈する分裂病。 能動感が消失し、自動的、被動的、他動的な状態となる。 557 M細胞活動停止型うつ病 M A D ×◎◎ ×◎○ ×○◎ ×○○ の各タイプのうつ病。 ここからさらに執着気質崩壊が起こるとA成分の変動があり、症状が動く。 558 A細胞活動停止型うつ病 M A D ◎×◎ 強力なMとDに引き裂かれる状態。 ◎×○ これはうつではない。 ○×◎ 執着気質の崩壊によるうつ状態。 ○×○ 不明。 ここからさらにM成分の崩壊が起こると症状が変化する。 559 MADは×○◎の三段階というわけではない。連続した変数であるが、傾向を便宜的に分類してみただけである。 560 心気症、心気神経症、心気妄想、 体感異常(セネストパチー)、体感幻覚と言うべき場合もあり、その場合には心気妄想である。 強迫や離人は症状の形式に着目したもの。心気症は内容に着目したもの。 561 抑うつ神経症 depressive neurosis =神経症性うつ病 neurotic depression @言葉の表面から演繹されるのは、うつ状態が前景にあり、神経症レベルの病態水準であることである。神経症についての一般の定義に習って、心因性であることをつけ加えてもよい。また、うつ状態を呈している場合に、内因性(躁)うつ病、分裂病、人格障害などを除外した後の診断名と考えてもよい。 Aしかしながら精神医学の慣用ではさらに限定された意味がある。依存性人格障害や境界型人格障害と近縁のもので、人格に問題があり、発病前から心的葛藤に悩み、発病前の社会適応はあまりよくない。長期にわたる精神療法によっても軽快せず、結局人格成熟による以外は克服できない。内因性との違いは、性格傾向、日内変動がないこと、症状はvitaleでないこと、薬剤には反応しにくいことなどである。少なくない。 562 離人 @外界の疎隔感=現実感喪失 derealization 「春になったという季節感をぴったりと感じない。花の美しさが感じにくい。」 「外界の事物に、そこに存在するという実感が乏しい。まるでガラス越しに見ているようだ。もちろんそこにモノが存在することは頭では知っているのだが。」 「景色に奥行きがなく平板に見える。」 A自己の身体に関する疎隔感 「(外界の事物の存在感だけでなく)自分の身体の存在感もいま一つうすい。ありありと感じない。」 B自己の存在に関する疎隔感 「(身体だけでなく)自分という存在が今ここに在るということが、ピタッと感じにくい。もちろん、ここに自分がいるということを頭ではよく知っている。」 周辺部の症状 「何をしても楽しさ、面白さが感じられない。」 「自分らしさとは何かが分からない。」 「自分はどのように生きたらよいのかが分からない。」 たとえば境界型人格障害で見られ、軽度の離人症状とみてもよいが、自己アイデンティティの混乱とも見られる。 563 森田神経質 もともと神経質で過敏な性格傾向(ヒポコンドリー基調)の人がささいな身体変調を気にして「とらわれ」が発生し、感覚鋭敏と注意集中の悪循環に陥る(精神交互作用)。この状態を森田神経質と呼ぶ。 564 森田療法 森田神経質に対する森田の治療方法。「あるがまま」を強調。精神交互作用を断ち切る。臥褥療法、作業療法、体験療法、家庭的療法などの別名あり。行動中心の技法である。目的本位、行動本位の指示的精神療法である。 565 森田 神経質は先天的素質(変質)によるものとした。 たとえばはさみを落としてはさみ恐怖になった者は、その素質が問われるべきであり、はさみの意味やはさみを落としたことの意味は大した意味はなく、偶然のきっかけであったとする。 ここが分析との違い。 566 神経衰弱状態 neuroasthenia 静養または環境調整により軽快すると考えられる心身不調状態の総称。意味の輪郭はあいまいである。しかしあいまいにしか診断できない病態も存在するので、ときに有用である。 567 課題 不適応や心理的疲労が退行を引き起こし、低次の防衛機制を発動させることになる事 情を説明する比喩・モデルを考えること。 葛藤→心的エネルギー空費→低次の防衛機制→普段ならば大丈夫なはずの不安に耐えきれなくなる。 568 了解可能性の限界 青年は老人の気持ちは分からない。立場が違えば了解は困難である。経営側と労働側は分かり合えない。 569 神経症性不安 neurotic anxiety 自分自身でも何が不安なのか分からない。言葉で表現しにくい。他人に分かってもらいにくい。気にしすぎだなどと言われる。なかなか消えず、耐え難い。予期不安につながる。 無意識の病理と考えるよりは、生物学的なメカニズムが想定される。不安の引き金が脳内部にある印象である。 570 神経症の症状→症状の三角形→行動・身体の悩みを内面の精神的悩みに変換。そして治癒。心の内面で悩めるようになれば精神療法的に接する。 ・精神面……不安、恐怖、強迫、離人、ゆううつ、おっくう、その他(イライラ、無気力、心的疲労感) ・身体面…… ・・身体疲労感、易疲労感。 ・・自律神経症状(頭重感、めまい、動悸、息苦しさ、口渇、吐き気、食欲不振、下痢、便秘、月経困難など)、 ・・ヒステリー性転換症状(嚥下困難、失声、失歩、失立、難聴、二重視、失明、意識消失、運動麻痺、感覚脱失、歩行困難、けいれん、慢性疼痛、性的不感症など) ・行動面 ・・ヒステリー性解離症状……二重人格、遁走、生活史健忘 ・・自己破壊的行動……自殺、自殺未遂、自傷 ・・攻撃的行動……家庭内暴力 ・・その他の衝動行動……過食、浪費、盗み、性的逸脱、薬物乱用など。 571 分裂病の定義 広い順に ・分裂気質+症状(ほとんどあらゆる症状) ・遺伝負因+症状 ・陽性症状(幻覚妄想)+他疾患の除外 ・ブロイラー4A(陰性症状の強調) ・シュナイダー 一級症状・二級症状(自我障害) ・クレペリン 経過分類・シュープ(段階的増悪) 572 内因性うつ病の症状 広い順に ・循環気質・執着気質+症状 ・遺伝負因+症状 ・状態像(精神・身体・日内変動など) ・クレペリン 経過・ファーゼ(相性経過) 573 投影 だめ projection =投射 ・自分の内部にある感情や欲望を、他の人の内部にある感情や欲望であると見なすこと。自分の内部のものを他人の内部に投影するという意味。自分の中にあることを気付きたくなかったり、あることを拒否したいような感情や欲望について起こることが多い。そのことを明示するには投影性同一視という言葉を使うこともある。× ・自己の内部にとどめておくことが不快なものを外に出してしまう機制。自分の攻撃性を他人に投影して、他人が自分を怒っていると知覚する場合などである。→これでは他者についての認知を歪めていることになる。客観的現実の歪曲。 しかし、この認知の部分は無意識過程で起こり、最終的な結果として、「僕は彼が嫌いだ」という感情だけが残る場合には、神経症レベルでよいのかも知れないが? (僕は彼が嫌いだ。→抑圧)→(投影→彼は僕が嫌いだ。)→(だから)僕は彼が嫌いだ。 ()内は無意識。 でも、これでは一回りしただけではないか。× ○自己の内部の感情や欲望を他人の内部に投影して、他人の感情や欲望と見ること。自分のものと思いたくない感情や欲望は、不快なもの、拒否したいもの、存在に気付きたくないものの場合が多く、それを特に投影性同一視と呼ぶ(ラプランシュ・ポンタリス)。他人の感情や欲望を歪曲しているので精神病レベルの病態水準であると考えられる。 574 投影性同一視 だめ projective identification ・投影の一つで、特に、主体内部で拒否されるもの・悪いものの外部への投影を指す(ラプランシュ・ポンタリス)。境界型人格障害などで見られ、精神病レベルの防衛機制である。 ・同一視と言っても、単にidentify同定する、確認するという程度の意味ではないだろうか?そうであれば、同一視には特にこだわらなくてもよいだろう。 ・分裂(splitting)した自己のよいまたは悪い部分のいずれかを、外界の対象に投影し、さらにこの投影された自己の部分と、投影を受けた外界の対象とを同一視する機制。(×これでは意味が分からない!) 575 防衛機制 不安を処理するための無意識的な働きのこと。 事実は変更せず、ことがらの意味付けや観点を変更するのは正常範囲の防衛である。これは防衛というよりは成熟と言うべきものである。 内的事実(自分の欲望や感情などについての事実)を歪曲するのは神経症的な防衛である。 外的事実を歪曲するのは精神病的な防衛である。外的事実を歪曲するに至れば、現実検討喪失であり、精神病レベルの病態水準であると言える。 以下に列挙されている防衛機制は、理論的に演繹されたものではないから雑然としており、一部は重なるものもある。また複数の防衛機制の組み合わせで説明できるものもある。それぞれに背景があり存在理由のある言葉なので仕方がない。 ・神経症的防衛。抑圧、取り入れ、反動形成、退行、合理化、隔離、解離、知性化、逃避、打ち消し、自己懲罰、置き換え、昇華、補償。 ・精神病的防衛機制。原始的防衛機制ともいう。分裂、投影、投影性同一視、(取り入れによる)同一視、否認、原始的理想化、躁的防衛。 576 抑圧 repression 自分にとって都合の悪い内容を無意識層に押し込めて、意識に浮かばないようにする、無意識の作用。意識的な場合にはsupression(これも抑圧)という。超自我がイドの内容を検閲して、都合の悪いものは抑圧する。 姉の夫を好きになってはいけないのに好きになってしまった。超自我はそのようないけないことは認めないので、無意識層に抑圧する。 @抑圧が完全でなければ、表層に出現するが、検閲作用があるので変形を受ける。結果として転換ヒステリーの症状として失声などが起こる。 A抑圧し続けるためには大量の心的エネルギーを必要とする。このことにより神経衰弱状態になる。 577 取り入れ(摂取) introjection 他人の感情や思考、行動などの特性を自分の中へ取り入れること。その結果、自己と他者を同一に感じるならば同一化である。取り入れは神経症レベルの機制であるが、取り入れた対象と自分を同一化する場合には精神病レベルの機制と言うことができる。 両親からの禁止は取り入れられて超自我となる。男の子は父を取り入れて男らしさを身につける。発達途上の子供の場合には同一視もしばしば起こっているようである。しかしそれは正常の発達過程というべきで、精神病ではない。 取り入れは食べ物を食べて消化して自分の血肉とすることにもたとえられる。同一化は、鳥肉を食べたら自分は鳥だ、鳥は自分だと言うようなものである。 578 同一化 identification =同一視 他者の特性を取り入れて身につけることにより、自己と他者を同一視すること。自己と対象の区別があいまいになると、自分の心の外の事柄についての認知がずれるので、精神病レベルの機制である。 579 反動形成 reaction-formation 抑圧を補強するために、その反対の態度をとること。普通に抑圧するだけでは足りず、反対の態度をとることによって抑圧を強めようとする。たとえば相手に対する攻撃性を抑圧すれば中立的な態度になるが、通常の抑圧では不完全であると考えられるとき、より完全に抑圧しようとして、攻撃とは逆の態度である慇懃な態度になる。この時、適切な慇懃さではなく、どこかしら不自然で、鎧の下から攻撃性が透けて見えて、慇懃無礼と言うべき状態になることがあると指摘される。 強迫神経症との関連をフロイトが指摘したので有名である。(現代では強迫症が反動形成によるとは必ずしも考えられていない。) 劣等感は尊大さになる。憎しみは過度の優しさになる。過度の潔癖、過度の正義感など、背後に逆の傾向を宿していると見ることができるという。 580 × 取り入れ、同一化の逆が投影である。しかしそれは心内の出来事であるべきだ。外的対象についての事実ではなく、自分の感情や欲望についてであるべきだ。 581 退行 regression 幼児返り。現在獲得している行動パターンよりも低次の行動パターンの出現。ジャクソンが解体(dissociation)と呼んだものを、フロイトは退行と呼んだ。進化論的に新しく高級なものに進むのが進化(progress)であり、古く低級なものに戻るのが解体または退行である。 治療的退行は一度古い層を露出させ治療を加えるための操作である。 健康な退行は一時的で部分的な退行であり、状況に適した退行である。たとえば、忘年会での退行や子供と遊ぶときの退行など。 582 固着 fixation 精神分析で、口愛期、肛門期、エディプス期と進行する途中のどこかで問題が生じ、多大な精神的エネルギーが付与されること。固着が起こったところには固着点が生じ、退行したときには固着点まで退行する。 口愛期への固着、リビドーの固着、父固着や母固着などと言う。 →これでは防衛機制とは言えない。! 583 合理化。 rationalization 理屈付け。言い逃れ。失敗したけれども対象が無価値であったから惜しくないとむりやり考えるのが「酸っぱいぶどう」。失敗してかえって良かったのだとむりやり思い込むのが「甘いレモン」。 584 隔離(孤立) isolation 本来は結びついているはずの思考、感情、行動などを別々に区切ること。屈辱感の記憶が感情を抜いた調子で語られる場合など。フロイトは強迫症に特徴的と述べた。 585 解離=分離 dissociation 意識の一部分が全体から分離され、あとで健忘が見られること。解離性ヒステリーの場合の解離である。二重人格の場合など。 isolationとの間で訳語に混乱がある。 586 知性化 intellectualization 感情や欲動の自然な発動の代理として、感情や欲動を知的に理解すること。性衝動を知識獲得で代償する場合など。性衝動の場合などは昇華とも言えるし、嫌いな人の行動を感情を隠して精神分析用語で語ることなどは隔離である。一応、現実把握が正確であることが前提となる。 587 逃避 escape いやなことから逃れること。疾病への逃避が代表的。「病気だから仕方がない。」疾病利得を伴う転換ヒステリーとなる。 空想への逃避。空想の中で満足を図る。 現実への逃避もある。解決困難な現実を回避し、解決容易な現実に向かうこと。 588 打ち消し undoing 不安や罪悪感のために隔離された情動を、さらに取り消すために償い行動が見られること。不安や罪悪感を伴う行動を、意識的に情動が伴わなくなるまで反復し続ける。それが強迫行為であると説明される。 589 自己懲罰 無意識的罪悪感のため、自己破壊的な行動を先取りすること。先取りする罪滅ぼし。 590 置き換え 代理形成(代用満足)。 591 昇華 sublimation 不都合な欲求を、社会的に是認される活動に転化すること。代理対象がより高い文化的目的をめざす場合をいう。性衝動をスポーツによって解消する場合など。 592 補償 compensation 劣等感を克服するために活動すること。アードラーが主に言ったもので、フロイトの文脈とはやや異質である。劣等感を克服するように頑張る場合のほかに、劣等感を起こさせる価値観を否定したり、空想に逃避したり、劣等感を隠す装いをすることも含む。 593 否認 denial,disapproval 不安や苦痛に結びついた外的および内的現実を否認すること。精神病レベルの防衛機制のひとつ。現実を知覚している自我は確かに一方にあり、しかし他方にはその現実を否認している自我がある状態で、自我は分裂している(ego splitting)。抑圧では現実についての知覚が意識に送られることはない。 594 分裂 splitting 自己と対象の良い側面が悪い側面によって汚染あるいは破壊されてしまうという、非現実的で被害的・妄想的な不安に対して、両側面を分裂した別々の存在と認知することによって防衛する機制。分裂は対象分裂(splitting of object)と自我分裂(splitting of ego)を含む。 595 観察自我と体験自我 人間の自我は、物事を体験する自我と、体験している様子を観察する自我とに分けられる。観察自我を育てることが精神療法の目標の一つとなる。 596 原始的理想化 ? 外的対象をすべて良いものと見ることで、自己が攻撃性によって破壊されることを防ぐこと。 597 躁的防衛 ? manic defence 自分の攻撃性が自分にとって大切な良い対象を破壊してしまうのではないかという不安に対する防衛として働く。 598 0〜2歳の子供には原始的防衛機制。 生後三ヶ月の「妄想分裂ポジション」では、乳児は母親を全体的には認知できず、対象は「良い対象」と「悪い対象」に「分裂」する。良い対象は「理想化」して「取り入れ」て、自己の中核とする。悪い対象は「投影」して排除しようとする。そして自己を脅かす「迫害的不安」が生じる。また自己の悪い部分が「分裂」し、対象に「投影」され、対象に属するものと見なされたりする(投影性同一視)。 生後六ヶ月から二歳までは、「抑うつポジション」である。「分裂」していた対象が実は一体のものであることに気付き、対象を失ってしまう不安、罪悪感などの「抑うつ的不安」を経験する。ここでは原始的防衛機制はまだ働いており、さらに「躁的防衛」が活動するようになる。(以上衣笠・分かりやすい) クラインは2〜3歳の子供とのプレイセラピーにより、この年頃の子供の内的世界は迫害的不安に満ち、原始的防衛機制が存在することを見いだした。 3〜5歳の子供はエディプスコンプレックスの時期で、抑圧ができる。 迫害的不安は、発達早期に現れることでも分かるように、人間にとって基本的で根底的な「構え」である。このようなものを脳のプログラムの基本にすえた人間は危機に強いはずである。 599 行動化 映画やテレビでは行動を映像で描く。従って登場人物は内省せず、身体化も少なく、行動化が多い。小説はその点内省を描くことができる。映像文化は行動化による悩み方を教えている。文章文化は内省の習慣を教える利点がある。 600 行動化は損である 人間の脳の最大の武器は、行動の前にシミュレーションして検討することによって、行動を節約することである。危険を事前に回避することである。実行することによる損失を脳の中だけに限定することである。そしていろいろな行動を脳の中で試したあとで、自分にとって最も有利な行動を選択することである。行動化が問題になる場合には、こうした脳内のシミュレーションが欠けているため、実際の行動は多大な損失を招く。 行動化が低次の行動様式であるという意味はこのようなことである。 たとえて言えば、将棋の時に、一手先までしか読まないでさっさと打つようなものである。 601 身体化はなぜ低次の適応様式か ? 602 超自我 政治家と役人の拝金主義。超自我の弱体化に関係している。これは日本全体の傾向である。患者も超自我は弱くなっている。強すぎる超自我の病理はいまはあまりない。 理由は何か? 内在化すべき親の権威がない。 603 離人 分類の際に対象の違いで三分野に分けるのはあまり意味がないであろう。離人と呼ばれてひとまとめにされているものの中にどのような構造のものが含まれているかを明らかにしなければならない。 604 自由意志とさせられ体験 能動感と自由意志は重なり合っている。 させられ体験で殺人をしたという場合、法はやはり罰するのが正しい。自由意志やさせられ体験を観察した部分を罰するのではなく、実行した部分を罰するのである。 体験自我と観察自我で言えば、体験自我の部分を罰する。 行動療法的な意味で言えば、反省が届かなくても、罰は有効であろう。 605 強迫行為と強迫「内的体験」 (強迫内的体験という言葉で、強迫症の非行為部分を指すことにする。) これは同じ構造のものと考えてよいかどうか、怪しい。 森田は区別していたそうだ。行動は治療が難しいという。 強迫行為の背景に強迫内的体験があるのなら、問題はない。強迫思考や強迫表象のゆえに強迫行為が成立しているならば、問題はない。治療も同じはず。 内的体験が欠落して、直接に行動が結実している場合にはどうなのだろう。そんなことがあるのだろうか。 そういうことがあるとしたら、行為に対する自由意志も能動感も意志の支配も欠落している。そのようなものなのだろうか? 勝手に考えが浮かぶように、勝手に手が動いてしまうのだろうか?→想像を絶する。 ばかばかしいと思いながらどうしても確かめてしまう。→確かめる前に「疑い、不確かさ」の感覚が襲うのならば、結局は強迫内的体験が先行している。 606 デイケアの目的 デイケアの目的には二軸ある。生活拡大の縦軸と、生活深化の横軸である。 縦軸は病院から中間施設、さらには社会へと連なる軸であり、生活の場が移るに従って自由度が増大し責任も増す。生活臨床で言う、病院よりも家庭、結婚して仕事を持つ、という目標である。(世俗の価値観そのままの軸である。) しかし生活はそれだけではない。病院にいても、中間施設にいても、職場や学校にいても、それぞれの場所で人生を深めることはできる。それぞれの場所で生活を深化させることが横軸である。縦軸に比べればあいまいな目標ではあるが、大切なことである。人生を深めるとか、生活の意味とか、こうしたことは結局人生観や価値観の問題となるので、何か簡単な具体的な言葉に集約することは難しいだろうと思う。そこで抽象的に生活の深化と言っておく。それぞれの人なりの深まりである。 敢えて言えば、その人なりの人生の意味の深まりと言ってもいい。 (たとえ苦しい人生であっても、意味に満たされていればいい。世間で言うような意味がなくても、生きていればそれで充分素晴らしい。) 社会(職場、学校、家庭)  →生活深化 ↑ 中間施設(デイケア、作業所)→生活深化 ↑ 病院 →生活深化 縦軸の方向に役立つのは、服薬、生活指導、家族関係調整、SSTをはじめとする生活訓練などである。 横軸の方向で有効なのは、メンバーやスタッフと共に生きる意識である。 607 薬依存の心配 「薬をやめられなくなったら困ります。いつまでも続けていていいんでしょうか。」 「薬がやめられないのはなぜなんですか。試しに一日だけ薬をやめてみたら、とても調子が悪かった。もう薬なしでは生きていけない体になったのではないかと心配だ。」 「依存になりやすい薬だと聞いた。」 「はやくやめないと一生離れられない、薬のせいではやく死ぬなどと言われて心配している。」 「ただ薬をのんでいるだけで、いつまでたっても治らないじゃないですか。」 @それは依存や中毒ではなくて、まだ病気が治っていないからでしょう。それを薬のせいにするとは、他責的・責任回避的な考え方です。自分の問題として見つめるのは不安を呼び起こすので、他人のせいにして安心しようとしている。神経症的な防衛機制です。とても簡単なからくりですね。他人にはすぐに分かります。 あなたが薬のせいだと思いこもうとしても、現実が変わるわけではない。現実は、あなたが依然として薬が必要な病気にかかっているということです。あなたの人生の根本に、責任回避的・他責的な考えがある限り、あなたは根本的な解決に向かって踏み出すことはできない。 自分が家を出るのが遅かったくせに、交通渋滞のせいにしたり、電車のせいにしたりするのではいけません。問題解決のためにはまず、目を開けて、問題を把握することです。どんなに辛くても。 608 病気の原因 あなただって子供の頃は薬なんかいらなかったでしょう。子供の頃と現在とどこが違ってしまったのか、考えてみましょう。 609 夢 夢を考える手がかりとして、夢を見ているときの現実の音や温度などの感覚情報を加工して夢に見ている場合がある。その場合の音や温度に特有の意味はないのだが、心の内部の意味システムとその時心を占めている問題とが、意味を付与する。外部からの感覚情報の他に、内部から発生する「雑音」も意味付けのきっかけになるのだろう。 ロールシャッハに似ている。インクのシミは夢を見ているときの内部と外部の感覚情報に相当する。 従って、夢とロールシャッハは同型である。しかしながら、ロールの場合には目覚めているわけだから、「検閲」は一層厳しいと考えられる。夢の方が検閲は緩い。 610 言葉の意味 一般の平均的な意味から、専門家の意味まで、重層的である。そして専門家といっても、流派によって微妙に意味のずれがあるまたは強調点に違いがあることがある。 専門的になるほど、独自の仕方で限定され、深まりが出てくる。背景を背負った言葉であるということが理解されてくる。そして周辺の言葉との差異が明瞭になってくる。しかしそのことを示そうとしても容易ではない。それは全てを理解した場合に感得される種類のものだからだ。 出発点でそれが分かっていれば、つまり言葉の地図が明らかになっていれば、その先の勉強がはかどるだろうと思うのだが、そういった地図を手に入れることこそが勉強の最終地点なのだ。地図が手には入ったときに、自分としてはどう考えるとかの意見についてもきちんと言えるようになる。 本来ならば事象に帰ればよいだけであるが、そんなわけにもいかない。この事象を指すのだと的確に言うこともできない。ただ単に解釈が違うだけではないのだ。 専門家になればなるほど、微妙に限定された意味で用いていることが多い。 翻訳語の問題もある。一見日本語のようで、実は原語のつもりで用いている人もあり、その場合には日本語のつもりで読んでいると意味が通らない。きちんと翻訳したらいいのにといわれても、意味を通そうとすれば本来の言葉が消えてしまう。論述の趣旨の深層に横たわるものとしてひとつの言葉の多義性がある場合、()内に言語を表示しながら、その都度意味を翻訳していくことになるのだろうが、それでは全く面白くない話である。 さて、問題は、書かれたものを読むときに、筆者がどのような意味を込めて使っているのか、推定しなければならないことである。一般の新聞に使われるよう語のレベルなのか、一般精神科医のレベルか、フロイト派の分析家か、クライン派の分析家か、精神薬理学の専門家か。困ったことに、通常は一人の筆者が上記のひとつのレベルの意味だけではなく、文脈に応じて柔軟にレベルを移動しながら使うことがある。それが意識しないものであることもあり、レトリックとして用いていることもある。 こんなややこしいことにつきあっても、たいていはたいして面白いことでもない場合が多いので、頑張る必要はないと考えるが、今回は辞書を作るというのだから、どんなレベルではどんな意味になるのか、示す必要がある。辞書を作るというのは、本来はそういうことだ。 611 たとえばドイツ語の単語の意味の二面性を利用した心理分析などというものがある。これは翻訳しても一向に面白くない。→例? ライクロフトの紹介しているAngstとanxious。 critical 批判的な・厳密な positive 肯定的な・積極的な こうした意味の二面性を故意に利用している場合があり、日本語でその二面性に対応しきれない場合に無理が生じる。 たとえば、criticalという言葉はカントでおなじみである。批判的とも厳密とも訳される。危機的ななどの意味もある。限界を明確にしつつということだ。「クリティカルに読む」といえば、厳密に読む、しかもその態度は決して心酔してではなく、冷めた頭で時に批判的にもなるほどに厳密に、意味の範囲を明確にしつつ、といったところであろうか。厳密に読むといっても、ある種の宗教書を読むときのように、霊感に満たされて心酔しながら厳密・精密に読むという場合もあるであろう。クリティカルと言えばそういった態度ではない。その辺の事情が、「クリティカルに読む」と言うだけで充分に通じるのである。そのような事情を一語で伝え切る日本語があればそれでよい。ない場合には仕方がない。英語の場合にはcriticalは盲目的に肯定的ではないが少なくとも中立的であり、一方、日本語で批判的といえば、「反論」を強く含むので、訳語としてはあまり適切ではないかも知れない。 たとえば、positiveという言葉はロジャーズでおなじみである。積極的な関心と肯定的な関心と、両方の意味があるからこそ、この言葉が生きてくるのである。敢えて訳せば、積極的で肯定的な関心ということになる。 612 分裂病サブタイプ 「私がバラバラになりそうなとき、 あなたの腕が私を束ねてくれる。」 銀座のデパートで見かけた言葉。 まるで分裂病の描写である。ゲシュタルト崩壊の様子である。 自然なゲシュタルトが崩壊して、代替物が生成されていない場合、破瓜型(解体型)の分裂病となる。 自然なゲシュタルトが崩壊して、独自の、他者には了解不可能なゲシュタルトが生成された場合には妄想型となる。それは自然に形成されるのではなく、欠落に悩み抜いた末にようやくのことで生成されるものであろう。 「ばらばらになりそう」という言葉を具体化したのが、風景構成法である。山と川と田圃と家はバラバラに全体の構成を失って存在している。「山」という概念の輪郭は保たれている。しかしそれが他のものとどのように関連しているか、その「関連」つまり「関係」が失われている。失関連と名付けてもよい。それが破瓜型である。 自然な関連が失われた後に、独自な関連を当てはめたなら、妄想型である。 経過としては、どちらのタイプもいったんは破瓜型の経過をとる。「関連」は失われる。その先に了解不能で訂正不能の「関連」を作るのが妄想型である。 解釈は二つある。 @新しい関係を生成するだけのエネルギーがあった。‥‥破瓜型では新しい関係を生成する能力さえ欠如している。妄想型では、新しい関係を生成する能力は保たれており、それを訂正・棄却する能力が失われている。 A妄想的「関連」を訂正・棄却するだけの現実検討力が欠如している。破瓜型よりも機能が低下している。‥‥これは通常の観察に反すると感じられる。 一般に脳内の「試行錯誤」は次のステップで起こる。 @仮説生成能力。(多くは現実に適合しないが、それで構わない。)‥‥破瓜型で失われている。破瓜型では、支離滅裂になるばかりで、新しい体系的な意味連関は提出されない。 A現実への適合性を検証し、訂正・棄却する能力。(これがあの有名な現実検討である。)‥‥破瓜型、妄想型ともに失われている。 破瓜型    妄想型 仮説生成能力 ×  ○ 現実検討 ×  × 思考 支離滅裂  妄想 言葉のサラダ ここでは緊張型が説明されていない。緊張型は身体面に強く症状が出ている。 613 強迫と不合理な信心 11月20日は酉の市だそうだ。「とり」は「とりこむ」に通じるということで、商売人が信心するようになったという。宗教に見られる強迫症的心性の一例である。 614 自由意志 幻影である。錯覚である。ここから論が始まる。しかし、我々が自然に実感している自由意志の感覚を説明しなければならない。自由意志という錯覚が生じるメカニズムを説明。その他とで、そのメカニズムが壊れることによる症状を説明。 主観的に自由意志(能動感や自己所属感)が失われていても、外部から見れば、特に問題はなく、通常と変わらない。 615 小さな論文形式がよいのではないか。 疾病、症状などごとにフォームを決めてみる。 たとえば疾病については、 概念、頻度、症状、治療、 症状については 例示、構造、疾病との関連、治療、どんなときに正常範囲、どんなときに相談すべきなど 616 ドーパミンと薬とストレスの話。‥‥これはあくまで患者さんへの説明方法。 グラフの傾き‥‥ 適応範囲‥‥ 617 トランスパーソナル心理学 ? 618 神・超越者への言及? 自由意志が幻影ならば、我々の倫理の理由は何か? 神経機械としての脳の外側に何かを想定するのか?エックルスの二元論。 619 書き方 一般に、抽象的な言葉だけではなく、具体的な例、図、表で説得力を増す。文章だけでは不足。具体例が最も大切ではないか? 620 フロイトの決定論 意識による現在の意志決定が前提にあることはもちろんであるが、しかし部分的には、過去が現在を決定し、無意識が意識を決定する。決定論への傾きが見られる。 621 さなぎのままでいる人 人間は子供から大人への移行期に、脳の構成としては幼虫がさなぎを経て成虫になるのと同等な大きな変化を遂げる。性的成熟は身体はもちろん、精神も作り変える。子供の身体や精神を土台として、二階建て部分を付加するように、作り変えるのである。 その場合、精神的にさなぎのままでとどまる人が必ずいる。幼虫のままでとどまる人もいる。そして精神は多面的なものであるから、ある部分はさなぎ、ある部分は幼虫、ある部分は成虫とバラバラな発達を呈する場合もある。 622 確実なデータ 確実なデータをもとにして論を組み立てるべきである。しかし精神医学の場合の確実なデータとは何か、それが実は難しい。客観的な物差しは何なのか、そんなこともいまだに分かっていない。 623 風景構成法の解釈 構造(形式)と内容→ロールとの比較 集団的無意識→ 個人的無意識→ 意識→ 昔の夢分析ハンドブックのようになってはいけない→根拠は何かと問うべきだ。 624 風景構成法 風景構成法→正常児童の発達をまず精密に記録する。そのデータと成人異常所見とを比較検討する。それはやや科学的である。所見は内容ではなく形式についてである方が有望であると考えられる。ジャクソニズムの応用である。 風景構成法にも、陽性所見と陰性所見が含まれている。その点を深く考えてみること。 625 分裂病症状の二系列 ・自我障害型→自我障害型幻聴→陽性症状中心型→一部は解体型に移行する。 ・関連の解体→解体型(破瓜型)→陰性症状中心型(このタイプの幻覚妄想は自我障害型とメカニズムが異なる。失われた「世界連関」を妄想で埋める。幻聴は、それ自体妄想と区別できない、感覚要素の希薄なものである?) これらが別々の疾患系列であると考えることはできないか?(Crowの提案に関係する。) 病理は同一で、場所が異なると考えられないか?(移行型があることから。) 626 風景構成法の陽性所見と陰性所見 風景構成法にも、陽性所見と陰性所見が含まれている。 たとえば、他の構成度は高いのに、人が線画になっている。また、家だけが色を塗られず放っておかれている。この場合にはいったん高度に構成されたものが部分的に解体したものと見なすことができるだろう。 (マイナスのエネルギーが集中している。「最大の関心事であるから、描けない」としたらどうだろうか。) またたとえば、全体の構成は失われていて、個別の絵になっている場合、人がきちんと書かれていたとする。その場合には「対人的緊張」が問題ではない。「関連」が空白になっているのである。(別の見方をすれば、人に対する特別の関心が失われている異常所見であるとも言えるのではないか?) 627 ジャクソニズム 脳の解体の原則で、解体部分の上位機能が失われ、下位機能の脱抑制が観察されること。症状はこれら二者の混合物となる。概念としてはこれでよいが、実際の解釈は理屈通りにはいかない。 628 風景構成の再獲得 構成が再獲得されれば、世界連関は再獲得されるだろうか?逆の命題、世界連関の再獲得は風景構成の再獲得につながるであろうことは理解できるのだが。実験してみる価値がある。 風景構成の再獲得のトレーニングとしてはどのようなものがよいだろうか? 629 生活で観察される精神機能から推定される風景構成と、実際に描いた風景構成が著しく食い違うことがある。予想外に高く出る場合と、予想外に低く出る場合とがある。このあたりも面白い。 630 風景構成法の難点 風景構成法の難点は、絵が上手と下手では所見の意味が違ってくることである。人が線画になったとして、書き慣れていない、または下手であるということなのか、人間に対する態度の何かが反映されているのか、線画という所見だけからははっきりしたことは言えないだろう。この難点を解消する技術が求められる。 631 風景構成法における観察自我 自分で描いた絵を下手だとか、不自然だとか評価することはできる場合も多い。この場合には、描く機能としての風景構成(世界連関)は失われているが、それを観察して評価する部分の風景構成は失われてはいないことになる。 これはまた考えてみれば、体験自我と観察自我の分離を前提とした場合、観察自我は解体されずに保持されている場合も多く、従って、治療も観察自我と共同すること(治療同盟)が有効であると結論できるかも知れない。 632 風景構成法 川が最初だという見解。川を初めにかくのは構成を困難にする意味があり、テストとしての判別度を高める。敏感度が高まる。 しかし一方、再構成を促す目的で考えるならば、山から描いて、構成しやすく誘導した方が効果的ではないかと考えられる。 633 治療的退行 therapeutic regression =操作的退行 治療操作としての退行。退行を基礎として転移や抵抗が起こり、それを分析して治療は進行する。外科手術で、メスを入れて病変部を露出させる操作に対応する。退行状態を作り、治療的操作をして、通常人格レベルに戻す。 治療的退行においては観察自我は保持され、一時的で部分的であり、通常生活レベルへの復帰が可能である。 634 アレキシサイミア alexithymia a=lack,lexis=word,thymos=emotion =失感情言語症、失感情言語化症、感情言語化障害、感情表出障害、失感情症、感情表出困難症、感情失読症、自己感情認知障害 感情は起こっているのに、それを認知する作用が失われている。従って、それを表出する作用も失われている状態。これを、認知はされているが表現が妨げられていると考える人もいる。また、認知されているが抑圧されて意識化されず、結局表現できないと考える人もいる。どれがもっとも正確か決める方法はないように思われる。 訳語としても、感情表出の障害として訳すものと、自己感情認知作用の障害として訳すものとがある。前者はその理由には言及していない。後者は観察される症状としては結局、感情表出の障害となる。 感情と知性の解離が起こり、何かを述べるときにも適切な感情が乗っていない。言語表出を阻止された感情は身体化されて症状となると考えられる。これが心身症の根本と考えられた時期もあったようだが、現在ではそのようには考えられていない。 635 アレキシサイミアA 感情→認知→表出 障害は認知部分にあるか、表出部分にあるか。見解の差がある。認知はしているが表出はできないという状態ではないように思われる。 636 英語のfreedomの意味の特殊性 ジェフリー・ゴアラーの記述をライクロフトが紹介。 第二次大戦後半に言われた四つの自由freedom(言論の自由、宗教の自由、困窮からの自由、恐怖からの自由)は、英語以外の言語では事実上意味をなさない。「〜を妨げられない」「〜から守られている」という二つの意味を併せもつことができる英語のfreedomに相当する言葉は、他のいかなる言語にも見あたらないからである。 637 Angstとanxietyの差 不安のドイツ語Angst を英訳するときにはanxietyをあてる。しかし両者の意味範囲は一致しない。Angst には苦悩anguish、懸念fear、苦・病いpainの意味が内包されているが、未来期待の含意を伴うことはないようである。anxietyには期待感情の含意がある。楽しい期待を表現するときに用いられる。 primary anxiety といえば、驚愕frightや恐怖terrorを指すのにも用いられる。(ライクロフトの精神分析学辞典より) 「anxiety=Angst+未来期待」であるから、英訳したときに余計な意味が入りこむ余地があるというわけだ。 この点は日本語では混乱はない。「不安」の語には未来期待の意味はない。 638 動名詞と名詞 英語では動名詞で書くところを、ドイツ語では名詞化して扱い、ときに冠詞までついてしまう。抽象名詞を具象化して扱うことは抽象概念の実在性を信じさせる。ドイツ語の特性が、ドイツ人の思考の特性を引き出している。 639 翻訳による変質 精神分析はドイツ語から英語へ翻訳されるときに変質している。@言葉の意味の範囲が違う。A言葉が喚起するものが違う。例:cathexis,Besetzung,備給 640 フロイトはエロスと理性の信奉者。 アードラーは権力powerと自己主張の信奉者。 ユングは神秘論者。 641 自我心理学 自我の成長と自己認識の芽生えに視点をすえた。リビドー発達の段階を自己認識の発現に関係づける。 642 対象関係論 子供は常に対象を求め、対象との不断の関係の中で成長する。 643 フロイトは文章に動詞を与えた。主語と目的語を補足したのが自我心理学と対象関係論である。本能と性的快感から、自我と対象関係へ。 (ライクロフト) 644 精神分析学派はひとつではない。従って、意味の分化も生じる。 645 一次過程と二次過程 primary process and secondary process 一次過程は無意識の心的活動の特徴をなし、夢において具体的な姿をとる。二次過程は意識的な思考の特徴をなし、思考において具体的な姿をとる。 一次過程は現実への適応が低いので、抑圧される。イドは一次過程に従い、自我は二次過程に従う。 646 一次利得と二次利得 primary gain and secondary gain 症状の一次利得は疾病内利得(paranosic gain)であり、不安と葛藤からの解放を症状がもたらすことである。二次利得は疾病外利得(epinosic gain)であり、他人に優しくされたり、他人に何かさせることよる実際的利益を症状がもたらすことである。 647 アナクリティックな anaclitic =依託的な 対象選択には自己愛的対象選択と依託的対象選択の二型がある。自己愛的対象選択は人が自分自身との何らかの現実的ないし想像上の類似に基づいて対象を選択することであり、依託的対象選択とは自分とは似ていない人に対する幼児期の依存類型に基づいて対象を選択すること。 異性愛は依託的、同性愛は自己愛的である。 648 依託的抑うつ anaclitic depression 幼児が母親から引き離されたときに生じる抑うつ。幼児がまだ客観的に母親に依存している年齢に起こるとき、依託的という。 649 リビドー発達の図式 口唇期、肛門期、男根期、エディプス期 前エディプス期、    エディプス期 ナルシシズム的、    対象愛 口唇期を口唇吸愛期と口唇咬愛期に分ける場合もある。 肛門期を肛門排出期と肛門貯留期に分ける場合もある。 650 固着 リビドー発達の各段階で十分に発達しなかった場合に、その地点(固着点)にエネルギーを注ぎ続けることになることを指す。退行すると固着点にまで退行する。 651 デイケア方針 社会 ↓@ ↑ @rest 中間施設 ↑A Aact 病院 矢印が今どちらを向いているかによって異なる対応になる。 662 カウンセリング @治療構造    →社会の内在化。人格の外的成熟。社会化。 A専門知識    →悩みの解決。(薬、対処法など) B人格(自己一致)→人格の内的成熟。深化。 663 ストレス・ドーパミン・薬仮説→グラフ参照 Sの人は対応範囲が狭い。→狭いのは治らない。(根本病理?)→@狭いながらどこにセットするか。A薬でどの傾きにするか。 対人距離が柔軟でないのに似ている。(遠すぎるか、近すぎる) 664 知覚の能動性と離人症 知覚や感覚に能動性があるものなのかどうか。 たとえばコウモリが超音波を発信して、その反射を受け取り、世界を認識する。人間の知覚の中にもそのような働きがないか。 図と地を区別する働きは脳の中にある。写真にとっても、図と地は区別されるわけではない。ゲシュタルトとしての認識は脳の中にある。 フィルター仮説と同じ。どの情報を拾い上げるか。カクテルパーティ効果。 ものを見るときに、眼球は動き続けている。 眼球でなくても、脳は動き続けている。(たとえば自分の位置を計算し続けていて、ボールの動きを引き算で割り出している。) それだけではない。大切なのは世界についての図式を脳が供給していることである。目に見える像に脳はそれらを付与している。 そのようにして意味を読みとっている。 たいていは差を読みとっている。 とすれば、知覚の能動性が失われるという事態も考えられる。それを離人症と呼ぶ。 世界についての図式が失われるのが、破瓜型分裂病である。 患者:「机も封筒の同じ質感に見えるんです。」「経験があるから、机はこんな感じ、封筒の質感はこんな感じと頭で考えている。」 →このような言い方からは、共通感覚の病理という考え方も分からないではない。 →頭で考えて付与しているものがここでは意識されている。意識されればこのようになるだけで、普段は意識せずに頭で考えて付与しているのだ。 妙な話だが、「頭で考えて付与する」ところに能動性が見えている。 それにしてもなぜ、実感が生じるのか。なぜ失われるのか。それが問いかけられていない。それこそが重要である。 665 神経症の二段階説 @器質因が準備される。 A内容となる葛藤が準備される。→精神分析などで明らかになる。夢で露呈する。 Aがなければ、症状は形成されない。 容れ物と内容である。 カタルシスはAを吐き出すことだ。空になれば症状は消える。しかし本当の意味で病気であるのは@である。 @の特性の一部は性格として表現されている。 神経症を不安障害と言い換えてよいだろうか? 666 夢の意味 検閲は緩くなり、無意識と意識の双方の事情を把握しやすくなる。 ときに夢はカタルシス効果を発揮する。 667 患者に欠けているもの 「外枠」が欠けている場合がある。→治療構造を意識した治療が有効である。 668 摂食障害と口唇期 口唇期と肛門期の両方の要素が出ている。一方、男根期とエディプス期の要素には乏しい。 669 固着 心的エネルギー(リビドーのこと)があることに固着してしまい、その結果、そのエネルギーは発達に用いることができなくなる状態を指す。 670 心因性精神病 psychogenic psychosis 心因反応psychogene Reaktion、反応精神病reactive psychosisと同じ。原因は心因性、症状は精神病レベルのもの。 671 原始反応 激しい心理的ショックに遭遇して腰が抜ける(脱力)、失禁などが起こったり、全く動けなくなったりする。死んだふりに近い。 672 拘禁反応 拘禁中の受刑者に見られる精神病状態。的外れ応答や偽痴呆がみられるのはガンザー症候群(Ganser's syndrome)と呼ぶ。 673 感応精神病 =二人組精神病(folie a' deux) 二人のうち、一方が精神病で、他方は精神病ではないのに同じ妄想を持つ場合をいう。母子や姉妹の場合などで見られる。両者を引き離すと、精神病はそのままであるのに対して、影響された側は精神病状態から脱する。 暗示は現実検討能力をも麻痺させてしまう。これが人と人との間に働く不思議な力である。 674 祈祷性精神病 加持祈祷の際や宗教儀式において、憑依状態やさせられ体験が起こること。儀式が終われば時間とともに治癒する。強い暗示の場で起こる。暗示が自我機能や現実検討能力を麻痺させる。 675 難聴者の迫害妄想 現実に反しているが、状況に照らしてみれば、了解可能である例である。幻聴と強い不安を伴うことがある。中年以降に多くなる。 676 海外渡航者の急性妄想反応 現実に反しているが、状況に照らしてみれば、了解可能である例である。移民、捕虜、留学生などで生じる。環境を変えて治るのが原則である。治らない場合には、潜在していた分裂病が顕在化したと解釈する。 677 敏感関係妄想 クレッチマー(Kretschmer)の提唱したもので、心因性の妄想であるとされる。発生的に了解可能であることが意義深い。 クレッチマーの三徴候を特徴とする。@敏感性格。A逃れられない困難な状況。Bたいていは屈辱的な「鍵体験」。 敏感性格は次の二極で特徴づけられる。@弱力性(無力性)……内気、控え目、繊細、傷つきやすい。A精力性(強力性)……名誉を重んじる、負けず嫌い、疑り深い、頑張り屋。 678 反応性うつ病 心因性(環境因性。深層心理まで考えなくても、状況を時間を追って聞いていけば充分納得できる。幼児体験に原因しているなどの深層心理的な問題ではない。)の、精神病レベルのうつ状態。しかし心因性の神経症レベルのうつ状態を指すこともある。その場合には病態レベルを特に考慮せず、原因が心因性(環境因性)であることだけを強調することになる。配偶者と死別するなどの喪失体験に引き続く場合が典型的である。 679 病態水準 「現実と非現実の区別」および「自己と非自己の区別」が保たれているとき、神経症レベル。崩れているとき精神病レベル。現実検討と自我境界。(これは同一のものなのだろうか?同一でないなら、なぜ二つを並べるのだろう?) 自己は空想の領域である。非自己は現実の領域である。 自己の内部で生成する空想を現実と照合して現実に適合しない場合には棄却する。訂正は実際にはなく、別の空想を照合するだけである。 結局照合作用が失われると現実と非現実の区別ができなくなる。 自己と非自己の区別。典型的には幻聴。声が他者に属すると感じる点が病気である。これに関しては時間遅延で説明できる。本質的にはさせられ体験と同等である。自分の思考の能動性が失われ、他動的になる。そのことを他者所属と錯覚する。 自己の一部が他者に属するのは、こうしたことで説明できる。 逆に他者が自己に属するのはどのようにして説明できるか? 自我漏洩はどうか? 影響体験はさせられであるから、時間遅延でよい。 680 心身症 psychosomatic disease(PSD) 広くは原因と治療に心理的因子が重要である病気。限定すれば、心因性で自律神経支配器官に症状が現れる病気。    原因      症状             治療 狭い 心因 自律神経支配器官に器質性変化 心理的配慮が不可欠 広い 心理因子が重要 身体症状全般         心理に配慮 681 心身症の原因 @ヒステリーの転換機制は体性神経を中心とするものであるが、自律神経に転換機制が及んだ場合である。 A衝動欲求が阻止されると、持続的緊張状態となり、自律神経系の症状となる。 682 Crow1980のサブタイプ論。 @妄想型……照合棄却機能の障害。内部空想、一次過程の突出。 破瓜型……@とAの混合。 A単純型……空想産出機能の障害。一次過程の消失。 @を繰り返しているとAが混在し、最終的にAになっていくことがある。 Aから@にはならない。 しかしそれではドーパミンは何をしているのか? 683 分裂病は人格全体を侵す何かであると書かれている。このような印象を与えるものが、脳の一部の障害であるだろうか?→無論可能であろう。そのような印象を引き起こす「部分」があるのだ。 684 しつけ 力関係 超自我は「社会というピラミッド構造の内在化の一部」として考えられるかも知れない。 チンパンジーの社会性機能 自閉症児の社会性機能……ボスは誰か。状況を読む力。 なぜその人をボスだと思うのか。生物学的な刻印があるはずだ。たとえばフェロモンのような。 685 人間関係のフェロモン それを読みとることのできない人たちがいる。 それを分泌することができない人たちがいる。 人間の場合には、フェロモンという物質ではなく、表情や態度やその他、物質ではなく「情報」化されたものではないだろうか。それを読みとることができない、または発信できない、そのようなタイプの障害が考えられる。 そこをとらえて、プレコックス感と名付けているのではないか。 実体は何かと言われるとそれ以上の考えはないのだけれど。 単なる情報処理機構の全般的欠損ではなく、「人間関係フェロモンにあたる情報」の受信と発信の障害。 686 精神分裂症と精神分裂病 複数の疾患を症状の共通性でまとめて呼ぶときには精神分裂症と呼ぶ。そうではなくて、分裂病はひとつだという考えのときには精神分裂病と呼ぶ。 精神分裂病についてはその成因について種々の議論がある。病像や経過を検討してみて、一種類の病気ではなく複数の病気をまとめて分裂病と呼んでいる可能性が高いと考えられている。そもそも分裂病の呼び名を与えたブロイラーは、それまで破瓜病、妄想病、緊張病とそれぞれ呼ばれていたものを共通の病気としてまとめて分裂病と呼んだのである。現在は再び別々の疾患として考えるべきだとの考えも提出されている。 症状としては似ているが、疾患単位としては複数のものが含まれているということを明示するためには精神分裂症と呼ぶのがよい。 687 否定妄想 de'lire de negation 自分の身体(の一部)の死滅、非存在を主張する。 688 微少妄想 Kleinheitswahn 誇大妄想の逆で、うつ病で見られる。罪責妄想、貧困妄想、心気妄想の三者を指す。これらの妄想は人に迷惑をかける、金がない、病気になるといった世俗的な関心の延長にあり、うつ病者の性格特性をよく反映している。分裂病者の場合には世俗的というよりは超越的といわれる。 689 日内変動 diurnal (mood) swing 内因性うつ病の精神症状が、典型的には朝方に重く夕方から夜にかけて軽快すること。非典型例では逆のこともある。会社でのストレスが原因というような反応性うつ状態の場合には、夕方にかけて症状が悪化するパターンを示すことが多い。 日内変動の知見や、睡眠リズム障害、また日照時間短縮と関連して起こるうつ状態などから見て、生体リズムとうつ状態の関連を重視する考え方もある。 690 生体リズム    →参考文献どこかにあり biological rhythm 人間は二種の内部時計を持ち(X、Y)、自然環境リズムと社会環境リズムとで調整しながら生きている。Xは深部体温周期などを支配する強振動体、Yは視交叉上核にありセロトニンなどのリズムを支配する弱振動体である。自然環境リズムは、一年の季節の周期、月の周期、一日の夜昼の周期などがある。社会環境リズムとしては、夜勤、交代制勤務、時差ボケなどがある。これらの関わり合いから人間のさまざまなリズムが決定されている。うつ病で生体リズムの障害が研究されている。抗うつ剤はサーカディアンリズム(概日周期)を延長させるのに役立つ。 なかでも睡眠リズムはもっとも大切な生体リズムである。快適な睡眠はさまざまな要素が総合されてはじめて実現するものであり、睡眠障害は脳内のリズムの障害を敏感に反映する指標である。日常臨床ではこのような意味でも睡眠状態の把握が大切になる。 時間薬物療法は血圧変動やホルモン変動のパターンをつかみ、その上で合理的な薬物投与のタイミングを考えるものであり有用である。 691 仮面うつ病 masked depression 内科などに受診して、身体症状だけが前面に見えて、精神症状は目立たないタイプのうつ病。身体症状が精神症状をマスクしているという意味である。抑うつなきうつ病ともいう。病前性格、経過の特徴(相性出現)、日内変動、抗うつ剤への反応などを総合して診断される。身体症状を訴えるものでも、心身症はストレス性障害であり、仮面うつ病は内因性うつ病のひとつのタイプと考えられる。 692 概して、 循環気質……若年両極性うつ病 執着性格……中年単極性うつ病 693 状況因 Situagenie 厳密には心因とは言えないが、うつ病の発病に先立ち特徴的な心理的出来事・配置が見られるとき、状況因として記述する。 たとえば笠原によれば、 1転勤(昇進もふくむ) 2子女の結婚、婚約、遊学 3家族成員の移動(死亡、別居、誕生など) 4生命にかかわらない程度の身体疾患 5負担の急増、急減 6出産 7転居、改築、留学、帰朝など居住地の移動や改変 8愛着する物事や地位、財産の喪失 悲しいことで心理的に了解可能であれば心因の可能性があるが、昇進や転居は希望がかなって喜ばしいこともあるので、通常の意味での心因性とは言えない。しかし昇進や転居に際して新しい「秩序」の確立が求められ、そのことが大きな負担となる場合があると考えられる。執着気質の場合には古い秩序を捨て、新しい秩序を確立することは一大事業である。 694 うつ病の原因となる可能性のある身体病 診察に際しては以下の身体疾病の可能性を除外して後に、内因性または心因性のうつ病の可能性を考える。 全身感染症(感冒から脳炎まで) 甲状腺機能亢進症・低下症 副腎皮質機能亢進症・低下症 膵臓機能障害 代謝性疾患(ペラグラなど) 中脳・間脳の異常 脳腫瘍・脳血管障害・脳変性疾患 産褥精神病 術後精神病(外科手術のあと) 薬剤性(ステロイドなど) 695 うつ病等価体 depressive equivalents うつ病者の既往症の中で、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、不眠、易疲労感などが見られたとき、それらをうつ病の症状と推定してよい場合があり、うつ病等価症状という。詳細な聞き取りが必要であるし、それでも病院で検査でもしていなければ確実なことは言えないのはもちろんであり、過去のことであるから不確実な推定にとどまる。しかし病相を繰り返すうつ病の診断に役立つことがある。 696 慢性疲労症候群 全身のだるさが六ヶ月以上も続く原因不明の病気。アメリカでは五百万人以上との数字もある。診断された約七、八割は女性である。仕事などに頑張るタイプに多いとされる。 @安静にしているだけでは良くならない疲労が六ヶ月以上続いている。 A糖尿病、腎臓病、肝臓病、貧血、低血圧、甲状腺機能低下症、更年期障害、自律神経失調症、うつ病、癌、膠原病などの病気によるものではない。 この二点を確認したうえで、次のチェックをする。 @37.5〜38.6度の発熱 Aノドの痛み Bリンパ節の腫れと痛み C全身の筋力低下 D筋肉痛ないし不快感 E運動後の疲労感がいつまでも残る F慢性の頭痛 G腫れや発赤のない関節痛 H健忘、興奮、思考力低下、集中力低下などの精神症状 I不眠もしくは過眠などの睡眠障害 このなかで八つ以上に該当していたら、可能性が高い。 治療は消炎鎮痛剤と心理療法。怠け病と見なされて社会的信用を失うことがないよう配慮する。 697 遷延性うつ病 prolonged depression 内因性うつ病が遷延した経過を辿るもので、原因として性格障害、家族の配置(たとえば優しすぎる配偶者)、薬物などもあげられるが、主として内因性うつ病から心因性うつ状態への交替が考えられている。 内因性うつ状態から治癒に向かうに際して、元来の執着気質または循環気質が失われている場合があり、神経症状態になる。治療は性格を執着気質または循環気質へ再建することが大切である。 698 うつ病の小精神療法 笠原のすすめるもので、以下の内容である。 @うつ病という「病気」であることを本人・家族と確認しあう。気持ちがたるんでいるせいではない。 A休息をとらせること。一、二ヶ月の間仕事を休むのが望ましい。病初期に頑張らせてはいけない。 B薬を必ず飲んでいただく。そのために薬がよく効くこと、作用・副作用について十分説明する。薬を早くやめる人がしばしばいるので注意する。 C完治には3〜6ヶ月程度かかることを告げる。 D治療中の一進一退はほとんどの人にある。途中で逆戻りしても悲観しないように伝える。三寒四温である。 E自殺しないことを約束していただく。 F治療が終わるまでは人生の大決断はしないでいただく。たとえば退職・退学や離婚。 699 うつ状態の患者さんへ @うつ状態は、がんばりすぎた後に、「ちょっと休息をください」と心と体が要求している状態です。専門的には、脳の神経伝達物質に軽度の異常が起こるのだろうと推定されています。 寒いところにいれば風邪をひくように、ストレスを受けながらがんばりすぎた後に、うつ状態になります。風邪もうつ状態もどちらも病気で、休息が必要です。 A病気ですから、気合いを入れても良くなるものではなりません。逆にがんばればそれだけ心のエネルギーを使い果たすことになります。気持ちがたるんでいるからうつ状態になったのではなく、うつ状態になったから元気が出ないのです。必要なのは休息です。 B休息をとっていてもうつ状態はつらいものです。薬でそのつらさをやわらげましょう。薬が本格的に効き始めるまで、約二週間待って下さい。その後はとても楽になります。いろいろな薬があり、作用も副作用も違いますから、そのつど説明します。のみ合わせの心配などにもお答えします。疑問点は遠慮なくおたずね下さい。約六ヶ月のあいだ薬を使います。その後は薬は使いません。 C完全に治り、もとの生活に戻るまでには三ヶ月から六ヶ月と考えて下さい。仕事はできれば一、二ヶ月程度は休むのがよいようです。診断書を提出して休みましょう。職場復帰にあたっては、仕事内容、職場、時間などの調整をします。たとえば半日勤務で開始することなどを会社に要請することもあります。 D数カ月の間には軽い波があるのが普通です。途中で少し悪くなっても悲観しないことです。全体としてよい方向に向かっているのだから大丈夫だと考えましょう。 E命には別状はありません。後遺症もありません。遺伝もしません。ただ、自殺が心配です。自殺しないと約束しましょう。 F治療が終わるまで、仕事、学校、家庭での大きな決断はしないようにしましょう。退職、退学、離婚などの必要はありません。休職や休学でよいのです。体調が万全になってから、その先のことを考えましょう。いまは悲観的な考えしかわいてきません。 Gご家族の方にも病気の説明をします。休養中に気分よく過ごせるように、ご家族に協力していただきましょう。 H治療が終わるまで、アルコールはがまんしましょう。 I休養中に居場所がないのが悩みとなります。自宅、図書館、喫茶店、公園などで時間を過ごすことになりますが、デイケアの利用が有効です。病気について理解を深めながら、この機会に人生を深めましょう。 700 うつ状態の患者さんのご家族の方へ @対応の仕方 脳の中で何かが起こっている病気です。「怠け病」や「気持ちの持ちよう」ではないので、ご本人を責めないで下さい。また、励ましの言葉や外に連れ出すことに対しても、患者さんは期待にこたえようと気をつかい、体力も消耗します。とにかくゆっくり休ませて下さい。飲みに連れていったりする人もいますが、今の時期にはお勧めできません。 心が風邪をひいたと考えてください。充分な休養が一番の治療です。風邪をひいた人は無理をしないで寝ているのが一番です。それが本人の自己治癒力をひきだすのです。うつ状態も同じです。 A自殺 命に別状はありませんし、後遺症もありません。ただ、自殺は心配です。ご家族の方は充分に気を配ってあげてください。できれば一人にしないことです。 B職場や学校 三ヶ月から六ヶ月ですっかり元にもどります。必要に応じて診断書を提出して休職や休学もできます。しかしときに患者さんは退職、退学、離婚、財産処分などを急ぐことがあります。大きな決断をしようとしていたら、「まず元気になって、それからよく相談しても遅くない」と説得しましょう。 事情を知らない人が、上のような決断について文面通りに受け取ってしまうことがあるかも知れませんので、ご家族の方が支援してあげてください。 701 ストレス脆弱性モデル ストレスに対する反応が幻覚妄想状態である場合。これがヒステリーである場合もある。うつ状態である場合もある。 ストレスに対する反応がドーパミン過剰であり、それが幻覚妄想状態になる。→傾きの理論でよい。 傾きの理論……処理しきれない部分が幻覚妄想になる 空想産生機能障害(単純型)と照合・棄却機能障害(妄想型) 時間遅延理論……自我障害 これらの関連。整合性。 さらに集団機能。プレコックス感。 702 うつ状態を精神病型と神経症型に(つまり病態レベルで)分類すべきだろうか?意味があるか? 微少妄想は意味があるか? このあたりすっきり整理できないか? 703 てんかん性格。 棟方志功の爆発性。躁状態とてんかんの爆発性・陽気さとの違い。棟方がねぶたで踊っている様子。祭りのさなかの爆発性と躁状態の違い。イントラ・フェストゥム。 704 十一月になって患者さんたちが調子が上がってきた。なぜか?夏が終わり、秋も深まった頃。収穫、冬眠など関係があるか? 705 ラピッドサイクラー rapid cycler 両極性うつ病または単極性うつ病で、躁病相またはうつ病相を年に四回以上繰り返すものをいう。病相が頻発する理由は不明である。臨床的観察としては、女性に多い、甲状腺機能低下症が関連している場合がある、リチウムに反応しにくいなどがあげられる。経過が長期になるほど再発頻度は高くなる印象がある。甲状腺障害があればリチウムは使いにくいなど、薬剤調整は難しい。甲状腺ホルモンを調整するに際しては、内科的な調整レベルである80〜100%ではなくて、100〜140%のレベルをすすめている論文もあるが、循環器などの状態も勘案する必要がある。 706 アイデンティティ identity,self identity =同一性、自己同一性 心理的・社会的自己定義。自分が何者であるか、何に属し、社会の中でどんな役割を担っているか、などについての自覚。家族アイデンティティといえば、自分はどんな家族の一員であるかということについての意識と、そのような者として他人や社会にどのようにかかわるかについての意識。職業アイデンティティといえば、自分はどんな職業の人間であるかを意識し、さらにそのような役割の者として社会にかかわろうとする意識。性アイデンティティといえば、自分がどの性に属する人間であると考えているか、それによってどのように振る舞うのが適切かということ。 こうした個々のアイデンティティを自己(self)として統合して考えるのが自己同一性である。たとえば、自己同一性=鈴木一郎の子供+鈴木和子の夫+バッハが好き+一級建築家+ボランティア団体副代表+元ボート部+……。 亡命や国際結婚でこれまで抱いていた自己同一性を捨て、新しい自己同一性を獲得する必要に迫られることがある。これを同一性危機(identity crisis)という。子供から大人になるとき、実家から婚家に嫁ぐとき、退職して別の身分になるときなどにはややマイルドな形で起こっている。 昭和20年を境とした社会の変化は多くの人に同一性危機を強いたようである。昭和一桁後半から十年代生まれの人々が中年になってから自殺する例が数多いと報告された。敗戦に伴い価値観の大きな変化にさらされ、自己同一性危機を経験し、それに対して執着性格形成によって適応しようとし、中年に至ってうつ病を発症、その一部が自殺したとの解釈が提出されている。 自己同一性を明確に自己決定できないために社会参加が滞る場合には同一性拡散(identity diffusion)と呼ぶ。この心理的・社会的自己定義の不能は現代青年を理解する鍵であるとエリクソンが提案した。自己同一性の自己決定を延期している期間をモラトリアム(猶予期間)という。 707 自殺 警視庁によれば1995年の自殺者総数は2万2445人である。ここ数年2万2000人台である。年齢別では65歳以上の老年者の割合が多く、全体の25.4%を占めている。老年者の自殺率の高いことは先進諸国に共通している。従来日本の特徴とされてきた青年期の自殺の多発は最近はそれほどでもなく、他の年代との差は出ていない。自殺統計の数字はいろいろな都合で実数が反映されていないことがあると考えられる。 708 二重見当識 double orientation 妄想と客観的現実が矛盾しているにもかかわらず、分裂病者の内部で両立している事態を指す。たとえば、「自分は国連事務総長でとても忙しい」という妄想と、「自分は病棟で火曜日の××当番だ」という客観的現実が両立している。二重記帳(double booking)ともいう。 709 ダブルデプレッション double depression DSM分類で大うつ病エピソードと気分変調性障害と両方に該当するものを指す。ただし、DSM分類では「両方の診断が与えられる」と注にあり、ダブルデプレッションの言葉は使わない。二年以上続く慢性の抑うつ状態の上に、うつ病相が出現した場合である。気分変調性障害とうつ病は疾患としては別のものと考えられるが、ダブルデプレッションではそれらが同時に現れることで興味が持たれている。 710 自閉 autism 現実との生き生きとした接触を失った状態。自分の内面的主観的世界が外的客観的現実に優先している状態。現実への関心が失われた状態。現実からの遊離。精神分裂病の客観症状のひとつ。 711 無為 abulia 分裂病で現れる自発性の減退。 712 分裂病者の思考 ユングは「精神分裂病者は目覚めながら夢を見る人だ」といった。正常人も夢の中で分裂病の思考様式をもつことがある。前論理的思考、音韻連合。連想弛緩、支離滅裂。 713 ブロイラーの4A ブロイラーは分裂病の基本症状として以下の4Aを重視した。陰性症状が分裂病の根本的な障害であるとする見解である。 Autism:自閉 Ambivalence:両価性 disturbance of Affect:感情の障害(平板化、無関心、不安定など) loosening of Association:連想弛緩 714 強迫 ・本当はやりたくないという意識はある。しかし何かに強制されてやらざるを得ない。→意志のレベルで、「誰の意志」なのか。他人がそう「強制」する。それを「自分の意志でやらざるを得ない」。 ・自分にそう強いるものは何なのか?→他者の意志であろう。他者が現れていなくても、「自分の意志ではない」、それははっきりしている。 ・決意については自分の意志ではない。むしろ自分はそれをやめたい。しかしやめられない。 ・「しかしやめられない」というとき、レトリックではないかどうか、吟味する。 ・「やってしまうのも自分」かつ「やめたいと思うのも自分」。 ・実行者は自分である。いやいやではあるが自分がやっている。行為の所属は自分。 ・意志決定者は自分ではないような、少なくとも薄まっている。自我異質的な部分で決定され、その決定が押しつけられているような。考えが浮かぶ、イメージが浮かぶ点では自生的である。 ・自生体験は自生的であるが自我異質性がない。自動性である。能動性だけ自動性に傾いている。 ・能動・自動・被動・他動の系列と、自我親和・自我異和の系列で考えればよい。 自分がしている。 勝手に……している。 ……される。(他者の存在は前提されていない。) ……に……される。(他者の存在が前提されている。) 自我親和的思考・行動・感情→自我親和的motor 離人は? 能動性を失った感覚体験 sense    自我親和   自我異和 能動 1通常行動 自動 2自生体験  3強迫体験 被動 4強迫体験 他動 5させられ体験 1→5に向かう。自動の部分だけは境界領域である。 自我障害なかでも能動性障害の分類。→時間遅延理論で説明できる範囲。感覚の能動性は離人症になる。 715 破瓜型 hebephrenic type 分裂病のひとつの型。思考障害と感情の平板化が特徴である。妄想型ほど妄想の体系化は見られず、むしろ断片化が特徴である。ゆっくりと始まり慢性に進行する場合が多いといわれる。解体型(disorganized type)ともいう。 716 緊張型 catatonic type 緊張病性興奮や緊張病性昏迷が特徴である。運動面での症状が特徴で、理由もなく無目的に衝動的な動作が生じたり、逆に動きが極端に少なくなったりする。混迷状態のときにも、周囲の状況についてはよく把握していることが多い。最近はあまり見られない。なぜ少なくなったかは不明である。 717 妄想型 paranoid type 幻覚妄想状態が主体である。感情障害や自閉性は目立たないことも多く、社会生活はそれなりに保たれていることが多い。破瓜型よりは発病は遅く、人格は保持されることも多い。 718 単純型 simple type 目立った症状が少なく、極めてゆっくりと現実から遊離し、他者との交わりがなくなる。性格障害と区別しにくい。陰性症状純粋型である。 719 残遺型 residual type =欠陥治癒型、分裂病性欠陥状態 分裂病はシュープを繰り返すごとに感情平板化、連想弛緩、自閉などが進行し固定化する。シュープ状態ではないが、元の水準での精神活動は失われている状態である。人格水準低下状態ともいう。 720 分裂病の晩年寛解 remission 分裂病の一部は人生の晩年に至れば病勢も衰えて、寛解状態となることを指す。 721 パラノイア paranoia =妄想症 人格は保持され、連想弛緩も感情平板化もなく、妄想だけが問題となる病的状態である。妄想は体系的で持続的、治療に抵抗する。意味の変遷としても複雑な歴史をもった語であるが、現在はこのような限定した意味に用いている。妄想という不思議な現象が純粋な形で結晶している点で興味深い。内沼にパラノイア中核論がある。 722 境界型精神分裂病 borderline schizophrenia =偽神経症性精神分裂病 pseudoneurotic schizophrenia 神経症症状で来院し、精神分析療法を施すと精神病症状を呈するに至るもの。一部分は潜在的精神分裂病であると解釈すべき例であり、前景には神経症症状があり、背景には分裂病がある。分析療法などで一次過程(無意識過程)を賦活すると、本来の分裂病症状が出現する。 また一部分は境界型性格障害と解釈すべき例である。 723 接枝分裂病 graft schizophrenia 精神発達遅滞を基盤として精神分裂病状態となった場合をいう。 724 パラノイア (純粋妄想症状) 妄想型分裂病 破瓜型分裂病 単純型分裂病(純粋陰性症状) 725 顕微鏡で組織標本をのぞいたとき、はじめは分からない。形がくっきり見えない。勉強すると頭の中に図式ができて、突然くっきり見えるようになる。これがゲシュタルト。 視覚以外でも言える。パターン認識。 精神症状も勉強するとある時くっきりと見えてくる。症例報告を読んで、頭の中でくっきりピントが合う。 726 なぜ妄想型が中年になってから多くなるのか? 説明? 妄想産出力は弱まるだろう。照合・棄却のチェック能力は強くなるだろう。両者の兼ね合いの問題であるが? 727 時間遅延理論で、内部情報が外部情報よりも早いから、情報の照合と棄却が起こる。 遅れると一次過程は訂正されずそのまま出てゆく。そこで幻覚妄想が成立する。 728 時間遅延→自己モニタリング・照合・棄却ができない→他者推定ができない→集団機能の異常 729 モニタリングについて @行動はずれていない。モニタリングができない。→外面的な行動は崩れていない。自己モニタリングができないので、他者について推定ができない。集団機能が失われる。→分裂病型 A行動そのものがずれている。自己モニタリングもできないので、行動訂正ができない。→性格障害型・分裂病型・境界型人格障害 B行動がずれている。自己モニタリングもできる。しかし内部情報がずれていて、訂正の必要を感じていない。(利益の階層がずれている。利益の天秤がずれている。)→典型的な性格障害。あるいは偏った性格。 730 若年者=妄想産生力(大)+チェック能力(小)→恋愛、青春の冒険 731 病理が表現されるとき、行動化する場合と、内面化される場合と。分けているのは何か? 732 若年の場合→産生力低下したら→破瓜型(単純型)・純粋陰性症状 中年の場合→チェック能力低下したら→妄想型(パラノイア)・純粋陽性(妄想)症状 晩年寛解とは何か?生産力低下と関係するか? 733 シュープ 病勢増悪 734 絵画において、 描くときのゲシュタルト喪失と 見るときのゲシュタルト喪失が 別々ではないかとの疑い。 このことを掘り下げられないか? 735 年をとるごとにREM期がだんだん減る。→妄想産生力と比例する。 736 妄想産生力=空想力、想像力、創造力、夢見る力 チェック力=照合・棄却能力 妄想産生力  チェック力   状態 大      大     A多産的だが現実的・創造的・夢を見ながら現実的 小      大 抑圧強い・単純型分裂病 大      小 @一次過程の突出・妄想型・子供時代 小      小 破瓜型 年をとるにつれて、妄想産生力は減少、チェック力は増大 総合すると、年をとるにつれて、@からAに向かう。 薬は妄想産生力を減少させる。 737 736の図 738 絵画のH型とP型の対比。 739 プレコックス感 臭さは日本語で、オランダ語は色彩と言う。これは日本人の特性ではないかと言っているが、むしろ日本語の特性である。心が先で言葉が後というだけではない。言葉が偶然選ばれて、それを習慣として受け入れていることが多いのではないか。 740 離人感は動いているはずである。感覚は「差異」をとらえるのである。離人も長く続いて固定していれば、違和感もなくなるはずである。従って、苦しいからには揺れ動いているはずである。離人症の場合に「物体が目に飛び込んでくる」「ものが急に大きく見える」などと訴えることがある。このように揺れ動いているはずではないか? 揺れていることが分からないのは何か理由があるのではないか? 741 医者だけが分かるサインが大切。 内科医でも外科医でも、医者だけが分かる専門知識がある。レントゲン、特殊検査。また聴診でも打診でもそうだ。患者にも分かるというものではない。 ところが精神科の場合にはそういったもの(患者を有無を言わさずに納得させるもの)が欠けている。問診は患者の言葉に頼る。眠れない、落ち着かない、‥‥患者の言葉に頼る限り、全部患者が情報をコントロールできる。医者にだけ分かる秘密がない。 その場合、たとえば絵画などが利用できそうである。しかし患者が「それで何が分かるんですか、どんな風に判定するんですか?」などと尋ねる。レントゲンのような分かりにくさがない。医者にだけ分かるサインが内科には沢山あるのに、精神科には少ないように思う。そして精神科にも医者にだけ分かるもの、それは医者にだけ分かるものだと患者にも納得できるものが必要だと思う。 742 Mセルと免疫、適応状態、 Aセルは固い殻を作る蟹のようなもの。現状を維持しようとする→現在の適応はよい。変化の必要を認めない。 執着器質は固い殻をかぶっているようなもの→しかしだからこそ機敏な変化はできない 適応良好→変化の必要なし→免疫良好→変化なし 不適応 →変化の必要あり→免疫不全→変化 743 能動性が失われ、被動〜他動になれば、自我異質的になるのは当然とも思われる。いや当然ではない。内容は関係ないはずである。→自我親和的な内容であれば、能動性の喪失を特に悩まないかも知れない。ある程度自我異質的であるからこそ、悩みも生まれるのではないか? つまり、自我親和的かつ能動性喪失状態は存在するが、結局問題にならない。能動感喪失は意識されないで終わる可能性もある。 自我異質的な内容が能動性を保つことはあるか?→その場合には自我検閲機能が働いて、棄却するので、意識にのぼらない。 自我異質的な内容が被動的・他動的に出現する→自我検閲機能が働いていない。それは時間が早いので、すり抜けて、一次機能が突出する。夢、妄想が突出する。 自我異質的とは 内容に関すること・一次過程の突出→意識は検閲する。 時間遅延→検閲できない→一次過程の突出 非・自意識=他意識は一次過程(夢の原理・空想の原理)に従う このようにして、意識・無意識・検閲機能と時間遅延を組み合わせることができる。 745 分裂病に関する三理論を組み合わせる。 746 分裂病質人格障害 schizoid personality disorder 内気、社会生活から身を引く。 747 分裂病型人格障害 schizotypal personality disorder 分裂病質人格障害の上に、数時間から数日に及ぶ一過性の精神分裂病的な思考障害や感情平板化が加わったもの。 748 妄想性人格障害 paranoid personality disorder 社会生活で非常に傷つけられやすい。猜疑的、防御的な性格。 749 境界性人格障害 衝動性のコントロールが不十分で自殺企図、性行動、ギャンブルなどの衝動行為に走りやすく、感情が不安定である。部分的に精神病レベルの病態水準を呈する。 750 社会復帰療法 急性期が終わった後で、自閉性を打破し、社会との接触を回復するために社会復帰療法を行う。院内作業、レクリエーション療法、生活療法、デイケア、ナイトケア、コミュニティケアなど。 751 分裂病の予後に影響を与える因子 いつとはなしに発病して陰性症状なかでも思考障害が中心、分裂気質でシュープを繰り返すものは予後不良である。急性発病で幻覚妄想状態が中心、非分裂気質のものは予後良好である。→表(笠原、116) 752 寛解 remission 分裂病の場合には治癒とは言っても再発の可能性を含んでいる。従って、治癒と言わず寛解と呼ぶことがある。 753 社会寛解 social remission 少々の症状が残遺していても、社会生活が可能なときをいう。社会生活を継続することは何よりの治療である。 754 思春期と妄想 人間はいつでも発情期=いつでも創造的=空想産出的 動物は脳内で試行錯誤しないから、空想産生的でなくてよい。 妄想的になるから恋愛もできるし、新しいことも考えつく。 発情状態を持続することは空想産出状態に固定することであり、利益がある。 755 @まず、S→脳→R A次に、それをモニターする部分。ここで時間先取り・遅延が生じ、自由意志の錯覚が生じる。 B自己状態のモニターが社会性機能の発生につながる 内的感情体験のモニター 756 @仮説生成 ↓ A照合・棄却 ←B現実世界の像(reference data) @の障害=単純型(陰性症状・精神運動貧困) Aの障害=破瓜型(時間遅延型・自我障害型・一次過程の突出・まとまりがない) Bの障害=妄想型(体系的・まちがった参照世界像をもっている) 757 執着の意味 横着、愛着、などと同じで、着は著の意味で様子、さま。 (自由国民社p.573) 758 几帳面 平安時代の几帳の両側の柱をきれいに仕上げていたことから。 (自由国民社p.579) 759 バリント……基底欠損 フーバー……純粋欠陥 760 甘いレモン 本当は価値を否定したい・不本意な状況について、自分に納得させるために、この状況も思ったほどは悪くないと考えるメカニズム。レモンは酸っぱいと思ったが、思ったよりも甘かったと自分を納得させる。 761 恐怖症と妄想 外部現実についての訂正不可能な誤った確信は妄想であるが、「内部現実」に関しての訂正不可能な誤った確信については何と呼んでいるだろうか。たとえば「私は胃ガンだ」と言うのなら、調査の結果「心気妄想または疾病妄想」などと言える。しかしたとえば「私は電車が恐い」と言う場合にはどうなるだろうか。 電車の性質について何か言うのならば、真偽を判定することもできる。しかし、電車が自分の内に呼び起こす反応について語っている。 本当に不安反応が起きているかどうか、循環器系統をはじめとする身体の検査によって確認することはできる。 「不安・恐怖」ならば検査の方法も少しはあるが、「苦手」程度のレベルでは何ができるだろうか? 自分の心の中について何かを主張する場合には客観的な検証は拒否されるのではないか? 自分の心の状態について妄想を抱いているときには、他人はそれを妄想と言うことはできない。「頭を冷やせ」と言えるだけである。たとえば、恋愛の場合、また、宗教的確信の場合がそうである。 「自分は愛している」「自分は信じている」と言うことにたいして、他人は「妄想」と判定することはできない。 内部状態についての言明で、「私は‥‥が恐い」と言う場合、これも検証ではない性質のものである。本当に恐いかも知れない。しかしそれは妄想かも知れない。恐いと決めつけている妄想があるから、予期不安が起きて、回避行動に至るかも知れない。 恐怖症とパニック障害の類似点がある。 恐怖症と妄想の類似点がある。 恐怖症と強迫症の類似点がある。 762-1 現実と照合すると言うけれど、それは結局「集団で共有しているもの」に統一するということでしかないように思われる。 現実という場合に意味の多重性があり、@科学的真実、A集団的合意事項の二種がある。 未開人が考えていること。子供が考えていること。大人が考えていること。このように並べてくると、結局、大きな集団の一員として生活するために、個人的な特殊な考えは一応伏せておいて、集団の大多数の合意に同調することが必要となるのではないか。 集団の合意事項に自分を合わせることは「照合・棄却機能」である。ここのところの障害が集団機能の障害となる。自分の中からでてくる個人的な体系を捨てることができない場合である。 集団がある程度大きくなり、教育が普及し、人間は共通に分かり合えるものであるという前提があってはじめて、分裂病も成立する。共通規範が成立するから、同時にその規範を内在化する機能の障害が成立する。 近代社会と分裂病の同時成立である。 照合・棄却機能の純粋障害は「さまざまな妄想が体系化されずに出現する」ものである。破瓜型はこれに近い。一次過程・無意識の突出である。 ?妄想型で「単一の妄想が体系化される」事態は?うまく説明できない。照合・棄却機能に一部分穴があく印象である。 空想産出機能の純粋障害は単純型分裂病である。破瓜型はこれにも近いが純粋型ではない。 連合弛緩・支離滅裂型の思考障害と自閉と両価感情は照合・棄却機能の障害である。 感情鈍磨、無為(意欲低下)は空想産出機能の障害である。 空想産出機能の障害と照合・棄却機能の障害は結局は相伴うことが多い。なぜか? 762-2 照合・棄却ができないで苦しんでいる間に、空想産出を制限するようになると、目的論的に考えるか? しかしこのようなことが起こる脳のメカニズムはどう考えるか。 照合・棄却機能が壊れていると空想産出能力に障害が及ぶ。ここのメカニズムをどう考えるか。ドーパミン系など。→シュープを繰り返すと人格水準低下する。 シュープは照合・棄却機能のブレイクダウンである。 人格水準低下は空想産出機能の低下である。 強迫的行為は創造性を必要としない。空想産出機能低下に対する適応行動である。防衛である。 分裂病で強迫症が防衛になると解釈される理由。 ドーパミンは空想産出機能に関係している。ドーパミン遮断薬は空想産出を抑制する。逆にドーパミン過剰は空想過剰であるが、照合・棄却機能がしっかりしていれば、問題はないだろう。潜在的な分裂病が、ドーパミン増加刺激(薬剤など)によって顕在性の幻覚妄想状態になるのは、もともと「照合・棄却機能が脆弱」なところに、許容範囲を超えた「ドーパミン増大・空想過剰」が与えられるからだろう。 ストレス脆弱性モデルに接続できる。 しかし本質的には照合・棄却機能を再建することが治療である。 ブレーキが壊れたからエンジンを止める、それでは走らなくなる。 763 妄想型は中年に起こる。 空想産出力はやや低下している。その状態で、照合・棄却機能に障害が発生すれば、「さまざまな空想」ではなく、「単一の空想」が発生する。 若年でも、もともと空想産出力の弱い場合には妄想型になる。 しかしこれでは照合・棄却機能の障害がシュープとして発現し、次第に空想産出力を低下させていった場合に、どの時点かで妄想型の形をとることになるのではないか?そこが説明できない。 「空想産出力低下+照合・棄却能力の部分的(穴)低下=妄想型」という印象。しかし? 764 ストレス・ドーパミン直線で、傾きに相当するのが、空想産出力である。 わずかなストレスでもたくさんのドーパミンを出力するのが空想産出力大の場合である。 この線で、ストレス・ドーパミン直線と接続できる。 765 照合・棄却機能の実体は時間先取り機構である。 766 清く正しく生きて田園調布に家を建てられるだろうか? 767 空想産生機能→照合・棄却機能→内省化  =体験化 通常の行動=行動化 棄却→抑圧 神経症化 =神経症                自律神経化=心身症 体性神経化=転換ヒステリー 「感覚の能動性の消失」→詳しく言うと、「感覚体験の内省化の段階で照合・棄却の障害がある。」 感覚は体験となるときに内省化する。そのときに照合・棄却が働く。フィルターはここにある。 768 脆弱性→照合・棄却機能の弱さ しかし空想産生機能が低下すれば妄想も起こらない→年をとると落ち着く 空想産生機能→ストレスに反応してドーパミンが増加することに関係。 769 右脳と左脳は似たものが二つあって、私の仮説にはちょうどよい舞台である。しかし‥‥?まともにそう考えてよいものかどうか? 770 仮説産生機能障害 照合機能障害 棄却機能障害 照合と棄却は分離して考えられるのだろうか? 771 比較言語学 ・「気まぐれ」→意味の分化を探る。ドイツ語と日本語とラテン語。また、日本語の変遷。 ・たとえば椅子の意味の分化‥‥chair,stool 772 履歴現象について‥‥どう解釈できるか? 773 不安障害 ・不安発作(panic)とは。‥‥たとえばあなたが道を歩いていたら、大きな犬が向こうから歩いてきたとする。近づくにつれて心臓はどきどきする、息は詰まりそうになる、冷や汗がでる、口は乾く、だんだん血圧が上がるといった変化が起こる。飼い主もいるし、鎖もついているから噛みつかれることはないと思うが恐くてたまらない。一番近づいたときに犬は大きな声で「ワン!」と吠えた。何かにガツン!と殴られたような衝撃で、息が止まるかと思った。鳥肌が立った。脈拍は頂点に達し、失禁しそうになる。足がすくんで動かない。犬が通り過ぎてからも体ががたがた震えている。本当に死ぬかと思った。しばらくたってようやく歩けるようになって家に帰った。歩いているあいだめまいがした。「ただいま」も言えなかった。声がでなかった。鏡を見ると顔面蒼白だった。エビアンを一杯飲んでやや落ち着いた。強く握った手のひらは冷たくなって汗がへばりついていた。 このような事件が不安発作である。二度と経験したくないものだ。犬に吠えられるのも嫌だが、不安発作はもっと嫌なものだ。原因が分からないし、強度も強く質的にやや深い。 ・このような激烈な体験であるから、また起こったらどうしようかと持続的な不安(anxiety)に支配されるようになる。panicよりは弱い。予期不安という。二度と同じ目にあいたくないと考えて危険を回避するために回避行動をとるようになる。 ・パニック障害はこのような強烈なパニック発作があるもの。全般性不安障害は、予期不安が延長したような状態で、持続的な不安が特徴である。 774 解剖学の原理を考える人と実際の数字やメカニズムを検証しようとする人がいる。 科学の探究は具体的な事実とそれらを説明する概念とが両輪となっている。たとえば遺伝子科学でいえば、DNA分子が発見されて、それが遺伝情報の実体であるということになれば、あとの具体的な遺伝子配列に関しては力仕事で退屈な仕事である。退屈というのは、実際にはスマートな技術の開発や頭のいい推論がいくつもあり、探求はエキサイティングであるが、問題自体は局所的なものであるということだ。こうした基礎的な部分での確実な事実の集積が世界観の変革を生むのであるから、大切である。そのことは百も承知で認めつつ、なおくだらないという気持ちを捨てられない。はやいか遅いかの違いで、どうせ誰かが到達するのだ。どうせ誰かができることを自分もやるのは退屈である。 そのようなことに人生の時間を費やすことの愚かしさを忘れられないのである。どうせうまい仕組みがあってちょうど良くことは進んでいるのだろう。進化論のいろいろな疑問も、遺伝子の特性から発していることが多くあるだろう。そのあたりも自動的に副産物として明らかになってくるだろう。期待してはいる。 結局感覚を喜ばせることができるかどうかなのだろう。 「生きることなんか召使いに任せておけ」とまでは言わないが、私としては結果待ちである。酸っぱいブドウの論理と言われるかも知れない。そうかも知れない。 たとえば円周率の計算のようなものだ。どうせ何かの数字が並んでいることは確実で、それが何であっても大差はない。しかしそれを具体的に明らかにすることは意味がある。意味があるがやりたくはない。計算法を考えることさえあまり気乗りはしない。どうせ3と4の間の数なのだ。ただ、それがいつまでたっても終わらない数であるということには深く感銘する。すごいことだ。どうしてそんなことが分かったのだろう。 具体的事実、さらにその細部にこだわるのは科学のよい習慣である。百桁目が2なのか3なのかにこだわることは大切である。すぐに世界観や意味について論じるのはよい習慣ではない。しかしそれは好みの問題で、科学者の中の数パーセントはそのような大局的なことに興味を持ってもよいだろう。 病気の原因となれば、やはり具体的に分かりたいと思う。わかればそこから治療の道が開けるからだ。それは素晴らしいことだ。 775 フロイトが抑圧といい、検閲といったものの実体が時間先取り効果である。 検閲が弱い場合にはすり抜ける。変形はどのようにして起こるか? 変形されたものが検閲をすり抜けると考える。検閲部分で変形されるのではない。 776 防衛機制といっても、「機制」の意味ははっきりしない。「メカニズム」の翻訳語である。そのつもりで置き換えて読めばよい。 777 ストレスとは? 不適応信号である。 ではどう対処するか?いろいろな経路がある。 ・不安反応→GABA系脆弱性 ・妄想反応→ドーパミン系脆弱性 ・外部現実変更→外部環境に働きかける ・内部解釈変更→自己内部に働きかける(防衛機制) ドーパミン系は新しい系で、古いGABA系の上に乗って成立しているのではないか。その逆か?GABA系が抑制性にドーパミン系を調整しているという点から見れば、ドーパミン系の方が古い系で、されを後で上から抑制しているのがGABA系と見た方がよいか。 古いギャバ、ドーパ、新しいギャバなどと層的に考えた方がよいかも知れない。 778 アゴラフォビアについて 広場恐怖と訳しても空間恐怖と訳してもどうせ不十分である。勉強していない人には分からない。キツネうどんと言いながら、油揚げが乗っている。これはまあ、キツネと油揚げの因縁を知ればよい。タヌキそばについては何のいわれがあるものか知らないが、とにかくタヌキはのっていない。カモ南蛮とは言っても、のっているのは鴨ではなくて鶏のことが多い。かっぱはきゅうりが好きなので、きゅうりを巻いたものをかっぱ巻と言う。 アゴラは名前を提案したときには、街に行くことが主な意味だったようで(ウェストファル)、ギリシャ語のアゴラはマーケットの意味だった。しかし次第に病態の研究が進むと、街に行くことというよりは、特定の苦手な場所、自分が危険と感じる区域、さらには場所の限定も離れて、苦手な状況(一人になることとか、家から離れているとか)までを含むようになった。アゴラに代わるいい名前が提案できずに、アゴラのままである。 それを日本語に移すときに、また困難があった。アゴラと広場は明らかに意味の範囲が異なる。むしろ、ごく僅かしか重なっていないと言っていい。日本語の広場は草野球ができるところ、狭くても三角ベース程度はできるところである。そんなところが恐いなら行かなければいいだけである。大人は広場に行かなくても暮らせるものだ。空間恐怖でも事情は変わらない。真に意味するところとアゴラは意味がずれていて、日本語にするときにさらに意味がずれている。これでは初心者は意味が分からない。それどころか、そのままにして放っておいている人たちを信用しなくなるのではないか。 しかしながら、いい言葉も見つからない。こんなときは中国でどのような漢字に置き換えているか調べてみるのもよいだろう。 「不安発作が急に襲ってきたときに助けがないか逃げられないような場所や状況」恐怖である。ものが恐いのではなくて状況が恐いのである。対人恐怖の場合にも、人が恐いというよりは対人場面が恐いのであり、その点ではanthrophobiaよりもsocial phobiaが適切である。 social phobiaは社会恐怖と訳されることがあり、通常の日本語の感覚では受け入れがたい。対人場面恐怖でよいだろう。 779 内省化促進療法の開発 自己主張訓練など必要ない。欠けているのは超自我と内省化である。 自分の行動と感情体験を脳の内部で予行演習する(シミュレート)習慣を作ること。損をするとしても、頭の中だけで済む。 780 一次過程・無意識界からの圧力(ドーパミン圧力)に対抗できるだけの強さを持った照合機能が必要である。 もともと生まれ持った照合・棄却機能の強さと、ドーパミン量の問題である。 ドーパミンレセプターの増大。過敏性の成立。履歴現象。 薬は直線の傾きを小さくする。レセプターは二次的に増大する。レセプターが増えると直線の傾きは大きくなる。 781 妄想は一種類なんだろうか? 知恵遅れと妄想の決定的な相違はどこにあるのだろうか? 痴呆の場合の妄想と分裂病の場合の妄想はどのように違うのか。 うつ病で本当に妄想が起こるのだろうか?微小妄想は妄想と言うべきだろうか? 妄想にどんな種類があるのだろうか? メカニズムとして。 訂正不可能のメカニズム。 照合不全。 棄却不全。→間違っていると分かっているのに棄却できない。→強迫症!恐怖症! しかし強迫症の場合には「選択的な機能不全」が起こっているようである。 全般に渡ってではない。繰り返し起こるのはなぜか?→リカレントサイクルを形成している?心臓でのリカレント症候群。 脳でのリカレント症候群。神経系ならば当然起こりうる機能不全である。 心臓の伝達系の機能不全と脳の場合とを比較してみるのも有用である。 照合作業は一瞬のうちに、腱反射のように終わるのだろうか?多分、一種の反射である。 782 幻覚体験の違い @「ああまた変なものが見えています。人の形に似ているけど、赤いみたいな色で‥‥何でしょうね」 A「人がいます、私に用があるみたい、‥‥」 体験と距離がとれている。 妄想に対する批判力が保たれている。 自我の中心が巻き込まれる。 「発生するのは末梢の感覚」「発生するのは中枢の体験」 だから、幻覚発生に関して、「知覚経路のどこかで誤信号が混入した」とするタイプの説は、@タイプの体験しか説明しない。 Aは中心部分で誤信号が発生している印象である。 しかしながら、妄想知覚の例もあるように、体験が二節性になっている場合も考慮する必要がある。パレイドリアの原理。過剰相貌化。 783 酸っぱいブドウで防衛している人の治療。 「本当はブドウが食べたいんだ」と言わせる。 「その人に適切なブドウを設定してあげる」→目標の再設定。 784 「待ち伏せ」と「陰口」‥‥性格が悪い 785 患者さんにもある程度分かりやすくて、イメージが描けて、それなりに演繹が可能であること。説得力があること。 786 プレコックス感→図 普通ならばわき起こるはずの感情の欠如。 人格的影響と転移・逆転移は同じか否か? むしろロゴテラピーや自己一致などの次元での影響。生きる態度の次元。 787 カウンセラー 自分は何を扱うのかを限定するセンスが必要。患者との間で何が起こっているのかを見るセンスが必要。愛があればすべては解決するとの信念は間違いである。 788 治療構造は人格構造になる 境界型人格障害は枠の不全であり、人格構造の不全である。 789 精神医学において確実なものは何があるのだろうか。 790 強迫行為は 照合・棄却機能の補強・代償であると考えられないか?反応であると考えられないか? 791 不安障害 パニック 外部刺激なし……パニック障害 外部刺激あり……恐怖症 パニックなし 対象明確しかし釣り合わない不安……全般性不安障害 単一ではない(さまざまなイベントで) apprehensive expectations (不安に思う理由はある、しかし釣り合わない) 792 強迫が自我異質的なのは、出てきてしまうから異質的、抑圧できれば知らなくて済むという事情ではないか。 つまり、抑圧し損ねたから異質的である。 親和的ならば抑圧しないで意識している。 793 図に書こうとするから、困難がある。文章だけで済まそうとすればごまかせるかも知れない。しかしそれではごまかしである。 結局、時間装置が、そのまま抑圧装置となっている。そして能動性の障害が発生する場となっている。 794 強迫の反復の理由が説明できない。 795 モラトリアムはさなぎの状態。さなぎのままで年をとる人がいる。 796 音によるロールシャッハ。 試してみてもいいはず。 797 純粋欠陥 reiner Defekt G.Huberによる。純粋欠陥症候群、純粋残遺(reine Residuen)、純粋欠乏(reine Defizienz)。全体的な心的エネルギーの低下。心気症、体感異常、発動性欠乏、心身の易疲労性、決断不能、思考力と集中力の減弱、感情喪失の感情、刺激性亢進、興奮性、抑制欠如。一方、精神分裂病に特有の非疎通性、感情移入不能性、了解不能性、冷たい孤立性、プレコックス感、異質性は欠如する。患者は自分が変化したことを意識し、活動力の喪失に悩む。現象像の特徴はその非特異性である。 コンラートの「エネルギー・ポテンシャル減少(Reduktion des energetischen Potentials)」、ヤンツァーリクの「力動の空虚化(dynamische Entleerung)」は類似の概念である。(事典から・中谷) 空想生成力減少(→単純型)に近い考え方。 798 基底欠損 basic fault,Gruntsto"rung M.Balintによる。「エディプス葛藤領域」が三者関係の葛藤力動形態をとるのに対して、「基底欠損領域」は排他的二者関係、マインドの歪み・欠損に発する力動関係である。両者は転移の型と治療技法が異なる。さらに一人関係を特徴とする「創造領域」を考え、マインドはこれらの三領域からなるとした。 障害は葛藤ではなくて欠損であるから、支持的・補完的アプローチが正しい。境界例の理解と治療に役立つ。 原初は「基底欠損領域」で、分化すれば「エディプス水準」、単純化すれば「創造水準」である。(事典から・中井) 799 課題集団と基底的想定集団 work group and basic assumption group ビオンによる。課題集団は、集団の現実的活動の側面であり、期待想定集団は集団の無意識的・潜在的側面である。基底的想定集団は三種に分けられる。@闘争・逃避集団……敵が集団の内部または外部にいて、その敵とのあいだに闘争または逃避が行われるという想定があるかのように動く場合。A依存集団……ある対象に依存していることであらゆる危険から保護されていると想定しているかのように動く場合。B対集団……一対一のペアを作り上げ、その中に閉じこもることですべての困難を回避してしまえると想定しているかのように動く場合。 これらはクラインによって解明された精神病的不安、すなわち@妄想的不安、A抑うつ的不安、B躁的防衛、にそれぞれ対応するものとビオンは考える。(事典から・岩崎) 800 単純型 simple schizophrenia 連想障害と感情障害が主。幻覚妄想を欠く。潜行性で緩慢な経過。やがて人格の枯渇化、貧困化を来す。浅薄な情緒、冷淡、無情、無気力。破瓜病のような痴呆化には至らない。浮浪者、売春婦、非行者として暮らすこともある。類縁疾患としてカールバウムの類破瓜病がある。 801 分裂病性思考障害 実体は何か。観念連合の障害として、連合弛緩や支離滅裂に至るのならば、当然分かる。→風景の「構成」の消失。世界観の全体構成の喪失。自然な自明性の喪失。それによってばらばらなものが現れてしまう。 しかし論理の形式がずれること、思考力の低下、そのあたりについてはどうか? →形式……これは全体構成の喪失と同等である。 →思考力……エネルギー低下でもある。一方では、形式喪失と連合喪失の結果でもある。 802 時間遅延理論 全く同一の回路があり、意識状態モニターのための回路からの信号は一瞬早く到着し、そのあとに実際の運動命令が到着する。その差が能動感を生む。 803 両価性 現実チャンネルと妄想チャンネルの二つが矛盾しながら両立している状態。 804 ストレス解消にやけ食い 食行動は自分でコントロールできる。それがヒント。コントロールの病理。 805 YAVIS young,attractive,verbal,intelligent,and successful. 若く魅力的、言語化能力が高く、知的で成功している。患者がこのような特性を持つとき、治療者が患者によって理想的救世主に仕立て上げられてしまう危険性がもっとも高いため、精神科に限らず他科の医師の場合でも、治療者がいつの間にか患者の精神科的問題を見逃してしまうことが多い。これをYAVIS症候群という。摂食障害の治療の難しさの一面がここにある。(渡辺勉) →グリックマン,L.S.荒木他訳、「精神科コンサルテーションの技術」1983,岩崎学術出版。 806 全般性不安障害 いろいろな人生の出来事に際して広範で過剰な不安が慢性に続く状態。不安の対象は変化し続け(浮動性:free-froating)、学業や仕事など理解可能なものである。精神症状だけではなく、身体症状も伴うことが多い。 807 離人症の解釈 @自我障害(能動性障害)……内界意識離人症に対しては説明可能。その他については、外界意識の能動性、身体意識の能動性を論じる必要がある。 ADSMは解離性障害に含めている。知覚している部分と、それを意識している部分との「解離」と解釈するのだろう。 B中安は、対象化性質の脱落体。(簡単に言えば、通常の認知は「素材+対象化性質」で成立している。実体的意識性は素材が欠けて、対象化性質のみの場合。離人症は素材だけがあり、対象化性質が欠けている場合である。) C中安は、自己危急反応の症状スペクトラムとして、運動暴発、擬死反射、転換症、解離症、離人症をあげている。Puriのテキストp.188の図10.6。パニックアタックを回避する方策としての離人症。 D安永のファントム短縮説。 E木村は共通感覚の障害説(知覚の能動性の喪失)。 F脱相貌化説。(Pauleikhoff) G時間遅延効果。(知覚の能動性の喪失) 808 ・病的不安とは何か……日常生活の不安とは違う (犬に吠えられる、仁王様の表情、散瞳) 1 何が怖いのかはっきりしない、理由が分からない 2 がつんと死ぬほど怖い(強度の違い)、我慢できない、自 分をコントロールできない 3 人に分かってもらえない ・パニック発作とは何か 1 呼吸困難、心悸亢進、胸痛、窒息感、めまい、手足のしび れ、発汗、ふるえ、気が遠くなる。 2 心臓神経症、過換気症候群 ・スチレッサー・ストレス曲線(@)は人によってかなり異なる ・イェークス・ドットソンの法則(A)……不安と達成度の関係 →ストレスに弱い人がいる‥‥どんな図になるか。 →薬を使うとどうなるか。 ・限界ストレスを超えたらどうなるか? 1 過敏状態、緊張、不眠、食欲不振、不安 2 幻覚妄想 3 自律神経症状 ・病気→引きこもり→薬→生活拡大(デイナイトケア)……グラフで説明(B) ・薬を飲みながら、デイナイトケアに通うこと。その先に仕事がある。 自己危急反応の症状スペクトラム 運動暴発(乱発) 擬死反射 転換症 解離症(ここはどこ?私は誰?) 離人症(脱現実、脱人格) 809 観念連合を調べるテスト 単語から文章に。使えないか? コンプレックス……かたまりすぎ s……ばらばら 810 音楽療法 予測能力の再建 予測能力があれば、能動的に聞くことができる。そのときゲシュタルトがつかめる。 811 予測が当たる=能動感の実体 心臓のペースメーカーセルのような、意志生成細胞があってそこで意志が生成されると考えるよりはいいのではないか? 812 Subject2 Sense     Subject1 Motor Object @五感 A運動したかどうかは、内部感覚によってつかまえられるものである。筋肉や腱の状態をモニターしているから分かる。 B内部思考・感情 これらの感覚の総合が自我意識を生成している。 S1は一次プロセスも多く含む。 S2は仮説生成する。よりよく当たる仮説を次第に形成する。 S2はs(n)を受けて予測p(n)を生成し、S(n+1)と照合して、採用か棄却かを決定する。 能動性を求めて生きる。根本的本能。 その欠如が「なされるがまま」である。 813 器質精神病 organic psychosis 脳器質疾患に基づく精神障害のこと。傷害が局所的な場合には巣症状を呈する。傷害が全般的かつ急性の場合には意識障害を呈し、全般的かつ慢性の場合には最終的には痴呆に至る。局所的傷害としては脳血管障害、脳腫瘍、頭部外傷、中毒、変性疾患、脱髄疾患などがある。全般的かつ急性のものには中枢神経感染症(中枢神経梅毒、脳炎)、全般的かつ慢性のものには脳血管性痴呆やアルツハイマー病などがある。 814 症状精神病 symptomatic psychosis 脳以外の部位に主病変がある疾患の、部分症状または二次的変化として脳に障害が現れる場合をいう。おもな症状はさまざまな程度の意識障害である。 815 通過症候群 transit syndrome,Druchgangssyndrome Wieck,H.H.による。可逆的脳障害からの回復過程において、意識混濁の前に現れたり後に現れたりする症状群。可逆的脳障害からの回復過程において通過する症候群の意味。重症(主に健忘)、中等症(自発性低下など)、軽症(情動障害など)を区別した。たとえば昏睡を呈した脳外傷後の回復過程では、昏睡、意識喪失、意識混濁、重症通過症候群、中等症、軽症と経て正常に復するのが典型経過である。必ずしもこの通りの経過をとるわけではないが傾向として軽、中、重の区別を置く。またどこかの段階で固定してしまう場合もある。固定したときの障害が全般的であるほど、痴呆の像に近くなる。 器質性脳障害の急性全般性障害は意識障害を主とし、慢性全般性障害は痴呆を主とする。部分的障害は場所に応じてたとえば巣症状を呈し、これにも急性と慢性がある。通過症候群は正常と急性全般性障害と慢性全般性障害の三者のあいだを埋める概念として意義がある。 816 実体的意識性 意識性とはある対象や事物が感覚的要素の媒介なしに一挙に体験される現象。実体的意識性とは、人や物の実体的な存在が感覚的要素の媒介なしに体験されること。分裂病で見られる。 物の存在の実感だけが、物の存在そのものを離れて意識される。たとえば、目の前に椅子はないのに、椅子の実在感・実感がまざまざと伝わってくること。たとえば、隣の部屋に確かに椅子があるとまざまざと実感される。 (?→だんだん拡張されてゆく。) →これは記憶の病理なのか?馴染んだ物が、今ここにない、それを懐かしむということがあり得る。……しかしこれではない。→しかしながら、記憶の病理として記述することもできそうである。デジャ・ビュの関連で考えられないか。 →離人感は物があるのに実感が消失している。 →感覚の能動性の一人歩き。対象物がないのに、その対象物に能動性が付与すべき実感が発生している。そのような異常。 817 神経梅毒 neuro syphilis 中枢神経系を梅毒の病原体であるトレポネーマ・パリドゥムが侵すもので、いくつかのタイプがあるが、その中心は脳神経細胞の変性脱落を来す進行麻痺(general paresis,progressive Paralyse)である。感染から10年かそれ以上経ってから精神神経症状が始まり、痴呆と人格変化が中心である。躁的・誇大的になったり逆に抑うつ的になったりする。アーガイル・ロバートソン徴候は、対光反応が消失し輻輳反応が保たれているもので、診断に役立つ。近年は梅毒は再び増加の傾向にあるとも言われている。 進行麻痺の有名人は数多く、ニーチェ、シューマン(疑い)など、日本では大川周明などが有名である。野口英世は脳内にトレポネーマ・パリドゥムの存在を証明したことで有名である。 818 宗教団体内部での集団性。 アメリカでの「集団」と「個の独立。」 819 感覚=赤。丸い。小さい。(要素的) 知覚=リンゴ。(全体のまとまりとして把握) 認知=リンゴは体にいい。今が食べ頃のリンゴ。彼からもらった。(価値など諸情報を付与。知覚情報を加工するプロセス。) 820 認知 cognition デカルトのCogito ergo sum.の「コギト=考える」が語源。 821-1 分裂病モデル @感覚情報・現実情報 A現実モデル B空想産生 C照合・棄却 以上の四部分に分け、考察する。→図(821-2)。 ・脳の目的は「よりよい現実モデルを形成すること」である。 ・照合の結果を現実モデルに反映させて、よりよいモデルに成長させられる。 ・空想を現実情報と現実モデルが抑圧する→抑圧モデルとして使える。 ・能動感は、A、Bが@よりも早いことで達成される。現実を先取りする=予測することで能動感(むしろ能動感の錯覚)が生まれる。 ・B空想がA現実モデルよりも早くなったとき、一次プロセスの突出が起こる。幻声、させられ体験など。 ・離人は「感覚の能動性の欠如」である。A、Bが@よりも早いことで「実感」「実体感」が生まれる。このモデルのよいところは、感覚の能動性の内容を一般化して説明できる点である。 ・もっと精密なモデル(821-3)。現実モデルを参考にして空想プロセスは空想を産生する。 ・@ーAと@ーBとのどちらが近いか比較して、現実情報に近い方を選択する。それを現実モデルの一部として採用し、現実モデルを作り変えつつ、認識と行動がつながってゆく。 ・AとBが待っているところに@がやってきて、照合が始まる。結果がよいものを現実モデルに繰り入れる。予測がうまく当たっていれば、能動感が生まれる。現在採用している現実モデルは、子供の頃から使ってきたものであるから、そんなにひどく現実とずれているということはない。また、基本的な骨格は「遺伝的に形成され、伝達されたもの」であろう。従って、実際は現実との微調整をしているということだ。 ・「遺伝的に受け継いだ現実モデル」であるが、そこにも軽微な突然変異が起こっている。そしてよりよく現実を写し取っているものが次の世代では多くなる(自然選択)。 ・後天的に身につける部分はむしろ微調整であろう。この場合、微調整の能力を試されていることになる。 ・結局、@先天的な現実モデルの出来、A現実モデルの微調整の能力(これは空想産生と照合の能力による)、の二種の能力がかかわっている。 ・照合をゆるめる。空想機能の優先。→夢や創作。 ・821-3について。感覚情報が与えられたとき、次の世界の状態はどうなっているか、予測する。(その洗練された形が物理学である。現実モデルと空想産生は数学そのものである。数学者の仕事と性欲のピークが重なることを考えてみよ。)→予測には二つある。ひとつはこれまで蓄えた現実モデルによる予測。安定している、飛躍はない、未曾有の事態には対応できない、歳をとるにつれて精密になる。他のひとつは空想産生機能による予測。不安定であるが、ときに飛躍を生む。 ・この図で、「意識」の場所はどこか?「照合」の場所が意識に近いのではないか? ・次に障害各種。 ・現実モデルがはじめから壊れている。→?MR ・現実モデルが後天的に壊れた。→(風景の)構成喪失型。自然な自明性の喪失。 ・空想産生能力が壊れた。+現実モデルは精密。→老人型。常に過去を参照する。試みをしない。 ・空想産生能力が壊れた。+現実モデルは出来が悪い→単純型。 ・照合機能の異常。→自我障害型。破瓜型の一部。 ・照合機能が壊れていると、現実モデルを微調整することができない。→成長停止。破瓜型の一部。 ・照合機能が少しだけ壊れていると、長い時間の後に、現実モデルが現実から離れてしまう。→妄想型。体系的妄想。 ・現実モデルは壊れて、空想は活発→若年、妄想突出型(の破瓜型)。 822 離人 知覚の能動性の意味 知覚の能動性とは何を意味するか。 感覚→知覚→認知と高次の脳内処理になるにつれて、外来素材に脳内の概念や理解を付加している。そういったそれぞれの段階が知覚における能動性とも考えられる。 そうした機能が欠けていれば、最終的に「感覚素材のままの赤」であるにとどまるだろう。 外界の事物に「実感」が性質としてあるわけではない。「机」だけが周囲から飛び出して、地に対する図のように見えるはずはないのである。そういった現象が起こるのは、脳が机を特別のものとして見ようとエネルギーを集中させているからだ。 823 離人 (引き算と反対状態の考察) @反対は「実体的意識性」。素材と実感の分離。→過剰または消失を考えるのには適さない。→しかし連続体を考えた方が落ちつきがよい。 A知覚の能動性の欠如。→能動性の欠如は最終的には他動性にまで進展するだろう。能動性の過剰は「生き生きとした感じ」なのだろうか? B解離障害説。恐怖から心理的に遠ざかる。一種の防衛反応。→極端なものは擬死である。 C共通感覚の欠如。 D脱相貌化。過剰相貌化の反対。→幻覚妄想と反対極の事象となる。 外国のはじめての事物の新鮮さ。 いつもの風景の陳腐さ。これらは離人と関係があるのだろうか? 824 脱相貌化の病理 色盲検査の絵……見せられてすぐは何のことだか分からない。少しすると形が見えてくる。離人の人は「何だか分からない」状態のままで停止している。 脱相貌化……正常相貌化……過剰相貌化(パレイドリア……幻覚・妄想) 一連のもの。連続体。 正常の場合、「机」を見て、一瞬のうちに相貌化が進行する。離人の場合、机を見て、相貌化が進行せず、色盲検査の絵のような状態にとどまる。この比喩の段階が分かるか? テレビを見ても粒が見えるだけだ。風景は絵葉書のようだ。風景はガラスを通してみたような感じだ。 脱相貌化は有力説である。→このようなタイプの離人もあり得るということだ。 「ゲシュタルト形成」と言っていいだろう。 色盲検査の絵+ゲシュタルト=形 机+ゲシュタルト=実感を伴った机 引き算で定義される何かがゲシュタルトである。それは脳が付与しているものである。 825 ゲシュタルトの実体は何か? 実際の世界は、色盲検査のカードのように「のっぺりした」「平板な」ものなのだと思う。「テレビがただの粒の集まりに見える」のは全く正しい感覚なのだ。ただ、人間の脳はそれを知覚にさらには認知にまで加工する。その加工のプロセスに能動性が存在している。 そうした加工の際に参照される世界のモデル・現実のモデルがゲシュタルトである。 ゲシュタルト崩壊と言うとき、現実モデルの崩壊と、現実モデル参照機能の崩壊と、両方の意味があるだろう。 826 たとえば、離人の場合に、患者が自身の内的状態を表現する。そこに巨大な問題が横たわる。 「目の回りにゼラチンの層が10センチくらいある。」と言ったとして、どこまでが比喩だろうか?全部その通り、比喩ではないと言ったとして、果たしてそうか?言語化能力の問題。言語使用の癖の問題。 できれば全く心理学を知らない人か、逆に心理学を完全に理解している人か、どちらかにして欲しいものだ。 患者は本当のところ何を語っているのか?それが問題である。 本で読んだことに引きずられて語るという場合も大いにあるだろう。 827 内部状態について「自分のものでないようだ」「なんだかぼんやりしていて自分ではないような感じで」という人が、自身の状態について語る言葉の何が真実であるか? 828 感覚に際しての実感の成立が、 A→B→C→D→E→F であったとする。「感覚の実感が失われる」タイプの離人症状が成立するためには、AからFのどれかひとつが欠けるだけでよいはずである。そしてそれぞれの場合にやや異なったタイプの離人感が成立するはずである。これをさらに詳細に議論できないか? 可能性としては、 S系 @脱相貌化・過剰相貌化の軸→これは幻覚論に結合できる。 A実体的意識性との対比から、素材と実感の説。(ファントム説も似ている)→しかし広がりに欠ける。 C能動性消失の病理。過剰能動性は?他動性との関連は?(木村など)感覚の能動性の内実を明らかにする必要がある。→能動性の軸は自我障害の問題になる。これは大きな軸。 Eゲシュタルト崩壊→実感を生成する場所または実感を参照する実感プール(ゲシュタルト)の崩壊?だとすれば、実感と素材の分離説のAに近い。(現実モデルと照合・棄却モデルを考えている) うつ系 ? 神経症系 B自己危急反応説。高度なストレスに対する解離反応の極端なもの。防御反応である。パニック等価体。→分裂病、うつ病というよりは、さらに広範な対ストレス・防衛反応。 分類不明 D共通感覚障害の病理(木村) 以上の説は、それぞれ違ってものをいっているのか、どのようにとなりあっていて、どのように重なり合っているのか? 829 図説方式は魅力がある。やってみたい。 830 名前は親がつけるから、親の価値観や教養である。それを一生背負うのは大変なことだ。そして自分の価値観や教養は自分の子供の名前になる。このようにして世代間の伝達が行われる。 831 過換気症候群で救急車で運ばれる人は、東京で一年に12000人以上。 832 けいれんの種類 convulsion:てんかんの発作 apasm:まぶたのぴくぴく cramp:こむら返り 833 絵描きがいつまでも若々しく長生きをする理由。 現実原則と空想原則のバランスがいい。空想産生力を保ち続けている。描くことは空想産生力を保持させる。現実モデルによる抑圧のメカニズムをある程度制限している。年をとるにつれて、現実モデルだけに頼りがちであり、そのことは老化を促進している。 834 不安の二種 パニック(理解不可能な不安対象)‥‥「生命の注意信号」の誤動作‥‥アドレナリン系反応 持続的不安(たいてい理解可能な不安対象)‥‥「適応レベルについての注意信号」‥‥遺伝子作り替え指令・免疫・DNAと連なる経路‥‥ギャバ系反応? グラフ→ 835 「電車恐怖症」と呼ぶ場合にも、さまざまにものが含まれているようである。恐怖症の要件を満たすもの、妄想症の様相を呈するもの、うつ気分の延長、性格障害の一部、など。 836 三環系抗うつ剤が効く症状をひとまとめにできないか。→できるはず。共通性を考えろ!自己危急反応の誤動作として解釈できないか? うつ パニック 強迫症 体感異常 うつも自己危急反応の一面がある。一種の防衛反応である。 時に自殺するのはなぜ?→個体としてではなく、種としての防衛反応である。 配偶者の死‥‥もうお前も死んだらいいという、集団からの圧迫。集団内の「ユニットの死」である。大家族ならばユニットの死とは考えられないだろう。 837 うつ病の妄想は二次妄想である? 一次妄想があるからその結果としてうつ状態になった場合にはむしろ分裂病やパラノイアと言った方が正しい。 838 強迫性行動様式 これも防御反応の面がある。→証拠は自我の二重化! 不安信号に対して、反応するひとつの選択肢。 839 感情 feel,affect 情動 emotion‥‥天気‥‥一時的・身体反応を含む 気分 mood‥‥気候‥‥長期的 情緒 840 interpersonalとintrapsychicの違い 841 「心の問題が体に出る」という言い方は正しいのか? 842 袋に穴があいていると、中の液体が流れ出る。 穴がなぜあくかを考えるのは、精神病理学である。器質性の何かを考慮することも多い。 何が出てくるかは、何を入れたかによるだろう。それを考えるのは精神分析などである。 袋を溶かしてしまうような液体を入れたとすれば当然、袋には穴があくだろう。しかしだからといって、全てをそのような説で割り切るのには無理がある。たいていは中身と関係なく、穴があいているのである。 843 「医者はみんな、まずカフェイン中毒を治しましょう、我慢しなさいとだけ言う。なぜカフェイン中毒になったかを知ることが大切なのに。そのことを自分でよっぽど考えているんだけど、わかんない。 こんな人に任せておいていいのかなって思っちゃう。絵なんか描いてたってどうなるの。先生はどうしてこんな風な関係の仕事を選んだんですかって聞いたら、たまたまそんな関係の学部に入ったからとか何とか、そんな話で。がっかりしちゃった。 仕事してても、こんなのどうでもいいなって思う。何やってんだろうって。大事な問題は解決されていないのに。 甘えているかも知れない。自分でもどうなんだかわかんないんですよね。それを分かりたくて来てるのに、ただカフェインを我慢しろって言うのはどうなんだろう。心理的な深いことをなぜもっと探求しないのか。」矢島。 治療者が治療者になった動機を聞いて理解できなければどうだというのだろう。個人情報に立ち入る態度は境界型。「すごい事件」を言いたくて、聞いて欲しくてうずうずしている。いったん聞いたら、「あなただから思い切って教えてあげたんだ。あなたからのリターンは何なの?」となるのだろう。べったりしている。女には敵意。男にはべったり。 お前の吐き出す「排泄物」なんか聞いてもしょうがないのだ。 844 患者の不安 癌を宣告された患者の不安をどのようにしてマネージするか。同様のことが精神病者にも言えるはずだ。不安の制御が必要である。 845 恋愛転移 仕事で優しくしているのに、それを恋愛感情と見誤る。人間には恋愛転移の傾向があるからこそ、実際の恋愛も発生するし、結婚もできるのだが、仕事の上では支障になることもある。 看護の仕事やカウンセラーの仕事はその点で難しい。優しくすることがそのまま恋愛転移の誘因になる。たとえば「あなたのような人と結婚する人は幸せですよ」と言えば、誤解のもとになる。 846 海馬 hippocampus 側頭葉の下内側にある海馬は短期記憶の一時的メモリーと言われている。アルツハイマー病では病気の初期から海馬が萎縮しており、短期記憶が障害される。海馬はギリシャ・ローマ神話に出てくる上半身が馬、下半身がウナギのような姿をした怪物。海の神ポセイドンが乗り回していた。この怪獣の前足の形に似ているので名付けられた。タツノオトシゴもhippocampusという。 847 アンモン角 脳を垂直に切ると、海馬がくるりと巻いている様子が分かる。古代エジプトのアンモン神は雄ヒツジに似ていて角が大きく内側に巻いている。アンモナイトは「アンモンの石」の意味であり、巻き方がアンモンの角に似ているので名付けられた。 848 扁桃体 扁桃とはアーモンドのこと。扁桃体は快不快の判断をするセンターであるといわれる。記憶は海馬や側頭葉にプールされており、判断の材料となる。 サルの側頭葉を切除するとクリューバー・ビュシー症候群(Klu"ver-Bucy syndrome)が見られ、扁桃体の働きが失われることが中心ではないかと見られている。@精神盲を思わせる状態。Aoral tendency 何でも口に入れる。Bhypermatamorphosis あらゆる視覚刺激に強く反応する。C情動反応の欠如。D性行動の亢進。E食事習慣に対する異常行動。 849 視床下部 内分泌のセンター。自律神経システムのベースキャンプ。 850 視床下部の満腹中枢(腹内側核)には女性の第二次性欲中枢がある。 摂食中枢(空腹中枢)のすぐそばには激怒と男性の第二次性欲中枢がある。だから空腹では怒りっぽくなる。 851 神経性食思不振症の患者の尿をラットに注射すると、食欲がなくなって痩せる。 852 脳炎 encephalitis 感染性による脳の炎症を脳炎と呼び、脳器質疾患の原則通り、典型的には急性期には意識障害が、慢性期(後遺症)では痴呆や人格水準低下が見られる。 蚊により媒介されるアルボウィルスが引き起こす日本脳炎 encephalitis japonica は後遺症としててんかんや知能遅滞、人格変化を残す。エコノモ脳炎(嗜眠性脳炎)は日本ではほとんど見られないが、脳炎後パーキンソン症候群で筋強剛が特徴的である。亜急性硬化性全脳脳炎(SSPE:subacute sclerosing panencephalitis)は麻疹ウイルスの感染によるもので、脳波での周期性同期性発射(PSD:periodic synchronous discharge)が有名である。単純ヘルペス脳炎は、免疫不全者に見られることがあり側頭葉症状(高度の記憶障害やKlu"ver-Bucy症候群)が特徴で Acyclovir を投与する。予防接種後の脳炎は神経アレルギーによると考えられている。40〜50歳で発病するクロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jacob disease)は亜急性海綿状脳症を呈し、プリオンによるものとされる。AIDS痴呆症候群(AIDS dementia complex)はHIV(human immunodeficiency virus:ヒト免疫不全ウイルス)による亜急性脳炎であり、高度の痴呆に至る。HIV感染では免疫不全からヘルペス脳炎などの日和見感染が起こる場合もある。 853 脳動脈硬化症 cerebral arteriosclerosis,Hirnarteriosklerose 脳動脈の粥状硬化による脳血流量低下と、それによる二次的脳病変により生じる症状が見られ、中心は記憶障害を主とする痴呆である。 脳動脈硬化症の原因として高血圧があり、高血圧はそれ自身で脳障害を起こす。高血圧性脳症(hypertensive encephalopathy)では最低血圧の上昇により脳浮腫が起こり、一過性の頭痛や吐き気、視力障害、ときに意識障害が訴えられる。被害妄想や嫉妬妄想を呈することもあるが予後は比較的良好である。 脳動脈硬化症の初期症状として頭痛、頭重、めまい、耳鳴り、睡眠障害などの自覚症状が見られる。こうした高血圧性脳症と区別の付かないような状態が続いた後で、まだら痴呆、情動失禁、夜間せん妄などの特徴的な症状が現れる。痴呆症状を指して言う場合には、脳血管性痴呆と呼ぶ。 854 一過性脳虚血発作 TIA:transient ischemic attack 脳血管の攣縮や脳小動脈の血栓によって脳血流が急激に低下するために起こるもので、虚血の部位によりさまざまな症状が起こる。多いのは軽い意識障害であり短時間のうちに回復する。しかし一過性脳虚血発作を繰り返しているうちに脳梗塞(脳軟化)が起こるので注意が必要である。 海馬付近で虚血発作が起こると一過性全体健忘(TGA:transient global amnesia)が見られる。中年以降に突然起こる後遺症のない前行性健忘で、逆行性健忘を伴う。海馬が短期記憶の一時的プールであることを推定させる現象である。 855 脳出血 cerabral hemorrhage,Hirnblutung 好発部位は線条体動脈、視床動脈、橋の動脈など。好発時刻は、活動時で、血圧が高まったときである。急激な髄膜刺激症状(頭痛や吐き気など)や意識障害で発症する。 856 脳梗塞 cerebral infarction,Hirninfarkt 脳動脈の血流が途絶えると脳組織の一部が死ぬ。脳梗塞には脳血栓と脳塞栓がある。脳血栓の場合が圧倒的に多い。 脳塞栓は心臓の心弁膜症などで心房内に形成された栓子(embolus)が、脳に飛び、多くは左中大脳動脈領域に閉塞を作るものである。青年に多く急激な片麻痺や意識障害を起こす。 脳血栓ができるのは脳動脈での粥状硬化による血栓形成が第一にあげられる。高血圧や高コレステロール血症が続いていると、動脈壁に傷がつき、そこから血栓が成長して動脈を塞いでしまう。はじめは一過性能虚血発作の形をとるものが多い。 そのほかに血液が固まりやすい時に血栓ができやすい。脱水になり血液が濃縮されているときや血液凝固系が促進されているときなどが危険である。とくに一度脳梗塞で倒れて片麻痺が残っている場合など、トイレに行くのが大儀で水を意識的に制限して飲まず、結果として脱水症状、さらには再度の梗塞を起こすことがある。 857 ゲルストマン症候群 Gerstmann's syndrome 脳血栓による巣症状のひとつのタイプとして有名である。@手指失認A左右障害B失書C失算の四つが条件であり、優位半球の後頭・頭頂境界領域に責任病巣があるとした。実際にはこの四つが揃うことはまれであり、構成失行や視覚失認などの症状を伴うことも多いとされる。ゲルストマンの1924-30年の仕事であり、道具も乏しい時代によくやったものだと感心させられる。 858 頭蓋内脳動脈瘤 intracranial aneurysm 先天的なものが多く、脳底動脈に多い。大きくなると動眼神経を圧迫して動眼神経麻痺を引き起こすことがある。破裂して出血すると致命的なことがある。 859 くも膜下出血 subarachnoid hemorrhage 頭蓋内脳動脈瘤の破裂によることが多く、くも膜下腔に出血し髄膜刺激症状を呈する。突然の激しい頭痛から意識障害に至る。 860 脳腫瘍 brain tumor 脳に腫瘍ができると頭蓋内圧亢進症状と脳局所症状が現れる。頭蓋内圧亢進症状では頭痛、嘔吐、うっ血乳頭の三主徴が有名である。早朝からの頭痛、噴射性の頭痛などが特徴とされて記載されている。局所症状としては前頭葉でモリア(moria:諧謔症、多幸的・軽率・抑制欠如の状態)、側頭葉で記憶障害、頭頂葉で失行・失認、後頭葉で視覚失認などさまざまなものが発生する。 頭蓋咽頭腫(craniopharyngioma)はレントゲン写真で歯が見えることがあるので有名である。 下垂体腺腫(pituitary adenoma)ではホルモン産生腫瘍の場合がある。副腎皮質刺激ホルモン産生腫瘍では副腎皮質ホルモン過剰となり、肥満・ムーンフェイスとなり精神的にも躁またはうつを呈することがある。乳汁分泌ホルモン(プロラクチン)産生腫瘍ではおっぱいが出る。成長ホルモン分泌腫瘍では末端肥大症になる。下垂体腫瘍は視神経を圧迫して視野欠損を引き起こすことがある。 子供の頃から成長ホルモンの産生が多いと巨人症になる。しかしその人の下垂体が視神経を圧迫していると、両耳側半盲となり視野の外側が欠けてしまうことがある。その人がピッチャーになっても視野のすみでランナーを見ながらのけん制球がうまくできない。なお巨人病は巨人症とは別のもので、日本プロ野球界特有の傾向であり、次第に減少しつつある。 861 視床痴呆 thalamic dementia 視床腫瘍、血管障害などで発生する。両側視床内側部の病変では近接記憶も遠隔記憶も障害される。視床の障害では視床症候群が有名で深部知覚障害、反対側半盲、半側性注意障害、視床痛などが見られる。視床の障害ではその他に視床手、半側アテトーゼなどさまざまな興味深い症状が見られる。 862 ヒステリーとカタトニーの減少 どちらも身体表現性の病理、どちらも先進国で最近は減少。 ということは、カタトニーとは、分裂病のヒステリータイプではないかと考えてみる。 かわって行動表現型の病気が増えている。 こうしたことはなぜなのか? intrapsychicからinterpersonalへの変化とも重なるものであろう。個人内病理から、対人関係病理へ。 超自我装置の弱体化と関係しているだろうか? リビドー→超自我抑圧→身体化→ヒステリー・カタトニー リビドー→??抑圧→行動化→境界例など リビドー→自我抑圧→内省化→うつなど 863 集合的無意識と被害妄想 被害妄想はおそらく集合的無意識の層から発している。そのような構造が刻み込まれているのだ。 蛇恐怖なども同様に集合的無意識から発している。 集合的無意識は遺伝的に受け継いだ記憶である。 864 現実モデル=記憶=遺伝的無意識+個人的無意識+個人的意識=遺伝的無意識的記憶+個人的無意識的記憶+個人的意識的記憶 はっきり意識できる記憶は個人的意識的記憶だけである。 そのほかは無意識的なもので、記憶としても再生はされず、現実判断の際に参照されるだけである。事柄自体は再生されず、ただ構造だけが再生されて、現在の事柄を整理し理解し判断し実行することに役立てられる。 文書を作る。内容は現在のものだ。書式は過去のものを参照する。過去の文書には内容もあるが、それは再生されない。ただ書式のみが再生されるのである。 865 記憶の再生・形式の再生と内容の再生 内容が再生されるのは意識の層。形式が再生されるのが無意識の層である。 866 頭部外傷 head trauma トラウマといえば心的外傷を指すことが多いが、本来は肉体的外傷のことである。脳震盪(しんとう)、脳挫傷(ざしょう)、頭蓋内出血などを区別する。 脳実質に損傷は起こっていないものを脳震盪といい、意識障害が起こる。ときに健忘を伴う。 脳実質に器質的損傷が起こったものが脳挫傷であり、重篤な意識障害が生じる。そのほか損傷部位に応じた局所症状や逆行健忘が見られる。 頭蓋内出血は出血部位によって分類し、脳内出血、くも膜下出血、硬膜内出血、硬膜外出血がある。受傷直後に意識障害を発症することもあるが、しばらく無症状期(lucid interval)があって、その後で頭痛・吐き気や意識障害が始まることがある。 867 過敏性情動衰弱状態 hyperaesthetischemotioneller Schwa"chezustand 頭部外傷による意識障害から回復した後の、間脳の機能障害を中心とする自律神経障害をいう。頭重、めまい、耳鳴り、睡眠障害などが見られる。頭部外傷後遺症のひとつ。 868 外傷でコルサコフ症候群が見られることがある。 869 失外套症候群 apallic syndrome 大脳の皮質と白質の広範な障害により大脳の機能が失われた状態で植物状態の一種。精神活動は失われるが睡眠覚醒や栄養は保たれる。上肢屈曲、下肢伸展の除脳硬直姿勢をとることが多い。目は動くが、対象物を見ているようではない。 870 無言無動症 akinetic mutism ケアンズが報告した。植物状態のひとつで、開眼昏睡の一型である。失外套症候群との区別については議論があり、あまり区別しないで用いる場合もあり、意識混濁を伴うものは無言無動症で、失外套症候群では意識混濁はないとする考え方もある。 871 人格水準低下 Niveausenkung,level down 脳の損傷により、自発性減退、多幸、抑制欠如、易刺激性亢進、道徳感情低下、粘着・爆発性などの傾向が見られることがある。前頭葉などの損傷による高級機能の欠落症状(ジャクソニズムでいう陰性症状)と、本来の性格の先鋭化・低次機能の突出(ジャクソニズムでいう陽性症状)が重畳して症状形成されている。外傷、薬物、アルコールそのほか原因によらず、脳損傷がある程度以上進行すると現れる。さらに脳損傷が進行すると痴呆に至る。 このように脳損傷の原因によらず最終的には人格水準低下から痴呆に至る進行のあり方を最終共通経路(final common pathway)という。 872 外傷神経症 traumtic nuerosis =賠償神経症 Rentenneurose 外傷後、自覚症状を裏付けるような器質的損傷が認められないのに、心気・不安・自律神経症状を呈するものをいう。背景に性格、生活状況、受傷状況などがある。 なかでも賠償が不十分であるとの不満が関係していると推定されるものを賠償神経症と呼ぶ。 外傷後ストレス症候群(PTSD)とは別。 873 一酸化炭素中毒 carbon monoxide (CO) poisoning 古くは炭坑で、最近では都市ガス、炭火、練炭、自動車の排気ガス(自殺目的)などによるものが多い。COは酸素よりもヘモグロビンとの結合力が強く、CO中毒の状態では血液は末梢に酸素を運ぶことができなくなる。皮膚が鮮紅色を呈するのはCOの結合したヘモグロビンの色である。藤井稔(1960)は一酸化炭素中毒で淡蒼球が対称性におかされることを指摘した。 軽度の場合には頭痛、悪心、嘔吐などであるが、重度の場合は急性期には意識障害が、慢性期(後遺症)には健忘や錐体外路症状などの各種神経症状が見られる。 ときに間欠型(interval form)を呈する。急性期の意識障害がいったん軽快した後に、無症状期が訪れ、1〜3週ののちに再び意識障害や神経症状が見られるものである。 874 不安傾向と不安状態 trait anxiety と state anxiety 不安傾向は生涯にわたる人格傾向であり、不安状態は開始を特定できる一時的な病的状態である。両者の不安を区別すべきである。 875 目で見る→こちらの能動性はやや難しい。しかし内在していることは確かである。能動性という言葉がまずいのかも知れない。 手で触る→こちらには明らかに能動性がある。 ものの実感は各感覚の総合。目で見ているときに触覚などを想起し、また、触覚を予測していたりする。 876 離人 ものが変化しているのではなく、自分の感覚が変化しているのだと知っている。 877 症状が妄想につながる経路 心気症→心気妄想 対人恐怖(加害恐怖)→加害妄想 加害恐怖は結局、「嫌われる恐怖」である。 神経症態   妄想態 心気症    心気妄想 加害恐怖   加害妄想 強迫症    ? 離人症    ? 不安     ? 神経症性うつ 妄想性うつ(微小妄想は二次妄想である可能性がある) 対応物を考えてみる。対応物がないなら、防衛反応である可能性がある。 878 離人 もの・自分の体・自分の心をとくに区別する必要はないのではないか? Q.これらが混合して、いずれとも分類不可能な場合はあるか?「分類できない一種類の体験」はあるか? 離人は対象の性質ではないのに、対象の性質によって区別しているのはおかしい。 879 brain disease……subjective distress mental illness……objective physical pathology 原初の病理に対する反応……reaction=illness 880 質の違い panic :adrenal anxiety,Angst :GABA シグナルとしても差がある。 881 慢性患者に付き合うときの特有の辛さ 人生の些末な一場面でしかない場合と、人生の主な舞台の登場人物である場合と。 882 熱や咳が症状とは言っても、防衛反応であること。これの延長で解釈できる精神症状があるのではないか。 捕食者に襲われる→パニック 排除の恐怖→対人恐怖social phobia 883 不安欠如の病はあるか? 不安信号がなければ、すぐに死ぬか怪我をしているだろう。そそっかしさ。むこうみず。命知らず。 884 「メモリー=現実モデル」 同一仮説 →図 メモリーは、意識、個人的無意識、集合的無意識に分けられる。無意識は、内容ではなく形式が読み出される。(そのことによって、新しい事態にも役立つものになる。)無意識の意味はそういうことだ。 885 区別。 nervous fear anxiety panic 886 ストレスホルモン cortisol →protect bodyの面がある。 887 anxiety は外的から身を守る働きがあるから、過剰なくらいでよい。escape and avoidanceである。 しかしそれではbody damageがきつくなる。stress病。 888 pain and fear は身を守る。本来は有益信号。それが邪魔な症状となる経緯について。 889 生まれてからヘビを見せたことのないサルは恐がらない。ビデオでヘビを恐がっているサルを見せると、ヘビへの恐怖が発現する。遺伝子にプログラムされていたものが発現する。 花を恐がっているサルを見せても花を恐がるようにはならない。 890 恐怖の出現を制御するものがあるはず。→学習理論。 hight,snake,spider. 891 のどで気管と食道が交叉している。これで窒息も生じるが、仕方がない。その理由? 直立歩行では手が自由になったが、その代わりに腰痛が起こった。 →同様に、精神症状の得失を考えられないか? 892 生体の誤反応の例。たとえばアレルギー。アトピー。必要な免疫反応と、過剰な免疫反応。 →同様に、精神症状を解釈できるか? 893 抗体と細菌が勝負する 細菌は抗生物質に対して大部分が死んでも、たったひとつが耐性となって生き延びれば、あとは勝利である。これは強い。抗生物質を作るときにこの大量試行錯誤と選択のプロセスがないので不利である。 たとえば、大量の豚で、その細菌に対する抗体を作る。数ある中には必ず有効な抗体もあるはずである。この抗体を人体でも作ることができるように仕組めばよい。これなら大量試行錯誤が可能である。 894 亜急性海綿状脳症 subacute spongiform encephalopathy scrapie、ミンク脳症、Kuru、クロイツフェルト・ヤコブ病では、灰白質を中心に特徴的な海綿状態が見られる。つまり、脳実質の一部が脂肪組織に置き換わっており、全体としてスポンジのようになる。 895 無動無言症 目を開いて意識があるように見えながら、眼球運動以外は自発的身体運動がない、植物状態の一種である。Cairnis(1941)らが意識障害の一型として報告した。障害部位は主として脳幹である。 896 メニエール病 めまい、耳鳴り、難聴が反復する内耳疾患で、原因不明。 めまい、ふらつきの鑑別診断は耳鼻科に依頼することも多い。前庭神経炎後遺症とかメニエール病とか、何か分かれば患者さんは落ち着く様子である。 897 水銀中毒 mercury poisoning 無機水銀と有機水銀が原因になる。水俣病はメチル水銀化合物が工場→排水→魚介→人間の経路で体内に取り込まれて発症した。症状は小脳性運動失調、意識障害、知能障害などが見られた。胎児性水俣病は高度の知能障害が見られた。 898 有機リン中毒 農薬の有機リンは抗コリンエステラーゼ作用がある。中毒状態ではコリンエステラーゼが減少し、コリンが多くなり、悪心・嘔吐、下痢、縮瞳などの副交感神経刺激症状が見られる。 899 パーキンソン症候群 Parkinsonian syndrome パーキンソン病(振戦麻痺 paralysis agitans)が古くから記載されており、同様の病像を呈する疾患がいくつか発見されて、まとめてパーキンソン症候群と呼んでいる。パーキンソン病の他に、脳炎後パーキンソニズム、線条体・黒質変性症、パーキンソン・痴呆複合(グアム)、薬原性、脳動脈硬化症などが原因として知られている。 三大症状は筋強剛(筋固縮)、寡動(無動)、振戦である。四肢を他動的に屈伸させようとすると、筋強剛のために歯車を回すときのような小刻みな抵抗を感じる(歯車現象)。寡動では運動開始の困難が特徴で、歩行開始時の困難(すくみ足)などが見られる。目印があったり階段だとすいすい歩けるので、筋強剛のせいだけではない。振戦は静止時振戦で、丸薬を指先で丸めるような(pill-rolling)とも形容される。 自律神経症状としては発汗、あぶら顔、唾液分泌過剰、便秘などがある。抑うつなどの精神症状が見られることもある。 以上の症状は黒質線条体系でドーパミンが欠乏するため、抑制系である尾状核の機能低下、ひいては淡蒼球・視床腹外側核系の機能亢進をきたす結果起こる。 治療はトリヘキシフェニディール、ビペリデンなどのほかに種々の薬剤が試みられている。 向精神薬の副作用として頻度の低くない症状であるが、抗パーキンソン剤を加えることで緩和できるので心配は要らない。 900 アテトーゼ athetosis,Athetose 筋緊張は亢進したままでゆっくりとくねる不随意の運動が顔面、頚部、上下肢などに見られる。遠位筋に優位といわれる。緊張すると出やすいと訴える。錐体外路症状のひとつ。 901 アナクリティック・デプレッション anaclitic depression アナクリティックは母親への依存の意味。母親を奪われたときの子供の抑うつをアナクリティック・デプレッションと呼ぶ。anacliticはスピッツによる造語で「よりかかる・依存する」の意味。母性的養育の大切な理由である。 902 ウィルソン病 Wilson's disease 先天性銅代謝異常である。肝レンズ核変性症 hepato-lenticular degeneration とも呼ばれる。銅と結合するセルロプラスミンの合成不全が原因で、肝臓、角膜、脳などに銅が沈着する。錐体外路症状として振戦(羽ばたき振戦)や筋固縮が起こり、ほかにはカイザー・フライシャー角膜輪、肝硬変などが見られる。精神面では初期には抑制欠如、情緒不安定など、末期には知能低下などを呈する。レンズ核は淡蒼球と被殻のこと。 903 正常圧水頭症 normal pressure hydrocephalus 老人に多く、痴呆、歩行障害、尿失禁が三大症状である。髄液圧が正常であることから名付けられているが、現代では画像により診断できる。脳質は拡大しているが皮質の萎縮がない。外科手術により治療可能なことがある痴呆なので、見落とさないことが大切である。 水頭症は髄液が過剰になり、脳室が拡大し髄液圧も高くなるのが一般である。乳幼児の場合には頭そのものが大きくなる。正常圧水頭症では髄液圧が上昇しないので不思議であるが、睡眠中には髄液圧の上昇が見られるとの報告がある。髄液再吸収機構に問題があると考えられている。 904 性的小児症 sexual infantilism 性的発達不全を示すもので、精神的にも人格未熟、情緒不安定、被暗示性亢進、自己中心的、依存的、信頼関係欠如などの問題点が指摘されている。疾患としては下垂体性として類宦官症、小人症、性腺原発性としてターナー症候群、クラインフェルター症候群、視床下部性として、フレーリッヒ症候群、ローレンス・ムーン・ビードル症候群などがある。 以上のことは、@生育のプロセスで精神発達と性的発達の関係の深さを示唆する。A脳の形成のプロセスでの性ホルモンの重要性を示唆する。B逆に、性的機能形成において脳からの刺激物質の重要性を示唆する。 また、脳の形成の観点から見ると、胎児期と第二次性徴期の二度にわたって、性ホルモンの重要な時期があると考えられる。胎児期、特に視床下部分化期に性ホルモンの影響を受けて脳の特性が決定され、思春期以降の性行動が決定されるとの主張がある。当然、脳への影響は性行動に関連する部分だけではないであろうと推定される。 第二次性徴期は精神分裂病の好発年齢の開始期であり、かつ真の意味での創造性の始まる時期でもある。いずれも体系的な空想活動に関係している。 905 月経前緊張症候群 premenstrual tension syndrome 月経開始前二週間くらいから始まり、月経が始まると症状が消えるもので、情緒不安定、頭痛、不眠、イライラなどが訴えられる。ときに離人感も生じると文献にはある。乳房痛など、性ホルモンの影響が明白と考えられる症状も見られる。 感情や思考に性ホルモンがどのようなメカニズムで関係しているか、実に興味深い。 906 レンズ核=淡蒼球+被殻 被殻+尾状核=線条体 内包はレンズ核を内方から包む白質部。 視床の外側に淡蒼球、その外側に被殻がある。 907 発症機構・構造と内容 ・下痢のたとえ。 腐ったものを食べたから、下痢をした。→神経症タイプ。 ストレスが強くて下痢をして、夕べ食べたものが出てきた。→症状の形式と内容は別。精神病タイプ。 908 治療と役割 ・「役割」は社会参加のモードである。大切。社会に素裸で参加するのではなく、役割という「洋服」を着て参加するのである。役割は社会での自己認知である。 役割の認知を通して、社会機能を再建する。 909 分裂病の予防 ・アリエティが指摘しているように、イスラムのキブツでは分裂病の発生が少なく、それは集団母親体制が有効に機能しているからではないかとの考え方がある。近代社会は、核家族化の方向に向き、それは結局、母親の機能不全を補完するものを奪ったのではないか。大家族や村社会で生きていた当時は、子育てに向かない母親は子育てをしないで住んでいたかも知れない。分裂病の素因を持った子供は素因をそれ以上発展させることなく終わったかも知れない。 ・もしそんな事情が実際にあるのなら、分裂病の予防に有効な方法である。 ・現代社会では、ベビーシッターや保育所、託児所の活用が考えられる。 910 錐体外路症状 extrapyramidal symptom 錐体路は随意運動系であり、錐体外路は錐体路を修飾する不随意(自動調節)運動系である。錐体外路系に司令を送るのは大脳基底核であり、その詳細は尾状核、レンズ核(淡蒼球と被殻)、視床下核(Luys体)、視床、黒質、赤核などである。尾状核と被殻とを線条体と呼び、線条体は大脳基底核の中心的な働きをしている。錐体外路疾患はこれらの場所での異常が原因になる。黒質線条体系のドーパミン欠乏ではパーキンソン症候群が起こり筋強剛・寡動タイプである。ハンチントン舞踏病では筋緊張低下・多動となる。薬剤性パーキンソン症候群では抗パーキンソン薬でおおむねコントロールが可能である。 911 ウェルニッケ脳症 Wernicke's encephalopathy アルコール多飲に伴うビタミンB1(サイアミン)欠乏によるもので、眼筋麻痺、意識障害、運動失調が古典的三徴候である。路上に倒れていた原因不明の意識障害の患者がかつぎ込まれたときには、点滴にサイアミンを混ぜるようにすすめる指導医もいる。コルサコフ症候群に移行することも多いとされる。 912 現実モデルの重層性 意識・個人的無意識・集合的無意識 赤ん坊のときは集合的無意識から個人的無意識と意識が作られてゆく。次第に集合的無意識と個人的無意識から個人的無意識と意識が作られてゆく。つまり、上位のものを作るとき、下位の構造が役立てられる。 意識・個人的無意識・集合的無意識の複合体=現実モデル 無意識とは、主に「構造」だけを供給する。内容は意識に蓄えられる。? 集合的無意識は「構造」を主に提供し、意識は内容を主に提供する。個人的無意識は中間である。? 913 絵画解釈の指針 →そのイメージは心のどの層から出たものか? 意識と二つの無意識。 無意識の構造‥‥集合的無意識と個人的無意識 @集合的無意識とは、系統発生的に蓄えられた現実モデル。遺伝子情報である。系統発生的現実モデル。 A個人的無意識とは、個体発生(生育歴)から蓄えられた現実モデル。個体発生的現実モデル。 B言語システムに蓄えられた構造がある。(たとえば、概念同士の関係。)これは長い歴史の間に現実を転写したものもあるし、偶然が重なってそのままになっているものもある。 言語システムは意識層と個人的無意識層にプールされる。 (名詞に男女中性がある言語では、たとえば「太陽」のイメージに性がつきまとうかも知れない。) @現実モデル(意識・個人的無意識・集団的無意識)とA空想、B照合・棄却。これらのどのレベルから出たものであるか。 言語システムの問題は小さくない。自意識の発生と言語の使用は密接な印象がある。 914 理系の真実と文系の真実 真実の参照先が違う。理系は経験・その洗練されたものとしての実験の真実、文系は集団の真実。 915 妄想かどうかは誰がどのように決めるのか?医師が正しいという保証はあるのか?医師は何を根拠にして自分が正しいと判断しているのか? →端的に言えば、医師の頭の中にある現実モデルを参照して決めている。 916 術後精神病 postoperative psychosis 【関連語】ICU(集中治療室:intensive care unit)精神病 外科手術の後に精神症状を呈することがある。器質因、心因、内因という精神医学の伝統的な分類に従えば以下のように三分できる。 @器質性症状 疲労、麻酔、電解質バランス異常などの、手術にともなう肉体的ストレスは意識障害をはじめとする急性器質性症状を引き起こす。また基礎疾患による精神症状(肝不全など)として意識障害を中心とする器質性症状が現れる。 A心因性症状 手術や環境による心理的ストレスが心因として作用する場合は不安、心気、抑うつなどを引き起こす。特にICU精神病では、極度の不安や隔離された人工的な環境などにより精神病状態が見られる。子宮摘出後や乳房切除後には女性アイデンティティの喪失問題などとも関係するのでやや長期の精神療法も必要である。 B内因性精神病の顕在化 手術に伴うストレスが、潜在していた内因性精神病を顕在化する場合がある。 917 脳平衡不全症候群 cerebral disequilibrium syndrome 【関連】人工透析、腎不全、透析脳症、透析痴呆、進行性透析脳症 慢性腎不全患者に対する人工透析開始時に、体液成分が急速に正常化されるために頭痛、嘔吐、軽度意識障害が起こることを指す。ほかに人工透析では社会生活が大きく制限されるので患者は喪失体験に苦しみ、うつ状態を経過することがある。心因性の病態に対しての精神療法が必要である。 長期にわたる透析療法は非可逆的慢性器質性脳障害を引き起こすことがあり、透析脳症(dialysis encephalopathy)や透析痴呆(dialysis dementia)といわれる。感情不安定・知能変化・性格変化などが急速に進行するものが進行性透析脳症(progressive dialysis encephalopathy)であり、原因はアルミニウムなどが推定されているが明白ではない。現在日本での人工透析患者数は十万人以上、平均年齢は五十歳以上であり、精神面でのケアも大きな問題である。 918 治療薬による精神病 薬物依存を形成するタイプのものと、有害副作用によるものとに大別される。症状としてはうつ、意識障害、幻覚妄想に大別されるが、使用量・期間・原疾患によって異なるし、大部分では複合した症状が出る。あえて分類すると以下のようになる。 うつタイプは、ドーパ(抗パーキンソン剤)、レセルピン(抗圧剤)、メチルドーパ(抗圧剤)、プロプラノロール(βブロッカー)、ヒドララジン(抗圧剤)、グアネチディン(抗圧剤)、ステロイド(副腎皮質ホルモン)、経口避妊薬、サイクロセリン(抗結核剤)、INH(抗結核剤)。 意識障害タイプは、ジギタリス(強心剤)、アンタブース(抗酒剤)。 幻覚妄想タイプは、ペンタゾシン(鎮痛剤)、トリヘキシフェニディール(抗コリン剤)、アトロピン(抗コリン剤)、スコポラミン(抗コリン剤)、アマンタジン(抗パーキンソン剤)、エフェドリン(気管支喘息治療剤)。 たとえば抗圧剤がうつ状態を引き起こすことに関しては、@薬自体の有害副作用(レゼルピンはカテコールアミンによる神経伝達を阻害する)の場合がある。A血圧が低下したことによるうつ状態または攻撃性低下の可能性がある。攻撃的だった人が急に落ち着くとコントラスト効果で元気がないように見える。Bさらには血圧の下げすぎで脳梗塞が発生し、その結果としてうつ状態が起きていることもある。C逆に、服薬していても高血圧が存続し高血圧脳症の症状として意識障害があり、それがうつ状態と見えることもある。 またSLE(自己免疫疾患のひとつ)の場合の感情障害は原疾患によるものかステロイド剤によるものか複合したものか、区別は難しい。 意識障害や幻覚妄想については、服用開始時期や用量から比較的原因は明瞭であるが、脳器質障害が併発しているときには原因が不明確になる。また、潜在していた内因性精神疾患や脳の脆弱性がこれら薬物や病気のストレスによって顕在化する場合もある。 患者さんは自分の感覚から薬が原因ではないかと医者に尋ねる。半ば責めるような口調になり、また投薬した別の医師をともに非難することを求めるようでもある。精神症状について薬が原因ではないかと疑うことは必要であるし、実際に薬が原因のことは多いのであるが、しかし上記のような事情もあるので、慎重に考え、決めつけない方がよい。 919 てんかん epilepsy 発作性脳律動異常を原因し、運動発作や各種精神症状を呈する疾患。かつては精神分裂病、躁うつ病とともに三大内因性精神病のひとつとされ精神科医が診察していた。脳波検査によって発作性脳律動異常を検出できるようになって、てんかん発作の裏付けとなる各種脳波が見いだされてからは内因性精神病からは除外されている。てんかん発作の初発は幼小児期から思春期にかけてのことが多いので小児神経医が診察し、成人してからは神経内科医または精神科医が診察を引き継ぐことが多い。脳内の手術可能な病変が原因の場合や脳手術後にてんかん発作が始まった場合には脳外科医が診察する。 「てんかんは脳に原因があってひきつけを起こす病気なのにどうして精神科医が診察するのか」と聞かれることがあるが、てんかんは種々の精神症状を伴うからである。意識障害から幻覚妄想状態まで、性格変化から痴呆までいろいろある。脳外科で診察しているてんかんの場合も、精神症状で問題がある場合には精神科に相談に来ることも多い。 発作時の症状によって名付けて分類するのが伝統的であり、大発作型、欠神発作型、精神発作型、精神運動発作型、自律神経発作型などがある。誤解の余地なく伝えるためには国際分類に従うのがよい。発作時脳波がなくても、臨床所見と非発作時脳波があれば性格に分類できるすぐれたものである。@意識障害を伴う=「複雑」、伴わない=「単純」、A脳波異常が限局=「部分」、脳波異常がすみやかに全体に波及=「全般」、部分から始まり全体に波及する様子が分かる「二次性全般化」という分類を軸に行われる。 治療は薬剤によるコントロールが主体である。ドストエフスキーの作品の中にてんかん発作の描写が書かれていて、有名である。 920 大発作 grand mal =強直・間代性発作(tonic-clonic seizure) もっとも代表的なてんかん発作のタイプ。意識消失に続いて四肢が伸展(tonic)、次に四肢が収縮と弛緩を繰り返す。一分以内程度で後睡眠に移る。逆行性健忘を残すことがある。発作の直前に前兆(アウラ aera )が起こることがある。眼前に光を感じるなどが典型的である。大発作がいったんおさまってまたすぐに大発作が起こるものをけいれん重積状態 status epilepticus という。ジアゼパムを注射する。発作を繰り返すたびに脳神経細胞はダメージを受け不可逆変化を残す。 921 単純欠神発作 simple absence seizure 子供に好発する。意識が数秒間消失し、回復する。突然始まり突然終わり、話は中断し、手にもっていた物は落とす。倒れることは少ない。純粋小発作 petit mal ともいう。大人になればなくなる例が多い。 922 複雑欠神発作 complex absence seizure 単純欠神発作で見られる意識消失発作に加えて運動系の症状が出るもの。自動症欠神は意識消失の間に舌なめずり、唇運動、揉み手などの単純運動が見られるものである。ミオクロニー欠神は意識消失の間に眼瞼や手にミオクロニーが起こるものである(筋肉の一部がぴくぴく動くこと)。 923 精神運動発作 psychomotor seizure 側頭葉てんかんとも呼ばれる。意識障害と舌なめずり、口唇運動、表情筋運動などの運動系の症状が見られる。意識がないのにまとまった運動をするので自動症 automatism という。数時間の徘徊の例もある。 924 精神発作 psychic seizure 知覚、思考、感情などの面で発作症状が起こる。患者は発作を自覚していて、幻覚、未視感、既視感、強制思考などを体験する。体験との距離は保たれていて批判力が保持されている点が分裂病性の幻覚妄想とは違う。 925 自律神経発作 autonomic seizure 吐き気、嘔吐、腹痛、便意、消化管違和感などの腹部症状、頭痛、頭重などの自律神経症状がてんかん発作として起こる。脳波所見として6&14Hz陽性棘波が見られる。 926 てんかん性精神病 側頭葉てんかんに関連して起こる慢性精神病のこと。幻覚、妄想、抑うつ、興奮などの症状を呈するが、人格は保持される。症状からだけでは分裂病との鑑別は困難で、結局先行するてんかん発作があったかどうかが問題となる。てんかん精神病が分裂病と同じなのか違うのか、分裂病モデルとなりうるのか、議論が多い。 927 単純部分発作 simple partial seizures てんかんの国際分類で、意識障害がなく脳波異常が局限しているもの。運動発作、感覚発作、自律神経発作、精神発作に分類される。 928 複雑部分発作 complex partial seizeres てんかんの国際分類で、意識障害があり、脳波異常が限局しているもの。側頭葉てんかんにほぼ等しい。自動症を伴う場合と伴わない場合で細分する。 929 全般発作 てんかんの国際分類で、脳波異常が全体に波及し意識障害が伴うもの。欠神発作、ミオクロニー発作、強直・間代性発作、間代発作、強直発作、脱力発作などに細分される。 930 熱性けいれん 三歳未満で熱発時に見られる全身けいれん。小さい頃引きつけはありましたかと尋ねて、熱を出したときに一度あったそうですなどと答えがあった場合は熱性けいれんである。てんかんへの移行は少ない。 931 個体は遺伝子の適応実験である。 932 てんかんの薬 副作用の少ないパルプロ酸を中心に考える。バルプロ酸だけでは発作をコントロールしきれないことがあるので、フェノバルビタールやテグレトールなどを併用する。 血中濃度をモニターしながら長期にわたり服用することが必要である。 933 偏頭痛 migrane 発作性・拍動性・一側性の強い頭痛。動脈の収縮と拡張が原因としていわれているが、セロトニン代謝の問題が指摘され、薬剤としてもエルゴタミン製剤と抗不安薬のほかに予防薬として抗セロトニン薬が検討されている。遺伝性・前兆(aura)あり(閃輝暗点、耳鳴り、悪心など)・頭痛の他に吐き気・嘔吐あり、などの特徴を示す典型的偏頭痛(classic migrane)と、睡眠中・早朝起床時にみられるあまり強くない頭痛を呈する普通型偏頭痛(common migrane)などのタイプがある。 934 豊かな自閉と貧しい自閉 貧しい自閉は空想力の枯渇=エンジンが停止。現実モデルは壊れていることもあり(→破瓜型?)、壊れていないこともある(→単純型?性格障害型?)。 豊かな自閉は空想力は保たれているが、現実モデルが壊れている(妄想型)。 現実モデルと空想産生……道路・ガイドとエンジン……川と水圧 豊かな自閉は「照合・棄却装置」の障害。棄却されずに空想が意識化される。 貧しい自閉は「照合・棄却装置」と「空想産生力」の障害。 935 夢=ばらばらの空想+無意識の構造 構造には意味がある。空想内容にはさしたる意味はない。睡眠中の感覚情報が取り込まれていることも多い。 936 非定型精神病 atypical psychosis,atypische Psychose クレペリンは状態像と経過から、分裂病と躁うつ病を定型的精神病とした。非定型とはこれら二つの定型的精神病以外の精神病をいうのであるが、定義は人によって狭いものと広いものとがある。分裂病は状態像としてはシュナイダーの一級症状、経過はシュープを繰り返して次第にレベルダウンするもの。躁うつ病は状態像としては感情、意欲、認知の面で偏りをきたし身体症状を伴い、経過は相性で最後には発病前の状態に戻るものである。非定型精神病を広く指す場合には、分裂病とも躁うつ病ともいえないが精神病であるものをいう。狭く指す場合には分裂病性の状態像と、躁うつ病性の経過を呈するものをいう。つまり、急性幻覚妄想状態・急性錯乱の状態像と相性で完全に元に戻る経過を呈するものである。さらに付随的な特徴としては脳波異常が確認される場合があること、遺伝負因がある場合が多いこと、発病契機を明白に認める場合があることなどがあげられる。 この狭い意味での非定型精神病は、脳波所見、遺伝性、状況依存性、病像としても意識障害の色彩があることなどの諸特徴から、内因性精神病と脳器質性精神病の中間に位置し、てんかんと同質の病理を持つとの推定がある。 ICD-10では分裂感情障害と急性一過性精神病障害、DSM4では分裂感情障害と分裂病様障害があげられている。急性一過性精神病障害と分裂病様障害は狭義の非定型精神病に近く、分裂感情障害は現在症として分裂病症状とうつ病症状が併存するもので、広義の非定型精神病の範囲に入る。 937 不眠症 insomnia 眠れないことや熟眠感がないことが一大事だということが普段眠れている人には分からない。「眠れない夜くらい経験はありますよ」とは言っても、続くものでなければ辛くはない。「眠れなくて死んだ人はいない」と説得する人もいるが、だからといって苦しさはやわらぐものではない。 熟眠感は数多くの条件がそろってはじめて実現するものである。従って不眠の原因はたくさんある。 @他に病気がある場合……脳の病気とその他の病気がある。 A薬や食べ物が原因の場合……寝る前にカフェインを含む飲食物をとる。 B老人の場合……配偶者を亡くして寂しさがつのり、不眠を訴えることがある。老年になるに従って睡眠時間は短くて済む傾向がある。 C心因性……気にかかることがあって眠れない。今夜も眠れなかったらどうしようと心配になってしまって眠れない。 D環境因性……睡眠環境が悪い場合で、上の階の住人が夜中まで騒ぐ場合、隣の部屋の人がテレビやステレオをうるさくしている場合、自動車の音、駐車場の音・光などである。 対策は以上の各原因に従う。 @原疾患の治療。 A原因物質の摂取を控える。 B自分に本当に必要な睡眠はどのようなものか、若い頃とは違うことを知っていただく。 C精神療法。 D環境調整。耳栓なども含む。 E共通の対策は睡眠剤の使用である。根本療法ではないが、改善のきっかけにはなる。ただ、睡眠時無呼吸症候群だけはベンゾジアゼピン系薬剤は症状を悪化させるので注意が必要である。 F積極的環境調整としては、夜になったら頭を休める、軽い体操、ぬるいお湯にゆっくりと入浴、香りを調節する、音楽を調整する、電話が鳴らないようにするなどの工夫がある。 938 睡眠ポリグラフ 睡眠時の様子を脳波、体温、体動、いびき、眼球運動、呼吸状態、発汗など他種類にわたって記録すること。睡眠障害の原因の探究に役立つ。付き合っている医者は大変である。 939 ストーミー・パーソナリティ stormy personality アリエティ(S.Arieti)が記載した性格類型で、精神分裂病に親和性が高いものとされている。自己同一性が確立されず不安定で極端、「As-if人格」に類似の点もあり、境界型人格障害に似た要素もある。嵐のように激しい。 940 睡眠時無呼吸症候群 sleep apnea syndrome 睡眠中に十秒以上にわたる呼吸停止を反復するもの。呼吸再開するといびきを伴う。不眠や昼間の眠気を主訴とする。太っている人が多いが、そうでない人もいる。問診では、そばで寝ている人に、呼吸の一時的停止といびきを尋ねる。「いびきでうるさいと思っていると息が止まるので不思議な人だなと思っていました」とか「死んだのかと思ってびっくりしたことがある」とか話すことがある。確定診断は睡眠ポリグラフで呼吸と脳波をチェックする。脳波は覚醒状態を示してよく寝ていないので、不眠、昼の眠気、仕事の能率の低下などを引き起こす。 原因は@上部気道閉塞……肥満や鼻閉で起こるA呼吸中枢の異常B以上の二つの混合したものに区別できる。不眠であるからといってベンゾジアゼピン系の眠剤を使用すると上部気道の閉塞を促進してしまうので注意が必要である。アセタゾラミドが保険適用となっており、呼吸性アシドーシスを改善する。成人男子に多いが乳幼児にも見られ、乳児突然死症候群の一部であると考えられる。 肥満、昼の傾眠、赤血球増多を示すものはピックウィック症候群という。 941 睡眠時ミオクローヌス症候群 nocturnal myoclonus syndrome 睡眠中に下肢の不随意運動が出現し睡眠が中断されるため不眠となる。クロナゼパムを試してみる。 942 レストレスレッグズ症候群 Restless legs syndrome =むずむず脚症候群 夕方安静時や夜間就床時に下肢にムズムズが生じ不眠となるもの。ふくらはぎの深部に虫が這う感じだという。いったん起きて歩き回るとおさまることがある。原因は不明。クロナゼパムを試してみる。 943 ナルコレプシー narcolepsy 多彩な症状を示す、過眠症。同一家族内に発生することが多くDNA研究が進められている。運転中や麻雀などをしているさなかに急に睡眠発作を起こす、大笑いしたりすると脱力発作を起こす(情動性筋緊張消失:カタプレキシー)、入眠時幻覚、睡眠麻痺(入眠直前や覚醒直後に体が動かせない)、脳波では入眠時REM、逆説的α波抑制(開眼するとα波が増える所見)などが見られる。患者は人口の0.02〜0.09%、米国では50万人もいるという。患者に昼に「眠ってください」と命じると五分以内に眠ると文献にはある。メチルフェニデートなどを試みる。患者会に「なるこ会」がある。 944 金縛り REM期に何かの拍子に目が覚めると体は眠っていて力が入らないので金縛りにあったように感じる。超常現象ではなく普通の現象である。 945 幽体離脱 =体外離脱 幽体とは「霊魂」で、それが身体を離脱すること。臨死体験で霊魂が離脱して状況を斜め上方から見ていたりする。また非常に強いショックを受けたときに離人体験が生じ、そのようすを映画でも見ているように客観的に眺めているときは幽体離脱に近い状態になっていると考えられる。DSM4の離人症の記述は幽体離脱体験に近い。(離人症を人から霊魂が離れると解してみる人もいる。取り残された人体は自動機械のようになる。これはひとつの比喩として面白い。) 946 周期性傾眠症 periodic somnolence =クライネ・レービン症候群 Kleine-Levin syndrome 思春期男性が一週間内外のあいだ傾眠発作を繰り返す病気。傾眠発作に食欲異常亢進が見られるものをクライネ・レービン症候群という。発生は比較的まれで、原因は不明、成人に達すると自然治癒することが多い。 947 睡眠覚醒スケジュール障害 Sleep-wake Schedule Disorder 一過性のものには時差症候群(jet lag syndrome)やシフト勤務によるものがある。持続性のものには睡眠相前進症候群、睡眠相後退症候群、非24時間睡眠覚醒症候群などがある。これらは社会生活の時間と体内時計の時間が一致しないためにずれが次第に大きくなったり固定したりするものである。ビタミンB12を試してみる。メラトニンは有望かも知れないが経験はない。 948 喪の仕事 grief work いくつかの段階に分ける。それらは大きく分けると、自己危急反応、現実歪曲、心内歪曲、受け入れと進行する。 この進行は防衛機制の発達と重なっている。現実歪曲は精神病レベルの防衛機制であり、心内歪曲は神経症レベルの防衛機制である。ここでも低次反応から高次反応へ段階を踏んでいる。 949-1 グループ全体の無意識を考える グループ全体の無意識が治療者に向かって反応を起こす場合、逆の場合など、転移逆転移を個人の無意識と集団の無意識との間に考える。 グループは二人から成立するから、患者グループもいろいろ考えられる。また、治療者グループもいろいろ考えられる。そして全体の集団がひとつある。 ということになれば、実にさまざまな集団的無意識があるわけだ(→図949-2)。それらがすべて同等の重みを持つわけではなくて、「心理的に支配的な集団」があるはずである。それはアイデンティティにも関わってくる。 950 フロイトによる精神構造論 フロイトは生のエネルギーをリビドーと名付けた。性のエネルギーはリビドーの主要な部分である。フロイトは心の構造をイド( id 、またはエス es )、エゴ(自我 ego )、スーパーエゴ(超自我 super-ego)に分けて考えた。イドにはリビドーがあり、イドの本能的欲求を対象により満足させるのがエゴである。良心、理想自我、自己観察の機能はスーパーエゴにあり、本能的欲求に対して禁止や脅しを行い、エゴに罪悪感を感じさせる。 イドの欲求に問題がなければエゴは現実の満足を実現する。イドの欲求がスーパーエゴの道徳感覚に照らして許されないものであれば、エゴは抑圧などの防衛機制により欲求を引っ込めさせる。欲求が強力で抑圧しきれない場合には夢の中に検閲をくぐるような形に変形されて登場したり、転換または解離ヒステリーなどの形で症状として表現されたりする。 これに対する治療は二つの方向があり、抑圧が不完全であるから完全な抑圧を作るという方向と、抑圧しても出てくるのだから、抑圧はやめて発散させればよいという方向とがある。 後者が簡便で大衆には歓迎される。たとえば、上司に対して言いたいことも言えないで悶々としている患者に対して、自己主張訓練を始めるような流派である。たまっているならぶつけて吐き出しなさいというのは日本での治療としては適切かどうか疑わしい。 951 フロイトの精神性的発達論 フロイトは人間の精神発達は性的発達と密接であると考え次のように関係づけたた。@口愛期(oral phase,0〜1歳3ヶ月。)。口唇を通じて母親の乳房と交流する時期で、基本的信頼感が形成される。A肛門愛期(anal phase,1〜3歳。)。排泄物の保持・放出を通じて基本的欲求を調節することを学ぶ。肛門愛性格とは、倹約、頑固、几帳面。B男根期(phallic phase,3〜5歳。)。エディプス・コンプレックスの時期。C潜在期(latency period,6〜11歳。)。性的発達としては潜伏する。D思春期(adolescence,genital phase,11〜18歳。)第二次性徴が起こる。自我同一性の確立に向けて試みが始まる。E成人期。 口→肛門→性器と続く発達は、生物が進化の歴史で辿った歴史でもあり、フロイトは系統発生を参考にして、個体発生においてもこうした順序で発達が起こるであろうと推定したものと思われる。フロイトの時代は「個体発生は系統発生を反復する」というヘッケルの説が流布した時代である。 952 薬物依存 drug dependence 精神的依存または身体的依存が成立しているときをいう。古くは中毒、その後は嗜癖と習慣性という言葉を用いていた。嗜癖 addiction とは精神的・身体的依存があり用量増加の傾向に加えて個人と社会に害を及ぼし、薬剤入手の欲求は衝動的で自制できないものをいう。一方、習慣性 habituation は精神的・身体的依存は目立たず禁断症状もなく害は個人に限定され、薬剤入手の欲求も衝動的というほどではない。つまり嗜癖は重症で習慣性は軽症なのであるが中間の事態を判定するのが難しいので、現在では両者を含む言葉として依存 dependency を用いている。 身体的依存は急激な中断をすると禁断症状が現れるものである。薬をやめようと思っても禁断症状が辛いのでやめられない。モルヒネやアルコールで見られる。 精神的依存は薬物を求める精神的な衝動である。薬物依存ではどのタイプにも見られる。 耐性とは、同じ効果を得るための薬剤量が増えてゆくことで、アルコールでいえば「強くなる」ことである。 交差耐性とは、たとえばアルコールで耐性ができている人ははじめて使用するバルビツール酸でも耐性が見られることで、ほかにモルヒネと他の麻薬でも見られる。酒飲みには手術用の麻酔も効きにくいことがある。 依存はひとつをやめても別の依存を始めていることがある。薬物であればアルコールから睡眠薬に、また買い物依存症や過食症などに形を変えるなどして存続することが多い。「忘れたいこと」や「不安なこと」が解消しないまま患者を苦しめ続けるからであろう。不安の処理の仕方を改善することが大切であると言われるものの、具体的にどうすればよいのか難問である。 CTやMRIで強い萎縮などの脳の形態的な異常を見ることがある。薬物使用前の写真がないので薬物が原因かどうかは分からないが、後遺症の質を検討する際に役立つ所見であろう。 953 モルヒネ morphine 法律用語である「麻薬」は阿片およびコカの葉とこれらから作られたもの、これらと同等の毒害を及ぼすものを指す。けしの実からとれる18種類のアルカロイドを総称して阿片という。その主成分がモルヒネである。ヘロインも阿片の誘導体でモルヒネよりも強力である。つまり、モルヒネ、ヘロイン、コカの葉からとれるコカイン、合成物である meperiden や methadone などを麻薬と法律で言い、麻薬取締法が適用される。 鎮痛作用が強く、苦悩を忘れる。精神依存・身体依存ともに強く形成され、禁断症状は激烈で自律神経の嵐と呼ばれる。意志薄弱と高等感情鈍麻を残すうえに、モルヒネ依存は再発を繰り返しやすいので社会復帰は容易ではない場合がある。モルヒネはやめてもアルコール依存などに移行する場合も多い。 エンドルフィン(endorphins)は脳内で自然にできるモルヒネに似た物質で、作用も似ている。むしろ、エンドルフィンが存在して、そのレセプターもあるからモルヒネが作用すると言える。エンドルフィンは痛みや快感の調整をしており、モルヒネが体外から入ると急速に産生が中止される。この状態で体外からのモルヒネを少しでも減らすと激しい痛みや自律神経症状が出現する。 954 コカイン cocaine コカの葉から抽出されたもの。局所麻酔薬として使われる。フロイトが局所麻酔薬としてはじめて使ったことは有名である。多幸状態になるので精神依存を形成する。身体依存や耐性は形成されない。乱用すると幻覚、意識障害、てんかん発作などの症状が出る。コカイン精神病では幻触と被害妄想を呈する。再発率が高い。麻薬取締法が適用される。 955 大麻 大麻草からとられて喫煙される。カンナビス(cannabis)、マリファナ(marijuana)、ハッシシュ(hashish)とも呼ばれる。多幸感、変容体験が好まれる。精神依存は形成されるが身体依存と耐性は形成されない。長期使用するとやる気がなくなり労働意欲低下に陥るなど精神の荒廃を招く。大麻取締法が適用される。 956 精神異常発現薬 LSD-25(いわゆるacid。、ライ麦に寄生する麦角菌のアルカロイド。)、サイロシビン(psilocybin:magic mashrooms 中米の毒キノコから抽出された。)、メスカリン(メキシコのサボテンの一種であるペヨーテから抽出された物質。)、PCP(phencyclidine)などがあり、幻覚、心地よい good trip や不快な bad trip が起こる。長期使用すると人格に好ましくない変化が起こり、さらには精神分裂病に似た幻覚妄想状態を呈することがある。麻薬取締法が適用される。 957 有機溶剤 ペンキを薄める液や接着剤に含まれている。主成分はベンゼンやトルエンで、酩酊、多幸と幻覚作用が好まれる。精神依存と耐性は形成され、身体依存は形成されない。誤って大量使用したときには呼吸抑制により死亡する。長期使用によりやる気がなくなり、不安、被害感なども生じる。非行グループに属しているうちに有機溶剤を覚え、経済的に余裕ができると他の薬剤依存に進展することもよく見られるらしい。 958 覚醒剤 メタンフェタミン(日本でヒロポン)とアンフェタミン(米国でベンゼドリン:スピード, MDMA )とがある。ヒロポンは「疲労がポンととれる」とのことで戦時中に用いられ、敗戦と共に一挙に放出されたという。現在は覚せい剤取締法が適用される。 疲労除去、気分爽快が好まれる。女性のやせ薬として使われることもあるという。身体依存はないが精神依存は強く耐性も大きい。長期使用していると分裂病に似た幻覚妄想状態になる。覚せい剤をやめた後も分裂病症状が残ることがある。潜在的分裂病を顕在化させたのか、全く新しく分裂病を生じさせたのか、不明のことも多い。 959 カップル燃えつき症候群 本来「燃えつき症候群」は看護職員や教員が理想を実現しようと努力した末に報われずうつ状態に陥る現象である。カップルの間でも、お互いの性格傾向がある種の組み合わせになるときには、最初に理想を実現しようと努力する時期があり、しばらくして報われず燃え尽きの時期が訪れることがある。これはたとえば理想を求めて妥協しない人格傾向と関係している場合があると考えられ、カップルセラピーの適応である。 960 精神疾患の分類 まず何が精神疾患であるか、これは自明ではない。たとえば同性愛はかつては精神疾患のひとつとして分類され、DSMで分類番号が与えられていた。しかし現在では精神疾患ではないと見なされている。したがって精神疾患かどうかはいつでも議論の余地を含むものであると考えておいてよいだろう。 さて、身体疾患の場合には組織病理診断と生活障害診断(症状)と二つのレベルで考えることができる。組織病理診断で病変がある場合が病気である。普通は組織病理病変があればそれに対応する生活障害がある。組織病理診断で病変があっても、生活障害がない場合もある。それは症状はないけれども病気である。組織病理病変がないけれども生活障害(症状)がある場合がある。そんなとき身体科の医師は神経症とか心因性とか考えて神経科・精神科に紹介する。 組織病理診断  生活障害診断(症状) ○ ○ 通常の病気 ○ × 病気はあるが症状はない × ○ 症状はあるが病気はない(神経症・心因性) 生きているうちに画像診断したり、死後に解剖したりして、脳に病変が発見されるとき、脳器質性疾患という。脳腫瘍、脳外傷、アルツハイマー病をはじめとする変性疾患、アルコール症などである。 脳器質性疾患は組織病理診断でも生活障害診断でも病気であると判断されるので、身体疾患と同じ考え方で対処できる。 また、他器官の疾患があり、それによって二次的に脳に障害が現れる場合があり、症状精神病という。この場合は原疾患と脳の異常のあいだの関係を厳密に考える。 以上の二つを除外した場合、つまり脳や他器官に脳の異常の原因となるような組織病理診断が何も見つからない場合を非器質性疾患または機能性疾患と呼んでいる。 機能性疾患を内因性精神病と神経症に分けている。内因性精神病には精神分裂病と内因性うつ病、躁うつ病、非定型精神病がある。神経症にはパニック障害、全般性不安障害、強迫症、恐怖症、神経症性うつ状態、心気症、ヒステリーなどがある。内因性精神病と神経症の区別はいくつかある。症状としては「現実を歪めて認知しているかどうか」(現実検討という)が最も重要である。そのほか経過の特性、予後、病前性格、遺伝負因、発病状況などの点で区別される。 内因性精神病と神経症については組織病理診断の裏付けがないのに症状はあるものという定義にとどまっており、これは医学的な観点からは消極的な定義と言わざるを得ない。 従って、内因性精神病と神経症についてはいくつかの考え方が許されることになる。 内因性精神病は「まだ発見されていない脳器質性原因」によるものであるとし、神経症は「心因性」の原因によるものとするのが現在主流であると言えるだろう。薬剤への反応、症状の特性、経過の特性、予後、病前性格、遺伝負因、発病状況などが推定の根拠となる。 しかし両者ともいまだ発見されていない脳器質性の原因があるのだとする考え方もある。神経症の中でも特にパニック障害と強迫性障害は薬剤への反応やその他の証拠から器質性疾患と考えるべきだとの考えが強まってきている。また、心因性とは言うものの、同じ心因にさらされても発症する場合としない場合があり、発症する場合も精神病症状を呈する場合から神経症症状を呈する場合まである。だとすれば、心因は症状発現のきっかけであると言うべきで、発病を準備しているのは精神病と神経症共に器質性要因であると言うべきである。 この議論は微妙なところがある。脳の機能は全て脳内の活動として記述されるとすれば、そしてそれは現在では当然の過程だと思うのだが、すべての症状はそれに対応する器質性のプロセスの記述を持つ。そのプロセスが異常であるか否かという議論は「異常」という言葉の定義にかかわることになる。 また一方では内因性精神病も神経症も、器質因が見つかっていないから暫定的に非器質性だというのではなく、積極的に非器質性であるとする立場がある。これは従来から根強い考え方で、心のストレスが症状を引き起こしたと見る常識的な因果関係の感じ方の延長にある。 ビニル袋から中身の液体が漏れている。ビニル袋に穴があいているのは器質因であり、中身の液体が何であるかは心因である。液体の漏れ方は、穴のあき方と液体の性質の両方に関係している。 神経症心因説は、中身の液体の性質が特別だから袋に穴があいたとするものである。 さて、器質性と非器質性の区分が意味のあるものかどうかについて一石を投じるのが、ストレス脆弱性モデルである。これは脆弱性は器質性部分であり、素因と呼んでもよい。ストレスは心因部分である。症状は、脆弱性+ストレスの加算によって成立する。つまり器質性要因と非器質性要因の加算によるわけである。 考えてみれば、器質性疾患の場合でも、 一次症状+二次症状(一次症状に対する反応)=総合症状 という考え方もできる。 身体疾患でも、 高血圧+二次的不安=総合症状 という成り立ちになっている。精神症状の場合には複雑である。 精神症状+二次反応=総合症状 であるが、二次反応が正常反応でない場合が多い。 原発異常+異常反応=総合症状 である。原発異常が何か、それに対する反応は何か、と分けて考えられないか。原発異常が何かと考えて、ひとつのヒントは、精神異常の一番始まりの時点で、二次的異常反応が起こる前の時期に症状をつかまえられれば、それが原発異常ではないかというものである。 961 カフェイン caffein 精神刺激剤のひとつで、アメリカではコーヒー、イギリスでは紅茶、ブラジルではガラナ(guarana)、日本では緑茶で飲用している。チョコレートやコーラ飲料にも含まれている。心臓を刺激する。脳の抑制物質であるアデノシン(adenosine)を抑制することによって、刺激効果を生む。大量使用ではセロトニンに影響を与える。 ・カフェイン当量 コーヒー一杯 紅茶一杯 コーラ一杯 カフェイン剤一粒 962 高血圧 hypertension ・血圧計は何を測っているのか。 ・自動血圧計は正確か。 ・脈拍はどうか。 ・高血圧はなぜ体に悪いのか。 ・どうすれば血圧が下がるのか。 963 ニコチン nicitine たばこに含まれている物質で、呼吸と心拍数を増大させ、食欲を抑制する。脳のアセチルコリンの代わりにニコチン感受性レセプターを刺激することによって作用する。依存性は高く、その弊害はもはや常識である。喫煙習慣はたばこの煙の吸入を望まない周囲の人にも害を及ぼすことが問題で、嫌煙権として主張され、公共の場所での禁煙または分煙が広まりつつある。自分が好きなのだから他人はある程度我慢をしても構わないと考えるのは生まれつきなのだろうか、たばこのせいなのだろうか。先進諸国のたばこ産業は自国での販売は先細りで、開発途上諸国に売り込んでいる。自国で害ありとされているものを、啓蒙が不十分な国で売ろうとするのはどういうものだろうかと議論されている。治療用にニコチンガムがあるので、利用するのもよい。 964 話をすること 話をすれば気持ちが整理されてすっきりする場合(整理タイプ)と、話をすれば一層混乱を増す場合(散らかりタイプ)とがある。各々の患者さんについてどちらのタイプであるかを判断しながら治療する必要がある。 965 幻覚剤 hallucinogens 中南米インディオのペヨーテ(メスカリン)、中近東のハッシシュ(大麻・マリファナ)などのように古くから宗教儀式や悦楽のために用いられていた。異常な精神状態を引き起こす薬剤としては、メスカリン、大麻、LSD-25、サイロシビンなどがある。 966 抗酒薬 ディサルフィラム disulfiram (アンタブース)とシアナマイド cyanamide がある。アルコールは体内でアセトアルデヒドを経て酢酸に、さらに酸素と二酸化炭素に代謝される。 節酒療法に使われるシアナマイドはアルコールからアセトアルデヒドへの変換を阻害してアルコール濃度を上げる。少量のアルコール飲酒でも酩酊状態になるので、大量飲酒を避けられるようになり、結果として節酒になる。 嫌酒療法に使われるディサルフィラムはアセトアルデヒドから酢酸への変換を阻害しアセトアルデヒドの濃度を上げる。。過量のアセトアルデヒドは不快を引き起こすので、飲酒を嫌うようになる。 なお、ディサルフィラムは dopamine-β-hydroxylase の阻害によって脳内ノルアドレナリンの減少とドーパミンの過剰を引き起こし、ディサルフィラム中毒としてのアンタブース精神病の原因となる。意識障害やうつ状態が見られる。 アルコール→アセトアルデヒド→酢酸 シアナマイド ディサルフィラム 967 うつ状態と抗うつ薬 うつ状態のときにはいろいろな身体症状が現れる。だるさ、眠気、頭痛、頭重、口渇、便秘などが代表的である。抗うつ薬を服用したときの副作用の代表はだるさ、眠気、ふらつき、口渇、便秘などであり、本来の症状と重なっているものがある。抗うつ薬の使いはじめには薬のせいでこれらの症状が重くなったと感じられることもあり、やや不愉快である。抗うつ薬はぐんぐんと元気を出し、眠気もとれて体がすっきりすると思うのは間違いで、もっとゆっくりと効力を発揮するものである。うつ状態が改善するのには本質的に時間が必要で、時間を待っている間に本来の自己治癒力が働き出す。それまでの時間を我慢しやすくするのが抗うつ薬の主な働きであると考えてよいだろう。抗うつ薬で気分をぱっと調整するなどという魔法のようなことができるわけではない。そんな気分があったらそれは、もうかなり治りかけのタイミングで抗うつ薬の服用を始めたということだろう。法律で禁止されている覚醒剤のたぐいは即効性に一時的に苦痛を取り去るが、結果的には精神と肉体がさらに深く蝕まれることになる。 968 性格障害 @おおむね神経症レベルの現実把握で推移し、ときに精神病レベルの病態水準に落ち込むこともある。 A心因や環境因というよりは、性格因と言うべきような、持続的な困難を抱えている。 B治療は長期間にわたるものとなり、困難な場合が多い。 C環境が許せば、性格の病理を抱えたままで生きてゆくことができる。病理を抱えながらも生活に中断を来さないことは他の疾患よりも多い。 D古くからその人を知っている人は、昔からそのような人柄であることは承知しているので病気とは見ない。新しく出会う人も「病気」という目では見ないことが多い。従って本人も病気とは感じないことが多い。 E人柄と見なすか、病気と見なすかは、社会の習慣による。この点は典型的な精神病の場合よりも一層著しい。 概ね神経症レベルで、しばしば生涯にわたるが青年期に一層著明な持続的な困難を抱えている。環境が許せば病理は問題とならず人柄として周囲に受け入れられる場合もある。 969 agoraphobia 本質は「パニック発作恐怖」であるとする見解。 本質は「家から離れて一人になり、外敵からの恐怖にさらされる危険を回避する」ことであるとする見解。 「外に出たら熊に襲われる」と考えて外出できなくなるのが原型。次に「熊に襲われるパニック」が一般に「原因不特定のパニック」に置き換わる。この時点で般化が起こる。特定状況から不特定状況に広がり、予期不安になる。 この対処方式は危険の範囲を広く見積もる慎重な対応である。これは生存の確率を高めるだろう。 パニック発作は典型的には外で一人のときに外敵に襲われたときのものであろう。 「パニック発作の回避」=「発作状況の回避」=「安全地帯を離れて、一人でいること」「無防備であること」 危険地帯はどこか?その判断はそれぞれである。しかし原則は、「家が安全で、そこにつながっていれば大丈夫」ということらしい。 逃げ場のない閉所は危険。窓がないエレベーターは危険。何かあったときにすぐ下ろしてもらえない乗り物は危険。 970 精神分析の流れ  →図にまとめること フロイト ユング 対象関係論(イギリス) クライン Ferenzi カーンバーグ マスターソン ガンダーソン Guntrip Rank,O. 自己心理学(アメリカ・コフート) 境界例が議論されているのは主にアメリカ。 971 マーラーの精神発達論 @正常自閉期   ・出産   ・正常自閉期 A共生期 B分離個体化期   ・分化期   ・練習期   ・再接近期 ・再接近危機 C危機の解決と最適距離の発見 972 幼児期・児童期の精神障害の特徴 一般に精神的に悩むのではなく行動や身体に現れる傾向がある。低年齢であるほど、未分化で全身的な表現をとる。原因が何であれ、嘔吐したりする。次第に部分的で複雑な症状を現すようになる。 973 1〜5歳の発達診断表 →表 974 CT(computed tomography) コンピュータ断層撮影 1972年にイギリスで実用化された。X線ビームを多方向から照射し、その結果をコンピュータで計算して画像を再構成するものである。簡単に言えば、脳の輪切りができあがる。脳血管障害、脳萎縮、脳腫瘍などの診断の決めてとなる。MRIに比較すると画像は不明瞭なことがあるが、特別な場合以外は充分診断価値があるし、撮影時間が短くて済む点は有利である。 975 ポジトロンCT positron emission tomography(PET) ポジトロンは陽子のこと。放射性物質を体内に入れ、放射されるポジトロンを検出してコンピュータで計算し画像を再構成する。放射性物質を含むアンモニア、炭酸ガス、酸素、ブドウ糖などを用いて、脳の局所血流量、酸素消費の分布、ブドウ糖消費の分布などを画像で見ることができる。 ポジトロンの代わりに単光子(γ線)を放射する各種を用いるものがSPECT(single-photon emission CT)であり、脳局所血流量測定に用いられる。 976 MRI magnetic resonance imaging 核磁気共鳴画像法 =NMRI(nuclear magnetic resonance imaging) 磁場の中で特定周波数の電磁波を加えると人体内の水素原子から電磁波が放射される。それを測定し計算して画像として再構成するもので、X線を使わない検査である。X線CTに比較すると鮮明で診断価値は高いが時間がかかる。電子レンジに似た状態になるので、金属は発熱する。体の中に金属を埋め込んでいる場合は注意が必要である。たとえば義眼は熱くなる。30分くらい閉じこめられることになるので、閉所恐怖症のある人には向かない。また、30分の間頭を動かしてはいけないので、検査の意味を良く理解してくれる人でなければ難しい。 977 脳波 EEG electroencephalogram 脳神経細胞の活動の総和を頭皮の電極により記録したもの。 分かること:てんかん(3Hz spike and wave complex,hypsarhythmia,6&14陽性棘波など)。意識状態。睡眠深度。脳機能発達。脳死の判定の補助。肝性脳症の三相波。クロイツフェルト・ヤコブ病の周期性同期性放電。亜急性硬化性全脳脳炎の周期性全般性両側同期性棘徐波放電。 分からないこと:知能、感情、意志、精神病、神経症、性格など。脳波検査に当たって被害的になる人に話を聞くと、秘密が全部ばれてしまうと思っている人もいるようである。そんなことはないので安心して下さい。 てんかんをはじめとする疾患の診断に用いられる他に、現在ではバイオフィードバックのひとつとして、α波などの出現頻度をモニターしながらリラクゼーションや集中のトレーニングをすることが行われる。血圧や脈拍に比較してよい指標であるとの印象がある。 978 レム睡眠 急速眼球運動が見られ、同時に抗重力筋の筋緊張は低下する(金縛り)。一方、自律神経器官の活動は亢進し、心拍や呼吸は活発になり、勃起も起こる。この時期に夢を見る。約90分に一度、一晩で四、五回出現する。 979 睡眠ポリグラフィー polygraphy 睡眠中の状態を、脳波、心電図、呼吸、脈波、眼球運動、筋電図、自発性皮膚電気反射、microvibrationなどにより多面的に記録すること。睡眠時無呼吸症候群の診断などに有用である。 980 離人症 てんかんの鉤回発作 uncinate fit (Jackson,J.H.)やLSD中毒でも現れる。 981 心気状態 hypochondriacal state 肋軟骨下 hypochondros を気にすること(ガレノス Galenos )が語源。 982 意識障害の評価 意識の覚性 vigilance とは清明度のことで、刺激しても覚醒しなければ昏睡、刺激すれば覚醒する程度なら傾眠、刺激しなくても覚醒しているなら意識清明とする。意識障害を表現する言葉は微妙なので、3-3-9度方式での表現が役立つ。   →英語表現不安定→再検討 I.刺激しなくても覚醒している 1:大体意識清明だが、今ひとつはっきりしない 2:時・人・場所がわからない(見当識障害):confusion 3:自分の名前、生年月日が言えない:delirium II.刺激すると覚醒する状態……刺激をやめると眠り込む:drowsiness:傾眠 10:普通の呼びかけで容易に開眼する:somnolence 20:大きな声または体をゆさぶることにより開眼する:hypersomnia 30:痛み刺激を加えつつ呼びかけを繰り返すと、かろうじて開眼する:stupor III.刺激しても覚醒しない状態: 100:痛み刺激に対し、はらいのけるような動作をする:semicoma 200:痛み刺激で少し手足を動かしたり、顔をしかめる:coma:昏睡 300:痛み刺激に全く反応しない:deep coma 上記の他に、不穏……R(Restlesness)、糞尿失禁……I(Incontinence)、自発性喪失……A(apallic??? state)を付加する。 たとえば、30-I,3-Aのように表現する。 またグラスゴー・コーマ・スケールでは開眼・発語・運動機能の三分野の得点を合計して表現する。最高で15点、最低で3点となる。7点以下は昏睡で予後不良である。 →再検討 開眼 自発的   4 呼びかけ  3 痛み  2 開眼しない 1 最大言語機能 見当識保持   5 混乱した会話  4 不適切な単語  3 言葉がはっきりしない 2 発語なし   1 最大四肢運動機能 命令に従う         6 痛む部分を教えられる 5 ? 四肢屈曲・逃避 4 ? 四肢屈曲・異常(除皮質硬直)3 ? 四肢伸展(除脳硬直) 2 ? 全く動かない 1 一方、清明度の障害とともに意識の変容が見られることがあり、もうろう状態 twilight state , Da"mmerzustand 、せん妄状態 delirium などという。てんかん発作後の意識障害時に見られるもうろう状態では、意識障害があるにもかかわらず一見まとまりのある行動が見られる。せん妄は軽度の意識障害に幻覚妄想、興奮が加わった状態である。アルコール症の振戦せん妄、痴呆の夜間せん妄などがある。 983 緊張病症候群 catatonic syndrome 分裂病の緊張型に見られる緊張病性興奮と緊張病性昏迷が典型である。拒絶症、常同症、わざとらしさ、反響動作、反響言語、カタレプシー(強硬症)、命令自動などが見られることがある。 984 司法と精神医学         刑法 民法 責任無能力者  心神喪失  行為能力なし 禁治産  後見人 限定責任能力者 心神耗弱  行為能力減弱 準禁治産 保佐人 985 心神喪失と心神耗弱 心神喪失は責任無能力であり、心神耗弱は限定責任能力である。法律の文章では心神喪失とは「精神の障害に因り、事物の理非善悪を弁識する能力なく、またはこの弁識にしたがって行動する能力なき状態」(昭和6年大審院判決)である。心神耗弱とは「精神の障害未だ上述の能力を欠如する程度に達せざるも、其の能力著しく減退せる状態」(同上)である。 精神科医が精神障害の内容についてまた精神障害と犯行との関係について鑑定で報告し、それを参考にして裁判官が判断する。心神喪失の場合には罰せず、心神耗弱の場合には刑を軽減する。 責任能力 criminal responsibility がなければ犯罪についての刑罰に意味がないと考えるのが一般的である。たとえば脳腫瘍による異常行動が結果として犯罪をひきおこしたとき、脳腫瘍を治療すればよいのであって、刑罰については意味がないと考えるのものである。ただその場合にも、保護監督の責任があり、危険を知りつつ症状を放置していた人がいたならば、患者ではなくその人の責任は問われるかも知れない。 責任能力の有無については、米英では、善悪テスト the right and wrong testや所産テスト product test の考え方が用いられる。善悪テストは、精神障害により行為の善悪を判断する能力がない場合には責任無能力とみなされるというもので、マクノートン法則 McNaughton rules ともいう。所産テストは、違法行為が精神障害の所産であるならば責任能力はないとするもので、ダラム法則 Durham test ともいう。 986 禁治産と準禁治産 売買・契約・遺言などの法律上の行為に際して、責任を持った行為が可能かどうかを行為能力と呼んでいる。 心神喪失の常況にある場合、つまり常に一定して心神喪失の状態にある場合は行為能力なしとみなされる。その場合本人または周囲の人が損害を受けたりしないように禁治産宣告をすることができる。そのとき本人の法律行為は無効となり後見人が代行することになる。このようにしておけば、たとえば不利な条件で土地を売ったりして後で後悔することなどを防止できる。 心神耗弱では行為能力減弱とみなされ、準禁治産の宣告をすることができる。その場合には保佐人の同意がなければ本人は法律行為をすることができない。 精神科医による精神鑑定の結果を参考にして裁判官が心神耗弱または心神喪失について判断する。 987 精神鑑定 民法に従い行為能力の有無を判定して禁治産や準禁治産の宣告をする場合、また刑事訴訟法により刑事被告人の責任能力を判定する場合に、学識経験のある者が精神鑑定を行う。鑑定内容としては犯行時と現在の精神状態、疾患がある場合には治癒・改善の見込み、生活史、家族歴、既往歴、その他関連する事項が記載される。 鑑定結果を参考にして行為能力や責任能力について裁判官が判断する。 988 群集心理 群衆は軽度の退行を呈している。集団になれば退行する。 989 α波の意義 居眠りするくらいリラックスしているときにはα波がたくさん出ている。現実的思考がどんどん進むときはβ波などの速波が優位になっている。しかしそれは同時に緊張状態である。リラクゼーションではα波がたくさん出るくらいの脱緊張状態をめざしている。この状態では豊かな空想がわき出やすい。 990 大発作はいつ出やすいか 睡眠時、過呼吸時、光刺激時。 991 精神科の入院制度 任意入院と医療保護入院、措置入院の三種がある。後二者は本人の意思に反する場合もある強制入院に属する。 任意入院は患者本人の意思に基づくものである。 医療保護入院は患者本人の意思によらず、精神保健指定医の診察により入院加療が必要と認められ、法律で定められた保護義務者の同意があった場合の入院形態である。 措置入院は精神保健指定医二名が自傷他害のおそれが高いと診断した場合の入院形態である。 後二者では患者の意思に反する場合もあるので、人権が損なわれる可能性のないように、制度として工夫が施されている。 992 第一次、第二次、第三次予防 地域精神医学または予防精神医学で大切な考え方。 第一次予防とは、精神障害の発生を防ぐこと。家庭環境改善や職場環境改善が役に立つ。たとえば、アルコール性胎児症候群の発生を予防するために啓蒙活動をすること。 第二次予防とは、精神障害の早期発見と早期治療である。これができれば患者は外来通院で治療することも可能で、長期にわたり入院して社会生活を中断しないですむ。乳幼児期では発達障害を早期に発見することで最適の教育環境を整えることができる。 第三次予防とは、精神障害の後遺症を最小限にとどめるために社会復帰訓練をすすめることである。たとえば分裂病の陰性症状は時間がたつうちにますます固定化され社会復帰から遠ざかる。そのような事態を予防するために、興奮状態が落ち着いた時点で社会復帰療法をすすめる必要がある。 993 十年前に、自由意志はないと考えた。自由意志はない、しかしその錯覚を抱いて人は生きている。それだけのことだと直感した。 そんなことを考えたところで、確かめようもないと思った。しかし精神病があった。意志の自由が失われる病態があった。 それは私の考えでいえば、自由意志の錯覚が失われる病理である。錯覚が失われるだけであるから、本質的にどうということもないはずである。しかしそれは大変な苦しみのようである。中には苦しみの果てに自殺する人までいる。なぜ錯覚が失われるのがそんなにも辛いのか。それを探求してみたかった。 石ころが坂を転げ落ちる。それは自由意志だと言い張ることもできるだろう。しかし重力の仕業であると説明することもできる。磁石が引き合うことも自由意志であると言い張ることができる。しかしそれを磁力であると説明することができる。 人間が何かを求めるとき、非常に単純で低級なものであれば、自由意志だという必要はない。因果関係は見えている。しかし欲求が高級になればなるほど、刺激に対する単純な反応からは離れて行くから、自由意志と考える余地がでてくる。たとえば、自己実現という高級な欲求は刺激に対する反応というにはややためらいがある。過程が複雑だからだ。 しかしそれだけのことである。 994 性格障害 personality disorder 人生の長期にわたって持続する性格傾向が、患者内面、対人関係、社会生活のいずれかの面で苦悩をもたらしているものをいう。軽度の場合には性格傾向 personality trait という。 性格とは何かについて、全く分からない人もいないだろうし、完全に把握している人もいないだろう。 性格はどのような構造をしていてどのように形成されるか、その生理学的な裏付けは何かなどは今後の課題である。 性格障害の考え方として大きく分けて二つある。 ひとつはシュナイダーが明確にしているものである。@平均から著しくずれているものが異常性格である。Aそのなかでも自分が困ったり社会が困ったりするものが精神病質人格である。 たとえば自信欠乏の軸で考えてみると、平均的な自信の持ち方の両側に、極端な自信欠乏と極端な自信過剰がある。極端な自信欠乏のなかで自分や社会が困るものが精神病質としての自信欠乏者である。 こうした考え方では価値判断を含んでいない。また分裂病やうつ病との連続性も考えていない。 性格障害の考え方のもうひとつは、病気との関連で類型を考えるものである。病前性格論では分裂気質、循環気質、粘着気質がそれぞれ分裂病、躁うつ病、てんかんと関連づけて理解される。これらは病気ではなく性格傾向である。分裂病と関連する人格障害としては分裂病質人格障害、分裂病型人格障害、妄想型人格障害がある。ヒステリーと演技性人格障害、強迫症と強迫性人格障害、うつ病と依存性人格障害や回避性人格障害がそれぞれ関係づけられて理解されている。 995 性格研究 英語で人柄を記述する単語は18000語程度であるとある記事に出ている。その内容を分析すれば、言語システムが人柄をどのようにとらえているかを知ることができる。どの単語とどの単語は近い意味で、どれとどれは遠い意味で、反対語、上位概念語、などと分類してゆくことができる。時代による変遷や地域による違い、また社会階層や職業、性による分類も興味深い。英語という言語システムと日本語という言語システムでどのような違いがあるのか。その原因はどこにあるのか。 996 シュナイダーの精神病質人格の類型 @発揚者 Hyperthymische(活動精神病質):軽躁的で楽天家。争いを好み意志は不安定である。 A抑うつ者 Depressive:軽うつ的で繊細、几帳面。自分に厳しい。 B自己不確実(自信欠乏)者 Selbstunsichere:自信欠如で不全感を抱いている。強迫症の母体となる。対人関係の自信が欠如している者は敏感者 Sensitive であり、クレッチマーの敏感関係妄想の母体である。 C狂信者 Fanatische:支配観念を抱く宗教者など。好訴者もこの類型である。 D自己顕示者 Geltungsbedu"rftige:自分を実際以上の者に見せたいと望む者。ヒステリー(シュナイダーは「この言葉を絶対に用いない」と書いているが)の母体である。 E気分易変者 Stimmungslabile:周期的に抑うつ的不機嫌になる者。 F爆発者 Explosible:ささいなことで激怒する者。自己中心的。 G情性欠如者 Gem"utlose:良心欠如。残忍冷酷。 H意思欠如者 Willenlose:人のいいなりになる者。 I無力者 Asthenische:精神的・身体的な不調にいつも悩む者。 997 境界例の向こう側 分裂病型人格障害の向こう側に分裂病があるように、境界型人格障害の向こう側に疾患Xがあるのではないか? 自己モニターはできているのに行動の規範がずれている。照合はできている。現実モデルがずれている。現実モデルの価値判断部分がずれている。 998 強迫行為は強迫観念の結果である。そうか? 999 この症状が著しくなったとき、どんな妄想に発展するのだろうと考えてみる。 この性格障害の向こうにどんな疾患があるのだろうと考えてみる。 極端化してみること。 1000 性格障害(DSM4) A群:奇妙で風変わりな言動。引きこもり。分裂病に近縁。 @妄想性人格障害:paranoid 疑い深く、他人を信じない。先入観に基づいて周囲を曲解する。軽蔑的、攻撃的、好争的、説得を受け入れない。 A分裂病質人格障害:schizoid 社会的関係を望まず、苦手。内省的、温和、萎縮、孤立。他人からの賞賛・批判に無関心、他人の気持ちに鈍感。 B分裂病型:schizotypal 社会的孤立、奇妙な思考や行動。魔術的思考。 B群:おおげさ、過激な感情、不安定。 C反社会性人格障害:antisocial 反社会的行為が著しい。嘘、怠け、盗み、けんか、過度の飲酒、攻撃性、性的逸脱。 D境界性人格障害:borderline すべての面で不安定。衝動的。 E演技性人格障害:histrionic 芝居がかって大げさ。浅薄で表面的。人の注意を引きたがる。 F自己愛性人格障害:narcissistic 自分にばかり関心が向けられている。無限の成功を夢見る。他人の注目と賞賛を求める。共感に乏しい。誇大感。 C群:不安、恐怖。 G回避性人格障害。:avoidant 他人から拒否されることに極度に敏感。絶対受容の保証があればつきあえる。引っ込み思案。自己評価の低さ。 H依存性人格障害:dependent 自分で責任をとらない。他人に任せる。自信がない。自己評価の低さ。 I強迫性人格障害:compulsive 規則、細部、因習にこだわる。融通がきかない。仕事熱心、忠実、暖かな感情の表現に乏しい。 1001 性格障害とは、何らかの性格傾向(trait)について、統計的平均から常に著しくずれているために、本人、家族、社会が悩むものをいう。性格傾向は思春期かそれ以前から持続するものである。精神疾患による言動の傾向は、一過性である。 性格障害があれば、精神障害になりやすい。しかも治療は困難になる。たとえば、うつ状態、不安、薬物依存、アルコール依存。 青年期以前については性格障害とはいわないことが多い。児童思春期は不安定な時期であるから。 1002 personality 性格 = character + temperment character 人格 長年の間に形成されたもの。性格の中の道徳や倫理の側面。 temperment 気質 生まれつきの性質 1003 性格について標準は何か @統計的平均 A理想状態(現実適応の点で、また、倫理の点で) B病態状態から遠いこと C社会防衛(医学的診断ではなく) D各種の発達理論から見て正常であるという意味 1004 連続体 共感的→繊細→過敏→猜疑的 empathic-sesitive-oversensitive-paranoid(suspicious) マイルドな性格の偏りは、ストレス状況でのみ明らかになることがある。たとえば喪失体験時。 1005 異常な精神状態や行動の原因 精神疾患   性格障害 一時的    持続的 不連続    連続的 たとえば、うつ状態の時には回想もうつ的になり、人生の歩みもうつ的に表現される。それを持続的なうつ傾向ととって性格の問題としてはならない。 うつ病になったとき、強迫性障害が出る。強迫性性格の場合。 性格傾向が精神障害に対する防御となっている場合がある。たとえば空想がうつを防ぐ場合がある。 世間の人が「神経症」というばあいは、性格の問題について言及している場合が多い。(神経症とは、ストレスに対して、精神障害や精神的異常反応で対応する場合をいう。) 日本で一般の人が「神経症」といえば、「病は気から」「非器質性疾患」のことのようだ。 性格神経症は精神分析から出た言葉で、正常な性格形成に失敗したもので性格障害を意味する。疾患としての神経症ではない。 性格障害の診断は、18〜35歳、女性、低社会階級に多い。 1006 性格障害の分類 @状態像としてはICD,DSM Aフロイトの発達理論……口愛、肛門愛、男根と性格タイプ。 B量的な把握……EPI,MMPI,16PF, 精神科医の間で、ここの患者についての性格傾向の記述は一致が高い。しかしどのような分類にすればよいかについては一致が難しい。しかし大局的に見て、三つから四つのカテゴリーに分けられる。 DSMでは@引きこもり、奇妙、風変わりA反社会的、演技的、感情的、おおげさ、不安定B依存的・抑制的の三群に分ける。 イギリスでの分類の例 @ひきこもり群 ・妄想性 ・分裂病質 ・分裂病型 A依存群 ・不安性(回避性) ・依存性 ・受動攻撃的 B抑制群 ・制縛性(強迫性) ・循環性または類循環性 C反社会群 ・演技性 ・感情不安定 ・衝動的 ・境界型 ・自己愛型 ・反社会性(精神病質) 1007 精神病質性格 psychopathic personality 元来は性格障害一般を指す言葉であったが、とくに反社会性性格障害を指すことがある。最初にアメリカで、つぎにイギリスでこのように限定した意味で用いられる。特徴は以下の通り。 情性欠如 愛することや感じることが不可能 衝動的 自己中心的 結果を考えず刹那的な満足を求める 罪悪感の欠如 反社会的行動と暴力 経験から学ばない。罰からも学ばない。 1008 ・妄想性 過敏、恨み、猜疑的、嫉妬、他人の悪意のない友好の行為も敵意や侮辱と誤解する。責任転嫁、誇大的、好訴的、イエスマンをまわりに集めて集団を作る(新興宗教)、男性に多い、一過性の被害妄想や幻聴。 ・分裂病質 schizoid 交際に無関心。冷酷、空想傾向、内省、性体験を持とうとしない、親密な信頼関係の欠如。パーティに出ない、地球平板説やネス湖の怪獣に奇妙な関心を寄せたりする。人よりも数字に関心、コンピューターには向く、孤立しているのでうつになりやすい。 ・分裂病型 schizotypal 思考、風貌、話し方、行動が奇妙、対人交流欠如、分裂病者の血縁に多い、分裂病の遺伝スペクトラムの一部と考えられている。 ・不安性(回避性) 緊張と不安、自意識過剰、拒否されることに過敏、無条件の受容が保証されているときだけ関係を結べる。 日常場面での危険を過大に考える、行動を回避するようになり、生活が制限される。 引っ込み思案。対人恐怖。ときに恐怖症。 ・依存性 自分の人生の大切な決断を他人に任せる。自分の依存している人には何も要求できない。 自分を無力と感じ、見捨てられひとりになることを恐れ、親密な関係が終わるときには打ちのめされる。 不適切な、受け身の、無力性の。 うつ病、気分変調dysthymiaの準備因。 asthenic = Greek for inadequate ? ・受動攻撃的 あたりまえの要求に対する受動的抵抗、ぐずぐず先延ばしにする、子供じみた妨害や不機嫌、気がすすまないときにはぐずぐず仕事をする。自分は有能だと信じている。 ・制縛性 優柔不断、完全主義、過度の良心、衒学、定型的、頑固、細部まで事前に計画。仕事熱心、忠実、事務能力高い、広い視野ではなく細部へのこだわり、空想に欠ける。男に多く遺伝性がある。自分の考えが挑戦されたときには怒る。(他人にも有能であることを期待する?) フロイトの肛門愛性格、大便をためこむ。心気的、抑うつ的。 心気性人格障害と抑うつ的人格障害(気分変調性 dysthymic 人格障害)に関係する。 ・循環性または類循環性 感情の不安定。軽うつと軽躁。躁うつ病の準備因。 ・演技性 過剰な感情表出、演劇的、大げさ、被暗示的、浅薄で不安定な感情、注目を集めたがる、操作的。 フロイトの男根期に関連。エディプス期に固着。 性的誘惑。対人関係は激しく不安定。女性に多い。同様のケースは男性ならば反社会性障害となるだろう。薬飲み過ぎ傾向。転換型または身体化疾患になりやすい。 ・感情不安定  ・衝動型……感情不安定、衝動コントロール欠如、暴力、威嚇。爆発型または攻撃型ともいう。攻撃衝動のコントロールが一過性に失われる。ストレスにたいして暴力や怒りで反応する。後悔と自責は本物である。男に多く遺伝性がある。  ・境界型……自己像があいまいで混乱している。対人関係と気分は激しくかつ不安定、感情危機を招き自殺の脅しや自傷を伴う。慢性の空虚感と退屈、スプリッティングや投影性同一視といった原始的防衛機制が見られる。 過度のストレス下では、一過性の精神病状態。 精神病の周辺部における重症性格障害をひろく指していることもときどきある。女性に多く、dysthymia、うつエピソード、薬物乱用、短期精神病反応を起こすことがある。 ・自己愛性 誇大性、空想と行動で、過敏さ、共感欠如。肉体的病気や手術による肉体変形にうまく対処できない。 ・反社会性 無責任、対人関係を継続できない、欲求不満に耐えられない、攻撃的、暴力的 罪悪感を感じない、罰や経験から学ばない、反社会的行為について他人を責めるかもっともらしい言い訳をする。 15歳からの行動障害(登校拒否など)をみる。薬物・アルコール乱用に染まりやすい。精神病質、社会病質を含む。 1009 ユングの性格分類 内向的 introversion と外向的 extroversion 1010 性格障害の分析的見方 口愛期……依存性 肛門愛期……制縛性 男根期……演技性 精神病質……スーパーエゴの形成不全 など 境界型とchildhood sexual abuse など。 1011 マリファナ('grass') タバコ型('joints') 1012 カフェイン量 カフェイン錠剤 30-100mg コカコーラ   30-50 紅茶一カップ  30-100 コーヒー一カップ 70-150 一日250mgを超えたら注意する。 依存になると神経過敏や胃腸症状が現れる。 カフェインは身体依存はなく、精神依存がある。 1013 フェンサイクリジンまたはフェンシクリジン phencyclidine(PCP) 麻酔薬として開発されたが、鎮痛効果が高い。陶酔作用が好まれる。乱用により幻覚、妄想、興奮、分裂病様症状がみられる。1970年代にアメリカで乱用された。'Angel dust'. 1014 agoraphobia @家を離れることとAひとりになることが辛い。 1015 妊娠と薬 妊娠しそうなときや妊娠したときやめなければならない薬がある。トリメタジオン(ミノ・アレビアチン)、炭酸リチウム(リーマス)、バルプロ酸(デパケン)、カルバマゼピン(テグレトール)である。全部てんかん系の薬。妊娠が疑われるときにはアレビアチンやエクセグランに変更する。 その他の薬はすべて、奇形の危険と、症状悪化の危険を見比べることになる。子供を守るために薬をやめて、その結果症状悪化して流産することもあるので難しい。 薬も注意したいが、アルコールにも注意を要する。アルコール性胎児症候群では母親の飲酒が胎児に生涯続く影響を与える。 1016 ナルコレプシー ナルコレプシー・カタプレクシーともいう。 ナルコ=睡眠 レプシー=発作 sleep seizureのこと。sleep attacks が襲う。 四分の三にカタプレクシーを伴う。脱力発作(情動性)。 cata下へ + plexis打撃。高笑いなどするとがくっと崩れる。 鑑別は、いびき(睡眠時無呼吸)と情動性脱力発作(カタプレクシー)。カタプレクシーがあるなら、睡眠時ポリグラフでナルコレプシーを確認する。 緊張型分裂病で見られるカタレプシーはろう屈症で別のもの。 1017 薬は人間の何を変えるのか。何を変えないのか。 中核の価値判断などは不変なのではないか。それを素直に出せるかどうかだけが違うように思う。 1018 子供の頃にセロトニンレベルのセッティングが決まる。 母親剥奪されるとセロトニンが少なくなり、集団機能が障害される。 セロトニンレベルは臆病さを決定する。母親がいない状況では危険から自分を守るために臆病になる。 1019 価値の問題。 治療目標をどこに置くか。 1020 抗うつ剤はうつ状態を感じさせなくしているだけではないのか? たしかにその疑問はある。うつ状態を改善するのは本質的に時間であり、抗うつ剤は単に時間を耐えやすくしているだけであると患者に説明することがある。 1021 薬をのんでいる自分が本当の自分なのか、のんでいない自分が本当の自分なのか。 病気は非自己である、というのが前提であろう。 本当の自分などと言うから分からなくなる。ただ二つの状態があるだけだ。 紅茶と緑茶とどちらが本当か何ていう問に似ているだろう。 1022 集団内で注目されたら危険である。 そこから対人恐怖が生まれる。他人からの視線が集まるとろくなことが起こらない。その記憶がセットされているから、対人状況でパニックが起こる。 1023 集団性機能の障害 →集団性機能の形成プロセスを考える →母子の安心感と集団内の安心感 1024 性格障害 脳内の利益考量装置が壊れている。世界モデルが壊れている。何が自分にとってうれしいのか、何が恐いのか、その重み付けがずれている。 分裂病系列の性格障害は、やはり病理の根本も、セミ分裂病が起こっているのだろう。→だとすれば、これこそが分裂病モデルではないか!分裂気質と、三つのA群障害は分裂病モデルとなりうるはず。この糸をたぐること! 一人でいることの寂しさよりも、みんなといることの苦しさが大きいから、閉じこもりになる。そのような重み付けの装置が壊れている。その集団として自然で平均的な重み付けから大きくずれている。それが性格障害B群である。 反社会性は価値装置が平均からずれているタイプのもの(冷酷な打算)と、衝動的で普段とは違った価値判断をしてしまう場合があるのではないか? C群はうつ親和型であり、セルタイプ理論から説明できるのではないか。 intrapsychicとinterpersonalとを分けたらどうか? 各疾患について、上記二者を分離して考察してみる。 1025 アルコール症のチェックの仕方 CAGE questionnaire Cut:アルコールを減らそうと思ったことはある? Annoyed:周りの人に飲酒についてあれこれいわれて困らされた? Guilty:飲酒について罪悪感がある? Eye-opener:朝目が覚めて、酒を飲みたいと思ったことがある? 1026 性格障害を行動障害と記述したらどうだろうか? 本人の内面の陳述はカットする。ただ外に現れた行動を行動主義者風に記述してみる。そうすれば、問題がすっきりしないだろうか? 性格障害の項は、分類以前の昆虫図鑑のようなものだ。 1027 見捨てられ抑うつ abandonment depression マーラーの分離・個体化理論をもとにしてマスターソンが提案した境界型人格障害の基本病理。境界型人格障害では、分離体験が抑うつ感情を引き起こし、このうつ感情を処理するためにさまざまな行動化が起こる。このような抑うつは分離・個体化期の見捨てられ抑うつに起源があるとする。 母親が境界型人格障害であった場合、子供が母親という環境から分離・独立しようとする時期に情緒的支持を撤去してしまう。適切な情緒的応答をもらえなかった子供は見捨てられたと感じ、抑うつ状態になる。これが見捨てられ抑うつである。思春期に至り再度環境からの分離を試みるときに見捨てられ抑うつが再燃する。WORU,RORUに関連する。 1028 分離・個体化段階 individuation-separation phase マーラーの発達理論の一段階。生後6ヶ月から3歳くらいにかけて子供は母親との共生関係から分離し個体化してゆく。この時期に「よい母親」を内在化できれば、順調に母親から分離できる。このような内的対象関係の形成が不全であれば、境界型人格障害や自己愛型人格障害が発生するという。 1029 再接近期危機 rapprochement crisis マーラーの発達論の一段階。子供は母親との共生期をへて、6ヶ月から3歳くらいまでのあいだの分離・個体化期に入る。精神的にも発達し、身体的にも運動能力が高まり、母親からの分離独立を試みる。分離・個体化期は@分化期A練習期B再接近期C個体化・情緒的対象恒常性の確立期の四つの時期に分けられる。自分で動き回れるようになって母親からの分離の練習をするが、母親と一体であることによる全能感が失われるのは苦痛であり、再び母親に依存的になりまとわりつく時期が来る。これが再接近期であり、分離したい気持ちと依存したい気持ちの葛藤が生じる。この時期の危機を乗り越えて分離・個体化は完了する。この時期に母親の共感能力や情緒的安定が必要で、それに欠けている場合には境界型人格障害の原因になる場合があるとする。 1030 美女と野獣 醜形恐怖で発病した解体型分裂病者が、寛解期にいたり、感情の疎通性を回復し幸福になる話。 王子の父母が出ないのはなぜだろうか。 娘の父は発明に熱中する妄想型分裂病。娘は空想癖のある「赤毛のアン」タイプ。母親は多分、夫に愛想を尽かして離婚した。 人を愛することと人に愛されることは青年期の課題として最重要なもの。醜形恐怖があっても、娘の性格特性によってはうまく行くことがあるからあきらめるなという教訓。 1031 知能 知能指数の分布は標準分布をとり、標準偏差は16である。100-2SD=68,100-3SD=52,100-4SD=36,100-4SD=20であるから、70-50をmild、50-35をmoderate、35-20をsevere、20未満をprofoundとしている(ICD-10)。→図 1032 うつ DSM4では、躁状態エピソードがあれば、うつ状態エピソードがなくても、双極性障害となる。躁状態のないうつ状態は双極性とはならない。 1033 うつ DSM4 うつ病性障害 ・大うつ病性障害(単一エピソード、反復性) ・気分変調性障害:dysthymic(大うつはないが、抑うつ気分が持続している。) 双極性 ・双極I型(躁状態) ・双極II型(軽躁状態) ・気分循環性障害:cyclothymic(軽躁状態はあるが、大うつ病はない。) 1034 分裂病 DSM4 妄想型 解体型 緊張型 残遺型 分裂病様障害(持続が1ヶ月以上6ヶ月未満のもの) 分裂感情障害(双極型または抑うつ型の感情障害と分裂病が併存している) 妄想性障害(奇異でない妄想があるが、分裂病の基準は満たさない) 短期精神病性障害(1ヶ月未満) 共有精神病性障害(Folie a' deux) 1035 不安性障害分類 @自発性パニック発作の反復あり ・器質性精神障害 ・パニック障害 agoraphobiaあり ・パニック障害 agoraphobiaなし A自発性パニック発作の反復なし ・強迫性障害 ・心的外傷後ストレス障害 ・全般性不安障害 ・対人恐怖(社会恐怖) ・単一恐怖 1036 精神療法 psychotherapy 個人精神療法と集団精神療法がある。個人精神療法は次のようなものである。 @表現精神療法。心の中にあるものを言葉などで表現してみる。これはカタルシス効果をもたらし、さらに問題や状況を客観化することでもある。普段頭の中だけで考えていたことを言葉にして話してみると問題の別の面が見えてくる。また言葉ではなく絵画で表現すれば、別の表現経路を使うことになるので自分の別の面が見えてくることもある。 A支持的精神療法。問題を解決したり状況を耐え忍んだりするに際して患者の自我を補強し支える。患者の話を傾聴しているだけで患者は自分の力で前に進むものである。 B洞察的精神療法。自己への洞察を深めることにより治療しようとするもの。精神分析療法、ロゴテラピーなどが含まれる。 C訓練療法。行動療法、自律訓練法、認知療法、森田療法など。それぞれに最適な病状がある。 集団療法としては、家族精神療法、夫婦療法、小集団療法、大集団療法などがある。 精神療法に関して大切なことは、方向として退行的か再構成的かを明確にすることである。退行的に接してよいのは神経症の一部だけである。分裂病の残遺期には再構成的に接する。分裂病残遺期に退行的・受容的に接すると分裂病のプロセスを促進してしまうので注意を要する。分裂病の急性期には精神療法は積極的にはしない。うつ病では病気の説明と生活上の注意が中心になる。 1037 支持的精神療法 神経症やうつ状態の時に、弱まっている自我の機能を下から支えて補強することによって援助すること。内面をあばくようなことはしない。どちらかといえば常識的で実際的である。方向転換というよりは支持である。援助の範囲は心理的な励ましや肯定・支援の他に、実際生活での助言や機関の紹介も含む。経済的な面や就業の件ではソーシャルワーカーやケースワーカーにも相談できる。 1038 表現精神療法 言語、絵画、遊技、その他の方法で内面を表現することによる精神療法。その一部は芸術療法である。 言語による内面の表現には告白がある。他人に語ることはそれ自体に治療的意義がある。悩んだときにはよく友人に話を聞いてもらう。それだけで充分なことも多い。また、他人に語ることで自己を客観的に点検するきっかけになる。そのようにして告白したときにはカタルシス(通利)または通風(ベンチレーション)が実現する。煙突がつまって部屋の中に煙が充満しているときに煙突掃除をすればすっきりする。そのような意味でカタルシスは煙突掃除ともいう。防衛機制としての抑圧がある場合、無意識界に抑圧された感情を表現することで、抑圧されていた感情を解放すると同時に認知する。そのことによって抑圧により生じていた症状は解消される。抑圧された感情を表現するには通常の自我ではなくやや退行した状態の方がよいこともある。 絵画による表現には自由画の他に風景構成法などがある。言語表現をする時とは別の表現回路を使うので、診断的にも重要な情報が得られる。それと同時に、それは自己の内面のもう一つの表現であり、ここでもカタルシスが期待できる。絵画は一般に自我を退行状態にするので、その点も有利である。 表現するとは、自分の内部にすでに何か確定したものがあって、それを外に出すということだけではない。表現という作業が内面の無形のものに形を与えるのである。たとえば言葉を与えられたとき、無形の何かは輪郭を持ち、制御可能なもの、理解可能なものになる。また、個人的なものから、集団に共通のものになる。 したがって、表現すること自体に大きなエネルギーを必要とする。それはただ描いているのではなく、雑然とした状態の心の中を、言葉という整理棚を作って整理をする作業である。 たとえば、「死のうと思っていた」と本気ではなしに何となくメモに書いたときに、自分の本当の気持ちに気付く場合がある。また、「愛」という言葉に接して、自分の本当の気持ちを見つける場合がある。 人が表現するのは、心にあるものを外に出すためだけではない。表現するときに何かが生まれるのである。表現が内面を生み、内面を耕すのである。 1039 洞察的精神療法 洞察するとは深く気付いて理解することである。患者が現在洞察していないことを新たに洞察するよう援助するのが洞察的精神療法である。気付いていないことは無意識の領域のこともある。その場合は深層心理学的理論を背景とする精神分析療法となる。 患者が自分で気付いていないことをなぜ治療者が気付かせられるのか。それは治療者にはすべてが見えるからというのではない。治療者は洞察のための方法を知っていて、その方法を患者に指導する。それによって患者は自分自身を洞察する。 あるいは、治療者は問題点をいまここに再現する方法を知っている。いまここに再現された問題点を考察することは患者にとっても容易なことだ。 内的対象関係、転移、逆転移、解釈、抵抗解釈などによって洞察を深めるきっかけとする。 これは患者の周囲にいる人生の達人がズバリ問題を言い当てるというのとは全く異なることである。 1040 精神療法 精神療法の構造は図のように表現される。 @治療構造 精神療法はたいてい予約制である。場所と時間が決まっている。場合によってはテーマもおよそ決まっている。終了時間と料金、治療者が誰になるかも決まっている。こうした設定をきちんと世間の人並みに守ることができるかどうかは大切なことである。どのように守れないかでその人の病理についての情報が得られる。また、治療構造を守ることができるように導くことが大切な精神療法となる場合がある。特に境界型性格障害の場合に大切であると言われている。 A専門知識 患者が精神療法を求めてくるときは、専門知識または専門技術を求めている。患者はときに、「ただ話をしていて治るんですか?」と聞いてくることがある。治療者は専門性を高めておく必要がある。病気について、薬について、患者が利用できる社会制度について、個別の病理について、研鑽を怠らないことである。 B人格 人柄はどうしてもお互いに影響を与えあう。仕事の性質から言って、治療者よりも患者のほうがより多くの影響を受ける。ここでは転移と逆転移が大切である。患者の過去の対人関係の経験が診察室で再び展開される。患者の過去の対人関係の一部が再生されて治療者に投影されて生じる感情が転移である。治療者の過去の対人関係の一部が患者に投影されて生じる感情が逆転移である。陽性転移といえば、過去の良好な対人関係を投影して、治療者を好ましいものとして見ることである。陰性転移といえば、その逆で、険悪な感情を投影して治療者を悪く見ることである。陽性逆転移と陰性逆転移についても同様である。 転移と逆転移は無意識の過程である。患者が陰性転移を抱いた場合、それは反治療的かといえばそうではない。悪い経験をよい経験で置き換えるチャンスが生まれる。これを修正感情体験という。たとえば、悪い父親体験しかない人が、治療者と父を無意識のうちに同一視しているとする。その場合に、治療者がよい経験を与えれば、欠けていたよい父親体験を補うことになる。 1041 日常的精神療法のポイント (外来神経症レベルの場合) 表現を促し、傾聴し、非指示的に受容し共感する。適切な指示を出し薬も使う。深層心理への介入は慎重にするが、転移と逆転移については視野に入れる。積極的で肯定的な関心を持ち続ける。患者が自力で山を登ることを助ける。 (分裂病慢性期) 生活療法。再構成的精神療法。生活指導。 (分裂病急性期) 不安を取り除くこと。深い話しは無効。 (うつ病) 病気指導と生活指導。内科と似た雰囲気。 (どこに話しかけるか) 心には病気の部分と健康な部分がある。健康な部分と共同・同盟・共感し、病気の部分を違和化する方向がよい。 1042 自律訓練法 autogenic training 自律(autogenic)とは、「自分で発生させられる」の意味である。簡単でお金がかからずどこでもいつでもできる便利な方法で自己催眠法の一種である。催眠術の共通の本質は手足が暖かくなることと重くなることであることから、四肢が重い、暖かいなどの自己暗示をかける。不安のコントロールに有効である。パニック障害や不安の強いうつ状態でも有効である。 自律神経(autonomic nerve)系器官の機能を整えるのに有効である。本来ならば自律神経系器官は随意的コントロールは難しいのであるが、四肢に血液を分布させる→心臓、脳、内蔵の血流が減少する+副交感神経が優位になる→心臓、内蔵に変化が現れるて落ち着く。そのまま寝てしまう人も多い。 1043 森田療法 森田正馬(まさたけ)が考案した日本的・禅的心理療法。対人緊張が強い人や強迫性障害のある人に勧められる。独自の用語と理論があるがある。 几帳面、内省的、完全癖、羞恥心が強い、よりよく生きようとする欲望が強い、これらの特徴を持った人を森田神経質と呼ぶ。患者はこれらの傾向に悩み、脱却したいと願って相談に訪れる。森田療法ではこれらの特徴をむしろ長所として生かすように訓練する。 ヒポコンドリー性基調とは自分の身体の変調に過敏になっている状態をいう。過敏になっていると普段は何でもないはずの変化が異常なものに思われる。たとえば、動悸に過敏になっていれば、ささいな脈拍の増加を異常とらえる。不安が生じてますます注意は集中し、ますます異常をとらえやすくなる。このようにして症状と注意の悪循環が成立する。これを精神交互作用という。こうして成立するのが「とらわれ」である。 森田療法は入院が原則で、絶対臥褥期、軽作業期、重作業期、実生活準備期と移る。読書や日記を使用する。この治療で患者は「あるがまま」を学び、「かくあるべし」から脱却する。あるがままに症状を携えて生きるようになる。赤面があっても、きちんと内容が伝えられればよいという「行動本位・目的本位」に切り替わる。 精神分裂病などには向かないので、導入前の診断作業が大切である。 1044 境界型精神分裂病 borderline schizophrenia S.Kety,D.Rosenthal 分裂病の不全型・頓挫型と考えられるもの。 1045 偽神経症性精神分裂病 psedoneurotic schizophrenia P.H.Hoch,P.polantin 分裂病の不全型・頓挫型と考えられるもの。 アリエティは偽神経症性分裂病の一部はストーミーパーソナリティであることを指摘している。 1046 かのようなパーソナリティ as if personality H.Deutsch 1047 行動療法 行動理論では神経症を不適切な条件反応に他ならないと考える。古典的条件付けやオペラント条件付けの理論を背景として、過剰で不適切な条件付けを解除するために、系統的脱感作療法や嫌悪療法、フラッディング法(除反応)が用いられる。 系統的脱感作療法(systematic desensitization)では不安階層表を作り、弛緩法で各段階の不安を克服しつつ最上位の不安にも耐えられるように訓練する。クモ恐怖の場合に、クモの絵からはじめて、瓶の中のクモ、小さいクモ、大きなクモと進む。電車の場合なら、地上各駅、地上快速、地下鉄と進む。(電車恐怖の場合には原因がいろいろなのでこのように単純な脱感作ですまないことも多い。) 嫌悪療法(aversion therapy)はアルコール中毒などの悪い習慣に対して不快刺激を与え、古典的条件付けを狙う。 フラッディング法(除反応:flooding)は恐怖症の場合に、恐怖の対象にさらして慣れさせようとするもので、系統的脱感作法とは弛緩法を用いない点で異なる。高所恐怖症の人にいきなり高所を体験させ慣れさせる。(floodは洪水で、恐怖を洪水のように浴びて、平気になろうという意味。個人的には遠慮したい治療法である。) 1048 認知療法 cognition therapy 認知行動療法 cognitive-behavioral therapies のひとつ。認知行動療法は行動を変えるには認知を変えればよいとする考え方。不適切な思考を適応的な思考で置き換えるのが認知再構成法、対処技術を学ぶのが対処技術療法である。 認知療法は認知行動療法のひとつで、うつ病の治療から発展した。うつ病者の認知の三徴は、自己、世界、将来に対する否定的な見方である。認知の歪みとして、@恣意的推論A選択的抽出B過度の一般化C拡大視と縮小視D自己関係付けE全か無か思考Fポジティブな側面の否認G感情的決めつけH「すべし」思考Iレッテル貼り、があげられる。共通する特徴は、極端、否定的、絶対的、抽象的であることである。こうした認知の傾向に気付かせ修正することが治療になる。習慣化し固定化した認知パターン(自動思考という)を知るために、状況・感情・自動思考をセットにした記録用紙を埋めていったり、これらにさらに理性的反応・結果をセットにした記録用紙(これがBeckの非機能的自動思考記録用紙)を使ったりする。自動思考を理性的思考で置き換えて行くことが治療目標になる。 1049 コンサルテーション・リエゾン精神医学 consultation-liaison psychyatry コンサルトは相談すること、リエゾンは連携することである。総合病院で身体科のスタッフから患者の精神医学面についての相談を受け、専門知識を助言する場合をいう。コンサルテーションとリエゾンは同じ意味と考えてよい。やや意味を拡張して用いるときは、専門知識を授ける相手が@患者A他科医師B施設や組織全体の場合も含むことがある。@は並診になる。Aについては上級医師が研修医師に教えるスーパービジョンもこの形である。Bは職員間の関係調整を考えたりする。 1050 コンプライアンス compliance 薬を処方通りに飲むこと。コンプライアンスがよいと言えば、処方通りに飲んでいること、コンプライアンスが悪いと言えば、処方通りに飲んでいないこと。処方通りに飲んでいない患者は多く、そのことを隠している患者も少なくない。デイケア場面などで主治医でない医師に向かって「本当は飲んでいないんです」と打ち明ける場合がある。 1051 しつけ 躾という漢字が読めなくなってきている。それと同時に実際の躾も少なくなってきているようである。躾とは、一般に自然な欲望を一時的に我慢すること、我慢することによって周囲の人からのまたは良心からのよい評価を得ることである。そうした「自分の欲望の内容を別のものに入れ替えて、直接の欲望の満足よりも集団の中での評価を満足とする」ことが少なくなった。結果として、他人の迷惑を考えない人たちが増えている。「他人の迷惑」を考慮しても、利益がないから考慮しないのだ。 躾が廃れて、超自我が弱まった。アメリカでは精神分析的な抑圧モデルが一般人の中に広まっている。我慢させることが精神的な病気のもとになる、したがって子供には我慢をさせず欲望を充足させるのがよい育て方だと単純に考えられている面がある。日本でもその風潮を忠実に追いかける人たちがいる。 躾がよい社会人や真の人間を作るのか、躾が本来の人間性を損なっているのか、古くから議論がある。前者の例として中国の諸子百家のひとり「荀子」、後者の例としてルソーなど有名である。 精神医学的に見れば、躾は超自我(スーパーエゴ)の形成と、自我(エゴ)機能の形成の両面を要請するものである。親や周囲の超自我が完成している人から、超自我の価値観を教えられる。それが倫理や道徳となる。次に親はそうした価値観の実際の場面での運用の仕方を教える。どんな場面で適用し、どんな場面で適用しないのか、柔軟な判断を担うのが自我である。 (自我はこうしたやや限定された意味の場合と、もっと広く自己に近い意味で使われる場合がある。自我機能といえば限定された意味になるだろう。) 躾ができていない人とは、超自我という、いわば心の中の集団価値システム、愛他的価値システムが形成されていない人である。従って、躾をしないということは、子供に対する親の役割なかでも大切な一部を怠っていると言わざるを得ない。 現実原則に快感原則が優越しているとも言える。 1052 治療同盟 therapeutic alliance 患者の心の中で健康な自我部分と、治療者の治療者的自我との同盟。たとえば患者が妄想状態にあり、「電話が盗聴されている」と訴えているとき、患者の心は100%妄想に支配されているかといえば、そうではない。わずかでも健康な自我の働きが残っていて、「重要人物でもない自分がどうして盗聴などされるのだろう」「これから一体どうなるのだろう、周囲の理解は得られないし、かといって自分は盗聴されているとしか考えられないし」とか思っている。そのときは病的部分に圧倒されていても、時間がたてば、健康部分の割合が拡大したりする。 この様子を極端に提示したのがチャンネル理論である。妄想チャンネルと健康チャンネルが、まるでテレビ画面が切り替わるように交代する。 病的部分に圧倒されているときや妄想チャンネルになっているとき、健常部分への働きかけは無意味なのだろうかと言えば、そんなことはない。有効であるから、健常部分と同盟を結べるよう働きかけ続けるのである。働きかけの言葉は、健常部分が思うであろうはずの言葉をかけてやるのがよい。「とにかくこんなに心配なことが起こったのでは不安で夜も眠れないし食欲もなくなりますよね」「本当に困りましたね、家族に分かってもらえないのが二重に辛い」「でも、家族としては理解できないのもまた当然ですね」など。 1053 短期精神療法 治療開始初期に患者が治療者に対して強い陽性転移を示す場合、「理想的な治療者による素晴らしい治療を受けた」と感じる。ここで治療を中断すれば、劇的な暗示作用により表面的な症状は消失することがある。これが短期精神療法であり、浅いが即効的な作用を期待するものである。 ここでやめないで継続すると、治療者との間に陰性転移を含むより深い転移・逆転移関係が生じ、さらには治療者を現実的な目で見るようにもなる。いったん治ったように見えた症状が再燃したりさらにひどくなったりする。その段階ではじめて、解釈と洞察、また人格の深い部分からの再構成が可能になる。時間もかかるが根治的である。 1054 治療者と患者の性 男性治療者は男性患者の競争心やライバル視を引き起こしやすい。また女性患者の性愛(エロス)的反応を引き起こしやすい。女性治療者はその逆である。 いったん競争相手と見るが、治療者は治療場面では患者よりも優位に立っている。その優位関係に従順に従う患者は、治療者により多くの権威・専門知識・人間性・社会でのステイタスを求める。自分の主治医が一番いい車で通勤して、いいスーツを着ていて、看護婦にも尊敬されていて、と求めるタイプである。 逆に、優位であるはずの治療者に劣位を演じてもらうことで喜ぶ患者がいる。「‥‥先生は俺には一目置いている」「‥‥先生に是非にと頼まれて、仕方ないな」など。演じられた劣位であることを感じられない鈍感さがある。 女性患者からのエロス反応は、個人精神利用法の範囲では維持しやすい。外来通院の初期に通院維持の主要な動機になることもある。集団精神療法場面では二者ではなく三者関係になり、治療者独占の空想が壊される。その意味では、個人面接場面よりも集団精神療法場面が現実度が高い。この観点から、個人場面から集団場面に移行するタイミングを工夫することもある。 1055 転移 患者が診察室で治療者に対して、これまでの人生の重要な対人関係を再生するように感じたり行動したりすること。無意識の過程である。内的対象関係を投影していると言ってもいい。治療者が具体的にどんな人なのかはっきりしないうちは、患者の過去の経験の中から拾い出して推定するはずであり、当然のこととして、治療者に似ている過去の人や過去に大きな影響を残した人が選択されるだろう。 したがって、転移が起こったときは、治療者自身がスクリーンになって患者の内面が映し出されるようなものである。これは患者の内面を知る大切な情報である。 患者が治療者の前で見せる態度は、治療者を現実に把握した上での態度と転移による態度の混合物となる。これを見分けるのが大切で、かつ困難であることもある。観察する治療者側にも逆転移が起こるからである。自分一人で考えるのではなく、複数の目で考える習慣を持っておくと、次第に自分を客観視できるようになるだろう。また、スーパーバイザーがいれば役立つ。 1056 転移神経症 現在の神経症に対して精神療法を始めると、転移が発生し患者の心を占めるのは現在の葛藤ではなくて、過去の葛藤になる。この状態では現在の症状は消えるので転移性治癒という。一方で過去の葛藤が活性化されることにより新しい神経症症状が発生し、これを転移神経症という。 フロイトの精神分析療法では神経症を転移神経症に変換し、症状を診察室内に限定した上で治療を進める。 1057 解釈 「一日中、人の悩みを聞いて頭がおかしくなりませんか」 →自分の悩みはきちんと理解されているかというメッセージ。 「結婚していますか」「子供がいますか」 →夫婦のことが分かるのか、親の気持ちが分かるのかというメッセージ。 「年はいくつですか」 →充分な経験があるかどうか心配なんですね、大丈夫ですよ。 「心理学科に進みたい」「医者になりたい」 →陽性転移 解釈はタイミングが大事。 1058 抵抗 治療に対する抵抗のこと。治りたいから面接を続けているのだが、症状はある面では葛藤のなまの噴出を阻止している有益物でもあるので、症状を消すことには無意識のためらいがある。そこで無意識に治療に抵抗することになる。沈黙、無関係なことの多弁、繰り返し、話題の回避、知性化、一般化、時間の変更、キャンセル、時間短縮、治療者変更要求などがある。現実的で妥当なものか、治療抵抗なのかを判断して、治療抵抗と判断された場合には解釈して操作する。 1059 自我異和的と自我親和的 全面的な自我異和化が離人状態である。 1060 超自我 道徳とか倫理とか言われるが、親に、まわりの人に、さらには神に立派だと言われたい欲望だと言ったら不正確だろうか?道徳だけをことさらに取り出したのは、フロイトの時代の病理のポイントが道徳感情にあったからではないか。結局道徳感情も欲望のひとつである。満たされれば満足するし満たされなければ不安に襲われる。 教育によって生ずるとするのも、どうだろうか?動物にも愛他的行為は観察されている。特別の地位を与える必要もないのではないか? 心の装置としては、諸欲望と、それらに重み付けをする部分だけで充分である。 1061 現実原則と快感原則 欲望を満足させようとするのが快感原則。欲望満足にあたって、「今は我慢して将来のより大きな快感とする」のが現実原則である。つまり一時的な抑圧である。 現実原則を快感原則に対比させることには疑問がある。現在の満足と将来の満足のどちらが大切であるかということであれば、結局は大きな快感を選ぶというだけのことである。 (空想原則と現実原則とを対比させるのはどうか?それなら「現実」の言葉に意味がある。) 1062 防衛機制はいくつもあって、原則がない。これで全部なのかどうかも分からない。これは無原則な偶然の採集にまかせられているからである。たとえば昆虫採集がそうである。精神医学分野では、性格障害もそうである。全体を見通す原則がなく、これで全部という枠組みがない。 ある人たちは無理な理論化や分類はただ頭の中にあるだけで無意味であるとして、現実に存在する個別のものだけに価値があるとする。 別の人たちは分類して構造化して理論化することに知的興奮を感じるとする。 山内名誉教授はどちらかといえば前者で、私は後者である。 1063 神経症 子供の頃に適応的であった行動パターンを、大人になって不適切な場面で再生することにより生じる。「なぜ過去の・現在は不適応の行動パターンを用いるのか」、それがそのまま「神経症の原因は何か?」と同じ意味である。 現在の行動パターンが不適応な場合、順次古い行動パターンを試してみる。これを退行という。フロイトの考えでは男根期から肛門愛期、口愛期の順に退行する。 いくつかの不適応行動が続き、あるところで症状形成し神経症として社会に認知されることになる。ここでそれなりに落ち着く。この「あるところ」を固着点という。 1064 防衛機制(G.E.ヴァィラント。西村良二の紹介) @自己愛的防衛=現実を変えること・正常五歳以前 ・妄想性投影 ・否認=外的現実についての否認。精神内界のことをは含まない。 ・歪曲 A未熟な防衛 3〜16歳くらい。 ・投影=自分のものと認めたくない気持ちは他人に属していると考える。 ・分裂質性空想=孤独な引きこもり。 ・心気症 ・受け身的・攻撃的行動=先延ばしなど。 ・行動化 ・退行 ・自己へ向かうこと=他人への怒りが自分に向かうなど。 B神経症的防衛=内的感情を変える。 ・知性化=感情に気付かず、形式的。 ・抑圧 ・置き換え ・反動形成 ・解離 C成熟した防衛 ・愛他主義 ・ユーモア ・抑制 ・予期 ・昇華 1065 フロイトの局所論 意識、前意識、無意識。普段は意識していないが、意識しようと努力すれば意識できるものが前意識。 1066 フロイトの構造論 イド、エゴ、スーパーエゴ イドは欲動、本能的欲求 エゴは欲動の調整 スーパーエゴは道徳規範や理想自我、禁止と脅かし罪悪感‥‥検閲、自己非難、良心、理想形成作用 1067 ARISE adaptive regression in the service of ego 自我の統制下における自律的退行 Kris,E.による。自我機能のある部分は退行するが、観察自我のような別の部分は退行せず、自我が一次過程的思考を自由に使用して、創造活動を行い、うっ積したエネルギーを解放したり、自我エネルギーを充填したりする。このゆうな自我の前意識的自律性をARISEと呼んだ。 分析療法では、治療者も患者もARISEの状態で退行し、治療的・共感的交流がなされることが大切である。(いさお氏による) 治療的退行もしくは一時的・部分的退行と重なる概念。直訳は「自我に役立つ適応的退行」である。 1068 のみ込まれる不安 Guntripによる。 1069 disease と illnessと神経症 disease=客観的身体的病理があり、病因が分かっている。 illness=主観的苦しみ。 精神科疾患では病因は複合的であり、明白な病理が提示できないものが多い。したがって、mental diseaseよりはmental illnessと呼ぶのが適切な場合が多い。 実際、始まりの部分はdiseaseであるとしても、それについて悩んだり不安を感じたりして病状を修飾する。その部分はillnessである。 精神療法や薬剤は必ずしもdisease部分に作用しているのではなくて、むしろillness部分を緩和している場合が多いのではないか。 そしてそれも大変に有効である。「自然治癒力を引き出す」と言ってもいいし、「ダムの水位が上がれば自然と問題は隠れてしまう」でもいいし、「中心の問題と、周辺の不安」と説明してもよい。 diseaseに対する反応としてのillnessと考えるとして、精神病の場合には、反応の仕方も壊れている。したがって、illneaaの現れ方も異常な反応になっているのだろう。ここで困難が二重になる。 最初にあるものが、diseaseでもよいし、その他のきっかけでもよいのではないか。→こう考えると、diseaseなしのillness純粋型が考えられる。それを神経症と呼べばいいわけだ。 1070 遺伝的に獲得される無意識は形式だけを保存している。つまりは内容を待っている。そこに現実が入ればとてもよい。しかし別のものが入ることもある。たとえば夢。現実のかけらをもとにして組み立てる。 1071 片頭痛 頭痛のひとつのタイプで、血管性頭痛と考えられている。発作性拍動性激痛が多くは片側性に生じ、吐き気、嘔吐を伴うことが多い。持続は数時間から一、二日程度であり、はじめは拍動性で、次第に持続性の鈍痛へと移行することが多い。閃輝暗点などの前駆症状があるものを典型的片頭痛と呼び、前駆症状の明らかでないものを普通型片頭痛と呼んでいる。発作初期に酒石酸エルゴタミンを使うのがが有効で、予防薬としては抗セロトニン薬などが用いられる。 1072 筋収縮性頭痛 muscule contraction headache 精神的緊張や特定の姿勢が続くと、頭蓋をとりまく筋肉の持続的収縮が起こる。これが血管収縮を引き起こし循環障害につながる。すると発痛物質が発生し、頭痛を感じ、これがさらに緊張を引き起こし、筋肉での循環不全が持続固定する。筋収縮と循環不全が肩に起これば肩こりとして自覚される。頭蓋筋に起これば、頭痛として感じられる。 治療はリラックスを促進すること。 1073 三叉神経痛 trigerminal neuralgia(TN),tic douloureux 顔面領域の激痛発作で、洗顔、歯磨き、食事に支障を来すことがある。カルバマゼピンやビタミンB1,B12が試みられる。痛みの機序がneurovascular compression(神経動脈圧迫。前下小脳動脈が三叉神経を圧迫する。)の場合には、神経血管減圧術により外科的に圧迫を取り除く。このほか脳腫瘍や動静脈奇形による三叉神経圧迫が少数ある。 1074 カウンセラーの態度 ロジャーズは、@自己一致A共感B積極的関心C無条件の関心の四つをあげている。 1075 アイデンティティ 本当の自分。 アイデンティティには、自分で選んだものと、選ぶことなく(自然に)決まったものとがある。後者の例としては、長男アイデンティティとか、貧乏とか、性別とか、知能、運動能力など、人生のかなり大きな部分を占める。それは結局受け入れざるを得ないことが圧倒的に多い。拒否していてもそれは無理というものだ。それがその人の人生の条件なのだ。変えられないものは受け入れるしか道はない。いかにして受け入れるか?いやいやながら従うか、条件として受けとめて、そこから積極的に人生をつくって行くか。つまりは人生に対して積極的になれるかどうか。人生の主役は運命ではなく自分である。 満足       不満 自己選択 自信    後悔・やり直し・自責 非選択 自然・当然   他責・無力感 1076 受容 受け入れ、肯定すること。カウンセラーの患者に対する態度として用いるときには、患者の何を受け入れ肯定するかによって、違いが生まれる。いわゆる受容派は患者を人格として無条件に受け入れ尊重し、あるがままのその人全部を受け入れる。ここに価値判断はない。アンチ受容派は患者の心の健康部分を受け入れる。 ロジャーズは受容とは「積極的・肯定的関心」と同義であるとしている。またカウンセラーと患者の両方が、「私は理解され受け入れられている」と感じている状態が真の受容であるとする記述もある。 考え方の違いは人間観の違いにもよるが、おもに患者の病理の種類によると考えられる。全面的に受容すれば育って行く人は病理としては深くないと言える。病理の深い人には受容と非受容の両方を使う必要がある。 たとえば、母親は子供の全部を深いところでは全的に受容している。しかし浅い部分では、教育の方法として、部分的受容を用いるのである。治療者の態度としてもこの二つの受容があるので、区別が必要である。 治療者が受容という言葉に縛られて、きちんと指導できない場合があると聞いているが、受容が必要な場面と指導が必要な場面とを区別する必要があるだろう。 1077 アタッチメント ボウルビイの愛着理論の「愛情による結びつき」を指す。 1078 マスローの欲求階層説 米国の心理学者アブラハム・マズローは、1950年代にアメリカの都市生活者にアンケートをとり、その結果、欲求には低次なものから高次なものに向かう階層的構造があり、低次の欲求が満たされると次の段階の欲求が生まれると考えた。 @生理的欲求……呼吸、飢え、渇き、排泄、睡眠、性など A安全欲求……恐怖・危険・苦痛から逃れられること、保護者 B所属欲求……帰属感、愛(家族、新興宗教、企業など) C自己評価(self-esteem)欲求……他人からの尊敬、承認 D自己実現(self-actualization)欲求……自己実現(Cの他人からの評価と異なり、自分が自分の人生を実現して行く。) @がもっとも低次で、Dがもっとも高次である。たとえば、お腹が空いている赤ん坊はオッパイを欲しがるだけである。お腹が一杯になった赤ん坊は保護者からの庇護を求める。生理的欲求が満たされ、安全も保障されると、何かに帰属することを求める。これはアイデンティティを求めることの始まりである。社会への参加である。次にはその社会の中で承認を求めるようになる。最後には社会に規定された自分の意味にとどまらず、自分が自分の人生に意味を与えてゆく段階に達する。マズローは後にE自己超越欲求を加えて、全体で六つの階層を考えた。自己超越の欲求は、各段階で次の段階に進もうとする欲求なので、各段階で常に機能していると考えてもよい。そして、自己実現を超える高次の状態があることも示唆している。トランスパーソナル心理学ではそうした高次の状態を探求する。 1079 寄る辺なさ helplessness 乳児の無力感をあらわすためにフロイトが用いた言葉。人間の乳児は生まれた時に全く無力であるため、食事などの生理的欲求や安全欲求を満たすために全面的に他者(とくに母親)に依存しなければならない。この全面的依存状態を寄る辺なさ(helplessness)と表現した。 1080 季節性感情障害 seasonal affective disorder =季節うつ病 秋冬にうつ状態になり、春夏には回復する経過を反復するうつ病のタイプ。二十歳台の女性に多く、家族内発生があり、高緯度になるほど多く、過眠、過食、体重増加などうつ状態としては典型的でない症状を伴うことがある。寒くなるとたくさん食べて太り、その後眠り続け、春になると回復するのは冬眠に似ていると言われる。日照が少ないせいで起こると考えられ、高照度光照射療法がすすめられる。蛍光灯が何本か並んだ光照射器の前に朝夕座る。日照時間が長くなったような錯覚を起こせばうつは消える。必ず効果があるというわけではないが、よく効く症例がある。 当然メラトニンとの関係が問題になるが、確定的な知見は未だないようである。 季節うつ病はうつ状態の中でも心理因子が関与しないタイプのもので、興味深い。 1081 イメージ療法 image therapy たとえば、T細胞がガン細胞を攻撃している様子を具体的に強くイメージすることによって、実際にガン細胞に対する生体の攻撃力を高める療法。また自分が再び元気になって生き生きと人生を生きている姿を具体的にイメージすることが自己治癒力を引き出す。 神経系と免疫系の関連は神経免疫学でも盛んに研究されている。 1082 睡眠遮断法 たとえば当直をしていて睡眠不足になった次の日には軽躁状態になることがあると言われる。睡眠遮断は即効性の抗うつ効果があると言われているので、睡眠遮断法が用いられることがあると文献にはある。しかし実際にはうつ状態の患者さんは睡眠不足で悩んでいることが多いので、どのうつ状態でもすすめられるというものでもないようである。反応性の軽度のもので、薬を使うほどでもないうつ状態ならばちょうどいい適応かも知れない。 睡眠リズムのずれと、睡眠中の脳内神経伝達物質の処理中断との両面が考えられる。 1083 エゴグラム →心理テスト 1084 エレクトラ・コンプレックス Electra complex 女の子が父を愛し、母を憎む気持ちを持つこと。ユングが記載した。ギリシャ悲劇「エレクトラ」または「供養する女たち」による。ミケナイの王アガメムノンは妻とその愛人に暗殺された。そのことを知ったアガメムノンの娘エレクトラは弟と協力し実の母を殺害する。 エディプスコンプレックスの女性版と言える。ただし、エディプスコンプレックスは男女で区別することなく用いることも多い。 「大きくなったらパパのお嫁さんになるの」と語る女の子は少なくない。 1085 エンカウンター・グループ encounter group Tグループ(感受性訓練)やロジャーズのエンカウンター・グループが起源とされている。10人程度のグループで、一人か二人のファシリテーター(促進役)が加わり数日の合宿を行う。課題なしに自由に、または何かの課題について、話し合いつつグループ体験を深める。集団の中で防衛を解除してゆく。よい自己変容の感覚が生まれたときには有意義であるが、逆に急性精神障害の発病や心理的損傷が見られたりするので、導入の可否の判断には細心の注意が必要である。 1086 音楽療法 music therapy 音楽が精神的に作用を持つことは誰でも体験していることで、治療法としても有効であろうと推定することは容易である。しかしさらに一歩踏み込んで、どんなときにどんな音楽がよいのか、なぜよいのかという点になると、あいまいなままである。「気分に合わせて好きな音楽を聴きなさい」と言える程度である。 特有の音の並び方が特定の脳内神経回路を刺激するとか、音の記憶が昔の心地よい記憶を再生するとか、メロディーかリズムかとか。また演奏することと鑑賞することとの違いなど。いろいろな話題は考えられるが、確かなことはあまりない。 1087 絵画療法 art therapy 言語チャンネルを通さない表現のひとつである絵画を利用した精神療法。レクリエーションの意味あいが強いものから、診断的意義が強いもの、治療関係を作る方法としてのもの、カタルシスを狙うもの、さらにはイメージの世界の再構成を狙うものまで、幅広い。 具体的に紹介すると、 @空間分割法。画用紙に線を引いて画面を分割し色を塗る。 Aなぐり描き法。スクリブル(scribble)法では、自由になぐり描きした線に色を付ける。スクイグル(squiggle)では治療者と患者が交互になぐり描きと色付けを行う。 Bバウム・テスト。木を描いてもらう。 C人物画。グッドイナフ。人間の全身像を描く。 D風景画法。TPH(木、人物、家)をセットで描くものや川、山、田、……と順次描く風景構成法がある。 E家族画法。家族が何かしているところを描く。 このなかでも風景構成法が特に有用である。 1088 風景構成法 中井久夫の創案になる。はじめは箱庭療法への導入の適否を判定する資料としての意味あいもあったという。 B5のケント紙にサインペンでまず枠を描く。(枠なしの技法もある。)川、山、田、道、家、木、人、草花、動物、岩・石・砂、その他つけ加えたいものの順に描く。次にクレヨンで色を付ける。最後に味わいつつ、絵についてすこし話す。診断の意味もあり精神内界の再構成の意味もある。患者は解釈を聞きたがるが、一枚の絵で何が分かるというものでもない。中井はP型(paranoid)とH型(hebephrenie)に分けている。解釈はこの程度が妥当であると思う。 1089 カウンセラー counsel(l)or 人の話を聞いて慰めてあげればそれでカウンセラーだという素朴な常識が一方にあり、他方ではカウンセラーは高度の専門職であるという考え方がある。もちろん後者が正しいのだが、高度の専門知識は何かということが難問である。特に患者さんには分かりにくいところがある。医者は薬を出したり、時には注射をするから、心理職よりは専門性が分かりやすい。 患者さんの中には、「ただ話を聞いているだけじゃないか」「ただ話し相手になってくれるだけなら隣のおばちゃんと同じだ」「ただ絵を描いただけだ」「もっと根本的に治してくれないのか」などといった感想が出ることがある。 そしてカウンセラーと自称している人の中には、まったく「隣のおばさん」と変わらない人もいるので、上の批判は当たっている場合があるのである。 しかし「本物のカウンセラー」は目に見えて違うかと言えば、そうでもない。むしろ、自分の意見や経験を押しつけてくるタイプの人や(いわゆる悪い意味での)宗教家じみたタイプの人が「本物のカウンセラー」らしく映ったりする。 1090 診断面接 ・うつだと見当がついたら→SDSを施行。「うつの患者さんへ」と「うつの患者さんのご家族へ」を手渡し説明する。薬が心配な人には「薬について心配している方々へ」を手渡し説明する。その後に風景構成法などの心理テストを計画する。心理面接は掘り下げるのではなく生活指導でよい。よく休める環境を作ることができるように援助する。 ・分裂病だと見当がついたら→症状について詳しく聞くのは一、二回だけ。あとは生活指導。精神療法的には風景構成法程度。深い話や精神内界を問題にするのではなく、表層的に。現実的な話をして現実把握を根付かせることが大切。またどうでもいいことについては話を合わせてはいはいと付き合う。おおむね向こうのペースでよい。 ・神経症→こちらから問いかけをしなくてもどんどん話してくれるのが神経症。心気症や心臓神経症が典型的。共感しながら聞く。意見はたいてい無効。「そうですか。大変ですね。」と太鼓持ちをして、「この人は何ヶ月かかるかな、何年かかるかな」という気持ちで付き合う。心理テストも喜ぶので適当に入れる。 ・生活指導の中心は「睡眠・食欲・便通、薬の飲み心地」。これは医師が尋ねるのが適切。 ・上記以外はもっぱら心理が対応する。 ・アル中、薬中は範囲外。 1091 薬は前景症状に対して出すのか、背景病理に対して出すのか 原則として、前景症状対して出すと考えてよい。なぜなら、背景症状の診断は間違うことがあり、かつ患者は端的に現在の症状を早く消して欲しいと願っているからである。 1092 前景症状と背景病理で考えれば、患者の把握が立体的になる。投薬も精神療法も二段構えになり、立体的になる。大変よろしい。 1093 共感とは 間違いは、患者の状況を聞いて、治療者の経験を呼び起こし、そこから類推する態度。正しくは、患者の話のままに患者の状況を想像の中で生きてみて、感情を体験すること。しかしこのような理想的な共感はできるはずもないので、ある程度は治療者の個人的な体験が影響する。たとえば、母について、故郷について、海の思い出などには自分なりの色が付いている。しかしそれらをいったんできるだけ無色透明なものにして、患者の語るとおりの色づけをして体験する努力が大切である。それが共感である。「私の父も早く死にました。だからお気持ちはよく分かります。」といった類は共感とは言えない。自分の気持ちが分かっているだけである。体験の外形の一部の類似を手がかりとして体験全体の一致を主張することに近い。むしろ、「私の父も早く死にました。あなたの場合と自分の場合とどんな風に違うか考えてみたいのですが。」と言って詳細化を促すのがよい。 1094 ジェームズ・ランゲの説 ジェームズとランゲが別々に唱えた説で、人間は悲しいから涙が出るのではなく、涙が出るから悲しいのだとする説。つまり、情動が身体的変化を引き起こすのではなく、身体的変化が情動を引き起こすという説である。現在でも論争になっているらしい。 @泣かない人は悲しさを感じないだろうか?悲しくないのに泣く人はいるだろうか?この考察からは悲しみが先で、泣くのは後。悲しみに泣くことが続く場合もあり、続かない場合もある。しかし泣くことの前には悲しみや悔しさの情動が必ずある。 A身体を持たない脳は情報に接したとき悲しまないのだろうか?多分、悲しむだろう。 B悲しみと泣くこととは同時ではないのだろうか?情報に接したとき、両者が同時に起こるのではないだろうか。それだけのことではないか。悲しいから泣くのではない。ある情報が悲しみと泣くことの両方を引き起こすのだろう。 1095 ガンに対する精神療法 @自分や配偶者がガンであると知ったときの絶望に対するケア。 キュブラー・ロスによる悲嘆のプロセスは、@拒絶A怒りB取り引き(神との取り引き)C抑うつD受容。 アルフォンス・デーケンの悲嘆の12段階は、@マヒ状態A否認BパニックC怒りと不当感D敵意と恨みE罪意識F空想と幻想G孤独感と抑うつH精神的混乱と無関心Iあきらめ・受容J新しい希望・ユーモアと笑いの再発見K立ち直り・新しいアイデンティティ。 A神経系と免疫系の密接な関係を背景として精神面から免疫系を動かす試み。未来に希望を持つこと、人生の目的を持つこと、動物と触れ合うこと(アニマル・セラピー)などがガンの治療に際して有効であるとされる。また、イメージ療法として、自分の免疫細胞がガン細胞を攻撃して打ち勝つ様子を思い浮かべることが有効で、実際に免疫系が活発になるとの実験がある。 免疫系と神経系の類似については、伝達物質とレセプター、記憶作用など不思議なくらいの類似があり、発生過程を考えれば、同根のものではないかとの推定もある。この分野を神経免疫学という。 1096 前景症状と薬剤 不眠 ロラメット(1)1T 不安状態 ベンゾジアゼピン(デパス、ソラナックス、長時間はメイラックス) パニック ソラナックス・トフラニール 離人 フルメジン、スルピリド、 強迫・恐怖 アナフラニール、レキソタン 対人恐怖 心気 PZC、スルピリド そう セレネース うつ 抗うつ剤(テシプール)・デパス・ソラナックス 幻覚妄想 メジャー(セレネース・コントミン) 摂食障害  人格障害  1097 くすり はじめの処方は デパス(0.5)1T 1×v.d.S 7TD 次の処方はN,S,Dと三つに分けて考える。 N→デパスを1〜3mgの範囲で調整。 S→ デパス(0.5)1T+セレネース(0.75)1T+アキネトン(1)1T 1×v.d.S 7TD D→ デパス(0.5)1T+テシプール(1)1T 1×v.d.S 7TD このあとも急には増やさない。一粒ずつ。 何より大切なのは、副作用を感じさせないこと。 薬について、パンフレットを手渡して、作用と副作用について説明する。 1098 危機介入 crisis intervention 自殺や犯罪の危機に際して、緊急対応して危機を回避させること。現代では電話が特に有効である。 1099 喪失体験、直面化、惚れ込み、外国文化受容など、みな類似の経過をたどる。 まず都合のいいように現実を歪曲してみる。これが精神病的防衛機制。つぎに自分の気持ちを歪曲する。これが神経症的防衛機制。そのあとでやっと正確な状況把握が生まれる。 前二者は否定から受け入れへ向かう。後二者は過大評価から幻滅を経て受け入れへ向かう。 1100 カウンセリング カウンセリングは素人にできるようなものではないから決してしてはならないなどと言いつつ、ではその専門性はどこにあるのかといえば、怪しいし、カウンセラーの方々の質は現実にはあまり高くないようである。はっきり言えば、カウンセラーだと言って理論を振り回したり、絶対の受容を実践したりする人よりも、健全な常識人が知人として相談に乗った方が被害は少ないものである。 ただひとつお願いしたいことは、まず分裂病やうつ病の診断を正確に行って欲しいということだ。こじらせてから「やっぱり医者に行け」というのでは困る。患者は余計に傷つくし、治療も難しくなる。 1101 キリスト教教会での告白には特別な意味がある。 それは人間に向けて語るのではなく、神に語る。それはカウンセリングの本質である。 共感的理解、自己一致、受容、無条件の尊重、配慮、自己受容、自己開示などがカウンセリングの条件とされるものであるが、教会の告白にはこれらを理想的に満たす条件がある。 1102 カウンセリングで何が大事か、何が原則かという問題についてはいろいろなレベルで答えがある。 @もっとも低級の答えは、「自分の考えを押しつけず、クライエントの話を傾聴する」といったものである。カウンセラーの「自分」を消去することが求められる。ただ単に傾聴と受容になってしまう場合もある。 Aしかし受容だけでは務まるはずもないので、ときに対決・説得・助言の場面も必要になる。しかしこれと「自分の考えを押しつけない」こととの違いを明確に意識していなければならない。これは難しいが、結局高いレベルの常識があるかどうかということになるだろう。しかしそのような世間の常識というものは、世間で世間並みに仕事をしているからこそ得られるのであって、診察室で話を聞いているだけでは充分に身につかないものかも知れない。カウンセラーは(たとえば)保母さん以上に世の中や人間について知っているかといえば、疑わしい。 カウンセラーは何を知っているのだろうか。何を与えられるのだろうか。それが問題である。 Bさらに高級になると、再びカウンセラーの「自分」というものが消える。 Cさらに高次になると人間の深い部分での交流になる。これは実際の社会生活の中でも数多くは存在しない。 1103 カウンセリング理論 精神分析理論、自己心理学、行動主義理論、実存主義、特性因子理論、交流分析、認知理論、集団療法理論、家族療法理論などがある。どれもたいして感心しない。 1104 来談者中心療法 治療者中心になる場合が少なくないので、心に留めておいて有効な言葉。 よいカウンセリングを言葉で抽象的に定義することは難しい。要するに、相談者の人生にとって本当に必要なものを提供していればよい。それが何であるかは、さまざまである。来談者の、現在と未来とどちらを重く見るか、その点ですでに難しい判断が横たわっている。 治療者は患者の人生になぜどのようにかかわろうとしているのか、最大限謙虚に反省してみるべきである。 1105 カウンセリング・マインド 患者が自己発見、自己受容、自己選択、自己決定、自己実現などをするに際して、そばにいて積極的な暖かな関心を示しながら共に考え感じ悩む用意が常にある心の状態。まず治療者自身に心の余裕がなければならない。 1106 カウンセリング 学生相談室などで大切なことは、まず第一段階として、病気が関係していないかどうかを診断することである。精神分裂病と神経症の一部は青年期に好発する。最近はうつ状態も少なくない。病気の可能性が除外できたら、受容的なカウンセリングでも、場合によっては教育的な精神療法でも、侵襲的な集団療法でも試みればよいだろう。 1107 核家族 大家族に対して、夫婦と子供だけで構成されている家族。精神病患者の場合でも、おじ・おばの立場での人間付き合いが救いになると指摘されることもある。また、母親に充分な母親機能がない場合でも、大家族内の女性が代行した昔と違い、現在では母親の機能欠損が直接に子供に影響してしまう。このような点で、治療環境を考える上でも大切な視点である。女性問題を考える上でも大切な変化である。大家族制は女性を圧迫し、核家族制で男女は同権に近づき‥‥と公式的に語られる。 日本では農村型封建的大家族制から、都市型核家族制に移行した。明治時代の小説の主題のひとつに「家族制度からの脱出」などがあり、文学史などで習うが、一向に切実に響かない。「西洋文明との出会い」「西洋と東洋の統合」なども今では切実に響かないように思う。お年寄りたちはまだそんなことを商売の種にしているけれど。 1108 過剰適応 over-ajustment 人間はいくつものアイデンティティを統合して自己アイデンティティを確立しているが、その中の単一のアイデンティティだけが自己アイデンティティ全体と等しくなるほどに重要になった場合をいう。たとえば、会社人間という側面だけが強まり、家庭人としてや趣味人としての側面がほとんどなくなった状態を過剰適応状態といい、一面的に特殊化しているだけに変化やストレスに弱い傾向がある。会社人間の父の他には、よい母親を演じる母、よい子を演じる子供などが過剰適応の例である。言葉を換えれば、「単線の人生の脆さ」である。 1109 家族療法 広い意味では家族を対象とする集団療法を指すが、狭い意味では特にシステム論に強く影響を受けた療法を指すことがある。システム論では、家族の個々の成員には異常はないが、家族間の関係の仕方に問題があるために、家族の一部に精神障害が発生していると見る。この立場では、症状を呈している一人を治療しても意味がなく、家族全体のシステムを正すことが必要になる。精神医学の世界では、昔流行したらしいが現在は主流とはいえない。 システム論を離れて、精神障害の場合に療養環境としての家族に問題がある場合、家族全体を精神療法の対象にする場合がある。また家族教育でhigh-EEの問題を教育する場合がある。 1110 過敏性腸症候群 irritable bowel syndrome 器質的原因なしに下痢・便秘・腹痛が続くもので、心身症のひとつ。神経性胃炎などとも呼ばれることもある。二次的に痔になることもある。薬剤が効く場合もあるが、カウンセリングや自律訓練法などが効く場合もある。 1111 カルチャーショック 異文化との接触がもたらす精神的不安状態。価値観や社会習慣の違いが不安を喚起する場合がある。時間がたてば受容される。そのプロセスは、過度の理想化(または嫌悪)から次第に現実的な理解に移行するものである。個人のレベルでも生じるし、集団でも生じる。日本の場合には明治以来、西洋文明に対するカルチャーショックをどのように受容消化するかということが国家的課題であった。 カルチャーショックに重なる形でアイデンティティの問題が生じている場合もある。 たとえばある韓国人は、日本人はkindだけどfriendlyじゃないと言って泣いていた。またある韓国人は、私は韓国人でもないし日本人でもない、中間人ですと語っていた。前者はカルチャーショックの形で、後者はアイデンティティの問題の形をとっている。いずれも異文化の中で生きる人間の問題である。 1112 @要素の記述=思考・感情・意欲・行動・社会適応・‥‥ A前景症状(状態像)=離人(S,D,N,P)、不安(S,D,N,P)、‥‥ B背景病理の推定=病前性格、経過の特性、家族歴 C薬剤選択=まず前景症状に対して処方する気持ちであたる。例外として、背景病理に対して処方する。 D精神療法方針=退行促進的か、再構成的かをはっきり意識する。分裂病プロセスを再燃させてはいけない。 1113 分裂病の初期が疑われるとき @シュナイダーの一級症状やブロイラーの4Aを参考にする。 A急性期の鑑別診断として大切なのは、器質性疾患の除外。意識状態はどうか、身体に異常所見はないか、診察する。脳腫瘍や中枢神経感染症、ホルモン疾患、薬物中毒などの可能性がある。 B器質性疾患の可能性がなければ、あとはうつでも神経症でもあまり変わりはない。 C次に大切なのは入院の必要があるかという点。自殺の危険、他害により周囲に迷惑をかけたり、自分の立場を悪くしたりといった可能性がどの程度か考える。自傷他害の可能性があったらためらわずに入院依頼の紹介状を書く。 1114 分裂病慢性期の診察 @日常生活指導が中心。しかも、現状維持のための指導が大切。 A診察では「睡眠・食欲・便通・服薬」の確認を忘れない。カルテ記載時にはBPRSとSANSが参考になる。 B薬物は少しずつ変える。なるべく変えない。 【参考】 BPRS:Brief Psychiatric Rating Scale 心気的訴え 不安 感情的引きこもり 思考解体 罪業感 緊張 衒気的な行動や姿勢 誇大性 抑うつ気分 敵意 疑惑 幻覚 運動性減退 非協調性 思考内容の異常 感情鈍麻 興奮 見当識障害 SANS:Scale for the Assessment of Negative Symptom;Andreasen,N.C.1981 情動 思考 意欲・発動性 快感消失・非社交性 注意の障害 1115 Ward Behaviour Rating Scale 動作の緩慢 行動減少 会話 社会からの引きこもり 余暇活動に対する興味 独語空笑 奇異な姿勢と常同行為 脅迫的ないしは暴力的行為 排尿調節 身繕い 食事の行動 1116 診察時に着眼すべき領域 ○状態像の点で 知覚……幻覚など 思考……思考形式・滅裂思考など、思考内容・妄想など 記憶……健忘など 知能……発達遅滞など 自我意識……離人、させられ、つきもの、自我境界の異常など 感情……そう、うつ、感情鈍麻など 欲動……意欲がわかないなど 意識……意識障害がないか 態度・表情・服装・疎通性・病識など 身体要因……身体診察・他科受診歴・検診などの検査結果 薬物……アルコールほかの薬物歴 ○病歴・生育歴から 経過の特性……初発時期、初発状況、反復の仕方、持続期間 病前性格……典型的なものがあるか(分裂気質、執着気質、循環気質、ヒステリー性格など) 家族歴……遺伝負因を確認する 1117 診断に迷ったときは、「軽いうつ状態です」と言っておけばよい。患者も納得できる。 1118 帰属療法 attribution therapy 帰属とは、「失敗の原因を何に帰属させるか」という意味で、帰属療法は失敗の帰属のさせ方を変えてゆく認知療法の一種である。原因帰属転換療法とでも言えば内容が分かる。 うつ状態で過度に自責的になっているときは、失敗の原因を過剰に自己に帰属させている。また、攻撃的で他責的な場合には、失敗の原因を過剰に他者に帰属させている。こうした帰属スタイルの分析を通じて認知の傾向を知ることができる。たとえば成功は自分のせい、失敗は他人のせいと考える傾向の人がいる。こうした観点は内容として目新しいものではないが、方法として意識することには大変大きな意味がある。 1119 ST 感受性訓練 sensitivity training 集団精神療法のひとつで、Tグループとほぼ同じ意味で使われる。 1120 Tグループ training laboratory in group dynamics 集団精神療法のひとつで、組織の中での対人関係やリーダーシップのトレーニングをしたり、集団力動を通じての個人の成長をめざす。病気の治療とはやや異質である。発病のきっかけとなることがあるほど侵襲性の強いものである。 1121 芸術療法 arts therapy 描画、コラージュ、紙粘土、粘土、陶芸、フィンガーペインティング、箱庭、さらには音楽、ダンス、心理劇、詩歌、写真などを含む芸術全般を利用した治療。大変有用である。 利点は、@言語チャンネルによらない治療である。無意識領域またはイメージ領域の治療ができる。A退行促進が容易である。(これは欠点でもある)Bカタルシス効果がある。C自己表現は自分を見つめ直すきっかけになる。D治療者との関係を転換させる。 1122 ゲシュタルト療法 パールズ Pearlsが開発した心理療法で、ゲシュタルト心理学だけを背景としたものではなく、むしろ実存的療法や集中療法の言葉が適切な部分もあり、さらに精神分析と禅の影響もある。カリフォルニアのエスリン研究所でのパールズは自由で創造的な生活スタイルで周囲に影響を与え、現在はトランスパーソナル心理学の中でも発展的に生かされている。 「今ここの気づき」が基本であり、禅的な精神修養の色彩がある。パールズは「ミニ・サトリ」の言葉を好んだ。「今この瞬間」が強調され、気づきの促進、コンタクトの促進、エンプティチェア、ホット・シート、「自覚の連続体」の技法などを用いる。自覚や意識は自己自覚の領域、世界自覚の領域、空想領域に分けられるとし、病理の発生についても独特の理論がある。 1123 DSMでのうつと不安の分類 慢性軽度  軽度の病気     重度 うつ  depressive  気分変調症 パニック 不安 不安 全般性不安障害(GAD) 大うつエピソード 重度の病気  軽度と重度の重なる場合 パニック障害 パニックにおいて予期不安が持続する場合 大うつ病 ダブルデプレッション(DD) 同様の軽症・重症分類を、分裂病系統でも考えられるかも知れない。 ・陰性症状‥‥シゾイド人格障害、シゾタイパル人格障害、分裂病(単純型、破瓜型) ・陽性症状‥‥妄想型人格障害、分裂病(妄想型) そうでは、軽躁と躁を分けて、BPI,BPIIに生かしている。 うつは、大うつとdepressiveで、depressiveは軽うつと言えばよいかも知れない。 笠原の軽症うつ病はこうした考察に生かせるかも知れない。 うつ、そう、不安、陰性症状、陽性症状、のそれぞれにわたり軽症タイプと重症タイプを区別して考えられるかも知れない。 1124 分裂病のタイプ @エネルギー低下=空想産生機能低下‥‥単純型 A妄想産生=照合機能低下‥‥破瓜型・解体型(非体系的で一貫しないきれぎれの妄想) B現実モデルのズレ=一貫した・体系的な妄想‥‥妄想型人格障害・妄想型分裂病? ABの違いはメカニズムとしては明白だが、臨床像としてどういったタイプであるか、不明確。破瓜型、妄想型、緊張型、単純型などでは足りない気がする。 @妄想産生低下 Aばらばらな妄想 B一貫した体系的な妄想 風景構成法ではどのように現れるか。 ・風景アイテムの間の関係全体が失われている。連合弛緩。自然な自明性の喪失。現実モデルの喪失。=H型 ・現実モデルのズレ。アイテム間の関係がずれている、壊れている。=P型 @風景構成喪失 Aバラバラな関係が特徴の風景構成‥‥部分が妄想的、バラバラな妄想がある B一貫した風景構成‥‥全体にひとつの妄想がある 空想は常に産生されていて、それを内部現実モデルと照合して、採用するか却下するか決める。却下された場合には意識にのぼらずそれきりとなる。照合・棄却機能が壊れている場合には、現実モデルに適合しない空想もそのままの形で意識にのぼる。 夢の場合には、照合・棄却機能が低下しているので、現実モデルに適合しない空想も夢に登場する。 分裂病妄想型と夢はこのようにして、類似の状態となる。 この他に、現実モデルが壊れている場合が考えられる。 1125 ケースワーク、ケースワーカー casework,caseworker ケースワークはソーシャル・ケースワークがより正確な言葉。ケースワークにあたる人たちのことをケースワーカー、ソーシャル・ケースワーカー、ソーシャル・ワーカーなどと言う。病院では「ワーカーさん」と呼んだりもする。SWと略称する。MSWはメディカル・ソーシャル・ワーカーで、医療関係のソーシャルワーカーを指す。PSWは psychiatric social worker で精神医学ソーシャルワーカーである。中国では「社会工作人」という言葉を当てている。 仕事の内容は明確に限定されたものではないが、患者さんの社会的な機能を補助することが多く、いろいろな実際面の相談に乗る。たとえば経済面での相談に乗り、生活保護をはじめとする役所での手続きを補助する。退院に際してアパートの契約を援助したり、家族関係の調整に動くこともある。地域の保健所や各種社会資源との連携も大切な仕事である。 1126 権威的態度、権威主義的態度 authoritarian attitude 権威を無批判に賞賛し、その一方で虎の威を借るキツネのように弱者に絶対服従を強いる態度。強いものにこびへつらい、弱いものをいじめる。ナチスドイツの時代のドイツ中産下層階級の人々のユダヤ人に対する態度が典型であると分析されている。 1127 元型 archetype ユングの概念。分裂病者の幻覚妄想の内容は、正常者の夢や空想、伝承されている神話や昔話などと似ていることを見いだして、時代と分化を超えて人類が共有している何かがあるとユングは考えた。元型は集合的無意識の層にある人類に共通の認識・行動のパターンで、イメージになる前の表象可能性として蓄えられている。アニマ、アニムス、太母などがその例である。元型(archetype)の前には原始心像( urtu"mliches Bild )の語を用いたと河合は紹介している。原始心像のさらに元となる表象可能性として元型が考えられた。 さて、こうしたことを現代の脳科学の立場で見れば、人類の脳に普遍的な脳の構造があり、それはイメージそのものを決定しているのではなく、イメージの前段階のもの、さらに言えばイメージの構造を決定しているというわけで、まったく正しい説であると考えられる。 このように考えるということ自体が、元型の発現ではないかとも考えられる。 脳(心)の構造を考えるとき、そうした構造自体が自分の構造を考えているという、不思議な構図になっている。再帰的な構図である。その場合に、客体としての特徴と考えられているものは、そのまま主体の特徴であるかも知れず、しかしそのどちらとも決める必要はない。同じものだからである。 心が宇宙を考えるとき、ニュートン力学(客体)と神経生理学(主体)の一致の問題になる。この一致が進化論的に形成されてきたとローレンツは考えた。 客体としての心を主体としての心が考えるとき、原理的な「一致」が生まれる。 typeを考える思考法はプラトン以来の伝統である。プラトンはイデアと言い、ゲーテはタイプと言った。理想的で純粋な理念型であり、現実の存在はこの理念型の不完全なものである。この種の思考法は西洋の学問のあちらこちらに見られる。 1128 現実検討、現実吟味 reality-testing 自分の心の中にあることと現実とを照合して、一致するかどうかを検討吟味する機能。つまり外的現実と空想を明確に区別する機能。神経症や健常状態と精神病との最も大きな鑑別点である。どんなに現実に反した空想をしても、それが現実ではないことを知っていれば、問題はない。また、観念表象と外的知覚の区別で言えば、いま心にうつっているイメージが、心の中のものなのか、外的実在物の知覚なのかを混乱なく区別できていることである。観念表象と外的知覚の区別から幻覚と偽幻覚(ヤスパース)の議論が展開される。reality-testingの語をはじめて用いたのはフロイトである。精神の発達に伴って、現実検討が発達し、防衛機制も高次になる。 1129 現存在分析 Daseinanalyse フッサールの現象学とハイデガーの哲学、フロイトの精神分析学、ヤスパースの精神病理学などを基礎とし、ビンスワンガーやボスを代表とする、哲学的色彩の強い人間学的精神医学のひとつ。日本では荻野恒一の本などが読みやすい。最近の精神医学は生物学的な方向に傾いているので、あまり重視されていない。読み物としては悪くないと思う。現存在とは現実存在の省略形で、別の省略をすると実存となる。 霜山によれば Dasein とは existentia (……がある)に由来し、essentia (……である)に対立する言葉である。世界内存在(In-der-Welt-Sein)である人間の存在のありさまを分析する。 ビンスワンガーの前提としてフッサールとハイデガーがあり、ミンコフスキーの前提としてベルクソンがある。 1130 攻撃性 agressivity 攻撃性の進化論的有用性についてローレンツは考察した。集団内での序列やなわばりの確定について攻撃性が役立つ。序列やなわばりがあるから、集団は維持される。 現代の診察室では、攻撃性が実は高いのに、社会的に抑制されていて、そのせいですっきりしない気分だと訴える人が多い。結局、合理的な解放の仕方を身につけるしかないだろう。発散すればいいはずだと会社で攻撃性をまき散らしていい結果が得られるかどうかは保証できない。自己主張訓練などが有効な場面は限られているように思う。 1131 行動化 acting out 精神分析療法では主に言語によって治療がすすめられるが、ときに言葉によらず行動によって自己の何かを表現することがある。これを行動化と言い、沈黙、キャンセル、遅刻から暴力、自殺未遂、性的関係まである。それは患者からのメッセージであるから、その行動の意味を治療の中で取り上げていけばよい。 精神分析で正確な用語として用いる場合には上のような意味であるが、一般の診療場面で「行動化」と言う場合には、「問題行動を起こした」という程度の意味の場合も実際にはあると思われる。 人は葛藤に悩むとき、@内面化・言語化、A行動化、B症状化などをする。言語化はあれこれ考えて内面で悩むこと。行動化は極端な場合には暴力や自殺未遂などの行動の形で悩むこと。症状化は転換ヒステリーや解離ヒステリーなどのように症状の形で悩むことである。もちろん、それぞれが独立ではなく重なる場合も多い。 内面が未成熟なために言語化して悩むだけの用意がない場合には行動化したり症状化したりする事が多い。言語化して悩むことができるように、言葉による表現を豊かにすることが大切であると思われる。 1132 行動療法 behavioral therapy,behavior therapy 行動主義心理学を基礎とした治療法。条件付けや学習の理論をもとに、恐怖症、強迫性障害、夜尿症などの治療を行う。系統的脱感作法による恐怖症の治療と、排尿に伴いベルが鳴る方式の夜尿症治療は一応分かりやすい。強迫性障害に対する行動療法は、米国で有効とされている。確認行為は五回までにするとか、治療に役立つ規則を実行する。また、いろいろな儀式やルールが患者を縛っている場合には、そのルールを破ったとして不安が小さいものから大きなものまで表にして、不安の小さいものから順にやめるなどの対策をとる。 1133 幸福 患者さんは人生をどのように生きたらよいか悩んでいることも多い。神経症や精神病があってもなくても、これから先どうするか、今のままでよいのか、そんな話になることがしばしばある。結局は患者さんにとっての幸せは何かということになる。 そんなとき、病気のせいで考え方や感じ方に偏りが生じている場合には治療者は指摘することができる。もうすこし待った方がいいですよとアドバイスすることはできる。しかし本質的に患者さんが自分の幸せは何か、人生の選択にあたってどのように価値判断するか、そのような場面で治療者として寄り添うことには特有の難しさがある。突き放してもいけないし、治療者の好みを押しつけてもいけない。寄り添いすぎて巻き込まれてもいけない。無反省な治療者ほど悩みは少ないと思う。 何が幸福かなどは誰にも分からないことだと達観するのもよいかも知れない。それほど人はさまざまである。 患者は長く治療を続けていると主治医に何となく似てくることがある。いいことでもあるだろうが、悪いことの可能性もある。いい影響ならば結局患者さんに利益だと考えられる反面、いい影響という価値判断は確かなのかと常に疑問が残る。それならば治療以外の影響は与えたくないとの立場もあるだろうが、精神療法を行う限りそれは矛盾をはらんでいるとも言える。 結局、いつも反省しながら、最善の道は何かを考え続けることだろう。物事の片面しか見えなくなっているときは危ない。「この判断でいい」と自信があるときは、事態の片面しか見えていない可能性がある。 1134 病気の種類 他科の医者は「精神科は楽でいい、診断は三つしかない、分裂病と神経症と躁うつ病だ」とふざけたりする。もちろん、DSMでもICDでももっとたくさんあるので事実ではない。 精神科の病気の種類は非常に正確に言えば、人の数と同じだけあるだろう。とても乱暴なありえない仮定を言えば、似た症状の人に同じ薬を出しても許せるが、同じ精神療法で同じ言葉ということはあり得ない。つまり似ていてもそれぞれ違うのである。結局どのレベルで共通と見て、どのレベルで違うと見るかということだ。診断は三つしかないというのは、人間には男と女の二つしかないというのと同じ意味しかない。男はみんな同じではない。外科は切るか切らないかの二つしかなく、皮膚科はステロイドを塗るか塗らないかの二つしかないなどと言えば、やはりどうかしている。 1135 合理化 自分に言い訳をして自分を納得させようとすることで、「酸っぱいブドウ」と「甘いレモン」がある。 酸っぱいブドウは、自分の望みが実現できなかったとき、「そんな望みには価値がない(あのブドウは酸っぱい)」と思うことによってあきらめようとすること。 甘いレモンは、自分の現状を考え直してみると、思ったほどにはひどくはない(酸っぱいと思ったが、意外に甘いレモンであった)と考えて納得しようとすること。 たとえば第一志望の会社に採用されなかったとき、「あの会社は本当はひどい商売をしている、行かない方が自分のためだ」と慰めるのが酸っぱいブドウで、「第二志望の会社は世間で思われているよりは居心地がいい、やる気のある自分にぴったりだ」と思うのが甘いレモンである。 1136 強迫症回路 心臓の神経伝達系で、リカレントがある。ループを作ってしまい、常同的刺激が続く。同じことが脳で起これば、同じことが何度でも反復される症状となる。そのひとつがたとえば強迫症である。再帰的回路で説明できる現象がいくつかあるのではないかと思う。てんかんの一部は当然として、そのほかには強迫症、自生体験、幻覚妄想の一部もこうした回路を想定すべきかも知れない。 1137 交流分析 →心理テスト部門 エゴグラム、やりとり分析、ストローク、ディスカウント、時間の構造化、ゲーム分析、人生の脚本分析。 1138 五月病 May sickness 大学新入生や新入社員が五月の連休後くらいに無気力と生きがい喪失を中心とする状態を呈すること。新入生の0.5〜1%に発生し、数カ月のうちに元に戻ると報告されている。背景にはアイデンティティ拡散の問題や急激な環境変化に対する適応不全があり、一部はうつ病や分裂病の軽症例であり薬剤が必要であると考えられる。 新入生の五月は、大学の先輩を見て自分の将来が見えてくる時期であり、同時にサークルや恋人との関係で対人関係の蓄積を問われる時期でもある。子供から大人へと行動パターンの改変を要求されるので精神的危機が発現しやすい時期であると言える。この危機を狙って各種の集団が待ち伏せしている。したがって学生への啓蒙が大切である。 1139 自己一致 (self-)congruence 自分の表と裏、内面と外面、感情と行動、ありのままの自分と自己イメージ、これらが矛盾なく一致している状態。ロジャーズはカウンセラーの態度として必要な第一の条件として自己一致をあげている。クライエントはカウンセラーの自己矛盾を敏感に感じとるからである。カウンセラーの中に自己一致の態度があれば、クライエントもまた自己イメージとありのままの自己が一致する方向にカウンセリングを通して導かれる。自己矛盾の状態から自己一致の状態へと導くことが来談者中心療法の目標である。そのためには不適切な自己イメージをいったん解除して、ありのままの自己を自己イメージとして受け入れることがはじめに要請される。 (しかし、「ありのままの自己」を認識することは難しい。自分がありのままの自己をイメージすれば、それは自己イメージであるし、治療者がイメージすれば、それは治療者に映った患者イメージでしかない。ありのままの自己はどのようにしてとらえられるか、難問である。ひとつの解決は、多数の知人による患者イメージの総和をありのままの自己とすることで、これは社会の中に映っている患者像である。客観的といえば客観的であるが、それを「本当の」自己とは誰も考えないだろう。しかし考えてみれば、実際に存在するのは、自己イメージと、他人によりもたれている患者イメージしかないはずである。ありのままの自己などというものは考えても仕方のないものなのかも知れない。こうした事情から、とりあえず、治療者から見た患者イメージをありのままの自己としてよいと思われる。) 1140 コンプレックス complex 日常会話で「コンプレックスを感じた」と言えば、「劣等感を感じた」という意味である。学術用語としてのコンプレックスは無意識層の複合体という意味で、ユングが用いた。 ユングは言語連想実験をして、刺激語に対する反応語の出現までの時間を計測した。反応時間が長いものは無意識の抵抗があったと考えられた。そして抵抗のあるところに心の問題があると推定された。そのように推定された心の中の問題をコンプレックスと名付けた。反応の遅れを示した複数の言葉が示唆する無意識の問題が心の中で関連を持ってまとまっている、その様子をコンプレックス(複合)と表現した。しかしその後は心の中の問題点という程度の意味で用いられていることが多く、エディプス・コンプレックスなどという。この場合は言語連想実験とは関係がない。 1141 催眠療法 hypnotherapy 昔からある有名な治療法であるが、現代ではあまり用いない。無意識の存在を示す証拠ともなった。しかし効果が不安定、不確実であり、自我の脆弱な人には危険でもある。被暗示性の高い人は催眠にかかりやすいが、被暗示性の高さ自体が問題なのに、それを利用して当面の症状を消しても治療と言えるのかとの反省もある。また一方では人間の被暗示性を利用した大規模な集団催眠などもある。マイルドな形ではセールストークやコマーシャルの場面で利用されることもある。意志決定の主体がどこにあるのか、問題がある。 自律訓練法は自己催眠の一種である。自己催眠では主体は自分にあるから、あまり問題は生じない。 1142 自我 →没 ego @ self 自己 客体 me ego 自我 主体 I 自己と自我を区別して用いる場合には、表のように区別している。 Aフロイトの自我 イド(またはエス)とスーパーエゴの調整をするのがエゴである。 Bユングの自我 ユングは自己に特別の意義を与えている。 C社会的自己論 外的客我(他人の目から見たme)、内的客我(自分の目で見たme)、主我(主語となるI)の三つを総合したものが自我であるとする見解。 (→解説がまずい。途中で自己と自我がねじれている。) Dエリクソンのego identity 性アイデンティティや職業アイデンティティなどの各種のアイデンティティを統合して成立するのがエゴ・アイデンティティである。 1143 時間の構造化 time-structuring 交流分析の基礎理論のひとつ。人は対人交流を、接触欲求、承認欲求、時間の構造化の欲求と発展させる。接触欲求はスキンシップのこと。承認欲求は周囲の人から存在を承認される欲求。時間の構造化の欲求とは、生活時間を調整して(つまり構造化して)他人との時間を過ごそうとすること。@引きこもりA儀礼B活動(仕事、家事、勉強など)C雑談DゲームE親交の順に次第に密度の濃い交わりになる。 「時間の構造化」という言葉がやや分かりにくい。しかし@〜Eの区別はデイケアなどでの時間の過ごし方を見ているとよく納得できる。Bはデイケアではたとえば軽作業に当たるが、患者さんたちが適応できるのは引きこもり、儀礼、軽作業、ゲームあたりまでで、雑談と親交になると難しいようである。ゲームといっても、儀礼の延長のようなゲームから、親交の実現としてのゲームまであり、デイケアの患者さんたちには儀礼の延長としてのゲーム程度がちょうどよい。つまりデイケアの患者さんたちに可能な時間の構造化は@ABまでで、ときに雑談ができる程度であろう。DEは難しい。 1144 共感の危うさ 他人のことが「分かる」時、それは単なる投影ではないかと疑う必要がある。 たとえば歴史小説で人物の気持ちが「分かる」時、本当に何が分かっているのか、考えなければならない。 1145 戦争はなぜいけないか 戦争では利他的で勇敢で倫理の高いものが死に、そうでないものが生き延びる。種にとっては大変な損失である。 1146 陽性症状と陰性症状 これは難しい。実際にあるものは何なのか、確認できないうちは何とも決められない。それまでは思弁に過ぎない。 インドの思弁のようである。卑怯さがあると言っても、勇敢さの欠如と言ってもいいはずである。これは言葉の問題である。実際の脳の構造ではないだろう。 たとえば、幻覚妄想は陽性症状であるが、現実照合・棄却機能の欠如ととれば、立派な陰性症状である。 1147 身体性と脳 身体のない脳は脳として不十分なものである。脳の一部である神経は全身に伸びて機能しているのであるから。 涙が出るから悲しいという言い方には疑問があるが、身体性を剥奪された脳はやはり不完全である。 1148 自分がいかなるものであるか、他人の判断はどうなっているのかを調査してもらう人がいるという。それが最近の調査業務の一部であるとのこと。自分とは何かを自分で決めるという自信がない。傲慢さがないとも言えるだろうけれど。 「自分」という概念は社会の中で形成されるものである。 1149 病理の性質と場所 場所による病理を考えれば、各人各様である。 1150 サイクルの観察 古代人の暦の知識。サイクルの観測は面白い習性である。 1151 分裂病の本質を推定する手がかり 病前性格 思春期発病 ストレスにより再燃 再燃を繰り返していれば再発しやすさが高まる レベルダウンがある 1152 生け贄の意味 神または超越者との取り引き。人間に普遍的な思考。 1153 妄想産生のピークと恋愛・性的エネルギーのピークと、幻術的産出性のピークが人生の中での時期として重なること。 1154 緊急反応 アドレナリン上昇→パニック →離人感 の可能性を探る。 パニックの別の形であるという解釈。そして根はアドレナリンの急上昇。? 1155 自己開示 self-disclosure 本当の自分を自分で表現すること。カウンセリングの目標のひとつ。自己開示できれば、自己を見つめることも、カタルシスも期待できるだろう。 「素顔のままのあなたを受け入れる」と思っていてくれる人がいてはじめて人は自己開示ができる。自己開示の相手ははじめは母親、次には同性の友人、次には異性の恋人、配偶者などと年代によって変遷する。 自己開示とおおげさな言葉をあてるからにはその内容は普段他人には言わない重大なことである。したがって自己開示はうっかりしてしまうと危険なものである。 自己開示できない状況が孤独である。 本当の自分はひとつであるとは限らない。多面体である自分を自己開示しようとするとき、一人の人がすべてを受け入れられるわけでもないだろう。配偶者は一部分を受けとめ、愛人は他の部分を受けとめる、といったように部分的自己開示を複数者に向けている場合もある。不倫に悩む人の一部は、自分が自分であるために不倫が必要なのだと語る。この事情も自己開示の必要によって説明できる面があるかも知れない。 カウンセラーは自己開示を受けとめられるだろうか。クライエントにとって自己開示することがどれだけの大仕事であるか、どれだけ危険なことであるかを理解しているなら、カウンセラーの責任の重みも納得されるだろう。 1156 自己実現 self-actualization 「本当の自分」を実現すること。ロジャーズ、マズロー、ユング、ホーナイなどの考え方。何が「本当の自分」であるか、実際には明らかではないのが問題であるが、社会的にも成功した人物が晩年に至り俗世の栄光をさらりと捨てて、いよいよ本当の自分に向かって歩み出すという感じである。 1157 ロゴセラピー Logotherapy =実存分析療法 生きる意味と苦悩の意味を見つめ直すことによる精神療法で、フランクルが唱えた。logoとは意味や言葉のこと。 「夜と霧」でフランクルが書いたように、アウシュビッツの極限状況においてもなお、生きる意味がはっきりと分かっていた人は生き延びることができた。人間にとって意味と価値が本質的であるという指摘である。しかし現代日本、とくに東京の外来ではあまり有効ではないようである。内省的な人が自分からフランクルの本を読んでいたので、面接の話題として取り上げ、有効だったことはある。時代と状況に応じて、有効な精神療法も違うようである。逆に、どのような精神療法が有効かによって、時代の雰囲気が分かることもあるだろう。 1158 主張訓練法 assertiveness training,assertion training =断行訓練法 抑圧が神経症の原因なら抑圧を解除すればよい、そのためには自己抑圧をやめて、自己主張するようにすればよいとする考え方から出発した。自分の権利、思考、感情を主張することは同時に相手の自己主張も尊重することであるとされる。訓練としてはロールプレイなどを用いる。たとえば相手を思いやる気持ちは持っているのだがそれを表現する習慣に欠けているために、思いやりが伝わらない場合がある。そんなときにロールプレイなどで自己表現の方法を体得してもらうのが有効である。 安易な自己主張は他者軽視に結びつくことがあるが、主張訓練法ではあくまでも相互理解を促進するために自分の内面を表現する。 1159 集合的無意識 colletive unconscious ユングは無意識を個人的無意識と集合的無意識に分けて考える。個体発生の過程で獲得された無意識が個人的無意識であり、系統発生的に獲得された無意識が集合的無意識である。集合的無意識には元型が保持され、それにはアニマ、アニムス、太母などがある。 1160 アニマ ユングの概念で、男性の集合的無意識の中の女性性。反対はアニムス。 1161 アニムス。 ユングの概念で、女性の集合的無意識の中の男性性。反対はアニマ。 1162 太母 =グレート・マザー ユングの概念。集合的無意識の層にある強力な母性で、育てる力と呑みこむ力を持つ。 1163 シャドウ、影 ユングの概念で、意識の層である自己イメージを選択すると、それに対立するイメージは無意識層に抑圧される。選択されずに抑圧された自己イメージをシャドウと呼び、個人的シャドウと普遍的シャドウを区別する。個人的シャドウは個体発生の過程で抑圧されたもので、普遍的シャドウは系統発生の過程で抑圧されたものということができる。 1164 受容 acceptance カウンセラーがあるがままのクライエントを無条件に受け入れること。他者に無条件に受容されるという体験には人間を変える力がある。それまでの人生で、無条件の受容を経験してこなかった人の場合には特に大きな影響を及ぼす。 ただし、こうした受容が有効かどうかを見極める力を持たないと、悪い結果を招くこともあり、カウンセラーとしても危機に至ることがある。こうした見極めに専門性が発揮される。 1165 情動 →要再検 emotion emotionの訳語として、情緒が一般語であるが、motionを明示する専門用語として情動の語を用いる。一時的で強烈な、身体の生理的変化を伴うことも多い感情を指す。affect は(感情としか言いようがないが)一時的な感情を、mood (気分)は長時間持続する感情である。感情 feeling はもっとも一般的な言葉である。気分は気候にあたり、affect はその日の天気にあたる。emotionは突然の大雨。 1166 神経症 neurosis,Neurose 時代により、国により、立場により、少しずつ違った意味を含むので、文章の読解にあたっては筆者の立場を頭に入れておく必要がある。しかしそんなことができるのは専門家だけで、一般読者は筆者の立場を知りたいから読むはずである。 大まかに言って、神経症の語は、最初極めて広範な意味を持ち、フロイトに至りかなり限定された意味になり、DSM3Rでは解体されてしまった。 日本語の「神経症」は、一般語としては「神経系の病」というほどの漠然と広いものから、狭くは「器質的裏付けの得られない永続的な主観的不調状態」のことである。 現代の日本の医者の言葉の使い方としては、神経症とは「非器質的な、心因性の疾患」というあたりを中心にしているだろう。 心因性歩行障害、心因性失声症、心因性強迫症、心因性離人症、心因性解離性障害、心因性転換性障害、心因性うつ状態、心因性不安状態、心因性恐怖状態、心因性心気症などと言えばよいのだろうが、まとめて神経症と呼んでいる。 神経症の概念はフロイトの無意識と抑圧の概念と密接である。 1167 コンピューターのメモリーからメモリーへ情報を転送することと、人から人へ言葉で情報を伝えることは等価である。 言葉は脳への操作なのだとはっきり意識すること。脳にメスを入れているのと同じである。 言葉による脳の外科手術ができるのだ。 脳腫瘍は切除できないが、不安を操作できる。GABAやDAの粒を操作するイメージである。 1168 文化の進化 ある考えが生き延びるのは、他の考えよりも優秀であるからという場合もあるが、他の考えを殺す性質があるから生き延びる場合もある。たとえばある種の宗教。 このような状況は、試行錯誤の特有の限界点に寄生するもののような気がする。 1169 脳は神経細胞のネットワークである。 社会は人のネットワークである。 神経間の情報伝達はシナプス部分の神経伝達物質が担う。人の間の情報伝達は、言葉やその他が担う。 人間は情報を受け取り、解釈する。ここに過敏さも鈍感さも生じる。言葉の裏側にあるものや隠された意味を感じとってしまう。 明示的な意味の体系と、暗示的な意味の体系がある。暗示的は暗黙的なと言ってもいい。アメリカ人は明示的意味をやりとりしてのビジネスが好きだ。日本人は暗黙的な意味を交換しつつの人間関係が好きだ。 神経伝達物質にも偽伝達物質がある。言葉やシンボルにも偽物がある。 1170 道徳的判断などは特に高次で総合的な判断であるから、難しい。 医者の仕事も、ただ体にいいか悪いかだけならば判断は比較的単純であるとも言える。しかし生活全般や人生の価値の判断などが絡んでくると複雑になる。精神科のカウンセリングの困難がここらあたりにある。判断のレベルが病気の説明や治療だけにとどまれば専門性も発揮しやすいし、結論までは一直線である。しかし患者の人生や家族のことまで視野に入るようになると直線的・単線的な判断では不足になる。そして、一応の結論は出るとしても、いつも疑問を残しながらの仕事になる。 ここで無責任になることなくどのように誠実に対応できるか、実に困難な問題がある。 1171 ストレスについて ストレスとは何かという問題についてはいろいろな立場のいろいろな見解があり、どれにも相当の理由がある。 ここでは思い切って簡略化して提示する。 ストレスとは、端的に言って「いやなこと」である。とても原始的な場合で考えると、原っぱで熊と突然出会ったときがストレス状況である。恐怖や不安が生じて、心理的にも身体的にも反応する。 人はストレスにさらされたときに、逃げ出すか戦うかどちらかの反応をする。熊がとても強そうな場合には逃げる。戦って何とかなりそうな場合には戦う。 逃げたり戦ったりするときには飲まず食わず眠らずで必死に動きまわる。血圧は上昇、脈拍は速くなり、血液は筋肉に集中する。その影響で、脳の血流は少なくなり、物事を緻密に考えることはできなくなる。そのようにして緊急対応して、熊から逃げ切ることができたら、そのあとでゆっくり食事をして眠ることになる。だから現代でもストレスにさらされると、心臓はドキドキするし、正確に考えられなくなり、食欲はなくなり、不眠となる。 熊と出会うタイプのストレスの場合にはこれで良かった。逃げればそれで危険はなくなった。せいぜい一日くらい全力で走ればよいだけであった。ところが現代ではストレスは一日でなくなることはない。たいてい持続的である。仕事も家庭も一日全力で何かしたからといって、ストレスの源がなくなるわけではない。 人のストレス対処法は緊急対応型であって、全力で逃げるか戦うかどちらかを選択するようにできている。これは原始的な生活場面ではとても適切であった。しかし現代ではストレスは持続性である。人が身につけている対応法方は対処として不適切である。 ここから心身症が発生する。 本能の命令は「逃げろ、さもなければ戦え」と言っているのに、どちらもできず、ただ耐えているだけである。 1172 法律の解釈 法の主旨を汲んで生かそうとする態度と、すれすれの道や抜け道を探そうとする態度がある。たとえば、なるべく道の真ん中を走ろうとする人もいれば、道の端のすれすれを走ろうとする人もいる。 法の主旨は道の真ん中である。 1173 患者よりも知性も感情も倫理も劣る治療者には、治療が可能であろうか? 病気を治療するのであれば、患者よりも何かが劣っていても、問題はないとも考えられる。 しかしながら、そうだろうか? 治療をするのか、成長を促すのかの違いでもある。 治療と教育と言っても良いだろう。 1174 いじめによる中学生の自殺 1175 青年の引きこもり 1176 主婦の台所飲酒癖 1177 中年サラリーマンの出社拒否 1178 引越うつ病 1179 昇進うつ病 1180 定年後の不適応 1181 引退直後の死亡や老年痴呆 1182 熟年離婚 1183 幼児・老人の虐待 1184 身体病に伴ううつ状態 1185 ドグマによる解釈の危険と弊害 精神的不調の原因は幼少時のトラウマである、特に虐待であるとする最近の説。→駆け出しの無学者は最新説の華々しさに幻惑されるものである。時間がたたなければ、自分と現在を相対化することはできないものである。しかしそれでは患者はどうなってしまうのか?仕方がないのか?本当に困った問題である。現状では誰もそのようなひとりよがりを阻止できない。 1186 精神病と神経症の違い 精神病は病識がなく了解不能である。神経症は病識があり了解可能である。これはヤスパース以来の考え方であるが、問題がある。 しかし了解可能性は結局、解釈する人の心理や能力に依存する。また、病識に関しても問題がある。ピントのずれた病識や病感ならば持っているだろう。しかしピントがずれていると判定するのは結局は解釈者である。それもまた解釈者の能力に依存してしまう。 本当に困った問題である。 強迫神経症は了解可能ですか?パニック障害は了解可能ですか?不可能でしょう。 たとえば、現実検討能力を基準とすれば、強迫性障害やパニック障害は神経症になる。しかしこの場合も微妙な場合がいくらでもある。こうしたことはつまり、精神病と神経症の区分が無効であることを示しているのではないだろうか。 特に最近は、精神病の軽症化が言われる。つまりは精神病が神経症の装いを持って現れるということだ。 考えてみればこれはおかしい。神経症のように見えて実は精神病であるというなら、その判定の基準はどこにあるのか。表面上は神経症でありながら、その奥には精神病があるというわけだから、神経症と精神病を単純に二分しているわけではないのだ。もう少し立体的な見方をしていることになる。 97年3月6日 1187 心に関する外国の理論は日本でも正しいのだろうか? これは科学の普遍主義と関係する。腎臓や心臓の解剖は同じでも、食べ物や習慣が違えば病気も違う。脳の構造は共通でも、言葉や生育や習慣が違うのだから、「中身」は違うのだ。 1188 精神病と神経症の原因の分類(安藤春彦による) 性格因=従来の心因=神経症 原因不明=従来の内因(分裂病・うつ病) 身体因=従来の外因(脳疾患と他臓器疾患) 新しい提案は、「心因というものは誘因に過ぎない、実質は性格因である」と割り切る点。しかし分類の大枠は変わっていない。言葉を言い替えただけとも見える。 心因ならば外部に原因があり、性格因ならば自分の内部に原因がある印象を与える。こうした言い替えの意義は、神経症の原因は患者の内部にあるのだと明示する点にある。 ストレスに対して神経症で反応してしまうのは特有の弱さが素因としてあるからだとする。同一のストレスに対して、適応できる人、神経症で反応する人、精神病で反応する人の別がある。それは素因の違いである。 1189 独りよがりの診療 精神科の診察室は密室であることが多い。パブリックな批判にさらされることがない場合も多い。そんな中で、独りよがりになることを回避する工夫が大切である。 独りよがりを防ぐことが科学的態度であるとも言える。 1190 精神医学の客観性 診断と治療に際して、やはり求められる水準がある。それは見える人には見える。見える人はその基準をクリアできることが多いだろう。見えない人にはどうしようもない。 ある医師は「僕と接するときには患者は……だよ」と報告する。別の医者は「僕と接するときは全く違っていて、……だよ」と報告する。どちらも客観的である。こうした事実の総合として、診断と治療がおこなわれる。 今自分に見えている事実は「部分的な事実」なのだと自覚していれば大きな間違いにはならないのではないか。部分的事実を総合すれば全体の事実である。医師は部分の事実から全体の事実を推定する。 これは内科でいう客観性とはまた意味が違う。内科でいう客観的とは、どの医者が操作しても同じ結果が出るということだ。精神科の場合には医者によって違った結果が出る。しかし客観的という言葉を少し拡張して上のように考えればよいだろう。 内科でいう主観的診断は精神科でも排除されるべきである。感覚的な経験を洗練するのが科学である。精神科の場合にもそのような洗練は可能である。 1191 向精神薬服用に反対する人たち 薬をのむと「ダメ」になる、依存する、ぼける、心の問題だから薬は関係ない、などなど。このように信じている人たちに説明してもうまく納得してもらえないだろう。本当に困る。説得と対話または受容で回復するのならそれに越したことはないに決まっている。そんな次元の低い話ではないのに、どうして分からないのだろう。脳と心の問題を話し合うような場合でもないだろうし。 たとえば、数学で、a(b+c)=ab+cではないのだ、ab+acなのだと説明するようなものだ。どうしようもないではないか。違う世界に住んでいるのだ。 1192 経験の浅い人はすぐに「最新理論」などに飛びつきたがる。軽度の洗脳状態にあると言ってよいだろう。自分は最先端を行っていると思えば気持ちは膨らむ。革命的な新理論だと陶酔してみたりする。 初学の人の場合には仕方がないし、そのようなことを繰り返して、だんだん本物の専門家になってゆく。今度の最先端はあの時の焼き直しかなどと見通せるようになる。 精神医学では伝統的に最新の哲学の動向に影響されてきた。また、アメリカの社会情勢に影響を受けた理論を鵜呑みにしてもきた。若い世代はその時々の流行に踊らされ、時間がたって、自分の立っていた位置が次第に理解できるようになる。 学問の世界ならばそれが普通で、特に問題もない。臨床医学の場合の問題は相手が患者さんだということだ。医者の側からすれば毎日の業務で成長の一過程かも知れないが、患者さんにすれば一生に一度の大病である。若い医者は仕方がないとは言っていられない。そこで、上級指導医との共同作業が必要になる。患者さんは常に最善の医療を受ける権利があるだろう。 1193 精神療法 専門性が分かりにくい。外科手術は専門家でなければできない。医者ではないのにできると言っている人を誰も信じたりはしない。しかし、精神療法についてはそうではない。 カウンセラーと称して、占いのようなことを言っている人もいる。三年以内に運は上昇するとか。このような現実に直面すると、私は生きる世界を間違えたのだと思いたくなる。この世界しかないなんて、受け入れがたい。 専門の勉強ではなく、人柄が問題だとの考え方もあるだろう。それも一理ある。心理療法家は変な人が多いから、自分が何か悩んでいたとしても決して相談などしたくないと、個人的には思う。 精神療法といえば、受容と非指示と自己洞察だと心理学科では教えている。それでいいこともあるが、それでは治療的でない場合も多い。どんな場合にそうか?それが専門家の判断が必要な場合のひとつである。 非常にたくさん勉強した人と自称カウンセラーとの違いがあいまいで社会的に認知されないとしたら、残念である。しかし現実には誰も理解しない。外科手術のような明確さがない。要するに話してもらえばいいのよ、慰めてあげて、受容すればいいんでしょう、私は患者さんに人気があるの、などと言われるとがっかりする。 実をいえば、外科手術でも似たような事情はあるだろう。手術の腕は大したことがなくても、うまいようなふりをして宣伝することはできる。どの程度の困難な手術であったのかは、容易には分からない。 そのように考えれば、外科医がうらやましいということでもない。結局人間の世の中がこのようにできているということだ。人間はこのような世界に生まれて死んでゆくのだ。自分達が作ったとは言えないが、しかし、誰か人間以外の何かから押しつけられたものでもない。先祖から伝承したものだが、先祖に責任があるわけでもない。このようなどうしようもない世界でどうしようもない人生を生きるしかないのだ。 1194 壮快などという健康雑誌が毎月のように一円玉健康法などの民間特殊療法を紹介・特集している。これが国民の健康に対する考え方である。それ以外ではない。仮想的理想国民がどこかにいるわけではないのだ。テレビのバラエティを見て、タレントの言葉を信じる人たちが、同時に我々の患者なのだ。どうする?どうしようもない。 1195 性格と人格 特に区別しないで、行動・感情・思考の特性を指す場合もある。区別する場合には、性格は基礎的で部分的で生得的、人格は高次で全体的で後天的と考えられる。たとえば、攻撃的性格、積極的性格、加虐的性格などは先天的に持って生まれたものであり、性格と呼ぶ。DNAの話である。それらをどんな場面でどのような形で発揮するかをコントロールするのは後天的な学習によるものであり、このようなコントロールを司る働きが人格である。 子供の頃に大変乱暴であった人も、人格が成熟すれば、その乱暴な気質を発揮する場面を選ぶようになる。 遺伝子のレベルで規定された性格というものも、ある程度はコントロールできるのである。これに人間にとって大きな救いである。だからこそ、教育は重要である。状況判断の方法を授けなければならない。どの判断はよかったか、どの判断はよくなかったか、明確に教育することが必要である。 1196 心の問題はストレスが原因だというとき、「原因」という言葉の意味はどうなっているか、吟味する必要がある。 1197 単細胞キノコと多細胞キノコ 生育環境が良好で、単細胞で充分に生きられる場合には単細胞で生きる。環境が劣悪になると、多細胞となり大きなキノコとして生きる。その場合は、個々の細胞は茎になったり根になったり傘になったりする。 人間も同じだ。環境が劣悪になると集団主義に傾く。 集団主義の方が強い。しかしわがままは言えない。生きるために自由を手放すのである。 単細胞生物の心の病理はイントラサイキックである。個体の内部で病理は発生する。フロイトの時代である。 多細胞生物の心の病理はインターパーソナルである。集団となったときに個体間の関係の病理として発生する。これが現代である。主に対人関係の場面で病理は発現する。 逆に考えれば、現代はそれほどに人間が個体として生きられない時代になっているということだ。 コンピューターでいえば、スタンドアローンのコンピューターはほとんど役に立たないということだ。他のコンピューターと結びあって、情報交換を受ける、加工して、発信する、このようなものでないとコンピューターとしては充分ではない。 スタンドアローンコンピューターのイメージとしては、個人的な日記帳のようなものが考えられる。個人的な日記帳の中で発生する病理はフロイト的で、イントラサイキックである。個人心理の中で完結している。 受診、加工、発信のモデルはSSTの人たちが使っている。なるほど、彼らはインターパーソナルなモデルを採用していることになる。対人技能であるから当然である。 マスコミの発達は、人間を情報端末のようなものに変えてゆきつつある。 しかしながら、人間の精神として、イントラサイキックな部分も大切なはずである。内省の時間といってもいいだろう。 1198 患者さんが自分の部屋ではよく眠れないが、知り合いの部屋やクリニックではぐっすり眠れると言っていた。不思議なものだ。自分を守るという点では自分の部屋で鍵をしっかりかけていれば最高のように思うが、そうではないらしい。他人がいた方が安心できる。そんな心理が病者の中にもあるのだろうか。 1199 患者が精神科医に求めるものは、診断と治療である。正確に把握して具体的に対処することである。ともに泣いてくれる人が欲しくても、それは精神科医の提供するものではない。 診断と治療をおろそかにしてただ同情だけをする治療者はどうだろうか? たとえば、「夫が浮気をして遊んでいるのだから、私も少しは遊んでいいですよね、先生どう思います?」などと語る患者がいる。医師として何を提供できるのか、よく考える必要がある。 1200 レム期とノンレム期 レム睡眠は体の睡眠、ノンレム期は脳の睡眠とも言える。 レム期には目が動いて、脳は活動している。体は筋肉が弛緩している。この時期に目が覚めてしまうと、金縛りの状態となる。レム期に目を覚まさせると夢を見ていることが多い。まぶたを見ていると目がきょろきょろ動いているのが分かる。 ノンレム期には脳は活動停止している。 下等生物の場合にレム睡眠は見られるが、ノンレム睡眠は少ない。ノンレム睡眠は脳が高度に発達してから生まれた、高次皮質の睡眠であると考えられる。赤ん坊ではレム50%であり、成人では睡眠の大部分がノンレムである。レムは脳幹部があれば成立するが、ノンレムは大脳皮質が発達してから起こってくる眠りである。 睡眠の順序としては、入眠するとノンレム睡眠が始まり、レム期第一期から第四期に向けてだんだん深くなる。次に四期から一期に向かい、その後でレム期が訪れる。そして再び一期となり、四期に向かう。 ノンレム1→2→3→4→3→2→1→レム→1(以下繰り返し)。この周期がおおむね90分である。 レム期 1 入眠期 2 浅い睡眠……居眠り。声をかけると目覚める。 3 中等度睡眠……すやすやと寝息をたてる安らかな眠り。少し呼んだくらいでは起きない。 4 深い睡眠……つねっても起きない。何度も揺り動かすとやっと起きる。 入眠後すぐは第四期が長い。つまり睡眠が深い。レム期は短い。朝方になると第四期は少なくなり、レム期が長くなる。 1201 魔女 テレビで。清教徒による魔女の定義がいくつかあり、その中に「不満と怒りに満ちた女性」などと性格障害のタイプを思わせる記述があるらしい。 周囲に被害を与えるので、社会の側では魔女と指定してお返しをするものであろう。 断食の習慣を考えると、拒食の傾向は人間に内在しているものかも知れない。 断食や拒食によって内在するポジティブ・フィードバック回路に突入してしまうのではないか。 断食→宗教→強迫傾向・魔術的思考。宗教なき現代では、拒食というむき出しの形で表現される。 1202 マスコミは情報を濃縮する。 一人の人間が一生のうちに一度見聞きするかどうかの事件が毎日のように報道される。当然世界の解釈は変化するだろう。 1203 閉所恐怖 たとえば棺桶に閉じ込められる恐怖。また、棺桶を焼却炉に入れるときの、閉所に閉じ込められる感覚。 1204 不眠症 入眠障害 55% 中途覚醒 15 早朝覚醒 3 熟眠障害 8 二つ以上のタイプの睡眠障害を持つ人は20%。 1205 不眠症の原因 睡眠時の環境……音や光 身体因子……腰痛など。睡眠時無呼吸症候群。 脳病……高血圧、動脈硬化、脳梗塞など。 精神病 神経症 心理的ストレス……過緊張 老人性……睡眠リズムの変化。退職、生きがい喪失、孤独、貧困、病気などが心理的ストレスになる。 薬物・アルコール 睡眠相遅延症候群……入眠も覚醒も遅れる。学生や青年期に見られる。 睡眠相前進症候群……入眠も覚醒も前進する。老人に見られる。 1206 何時間眠っていればいいのか? これは充分な睡眠とは何かという問と考えることができる。そしてこの問いに答えるためには、何のために眠るのかについて考えることが必要である。 心と体の疲労回復。睡眠中にホルモンの調節。たとえば成長ホルモンは睡眠中にたくさん分泌される。 副交感神経系が優位となる時間。交感神経の休息の時間(しかしレム期には交感神経優位となっているなど複雑である)。 1207 脳波 脳神経細胞が発する微弱な電流を頭皮部分で測定したもの。一ボルトの百万分の一がマイクロボルトであり、α波の場合には50マイクロボルト程度の振幅である。 〜3 デルタ波 4〜7 シーター波 8〜13 α波 14〜 β波 1208 脳の三層構造 脳幹 古皮質  食欲、呼吸、性欲など 大脳辺縁系 旧皮質 情動、自律神経など 大脳皮質  新皮質 知性、理性、意志。 上行性脳幹部網様体……脳の三層構造をつなぐようにして網様体がある。下行性の線維は運動系にいたり、上行性の線維は感覚情報を大脳辺縁系や大脳皮質に伝える働きをしている。 睡眠と覚醒の中枢は網様体にある。無意味で単調な音の連続(たとえば退屈な講義)は眠りを誘い、予想外の音は意識を覚醒させる。これは上行性の信号が網様体を活性化し、意識の覚醒レベルを上昇させるからである。 睡眠中にまぶたは閉じているのに、耳は開いたままである。外部の音はモニターし続けている。何か音が聞こえたときに、すぐに飛び起きなければならない緊急の音なのか、眠り続けていていい音なのか、意識の下層で判断をしている。これをフィルター仮説という。カクテル効果もフィルター効果の一つと考えてよいだろう。 間脳視床下部前部と視索前野はノンレム睡眠と関連があり、一方レム睡眠に関係するのは橋の一部であると考えられている。ノンレムは縫線核のセロトニンが、レムは青斑核のノルアドレナリンが関与しているとされる。 1209 ノンレム 副交感 セロトニン レム 交感 ノルアドレナリン 1210 レム睡眠を発見したクライトマンの睡眠の定義。「覚醒状態の一時的な停止。睡眠の特徴は、一般感覚と反射の閾値の上昇による感覚と運動の停止である。睡眠は、覚醒可能である点で、意識障害と区別される。」(翻訳が疑わしいので加工) 要点は感覚の閾値の上昇である。つまり、フィルターとして別のものを用いているということだ。 1211       子供    成人          老人 レム周期 40分   90分 多相性 単相性(日に一度寝る) 多相性 レム50% 大部分ノンレム 短時間睡眠 早寝早起き 熟眠感に乏しい レム時間  8 1 ノンレム時間 8 5 トータル  16 6 1212 不眠防止 ・明るく楽天的に暮らす ・こだわらず時を待つ(啼くまで待とうほととぎす) ・眠れないのではないかという予期不安を捨てる ・個人差を認め、自分なりのリズムで生活する ・気にかかることは寝る前に片付ける ・夕方は不快なムードを避ける ・自律訓練法もよい ・眠ることが人生の目的になってしまうのは本末転倒である。 1213 眠れないときの酒 入眠剤として用いる人がいる。人に不眠を相談すると酒を勧める人も多い。その害としては次のようなものがある。 ・アルコールは睡眠を浅くする。レム期の減少。入眠できたとしても中途覚醒が多い。 ・口渇、排尿、頭痛などで目覚める。アルコールには利尿作用があるので、睡眠途中に尿意を催して目覚める。 ・アルコール依存の危険。肝障害の危険。 ・ストレスが持続している場合、アルコールによって現実が変えられるわけではなく、明日も同じストレスが続く。したがって、持続的飲酒に陥る場合が多い。 1214 睡眠薬の習慣性の二種・心理的依存と身体的依存 心理的依存……のまないと落ち着かないが、たとえば偽薬でもよいし、忙しくてのみ忘れればそれでもいい。 身体的依存……一定以上の血中アルコール濃度であることが普通だと体が錯覚している状態。アルコール濃度が低くなると、不安になったり手指が震えたりする。しだいに必要アルコール量が増える傾向がある。禁酒は禁断症状をひきおこす。 1215 不眠症と胃・十二指腸潰瘍 心理的ストレスと不眠症と胃・十二指腸潰瘍は相伴うことが多い。不眠症が心理的ストレスとなり、潰瘍形成に至ることもあるし、潰瘍に悩んでいるうちに不眠症になることもある。 1216 不眠症と高血圧 不眠が続いているとそれだけで血圧は上昇する。 睡眠中は血圧は低下する。高血圧の人は正常血圧の人と比較して睡眠中の血圧低下の程度が大きい。このことは睡眠の効果を示すものでもあるが、睡眠中と覚醒時の血圧差の大きいことを示すものでもある。血圧差が大きすぎると血管には負担がかかり危険である。 動脈硬化症の症状として不眠が見られる場合がある。 1217 よい睡眠は身体と心理の両者がよいバランスで、欠けたものがない場合に成立する。身体に病気がない、心理的に過度のストレスがないという、いわばマイナス条件がないということが前提となる。さらに、適度の身体的疲労があり、適度の心理的疲労がある、人生の達成感があり、明日への希望があるといった次元の要素まで問題になる。 これらの条件はなかなか成立しがたいものである。逆に言えば、だからこそ、睡眠は心身の状態を把握する大変敏感な指標となる。医師は睡眠状態についての情報から多くのことを知ることができる。 1218 老年期の不眠 ・全体の睡眠時間が短くなることに加えて、多相性睡眠となり、昼寝が多くなるので、夜の睡眠はさらに短くなる。睡眠時間を老年期以前と比較して、睡眠が足りないと感じる場合がある。 ・また、睡眠相は前進しており、早寝・早起きになる。このことも、自分は充分に眠れていないのではないかと疑わせる。 ・脳疾患や身体疾患がある場合がある。脳動脈硬化症、脳梗塞、高血圧、心機能不全、糖尿病、腎臓疾患(頻尿など)、糖尿病、皮膚掻痒症などが問題となる。 ・老年期うつ病の場合。老年期のうつ病は少なくない。しかも治療可能であるから、見逃してはいけない。 ・老年期痴呆の場合、睡眠リズムの崩れがしばしば見られる。 ・一人暮らしの老人の場合など、夕御飯が終わるともう何もすることがない。話相手はいない。テレビを見てもつまらない。電話は耳が遠くておっくうである。話題もない。それで早く寝ると深夜に目が覚めてしまう。解決は寂しさをどう癒すかにかかっているのだが、簡単な対策はない。老人会などで活発に活動しているように見えても、なおこうした問題が付きまとう。 ・都営住宅の上の階の子供が夜の十時くらいまでうるさくて眠れないと語る一人暮らしの老人。耳栓もするし、夜は静かにして下さいとお願いもした。しかし解決しない。眠れないまま何時間も布団の中で苦しんでいるという。癒すべきは寂しさであると思われた。しかし解決は難しい。 ・また、夫婦がそろっていても、子供や孫と同居していても、それなりに問題はあるものだ。自分が弱者の立場に立ってみて、はじめて直面する問題があるらしい。 1219 心の手入れ 時間がたてば爪や髪の毛が伸びるので手入れしなければならない。古代人の場合には恐らく爪も髪も自然にすり減ってちょうどよい長さになっていたものであろう。現代の生活では手入れする必要がある。 心の場合にはどうか。過度のストレスは人類が経験したことのない種類のものであろう。かつては必要のなかったはずの、カウンセリングやリラクゼーションが必要な状況になっている。 1220 老人の精神衛生管理の大切さ。 今後老人人口はますます増える。会社会長、社長はいうまでもなく、教授、院長など重要な方針決定権を握る人たちの老齢化が進行する。 老人は自分で気付かないうちに脳が冒されている場合がある。結果として判断の誤りが発生する。その誤りに周囲が気付いたとして、どのような対策をとることができるか。それが今後の日本社会で重要になる。それは組織を守るために本質的に重要である。 問題は、老人本人に病識がない場合である。どうするか、制度として決めておかなければ対応しきれないだろう。たとえば、会社の内部の利害から独立した立場の判定医に定期的に検診を依託するなどの必要があるだろう。 制度として決めていない場合、臨機応変の対応は結局人事抗争になってしまうおそれがある。 1221 老年痴呆と老年期痴呆の区別を分かりやすく示すこと。 老年痴呆は病名。アルツハイマー型老年痴呆のこと。 老年期痴呆は老年期、つまり65歳以降の痴呆症状のこと。 1222 DSMでの痴呆 記憶障害の他に、(1)抽象的思考の障害(たとえば諺)、(2)判断の障害(たとえば是非善悪)、(3)その他の高次大脳皮質障害・たとえば失語、失行、失認、構成障害、(4)性格変化の四つのうちいずれかがあること。 1223 痴呆というからには、意識障害やうつ状態は除外されている。偶然重複することはあり得るにしても。 1224 痴呆の分類(松下) @皮質性痴呆 A皮質下性痴呆 B辺縁性痴呆 C白質性痴呆 脳を大まかに、大脳皮質、大脳白質、皮質下核、辺縁系、小脳、脊髄に分ける。そのそれぞれの部分で病変があったときに、上のような名前を付ける。 皮質下核とは、基底核、視床、視床下部、脳幹を合わせて呼ぶもの。(つまり基底核、間脳、脳幹) 1225 痴呆の分類 @皮質性痴呆 A 前皮質性痴呆:ピック病、クロイツフェルト・ヤコブ病、脳血管性痴呆、頭部外傷、脳腫瘍など。 B 後皮質性痴呆:アルツハイマー病、クロイツフェルト・ヤコブ病、脳血管性痴呆、脳腫瘍など。 A皮質下性痴呆 ハンチントン病、パーキンソン病、進行性核上麻痺、視床変性症、淡蒼球・歯状核変性症、オリーブ核・橋・小脳変性症、線条体・黒質変性症、脳腫瘍、ウィルソン病、脳血管性痴呆など。どれも神経症状を主とするが、痴呆や人格障害などの精神症状を伴い、しかも精神症状は病気の種類を問わず共通していることが注目されている。この、共通してみられる症状を皮質下痴呆と呼ぶ。 その特徴は、際だった人格・性格・感情の変化(幼稚化、抑制欠如、易怒、無感動)、精神機能の緩慢化、獲得している知識活用のまずさ、意欲・自発性の欠如、注意力障害、軽度の記憶障害。言語、行為、認識の障害は皮質性痴呆の特徴であり、皮質下性痴呆ではみられない。 B辺縁性痴呆 ウェルニッケ・コルサコフ症候群、ヘルペス脳炎、脳血管性痴呆、正常圧水頭症、頭部外傷など。 C白質性痴呆または髄質性痴呆 ビンスワンガー型脳血管性痴呆、白質変性症、頭部外傷、那須・ハコラ病など。 1226 アルツハイマー病の経過。 第一期。発症から数年。記憶障害の時期。 健忘(記銘障害、学習障害)、コルサコフ症候群、失見当識、意欲障害、無欲、抑うつ 第二期。大脳皮質機能の障害。 記憶・記銘の著明な障害、喚語障害、失名詞、理解力障害、会話不成立、構成失行、着衣失行、観念運動失行、観念失行、視空間失認、地誌的見当識障害、人物誤認、失計算、無関心、無欲、無頓着、多幸症、落ち着きなさ、徘徊、人格の形骸化(表面的にはまとまっている)、「もっともらしさ」、鏡現象(鏡に映る自分に向かって話しかける)、クリューバー・ビューシー症候群(手に触ったものは何でも口にする、精神盲)、痙攣、姿勢異常、筋固縮、パーキンソニズムなどの神経学的症状。 第三期。 失外套症候群、言語崩壊、無欲、無動、寝たきり、四肢固縮。 全体で十年から十五年で死に至る。 1227 中核症状……記憶障害、判断力障害、高次精神機能(言語、行為、認識)……治療困難 辺縁症状……意欲減退、自発性低下、行動異常、徘徊、睡眠障害……薬剤や生活指導、ケア。 1228 アルツハイマー病の三大病変 神経細胞消失、神経原線維変化、老人斑。これはアルツハイマー病だけではなく、あらゆる老人の脳で観察される。この三者を「老人性変化」と称することもある。アルツハイマー病では脳の後半部により強い変化が見られる。特に、記憶の中枢といわれる辺縁系(海馬、海馬傍回、扁桃体)、失語・失行・失認に関係する側頭・頭頂葉が病変の主な出現部位である。これらの場所の病変がアルツハイマー病の症状の特徴となっている。しかしピック病などに比較すれば、全体的な病変である。 1229 アルツハイマー病の生化学 アセチルコリンの異常が有名。ほかにセロトニン、ノルアドレナリン、ソマトスタチンなどの異常も明らかにされている。 1230 ピック病 アルツハイマーに比べれば限局的。側頭葉と前頭葉がおかされやすい。頭頂葉と後頭葉などの脳の後半部がおかされることは稀である。神経細胞の消失、変性は起こるが、神経原線維変化や老人斑は出現しない。 症状としては、人格や性格の変化、自制心の欠如、反道徳的行為や万引き、盗みなどの犯罪行為、状況判断の誤り、対人関係の障害、感情障害(喜怒哀楽の欠如)、言語障害が病初期から見られる。進行とともに記憶、知能もおかされ、最終的には失外套症候群に至る。八〜十二年の経過で死に至る。家族性や遺伝性はない。 1231 大脳皮質の神経細胞数は140億個、20歳を過ぎると、一日に10万個失われる。90歳になると約半分になる。 脳の前半部分の方が老化により失われやすい。しかし、半分になった程度では機能に障害は見られない。 実際に数えるのは単位面積当たりの細胞数であり、つまり密度である。痴呆脳では萎縮があるから、細胞密度ではなく、細胞実数が欲しい。しかしそれでもさほど顕著には減っていないのだとの報告も多い。つまり、半分程度になるだけだとのことである。 細胞数が減少しても、正常老人では一個の神経細胞がたくさんの神経突起を延ばして、細胞数の減少を補っている。 黒質では細胞数が10%程度になると顕著なパーキンソン症状が見られるようになる。軽度の症状は20%程度から見られるようになる。一つ一つの細胞が以前よりも多くの神経伝達物質を産生していて、細胞数の減少を補っている。 1232 脳移植 パーキンソン病などの場合、神経栄養因子が導入されるためではないかとの推定もある。わずかに残存していた神経細胞が外来の栄養因子によって活性化されると考える。 1233 低体温療法 脳血管障害や脳外傷の場合に有効であるという。分裂病の場合にも、脳神経細胞の異常興奮が起こっているわけだから、低体温療法が有効かも知れない。昔から、「頭を冷やせ」といわれるし、滝に打たれたりもするではないか。 1234 離人症という言葉について 離人症という言葉を見て何を思い浮かべるだろうか。 @「人から離れる」だから、「自分から離れてしまう」のか「他人から離れてしまう」のか、引きこもりとか自閉とかそんなことと同じではないか。 言葉は内容を表現するものだと信じている人の素朴な意見である。本来そうであるべきだが、いろいろと事情があって漢字の意味と言葉の内容が一致しないこともある。「離人」の言葉はよくないから、現実感喪失とか有情感喪失などの言葉も提案されているが習慣だから仕方がない。なお「自閉」の言葉も漢字の意味から推定される内容とは少しずれているので注意が必要である。 A幽体離脱のこと。魂が身体から離れること。 これも少数ながら聞かれる意見である。やや意味をとらえているところもあるが、本質的には全く無関係である。 このように言葉からはイメージしにくいのが離人症である。現実感喪失、実感喪失というが、「とても疲れたときにふと現実感喪失に近い感じになる」と語られるときの現実感喪失と同じなのか似ているのか、これは軽度の離人なのか、体験として連続しているのか、よくわからない。人間の内的体験に言葉をあてることは実に困難である。 1235 一過性脳虚血発作 TIA:transient ischemic attack 一過性の脳虚血発作により脳局所症候が生じ、24時間以内に完全に回復する場合を言う。5〜15分程度で回復することが多い。微小塞栓、盗血現象(鎖骨下動脈でみられる)、血管圧迫などが原因となる。内頚動脈と椎骨脳底動脈で症状が異なる。 症状として多いのは軽い意識障害であり短時間のうちに回復する。しかし一過性脳虚血発作を繰り返しているうちに脳梗塞(脳軟化)が起こるので注意が必要である。 海馬付近で虚血発作が起こると一過性全体健忘(TGA:transient global amnesia)が見られる。中年以降に突然起こる後遺症のない前行性健忘で、逆行性健忘をも伴う。海馬が短期記憶の一時的プールであることを推定させる現象である。 1236 打ち消し undoing =取り消し フロイトがあげた防衛機制の一つ。不安や罪悪感のために隔離された情動を、さらに取り消すために償い行動が見られること。不安や罪悪感を伴う行動を、情動が伴わなくなるまで反復し続ける。たとえば他人を攻撃したあとで、反対に非常に親切にしたりする。汚れたものを触ったあとで何度も手を洗う。これが洗浄強迫につながるといわれる。 1237 甘いレモン 防衛機制の一つで、「すっぱいぶどう」の逆。レモンは酸っぱいと思ったが、思ったよりも甘かったと自分を納得させる。 不本意な状況を自分に納得させるために、この状況も思ったほどは悪くないごまかして考えるメカニズム。たとえば「この職場は絶対にいやだと思っていたが、実際には思ったより自分に合っていた」と考えて落ち着こうとする心の動き。 1238 甘え 土居健郎著「甘えの構造」で一般に有名になった。精神分析を背景とした考え方で、英米では受身的対象愛(passive object love)や一次的愛(primary love)の語をあてている。英米では日常語にないのに日本語では「甘え」という一般になじみの深い言葉があるところから、日本人のパーソナリティの特質を理解しようと試みた。臨床の用語として充分に一般化しているわけではない。 1239 アパシー・シンドローム apathy syndrome アパシー(apathy)は一般には感情鈍麻や無感情のことであるが、狭くはステューデント・アパシーをはじめとする退却神経症を指すことがある。留年している大学生、登校拒否者、職場拒否者などの分析から、本業には打ち込む気力がなくなり退却するがアルバイトや趣味には熱心になることがある人々と指摘されている。この選択的退却に注目して、退却神経症と呼ぶ(withdrawal neurosis,avoidant neurosis)。ただし分裂病とうつ病は除外する必要がある。 病前性格として特有の傾向があると指摘されている。真面目、おとなしい、手のかからないいい子、礼儀正しい。頑固、強情、融通がきかない、強迫的、几帳面、完全主義。小心、攻撃性欠如、積極性欠如。自尊心が高いので敗北と屈辱を異常なほどに嫌がる。勝負する前に降りてしまうことがある。 1240 退却神経症 withdrawal neurosis,avoidant neurosis →アパシー・シンドローム 1241 アルコール幻覚症 alcohol hallucination,alcoholic hallucinosis 一般のアルコール離脱症候群とは別のもので、アルコール依存症者で大量飲酒に引き続いて急激に発症する、幻聴を中心とする特有の幻覚状態。本質についての議論は見解が分かれていて、@離脱症状の特殊型、A潜在していた精神分裂病が顕在化したもの、B独立の器質性精神病、などの考え方がある。「殺される」などの被害的・迫害的な幻聴があり、自殺、自傷、遁走、放火、他害などの問題行動を引き起こすことがある。たとえば自分の腕をノコギリで切るなどの取り返しのつかない悲惨な行動化を引き起こす可能性があることに注意する必要がある。大部分は数週内に治癒するが、一部は慢性の妄想状態に移行する。 1242 アルコール性痴呆 alcoholic dementia アルコール中毒症者の10%が痴呆症になるとのデータがある。アルコール中毒症者はビタミンB1欠乏によりウェルニッケ・コルサコフ脳症になり、ニコチン酸欠乏によりペラグラ脳症になり、肝障害にともなって肝性脳症をおこす。これらが広義のアルコール性痴呆に含まれるが、このほかに、栄養障害や肝臓障害がなくても痴呆を呈するものがあり、これを狭義のアルコール性痴呆と呼ぶ。記憶障害、判断力低下、感情鈍麻などがみられる。CTでは前頭葉を中心とする脳萎縮所見が確認されている。またアルコール中毒症者には特有の認識の甘さ、自己正当化、思考の貧困、感情変化などがみられ、痴呆ほどではないが単なる性格変化よりも深い、器質性の変化を想定させる面もある。これらも前頭葉を中心とする脳萎縮所見と関連しているらしい。脳萎縮は断酒により改善傾向を示すことが特徴である。 1243 核家族 nuclear family 大家族に対して、夫婦と子供だけで構成されている家族。治療環境を考える上で大切な視点である。精神病患者の場合でも、おじ・おばの立場での交流が救いになることがあると指摘される。また、母親に充分な母親機能がない場合でも、昔は大家族内の女性が代行したが、現在では母親の機能欠損が直接に子供に影響してしまう。入院治療後、症状が安定しても退院できない原因のひとつとして、支える家族がいないことがあげられる。おじ・おばが患者を引き取ることは少ない。 1244 ガンに対する精神療法 @神経系と免疫系の密接な関係を背景として精神面から免疫系を活性化する試みがある。未来に希望を持つこと、人生の目的を持つこと、動物と触れ合うこと(アニマル・セラピー)などがガンの治療に際して有効であるとされる。また、イメージ療法として、自分の免疫細胞がガン細胞を攻撃して打ち勝つ様子を思い浮かべることが有効で、実際に免疫系が活発になるとの実験がある。 免疫系と神経系の類似については、伝達物質とレセプター、記憶作用など不思議なくらいの類似があり、発生は同根のものではないかとの推定もある。この分野を神経免疫学という。 A自分や配偶者がガンであると知ったときの絶望に対する心理的ケアも大切な分野である。 キュブラー・ロスによる悲嘆のプロセスは、@拒絶A怒りB取り引き(神との取り引き)C抑うつD受容。 アルフォンス・デーケンの悲嘆の12段階は、@マヒ状態A否認BパニックC怒りと不当感D敵意と恨みE罪意識F空想と幻想G孤独感と抑うつH精神的混乱と無関心Iあきらめ・受容J新しい希望・ユーモアと笑いの再発見K立ち直り・新しいアイデンティティ。 患者や家族がこれら諸段階のどのあたりにいるかを考慮しつつ援助するのがよい。 1245 言語障害 speech and language disorder さまざまな疾患でさまざまな種類の言語障害があらわれる。人間の生活にとって重要である分、悩みも大きい。したがってスピーチセラピストは大切な仕事である。神経科精神科領域に限っていえば、まず痴呆に伴う言語障害が重要である。言語のやりとりが不自由になると日常生活が急激に不自由になる。最近はハイテク製品がこれらの障害を補ってくれることもあるので積極的に利用したい。次に向精神薬の副作用によりろれつが回らなくなる症状があげられる。不可逆的ではないので、生活に決定的な支障が起こらない限りはしばらくのあいだ我慢していただくことが多い。 1246 初老期痴呆 presenile dementia 初老期(65歳以前のこと)に始まる原因不明の痴呆のこと。そのなかである程度疾患の輪郭の知られている有名なものにはアルツハイマー病とピック病がある。アルツハイマー病は健忘が、ピック病は人格変化が顕著である。年齢で分ける趣旨は、50歳台の痴呆は大事件だが90歳台の痴呆はあまり驚かないので、やはり病気としても違うだろうという素朴な直感に基づいている。アルツハイマータイプのものでは顕微鏡による病理所見からみて、初老期と老年期に明白な違いはないとする多数意見と、症状・経過から両者はやはり別のものだとする少数意見がある。多数意見によれば、初老期痴呆と老年期痴呆を区別する理由はあまりないことになる。 1247 水銀中毒 mercury poisoning 無機水銀と有機水銀が原因になる。水俣病はメチル水銀化合物が工場→排水→魚介→人間の経路で体内に取り込まれて発症した。症状は小脳性運動失調、意識障害、知能障害などである。魚をたくさん食べる猫にまず歩行困難が見られた。子供に大きく育って欲しいと願い魚をたくさん食べさせた家庭ではまず子供に症状が現れた。妊婦が丈夫な赤ちゃんをと願って魚をたくさん食べた場合の胎児性水俣病では高度の知能障害が見られた。無機水銀中毒による急性症状に対しては胃洗浄などを施す。昔は消毒剤の昇汞を自殺目的でのむ人がいた。 1248 成長と分裂病 人間は子供時代に生物として一応の完成をする。子供は平屋で、大人は二階建てのようなものだ。大人になるにあたって、新しい適応が必要になる。異性を見つけたり仕事に就いたりするときには、子供時代の行動様式を部分的に捨てなければならない。子供時代に完成したものの一部を解体して、二階部分の建設を始める。いわば「建て替え」が起こる。それがうまく行かない場合に分裂病の危険がある。 1249 脳の病理学的変化 脳に起こる病理学的変化としては、血管障害、炎症、腫瘍、変性、代謝障害、先天性異常などがあげられる。これらは器質因または外因と分類される。一方、原因不明の分裂病性変化、躁うつ病性変化および非定型精神病性変化を内因と呼ぶ。何が起こっているのかは分からないが、器質性の病変を想定する意見が多い。また、実際に脳組織に病理学的変化がないのに症状が起こると考えられているものが神経症である。 1250 脳血管障害 cerebrovascular disorder 脳の血管障害には脳梗塞、一過性脳虚血発作、頭蓋内出血、高血圧性脳症、脳静脈血栓症、脳動脈炎症性疾患、血管奇形、血管発育異常などが含まれる。高血圧や心臓病、糖尿病などが基礎にある場合には脳血管障害を疑い脳CTやMRIを診断の参考にする。脳梗塞には血栓性と梗塞性があり、血栓性脳梗塞はその部位の動脈内壁が粥状硬化を呈しその結果詰まるものであり、塞栓性脳梗塞はたとえば心臓などの脳以外の部位から塞栓が飛んできて詰まるものである。おおむね急性発症が特色であるが、多発性脳梗塞の場合には段階的に増悪する痴呆となる。 1251 脳腫瘍 brain tumor 脳に腫瘍ができると頭蓋内圧亢進症状と脳局所症状が現れる。頭蓋内圧亢進症状では頭痛、嘔吐、うっ血乳頭の三主徴が有名である。早朝からの頭痛、噴射性の嘔吐などの特徴がある。局所症状としては前頭葉でモリア(moria:諧謔症、多幸的・軽率・抑制欠如の状態)、側頭葉で記憶障害、頭頂葉で失行・失認、後頭葉で視覚失認などさまざまなものが発生する。 頭蓋咽頭腫(craniopharyngioma)はレントゲン写真で歯が見えることがあるので有名である。 下垂体腺腫(pituitary adenoma)ではホルモン産生腫瘍の場合がある。副腎皮質刺激ホルモン産生腫瘍では副腎皮質ホルモン過剰となり、肥満・満月様顔貌(ムーンフェイス)となり精神的にも躁またはうつを呈することがある。乳汁分泌ホルモン(プロラクチン)産生腫瘍ではおっぱいが出る。成長ホルモン分泌腫瘍では末端肥大症になる。下垂体腫瘍は視神経を圧迫して視野欠損を引き起こすことがある。 子供の頃から成長ホルモンの産生が多いと巨人症になりスポーツには有利であるが、下垂体が視神経を圧迫すると、両耳側半盲となり視野の外側が欠けてしまうことがある。野球でピッチャーをしてもセットポジションで視野のすみに一塁ランナーを見ることができない。 1252 人格を変える薬の不安 「薬は自分を変えてしまう」という不安は根強いようだ。日本人は自分を変えてしまうことには恐怖を感じていて、できれば自分をいまのままで強くして、困難を乗り切りたいと願っている。そうした点から、日本人にはドリンク剤やビタミン剤が好まれ精神科薬剤は敬遠される傾向がある。ひとつには精神科薬剤がまるで覚醒剤や麻薬のように自分を変えてしまうとの誤解が根底にあるらしい。しかし薬の効き目はたいていは不安を少し遠ざけるだけだ。薬で少しだけ楽にして、時間をかせいでいれば自分の身体の内部に備わっている自然な治癒能力が働いて、精神を調整してくれる。精神そのものにメスを入れているようなものではないので安心してよい。 1253 クロイツフェルト・ヤコブ病 Creutzfeldt-Jakob disease 大多数は初老期に発症し、痴呆、幻覚、運動麻痺などを呈し、二年以内くらいで死に至る。脳に海綿状(スポンジ状)変性が起こる。このため、亜急性海綿状脳症の別名がある。かつて初老期痴呆の一種と思われていたが、感染性のものであることがわかり、プリオン(PRION:proteinaceous infectious particles:蛋白性感染粒子)によるものではないかと考えられている。移植によってうつることから、移植性痴呆ともいわれる。イギリスの狂牛病、羊の脳病(スクレーピー)、クールーもプリオンによるのではないかと疑われており、どれも予後不良である。 1254 既視感と未視感 de'ja' vu and jamais vu 初めて見る情景のはずなのに既に見たことがあるように感じるのが既視感で、逆に、見たことがあるはずなのに初めて見るもののように感じるのが未視感である。体験の構造にまで言及した表現ではないので、疾患に特異性はないし、そもそもこの体験自体は健康者にも起こり、病的体験とはいえない。 しかし既視感が不思議な感じがすることは確かで、前世で体験したことだとか、個人の意識を超えた記憶がよみがえるのだと考える人たちもいる。情景そのものが同一なのではなく、情景が喚起する内的体験が同一の構造をとっており、それゆえ軽い錯覚が起こるのだと推定される面もある。また、視覚に限らず、体験について既体験感を感じることがある。既視感に比べれば、未視感に出会うことは少ないようである。 分裂病での妄想気分に関連した世界変容感や知覚変容感も未視感と似たような訴えとして表現される。「見慣れた道で、実際このあいだまでと同じなのに、でも何かがすっかり変わってしまった。同じだけれど、見たことのない街のようだ」などと語る。しかしこれは未視感とは呼ばない。 1255 仮面うつ病 masked depression うつ病の症状にはおっくう、ゆううつ、いらいら・不安などの精神症状と、不眠、食欲減退、便秘、めまい、痛み、肩こり、各種自律神経症状などの身体症状がある。うつ病の中で、精神症状は前景に立たず身体症状のみが訴えられるタイプのものを仮面うつ病と呼ぶ。生活歴・病前性格・現病歴の聴取の上、経過の特徴(相性出現)、日内変動、抗うつ剤への反応などを総合して診断される。薬剤は普通のうつ病と同じく抗うつ薬や抗不安薬が役立つ。うつ病が身体症状の仮面をかぶってあらわれるという意味あいで仮面うつ病といい、抑うつなきうつ病ともいう。身体症状を訴えるものでも、心身症はストレス性障害であり、仮面うつ病は内因性うつ病のひとつのタイプと考えられる。 1256 カフェイン caffein 精神刺激剤のひとつで、アメリカではコーヒー、イギリスでは紅茶、ブラジルではガラナ(guarana)、日本では緑茶として摂取している。チョコレートやコーラ飲料にも含まれている。心臓刺激作用もある。サイクリックAMPを分解する酵素を阻害するので、結局サイクリックAMPが増加して刺激効果をうむ。大量使用ではセロトニンに影響を与える。 カフェイン量の目安としては、 カフェイン錠剤1粒 30-100mg コカコーラ1杯   30-50mg 紅茶1カップ  30-100mg コーヒー1カップ 70-150mg 一日250mgを超えたら注意する。依存になると神経過敏や胃腸症状が現れる。カフェインは身体依存はないが精神依存がある。 1257 両価性 ambivalence ブロイラーが精神分裂病診断の手がかりとしてあげた4Aのひとつ。健常状態でもアンビバレンスはみられ、たとえば父を愛すると同時に憎んだりする。それに対して病的アンビバレンスは現実チャンネルと妄想チャンネルの二つが矛盾しながら両立している状態である。 1258 了解 シュナイダーは表層での了解と深層からの了解を区別した。 表層での了解は、患者の話を聞いていて自然に平明に了解できる次元のことで、子供の頃の様子や近頃の環境が現在の辛さをつくり出していると考えられるものである。表層での了解には発生的了解と静的了解とがある。時間をさかのぼった原因から現在の状態が了解される場合には、発生的了解である。現在の状況から現在の辛さが了解できるならば、静的了解である。 深層からの了解はたとえば精神分析のように、無意識の層の力動から理解されるものである。ヤスパースは了解不能なものは説明が可能なだけであり、精神病は了解不可能であるとした。了解可能性の理論は了解する側の了解能力に左右される場合がある。了解能力が不足しているがゆえに了解できない場合もある。逆に、本来了解し得ないはずのものを私には了解できると思っている場合もある。 1259 失行 apraxia 運動麻痺などはないのに、すでに学習されて修得されている動作ができなくなること。運動失行、観念失行、構成失行、着衣失行などが知られている。脳血管障害や痴呆などでみられる。 運動失行 motor apraxia 身についていたはずの動作が拙劣となる現象。指の巧緻運動の障害は手指失行、麻痺はないのに足が動かないのは歩行失行である。 観念失行 ideational apraxia たとえば、たばこに火をつけることを目的とする動作の場合、マッチを取り出す、マッチをこする、たばこの先に火をつけるなどの部分的な動作はできるのに、たばこに火をつけるという一連の動作として完成することができなくなる場合をいう。運動の企画そのものができなくなるもので、優位半球頭頂葉病変による。 構成失行 constructional apraxia 幾何学的図形を構成することができなくなる。たとえば、紙に家を描くことができない、積木で立体をつくることができないなど。図形の全体の構成を頭のなかで把握できなくなるためと思われる。 着衣失行 dressing apraxia 着衣、脱衣が困難になるが、運動障害などはない。ズボンを頭にかぶったりする。痴呆症などで見られることがある。 1260 反動形成 reaction formation 衝動が強烈な場合、普通に抑圧するだけでは不十分なので、衝動とは正反対の行動を選択することでさらに強く抑圧し不安から逃れようとすること。たとえば相手に対する攻撃性を抑圧すれば中立的な態度になるが、通常の抑圧では不完全であると考えられるとき、攻撃とは逆の態度である慇懃な態度になる。このとき適切な慇懃さではなく、どこかしら不自然で、鎧の下から攻撃性が透けて見えて、慇懃無礼と言うべき状態になることがあると指摘される。強迫神経症との関連をフロイトが指摘したので有名であるが、現代では強迫症が反動形成によるとは必ずしも考えられていない。 1261 ボーダーライン borderline 本来は境界線であるが、特に境界型人格障害を指すことがある。 1262 ボーダーラインシフト 市橋の提案した境界型人格障害に対する治療体制のこと。境界型人格障害の人はまわりの人たちの人間関係を混乱させる傾向がある。医療関係ではスタッフ間の対立や誤解を引き起こす。これに対処するためにはスタッフ間の密なミーティングにより情報をもれなく交換し統一のとれた患者対応をする必要がある。こういった固い治療構造をボーダーラインシフトと呼んでいる。 1263 薬を何で飲むか たいていは水または白湯で飲むように指示される。お茶で飲むとタンニンが薬の働きを悪くするといわれるし、牛乳は胃壁を保護してしまうので吸収を妨げるといわれる。グレープフルーツジュースで飲むと薬が効きすぎる場合がある。とはいうものの、水は味の点で問題がある場合もあるので、ほのかに甘いアイソトニックウォーターで飲むのが評判がいい。 1264 コラム 慢性患者とつきあうことの意味 精神病院で生活している患者さんとつきあうことは、特別の意味がある。身体の病気で入院する場合には一時避難であり、普通の生活からの一時停車である。入院生活は仮の生活であり、本当の生活は別にある。患者の人生にとって大切な人は病院の外にいるのが普通である。ところが精神病の長期入院患者の場合には入院生活こそが本当の生活である。したがって入院生活で出会う医者や看護婦の、患者の人生における意味は大きい。日々診察したりレクリエーションしたりしていること、それは仮の人生ではなく、患者の本当の人生そのものである。そこが精神病棟の特質である。 1265 ナルコレプシー narcolepsy 多彩な症状を示す過眠症のひとつで、ナルコレプシー・カタプレクシーともいう。ナルコ=睡眠、レプシー=発作である。同一家族内に発生することが多くDNA研究が進められている。運転中や麻雀などをしているさなかに急に睡眠発作を起こしたり、大笑いしたときにがくっと崩れる脱力発作を起こす(情動性筋緊張消失:カタプレキシー)、入眠時幻覚、睡眠麻痺(入眠直前や覚醒直後に体が動かせない)、脳波では入眠時レム脳波、逆説的α波抑制(開眼するとα波が増える所見)などが見られる。患者は人口の0.02〜0.09%、米国では50万人もいるという。患者に昼に「眠ってください」と命じると5分以内に眠ると文献にはある。メチルフェニデートなどを試みる。患者会に「なるこ会」がある。過眠症の鑑別としては、いびきのひどい場合の睡眠時無呼吸症候群などがある。 1266 海馬(かいば) hippocampus 側頭葉の下内側にある海馬は短期記憶の一時的メモリーと言われている。アルツハイマー病では病気の初期から海馬が萎縮しており、短期記憶が障害される。海馬はギリシャ・ローマ神話に出てくる上半身が馬、下半身がウナギのような姿をした怪物。海の神ポセイドンが乗り回していた。タツノオトシゴもhippocampusという。 1267 全般性不安障害 generalized anxiety disorder(GAD) 不安障害の中で不安発作(=恐慌発作 panic attack)のない慢性不安状態を主徴とするタイプのものを指す。いろいろな人生の出来事に際して広範で過剰な不安が慢性に続く状態で、不安の対象は変化し続け(浮動性:free-froating)るが、学業や仕事など不安になることが一般に理解可能なものに対しての不安である。精神症状だけではなく、身体症状も伴うことが多い。DSMで紹介された。 不安を主徴とする疾患を不安障害と呼び、不安発作(パニック)を呈する群(パニックディスオーダー)と不安発作なしに慢性不安状態を呈する群(全般性不安障害)とに二大別する。臨床場面では全般性不安障害と診断すべき場合がしばしばある。今後有用な診断カテゴリーである。 1268 神経伝達物質 neurotransmitter 神経細胞が次の神経細胞に興奮を伝達するとき、シナプス(接合部)前にあるシナプス小胞からシナプス間隙(すきま)に神経伝達物質が遊離され、シナプス後細胞にあるレセプター(受容体)にとらえられる。レセプター部分から興奮が細胞全体に伝えられる。神経伝達物質としては次のようなものがある。カテコールアミン類にはアドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミンがあり、インドールアミン類にはセロトニン(5-HT)、メラトニンがある。そのほかアセチルコリン、グルタミン酸、ガンマアミノ酪酸などがある。向精神薬はこれらの物質をコントロールすることによって効果を発揮する。 1269 経済環境と精神病・神経症 一般大衆が精神的不調になると精神病院に入れられ精神病として扱われる。脳が壊れたのだとされる。富裕な階級の人が精神的不調になると民間のクリニック(たとえばフロイトのクリニック)に通院し、神経症として治療を受ける。心理的ストレスが原因であるとされる。はたして病気が違うのだろうか?同じ病気なのに別の扱い方をしているのだろうか?患者の経済環境が病像と経過を変えているのではないか。このような議論が伝統的にある。 1270 執着気質 うつ病者が発病前から示す性格特徴。一度生じた感情が長く持続し増強することが基本特徴である。責任感が強い、仕事熱心、徹底的、熱中する、几帳面、正直、凝り性である。周囲からは模範的な人、確実な人と見られ、評価は高いことが多い。執着の着は横着、愛着などと同じで様子、さまのこと。 1271 退行期うつ病 involutional depression 初老期にみられるうつ病のこと。退行期は更年期と同じ。ただ年齢に注目しただけで、本質は普通のうつ病である。しかしながら初老期には肉体的衰え、精神的衰え、子供の独立、友人の死、退職などうつ病に傾く要因が様々にある。ひとことで言えばさまざまな喪失である。 1272 対人恐怖 socialphobia,anthrophobia =社交恐怖 対人場面で過度に緊張してしまい、仕事がうまく行かないのではないかと恐れたり、友達関係が壊れるのではないかと恐れたりする恐怖症。人前で緊張したらどうしようかと予期して不安状態が続くようになったり(予期不安)、ついには対人場面を回避して生活するようになったりする。青年男子に好発する。日本で症例が多く研究も盛んである。 赤面恐怖や醜形恐怖、自己視線恐怖、自己臭恐怖などが含まれる。これらは自分の容貌の醜さや自分の視線が他人を不快な思いにさせるのではないかと恐れるもので、加害恐怖、さらには加害妄想とすべき場合もあり、重症対人恐怖症または思春期妄想症、自我漏洩症候群などと表現されることもある。 1273 心身症 psychosomatic disease(PSD) 広くは原因と治療に心理的因子が重要である病気。限定すれば、心因性で自律神経支配器官に症状が現れる病気。胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、気管支喘息、高血圧など非常にたくさんの病気が含まれる。治療は薬剤と各種精神療法を組み合わせる。 1274 デポ剤 時効性薬剤のこと。一度注射すれば一週間から四週間程度の持続的効果がある薬剤。薬の飲み忘れや拒薬に有効である。何よりも服薬の煩わしさから解放される。薬を飲むたびに自分は病人なのだと確認させられるのは辛いものだと語る患者もいる。 1275 実体的意識性 意識性とはある対象や事物が感覚的要素の媒介なしに一挙に体験される現象。実体的意識性とは、人や物の実体的な存在が感覚的要素の媒介なしに体験されること。分裂病で見られる。 物の存在の実感だけが、物の存在そのものを離れて意識される。たとえば、目の前に椅子はないのに、椅子の実在感・実感がまざまざと伝わってくること。「隣の部屋に確かに椅子がある」などとまざまざと実感される。離人感はものがあるのにその実感が失われている状態で、実体的意識性はものがないのにその実感が意識されている状態である。 1276 実存分析 Existenzanalyse 現存在分析分析を参照。現存在分析とほぼ同じ。 1277 被注察妄想 delusion of notice =注察妄想、注視妄想 他者のまなざしにさらされ、見られていると感じる妄想。幻聴に対応するのは幻視ではなくて被注察妄想であるとする見解がある。他者が呼びかけによって病者に踏み込むのが幻聴で、他者がまなざしによって病者に踏み込むのが被注察妄想である。「他人の目が気になる」程度の訴えはうつ病でも神経症でも聞かれる。分裂病の被注察妄想との違いは「他人」の意味内容と被注察の構造であり、鑑別診断には注意深い問診が必要である。 1278 病態水準 level of psychopathology 患者の病気の重さがどの程度であるかについていう言葉。精神病レベル、境界レベル、神経症レベルを区別する。現実検討が失われ、精神病レベルの防衛機制が用いられているとき、精神病レベルの病態水準という。現実検討は保持され、神経症レベルの防衛機制が用いられているとき、神経症レベルの病態水準という。精神病レベルと神経症レベルを動揺するとき、境界レベルの病態水準という。ここで精神病レベルの防衛機制とは、外的現実を歪曲する方向の防衛機制で、神経症的防衛機制とは、内的現実を歪曲する方向の防衛機制である。 1279 パターナリズム paternalism 父権主義。paterは父親、権威のこと。患者は病気についての専門的な知識はないのだから、医師が患者の身になって最善の判断を下し、患者はそれに従う。それは父親が子に対して善意からの助言をするのと同じである。自己決定を重視するインフォームドコンセントと対照的である。精神障害者の場合には判断能力の問題があるので問題は複雑になる。日本での伝統的な医師患者関係は、患者に全面的に信頼していただいて、医師は全面的な責任で応える形のパターナリズムであった。しかし慢性疾患や生活習慣病、ガンの終末期医療では患者の人生の選択の問題と関係する場合があり、パターナリズムとインフォームドコンセントを上手に複合させた態度が求められる。数年前に小便をのむ治療法が流行したときに困った経験がある。 1280 山あらしジレンマ porcupine dilemma ハリネズミジレンマともいう。二匹のハリネズミは寒いので寄り添おうとした。しかし近づきすぎると棘が刺さって痛い。離れたら寒い。ここにジレンマが成立する。しだいに最適な距離を学ぶ。人間関係も同様で、近付きすぎると苦痛で、離れすぎると寂しい。適切な距離をしだいに学ぶようになる。精神分裂病者は他人の心の棘をとても長いものと錯覚していて、傷つけられないように用心して他者と心理的に離れていようとする傾向がある。 1281 テクノストレス technostress コンピュータ・テクノロジーへの適応の仕方に起因するストレス状態。コンピュータをうまく使えないときにはテクノ不安症になり、逆にコンピュータに際限なく熱中してしまえばテクノ依存症になる。さまざまな自律神経症状を呈する。テクノ依存症では対人接触よりもコンピュータ操作を心地よいと感じ、対人交流不全から心身症状を発生するに至る。 1282 コラム 自己記入式テストは信じられるか 「あなたはきれい好きですか?」といったような質問がたくさん並んでいて、○や×をつけるテストがある。こんなもので何がわかるのだろうと疑問に思う人は多いだろう。いくらでもうそがつけるし、自分を飾ることもできる。 たしかに質問に対する答えを正直にうけとるのでは解釈として不十分である。うそつきのスケールを入れることもできるが、それよりも実際の面接と組み合わせて活用することで意義のあるものになる。実際の面接時の情報があるから、その人が自分をどれくらい飾っているか、自分を見る目が現実とどのくらいずれているかを知ることができるのである。たとえばコンピュータで採点して点数だけ見ていたのでは表面的なことしかわからない。自己評定と面接を組み合わせることで、人格の立体的な構造が明らかになる。 「人に親切にしないではいられない」に○と記入した人について、実際は親切ではないことがわかっていれば、自分勝手な上に自分の姿が見えていない人なのだと知ることができる。 1283 錯覚 illusion 外界からの知覚入力が実際にあり、それを誤って知覚すること。枯れすすきが幽霊に見える。とくに病気とは関係ない。 1284 させられ思考 thought alienation させられ体験のひとつで、他者によって考えさせられる体験。考えるか考えないか、何を考えるかの判断について、能動性が失われ被動的になっている。通常の思考にある能動性が失われ、次第に被動的になるとさせられ思考になり、その中間地点に強迫思考がある。「考えたくないのに考えてしまう」は正常の場合もあり、支配観念や優格観念のこともある。能動性が失われているが被動的ではなく、かつ自己所属感が保たれているなら自生思考や強迫思考である。「考えたくないのに考えさせられてしまう」になるとさせられ思考である。 させられ思考の場合、思考の内容は自分に属している。思考の内容が他者に属していれば、思考吹入である。 1285 人格障害 personality disorder =性格障害、性格異常、異常性格、人格異常、異常人格 性格の問題のために社会適応が困難な場合をいう。特に社会適応困難と言うほどではないものは性格傾向(personality trait)という。英語ではpersonalityとcharacter、日本語では人格と性格、どちらの言葉を採用するかも問題となる。障害と異常も語感が違う。人格は性格よりも深い何かで、異常は障害よりも困難な事態を感じさせる。最もソフトな表現は性格障害、シリアスなのは人格異常だろう。シュナイダーの分類やDSM分類が有名である。 アメリカのDSM4の人格障害分類 A群:奇妙で風変わりな言動。引きこもり。分裂病に近縁。 @妄想性人格障害:paranoid 疑い深く、他人を信じない。先入観に基づいて周囲を曲解する。軽蔑的、攻撃的、好争的、説得を受け入れない。 A分裂病質人格障害:schizoid 社会的関係を望まず、苦手。内省的、温和、萎縮、孤立。他人からの賞賛・批判に無関心、他人の気持ちに鈍感。 B分裂病型人格障害:schizotypal 社会的孤立、奇妙な思考や行動。魔術的思考。 B群:おおげさ、過激な感情、不安定。 C反社会性人格障害:antisocial 反社会的行為が著しい。嘘、怠け、盗み、けんか、過度の飲酒、攻撃性、性的逸脱。 D境界性人格障害:borderline すべての面で不安定。衝動的。 E演技性人格障害:histrionic 芝居がかって大げさ。浅薄で表面的。人の注意を引きたがる。 F自己愛性人格障害:narcissistic 自分にばかり関心が向けられている。無限の成功を夢見る。他人の注目と賞賛を求める。共感に乏しい。誇大感。 C群:不安、恐怖。 G回避性人格障害:avoidant 他人から拒否されることに極度に敏感。絶対受容の保証があればつきあえる。引っ込み思案。自己評価の低さ。 H依存性人格障害:dependent 自分で責任をとらない。他人に任せる。自信がない。自己評価の低さ。 I強迫性人格障害:compulsive 規則、細部、因習にこだわる。融通がきかない。仕事熱心、忠実、暖かな感情の表現に乏しい。 イギリスのある教科書の人格障害分類 @ひきこもり群 ・妄想性人格障害 過敏、恨み、猜疑的、嫉妬、他人の悪意のない友好の行為も敵意や侮辱と誤解する。責任転嫁、誇大的、好訴的、イエスマンをまわりに集めて集団を作る(新興宗教)、男性に多い、一過性の被害妄想や幻聴。 ・分裂病質人格障害 schizoid 交際に無関心。冷酷、空想傾向、内省、性体験を持とうとしない、親密な信頼関係の欠如。パーティに出ない、地球平板説やネス湖の怪獣に奇妙な関心を寄せたりする。人よりも数字に関心、コンピューターには向く、孤立しているのでうつになりやすい。 ・分裂病型人格障害 schizotypal 思考、風貌、話し方、行動が奇妙、対人交流欠如、分裂病者の血縁に多い、分裂病の遺伝スペクトラムの一部と考えられている。 A依存群 ・不安性(回避性)人格障害 緊張と不安、自意識過剰、拒否されることに過敏、無条件の受容が保証されているときだけ関係を結べる。日常場面での危険を過大に考える、行動を回避するようになり、生活が制限される。引っ込み思案。対人恐怖。 ・依存性人格障害 自分の人生の大切な決断を他人に任せる。自分の依存している人には何も要求できない。自分を無力と感じ、見捨てられひとりになることを恐れ、親密な関係が終わるときには打ちのめされる。 ・受動攻撃的人格障害 あたりまえの要求に対する受動的抵抗、ぐずぐず先延ばしにする、子供じみた妨害や不機嫌、気がすすまないときにはぐずぐず仕事をする。自分は有能だと信じている。 B抑制群 ・制縛性人格障害 優柔不断、完全主義、過度の良心、衒学、定型的、頑固、細部まで事前に計画。仕事熱心、忠実、事務能力高い、広い視野ではなく細部へのこだわり、空想に欠ける。男に多く遺伝性がある。自分の考えが挑戦されたときには怒る。 ・循環性または類循環性人格障害 感情の不安定。軽うつと軽躁。躁うつ病の準備因。 C反社会群 ・演技性人格障害 過剰な感情表出、演劇的、大げさ、被暗示的、浅薄で不安定な感情、注目を集めたがる、操作的。性的誘惑。対人関係は激しく不安定。女性に多い。同様のケースは男性ならば反社会性障害となるだろう。薬飲み過ぎ傾向。転換型ヒステリーまたは心身症になりやすい。 ・感情不安定型  ・衝動型人格障害……感情不安定、衝動コントロール欠如、暴力、威嚇。爆発型または攻撃型ともいう。攻撃衝動のコントロールが一過性に失われる。ストレスにたいして暴力や怒りで反応する。後悔と自責は本物である。男に多く遺伝性がある。  ・境界型人格障害……自己像があいまいで混乱している。対人関係と気分は激しくかつ不安定、感情危機を招き自殺の脅しや自傷を伴う。慢性の空虚感と退屈、スプリッティングや投影性同一視といった原始的防衛機制が見られる。過度のストレス下では、一過性の精神病状態。精神病の周辺部における重症性格障害を広く指していることもときどきある。女性に多く、感情変調症、うつエピソード、薬物乱用、短期精神病反応を起こすことがある。 ・自己愛性人格障害 誇大性、過敏さ、共感欠如。肉体的病気や手術による肉体変形にうまく対処できない。 ・反社会性人格障害 無責任、対人関係を継続できない、欲求不満に耐えられない、攻撃的、暴力的。罪悪感を感じない、罰や経験から学ばない、反社会的行為について他人を責めるかもっともらしい言い訳をする。15歳からの行動障害(登校拒否など)をみる。薬物・アルコール乱用に染まりやすい。精神病質、社会病質を含む。 1286 抵抗(治療抵抗) resistance 治療に対する無意識の抵抗のこと。治りたいから面接を続けているのだが、葛藤解決は苦しい。症状はある面では葛藤から目をそむけるのに役立っている面もあるので、症状を消すことには無意識のためらいがある。そこで無意識に治療に抵抗することになる。沈黙、無関係なことの多弁、繰り返し、話題の回避、知性化、一般化、時間の変更、キャンセル、時間短縮、治療者変更要求などがある。現実的で妥当なものか、治療抵抗なのかを判断して、治療抵抗と判断された場合には抵抗を分析することによって治療を深める。 1287 自律訓練法 autogenic training 自律神経(autonomic nerve)系器官の機能を整えるのに有効な方法。随意的リラックス法、さらに内容を明示するなら随意的筋血管緊張解除法である。簡単でお金がかからずどこでもいつでもできる。催眠術の本質は筋肉と血管の弛緩であることから、四肢が重い、暖かいなどの自己暗示をかけ、ひいては自律神経系の緊張を解除する。不安状態やパニック障害、不安の強いうつ状態、持続的交感神経緊張状態に対して有効である。薬以外の対処法を身につければずいぶん自信がわくようである。 1288 心気症、心気状態 hypochondria,hypochondriacal state 実際は病気ではないのに、自分は病気ではないかと心配している状態。説得も聞き入れず、訂正しがたい確信にまで至った場合には、心気妄想と呼ぶ。背景にうつ病や精神分裂病があることもある。セネストパチー(体感異常症)は心気状態や心気妄想と重なる部分がある。体感の異常を取り上げて名付けるか、そのことについての悩み方の特徴を取り上げて名付けるかの違いである。 1289 退行 regression 広くいえば幼児返り。適応困難な状況で、現在獲得している行動パターンよりも低次の行動パターンが出現する。たとえば、中間試験が受けたくなくて二歳の子供に戻ってしまい、指をしゃぶって言葉も話せない状態。ジャクソンが解体(dissociation)と呼んだものを、フロイトは退行と呼んだ。進化論的に新しく高級なものに進むのが進化(progress)であり、古く低級なものに戻るのが解体または退行である。健康な退行は一時的で部分的な退行であり、状況に適した退行である。たとえば、忘年会での退行や子供と遊ぶときの退行など。 1290 治療的退行 therapeutic regression =操作的退行 治療のために退行状態を作ること。退行を基礎として転移や抵抗が起こり、それを分析して治療は進行する。外科手術で、メスを入れて病変部を露出させる操作に対応し、退行状態を作り、人格の中で問題のある古い層を露出させ治療を加える。最後に通常人格レベルに戻して終了する。治療的退行においては観察自我は保持され、一時的で部分的な退行がおこり、通常生活レベルへの復帰が可能である点が重要である。 1291 自己臭症 自分から出るいやな臭いが他人を不愉快にさせていると確信している状態。青年期に多い。神経症レベルの対人恐怖症の場合もあり重症になれば自我漏洩症候群、さらには分裂病の場合まである。 1292 気分障害 mood disorder 躁うつ病やうつ病のこと。感情障害、感情病ともいう。 気分障害の分類 大うつ     抑うつ気分 躁 BP I 軽躁 BP II 気分循環性障害 躁なし MP 気分変調性障害 1293 意識障害の評価 意識の覚性 vigilance とは清明度のことで、刺激しても覚醒しなければ昏睡、刺激すれば覚醒する程度なら傾眠、刺激しなくても覚醒しているなら意識清明とする。意識障害を表現する言葉は微妙なので、3-3-9度方式での表現が役立つ。またグラスゴー・コーマ・スケールでは開眼・発語・運動機能の三分野の得点を合計して表現する。最高で15点、最低で3点、7点以下は昏睡で予後不良である。 一方、清明度の障害とともに意識の変容が見られることがあり、もうろう状態 twilight state、せん妄状態 delirium などという。てんかん発作後の意識障害時に見られるもうろう状態では、意識障害があるにもかかわらず一見まとまりのある行動が見られる。せん妄は軽度の意識障害に幻覚妄想や興奮が加わった状態で、アルコール症の振戦せん妄や痴呆の夜間せん妄などがある。 1294 ジェームズ・ランゲの説 ジェームズとランゲが別々に唱えた説で、人間は悲しいから涙が出るのではなく、涙が出るから悲しいのだとする説。つまり、情動が身体的変化を引き起こすのではなく、身体的変化が情動を引き起こすという説である。現在でも論争になっているらしい。表にしてみると次のようになる。 原因    結果 @ 悲しい 泣く   常識 A 泣く 悲しい  ジェームズ・ランゲの説 B x 悲しい+泣く             悲しいと泣くはどちらも結果であると考えるのが正しそうである。 1295 行動化 acting out 精神分析療法では主に言語によって治療がすすめられるが、ときに患者は言葉によらず行動によって自己の何かを表現することがある。これを行動化と言い、沈黙、面接予約のキャンセル、遅刻、暴力、自殺未遂、性的関係まである。それは患者からのメッセージであるから、その行動の意味を治療の中で取り上げていけばよい。 人は葛藤に悩むとき、@内面化・言語化、A行動化、B症状化などをする。言語化はあれこれ考えて内面で悩むこと。行動化は極端な場合には暴力や自殺未遂などの行動の形で悩むこと。症状化は転換ヒステリーや解離ヒステリーなどのように症状の形で悩むことである。もちろん、それぞれが独立ではなく重なる場合も多い。 内面が未成熟なために言語化して悩むだけの力がない場合には行動化したり症状化したりすることが多い。行動化や症状化は言語化に比べて現実の経済的・対人的損失が大きい。言語化して悩むことができるように、言葉による表現を豊かにすることが大切である。言葉の網の目の差は感情や認識、思考の網の目の差である。この網の目を精密に成長させることが成長・成熟である。 映画やテレビでは行動を映像で描くしかない。従って登場人物は内省よりも行動化に傾きがちである。現代の映像文化は行動化による悩み方を教育していることになる。それに対して文章文化は内省の習慣を教える利点がある。 1296 心神喪失と心神耗弱 心神喪失は責任無能力であり、心神耗弱は限定責任能力である。法律の文章では心神喪失とは「精神の障害に因り、事物の理非善悪を弁識する能力なく、またはこの弁識にしたがって行動する能力なき状態」(昭和6年大審院判決)である。心神耗弱とは「精神の障害未だ上述の能力を欠如する程度に達せざるも、其の能力著しく減退せる状態」(同上)である。 精神科医が精神障害の内容についてまた精神障害と犯行との関係について鑑定で報告し、それを参考にして裁判官が判断する。心神喪失の場合には罰せず、心神耗弱の場合には刑を軽減する。 責任能力 criminal responsibility がなければ犯罪についての刑罰に意味がないと考えるのが一般的である。たとえば脳腫瘍による異常行動が結果として犯罪をひきおこしたとき、脳腫瘍を治療すればよいのであって、刑罰については意味がないと考えるのものである。ただその場合にも、保護監督の責任があり、危険を知りつつ症状を放置していた人がいたならば、患者ではなくその人の責任は問われるかも知れない。 責任能力の有無については、米英では、善悪テスト the right and wrong testや所産テスト product test の考え方が用いられる。善悪テストは、精神障害により行為の善悪を判断する能力がない場合には責任無能力とみなされるというもので、マクノートン法則 McNaughton rules ともいう。所産テストは、違法行為が精神障害の所産であるならば責任能力はないとするもので、ダラム法則 Durham rule ともいう。 1297 コラム ジャクソニズムと脳の階層構造 生物進化の原則は、過去のものを捨ててしまうのではなく、既存のものを再利用する形で新しい体制に組み込むことだ。ヒレだった部分を再利用して、手足にしている。エラだった部分は肺になっている。虫垂は今のところ再利用できていないので、一見むだにくっついている。脳のレベルでも、古い脳を新しい体制に組み込むことで再利用がなされていると考えられる。このようなプロセスが何度か重なると脳の機能の階層構造ができる。 では、脳が壊れるときは、どんなことが起こるだろうか。構造は古いものほど頑丈にできている。新しいものほど壊れやすい。長い時間を生き延びてきた構造が壊れにくいのは分かりやすい。人間の脳の場合にも壊れやすいのは一番新しい部分である。一番新しい部分は古い部分をもっとも総合的に使う部分である。人間の脳の機能でいえば、総合的な判断やいろいろな素材を組み合わせて新しいものを創造する部分である。そこが壊れると、判断は部分的になり、創造ができず過去の反復になる。 上位部分が下位部分を支配するときに、抑制的に支配する場合と、促進的に支配する場合とがある。脳の傾向としては、抑制的に支配する場合が多い。したがって上位機能が壊れたときに下位機能の突出が起こる。それを「脱抑制」と呼んでいる。脱抑制の症状としては、過度にわがままになってみたり、過度の性欲を呈したりする。 アルコール中毒症などで、脳の高級機能が失われることがある。その場合に、倫理感欠如を呈したり、粗暴になったりする。それは脱抑制の印象を与える。ある種の性格障害でもこのような症状が観察されるのは、アルコール症と同様の高級機能の欠損が関与しているかも知れない。 胎児の時期に脳に微細な損傷を受ける機会は、近代都市文明にさらされれば多くなると考えられる。流行性感冒、タバコの煙、排気ガス、機密性の高い部屋での酸素欠乏、アルコール、売薬、医者から出される薬、麻薬・覚醒剤、食品添加物、食品のかび、電磁波、X線、それからストレス。母親には何でもないことでも、胎児の脳にどんな影響があるか、心配すればきりがない。損傷を受けて産まれた子供の脳では高級機能から順に失われやすい。 脳の機能が壊れたときに、その部分の機能が失われれば、それを陰性症状と呼ぶ。同時に、これまで抑制されてきた下位の機能が突出すれば、それを陽性症状と呼ぶ。 以上のような考え方がジャクソニズムであり、脳の機能を考える際の基本である。 1298 妄想 delusion 現実に反しているにもかかわらず訂正不可能な確信。現実や常識に反する考えを思いつくこと自体は病的ではない。その考えを検証した後に、現実や常識に反する場合にも訂正・棄却できなかったり、人に言わないで黙っていられなかったりするならば、妄想と呼ばれる。人々は様々な程度に訂正不能な確信を抱いているものであるが、その考えがその人の社会生活を困難なものにする場合に問題となる。 妄想に対する実際の対応を考えてみよう。たとえば、盗聴されていて苦しいという訴えに対して、周囲の人が「重要人物でもないあなたがどうして‥‥」と説得を始めたとする。するとそれは周囲の無理解と受け取られ、患者さんをますます孤独な戦いに追い込んでしまう。患者さんが妄想を口にするときは、よほど考え詰めて、絶対に間違いがないと確信できたときだと思ってよいからである。周囲の人の説得が有効なくらいなら、もっと早く自分で訂正しているはずである。ところがその一方で、こんなおかしなことってあるのだろうかと患者自身半信半疑の面もある。周囲の人が「あなたも信じられないくらい不思議なことだと思うでしょう?まわりの人が分かってくれなくても、仕方がないくらい不思議なことですよね。」などと言えば、同意してくれる。従って、周囲の対応としては、「あんまり不思議すぎて、その考え自体には賛成できないけれど、そのように考えていればとてもつらいだろうということは理解できる。つらさを軽くするためには専門家に相談してみたらどうだろうか。」と話を進めるのがよい。 精神分裂病で被害妄想をはじめとする妄想があらわれることの多いのは事実であるが、妄想があるからといって精神分裂病というわけではない。しかし幻覚妄想状態は放っておけば治るものでもないので、専門家に相談すべきである。治療方法はいろいろあるので絶望する必要はない。 1299 防衛機制 defense mechanism 不安を処理するための無意識的な働きのこと。@事実は変更せず、ことがらの意味付けや観点を変更するのは正常範囲の防衛である。これは防衛というよりは成熟である。A内的事実(自分の欲望や感情などについての事実)を歪曲するのは神経症的な防衛である。B外的事実を歪曲するのは現実検討を失っていることで、精神病的な防衛である。 神経症的防衛には次のようなものがある。抑圧、取り入れ、反動形成、退行、合理化、隔離、解離、知性化、逃避、打ち消し、自己懲罰、置き換え、昇華、補償。精神病的防衛機制としては以下のものがあげられる。原始的防衛機制ともいう。分裂、投影、投影性同一視、(取り入れによる)同一視、否認、原始的理想化、躁的防衛。 以上の防衛機制は、理論的に演繹されたものではないから雑然としており、一部は重なるものもある。また複数の防衛機制の組み合わせで説明できるものもある。それぞれに背景があり存在理由のある言葉なので煩雑であるが仕方がない。また「機制」という言葉は日本語としてはなじみがないが「メカニズム」の翻訳である。 たとえば喪失体験、直面化、惚れ込み、外国文化受容など、みな類似の経過をたどる。まず自分に都合のいいように現実を歪曲してみる。これが精神病的防衛機制。つぎに自分の気持ちを歪曲する。これが神経症的防衛機制。そのあとでやっと正確な状況把握が生まれる。喪失体験は現実否認から現実の受け入れへ向かう。惚れ込みは過大評価から幻滅を経て現実の受け入れへ向かう。 1300 神経症、ノイローゼ neurosis 外因性精神病と内因性精神病に対して、心因性または環境因性に起こる病気を指す。不安神経症、心気神経症、神経衰弱、ヒステリー、抑うつ神経症、強迫神経症、恐怖症、離人神経症などが含まれる。症状は精神、身体、行動の各面にあらわれる。精神面では不安、恐怖、強迫、離人、ゆううつ、おっくう、イライラ、無気力、心的疲労感がみられる。身体面では身体疲労感、易疲労感、自律神経症状(頭重感、めまい、動悸、息苦しさ、口渇、吐き気、食欲不振、下痢、便秘、月経困難など)、ヒステリー性転換症状(嚥下困難、失声、失歩、失立、難聴、二重視、失明、意識消失、運動麻痺、感覚脱失、歩行困難、けいれん、慢性疼痛、性的不感症など)がある。行動面ではヒステリー性解離症状として二重人格、遁走、生活史健忘、自己破壊的行動としては自殺、自殺未遂、自傷があり、家庭内暴力などの攻撃的行動や過食、浪費、盗み、性的逸脱、薬物乱用、種々の衝動行為がみられる。 1301 高感情表出 high EE(Expressed Emotion) 家族が患者に対して批判的で敵意を含む感情的な言葉を投げかけていると分裂病の再発率が高い。このことを「家族のhigh EEは再発率を高める」といっている。分裂病男子長期入院患者が退院したとき、家族と暮らすよりも単身で暮らす方が再発率が低いことが見いだされ、その原因として家族のhigh EEが問題になった。これは家族に「患者を怒ってはいけないということか」とショックを与えた。再発しそうな状態のときには家族は感情的になるだろうから、統計の結果としてはhigh EEと再発が相関があることになるともいう。逆にすっかり諦めきった家族は指導もしないし感情もこもらないからlow EEになる。結局ピリピリ緊張せず前向きな家族がいい。 1302 家族療法 family therapy 広い意味では家族を対象とする集団療法全般を指すが、狭い意味では特にシステム論に強く影響を受けた療法を指すことがある。システム論では、家族の個々の成員には異常はないが、家族間の関係の仕方に問題があるために、家族の一部に精神障害が発生していると見る。この立場では、症状を呈している一人を治療しても意味がなく、家族全体のシステムを治療する必要がある。精神医学の世界では現在は主流とはいえない。システム論は別にして、患者の療養環境としての家族に問題がある場合、家族全体を精神療法の対象にする場合がある。 1303 ストレス─脆弱性モデル stress-vulnerability model ストレスに対して人はいろいろな反応をする。食欲が増進する人もいれば眠れなくなる人もいる。ストレスに対して幻覚妄想状態で反応する人たちもいて、そうした人たちが精神病者であると考える。またたとえばストレスに対して自律神経系の症状で反応すれば心身症である。 古くから体質か環境かという議論があるが、ストレス・脆弱性モデルでは、脆弱性すなわちストレスにさらされると幻覚妄想状態になりやすい体質に、ストレスという環境が加わって発症すると考える。つまり体質と環境の足し算で精神病が成立する。 対策としては、薬剤で脆弱な体質を補正し、SST(social skills training:生活技能訓練)などでストレスを回避する方法を身につけ、この両面から再発を防ぐことを考える。 1304 否定妄想 delusion of negation =コタール症候群(syndrome de Cotard) 自分の身体(の一部)の死滅、非存在を主張する妄想。「脳がない」などと訴える。うつ病でみられる。 1305 敏感関係妄想 sensitiver Beziehungswahn クレッチマー(Kretschmer)の提唱したもので、心因性の妄想。クレッチマーの三徴候すなわち@敏感性格A逃れられない困難な状況Bたいていは屈辱的な「鍵体験」の三者がそろったときに関係妄想や被注察妄想、被害妄想が発生する。これを敏感関係妄想という。妄想が心因性で了解可能であることを示した点が意義深い。なお、敏感性格は次の二極で特徴づけられる。@弱力性(無力性)……内気、控え目、繊細、傷つきやすい。A精力性(強力性)……名誉を重んじる、負けず嫌い、疑り深い、頑張り屋。 1306 幻覚@ hallucination 外界に対応する刺激がないのに知覚を生ずる現象。周囲の誰にも声が聞こえないのにその人にだけ声が聞こえる場合など。刺激が存在し、別の何かであると知覚するのは錯覚である。他の人たちには電信柱に見えたものが、その人にだけ人影に見えた場合には錯覚と呼ぶ。知覚の正しさは多数決によるものではないのだが、実際上は多数決と常識によっている。クーラーのうなり音に混じるように人の声が聞こえる場合には、機能性幻聴と呼び、病的な場合も正常の場合もある。シャワーの音の中に電話の音が混じりあわてるケースなどは、病気ではない場合でもしばしば生じる。幻覚は様々な疾患で生じるが、幻覚体験自体が病的とは言えず、幻覚の内容や持続、さらに背景の病理を検討する必要がある。専門家に相談しておくほうが安心である。 またたとえば幻聴を体験している場合、実際に幻聴があることと、幻聴があると妄想していることと区別できるだろうかという問題があり、難問である。たとえば「ヒトラーが私に命令している幻聴が聞こえている」と訴える場合、ヒトラーはドイツ語で語っているのか、日本語で語っているのかと問題にすれば、あいまいになることが多い。この場合は「ヒトラーが私に命令しているという妄想がある」と記述した方が適切な場合もあると考えられる。 1307 幻覚A hallucination 「対象なき知覚」、「知覚すべき対象なき知覚」または「対象なき知覚への確信(conviction sur la perception sans objet)」。「確信」を重くみれば、妄想に近づく。知覚は感覚から意味までを含むので、その幅に応じて幻覚も考えられる。 空間の特定の場所にはっきりと存在すると固く信じられるものは真性幻覚であり、ひょっとしたら自分のイメージなのかも知れないと思えるものは偽幻覚である。 単純な要素的な音が聞こえてくる場合(要素幻覚)から、メッセージを明確に持った言葉が聞こえてくる場合(幻声)まで、様々である。メッセージまたは意味がより明確に付与されているほど、妄想に近くなる。 入眠時幻覚、出眠時幻覚は寝入りばなと覚醒時に現れる幻覚である。意識レベルが低下しているときに現れるもので、必ずしも異常とは考えられない。 幻聴のなかでも幻声が精神分裂病に多い。患者は幻声と会話をしたり(二人称幻声)、幻声同士がひそひそと自分のことを言っていると悩んだり(三人称幻声)、自分の考えが声になって困る(思考化声)と言ったりする。行為批評幻声は、幻声が患者の行為について「便所に行った」「薬を飲んだ」などとコメントを加えるものをいう。 幻触は「性器をいじくられる」などという訴えとなる。 人間は他の哺乳類に比較すれば圧倒的に視覚の動物であると思われるのに、幻視は幻声ほど問題にならない。それは他者からのメッセージ伝達が音声による言葉を介して行われることが多いからであろう。人間が言葉を頭の中に思い浮かべるとき、文字で、たとえば明朝体の青い字でなどは思い浮かべないだろう。考えが文字になって見えるのは、考想可視と呼ばれ、まれである。時間の流れを伴った音声言語で、ちょうど喉を少し震わせて発音するくらいの調子で、言葉を思い浮かべるのではないだろうか。 幻視は分裂病よりは器質性疾患で目立ち、たとえばアルコール性の幻視では小動物(ネズミやゴキブリ)が見えたり、腕をアリやクモがはいまわっていたりする。またアルコール症では圧迫幻視=リープマン現象が有名で、閉眼させて上眼瞼を圧迫すると、幻視が誘発される。 頭のうしろにものが見えるというときは、視界の外に視覚が成立しているわけで、域外幻覚と呼ばれる。 幻嗅、幻味については幻聴、幻触、幻視に比較すれば診察室ではあまり問題にならない。 1308 分裂病の定義 分裂病は本質が分かっていないので、本質的な定義はできない。ただ、医者が「分裂病」の診断名を使うとき何を意味しているかは業界の習慣として説明できるはずである。ところがそれも国によって、流派によって違いがある。もっとも広義の分裂病から、もっとも狭義の分裂病までを並べて、その考え方を検討してみると、たとえば以下のようになる。 @性格傾向を判断材料とする。分裂病ではうつ症状も神経症症状も出る。 A現実検討の喪失を基準とする。これは病態水準を見ていることになる。 B現在症とくに自我障害を基準とする。 C経過の特性を重くみる。シュープを反復する経過。しかしこれでは何十年も経ってからでないと診断できないことになる。臨床的には決定的に不都合であるが、これがもっとも病理の本質と関係しているかも知れない。 以上のように性格傾向、病態水準、現在症状、経過と並べると次第に厳格になってゆく様子がわかる。もう少し具体的に示すと、広い順に ・分裂気質+症状(ほとんどあらゆる症状) ・遺伝負因+症状 ・ブロイラー:4A(陰性症状の強調) ・シュナイダー:一級症状・二級症状(自我障害中心) ・クレペリン:経過分類・シュープ(段階的増悪) などがあげられる。DSMはブロイラーとシュナイダーの混合である。 1309 転移 transference 患者が診察室で治療者に対して、これまでの人生の重要な対人関係を無意識に再生して感じたり行動したりすること。内的対象関係を投影しているといってもいい。治療者が具体的にどんな人なのかはっきりしないうちは、患者の過去の経験の中から類推するはずである。したがって転移は、治療者自身がスクリーンになってそこに患者の内面が映し出されているようなものである。これは患者の内面を知る大切な情報である。患者が治療者の前で見せる態度は、治療者を現実に把握した上での態度と転移による態度の混合物となる。これを見分けるのが大切で、かつ困難なことである。観察する治療者側にも逆転移が起こるので一層複雑になる。自分一人で考えるのではなく、複数のスタッフの目で考える習慣を持っておくと、次第に自分を客観視できるようになるだろう。また、スーパーバイザーがいれば役立つ。転移には陽性転移と陰性転移があり、陽性転移は治療者を好きになる方向の感情、陰性転移は治療者を嫌いになる方向の感情である。 1310 逆転移 counter-transference 転移は患者が治療者に対して抱く無意識の心の動きであるのに対して、逆転移は治療者が患者に対して抱く無意識の心の動きである。無意識層のことであるからコントロールは難しいが、逆転移が治療の妨げにならないように自己点検する必要がある。そのためにスーパーバイジングや教育分析が役立つ。 1311 転移神経症 主治医との関係に限定された神経症のこと。現在の神経症に対して精神療法を始めると転移が発生し、患者の心を占めるのは現在の葛藤ではなくて過去の葛藤になる。この状態では現在の症状はいったん消えるので転移性治癒という。一方で過去の葛藤が活性化されることにより別の神経症症状が発生する。これを転移神経症という。フロイトの精神分析療法では神経症を転移神経症に変換し、症状を診察室内に限定した上で治療を進める。 1312 生活技能訓練 SST:social skills training =社会生活技能訓練 ストレス・脆弱性モデルと認知行動療法、社会学習理論を基礎として、ロールプレイなどを活用して生活技能や対人行動を身につける訓練のこと。たとえば服薬自己管理や症状の訴え方、また買い物の仕方などを身につければ日常生活のストレスを減らすことができる。結果として再発を防止しつつ生活を拡大することができる。しかし日本の各病院に本来の好ましいSSTが根付くにはまだ時間がかかりそうである。 1313 視床下部 hypothalamus 視床の下にある部分で間脳に属する。自律神経の中枢であり、内分泌のセンターでもある。視床下部ホルモンは下垂体ホルモンの分泌をコントロールしている。 1314 ヤロムの集団精神療法の治療因子 ヤロムは個人精神療法に比して集団精神療法が治療的である理由を考察してまとめている。 (1)よくなるという希望をもつこと:実際によくなっている人をみれば納得できる。 (2)普遍性:病気で苦しいのは自分だけではないのだと気付く。 (3)情報:病気、薬、治療についての知識を深める。 (4)思いやり:愛他的行為により、自己評価を高める。 (5)家族関係についての修正感情体験:これまでの人生で十分でなかった家族関係を補うことができる。 (6)社会適応技術の学習:これこそ集団の中で学べる。ときにはSSTなどを用いる。 (7)行動を模倣する:よいモデルを模倣することができる。 (8)対人関係の学習:社会の中では優しい人ばかりではないが治療的集団ならば対人関係学習に適している。 (9)集団凝集性:まとまりができて帰属意識が生まれる。アイデンティティ形成に役立つ。 (10)カタルシス:ひとりでいると発散のしようがない。 (11)実存的因子:人間は連帯することによって強くなるのだと感じ取ることができる。 1315 離人症 depersonalization ものの実感が感じられなくなる状態。本人は病識を有していて大変辛い。しかもその行動を見ているだけでは他人からは異常が分からない。特有の不快さで言葉にすることは難しいと訴える。伝統的に次のように分類している。 @内界意識離人症=自己の体験や行動の能動感消失=人格感消失(狭義の離人症) 訴えの言葉は「喜怒哀楽が感じられない。つまらないとも思わない。何も感じない。頭が麻痺している。自分がやっているのは分かるのに、自分がしているという実感がない」などである。 A外界意識離人症=外界対象の実在感の希薄=現実感消失または非現実感 「自分のまわりにベールが一枚かかったかのようだ。実感がない。生き生きとした感じがない。見慣れているもののはずなのによそよそしい。」 B身体意識離人症=身体の自己所属感の喪失・自己感覚の疎隔=自己身体喪失感 「自分の体ではない。暑さ寒さの感じがない。自分の体が生きている感じがしない。」 これらの離人症状は精神分裂病、うつ病、神経症などで起こり、治療は原因疾患の治療を進める。 1316 老年期痴呆 →図 dementia in senium アルツハイマー型老年痴呆と脳血管性痴呆を代表とする、老年期の痴呆症。老年期痴呆、老年痴呆、老人性痴呆などがあり紛らわしい。老人性痴呆はもっとも広い呼び方。それを年齢で区切った場合、65歳以降に発症したものを老年期痴呆、それ以前に発症したものを初老期痴呆と呼ぶ。病気の原因で区別すれば、脳血管性痴呆(出血や梗塞)、変性症(アルツハイマー病、ピック病)に大別できる。 1317 老年痴呆 senile dementia =アルツハイマー病 アルツハイマー病はもともとは初老期の痴呆を指したが、65歳すぎに始まる老年期タイプの場合も病気の本質は同じであるということで、初老期も老年期も、アルツハイマー型の脳変性がある場合にアルツハイマー病または老年痴呆と呼んでいる。記憶障害、見当識障害、感情障害、性格変化、思考障害、行動異常などの痴呆症状が、血管性痴呆に比して直線的に進行し、全般的痴呆を呈するに至る。初期から病識に乏しい。ピック病ほどではないが早期からの人格障害があり、神経学的症候や脳局所症候が目立たないことが特徴である。脳萎縮や脳室拡大がCTやMRIで確認できる。治療には脳代謝改善薬などが用いられる。 1318 コラム 痴呆は治るか? 「痴呆は治らない」という先生と「痴呆も治る」という先生がいるが、どちらが正しいだろうか。 医者の用語としての痴呆は脳の不可逆性の変化を指しているから、脳病理に厳密な先生は「痴呆は治らない」といわざるを得ない。治らないものを痴呆と呼ぶからだ。しかし臨床の実際では「ひどい物忘れ」から始まる一連の病態を広く痴呆と呼んでいるから、その症状の中には非痴呆性の可逆的なものも含まれている。そこで「痴呆にも治るものもある」ということになる。 もうすこし詳しくいえばこういうことだ。老人性痴呆の症状の中には、神経細胞の変性(これが不可逆的)による「中核症状」と、それ以外の「周辺症状」(これが可逆的)とがある。この見極めが大切である。たとえば尿失禁の場合、脳の排尿中枢の神経細胞が変性した結果の尿失禁であれば治らない。そうではなくて、反応性の症状であれば、環境調整したり薬剤を工夫すれば回復する可能性がある。物忘れにしても、中核症状として起こっているのか、それとも意識障害などの結果起こっているのかで回復するかどうかが違ってくる。意識障害を治療して結果として物忘れが治ったという場合、専門的には「痴呆が治った」とはいえないが、一般には「痴呆が治った」といっても間違いではないだろう。 1319 フォン・ドマールスの原理 述語の一致から主語の一致を結論したり、部分の一致から全体の一致を結論する思考法を古論理的思考あるいは述語論理、フォン・ドマールス(von Domarus,1944)の原理と呼ぶ。アリエティは「聖母マリアは処女である。私は処女である。だからわたしは聖母マリアである。」「スイスは自由を愛している。わたしは自由を愛している。だからわたしはスイスだ。」などを例としてあげ、このような形式の思考は古代人の神話、未開人の神話、幼児や分裂病者にみられるとしている。また、ただしこのことは未開人や分裂病者の劣等性の証拠ではないと注意している。アリエティによれば未開思考と分裂病性思考との類似点は分裂病者の妄想を理解する手がかりになる。ほかには決定論的因果律に対する目的論的因果律も分裂病理解の同様に手がかりになるとしている。 1320 自我親和的と自我異和的(または違和的) ego syntonic and ego alien(またはdystonic) 欲求、思考、感情、行動、妄想、症状などが自分にとって親しみを持って受け取られるものか、逆に違和感を持って受け止められるものかを示す言葉。たとえば幻聴が自我異和的な場合には悩んで治療を求めるが、幻聴を自我親和的に感じるようになると病気とは考えなくなる。ある分裂病の人は「聞こえているのは幻聴ではないんです、耳の奥に子供がいるんです、聞こえなくなると寂しくてね」と自我親和的な幻聴を教えてくれたりする。 1321 添え木療法 急性期を過ぎて落ち着いた分裂病者に妄想を再燃させる刺激を与えると微小再燃が起こる。この賦活再燃現象を治療目的で引き起こし、再燃から回復に至る過程を経験してもらい、病気に対処するこつを会得してもらう。この過程で治療者は「添え木」の役割を果たす。社会復帰を目指す時期には患者が主体となり治療者が添え木になることを指摘していて特に意義深い。 1322 「すっぱいブドウ」で防衛している人の精神療法 →没 「あの人が好きだと思っていたけれど、あの人は奥さんとは別れられないと言った。そうしたら急につまんなくなった。本当は彼を好きじゃなかったことがわかった」と語りつつ、仕事に集中できないOLさんの場合。 「すっぱいブドウ」は防衛機制の中の合理化に属し、「甘いレモン」と対照的である。ブドウが食べたいと思ったのにかなえられなかったとき、あのブドウはすっぱいからむしろ食べなくてよかったと自分を納得させる。しかし心の奥底ではやはりブドウは食べたいのである。その欲求を抑圧するために理由をつけている。ときにはこれが成功せず葛藤に悩むことがある。その場合は治療として「自分は本当はブドウが食べたいんだ、あのブドウがすっぱいなんて言い訳だ」とはっきり悟ってもらう方法がある。また、「あのブドウを食べるかどうか、すっぱいかどうかにこだわらないで、もっとおいしいオレンジを探しましょう」と目標の再設定を勧める方法もある。前者は直面化の技法、後者は隠蔽の技法である。 1323 ストックホルム症候群 stockholm syndrome ストックホルムで起こった銀行強盗事件の人質が、強盗に好意的になり警察に対して敵意と恐怖を示した。強盗の寛大さに感謝したりもした。このことから、強盗や監禁に際して被害者が加害者に対して陽性の感情を抱く状態をストックホルム症候群と呼ぶ。拡張した用い方として、家庭内暴力などの日常の暴力的関係の被害者が加害者に対して逆説的に好意を抱く状態を指すこともある。 1324 文化結合症候群 culture-bound syndrome 限定された地域の特殊な文化的背景のもとでみられる精神病状態で、マレー半島のラターやアモク、日本ではアイヌのイム、沖縄のカミダーリィなどがある。現地の人は病気とは考えていない場合がある。 1325 睡眠相後退症候群 人間の概日リズム(サーカディアンリズム)は約25時間であり、現代人はこれを24時間周期の社会生活時間に合わせて生きているのが通常である。社会生活時間に合わせられなくなる状態のひとつに睡眠相後退症候群があり、夜寝付きが悪く朝起きられない状態が慢性的に続く。たとえば午前2時に寝て午前11時に起きるので社会生活に支障が出る。出社困難や登校困難の一部をなす。治療は高照度光療法、ビタミンB12、メラトニン、ベンゾジアゼピン系入眠剤、入眠覚醒時間を計画的にずらしてゆく方法などがある。 1326 セロトニン症候群 serotonin syndrome 主に抗うつ剤の投与中に発症する副作用で、下痢や自律神経症状が中心である。脳内のセロトニンが過剰になるためと推定されているが詳細は不明である。 1327 ラビット症候群 rabbit syndrome 抗精神病薬の投与中に出現する、口唇をすばやく規則的に開閉する不随意運動を指す。うさぎの口の動きに似ていることから名付けられた。薬剤性パーキンソニズムに近いもののようで抗コリン剤で改善する。 1328 対人距離 他人との心理的な距離のこと。分裂病の人たちは一般に人見知りで躁うつ病の人たちは一般に人なつっこい。このことを分裂病者は対人距離が遠く、躁うつ病者は対人距離が近いという。また別の観察によれば、対人距離の取り方が硬直していて、はじめは遠く、ある時点で急激に接近しすぎるといったようにぎこちないのが分裂気質の特性である。 1329 レム睡眠とノンレム睡眠 REM period,NREM period 睡眠はレム期とノンレム期のふたつに分けられる。レム期とは急速眼球運動 Rapid Eye Movement の頭文字をつなげてREMと呼んでいるもので、この時期にはまぶたの下で目がきょろきょろ動いているのがわかる。夢を見ていることが多い。眠っているのに覚醒型の脳波パターンを呈するので逆説睡眠とも呼ばれる。主に身体の眠りで、ノンレム期よりも系統発生的に古い。一方、ノンレム期は大脳の眠りである。 レム             ノンレム 逆説睡眠 正睡眠 急速眼球運動・夢多い 体動あり・動睡眠 静睡眠 ノルアドレナリン    セロトニン 自律神経全般に低下・不安定 副交感神経優位 体の眠り 大脳の眠り 古い 新しい 年齢によらず一定 赤ん坊で少なく・成人で多く・老人で少ない 1330 役割 role 精神分裂病者は社交技術が拙いため集団参加が苦手なことがある。世間話をしながらだんだん集団に溶け込んでいくことができない。その場合には治療者の側で役割や係を決めてあげたほうが集団参加がスムースにゆくことがある。 1331 頭蓋内脳動脈瘤 intracranial aneurysm 先天的なものが多く、脳底動脈に多い。大きくなると動眼神経を圧迫して動眼神経麻痺を引き起こすことがある。破裂して出血すると致命的なことがあり、40〜50歳代に好発する。脳ドックなどで早く見つければ死なないですむ。 1332 受容@ acceptance 他人を受け入れ、肯定すること。カウンセラーの患者に対する態度として用いるときには、患者の何を受け入れ肯定するかによって、違いが生まれる。いわゆる受容派は患者を人格として無条件に受け入れ尊重し、あるがままのその人全部を受け入れる。ここに価値判断はない。アンチ受容派は患者の心の健康部分を受け入れる。 ロジャーズは受容を「積極的・肯定的関心」と同義であるとしている。またカウンセラーと患者の両方が「私は理解され受け入れられている」と感じている状態が真の受容であるとする。 受容派と反受容派の考え方の違いは人間観の違いにもよるが、おもに対象としている患者の病理の違いによるとも考えられる。全面的に受容すれば育ってゆく患者は病理としては深くないといえる。病理の深い患者には受容と非受容の両方を適切に使う必要がある。 たとえば、母親は子供の全部を深いところでは受容している。しかし浅い部分では教育の方法として部分的反受容を用いるのである。治療者の態度としてもこの区別が必要である。 治療者が受容という言葉に縛られて、きちんと指導できないことがある。受容が必要な場面と指導が必要な場面とを区別する必要があるだろう。 1333 受容A acceptance カウンセラーのクライエントに対する態度として、受容がある。ロジャーズによれば「無条件の肯定的・積極的関心」と同義であり、クライエントをひとりの人格として重んじる態度である。しかしこのことはクライエントの現状を無批判に肯定することではない。カウンセリングとは批判することではないが無条件に肯定したり受容したりすることではない。無条件に関心を持つことと無条件に受容することとは全く違う。 受容すべきなのは患者の今現在外にあらわれているままの言葉や行動ではない。よく生きたいと願うクライエントの心を受容するのである。その人の健康な自我と同盟するという「自我同盟」と似たところがある。 クライエントの現状ではなく、可能性を受容すると表現してもよい。 このように見てくれば、よく生きるとは何か、現状よりも他の可能性がよいのかなどについて価値観が入り込む。治療にセラピストの個人的な価値判断が過剰に入りこむことのないよう、自己コントロールするのがプロである。 無条件の受容は治療的退行を引き起こす。それは治療効果を狙ったうえでの意図的な退行操作であれば許される。どのようなクライエントに治療的退行が有効であるのかを厳密に見極める必要がある。治療者によってまた施設によって方針が違うだろうが、我々としては生育の歴史の中に葛藤の根源があるタイプの神経症に限って、治療的退行が適応となると考えている。その他の場合には、退行操作は自我の脆弱性を亢進させてしまうので、禁忌である。このような事情から、受容的態度の前に、正確な診断が不可欠である。 1334 受容B acceptance カウンセラーがあるがままのクライエントを無条件に受け入れること。他者に無条件に受容されるという体験には人間を変える力がある。それまでの人生で、無条件の受容を経験してこなかった人の場合には特に大きな影響を及ぼす。 しかし一方で受容的態度は退行を促進することもある。退行が治療として有効かどうかを見極める力を持たないと悪い結果を招くこともあり、カウンセラーとしても危機に至ることがある。こうした見極めに専門性が発揮される。 退行的面接とは逆に、現実検討を高めるカウンセリングも大切である。これも受容的態度で可能である。 1335 カウンセリングの治癒因子 図を参照。@治療構造A専門知識B人格(自己一致)にわけて説明する。 @まず重要なのが治療構造である。時間、場所、その他いろいろな約束。治療構造がしだいに内在化されてゆく。それはクライエントが社会化されてゆくということでもある。 A専門知識はカウンセリングの中心である。薬、性格、行動、症状などに関するアドバイスであったり、ともに考える姿勢であったりする。 B人格の影響は患者の深層に浸透してゆく。患者の成長は実はこのレベルで起こる。ここで大切なのはロジャーズのいう自己一致(congruence)の原則である。治療者自身が言葉と行動、感情を一致させ、さらには本来の自己と現在の自己を一致させることである。この点での不一致を見てしまうと患者は治療者を信頼しなくなる。 Aは意識のレベルへの影響、Bは無意識のレベルへの影響と考えてもよい。治療者としても、Aは意識的にコントロールできるが、Bはコントロールできない部分もある。 1336 コラム カウンセリング カウンセリングで何が大事か、何が原則かという問題についてはいろいろなレベルで答えがある。ロジャーズはカウンセラーに大切な態度として@自己一致A共感B積極的関心C無条件の関心の四つをあげている。ここではカウンセラーの成長の度合いに応じてみていこう。 @もっとも低級の答えは、「自分の考えを押しつけず、クライエントの話を傾聴する」といったものである。カウンセラーの「自分」を消去することが求められる。しかしただ単に傾聴と受容になってしまう場合もある。 A受容だけでは務まるはずもないので、ときに対決・説得・助言の場面も必要になる。「自分を出す」ことになる。しかしこれと「自分の考えを押しつける」こととの違いを明確に意識していなければならない。これは難しいが、結局高いレベルの常識があるかどうかということになるだろう。しかしそのような世間の常識というものは、世間で世間並みに仕事をしているからこそ得られるのであって、診察室で話を聞いているだけでは充分に身につかないものかも知れない。カウンセラーはたとえばサラリーマン以上に世の中や人間について知っているかといえば、疑わしい。逆にカウンセラーは何も知らないが安定はしている、それだけでも価値があるのかも知れない。 Bさらに高級になると、再びカウンセラーの「自分」というものが消える。 Cさらに高次になると人間の深い部分での交流になる。これは実際の社会生活の中でもまれにしか存在しない。 1337 集団精神療法の言葉 集団を記述する言葉とメンバー間の関係を記述する言葉を我々は十分に持っているかが問題である。我々の現状では、個人の内面から見た対人関係を記述する言葉が多い。対人関係そのものに焦点を当てた言葉、集団そのものに焦点を当てた言葉が不足している。集団のことや対人関係のことは、個人の内面の記述に還元できないからこそ、集団の心理学がある。集団を観察し記述し介入するための前提として、必要十分な言葉を持つこと。たとえばビオンなどを勉強することから始める。 集団全体を記述することと、個々のメンバーについてカルテを書くこととの間には越えられない溝がある。力学でも熱力学は個々の粒子についてではなく全体の記述を工夫している。 1338 集団精神療法の技術 @集団設定 デイケアなどの集団精神療法では、集団を編成するにあたって、どのような性格の集団として設定するのかがまず第一に重要である。参加者は何人にするか、年齢、性別、疾病、病態レベル、社会機能レベルをどのように設定するか。時間、場所、休むときの連絡の要否、自由参加か限定参加か、参加の目的、結果の評価方法、家族との意思統一、途中参加の可否、卒業制か否か。集団設定としては、退行のレベル設定も大切である。どこまで現実的でどこまで空想的な集団であるか。 個々のメンバーについて参加の可否を検討するときに重要なこととしては、対人関係パターンの把握、集団内での振る舞いについての予測、患者の目的とそれがどの程度達成されるかの予測、目的達成のための必要条件と乗り越えるべき困難、患者にどんな役割を期待するかなどがあげられる。 治療者は自分でメンバーを選ぶことが大切である。集団精神療法で何をしたいかは、どんなメンバーを選ぶかということとほとんど同じである。 A集団運営 つぎに集団運営の問題としては次のような項目があげられる。プログラム内容はレクリエーション主体か訓練的か。リーダーシップのあり方。個人精神療法との組み合わせ方。患者への情報のフィードバックの仕方。治療者間の役割分担の仕方(A-Tスプリットなど)。特に、集団場面の指導と、個人精神療法での指導とを組み合わせる技術が大切である。それぞれを異なる治療者が担当するのがよいかも知れない。 B集団の無意識 集団の動きを把握するにあたっては、グループ全体の無意識が治療者に向かって反応を起こす場合やその逆の場合など、転移逆転移を個人の無意識と集団の無意識との間に考える必要もある。 1339 コラム 相貌化について 色盲検査の絵を見たときに、最初は何だかよくわからなくて、しだいにくっきりと絵が見えてくることがある。 よく見慣れている漢字なのに、何かの拍子に違和感を感じることがある。法律の法は「サンズイに去る」などと分解して考えると腑に落ちない。しばらくしてまたいつもの感じに戻る。 雲や木目をじっと見ているとアイスクリームや人の顔が浮かび上がってくることがある。しかし一瞬の後にはただの雲や木目になる。 こうしたことがらを「相貌化」という考え方で説明してみよう。相貌とは顔かたちという意味であり、相貌化は「形が意味を持つようになる」といったような意味である。 形+相貌化=意味のある形としての認知 と表現できる。リンゴのリンゴらしさを描く芸術はこの相貌化作用と深く関係している。 色盲検査の場合には、少しの時間をかけて相貌化作用が進行するわけだ。また、見慣れた漢字が意味のない形に分解してしまうのは、「脱相貌化」である。相貌化が戻って来ればまた意味のある普段の漢字になる。雲や木目が意味のある形に見えてしまうのは「過剰相貌化」である。通常の相貌化に戻るとただの雲と木目になる。 さて、相貌化作用が欠如している病気があるとして、どのような症状になるだろうか。机を見ても机という意味のまとまりとならずに木の板があるだけと感じられる。それが通常は机といわれているものだとはわかる、目的もわかる、しかしそれは頭で理解しているだけで「机の実感」が欠けている。テレビを見ても、色の粒子が見えるだけの感じだ。風景は絵葉書のように平板で、生き生きとした感じがない。目に見える形を実感を伴う生き生きとしたものとして把握する「何か」が欠けている。これが脱相貌化の状態であり、精神医学でいう離人症である。 逆に、相貌化作用が過剰になる病気があるとして、どのような症状になるだろうか。壁のシミは人の顔になり私をあざけり笑っている。鳥の鳴き声はスパイの通信になり私を陥れようとしている。家族のなにげない挨拶は世界の破滅の合図になる。ものごとに過剰な意味を付与している状態であり、精神医学でいう幻覚妄想状態である。 離人症や幻覚妄想状態のすべてを説明するものではないが、一部はこのような成り立ちをとっているものと思われる。特に、一人の患者さんが離人症と幻覚妄想状態の両方を体験している場合には相貌化作用の不安定として説明できる可能性がある。 1340 絵画療法 art therapy 言語チャンネル以外の表現のひとつである絵画を利用した精神療法。レクリエーションの意味あいが強いものから、診断的意義が強いもの、治療関係を作る方法としてのもの、カタルシスを狙うもの、さらにはイメージの世界の再構成を狙うものまで、幅広い。 具体的に紹介すると、 @空間分割法。画用紙に線を引いて画面を分割し色を塗る。 Aなぐり描き法。スクリブル(scribble)法では、自由になぐり描きした線に色を付ける。スクイグル(squiggle)では治療者と患者が交互になぐり描きと色付けを行う。 Bバウム・テスト。木を描いてもらう。 C人物画。グッドイナフ。人間の全身像を描く。 D風景画法。TPH(木、人物、家)をセットで描くものや川、山、田、……と順次描く風景構成法がある。 E家族画法。家族が何かしているところを描く。 このなかでも風景構成法が特に有用である。 1341 風景構成法の@方法 中井久夫の創案になる。はじめは箱庭療法への導入の適否を判定する資料としての意味あいもあったという。 B5のケント紙にサインペンでまず枠を描く。枠なしの技法もある。川、山、田、道、家、木、人、草花、動物、岩・石・砂、その他つけ加えたいものの順に描く。次にクレヨンで色を付ける。最後に味わいつつ、絵についてすこし話す。診断の意味もあり精神内界の再構成の意味もある。患者は解釈を聞きたがるが、一枚の絵ですべてが分かるというものでもない。中井はP型(paranoid)とH型(hebephrenie)に分けている。解釈はこの程度が妥当であると思う。 生活で観察される精神機能から推定される風景構成と、実際に描いた風景構成が著しく食い違うことがある。予想外に高く出る場合と、予想外に低く出る場合とがある。このあたりも診断的価値がある。 風景構成法の難点は、絵の上手と下手とでは所見の意味が違ってくることである。人が線画になったとして、書き慣れていない、または下手であるということなのか、人間に対する態度の何かが反映されているのか、線画という所見だけからははっきりしたことは言えないだろう。この難点を解消する技術が求められる。 1342 風景構成法のA解釈 治療者はクライエント個人に特有のイメージシステムを理解し、それを前提として解釈する。たとえばうさぎが描かれたとして、それは何を意味するのかと考える。その際に、昔の夢分析ハンドブックのように公式の当てはめになってはいけない。そのイメージはその人の心のどの層のどの部分から出てきたのか、その人の心に即して考察する必要がある。一般化しすぎることは危険であり、むしろ内容ではなく形式を解釈する態度が必要である。ロールシャッハの解釈に似ていると考えてもよい。 各個人の内部のイメージシステムを個人的意識、個人的無意識および集合的無意識に分類して考える。個人的無意識とは個体発生(生育歴)の途上で蓄えられたもので、集合的無意識とは系統発生の途上で蓄えられたものである。各アイテムがどの層から出現し、どの層の加工を受けたものかを考えることで、患者の病態レベルを推定できる可能性がある。 逆に、絵画などで表現することによって、イメージシステムが次第に明らかになる面もある。治療に伴って変化もする。その変化を患者治療者で共に味わうことが大切である。 風景構成法にも、陽性所見と陰性所見が含まれている。たとえば、他の構成度は高いのに、人が線画になっている場合。また、家だけが色を塗られず放っておかれている場合。これらはいったん高度に構成されたものが部分的に解体したものと見なすことができるだろう。これは強いサインである。 1343 風景構成法のB治療的意義 自分を表現する手段として言葉とは別の経路を使うことにまず意義がある。つぎに治療者との関係も言葉を解したものとは別のものになる可能性がある。さらには「風景構成の再獲得により、世界連関を再獲得する」ことができれば治療的である。しかしこれが可能かどうかははっきりしない。「世界連関の再獲得は風景構成の再獲得につながる」ことは確かだと思うが。 1344 風景構成法におけるC観察自我 自分で描いた絵を下手だとか、不自然だとか評価できる場合も多い。この場合には、描く機能としての風景構成(世界連関)は失われているが、それを観察して評価する部分の風景構成は失われてはいないことになる。これはまた考えてみれば、体験自我と観察自我の分離を前提とした場合、観察自我は解体されずに保持されていることを示している。従って治療も観察自我と共同すること(治療同盟)が有効であることになる。 1345 隔離 isolation =孤立 本来は結びついているはずの思考、感情、行動などを別々に区切ること。たとえば屈辱感の記憶を感情を抜いた調子で語る場合など。決まり文句や儀式的行為にみられる。フロイトは強迫症に特徴的と述べた。 1346 解離 dissociation =分離 意識の一部分が全体から分離され、あとで健忘が見られること。解離性ヒステリーの場合の解離である。二重人格の場合など。 「分離」には文脈によってdissociation,isolation,splitting,separationなどの言葉が対応するので注意が必要である。 1347 被害妄想 persecutory delusion 妄想に基づいて、自分は被害を受けていると確信している状態。精神分裂病に多く、老年期痴呆でもしばしばみられる。 分裂病で被害妄想が圧倒的に多いのは、被害的な感じ方が人間心理の基底状態として存在しているからであると思われる。何かの妄想が発生する条件が整ったとき、人間は一般に被害的な内容を注入するものだということだ。そのくらい臆病であった方が身を守り、種を守ることができたはずである。しかしときにはその傾向が行き過ぎた形であらわれて被害妄想になる。 また別の考えによれば、分裂病状態のときには世界は見慣れない異様な場所として体験され、まるで言葉も通じない異国で一人さまようような心細さであると言われる。そのような場合に人は過敏で被害的・警戒的になる。この指摘によれば、被害的状態は反応性であり、了解可能であるとさえいえる。被害妄想は原発的に生じるのではなく、最初のプロセスは世界が混乱し意味不明となることで、それに対する反応として被害妄想が生じる。 このような考え方が生まれるのも、分裂病の症状として他の妄想に比較して被害妄想の出現が非常に多いからである。 1348 夢@ dream 夢の不思議さを経験した人は少なからずいる。人生の大切な決定を夢に後押しされた読者もいるのではないか。昔から夢のお告げは重要であった。年寄りは「夢見が悪いから何か悪いことが起こるかも知れない。気をつけるように」などと子供に言ったものだ。火事の夢を見たらどういう意味だとか、そのような夢判断の本は昔から盛んでいまも売れている。 1900年にフロイトが「夢判断」を発表して、新しい世紀が始まった。フロイトは夢は無意識への王道であると考えた。無意識の内容は普段は抑圧されているが、睡眠中は検閲がゆるんで圧縮、置き換え、象徴化などのメカニズムにより夢に加工される。これらのメカニズムの逆をたどれば夢から無意識内容にたどりつけるはずである。その後フロイトは夢よりも自由連想法を重んじたが、ユングは夢を積極的に治療に用い、夢には心のバランスを回復させる機能があると考えた。 現代の心理療法でも夢を題材とすることがある。夢は主にレム期に見るもので、大脳皮質機能が低下し脱抑制状態になり下位層の機能が出現する。ちょうどその層で問題が起こっている場合には夢を題材とすれば治療的である。 またタイミングがよければ夢はそれ自身がカタルシス効果を発揮する。 河合隼雄に「明恵 夢を生きる」の著書があり、夢に関心のある人には薦められる。 1349 トランスパーソナル心理学 transpersonal psychology 「超個心理学」と一応訳しておく。自己実現からさらに一歩進んで「自己超越」を視野に入れる。ユングの集合的無意識を前個的無意識(過去の無意識)と超個的無意識(未来の無意識)とにわけて考え、超常体験や至高体験、宇宙意識などを単なる病気とせずに通常の意識以上のものとして扱おうとする。ケン・ウィルバーやスタニスラフ・グロフを吉福伸逸らが紹介している。宗教体験やニューエイジサイエンスをも取り入れている。 1350 比較文化精神医学 transcultural psychiatry,comparative psychiatry 文化と精神病の関係から始まり、異文化が出会うときの精神病の発生、さらには伝統文化と近代テクノロジー文化の出会いと精神病の発生などを研究する分野。精神病の病像理解には個人の脳病理を研究するだけでは不十分で、文化状況を含めた発病状況をみることが大切である。 1351 強迫症 obsessive-compulsive disorder(OCD) =強迫性障害、強迫神経症 強迫症状とは、自分としては出てきてほしくないと思っている考えや感情、行動が意志の力ではやめられない状態を指す。確認強迫や手洗い強迫が典型であり、思考、感情、行動は自我異和的であることが特徴である。思考や感情の内容が不合理、反道徳、自分の趣味に合わないなどの点で自我異和的であることもあるし、思考の出現する時と場合が不都合でそぐわないことから自我異和的と感じられることもある。その出現は「圧倒的」であることが特徴である。 軽度の場合には一種の癖と思われている場合もある。爪をかむことなどがその例である。たとえば完全癖といわれる程度に薄まれば、症状というよりは性格傾向のひとつと考えられる。強迫性格は几帳面、完全主義、自己中心的、堅苦しさ、秘められた攻撃性などが特徴である。 ジュディス・ラパポート著「手を洗うのが止められない」(晶文社)は、強迫性障害にどんなに多くの人々がどのように悩んでいるかをいきいきと描いており、一読の価値がある。 清潔強迫の裏側には不潔恐怖がある場合があり、確認強迫の裏側には自己不確実性性格がある場合があるなど、症状の成り立ちの考察も面白い。 無意味であると一方では考えながら、一方ではそれをやめられない。しかもどちらも自分自身の考え・行動である。こう考えれば、一種の自我障害としてとらえることができる。 強迫症状がある場合、背景にうつ病や精神分裂病がある場合もあり、また特にそういった背景はなく強迫症または強迫神経症と呼ぶべき場合もある。背景病理によって治療は異なるので、診断は専門医に相談すべきである。うつ病を背景に持つ強迫症と精神分裂病を背景に持つ強迫症、さらにそれ以外の強迫症の違いがどこにあるか、同じものなのかという問題については、興味深いが確定的な結論はないのが現状である。 かつてはフロイトによる精神分析的理解が主であったが、クロミプラミン(商品名アナフラニール)などの三環系抗うつ剤、ブロマゼパム(商品名レキソタン)などの抗不安薬がよく効くことが知られてからは、脳内神経回路の問題として考えられることが多い。特に、人類の歴史をさかのぼり、過去のいずれかの時点で適応的で有利であった行動が脳の神経回路として残存し、それが現在の生活には不適応であるのにひょっこり顔を出してしまったために強迫症状が生じるといったタイプの解釈がなされている。 人間社会に広く分布する儀式や迷信を考察するにあたっても重要な視点となる。特に宗教と倫理の方面では強迫性格者の果たす役割は小さくない。文学者倉田百三は、数字を加減乗除しないではいられない強迫症や、いろはを最初から最後まで何度も繰り返し唱える強迫症など、自身が体験した多彩な症状を書き残している。 1352 コラム 強迫症の診断 「何度も皿を洗ってしまうんです」と訴える人を単純に強迫症と診断してよいわけではない。 ただ単にある行為を反復するだけでは強迫行為とは言えない。@不合理性の自覚A行為や思考の自己所属感があるB自己能動感が希薄になり自動性が高まるなどの指標が必要である。 例えば、皿洗いや手洗いを反復している患者について、「皿が何回洗っても本当に汚れているから」とか「洗い終わって水切りかごに立てるときに汚れてしまう、気のせいではなく本当に」といえばそれは妄想に属する。 「皿が何回洗っても汚れているような気がする」「そばにいる人にもうきれいになったよといってもらうと安心して皿洗いをやめられる」というなら、自信欠乏者である。 「皿がきれいになったことは分かっているけれど、何となくやめられない、十回だけ洗おうと決めている」「まだ汚いという考えがひとりでに浮かんできてしまう。本当はきれいになっていると感じてはいるが、その考えが浮かんでしまうとまた洗わなくてはいけない」などというなら、強迫症である。 「洗ったかどうか忘れてしまう」という場合もある。これは記憶の病理である。 実際に洗い方が悪くてきれいにならないから何回も洗う場合もある。これは不器用。 また、強迫症で「まだ汚い、また洗わなくてはならない」という考えが浮かぶ状況の中で、その人の洗い方が実際に下手で汚れがいつも残るとしたら、思考内容と現実は偶然一致しているわけである。この場合には強迫症は隠蔽される。 用語の厳密な用い方の一方で、体験の構造をあまり問題とせずに行為の外観だけで強迫行為と名付けていることも実際の臨床場面ではあるので注意を要する。 強迫は脅迫とは全然違うけれども、診察室で「わたし脅迫症なんです」「息子は脅迫的になってしまって」などと語る人たちもいる。これも注意を要する。 1353 不安障害 anxiety disorder 神経症性不安を共通項としてまとめて考えて、次のような疾患を不安障害と呼ぶ。@不安神経症(パニックディスオーダー)、心臓神経症、過呼吸症候群、A恐怖症。たとえば対人恐怖症、空間恐怖症、単一恐怖症、強迫神経症など。B全般性不安障害。 不安には現実不安と神経症性不安がある。現実不安は現実の状況に対する相応の反応であるのに対して、神経症性不安は現実の状況とは相応しない過度の不安である。パニックのときの不安には、死ぬほど怖い、我慢できない、自分をコントロールできない、人に分かってもらえないなどの特徴があり、呼吸困難、心悸亢進、胸痛、窒息感、めまい、手足のしびれ、発汗、ふるえ、気が遠くなるなどの身体症状が伴う。 神経症性不安にはパニックと全般性不安がある。パニック発作を引き起こす明確な外部刺激のある場合には恐怖症であり、外部刺激なしにひとりでに起こる場合はパニック障害である。 パニックはないものの、普通少しだけ不安になるようなさまざまなイベントに際して、釣り合わないほどの不安を抱くのが全般性不安障害である。たとえば子供のピアノ発表会や会社の朝礼などに対して過度の不安が起こる。人生はさまざまなイベントの連続であるから、不安が持続する結果になる。 1354 パニック障害(パニックディスオーダー) panic disorder =恐慌性障害、不安神経症 不安障害の中で、パニック発作が主徴となるタイプのもの。パニック発作に類似の体験を探すと次のようなものである。 たとえばあなたが道を歩いていたら、大きな犬が向こうから歩いてきたとする。近づくにつれて心臓はどきどきする、息は詰まりそうになる、冷や汗がでる、口は乾く、だんだん血圧が上がる。そばには飼い主もいるし、鎖もついているから噛みつかれることはないと思うが恐くてたまらない。いよいよ一番近づいたときにその犬は大きな声で「ワン!」と吠えた。何かにガツン!と殴られたような衝撃で、息が止まるかと思った。鳥肌が立った。脈拍は頂点に達し、失禁しそうだ。足がすくんで動かない。犬が通り過ぎてからも体ががたがた震えている。本当に死ぬかと思った。しばらくたってようやく歩けるようになった。家に帰るまでずっとめまいがしていた。「ただいま」の言葉も言えなかった。鏡を見ると顔面蒼白だった。水を一杯飲んでやや落ち着いた。強く握った手のひらは白く冷たくなっていた。 このような事件がパニック発作に似たものである。二度と経験したくないものだ。犬に吠えられるのも嫌だが、不安発作はもっと嫌なものだという。原因が分からないし、強度も強く質的にやや深い。 このような激烈な体験であるから、また起こったらどうしようかと持続的な不安に支配されるようになる。これを予期不安と呼ぶ。パニック発作よりは弱い不安である。二度と同じ目にあいたくないと考えて危険を回避するようになり、回り道をしたりする。これを回避行動と呼ぶ。特にパニック発作が起こったときに逃げられない場所や助けが得られない場所を回避するようになればアゴラフォビア(または広場恐怖、空間恐怖)を伴っていることになる。 治療はイミプラミンやアルプラゾラムが有効である。アルコール、カフェイン、麻薬、覚醒剤などがパニックを惹起することがある。寝ているときでもパニック発作が起こることなどから、原因については心因性の見方から生物学的な見方へ移行しつつある。 診断に際しては予期不安の有無と広場恐怖の有無について記載し、パニックの起こる状況について誘因物質も含めた詳細な問診が必要である。 1355 恐怖症 phobia 具体的な対象や状況に対して強烈な不安を感じる状態。不安障害のひとつであり、広場恐怖、対人恐怖、不潔恐怖などがある。対人恐怖には加害妄想や被害妄想の側面があったり、不潔恐怖は清潔強迫としてあらわれたりなど、他の病態との重なりも考慮する必要がある。 都会のクリニックでは「電車恐怖症」が問題となる。電車に乗ることができない点では共通であるが、妄想状態、うつ状態、性格障害、アルコール症、対人恐怖症などさまざまな状態を背景に持っているので鑑別診断が大切である。 1356 コラム →没? 恐怖症と妄想 外部現実についての訂正不可能な誤った確信は妄想であるが、「内部現実」(つまり自分の感情や信念)に関しての訂正不可能な誤った確信については何と呼んでいるだろうか。たとえば「私は胃ガンだ」と言うのなら、調査の結果「心気妄想または疾病妄想」などと言える。しかしたとえば「私は電車が恐い」と言う場合にはどうなるだろうか。 自分の心の状態について妄想を抱いているときには、他人はそれを妄想と言うことはできない。「頭を冷やせ」と言えるだけである。たとえば、恋愛の場合や宗教的確信の場合がそうである。「自分は愛している」「自分は信じている」との主張に対して、他人は「妄想」と判定することはできない。 「私は‥‥が恐い」と言う場合、これも検証できない性質のものである。本当に恐いかも知れない。しかしそれは妄想かも知れない。厳密にいえば本当に怖い場合は恐怖症で、妄想の場合には妄想状態である。これは区別できるのだろうか、区別すべきだろうか。 1357 アゴラフォビア agoraphobia =広場恐怖、空間恐怖 本来の語義は、アゴラすなわち広場、街、マーケット、人混みの中などに行くことに対する恐怖症ということであるが、DSM診断でパニック障害の診断に際してアゴラフォビアがあるかどうかが問われる場合には、特定の場所や状況に関係した恐怖症があるかという意味である。その場合には閉所恐怖(エレベーター、電車、飛行機など)や外出恐怖(一人で街を歩けないなど)も含んだ概念に拡張して用いている。 正確にいえば、「不安発作が起こったとき、助けがないか、安全な場所・状態に避難できないような場所や状況」を恐怖し回避することがアゴラフォビアである。その結果、外出できる場所が制限されたり、独りで外出できなくなったりする。 実際の症例では、患者は具体的なそれぞれの場所について安全か危険かをはっきり区別しているようである。ある患者の例をあげよう。 「自宅は安全、自宅まですぐに帰ってこられる場所なら安全、信号を渡った先はもし信号が赤ならすぐには帰ってこられないので危険。しかし横断歩道を渡りきったところにクリニックを見つけ、不安発作が起きたらそこに駆け込めばいいと発見したら、横断歩道の先もしばらくは安全。ひとりだと危険だが誰かと一緒なら安全。自宅にいるときも、30分以上ひとりでいるのは危険。急行電車はしばらく停まらないから、不安発作が起こったときにすぐ降ろしてもらえず危険。各駅停車なら閉じ込められている時間が短いので我慢できるかもしれない。地下鉄は理由が分からないが危険。タクシーはすぐに停めてもらえるので安全。」安全領域と危険領域がこのように区別されている。 アゴラフォビアも広場恐怖、空間恐怖も内容をよく伝える名前ではないのでわかりにくい。 1358 コラム 精神疾患の分類(「(広義の)精神病の見取り図」参照) まず何が精神疾患であるか、これは自明ではない。たとえば同性愛はかつては精神疾患のひとつとして分類され、DSMで分類番号が与えられていた。しかし現在では精神疾患ではないと見なされている。したがって精神疾患かどうかはいつでも議論の余地を含むものであると考えておいてよいだろう。 さて、身体疾患の場合には組織病理診断(病理)と生活障害診断(症状)と二つのレベルで考えることができる。組織病理診断で病変がある場合が病気である。普通は組織病理病変があればそれに対応する生活障害がある。組織病理診断で病変があっても、生活障害がない場合もある。それは症状はないけれども病気である。組織病理病変がないけれども生活障害(症状)がある場合がある。そんなとき身体科の医師は神経症とか心因性とか考えて神経科・精神科に紹介する。 表 組織病理診断  生活障害診断(症状) ○ ○ 通常の病気 ○ × 病気はあるが症状はない × ○ 症状はあるが病気はない(神経症・心因性) 生きているうちに画像診断したり、死後に解剖したりして、脳に病変が発見されるとき、脳器質性疾患という。脳腫瘍、脳外傷、アルツハイマー病をはじめとする変性疾患、アルコール症などである。 脳器質性疾患は組織病理診断でも生活障害診断でも病気であると判断されるので、身体疾患と同じ考え方で対処できる。 また、他器官の疾患があり、それによって二次的に脳に障害が現れる場合があり、症状精神病という。この場合は原疾患と脳の異常のあいだの関係を厳密に考える。 以上の二つを除外した場合、つまり脳や他器官に脳の異常の原因となるような組織病理診断が何も見つからない場合を非器質性疾患または機能性疾患と呼んでいる。 機能性疾患を内因性精神病と神経症に分けている。内因性精神病には精神分裂病と内因性うつ病、躁うつ病、非定型精神病がある。神経症にはパニック障害、全般性不安障害、強迫症、恐怖症、神経症性うつ状態、心気症、ヒステリーなどがある。内因性精神病と神経症の区別はいくつかある。症状としては「現実を歪めて認知しているかどうか」(現実検討という)が最も重要である。そのほか経過の特性、予後、病前性格、遺伝負因、発病状況などの点で区別される。 内因性精神病と神経症については組織病理診断の裏付けがないのに症状はあるものという定義にとどまっており、これは医学的な観点からは消極的な定義と言わざるを得ない。 従って、内因性精神病と神経症についてはいくつかの考え方が許されることになる。 内因性精神病は「まだ発見されていない脳器質性原因」によるものであるとし、神経症は「心因性」の原因によるものとするのが現在主流であると言えるだろう。薬剤への反応、症状の特性、経過の特性、予後、病前性格、遺伝負因、発病状況などが推定の根拠となる。 しかし両者ともいまだ発見されていない脳器質性の原因があるのだとする考え方もある。神経症の中でも特にパニック障害と強迫性障害は薬剤への反応やその他の証拠から器質性疾患と考えるべきだとの考えが強まってきている。また、心因性とは言うものの、同じ心因にさらされても発症する場合としない場合があり、発症する場合も精神病症状を呈する場合から神経症症状を呈する場合まである。だとすれば、心因は症状発現のきっかけであると言うべきで、発病を準備しているのは精神病と神経症共に器質性要因であると言うべきである。 この議論は微妙なところがある。脳の機能は全て脳内の活動として記述されるとすれば、そしてそれは現在では当然の過程だと思うのだが、すべての症状はそれに対応する器質性のプロセスの記述を持つ。そのプロセスが異常であるか否かという議論は「異常」という言葉の定義にかかわることになる。 また一方では内因性精神病も神経症も、器質因が見つかっていないから暫定的に非器質性だというのではなく、積極的に非器質性であるとする立場がある。これは従来から根強い考え方で、心のストレスが症状を引き起こしたと見る常識的な因果関係の感じ方の延長上にある。 1359 コラム 最初期症状 病気の症状は「一次症状+二次症状(一次症状に対する反応)=総合症状」と考えることができる。たとえば高血圧は「高血圧+二次的不安=総合症状」という成り立ちになっている。精神症状の場合にはやや複雑である。「精神症状+二次反応=総合症状」であることは同じであるが、二次反応が正常反応でない場合が多い。つまり「原発異常+異常反応=総合症状」である。原発異常が何か、それに対する反応は何か、と分けて考えることが難しい。原発異常が何かを知るためのひとつのヒントは、精神異常の一番始まりの時点で何が起こっているかである。二次的異常反応が起こる前の時期に症状をつかまえられれば、それが原発異常ではないか。最近はこのような立場での分裂病の最初期症状の把握が話題になっている。 1360 離人症@感覚の動揺 離人感は動いているはずである。感覚は「変化」をとらえるのである。離人も長く続いて固定していれば、違和感もなくなるはずである。従って、苦しいからには揺れ動いているはずである。離人症の場合に「物体が目に飛び込んでくる」「ものが急に大きく見える」などと訴えることがある。このように揺れ動いているはずだ。揺れていることが患者自身に分からないのは何か理由があるのではないか? 1361 離人症A離人症と幽体離脱 幽体離脱は体外離脱のこと。幽体とは「霊魂」であり、それが身体を離脱すること。臨死体験で霊魂が離脱して状況を斜め上方から見ていたりする。また非常に強いショックを受けたときに離人体験が生じ、その状況を映画でも見ているように客観的に眺めている。これは幽体離脱に近い状態になっていると考えられる。DSMの離人症の記述は幽体離脱体験に近い。「自己の精神過程または身体から遊離し、自分が外部の傍観者であるかのような感情の体験」「ロボットになったような、夢の中にいるような感情の体験」などと記述されている。「自分は自動人形になってしまった」という感じが発展すると、自己が二重になったり、行動する自己と、それを外部から眺める自己とが二つに分かれてしまうこともある。 離人症を身体から霊魂が離れると解してみる人もいる。取り残された身体は自動機械のようになる。これはひとつの比喩として面白い。 1362 離人症B離人症と能動性 離人症を知覚障害の系列で考えてみたくなるのは理解できる。離人症を理解していない人はまず感覚器の検査をするだろう。知覚障害は、末梢感覚障害(低次の末梢の問題)と失認(高次の中枢の問題)とに大別できる。離人はこの系列で考えれば、超高次の機能障害とも考えられる。 離人が感覚の能動性の障害であると記載されるのはなぜか。浅い意味では、「自分が何かしているという実感が薄れる」という症状をとらえて、能動性の障害と言っているようである。 しかしさらに深い意味も考えられる。人間が何かを知覚するときには、ただ受動的に感受しているのではない。知覚には能動性が含まれている。コウモリが自分から超音波を発して、その反射を受け取るように、人間の側から対象に「網を投げかけるようにする」能動性が含まれている。 たとえば、目で見るときも手で触っているように能動性を発揮している。目は「ざらざらした」質感をとらえるが、それは手が能動的に動くことによって獲得する感覚である。 またたとえば眼球を固定した場合、視覚的認知がどれだけ制限されるかという実験がある。眼球を動かして能動性を発揮することによって、感覚を手に入れていることがわかる。能動的に感覚するから実感が生まれる。 こうしたことから考えると、知覚には能動性が関与していることがわかる。そして離人症が能動性の障害であるという記述の深い意味がここにある。 1363 コラム 離人感の訴えの例 「ビルが並んでる景色を見ても、本当かなと思う。何だか目で見ただけでは信じられなくて、手で触って確かめてみたいと思うような感じ。でも、遠くにあるビルだとそんなこともできない。 街並みがどんよりとしていて、なんともいえない感じ。 自分の手が、本当に自分の手なのか、納得がいかない。指先から肩までつながっていることを確認する。動かせば動くから自分の手だなとは思うけれど、本当かなという感じは残る。 景色もガラスを通してみているようです。きれいなガラスでも、窓ガラスを開けてみると、やっぱり違うでしょう、そんな感じ。何が違うんだといわれると困る。でも苦しいくらいに違うんです。」 「自分が生きているかどうかもわかんなくなっちゃって、手首を切るでしょう、すると血がプーッと出て、その瞬間にね、ああ生きてるんだって思えるわけ。だからまたやっちゃいますよ、絶対」 1364 集団療法の現代的意義 対人関係病理に対しては集団精神療法が大切である。しかもますます専門性を高めた集団精神療法である必要がある。その理由について説明しよう。 コンピュータの世界ではイントラネットとインターネットという言葉がある。会社を例にとると、会社内のたくさんのコンピュータをつないで情報交換をするのがイントラネットである。会社のコンピュータと外部のコンピュータをつないで情報のやり取りをするのがインターネットである。省略していえば、会社内ネットと会社間ネットである。 精神科の世界でもこれと同じ事情がある。個人内(イントラサイキック:intrapsychic)病理と対人関係(インターパーソナル:interpersonal)病理という。個人の心の内部の連絡と他人との連絡であり、それぞれイントラネットとインターネットに対応する。 フロイトの時代の神経症はヒステリーに代表されるような個人内(イントラサイキック)病理が原因だった。個人の内面での葛藤はイド、エゴ、スーパーエゴなどの装置で考察するのが適切であったし、治療としては個人精神療法が有効であった。 たとえばフロイトの時代には個人の心の内部での厳しすぎる超自我が問題であった。厳しい超自我と強い抑圧、しかしそれに負けないほどの強い欲望があって、神経症が成立した。治療は個人内の超自我と欲望の葛藤を直視するよう導くことであった。ここに他人との関係は登場しない。個人内部での問題であった。 しかし現代ではそのような強力な超自我はそもそも存在しない印象である。倫理の葛藤や正義の感情が問題になることはあまりない。むしろ人々は対人関係に悩んでいる。病理の中心は個人内病理から対人関係(インターパーソナル)病理に変化している。対人行動レパートリーの少なさ、対人圧力に対する耐性の低さ、対人交流モードの違う相手に対応できないことなどが原因である。これらは個人の内面の問題というよりも、他人と関係する部分の障害である。治療場面の設定としても対人関係場面が必要となり集団精神療法の技法が要請される。 このように現代では集団精神療法の意義が注目されていることをふまえて、つぎに診断と治療の二面にわけて説明しよう。 まず集団場面を設定することによる診断的価値が重要である。集団内で対人関係の困難が発生する様子を実際に観察することができる。次に集団内では個人精神療法の場合よりも多彩な転移関係が展開するので、個人の内面の特徴や問題点を幅広く把握することができる。 次に集団の治療的価値について述べよう。集団の性格として患者クラブのようなものから訓練的なものまでいろいろある。患者クラブのようなタイプのものは受容的で退行促進的である。SSTグループのような訓練的グループは生活再建的で人格成長促進的である。インターパーソナルな病理に対して、努力すれば社会適応が改善すると診断された場合には、むしろ訓練的グループで治療を試みるべきである。従来の患者クラブはいわば「竜宮城」だった。現実から遊離した空間で時間を楽しく過ごしたものの、社会復帰には役立たなかった。 また、集団精神療法は個人精神療法や薬物療法と複合させることで効果的になることが重要である。 社会復帰をめざすことは、社会の価値観に寄り添うことである。それが良いことかどうかと問い直すことも大切であろう。しかしまずとにかく生きることが大切だ。霞を食べて生きられるわけではない。デイケアにいるよりも、仕事をした方がいい。一人でいるよりも結婚して家庭を持った方がいい。そのような常識的な価値観にまず妥協しよう。食えるようになったらゆっくりと哲学しよう。 1365 デイケアの目的 デイケアの目的には二軸ある。生活拡大の軸と生活深化の軸である。生活拡大の軸は病院から中間施設、さらには社会へと連なる軸であり、生活の場が移るに従って自由度が増大し責任も増す。生活臨床で提唱される「病院よりも家庭がいい、結婚して仕事を持つのがいい」という目標である。これは世俗の価値観そのままの軸である。 しかし生活はそれだけではない。病院にいても、中間施設にいても、職場や学校にいても、それぞれの場所で人生を深めることはできる。それぞれの場所で生活を深化させることが生活深化の軸である。 社会(職場、学校、家庭)  →生活深化 ↑ 中間施設(デイケア、作業所)→生活深化 ↑ 病院 →生活深化 生活拡大に役立つのは、服薬、生活指導、家族関係調整、SSTをはじめとする生活訓練などである。 生活深化に有効なのは、メンバーやスタッフと人生をわかちあう意識である。 1366 夢A分析 無意識内容が加工されて夢になる。したがって加工を逆にたどれば無意識内容がわかる。このプロセスをさらに精密に考えることもできる。 @無意識内容が加工されて夢になるプロセスは、「身体的刺激や日中の経験の残りかす」が素材となり、それに「無意識」が構造を与え、結果として夢が成立する過程であると考えられる。 A夢は回想でしか語られない。さっき見た夢を思い出しながら語る。ここに必ず意識の作用が加わる。 したがって、夢分析をするときにはまず語られた夢から意識作用を引き算して正味の夢を再現する。その夢の構造を手がかりとして無意識の構造を探る。素材についてはその人の生活環境を推定させるにとどまる。 ロールシャッハテストと対応させるて考えると、「身体的刺激や日中の経験の残りかす」はインクのシミに当たる「素材」である。 「無意識が構造を与える」ことについては、たとえば建築であれば、建築素材に設計図が構造を与えることにたとえられる。ワープロであれば、テキストファイルに書式や文書スタイルが構造を与えることに似ている。 たとえば夢の中に蛇が出たとして、それが何を意味するか、これが伝統的な夢分析である。 まず、雨水が地表を流れる場合を考えてみよう。どのように流れるかは雨水の性質によるのではなく、地表の構造による。溝がどのように走っているかが雨水の流れ方を決める。雨水でなくてもオレンジジュースでも石油でも同じである。雨水は素材で、地表の溝が構造である。 夢の場合は蛇が何をするかが問題である。蛇は素材で、構造は別にある。「睡眠中の身体的刺激や日中の経験の残りかす」が素材であり、それらがどのように結合されるかを無意識の構造が決定する。 幻覚妄想についても同様の事情がある。幻覚妄想の素材で分類することは、心理内容を反映している。幻覚妄想の形式で分類する作業は、脳の病理を反映している。 夢でも幻覚妄想でも、何が素材で何が構造であるか、考える必要がある。 1367 アニマル・アシステッド・セラピー animal assisted therapy:AAT =動物介在療法、アニマル・セラピー 動物を使うことにより治療を促進する治療法。運動療法としての乗馬、情緒障害児童に対しての犬やイルカと遊ぶ治療法などが有名であり、そのほか老齢者や心筋梗塞患者についてもペットの有用性が確認されている。ペットそれ自体が患者の心理と身体を和らげたり元気を引き出したりする一方で、ペットを仲立ちとして治療者や他者との交流が円滑になる効果もある。ペットの病気に注意することが必要である。米国には動物性格判断士がいて動物の性格診断をして適切な動物を選ぶ。なおAAA:animal assisted activity は動物介在活動のことで動物やペットと触れ合うこと全般を指す。AATは治療目的のものを指す。 1368 CAPP companion animal partnership program 社団法人日本動物病院福祉協会(JAHA:Japanese animal hospital association)が展開しているヒューマン・アニマル・ボンド(H.A.B:human animal bond)を基礎とした人と動物の触れ合い活動。犬や猫をはじめとする動物とともにボランティアが病院や施設を訪問する。「ペット」は愛玩の意味が強いためコンパニオン・アニマルの呼称が採用されている。 1369 GHQ general health questionnaire 1370 MAPS make a picture story 人格投影法検査 1371 MPU medical psychiatric unit 精神身体合併症治療専門病棟 1372 SSRI selective serotonin reuptake inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害薬 新世代の抗うつ薬。 1373 P-450(CYP) 肝ミクロゾームのチトクロームP-450のことで薬物代謝酵素のひとつ。シメチジン、ベンゾジアゼピン、三環系抗うつ剤、カルバマゼピン、アルコールなどの多くの薬物がP-450で代謝される。したがってアルコールと薬剤を同時に摂取すると悪影響が出てしまう。P-450には多数の分子種があり、CYP2D6、CYP1A2、CYP2C19、CYP3Aなどがある。 1374 略号と代表的日本語表現一覧表 AA :Alcoholics Anonimous アルコール患者匿名会、断酒会 AAS :ascending activating system  上行性賦活系 ACA :Adult child of an alcoholic アルコール依存症の親のもとで育った大人、アダルトチルドレン ACh :Acetylcholine アセチルコリン AChE :Acetylcholinesterase アセチルコリンエステラーゼ ACOA :Adult child of an alcoholic アルコール依存症の親のもとで育った大人、アダルトチルドレン ACTH :Adrenocorticotropic hormone 副腎皮質刺激ホルモン AD :Alzheimer disease アルツハイマー病 ADC :AIDS dementia complex エイズ痴呆症候群 ADD :Attention deficit disorder 注意欠陥障害 ADH :Alcoholdehydrogenase アルコール脱水素酵素 ADHD :Attention deficit hyperactivity disorder 注意欠陥多動障害 ADL :Activities of daily living 日常生活動作 AI :Artificial intelligence 人工知能 AIDS :Acquired immunodeficiency syndrome 後天性免疫不全症候群、エイズ ALDH :Aldehyde dehydrogenase アルデヒド脱水素酵素 ALS :Amyotrophic lateral sclerosis 筋萎縮性側索硬化症 AN :Anorexia Nervosa 神経性食思不振症 ANS :Autonomic nervous system 自律神経系 BBB :Blood-Brain Barrier 脳血液関門 BN :Bulimia Nervosa 神経性過食症 BPO :Borderline Personality Organization 境界パーソナリティ構造 BPRS :Brief Psychiatric Rating Scale 簡易精神症状評価尺度 CJD :Creutzfeld-Jacob disease クロイツフェルト・ヤコブ病 Cl :Client クライエント、相談者、来談者 CNS :Central nervous system 中枢神経系 CP :Clinical psychologist 臨床心理士 CP :cerebral palsy 脳性麻痺 CP :Chlorpromazine クロールプロマジン(薬物名) CPN :Community psychiatric nurse 地域精神科看護者。訪問看護担当看護婦にあたる。 CSF :Cerebrospinal Fluid 脳脊髄液 CT :Computed tomography X線コンピュータ断層法 CVD :cerebrovascular dementia 脳血管性痴呆 CW :Caseworker ケースワーカー CW :Careworker ケアワーカー DA :Dopamine ドーパミン Dr :Doctor 医師 DSM :Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 精神障害の診断と分類の手引き Dx :Diagnosis 診断 ECT :Electroconvulsive therapy 電気けいれん療法 EE :Expressed emotions 表出感情 ECG :Electrocadiogram 心電図 EEG :Electroencephalogram 脳波 FAS :Fetal alcohol syndrome 胎児性アルコール症候群 GABA :γ-aminobutyric acid ガンマアミノ酪酸 GAD :Generalized anxiety disorder 全般性不安障害 GH :Growth hormone 成長ホルモン HDS-R :Hasegawa Dementia Scale Revised 改訂長谷川式簡易知能評価スケール HP :Haloperidol ハロペリドール(薬剤名) 5-HT :5-hydroxytryptamine(serotonin) セロトニン Hy :Hysteria ヒステリー ICD :International Classification of Disease 国際疾病分類 ICU :Intensive Care Unit 集中治療室 LD :Learning Disabilities 学習障害 LLPDD :Late luteal phase dysphoric disorder 黄体後期不機嫌障害、月経前緊張症 LP :Levomepromazine レボメプロマジン(薬剤名) LTM :Long-term Memory 長期記憶 MAS :Manifest Anxiety Scale テイラー不安検査 MDI :Manic-depressive illness 躁うつ病 MID :Multi-infarct dementia 多発梗塞性痴呆 MMPI :Minesota Multiple-Personality-Inventory ミネソタ多面人格目録 MMSE :Mini-Mental State Examination ミニ精神機能検査(痴呆スクリーニングスケールのひとつ) MPU :medical psychiatric unit 精神身体合併症治療専門病棟 MR :Mental Retardation 精神発達遅滞 MRI :Magnetic resonance imaging 磁気共鳴画像法 MSW :Medical Social Worker 医療ソーシャルワーカー NE :Norepinephrine ノルエピネフリン、ノルアドレナリン NMR :nuclear magnetic resonance 核磁気共鳴法 Nr(s) :Nurse 看護婦、看護士 NREM sleep :non REM sleep ノンレム睡眠 OCD :Obsessive-compulsive disorder 強迫性障害 OT :Occupational therapy 作業療法 OT :Occupational therapist 作業療法士 PD :Panic disorder パニック障害 PDD :Pervasive developmental disorder 広汎性発達障害 PET :Positron emission tomography ポジトロン(陽電子)放出断層撮影法 PICU :Psychiatric Intensive Care Unit 精神科集中治療室 PMS/PMT :Premenstrual syndrome 月経前症候群、月経前緊張症 PSD :psychosomatic disease 心身症 PSM :psychosomatic medicine 心身医学 PSW :Psychyatric Social Worker 精神科ソーシャルワーカー Pt :Patient 患者 PT :Physical Therapist 理学療法士 PTSD :Post-traumatic stress disorder 心的外傷後ストレス性障害 RAS :reticular activating system 網様体賦活系 REM sleep :Rapid eye movement sleep レム睡眠、急速眼球運動睡眠 Rp :Recipe,prescription 処方 Rx :Recipe,prescription 処方 SAD :Seasonal affective disorder 季節性感情障害 SANS :Scale for the assasment of Negative Symptoms 陰性症状評価スケール SCT :Sentence Completion Test 文章完成テスト SCW :Social Caseworker ソーシャルケースワーカー SDS :Self-rating Depression Scale 自己評定抑うつ尺度 SPECT :Single photon emission computed tomography 単光子放出断層撮影法 SSRI :Selective serotonin reuptake inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害剤(新世代の抗うつ薬) SST :Social Skills training 生活技能訓練 STM :Short-term Memory 短期記憶 SW :Social Worker ソーシャルワーカー TA :Transactional analysis 交流分析 TAT :Thematic Apperception Test 絵画統覚検査 TEG :東大式エゴグラム egogram TGA :Transient global amnesia 一過性全健忘 Th :Therapist 治療者 TIA :Transient ischemic attack 一過性虚血発作 Tx :Treat 治療 VA :Valproate バルプロ酸(薬剤名) WAIS-R :Wechsler Adult Intelligence Scale,Revised 改訂版ウェクスラー成人知能検査 WISC-R :Wechsler Intelligent Scale for Children,Revised 改訂版ウェクスラー児童用知能検査 Y-G test :Yatabe-Guilford personality test 矢田部・ギルフォード性格検査 1375 ○略号解説・不採用 AA Achievement Age 知能年齢? AAMI Age-associated memory impairment AANB Alpha-amino-n-butylic acid AAS Anabolic-androgenic steroids ACT Adaptive Control of Thought ACT atropine coma therapy アトロピン昏睡療法 ADAP Alzheimerdisease-associated protein アルツハイマー病関連蛋白質? ADD Administration on Developmental Disabilities ADI Attention Deviance Index ? ADIS Anxiety Disorders Interview Schedule ADR Adverse drug reaction 薬物有害作用 AEP Auditory evoked potential 聴覚誘発電位 AEP Average evoked potential AFP Alpha-fetoprotein アルファフェトプロテイン:肝臓ガンのマーカー AGCT Army General Classification Test AHP Allied health professional AID Acute infectious disease(s) 急性感染症 AID Autoimmune disease(s) 自己免疫病 AID artificial insemination by donor AIMS Abnormal Involuntary Movements Scale 異常不随意運動スケール WAIS :Wechsler Adult Intelligence Scale ウェクスラー成人知能検査 WISC :Wechsler Intelligent Scale for Children ウェクスラー児童用知能検査 1376 マカトン法 ことばの発達の遅い子ども、自閉症、ダウン症、精神発達遅滞などを対象とした、サインと話し言葉の同時提示法による言語指導である。1972年に英国で開発されて以来、現在では広く世界に普及している。基本語彙は約350、発達段階と使用場面の広がりに応じて9つのステージがある。マカトンサインは音声言語に比べてイメージ性が強く学びやすいため重度の知的障害児にもコミニュケーション手段として適している。言語発達につれてサインは忘れられてゆく。他人に自分の内面を伝えられるようになると情緒が安定し、ことばの学習も進む。 1377 精神科では確定診断手順が欠如している ・このために精神病診断学の発達に難がある。 ・本質的な病変を確かめるためには、病変部をとってきて、指定された薬液で処理し顕微鏡で覗き、特有の像が観察されるかどうかを見る。ここで特有の所見があれば病理標本による裏付けがあることになる。 ・症状と病理変化の対応を論じるのが医学(診断学・症候学)である。例えば腎臓の病理変化と尿や血液の検査結果・症状との間の相関を論じることで、診断学は発達する。 ・症候学は、病理の推定のためにある。前景症候と背景病理といってもいい。精神科の場合には背景病理がはっきりしないのが難点である。 ・何のために患者情報を集めるかといえば、背景病理に行き着くためである。しかしその行く先が分かっていない。全く分からないかといえばそうでもなく、おおよその見当はついている。したがって薬剤の選択もできる。でも、確実ではない。 ・薬は概ねは前景症状に対して処方している。ときに背景病理に対して処方する。 1378 精神医学的診断の素材 現在症、経過、遺伝負因・家族歴、生活歴・既往歴、病前性格、ID(年齢、性、職業)などが手がかりとなる。(→これらを前景症状・状態像と背景病理・経過でまとめたい。) ・現在症……状態像の把握……行動、外見、思考(形式と内容)、気分(主観的)、感情(客観的)、異常体験(自我障害、幻覚妄想)、意識状態、記憶、見当識、知能、病識 ・経過……相性、シュープ、段階的、直線的など。またきっかけや状況因。 ・遺伝負因……親、兄弟、その他。生活や病気。 ・生活歴・既往歴……出生時状況、発達、学校適応、職業適応、結婚、薬物歴、宗教、病気、生活状況 ・病前性格 ・ID(年齢、性、職業) 1379 精神科診療では、治療者の精神が変性して行く。これは考察に値する一大事である。 昔、細菌の感染力に治療者自身が負けてしまう時代があった。伝染病の研究者が伝染病で死んだ。その後研究が進んで、感染防御対策がとられるようになった。 精神的なケアの場面でそのような傾向はないか、反省してみる必要があるだろう。いま精神的な何かの伝染に対してどのような対策がとられているか。治療者自らが感染症にかかってしまった時代にまだいるのではないか。 人間の中には悪い影響力を持った人がいる。原因は病気のこともあるし、性格の問題のこともある。治療者の側も次第に相談者の病気や性格偏位に影響される。治療者の人生は蝕まれる。治療者の心の中で何かが死んで行くのだ。何かが変性して行くのだ。それは決してよい方向の変化ではない。そのような人々との接触は回避して生きることが人生の智恵なのである。実は精神医学はそのことを裏の面から教えているともいえる。それなのに治療者はこうした人々と付き合わなければならない。防御の方法は確立されていないにもかかわらずである。これは矛盾している。精神医学の治療における根本問題だと思う。 「病気になった人も、性格に問題のある人も、自分で望んでそうなったわけではない。そのことを忘れないでいたい。また病気で覆い隠されてはいても、その背後に無垢の魂がある。性格の偏りの背後に無垢の魂がある。そう考えることもできる。誰もが等しく神の子であると表現してもいい。人間の尊厳ともいえる。そのような何かに対して我々は接するのだ。」 いろいろな言い方がある。しかしそれは遠くから空想するときにだけ正しい。言葉だけが美しいのだ。老人病棟の憂うつさの方がまだいいかも知れない。治療者をどれだけ蝕むかを考える必要がある。 治療者も長くなると、自分は優しいなどとは言えなくなる。その人ははじめは優しい人であったかもしれないのに。残念なことだ。 1380 精神病の症状に混入している神経症成分を正確に評価したい。 1381 三つに分かれた宮崎事件の鑑定書。内沼・関根鑑定は多重人格、中安は精神分裂病との鑑定書であった。これは矛盾しているのではなく、多重人格は全景症状、精神分裂病は背景病理ととらえればよいであろう。 1382 経過の特性↓ 現在症→ 分裂病性   躁うつ病性 相性Phase 非定型精神病 (治る)躁うつ病 シュープSchub 分裂病 (レベルダウンする)躁うつ病 一定持続 パラノイア ? 1383 フロイトが分析したO・アンナ。葛藤が変換されて症状になっている。これは「どんな」症状が起こったか、その理由を説明している。しかし「なぜ」症状が起こったかは説明していない。 袋に穴があいた。中から「どんな」液体が出てくるかについては精神分析は有効である。しかし「なぜ」穴があいたかについては説明していない。 そしてもっとも大切なことは、なぜ穴があいたかを知ることである。 1384 インターネットとインターパーソナル。コンピュータの比喩を使っていろいろな精神病理現象を説明する。 1385 A型行動パターン Type A Behavior Pattern =A型性格 勝ち気、短気、真面目すぎる性格の人は虚血性心疾患になりやすいと考えられ、A型行動パターンと呼ばれる。反対に大らかで競争的でない性格はB型行動パターンと呼ばれる。 A型行動パターンは心臓病専門医が、虚血性心疾患の患者達の待合い室での短気な行動特徴に気づき、研究を重ねた。その特徴はおおむね二面があり「@競争心が強い。決着をつけたがる。社会序列に敏感で上昇志向である。かっとなりやすい。攻撃的。のろまを見るといらいらする。能率を求める。スケジュールを詰めて入れる。A仕事熱心。勤勉。長時間働く」とされる。 反対のB型行動パターンは「沈黙を苦にせず他人の話に耳を傾ける。敵意を持たない。時間に神経質でない。遊びを心から楽しめる。やむを得ないことにはあっさりと従う。行列待ちでイライラしないで他人を眺めていられる。瞑想する。他人の未熟さや純粋さを許すことができる」などの特徴がある。 A型の人は成功への欲求が強いにもかかわらずB型の人よりも成功することが少ないともいわれ、しかも心臓を悪くする。だからB型のよいところを学ぶように勧められる。 1386 P-Fスタディ Picture Frustration Study =絵画フラストレーションテスト Rosenzweig.S.(1954)の考案した投影法人格検査。日常で起こりがちなイライラさせられる場面(欲求不満場面)を絵画と言語で提示し、それに対する言語反応をみる。主に攻撃性やフラストレーション(欲求不満)耐性の査定に用いられる。 1387 矢田部・ギルフォード性格検査 Yatabe-Guilford Personality Inventory =Y-G検査 質問紙法による性格検査のひとつ。ギルフォードによって創始され、矢田部が日本人向けに改訂した。120の質問で構成され、一定状況下での個人の反応傾向、興味傾向、性格特徴をとらえることができる。施行時間も短く、被験者の負担が少ないので利用しやすい。 1388 ミネソタ多面人格目録 MMPI:Minnesota Multiple-Personality-Inventory 1940年ミネソタ大学のハサウェイとマッキンレイによって発表された質問紙による性格検査。550項目からなり、被験者は各項目について「はい」「いいえ」「どちらともいえない」のいずれかに自己評価していく。施行時間は60〜90分であるが60分以内にしたい場合は、383項目の短縮法をもちいることもできる。550項目は性格特性をあらわす臨床尺度と結果の有効性をみる妥当性尺度とにわけられる。結果は各尺度ごとに採点され全尺度のプロフィールパターンから人格の特徴を推論する。 1389 連想テスト    →没 association experiment ある刺激に対する連想の性質を調べる手続きのことを一般に連想テストという。刺激として言語を用いる言語連想テストが代表的である。刺激語に対して反応語を求める方法と、刺激語から連想される言葉を次々に言ってもらう方法の二種類がある。 1390 MAS Manifest Anxiety Scale =テイラー不安検査 1953年にテイラー(J.A.Taylor)が作製した顕現的慢性不安の測定を目的とした質問紙法検査。質問項目はMMPI(ミネソタ多面人格目録)から抽出された50項目と、検査目的をあいまいにするためにつけ加えられた165の中性な意味の項目からなっている。日本ではさらに項目を少なくしたものが用いられ、日本版MMPIとも呼ばれる。被験者の一過性の精神状態を反映していると考えられる。 1391 田中・ビネー式知能検査 Tanaka-Binet-Test ターマン(L.Tarman)の新改訂スタンフォード・ビネー知能検査法を原法として、1936年田中によって標準化されたもの。1歳級から優秀成人級までの120問から構成されている。検査で得られた精神年齢と実年齢から知能指数を算出する。2歳から成人までが適応範囲である。知能検査としてはWAIS、WISCなども用いられる。 1392 ベンダー・ゲシュタルト・テスト Bender-Gestalt-Test 正しくはベンダー視覚・運動ゲシュタルト・テストという。幾何学図形を白紙に模写させ、それを分析する。見本カードを見ながらの模写と記憶による模写の二通りがある。脳器質性疾患のスクリーニングによく用いられる。 1393 ロールシャッハテスト Rorschach Test 1921年スイスの精神科医ヘルマン・ロールシャッハによって創始された投影法人格検査で、この種の検査ではもっとも有名である。検査刺激として左右相称形のインクのしみ10枚を用いる。この刺激は投影法検査の中でもっとも非現実的・非具象的である。この刺激図を被験者に見せ、連想するものを列挙させ、次に図のどの部分をとらえたか、図のどのような特性からその反応語を連想したかについて説明を求める。解釈法は量的分析と質的分析とに大別される。量的分析とは反応を所定の記号に分類し、その記号の出現する頻度や比率からパーソナリティの諸傾向を推定する方法である。計算に便利なコンピュータソフトがある。質的分析とは、各反応が生起する継起を、刺激図の特性、反応の内容、言語表現上の特性などと結びつけて、心的機能の働き方や方向をとらえる方法で、継起分析とも呼ばれる。この二つの分析法を統合することにより解釈が深められる。 1394 バウムテスト tree test スイスのコッホにより1949年に体系づけられた描画による投影法人格検査のひとつ。「実のなる木を一本かいて下さい」の教示のもと自由に樹木画をかく。A4用紙に4B鉛筆が一般的である。樹木形態、筆跡、空間象徴を観点として人格査定を行う。比較的抵抗なく実施できる利点がある。 描画法としては他に、「人物」、「家族」、「HTP法(家、樹、人をかく)」、「統合型HTP法(家、樹、人を一枚の絵にかく)」、「風景構成法」、「自由画」などの手法がある。 1395 インターパーソナルとイントラサイキック 日本的といわれる「甘え」という言葉自体が、日本の病理のインターパーソナルな特質をよく表現している。 内的対象関係論にしても、内界に取り入れられた内的対象が問題なのであって、外的対象が問題なのではない。たとえば、内界に取り入れられた「母親」と内界の何かの関係が問題なのであって、外在する実際の母親と何かの問題が語られているわけではないのだ。 内的対象関係論はイントラサイキックな事態を論じている。 1396 ウェクスラー成人知能検査 WAIS:Wechsler Adult Intelligence Scale もっとも広く使用され、もっともよく標準化された知能検査。児童版はWASC、幼児版はWPPSIである。言語性IQ、動作性IQ、全IQが算出され、各下位検査間のばらつきが有用な情報となることもある。とくにテストをしなくてもしばらく一緒に遊んでいればほぼ正確に知能指数を把握できると専門家は語っている。 1397 TAT Thematic Apperception Test =主題統覚検査 被験者に「ベッドの中に裸の女性がいてそのそばに男性が立っている」などの絵を見せて、ひとつの物語を作って話すよう要求する。絵が30枚と白紙が一枚用意され、被験者の明確にしたい葛藤領域に応じて適切な絵が選ばれる。語られた物語についてその構成、語彙、先入観、人物、動機などについて分析される。 1398 SCT Sentence Completion Test =文章完成テスト 被験者に「わたしが好きなのは……」「ときどきわたしは……」などの不完全な文章を提示し、完成してもらう。数量化には適さないが性格傾向や問題のありかを広く浅く把握するのに適している。記入には時間がかかり心理的負担も少なくないが、面接時の話題の偏りを補う点で有用である。 1399 TEG 東大式エゴグラム egogram 交流分析理論を背景として、自我状態のバランスをグラフにしたもの。自我を五つの側面にわけ、CP:critical parent(father) きびしい父親的側面、NP:Nurturing parent (mother) やさしい母親的側面、A:adult 理性的大人的側面、FC:free child わがままな子供的側面、AC:adaptive child 人に合わせるよい子の側面のそれぞれについて評価する。グラフにすると直感的に把握しやすい。自己記入式で手軽にできる点も好ましい。人格の浅い部分の評価であり、治療につれて変化がみられる。心療内科だけではなく精神科でも社会復帰療法場面では大変役立つ。 1400 浜松方式早期痴呆診断法 「かなひろいテスト」などの前頭葉機能テストにより、早期で軽度の痴呆を診断する。この段階では廃用性の脳萎縮と考えられるので、生活スタイルを改善することにより痴呆の進行を止めたり痴呆から脱することができる。具体的対策としては対人交流を増やし、外出や運動の機会を持ち、日記をつけたり生きがいのある暮らしを心がける。人とのふれあいの中で脳活性化訓練に取り組むのがよいとされる。痴呆ドックと脳活性化プログラムをセットにして提供する施設が増えるよう望まれる。 1401 まとめたいこと。 分裂病性自我障害発生の時間遅延理論。 躁うつ病のMAD理論。 神経症性内因性分裂病も加えて精神病の見取り図を作る。 シュープ性の躁うつ病を加えて精神病の見取り図を作る。 インターパーソナルとイントラサイキックについてまとめる。 神経症について理論化できないか考える。 1402 病院という組織 縄張り主義 仕事を増やしたくない 偏狭な仲間意識(身内と他人を峻別する) 生き甲斐は何か?仕事の意味は何か? 仕事の区分を明確にする、その上で連絡の仕方を明確にする 目標を明確にする。価値設定。評価設定を明確にする。 生き甲斐・働きがいを積極的に作る、あるいは演出する 自分は何を達成したら評価されるのかを明確化する。 「よい治療」とは何か。「よい病院」とは何か。どんなビジョンを持つか。それが大事。ただ単に入院患者数が問題なのではないだろう。ではどんな数字を改善すればよいのだろうか。それを明確に提示すること。そこに本質的な工夫がある。それが発展のレールをひくことになる。 入院受け入れ→急性期治療→集団療法→社会復帰療法→退院訓練期→退院・通院・デイケア この流れの中で誰がどのようにかかわり合うか、見通しよくなるように考える。 重なり合いも含めてグラフ化して明確化する。 パラメディカル=ワーカー、看護、心理などのかかわり方の明確化。 たとえば、入院受け入れの最初の窓口がワーカーになることの是非。 医療の原則として、過度の原則主義も困るし、過度の経営主義も困る。そのバランスが大切である。 1403 病棟の機能分化を推進する。急性期病棟、社会復帰療法病棟、療養型病棟などに分類する。慢性長期療養患者と急性期患者を混在させているから業務が煩雑になる。たとえばカーデックスの問題。慢性患者には必要ないだろうと考えても無理はない。 社会復帰療法病棟の仕事……集団精神療法+個人精神療法、患者教育(病気、服薬、再発、コーピング、社会資源の活用法)、家庭生活・社会生活への適応改善。 療養型病棟については本来の医療の分野ではなく福祉の領域であると考えられる。 1404 ストレスと免疫 ストレスフルな状態で免疫能が低下することは一見矛盾している。ストレスが高く疲労状態の時には食欲も低下し、やる気がないから食物を取りに出かける元気もない。栄養状態か悪くなれば感染の危険も高まる。そんなときだからこそ、免疫能を高めて防御を万全にしておいた方が生存可能性が高まるだろう。しかし現実は逆で、ストレスが高くうつ状態に傾いたときには免疫能が低下する。これではひと思いに死んでしまえと言っているようなものではないか。 適応不全状態のときに免疫能が低下するのは、個体の生存可能性を低くする。しかし一方で、DNAの変化を促進し、遺伝子レベルでの適応改善の可能性を高くする。これがポイントである。 この仮説の検証のためには免疫状態が低下すると遺伝子が変化しやすくなる、つまり、血液睾丸関門がゆるめられ、外来ウィルスが精子に組み込まれやすくなる。その時に流通しているウィルスは、そのときに適応的な遺伝子のかけらを切り取って運んでいる。 1405 一般市民向けの講演会。精神病と老人性痴呆。 1406 精神分裂病についての今の理論(自我障害に関する時間遅延理論) 自由意志の錯覚はなぜ発生するか その錯覚が失われたときに自我障害が発生する 1407 うつ病についての今の理論(MAD) 脳神経細胞の特性としてMADを考える。実際は連続的な特性である。 熱中してM細胞がダウンするとうつ状態が生じる。 M細胞が再生するとうつも治る。 ・病前性格を説明する。 1408 神経症性内因性分裂病について 病態レベル↓ 内因                心因 精神病 分裂病(=精神病性内因性うつ病) 心因反応 躁うつ病 拘禁反応 神経症 神経症性内因性分裂病 神経症 神経症性内因性うつ病 パニック GAD 解離性障害 1409 精神病分類表 分裂病性 うつ病性 シュープ性(再燃性) 分裂病 ?レベルダウンする躁うつ病 ファーゼ性(相性) 非定型精神病 躁うつ病 1410 神経症についての今の理論 1411 MMSE ミニ精神機能評価 1412 痴呆の一面として、廃用性萎縮の要素がどの程度混入しているか評価する必要がある。つまり、 痴呆症状=老化+血管性機能障害+廃用性萎縮 この三つの要素を見分けて考えるべきである。 老化が病的に早くおこるのがアルツハイマーと考えてよいか。賛否がある。ウェルナー症候群は病的早期老化。 1413 bio-psycho-socio 「からだ・こころ・くらし」と訳す。 からだは看護婦、こころは心理、くらしはケースワーカー、全体を医師がみる。 1414 病者の困難を、疾病と障害の複合としてとらえる。 疾病は医療モデルで医師・看護婦・心理がかかわる、障害は福祉モデルでリハビリ医師・OTが中心になる。 1415 通院相談期→入院受け入れ→急性期→社会復帰リハビリ期→在宅支援・通院期→自立・通院期 このそれぞれの場面でどの職種がどのようにかかわり役割を分担するか、考える。主にかかわるのは誰か、方針を決めるのは誰か、責任はどこにあるのかを明確化する。 ・仕事を明確化して考えることで、漏れがなくなる。会議もはかどる。 1416 社会復帰のために ・何が欠けているのか評価する。 ・どうすれば補えるのか、解決できるのか、考える。 ・欠けている場合、廃用性萎縮の面と、本質的な欠落の面の二つがある。 ・廃用性萎縮ならば、訓練で取り戻すことができる。 ・本質的な欠落ならば、代用を考える。 ・SSTは本質的欠落に対して、「良肢位に固定する」ことを考える。 1417 院内で職種間の連結を改善することがまず大切。次に、院内完結ではなく、周辺社会資源も連動する形を考える。地域担当保健婦のカンファレンスへの参加が大切。 1418 SSTと集団精神療法の違い 陰性症状は障害として固定していることが多い。その障害が、本質的欠損なのか、廃用性萎縮なのかを区別する必要がある。痴呆の鑑別で本質的脳委縮(老化またはアルツハイマー性変化)なのか廃用性萎縮なのかの鑑別が重要であるのと同様である。 たとえば歩けない場合、足がないのは本質的欠損であり、義肢が必要である。歩かない期間が続いて筋肉の萎縮がおこっている場合には廃用性萎縮であり、通常の意味での回復訓練をすればよい。両者の間には本質的な差がある。 精神病の場合に、本質的欠損に対しての対応がSSTである。義肢に相当するのが良肢位での固定である。廃用性萎縮に関しては、レクや作業を中心とした集団精神療法などがよい。 ・分裂病で集団機能が失われた場合、本質的欠損にあたり、SSTがよい。 ・分裂病性幻聴があり、閉じこもりが長く続いた。集団機能の本質的欠損はなかった。この場合には廃用性萎縮である。まず薬で幻聴に対処する。そうすればひとなかで行動できるようになるので、集団精神療法を施行する。 ・本質的欠損があれば、結果として廃用性萎縮も伴う。 ・本質的欠損のない、廃用性萎縮はある。 つまり A=本質的欠損+廃用性萎縮 B=廃用性萎縮 のふたつのタイプがあることになる。 すべて集団の場合には退行現象についてどう対処するかが問題である。 集団になれば軽く退行する。これは仕方がない。特に治療場面では仕方がない。ある面では退行するために集まっているようなところもある。退行すれば、現在は隠れてしまっている過去の問題点が明らかになる。だから退行は治療的である。退行は必要であるが、その一方で退行は集団運営の点で厄介な問題を生む。 1419 日本の風土に心理劇は適するか。いわゆる「バタ臭い」のではないか。 1420 社会復帰療法開始にあたっての評価。 ・medical care (医療、からだとこころ、個人)……薬、精神療法、集団療法、SSTなど。 ・social care (くらし)……環境調整、社会資源への連結。 ・stage分類ができるか。medical と social各面でステージ評価する。 ・0〜5,5が最重度とすれば、社会的入院はm=0,s=5となる。 1421 医師とケースワーカーは患者をとりまく環境を「治療」する。 1422 外来・入院・復帰訓練・退院・外来、この流れを滞りなく一体のものとして進行させる。早くから動くことが必要だ。同時に、患者は退院に向けて動きが始まっていることを確認する。患者に退院への筋道を早く知ってもらうこと。各専門家がてきぱきと動いている様子を見れば患者は安心を与えられる。 1423 入院中に必要なケアを分析し構造化する。同時に退院後に必要なケアを分析し構造化する。誰がどのタイミングでかかわるか、明確化する。 仕事の内容・担当・タイミングを明確化する。 1424 精神療法メニューの分析。 1425 作業療法は、actとrestに分ける。就労訓練コースと趣味リラックスコースに分ける。 1426 患者を多層的に・多軸的に見る。→診断・カルテシステムに反映させる。 bio-psycho-socio 「からだ・こころ・くらし」 1427 かかわる職種: 医師、看護婦士、心理士、ケースワーカー、作業療法士、デイケア担当療法士、レク療法士、SST担当者、訪問看護担当者、担当保健婦、福祉ワーカー、グループホーム指導員、共同作業所指導員。これらの人たちの連絡は十分か? 1428 入院時、急性期、リハビリ期、通院期 それぞれのステージでどんな仕事があり、誰が担当するか。表を作る。 1429 入院時 医師・看護婦……薬、精神療法 心理……心理テスト、集団・個人精神療法、SST OT……レク、職リハ、趣味リハ CW……金、家族の把握、住居の確保 医師・看護婦など……患者・家族教育 1430 外来通院時 医師・看護婦……薬、精神療法、緊急宿泊受け入れ、往診 心理……心理テスト、集団・個人精神療法、SST OT……レク、職リハ、趣味リハ(デイナイトケア) 医師・看護婦など……患者・家族教育 訪問看護・ワーカー・保健婦……危機介入、生活指導、職場訪問、金銭問題、家族調整(おもに問題点の把握、増悪早期発見) 1431 短期休息入院が有効 1432 何をしなくてもいいソーシャルクラブ たまり場 1433 外勤療法も考える……たとえばダンボール工場 1434 約束処方は画一的であると避難されるが、画一的な処方であるからこそ、薬に対しての反応を見て、患者の特性を知ることができる。 たとえば錠剤は一種の約束処方であるともいえる。 1435 受け持ち看護婦制(プライマリーナーシング) 1436 その人の社会復帰を妨げているものは何であるか分析し、その上で対策を考える。社会復帰阻害要因分析。 1437 生活臨床・生活療法から社会療法へ。院内適応から社会復帰へ。 1438 生活の場……病院、グループホーム、自立生活 復帰訓練……レクOT、職OT、DC、SST 1439 社会療法部会の構成 ・作業療法 職リハOT ・作業療法 趣味リハOT ・デイケア 職リハデイケア ・デイケア 趣味リハデイケア ・レク療法 ・入院集団精神療法 ・SST ・S、AAなど通院集団精神療法 ・地域ケア係 カンファレンスでは地域担当保健婦や職場担当者などもかかわる。 1440 病院に「くらす」ことの矛盾に鈍感になっていないか? ハーフウェイハウス、ホステル、グループホーム メンタル・ヘルス・リエゾンプログラム 1441 CPN :Community psychiatric nurse 地域精神科看護者。訪問看護担当看護婦にあたる。 1442 退院前プログラムの内容 服薬自己管理……SST 料理教室 経済的自立・仕事 年金・生保・32条の知識 役所・銀行の利用 家族教育 住居確保 ささえるネットワークづくり……家族、友人、病院、回復者の会、デイケア、など。 退院後フォロー 訪問看護や通院で服薬確認、再教育、家族調整、環境調整など。 1443 SSTについて ○背景となる原理 ストレス脆弱性モデル 受信・処理・発信モデル 認知行動療法モデル(強化と般化) 良肢位での固定 ○何のために新しいスキルの習得が必要なのか検討する。 看護・SSTスタッフ・患者の間で合意が必要。とくに病識のない患者は問題を自覚しない場合が多い。軽度の直面化が必要である。たとえばビデオを利用するなど。 ○どんな患者に適しているか。 陽性症状がない。 落ちついて座っていられる。 受信機能の歪みが少ない。とちらかといえば発信機能の訓練をする。 ○目標の例 ガスの使用 金銭管理 薬自己管理 精神症状自己管理 余暇の過ごし方 対人交流技術 ○方法 強化……ロールプレイで反復練習し、ほめて強化する。ポジティブストローク。 般化……宿題をこなして般化に挑む。応用ができるようになる。 ○問題点 患者同士のロールプレイの限界。できればノーマライゼーションを推進すること。 あまりに訓練的になることがある。 あまりに非訓練的になることがある。 廃用性萎縮と本質的機能欠損の区別の大切さ。足がない人に歩くことを強要する、つまり機能欠損なのに訓練を強要する場合がある。 1444 一人暮らしの老人 子どもと同居するのは息苦しい。元気なうちは気ままな一人暮らしをしたい。しかし本当は寂しいし、急に身体が不調になったらどうしようなどとも思う。これはハリネズミのジレンマである。 1445 ○医療相談室の仕事 受診援助 入院援助 退院援助 療養上の問題 経済援助 就労問題 住宅問題 教育問題 家族調整 日常生活援助 心理情緒的援助 人権擁護 ○ケースワーカーの仕事 相談業務……これが中心になるべきだ 集団精神療法……デイケアなども点数表に載っている インテイク……これが実は多い 病院の何でも屋の側面がある。 1446 臨床心理室の仕事 ○精神科分野 心理検査 カウンセリング……個人精神療法 グループ治療……集団精神療法、SST ○老人医療分野 老人性痴呆評価 言語訓練 1447 点数表の業務から、各職種のかかわる範囲を書き出して明確化する。 1448 OTの仕事……CWに比較すると狭くて専門的。 作業療法 デイナイトケア 1449 作業療法処方箋 作業療法連絡票 効果判定表 1450 作業療法種目 印刷・ワープロ・雑誌編集 SST 園芸 プラモデル 革工芸 手工芸・七宝焼・陶芸 喫茶店 ヤングクラブ 自由活動 創作グループ 音楽療法 調理クラブ レク・軽作業グループ 大別すると、レクOTと職業OTがある。レクOTに圧倒的に人気がある。 1451 デイケア 料理 珠算 スポーツ 手工芸 音楽療法 話し合い 作業療法グループとの合流もあり……入院から通院への移行を滑らかにする効果がある。一部はソーシャルクラブとして自主運営に近い活動も加える。 大別すると、職業に向けて訓練する機能と、再発防止機能の二つがある。 職業訓練の面では、仕事になれる、時間になれる、仕事上での他人との付き合いになれるなど。 再発防止の面では、不調状態の早期発見、規則正しい生活、病院とつながることの意義など。 1452 神経症についての今の理論 不適応状態→退行→更に不適応→固定化=神経症 不適応状態に対して、退行で反応する者と、進化の方向の行動で反応する者とがある。 不適応状態は一方では免疫能低下を引き起こし、種としての変化・進化を促進する。 不適応に対して人間は形態を変えることはできないから、行動を変える。行動を変えることはつまり、脳の内容を変えることだ。 1453 病棟における担当看護婦、外来での担当ケースワーカー、訪問看護婦、地域での担当保健婦、福祉担当者、これらが「自分の患者」という気持ちでケアにあたることが大切。これら担当者が連絡をとりつつ一体となってあたることが必要。「誰かがやるだろう」ではやる気が出ない。 1454 目標は社会復帰である。したがって社会療法がよい。浅薄な社会復帰と、深みのある病棟内適応とどちらがよいかと考えることはできる。しかし、やはり社会に出て普通の生活の中で次第に問題を解決してゆくのがよい。 1455 社会療法部の目的 ・個別患者についての社会復帰援助……個人の訓練(レクリハ、職リハ、SST)、家族調整(介入、家族教育)、ソーシャルケースワーク……問題点は何か、解決は何か、ケース検討会を持つ。そのために出席すべき人たちの役割と準備すべき情報を明確化する。 ・環境調整のための情報のプール……個人、組織、役所 ・必要とする職員・患者・部外者への情報提供……印刷物、電話、インターネット ・ノウハウの開発と蓄積 ・入院時から始まる社会復帰援助を具体化する ・再入院防止のための戦略 ・入院が必要かどうか境界線上の場合に、なるべく外来でケアする試み ・地域社会資源との連携 この場合、社会療法とは、病院療法に対する言葉と考えてよいだろう。非病院療法のこと。地域精神医学でもよい。病院ではなく地域共同体。コミュニティ精神医学。地域精神医学でもよい。共同体の意味での社会である。 職業共同体だけの一元的な帰属意識から、地域共同体への帰属感も持てるような社会。アイデンティティの複線化。 1456 伝統的な・医学(疾病)モデルに基づいた仕事については従来の医者・看護婦士のラインで充分である。新しい・障害モデルに基づいた部分を社会療法部として扱う。 Faculty of rehabilitation for disability Faculty of psycho-social therapy Faculty of social therapy 心理社会療法部 と呼ぶのがすっきりするかも知れない。 1457 病棟でのレクリハの意義 レクリエーション・リハビリテーションの意義は診断面と治療面にわけられる。 診断面では、個人面接では得られないような多様な場面を設定することにより、多様な転移を観察することができる。これを心理学的に観察し個人及び集団心理学的な言葉で記述することが必要である。 治療面では、廃用性萎縮の側面に対しては活動促進、やる気を引き出す。本質的欠損に対してはSSTなどの技法を活用する。 1458 職リハ 目標を明確にする。活動の意味が明瞭になれば、やる気も出る。できれば、具体的な職場を用意して、そこに勤めるための技能はこれ、という形で逆算して提示したい。 1459 訪問看護 危機介入 休息入所 ソーシャル・クラブ 服薬指導 家族教育 就労援助 住宅援助 1460 ノウハウを個人のレベルにとどめておかない→マニュアル化 1461 CPRS ケンブリッジ・精神科リハビリテーション・サービス 地域の包括的な精神医療システム  これと病院システムの連結 1462 精神科専門看護婦研修コース ・医療……症状、検査、病理、薬剤、精神療法、経過 ・社会復帰援助……作業療法、デイケア、SST、家族教育、環境調整、ケースワーク技法、諸制度の理解、地域社会資源との連携 1463 地域社会の受け皿を整備しないで精神病院を解体した結果がホームレスの増大。社会復帰を促進するからには、地域社会の受け皿を用意することが不可欠である。 1464 CWの業務……本来の支援業務ができる状態にしたい。 1465 社会療法は二面がある @Bio vs Psycho-Social この面では心理社会療法(生物学的・医学的療法に対して) ACommunity-Social vs Hospital この面では地域共同体社会療法(病院精神医学に対して) ソーシャル・ケースワークの側面 「社会」「地域共同体」を治療する側面がある 1466 共同体アイデンティティがどこにあるか 職場アイデンティティ、職業I、地域I、血縁I、 1467 疾患モデル vs 障害モデル 医療    vs 福祉 medical service vs social service 陽性症状  vs 陰性症状 障害福祉的診断と治療があるはず 1468 SSTの原則 @動機付け、目標を明確に設定 A技法 ・強化(ロールプレイ、Positive Stroke) ・般化(宿題) 1469 disease 疾患 illness 体験としての障害 impairment 機能障害 disability 能力障害 handicap 社会的不利 症状ではなく生活障害を診断評価する 1470 社会療法部の目的 @短期入院・早期退院……入院治療の仕組みの問題であると同時に、家庭・社会で支えられることが前提条件となる A再発予防・再入院予防……環境調整・患者家族教育 B地域での生活安定……諸制度・諸社会資源の有効活用 1471 患者の自主運営部分を増やすと患者のやる気を引き出せる。 1472 二本の柱 病棟システムの改善……イントラネット 地域ネットワーク作り……インターネット 1473 @病棟ナースと地域保健婦のタイアップによる訪問看護システム A東京障害者職業センター……就労アセスメント B地域に病棟スタッフを送る。逆も。相互乗り入れ。 1474 サービスの内容 @薬、病理などの病気に関する技術を身につけてもらう A生活技術の習得……対人技能など B生活基盤の援助……住居、生活費、援助システム 1475 いいところをほめる、いいところをみつける Positive Stroke 1476 DCの機能 @入院から外来への移行時に、昼はDCで固定して移行をしやすくする。 A再入院防止、再発防止に役立つDC 1477 @自立 A半自立(保護的就労) B家庭内適応 1478 患者は遊び心が欠けている 1479 集団運営 全員参加 プログラムによって選択参加 自主運営(メンバーがまず集まり、自主的にメニューを考える) 1480 生活しづらさを評価する 1481 入院早期に包括的治療計画を立てる。 1482 昼田のあげる分裂病者の行動面の特徴 @一度にたくさんの課題に直面すると混乱する A注意や関心の幅が狭い B全体の把握が苦手 C自分で段取りをつけられない D話や行動が唐突 Eあいまいな状況が苦手 F場にふさわしい態度がとれない G融通がきかず杓子定規 H現実吟味が弱く高望みしがち I自分中心にものを考えがち J視点の変更ができない 注釈……無理に分類すると ○受信・処理機能低下 @一度にたくさんの課題に直面すると混乱する……老人にもあり。 A注意や関心の幅が狭い……老人にもあり。 @が原因でAが結果。 ○「もし自分が……だったらどうだろう」と考えることができない。老人にもあり。If思考の障害といってもいいかも知れない。妄想は、Ifをたてることができず、Ifと現実を区別できない状態である。頭のなかのIfワールドが壊れている。 立場変換障害というべき面もある。 B全体の把握が苦手……自分から全体への立場変換の障害。 I自分中心にものを考えがち……自己と他者の立場変換の障害。 J視点の変更ができない……柔軟性がない。一種の保続。立場変換の障害。 C自分で段取りをつけられない……全体を見通し未来を想像する力。これもIfの障害。 ○現実吟味 H現実吟味が弱く高望みしがち……現実吟味力低下 ○状況意味失認……これがもっとも分裂病的。こうしたことについてはSSTの考え方が有効。 D話や行動が唐突…… F場にふさわしい態度がとれない…… Eあいまいな状況が苦手…… G融通がきかず杓子定規…… 分裂病者の特性でもあるが、老人性痴呆患者の特性でもあるものも多い。 1483 台のあげる分裂病者の社会生活上の問題点 @食事・金銭・服装などの問題を含めた生活技能の不得手 A人づき合い、・挨拶・他人に対する配慮・気配りなどの対人関係の問題 B仕事場での生真面目と要領の悪さ、のみこみの悪さ、習得が遅い、手順に無関心、低能率、低技術、協力しての仕事が難しい C安定性に欠け、持続性に乏しい D現実離れ、生きがい・動機付けの乏しさ 全体に認知面の障害がある印象。 1484 分裂病者の認知処理障害の検出に役立つテスト WCSCT :Wiaconsin Card Sorting Test 図形カードを検査者が意図する分類法を推定して分類する。概念の把握や抽象化、実行機能を評価する。前頭葉機能を反映すると考えられている。 CPT :Continuous Performance tast 注意持続課題 SOA :Span of Apprehension Test 集中時の処理容量を評価する検査。アルファベットを瞬間的に呈示し、その中からTかFを発見する課題。 二重課題 :二つの課題、たとえば視覚課題と聴覚課題のふたつを同時に施行することによって、処理資源の配分が適切かどうか検討できる。 1485 SST ・現存機能の活用による手順の学習 ・動機付けの強化(正のフィードバック)と行動の教示(モデリングや修正のフィードバック) 1486 最近の子供 多分脳が根本的に壊れている子供もいる。しつけようとしてもダメ。愛情は逆用される。体罰はブレーキにならず、幼児虐待にまで行ってしまう。 1487 リハの目的とプログラム選択 廃用と欠損 陽性症状に薬、陰性症状に精神療法・作業療法 脳機能障害……傷害と回復の原則……ジャクソニズム プログラム選択の合理性 リハのシステム化 1488 リハの心理テストとしての側面 1489 寄付文庫……アメニティの向上にはよい。 新聞・広報 講演会 地域共同体医療や集団療法、精神科リハビリテーション、作業療法、デイケアの認知を広め深める。 1490 老人医療 骨折して転院、足が逆向きについて帰ってきた老人。そんな途方もないことが実際に起こる。 1491 退院後、地域で支える条件が整わなければ、退院してもむなしい 受け皿がなければ復帰意欲がわかない。 1492 Dementia Rehabilitation Program (私案) 三ヶ月で退院してゆく患者について、リハビリを頑張ってもどうせ次の場所で寝たきりにされたら何にもならないという空しさを感じないですむように工夫したい。 情報シートを共有化する。一貫した評価方法とリハビリプログラム。機能レベルをグラフ化して次に手渡す。どの施設で機能低下したか明確にわかるようにする。少なくとも現状を維持したままで次に手渡すことが目標になる。多病院間で一貫したケアを構築できないか考える。 →これは実は「たらいまわし」を前提条件とした上での情報共有化制度である。そもそもおかしなことではないだろうか? 1493 心理教育プログラム psychoeducation 家族の治療能力を高めることは地域共同体医療にとって本質的に重要である。患者にとってよい治療環境を作ることである。 1494 リハの目標は就労ばかりではないし、退院ばかりでもない。個々人の状況に即して、それぞれのレベルで人生を深めることができるはずである。 リハの目標は、人生を深めることである。 長期目標と短期目標にわけて考える。 1495 入院患者のなかで社会的入院はどれだけいるか。環境を与えれば自立できる人はどれだけいるか。退院自立を妨げている要因は何か、評価する作業が必要である。 1496 精神障害者の自立を阻む社会とは。その視点から社会のあり方、人の心のあり方を照らす。 1497 ばらばらに存在しているやる気と善意と専門知識を結合する努力が必要である。そのためにはビジョンを提示することから始めるのがよい。医療関係者、行政、患者家族など。 1498 院外作業の問題 どんな問題があるか。受け入れる職場に伝えるべき点はなにか。どのようにしてピックアップするか。仕事量の調整など患者のケアはどうするか。労働災害の問題。仕組みが必要。 実は院内作業療法場面でこそ、作業能力を評価できるはずであり、外勤作業療法にもOTが関わるべきであるのは当然である。しかし仕事が増えるのは誰でもうれしくない。 1499 作業療法・デイケア・訪問看護の広報活動が大切。まず職員の中に動機付けをする。それがひいては患者の動機付けとなる。 1500 デイケア用品、作業療法用品の販売会社を企画する。通信販売で、それぞれの活動用にパックされたセットを販売する。 職員はプログラムを考えたり用具や材料を揃える苦労から解放される。カタログを見て注文すればそれでよい。 1501 きれいデイケアと安心デイケアでわけないと、安心はきれいを駆逐してしまう。 1502 ボランティアの活用。ボランティアの位置づけ。特にシルバーボランティアが使えるかどうか。 1503 病気ごとの標準治療手順を定める。どの職種がどの時点でどのように関わるかを標準化する。 1504 自閉症や多動障害で大人になった人の職場や昼間の居場所はあるか?大里君のようなタイプ。場所を考えてあげたい。 1505 地域精神医療としての社会療法を考える。 外来通院、往診、訪問看護、デイナイトケア、共同作業所、各種中間施設、ケースワーク、地域保健婦、福祉関係役所の地域ケースワーカーなどの連携。 1506 受け皿がないのに退院をすすめても結局結果は良くない。アメリカではホームレスを大量に生んだ。 退院後の受け皿の開拓がまず必要である。 社会復帰を動機づけるにしても、具体的な社会復帰の道筋が見えていないとやる気が出ない。ここに住んで、この仕事、経済的にはこうする、援助はこのようなものがある、先輩達はこのように成功している、などと具体的に提示できるようにする。 具体的に決まってくれば、何が患者の社会復帰を妨げているか見えてくる。そうすれば解決方法も見えてくる。 社会の治療(環境要因)とこころ・からだ(個人要因)の治療の両面から攻める。 1507 「精神障害者を職場や地域で受け入れるとして、そのメリットは何か」 慈善の心だけが受け入れを可能にするのだろうか。そして受け入れた職場は資本主義市場経済の中で敗北を決定づけられているのだろうか。そうではなくて、障害者を受け入れる職場が本質的に強くて生き残る力があるのだろうか。 この点を思弁ではなく、事実で証明した例はあるのだろうか。 なぜ病院主義ではなく地域主義に変化すべきなのだろうか。経済的要因だけだろうか。 ノーマライゼーションの根拠は何か。 ボランティアの動きはどのように評価されるべきだろうか。個人ではボランティアを「エンジョイ」するが、会社では分裂病者をクビにするだろうか。結婚のときには精神病者を回避するだろうか。地域に共同作業所ができるときいて反対するだろうか。ワンルームマンションが建つと環境が悪くなるという意見と同じレベルの話であろうか。 子供の学校で、混合クラスがよいだろうか。 障害児を産んで育ててはじめて知った人間についての真実が本当にあるだろうか。 1508 来院拒否している患者へのメッセージを載せたパンフレットを作る。 1509 休息入院のすすめに応じてもらえるような「気軽」なベッドを作りたい。上尾の森診療所のようなもの。 1510 ノーマライゼーションでメリットがある産業に働きかけるのは良い手段である。建築関係、交通関係など。現実的な利益があれば人は動く。 1511 社会療法部会 OT、CW、訪問看護、地域保健婦(保健所)、行政(福祉課) 月に二回程度の割合で集まって話し合う。お互いの領域を知り合うことがまず第一。 1512 退院までに準備すること ・退院後の環境を整える。 ・地域担当保健婦、福祉職員と一緒に考える。 ・再発要因のチェック・対策は十分か。少なくとも、問題点は指摘する。 ○通院先の検討 ・再発要因がないか、調整できないか。デイケア、作業所やAAを組み合わせるか。ソーシャルクラブタイプのものはどうか。 ○仕事 ・仕事先と連絡して確認、継続させるために保健婦が職場と連絡を保つ。必要なら定期的な職場訪問。 ・OTは作業能力の評価。仕事が決まっていれば仕事に向けての準備メニューを組む。 ・仕事を探す場合には援助。時間を区切って具体的に。 ○日常生活 ・看護は日常生活能力を評価、欠損を補う訓練。 ・退院後の生活の乱れ、不眠、不食、拒薬への対策を考えておく。 ・アルコール、薬物の場合には断薬を支える仕組みを作る(AAなど)。 ・経済面は大丈夫か、収入や貯金などをチェック。 ・住居は適切か、大家の理解はあるか。 ・友人のネットワークはどうか、メリット・デメリットをチェック。 ○家族 ・家族教育(状態の評価の仕方、薬、EE、病院との関係の持ち方) ・場合によっては家族調整。 ・家族の援助についても具体的に指示する。 ○本人 ・充分な自覚があるか(病識、薬、病気など) 1513 OTは心理テストの一面もある。評価の方法は大切。 1514 退院時連絡票(外来通院先と地域保健婦に宛てての連絡) ○目的 ・退院後の環境を整える。 ・地域担当保健婦、福祉職員と一緒に考える。 ・再発要因と対策の列挙。 ・以上の事項について継続性のあるケアをおこなう。 ○本人 ・患者教育は成功したか(服薬習慣、病識、病気についての理解、再発防止対策の理解、適切な受診行動、社会資源利用の理解) ・症状は十分に沈静化したか。陰性症状はどの程度か。社会生活に支障はないか。 ○退院後ケア体制 ・通院先はどこがよいか、デイケア、作業所、AAなどを組み合わせるか。ソーシャルクラブタイプのものはどうか。 ・訪問看護や保健婦のかかわりを決める。 ○仕事 ・仕事先と連絡して確認、継続させるために保健婦が職場と連絡を保つ。必要なら定期的な職場訪問。 ・OTは作業能力の評価。仕事が決まっていれば仕事に向けての準備メニューを組み、その結果を報告。 ・仕事を探す場合には援助。時間を区切って具体的に。 ○日常生活 ・看護は日常生活能力を評価、欠損を補う訓練。これらを報告。 ・退院後の生活の乱れ、不眠、不食、拒薬への対策を考えておく。 ・アルコール、薬物の場合には断薬を支える仕組みを作る(AAなど)。 ・経済面は大丈夫か、収入や貯金などをチェック。 ・住居は適切か、大家の理解はあるか。 ・友人のネットワークはどうか、メリット・デメリットをチェック。 ○家族 ・家族教育(状態の評価の仕方、薬、EE、病院との関係の持ち方について充分に学んだか) ・場合によっては家族調整。 ・家族や親戚がどう援助するかを具体的に指示する。 ○以上から、再発要因は何か、対策はどうするか。 1515 退院までにCW,CP,OTは何を評価するか。チェック表にする。 1516 資本主義市場経済の好景気と不景気の波と躁うつ病は親近性がある。時代の波、マーケットの波、個人の気分の波がシンクロする。 これに比べれば、社会主義計画経済は分裂病的またはパラノイア的である。 1517 分裂病性興奮に対する低体温療法 低体温療法によって脳のダメージを防ぎ、ディフェクトを少なくすることができるのではないか。 エスキモーの場合、ディフェクトの率が低いのではないか。 また、クロールプロマジンは低体温麻酔によって効果が出るのではないか。 1518 精神科医と心療内科医、心理士とケースワーカー アメリカでは心理士に処方権があり、精神科医と変わらない仕事をしている。しかし精神科医と同じでオフィスで待っているからあまり活躍していない。ケースワーカーは動きが軽い。社会的な調整をするために身軽に出掛けて行ってくれる。したがって人気が高い。こんどはケースワーカーに処方権を与えようという動きがあるという。 心療内科という科目は日本独自のもので、教育体制を含めて問題が多い。 1519 「何でも言える」集団療法 「何でも言える」ことが治療的だとなぜ思うのだろう。そのような考え方はアマチュア精神療法である。何を語り、何を沈黙するか、それを判断する能力を養うのが大切であるとも言える。自己の内面と外的世界の間に垣根を作ることは治療的である。 集団精神療法のもっとも大切な部分は、どのようにして集団を構成するかであると思う。 1520 心療内科医や心理士の欠点として重度の患者を経験していないことがあげられる。重度の分裂病を見ていないから心因説に傾くのだろうといわれる。しかし単科精神病院の職員は「重度の精神病」を見慣れているのに、理解が進んでいるとは思えない。精神病の原因として心因を重く見る態度は変わらないようである。 1521 客観的科学が一元方程式とすれば、観察者とのインターラクションをも考慮する科学は二元連立方程式である。また、観察者の変化が対象物に影響することを考慮するなら、二元連立微分方程式であるともいえる。 また、精神病の場合、精神的不調に反応する精神が変調を来しているのだから、方程式は一段と難しくなっている。これは微分方程式のような構造であろうと思う。二重の変化を解く感じだ。 1522 患者を変えるのは何か。治療者の真剣で無私な関心が大切だ。 1523 私がその人にものをいうときに、どういうものの言い方をしたら、この人のどこに届くだろうかと考える。ガンの告知を「見放された」と受け取る人もいる。 1524 患者がイメージを外部に産出する、その手助けをする。解釈が問題なのではない。イメージを外に出してみることそのものが治療的なのであるから、産出を手助けすることが仕事である。 1525 緊張病性分裂病減少の理由 軽症化の理由 ヒステリー減少 日本で対人恐怖少ない 日本で二重人格少ない 1526 薬物の進歩 軽症化 ノーマライゼーション これらが精神障害者の状況を改善しつつある 1527 (笠原の文章から) 有効な薬が出てきて、精神療法のあり方も問い直される。 @早く治すことを期待しすぎる A生活史をおろそかにする、長期の経過の中で考える、人生全体への心配りを忘れる B患者さんの出番を忘れる……患者は自分の力で治したいと思っているところがある。自分も何かしたいと思っている。薬を飲んでただ寝ていろでは納得できない。カウンセリング、鍛錬法、プラス思考など。治療の中で患者の演ずる役割のあることを考える。セルフ・ヘルプグループの生まれる理由はそこにある。 薬物療法の際にどのような精神療法がよいか工夫の余地がある。 過去にさかのぼって原因を探るのではなく、未来に向けての精神療法を考える。 病気をしたという体験そのものは異物として心に残る。それをどのように咀嚼できるか、手助けする。 最後の仕上げとしての「心の話」が必要な場合がある。 病気によって断裂した生活史を病人が今一度縫い合わせるのを助けることが精神療法だ。 「締めくくり療法」は常識中心の方法がよい。 「できるだけ小さく切って治す」のが心の名医である。 立ち止まって過去を自分の中に取り込む作業。人間の成熟に関係する。 1528 リハの原理 ○ターゲット S……P→薬   N……欠損→SST(良肢位での固定)     廃用性機能不全→思い出し・慣れるためのリハ       発達障害→育てるリハ ○ジャクソニズムの原理からリハのプログラムを考える……モデルは四肢麻痺 ○プログラムカテゴリー レクリハ 職リハ ADLリハ 趣味リハ……現状ではこれが多い(手芸・陶芸など) ○別のカテゴリー 良肢位での固定 思い出し・慣れるためのリハ 育てるリハ 1529 コンピュータの利用を推進できるか考える。 1530 精神分析の原理 @無意識の存在(無意識内容を言語化することで症状は消える) A言語を使う B幼児体験の重視(過去による決定論) C症状は過去の体験の反復であり、治療場面でも反復される。 人間は人生早期に書き込まれた台本を繰り返して生きている。患者の人生において過去から繰り返されている台本を読みとることが精神分析である。 1531 医者が患者に手渡す薬は移行対象である。医者の分身である。それを薬局からもらうのでは意味が違う。院外薬局はその点で問題があるのではないか? 1532 多重人格 層状に積み重なるいろいろな自己を統合して、どの場面でどの自己を出すかをコントロールしている部分をセルフアイデンティティと呼ぶ。 状況に合わせていろいろな自分を出せるわけだから、それだけの手持ちの自己はあるはずだ。 それらが不適切な状況で外にあらわれるのが(軽度の)多重人格であると考えられる。記憶障害まで伴うようになれば本格的な解離性障害であるが。 いろいろな人格があるのが病的ではない。それらは誰にでもある。しかしそれらが内的な統合を失っていれば病的である。解離とはそのあたりの事情を指している。つまり、内的な複数の自己が解離し統合されていない状態である。 統合部分があり、その部分が壊れていると考えるべきか。 あるいは、(流行に乗って)ネットワーク組織になっていると考えるのがよいのか。 統合部分をセルフアイデンティティと呼ぶ。 アイデンティティ拡散とは、統合部分の不全のせいで各種の自己がまとまりなく混在している状態である。 1533 視覚障害を診察するのか、「目の見えない人」を診察するのかの違い 医学・疾病モデルと障害者モデル MEDICALとCASE WORK B=P×D×E B:Behavior 疾病行動 P:Personality 性格 コーピングの特徴 D:Desease 病気 薬、副作用 E:Environment スタッフとの関係 家族との関係 友人、職場、他患との関係 社会・文化背景(所属集団、宗教など) 1534 全人的医療 臓器ではなく人間を診る 身体・心理・社会・実存を包括的・全人的に理解する。 目標はQuality of Life の向上 Cure から Care へ Science art 分析  統合 客観的  相互参加的 急性疾患モデル 慢性疾患モデル 社会 中間施設 病院 この縦軸がCureの軸。横軸はCareの軸で、QOLの向上をめざす。病院内でも、中間施設でも、それぞれに可能である。 1535 QOLの評価法 つまりはいきいきと生きているかどうかということだろう。 ○項目 食欲 睡眠 便・尿 痛みがない 心理的安定 社会的役割 生きがい 性生活 心気傾向 家庭の幸福 生活の充実感 その他のチェック項目 性格 コンプライアンス アルコール タバコ スポーツ 1536 リハの主体は患者である Patient's will sa a medicine 本人の自覚 自立への意志 QOL向上への意欲が「くすり」である 1537 Doctor as a medicine 患者をサポートする。(「病気」ではなく「患者」) 1538 共感と同情 受容と迎合 区別がわかるようでありたい 同情されれば人はいやな感じを持つ 1539 なぜ病気に?ではなく、どうしたらよりよく生きられるか?と問う。 live with disease あるがまま・ユーモア 1540 Care には medical care nursing care family care social care self care などがある。 1541 QOLについて実存のレベルで大切なもの。 病気の意味付け 生きがい 希望 世界観・死生観 愛の対象の有無 1542 治療過程での同伴者が大切 significant other 1543 闘病生活でなにが支えになるか 家族 仕事 同病者の励まし 医療スタッフの励まし 1544 受容と指示の使い分け 1545 ○リハ部 レクリハ 職リハ……外勤作業リハを含む 芸術リハ……趣味リハ ADLリハ PT ST(Speech Therapy) ○社会療法部 DC 訪問看護 CW 職業支援 住宅支援(障害者に便利な設計の援助も含む) 家族教育 地域啓蒙 社会資源整備・社会資源情報整備 ○痴呆社会療法部 予防と早期発見 施設間連絡 名称としては作業療法よりもレクリエーション、それよりも社会療法が良い。方向を明確化しているから。 1546 病院精神医療から治療共同体へ 1547 リハでもやはり治療構造が大切である。 OTでは現実検討が向上する。竜宮城状態ではなくなる。これが最大の効用である。 1548 OTの治療過程の指標 @意欲の向上 A技能の向上 1549 作業を媒介とした精神療法 @治療関係の手段 ・症状や生活歴の聴取でつながっているのとは別の治療関係ができる。 A作業自体の持つ力 ・芸術療法と似た意味……表現のひとつであり、しかも自由度が低いために安全である。 ・作業は仕事に、仕事は社会につながる。この点で未来への希望である。 1550 ラジオに雑音が入って困るというので修理に出した。ところが何も聞こえなくなって戻って来た。雑音は消えたけれど、これが修理なのだろうか? 幻聴を消すために意欲のない人間を作っているという批判がある。しかしそれは病気の自然の経過であり、治療のせいではないかもしれない。 1551 作業療法批判 @低次元の批判をいう人は無賃労働、搾取であるといいたいのだろう。それは確かにひどいことだ。このような低次元の批判があたるような低次元の病院もあるだろう。 どこにも働く場所がないから病院内で工夫して仕事を作っている面もあるが、厳格に批判する人はいる。それは正しいと思う。社会の中で働く場所と住む場所を是非用意して欲しいものだ。それさえあれば病院で無理をする必要はないのだ。 A作業療法は、治療共同体の方向の改革が進んで、病院に長期入院する必要がなくなったら、あまり重要ではなくなるだろうと思う。それは人間として普通の、趣味やレクリエーション、能力に見合った仕事などに置き換えられてゆくだろう。健常者の中に混じって活動するようになるだろう。それまでの過渡的な存在であると思われる。だから本質的には消えるべきものである。作業療法が消えたときが社会療法としては完成したときなのである。 1552 理論に基づいたプログラム。 疾病モデルと治療理論。 理論背景が違えば、薬の意味も違う。 1553 治療目標の明確化。 欠損補完か……SST QOL向上か 1554 基本的態度 @楽天的 A自己選択のチャンスを増やす、意欲が向上する。 B全人的・包括的観点。 身体の部分にのみかかわるのではない。身体と心、実務と芸術、現実とファンタジー。 C人間は成長可能な存在である。 D対人関係、治療関係を大切にする。 E奥には無垢の魂がある。窓が曇っているだけだ。 F人間は、「にもかかわらず」選ぶことができる存在である。環境にもかかわらず、選ぶことができる。 1555 医療に要請されている倫理。 医療は、倫理の砦である。医療にも倫理がなくなったら、もう人間に倫理はない。 1556 「精神病とは内的拘禁反応である」と考えたらどうか? @精神的変調により、内的拘禁状態が発生する。 A拘禁状態に反応して精神症状が起こる。 B観察される症状は@の変調とAの反応の混合物である。 1557 精神病の症状には必ず神経症が混入している。 @心理的にショックなことが起こったとき、神経症になる。 A精神病は精神的に非常に大きなショックである。 B精神病の症状は、精神病固有の症状と、反応性の神経症症状とが混合したものになる。 ふだん神経症を多くみている心理士は、精神病者をみても神経症の延長とみる傾向がある。それは無理もない。たしかに神経症成分が前景に見えるからである。そのような人たちは前景に精神病症状がくっきりと出てきた場合には、気がついて医者に紹介する。 しかしそれでは不足で、奥にある分裂病性変化を見逃さないで欲しい。 1558 分裂病者の精神機能評価 ○対物技能 認知・処理・運動 ○対人技能 二者交流技能 グループ内交流技能 ○自己 自己同一性 性的同一性 1559 ケアプランの作製 開始→(評価→目標設定→プログラム→)【()内ループ】→終了 1560 障害のタイプ @病前障害(教育、性格、知能など) A一次的障害 B二次的障害 1561 分裂病者の特有の傷つきやすさを理解する。 被害的になったとき、スタッフ間の連絡が悪いと混乱が生じる。患者の発言は被害妄想なのか、本当にあったことなのか、発言の真意は何なのか、スタッフ間でのミーティングを密にしないといけない。 これは精神科医療のあちらこちらでみられることである。 1562 家族の心得 @批判的でない受容的環境 A適度の社会的刺激 B具体的現実的な目標 C病識の動揺に対する対処法 D妄想への対処法 E社会資源利用 F落ち着いていることに満足する。高望みしない。急がない。 G意欲、自発性を引き出す。 1563 OTによる評価にあたっては、現在の能力と、潜在能力(訓練により達成可能なレベル)との両者を評価する。そのようにしてはじめて、プログラムができるはず。 1564 環境刺激が少なすぎると無為・自閉・無気力。 環境刺激が多すぎると混乱と興奮。 しかし最適環境刺激のセッティングは難しい。 少なくとも急性期と慢性期では最適刺激レベルは異なるはずである。 こう考えると、急性期患者と慢性期患者を同じ病棟に置くのは間違いである。(自分もあのように落ち着いてゆくのかとイメージできる点ではメリットがある。) 1565 薬とデイケアの挟み撃ち 1566 S=病前因子+病気+病後因子 病前因子……性格、知能、家庭、教育(生育歴) 病気……陽性症状と陰性症状(治療はそれぞれ薬と働きかけ) 病後因子……二次障害(壊れた人間関係、廃用性機能障害)、欠損による体験欠落・教育欠落 例:「引きこもり」は病気によるものか、病後の二次障害によるものか、それによって働きかけ方は異なるはずである。 S=(発達障害+欠損+廃用性機能障害)+二次障害+(性格・教育要因) 対策はそれぞれ対応させて、 (教育 +SST+再訓練) + SW +(SW+教育) もっとも素朴には S=P+N Pに対して薬 Nに対して働きかけ である。しかし、ドーパミンからみれば、挟み撃ちになっている。 1567 「人間を行動させるには、適した良い環境を与えるのがもっとも効果的である。」 1568 OTは自己治癒作業である。ここが本質的に大切。導入時・動機付けの時にここを強調する。 「自分の力で治療に協力できる」「自分が治療の主人公である」この感覚は大切である。 1569 「役割」の治癒能力を作業の中に取り入れられないか。役割は社会への導入となる。 1570 人間はもっと不思議なもので、もっと偉大なものであると信じている。 人間はもっと倫理的であることができると信じている。 1571 社会的入院の判定基準 @医療としては問題ないこと 薬は安定している・コンプライアンス良好 陽性症状はあっても日常生活を妨げない状態が一年以上続いている 陰性症状はあっても日常生活を妨げない 病識あり 日常生活自立可能 仕事ができる(またはデイケアや作業所に通える) 再発危険時に受診相談できる A退院先の確保ができないこと 家族の受け入れが整わないこと Bホステルなどで試してみて、自立生活が可能であることが実証されていればなおよい。 1572 長期入院者社会復帰促進プラン ・いわゆる「社会的入院」にあたる人のリストアップ。レベル・状態に応じて分類する。 ・使用可能な社会資源の検討。不動産屋・大家と懇意になれるか検討。 ・具体的な社会復帰のめどがないのに社会復帰療法をすすめることは努力を傾ける先が間違っているのではないかと考え直してみたい。 ・具体的なケース検討会。参加は医師、看護婦、OT、PSW、担当保健婦、可能なら家族。社会復帰計画を立てる。……この作業を社会療法部会でおこなう。生活歴、現病歴、性格、治療経過、検査結果、日常生活能力、職業能力、暮らしの状況について情報を持ち寄る。 ・社会復帰計画に従って実行。結果をフィードバックして、次からのプランに生かす。 ・以上の作業のための書式を作ること。 ・退院後の通院先と担当保健婦や訪問看護担当者、福祉ケースワーカーに手渡すデータの書式を整える。入院時から情報収集を開始する。医師、看護婦、OT、PSWの分担を明確にする。大きくわけて、薬・体・心、日常生活、職業能力・特性、暮らし全般のそれぞれを担当する。 1573 ソフトな救急……病気の種類としては何があるのか。関係者を巻き込むために起こす騒ぎとケア開始が必要な状態との区別をうまくつけられるか。巻き込む目的で起こしている騒ぎならば、巻き込まれる体制を作ることによってますます頻発するようになるだろう。分裂病系統と性格障害系統の区別を的確につけたい。 往診……精神科初診往診は難しい。 1574 医療に乗りにくいケースに対して対策を考える。 ・家族にも力がない。 ・措置入院になるほどでもない。 ・本人・家族に病識がない。 ・結局制度からもれてしまう。 →さらに具体的な像が欲しい。 1575 「大家さん安心プラン」計画 障害者が部屋を借りる場合に、バックについているCWが大家に信頼してもらえれば、話は進む。Key Personが明確に決まっていて、大家の不安をケアしてゆけるようなら、可能性はある。大家に安心感を与えるシステムを作れるかどうか、検討。 1576 「地域リエゾン退院カンファレンス」 退院時カンファレンスを制度化する。その場に地域担当保健婦、生保ワーカーなども参加してもらう。 1577 医療は倫理を実践できる幸福な場所である。 そして、自分が倫理から遠い存在であることを痛感させられる場所である。 しかしまた、医療の場所にいればそのような自分にも倫理的存在となるチャンスは与えられている。 1578 ヒットエンドラン   ヒットエンドラン型連携と外野フライ型連携 チーム医療とは、野球でヒットエンドランを決めるようなことだ。バレーのAクイックのようなものだ。ただ単に分担を決めて自分の仕事をするのではない。それでは時間をかければ一人でもできる仕事になってしまう。連携して一人ではできない仕事をするのだ。ヒットエンドランはどうしたって一人ではできないことだ。 外野フライがあがったとして、中間領域の場合に誰がとるかという問題がある。これも連携として大切であるが、要するに連絡をとって取り決めしておけばいいだけの話で、ヒットエンドランとは質が違う。 外野フライ型連携は守備範囲の明確化である。これさえできていないようでは組織といえない。 ヒットエンドラン型連携は一体となって動き、目的を達成する点で組織としてひとつ次元の高い動きである。 たとえば集団精神療法と個人精神療法、薬物療法の連携。また、病棟看護婦の教育的側面と保護的側面の役割分担。 1579 分裂病性興奮の際に、暑いからと裸になってしまう人は多い。実際にオーバーヒートしているのではないか。コントミンは低温麻酔の原理で分裂病のシュープを鎮めるのではないか。だとすれば、低体温療法は有望ではないか。 1580 遺伝子の相同組み替え 遺伝子は、部分的によく似た遺伝子がそばに行くと似た部分同士がそっくり入れ替わることがある。この過程を促進するのがウィルスである。 なるほど。このようにしてウィルスが適応者の遺伝子部分を切り取って、不適応者に運び入れることが予想される。 1581 適応と免疫・遺伝子組み替え 不適応状態に対する個体のレベルでの対応はうつ状態である。種としての対応は遺伝子組み替えである。→精密に描写することができる。 1582 単行本は原稿用紙三百枚。(7枚×7つの山)×6章=300枚 つまりひとつの「いいたいこと」を7枚で書く。それを7つ集めて章とする。全部で6章として一冊になる。 1583 「精神科医療の問題点」現場の悩みを報告する ○外来 敷居が高い。 汚い。サービスが悪い。 心療内科と神経科と精神科の違いがわからない。 すぐに薬や注射をされそうだ。強制入院させられたら困る。 待合い室に変な人がいそうだ。 心理相談室、カウンセリングとの違いがわからない。 デイケアは重度の人に占領されている。神経症レベルの人のデイケアがない。 偏見はまだなくならない。 内部情報が開示されていない。何をしてくれるのか、料金は?期間は?どんな治療者がいるのか? ○入院 措置入院や精神科救急体制からもれてしまうような人をケアできるような「ソフトな救急」がない。 一次入院に適したベッドがない。 うつに適したベッドがない。 社会的入院が多い。社会の受け皿作りが進んでいない。 家族として充分にケアされていない。どのように協力すればいいのかわからない。 退院後のケアはどうなるのか。アパートの大家の心配は誰が受けとめてくれるのか。 ○老人医療 ・制度の全体が理解できない ・予防対策を進めて欲しい 1584 前景症状(精神病成分と神経症成分がある) ・現在症、現病歴などから 背景病理 ・生活歴、家族歴(遺伝負因)、病前性格などから 1585 老人性痴呆の見立て @意識は異常ないか? せん妄は?薬の副作用などないか? Aうつ状態はどうか? B現在状態=自然な老化+痴呆+廃用性機能不全 または D=痴呆以前の問題+痴呆+二次的問題 ・痴呆以前の問題……性格、知能、教育 ・痴呆……どの機能がおかされているか、 ・二次的問題……家族関係、廃用性機能不全 1586 精神科の治療=身体療法+心理療法+社会療法 ・身体療法=薬剤+電気けいれん療法 ・心理療法=個人+集団+リハビリ ・社会療法=ケースワーク+リハビリ ・リハビリ=職リハ+芸術リハ+レクリハ+ADLリハ 1587 リハビリの効用 ・リフレッシュ……レクリハ、芸術リハ ・技能向上……職リハ、ADLリハ ・対人関係……指導者との信頼関係、集団内での役割を通しての社会参加 1588 老人性痴呆の早期発見とリハビリにならって、分裂病でも何か対策はできないか? 若者を対象とするスクリーニングは難しいだろう。 1589 社会療法部 ○リハビリ課 ・入院リハビリ係(OT) 精神リハ 痴呆リハ ・通院リハ係 精神デイナイトケア……外来、地域、訪問看護との連携 老人デイナイトケア ○地域リエゾン課 ・退院時地域リエゾンカンファレンス係 ・長期入院患者社会復帰促進プラン係 社会的入院患者評価 退院準備作業(ホステルで評価するなど) 社会資源受け皿整備(アパートや外勤先開拓など) ・社会資源情報整備係 ○患者・家族教育課 1590 下町70人デイナイトケアの試みの総括 ・計画の意図……神経症とうつのデイケア……彼らはケアの場所がないから ・結果……結局分裂病、性格障害、生活保護者の場所になった。 ・反省……共存は難しいと知っていながら、分離しきれずある一群を追い出す格好になった。また、スタッフ間の連絡・理解の難しさも思い知らされた。 ・竹村先生は「アイディアは良かった、しかし十年早かった。ものごとには適切な時期というものがあるようだ。しかし良い経験だったと思うから、大切にしなさい。今後きっと役に立ちますよ」と評価してくれた。 1591 精神科クリニックとして他にない魅力は何か。……工夫が必要 ターゲットを絞る……診療内容の広報(何をしているのかわからない場合が多い) カウンセリング力 薬剤の便利さ……待ち時間の短縮 雰囲気……建物、人、サービス、人に会わなくてすむ 場所……駅前、駐車場、送迎車など (職員のアメニティも大切) 1592 組織 案 東京海道病院臨床業務部分 院長 医局   臨床心理室 社会療法部   医療相談課   リハビリ課      地域リエゾン課  家族教育課  社会療法部広報課    看護……総婦長、各病棟婦士長 薬剤 臨床検査 訪問看護ステーション    栄養 事務 社会療法部 ○リハビリ課 ・入院精神リハビリ係 ・入院痴呆リハビリ係 ・通院リハビリ係 精神デイナイトケア……外来、地域、訪問看護との連携 (将来)老人デイナイトケア ○地域リエゾン課 ・退院時地域リエゾンカンファレンス係 ・長期入院患者社会復帰促進プラン係 社会的入院患者評価 退院準備作業(ホステルで評価するなど) 社会資源受け皿整備(アパートや外勤先開拓など) ・社会資源情報整備係 ○家族教育課 患者・家族教育の実施と効果判定のアレンジ ○医療相談課 各種CW業務 ○社会療法部広報課 印刷技術を生かす 職員構成は医師、OT、PSW。しかしこれらは本来の所属があるので、おおむね兼任の形をとる。 1593 本人と家族に手渡す「退院時指導書」 または本人・家族教育修了後のパンフレット。 これらを作製する。 1594 外来通院、デイナイトケア、訪問看護、クライシスラインを一体のものとして組織し地域の患者を支える。 1595 リハビリ参加増加、また保護室不使用の程度にしたがって、服薬自己管理、面接自己管理、タバコ自己管理、外出許可、外泊許可など、患者の自主独立の活動を増やす。自己責任部分を増やして意欲と自発性を引き出すことができないか。 1596 精神科リハビリテーション病棟 「心のケアホーム」構想……生活支援・福祉的居住施設。介護保険制度の対象となる。老人保健施設に対応する施設。 1597 社会防衛的医療、処遇困難例、触法患者は公的施設でケアして欲しい。 1598 明るく身近な精神科施設。 予防的精神保健活動。→ここを工夫できないか?考える。 地域精神保健は保健・医療・福祉の連携・統合である。 1599 社会復帰のために看護婦のする仕事。 ○評価の仕事 症状評価……BPRS,SANS,WPRSなど 日常生活状況評価……チェックリスト……不足なら適切な訓練 患者教育の成果評価……チェックリスト ○働きかけの仕事 意欲・自主性 協調性 現実検討・現実性 これらを引き出すための工夫を考える。 1600 社会的入院のピックアップ基準 @医療としては問題ないこと 薬は安定している・コンプライアンス良好 陽性症状はあっても日常生活自立を妨げない状態が一年以上続いている 陰性症状はあっても日常生活自立を妨げない 病識あり 閉じこもりきりにならず社会生活を送れる(仕事ができる、またはデイケアや作業所に通える) 再発危険時に受診相談できる A退院先の確保ができないこと 家族の受け入れが整わないこと(なぜ?) Bホステルなどで試してみて、自立生活が可能であることが実証されていればなおよい。 1601 長期入院者社会復帰促進プラン ・いわゆる「社会的入院」にあたる人のリストアップ。レベル・状態に応じて分類する。 ・使用可能な社会資源の検討。さらには不動産屋・大家と懇意になれるか検討。 ・具体的な社会復帰のめどがないのに社会復帰療法をすすめるのでは不十分である。 ・具体的なケース検討会。参加は医師、看護婦、OT、PSW、地域担当保健婦、通院予定施設PSW、生保ワーカー、作業所指導員、グループホーム指導員、可能なら家族など。社会復帰計画を立てる。……この作業を社会療法部会でおこなう。生活歴、現病歴、性格、治療経過、検査結果、日常生活能力、職業能力、暮らしの状況について情報を持ち寄る。 ・社会復帰計画に従って実行。結果をフィードバックして、次からのプランに生かす。 ・以上の作業のための書式を作ること。 ・退院後の通院先と担当保健婦や訪問看護担当者、福祉ケースワーカーに手渡すデータの書式を整える。入院時から情報収集を開始する。医師、看護婦、OT、PSWの分担を明確にする。大きくわけて、薬・体・心、日常生活、職業能力・特性、暮らし全般のそれぞれを担当する。 1602 退院時カンファレンス資料 ○医師から 診断、生活歴、家族歴、現病歴、性格、治療経過、検査結果、患者教育の成果(病識、コンプライアンス、病気について、再発防止について、再発時の対処、受診のタイミング、社会資源利用などについての理解)、今後の予測 ○看護から 病棟での症状評価……PANSS 日常生活能力……LASMIなど? 陽性症状・陰性症状は日常生活をどの程度妨げるか 性格評価 ○OTから 職業能力評価 職業準備教育は完了したか 職業適性 集団内での適応 ○PSWから ・暮らしの状況(収入・預貯金、住居・大家の理解、職場の理解、友人ネットワークのメリット・デメリット) ・家族状況   家族教育(精神状態、薬、EE、受診タイミングなどの理解は十分か)   家族調整の要否   家族親戚がどのように援助するか具体的に提案できるか ・仕事探しの援助 ○退院後ケア体制としてどのようなものが望ましいか ・通院先 ・デイケア、AA、ソーシャルクラブ、作業所、グループホーム、援護寮などの利用 ・訪問看護、地域保健婦や生保ワーカーの関与のしかた(住居、職場、生活費など) ○再発要因とその対策のまとめ ・不眠・不食・拒薬への対策 ・再発早期発見の方法 ・再発要因と予防の要点 1603 組織 案 東京海道病院臨床業務部分 院長 医局   臨床心理室 社会療法部   医療相談課   リハビリ課      地域リエゾン課  患者・家族教育課  社会療法部広報課    看護……総婦長、各病棟婦士長 薬剤 臨床検査 訪問看護ステーション    栄養 事務 社会療法部 ○リハビリ課 ・入院精神リハビリ係 ・入院痴呆リハビリ係 ・通院リハビリ係 精神デイナイトケア……外来、地域、訪問看護との連携 (将来)老人デイナイトケア ○地域リエゾン課 ・退院時地域リエゾンカンファレンス係 ・長期入院患者社会復帰促進プラン係 社会的入院患者評価 退院準備作業(ホステルで評価するなど) 社会資源受け皿整備(アパートや外勤先開拓など) ・社会資源情報整備係 ○家族教育課 患者・家族教育の実施アレンジと効果判定 ○医療相談課 各種CW業務 受診援助、入院援助、退院援助、経済問題援助、住宅問題援助、家族問題援 助、心理・情緒問題援助、療養上の問題援助、就労問題援助、教育問題援助、 日常生活援助、人権擁護、ソーシャルクラブ、病棟グループワーク、デイケ ア、その他 ○社会療法部広報課 印刷技術を生かす 職員構成は医師、OT、PSW。ボランティアのアレンジも考慮する。 1604 せん妄 意識障害のひとつで、興奮や不穏を伴うもの。普通意識障害は精神の働きが鈍くなり眠る方向に向かうのであるが、せん妄の場合には興奮して騒いだりする点が特異である。 1605 地域精神保健 @ポジティブメンタルヘルス活動(積極的精神保健) 心の健康作り 生きがい作り 子育て Aサポーティブメンタルヘルス(支持的精神保健) 拠点作り 制度作り システム作り Bトータルメンタルヘルス(総合的精神保健) 地域でシェアする 1606 家庭、学校、職域、地域とわけて考える。 1607 健康は「栄養、運動、休養」。この原則は精神にもあてはまる。 1608 ネットワークだから核はない。核のないネットワークは代償性が高いのではないか。 1609 地域医療のネットワークは三層に構築する オフィシャルネットワーク プライベートネットワーク……個人的つながり ベーシックネットワーク……関心を持つ住民、ボランティア 1610 小学校での勝手な様子とプロ野球の応援団の集団主義的様子。集団凝集性・一致度が全く違う。 教室で勝手気ままな子供たちと球場で完全に集団の一員となっている人とはもともと違う人なのだろうか。 球場のように強力な場の力があれば集団に沿うということなのだろうか。 1611 精神衛生と精神保健 消毒と隔離の伝染病対策が衛生。健康の増進保持が保健。保健には積極的な響きがある。 1612 疾病性だけではなく、事例性としてとらえて対応することが大切。 illness--medical care caseness--case work,care 1613 精神病と脳病の差 精神病=脳病(身体医学的把握)+現象学(心理学的把握) 1614 地域保健活動 @手帳の交付・啓発活動 A健康教育 B健康相談 C健康診査 Dリハビリテーション(機能訓練) E訪問指導 F 1615 保健所事業 @普及・啓発 A健康教育 B相談・訪問 C保健所デイケア D家族会 E地域ネットワーク 1616 保健所連絡会議 @事務連絡会議 Aデイケア業務連絡 Bケース検討会 C企画会議 1617 PANSS:陽性・陰性症状評価尺度 P1 妄想 P2 概念の統合障害 P3 幻覚による行動 P4 興奮 P5 誇大性 P6 猜疑心 P7 敵意 N1 情動の平板化 N2 情動的引きこもり N3 疎通性の障害 N4 受動性・意欲低下による社会的引きこもり N5 抽象的思考の困難 N6 会話の自発性と流暢さの障害 N7 常同的思考 G1 心気症 G2 不安 G3 罪責感 G4 緊張 G5 衒気症と不自然な姿勢 G6 抑うつ G7 運動減退 G8 非協調性 G9 不自然な思考内容 G10 失見当識 G11 注意の障害 G12 判断力と病識の欠如 G13 意志の障害 G14 衝動性の調節障害 G15 没入性 G16 自主的な社会回避 1618 LASMI:精神障害者生活障害評価尺度(精神科診断学 5,221,1994) 1619 デイケアという処方は何を狙っているか。 デイケアは「ほっとして、次に元気が出てくる」という。レストとアクトである。患者を保護して元気づける「時間と空間の処方」である。さらにそこには職員や他患がいて、「人の処方」も可能である。また、自らの意志を展開する場所を与えることにより「患者の意志」を処方の狙いとすることも可能である。 1620 作業療法という呼称は作業所につながっている。そして、労働は神聖で人格を形成するとの過去の通念が影響している。 1621 精神障害者社会生活評価尺度(LAMSI)  1 身辺処理 @生活リズムの確立 A身だしなみへの配慮……整容 B身だしなみへの配慮……服装 C居室(自分の部屋)掃除やかたづけ Dバランスの良い食生活 2 社会資源の利用 @交通機関 A金融機関 B買い物 3 自己管理 @大切な物の管理 A金銭管理 B服薬管理 C自由時間の過ごし方 4 対人関係 ・会話 @発語の明瞭さ A自発性 B状況判断 C理解力 D主張 E断る F応答 ・集団活動 @協調性 Aマナー ・人づきあい @自主的なつきあい A援助者とのつきあい B友人とのつきあい C異性とのつきあい 5 労働または課題の遂行 @役割の自覚 A課題への挑戦 B課題達成の見通し C手順の理解 D手順の変更 E課題遂行の自主性 F持続性・安定性 Gペースの変更 Hあいまいさに対する対処 Iストレス耐性 6 持続性・安定性 @現在の社会適応度 A持続性・安定性の傾向 7 自己認識 @障害の理解 A過大な自己評価・過小な自己評価 B現実離れ 1622 コンピューターをはじめとする技術革新は物流革命をもたらした。医療分野で何ができるか、考えることは価値がある。 ○外来 ・コンピューターオンラインで、薬剤の待ち時間が節約できる。 ・面接の待ち時間を合理的に管理できないか。 ○入院 ・同じ内容の処方や文書を何度も書かなくて済むようにしたい。 ・各病棟に足を運んでいる時間があったらもっと有効に使いたい。朝のうちに緊急度に応じてドクターに要請を出し、ドクターはその要請に従って一日のスケジュールをこなす。そのほかに救急コールなど。 ・患者の自発性を向上させるために使えないか。ソフトな管理に移行できないか。 このように考えてみて、「不満」や「改善点」は医者の側にはあまり感じられないのではないかと思う。 1623 患者ごとに最適な刺激レベルをセットする。その刺激レベルをめどとして日常生活、病棟生活、作業、デイケア活動などを計画する。「最適刺激レベル」は何によって知ることができるか? 1624 リハビリでいう、「人間作業モデル」とは何か?Kielhofner. 1625 この病院は各部局がタコツボである。それだけではない。医者同士でさえ、タコツボである。組織の精神病理である。 →「組織の精神病理」を展開できないか? 1626 精神科リハビリ……社会復帰を目指すとしても、社会の受け皿がなければ空しい……どのような社会資源があるか?開拓の戦略はどうか?地域は受け入れる心の用意ができているか?……共同体のあり方。会社や地域は障害者をどのように遇するのか。 共同体の倫理は個人の倫理の総和ではない。 しかし一方で、治療者の側にリハビリの戦略はあるのか?……理論と技法と制度(治療構造)……評価と働きかけ、それらの背景となる理論。 1627 リハビリ ・cure:精神療法の延長……心理職……ファンタジーの次元で癒す ・care:作業の延長?……OT職……現実的・現実検討回復的 しかし広義の精神療法は「ただそばに寄り添うこと」のシュヴィング的態度を含む。それはcareである。 どちらの系統であっても、本質的に深いものは共通の深みにたどり着くだろう。入り口あたりでうろうろしている場合には、かなり異なるものと映る。 お話を聞いて、現実的実際的アドバイスを返すことも精神療法ならば、違いはない。 1628 リハビリ活動の二大別 @現実検討を増大する方向の活動……現実的対処(現実を処方する) Aファンタジーを刺激する方向の活動……深層を操作する 手術にたとえるとして、メスで切り裂いて病患部を操作するタイプと、傷口を乾かして新しい皮膚ができるように促進するタイプとがあると思う。癌のような深部の病理には前者を適用し、擦り傷のような浅部の病理には後者でよい。 1629 共感と投影の差。 「親は嫌いだ」と相談者が語る。それに対して、自分の「親体験」を投影して応じるのは共感ではない。 共感的技法ではなく、自分の体験や考え方をぶつけるという常識的方法を採用する場合もある。 1630 当事者にならなければ分からないことばかりである。他人には何も分からないのだと謙虚になった方がよい。 1631 アセスメントする技能領域一覧(池淵) a.日常生活の自立 身だしなみ、家事、食生活、金銭管理、買い物、交通機関の利用など b.職場・学校・デイケア・作業所で役割をどの程度遂行できているか 参加状況、参加態度、周囲との協力関係、仕事の達成度、本人の満足度、周囲からの評価など c.家族関係は円満か、家族としての役割はこなせているか 家事、家庭人としての役割遂行、家族間の親密さ、家庭問題解決の技能 d.交友関係 親愛関係の維持、肯定的自己主張、断るなどの否定的自己主張、会話の開始と維持、余暇の過ごし方 e.再発に関連した諸技能 服薬自己管理、症状自己管理、ストレスへの対処技能、持続症状への対処など 一人暮らしの人ならaが、家族と同居する人ならbが重要。 1632 精神科リハにおける心理学。チーム医療の視点。 行動評価尺度を用いる理由……スタッフがとらえにくい行動。 1633 ケースマネジメント ○強調点 ・利用者の個別の立場に立つ ・サービスを調整する(援助をパッケージ化する、地域の状況に合わせる) ・計画的におこなう ・継続的におこなう ○内容 ・ニーズ・アセスメント……アウトリサーチが基本、チェックリストが有用。 ・プランニング……ニーズに順位をつける、ミーティングを開き、連携内容と期間を限定することも大切。 ・介入 代行者、教師・指導者、案内者・同行者、解説者、広報専門職、支持者、などとして。 ・モニタリング……紹介して終わりではなく、経過をモニターする。 ・評価……全体の動きを評価する。目標達成度や利用者の満足度など。 1634 地域での生活のノウハウを教える。プライベートな情報ネットも大切。地域生活ネットワークが構築できるか。 1635 病棟管理医の仕事 病棟レクの問題 引継方式 記録方式 カンファレンス・ミーティング 教育 他部署との連携・具体的なタイムスケジュール 1636 「依存させる福祉」の問題点。 1637 退院時・PSWのチェック項目 住居 経済 職場 家族関係 社会資源の利用 とりまく人々の配置・サポートシステムとしてどうか? 以上から ニーズとプラン 再発因子・対策 1638 退院時・看護部のチェック事項 陽性症状、陰性症状、日常生活能力について、PANSS,LAMSIから抽出。これらが日常生活をどの程度制限するか、評価。 性格因子・対人関係の特徴・行動特徴についての情報。 再発因子と対策 1639 退院時・OTのチェック事項 ・OT場面での観察報告……参加の状況、作業内容、態度、自己評価、周囲の評価、集団内での振る舞いの特徴、作業能力、職業適性、就業にあたって注意すべき点、仕事を続けるために注意すべき点、事業所への連絡事項はあるか、サポート体制を工夫できるか ・再発因子と対策 1640 ケースワークシステム リハビリのための包括的最適システムが半ば自動的に機能するように工夫すること。利用可能な社会資源の中で最適の組み合わせが出力されるようなシステム。 ケースに対して自動的にチェックがかかり、ニードが発見されれば対策は自動的に決まる、……などと半自動的なシステムを作れないだろうか? 問題発見と解決の循環を手続き化する。 「たまたま特殊な事情によってうまくいった」タイプの解決が続くようだとよくないと思う。 1641 精神病の場合も、病院をつきとめ根治療法を探るのが第一の道である。しかしそれが現状ではできない以上、リハビリテーションやノーマライゼーションが大切である。精神医学の本来の目的は精神病者のQOL向上であることからも、また、人権への配慮の面からみても、リハビリテーションやノーマライゼーションが必要である。 そのためにはチーム医療が不可欠である。 1642 「それを必要とする人を集めてサービスを提供するのではなく、人にサービスを集める」方式の援助が大切。 1643 長期入院者の場合、ひきこもりなどの状態を「陰性症状なのか、施設症なのか」と問うことが必要である。Hospitalismともいえるし、Prisonizationという言葉もあるようである。 施設症の場合には自発性欠如や依存性格などがみられても、生活状況を改善すれば元に戻る。 毎日新聞1997年2月7日付けの記事では、「外出制限・少ない入浴回数が施設症の発生と関係していることが裏付けられた」と報じている。精神病院協会ではそれは陰性症状と施設症を意図的に混同して精神病院を攻撃する材料にしたものだと反発している。 1644 世間の人の病気についての知識は、体の病気についてと心の病気についてとでは大きな開きがある。 とくに心の病気の場合には、病気なのかストレスによるものなのか、心因性疾患というべきかなど、不明な点も多いと思う。医者自身が混乱しているのだから、その知識を受け取る側がすっきりと理解できているはずはないだろう。 予防医学の観点からも、職場検診などで身体病のスクリーニングは能率よくできるようになった。精神面ではまだできていない。 1645 管理職の要求 ・部下の言動が健全か病的か。数字で示す方法はないか。あるいは数字ではなくても目安となる基準はあるのか。(これについては現実検討などが基準になるけれど、それだけではない。防衛機制の質にまで言及すれば良いだろうが、難しい。しかし、系統立てて説明すれば分かりやすいはずである。否認→外部現実歪曲→心的現実歪曲→良好な現実検討) ・予防に何が役立つか。 ・上司のいかなる言動が悪影響を及ぼすか。 ・精神健康についての知識が身体保健の知識と同程度の普及がなされることが必要である。 1646 心身一如の観点から、心の状態を数値化できないか。 1647 管理職の要求 上司は部下にプレッシャーを与えながら能力向上を促す。それが効奏する場合もあるが、部下をつぶしてしまう場合もある。このあたりをあらかじめ判定するにはどうするか。「ストレス耐性」とでもいうべきもの、つまりどのくらいのストレスならば耐えられるかという、量の問題。または「ストレス対処回路の特性」とでもいうべき、ストレスの質と対処回路の質の問題がある。 このあたりを測定するテストは開発できるか?フラストレーション場面を見せて反応を探るタイプのテストが使えるかもしれない。 1648 サラリーマンと精神医学 どのタイプのストレスに弱いか。 どの程度のストレスに耐えられるか。 →ストレス耐性構造の数値化。 また、職務適性や管理職適性などを測定表示できないか。それを参考にして自分の思考や行動のパターンを改善できないか。 信長、秀吉、家康の三人はこの順番で登場する必要があった。組織の直面している課題とリーダーシップの質の関係も大切である。 マネジメントスタイルの研究といってもよい。 1649 組織のストレス 階層構造や縦割り分業組織のもたらすストレスがある。 階層構造のなかでは、顔の見えない上層部からの決定や噂や批判が届けられ、大きなストレスになる。 縦割り分業組織では全体の見通しが得にくく、横の連絡がない。さらに他部署との利害が対立しやすいため、末端部署での閉塞感・疎外感が生じる。 このあたりはコンピューターネットの利用で克服できないか? こうした現代的組織の特性がストレスを生み出す。その上に、各構成メンバーのパーソナリティの問題が加わる。 組織の特性から生じているストレスが、特定の個人のパーソナリティの問題に見えてしまう場合があると思われる。 組織のプレッシャーが人格化されている。このような問題にも対処できるのが望ましい。 1650 職場の精神保健 ・組織の特性がうみだす病理……具体的には分業体制を敷いてマネジメントしてゆく手法がもたらす精神病理。これがとのようにして個人の「下痢」につながるのかについて考察する。 →求められている。平凡な解答は簡単である。しかし本質的な解答をもとめるとすれば難問である。 ・表面的には現代の特色を追いかければレポートにはなる。コンピューター化、フレックス化、在宅化、国際化など。 1651 職場と精神医学 ・病気の予防……病的状態の理解、どんなときにどこに受診すべきか、悪い態度、よい態度、など。 ・適性の判定……仕事の内容と適性、管理職適性、(どのような課題に向けての管理職なのかについてまで問われる) ・採用時の注意点……これぞまさに人事の最大のノウハウ。容易にわかることではない。 1652 施設に人を集めるのではなく、人にサービスを集める。転換。 1653 診断する権力 メンタルヘルス活動は社会防衛部分を含むことがある。その運用に疑問がある場合もある。極端な例は、反社会主義者を「分裂病」とレッテルを貼り隔離収容する「社会防衛」。マイルドな例では、病気に関係なく親に対して正当な批判を述べているにもかかわらず、「病気のせいでおかしなことを言っている」ことにされてしまう場合。「精神病と診断すること」は、診断の権利を握る側の「防衛力」となり、ときには「攻撃力」となる。 1654 職場リエゾン精神医学 ・職場で精神医学的と思われる問題が発生したとき、精神科医やカウンセラーを訪ねやすい状況を作る。 ・普段から精神医学、メンタルヘルスの啓蒙活動をする。第一次、二次予防。 ・何が精神医学的問題であるか、わかるように啓蒙する。 ・職場復帰が当たり前である風土をつくる。第三次予防。復帰しやすい制度を作る。たとえば50%勤務や70%勤務の制度。年休を時間刻みで消化する制度。長期欠勤者が発生した場合に仕事を補う者を手当する制度(これがないと現場では欠勤者を憎むようになる)。 ・会社内のケースワークを充実させる。 ・管理の強化や会社防衛の手先にならないように注意する。 ・身体科の集団検診制度に乗せるか、別建てでいくか、集団スクリーニング制度を考える。 ・プライバシーの問題。公開すると出世にさしつかえると考えて、秘密にする人が多い。しかしそのせいで、周囲の人に「性格の問題」と考えられてしまう場合がある。会社に知られたくないからと健康保険も使わず自費で診療を続ける人もいる。このあたりも改善の必要がある。 1655 病棟での分裂病者の様子を見ていると、何かをしながら別の何かをすることができないようだとの指摘。確かにそうかもしれない。 そこで、「ながらテスト」を考える。大脳高次機能テストとして、「かな拾いテスト」と類似の発想。 たとえば、テレビを見ながら机で何かの作業をするのはよくある風景である。テレビを見せながら、クレペリンテストをやる。作業能力をはかると同時に、テレビの内容理解を尋ねる。集中しすぎるよりも、注意力を分配できる能力を評価する。 1656 本質的欠損と廃用性機能障害とを区別するテストはないか、考える。 1657 本質的欠損の場合にも、周辺の神経細胞が代償性に機能を肩代わりするから、やはりリハビリが有効だとの考え方もあるだろう。 機能障害があるとき、神経細胞ネットワークが 1)つながっている。→廃用性機能障害。廃用に対するリハビリ。 2)切れている。代償の可能性もない。→本質的欠損。良肢位への固定のためのリハビリ。 3)切れているが代償回路ができている。→代償回路形成・定着のためのリハビリ。 一応このように分類できるのではないか。 1658 精神科入院は「罰」ではない、治療なのだと教育する必要がある。ここのところを分かっていない患者が多い。また、病棟のアメニティの低さはまさに「罰」であるとも思えるようなものである。 1659 障害児は養護学校の帰り道に落ち葉を拾ってはいけない。その理由二つ。 1)障害児は道に落ちているものを、誰かの所有物かそれとも誰のものでもないものか、識別する力に欠けている。ときどきは他人のものを持っていってしまうことがある。状況判断ができなのだから、「道に落ちているものは決して拾わないように」と教育することになる。 2)地域住民は障害児が歩いていて何か拾った場面を見た時、「障害児だから識別力がなくて、人のものをとったかもしれない」と疑う。そのように疑われないようにするためにも、道で落ち葉を拾ってはいけない。 1660 課題 サラリーマンの精神医学をもっと考える。 1661 まず地域全体に施設を利用したい人が何人いて、どのような施設がどれだけ足りないのか、明確にする必要がある。 また利用者が必要を感じたときに、社会資源の性格、内容、場所などについて分かりやすく説明する必要がある。初回の総合相談では、現段階ではここから利用していきましょう、次はこのような計画です、と提示できるようにする。 どこかの施設が受け入れたとして、その後の連携をシステムとして組んでおく。 情報提供できるキーステーションが必要である。これは同時にケースワーク活動の拠点になる。施設が増えるほど、こうしたケースワーク・キーステーションは重要である。 ネットワークを作ることと情報サービスの窓口を作ることの両方を実現しなければならない。 1662 各施設の悩みとしては、病院やクリニックにつながっていないと不安であることがあげられる。たとえば作業所での過度の抱え込みがあげられる。 1663 登校拒否についてのひとつの見方(吉川武彦) 社会に対する抗議は 1950年代・大衆運動として国家権力に・労働者 1960年代・学生運動として権威機構に・大学生 1970年代・校内暴力として権威象徴に・高校生 1980年代・家庭内暴力として親たちに・中学生 と変遷していて、これは@抗議の担い手が若年化し、それに伴い抗議対象も変遷する傾向を示している。さらにA都市部から周辺部へと遅れて拡散する水平的拡散傾向もみとめられる。 @に対しては権力側の対策が、強攻策と懐柔策を合わせて成功しているからである。 1664 ハビリテーション リハビリテーションではなく、ハビリテーション。療育(医療と教育)。 もともと教育が欠けている場合には教育が必要。 養護は教育・療育をおこなう。 分裂病者の場合、元来あったものが病気によって失われたものか、あるいはもともと育たなかったものなのか。病気によって失われた場合、陰性症状(本質的欠損)なのか廃用性機能障害なのか。 陰性症状と廃用性機能障害の区別は容易ではないように思う。結局、訓練をしてみて、比較的早期に回復するなら廃用性であるというくらいしかいえないのだろうと思う。つまり、どの場合でもリハビリは行うべきであるということだ。どうしてもだめなら本質的欠損であるということになる。そして良肢位での固定を考える。 1665 良肢位固定の例 「どうも」というあいさつは大変よい良肢位固定の例である。活用場面が広い。状況を正確に判断する必要がない。 1666 その人の実際の生活時間を追跡してみて、再発要因を探る作業が必要である。 1667 施設症 廃用性萎縮 ホスビタリズム Hospitalism Prizonization Institutionalism 1668 ビジョンと実行 1669 社会の中で癒されることが大切。 デイケアが中止になったら働き始めた人がいた。施設から出て社会の中で癒される。それが本当の社会療法である。 特殊施設がひとつもない状態が社会療法のもっとも理想的な形ではないか。 1670 成人するまでは親の責任。成人したら本人の責任。ということは、成人してからの精神病者の保護者は親ではなくて社会全体が引き受けるべきなのではないか。 この考え方に一理あるような気もする。 1671 セルフ・ヘルプ・グループの形成 常時開放されていて、そこに行けば誰かいるだろうという、大学のサークル部屋のような環境。 1672 社会療法の最終地点はコミニュティの再生である。 1673 急性感染症から慢性疾患へと疾病構造が変化した。それに伴って健康観が変化した。 1674 病院は個性を無視する場所である。一律処遇は苦痛である。 それでも許されていたのは、精神病院が社会防衛の道具にされてきたからだ。社会も家族も見捨てたい人を収容してきたからだ。そこにあったのは医療でも福祉でもなく監禁であった。 1675 精神医療の問題点。治療開始への抵抗。ここを突破できないと非常にこじれてから治療が始まり、結局治療は長引いて予後も悪いということになる。 1676 その患者特有の危機のサイン。サインの出し方。 1677 精神科リハビリ ・前段としての生活臨床の蓄積 ・@能力障害の改善A環境調整 能力回復のために過重な負荷をかけると再発の危険が増す。しかし現状の能力に見合った環境を与えるのでは本来あるはずの発展可能性を阻害する。バランスのとれた介入が必要。つまり、その人の潜在能力を正確に評価し、最大限のQOLを引き出す。 ・@能力向上と環境調整の両面作戦。包括的アプローチ。Aユーザーの意思尊重。動機付けの問題。B入院と地域生活を包括するプログラム。C他職種チームアプローチ。D集団の活用。Eアセスメント、プラン、実行、評価、これらプロセスの重視。 ・SST ・患者心理教育と家族教育 行動療法的家族指導、心理教育的家族マネジメント、家庭訪問家族療法、複合家族療法、家族教室 ・職業リハ 退院後の成功は作業能力だけでは測れない。地域で生活する能力、対人技能、精神症状などが独立の変数として関与する。 訓練後就労よりも実際の職場で訓練する方式がよい。 過渡的雇用(transitional employment)……複数のものがひとり分の仕事を請け負う。 援助付き雇用(supported employment)……スタッフは企業で雇用主と障害者双方への援助を行う。期間修了後に就労に結びつけばよい。 分裂病者の場合には獲得されたよい適応が次の職場で必ずしも発揮されない。援助付き雇用のほうが職場への定着期間が長い。 仕事探しクラブもある。 前職業的訓練で何を獲得目標とするか。野津は基本的な職業人としての機能をwork personslityととらえる。 獲得目標の明細化。 ・地域支援プログラム 「地域における積極的な支援継続チーム」(PACT)……訪問などの積極的働きかけ、日常生活の場での援助がある、個別化されたプログラム、24時間の危機介入サービス、ケースマネジメント。……これはしかし援助終了後18か月後には効果は消える。つまり期間限定援助ではなくて継続的地域ケアシステムが必要である。 ・居住プログラム 専門家の関与の程度、居住者の自由度 ・ケースマネジメント……事例のアセスメント、サービス調整とモニター、訪問指導、入院部門との連絡、地域社会資源情報 ・デイケア 陰性症状改善、再発率低下、過度の退行を防止などの効果があるが、何がその要因かわかっていない。 デイケアの機能分化……危機介入、入院から外来への移行のケア、能力開発や職リハ、地域デイサービスなどを区別する。 ・共同作業所 1678 リハの課題 ・機能障害と能力障害の区別、機能障害を視野に入れたリハ ・疾患→機能障害→能力障害→社会的不利というモデルは精神科疾患では適合しない。結局、状態像のモデルがまず大切。モデルが違うから、医師・心理・OTなど各部署で話が通じないのではないか。 ・分裂病の経過とモデル 慢性進行の予後不良型は少なく、再発寛解型が多い。 10年の不安定期、特に最初の5年の不安定期にもっとも再発率が高い。再発防止のため服薬教育などが大切。早期からのリハは有効かどうかデータがない。 不安定期後の10余年はストレス脆弱性モデルが適切。能力障害介入に重点。 安定期には環境調整。 1679 1990年 Anthony のリハについてのまとめ。「Psychiatric Rehabilitation」。 1680 精神科救急システム……総合的精神科救急プログラム 患者のいる場所に出向いて救急介入を行う「Mobile Crisis Team」。 「トリアージュ」救急場面での振り分け。 1681 外来プログラムの細目 ・短期 部分入院プログラム 集中的精神科リハビリテーションプログラム ・長期 外来クリニック・プログラム 継続的デイケア治療プログラム 1682 ニューヨークで、社会復帰を促進し、QOLを向上させる「地域に根ざした総合的ケアシステム」。 1683 IRP:Intensive Rehabilitation Program IRU:Intensive Rehabilitation Unit CIPRP:Comprehensive Intensive Rehabilitation Program 期間を限定して包括的なプログラムを組む。いろいろな資源を結合させる。 1684 デイケア治療ガイドライン作成のための検討課題(池淵1995) @精神科リハビリテーションの中でのデイケアの役割と目的 A対象選択:効果が期待できる対象の選び方 Bデイケア治療の動機付けと導入の方法 Cデイケア治療目標の設定 D集団運営の方法とスタッフの関与の仕方 Eデイケアにおけるプログラムのあり方・工夫と活用の方法 F社会生活における機能の障害(生活障害)に対するデイケア治療の方法 G再発予防におけるデイケア治療の方法 H家族へのアプローチの方法 Iデイケア終了後のアフター・ケアの方法 J精神科チーム医療の技術論 1685 患者サークル結成があってもよい。 1686 全体をケースマネジメントとして考える。 ケースマネジメントのなかに医者の利用、リハビリの利用、社会資源の利用なども含まれる。患者の自己決定権の補助をする。治療に自己決定プロセスを持ち込むことで患者に本質的な変化をもたらすことができるだろう。 1687 OT……個別作業、役割作業、話し合いによる自己決定を含むプログラム、リーダー育成 集団精神療法……聞く参加、話す参加、相手を受けとめる参加 SST…… セルフヘルプ・グループ…… 各プログラムの中にもステップがある。 1688 リハビリの評価。能力開発と環境調整の同時進行。 @まず、現在の能力曲線と潜在的に達成可能と考えられる能力曲線を評価する。潜在的に達成可能な能力が最終目標である。 A短期目標を設定し、プログラムを考える。 B短期目標に適切な環境を調整する。 C一方で、最終目標に適切な環境の用意をめざす。 1689 ながら作業テスト テレビを見ながらよくなれた作業をする。この能力をテストしたい。 1690 外来クリニックプログラム 集中リハ 継続リハ などを適切な時期をとらえてアレンジする。 1691 デイケアの機能別の効果判定 時期 回復期 リハ 維持療法 治療目標 機能障害からの回復 生活障害改善 帰属集団提供 外来への移行 QOL向上 プログラム例 ストレス対処技能 SST OT 家族療法 職リハ レク 自助グループ 効果判定指標 精神症状 特定の生活障害 医療からの自立 陰性症状 再発率 再発率 再入院率 再入院率 1692 地域リハビリテーションの重要性が叫ばれるが、病院リハも大切ではないか、との指摘。 1693 江畑「分裂病の病院リハビリテーション」 12章の内容 近年の精神分裂病理解の変遷 慢性分裂病の治療論 病院リハビリテーションの展開 教育的家族療法 職業リハビリテーション 各種病棟でのリハビリテーション デイホスピタル(昼間病院) 看護の役割 チーム医療 地域リハビリテーションとの連携 21世紀の精神病院におけるリハビリテーションに向けて 1694 リハの各側面 廃用性機能障害……能力再建 もともとの欠損・教育欠損・体験欠損……能力開発 代償可能な欠損……能力再開発 代償不可能な欠損……良肢位の固定、「どうも」とあいさつ。 1695 医療、リハ、福祉が並行して包括的に実施されること。アレンジの技術が医師にあるか。包括的プログラムの大切さ。ケースマネジメント。 1696 心理社会療法部 1697 地域精神医療の問題点。分裂病者と、性格障害者・薬物中毒者とを同一の枠で処遇するのは間違いだと思う。 生活保護の問題も同様である。本当に必要でよい使われ方をする場合と、その逆の場合と。難しいものだ。 制度には必ず難点がある。 1698 集団療法担当者の工夫 医師カルテに記載していて、アピールしている。気に入っている医師もいる。 レポートを各部に配っている。これも目立つ工夫である。 1699 医学は疾病を対象とし、看護学は「疾病に対する人間の反応」を対象とする。したがって精神科看護学は一段と高次の反応研究になる。反応する部分が病んでいるからだ。 1700 障害者の福祉を視野に含むようになって、医学から福祉へと精神科医療の領域は変化しつつある。 精神医学では従来から生活障害が問題であった。その点では先取りしていたといえる。 1701 最近の家族関係、近隣関係を見ると、危機に直面したときのサポートが得にくくなっている。そのせいもあって、精神保健上の問題が浮上しやすい。 サポートシステムの欠如。 1702 精神保健対策は一般に管理強化によって対処することが多くはないか? 登校拒否にたいして教育管理を強化する。または不可解な行動として精神医学の枠にはめ込む。 それはよい解決だろうか? 1703 精神科的対処は、自己評価や自信を傷つけることなく行われているだろうか?心を傷つける何かを代償として含むのではないか?それでよいのか? 1704 精神科の入り口と出口に大きな問題あり。 入り口 ・敷居が高い。 ・精神科救急システムが確立していない。 ・訪れやすい場所。 ・訪問チーム。 ・精神保健問題がどのようなときにどのようにして浮上してくるのかがつかめていない。 ・利用者の生活の流れに沿って活用できるサービス。施設が利用者中心に組み立てられていない。生活基盤を損なわず、必要なときにサービスが受けられる。 出口 ・精神病病床35万床、社会的入院10万床。社会的入院者のための社会復帰プログラムが明確になっていない。 ・病院内ケアから地域ケアシステムへの転換に向けて、各方面からの多面的な取り組みが必要。医療、保健、福祉、立法、行政、司法など。 1705 ケースマネジメント 薬剤と精神療法の処方も必要であるが、各社会資源の利用、人との結びつき、制度の利用など、ケースマネジメントの手法も大切な処方である。 1706 心理職と看護婦の仕事。いままでは心理療法は心理職の仕事で、看護婦はできなかった。SSTをやれば看護婦も精神療法的に参加できる。ここが利点である。 1707 SSTは犬と共産党員に適用される技法である。 1708 神経症デイケア、うつ病デイケアは十年はやい。 1709 自己愛同盟 治療者の病理。社会に踏み出させることを恐怖する。いつまでも密室の依存関係を続けたい。 自分に自信がない人の適応スキルである。患者に必要とされているという妄想の中で生きていたい治療者である。 1710 自分を笑える人は偉い。 1711 ジャクソニズムと本質欠損、廃用性機能障害の理論を結合させること。 機能を再度組み立てる順序はどうするか。→これがないとプログラムを組む根拠がない。 1712 入院精神療法とOT,SSTの整合性 医療モデル……精神医学的治療 障害モデル……リハビリテーション 精神科治療には大きくわけて医療モデルに立つものと障害モデルに立つものとがある。理論通りにきっぱり分かれるものではない部分もあるとはいえ、有効な考え方である。おおむね急性期治療では医療モデルが適応される。リハビリ期にはいるとOT,SSTなどが中心になる。SSTの但し書きには「急性期の精神疾患患者は対象としない」とあるり、位置づけはリハビリである。 医者が行う入院精神療法にしても、入院後六ヶ月に関しては高く、それ以後は安くなる。早期退院を促す意味もあるが、治療の中心をリハビリ的働きかけに移すという意味だろう。 入院集団精神療法は医師が必要で、その点でも精神療法の意味あいが強い。週に二回可能という点も、濃厚な精神療法的関わりを意味しており、たとえばTグループ、エンカウンターグループ、サイコドラマなどの治療法を中心として想定しているのではないか。SSTは最初の六ヶ月は週に一回である。 1713 CNS:Clinical Nurse Specialist 大学院卒業レベルの看護職。 1714 ケアマネジメント どんなサービスが必要かは、サービス提供者ではなくケアマネージャーが決める。この方式は正しいと思う。患者の専門知識の不足を補い治療の選択のアドバイスをする。 1715 地域リエゾンカンファレンスの主旨 ・患者に関する各部門の情報を一つにまとめて考え方を聞く。違う立場の人の意見は参考になる。次第に各人の中で総合的な見方が育つ。 ・ケアの一貫性を保つ。転勤で担当者がいなくなった場合にも、当時の出席者がいれば継続できる。 ・ケアマネジメントの立場。実際の会議はケアマネジメント会議になる。 ・ケアミックスを院内から開始して、地域のケアミックスにつなげる。 1716 Apoモデルがリハビリを考えるときにはやはりもっとも分かりやすい。 急性期にはICUなどで濃厚に医学的治療をする。それを過ぎたら、リハビリ期に移る。欠損に対してはギブス、良肢位での固定、残存機能の活用などを試み、ジャクソニズムを基本とした機能再建プログラムが必要である。 廃用性能力障害に対してはリハでトレーニングする。 これを基礎として分裂病のリハビリモデルを考える。 1717 精神病院の入院環境では、「頭の栄養」が足りない。良質の情報が足りない。深い感情体験もない。集団機能を促進するような適切な環境もない。分裂病の患者同士でどうして適切な集団療法環境ができるだろうか?これではまったく病気を悪くするために入院しているようなものだ。 たとえば、消化機能が衰えている人に対して、ますます劣悪な低栄養食を出しているようなものだ。 入院当初には情報レベルまたはストレスレベルを低く設定することが治療として必要である。リハビリ期に入った患者さんに対しても低情報環境を持続するのは間違いである。この点では病棟の機能分化問題と連動している。 1718 脳神経回路の新築と再建の違い。このあたりを脳神経細胞に対する働きかけをイメージして考える。 1719 機能再建は神経ネットワーク再建のイメージを基本にする。 1720 サラリーマンのストレス量 ・仕事の内容と量 ・対人関係 ・家庭生活 これらが柱である。 1721 OTの課題 ・受け入れ時の「動機付け」の工夫。看護婦など説得する人の理解も重要。広報活動や看護部との交流が必要。誤解をとき、魅力をアピールする。 ・Drへのレポートを工夫する。 ・職員さんがOT室に来る機会を作る。病院サークル活動は使えるかどうか。 1722 縦軸にストレス量、横軸にストレス耐性(またはストレス脆弱性、体質)をとってグラフにすると、発病、成長・進歩、退行の三つの領域に分けられる。ストレス耐性に対して過剰なストレスがかかったときには発病する。ちょうどよいストレスの時には成長・進歩する。ストレスが少なすぎるときには退行する。 ストレス量を調整するのは環境調整である。 ストレス耐性を調整するには、薬、SST、学習などが有効である。 このモデルは大変有用である。 1723 サラリーマンとストレス耐性 上司の仕事は各人のストレス耐性に見合った量・質の仕事を与え、成長や満足感を引き出すことである。仕事の性質と部下の特性の両方を的確に把握する力が必要である。あまりにつまらない仕事では成長しないし満足感もなく、退屈して士気が低下してしまう。あまりに過重な仕事ではつぶれてしまう。ちょうどよいストレスを負荷して育ててゆくのが仕事である。 たとえば、NTTの場合、将来の幹部候補生として見込みがあるかどうかをどのようにして見分けるか、ノウハウがある。基礎学力や仕事の質などの点で見劣りがあってはならないし、TEGでのCP,NP,A,FC,ACがバランスよく分布していなければならない。問題はその先である。主に対人関係の質を見る。さらには家庭生活の安定度を評価する。 若い幹部候補生を地方の支店長として赴任させる。過去のデータによって、その支店にはどのような人がいて、どのような意地悪がおこるか、大体予想できている。そこにわざわざ赴任させて、どのように支店をまとめていくか、テストする。 たとえば、頭にきて誰かをくびにするなど激越な反応を示すものもいる。経理の使い込みを追及するあまり組織をダメにするものもいる。いじめられたと引きこもったり、心身症になったりすることもある。愛人に逃げたりもする。その人がどのような反応を示すのか、観察する。 その人のストレス耐性はどの程度であるか、耐性を超えたストレスがかかったときどのような反応を示す人なのか、それをテストしている。 耐性を超えたストレスにさらされたとき、幻覚妄想で反応する人は精神病タイプ。胃潰瘍で反応するのは心身症タイプ。二重人格で反応するのは解離ヒステリータイプ。ひきこもりやリストカットのような行動化で反応するなら性格の未熟なタイプである。現実的な対処をして、目標を達成する人は人格の成熟度が高い。 そのようなデータから、将来の社長として見込みがある人を選び出す。社長の適性として大切なのは何か。組織が小さいうちは想像力や強いリーダーシップも大切だ。改革の力も時代によっては強く求められる。また、協調性は日本的風土では大切で、今後は国際化の中で自己主張の力も求められるだろう。しかし大きな会社になれば、何より大切なのは、ストレス耐性が高いことである。会社の危機にあたって、全社員が何も考えられないくらい動揺しているときにも、社長だけは落ちついて見通しをしっかり持っていなければならない。それが会社組織全体を救うのである。社長が動揺しないでいれば、あとは各部署がそれぞれの仕事を実行すればいいだけのように組織はできている。 そのような資質があるかどうか、それが社長の器かどうかということである。 1724 薬と精神療法の合理的な統合。なにかもっとすっきりした方針を提案できないものだろうか。integration. たとえば分裂病に対しての、薬と精神療法や集団場面による刺激との挟み撃ち。しかしこれはドーパミンイメージだから限界がある。 1725 社会の中で生きている精神病者は入院患者よりずっと生意気であり、人間くさい。 1726 精神病院は患者ばかりではなく職員までも、精神的に圧殺する。希望をつみとり、権力者の恣意的方針に屈従させる。患者に対する態度が職員に対する態度にも反映される。 1727 欠損に対して……ギブス……SST(良肢位固定、「どうも」のあいさつ)       ……残存機能で代用……SST(右手が使えなければ左手で食べる)       ……新しい回路形成……SST、リハ(練習、ジャクソニズム) 廃用性能力障害に対して……思い出させる……リハ(練習) 1728 「廃用性機能障害」よりも、「廃用性能力障害」が言葉としてはすっきりしている。 1729 核のある構造(局在論)……再生は難しい。機能は100%から0%になる。 ネットワーク構造……再生可能性は高い。100%から70%程度になる。代償性回路が作りやすいのではないか。 運動機能は一度の脳梗塞でぱったり動かなくなったりする。これは運動機能の局在論的なあり方を暗示している。 一方、高次精神機能については、一発で急にゼロになることは少ない。たとえば70%に低下するといったようなことが繰り返しておこる。これは高次精神機能のネットワーク的なあり方を暗示している。 1730 状況認知の障害とSST 状況失認はSSTでよく補うことができるだろう。 状況認知が悪いからあいさつができなかったり、落ちていた財布をどうすればよいか分からなかったりする。それに対して良肢位での固定をしてしまう。するとずっと楽に生きられる。 1731 P         ーーーーー N             ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 廃用性能力障害         ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 経験・教育欠損  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 対策は P……薬 N……薬、あるいは対処なし Nによる能力障害……SST、残存機能利用(原因に対する治療ではなく、能力障害に対する対処。ギブスのようなもの) 廃用性能力障害……リハ 経験・教育欠損……療育 1732 原因そのものを治療しようとするメディカルなモデルはいわば機能障害へのアプローチである。それに対して、リハビリテーションは能力障害や社会的不利の改善をめざす。その原因を除去しようとは思わないで、他の解決法や対処法を見いだすことを主に考える。また、残っている能力に注目する。 1733 心理教育・家族教育とSSTはリハの車の両輪である。 1734 SSTの二つの背景理論 認知行動理論と社会学習理論(モデリングが重要視される) 行動を何が変えるのか?何が認知を変えるのか? 今後はSSTもセルフヘルプ・グループを意識した運営が求められてくるだろう。 1735 現在のリハビリテーションモデルは、 機能障害、能力障害、社会的不利の三段階でとらえている。impairment,disability,handicapの訳語。これは身体科モデルである。精神科、とくに分裂病のリハの場合がどうなるか、一考を要する。 1736 仕事の同僚に分裂病が発生した場合。仕事の能率を考えればその人を排除するのがよいだろう。しかしそれでよいのだろうか。社会としてはどうすればよいのだろうか。この問題をきちんと考えることが必要である。 社会の中で分裂病者の居場所はどこなのだろう。 1737 分裂病の急性期に隔離が必要であり、人権を一時的に制限することも意味がある。しかし閉じ込められる場合に暴力的ないじめをする他患と一緒にされることまで必要なはずはない。邪悪な看護者にいじめられる必要もない。他の場合ならばそのような状態を拒否することができるはずである。しかし強制入院の場合にはそれができない。拒否する権利がない。 1738 外来分裂病者の悩み ・時間があると余計なことを考えてしまう。たとえば自殺。 ・ひとりでいると寂しい。 ・将来親がいなくなるとどうしようと不安になる。 ・結婚したい。できれば健常者と。 ・医者にうまく伝えられない。医者の前では取り繕ってしまう。 ・友人は欲しいが、友人が家に来ることで親に叱られる。しかしそれ以外に行く場所はない。 ・何をしてよいかわからない。 ・焦る。 外来分裂病者の家族の悩み ・わがままで困る ・能力以上のことをするので困る。 ・ゆっくりやればいいのにと思うが、焦ってしまう。焦っている患者を見るのが辛い。 1739 女子病棟にたまごっちを。 保護本能や母性本能を引き出すことができるのではないか。 たまごっちはあれこれ要求する。それが患者を眠りから覚ますのではないか。 1740        S MDI depression Hebe monopolar manie paranoid bipolar pure manie paranoia pure manie 精力性と弱力性の観点から。 1741 適切なストレスレベルの設定 ・霜田の例(S) 看板を作ってもらった。ちょうど限界ぎりぎりのストレスであった様子。しかし完成後には達成感も大きかった。 ・マツの例(S) 英語の勉強をして大学に社会人入学をしたいと希望した。そこで英語の勉強の援助に乗り出した。しかし結局はうまくいかなかった。 患者は空威張りをする。現実把握が悪い。能力低下している。そのあたりの見極めがないといけない。 1742 平社員はすぐには社長にはなれない 指導者はそれにふさわしい教育が必要である。 1743 幻聴治療について 「幻聴が消える」とは、どういうことか。 幻聴についての理解のひとつとして、内部で発生する思考や言葉が、あたかも外部由来のものであるかのように錯覚されているのが、幻聴であるとする説がある。思考や言葉が発生すること自体は病的ではなく、発生の場所を外部であると錯覚していることが病的である。多分、この説は正しいだろうと思う。 発生場所についての解釈により、強迫思考、自生思考、させられ思考などが発生する。能動性の感覚とも関係する。 だとすれば、神経遮断薬で「幻聴を消す」のは、思考や言葉の発生自体を抑えていて、幻聴発生の病理自体には効いていないことになるのではないか。 本質的な治療は、言葉や思考の発生の場所についての錯覚を正すことである。その方法があるかということが問題である。 たとえて言えば、ラジオでNHKにチューニングしたらTBSが流れてしまったので、電源を切ってしまうのに似ているのではないか。NHKからTBSが流れることはなくなったものの、そもそも何も聞こえなくなってしまったわけだ。 1744 生活保護があるから働かない人はどれだけいるのか。 例えば、生活保護をやめて、その分だけの金額を箱作りの報酬に上乗せする。箱を一個作れば300円にする。何もしなければ食べていけない。働けば箱一つで300円。そうしてもなお働かないだろうか。 分裂病でも、ミサイジさんのように涙ぐましいまでの努力をして働く人がいる。要は性格の問題である。 また一方で、優しさを自分の生きる糧にしている人たちがいる。患者の人生をスポイルして平気である。自己愛同盟を結んでしまう。 実に八方塞がりである。 たとえば病院で。かつて患者を使役して病院が利益を上げていた。食い物にするのである。それが終わってもなお誤解は残る。OTに誘導されてきたときに患者は「休むために入院しているのに、どうして病院のために働かなければならないのか」と尋ねたりする。OTとは何か、なぜやるのか、そんなことの常識が欠けている。 病院は「お仕置き」「罰」に使われている。子供が押入に入れられるように、「そんなことをしていたら入院だぞ」と脅かされる。 そして実際に入院すると牢名主のような入れ墨を背負った古い患者が待っている。退屈しているからいじめて遊ぶ。われわれはひどい場所を提供しているのである。 病院がなかったら、そんなにいじめられないですんだはずだ。デイケアがなかったら、仕事をやめて遊んで歩く生活にはならなかった。患者教室をやったから病気についてのいらない知識を仕入れた。患者同士知り合いになって、薬の調整の仕方や生活保護になる方法や、親を裏切って遊んで暮らす方法を知った。 一体私たちは何をしているのだろう。絶望である。 1745 誰も本気ではない業界。 本気になれば圧殺される業界。 本気のふりをすることが決まりになっている業界。 1746 土居の「甘え」、木村の「あいだ」、いずれもインターパーソナルな問題を取り上げたものといえるのではないか。日本人の場合の病理の前景にあらわれるのはインターパーソナルな面であるといえるのではないか。 1747 本来精神病院は一般環境よりも精神的な栄養に満ちた環境であるべきではないのか。それなのに、現状では極限的に貧しい精神的環境である。 1748 ストレス脆弱性モデル 脆弱性とは何か。体質であるが、時間と共に変動している。それを内発性ストレスといってもいいかもしれない。 内発性ストレスは時間と共に変動し、それに外発性ストレスが加算される。総合されたストレスが個人に特有の許容量を超えると発症する。 発症の仕方にも個人差があり、幻覚妄想状態になる分裂病、うつ状態になるうつ病、胃潰瘍になる心身症、引きこもりやリストカットになる行動化障害または性格障害、健全な場合には現実を変革するし、愛人を作る場合もある。 →グラフ 1749 ドーパミン仮説  ……薬剤は使い続けるとよくないことが導かれる? ○まず、引きこもりがちで刺激を好まないおとなしい人がいる。ドーパミンは少ないので、レセプターを増やして感度をあげる。すると乏しいドーパミンでも充分な刺激に感じられる。 ○ところが思春期を迎えて、異性と出会い、大学に行ったり仕事を始めたりすると、刺激が増えてドーパミンが増える。レセプターが増えて過敏状態になっているので、容易に限界を超えてしまい、幻覚妄想状態になる。ドーパミン過剰状態である。 ○神経遮断薬でレセプターを塞ぐと、過敏さが抑えられる。ドーパミン過剰でも幻覚妄想はおこらない。急性期が過ぎると、ドーパミンは元の低レベルに戻る。この時点では薬によってレセプターが塞がれていて、鈍感になっている。生体はレセプターを増やして、ドーパミン不足に対応しようとする。結果として、最初の時点から数えると、二段階のレセプター増加になる。つまり、ますます過敏になって再発しやすくなっている(履歴現象)。これを繰り返すと、ますますレセプターが増え、ますます再発し易くなり、ますます薬が増え、ますますレセプターが増えるという悪循環を形成する。 ○このように考えれば、薬が分裂病を治していないのではないかとの疑いが濃い。むしろ悪循環を形成している可能性がある。 ○しかしながら、現実には薬のおかげで、分裂病者は社会生活ができるようになったと思われる。そうなのか?あるいは、薬にかかわりなく、本質的な軽症化が進んでいるのか? 1750 精神病者は、ある程度は社会のあり方の陰画である。心優しい者、正直すぎる者、誠実すぎる者が、精神病者とならざるを得ない状況がないか、点検する必要がある。 精神病者は社会の病理を告発しているのである。 そのような視点は有効だろうか。単なるロマン主義なのだろうか。 1751 SSTは本来、患者に特有の機能障害に対する個別の工夫であるべきだ。 →分裂病による障害は、はたして個々バラバラなのか、一様なのか。 1752 立場の変換の障害 自分の生きていた常識のみが、世界の常識のすべてだと信じている。それ以外の真実があるとは考えてもみない。それは一種の「立場の変換の障害」といえないだろうか。相手の立場から見たら世界はどう見えるか、想像できない。小児自閉症の場合に、自分と相手の立場を変換することができないのに似ている。これは脳の老化の指標として使えるのではないか。高次機能の脱落による症状と思われる。「ながらテスト」と同列のテストとして使えないか。 新しいことに対する拒絶症ともいえるかもしれない。「頭が固い」ことの一つの指標となるだろう。 正しいとか効率的だとか、そのような観点で評価することができず、ただ新しい即うさんくさいとなる。 そのような保守的な態度が人間を保護する面があるのは確かだけれど。新しいことには危険がつきまとう。しかし考えて欲しいのは、現代では古いことも危険だということだ。 1753 陽性症状に対してもコーピングが有効なことがある。 たとえば、幻聴に対してカラオケを用いる。幻聴の一部はカラオケで一時的に消えるだろう。 このような技術を蓄積することができればとても素晴らしい。 1754 病棟での生活は公平に見て、罰以外のなにものでもないだろう。 この世に生まれたことを悔やむだろう。自分勝手で、看護を操作するだけの強さを持った一部の人の場合はまだいい。そうでない弱い人たちの場合にはただ果てしのない罰の場所である。医者や看護者の機嫌によって、すべては決められるのだ。 また、このような場所で医者をしているわたしの人生も、何かの罰のように思われる。グノーシス主義のように。この世に生まれたのは罪の償いのためである。魂を浄化するために、人生という苦しいだけの旅路を歩むのである。そしてわたしの現状は、ただ苦しいだけで、魂の浄化には到らない。 見聞きすること、出会う人ごとに、わたしは罰を受け続けるのだ。これは別の世界での何かの罪の故なのだろう。そうとしか思えない。神よ、これは何ですか。 この世は煉獄である。精神病棟は地獄である。 1755 SSTの原理 分裂病者には状況認知障害がある。中安の状況意味失認。 したがって、状況に応じて対応することができない。例えば、あいさつのしかた。朝なのか、昼なのか、一度目なのか、二度目なのか、目上なのか、など。 そのような状況判断の中枢が壊れている。これは足がなくて歩行できないのと同じ。 疾病→機能障害→能力障害→社会的不利 疾病→足がない→歩行障害→仕事がない 分裂病・状況意味失認→あいさつがうまくできない→集団に受け入れられない→仕事がない 疾病の原因などは問わず、障害を克服する方法を考える。疾病モデルではなく、障害モデル。能力障害と社会的不利を解決できればよい。そのために、ギブスと良肢位固定にあたるのが、SST、そのほかにはケアマネジメント。 状況認知にかかわらず、あいさつがうまくできるように、「どうも」で固定してあげる。これがSST。「どうも」は時間によらず、相手によらず、あいさつとして有効で、しかも場合によっては感謝の意を含む。良肢位固定である。 集団性機能に障害があるのなら、集団場面がない仕事を選べばよい。これがケアマネジメント。 1756 レセプトでみるSST ○治療計画……行動療法理論に裏付けられた治療計画。つまり、強化と般化を用いたプログラムであることを明確にする。 ○手法……観察学習(見本と真似、モデリング、社会的学習理論)、ロールプレイ(ほめる、行動療法)。どのような場面設定をしたかを明確にする。ただの立ち話では不可。一回15人以内で一時間以上。 ○獲得目標……服薬習慣、再発徴候への対処技能、着衣や金銭管理等の基本生活技能、対人関係保持能力、作業能力等の獲得により、病状改善と社会生活機能の回復を図る。 点数表にはないが、背景にあるモデル ○ストレス・脆弱性・対処技能モデル ○受信・処理・発信モデル 1757 赤ん坊の頃、ドーパミンが足りない→レセプター増加→過敏→引きこもり傾向→ドーパミン足りない→以下、悪循環。 1758 SSTで職リハといえば、どんな生活技能(社会性技能、対人技能)欠如が就職を妨げているかを発見し、技能を与える方向である。 単純に「能力がないから」仕事ができないと決めつけないで、能力・意欲の低下を前提として、それでも仕事を続けられないか、道を探る。社会技能がたりなくて仕事が続けられなくなっていないかチェックする。環境調整を積極的にすすめることで解決できないか探る。たとえば自宅でファックス学習塾を開くなどのケースマネジメント。 就労準備……身なりを整える、交通機関を使える、金銭管理ができる 求職活動……仕事について周囲の人に相談する、履歴書を書く、仕事の候補を決める、予約電話をかける、面接を受ける 就労維持……1)対人関係技能。あいさつ、休み時間に世間話、酒の誘いを断るなど2)作業関連技能。指示を受ける、質問する、協力を求める 1759 ストレスマネージャー 生活の中でのストレスレベルを調整する「ストレスマネージャー」をおく。 病棟ナースが五、六人を担当すればよいだろう。 ケアマネージャーとして機能するのもよい。 1760 疾病         機能障害・能力障害   社会的不利 医療モデル      障害モデル       ? 急性期        回復期         維持期 急性期病棟    療養病棟        外来・デイケア・訪問看護 Dr OT PSW 薬・精神療法     薬・精神療法・SST・OT 薬・精神療法・デイケア リラクゼーションなど cure care social help 陽性症状       陰性症状→専門リハ(能力障害はあるままで社会適応を改善)            教育・経験欠損→療育            廃用性機能障害→練習リハ 入院時診断会議 リハ開始時プログラム会議 通院開始時マネジメント会議 1761 他人にはできない技術。 プロ野球選手が、他の投手には投げられない速球やフォークボールを磨く。技術者が他人にはできない製品を作る。そのようなものが、精神科医として何かあるか。 外来診察室では素人が通院精神療法を請求しているのである。ただの会話と何の違いがあるのか。専門性は何なのか。 プロの技とは何か。 1762 集団精神療法 ・個人の無力を徹底的に自覚させる。深い退行状態を作る。→そのあとで一気に元に戻す。 ・一週間コースなら、五日目の夜に最高の退行状態を作る。元に戻したらすぐに解散する。ぐずぐず続けていると、自分の恥部を知られてしまった仲間達との新しい力動が始まってしまう。それはまずい。 ・青年の家、北朝鮮のマスゲーム。 ・無力化と脱個性化。集団の駒、細胞であることを徹底させる。 ・集団催眠効果。一種の洗脳。マインド・コントロール。 ・エンカウンターグループ、Tグループ、サイコドラマ。 ・自閉症児や分裂病者の場合の、集団機能の欠落。 1763 SSTとは何か ・根本的な考え方 ギブス・良肢位 状況認知障害・状況意味失認 ・技法 行動療法的技法(ロールプレイ) 社会的学習理論(モデリング) ・対象患者 陰性症状のゆえに社会的不利に苦しんでいる場合 ・モデル ストレス・脆弱性・対処技能モデル 受信・処理・送信モデル 1764 リハの全体像 ・トータルリハビリテーションとは何か ・単なる機能回復訓練ではないこと ・教育とSSTが車の両輪 ・家族教育で環境調整 ・患者教育とSSTで対処技能向上 1765 対処技能として 対処技能はSSTだけではない。 リラクゼーション、自立訓練法、α波、バイオフィードバック、セルフストレスマネジメント、アロマテラピー、音楽療法、ストレス緩和法、ヨガ、禅、メディテーション、トランスパーソナル。 仕事の他に趣味を持って、人生を複線化する。 会社生活の他に地域生活を持って、生活領域を複線化する。 対処技能としても、生活深化法としても役立つ。 1766 テレビ・心理療法で痛みをコントロールする 痛い、くだらない、そんなこともすべて、頭の中の考えに過ぎない。 いまここに生きることが大切。味わう態度。 心はあれこれお喋りする。それを見る心がある。 自動操縦機械であることをやめる。それが生きること。例えば、痛みのせいで人生をリタイアしている人も、生きはじめることができる。心を使って生きる。 自分に何がないかではなく、自分に何が与えられているかを知る。 1767 SSTと集団精神療法、個人精神療法、退院時生活指導、患者教育などの違い。 SSTで ・何を 「良肢位固定を」「能力障害を前提としての社会適応向上」 ・どのように むしろこちらに重点がある。 例:服薬教育 これはSSTでもあり、患者教育でもあり、OTでの生活指導でもあり、家族教育としても大切である。さらにケースワークの技法も有効である。薬を飲み忘れないような仕組みを作ってあげれば成功である。 「何を身につけてほしいのか」でいえば、どれも変わりはない。 ・レセプトでの集団精神療法とSSTとOTは現在では目的と技法の両面でお互いに区別がなくなっている。結局は請求として高いものから、期間の限定の中で、職員配置にしたがって運用することになる。 ・OTが高額であるから、OTRがいればその分はOT。次にはSSTで、これは期間限定もなく、医師も要らない。入院集団精神療法は医師がかかわるし、六ヶ月以内でもあり、請求の点では不利である。 SSTのテクニックは家族教育にも応用できる。 1768 周辺の工場に働きかけて就労の場を作る。援助つき就労や多人数で分割する就労などの工夫をする。 1769 住居と仕事の世話も積極的にしないと社会復帰はうまくいかない。システムが必要であり、それには地域の社会資源とよい関係を保つ必要がある。 1770 ストレス脆弱性対処技能モデルと防御因子 防御因子として 1)抗精神病薬の服用 2)移行的プログラム(デイケア、作業所、職親など) 3)対処技能の形成(SST) 4)周囲からの支援(家族心理教育) 1771 心理的空白、宗教的空白 生きる意味の空白といってもよい。日本の現代はそのような時代である。この空白にカルトや新宗教が入りこむ。 1772 時間がたてば慣れてしまう。改革の必要性も忘れてしまう。 精神病院で働くことは、一種の悪に加担していることではないかと反省する必要がある。誠実でありたいならば。 1773 上手なノック 野球の練習で。捕れるノックならば退屈である。捕れないノックならば練習にならない。その間にちょうどよいノックがある。練習のしがいがあるノックがある。練習が終わったあとで、自分は成長したと満足感を覚える。ストレスレベルの設定はそのようなものであるべきだ。その客観的な基準がどこにあるか、難しい。 1774 分裂病の成立について ・分裂病の中心を、自我障害と考える。 ・自我障害の前提として、自我の感覚の成立を考察する。自由意志の成立があり、自己の能動感などが発生する。 ・しかしながら、自由意志や自我の能動感は錯覚である。なぜなら、物質にはそのようなものはないからである。人間の意識とは、そのような錯覚を生じさせる物質構造である。 ・その錯覚が壊れるから、分裂病性の自我障害が発生する。 ・したがって、分裂病という事態は、人間の真の姿をさらしている。ありのままの姿である。錯覚に包まれた世界を脱して、むき出しの物質に戻った姿である。 ・ありのままの姿に耐えることができない。物質であることを生きることができないのである。自我という錯覚に保護されていなければ安心して生きていられないのである。 1775 個人の病理に合わせて個別の生活技法を用意する。この感覚が大切。 1776 人と人とのプライベートなネットワークが大切である。人が人を殺し、仕事を殺すのである。偶然その人がそこにいた、たったそれだけのことで、せっかくの組織が死ぬ。ではどうするか。そこを何とかするのが政治というものである。人を動かす技術である。人には必ず利害の両面があるのだ。そこを適切につかむことである。 人と人との全体の構図を見通す視力が大切なのだ。 1777 カルトとは 集団妄想と外部現実との対立。そして集団妄想の優越。カルトとは集団的幻覚妄想状態である。 1778 主観的善の危うさ。 しかし検証する手だては乏しい。 真理または善の源泉。 1)個人的経験……自然科学に通じる 2)個人崇拝……特定の誰かが言えば、それが真理または善である。 3)宗教的霊感……啓示 1779 義を見てなさざるは勇なきなり。 精神病院に働く人間として、正義の感覚は大切である。慣れて忘れてしまわないうちに、高いモラルを忘れてしまわないうちに。 自分達は何をしているのか、自己点検を怠ってはいけない。自分が点検すべきだ。他人に点検される日を待っていてはいけない。 1780 精神病院に強制入院させられる患者の悲劇 強制入院させられるとそこではいじめが待っている。ひどい不潔と抑圧が待っている。怖い患者がいて、怖い看護がいる。普通ならば他の場所や他の職員を選択できるはずである。しかし強制入院でしかも患者には判断能力がないとされているから、「いやだ」との訴えは割り引きされてしまう。「病識がない」と判定されてしまう。 こんなことでいいのだろうか。現在の精神病院は公平に見てとても悲惨な場所である。患者には拒否する権利がない。少なくとも、劣悪病院を拒否する権利くらい保障されるべきである。しかし現実には難しい。どんなにいい病院でも多分、強制入院させられた人は拒否するだろう。それは当然わかるのだが。どうしたらいいのだろうか。 これは考える価値のある問題である。 劣悪病院を患者自身の手で拒否することはできないのか。できないとする意見にも理由はある。しかし、誰が拒否できるのだろうか。どうしようもないのだろうか。 1781 立派なことをいっている人が立派なわけではない。 たとえば東京武蔵野病院は立派なことをいっている。たとえば竹村先生は立派なことをいっている。では実際はどうか?行いはどうか? 1782 病識欠如の興味深い点 否認の機制として考えても、外界認知のズレともいえるし、自己内界認知のズレともいえるのではないか?パラドックスの始まりのような感じもする。 1783 神経症と精神病の二分法のおかしさ 神経症は心因性の疾患であるとして、精神病になったときは甚大な心因を背負い込むことになり、当然神経症成分も発生することになる。精神病のときには神経症成分も同時に持っているはずである。 精神病は脳病、神経症は心因性とわければ分かりやすい。しかし、現在の分類そのものが不安定なので、注意が必要である。何が神経症に属するか、そのことと、神経症の定義は連動してしまうのである。 例えば、パニックディスオーダーや強迫性障害については脳病の側面がある。従って、これらは神経症と呼ぶべきではないだろう。 精神病と神経症の区別をリアリティテスティングに置くべきではないのだろう。現実検討を捨てるとしても、どれが脳病で、どれが心因性か、その区別は簡単ではない。 DSMの疾患の個々について、何に属するのか考えてもよいが、さして実りのあるものとも思えない。実証性に乏しい。 1784 ゴキブリがあんなにも嫌われるのはなぜか? 心の中にある恐怖や嫌悪をゴキブリに投影している。人は何かに投影しないと安心できない。 1785 精神障害者とキリスト 精神障害者を排除することによって、同時にキリストを排除しているのではないか。そして我々の心の中にあるキリストを殺しているのではないか。 このような感性は大切だ。しかし実際の精神医療の現場はこのような繊細な場所ではない。 何という困難な場所なのだろうか。 精神障害者を扱う、そのような扱い方で、我々は自分の内にあるキリストを扱っているのである。 キリストは現状に対する問いかけである。現状を鋭く告発する鏡である。キリストを圧殺する私たちとは何なのか。無自覚であることも罪である。 このような言い方は文学的すぎるし、今日も続く現実をどうするかについては無力であることも知ってはいる。 精神医療の実態から見れば、麻薬覚醒剤患者のどこにキリスト性があるのか、苦々しい気分にもなる。夢を語るのはいいことだ、甘い夢を振りまくのもいい商売だろうとは思う。しかし、このことに関しては私の心のどこかが死んでいるのだ。 氷点といってもいい。絶対零度くらいに冷たくなった部分が心のどこかにあるのだ。 これが、精神病治療の現場であらわれる「伝染病」「職業病」ではないだろうか。 世間の価値からはみ出ている人たち、精神病者、キリスト、ビートルズ……。これらの人たちをひとまとめにして排除してはいけないのだといわれれば、その通りだ。しかしそれではどうすればいいのだ。困難である。 1786 変わるべきなのは誰なのか? 障害者を社会に受け入れられるように変化させることが治療だというのなら、それには限界がある。生活障害はずっとあるのだし、仕事もできず自立ができない。 逆に、社会の側ですき間をきちんと作って、受け入れればよいのだ。社会が変われば障害者の一部はとても生きやすくなる。そんなことは分かっているのだが、難しい。なぜか。 多分、精神障害者があまりに多様だからだと思う。 社会の側で受け入れ体制を整えて迎えたとして、そうした善意を逆手にとって踏みにじる人々がいる。それは確実にいる。そのように踏み荒らされた場合には、社会の側は精神障害者全般を排除しようとする。排除すべき人かどうかの区別は難しいのだ。そして困った人たちほど声は大きいのだ。 精神障害者にすれば、そのような困った人たちと自分達とを一緒にして扱っているのは理不尽であると感じているだろう。 しかしこのような発言も気をつけなければならない。「社会から害虫を駆除する」思想ととられてしまう。誰にとっての害虫なのか、と問いが生まれ、あとは議論ばかりが続く。現実は固定されたままである。 1787 政治術 仕事場であるからには、そこでしか生きられない人がいる。何をしてもそこにしがみつこうとする人がいる。善も悪もない。生きるためにはなりふり構わない。 そのように人たちには立ち向かう術がない。彼らは強力である。そこで高等な政治術が必要になる。そのように人たちであることを計算に入れた上で、なおかつ前進させる方法がないか、探るのである。なりふり構わない彼らにも多面性はある。どのように説得すれば心を動かすか、説得の余地は必ずある。政治とは一面でそのような人間技術の結晶である。 田中角栄のような一流の人間観察者は一目でその人間の欲しがっているものが何であるかを見抜く。まずそこからだ。そして、情報を握ること。人のネットワークを広げること。 病院も、地域社会も、このような政治術の実践の場である。 1788 患者が医者に病気について教える。医者は患者に専門知識を教える。そのような理想の協力体制が精神病の場合に難しい。患者と医者のあいだに真実の交流があるのだろうか。ないとすればなぜなのか。 家族からも「理解不能」として拒絶された人をなぜ医者が理解できるだろうか?そもそも無理な注文ではないか?専門家ならできるだろうとするのは間違いである。とも狂いのときにだけ、そのような相互理解は成立する。 しかしこれも言ってはいけないことに属する。了解はできないが説明は可能であるといえばよいのかもしれない。 1789 1)受信……注意散漫、多動、職場の指示受け 2)処理……状況意味失認 3)発信……スキル不足、練習しやすい、仕事の報告、自己主張 1790 大衆より三歩以上先を行けば大衆から遊離する。遅れれば凡庸である。一歩かせいぜい二歩先を行けば評価されて成功する。 1791 カウンセリングという仕事 愛や友情や世話は金では買えないことになっている。しかしそれを金で売るのがカウンセリングである。自分にとって魅力のある人間関係を金で買う。 逆に、そのようなサービスを提供できているか? 1792 心理療法家 →北山の指摘 真面目な優等生は、ヒーラーとして適切か?多分適切ではない。ではヒーラーを国家資格化することは矛盾を含むのではないか? 世間をはみ出た人を癒す人が、国家資格を持つ体制側の人間でよいのか? しかしまた、あまりにも桁外れの人であってよいのか? 心の病気を扱うことは、心の中の未消化物や膿や傷口を扱うことで、とても不潔なことだ。だから心理的に清潔好きの人には向いていない。普通の悩みではないから理解しにくい。 社会的には偉くなれない。社会から排除された人々を扱い、社会の中心部と社会の外の中間、社会の周縁部に位置する仕事である。 1793 きたやま 母性の神話 母親の母性一般を疑うことは、自分の経験の中の母親像を疑うことになり、大変辛いのでだれも認めたくない。そこで母性本能の神話が成立する。 1794 きたやま 幼児体験の反復の例 子供の頃の、異質で新しいものに対する反応の仕方が、大人になってからの、異質で新しいものに対する反応の仕方の元型を作る。 1795 障害者の社会復帰 「家庭を持って仕事をして税金を払うことが立派なことか。精神病者には精神病者特有の生き方があるのだから、生活保護を活用してソーシャルクラブやデイケアでのんびりした人生を送ることも公認されてよい。わたしはそのような立場で精神障害者を理解する人になりたい。」 このような気持ちでソーシャルクラブを始めたところ、一日中寝そべっている患者のあまりのわがままさに腹が立って仕方がないという。 社会参加といっても、参加を希望する社会の実態は何であるのか、と問うことは正しいと思う。必要ならば社会変革も要求する。社会に対する教育的アプローチも大切にすべきだ。 しかしそれだけではいけない。患者を甘やかして本来の力を発揮させないでおいてしまうのは申し訳ないではないか。 潜在能力の高い人には是非社会に出ていってほしいが、しかしその社会は復帰に値する社会なのかと問い直す。 精神病院パラダイス論。厳しい社会に放り出されるよりも、一生精神病院で「暮らす」ほうが患者は幸せだとする考え方。→ビジョンに欠けている。 あれもこれもで話が混乱しているのだ。混乱させるにはさせるだけの理由もあるのだろうが。 1796 トータル・リハビリテーション 医学、職業、社会、教育の四つの面からのアプローチ。各分野がもっと育って、そののちに統合に向かうのがよい。待っていられるならば。現状で、各々が未熟であっても、統合した方が利益が大きいと思う。 精神科領域の「医療と福祉の関係」。対立させ二者択一に固執する不毛な時代があった。 1797 どんな人にもいいところが必ずある。それを見つけることが専門家の仕事。 1798 シナプス前のドーパミンと、シナプス後のレセプター。 これはストレス脆弱性モデルでの、ストレスと脆弱性に対応している。ドーパミン量はストレスに対応し、レセプター数が脆弱性に対応する。レセプター数が多くなれば過敏になり脆弱性が増す。 ストレス脆弱性モデルがシナプス前後のドーパミンとレセプターでイメージできる。物質的基盤である。 1799 同じ仕事を続けていて飽きないのは一種のディフェクト状態である。精神科で十年いるのも刺し子で十年暮らすのも同等である。 1800 ストレス負荷量をドーパミン放出効果として換算して提示できないか。 神経遮断薬の効果をドーパミンレセプターブロック効果に着眼して評価する。CP量に換算する表がある。 同様に、ストレス負荷量をドーパミン放出量に換算して表示する。 脆弱性はレセプターの数の多さである。 こうすれば、ストレスと脆弱性、神経遮断薬、対処技能、環境調整などの間の関係をドーパミンとドーパミンレセプターを軸として記述できる。 ストレス↑……ドーパミン↑ 脆弱性↑ ……レセプター↑ ・防御因子 くすり↑ ……レセプター↓ 対処技能↑……ドーパミン↓ 環境調整↑……ドーパミン↓ リラクゼーションもドーパミンを低下させる。 全体として ドーパミン>レセプター ならば発病である。 ストレス負荷量に応じてドーパミン量が増える様子を何かで定量化できないか?CP換算表は完成しているのに。 1801 しかしながらリハビリはドーパミンレベルを低下させることが仕事ではなく、ドーパミンを適正なレベルに保つことが仕事である。 薬を使って脆弱性を押さえ込みながら、生活を広げてドーパミンを上昇させる。この一見矛盾する仕事をしなくてはならない。 1802 病棟で看護婦は社会的入院に対して何もできずに見ているしかない。 1803 入院が有効であることは認めるが、職場や地域での日常生活から全く切れてしまうのはよくない。生活の場の変化に対応するだけで疲れてしまう。 1804 精神病院の生活はドーパミンの観点から見れば、まったく異常な環境である。 1805 完治するまで院内生活を続けていたら、精神病院という特殊な施設の環境に適応した人間としての治り方しかできない。 1806 精神病院が生活の場となってはいけない。治療の場である。 その点では、急性期を病院で乗り切ったら、回復期には地域医療に早急につなげるべきだ。現在の精神病院での回復期ケアは問題がある。 しかしまた、病院内での回復期ケアは、患者のストレス状態を精密に把握できる利点がある。短期間でも院内回復期ケアは有効かも知れない。そこでは「生活の場で自然に回復する」のとは全く別の、専門的で特殊なプログラムを進めるべきだ。→IRC(集中リハビリケア)、IRP(集中リハビリプログラム)。ドーパミン制御法とレセプター遮断薬を使って、レセプター量の操作をする。分裂病の場合にはレセプターを正常量に戻し、過敏さを解消する。 1807 院内でもケアマネージャーをおいて、種々のケアをどのようにミックスさせるか、工夫する(ケアミックスの促進、技法化)。 1808 リハに関するコンの理論(過激なドーパミン一元論) IRU(集中リハビリユニット) IRC(集中リハビリケア) IRP(集中リハビリプログラム) ドーパミン制御法とレセプター遮断薬を使って、レセプター量の操作をする。分裂病の場合にはレセプターを正常量に戻し、過敏さを解消する 急性期にはドーパミン>>レセプターとなり、陽性症状が出現する。これをレセプター遮断薬を使って見かけのドーパミンを少なくする。急性期にはこれでよいが、これを続けていると、見かけの上ではドーパミン<<レセプターとなり、時間がたつとセルフレギュレーションにより次第にレセプターは増加する。これは根本的に過敏さが増大するということである。この状態で薬を勝手に中止したりすると、少しのストレスで再発してしまう。 従って、急性期が過ぎて回復期になすべきことは、増えすぎたレセプターを減少させることである。そのためには計画的にドーパミンと遮断薬をを制御してレセプター量を減少させるようにすることだ。 相対的にドーパミンが少なすぎるとレセプターはセルフレギュレーシュンにより増えようとする。相対的にドーパミンが多すぎるとレセプターはセルフレギュレーシュンにより増減少する。しかしドーパミンが相対的に多い状態とは、分裂病再燃状態に接近しているということでもある。 1)相対的にドーパミンが少なすぎるとレセプターはセルフレギュレーシュンにより増えようとする。……これは過敏さを増すだけだから避けたい。しかしこの状態は再燃にもっとも遠い状態であり、再燃は確実に抑えられる。病院内で無為自閉を続けていればこの状態である。過敏さを増し、潜在的に再発準備している状態といえる。この悪循環ループは切らなくてはならない。 2)相対的にドーパミンが多すぎるとレセプターはセルフレギュレーシュンにより減少しようとする。しかしドーパミンが相対的に多い状態とは、分裂病再燃状態に接近しているということでもある。再燃にいたらない範囲でドーパミンを増大させ、セルフレギュレーションによりレセプターを減少させる。レセプターがある程度減少したら薬を一段軽くして、いままで遮断されていたレセプターを操作可能なレセプターとし、さらにレセプター減少操作を続ける。 ここの難しいコントロールが上手にできるかどうかが問題である。これは病院内リハビリテーションを進める強力な論拠になる。院内リハの方がストレス量を精密にコントロールできるからである。 ドーパミン>=レセプター 程度で維持する工夫を続けることが大切である。 ストレス脆弱性とストレスの図。発病と快適ストレスと退屈の三領域。 シナプス前ドーパミン量はストレスに、シナプス後レセプター量は脆弱性に対応する。 1809 中脳辺縁系、特に側坐核に向かう系を特異的に遮断する薬があれば副作用は少ないはず。それはできないか。 1810 →没 陽性症状は ドーパミン>>レセプター 陰性症状は ドーパミン<<レセプター (……×) 治療に適した設定は ドーパミン>=レセプター。これを維持して、徐々にレセプターを減少させようという方針。 というように単純には実はならないだろう。陽性症状と陰性症状は背反しないからだ。むしろ、ドーパミン系とノルアドレナリン系またはセロトニン系など、別の系を考えるのが正しいかも知れない。 しかしあえて単純なモデルで考えてみようということだ。一元的な原因を仮定したい。 1811 シンデレラナース まじめにこつこつよいことをしていれば、きっといつか誰かが評価してくれると信じている。もうそのようなシンデレラみたいな態度は捨てよう。 1812 時間遅延理論と、リハビリプログラムドーパミン理論とはどう結合するのか。 つまり、時間遅延理論とドーパミン理論はどうつながるのか。 1813 地域ケア論 必然的に、人の社会や生き方の見直しにつながる。 1814 はみ出し者をどのように処遇するか。排除の圧力と抱擁する力。 多様性を包み込む社会が実は競争力のある強い組織なのだという認識はどうか。進化論的観点。 社会の周辺部に位置する人たちをどのように処遇するか、社会の態度。 1815 陰性症状は、多分、脳神経細胞が失われることによる症状である。シュープのたびにレベルダウンがおこる。これはちょうどてんかん発作のたびに神経細胞が失われるのに似ているだろう。最終的に痴呆状態に到ることも似ている。 神経細胞消失症状といってもいい。実際に死滅しているか、神経細胞間の連絡が失われただけ、つまり機能的に死んだだけかは分からないが。 これは「足を失った」タイプの障害に分類されるだろう。従って、治療はギブスを使うこと、良肢位で固定することである。SSTタイプの対処が有効である。 陰性症状は、老人性痴呆の場合の、細胞機能停止と同じである。ただ、場所の限定はある。分裂病では運動面の障害などはあまりでないから、どこでも均一に神経細胞機能が失われるものでもないらしい。 陽性症状とは全く違うものであり、陽性・陰性と対にして呼ぶのもおかしなくらいなものである。症状の性質として考えようによっては対になるが、原因としては全く対にならない。 原因を考えたときには陽性・陰性の分類が妥当な分類線なのかどうか、怪しい。 1816 陰性症状はそれ自体、患者にとってストレスになる。したがってストレス軽減のためにSSTなどで対処すべきである。 1817 陽性症状シュープが細胞機能消失を引き起こし、陰性症状(レベルダウン)をもたらす。このしくみはどのようなものか。 似たような事態が他にあるか。→てんかん発作による神経細胞消失。脳出血後の周囲細胞の死滅。 こう考えれば、すっきりする。 シュープは「火事」や「爆発」のようなものだろう。 この考え方では単純型分裂病と陰性症状とは、別物と結論される。 単純型分裂病は、レセプターが大変多く過敏であるが、陽性症状を呈して破綻するほどではない程度のものである。性格の偏りの範囲で考えてもよいが、シゾイド、シゾタイパルとの違いが問題になる。 陰性症状は、シュープの後の細胞消失による症状である。ジャクソニズムの原則により、細胞機能消失に伴い、陽性症状と陰性症状が生じる。ここで用語の混乱がおこる。 陰性症状は、いずれにしても、細胞機能停止を原因とする通常機能の消失を意味する。 陽性症状は、一方では相対的ドーパミン過剰による症状であり、ジャクソニズムでは、抑制機構消失による下位機能の突出である。……ドーパミン抑制機能の消失と考えればつながらないことはないものの、やや無理がある。そこでこの二つを分けた方がいい。たとえばドーパミン過剰症状と下位機能突出と呼ぶ。……考えてみれば、結局幻覚妄想の成立をどちらも指しているわけだ。ドーパミン抑制系が消失することによって幻覚妄想状態がおこるのであれば、ドーパミン過剰症状と下位機能突出とは問題なく一致するわけだ。……当面、それでいこう。 ドーパミン過剰を抑制するメカニズムは何か、それはどのようにして失われるか。……多分生まれつき失われていて、児童期までは性格として表現されている。そして青年期になってストレスにさらされて発病する。 1818 能力開発と環境整備 相矛盾する側面がある。 1819 分裂病者には、人に嫌われる何かがある。そこが精神発達遅滞者と違うところだ。何か違う。そこを基本にして出発しないと、現実を無視した理想論になってしまう。 1820 ドーパミン仮説と分裂病の病型 妄想がドーパミン>>レセプターのアンバランスによりおこることは共通。 ヘベ(解体)型……最初はドーパミン少なく、レセプター多い(内気で孤独な病前性格)。思春期にドーパミンは普通量にまで増大>>もともとレセプター増加しているため過敏、そして発病。 妄想型……もともとは普通のタイプ。何かのきっかけでドーパミン絶対量増加>>レセプター普通。これは「ドーパミン抑制機構の欠如」が突然おこったと推定される?結局妄想はなかなか消えない。 緊張型……? 解体型……弱力性 妄想型……強力性 緊張型……身体転換型、ヒステリー型 1821 ジャクソニズムに従って下位機能から順次機能再建することを考える。運動機能に関してはまだ原則が分かりやすいのだが、精神機能はそんなに分かりやすくない。 そこで手がかりとしては、 1)子供時代の発達の仕方を参考にする。発達の順序は階層構造の提示のものから高次のものに向かっているはずである。 2)系統発生を参考にする。どんな動物がどんな精神機能を持っているかを見て、参考にする。 3)分裂病になって壊れるときの始まりの様子を精密に見て参考にする。 しかしどれも簡単ではない。 1822 幻覚妄想は異常膝蓋腱反射と同じである。脱抑制の結果である。 1823 馬鹿は、馬鹿を隠さないから馬鹿だといわれる。馬鹿を隠していればそう言われないですむ。そんな人は馬鹿ではないのだろう。 1824 中国人が異常な様子で来院していた。明らかに不安で不穏である。怖い世界になっている。 1825 低体温療法を分裂病急性期患者に ・分裂病急性期の興奮状態のときに、裸になることがある。 ・昔から水に浸けたり、滝に打たせたりしていた。 ・ディフェクトは神経細胞死滅に原因すると思われる。てんかんと似ている。興奮時に眠らせて低体温療法に導入すれば、ディフェクト発生率を減少させられるのではないか。 ・エスキモーなど、寒冷地でのディフェクト発生率はどうか?低いか?しかし、人間が生きている状況の中での寒冷だから、あまり効果はないかもしれない。 ・脳血管障害、脳外傷、てんかん、分裂病と、それぞれ原因は違うが脳神経細胞に損傷が起こる。その周囲の細胞にも害は及び、被害が大きくなる。そこで低体温療法に導入して、周囲の細胞に被害が及ぶのを防ぐ。 1826 分裂病は「神経細胞死滅毒素」が急激に無秩序に放出される病態ではないか てんかんに似て、シュープがあるとそのあとでディフェクトになる。ディフェクトはどう見ても細胞の消失である。どのようにしてそのような大量細胞死滅が起こるのか。てんかんならば電気によるダメージ、血流、酸素などの観点から考えられる。 人間の脳は正常でもかなりの数を毎日失っている。これは細胞を整理して必要な回路だけを残すためだ。ここで積極的に神経細胞を殺す「毒素」が出ていると考えたらどうだろう。 何かのメカニズムで、シナプス形成に不必要な部分の細胞を積極的に消去するのではないか。 その仕組みが「暴走」すると分裂病になる。暴走とは何か? そのように細胞を攻撃する物質は何か?ドーパミンでもよいが、本当にそうか? シュープの発生とディフェクトの発生は別に考えた方がいいだろう。ディフェクトは、上記のような「細胞攻撃物質の大量放出」によるものではないか。シュープはドーパミンとレセプターのバランスの問題としてもよいような気もする。 ドーパミンが細胞毒放出の引き金になっているのではないか。 あるいは、ドーパミン過剰状態はターゲットとなっている神経細胞の死滅をもたらし、死滅に伴って周囲の細胞を傷害する毒素が放出される。 あるいは、毒素ではなく、充血とか疎血とか、そんなメカニズムかもしれない。酸素欠乏が効いているかもしれない。 あるいは、正常時にも神経回路を整理するために細胞毒素が放出されているのではないか。それが大量放出される。 例えば、神経毒素産生細胞がある?「掃除屋細胞」。マクロファージとかそんなものではなく、ケミカルな仕組みでシナプス形成に不要の細胞を殺す。 まず正常の掃除屋の仕組みを考える。そして分裂病急性期の病態を考える。 ある一部分の回路が活発に動くと、その隣の細胞は酸素欠乏になり死滅するのかもしれない。それは主要なシナプスのみを残すことになり、有利である。これは正常のシナプス形成である。よく使われるものだけが残る。 分裂病性興奮期には特定の回路が活発になる。それに伴って周囲の神経細胞が消滅する。……しかしそれだけではディフェクト発生には至らないだろう。 てんかんも分裂病も、躁うつ病の一部も、ディフェクトが発生する。細胞が失われる仕組みがある。それを防止すれば発作後のレベルダウンが防止できる。 神経細胞が失われるとはいっても、運動麻痺などは起こりにくい。この点は脳梗塞などと異なる。 1827 精神科医療は医療の名に値しない。刑務所の実態はどうなのか知らないが、多分これ以上にひどくはないのではないか。やむを得ず人権を一部制限するのなら、それなりの配慮があって当然だろう。 1828 精神科医療に我慢できるのはそれなりの鈍感さを持った人だけである。 例えば、視力の悪い人が住んでいる家はどうしてもほこりが積もっていたりする。そこに視力のよい人が訪ねてきたりすると、ほこりがとても気になるだろう。これは感覚の差である。 例えば、冷蔵庫を開けてしょうゆ差しが倒れていたとする。何にも感じないでドアを閉じる人もある。すぐに拭いてきれいにする人もある。さらには誰がこぼしたのか問題にする人もあるだろう。思いきり鈍感な人だけが精神科医療を長く続けられない。 結局、ディフェクト患者をディフェクト医者とディフェクト職員が見ている。それしかない。それ以外はうまくいかない。 1829 分裂病が未知の病因に対する反応であるとする考え方。 もしそうなら、ストレスマネジメントが役立つだろう。未知の病因というストレスに対して、精神病を起こして反応するのではなく、別の反応経路を用意するのである。 これはストレス脆弱性モデルにも適合する。過剰なストレスがかかったときにどう反応するか。一つは過剰なストレスを抑えること。一つは反応経路を変更することである。 ドーパミン過剰説。未知の病因に対する反応としてのドーパミン過剰であると考える。ドーパミン系は緩衝系だという解釈になる。幻覚妄想状態は反応に過ぎないことになる。神経遮断薬は反応を抑えているだけである。 拘禁反応で幻覚妄想状態が起こる。 拘禁時には外来刺激が極端に少なくなる。この変化に反応してレセプターが増える。これで幻覚妄想準備状態が成立する。 分裂病の病因は一種の「内的拘禁状態」を成立させる。 神経遮断薬を投与すると、反応する人と反応しない人との二群に分かれる。反応群では遮断薬投与後に一時的にドーパミン放出が増える。そのあとは投与前よりも低いレベルに落ち着く。これは血中ホモバニリン酸で確認できる。 薬が引き金となってドーパミン系が賦活される。ドーパミン系は修復系である。このように考えることができるとの指摘がある。 しかしながら、実験の内容、解釈の可能性、と考えると、真実の確定は容易ではない。 1830 分裂病の原因 ・脳病説 ・心因説(ユングなど) ・未知の脳障害に対する心理的な反応(E.Bleurer) 1831 幻覚妄想状態が相対的ドーパミン過剰であるとすれば、神経遮断薬でレセプターに蓋をして、保護室に入れて刺激低下させ、ひいてはドーパミン低下させることは理にかなっている。 しかしそれが分裂病の本質に対する治療かどうか、疑わしいといわれる。 1832 生活保護者と同じ食事をしていた頃。 結果はただ憎しみと絶望だけが募ったのだった。 1833 1) 院内で労働能力を高めてからの就労か、援助付き就労か。最近は後者が優勢。 院内労働に適応しても仕方がない。援助付き就労により、その職場の仕事に慣れて、その職場の人間関係や職場習慣に慣れることが、長期就労につながると考えられる。 2) また、院内リハビリか、地域リハビリか。最近は後者が優勢。 院内生活に適応してしまうのは退院を遅らせてしまう。急性期が過ぎたら、なるべく早く地域リハビリにつなげることが大切である。地域生活に慣れること、通院生活に慣れることが大切である。そのためには、地域生活の指導者をおいて生活全体を配慮してもらうのがよい。例えば、生活支援センターを中核として、ケアマネジメントの考え方で、外来診察、デイケア、訪問看護、訪問リハ、就業援助などをミックスさせる。 従って、急性期が終わったら、すぐに地域リハビリシステムにつなげるのが正しいと考えていた。OTの院内での仕事は縮小され、デイケアと訪問リハビリに拡大するだろうと考えられた。 3) しかし、院内リハビリにはさらに重要な意義がある。分裂病の本質に対する治療の可能性がある。ドーパミンレセプターコントロールの仕事である。薬剤とストレスコントロールによってレセプターをコントロールし、分裂病者の根本的な過敏さを「治療する」可能性がある。 4) レセプター量をコントロールして、その一方で、生活環境を調整し、生活スタイルを調整することによって、ドーパミン量をコントロールする。 これは単なるギブスではないし良肢位固定でもない。根本療法である。 5) これはドーパミン仮説に偏りすぎている。それが根本的な弱点であるが、まずは物事を単純化してモデルとして提示しようというわけである。 たとえばピッチャーが腱の移植手術を受けた後のリハビリは、休みすぎてもダメ、練習しすぎてもダメ、その中間で上手に負荷をかけなければならない。休んでいれば勿論、肘痛は再発しない。しかし元に戻ることもない。負荷をかけすぎれば再発する。 1834 敏感で良心的な医者は、その良心のゆえに業界を去る。鈍感でディフェクトを抱える医者は、気がつかない、かつ他にどこにも場所がないことによって、業界にしがみつく。 何というくだらない世界だろうか。 嫌気がさして「やめる」といったら、鈍感な愚か者達の勝利である。しかしそれでは私の人生はどうなるのだ?一度しかないのだ。 1835 クロルプロマジン 分裂病の未知の病因に対して、激烈な反応が起こる。それが陽性症状である。それに対処するために、人口冬眠療法が有効ではないか。クロルプロマジンが有効なのはそのせいではないか。 低体温療法は人口冬眠療法の再来である。 激烈な反応を押さえ込むことができる。 1836 精神病院とは、ディフェクト職員のためにある。患者のためにあるのではない。 社会的入院とは、ディフェクト職員のためのものである。 1837 1) 院内で労働能力を高めてからの就労か、援助付き就労か。最近は後者が優勢。 院内労働に適応しても仕方がない。あるいは作業所などの中間施設の労働環境に適応してもむだである。一般的労働能力の向上について野津が論文を書いているが、就労が持続しないのは労働能力のせいばかりではなく、職場でのコミュニケーション能力が原因であることも多いと考えられる。 援助付き就労により、その職場の仕事に慣れて、その職場の人間関係や職場習慣に慣れることが、長期就労につながると考えられる。 2) また、院内リハビリか、地域リハビリか。最近は後者が優勢。 院内生活に適応してしまうのは退院を遅らせてしまう。OTやレクをしても結局は社会的入院者のための暇つぶしでしかない。 急性期が過ぎたら、なるべく早く地域リハビリにつなげることが大切である。地域生活に慣れること、通院生活に慣れることが大切である。そのためには、地域生活の指導者をおいて生活全体を配慮してもらうのがよい。例えば、生活支援センターを中核として、ケアマネジメントの考え方で、外来診察、デイケア、訪問看護、訪問リハ、就業援助などをミックスさせる。 従って、急性期が終わったら、すぐに地域リハビリシステムにつなげるのが正しい。OTの院内での仕事は縮小され、デイケアと訪問リハビリは拡大するだろう。 しかし現状では受け皿に乏しい。住宅と就労場所、さらには生活支援センター、ここまでを含めて地域ケアを増進することが根本的に重要である。 病院の役割は、急性期医療に限定される。または社会防衛のための施設となる。 3) しかし、院内リハビリには重要な意義がある。地域リハビリでは不可能なことが病院リハビリでは可能になる。それは分裂病の本質に対する根本治療である。薬剤とストレスコントロールによってドーパミンレセプターをコントロールし、分裂病者の根本的な過敏さを「根治する」可能性がある。 レセプター量をコントロールして、その一方で、生活環境と生活スタイルを調整することによって、ドーパミン量をコントロールする。 SSTは良肢位固定であるが、それとは全く異なる。根本療法である。 4) 基本的仮定は、 @ドーパミン>>レセプター により幻覚妄想状態が起こる。 Aレセプターは、ドーパミンが多すぎると減少する。逆にドーパミンが少なすぎると、レセプターは増加する。D×R=一定。ドーパミンはカラオケの声の大きさにたとえられる。レセプター量はステレオのボリュームにたとえられる。声が大きければボリュームを小さくする。声が小さければボリュームを大きくする。分裂気質の子供はボリュームが大きいから声を小さくしているようなものだ。 B分裂病者(特に破瓜型、または解体型)は、子供の頃からレセプター過剰であり、ドーパミンの少ない日常生活を生きている。それが分裂気質である。ドーパミン量に直接影響するのは、集団性の興奮状態であると考えられる。分裂気質の子供は経験の中で集団性の経験が欠如している。また、色、金、面子、健康といわれるような各分野も、個人により、大きな要因となる。 C思春期になると性的興奮や仕事のストレスが始まる。内気で孤独好きな分裂気質のままではいられない。ドーパミンは急激に上昇する。レセプターはそれに応じて減少しようとするが、変化が急激すぎると、幻覚妄想状態となる。……このあたりの事情については、たとえば、過剰なドーパミンがこぼれ落ちて別のシナプス回路に影響を与えると考える。またたとえば、過剰に強力な信号に対して、異常放電が起こり、たのシナプス回路にまで影響すると考える。 D幻覚妄想状態に対して、神経遮断薬を使う。レセプターの見かけの量(有効レセプター量)は減少する。ドーパミンがどんなにたくさんあっても、反応しなくなる。そこで、幻覚妄想はいったんおさまる。 Eこの状態で落ち着くと、ドーパミンはもともとの状態にまで低下する。分裂気質の人はドーパミンレベルが低い。また、入院生活の場合にはドーパミン低下状態が続く。すると、有効レセプター量が少ないので増加しようとする。結果として、発病前よりも全体レセプター量は増大する。結局、神経遮断薬によって蓋をされたレセプター分が新たに増大する。有効レセプター量は、発病前の全体レセプター量に等しい。 Fこの状態で退院してしばらくすると、薬をやめて試してみたくなる。薬を急にやめると、発病前よりも過敏な状態であるから、容易に発病する。 G再燃状態になると、神経遮断薬を使用するが、初回よりもレセプターは増えているので、薬はたくさん必要である。 H初回と同じ原理で、興奮が落ち着いてしばらくすると、蓋をされたレセプター分だけレセプターは増えている。結果としてさらに過敏になる。 Iこのような悪循環を繰り返さないためにはどうすればよいか、考える必要がある。 5) 入院して薬を使い、落ち着いた時点ではレセプター増加、ドーパミン減少となっている。治療の目標はレセプターを減少させることである。 6) まずドーパミンを少しだけ増大させる。時間がたつとレセプターが少しだけ減少する。この時、ドーパミンを増大させ過ぎると、再燃状態となってしまう。また逆にドーパミンが少なすぎると、レセプターを減少させることができない。過激ではなく、退屈でもない、充実感のあるストレスがよい。 薬の量と、院内でのストレス負荷量の微妙な調整である。 ドーパミン増大→レセプター減少→薬減少→ドーパミン増大→以下繰り返し。ドーパミン一粒、レセプター一個、という感覚である。このように調整していけば、最終的にはドーパミンとレセプターを正常域に設定することができる。 そのためには、環境調整と生活スタイル調整により、ドーパミン量を調整することが必要である。特に、集団性の興奮、色、金、面子、健康によるドーパミン増加状態に対応できるだけのストレス耐性を身につけることが必要である。 7) ストレスレベルと薬の二つのつまみがある。それらを上手に動かしながらレセプターを減らす。これが分裂病の根本療法である。 8) 異常のこととは別に、シュープのときに神経細胞が失われたことによる陰性症状の問題がある。こうしたディフェクト症状に対しては、SSTやケースワーク技術により、生活障害が少なくなるように配慮するしかないだろう。 9) Sの根本障害→ドーパミン系の反応→ディフェクト症状 として、上記の仮説では、Sの根本障害として、ドーパミンレセプター過剰状態を仮定している。 しかしそれは別として、レセプター過剰が二次的に引き起こされたものとしても、過剰となったレセプターを正常にまで戻す操作は必要であろう。 10) 急性期に比較的大量の薬剤を使用し、薬を漸減しながら社会生活を広げる方法で、完全に治るケースもある。これは期せずして以上のドーパミンレベルとレセプターの調整がうまくいった例である。これを意識的に行うことで分裂病の根本的な解決ができるのではないかと考える。 11) こうしたドーパミンレベルと薬剤レベルの調整を行うには、地域リハビリでは無理である。ここに病院内リハビリの積極的意義がある。生活全部のストレス量を把握し、状態に応じてきめ細かく薬剤とストレス量を調整するには病院内リハビリが適切である。そして、病院内リハビリの環境としては、種類としても深さとしても多様な刺激を用意できる場所であるべきだ。豊かなリラクゼーション設備と、深い感情体験を呼び起こすことのできる環境が必要である。 12) 難点は、何を指標としたらよいのか、見当がつかない点である。何となく状態を見ながら、慎重にかつ大胆になどとわけの分からないことをいう羽目になる。 病前性格の程度。興奮の程度。鎮静に要した薬剤量(これは体重やP405にも関係する)。これらがレセプター量の推定に役立つ。レセプターの反応性によるのだが、一週間刻み、一ヶ月刻み程度で試験的に試してみる必要がある。 13) ストレス量は変えずに、薬だけを減らしていったらどうだろうか?あるレセプター量に対して、一個のレセプターを減らすのにちょうどよいストレス量があるはずである。だからやはりストレス量の調整は不可欠である。病院内生活はストレスが少なすぎる。その延長として、日常生活につなげるには不適切なレベルである。 14) ストレスの個人差も大きな問題である。個別に様子を見るしかない。「様子」とは何か。難問である。 1838 集団精神療法の適応患者 自己を開示し、これまでになかったタイプの人間関係を築くこと。こうした集団精神療法は、たとえばガンの末期患者の場合にとても有効だろう。精神分裂病の場合にはあまり有効ではないかもしれない。 親密さ、正直さ。連帯感。モデル。ミラー。共感。 1839 精神病者も疾病利得に逃げ込んでいる 精神病者は大きな心因に苦しむ。精神病は巨大なストレスであるから、当然その症状には神経症成分が重畳する。そしてその一部分には疾病利得の問題も見えている。 1840 RRR:Receptor Reduction Rehabilitation R3 Program:R cubed Program レセプター減少を目的とするリハビリ。 1841 リハのあり方の三次元 1)QOLの向上……それぞれの環境での生活深化……図で水平方向 2)社会復帰の促進……図で垂直方向 3)レセプター減少……根本療法として。これは医療モデル。上記二者は障害モデル。 A)十年後のリハビリと病院組織 急性期は病院で医師と看護部が担当する。リハビリ期に移ったら、すみやかに地域リハビリシステムに乗せる。生活支援センターを核として、外来診察、デイナイトケア、訪問看護、ソーシャルクラブ、などをミックスしてケアを構成する。従って、OTやPSWはおもに地域担当として活躍する。 療養型病棟は過渡的な産物であり、消滅する。 B)二十年後のリハビリと病院組織 R3プログラムにより、一部の分裂病に対して、積極的なレセプター操作治療が行われる。病院リハビリはこの操作の場として、再建される。 1842 ドーパミン × レセプター =16 普通状態 4       4 と仮定する 分裂気質の人は 2 8 で生まれてくる。8に合わせて、2の環境を選択する。 思春期になって 6 8 =48 位の刺激が入ると、パンクして、発病する。40を限界点とする。 入院すると薬を使う。 6       (4+”4”)=24 レセプターの半分をブロックした状態である。 これで入院環境で落ち着くと、 2       (4+”4”)=8 レセプターは最終刺激として16を保とうとするので、レセプターを増やす。 2 (8+”4”)=16 この状態で落ち着いて退院すると、刺激は少し高くなる。 3 (8+”4”)=24 まだ発病レベルではない。このままでうまくいけば、 3 (5+”4”)=15 程度にレセプターは減少する。このサイクルに入れば、治癒の方向に向かう。 しかし途中で薬をやめたりすると、 3 (8+4)=36 で、大変危険である。ここで何かの強い刺激があると、 6 (8+4)=72 これで発病する。 再入院して薬を使うと、 6 (4+”8”)=24 ここで前回は4だけブロックしていたのに、今回は8だけブロックしないといけない。 入院していると 2        (4+”8”)=8 となる。16レベルを保つためにレセプターは増加して、 2 (8+”8”)=16 となる。ここで退院すると 3        (8+”8”)=24 何かの刺激があるとまた再燃、薬を使ってレセプターは増える……と悪循環を繰り返す。 ではどうすればよいか。 まず、入院後の 2   (4+”4”)=8 から始める。まず薬を減らして、 2   (4+2+”2”)=12 このままだとレセプターは増えてしまうので、院内リハビリで、環境ストレスを調整して、 3   (6+”2”)=18 位の環境を作る。16になろうとするから、レセプターは減る。負荷するストレスが強すぎると、40を超えて再燃する。刺激が少なすぎると、レセプターは増加してしまう。再燃しないように、レセプターが増加しないように、この例でいえば、16と40の間で、うまく調整する。結果として 3   (5+”2”)=15 となる。そこで薬を減らして(勿論、ここでドーパミンを4にしてもよい。便宜的に薬からの例を挙げる。) 3   (5+1+”1”)=18 時間がたつと16に近付く 3   (5+”1”)=15 環境調整をして、 4 (5+”1”)=20 16に近付いて、 4   (4+”1”)=16 薬を減らして 4   (5)=20 最後は 4    4=16 これで普通の人と同じになった。 陰性症状(ディフェクト)はこれでは解決できない。しかしレセプター量については調整できる。 ドーパミンについては、1から4まで。同じストレス負荷に対しても人によって反応が違うので、一律の扱いはできない。 レセプターについては、薬で蓋をすることができる。蓋をされているレセプターは操作できない。 かけ算の結果として、16に近付く性質を仮定する。40を超えたら幻覚妄想状態である。結果が16以下だとレセプターは増えようとする。16と40の間であれば、レセプターは減少しようとする。つまりかけ算の結果が16と40の間となるように、薬とストレス量を調整することである。 薬の調節。 副作用は指標になるか。昼の眠気やだるさは昔から指標になっている。 ときどき薬を休んでみるのも悪くないといわれる。 この例で具体的にいえば、4だけのレセプターを残して、あとは一時的に蓋をする。それがぴったりである。そのあとは、蓋をはずしては減らして4に戻す、これを続ければ理想的である。 たとえば、環境を病院内でなにもしない2に固定したまま、薬を減らしたらどうなるか。 2   (4+2+”2”)=12 これではレセプターは増えてしまう。もっと一気にやめれば、 2 (4+4)=16 しかしこれでは元に戻っただけで、治療にはなっていないわけだ。 病院内の環境は1だとすれば、 1   (16)=16となる。 精神病院と自宅の引きこもり生活は、どちらが1でどちらが2か。いずれにしても、レセプターは減少しない。 単純型分裂病 これは2×8=16のままで、思春期危機も回避して生きてしまう人である。 小児自閉症 2×8=16が起こっている。 顔を背けるのも、アイコンタクトがないのも、刺激を回避するためである。 治療は、むりやりでも刺激を送り、アイコンタクトも強制する。そのようにして、3×6=18程度になる、よい方向に向かう人と、依然として2×8=16を続ける人がいるだろう。刺激を回避する力が強い弱いはある。頭が良ければ、また性格が強力性が強ければ、回避を続けるだろう。いずれにしても、刺激を送り、レセプターを減らす努力をする。ただし、強すぎる刺激に対してはパニックで反応するので、それは超えないようにする。 多動児 8×2=16である。自分で強い刺激をつくり出そうとする。リタリンで興奮させれば、動き回って刺激をつくり出す必要はない。しかしいつまでたってもレセプターは増えない。治療は、少しだけ低レベルの刺激環境を作り、レセプターが増加するように配慮する。 1843 拘禁反応 これはドーパミン過少で起こる幻覚妄想状態。ドーパミン過剰とは逆。メカニズムが違う。外来刺激性のドーパミンが少なすぎるときには、内部由来のドーパミンが増えるのかもしれない。あるいは、急速にレセプターが増加するのだろう。後者を考えれば、分裂病類似状態として説明がつく。 1844 精神病者で貧しい人は疾病利益がある。精神病になって病人として生きた方が得だと判断する。 社会復帰したくない。 病気は治したくない。 1845 たとえばMRの子供にとっては学校はストレスの大きい場所である。身体的に不都合があったり、いじめられたりしても同様。 同じ環境でも、人の特性によってストレス度は異なる。これはレセプター量とはまた別の要因である。 1846 組織 案 東京海道病院 精神科 臨床業務部分 院長 医師部(外来、急性期病棟)  臨床心理室 社会療法部(回復期病棟)   リハビリ課      地域リエゾン課  患者・家族教育課  社会療法部広報課    医療相談部    看護部……総婦長、各病棟婦士長 薬剤 臨床検査 訪問看護ステーション    栄養 事務 社会療法部 ○リハビリ課 ・入院精神リハビリ係 ・入院痴呆リハビリ係 ・通院リハビリ係 精神デイナイトケア……外来、地域、訪問看護との連携 (将来)老人デイナイトケア ○地域リエゾン課 ・退院時地域リエゾンカンファレンス係 ・長期入院患者社会復帰促進プラン係 社会的入院患者評価 退院準備作業(ホステルで評価するなど) 社会資源受け皿整備(アパートや外勤先開拓、援助付き就労など) ・社会資源情報整備係 ○家族教育課 患者・家族教育の実施と教育効果判定 ○社会療法部広報課 印刷技術を生かす 職員構成は医師、Nrs、OTR、PSW。社会療法部は回復期病棟担当である。 急性期病棟担当チームと分担を明確にする。病棟も明確に分ける。医局は解体し、病棟の一部に職員の部屋を置く。 1847 社会的入院の判定基準 @医療としては問題ないこと 薬は安定している・コンプライアンス良好 陽性症状はないか、あっても日常生活自立を妨げない状態が一年以上続いている 陰性症状はあっても日常生活自立を妨げない 病識あり 閉じこもりきりにならず社会生活を送れる(仕事ができる、またはデイケアや作業所に通える) 再発危険時に受診相談できる A退院先の確保ができないこと 家族の受け入れが整わないこと(なぜ?) Bホステルなどで試してみて、自立生活が可能であることが実証されていればなおよい。 長期入院者社会復帰促進プラン ・具体的な社会復帰のめどがないのに社会復帰療法をすすめるのでは不十分である。 ・いわゆる「社会的入院」にあたる人のリストアップ。レベル・状態に応じて分類する。 ・使用可能な社会資源の検討。さらには不動産屋・大家と懇意になれるか検討。「大家さん安心プラン」。 ・具体的なケース検討会。参加は医師、看護婦、OT、PSW、地域担当保健婦、通院予定施設PSW、生保ワーカー、作業所指導員、グループホーム指導員、可能なら家族など。社会復帰計画を立てる。……この作業を社会療法部会でおこなう。生活歴、現病歴、性格、治療経過、検査結果、日常生活能力、職業能力、暮らしの状況について情報を持ち寄る。 ・社会復帰計画に従って実行。結果をフィードバックして、次からのプランに生かす。 ・以上の作業のための書式を作ること。 ・退院後の通院先と担当保健婦や訪問看護担当者、福祉ケースワーカーに手渡すデータの書式を整える。入院時からそれぞれの担当の分野の情報収集を開始する(ここでシステマティックに動けるようにすることが大切)。医師、看護婦、OT、PSWの分担を明確にする。大きくわけて、薬・体・心、日常生活、職業能力・特性、暮らし全般のそれぞれを担当する。 1848 トランスパーソナルの視点。 「からだ・こころ・くらし」に加えてたましい。現在の科学的常識以上の何かを想定する。 1849 Sの根本変化→ドーパミン上昇(陽性症状)→神経細胞消失(陰性症状)・神経症性症状 Sではうつ状態を始め、いろいろなことが起こる。なかにはSの根本変化に対する反応としての症状があるだろう。 ドーパミン上昇は、反応ともいえるし、防衛反応といってもいいかもしれない。 神経細胞消失については、何か積極的な神経細胞消去装置がかかわっているかもしれない。シナプスは自分以外のシナプスを消去することによって自分が安定化する。 ある神経回路が盛んに活動すると、その他の回路については消去してもかまわないと判断し、消去物質が放出されるのではないか。ドーパミン過剰は、その回路だけを活性化・固定化し(これが履歴現象)、周囲の細胞を死滅させる。例えば、セル・キラー物質を放出する。これが繰り返されると、脳は萎縮し、脳室拡大などの所見となる。 1850 病院組織案 医師部・看護部、OTR、PSWなどは病棟に振り分けて解体する。急性期病棟専属、回復期病棟専属、外来専属として組織する。そのようにすれば、各病棟での収益が明確になる。ちょうどクリニックビルの方式を想像すればよいだろう。 回復期病棟は、現在の仕組みのもとでは、次第に消滅するだろう。デイナイトケア、援護寮、グループホーム、訪問看護などに解消してゆく。急性期が終わったら、すぐに地域リハビリチームに引き渡される。 ケアマネージャー部門をつくって、患者の意志決定を援助するのがよいと思うが、経済の裏付けがないのが難点である。 病院組織 ・精神急性期病棟 ・精神合併症病棟……これは立川共済に送ればよい。 ・精神回復期病棟……将来は精神保健施設(福祉施設・療養型C、心のケアホーム)   リハビリ(作業療法、SST、患者・家族教育)   (しかしここでRRRプログラムを実行する可能性を考慮すれば、単純に精神保健施設になるとも言い切れないのだが。) ・精神外来 ・デイナイトケア ・援護寮、グループホーム ・訪問看護 ・生活支援センター……クライシスライン、就労維持支援(職親、援助付き就労)、家族会支援、自助グループ支援 ・老人性痴呆病棟 ・老健施設 ・痴呆外来 ・老人デイサービスまたは老人デイケア 職種ごとにわけるのではなく、儲けがはっきり分かる単位ごとに組織して、権限を下に降ろして、経営意識を持ってもらう。儲けた分をもらえばいいのだ。そのためにも、請求業務のまとまりごとに組織するのがよいだろう。 たとえば、検査部は、SRIなどの検査会社に似たような意識で取り組めばよいのだ。緊急検査の経済効果を経営者は考えて決めればよい。 経営者は仕事の単価(どのような患者の場合に報酬いくら)を表示する。その単価が気に入らない場合には交渉するか、辞めるか、どちらかである。レセプト収入のうち、医師、看護婦、検査、PSW、OTRなどの寄与分を定めることが経営者の責任になる。あるいは、包括で支払いをして、その内部での分配はまかせることにしてもよいだろう。このシステムでは、クリニックビルの方式に似てくる。 個人でクリニックを開業すれば当然このような経済システムを前提とすることになる。そして健康保険システムのもとで医療を行うのであればこうして経済システムに従うほかに道はない。 1851 デイナイトケアの場合、形を変えた収容主義にすぎないのかどうか、点検する必要がある。 ソフトな収容。罪悪感の起こらない収容ではないか。 1852 閉鎖が必要な患者は数人にすぎない。あとの大半の社会的入院患者は、「つきあい」で閉鎖に入れられているだけだ。患者は抗議ができない。拒否ができない。 1853 RRRプログラム 分裂病の自然経過として、治ってしまう人がいる。一方で、シュープを反復して、段階的に悪化していく人がいる。何が違うのか? 悪循環と良循環の二つがあって、何かが少し違っている印象である。それを説明したい。 さらに、悪循環を良循環に変換できないか、テクニックを考える。それがRRRプログラムである。 1854 RRRプログラムは解体型・破瓜型分裂病のための理論である。妄想型はメカニズムが違う。 1855 解体型の、薬を使わない寛解状況 ドーパミンとレセプター 2 8 6 8……発病 収容または閉じこもり 1 8 このままでは 1 16 のパターンに向かうが、そのうちにふだんの生活に戻ると 2 8 これからあとは「引きこもりの生活」で、2を維持する。発病がなければ単純型といってもいい。性格と見えることもある。 1856 寛解という言葉は、レセプターは増大して過敏なままであることを表示している。 1857 ドーパミンを出させる刺激は、近代社会とそれ以前では全く違っていたものであろう。 村社会のような状況では、レセプターが多くても破綻せずに暮らせる程度のドーパミン量だったのだろう。これが近代社会になるとドーパミン量の多い生活になった。そこで破綻が多くなる。 軽症化についてはどう考えるか。? ふだんの生活でドーパミンが多い状況だと、破綻しやすい一方で、レセプターが減少に向かう状況もできやすいのではないか。薬とドーパミンの微妙な関係がうまくいってしまう例も多くなるのではないか。 しかし分裂病の軽症化は、うつの軽症化やヒステリーの減少、カタトニーの減少などと一括して考えられることが多い。 1858 神経遮断薬は、投与直後にはドーパミンを増大させている。ドーパミンは修復系と考えられる。従って、薬剤は、修復系の賦活であると考えられる。 このような考え方もある。 1859 クローの一型、二型の分類。 一型はシュナイダーの一級症状を持つような、陽性症状タイプで、典型は妄想型分裂病。薬がよく効く。二型は、ブローラーの基本症状が中心の、陰性症状中心のもので、薬に反応しにくい。単純型分裂病が中心である。 一型は、反復するごとに二型の要素を増す。一型と二型の混在が破瓜病では典型的に見られる。 一型はドーパミン系の過剰活動。二型は脳の器質性変化。 例えば、「ひきこもり」の場合、過敏なために引きこもる人と、陰性症状として「ひきこもる」人(意欲欠如)を区別したい。 単純型はどうなのか?二型の純粋型は、何が原因で引きこもるのか? 1)ドーパミン過剰 2)レセプター過剰 3)神経細胞消失 この三種を区別して議論すべきではないか。 1と2はまとめて、「相対的ドーパミン過剰状態」であるが、これを分けることに意味がある。 私見によれば、 妄想型は1)であり、破瓜型、単純型は2)である。 3)の典型はディフェクトであり、ディフェクト純粋型は極端になれば痴呆状態につながる器質性の病態である。 1860 思春期発病 分裂病破瓜型の思春期発病については、刺激の増大のせいでもあるが、一方で内部ホルモン環境の問題もあるだろう。どう考えるか?性ホルモンが上昇すると、脳では何が起こるのか? 男性の場合、外部探索行動が加速される。このように、性ホルモンが行動を変え、それによって発病危険性が高まることが考えられる。 しかしまた、妄想発生と性的欲動の比例が予想されるような状況もある。恋愛に関する妄想回路が人間にはもともとある。「自分があの人を愛している」という妄想は妄想とはなり得ず、親は説得不可能とあきらめてしまうことなどから考えても、妄想の「原器」は脳に埋め込まれているのだろう。 幻覚妄想状態はその「原器」が誤動作する状態なのではないか。 幻覚については、それが幻覚であるか、妄想であるか、区別が難しいことがあるのではないか。従って、妄想の側で考えてよいのではないか。 1861 ドーパミン仮説の難点として木下潤が指摘している点について 1)薬が効かないタイプの妄想について。 何が起こっているのか?原発性にドーパミンが多い。あるいはドーパミン抑制物質の欠乏。しかしそれでもドーパミン遮断薬は効果があるはず。 ドーパミンレセプターサブタイプの問題? ドーパミン以外の系の問題? 薬が効かない人は確かにいるのだ。 2)薬の効き始めが遅い。鎮静効果はすぐに出るのに。……薬剤とレセプターの関係は何か特殊?一週間くらいかかる何かのプロセスが関与している? 3)陰性症状には効果がない。……当然である。 1862 分裂病の逆耐性の問題は、レセプター増加による過敏状態成立で説明できる。 1863 レセプター量の操作にどれだけの時間が必要か。不明。 アンフェタミンに対する反応などが参考になる? 1864 錐体路と錐体外路 随意運動では錐体路が使われる。 例えば、何かを腕で持ち上げるとき、大腕二頭筋は縮む。これは意識の上でも縮めようと思っている。しかし同時に外側の筋肉は伸ばさなければならない。意識の上では「伸ばそう」という気持ちは起こらない。ここの調整をして、「外側の筋肉は伸ばせ」と命令するのが錐体外路である。 1865 状況認知は高次の判断能力である 頭のいい分裂病者の場合、脳の中にデータをたくさん入れることはできる。コンピューター的。たとえば地理のデータや自然科学のデータ。 しかし初めての状況で、その場の風向きを判断することは教えることができない。データを入れておいても、高級な判断は難しい。どのようなプログラム(判断手順)を組んでおけばいいのか分からない。何が確かな判断基準になるのか分からない。 そんな場合、彼らは自分なりにSST的な対応をしているようである。 自然に生きていれば自然に分かることである。 大脳の高次の統合機能障害というとき、状況認知能力などは該当するだろう。 1866 馬鹿は病気ではない、障害である。 つける薬はない。しかしケースワークはできるし、SSTはできる。 1867 美人とハンサムが好まれる理由 微細な身体形成は胎生三ヶ月までの発達を反映している。例えば、癖のある頭髪、外耳の低位置、狭く高い軟口蓋、手の第五指内湾など。 これらの微小な身体形成異常(MPA:minor physical anomalies)は中枢神経系疾患に高頻度に見られる。 美形が好まれるのは、無意識のうちに神経系なども含めた形成不全を排除しているものであろう。顔かたちの一部の特徴は、胎生三ヶ月までの成長の健全さを保証してくれる。 また、このあとで成長ホルモンにより骨の成長の程度が決定されるなど、ホルモン環境の推定ができる。 また、その人の表情は、普段の感情状態を反映する。 これらの要素の総合として顔かたちがある。 1868 人はなぜ手相を見るか 指紋と掌紋は13〜19週で発達し、21週で固定する。この時期に大脳皮質の基本的形態が形成される。皮膚紋理と大脳皮質は同じ外胚葉性であるから、発達分化の点で共通点がある。皮膚紋理に形成不全があれば、その形成時期に大脳皮質に何らかの障害があったと推定する理由がないこともない。 そこで、大脳形成不全を推定する根拠として、指紋、掌紋が有効になる。手相で未来のことは分からないが、胎生13〜21週のことは推定できるのである。 1869 SSTの前提 ・その患者にはどんな技能が欠けているのか、診断すること。 ・そのことと患者の動機付けが関連する。なぜこの訓練が自分に必要なのか、納得できたほうがよい。 1870 現在     現実神経症 エディプス期     精神神経症 depressive position  うつ病 paranoid position   分裂病 1871 家族会 職親 就労援助(情報、援助付き就労、過渡的雇用) 1872 精神障害といっても、種類がさまざまである。それぞれの病理に対応して処遇しないと、くいものにされる。 せっかくの善意が食いつぶされて、本当に必要な人のところに届かない。 しかしこれが難しい。診断学が未熟であれば、自分も心の病気なんだと言い張っただけで、心の病気と認定されてしまうのだ。それを厳しく裁こうとすれば非難もされる。 1873 日本の現状では、患者の抱える障害を無視して、普通の人として遇してあげるのが優しい態度であるとの風潮がある。障害を抱える人としてみれば、それは差別や偏見につながるものとして考えられたりもする。こうした現状は、診断学が不十分な故に起こっていることである。 愚かな思い違いや思い込みによって処遇されていたのでは、患者はつらい。 あるいは、病気を否定し、さらには病気を否定することから生じる辛さをも否認し続けているのが、患者の病識の欠如ということなのだろう。この点では、「やさしい職員たち」は患者の病識欠如に巻き込まれてしまっていることになる。 1874 生活スタイル病 精神病院の生活は、脳に悪い。低栄養も甚だしい。最高度の脳委縮を作り出す場所といえる。 精神病院こそは、脳委縮からもっとも遠い場所であるべきだ。そして、脳委縮からもっとも遠い場所とは、愛のある家族であり、友のいる共同体である。社会そのものが精神病院となるべきである。 1875 脳の症状 ・場所の特性……localization……傷害の場所に応じた症状。 ・病理の特性……temporal profile……病理の特性に応じた時間経過の特徴。 1876 出生時に2×8と4×4の子供が産まれるのはなぜか? ひとつは遺伝である。もう一つは、胎生環境である。胎児自身の感覚処理、胎児への感覚情報、母親からの何かの影響、血流を介してのホルモンや血糖の影響は間違いなくある。 1877 離人症とは脱実感症のことである。 1878 精神科医の二つのタイプ ダメ医者と非常に良心的なタイプ。 自分は内科に行けないから、精神科と考える人。精神科の現状を見て、これではいけないと使命感を持って立ち向かう人。 1879 分裂気質の過敏と鈍感の同居 過敏はレセプターの過剰。鈍感は、感覚刺激がドーパミンに変換される途中で障害があり、充分なドーパミンが出ていない状態。見ていても感じない。これは「自閉」といえる。「現実との生ける接触の喪失」はこのような事態であろう。目には見えている、それなのに状況を充分に把握していない。状況意味失認といってもいいし、フィルター障害とイメージしてもいいかも知れない。 外部情報からドーパミンへの変換過程に障害があり、ドーパミンが少ない環境では、やはりレセプターが増えるだろう。この状態では、鈍感さと過敏さの同居となるだろう。 分裂病の始まりとして、「外部感覚情報をドーパミンに変換する過程に障害があり、ドーパミンが少なくなる、ひいてはレセプターが増える、このようにして2×8が成立する」と仮定したらどうか。 1880 表情認知テストを再度活用できないか。 1881 廃用型痴呆では感情平板化、意欲低下、自発性低下、計画性低下、機転消失、注意分配困難などの前頭前野症状が起こる。 血管障害でも、酸素欠乏でも、薬剤による傷害でも、やられやすいのは前頭前野であると考えられる。 ということは、分裂病の陰性症状も、特異的な傷害というよりは、分裂病性変化というダメージに対して、やられやすいところ(vulnerable)すなわち前頭前野がやられて、症状が出るという仕組みなのではないか。 分裂病に特異的な症状というべきではないのかも知れない。 分裂病の時に起こるのは、実際の神経損傷かも知れないし、あるいは分裂病の症状から「内的廃用」「内発性廃用」とでも呼ぶべき何かが起こるのかも知れない。 1882 「内発性廃用症状」 外界刺激はそれなりにあるにもかかわらず、一種の刺激遮断状態となり発生する廃用症状。つまり、感覚情報がドーパミンに変換されるまでの経路のどこかで傷害が起こる。これにより、レセプターが増加して、その後の反応が続く。 拘禁反応との類似も説明できる。 そして、廃用だとすれば可逆的である。どのようにして、感覚情報をドーパミンに変換する経路を再建するかが問題である。 1883 感覚情報……ドーパミン……レセプター 単純化して、この三者を軸に考える。 1)生まれつき、レセプターが多い。反応として、ドーパミンの少ない環境を選ぶようになる。それで固定する。分裂気質の過敏さ。思春期になってドーパミンが急上昇したときに、発病する。 2)生まれつき、レセプターが少ない。反応としてドーパミン過剰気味の状態を欲する。多動児の自己刺激状態。 3)感覚情報がドーパミンに変換される系が傷害されている。普通の生活ではドーパミンが少ない。反応としてレセプターが増えて、過敏な人になる。「現実との生ける接触の喪失」とは、そのような事態である。この人は普通に生きていても、脳の状態としては、「閉じこもっている」のである。……このことと、本当に物理的に閉じこもって、ドーパミンを減少させている場合とがあり、結果としてのドーパミン量は同じになる。 4)感覚情報からドーパミンへの変換が過剰である。普通の生活でドーパミンが多すぎる。反応としてレセプターは減少する。 1884 なぜ2×8パターンになるか? レセプター形成期に、ドーパミンの量が多すぎたり、少なすぎると、レセプター量は標準的でない量に固定しそうである。つまり、レセプター形成される大切な時期に、ドーパミン量が少なすぎた場合に、レセプターは多すぎる量で固定されるだろう。 その時期はいつか、どのような場合に、ドーパミン過量になるのか。 1885 パニック発作 これもドーパミン×レセプター>40で解釈できないか。 1886 若年者はイライラする。中年になれば不安を訴える。このような変化があるのではないか。 1887 「よしよし、あなたはわたしから離れられない」 悪い母親と悪い精神科医、悪い心理療法家は同じセリフで悪を行う。 1888 レセプター量の決定……胎生期と出生直後 決定の時期はいつか? 決定後の可変域があるとして、どの程度の範囲か? 例えば、大量の性ホルモン。胎児期に母親の性ホルモンが大量に作用する。その時期にはレセプター量が変化しやすい。思春期になって性ホルモンが増大すると、レセプター量が変化しやすい時期になる。→レセプター量変化期?、レセプター量増加作用? 環境に適応してレセプターは変化するが、変化しやすい時期があるのではないか。生活の変化のときに、レセプター量が変化しやすければ合理的である。その点では、出生前と、思春期に変化期があるのは納得できる。 たとえば、嫁入り前と嫁入り後というように生活が変化する。 性ホルモンの中でも、男性ホルモンがよく効くのではないか。それゆえ、男性に破瓜型障害が多い。 1889 都会と田舎。文化の変化。 田舎暮らしで、レセプター設定が田舎の静かな環境にちょうどよいレベルに設定されている。都会に出てくると刺激が多い。そこでレセプター量の再設定が必要になる。うまくできればよいけれど、そうでない場合には不適応になる。 1890 過渡的雇用について 1891 思春期の妄想心理 レセプター量が増加することにより、まわりの女性にとりあえず好意を持つ。 男性ホルモンがもっとも強力なので、男性は惚れやすい。女性ホルモンの場合にはややマイルドである。 1892 レセプターが4なら普通。8なら分裂病タイプ。5ならイライラする若者。 5を4に変えるための方法があるか、検討。 環境刺激を6くらいにセットしてしばらくいれば、レセプターは減少するか。レセプターが減少することが、「慣れる」ということの実体だろう。 4×4=16 で、16のセッティングの異常も考えられる。 1893 感覚刺激→ドーパミン×レセプター=Z(Zが16に向かうようにレセプターは調整される。40を超えたら妄想状態。) Zの設定が狂っている場合もあると思う。この設定を変える方法はあるのだろうか? しかしこのように考えてくると、変数が多すぎる。 とはいっても、たかだかこれだけである。 1894 現代的人工冬眠法……低体温療法 これによって陽性症状を抑え、同時に陰性症状を予防する。陰性症状は、脳に起こった広範なダメージにより、前頭前野の機能が消失した状態である。これは低体温療法によって防止できる。麻酔薬で眠らせるのだから、陽性症状が消失するのは無論である。 クロールプロマジンは人工冬眠のために開発された薬であった。 1895 分裂病の三分の一は自然に治るとのブロイラーの見解。 これは本当にすっかり「普通の人」になるのだろうか。あるいは、過敏さを抱えたままで、過剰な刺激を回避して生きる人生を選択するから再発がないというだけなのだろうか?この違いはどうなっているのだろうか。 たとえば、単純型、分裂病型性格障害、などの性格の偏りを残しつつ、再発は避けられているという状態になるのだろうか。 1896 薬は本当に効いているのだろうかとの疑問。 陽性症状について……要するにぼーっとして眠くなり、何が何だか分からなくなるだけではないだろうか。 陰性症状……効いていないだろう。むしろ悪化させている可能性があることは注意しなければならない。 再発予防効果……本当に有効か?たとえば、薬をきちんと飲んでくれる人は、人の話を聞く、理解がよい、無謀なことはしない、人間への信頼がある、薬を絶対やめようと思うような嫌なストレス体験がない、などの良い状態があると考えられる。これは、薬のお陰というよりは、もっと全体のお陰で、そのお陰の一部として、薬を飲むことになっている。つまり、薬を飲むのが原因で良い状態が続くのではなく、良い状態が続くから薬を飲み続けてくれるのではないか。 逆に、状態が悪かったり、対人関係や職場でうまくいかない人は薬をやめて冒険してみたくなるのではないか。 1897 分裂病の軽症化 ・薬のおかげかどうかは疑問 ・栄養状態の改善が原因の可能性もある。たとえば、クレッチマーの体型との関係でいえば、やせ型は栄養不全の印であったかも知れない。 さらには栄養不全は対人関係の悪さに起因していたかも知れない。仲間関係が悪いから栄養が悪い。 クレッチマーの体型は、対人関係の質を反映していると考えたらどうだろうか。 1898 離人症 分裂病、うつ病、神経症などで、内容が同じなのか。厳密に同じ症状なのか。検討できないか。 表面的な認知の回路と、実感の回路が別々にあって、実感の回路が障害されるのではないか。 時間遅延理論で、時間が軽度に遅延して自己能動感が失われる事態。 1899 生物学系以外の人たち、特に心理やケースワーカーは、心理主義に傾きがちであるから、上手に修正してあげる必要がある。それは医師の役目であろう。 1900 十年後プラン ・組織は急性期、回復期、外来に大きく分ける。つまり、業種によって分けたりするのではなく、患者ごとに必要な治療はなにかによって、大きく分類する。 ・病棟請負制。コスト意識が明確になる。チーム意識を明確化する。患者がとか、設備がとか、いいわけをすることがあれば困るので、徹底的にローテーションする。 ・レセプター増加による過敏型と、触法型は処遇を分けて、病棟も分ける。 ・回復期リハビリは地域リハビリの方が効果的で合理的である。従って、入院リハは消滅の運命にある。 二十年後プラン ・急性期治療は麻酔・低体温療法になる。人工冬眠、頭寒足熱、滝に打たれる。陽性症状は眠ってしまうから消える。脳のダメージを防ぐので、前頭前野細胞消失による陰性症状を抑える。薬の副作用で生じるレセプター増加を回避できる。この方法であれば、シュープのたびにレベルダウンが起こる分裂病独特の進行を防止し、非定型精神病やうつ病のような進行に変えられる。たとえば、てんかん発作にも応用できるだろう。 ・維持期には、患者を慎重に選択した上で、RRRプログラムを施行する。これによって、分裂病の根本治療ができるようになる。分裂病の根本療法が試みられる時代になる。 1901 脳の形成期 例えば、皮膚の汗腺は、発生時の気温や湿度に合わせて調整される。脳についてもそのような調整・決定の時期があるはず。 1902 性ホルモンの関与 女性ホルモンはレセプターを調整しやすくする。従って、胎児期と思春期には環境に合わせて調整しやすい。 胎児期に、子供時代の生活を予測してレセプター数をセットする。だいたいは母親にくっついて生活するので、母親の胎内での刺激に合わせてセットすれば間違いはない。思春期には別の生活にはいるので、セットし直せばよい。現代の生活では概ね妥当する。原始の生活ではどうか?たとえばサルの生活。成熟してからは違う環境に投げ込まれる。 男性ホルモンはレセプター数を増やす。従って、妄想的になりやすい。「自分はあの女が好きだ」という妄想を抱きやすい。惚れやすい。これが原因で、男性はレセプター増加型の分裂病になりやすい。(しかし、分裂病男性は男性性が欠けていたりする。これについては、女性ホルモンが多ければ変化しやすい、この条件が基本にあるのではないか。単に男性ホルモンが多いだけなら、レセプター増加の圧力にはなっても、変化を受け入れない。女性ホルモンがまず多くて、さらに男性ホルモンが出ているときに、増加する。これで、男性でかつ女性ホルモンの多い人がレセプター増加の危機にさらされることになる。) 1903 感覚→ドーパミン×レセプター=Z ・感覚からドーパミンへの変換が悪い場合に、「現実との生ける接触の喪失」が起こる。ドーパミンが2になるので、レセプターは8になる。 ・この人の鈍感さは、敏感さと同居する奇妙な感じのものになる。鈍感さは2から生じ、敏感さは8から生じる。ただ、感覚の中の特定の部分だけに8で反応して感受し(これが敏感)、あとの大部分は無視されてしまう(これが鈍感)ので、大部分は鈍感ということになる。 ・しかしこの鈍感さは、一部は陰性症状である。これは状況認知の障害といってもいいし、統合機能の障害といってもいい。とにかく高次機能の障害である。また一部は集団学習の欠如による経験の欠如が原因となっている。これらと感覚からドーパミンへの変換の障害によるものと、複雑に混合した結果、特有の鈍感さが生じている。 2×8タイプにも二通りがある。 ・最初からレセプター8で生まれる子。過敏型。2→2×8と表記できる。物理的に閉じこもり傾向になる。これにたいしては、レセプター操作の可能性がある。 ・4→2×8と表記できるタイプ。これは感覚からドーパミンへの翻訳部分に障害があり、ドーパミンは2にしかならない。これはいわば内的「自閉」状態である。これについてはレセプター操作の可能性があるかどうか、分からない。どのようにしてドーパミン調整をすればよいか、不明。根本的な原因は感覚からドーパミンへの変換障害であるから、そこを治さないとうまくいかない。→このタイプは、強い刺激を求めることになるかもしれず、その点では境界例があてはまる。 1904 レセプター8で生まれた子供。 赤ん坊のときには環境を選択できない。従って、大抵は4程度の刺激にさらされる。ドーパミンへの変換が正常ならば4のドーパミンが出て、4×8=32の状態になる。これはイライラして泣き出しやすい状態である。ここでレセプター可変的な子供は環境の4に合わせて、4×4に落ち着く。しかし環境に抵抗するタイプの子供は、イライラしながらも4×8で続け、動けるようになってからは2×8になる。 従って、2×8のままで思春期を迎えた子供の場合、レセプター操作は難しそうである。 子供の観察は重要である。イナイイナイバーをしましたかと聞く。 二人目の子供は落ち着くといわれるのは、親が慣れること以外に、胎内ホルモン環境が落ち着くこともあるのではないだろうか。 1905 心理的に解釈できそうなことも、物質的な基盤がないか、検討してみることが有効である。 1906 非定型精神病と典型的躁うつ病は、あとにレベルダウンを残さずに治る。分裂病や非典型的躁うつ病は、レベルダウンを残す。 この違いは何か。脳神経殺傷性の何かが起こるかどうかの違いがあるのだろう。それが分かれば陰性症状を抑えられるのだが。 それは何か? 1907 金子満雄のあげる前頭前野症状 ・仕事の手順選択の障害……「目の前に血を流している人がいる。何をすべきか?」 ・注意分配能力の低下……複数の作業を同時に実行する ・質問が誰に向けられたのか分からずに答えてしまう ・当初の命題が維持できない……新聞を手渡して、「時間を計りますから、最初の一頁から見ていって、天気予報を探して今日の予報を教えて下さい」という。途中でいろいろの記事に気を取られてしまう。 ・ことわざテスト……「二兎追うもの、一兎をも得ず」の具体的な例を挙げて下さい。 ・動物名想起テスト……一分間に十五個、七十以上なら十二個 ・ジャンケンポンテスト……「私がグウを出したら、あなたはパーを出す」というように、いつも勝つ(負ける)ものを考えて機敏に出す。 ・なぞなぞテスト……「馬が一頭、まっすぐに立っています。頭が東を向いているとき、尻尾はどちら向き?」答えがあったら、「尻尾は下を向いています」と教えたときの反応を見る。おかしさが分かる人は正常。 1908 学校という制度は、ドーパミンレベル4を実現している。その点で子供の生活は分かりやすい。特にいじめられるなどの個体差はあるけれど。 1909 女性ホルモンは環境への順応。 男性ホルモンは環境への攻撃。 ここに男性と女性の性格とレセプター特性の関連が見える。 1910 いじめの心性(朝日新聞97-6-14朝刊) 世間が分裂病者に向ける目にいじめの要素が含まれていないか。 性格が悪いのだからいじめられても仕方がない。悪いところを指摘しているだけだ。なとど記事の中で意見があげられている。 おおむね、「いじめられても仕方がない人だから」との意見。 1911 二十年後の医療界……根底には医療費節減、老人増加、若年者減少、ハイテク化、予防医学化。 ・ハイテク化 ・在宅化……ハイテク化が必要。 ・大資本の参入……ハイテク化には不可欠。 ・零細開業医の再編成……上記傾向の結果。 ・自己負担割合の増大・包括制の推進 ・均質な医療の崩壊。各自が治療メニューを選ぶ。人生観や金銭感覚に応じて。 ・老人医療の圧迫……思い切った対策。しかしそれが思い浮かばない。 ・予防医学の発展、ライフスタイルのチェックまで……良質労働人口の確保。医療費節減に対する予防医学の効果。 ・医療と福祉、医療と介護のミックス化 ・パラメディカルに仕事を任せて、医者の仕事を減らす。 ・金を節約するには、とにかく医者を少なくすることである。 ・毎年八千人の医師ができるとして、一人一千万で計算しても、毎年八百億円の支出増である。 ・若年人口(保険負担層)が減少し、老年人口(保険受給層)が増大し続ける現実は日本にとって大変厳しい。制度の変更を考えるしかないだろう。 精神科の二十年後 ・低医療費の徹底……パッケージ化、定額化、医療から福祉への振り分け ・在宅化……自己負担額を上げていけば、家族は自分達で面倒を見るようになる。社会的負担か家族を含めた自己負担かの選択。社会的コストとしてどこまで許せるか。 ・社会的入院の一掃 ・長期入院患者は老人病患者に移行する ・触法患者とそれ以外の患者の区別の明確化 ・個室化・高級化 ・生活保護のあり方の見直し……厳密な診断、支給期限をつける、就労プログラムにのせる。何かの仕事を作り、税金を払う方向で努力を促す。治療技術が進歩していると仮定して、治療か労働かの二者択一を課す。 ・治療法の変化……薬物療法の反省、代替療法の進歩 ・予防精神医学の発展……ハイリスク群のケア 1912 用語の定義のずれ……陽性症状と陰性症状の場合 ・ジャクソニズムによる考え方。 ・ないはずのものがある、これが陽性症状。あるはずのものがない、これが陰性症状。 ・ドーパミン過剰症状が陽性症状。前頭前野の機能欠損症状が陰性症状。 1913 Essential Psychopharmacology 1996 Stephen Stahl で紹介している陽性症状と陰性症状。 ・陽性症状 幻覚、妄想、言語やコミュニケーションの歪みや誇張、解体した会話、解体した行動、緊張病型行動、興奮(Agitation) ・陰性症状 平板化した感情、情動的引きこもり、貧しいラポール、無気力な社会的引きこもり、抽象的思考の困難、自発性欠如、決まり切った思考 5Aとしてまとめると Affective flattening Alogia Avolition Anhedonia = lack of pleasure Attensional impairment ……これらはまさしく前頭前野症状と見える。 社会性機能が欠如しているために前頭前野が廃用性能力障害を呈しやすいことがまず原因としてあげられる。また、入院していたり病後で療養していたりして病人アイデンティティを持っていると廃用性能力障害になりやすい。 1914 イニシャル・コモン・パスウェイ ファイナル・コモン・パスウェイ 始まりと終わりは疾患特異性に欠けて、似たような症状が現れる。たとえば不眠、集中困難など。 1915 黒質線条体系のドーパミンはアセチルコリンを抑制している。従ってドーパミンを遮断するとアセチルコリンが上昇する。それによる副作用を抑制するために抗コリン剤を用いる。 1916 陰性症状と廃用性能力障害の場所は共通で前頭前野である。回復可能か不可能かの違いだけである。 1917 新しい仕事のビジョン ・サービス業としての医療はどうあるべきか、何が求められているか、説く。 ・組織のあり方、リーダーのあり方を説く。特に、院長職や理事長職のあり方。院長は医療技術者である。組織の長としての訓練は受けていない。ここに組織としての挫折の原因がある。 ・組織の精神病理診断 ・医業経営……大資本流入時(医療法人解禁、医療ビッグバン)、何が起こるか。例えば、医局支配はどうなるか。医局経由ではなく優秀な人材が求められる。その時に応えられるようなリクルート組織。 ・リクルート情報……医者の評価。これは医療知識が欠けていると難しい。技量と人柄や価値観を評価する。これは患者にとっていい医者とはまた別の観点である。また、病院の評価。これは患者の立場での評価もあるが、働く者にとってどうかとみる立場もある。転職時には、医者同士の方が話が通じやすい。 ・医者のカウンセリング。医者特有の悩みについてカウンセリング。 ・志がある医者と、資本との結合。一種の仲人。 ・医療経営指南。これは税理士だけではできない。 ・保険医が定年制になると仮定して、定年後の医師の就職を考える会社。たとえば、自由診療で生き残るテクニックを教える。また、自己所有の財産の医業としての運用方法。保険会社の運営する医療保険と結合させて、私的保険医として組織する。 ・企業内のメンタル相談を組織化する。 ・メンタル相談を有料電話やインターネットで組織する。どのような有益な情報を流せるかが勝負。 ・企業の経営指針。いつまでも信長やプロ野球監督でもないだろう。 ・在宅医療、訪問看護、訪問理学療法などの業務コンサルタント。 ・老人医療の行き止まりをどうするか。日本は資源がない。資源は頭脳と技術である。ところが若年労働者が減少する。今のうちに地下資源のありそうなシベリアでも買っておいた方がいいかもしれない。それを金に換えて、老人ケアにあてる。 ・医療法人理事長を教育する係。 ・医療保険は次第に自己負担分を増やす。その負担を吸収するために私的医療保険が開発される。その場合に、「この病気なら給付はいくら」と決定する人が必要になる。アメリカではこうした私的健康保険が医療内容を決定している。さらには指定医療機関として医者を組織する方向にも向かう。 ・ストレスコントロールに悩み、本をたくさん読んでいたりする。指針がほしいのである。そのような状況で、ビジネスチャンスを探る。 ・メディカルマインドを背景として、何ができるか。それを探る。 1918 社会的入院が十万人。健康保険では一人一日八千円から一万円かかる。つまり、一日八億円から十億円である。これを外来業務で吸収して行くのだから、パイは大きいと見える。 1919 医師の技量の査定。 どのように査定できるか。患者に受けがよくて、儲けがうまい。そこまでは患者の動きや請求額で評価できる。しかしそれだけではない部分もあるだろう。それは何か。 そもそも医師特有の技量とは何か。どんなものをいうのか。医療経済からいえば、パラメディカルが肩代わりできる部分が多い。アメリカと同じように、日本でも医者の仕事を、もっと安い費用で実行するパラメディカルにまかせるようになるだろう。眼科と眼鏡屋、内科と売薬、精神科医と心理やケースワーカー。 精神科医固有の技術とは何か。 急性期でいえば、単に極量まで使って鎮静させるということで、特に経験も要らず、若い人でも十分である。 回復期ケアは、人手がかかる。一人の医者が五十人の患者を受け持っているようでは何もできない。給料の安いパラメディカルをたくさん雇ってマンパワーを増やすのがよいだろう。回復期ケアに本当の意味での医療技術があるかといえば、本来あるべきであるが、またそれほどたくさんはない。むしろ、開発途中である。 外来やデイケアは、医者でなくても十分である。 つまり精神医療全体を通じて、医者はあまり必要ないということになるだろう。 1920 医療用ベッドのコマーシャル。時代である。在宅医療用の機器は需要が増大する。 1921 もっとも医者らしい医者は精神科医である。単なる医療技術者からもっとも遠い。それなのに、こんな現状である。 精神科患者は精神療法など必要ないのである。 1922 「お医者さんはわたしの話を聞いて、日記をつけるだけ」といった患者さんがいる。確かにそうだ。そんなものを書いて何になるのだ?どうせ治らないのに。治すための営みをしていないのだ。「それでは治療になりませんよ」との指摘だとすれば、患者は正しいのである。 1923 現在の健康保険制度の中で高収入を得たい医者は、薄利多売を実践するしかない。当然医療の質は低下する。医療の質を上げようと思えば、収入は減少する。良心的な医師が報われない制度である。 一人の患者のためにいろいろと調べものをしたりする時間は考慮されてはいない。 しかしながら、どのような制度にすればよいのかといわれれば、答えは容易ではない。医師の技量は簡単な物差しで測れるものではない。 現在の制度は、医師が少ない状況の中で、国民に最低限の医療サービスをとりあえず提供するためのものだ。医者なら誰でもいい、とにかくおおまかに診断して薬を出してくれというわけだ。高血圧モデルである。 1924 集団運営の基本技術 集団場面での問題点を個人面接で取り上げる。この連携が大切。 1925 精神病者の処遇の変化 1)都市の形成 1873年、東京府が市中徘徊の下層市民の狩り込みを行う。狂人、盲人、廃疾者、などが含まれる。精神病院の始まりである。……要するに、農村社会では最低レベルの生活は精神病者にも保証されていた。都市化が進むと、最低保障はなくなる。自由市場の原理は富む自由を生み出したが、一方で最低生活以下の暮らしも生み出した。自己責任の原理では生きていけない人はどうすればよいか?それが問題である。家族は昔の農村のようには機能しない。社会は家族をあてにしている。 始まりの時点から、「排除の論理」である。都市の中でうろうろされては困る人たちを隔離収容した。現在はライ病、視覚障害者、身体障害者などは区別されているけれど、触法患者と分裂病者と知的発達遅滞者とを混在させたままで処遇している。これも悪しき歴史の名残である。 2)脱施設化 薬剤の開発と並行して脱施設化が世界的に進行した。アメリカでは「サービスの配達」の考えに辿り着く。イタリアはトリエステ。日本では依然として家族への依存から抜け出していない。 なぜ日本はこんなにも遅れてしまうのだろうか。キリスト教の背景が欠如していることが原因か? 1926 宮内らの提唱する受動型、能動型、依存型、啓発型は性格特徴とすべきか、それともレセプター論などと関係づけられるか、あるいは他の理論と関係づけられるか。 ・受動型 社会生活の経過の上で現状に安住し、自分から変化を作りだそうとしない。生活に不満をあらわさず、万事ひとまかせである。 外部から現状の変化や拡大を迫られるような課題を与えられたとき、混乱、困惑、選択決定ができず、放棄してしまう。形式的、重要なことと些細なこととの区別ができない。融通のなさ、迷いやすい。職業に対する(簡単に働けるといったような)甘い考え、幼稚な倫理観、打算的でけち。 ・能動型 社会生活の経過の上で現状に安住せず、自分から変化と拡大をつくり出そうとする。生活にとにかく不満を現し、万事ひとまかせにできない。 名目、資格に対するこだわり、世間体、他人に認められたい、劣等感、気兼ね、自己の評価に敏感、願望をすぐに実現しようとする、馬車馬的、あきらめの悪さ。 生活臨床の五原則 1)時期を失せず 2)具体的に 3)断定的に 4)反復して 5)余計なことを言わない この方針がうまくいくのが「他者依存型」、うまくいかず禁忌なのが「自己啓発型」。 ・他者依存型 困った状況で他者(多くは治療者)からその都度判断基準を教わり、その通り遂行して成功する体験の中から社会的判断基準を体得していくタイプ。 ・自己啓発型 困った状況に対して自ら考えたやり方で実践して、その成否の結果から社会的判断基準を体得していくタイプ。治療者が決めてあげると反発する。結論は出さず、「あとはどうするか、自分で決めなさい」といって帰すのがよい。 「親のいうことを素直に聞かない子」であることが多い。 命令すれば反発する。これが判別の切り札である。 1927 分裂病者は「人嫌いで孤独を好む人たち」ではない。手助けをすれば分裂病者は人付き合いをし、それを喜びとする。(宮内) 1928 湯浅の指摘 分裂病者が再発または生活破綻するのは、1)おとしめられる、2)迷う、3)待たされるの場合である。 分裂病者かたぎとは、切り替えができず変化にもろい、正直者で秘密を持ちこたえられない、断り下手で頼むことも苦手、の三つに整理される。 1929 分裂病者の目標設定 「病気をしていなかったら、どんな人生コースを歩んだかを見極める。そのコースにもっとも近いコースを目標とする」(宮内) 1930 精神科病院社会的入院 10万人。これらの患者の社会復帰が課題。入院費は一人一日 8000円。十万人だと一日 8億円。8億円が一年だと2920億円。 一つのクリニックで一億円の請求を想定すると、2920軒のクリニックが営業可能である。その分の精神病院は老人病棟に移行する。 10万床を2920で割り算すると、34人。34人を25日、12か月として10200となる。この人数をデイナイトケアでやると一万円であるが、たいていはデイまたはナイトで十分であるから、入院時の八千円よりは安くてすむだろう。外来患者と合計して約一億円というところか。そんなクリニックが2920軒可能であるということだ。 人件費から見ると、病院では看護婦が一人で8から15といった程度か。デイケアならば看護婦一人当たり30人である。当直なし、日曜出勤なしである。圧倒的に効率がよい。低費用であるから、儲けが大きい。将来、デイケアが安くなったら、老人に移行して、薄利多売を実践すればよい。 1931 クリニックの立地条件として、周辺に競合施設がないことといわれるが、疑問がある。競合しながらもやっているということは、患者が多くて、かつ、お互いに穏やかに営業していることを示しているのではないか。吉祥寺、渋谷、国分寺など。 北千住は人口の割にクリニックが少ないような印象であるが、少ない理由があるのだ。だから、数が少なくても参入余地のない場所なのである。 立川にも西の木クリニックという、困り者のクリニックがある。怪文書を回すそうだ。 1932 北国の人の方が進化が速い。なぜか。 北極探検の場合、一日に6000カロリーが必要だという。不適応状態になりやすいわけだ。そこで外来遺伝子を受け入れやすくなり、変化が進み、適応個体が生き残る。 1933 療養病棟 患者一人当たりの床面積を大きくすることで、社会的入院患者を減らすことができる。患者単価は高くなっても、病床削減に向かわせられれば、行政誘導としてはひとまず成功である。病院側からすれば、効率よく収益をあげ、かつ処遇困難患者を退院させられる。外来に移行させて、デイケアで収益をあげれば増収につながる。 病床があるから、退院は減らないのである。病床回転率を上げようとは考えずに、ただ満床で維持しようと考える。これでは悪循環である。 急性期患者と回復期患者を同じ病棟に置くしかない構造であるから、開放率を上げられない。 1934 措置患者といっても、触法患者と分裂病患者では病理が異なる。一律に、措置解除までは作業療法にも出せないとの決まりは病理を無視したものだ。 1935 薬と精神療法的働きかけ(精神療法とリハビリ、生活全般)の一元化。 薬はドーパミンレセプター遮断作用の観点からCP当量として一元化できる。それに合わせて、精神的働きかけ全般をドーパミン量として換算して考える。そうすれば、ドーパミンを共通の言語として、治療全般を統一的に解釈し、組み立てることができる。 1936 医療費についての良いシステムは? →どの業界でも、ほどほどのずるをしているのだから、今程度のずるでよいとする考えもあるだろう。 →受診抑制を考えるとして、どの段階で、どの仕組みで抑制するか。 そのことと、弱者保護はどのように両立するか。また、労働人口の健康を確保できるか。結局、税収構造が貧弱になるようならば無意味である。 1937 訪問看護が、「行かなくてもいいような、状態のよい人のところばかりを訪問する」との批判をどう考えるか。 →実際にそうだろう。同じ点数ならば、難しい人は後回しである。しかしそれでは患者は困る。制度の本来の目的を達成していない。閉じこもりの人は放っておいて、外来やデイケアに通っていて状態のよいことが確かめられている人の住まいを積極的に訪問するようになる。これは無責任なサラリーマンとして当然の行動選択である。 →たとえば、外来部門の一部として、外来全体の収入をどのようにして伸ばして行くかを考えさせる。そうすれば、閉じこもりになって通院しなくなり、デイケアにも顔を見せなくなった患者を訪問して、再度受診につなげることは不可欠であると認識される。むしろ、通院の切れた人を訪問することが必要なのだと動機付けができる。 →経営としては、自然にそのように行動が誘導されるような仕組み作りが大切である。そして、現場でどのような問題があるのかを細かく知っていなければならない。 1938 妄想型の位置づけ 30から40歳代に好発。女性に多い。陰性症状は少ない。ただし、シュープを重ねているうちにレベルダウンする。病前性格として強力成分の優位あり。 →女性ホルモンの低下し始めの頃に多い?これはレセプターの固定化傾向と解釈できないか。ドーパミンは上昇するのにレセプターがそれに連れて減少しない場合には、妄想状態になる。??ドーパミン抑制因子の減少が年齢に連れて起こる??……こんな話ではないような気がする。 →部分的妄想の一時的持続状態。これはパラノイアとの連続性を考えさせる。パラノイアは一時的ではなくずっと持続している状態。「妄想」。 →敏感関係妄想は解体型との連続性を考えさせる。「敏感」。 →風景構成法で、かなりの違いがある。やはり別物であろう。 1939 風景構成法とドーパミン理論 風景構成法で空間構成が失われる現象と、ドーパミン理論はどのように関連するのか。むしろ絵画は陰性症状を見ているのだろうか。前頭前野の機能消失が、空間構成消失としてあらわれるのか。老人の風景構成法はどうなるか。痴呆の程度にしたがってどのように推移するか? 空間構成の中枢は、前頭前野にあるのか。あるいは、ドーパミン系にあるのか、知りたい。 1940 コンピュータの比喩 インテルのチップは、今回も「ある特定の演算をするとエラーが出る」タイプの不良が見つかったという。しかしそれはソフトで回避できるし、そもそもかなり稀な演算であるとのことだ。 これは、もともとハードに欠陥があり、普段は問題ないものの、ある特定の場面で欠陥が露呈するということで、分裂病のストレス脆弱性モデルとよく似ている。そしてソフトで回避できるというのは、環境調整などにあたるだろう。 躁うつ病は、熱を持ちすぎてダウンする現象に似ている。クールダウンさせれば、元に戻る。場合によっては損傷も起こる。 フロイトのいう、精神神経症はハードディスクに格納されている昔の記憶またはソフトの問題。人間は幼児期に現実を参照して脳にソフトを入れる。そのソフトが間違っていると、生涯を通じて間違いが反復される。 現実神経症は、現在のキーボード入力の問題。間違ったキー操作をすると、悲鳴があがる。 子供の頃に頭に入れたソフトが通用しない世界に生きることになったらどうすればよいのだろうか。そんな問題も現代では存在しそうである。 比喩を語るとして、ハードディスクの記憶は一部CPUに取り入れられることもあるので、やや工夫が必要である。基本的記憶はCPUの一部に格納されるのだ。 そしてその重要な記憶の部分を操作しようと思えば、退行を引き起こしてその記憶の層を露出させ、操作を加えることになる。転移現象を利用するので、集団場面での転移・退行を利用するのが近道である。 1941 精神病者は人に嫌われるような性質を持っている。もともとの性格なのか、直接に病気のせいなのか、間接的に病気のせいなのかは知らない。 これを精神病の定義としてもよいくらいである。「精神病とは、他人に嫌われ、見捨てられる変化を残す病気である」「自分が嫌われていることに気付き、絶望したり居直ったりするとますます嫌われる性質を帯びるようになる」 たとえば知能発達遅滞者は家族や周囲の人に愛されている。そうした場合には精神病者とは呼ばない傾向がある。 1942 「精神障害と犯罪、放浪、不信心の関係」。なるほど、不信心は重要なことであった。 1943 家庭医制度の問題。 1944 病院を解体して、受け皿づくりがうまくいかない場合、刑務所、ホームレス、民間療法に患者が流れる。 1945 レセプター量のセッティング。 胎内環境に合わせるはずはないだろう。出生後の環境と違いすぎる。出生後もしばらく感覚器官は未発達である。 可能性としては、母親が受けている刺激に対応するだけのドーパミン量に合わせてレセプター量がセットされる仕組みがあるのではないかとも考えられる。 →検証には双子が使える。二卵性双生児の出生直後の死亡例などが手に入ったら、ドーパミンレセプター量を調査したいものだ。 1946 ストレス負荷量上昇、薬減量、しかし再燃には至らない、そのような調整をするのがRRR理論。 →ストレス耐性とストレス量のグラフ。下の交差点が16で、上の交差点が40である。16以下だと、16に近付くためにアップレギュレーションがはたらいてレセプター量が増えてしまう。これは薬剤により見かけ上のレセプターが減少した状態になっているからである。 16から40の間に維持すれば、ダウンレギュレーションにより、レセプターは減少する。ただし、40を超えてしまえば再燃状態となるので、それは避けなければならない。 悪い治療計画では、ストレス量を上昇させると、心配だから薬を増量、結局トータルのレセプター量は増やしてしまう。これは敏感さを増大させていることになり、反治療的である。 1947 ホルモンと分裂病 女性ホルモンは、レセプター調整の「窓」を開ける働きをする。外界に合わせて自分を変えて、適応しようとする。 男性ホルモンはレセプターを増やす。(または、同一刺激に対してドーパミン放出量を増やす。)環境に対して敏感になる。敏感さは自分が恋愛しているという「妄想」を引き起こす。(ただしこれは妄想とはいえない。)敏感であるからイライラする。イライラを解決するためには自分を変えるのではなく、環境を変える。したがって、男性の場合、恋をしやすく、自分に合わせて環境を変える傾向がある。ここから建築や土木の傾向が生じる。 思春期男性は女性ホルモンと男性ホルモンの両方のピークを迎える。(特に女性的な傾向を持つ男性。)窓は開かれ、同時にレセプター増加の圧力が高いので、分裂病解体型を発病しやすい。 慢性関節リュウマチは分裂病と排他的である。なぜか? 慢性関節リュウマチ……若い女性に多い……女性ホルモン 分裂病解体型……若い人、特に男性で早く発症する……女性ホルモンと男性ホルモンの両方の高値……閉経後は少ない 上記のことから、女性ホルモンが多ければ分裂病が軽くなるといった簡単な関係ではないようだ。男性ホルモンとのバランスが関係しているのではないか?クラインフェルターやターナーが連想される。 ホルモンは免疫系の関与を予測させる? 男性は外界を遺伝子で取り込む。この世は遺伝子の適応の実験場である。適応がよければその遺伝子を残す。適応が悪ければ変化させる。うつ状態はその引き金である。→過大なストレス時に、うつ状態で反応する個体と、妄想状態で反応する個体と。しかし分裂病でもうつ状態になる……分裂病という内的「ショック」「ストレス」に対して、うつ状態で反応しているとも考えられる。 女性は脳に取り込む。女性は自分が個体として生き残る。そうでなければ子育てができない。 男と女は対等で平等な「人間」などではない。 男とは、遺伝子の適応の実験場である。女はその実験結果を次世代に伝える装置である。つまり男は一種の消耗品であり、実験的な試みである。女はもっと確実な何かである。体の装置の大部分を共通部品で組み立てられているにすぎない。 →治療 男性ホルモンを抑制する。これでかなり軽症になる。 女性で、分裂病になる人と慢性関節リュウマチになる人とはどう違うのか?「強い負の相関」の実態は何か? →分裂病者に免疫系の異常はないと考えられるが? 1948 分裂病は、発生の途中で脳にダメージを受けた結果であるとする考え方。そのダメージは、思春期になるまで損傷としては発現しない部分である。男性の方が早く多いのは、社会的に早く重い活動が始まるからである。 1949 微小再燃の話 微小再燃の状況を把握することによって、その人の限界ストレスを知ることができる。それを上限として、日常ストレスを提供すればよいわけだ。 →治療の進行に応じて、ストレス耐性は上昇するのだろうか? →ストレス耐性の向上は、普通人の場合にも大きな課題である。ストレスがかかったときにも、頭が真っ白にならないですむ人間になっていること。 →それはいかにして可能であるか? グラフで考えられるか? 1950 男性は子供の頃から集団機能で劣っている。それなのに女子と同じ集団教育をするのは逆差別というか、悪平等というか、男子に過酷な状況である。 1951 MRのリハビリは、別に考える必要があるだろう。 病棟でいろいろな患者が混じっているのが面白いという面もある。 1952 RRRプログラム Receptor Reduction Rehabilitation Program アップレギュレーションとダウンレギュレーションを利用してドーパミンレセプター量を調整し、分裂病を治療しようとする考え方。ストレス負荷量を増やしながら薬剤量を減らすことにより、薬剤で遮断されていない部分のレセプターにダウンレギュレーションが働くようにすると、レセプターが減少する。このことにより、分裂病者の過敏さを根本的に治療する方法である。臨床応用は今後の課題である。 1953 分裂病者の過敏さの二つのタイプ ・レセプター過剰 ・ドーパミン反応性の過剰。つまり、ストレス・ドーパミン曲線を描いたとき、その傾きが急激すぎる。少量のストレスで過剰なドーパミンが放出される。 ・分裂病で、ドーパミン代謝産物はむしろ減少していると報告されているのは、レセプター過剰で説明される。 ・しかしまた、普段のストレスに対してのドーパミン量は少なすぎるのに、やや過大なストレスに対しては、過剰すぎるドーパミンが放出される。このような反応特性曲線を想定することもできる。 ・上記の二種は、ストレス→ドーパミンの変換プロセスの異常と、レセプター量の異常の二種である。そのほかにも異常は考えられ、たとえば、DA×R=ZでZを16とか40とかに想定しているが、この設定値が大幅にずれている場合が考えられる。 1954 不適応状態に対して、進化で対応する人と退行で対応する人がいる。違いは何か?新しい行動様式を開発して試す人と、古い行動様式を持ち出して反復する人。新しい行動様式を試してみるためにはある程度の余裕がないといけない。そのような余裕とは何だろう。 端的に言えば、気持ちが未来に向いている人は新しい行動を試みることが可能である。気持ちが過去に向いている人は古い行動様式を反復する。 フロイトの説は、過去の反復を言う。つまり、人間の行動の半分だけを語っている。そして病的になるときはたいてい過去の反復であるから、病気についてのフロイトの精神分析は正しい。しかし病気ではないとき、人は新しい適応を試し続けている。 反復だけの人生になっていたとしたら、それは病的だといえる。 1955 ベトナム帰還兵、ことに捕虜収容所での虜囚体験を持つ人々の精神変調。PTSD。 大きなストレスとして、精神分裂病の自我障害体験などは、非常に大きなストレスであると考えられる。世界が没落して変容すると感じられるほどの体験である。分裂病の場合、反応性の部分、つまり神経症成分がどれだけ大きいか、考え直してみる価値がある。 分裂病体験は非常に大きなトラウマである。 また、精神病院への収容体験は、虜囚体験と比較してどうであろうか?劣らず大きなストレスである。 つまり、分裂病性の自我障害を体験すること、精神病院に収容されることは、どちらもPTSDを形成するに充分な体験である。 1956 「屈辱体験の苦しい記憶をいかに解消してきたか、自分の尊厳を失わずに現実の生活に適応し続けるためにはどのような自己調整が必要だったか」について、シベリア抑留体験者との面接によって学んだ。 1957 受診者ではないが精神的苦境にある人々 育児困難で悩む母親、不登校児、いじめに苦しむ子供、学習障害児、会社での適応にあえぐ中年、孤立無援の独居高齢者など。 こうした人々に積極的な支援をすることはできないか。 1958 拒食症と不登校の診断と治療 ・診断 まず、拒食や不登校は行動化であり、最前景にある。その背後には前景病理としての強迫症、不安、離人症、うつ状態、被害的状態、自我漏洩などがある。その背後に背景病理としての、分裂病、躁うつ病、神経症、人格障害などがある。こうした三層構造を理解した上で、診断にあたる。 最前景に何があるかは当然分かる。前景症状として何があるかは、訓練して習熟する。背景病理に何があるかは、遺伝負因、病前性格、生活歴、「人格の手触り」などが参考になる。 ・治療 背景に分裂病がある場合は、薬剤。これでイライラが鎮まり、背景の分裂病性病理が緩和される。 背景にうつ病があるときには、薬剤と休息。 背景に神経症があるときには、「あなたの本当の問題はどこにあるのか、考えてみよう。食べられないことが本当の問題でないことは自分でも分かっているよね」と面接を進める。直面化のタイミングを探る。言語化できず意識化できないから、行動化していると解釈して、内面の成熟を促す。「このままでは立派な大人になれないよ。仕事もいい仕事はできないし、結婚だってできないかも知れない。そうなったら困るでしょ。今は学校に行かないだけだからいいけれど、大人になったら大変だ。今のうちに解決できるところは解決しておこう」などと導く。 人格障害の時には、治療構造を明確に設定して、枠を内在化できるように付き合う。 全体として、養育のセンスが大切である。おおむねは受容しつつ育てる方向がよい。本人の好みに合わせて、読書(渡辺和子など)、音楽(難しいが、探す。成熟への悩みなどのテーマ)などを利用する。日記や絵画を利用するのもよい。退行させすぎず、育てること。 1959 「分裂病の最終解決」というタイトルで本を書く。RRR理論。 「うつ病の最終解決」でも書く。 1960 今の分裂病論である、「時間遅延が自我障害をうむ」その背景には三極構造があり、「現実モデル、空想産生、照合」の三つと想定される。 このモデルとドーパミンモデルは接点を持つか? Liddleなどの最新の考察と対比してどうか?彼は、症状相互の関連の分析から、分裂病症状を「精神運動貧困(会話欠乏、感情平板化、自然な動きの減少)、解体(思考形式の障害、不適切な感情、会話内容の貧困)、現実歪曲(幻聴、妄想)」と三分し、それぞれ「前頭前野背外側部、前頭眼窩、側頭葉内側部」の部分の機能低下に原因があるとしている。これらは相互に排他的ではない。 クローの二型との関連は、一型は現実歪曲型、つまり陽性症状タイプ。Pタイプ。二型は解体型と精神運動貧困型、つまり陰性症状タイプ。Hタイプ。 Tsuang & Winokur。のちにクロー。 妄想型は、よく組織化された妄想や幻聴、25歳以降の発病、思考解体や不適切な感情を欠く。陽性症状中心。抗精神病薬によく反応する。症状は可逆性に回復。知的障害はない。D2レセプター増加が想定される。 非妄想型は、25歳前に発病し、思考解体、感情平板化、不適切な感情、奇妙な行動、運動の変化などの特徴がある。陰性症状中心。薬に反応しにくい。知的障害や異常な不随意運動を伴うことがある。脳の形態学的変化を伴う。 →批判。 陰性症状は一過性のこともある。(これは廃用性能力障害であったと解釈できる) 陽性症状が持続することもある。(薬も効かないことがある。ドーパミン系ではないのだろう。では、薬で消える症状との違いはあるのか?) 陽性症状と陰性症状が同時に存在する症例もある。 AndreasenはP,N,Mixedの三種に分類した。 しかしこれら二種や三種の症状は、重症度に差があるだけであるとする意見もある。 1961 陽性症状は側頭葉内側部の発達障害による症状。研究の焦点となっているのは、辺縁系の中核をなす、海馬本体と海馬傍回(おもに嗅内野)からなる海馬領域と総称される部分。 陰性症状は前頭前野における機能喪失症状。hypofrontality。しかしこれは、脳の中で特に脆弱な部分というだけかもしれない。非特異的なダメージにより失われやすい機能である。 しかしながら、前頭葉にグリオーシスは見られず、したがって、成人後の変化とは考えられない。または、はんこん化を残さないタイプの神経死のシステム。 1962 分裂病の成因を議論するときに、何が分裂病であるか、それをも含めての議論になるのでややこしい。この症例とこの症例は同じ、または違う、何が違う、そのあたりを明確にしつつ議論したいものだ。 Xが増加したものも減少したものもあるという結論は、Xが分裂病に関係ないのか、増加するタイプと減少するタイプがありどちらも分裂病なのか、そのあたりが分からない。 1963 試み 高知あたりに老人の理想の村を作りたい。老人がただぶらぶら遊んで老後を過ごすのではなく、税金を払えるくらいの生産性の高い村はできないか。高知はただ観光で食べてゆくのではなく、工夫を凝らして働ける場所。特に老人の特性を生かせる仕事と環境。どうにかならないか?さらに、老後の暮らしを若年層の生産に頼るのでは今後は限界がある。若者が少なくなり、老人が多くなる。爆発的に多くなる。この状況に対して、老人の新しい生き方を提示すること。 1964 Liddleの三症候群仮説と今の仮説 精神運動貧困……空想産生力低下……前頭前野背外側部……Word generation 解体……現実プールの不全……前頭眼窩……Stroop test 現実歪曲……照合不全……側頭葉内側部……Internal monitoring 1965 分裂病者はレセプター調節能力が弱いのだと考えてみる。患者の場合、もっとも可塑的だった時期は胎生期から幼児期である。その時期に暮らしていた環境にちょうど合うようにレセプターが固定されてしまった。 その後の生活の変化にうまく適応できない。つまり、環境に合わせてレセプター数を変えられない。 分裂病者の内弁慶。外では分裂気質の引っ込み思案を呈するが、家ではわがままに振る舞う。家でのドーパミンレベルにセットされたままなのだろう。 関節が固い人があるように、レセプター数の変化が起きにくい人がいるのではないか。どうすれば変化が起こりやすくなるか。   →女性ホルモンが有効なのではないかと推定する。 人生初期に家庭内のドーパミンレベルに対応してレセプターがセットされるのだから、家庭生活が社会生活と同程度のドーパミンレベルであれば、その人は社会の中でそれなりに生きていける。 この点では、分裂気質の家庭は不利である。社会とは隔たったドーパミンレベルである。この点で、親が分裂気質であることは不利に働く。 ドーパミン・レセプター曲線の様子として考えることもできる。 なかなか変化しないが、ある点を超えると急激に上昇する。そのような特性を仮定すれば、分裂病を説明しやすい。そのようにして陽性症状が始まる。陽性症状は、脳内の未知のプロセスを促進して、結果としての前頭前野機能の低下を招く。 1966 分裂病の仮説を考えるにあたって、満たさなければならない条件がある。しかしこの条件と分裂病の異種性が関係するのでややこしい。 ・発症年齢 ・性 ・シュープ ・レベルダウン ・慢性関節リュウマチとは排他的 など 1967 脳腫瘍→幻聴→引きこもり(身体病モデル) 背景病理→前景症状→最前景行動 分裂病→思考障害→引きこもり(固有の精神病モデル) 時間経過の特性→場所の特性→これらの状況に対する反応 精神医学のこれまでの蓄積から、背景病理として、精神科領域に特有の病態があり、分裂病、躁うつ病、神経症、性格障害などがあげられる。これら特有の病態の特性をよく示すのは何といっても「時間経過の特性」である。「場所の特性」は前景症状にむしろ関係する。クレペリンは偉大であった。 分裂病→体感幻覚→引きこもり 背景病理→内的体験(主観)→行動・表出(客観) 1968 セルフアイデンティティ 脳の中にはいろいろな行動様式が記録されている。人生のいろいろな時期でのいろいろな場面での対人関係が記録保存されている。それらを適切なタイミングで出すように調整しているのがセルフアイデンティティという部分である。人はいろいろな面を持っているのが普通であるから、その人らしさとは、どの場面でどんな行動をとるかの選択にかかるところが大きいといえるだろう。ここがセルフアイデンティティに関係している。全くばらばらにいろいろな面が出てしまうのが多重人格である。 1969 患者さんはかわいそうか? 患者さんは可哀想だから、保護的に、守ってあげなければならない。社会なんか冷たくて無理解だと考える人たち。 一方、患者さんも一人の人間として精一杯努力する必要がある。仕事はいやだけれどどうにかしなくてはいけない。生活保護をもらっていれば楽だけれど、それでは人間がダメになってしまう。人間としての誇りが保てなくなってしまう。なぜ自分の価値を切り下げてしまうのか。 私も一人の人間として精一杯生きている。患者さんにも同じように精一杯この厳しい社会で生き抜いて欲しい。この態度が人間的連帯の態度ではないだろうか。 患者にはどうせ何もできないとするのも間違い。何ができるか性格に評価する。 患者は本来何でもできると考えるのも間違い。 分裂病と告知された瞬間に、患者さんの人生は停止してしまい、自己価値はどうしようもないほど低下してしまう。そのような前提があるから、仕事や社会復帰の場面でプライドを取り戻せといっても、無理なのではないか。 1970 分裂病性被害妄想も、反応性の成分がかなりあるはず。 プロ野球の審判で、アメリカから来ていた人が帰国した。中日の大豊が判定に不服で胸を突いたという。「恐怖を感じた」とコメントして帰った。この場合には、慣れない外国での孤独や不安を背景として、事件があり、やや被害妄想的な要素もなかったわけではないだろう。このように被害妄想は人間に普遍的な反応である。だからこそ、分裂病であのように高い頻度で見られると考えられる。 分裂病では、被害妄想が直接起こっているのではないだろう。まず分裂病性の変化が起こり、それは「異国での孤独」に似た何かであろう。そこから反応性に被害妄想が発展するのだろう。この点では、敏感関係妄想の考察が役に立つのかもしれない。 1971 デイケアでの仕事 対人関係や生活に関しての、現在の問題点を把握。次の目標を提示。 多様な転移関係を観察する。観察の結果を個人面接で生かす。 デイケアで有利なことは、多様な転移関係が展開される点である。 1972 症状の構造化。どれが前景でどれが背景なのか。何層の構造を仮定すればよいのか。→それは当然個人によって異なるものだろう。しかし前景症状群と背景病理はやはり二群に区別できそうである。 たとえば不登校で考察する。 不登校という問題行動に至るには原因がある。それは主観的、客観的に把握される。 背景病理→→前景症状群(前景症状群も構造化する。神経症性の症状形成はたいていどの場合にも見られる。) 起立性低血圧→→朝起きられない→不登校→不安→家族への甘え→付随症状 分裂病→→自我漏洩→不登校→昼夜逆転 背景病理にはどれだけのものがあるか? ・神経症という言葉はやはり使わない方がよいかも知れない。パニック障害と全般性不安障害については神経伝達物質の異常の想定もあるので、背景。 強迫性障害と離人性障害は、前景。 ・あとは分裂病、躁うつ病、人格障害。 ・アルコール症については、やはり背景に人格の病理がありそうである。薬物起因性障害も人格の問題がありそうである。したがって、アルコールや薬物は前景、背景は人格障害その他である。 前景症状→主観症状、客観症状の構造化。しかしこれだけでは完結しない。背景病理を別に考えて立体的に把握する必要がある。 1973 青梅、八王子でなぜ特に地域精神医療が必要なのか 病院が多い。社会的入院が多い。これらの患者さんの社会復帰を進めるとして、住居地域はやはり病院の近くであろう。しかしそうした計画は病院が単独で考えて済むものではない。地域に住む患者は病院の付属物ではなく、地域住民になるのだ。社会のありようが、患者の住み易さや再発率を決定するだろう。 家庭に帰る患者のために家族教育をするように、社会に帰る患者のために社会を教育する必要がある。そしてそれは社会で生きる非精神病者の人生をも深めるのではないかと思う。社会の心の問題である。社会の心を治療する必要がある。 1974 東京武蔵野病院はシステムとしては整備が進んでいる。東京都や厚生省の情報が素早く入るので対応も敏速である。いわゆるいい病院である。しかし実際に足を運んでみた印象では、勤めたら大変だろうなと思う場所である。 全体の雰囲気が何か荒んでいるのである。結局、勤務はしなかった。 いまから思えば、本当に患者さんのための場所にすればあのようになるのだろう。医者や職員のための場所にすれば患者には居心地が悪くなるのだろう。あの荒んだような感じは患者の生き方そのものなのであろう。 だとすれば、わたしは付き合いたくないのだ。 一方で、青梅の病院は職員にとっては過ごしやすい場所である。しかしそれでは患者のためにはなっていない。鍵をかけて人権を一部制限していることの自覚がない。定期預金の利息をみんなで分けているようなものである。 デイケアも形を変えた収容主義である。 このような形の収奪にもわたしは付き合いたくない。 1975 Normal-good | Normal-bad --- Psy 作業能力の点では、正常者の能率が悪い人たちと同列になるだろうが、精神科患者と正常低能力者とを同一視してはいけない。何かが違う。そしてそのせいで仕事が続けられない。何が違うか。認知の点で違うこともある。性格の点で違うこともある。もともと性格が悪いというのでもないが、病気のせいで自尊心が傷付き、自己評価が低くなっている面もある。 この違いを正確に見られないことが診断技術の劣悪さである。 しかしこのように立体的に見ることが大切である。 1976 患者は長期戦。医者も長期戦。これが辛い。医者は半年ごとに交代するなどすればよいのに。そのような仕組みができればよいのに。 1977 燃え尽き症候群 斉藤君の状態は一種の燃え尽き状態である。懸命になる人ほど陥りやすい。どうするか?どうしようもないのではないか。絶望的である。人間の社会はこうした行き止まりを抱えている。 1978 仕組みで援助する。援助の形を工夫する。 生活保護で現金を与えるのは本質的な援助にならない。違う援助を工夫する。 実際に儲かって、マーケットで勝負できる仕事を考える。その仕事を一般人に開放しないで、精神障害者に限定する。その点がボランティアである。そのような革新的な援助システムができないか。 老人や精神障害者が、自分なりに働いて、生活保護異常の収入を得て、税金を支払うこともできる。そのための仕組みの点では工夫を提供して上げる。現金を支給するのではなく、そのようなものを支給することで、社会参加のチャンスを与える。 このように考えたとして、問題は恐らく、障害者の性格だろう。自尊心の傷付きから立ち直るのはかなり大変だろう。 1979 内科のゆす先生。「老人をせっかく治したのに、まだ退院はさせないなんて言われた。一体この病院は何をしたいのか分からない。」 利息を産む定期預金だから、退院させるわけにはいかない。 結局社会復帰システムがない。なければいまのままで儲けはあがる。 1980 生保の問題 障害年金 32条 企業内の援助 家族内の援助 これらの問題は共通している。 1981 火曜日の飲み会では閉鎖病棟でコーヒービンをどう扱うかが、看護の間で問題になった。イライラしている人がいればびんごと投げつけたり、割ってその破片で切りつけたりといろいろ考えられる。しかし一方で、スティックコーヒーはミルクや砂糖の調整ができないので味が悪いという。入院生活を少しでも人間らしいものにするためにはビン入りのインスタントコーヒーを持たせた方がよいという。 折衷案としては、コーヒーのビンからビニルのタッパーに詰め替えて渡す。しばらく様子を見て問題がなかったらビンに移行する。 解決は、 1)ビンを渡すかどうかは、60人をマスで扱うべき問題ではない。個々人の病理に応じて、ビンで渡してもいい人と渡しては危険な人がいるだけである。その病態を見きわめる目があるかどうかがまず問題である。 次に、それらの種々の人をマスで扱う今の病棟運営が問題である。60人の閉鎖病棟があるから鍵をかけられたままの入院患者が60人発生してしまうのだ。 2)ビンのことで悩んでいるくらいなら、どうして社会復帰システムの確立に力を入れないのか。この病院には社会復帰システムが欠けているのだからつくる。そして地域精神医療システムをつくり、病院からスムースにつながるように仕組みをつくる。このようなビジョンの中で考えるべき問題である。大局的な感覚が大切である。たとえば風呂を週に二回から三回にすると提案があって、何を根拠に考えるのだろうと思案してみても、いい解決はない。厚生省の指導が週に二回が基準なのだからとりあえずそれでいいではないか。病院が努力すべき方向は、地域精神医療とどのように結合させていくか、板橋、世田谷地域に大きく遅れている現状をどうするか、である。本人の意思ではなくて青梅の病院に措置入院になった人に、地域格差を残したままで我慢させておいていいのか。鍵と薬で人権を抑圧していることの自覚がなさすぎる。 1982 沖縄では植樹祭で天皇が訪れるなどの行事があるたびに精神病院が増える。いったん増えた病棟は減らない。そこで患者も退院にならず、いつまでも入院させられたままである。 1983 ロジャーズの必要十分条件とキリスト教 セラピストの側で純粋性、無条件の肯定的配慮、共感的理解の三条件が満たされれば、クライエントの側に成長への変化が生じる。これはキリスト教的愛そのものであるとの指摘がある。 人が自分のありようを直視する(純粋性)とき、愛の不可能性に直面する。こうした自己の罪を見つめるとき、もはや人は決して他の人を裁くことはできなくなっている(無条件の肯定的配慮)。そうした「罪人としての自己」への絶望のなかから、人は本当の意味での神の愛を識り、人と人とが本来は神の賜物である御霊によってひとつに結びあわされている存在であることを識る。そのことにおいて人は、はじめて愛が可能となる(共感的理解)のである。 わたしの考えでは、共感的理解はまた別の側面があると考えるが、純粋性と無条件の肯定的配慮については上のように考えることができるであろう。 共感的理解とは、セラピストが自分の心理的歴史をいったん白紙にして、クライエントの心理的歴史に寄り添うことである。これは神の子としての共通の立場に立つといっても良いだろう。共有しているものがいかに多いか、そこから出発できる。 1984 先日見学した茅ヶ崎中央病院グループ。 女性職員はおおむね印象がよい。男性職員は印象が悪い。なぜか。 病院組織は伝統的に優秀な男性職員を雇用しにくいのだろう。男性医者と女性パラメディカル(典型的には看護婦)、これが基本形で、事務部門の男性職員は男性医師との格差もあって雇用が難しいのではないか。 1985 将来、発症後または入院後六ヶ月以後は全部介護保険の対象にして、定額制にすることも考えられる。 医療保険をどうするかの問題。定額制が待っている。 1986 茅ヶ崎中央病院グループは、将来ビジョンがはっきりしている。働くものにとっては将来ビジョンがはっきりしていれば現在の努力の意味が分かるので大変良いことだ。老人医療を中心としたケアミックスである。 1987 分裂病とSSTについて ○まず分裂病の特質と治療、レセプトではどう考えられているか ・分裂病の特質(シュープを繰り返してレベルダウンする→再発予防が大切)、陽性症状、陰性症状、廃用性能力障害、病前からの性格・教育・経験の問題 ・モデルとしてのストレス・脆弱性モデル ・急性期と回復期、維持期→それぞれの時期のケアのあり方 ・回復期リハビリの内容→ターゲットは何か……SSTは陰性症状を良肢位固定で補う方法、OTは廃用性能力障害に対しての方法。療育の観点も大切。 ・レセプトではどう考えられているか、レセプトの枠組みを利用する。 ○SSTの基本的考え方、これもレセプトに則して ・基本障害としての状況意味失認とは何か、どう対処するか ・「どうも」の例 ・個人の問題点を見抜く力……リバーマンの例 ・その解決を見つける力……特殊教育現場の蓄積 ・練習の方法は行動療法理論・社会的学習理論……強化と般化、モデル、ロールプレイ ○SSTの技法 ・やさしいSSTなど参照 ・個人やグループの特性に応じる。 ○批判 ・患者同士で学ぶのも良いが、それでは不十分。できるだけ健常者の中で、健常者をモデルとして学ぶのがよい。院内で患者同士のつきあいに適応してしまうのはよくない。 ・訓練もときにはよいが、ストレスの程度をよく考える。生活全体のストレスをコントロールしながら、これがもっとも大切。 ・目標実現に一所懸命になるあまり、その時間が楽しくなくなるのはよくない。 1988 勝つ組織。そのための仕事。 ・病院として将来戦略をどう考えるか。医療のあり方を含めて提案できる病院。そのような病院計画のポジション。 ・また、医療の人事管理。どのような医師が望まれるか。それはどこにいるか。どのようにして組織に導くか。組織の望む医師像をどのように伝えるか。教育をどうするか。態度の育成をどうするか。メディカル・マインドにとどまらず、一歩進んだ医療法人としてのマインドをどのようにして作り上げてゆくか。 ・積極的に社会に問いかける病院組織。提案型組織。レセプトを前にして萎縮する診療ではなく。 1989 神戸小学生殺しの容疑者が中学生だったことで、学校にカウンセラーを置こうとの提案がある。 ・カウンセラーに対して過剰な幻想を抱いている。 ・カウンセラーがいるから甘える。 ・結局共狂いするだけである。 ・ACの話などをして、免罪符を与えるだけ。幼児虐待カウンセラーも結局あなたが悪いのではない、あなたはむしろ被害者であると慰める。気分は楽になるだろうが、それだけ。 1990 カウンセリングの成功・失敗は、カウンセラー側の条件によるのではなく、クライエントとにもともと備わっている体験過程に触れる能力次第であることが証明された。 身体レベルで感じられているがまだ概念化以前の「感じ」が、ことばやイメージによって象徴化されていくときに、人格の前向きの変化が生じる。この過程が体験過程である。(身体を通して実感する過程ともいわれる) 建設的な経験とは、経験と自己概念とが一致するときに生じる。 治療者が一致して、共感的で、無条件の関心を持っているとクライエントによって知覚されればされるほど、クライエントの建設的な人格変化の過程が進む。 言語やイメージによる明細化ともいえるだろう。 1991 はじめはクライエントは経験や概念に対して閉ざされ、固い構えを持ち、流動的でない状態である。最後には経験に開かれ、流動的でいきいきと動いて、ありのままを受容できる状態になる。ロジャーズはこの間を七段階に区分した。 1992 ラマ・イエシ「ブッダとは単にまったき目覚めた者を意味するにすぎない。西欧は西欧のブッダを産めばいい」 ラマ・イエシの瞑想センターにまず最初に集まってきたのは、放浪、ドラッグ、自殺未遂などの前歴を持つヒッピーたちであった。 精神療法とこれらのタイプの人たちとの関係は深い。単なる「崩壊した者」としての扱いで終わるものでもないだろう。トランスパーソナルでいう、プレとトランスの錯誤に陥ってはならない。 逆に、プレをトランスとして扱っていても失敗する。診断技術を磨く必要がある。 1993 高齢者のうつ病の場合の精神療法 ・治療者と患者という立場を超えて、人生の先輩として、治療者が患者から何かを学ばせてもらうという態度を忘れるべきではない。治療者が患者の人生の智恵を教えてもらうような姿勢をとることになれば、患者の頑なな態度も自然に和らぎ、それまでうちに秘めていた苦悩を語り始める糸口になる可能性が大きい。 ・人生回顧療法……写真や日記を手がかりに、人生を振り返り、家族の歴史を振り返り、人生の達成を再確認する。人生を回顧し、自らの人生の意義を見いだし、自己の死を受け入れていくことは、老年期の課題である。 ・人生の意義を見いだすことができて、生き生きと暮らしていたその頃と比べて、今はどこがどのように変わってしまったのだろうか?人生で何が残されていれば、生きていく価値をもう一度探り当てることができるか?死を口にするとしても、治療者と患者の間に良好な関係が築き上げられているならば、死を話題にすることをタブー視する理由は一切ない。 1994 認知療法・三種の問題点 ・認知の三徴……自己・将来・世界に対する否定的見解 ・否定的なスキーマ……自動的に生じる否定的思考 ・認知の歪曲……二者択一的思考、過度の一般化・自己関連付けなどで代表される一連の非適応的な思考法のパターン これらの一連のパターンは修正可能である。 1995 胎教 まさに胎内でのレセプター形成期に、4×4パターンを形成するように注意することである。母親の生活を4×4のパターンに作ることである。 モーツアルトがなぜよいか、それは4×4パターンを作るからである。 1996 なぜ人は辛い人生にはまりこむのか? 苦しくても欲しい何かがあるからだろう。 1997 ロジャーズの純粋または一致を、誠実と呼んでみれば事態がはっきりするように思うがどうか? 1998 フォーカシングを、未分化な感覚から、言語やイメージによる把握への移行としてみるならば、それは一種のロゴテラピーともいえるだろう。言語やイメージにより詳細化すること。詳細化する過程で自分を客体化して把握する。そこに成長が起こる。 1999 神戸小学生殺人事件の教訓 心理学、精神医学、教育学の「専門家」のレベルの低さ。発言が正しいか否かの検証が全くない。たとえば文学的感動を競うことに似ている。科学的真実と文学的感動の錯誤がある。 こんな世界にはへどが出る。 2000 「国家の嘘と犯罪の中にいて、指一本出せなかった戦時への悔恨」 精神医療や精神病院の現場にいて、現状のままに安住するのではいけない。それは嘘と犯罪の中にいて、反省しないことと同じである。 2001 離人症 少なくとも、脱相貌化と自我障害という異なる系統があると考えられる。 2002 学校や病院を抑圧の装置と考えることができる。精神療法でいう、枠付けである。治療構造である。その枠・構造を内在化することで、人格は社会化し成熟してゆくと考えられる。 問題は、集団が相手だという点である。ある程度の抑圧が、ある人にとっては強すぎるし、ある人にとっては弱すぎる。人によって抑圧の強弱をかえることは技術として難しい。結果として弱い人は耐え忍ぶ場所になり、強い人にはやりたい放題の場所になる。管理する側にセンスがあるかどうかである。 海道病院の場合、患者のわがままには大きな幅があるので難しい。 学校の場合は、おおむねが標準的な範囲に収まるが、飛び抜けた子供がまれに見られるだろう。そのような場合には、排除するしか方法がない。そんな子供も抱え込んで集団を運営することは実際には難しいだろう。 どの程度の抑圧がなぜ教育的で治療的なのか、自覚すること。 集団を構成するときの条件付けが大切。どんな人でも受け入れて運営してゆくほどの技術はたいていの場合に、ない。 2003 「せめて普通の病院になろう」の間違い しかし、偏差値40の子供に、「せめて偏差値50になろう。それで普通なんだからできるはずだ」と説得するのは間違っている。病院でも同じではないか。 2004 茅ヶ崎中央病院の場合のように、系列内に多くの施設を抱えているとき、患者さんを次にどちらに移すかの判断を誰がするか、そのための情報はどのように整えるか、そうした問題が発生する。 さらにそのシステムを地域医療全体に広げられる可能性がある。その場合、先行して開発していれば、自分達にある程度利益を誘導できる。患者さんの利益を考えて、どのように決定するかのシステムの内容を知っていれば、それにあわせて、自分達の施設の内容を整えることができる。それは違法ではなく、あくまでも患者の利益のためであり、情報を握っているものが勝つというだけのことだ。マイクロソフト社のようなものである。 2005 アストロセラピー 星を眺める。地球の自分が小さく思える。悩みも小さく思える。生きていることの原初の意味に立ち返ることができる。生きているだけで素晴らしいのだと思える。星を見ることが、うつ病者の認知の偏りを和らげることができる。 2006 どぶ板政治家とどぶ板医者 看護婦が求めているのは、現場の小さな問題をこまめに解決してくれる医者である。有権者が求めるどぶ板政治家と同じ。しかし、病院内の小さな問題も、大きな問題と連動しているのだとなぜ理解できないか。そこに現場の人間の限界がある。 2007 著作計画 ・精神科医療の問題点 ・精神医学教科書 ・抜き書きからのメッセージ ・日記からのメッセージ 以上で四冊は書けると思う。この仕事がいま本当に自分のやりたいことではないか。 2008 表面的な事態の一致から、「モラトリアム状態」「アイデンティティの問題」などと片付けていたのでは、実は何も理解したことにはならない。愚かなことであるが、その程度の愚かな人にはちょうどよいおもちゃである。 2009 精神科医が世間の常識や規範を患者に押しつけていたのでは仕事にならない。あるいは、いい仕事はできない。 しかしまた一方で、世間の常識を度外視してばかりいたのでは仕事にならない。竜宮城の管理人になってしまう。 二つの態度の柔軟かつ適切な混合が大切であるが、難しい。 2010 静的了解と発生的了解 例えば、「いま胃が痛いから気分が憂うつ」と理解すれば静的了解。「昔○○があって、そのせいでいま××」と理解すれば発生的了解。 しかし、「向かし○○があって」と語っている人の心の中には、いま現在そのことがある。つまり、「胃の痛み」と同じように「昔の○○」が心にある。これは静的了解といえる。 また、「いま胃が痛い」との事実にしても、胃の痛みと憂うつな気分は同時発生ではないだろう。胃の痛みがあって、次第に憂うつになり、そのことであれこれ考え始め、さらに憂うつな気分になり、といった「発生過程」があったと考えてよいのではないだろうか。これは発生的了解といえる。胃の痛みと憂うつな気分が完全に同時ということはないはずで、かならず時間の流れが生じる。それが幼児体験と現在の症状という程度に離れているか、午前から始まり現在も続く痛みという程度に近接しているかの違いしかない。 2011 概念の明確化 日常言語でいう「憂うつ」から、精神医学的記述としての「憂うつ」へ、概念を洗練し明確化する。 言葉の意味内容に敏感であること。患者の語る言葉の真意がどのあたりにあるのかを繊細に感受すること。自分の使う言葉の意味の輪郭を感じること。 こうした営みの上に精神病理学は建てられる。 2012 「世界」の記事。野田正彰が「戦争と罪責」と題して書いている。第二次大戦中、軍医は中国で人体実験や生身の人体での手術演習を行った。湯浅中尉が反省を出版した。野田によれば、医学会はこうしたことの反省を真剣にしていないし、現在でも同質の過ちを再生産している。それがエイズ事件などにあらわれている。 その当時、軍の命令で執行した軍医達は、何の反省もなく人体実験をした。「させられた」「仕方がなかった」「個人としてはどうしようもなかった」と弁解する。 こうした指摘は、現在の我々にもあてはまる。とくに精神科医療は反省点が多いと感じる。それでも、これで仕方がないと考えたり、自分の力ではどうしようもないのだと考えたり、戦争中と同じ構図である。 精神医療が改善されたときに、懺悔の手記があらわれて、戦時の行為に対する現在の反省と同様なことが行われるのだろう。無自覚な人間だけが丸々と太るのである。 2013 患者に社会規範を押しつけることを自分の仕事だと無意識のうちに思っていないか。錯覚である。 しかしこのあたりの感覚が難しい。中庸の道があるのだ。どちらにも目配りしつつ、進む道があるのだ。中庸といってもいいし、止揚といってもいい。高次の次元で統合・両立させるのである。 2014 意識状態、認知(狂気)、知能、これら三軸くらいを考えて、病態を統一的に検討することはできないか。 2015 ACは結局、微細脳障害である たとえば、鼻穴が一つしかない人は、酸素不足に敏感になる。通常の人間が平気な程度の酸素不足にも反応して症状を呈する。 家族関係や生育環境の不全、家族機能不全などを言ってはいるが、結局根底には脳の器質的障害があるのだろうと思う。たいていの人間はそこまでの症状は呈さない。むかついたり落ち込んだりしても、ほどほどの程度でおさまるものだ。原因としての環境は同じでも症状が違うとすれば、体質の問題である。 家族がどうしたとか言って納得しようとしていること自体、症状であるとも考えられる。「驚くほどみんな同じことを言う。たとえばドーナツみたいな家族」などというが、それが原因だから同じことを言うのではなくて、症状だから同じことを言うのではないか。 自責を解除して他責でいいのだと決定することによって自分は落ちつく。そのような適応自体が病的である。 2016 価値単線化の病理 極端に言えば、家族ごとの幻想があって、家族ごとの価値体系があってよい。それほど家族のあり方はさまざまである。いろいろな人がいるのだから。それが現実だ。 子どもは親の遺伝子を受け継いでいるのだから、親の流儀はどこかしっくりくるところがあるのではないか。 自分たちの体質にあった価値観を上手に持ち続けることが必要であると思う。 青年期になったら家族から巣立って行けばよい。仲間とつきあい、新しい家族をつくる。そこでは自分なりに満足できる生活スタイルをとればよい。 それをマスコミが中央集権的に統一しようとするのは無理というものだ。商業主義はマスで売った方が儲かるから、家族のあり方の一つのパターンを時代の価値として押しつけようとする。人々は自分に自信がないから、マスコミの宣伝する家族像や人間像をまるまま取り込もうとする。 昔なら他人の家や他人の心の中など知らなくてすんだものが、現代では他人がマスコミに乗って登場し、そうした幻像に応接しなくてはならない。 マスコミの中に登場する家族像など嘘なのだと知ることだ。テレビに出てくる家族は生活していないのだ。家族についての実現不可能な「ねばならない」を押しつけているとすれば、問題は小さくない。 2017 病棟で、看護のレベルが低すぎる。病院全体の機能レベルが低すぎる。人の命をあずかる場所がこれでいいはずがないではないか。たとえば老人が人生の最後を過ごす場所とはとても思えない。自分が人生の終わりにこのような処遇を受けると想像してみるだけで嫌悪が走る。 いまから二十年くらいたって、真の豊かな社会になっていたとしたら、病院こそ大きく変わっているだろう。特に精神科医療は根本的な改善が必要である。 たとえば、触法患者や性格障害者と傷つきやすいタイプの分裂病者を同じ空間に鍵をかけて閉じ込めて処遇するなど、ほとんど犯罪に近い。 たとえば戦時中に軍医が中国人に対して人体実験を行って、人間としての恐怖を感じなかったこと。それと同型のことが精神病院で行われている。もし自分が精神病になってこのような処遇を受けたとしたらどうだろうかと想像力を働かせてみることがないのだろうか。そのような反省を封じ込めてきたのが戦争という状況であったと説明され、罪は免罪される。同じことが精神科医療についても繰り返されるのだろうか。それが反省のなさというものだ。患者の苦しみならば医療関係者はいくらでも我慢できる。他人の苦しみだ。そんなことでいいのだろうか? どこか不誠実で、ふざけていて、金にまみれている。劣悪である。本気で考えていないのだ。本気になればいますぐにでもいろいろなことがしてあげられる。国が分かっていないからと居直るのはやさしいが、その国というものは結局我々自身である。なぜ本気にならないか。他人事だからだ。 精神的に具合が悪いのだから、個室でケアして欲しい。当たり前である。いじめっ子や変な人、触法患者と一緒の処遇をしないで欲しい。風呂も清潔を保つのに充分な程度であって欲しい。すぐにでもできる工夫がいっぱいある。それをしないのはなぜなのか。 人間はそんな程度のいいもんじゃありません、自分のためなら人を食い物にして平気なものです、そんなことも分かりませんか、といったようなことをいう人たちもまた一定数いる。それも人間の必然であると理解している。厳しい人生を強いられている人はいるのだ。そのような人には愛を伝えるべきだ。この世に生きて、そのような人生観しか持てないのは不幸である。そしてそのことは本人の責任ではない。 2018 社会ではなく、評価を気にする個人が、一元的な価値しか持っていないのだ。 ACについての論考では、画一的な価値観、偏差値で人間を一元的に評価する社会などといった論点が提出されている。確かに、人間という多面的なものをそのように一元的に評価するのは間違いである。しかし、それは評価を受けとめる側の問題でもあるとは考えられないだろうか。一元的で浅薄な評価をされたとして、それがその個人の生きにくさにつながるのだろうか?そのように評価することしか知らない人はかわいそうではあるが、そのような評価をされたからといって、それがどうして生きにくさにつながるのだろうか?結局、評価される側にもそうした一元的な尺度しかないから息苦しくなるのだろう。 社会の側の問題ではなく、受け取る個人の側の問題である。受け取る個人の集合が社会であると考えれば、はじめて社会の問題となるけれども。 そもそも、猿の社会のころから、社会はピラミッド型の構造をとる。縄張りから餌の確保、配偶者選択まで、序列社会が基本である。水平型社会など思考上の幻想であると言ってもよいかも知れない。序列社会は効率が良くて、競争力があり、強いのである。もちろん、水平型社会の良さもあるし、そのような社会構成をとっていた生物が人間の直接の祖先であった可能性も否定はできないだろう。しかしおそらく人間社会の原則は序列社会であった。マウンティングの儀式で優劣を確認しあう社会であった。非常に一元的である。その価値判断の基準がとりあえず偏差値である。時代が変われば金であり、家柄であり、身長であり、体重であり、耳の長さであり、声の大きさであり、などなどいろいろある。 そうしたものはいつでもある。しかし時代の特有の息苦しさは何かという問題は残る。豊かになったため、関心が移動しているということだろう。かつては生物学的に生きるか死ぬかが戦いであった。食料を求めた。現在は満腹した上で、心理的に対人関係の上で満たされたいと願う。 しかしそのようなスキルに欠けた人間が一定数いるということに人々はまだ気付いていない。 2019 一元的価値観を受け入れがたいということは、つまりは家庭にいるときのように、社会でも特にとりえがなくても尊重されたいという無理な要求である。家庭内でなら許されたことも社会では許されない。それだけの簡単なことが受け入れられないほど、未熟なのだ。 逆に、家庭でもいつまでも息子または娘だというだけで尊重される理由はない。生物学的なかわいさをなくしたら、経済的に尊重される理由をなくしたら、いつでもただの家族の一員になる。それで当たり前である。いつまでも特権的な立場にいられるわけではない。いつまでも特権を保持しようとすれば大きな無理が生じる。 2020 一元的な価値観からの敗者復活戦はある。 サブグループを作って、その中でさらに優劣を競う。異なる価値基準のサブグループを複数持っていればよい。 複数の価値基準とは、複数の所属集団のことでもある。 さらにまた、グループ内部で自分が勝たなくても、誰かまたは集団を拡大自我として設定すれば、充分な満足が得られる。たとえばジャイアンツの勝利を自分のことのように喜ぶ。 2021 精神科入院患者は現実把握が悪く、誇大的な傾向がある。入院していると「なぜ退院させないか、わたしは何でもできるのに」と退院を要求する。現実には入院生活以外は不可能である。 精神科医師は現実把握が悪く、誇大的な傾向がある。「精神科医をやめて、内科医になる」と転向をいつも考えている。現実には精神科医以外の仕事はできなくなってしまっている。 精神科看護婦は現実把握が悪く、誇大的な傾向がある。「精神科はやめて、内科に行こう」と転向を考えている。しかし現実には精神科看護以外の仕事はできなくなってしまっている。 精神科患者、精神科医、精神科看護者、これらの人々は他の場所では生きていけない点で共通している。 2022 薬剤抵抗性の結核菌が発見されたと報道されている。仙台の病院での集団感染の原因菌がこれだったという。恐ろしい。免疫力に自信のない人は病院に近づくなということになる。 精神科医療における心理的感染がやはり問題であろうと思う。心理的不潔さは感染する。 2023 カウンセラーが流行である。 しかし世間はカウンセラーとは何をする人なのか、分かってはいない。そうでなければあれほど愚かな人たちに何を期待するのも無駄だと気付いているはずである。むしろ、心理の専門職の人たちこそ、心理的不潔さの感染源であると知る必要がある。マスコミとカウンセラーはおかしなことを広めている可能性がある。 恐ろしいことである。 2024 認知がずれているから認知療法という。 しかし、認知はできていてもなお感情が一致しないということがあるのではないか?そこに大きな問題があるように感じる。認知療法では十分ではないと感じられるのだが、どうだろうか。 分かってはいるのだが、どうしようもないという場合、認知療法では、結局認知が不十分なのだと割り切る。本当には分かっていないからだと考える。本当に分かっていれば行動も感情も変化するはずだと考える。人間は本当にそのようなものであろうか? 2025 この腐った現実の中で、一番上手に腐ってみせることを目標にすることもできる。腐っている証拠である。 2026 カウンセラーの条件 カウンセラーの条件や資格に関して、生まれつきの資質が大切であると強調されてよいのではないか。 要求されているのは技術(テクニック)というよりは才能またはアートではないか。自動車の運転免許証よりはたとえば絵の才能に似ている。絵は誰でも描ける。しかしうまい絵となれば訓練したところで限界がある。生まれつきのものが必要である。 心理学科で四年間または修士課程まで勉強したということが何を意味するだろうか。自動車の免許を取るための学科試験を通った程度のものであろう。そして、カウンセリングは上手な運転とは質的に異なる何かだろう。 分かる人にははっきりと分かる何かである。しかしそれが何であるか、語り、定義するのは難しい。 志して勉強すればなれるものではないと思う。学問の一分野として居場所が与えられている現状もおかしい。学問でも技能でもなく、何かである。 2027 一人の人間として扱われなかった。 人間扱いされなかった。 こうして非難が患者から噴出することがある。多くは言いがかりである。そのような発言が許されていることが何よりの証拠である。被害妄想ではないか? しかしこのようにいえば、精神科医療の無謬性に固執していることになるだろうか。 簡単にいって、世の中には腹の底まで腐っている奴がいるのだということだ。 2028 精神分裂病ケアには特有の難しさがある。治療者の人柄も問題になる。 例えば主治医としてかかわって、全員に充分なことができるかといえば、相性とか偶然のいきさつなどがあって、必ずしも全員に充分なことができるわけではない。受け持ち人数が多すぎることも原因であるが、それ以上に、医者患者関係も一種の対人関係であり、したがって相性の問題が大きく影響する。すべての人とうまくいかない人もいないだろうが、すべての人とうまくいく人もいないだろう。人柄があり、相性がある。 したがって、治療に際しては、特に回復期治療に関しては、治療チームを組んであたることが非常に大切である。チームの各成員に対していろいろな人間関係が生じる。そのなかから治療に有効な関係を見いだし、それを利用して有効な治療を進めればよい。さらに患者同士の関係の中から治療に有効な関係を利用することも大切である。そのような治療スタイルを取る場合には、医師はチームリーダーである。医師が個人的に面接をして結果を看護に伝えてそれで終わりという昔のスタイルではどうしても限界がある。急性期鎮静目的の医療であればそれで充分であろうが、回復期の場合にはそれでは不十分である。 自分の個人としての限界をわきまえているからこそ、チームであたり、チーム内のさまざまな個性を生かす方向を考えたい。そのような治療スタイルが合理的であると考えられる。 2029 SSTの一つの問題点 あまりにもマニュアル化され、精神科リハビリテーションの中で要となる、治療の中での人間的なふれあいの大切さが見逃された形で普及し始めている。生活技能自体は獲得されうるのだが、保持される期間は短い。 患者の学ぶ動機付けが大切であり、同時に治療者の教えるための動機付けも大切である。 そのうえで、「いまここで」の人間らしくあたたかで親密な関係を確立することが求められる。相互の治療的な信頼関係を築くことがもっとも大切である。 SSTは患者の自信回復に役立つ。動機付け、肯定的評価、具体的技能の獲得、積極的社会参加へ一歩前進、これらのステップを踏むことになる。自信が回復されれば、それを肯定的に援助してくれたスタッフとの信頼関係は深まる。逆に、SST訓練の途上で困難があっても、スタッフとの信頼関係があれば乗り切ることができるかも知れない。 こうした観点から、SSTに際して、患者治療者間の相互の治療的信頼関係を築くことも本質的に必要で重要である。技能獲得と信頼関係樹立が両立するように工夫する必要がある。 犬の訓練に際してさえも、同様のことがいえるだろう。目的、動機付け、訓練手順、効果、これらが明確になっていて、技能獲得されれば、信頼も生まれ、信頼があれば、技能獲得も容易である。 2030 リバーマンの考え。 精神障害者は、自分達にもっとも欠けているのは、友人、仕事、家族の結びつきであると感じている。それは社会的能力やコミュニケーション能力の欠如により生じている。それは自分にとって大切な人に対して感情を表現したり、関心や欲求を伝達することが苦手であることが原因である。 ここからリバーマンのSSTが発想される。引っ込み思案で自分の考えや要求を他人に伝えられない分裂病者が想定されている。 そこで、主に発信機能の改善に取り組むことになる。 自己主張訓練(セルフアサーティブネス)もこうした発想から生じるのだろう。 わたしは、分裂病者に欠けているのは、状況認知能力であるとまず考える。状況認知が欠けているから、状況に即した柔軟な対応ができない。そこに社会的不適応が生じる。対策としては、「良肢位固定」を考える。状況認知を必要としない対応法法を固定して訓練する。 リバーマンのように発信機能を改善すればよいと考えるのは、伝えるべき感情、関心、欲求の内容に自信が持てなくなっている分裂病者の状況を理解していないと思う。状況認知に欠けた感情や欲求を堂々と表明したとしても、病者に不利に働くばかりであろう。 思考障害の結果生じた、「ビーフが食べたい」との要求を声高に続けたら、嫌われてしまう。それが日本の社会である。 あるいは、障害者アイデンティティで生きてゆくには、その方がいいのかもしれない。要求した方が得だ、それが不適切であっても、障害者だということで大目にみてもらえる。そこまで見越して、いいたいことをはっきり伝える練習をしようというのだろうか。 2031 ・分裂病とは……症状(陽性、陰性)、経過(シュープ、レベルダウン) ・期別分類と症状、治療法……急性期、回復期(院内リハ)、維持期(地域リハ)→図示 ・病棟の患者類別……急性期、回復期、社会的入院……それぞれに応じた処遇 ・治療……薬物、リハビリ、SST、療育 2032 クリニックの窓口を訪れる患者さんがどんなに重大な決意を持って門をくぐるか、よく知る必要がある。精神科の医者に「異常だ、病気だ」と認定されることが一人の人間にとってどれほど重大なことであるか、知る必要がある。 その点では、クリニックではない、民間療法や心理相談所、さらには祈祷所を訪れることがあるのも納得できる。 精神科医は恐い。薬などで強制的に治療されるかもしれないし、禁治産など法律的にも何かひどい結果になるかもしれない。なによりも強制入院させられる危険もある。 2033 日本の飲み屋は文化の中に定着したカウンセリングでありリラクゼーションである。 受容的な女性、制度の中で退行が許される場所、夜、暗いところ、金を払っての匿名性、さらにはアルコールという薬物の使用までセットになっている。 受容的カウンセリングでは不十分で薬物を併用することが必要だと知っている。心理療法家もデパスを使う必要があるわけだ。 こうした文化の中でカウンセリングをするには、やはり飲み屋が手本になる。夜開業、診察室というよりは応接室のセットで、しかしある程度の退行や打ち明け話が許されるところ、匿名性が確保できる場所(自費診療にすれば匿名で大丈夫)、カウンセリングは受容で、薬物をセットにする。ただ話だけではなくて何かの「芸」が必要。たとえば手相とかそんなもの。手相ではひどいから、自立訓練法や精神分析、テグ、アロマセラピーなど。 2034 陰性症状が原発で、幻覚妄想は二次的なものだとの解釈。 薬剤で消失する類の幻覚妄想は二次性のものに過ぎないのではないか。拘禁反応に似て、分裂病の陰性症状がつくり出す一種の「内的拘禁反応」の結果なのではないか。 薬剤で消えない幻覚妄想状態は別の病態であろう(薬剤の何という無力)。 だとすれば、幻覚妄想を標的として神経遮断薬を投与し、結果として「幻覚妄想は消失し、自傷他害のおそれはなく、措置症状は消退した」と報告することの意味もかなり割り引きされるだろう。 陽性症状がなければ自傷他害のおそれはなく、社会の中で生きていける。この点を治療目標にしている。現状では仕方がない。それ以上の治療ができないのだから。 こうして考えてくると、いわゆる「社会的入院」は本当に社会的入院なのか、疑問もある。治っていない。社会の中でストレスにさらされれば、また陽性症状が再燃するだろう。そのような人たちならば、社会的入院というべきではないだろう。 「社会的入院」と新たにレッテルを貼って、病院医療から追放し、結果として医療費を削減する。財政的要請に応えるための人権擁護的・人道的な装いとして社会的入院の概念が使用されているだけではないか。こういった論さえ可能であるように思われる。 2035 受容の意味 原疾患があり、そのせいで周囲に理解されず辛い思いをして、不安が高まる。不安のせいで原症状が修飾される。その場合、まず受容して、不安を取り除く。そうすれば原疾患による困難だけになる。そこから治療が始まる。 受容が原疾患に対して治療的であるわけではないと思う。しかし大切なことである。どんな場合にも、理解されず不安が高まり、症状に神経症成分の混入がみられるからだ。 風邪ひきならば、常識的で日常的な体験の範囲内である。精神病の場合のような孤独は経験しなくていい。 2036 分裂病の発生 何か異様なこと(言葉では言えない、世界の変容感)  → 反応としての陽性症状(たとえば妄想、それは自分を落ちつけるための解釈といえる面がある。たとえば二階から飛び降りた。その行動をうまく説明することができない。推定すれば、させられから妄想的確信までいろいろ考えられる。) また例えば、内的拘禁反応と考えることもできるのではないか。ある種の認知障害が内的拘禁反応をもたらす。 2037 分裂病における分裂の意味を、思考と感情の分裂と解釈している本もある。それでも良いのだろうか。 連合の解体という点では、思考と感情の分裂もその一つではある。思考と感情の解離については防衛機制の一つとして用語がある。DISSOCIATION(?). 分裂の内容についてはやはり概念の連合の解体という意味であり、それはたとえば風景構成法での、個々のアイテムの無関連に配置された状態として表現される。 2038 陽性症状と陰性症状(北村俊則) ・陽性症状。通常はないはずのものがある症状。現実検討の障害によると考えられる。 @幻覚 A妄想 B思考形式の障害 C著しく奇異な行動 陽性症状の中でも、特に分裂病の診断価値が高いものとして、シュナイダーが一級症状を抽出した。 @幻覚の中でも、会話性幻声、患者の思考や行為にコメントするする幻声 A妄想の中でも、妄想知覚 B作為体験 このほかの陽性症状は特異性が低い。躁うつ病でもみられたりする。 ・陰性症状。通常あるはずのものがない症状。 @感情平板化 A思考の貧困 B快感消失・非社交性 C意欲の消失 D注意の障害 ブロイラーの4A。感情平板化、思考障害(連合弛緩・支離滅裂)、両価性、自閉(「現実との生ける接触」の消失、現実検討消失)。 2039 統計数字 1987年、精神障害で 一日の入院32.7万人、外来8.7万人。 1990年、入院33.9万人、外来11.5万人。外来が増加。 分裂病の入院患者は漸増しているが20万人。 1984年、精神障害総患者数は100.1万人、分裂病は41.6万人。分裂病の半数は入院し、半数は外来治療していることになる。国民の1%が精神障害で、0.4%が分裂病で治療を受けている。 総患者数に占める分裂病患者数は減少の傾向にあり、老年期と器質性の精神障害や躁うつ病が増加している。 1992年度の国民医療費は23兆4784億円。前年度7.6%増。精神医療費は1兆3515億円。前年度2.3%増。精神医療費が国民医療費に占める割合は、5.8%である。 1992年の精神医療費の中で分裂病の診療点数は、56%。入院医療費でも、分裂病が60%。外来医療費では26%、神経症、躁うつ病とほぼ同じ。患者数の分布と同じ。 1991年の精神病院数は1046。精神病床数は36万床。993機関は私立。精神病床の平均在院日数は452日。長期入院のため患者は高齢化している。 近年の地域医療計画の見直しと社会復帰対策の充実により、精神病床数は頭打ち、平均在院日数はしだいに減少する傾向にある。分裂病入院患者数も、44歳以下では減少または横ばい。 1992年の任意入院60.3%、医療保護入院34.1%、措置入院2.4%、その他3.2%。任意が年々増加、措置は1970年をピークに減少。 2040 愚かな精神科医 経験からいって、精神科医の人間理解が深いとは考えられない。人格や性格についての理論がある分だけ、先入観をもって人を見ているところがある。類型化しすぎて、その人独自の側面を捨象してしまう傾向がある。 類型化してレッテルを貼れば、自分は優位に立ったような気がするのだろう。無理もないことであるが、そのような態度は相手には容易に見破られてしまい、信用されなくなる。 的外れの浅薄な理解を押しつけられるほど嫌なことはないだろう。特に相手は精神的にダメージを受けて医師の前に立っているのである。そんな場合の医師の立場は非常に困難であるはずだ。浅薄な理解ではいけない。しかし深い理解に至るまでと考えて慎重すぎたのでは当座の役に立たない。背反する要求をなんとか両立させる必要がある。深く分かるわけはないけれども、とりあえず安心して帰っていただく。このような難しい要求に応えるのが仕事である。まじめに考えれば至難の業である。 ところが実際には、いかれた医者がいいかげんなことをやっている。浅薄な理解を押しつけて類型化していい気になっている。患者はそれでも薬がほしいからやってくる。それだけのことである。 精神医学を学んで人間理解が深くならないのはどうしてなのだろう。根本的な問題があるように思う。精神医学は人間理解ではなく、病気の理解であると居直るだろうか? あるいは、精神医学は患者を劣位におとしめるための理解の仕方の体系であるといってよいかもしれない。 患者は精神科医を信用しなくなる。それは当然のことであると思う。 精神科医の前では精神の尊厳などないのである。 鍵があるから閉じこめられる。薬がほしいから、または生活保護を持続するために通院を続ける。それだけだ。それだけだと分かったら、精神科医は心について何かを知っているようなそぶりはやめるのが正しい。 他人を攻撃するために診断をレッテルのように張り付けて反省しない人がいる。黒宮さんが以前いた医者を分裂病だと診断していたのだという。それは何を意味するだろうか。そのような空気が精神科医の社会を窒息させるのだ。斉藤さんは人格の問題があり、かつうつ病であり、鈴木さんはサディストで手がつけられないという。さらには複数の女性に対して人格障害とレッテルを貼って言って回る水上さん。 2041 病院でわたしに何が見えているのかを緻密に記録する。それはおもしろい記録になるだろうと思う。是非挑んでみるべきだ。 2042 分裂病と感情障害のComobidityについて 1)病前性格論や木村の時間構造論、中井の兆候空間優位性、微分回路モデル、笠原の出立と合体などの話は一様に分裂病と躁うつ病を対極的なものとみている。だとすれば、中間項を立てて、連続体としてみるという立場も成立しそうである。遺伝研究からも、全く無関係のものでもないといわれる。脳の脆弱性としては共通の基盤を考えてもよいともいえるのだろうか。 2)しかしそうだろうか?脳の病気の二大カテゴリーが実は一連の対極的なものだなんて、可能性は低いと思う。背景病理としてはもちろん別のもので、前景症状としては混じり合うこともある。これが現在の私の理解である。そして問題は、背景病理として、Comobidityはあるのかという問いである。 背景病理としての分裂病と躁うつ病は、次元をことにする全く無関係で別々の病理であると思う。ちょうど、高血圧と風邪くらいの関係ではないか。だとすれば、時間的に共存することもあるだろう。 しかし、背景病理を考えるときに参考にするのは生活史や病前性格、家族歴などであり、それらを考えるとき暗黙のうちに分裂病と躁うつ病を対極的なものとして想定していることに気付く。クローの連続体説にも意義があるのだろうと思ってしまう。 私が考えるように、分裂病については時間遅延型の説明、躁うつ病についてはMAD細胞型による説明とするならば、両者は混在してもよいはずである。 たいていの場合、分裂病があれば、反応性のうつ状態にはなるだろうと考えられる。うつ状態があっても、分裂病状態には容易にはならないだろうと考えられる。このあたりのことから、まず分裂病の可能性を考えて、否定的ならつぎには躁うつ病の可能性、と順位付けができている。 →背景病理としても分裂病と躁うつ病の混在は可能であるとするのが合理的ではないかと思われる。 これは結局、循環気質と分裂気質が混在可能であるかとの問いになるだろう。 なお、前景症状のレベルでの両症状の混在は、当然可能であり、それをCoocurrence:併存と呼ぶ。 Comobidityに関しても、前景症状と背景病理に整理して、それぞれのレベルで立体的な把握を心がけることは有益である。 分裂病で躁うつ症状を呈している場合と、躁うつ病で分裂病症状を呈している場合とは、対称的ではない。 分裂病の場合には、前駆期の躁うつ症状、急性期が終わったときの疲弊期のうつ状態(post psychotic depression、寛解後疲弊病相)、躁うつ病像を呈する分裂病などがあげられる。 それに対して、躁うつ病の場合には、躁病時の妄想・興奮とうつ病時の迫害妄想などがあげられる。分裂病を基盤とした躁うつ症状とは非対称的である。 2043 幻声と注察感は知覚異常ではなく、自我障害であると考えることができる。 要素的幻聴は、側頭様症状と考える。自我障害も側頭葉症状と考えられるのではあるけれど。 また、幻声と注察感は妄想とみることもできる。確かに感覚として聞こえているという証拠は一つもない。 2044 クレペリンは躁うつ病でも残遺状態や欠陥を呈することがあることを認めている。(→これは一体どういうことなのだろうか?) ブロイラーは、分裂病の否定の後に、躁うつ病の診断がつけられるとしている。 2045 Comobidity ・大うつ病とパニックの合併は重症で抗うつ薬への反応が悪い。自殺率も高い。したがって、パニックの背後にうつ病がないか、入念に診察する必要がある。 ・大うつ病、強迫性障害、パニック障害には共通の病因や病態があると推定される。 ・躁うつ病とアルコール症が合併した場合、アルコール症のためにコンプライアンスが低下するので経過が悪い。 ・複数の精神障害を持つ人が病院を受診しやすい傾向がある。Berksonバイアスという。 ・人格障害は合併率が高い。それは診断基準の近似のせいだといわれる。あえて分類する必要があるのか? ・疾患エピソードに限ってみられる行動や性格傾向は人格障害を診断する際考慮に入れない。大うつ病の場合、二軸診断に影響を与える。state effectと呼ばれる。双極性障害の70%に人格障害がみられるとする報告はこのせいだろう。 ・転換性障害、強迫症状、解離性遁走、病的賭博、窃盗癖などの基底にうつ病がないか、見逃さないようにする。ヒステリー症状や強迫症状が、うつに対する防衛になっている場合がある。うつ病の治療が優先されるべきである。 ・パニック障害にうつが続発する場合。二次的意気消沈(secondary demoralization)なのか、内因性うつ病の合併なのか、見極める。それによって治療が異なる。二次的意気消沈なら症状に立ち向かうよう押す。内因性うつならば、無理をせず休養させる。 ・Affective Spectrum Disorder...大うつ病、神経性大食症、パニック障害、強迫性障害、注意欠陥多動性障害、カタプレキシー、片頭痛、過敏性腸症候群。 ・Obsessive-Compulsive Spectrum Disorder...強迫性障害、心気症、身体醜形障害、神経性無食欲症、抜毛症、病的賭博、クレプトマニア、アルコールなど物質依存。 ・depressive equivalent...大うつ病、パニック、強迫性障害、神経性大食症、ヒステリー(解離性遁走、転換症状)、病的賭博、クレプトマニア、心身症。 ・「一人の患者には一つの病気:one patient-one illness」が原則であった。 2046 新クレペリン・パラダイム neo-Kraepelinian paradigm 器質的疾患から、内因性精神病、神経症という、理念的診断における層構造。 クレペリンの著作に暗黙に含まれており、ヤスパースが明確にした。 2047 「クリニックは、レッテルを貼るところではなく、苦しみを少しでも和らげる場所であることを伝える。 患者・治療者の人間的交流が可能であることが患者にとって救いになる。 家族、学校、職場、社会とはやや異なった規範で接してくれるところだと知ってもらう。そのためには、精神科医自身がそうした社会の規範を相対化している必要がある。少なくとも一時的にでも、社会の常識的規範から自由であること。」 2048 「大安を退院日に選ぶ人も多い。」 家族は自分の子を「おかしい」とは思いたくない。無意識のメカニズムが働いてしまう。 一方、患者は最悪の事態を現実的な可能性として思い込んでしまう。 2049 「患者は自分の殻に閉じこもり、他者に助力を乞うことをしない。しかしそれでも、どこかで救いを求めている。それを直接的な形で表明することができない。その直接的な表明を妨げているものがどこかにあると考える。」 求めないのではなく、求めていると表明することができないでいると解釈する。 2050 「患者自身が苦悩を言葉に置き換えることができるような場を治療者が提供する。心の混沌に秩序がもたらされる。言葉への信頼。」 一種のロゴセラピー。 2051 「薬の副作用にしても、あらかじめ予告された事柄であれば、人はある程度受け入れることができる。予告は心の準備を促し、それが出現したときの驚愕と不安をある程度和らげる作用がある。」 2052 離人体験を詳細に語る。語る部分では苦しみを詳細に体験している。その部分には離人はない。 また、こう考えてもいい。離人と正常の間を短時間のうちに往復している。だからこそ、離人の感覚が苦しみとして感じられる。 人間の感覚は差異を抽出しているのであって、どんな感覚も長時間続けば鈍麻して感じられなくなってしまう。強烈に苦しいというからには、正常状態との落差を感じとっているのだ。ということはやはり短時間のうちに変動しているはずである。 2053 「離人症状も分裂病の基底障害に対する反応であると考えることもできるだろう。」 2054 「強迫行為の背後に離人体験があるとの見解がある。」 2055 「離人も強迫も、自己の二重化がある。」 「離人症者は言葉で埋めようとする。強迫症者は繰り返しの確認行為で埋めようとしている。」 「全体を一挙に与えられないために、断片によって全体を構成し直さなければならない人たち」 2056 「精神分裂病の発症は、自分の中に出来した事態を名指すことができないことだった。何かが起こった、どこかが違う、という形でしか表現できず、意味のない世界に陥ってゆくことだった。だからこそ、言葉によって妄想や幻聴を創出して、彼らなりの確かな秩序を打ち立てようと試みる。」 ややロマン的。こんな言葉をいくら重ねても進歩にはならないだろう。 2057 分裂病の軽症化 ・「自閉」度の軽さ。日常世界との「風通し」をまだ残している。 ・「現代社会が、かつてのような一元的で強固な価値体系をもち得なくなったことが背景にあると指摘する識者が多い。」→そうか?もしそうだとしても、それは「夢の内容」を決定しているだけだろう。「夢を見るかみないか」は別の生物学的な次元の問題であろう。かつてのような体系化した妄想から、境界例でみられるような症状へと変化した、それは内容の問題だ。「袋にあいている穴」に変わりはない。穴からこぼれてくる内容は変化がある。 ・社会に背を向けて内面に沈潜しようとしてもランダムでおびただしい情報がマスメディアを通して侵入し、一人の人間に静かな自閉を許さない。 ・積み重ねがない。空虚である。アンヘドニア(無快楽)。これが境界型人格障害につながる。一人でいることができない。他者にしがみつく。自閉とは対極的である。 ・不動で確かな拠り所を自己の内面に築くことができない。 ・自己同一性の不確かさを役割の背後に隠すことができない。 ・境界型……未熟で激しい衝動的反応。スプリッティングをおこし、安定のないままに変転する、固まらないままの性格。 ・高速情報消費社会。時間をかけて彫琢を施し、結晶化させてゆく病理に出会いにくくなっている。 2058 笠原の「外来分裂病」 @自発的に通院 A診察室で整然としている B体験陳述力がある C急性期消退後にかなり長い「無為・退行の時期」をもつ D家族のサポートが得られる E社会適応のために現実的努力を続ける 2059 内因性若年無力性不全症候群(グラッツェルとフーバー) 体感異常、離人体験、思考障害を三徴とする。 2060 分裂病性妄想の判定基準として、集団規範を持ち出すのは正しいか? ・集団性の異常と考えれば、事実ではなく集団規範への従順という観点で判定すべきである。 ・しかし、外的現実との照合という観点でみれば、あくまでもその人が体験した現実とのズレが問題になるだろう。この場合は集団規範ではなく、体験した事実が判定基準となる。 ・人間は社会的動物である。しかしそれでは、社会を構成しない人間において、分裂病は成立するだろうか?言語もなく、他人もいない世界で、分裂病状態は成立するだろうか? ・国家、都市、会社、家族が成立するごとに、それらに所属する「個」が問われる。アイデンティティが問われる。 ・都市集団とその規範(秩序)の成立なしには分裂病概念も成立しなかったという指摘。→あまりにロマン的。分裂病はそれ自体、生物学的な疾患であると考えてよいだろう。 2061 「タテの価値体系が崩壊し、ヨコ同士の「差異」によってしか、自己形成できなくなったのが現代。」 「個を集団の中に閉じ込めず、それぞれの個に多様な生き方を許す」 これらが軽症化の背景にあるとする。 妄想構想力が減弱しているのだろう。体系化には知力を必要とする。体系的思考の習慣が必要である。現代のマスコミはそのような教化をしていない。きれぎれのイメージがあるだけである。そしてテレビは行動化を促進している。 →「タテの価値体系の崩壊」とはつまり、規範の崩壊・弱体化。この点で、イントラサイキックからインターパーソナルへの変化と同等な内容の指摘ではないだろうか。 つまり、イントラサイキック・重症から、インターパーソナル・軽症へと病像が変化している。その背景には社会の価値規範の拡散がある。 →しかしながら、こうした社会情勢が、なぜ症状の軽症化につながるのか、いまひとつ論理の脈絡がはっきりしない。なんとなくは理解できるけれど。 つまりは、社会が受け入れれば、症状も症状ではなくなるといった程度のことなのか。それならば、軽症部分は社会の中で正常として組み込まれ、重症例だけが残るはずではないか? 重症例は、脳の破壊と社会の拒絶の両者が重なった部分に生じるというのか。 典型的な例でいえば、同性愛者の苦悩。新宿ではそれ自体はあまり問題にならない。田舎だったらそれ自体で悩むだろう。しかしそういったことと、重症、軽症が関連しているものだろうか? 2062 経済が問題であったときは労働組合が組織票を動員できた。現代は精神が問題であり、宗教団体が組織票を動員している。 2063 分裂病の多い民族……アイルランド共和国、クロアチア 少ない民族……北米フッタライト、トンガ、(台湾?)……共同主義的、階層的に構造化、保守的信仰、自分達の生活方針に自信、豊かな土地で競争がない。 途上国の方が経過がよい。合衆国やデンマークは不良。 2064 電話帳広告で。心理相談では以下のものが解決できなければならない。デパス投与以外に有効な治療ができるか? ストレス、緊張、あがり、手のふるえ、赤面、吃音、不安と恐れ、多汗、性格改善、対人恐怖・視線恐怖、不眠、肥満、自律神経失調症、集中力欠如、学業不振、勉強嫌い、夜尿、チック、不登校、家族間の問題、書字の震え、声の震え、顔のこわばり、電車恐怖、自己臭、過食、拒食、性的困難、孤独、留守番恐怖、トラウマ修正、ノイローゼ、心身症、夫婦関係。 2065 ひきこもりの原因について ・幻聴(P) ・被害妄想(P) ・N ・廃用性能力障害 ・うつ ・教育・経験の欠損 ・金がない ・友人がいない ・薬の副作用でだるい 2066 分裂病の経過 前駆期 急性期 急性期後疲弊期 回復期 維持期 2067 症状の区別 陽性症状 陰性症状 廃用性能力障害 教育・経験の欠損 薬剤の副作用 2068 精神療法 陽性症状の時期には支持的(受容的)精神療法。病理によってはサイコドラマ、エンカウンターグループなど。 陰性症状に対しては難しい。ある程度指示的・教育的対応になる。どの程度か、難しい。適切なストレス量の設定が大切である。ストレスが少なすぎると退屈で、多すぎると症状が再発する。その中間にコントロールする。 スタッフ間で個性の差による対応の差が出ることは避けられないし、ある程度幅のある対応は良い面もある。いろんな人がいて、その中でどのような個性が治療的なのか、考えることができる。看護の中で個性が生きる。 スタッフの中で治療的な関わり合いができる人を、「Nurse as a madicine」として「処方」できる。それが劇薬であったら、「副作用止め」として別の職員を処方することもできる。 2069 イントラサイキックとインターパーソナル 倫理規範が明確な社会では、イントラサイキックな病理が中心になる。逆に言えば、そのような社会にあっては倫理規範に従っていれば、目の前の人とのつきあい方に困ることはなかったはずである。共通の規範に従っていれば、お互いの関係はうまくいっていたはずであろう。 共有する倫理規範が崩れた後では、他人がどのような内的規範を有しているか、推定し手探りしながらのつきあいになる。ここではインターパーソナルな病理が中心になる。推定の根拠はとりあえず外面的な特徴によるだろう。そこでルックスが過剰なほどに問題になる。 規範は全くないのではない。全国民には及ばないが部分グループを支配するには充分な規範がある。その人はどのような規範集団に属しているのかを確認することが必要である。確認しなければつきあい方のモードを決定できない。 規範の面から見たサブグループを同定する必要がある。このあたりの困難があるので、インターパーソナルな病理が発生する。 つきあい方の規範が決まっていれば、インターパーソナルな病理からは免れられる。 2070 援助交際はなぜ悪いかについて。 こんなことも説明できない大人でいいはずがない。説明できないのなら、よいと認めればよい。 倫理の根源を各人が選択し、その上で国家を形成したらよい。 各国の憲法は信教の自由や思想良心の自由を保障しているが、それこそが倫理の根源であり、国家形成の根源ではないか。それを自由にしておいてなお国家を形成することなどどうして可能であろうか。 倫理などない社会に生きているのだ。神がなければすべてが許される。 2071 エピネフリンとハロペリドールの併用で降圧が起こる理由 エピネフリン使用時にハロペリドールを併用すると、エピネフリンの作用を逆転させ、血圧降下を起こすことがある。エピネフリンは血管に対して血管収縮作用(昇圧、α作用)と血管拡張作用(降圧、β作用)の相反する二つの作用を有している。用量が多いと、α作用が優位のため、全体として昇圧の方向に作用が発現する。 ハロペリドールをはじめとするメジャーはαアドレナリン受容体遮断作用がある。併用した場合にはβ作用の優位となり、降圧が起こる。 2072 電話カウンセリングでは「催眠術」が使えない。 場所の設定や香りや音楽やそんな環境要因が大切。立派な背広を着ていたり、応接セットが立派だったり、受付の女性がきれいだったり。診察室で医者を完全に独占しているいい気分。 そんな「催眠術」が大事。さらには飲み屋ならお酒を出して、クリニックなら安定剤を使う。電話ではそんなこともできなくなる。 結局、日本のヒーリングは飲み屋にあると思う。カウンセリングをして、お酒という薬物をきちんと使っている。頭がいい。脱帽である。 電話で、言葉だけを頼りに精神療法など、大変に困難な仕事である。 2073 内因性と初潮 「目覚まし時計がひとりでに鳴るように」内因性疾患が発現する。たとえば初潮が自然に始まるようなものだとの言い方である。 現在は「ストレス脆弱性モデル」の時代であるから、個体の内部の問題は半分で、生活上のストレスが半分だということになる。それは双子法の一致率が50%という数字によく象徴されている。 つまり、「内因性」成分は50%であるということだ。それはひとりでに、目覚まし時計のように、初潮のように、形成される。 2074 患者の個々の内的価値システムを発見することが大切。 精神発達遅滞の30歳の患者さんが退院する。退院後は作業所に通う。しかし、作業所の近くでつばを吐いて歩いたり、女の子のかばんに手を触れてみたり、「問題行動」が多いので、今後も対処は困難であると予想される。 してはいけないこととしたらほめられることをきちんと区別して教え込みたい。どうすればできるか。 して欲しいことは「毎日作業所に通う、あいさつをする」など。 して欲しくないことは「つばを吐かないこと、他人のものに手を触れないこと」など。 しつけるには、報酬と罰を用いるのが普通である。彼にとっての報酬と罰を吟味する必要がある。 たとえば病棟で、問題があると注射をしたり、保護室を使ったりする。それがお仕置きと解釈されていることが多い。罰である。こちらは治療のつもりであるが、ここで意味付けのずれが発生している。 たとえば退屈を解消するために、すこしあれこれ文句をつけて、医者の前に出る。医者としばらく話す時間を持つ。それは患者にとっての報酬といえる。医者にすれば業務であり、罰とも報酬とも思ってはいないはずである。しかし騒ぐことによって「面接という報酬」が与えられる。 たとえば彼がつばを吐くことにどのように対処したら、彼にとっての本当の罰になるのか、考える必要がある。また逆に、作業所できちんと頑張った報酬としては何が適切なのか、考える必要がある。 2075 平等教育をすると、男がついていけなくなる。女よりも発達が遅いし、社会的機能が劣るので、教室では生き生きとできなくなる。このような指摘があることも踏まえて教育を考える必要がある。 2076 SSTに先立つ診断作業 対人技能の構成要素……どこに欠損があるか診断して納得してもらう→動機付け→対応策を授けるまたは一緒に考える ●受信 ・相手に注意を向ける ・相手から与えられた手がかりを読みとる ・表情を読みとる ・うなずく等の非言語的行動を読みとる ●処理 ・対人場面の理解 ・話の文脈の理解 (まとめると状況認知) ・社会的習慣の理解 ・問題解決の見通しを立てる ●発信(表現) ・ことば:声の大きさ、声の高さ、話の速さ ・行動:心理的距離の取り方、物理的距離の取り方、視線の向け方、表情 ・考えを正確に表現する、感情を適切に表現する ・話題を変更する ・あいづち、うなずき、応答のタイミング、ほめる、質問するなどの技法 ・会話を終わらせる 例えば、職場で困難があって、もう行きたくないという場合、どこに困難があるか、調べる。結果として、あいさつができない、指示を受けることができない、休み時間の付き合いができないなど、問題点が明らかになる。それが陰性症状によるもので、適切で柔軟な対応は困難だということになれば、「良肢位で固定」するのが現実的対応である。 状況認知障害が中心と見れば、良肢位固定が大切。 発信機能障害が中心と見れば、リバーマンのような発信技能改善が大切。その延長として主張訓練がある。 2077 SSTの流れ ・まず多段階の目的があることを認識する ・診断、動機付け、教示 ・ロールプレイとモデリング、ポジティブフィードバック(強化) ・一般場面での宿題(般化) ・他段階の目的とは、 治療者との信頼関係促進 引きこもりの改善、気分転換、病気に対する能動的・自主的かかわり方 生活技能獲得‥‥受診機能、処理機能、発信機能 (リバーマンは発信技能の改善を強調している) 2078 院内リハのためには地域の受け皿が不可欠である。 院内リハビリテーションの前提として、地域での生活の見通しがなければ、ただの練習のための練習になってしまう。たとえば無駄なSST。動機づけができないのだ。 まず第一歩は、精神病院が地域密着型・地域参加型の「非難所」になることだ。自己完結型の治療構造を解体することだ。 自己完結型精神病院にはリハビリは成立し得ない。社会の受け皿があるから、リハビリの動機づけができる。社会復帰を前提に考えるから、院内適応の弊害が明確になる。自己完結型精神病院においては、院内適応して陰性症状が固定している患者が「問題のない」患者となる。 病院精神医療にいかにしてリハビリテーション・モデルの活動を広げることができるか。 2079 リハで、ストレスをかけすぎると陽性症状再燃の危険がある。ストレスが少なすぎると、陰性症状悪化の危険がある。だから難しい。私流にいえば、ドーパミン過剰の危機と、レセプター増加の危機である。 伊藤哲寛は過少刺激を「安定と適応を促す」方向と考え、過剰刺激を「変化と成長を促す」方向と考えた。これは違う方向のベクトルであり、「変化と成長」のベクトルは精神療法的接近に近く、「安定と適応」のベクトルは保護と休養、さらには福祉的援助に近い。これら二つのベクトルを統合したものとして、リハビリテーションがある。 これを私流にいえば、ドーパミンを抑える方向と、レセプターを減少させる方向と解釈できる。ドーパミンとレセプターはそれぞれ独立のベクトルを形成している。しかしこれをストレス量の観点でみれば、一元的に解釈できる。別方向のベクトルとは考えられない。私流にいえば、伊藤の平面図は不適切である。 伊藤も文章としては、過剰刺激と過少刺激として、一元的な表現をしている。 「安定と適応」=ドーパミン減少=刺激過少(=レセプター増加の危機=陰性症状の危機) 「変化と成長」=レセプター減少=刺激過剰(=ドーパミン増加の危機=陽性症状の危機) 2080 院内でのリハビリテーションを実際に生かす社会の場がなければリハは有効にならない。SSTで学んだことを般化する場を持たなければ有効ではない。長期収容を前提として、なおSSTを行うなら、矛盾している。 2081 デイケアも「ソフトな収容」に過ぎない面がある。 厄介払いのお先棒をかついでいるだけだ。 2082 家に泥棒が入った。どうするか。 ・「事情を聞くととても可哀想だ。真面目に働いていた父親の商売が、貿易の自由化によって、立ちゆかなくなったという。何とかして役に立ちたいと思って、お金をあげた。」この態度は人間としてとても立派である。 ・しかしそんなことになるそもそもの原因は何かと考えれば、もっと根本的な解決を考えなければならないだろう。 ・精神障害者の場合も同様。一人一人を現状の仕組みの範囲内で何とかすることも大切である。しかしまた、理想的な仕組みはできないか考えることも大切である。 2083 医療、保健、福祉を統合する包括的リハビリテーション。 2084 精神病院に限らず、施設への長期収容は、一般にリハビリテーションにふさわしくない構造や雰囲気をつくり出す宿命をもつ。 メディカル・モデルからリハビリテーション・モデルへの転換。 2085 ドイツと日本は戦争後の経済復興優先で、精神医療改革が遅れた。 アメリカは経済効率を優先して性急な病院解体・地域システムへの移行を進めた。患者の多くは自分の力だけでは社会資源を有効に活用できず、ホームレスになった。ホームレスの33%が精神病者。都会の刑務所の31%が精神疾患をもったホームレス。刑務所入所者の精神疾患有病率は、一般人口の二倍から三倍。低水準のナーシングホームへの患者移動は、再施設化または施設移動にすぎない。本質的には何も解決されていない。 当然である。病気は治っていない。ノーマリゼーションが進んだ社会の中で暮らせば「病気が治る」というのなら問題はない。障害が固定したままで、いかに生きられるか、そう考えたとき、社会が彼らを受け入れられるか、疑問がある。精神病院でも、彼らを受け入れてなどいないのが現状ではないか。 2086 イギリスでレフの研究。慢性期患者が地域ケアに移行して、言語的・非言語的行動が改善され、陰性症状も改善、患者の満足度も年を経るごとに高まる。 2087 ホームレス対策。 積極的訪問サービス、ケースマネジメント、危機介入。 訪問サービスは嫌がられても、ある程度強制的にやらないと効果がない面もある。しかしそれでは患者の自己決定を奪っている。 2088 「集中精神科リハビリテーション治療プログラム」 リハビリは治療である、時には集中プログラムもある、そのくらいの専門性を開拓したいものだ。 2089 イギリスでは良質なケアを長期的に維持するためのシステム作りを重視。 アメリカでは環境や社会的援助をあまり重視せず、精神障害者が当事者として最小限の援助で自立できるように生活能力を高める技術の開発に力を入れている。 精神障害者を市民・消費者としてとらえる市民意識、当事者の自立と権利の保証、ケースマネジメントやピアカウンセリングの導入などは地域支援システムを構築するうえで欠かせない。 自助の社会。チャンスは与えるが、自己責任も大きい。 環境を整えることと能力を伸ばすこととは相反する面もあるので難しい。 2090 「精神病院から社会復帰施設へ、さらに地域社会へ」 2091 「生活圏の中に」医療、保健、福祉サービスが包括的・多次元的に供給されること。 「僻地に」「収容型の」精神病院があっても進歩しない。外来と地域医療重視の病院へと転換しなければならない。生活圏に沿った医療圏の設定が大切。 2092 野田の指摘。 @地域ケアを重要と考えない医師がまだ多い Aネットワークづくりという発想に欠ける B病院間の縄張り意識が強く、患者の生活圏でのケアの重要性の認識が薄い Cケースマネジメントという考え方が薄い、biopsychosocialの3面で統合的・連続的ケアを受けている患者が少ない 2093 精神病院の敷地内にグループホーム、授産施設、地域生活支援センターが設置される現状は、地域リハビリテーションの理念と相いれない。精神病院が精神障害者の生活支援機能をも取り込んでしまうことは避けるべきである。 2094 ケースマネジメント、ケアマネジメントはサービス・コーディネーションと呼んだ方がよいとの考え方もある。医療保険会社はマネージドケア。経済効果ばかりが追究されている。患者のプライバシーが危機にさらされている。最悪の場合には自分と異なる価値観や生活習慣をもつ人に自尊心を明け渡さざるを得なくなる。もうケースマネジメントシステムはいやだとの意見も多い。 メンバーは困ったときだけ専門家に手助けしてほしいと思っている。 ケースマネジメントや訪問サービスを熱心にすればするほど、当事者の自己決定や選択の自由を制限するというジレンマがある。患者の自主性を損なわず、必要なときに適切で迅速なサービスを提供する。 病状が悪化したり危機的状態に陥ったときに、資源を積極的に利用し専門家の援助を求めようとする患者群。反対にいっそう孤立して支援を求めようとしなくなる患者群。二群がある。 2095 当事者がピアスペシャリストとしてケースマネジメントチームの一員に加わった方が、専門家のみ、または専門家にボランティアが加わったチームよりも結果が良かった。 2096 かつては労働にとらわれない多様な価値観をもって、地域にとどまることが重要な課題であった。現在では地域に住む精神障害者の七割が雇用就労を希望している。共同作業所は福祉的就労の場にすぎない。 職業リハビリテーション体制の確立が急がれる。 being から doing さらに working へ。はじめはbeingの価値確認が大切であった。しかしそれが終わったら、doing さらに working へと進む。 2097 「困ったときだけ助けてほしい」 患者のプライド。治療者のパターナリズム。 2098 保護者は、病者を抱えた苦しみに加えて、社会を守る義務を負わされている。「義務としての愛情」が法で規定されているとも考えられる。 保護者規定の廃止、公的後見制度の導入が望ましい。 2099 「生活環境を重視するコミュニティ」を志向する地域では、精神障害者施設を排除する。 「交流型コミュニティ」でボランティアなどをからめつつ、当事者中心で広める。 2100 精神障害者の社会復帰を阻んでいるのは何か。 リハビリシステムや社会資源の不足ではなく、社会のコミュニケーションシステムの欠如が問題なのではないか。すべての人の対話的関係の回復が必要である。地域リハビリテーションの原理につながる。 例えば、病院に欠けているのも、そのような「対話的関係」のシステムである。 2101 シュナイダー。異常心因反応。外的体験反応と内的葛藤反応。ストレスと性格に対応する。いわゆる神経症はストレスと性格のかねあいで、結局のところ、適応障害といってもいいようなものだろう。 2102 過換気症候群 hyperventilation syndrome =過呼吸症候群 不安神経症のひとつのタイプで、パニック障害や心臓神経症の病理と類似する。心理的ストレスが発症に強く関係し、深く速い呼吸を繰り返す結果、動脈血CO2分圧が低下し、呼吸性アルカローシスとなる。呼吸困難、動悸、胸痛、四肢がぴりぴりするしびれた感じ、筋けいれん、意識障害などが起こる。発作時の不安は激烈であり、予期不安に移行することもある。治療は抗不安薬、抗うつ薬、精神療法、自立訓練法などがよい。症状の成り立ちをよく理解していただくことが治療の第一歩である。緊急時には呼吸性アルカローシスを改善するために紙袋を口にあてて吐いた空気を再呼吸するとよい。またジアゼパムの注射も用いられる。若い女性に多く、この症状で救急車で運ばれる人は、東京で1年に12000人以上である。 2103 アダルトチルドレン AC,ACOA:Adult children of alcoholic(アルコール依存症の親のもとで成人した子ども) 親がアルコール症で、家族機能に欠損があったために、成人してから苦しんでいる人たち。親がアルコール症以外でも、薬物依存やギャンブル依存などで家族機能に欠損があった場合には同様のことが起こりうるので、ACOD:Adult children of dysfunctional family (機能欠損家庭で成人した子ども)と呼ぶこともある。問題を起こさず症状も出さず、いい人として適応し、優等生といわれて周囲の人の支えとなり、成人する頃に息切れをおこす。孤立感・孤独感、極端な自己評価の低さ、愛と同情の混同、怒りや批判へのおびえ、自分の感情に気づき表現する能力の欠如、自己肯定感のなさ、絶望的なまでの愛情と承認の欲求がみられる。さらに、自己非難、失敗することの恐怖、支配することの欲求、頑固さ、一貫性のなさがある。これらの特徴の中でもっとも本質的と思われるのは「自己承認への欲求」であり、「居場所がない」「生きていてもいいのだろうか」「この世に存在していてもいいのだろうか」などの言葉となる。 「自分はACだからこんなに苦しいんだ」と気づいたときにはじめて救われる。アルコール依存症者、共依存の配偶者、ACの子どもの三者がセットになっている。 2104 共依存についてのカウンセラーの言葉。「なによ、この人たち!ぜんぜん自分というものを持たないじゃない。夫のアルコールのことばかり頭にあってさ。今日会った人なんか、三回結婚して三人ともアル中だったのよ。おまけにお父さんまでアル中だったんですって。要するにあの人の連れあいたちのアル中を支えてきたのは彼女なのよ」 2105 共依存の中核は「必要とされる必要」。(斉藤学の文章から) @自己中心性A不誠実(不正直)B支配の幻想C自己責任の放棄ないし他者からの非難のへ恐れD自尊心の欠如。根底にあるのは「自尊心の欠如」である。 自己評価が低いため、他人からの批判を極度に恐れ、本来の自分の判断を否認するあるいは隠そうとする。緊張をはらんだ居心地の悪い結婚生活に耐えている女性たちは自分のその感情に不誠実で、それを窒息させている。この関係から離れようとするが、「他人にあげつらわれる」ことが怖くて離れられない。これが自己責任の放棄である。 このように暮らしている人は他者にもこうした「他者への配慮」を求める。他人は自分の仕事・役割に感謝し、少々問題があってもそれを表面に出したりせずに、自分の支配下にいなければならない。共依存者は自分の感情と他人の感情をはっきり区別することができないという自己中心性の病理を抱えている。 共依存者は偽・親密性を装う名人である。共依存者の利他主義は実は自己中心性から発している。 われわれの文化は共依存的な権力行使を親密性の衣装のもとに覆い隠そうとする企みに満ちている。共依存者は親密でない人の前ではニコニコ仮面を被って、親密な関係を装う。そして真に自分がかかわりたいと思う人には抑うつ的な自己を表現し、深いため息をつく。これを繰り返すことによって、相手を共依存的な感情の中に巻き込み、もうひとりの共依存者を作りあげる。 自己否定の感覚と自尊心の欠如。「他者からの非難の恐れと自己中心性に基づいた」共依存パワーが日本の組織を支配している。 「みえない虐待」と「やさしい暴力」 この病院で、水上さんの言動のパターンがこれにあたる。共依存の原理によるリーダーとなっている。 2106 近親姦とは、結局のところ一種の権力闘争である。社会的な場面で自らのパワーを評価されなかったひとりの男が、家族の中のもっとも無力なものを相手にそれを全開する。その男の妻は男を軽蔑しながらも、娘ではなく男の保護にまわった。そうすることによって、この妻は家の中で全能に近い支配権を手に入れた。 →同じ構図で病院の力動を説明できるのではないか。男=経営者、妻=院長・職員、娘=職員・患者。 社会で充分に尊重されず、病院経営についても社会動向や行政方針を適切に取り入れて動くことのできない経営者。本来ならば外部から利益を得て内部に分配するのが大切なのに、それができないものだから、ひたすら内部の弱者から利益を搾取するようになる。患者からの搾取である。その大きな構造にだれも意義をさしはさむことができず、結局は搾取の分け前にあずかろうと結託する方向に向かう。患者や被害を受けている職員からの意義が出た場合には、「問題を見ない」「問題はそもそもない」「わたしの苦労も分かってくれ」「こんなに大変なんだから君も我慢して当然ではないか」、そのような方向でことは収拾される。 日本の社会に蔓延するいじめの構図がよく把握できる。 2107 Banduraの社会的学習理論 人間の学習においては、モデルの観察を通じての学習が大きな要素をしめる。観察学習は注意過程、保持過程、運動再生過程、動機づけ過程の四つの下位過程を経て行われる。 2108 SST・「ストレス・脆弱性・対処技能モデル」 再発は三要素のバランスにより規定される。 (1)生物学的脆弱性(素因) ・遺伝的要因 ・発達的要因 (2)環境からのストレス ・生活上の重大事 ・緊張に満ちた家庭環境(high EE) (3)防御因子 ・周囲からの支持(行動療法的家族指導) ・生活技能の形成 ・移行的プログラム ・向精神薬(素因に対して) 2109 SSTの母体は自己主張訓練(assertive training)。 2110 再発防止効果を長期にわたって維持するためには、SSTとともに家族教育を含めた環境への適切な働きかけを実施することが重要である。 2111 SSTの効果 対人技能の獲得、全般的な社会機能、精神症状の客観的評価および自己評価、認知機能や自我機能、これらの改善が見られる。 WAISで言語性IQも動作性IQも改善する。ロールシャッハテストで、修正BRS、形態水準、不安の指標に改善があった。 しかし効果は持続しないことも指摘されている。 2112 SST ・患者の個別の問題を評価 ・「生活の質の向上」と「再発予防」のために必要な技能を計画にする ・患者の自覚を促す ・患者自身による適切な目標設定を援助して練習を繰り返す ・単に「社交下手な人に人づきあいの仕方を教えるものではない」 2113 SSTでは 「ここでは人の欠点を指摘するよりも、長所を認めあい、お互いに知恵を出し合い、助け合ってよいところを伸ばしていく」 「途中でつらくなったら合図をして、いつでも出て行ってよい」 ことを確認する。本人の自発的な参加による練習であることを確認する。 2114 京都の寺の庭。雨が降って池の面に無数の同心円が広がる。リラクゼーションである。 2115 SSTの診断作業 1)受信障害型 2)処理障害型……状況意味失認型→良肢位固定 3)発信障害型……リバーマンタイプ→主張訓練ほど極端ではない訓練 2)と3)が多い。 あいさつができないという場合でも、2)は何という言葉がいいのか分からないタイプ。3)は言葉ははっきり頭の中にあるけれども、言えないタイプ。このあたりを鑑別診断したい。 2116 分裂病治療の見取り図 ・横軸=病前性格、前駆期、急性期、急性期後疲弊期(PPD)、回復期、維持期 ・縦軸=性格の問題、教育・経験の欠如、陰性症状、陽性症状、廃用性能力障害、薬の副作用 (実は、神経症性成分の混入も大切である。さらに対処行動もある。) ・入院時カンファレンス、リハビリ開始カンファレンス、退院時地域リエゾンカンファレンスをそれぞれ、入院時、リハ開始時、退院時に行う。 ・入院時カンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、地域保健婦の参加。医療情報のまとめと治療方針の決定。 ・リハビリ開始カンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、作業療法士、SST担当者が参加。リハビリの方向付け、メニューの選択(どの時点でどれを付加するか)、生活全体のストレスレベルの設定、週間プログラムの検討。性格特徴の把握、かかわり方の確認。 ・退院時地域リエゾンカンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、作業療法士、SST担当者、地域保健婦、作業所所長など退院後使用予定の社会資源の担当者、家族。再発因子と具体的対策。 ・治療のメニューとしては、薬、精神療法、集団精神療法、SST、ケースワーク、院内リハ各種(職リハ、趣味リハ、レクリハ、ADLリハ)、療育、薬剤調整、薬剤教育、患者教育、家族教育、デイナイトケア、訪問看護、援護寮、グループホーム、ホステルなど。特に薬、精神療法、SST、家族・患者教育、職リハが大切と考える。 2117 縦書き・文学的精神医学はもうおしまいにしよう。 2118 疾病メカニズム解明の歴史をたどれば興味深いのではないか。 結核などをモデルとして病因解釈の発達史をたどり、それを参照して精神病の理解はいまどのあたりであるかを理解することができるのではないか。 モラル→サイエンス 精神病者の場合、実際にモラルに反する場合があるので、あながち偏見とも言い切れない面がある。 2119 ストレスコントロールの実際について、解明すべき点。 1)その個人の脆弱性をどう評価するか?……ストレス負荷量のMaxとMinを測定したい。どうするか? Max以上だとドーパミン過量でダウンレギュレーションによりレセプター減少する。陽性症状領域。(幻覚妄想状態を続けていれば、レセプターは減少するはずだということになる。そうか?)(ドーパミン過量状態の時に、脳に不可逆的な変化が生じて、陰性症状が固定する印象がある。これは何が起こっているのか?前頭前野領域の神経細胞が死滅しているようにみえる。) Min以下だとドーパミン過少でアップレギュレーションによりレセプター増加する。陰性症状領域。(これを陰性症状とみるのは正しくないのではないか。廃用性の能力障害とすべきである。あるいは陰性症状増強とすべきである。) 2)現在のストレス量をどう評価するか? 2120 陽性症状に対応するのは、陰性症状ではなく、廃用性能力障害ではないか。陰性症状は別の病理。 陽性症状……DA>>Receptor……可変的 不可逆性の陽性症状も存在する。これは抑制細胞の死滅による。したがって、陰性症状とメカニズムは同じである。 廃用性能力障害……DA<Receptor    前頭前野神経細胞の死滅 問題は、なぜ細胞は死滅するのか。 →毒性物質の放出? 2121 破瓜病が思春期に多いのは、陽性症状が分裂病性基本(基底)症状に対する反応であり、特に妄想で反応するタイプであるからだ。思春期に性のエネルギーが頂点に達し、したがって妄想のエネルギーが頂点に達する。 分裂病性基底症状は年齢とあまり関係ないのかもしれない。年代によって特有の反応形式があり、思春期は妄想反応が多いということなのではないか。それが分裂病として観察されている。 2122 分裂病性基底変化に対する反応として、 1)幻覚妄想……これは内的拘禁反応とも考えられるもの。 2)コーピング。対処行動。たとえばタバコを吸うなど。 3)神経症性症状。ストレスに対する反応と考えられる部分。精神病になることは巨大なしかも持続的なストレスである。たとえば心身症になるのにも充分なストレスである。 このあたりの反応を階層的にまとめて記述できないか。 精神病性陽性症状(深いところでの対処反応) 神経症性症状(対処症状ともいえる) 対処行動 2123 モデリング 言葉で伝えることが難しい非言語的要素を示すうえで有効である。理解力が低下していても、適切なモデルを提示して、「今やってもらったのと同じようにしてやってみませんか?」と導入すれば、抵抗なく練習できることが多い。 2124 SST ・患者自身の問題意識と関心に沿って目標を設定し、練習を繰り返す。 ・長期目標と短期目標を設定する。 ・こうした設定に関して、適切な目標となるように治療者が関与する。 ・患者主体のリハビリテーションが大切。一番大切な目標は意欲の向上であることを忘れないこと。 2125 「症状を肯定的な行動に置き換える」 抑うつや不安などの症状の訴えに対して、症状自体をとりあげるのではなく、楽しく充実感のもてた体験を想起してもらい、そうした肯定的な体験の練習を勧める。(リバーマンの原著に出ているという) 「症状」も原因Xに対しての反応の一つであるとみなし、不利な反応を有利な反応で置き換えようとする考え方である。 2126 これからのリハビリテーションの動向 @ユーザー指向 A生活障害の重視 B個別の評価と目標設定・治療計画 C問題解決的方法の適用 D認知・学習理論の活用 E実生活への般化の重視 F家族療法や薬物療法、精神療法など他の治療法との統合的実践 2127 Sydenham 「自然治癒力が強く速やかに働く場合は急性病に、その働きが弱く遅い場合には慢性病になる」 発病は治癒過程の開始でもある。 2128 分裂病症状の多くの部分は反応であるとして、何に対する反応なのか。ひどい認知障害などが本当にあるものだろうか?たとえば「内的拘禁反応」に値するほどの認知障害。状況意味失認など。それとももっとマイルドな「心理的傾向」「性格傾向」程度のものであろうか。ブロイラーは「連合弛緩」、ほかには「自明性の喪失」、「現実との生ける接触の喪失」、「状況意味失認」など。ここを起点として症状形成を反応として追う。それが中安の仕事であった。 たとえば、分裂気質があるが、(それは反応様式とも見えるし、気質そのものとも見える。いずれにしても、)分裂気質の人が思春期にいたり、異性と出会い、社会の中で働きだすと、分裂病として発病する。この時の症状の大部分を反応として解釈できるように思う。根本にあるのはずっと持続している分裂気質であって、特に病的な過程が加わったわけではないかもしれない。 では反応が起こる前の正味の症状は何かと考えて最初期症状に興味を持つ。それは理解できるが、一方で、最初期症状でさえ既に反応であるかもしれない。ある種の性格傾向の持ち主が特定の環境におかれたときに、「仕組まれたルート」に乗ってしまうのではないか。ドミノ倒しのように次々に反応が起こってしまうのではないか。 反応の一部は修復過程である(たとえば防衛機制)。反応の一部は当然の結果である(たとえば内的拘禁反応)。 閉鎖病棟に長くいる人は、もちろん開放病棟でも大差はないが、隔離されたことの結果と隔離されたことへの反応とでさまざまに修飾されている。なにがその人の「症状」なのだろうか。これに悩まない人もどうかしている。 2129 自然の治癒過程を促進する試み。わたしならどうするか? 病気に能動的にかかわる姿勢を引き出す。それを課題にできないか。 2130 通説に反して、薬剤は陽性症状のみでなく陰性症状をも改善するとのデータがたくさんある。(八木) 2131 社会的予後が改善したのは、病院の開放化、患者の処遇改善、院内・院外の生活療法の活発化。これらは病者の自己回復力の活性化と考えられる。 2132 対処行動 分裂病の陽性症状に対して、体を動かすこと、物質使用(タバコ、コーヒー、コーラ)が多い。 不安障害では、対人行動(人と会う、電話をかける、集会に出る)、遊ぶ、病院に行くなどが多い。 2133 心理社会的介入(精神療法・生活療法)の治療原理は、適応的・回復促進的・再発防止的な対処行動を強化し、不適応的・回復阻害的、再発促進的な対処行動を転換し、生活経験の学習を通じて、主体的な生活の獲得を目指すことにある。(八木) 悪い対処行動からよい対処行動への転換を試みる。 2134 分裂病がもっていた『奇妙さ』は精神病院という施設の所産である。 生活を視野にいれた社会療法の方が精神療法のみよりも、健康な状態をつくり出すのに役立つ。 2135 陽性症状が早期に鎮静され、無色透明な陰性症状が前面に出るようになると、いよいよ脳の疾患であるという印象が強くなってきた。 2136 分裂病の精神療法 ・急性期……妄想に支配された状態を健康な自我は恐怖している。健康な自我を支持する精神療法が大切。 ・消耗状態(抑うつ、消耗、虚脱)……絵画療法、簡単な作業、ゲーム、おもちゃ。 ・慢性期……SST、現実的接し方。リハビリ。 ・家族教育……心理教育的接近 2137              可逆性(反応性)   不可逆性(細胞死滅) ないはずのものがある   陽性症状       不可逆性陽性症状 あるはずのものがない   廃用性障害      陰性症状 2138 神経症成分というのは分かりにくいので、ストレス反応性成分と表現した方がよい。 精神病症状=(本来の精神病症状)+(ストレス反応性成分) 精神病になるということは、巨大で持続的なストレスである。 2139 症状が可逆性か不可逆性かを明確に区別できないと治療はうまくいかない ・不可逆性症状に対してトレーニングしても、無理。治療関係が壊れる。 ・可逆性なのにトレーニングしないのは申し訳ない。 例)老人の尿失禁、職業能力障害 2140 分裂病の治療 有効なのは、薬物、精神療法、SST、心理教育プログラム。 ・院内リハをするくらいなら退院させた方がよい。 ・集団精神療法としてのリハならば意味がある。 ・慣れるためのリハならばしない方がいい。院内適応になってしまう。 2141 八木による「抗精神病薬のDA拮抗説への反証」の解説 1)抗精神病薬の分裂病に対する有効量は、一般にDA拮抗作用を発揮する用量よりも少ない。 2)抗精神病薬の至適効果は、D2受容体占拠率30〜70%で現れ、それ以上では錐体外路性副作用が出現する。 3)薬物反応者の血中HVAは治療第一週にいったん上昇して、第二週から低下する。急性期の症状改善幅は治療第一週で最大であるから矛盾している。 しかしレセプターの増減を視野にいれた場合にはどうか?矛盾するか? 2142 (コラム)生活技能訓練 SSTでは技法の解説は多いが、診断と訓練目標の設定についての具体的な解説が少ないように思う。当然、症例に応じて考えればよいのであるが、以下のように説明できる。 1)診断と動機付け。訓練プログラムに入るにあたって、生活上の困難が受信、処理、送信のどの段階のどのような障害によって生じているのかを診断する。患者さんに診断結果を説明し、動機付けをする。たとえば仕事が長く続かない場合、職場での様子を詳細に検討して、診断する。「あいさつができなくて職場にとけ込めない。昼休みに世間話ができない。仕事の指示を理解することができない。体調が悪くてもそれを伝えられない。金を貸せといわれて断れなかった。仕事中に突然の事態が起こったがどうすればいいのか頭が真っ白になってしまった」これらを受信、処理、送信に分類してみる。そのうえで訓練プログラムをなるべく患者さんと一緒に考える。 2)処理機能の問題がある場合には、状況認知の悪さにもかかわらずうまく適応できるようなプログラムを考える。たとえば状況に応じたあいさつができない場合、状況に関係なく使えるあいさつの言葉を覚えてもらう。東京の中年男性ならば「どうも」ひとつだけを覚えればよい。 3)送信機能の問題がある場合には、リバーマンが書いているような送信機能の訓練がよいだろう。相手の目を見て、大きな声ではっきりと、身ぶり手振りも交えて、身を乗り出して、明るい表情で話すのである。 4)訓練目標の設定。いろいろなレベルで目標を設定することができる。もっとも表面的には具体的な技能の獲得である。しかしこうした訓練を通じて、ひきこもりの解消、気分転換、病気に対する能動的・自主的関わり方への転換などの目標も設定できる。さらには治療者との信頼関係促進がもっとも根本的な目標であると設定することもできる。設定を意識するかどうかは別にして、SSTではこうしたさまざまな目標が同時に設定されている。 5)SSTに対する批判のひとつは、あまりに訓練的になりすぎて治療者との関係を壊すことさえあるとの指摘である。訓練の目的は技能獲得でもあるが同時に治療者との信頼感の育成であることを頭に入れて、ふたつの目的を両立させるように知恵を絞る。患者さんの状態によっては、技能獲得に重点を置くか、治療者との関係のあり方に重点を置くかの選択をあえてする場合もある。たいていは治療関係を大切にする方を選択した方がよい。訓練を重視した場合には結局は技能の習得によって自信ができて、そのことを治療者に感謝するようになるから、最終的には治療者との信頼関係は深まるのであるが、一時的には治療者との関係は犠牲にすることになる。それが訓練というものだとの厳しい考えが有効な場合もある。我々の経験では厳しいだけではよい結果を生まないことが多いようだ。 2143 病理による症状と、場所による症状を区別して考える。病理による症状は経過に特徴があらわれる。場所による症状は現在症としてあらわれる。 クレペリンの経過診断は病理に迫っている。シュナイダーやDSMは場所の病理を捉えている。どちらが分裂病や躁うつ病として本質的かは明らかで、クレペリン流である。 しかしながら、実際上の運用としては、現在症を手がかりとすることが必要である。経過は情報として信用できない。したがって、最終的には経過の特性を知り、そのうえで本質的な病理を知りたいのだが、そのために現在症から経過特性を推定できないかを探ることになる。 これがシュナイダーのした仕事である。一級症状がある場合には、特有の経過を呈する分裂病というものであろうと推定してよろしいとしている。シュナイダーは決して、場所の病理が分裂病の本質であると主張しているわけではない。 しかしながら、なぜ一級症状という「場所の症状」が、分裂病という「病理の存在」の推定に役立つのか、考えてみる価値がある。 脳は完全に均質ではないから、特定の病理が「発生しやすい場所」はあると思われる。とすれば、病理と場所は関係しているわけだ。 2144 リハビリにはまず生活障害の診断が大切。そのためには集団場面の設定が役に立つ。実際の集団場面で何が起こるのか、観察し診断する。そのうえで、対策を考えることになる。対策を患者と一緒に考えられれば大変よい。個人面接が役立つ。このような流れで考えれば患者の動機付けも自然にできる。 2145 老人臨床では、家族へのサポートが本質的に重要である。治療としても、また病院経営としても。また訴訟対策としても。 2146 中井久夫「完成度の高い絵画とたどたどしい一本の線とを哲学的に対等なものとみなす」 2147 人の心を癒すのは「本物」である。 2148 対話を妨げるものは何か 有効な意思疎通を不可能にしているものは何か。 解釈モードや表現モードの食い違い。 背景にある「常識」の食い違い。あるいは共通基盤の拡散。 患者と病気のせいで分かり合えないこともある。しかしそれ以外の要因で分かり合えないこともある。 世界の流動性が高まるにつれて、違う常識モードの人との交渉が生じる。そうしたときに対話の不可能が生じる。 また、相手が精神病的な疎通性の悪さを有している場合、対話は不可能である。相手は自分の弱さを補うため、精神病的または神経症的防衛機制を用いる。その場合、真正の対話は不可能である。ただ症状と対話しているに過ぎない。 2149 診察室で、本来あるべき多様性を捨て去っているのではないか? 解釈がひとつであることは、真実に肉薄しているのではなく、たったひとつの解釈しかできない、ある意味での廃用が起こっているのではないか。 患者の住んでいる常識世界の言葉や解釈がなぜ医者の世界の言葉と解釈に劣ると考えられるのだろうか。その世界に生きている人にはその世界に沿った言葉が有効である。 2150 メモ 子供の頃に適応パターンは一応完成する。大人になって環境が激変すると不適応となる。子供の基本部分に思考・行動パターンが刷り込まれる。一度限りの記録といっていい。それは寿命が短い生物にとって大切なことなのだろう。 寿命が長い場合には、途中で行動パターンの変化を予定してもよい。 これはたとえば人間が思春期で行動パターンの変更をすることにみられる。 幼虫とさなぎと成虫。しかしこれは神経系が環境を取り入れる点ではさして精妙ではない。 オタマジャクシなどは分かりやすい。カエルになってからの行動パターンはかなり違うものになっている。 2151 対話的関係について 生まれも育ちも背景知識も背景常識も異なる人間同士がいかにして対話的関係を築くことができるか、それが問題である。国際的な交流の場面では当然大切なことであるが、日本人同士の場合でも、いかにして対話的関係を築くことができるか、実は問題である。対話的関係が形成されないことが少なくない。診察室でも、患者さんとの対話関係、家族との対話関係が形成されにくい。一方的な自己主張でもなく、一方的な防衛でもなく、真に人間的な「対話的関係」が必要である。根本的には「基本的信頼関係」が必要である。 2152 序文。 1996年4月から1997年1月にかけて、毎日1時間、合計200時間の勉強会を行った。その成果がこの辞典である。 愛がなければすべては空しい。 他人を理解したいという心からの強い決意があるか。 2153 ぎゃあぎゃあ騒ぐだけの人間は結局役立たずが多い。 2154 SSTなどといって、本人にとってみればやりたくもない訓練を集団でさせられる。それは結局、自主性を奪うことだ。自分のことを自分が主体的に責任を持って決定する態度を根こそぎ奪い去るものだ。それが根本的にリハビリに反する行いであることを知る必要がある。病院内で暮らし、スタッフに言われれば無意味な行事にも無言で参加する。感想を求められればそれなりに喜ばれるような言葉も語る。そのような人間になる。そのような人間をつくることが治療の目標なのか、考えてみる必要がある。 1997年8月17日(日) 2155 1997年8月17日(日) 精神科医療と老人医療の現場にいて、心が寒くなる。恐怖を覚えるのは私だけだろうか? 精神医療は矛盾も混沌もさらには悪も抱え込んでいる。 ひとり暮らしで貯金のある老人が入院する。通帳も印鑑も病院に預ける。横取りする人がいる。 昼御飯直前にパンとジュースを販売してまわる。 お小遣いが足りない人は集団内で特別扱いしても仕方がない。遠足も我慢、おやつも我慢である。恨むなら貧乏な星の下に生まれてしまった身の不遇を嘆けばいいのだという。精神病院を収容施設としか考えていない。治療的観点が欠落している。 お小遣いが足りない人の下着はどうしているか。お小遣いが沢山ある人のお金で余分に買って、足りない人にこっそり回している。現場でそのように融通している。それでいいのだろうか。たとえば、お小遣いを貯金しておいて利息が付いたらそれをお金の足りない人に回すことも昔はやった。いまは金利が低いのでできない。またたとえば、生活保護の人のお小遣いをプールしておいて、お金が足りない人も加えて割り算をする。生活保護のお金は個人に渡されたものであるが、一方では「困っている人全体を助けるため」のものでもあるからと解釈する。病院が何か工夫する動きはない。 老人医療の看護の実態は実に恐ろしい。老人保健施設入所者が夜間、ベッドから落ちて頭を切って血まみれになって、その血が乾いてしまうまで発見しない。発見しても、濡れタオルで表面を拭いている。あるいは素人の職員が血まみれの老人を見つけて包帯で巻いてしまう。翌朝には死亡している。 精神病院で薬の間違いは頻発している。人権問題である。 また、老人病棟になると、男女混合部屋になり、そこではおむつ交換もおこなわれる。人間の尊厳は考慮されていない。 すべての人が愛の人や誠実の人になることはできないことを前提として、何ができるか考える必要がある。 ひどい実態であることを知りながら、何もしないのは、むしろこの悪の構造に加担していることである。戦争の反省と同じである。知っていたがどうすることもできなかった、仕方がなかった。それでいいのだろうか?だれが声をあげるのだろうか? 患者か?家族か?職員か?みんなそれぞれエゴイストである。 2156 わたしたちは愛し愛されるために生まれてきた。それなのにわたしたちに愛はこんなにも不可能である。 わたしたちは精神的不調について語り、聞く。それは興味深い。しかしわたしたちのまわりにいる精神的不調を訴える人と対話的関係を持とうとしない。分からないから遠慮するのだろうか。 この本を読んで基礎知識を知ったら、あなたはかれらと対話的関係を持つだろうか、あるいは持たないだろうか。 2157 自由意志について、どのレベルでみるか。 自由とは内的感覚である。意志も内的感覚である。これらは主観的。 予測可能性は客観的である。 主観的自由意志と客観的予測可能性を矛盾なく記述できる可能性がある。 主観的世界では「自由意志はある」、しかし同時に客観的世界の記述としては「自由意志はない」となることが可能である。 たぶんこれが自由意志論についての結論である。 飛ぶ石や餌を食べる猫について、客観的には予測可能である。しかし主観的には(石と猫に主観が宿ると仮定して)自由意志である。人間も変わらない。 客観的世界の記述からみれば、自由意志は錯覚である。 2158 人を決定するもの。(自由意志はない。決定論。) フロイト……幼児体験、すりこみ(ローレンツ) マルクス……生産関係(下部構造) 反復する構造……脳内回路……フロイト的反復 個体発生 系統発生 2159 現代社会では「人間は歯車にすぎない」というが、歯車にも大変な個性がある。たいていは取り替えがきかない歯車であり、だから上司は苦労する。 歯車といっても歯の刻み具合も違えば固さも違う。だれとでもうまくやっていける歯車などない。みんな少しずつ無理をしている。 2160 付き合いのよさと内面の成熟 インターパーソナルとイントラサイキック 内面からの促しの声に忠実であること 2161 RRRプログラム(分裂病根治プログラム) MAD理論(躁うつ病・強迫性障害スペクトラム) 分裂病性自我障害のメカニズム(時間遅延理論) についての論考 神経症については、@真の反応性状態とA器質因のもの(強迫性障害)をまず分類する。反応性状態について、各種防衛機制に従いつつ論考する。 2162 1997年8月17日(日) 陽性症状はストレス反応であると考える。つまり心因反応と同様のメカニズムである。 なぜなら、薬で鎮静できる。あとを残さない。したがって、「あとを残す難治性陽性症状」と「あとを残さない反応性陽性症状」を区別する。前者は細胞消失型で、後者は反応性である。 陽性症状が反応性ということと、ドーパミン:レセプター比が過剰であるということと、同じことである。 基底症状(X)が起こって困る→陽性症状(DA/Recのup)→陰性症状(細胞消失) 基底症状は、陰性症状と重畳するのかどうか、分からない。 2163 キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけできれいなことを言って、自分は実行していないことがよくあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。 同様のことが精神医学についてもいえる。 2164 年老いた人の傍らに腰掛け、話に耳を傾け、満足のいくまでいくらでも話をさせる。話を聞いてあげることが本質的に大切なことである。 2165 根岸病院でやりたいこと ・薬、精神療法、SST、教育プログラム。今のSTチャート、今のWS。職員を機能的に組織する。 ・遠い目標としての「3Rプログラム」。 ・(病院、地域)、(患者・家族、職員)、(自分)のそれぞれの利益がバランスする妥協点を探る。 ・医師、職員、患者の間の力関係がアンバランスなので、医師がわがままを言えばバランスがとれない。それがモラルの低下につながる。医師はモラルリーダーとなる必要がある。 ・病院として利益を確保する工夫。→精神科関係の各社会資源をつなぐ。たとえば作業所、デイケアなど。法人として持っていれば確実。そうでない場合にも、病院で教育した人材を送り込むことによって結合を強める。そのような下地があれば、収益の観点で強い病院になる。 2166 ウーンディド・ヒーラー(傷ついた治療者) 自らの魂を癒したいという願望を、他者を癒すことによって充たそうとしている人が増えている。治療者の無意識のプロセスが相談者を巻き込む危険がある。なかには優秀な治療者もいる。 この場合極端に言えば自分の治療のために患者を利用していることになるだろう。患者の役に立っていれば両者にとってよいことで何も問題はないようでもあるが。やはりお互いに依存する傾向があるのではないか。治療者が安定するためには患者はいつまでも患者役割を引き受けるべきであるといった関係。私のためにあなたはいつまでも患者でいなさい。「私のためにあなたはいつまでも子供でいなさい」とメッセージを送る未熟な親に似ている。 2167 自己啓発セミナー ・エンロールメント。自己開発がどれだけ進んだかを勧誘能力によって計る。ネズミ講。人を多く集めた人はトレーナーとなる。 ・マインド・コントロール。心理的プレッシャーをかけた上で、他のメンバーの悪口を言わせる。身近な者の立場に立って自分を分析させる。つまり本音を言わせる。そのような場を設定すると、強い葛藤に見舞われ、激しい感情的な反応を呈する。集団心理も影響する。しかしこのような解放感や自己改心は持続しないので、また参加したくなる。結果としてセミナーに依存するようになる。 2168 病気を扱うのではなく、「超健康」を扱いたい。 2169 患者や家族と情報を共有することの大切さ ・インフォームドコンセント。 ・しかしそれにとどまらず家族は治療環境である。 ・説明には専門的な力量が必要である。 ・最近は家電製品の取り扱いも難しくなってきた。それに応じて取扱説明書が難しくなってきている。アメリカで猫の毛を乾かそうと思って猫を電子レンジに入れたら死んでしまった事件があった。裁判になって、電子レンジの取扱説明書に「毛を乾かすために猫を入れたらいけません」と明示していなかったので敗訴した。その後、説明や禁止事項はますます入念になった。ところが今度は「あまりに詳細に記載してあり、何がポイントなのかわからない。そのせいで損害が生じた」訴えられ、またまた敗訴した。 ・電化製品でもこのような時代である。医療に関してもインフォームドコンセントが大切と言われ、「よくわかる説明をして納得していただく」ことが本質的に大切であるとされる。本人や家族が何も知らなくても治ってしまう病気についてはインフォームドコンセントなどと力説する必要もない側面も確かにあるが、精神病や老人性痴呆などの場合には治療にある程度長期を要する病気なので、本人や家族、関係者の理解がないと治療がうまく運ばないことが多い。電化製品についての説明も専門のライターがいるほどで、込み入った話を正確にわかりやすく伝える仕事はそれ自体で高度な専門職といえる。すべての医者が説明が得意とは限らない。しかし精神病や老人性痴呆では説明と同意が本質的に重要である。そこで説明の専門家がいてもいいだろうと考える。 ・家族の理解が不十分なときに何が起こるか。たとえば入院中は病院環境でうまく生きられていた人が、退院してすぐに不調になることがある。よく調べてみると家族の対応が不適切であった。病院側としては医者や看護、ケースワーカーなどが充分に説明しているつもりであるが、患者や家族の理解は不十分であった。慢性疾患の治療にとって環境調整は非常に大切であるから、自己責任であるから仕方がないといってすますことはできない。「知りたいだろうから一応説明する」という程度の話ではない。治療の成功不成功を左右する重大時である。 ・こうしたことから、本当に正確でわかりやすい説明の仕方を今後研究する必要がある。画期的な進歩とはいえないが、確実に治療効果を向上させる。 1997年8月30日(土) 2170 現在精神医学はどこにいるのか?患者にとっていい状況だろうか?精神病を病むという正味それだけの苦しみだろうか?いろいろと問題があり、解きにくい。解決の方向がわからない。 患者の周りの人も苦しめられ、医師自身も苦しめられる。だから患者を精神病だと診断したくなる。診断してしまえば周囲の人たちは少し気分が楽になる。 精神医学の現状。社会防衛と患者治療の両立をはかる地点を探す営み。是か非か。 2171 かつて神がいた頃、精神病者の言葉や振る舞いは神からのメッセージとして、メタファーとして解釈された。 現代では社会の病理の反映として論じられることがある。正確な因果関係が論じられるのではなく、情緒的な関連としてテレビや月刊誌で提示される。昔ほどではないが、ある程度は重大なメッセージとして読み解く気分がある。 2172 精神医学の世界も実証的にやりたいものだ。文学的感想文の世界はいらない。ときに患者にとって有害である。 また、治療者の独りよがりをどのようにして防止できるかを徹底的に考えなければならない。ひとつは治療者としての共同体に身をおくことである。そこで支えられかつ批判される。しだいに他の治療者の目が自分の内部に育ってくる。そうなれば自分の独りよがりを反省する契機が生まれる。 多いのは自分の内部を患者に投影してしまう治療者である。その場合には原理的に反省が生まれない。そこでどうするか。やはり治療共同体を形成すべきである。 しかしながら治療者の共同体というものは実におかしなものになりがちである。そこにもまた困難がある。一人の時に独りよがりになる人ならば、集団になっても本質的には変わらないのだ。 2173 実証的たりえないうちは、精神医学とはいえない。精神治療実践学であり、民間医学とかわりない。データを提出して違いを確認しなければならない。もちろん実証的ではない民間伝承治療学も有用であるのと同様に、実証的でない精神治療学も有用ではある。しかしそれだけのことだ。 たとえば精神分析学。わかる人だけにわかる知的なゲーム。そして免許皆伝を制限的に発行することによる世俗の権力構造。 2174 自我障害というくくり方も、ヤスパースの言う自我とは何かという哲学的議論を前提としている。それを無批判に受け入れて伝承しているに過ぎないではないか。この点は世俗宗教と同じである。 自我の四つの側面があげられ、それぞれの障害として四つの領域での自我障害があげられる。こうした取り上げ方にも問題が多いのではないか。 自我の能動感はまず大切であるからいいとして、自我の同一性は単に記憶の問題と言っていいのではないか。(「同一であること」というので、エリクソンの自我同一性と混同される。これも紛らわしい。) 時間的同一性は結局記憶の問題である。これが言いたい。 空間的同一性は?そんな途方もないことが?分からない。 2175 老人……電話相談窓口。あるいはファックス受付。 老人の暮らし調査。一人なのか、同居人の考えは? 地域で支える方法。地域住民としても心配である。知らない人がしらないうちに死んでいるなどあっては困る。安否の確認の湯沸かしポット。ネットワークを通じて無事を伝える。人とつながっている感覚がある。 2176 プロ野球チームの呼び方 ヤクルトなどの企業名で呼ぶ。広島などの地域名で呼ぶのは少ない。これは人々の帰属意識が地域ではなく企業であることを反映している。 2177 人格の力 これが大切 2178 老人医療の展望 ・予防法 理論と実践、保健所との関係付け 電話相談窓口で拾う 広く啓蒙→出版 インターネット ・早期診断 敏感度の高い診断方法 ・早期の正確な鑑別診断 ・治療法 2179 精神医学に対する不信 たとえば、裁判での精神鑑定。意見が異なり、その中でどれが正しいのかを決定する方法がない。なぜか。 ひとつの問題点は概念規定が不明確な点である。日常診療場面での流通性に重きが置かれるため、概念があいまいになる。あいまいなままで使うから、だんだん話がかみ合わなくなる。 もうひとつは、実験精神に乏しいことである。厳密に真実に迫ろうとする態度に欠けている。 実証主義的な態度がなければ、結局は家元制である。正しさの源泉は権威であることになる。科学の正しさの源泉は経験である。 2180 分裂病治療の際の薬剤調整は、陽性症状がないこと、充分な鎮静、情緒の安定などに置かれがちであるが、それはドーパミンレセプターを増やしてしまっている可能性がある。反治療的である。ドーパミンレセプターを減少させることが治療目標であると明確に意識すれば治療は変わる。ストレスコントロールと薬剤調整がタイミングよく進められる。したがって、定期処方などは一切消える。 2181 精神科医は気付いていると思うが、精神科医は患者の退避行動を促進している。不適応状態を固定化する役割を引き受けている。これはいいことだろうか? 2182 病的多飲水(PP:psychiatric polydipsia)に対してDemeclocycline(DMCTC)が有効であったとの報告。精神科治療学 12(8);943-948,1997 SIADHに伴う低ナトリウム血症の治療に抗ADH作用をもつDMCTCが一定の効果を有するとの報告がある。PPに対しても報告があり、追試した。PPを伴う慢性分裂病に投与し、体重減少、尿比重増加、臨床症状改善が見られた。 DMCTC:レダマイシン:塩酸デメチルクロルテトラサイクリン;demethychlortetracycline fydrochloride:一日300〜600mgを投与する。 demethychlortetracyclineはdemethylchlortetracyclineの誤植か? 2183 痴呆の鑑別 皮質性痴呆:認知機能障害そのものが著明 皮質下性痴呆:無関心・思考過程の緩徐さが前面に出ている 片麻痺や深部腱反射亢進などの錐体路徴候、感覚障害、運動失調、歩行障害:脳血管障害、脳内占拠性病変、水頭症 寡動、筋固縮、振戦、姿勢障害:錐体外路性変性疾患 パーキンソン症状と痴呆:進行性核上麻痺、corticobasal degeneration 痴呆と舞踏病:ハンチントン病 2184 精神科治療学 vol12,8,1997-8,pp983 「てんかん治療の覚書」久郷敏明 てんかん性格について 細川:環境がてんかん患者の性格を形成する 長畑:「てんかん患者の性格変化は、彼らの固有の性質ではなく、彼らに理解を示さない周囲に対する反応様式である」というWeizsaecker(1929)の記述を紹介。 正常知能のてんかん患児の行動障害:側頭葉焦点と薬物副作用。問題薬物はbarbituratesとbenzodiazepines。眠気、多動、興奮、易刺激性などが生じる。 慢性の葛藤状況が神経症の成因となる。ヒステリー性の疑似発作が多い。 精神症状を伴う場合、全体として抗てんかん薬は精神症状に悪影響を及ぼす。唯一の例外はcarbamazepineである。積極的な向精神作用がある。Valproic acid は精神症状にほとんど影響しない。 精神症状を伴う場合には、carbamazepineを主剤とする。barbituratesとbenzodiazepinesは投与すべきではない。これら薬物を中止することによって精神症状が改善することも多い。 2185 中井 慢性妄想型と破瓜型の妄想は異なる。 2186 精神病理学に大きく貢献した患者の予後はよくない。精神病理学的関心がつい治療的な限度を超えて、踏み込んだ質問をさせてしまうこともあるのではないか(中井) 2187 (中井) 医者は多くの間違いにもかかわらずどこか患者の治療を媒介するものである。 多くの間違いにもかかわらず、患者は治る。医者は自然回復力をできるだけ邪魔しないようにするのが基本だ。 2188 (中井) 若い人の発病で一番困るのは、その後には新しい体験が入ってこない、取り入れられないこと。発病の時までの手持ちの体験で未曾有の対応をしなければいけないんで、それで妄想なら妄想でも、それまでの知識を総動員して解釈していく。発病が早いのは不幸である。 2189 (中井) 入院のはじめの体験の重要さ 北條民雄「いのちの初夜」ハンセン病。(川端が、タイトルを変更しなさいとアドバイスして、こうなった?そんな記事を最近読んだように記憶するが?) 2190 サリヴァン:「バーバル・サイコセラピーというものはない。あるのはボーカル・サイコセラピーだけだ。つまり音声で治しているんだ。」 2191 (中井) きっかけがつかめるまで延ばすことの大切さ。 2192 痴呆の臨床診断 ・治療可能な痴呆 ・老年期合併症 ・感情・意欲障害や問題行動への薬物療法 ・メンタルケア ・介護方針の確立 ・適正な生活環境の選択・改善 2193 (大野) DSMで病因を想定した診断カテゴリーは、適応障害や外傷後ストレス障害などごく一部のものに限られる。大半は症状に基づいた分類を行うしかない。精神症状の形成メカニズムが明らかになってくれば、分類が大きく変わる可能性がある。 2194 分裂病型人格障害 分裂病型人格障害は、従来境界例と呼ばれていた症候群がDSM3で情緒不安定な群と分裂病類似の群に分けられたことを機に、後者の群をあらわすカテゴリーとしてつくられた。 (ということは、偽神経症性分裂病などと近いのだろう) 2195 似ているが区別 分裂病型人格障害……行動や思考の奇妙さ 分裂病質人格障害……対人関係に対する関心の欠如 回避性人格障害……他人からの評価への過敏性 2196 同じ遺伝的負因を持つ男性の表現型が、衝動的攻撃的な反社会的人格障害、女性の表現型が、情緒的不安定性を示す演技性人格障害ではないかと考えられている。 2197 演技性人格障害は、以前ヒステリー神経症と呼ばれていた転換性障害との関係が強い可能性が考えられたが、他の第一軸疾患と比較して必ずしも多くはないことがわかっている。 2198 境界例について、過去には偽神経症性分裂病、そして境界性人格障害、今では多重人格と呼ばれ、そして将来は注意欠陥障害と呼ばれるかもしれないとAllen Francesは述べている。 診断ラベルは診断者の立場と興味によって変わりうる。必ずしも疾患そのものと関係しているわけではない。 2199 人格障害のディメンジョン分類(SilverとDavis) (1)認知/知覚構造(精神分裂病および分裂病型人格障害) (2)衝動性/攻撃性(衝動性障害、境界性および反社会性障害) (3)感情の不安定性(大感情障害、境界性および演技性人格障害) (4)不安/制止(不安障害および回避性人格障害) 最近は感情調節と衝動制御を同一次元で考えられるとして、三次元で考えている(Silver)。 A群 分裂病型人格障害は認知過程に精神病類似の障害が存在していると考えられる。眼球運動や注意の障害に反映される。ドーパミン代謝産物HMVの異常も共通している。 B群 境界性人格障害や演技性人格障害は、セロトニン神経系に由来する攻撃性や、ノルアドレナリン神経系に由来する感情の不安定性が存在していると想定される。気分障害との関連が論じられている。 C群 回避性人格障害や強迫性人格障害は、第一軸の不安障害と関係している。 つまり、A群は分裂病、B群はうつ病、C群は不安障害と密接であると論じている。 2200 大江などがいう芸術分野での「異化作用」を相貌化作用と言い換えて論じることができるだろう。 文学と妄想と精神病を論じることができる。 なぜ人は相貌化を求めるのか?そして時に過剰相貌化に陥るのか? 新たな相貌化が結実するとき、芸術と呼ぶ。 相貌化に至るには受動的なだけでは不足である。精神の能動的な参加がなければ達成されない。いままでばらばらに無関係に存在していたものやことが、突然関係づけられた一体のものとして浮かび上がる。それが相貌化である。ただの壁のシミが、明確なメッセージとして浮かび上がる瞬間である。 そうした作用は妄想形成作用と同じである。 妄想との違いは、そのようにして形成された「相貌」「関係付け」を再度点検することができるかどうかである。自己点検できないとき、妄想は現実として確定する。自己点検できれば、妄想は間違いとして却下される。「現実との照合作用」の欠如が問題である。妄想生成作用はむしろ必要なものである。 これがなければ人は昨日と同じことを反復する分子機械に過ぎない。(もちろん、これがあっても、人は分子機械に過ぎないけれど。) 2201 人間の精神の進化史を考えることができる。 (1)脳は自然をよりよく写し取る方向に進化した。しかしその過程には行き過ぎがある。ほんの少しだけ現実を「写しすぎる」、つまり逸脱がある。しかしその多様な逸脱の中に自然を正確に写し取り、人間の生存可能性を高める方向が含まれていることがある。そうした試行錯誤の結果として現在の人間の精神がある。 人間の精神が多少ではあっても妄想の領域に「にじみ出している」のは理由のあることだ。そこで試行錯誤が行われている。 そうしたファンタジーが集団として共有されるとき、文化になったり、宗教になったり、ときに国家になったりする。 (2)自然を写し取っていると表現するのは不十分で、性格には人間の生きる環境である。その中には自然そのものもあれば、人間が作ったものもある。人間が作ったものは、制度、慣習、文化、そうしたソフトなものから、都市、建物、そうしたハードなものもある。人間がつくり出したものであっても、次世代の人間にとってみれば、「あらかじめ与えられたもの」であり、それにうまく適応することが人の課題となる。単純に「変化しない自然」に適応するのではなく、自分達が作りだし時間につれて「変化する文化」に適応するのであるから、複雑である。 2202 Costa and MaCraeのパーソナリティの五因子モデル(NEO性格質問紙)(大野の紹介) 神経質 Neuroticism 外向性 Extraversion 開拓性 Openness 愛想の良さ Agreeableness 誠実さ Conscientiousness 「神経質」は、過敏で気持ちが動揺しやすく、ストレスを感じやすく、すぐに緊張し、罪悪感、怒り、悲しみなどの気持ちを感じやすく、自分の存在感に疑問を感じる傾向。 「外向性」は、外向的で社交的、活動的で、仕事にも勉強にも熱中し、一人でいるのが嫌いでできるだけ人の中にいようとする傾向。(循環気質のなかの一面であろう) 「開拓性」は、いろいろな面に興味を持って積極的に行動し、何をするにも自分なりの新しい方法を試してみようとする傾向。 「愛想の良さ」は、人と摩擦を起こすのが苦手で、他の人と調子をあわせて仲良く付き合っていきたいとする傾向。(ACと同じ。) 「誠実さ」は、几帳面で誠実で、高い目標を持って、一つ一つその目標を達成していこうとする傾向。 臨床場面で 「神経質」は一般的な適応力の予測に。 「外向性」「開拓性」は職場での適応力の予測。 「神経質」傾向が弱く、「外向性」傾向が強い場合は、心理的健康感に強い影響を与える自己価値が高まる。 「神経質」傾向が強いと、不安や抑うつを感じやすい。「神経質」傾向があまり認められない患者に強い不安や抑うつが現れた場合には、急性の精神障害を疑う。 「愛想の良さ」が低いと治療協力が得られにくい。 「誠実さ」が低いと動機づけはあるものの、自分から積極的に治療に取り組むエネルギーが欠けている。 精神療法の適応 「開拓性」が高い場合、夢分析やゲシュタルト療法がいい。 「開拓性」と「外向性」が低いときは内省的治療法、「外向性」が高いときは集団療法が有効。 心身医学領域で 「愛想の良さ」が低いと、敵対的な怒り、皮肉な態度や冷淡な態度が強くなり、冠状動脈疾患の発症が予測される。 この場合、「愛想の良さ」の性格因子が修正可能な程度ならば、性格変化を促進するアプローチを、修正不可能な程度ならば、血圧管理などの身体的治療が望ましい。 2203 Cloninger,C.R.の七因子モデル まず新奇性追求、損害回避、報酬依存の三軸からなるモデルを提唱した。 ・新奇性追求……脳の賦活系、つまり中脳から前脳へと放射されるドーパミン経路に基礎を持つ行動系。一方の極に興奮しやすく衝動的な行動。他方の極には禁欲的で融通性のない行動が位置する。細分化すると、 1)興奮を求める傾向(その逆はストイックで禁欲的な傾向) 2)衝動的傾向(逆は熟考する傾向) 3)浪費傾向(逆は節約傾向) 4)秩序を重んじる傾向 ・損害回避……脳の抑制系、つまり脳幹からのセロトニン放射系等を基礎にした行動系で、一方の極には抑制的で警戒的な行動が、他方の極には自信過剰で向こう見ずな行動が位置する。細分化すると、 1)将来について心配し悲観的になる傾向(逆は楽観主義) 2)不確実性に対する恐怖 3)見知らぬ人に対して臆病になること 4)疲れやすさ ・報酬依存……懲罰を避け、報酬を求める行動系、つまり橋から上昇し視床下部や辺縁系へと放射するノルエピネフリン系に基礎を持つ行動系。学習とも密接な関係を持っている。一方の極に感情的で野心的な行動が、他方の極に現実的で冷淡で頑固な行動が位置する。細分化すると、 1)情緒性 2)愛着 3)依存 そして新奇性追求、損害回避、報酬依存の三つのディメンジョンは、お互いに影響しあい、次のような行動特徴へとつながっていく。 1)衝動的・攻撃的ー柔軟性を欠いて気長 2)陽気ー陰気 3)用心深く権威的ー楽観的で自由 4)自己愛的ー自己犠牲的 5)受身的・回避的ー反抗的 6)大胆で騙されやすいー臆病で距離をとる 現在は彼は次の七因子で性格傾向を表現することを提唱している。 四因子は気質temperamentで、三因子は性格characterである。 気質は生物学的、遺伝的な要因が強く関与しているもので、視覚的空間的な情報と感情とによって構成されている無意識的な体験によって構成される。新奇性追求、損害回避、報酬依存、固執の四因子である。 固執は無理をしないで自然に生活を送るか、必死にがんばるかのの二極で捉えられる傾向である。 性格は環境の影響が強いと考えられる特徴で、言葉やイメージとして記憶される概念的な情報の影響を受けて形成される。自己志向、協調、自己超越の三因子である。 自己志向は、自分が選んだ目標を達成するために、適切な行動を適切な形でコントロールしながら行動していく能力。人格障害と密接な関係。特徴は、 1)自己責任と他人を非難する傾向 2)目的指向性の有無 3)臨機応変、問題解決におけるスキルや自信の発達 4)自己受容 5)第二の天性の啓発 協調性は、他の人との協調性で、人格障害では低くなる。特徴は、 1)他の人をどの程度受け入れることができるか 2)共感性 3)協力 4)同情心 5)自分を捨てて人のためを思う傾向 自己超越性は祈りや瞑想に関係した精神状態で、 1)物質的理解を越えた精神世界に関心を持つ傾向 2)自分を忘れて何かに没頭する傾向 3)トランスパーソナルな体験を受け入れる態度 ドーパミンD4リセプターの遺伝子の多型性と新奇性追求傾向の関係、セロトニン・トランスポーターの遺伝子の多型性と神経質傾向の関係。 2204 神経症 人間の行動は、限られた行動パターンのセットから、状況に応じて選択して行動している。 つまり、@プールされた行動パターンのセットとA行動選択部分に分けられる。 神経症は主にAの部分の欠陥である。 ある意味ではフロイトの指摘するように、幼児体験を反復している。 しかしまた、どの場面でどのパターンを選択するかについては、成熟が見られる。 2205 Cloninger,C.R.の七因子モデル @新奇性追求……脳の賦活系、つまり中脳から前脳へと放射されるドーパミン経路に基礎を持つ行動系。一方の極に興奮しやすく衝動的な行動。他方の極には禁欲的で融通性のない行動が位置する。細分化すると、 1)興奮を求める傾向(その逆はストイックで禁欲的な傾向) 2)衝動的傾向(逆は熟考する傾向) 3)浪費傾向(逆は節約傾向) 4)秩序を重んじる傾向 A損害回避……脳の抑制系、つまり脳幹からのセロトニン放射系等を基礎にした行動系で、一方の極には抑制的で警戒的な行動が、他方の極には自信過剰で向こう見ずな行動が位置する。細分化すると、 1)将来について心配し悲観的になる傾向(逆は楽観主義) 2)不確実性に対する恐怖 3)見知らぬ人に対して臆病になること 4)疲れやすさ B報酬依存……懲罰を避け、報酬を求める行動系、つまり橋から上昇し視床下部や辺縁系へと放射するノルエピネフリン系に基礎を持つ行動系。学習とも密接な関係を持っている。一方の極に感情的で野心的な行動が、他方の極に現実的で冷淡で頑固な行動が位置する。細分化すると、 1)情緒性 2)愛着 3)依存 C固執は無理をしないで自然に生活を送るか、必死にがんばるかのの二極で捉えられる傾向である。 性格は環境の影響が強いと考えられる特徴で、言葉やイメージとして記憶される概念的な情報の影響を受けて形成される。自己志向、協調、自己超越の三因子である。 D自己志向は、自分が選んだ目標を達成するために、適切な行動を適切な形でコントロールしながら行動していく能力。人格障害と密接な関係。特徴は、 1)自己責任と他人を非難する傾向 2)目的指向性の有無 3)臨機応変、問題解決におけるスキルや自信の発達 4)自己受容 5)第二の天性の啓発 E協調性は、他の人との協調性で、人格障害では低くなる。特徴は、 1)他の人をどの程度受け入れることができるか 2)共感性 3)協力 4)同情心 5)自分を捨てて人のためを思う傾向 F自己超越性は祈りや瞑想に関係した精神状態で、 1)物質的理解を越えた精神世界に関心を持つ傾向 2)自分を忘れて何かに没頭する傾向 3)トランスパーソナルな体験を受け入れる態度 2206 SSTの診断の実際例 ・職場であいさつができない ○あいさつの言葉が頭の中にあるのに、うまく話せない→発信機能障害→リバーマン流発信練習 ○あいさつの言葉自体が頭に浮かばない、どんなあいさつが適当なのか状況判断ができない→処理機能障害、状況意味失認→SST独自の状況によらず使えるあいさつを工夫する ・昼休みに世間話ができない ○相手の言葉が頭に入ってこない→受診機能障害→落ちついいて注意を集中する訓練 ○何を話しているかだいたいは理解できるが、自分が何を言うか、何も思い浮かばない→処理機能異常→相手が何を言っているかちきんと理解できなくても会話が流れるような工夫 ○自分が何を言いたいか、言葉が頭の中にあるのに、うまく話せない→発信機能障害→リバーマン流発信練習 ・金を貸せと言われて断れなかった ○言葉が頭に浮かばない→処理機能障害→状況にかかわらず断れるような工夫 ○言葉があるのに言えない→発信機能障害→リバーマン流発信練習 など 2207 神経症について 神経症は不適切な行動パターンで現実に対処しようとするときにおこる不都合である。強迫、離人、パニックなど。こうした@特異的な行動パターンと、いわゆるA神経衰弱とを区別したい。あるいは(心的エネルギーの枯渇状態……神経衰弱の本質を軽うつ状態と考えてよいのかもしれない。) 精神病状態の時に特異的な行動パターンを出してしまうことがある。たとえば分裂病と強迫症状。一般に不適応状態の時にいろいろな行動パターンを試す。精神病状態は非常にはなはだしい不適応状態である。 パターンの出し方には個人の癖がある。 このように仮定すれば、「不適応→症状」であるから、症状をターゲットとして治療するのは間違いであることが分かる。「不適応」を治療すれば、症状は消える。 症状は結果であり、不適応が存在することのサインである。 アナフラニールはなぜ有効か?→うつがあるから。 強迫症状を呈する人は、根本的にうつ状態に傾きやすい人が多いのではないか?病前性格としてうつに親和性の高い人が強迫行動パターンを選択しやすいのではないか? 不適応→うつ→強迫パターン (→MAD理論とはまったく食い違うようだ。しかし、だからこそ、いろいろな成り立ちの強迫行動があると考えられて好都合である。) 2208 老人介護の市場規模は四兆円と見積もられる。 精神医療とは桁が違う。分裂病者社会的入院を中間施設で支えるとして、デイナイトケアで計算すると、10万人×30万円×12ヶ月=0.36兆円。 老人の約十分の一。 2209 依存症 酒が切れなくて困っている人。覚醒剤が切れなくて困る人。ギャンブルが切れなくて困る人。恋愛または性関係が切れなくて困る人。同質性がある。 2210 自己負担分が増えるということは、金の切れ目が命の切れ目であることを意味する。 2211 心豊かな老後とは何か。 2212 現代では ・障害を持つ人々に対する支援が、父権主義(パターナリズム)から消費者主義(コンシューマリズム)に移行しようとしている。 ・修正の医学から発達支援のリハビリテーションに医療の重点が移行している。 2213 疾病性とそれに罹患した人格構造を分けて考える。発症に対する反応、治療関係の結び方、障害の受け入れ方など、疾病性と人格傾向を分けて対応した方がよい。 この指摘は、当然であるが現在あまり重視されていない。医療技術として大切な視点である。 また精神科にとどまらず、人間を扱う場面では必ず役に立つ。患者の性格分析と、職員の側の性格分析をセットにして考えれば、実りは大きいのではないだろうか。 2214 魔術的思考から科学へ 科学が未発達な状況では、思考過程は魔術的であったり呪術的であったり、総括していえば前科学的なものであっても、最後の行動は科学として正しいという場合がある。 思考過程を仮説と表現すると、 仮説→行動 行動の検証は実際の効果によって測ることができる。たとえば狩りの場面でどれだけ獲物が捕れたか。またたとえば、どの症状の場合にどんな薬草が効くか。 行動を検証すれば、それは仮説の検証にもなる。 このようにして鍛えられた仮説の集積が科学である。ということは確実性が極めて高いとしても、やはり仮説である。 たとえば漢方の薬剤の選択の仕方(証)などは、なぜそのような証が選択され役立つのか合理的な理由がはっきりしないが、結局ある程度は有効であるということになっている。結果が仮説の有効性を実証していることになる。 では、他の証の体系を用いてはどうか?別の仮説の体系は可能であるか?そのようなことも興味がある。 「縁起を担ぐ」ということもこうしたことの延長にある。理由は分からないながら、何か縛られる感覚だろう。 魔術的思考自体は病気ではない。「空想産生機能」である。問題はそれを現実と照合して棄却する機能である。 2215 象徴的解釈の臨床的意味 たとえば両親の理不尽な言いつけをどうしても受け入れることができないとき、水を飲むことができなくなったとして、「(親の要求を)飲み込めない」と解釈する。言葉で拒絶するのではなく、身体を通じた言語として、「飲み込めない」と発信している。 荻野などが紹介していたと記憶する。こうしたことに何の意味があるか。 症状が象徴的な意味を発しているとは、昔の考えであるように思う。 しかしながら、患者に対して、治療者がそのような理解に達していることを伝えることには大いに意味があるだろう。こうした類の解釈は患者の心を傷つけることがないだろう。むしろ、治療者によく理解してもらっていると感じることができるだろう。 患者がこのような肯定の感情を持つためには、解釈はなるべく患者の常識に寄り添ったもので、しかし患者の常識よりはすこしだけ高級であるのがよい。このような解釈が提示されたとき、患者はもっともよく治療者と連帯を感じるだろう。 患者に理解できない解釈はこのような意味では役に立たないだろう。 現代の神経症病像は疾病利得のあることが容易に理解されるようなものが多いと思う。象徴的解釈などは必要ない場合が多いのではないか。これは時代のせいか、わたしの診察してきた患者の特性であるか。 2216 周囲の人間に理解されない苦しみが症状を生み出すとする指摘。 これはてんかん性格について指摘されたことであるが、それだけではない。分裂病の場合にも、発病した後に「病気を抱えて生きるための適応」を患者は探る。周囲の無理解にもかかわらず生き抜くためにはどうすればよいのかを探る。 そんな中で、「特有の性格」が形成される可能性は大いにあるだろう。 2217 「ひとつの場所で十年修行しなさい」という言い方について 人間はいろいろな経験をした方がいいに決まっている。アメリカではいろいろな場所でいろいろな仕事をいろいろな人としたことが積極的に評価されるともいわれる。なのに日本で「十年じっとしていなさい」などといわれるのは、これまでの社会のあり方と関連している。 人間の中身で評価するのではなく、組織にとって都合のよい人間かどうかということが評価される。そのような社会では十年もじっとしている人は、組織にとって安全であることが証明済みの人ということになるだろう。 つまりしきたりを墨守する性格が評価されている。それだけのことだ。 2218 ひとり暮らしの老人の暮らしをどうするか。身体と精神と。 2219 若くして前頭葉機能が衰えている人 「仕事一筋、趣味や生き甲斐がない、交友は苦手、運動もしない」タイプの人がボケることが多い。 ひょっとしたらこうしたタイプの人はすでに前頭葉機能が衰えてしまっているのではないか。長年親しんだ仕事だからできているだけ。主婦ならば長年親しんだ家事だからできているだけ。 変化を嫌い、変化を恐れる。創造的なことができない。新しい試みにわくわくすることがない。これは年をとらなくてもいくらでも見受けられることだ。 2220 前頭葉機能の衰えと改革派対保守派 コンピューターモニターに数字をランダムに表示する。9の後に0が出たら、ボタンを押すように指示する。こうしたContinuous Performance Testを実施すると、健常者と陰性症状を呈する慢性分裂病者とでは違いがある。反応時間の変動のようすを比較する。健常者は、たくさん正解を出すことと、間違えて押すことの間で、試行錯誤しながら作戦を少しずつ変える傾向がある。つまり判断基準を変化させながらテストに臨んでいる。一方、慢性分裂病者はそのような変動がなく、試験の最初から最後まで一貫していることが多い。 さて以上の結果は慢性分裂病者にだけあてはまるものでもないだろう。試行錯誤しながら最高の結果を求める。これが人間の前頭葉の働きである。少しずつ作戦を変えて最適解を求めることを嫌う人たちがいる。硬直化している。 世の中は前頭葉を働かせている人たちと、旧習を墨守する人たちとの綱引きである。 試しにやってみればいいではないか、たったそれだけのことが、とてつもない爆弾発言のように聞こえることがあるらしい。人間はさまざまである。 2221 強迫における魔術的思考 「偶然パッと思いつき、過剰にとらわれる思考、あとから考えるとまるで魔法にかかったかのように思われる。」と雑誌の解説にある。(こころの科学1997-9月号「強迫性障害の現在」) 魔術的思考とは、「外界を物理的にコントロールする魔術的な力がある思考」のことである。通常は考えただけでは外界は変化しないが、強迫症者の場合には自分の考えが外界に物理的な影響を及ぼすと考えることがある。この延長にサイコキネシスなどがあるのだろう。縁起を担ぐ、ジンクスを気にするなどはこうした例である。また、祈ることや儀式などもこの系列である。 行為と目的の間に合理的な因果関係がなく、前科学的な関連があるのみである。たとえば呪術的な関連があるのみである。 たとえば大漁の歌を歌えば大漁になると信じる場合。 2222 貴の花が優勝決定戦で二度、同部屋の力士に負けていること。負けたと考えてもいいが、優勝をプレゼントしたとも思える。 強い者はそんなこともできる。それが余裕である。 また、能力のあるものはそうすることによって、周囲のものを感服させることができる。いじめて屈服させるのではなく、そのようにして尊敬させることができる。それが高級な攻撃性の例である。攻撃性といっては誤解があるのであれば、そのような行為を通じて順位が決まる。それが人間としての格になる。 貴の花については「エディプスの光景」という話も展開できる。 2223 コンピューターソフトの使い方の本がベストセラー。精神病も痴呆も需要はあるはずだと思う。 絵を多用して、きれいにつくる。 分かりやすく役立つように。コンピューターの本の見事なグラフィック!時代はどんどん進んでいるのだ。精神関係の本がいまだに活字中心で、ときどき挿し絵というのは間違っているのではないか。分かりやすい図や表、模式図をどんどん開発する必要がある。それは自分の理解を深めることにもつながる。 2224 精神病について伝えたいこと ●実践的に ・どんな病気か(典型的な例、経過) ・どんなときに疑うか(受診すべき例、家族や部下の様子を見て、疑うべき時は?) ・どのようにして初診するか、どこを訪ねるか(説得が難しいとき、受診に抵抗感があるとき) ・治療はどうなるか(薬の話、精神療法の話、最近のストレスケアの動向) ●理論的に ・病気のからくりの議論(いくつかの理論) ・精神病を通してみた人間と社会(芸術、プレとトランスの錯誤) 2225 人の心に影がある。または陰。 そうした部分に目配りができるからこそ専門家である 2226 わたしの言葉を説明の言葉として充分に生かしたいなら、もっと丁寧なパラフレーズが必要である。自分では常識と思っていることも、読者には常識ではない。自分には自然な論理の流れも、読者にとっては飛躍である。 文章として力が出るのは、飛躍や省略が自在に現れているときだと思うが、それでは詩とはいえても、説明のためのよい文章とはいえない。 もっとやさしく書くことが大切。平易に。概念の説明を適切に入れる。論旨の展開を平明に。具体例を適切に入れる。 内容の水準を落とさずに分かりやすく説明することは、プロの仕事である。 2227 謙虚に反省してみる。わたしは黒宮先生を内心軽蔑している。自分とは違うのだと思って差別している。ひいてはわたしは黒宮さんとは別の処遇を受けるのがふさわしいと内心確信している。 彼は外見からして奇異である。話をすれば吃音がひどい。話の内容は深みがなく、大人が話すのではないような浅薄な言葉だけである。鈴木さんの顔色をうかがって子分を演じている。自我の内容が薄まって、何が彼なのか、ほとんど消えかかっているようである。黒宮の気分でなく、鈴木の気分が分かるのだ。 机の上には未整理のままいろいろなものが積まれている。 妻の実家の経営する精神病院に院長としてしばらく勤務したが追い出された。子供が三人いる。離婚はしていない。中村先生によれば、東京都内の病院に勤めていたときに鈴木さんと知り合った。その病院の勤務も、最初は何とかやっていたがそのうちに「机の上みたいに収拾がつかなくなり」辞めた、または辞めさせられた。「そのうち混乱がひどくなって辞めることになるでしょうとその病院の院長が話していましたよ」と中村さん。 確かに強迫系統の男性の持つ不潔な外貌、変な笑い声。マニックディフェンスと分析されるであろう笑い声。一見して分裂病の既往を予想させられる。あまりに幼い。そして鈴木さんに依存的である。これではいくら娘婿でも追い出されるだろう。しかし結婚した時点ではあまり問題は表面化していなかったので、結婚は成立して病院も任せたいという話になったのだろう。しかしその後おそらく再燃状態があり、問題が表面化して、病院からは去ってほしいということになったのだろう。複数の課題を抱えるとパンクするタイプなのだろうと想像する。 理屈抜きで気味が悪いのだ。近眼のせいか目つきが悪く、ときどき空笑のような表情がある。無論のことだが頭も悪い。浜松医大卒。現在は週末だけ静岡に帰る。それ以外は単身赴任で病院内の寮みたいな宿舎に住んでいる。話によればその部屋も大変な散らかりようだということだ。 将棋が好きで強いとか言っていた。机の上に将棋関係のダイレクトメールがのっていることがある。 いじめっ子がいじめたくなる気持ちはこんなものだろうか。差別と排除。生理的なレベルの嫌悪。いじめる側の気持ちとしてこのようなことを新聞で読んだような気がする。 このような人と同じ医師という目で見られるのはとても嫌なことだとずっと思っていた。生理的嫌悪といってもよい。悪しきエリート気分といってもよい。こんな汚い馬鹿と、しかも病気の医者とどうして同じなものか、ばかばかしい!と思っていた。いまもそう思っている。同僚と呼ばれるのも嫌だ。当直して彼が寝たベッドで寝るのも嫌だ。シーツは交換してあるとしても、である。 分裂病欠陥状態の人が黒宮さんと面接をする。一体何の意味があるのだろう。「こんな医者に診察されるようになったらもうおしまいだ。もっとまともな医者に診察してもらいたい」と思うのが普通であろう。 外来診察をしても、普通の患者ならばもう通院したくないと思うだろう。たとえばクリニックを開いたとしても客はつかないだろう。 こんなひどい病院だからこそ、黒宮さんも勤務していられるのである。患者は医者が嫌でも拒否できない。あるいは、嫌だという気持ちを持つことさえ剥奪されているような人たちが患者である。 わたしがこのような気持ちでいることを感じているならば黒宮さんも気分が悪いだろう。上に上げたようなことはどれも黒宮さんの属性ではあるが、彼の責任とはいいがたい。むしろ彼にしても、できるなら捨てたいと思っていることであろう。「治療してくれ」と思っているかもしれない。しかし現状ではどうしようもないことだ。 こうしたことは「分裂病者は周囲の人に嫌われる」ということの典型例である。病気だと分かっていても、なお、人は彼を嫌う。なぜかと考えて理由は分からない。嫌われなければ特に病気だとも言われないのであろう。ダウン症児は病気とは言われないですむ。愛情にみちた交流が可能であるから。分裂病者のようには嫌われない。何が嫌われる要素なのか。やはり他人の気持ちが分からないことであろう。人の気持ちが分からない人には嫌な思いもさせられる、それは当然のことだろう。 わたしは黒宮さんに対して治療的にも愛情的にもかかわっていなかった。排除の心だけであったと思う。それは生理的な嫌悪に起因していた。 この業界の専門家として勉強もし仕事もし、教育までしていながら、それでもなお彼をこのように処遇したのである。 謙虚に反省する。それは大事だ。しかしまた一方で、こうした反応は人間として根本的なもので、たとえば腱反射と同じくらい根源的な自動的な反応ではないかと思うところもある。人は蛇を恐れるように分裂病者を嫌うのである。そのような心の回路が人間にはある。生得的なものか、文化の中に埋め込まれたものか、おそらく両方の要素があると思うけれど。 こうしたことも非寛容の一種であろうか。一応の自覚はできたとしても、反応はとめられない。 むしろこのような反応が出ない場所に自分をおくことが大切なのだと思う。これ以上倫理的な過失を犯さずにすむようにしたと願うなら。 このような人に対してこのような反応を呈してしまうのはわたしとしては仕方のないことかもしれないのだ。美しい女性に対しては好感を持つ。それと同じくらい原始的な反応であると感じる。 黒宮さんを差別し嫌悪することは一般化して言えば、分裂病者が差別され嫌悪されるという問題である。これは難問なのだと実感できる。 たとえば心理の横井さんについて、「自分の病気を治してから来なさいよ」との意見がある。そのように嫌われるのである。 2228 分裂病の異種性 ・メジャーが効くという点では単一性がある。しかしこのことは原因の単一性を意味しているとは限らない。症状の共通性を意味しているだけかもしれない。 2229 分裂病で何が起こっているか? ・何が起こっているか分からないのは本当に不思議だ。 ・ドーパミン系の変動は原因かもしれないが結果かもしれない。メジャーはドーパミン系に作用しているとして、結果の部分を調整しているのかもしれないし、ドーパミン系を修復系と考えて、メジャーは生体の修復系を賦活していると考える人もいる。 ・脳に何かが起こっているとして、起こりうることはそれほど沢山はないように思うのだが。 2230 分裂病発症のリスクファクターが議論されている。しかし、発症しても、その後ディフェクト状態になるかどうかはまた別のリスクファクターがあるのではないかと疑われる。 再燃を反復しても、欠陥状態にいたらずにすむ条件があればよいと考えられる。 欠陥状態阻止因子の研究があってもよいのではないか? 2231 一卵性双生児でも、ゲノムが全く同一ではない場合がある。受精以後に双生児の一方に生じたゲノムの変化と考えられる。 2232 (岡崎祐士)分裂病を多因子遺伝が想定され、環境側のリスクファクターが神経発達と心理発達とに影響して、多段階的に発症にいたる疾患と考えている。 2233 (岡崎祐士)Crow(1996)はWHO多センター研究が世界的に分裂病の発生率は均一であることを示したと解釈し、分裂病の起源は優位大脳半球の言語システムの発生分化と同時期であるとした。 一方Murray(1996)は同研究のセンター間差異に注目し、分裂病が200年前の都市密集が進んだ頃から増加した疾患であり、そういう条件が消えつつある所では、減少している疾患でもあるとの見解を示した。 2234 インシュリン依存性糖尿病(IDDM)と慢性関節リュウマチ(RA)は分裂病罹患と負の相関を示す。 2235 (岡崎祐士) 人生早期の脳損傷部位が、成熟によって神経回路網に組み込まれる時期(青年後期から成人初期)になると、損傷による障害が露呈するという、分裂病の神経発達論的成因仮説(Weinberger,1987)が提唱された。 一方、汎成長不全、運動機能制御障害、覚醒異常(低または過覚醒)、注意・情報処理障害、分裂病質的行動(過緊張、自信欠乏、他者の批判に過敏、引きこもりなど)など、潜在する神経病理の弱められた表現が人生早期からすでに認められるとする仮説も提唱されている。 2236 移植医療のケアでの精神面のサポート。 ターミナルケア。 心のケアを考える限り、精神科医の働き場所はいろいろある。 2237 分裂病者の人生の意味。常識さえなく、妄想に支配され、精神病院で時間を送る人生は、何の意味があるのか? @その奥には無傷の魂がある。 Aどうせすべての人生は無意味で無価値である。分裂病者だからといって何の違いがあるわけでもない。 2238 他罰的で病識のない患者さんの処遇のむつかしさ 女子病棟の大神さん、37歳。主人と娘がいる。主人は仕事が忙しい、娘は母親と会うとそのあと気分がすぐれなくなるというわけで、あまり面会に来ない。できればいつまでも入院させておいてくれ、それがだめなら、死ぬまでおいてくれる病院を紹介してくれ、それもだめなら自分で探すから、紹介状だけは書いてくれ。そんな具合で、前主治医と看護とは主人を厳しく責めた。主人も態度を硬化させた。大神さんは自分が嫌われていることへの反省はなく、ただ主人と娘はひどいと言い続けている。主人は、一度離婚歴がある。二度目になると昇進は止まってしまうという。だから離婚はしないのだとのことだ。こうした状態でわたしの担当になった。 ・結局北風では前進しない。太陽になるしかない。 ・すぐなにがなんでも退院という方針は撤回する。そのかわり、月に一度は面会して、週に一度は電話、娘はなるべく連れてくることを約束してもらう。(この約束については結局、大神さんのほうが拡大解釈して、もっと来い、と命ずるような態度になった。はっきり言って自分勝手で、これでは嫌われてしまっても無理もないと思う。長くなれば主人も優しくばかりはしていられない。そんなことも考慮しないで自分のことを大切にしろとばかり言い立てるのだから、嫌われる。これは症状か性格か難しいが、こうしたら嫌われるということを理解できないから症状であろうと思う。嫌われることを承知の上で、自分としてはその方が好みだからというのなら、それは性格である。) ・時間をかけて、妥協点を探るしかない。 ・娘に遺伝している可能性は考慮する必要がある。娘が自分の発病について考えた場合、母親の処遇がそれほど悪くなければ、病気になっても私も母のようにみんなに優しくしてもらえるのだと安心できるだろう。逆に、母親の扱いがとても悪ければ、私もあのようになってしまうのかと絶望的になる。だから娘が可愛いなら、母親の扱い方も考えた方がよい。捨てておいたままでは娘の心の傷になるだろう。 ・職員は人間として患者にどのように接するのがよいか、主人に見本を提示することだ。モデルを提示して、このようなことが現実に可能であることを証明する。愛の力で貧しい心に勝つのである。こうしたことはすぐには果実として実らなくても、人の心のどこかで次第に大きく育つものではないか。 ・職員が怒って強硬に対するから、主人も自然と強硬になる。そういう相互性がある。職員の側でイニシアチブをとって、立派な態度を崩さないことが大切である。職員の側でミーティングを繰り返し、集団で支え合っていけば、無理なことではない。これを個人で支えようとするとかなり無理が生じるだろう。 2239 人が二本足で歩く限り、腰の障害発生は必然である。同様に、人が人である限り、妄想発生は必然である。知恵を発達させ、知識を増大させるには、空想を生成し、それを現実と照合しつつ取捨選択する必要がある。脳のレベルで適者生存と試行錯誤を実行している。 抗精神病薬で妄想を抑えることは、歩行でたとえれば二足歩行の人を四つ足に戻すことに等しい。 細かく言えば「空想産生の障害」ではなく、「現実照合の障害」である。したがって、空想産生を抑えるタイプの薬は病理そのものに効いてはいないのだ。 2240 能動性と現実感 作家として有名なオリバー・サックスがテレビで。嗜眠性脳炎で長い間寝ていた女性が、Lドーパ投与により急に元気になった。寝ていた間世間で何があったか、覚えてはいる。しかしそれが本当に起こったことという実感には乏しい。今がいつかも覚えているが実感を伴っていない。 こうしたことは寝たきりでいて能動性が剥奪されていることと関係があるのではないか。 2241 本の広告から 「心をいやし、命を支える」心の傷はどうすれば癒すことができるのか。 問いは存在するが、答えは難しい。それぞれの傷のレベルに応じて、それぞれの心の環境に応じて、ということだろう。 2242 食事を一緒にとるということは、家族だということだ。 2243 老人の場合も、役割が大事。社会に参加する手がかりである。 2244 テレビで。子供の強迫性障害が増加しつつあるという。なぜか。対策はどうするか。 2245 分裂病とは何か。 説明しようとして大変困る。みんな定義しようとして研究しているのである。病気の定義すらあいまいな病気など、本当に困ったものだ。リュウマチなどは長い間こうしたものであったが、現在では臨床的な症状の他に、免疫学的マーカーが手がかりになる。 実体がまずあって、原因を探すという段階にすら至らないのだ。何が実体であるか、それは定義の問題である。しかしそのためには原因が分からないと話が進まない。しかし原因を特定するためにも定義がはっきりしていないといけない。 定義がはっきりしていないと、疾患として雑多なものを含んでしまう。統計処理しても意味のある結果が出ない。 例えば、ダウン症を精神発達遅滞と大きく括ってしまっては、ダウン症特有の病理は検出できない。精神発達遅滞者の染色体にすべて異常があるわけではない。 ダウン症と限定できたことと、染色体異常の検出とは、表裏一体であったともいえる。 実体がどうなのか、確かにあるようで、しかしあやふやなようで。社会的にレッテルを貼ったものに過ぎないとの議論はやはり一考に値するのではないか。 たとえば、赤い色とは何か。 人間の習慣として定めたに過ぎない。 科学的測定により操作的に定義できるか。 2246 精神病と神経症 例えば対人恐怖があり、「あの人は本当はぼくに悪意は持っていないけれど、ぼくが敏感すぎて、恐くなってしまう。そんなはずはないと分かってはいるんです」というタイプは神経症レベル。 「あの人は本当にわたしに悪意を持っている」と確信しているのが精神病。 しかしこうした区別はあまり国際的ではない。 神経症は偉大だったフロイトの遺物である。 神経症は、病態レベルとして定義する方向と、病因として心因性であることを定義とする方向とがある。 架け橋として、防衛機制の議論がある。神経症的防衛機制は自身の心内現実をねじ曲げる。精神病的防衛機制は、外的現実をねじ曲げる。この区別はそのまま病態レベルに重なる。 しかし、心因性だから神経症性防衛機制を使うとはいえない。ここに確かな因果関係はないようだ。 どのような防衛機制を用いるかということは、結局、「袋に穴があいているかどうか」ということだろう。 科学的測定により操作的に定義できるか。 2247 例えば、心理学の本や心のメカニズムの本、癒しの本を本屋さんで十冊くらい買って読んでみるとする。 みんな同じようなことが書いてあることが分かるだろう。キリスト教徒仏教とイスラム教くらい違えば、みんないろいろだなと思うけれど、精神科や心理学はそんなに極端には違わない。特に一般の人向けに書かれたものはみな似ている。 つまり情報の重複があるだけである。正味の情報はそんなに多くはないのだ。 それなのに沢山の本。それは結局「語り口」の問題である。同じ歌が何度もいろいろなな歌手によって歌われているようなものだろう。 2248 急性病から慢性病へ。それにともなって治す人から支援する人へ。アドバイザー。そして患者中心の医療。 2249 書店で。こんなにも沢山の本。 「解剖学の時間」養老著→「精神医学の時間」としてあれこれ書ける。 精神科医とはどういう人間たちか。 精神科研修医はどんなものか? 精神科医療の実際はどうか? みんなが不思議に思っていること。 異常とは?わたしは異常?何が病気なの? 専門用語をナマに使うのではない解説。 なぜ精神科医になったのか?(自由意志の問題を深めたい) 妄想について。妄想は日常の我々とは無縁か?(そうではなくて、微妙に日常に「染み出して」いる。被愛妄想と恋愛妄想。現実と照合してチェック・却下する機能が問題。妄想産生は悪くない。チェック機能の障害が問題。) 鑑定。なぜ精神鑑定が分かれるのか。それは主観的な意見でしかないのか。 文学に描かれている精神病者は本物に近いのか?別物なのか? 人々の興味に寄り添うセンス。こんな風に話せば興味を持ってくれると分かっていることが大切である。 中心になる「オリジナルで説得力のある切り口」が大切。養老さんなどは「唯脳論」一本で押している。 そんな切り口が世間の人には新鮮で説得力があったのだ。 医学という切り口と、心理学という切り口がある。 精神病理を論じて現代を切る。社会批評におよぶ。これがひとつの典型的論点。 2250 なぜ精神科クリニックにも精神病院にも絶望したのか。 なぜ精神病者に絶望したのか。それは家族の絶望と共通するものがあるのではないか。 2251 人の欠点ばかりが目につき、人をほめられない人。これは自己嫌悪の人に多い。反対に他人に対して基本的に好意的態度を持っている人は、自己嫌悪が少ない。自己受容ができている。従って、まずあるがままの自分自身を受け入れることを学ぶ。自分で自分が気に入ること。 私の場合には、自己肯定も強いが同時に自己否定が強い。両方ともとても強い。自己肯定と自己否定は同居しうるのだ。 2252 宮大工の棟梁の話から精神療法やACの話。 木は、風に抗して立っているから、まっすぐ立っているように見えても、内側に「ねじれ」を宿している。そうした素性を見抜いて材木を使う。例えば、植えられた場所によってねじれが違うことを利用して、逆のねじれの木を組み合わせて使う。すると内在するねじれが打ち消しあって強い構造をつくる。 これは人間の心の場合にもいえる。 家庭状況や身体条件によるストレスがあって、それでも心理的にまっすぐに育つ人は、それだけ大きい歪みを内在させているといえるかもしれない。ストレスの大きさに応じて曲がってしまった方が、むしろ素直である。余計なものを内在させていないと考えられる。 だから、治療者の立場でいえば、生育の状況に応じて曲がった人は心理療法の必要もない。内部はまっすぐだからだ。風が吹いていたから、それに応じて曲がっただけである。一方、成育状況がつらいものであったにもかかわらず、立派に育った人は、それだけ「ねじれ」を内在させていると考えられる。こうした人の方が病気は深い。強い風にも曲がらないだけの生き方をしてきた。強い北からの風に抗してまっすぐ伸びるためには、内部で北に向かう力をかけなければならない。風の力と内部の力が拮抗してはじめて、まっすぐに育つ。結果としてはまっすぐであるが、内部の力学としては非常に片寄った力がかかっているのだ。それが内部の歪みとして蓄えられることになる。 そうした人を北風のない場所におくと、どうなるか。内部の歪みと拮抗するだけの外力がないから、次第に曲がってゆくのだ。このあたりを自動調整できる人はよい。しかし歪みが大きい場合には調整できないことがある。その人は北風があってはじめて安定するのだ。 こう考えると、まっすぐな木やまっすぐな人はつらい。 人間の場合には、自分の内部にそのような「ひずみ」があるのだと自覚できるだけでずいぶん違う生き方ができるようになる。何か訳の分からない力に翻弄されている無力な感じから抜け出ることができる。 人と人とを組み合わせることにも、こうした「内在するねじれ」を考慮したい。 ACの議論はこうしたことと似ている。親が親としての機能をうまく果たしていない家庭であるにもかかわらず、「いい子」として育つ。そのうちに「ひずみ」を内在化する。これは風に抗して立つ木と同じである。思春期に至り、「機能不全の親」がいなくなると急に不安になる。それは内部の力と拮抗するだけの北風が必要だからだ。そして自分が安定できる場所を求める。それはアルコール中毒の夫であったりする。そしてこのような内在する「ひずみ」は世代から世代へと引き継がれて行く。 精神科医はこうした内在する「ひずみ」を見立てる。今現在症状としてまた生き方として「曲がって」いても、大して問題ではないこともある。そのことがむしろまっすぐ生きているのだと判断される場合もある。逆に、いま症状としても問題はない、生き方としてもまっすぐであるという場合でも、内在する「ひずみ」は小さくない場合がある。それは客観的に確実に分かるものでもない。治療者によって見解が分かれるだろう。そのように微妙な判断である。 しかし宮大工の棟梁には木のひずみが見えるように、感度のよい精神科治療者には人の心の「ひずみ」が見えるのである。 治療者の感度のよさを検証する客観的な物差しはない。判定された患者たちはそうした判定を拒むことも多い。 まっすぐ生きている人たちはまっすぐ生きていることを肯定的に評価されたい人たちである。それなのに、「実は心に大きなひずみが内在している」といわれるのは気に入らない。気に入らないから事実を否認する。どこにも何の証拠もないから仕方がない。ただ、その人はそのまま生きようとすればますますひずみを大きくしてゆく。治療者から見れば自分達の無力を嘆くばかりである。 逆に、曲がってしまった人たちは、「可哀想だね、環境のせいだ」と言って慰めて欲しい人たちである。そんな人たちに、あなたはまっすぐだから心配いらないと言っても、受け入れない。大げさに心配してくれる人を求めているのである。 2253 IQの低い人は高い人に比べて、ストレスの高い世界を生きている。不安が大きい。 2254 どんな人を精神分裂病というか。 「プロイラーの4Aのような陰性症状が基本にあり、人生の中で最低一回、幻覚妄想状態を経験していること」こうした意見がある。実際的であり、なかなか味わいがある。 2255 現代科学への正しい批判がなされているか? 誤った批判は多い。たとえば要素還元主義であるという。代わりにホーリスティックに考えよという。しかしそれでどんな結果が産み出されるのか、結果で判定すれば全くの役立たずである。 しかし医学の領域では事情が違う。「信じていれば救われる」ことがある。主観的な確信が、内的な治癒力を引き出して、結果として病気が治ったり気持ちが軽くなったりする。これは現代科学が行き詰まっているからではない。患者が変なものを信じたがるからである。 科学は、そもそもスコラ哲学の伝統からの反省として考えられるべきだ。個人として本当に信じられるものは何かと問いつめる。経験である。反復して確認できる経験。その純粋なものを実験と呼ぶ。実験はどんな権威とも関係がない。カトリック教会が何といおうと関係ない。 華道ならば、何が美しいかについて、家元が決める。美の基準などはそれでもいい。自分が何を美しいと感じるかは自分で決めるという人もある。そうした人たちの場合、美とは個人的な経験である。なかには何が美しいかについて家元の意見を参考にして決めたいという人もある。そうした人たちの場合、美とは集団的な出来事である。しかしそれだけではない。「わたしとしてはこちらの方が美しいと思う。この確信は譲れない」と思っている場合に、やはり集団の合意を反復しているだけだという場合が多いのである。人間が集団で生きる生物であるという、脳の性格を反映している。 経験を基礎とした知識、特に実験という純化された経験を基礎として科学が成立している。 人間にとっての真実の源泉は三つある。経験と集団の常識と啓示と。純粋科学は純粋経験を基礎としている。何が美しいかについては、一部は脳の性質(女性の美、満月の美)、一部は集団の常識である(たとえば時代の美)。 科学はなぜ批判されるか。実際は的外れな批判でしかないだろう。八つ当たりである。批判する人の心理分析をした方がよいだろう。 現代社会の問題は科学の問題というよりは人間の心の問題、大抵は倫理の問題であろう。 まとまらず。1997年9月19日(金) 2256 本の企画 管理職必読。 部下の心を管理する。 管理職とは、心の管理職である。 2257 精神科医であることと詩人であることとの本質的な関連 精神病の内的体験は、本質的に「言語領域外」「常識外」の体験である。もし、そうした体験をズバリ表現する言葉があるならば、その体験は常識の圏内にあり、人々の共有されるものである。そうしたものは精神病という必要はない。精神的不調といっておけばよく、多くの言葉を費やすことなく他人に伝達可能な体験である。 精神病の事態というものは、本質的にこれまで個人的にも体験したことがなく、しかも共同体内で共有されたとは聞かされていない、つまり言語の中に組み込まれていない体験である。 患者と治療者が診察室で、患者の内部に起こっている体験について知ろうとすれば、また言語で明細化しようとすれば、それは常識の範囲内の言葉では不足になる。どうしても言葉の比喩的使用法に頼ることになり、さらには言葉の新しい意味の創造にもなる。 患者は自分の内部にしかない、普通の言葉ではぴったりと表現できない感じについて、これまで使ってきた言葉を組み合わせて、ときに意味のにじみを利用して、ときにまったく新しい意味の側面を創作しながら、語るのである。 それは本質的に詩人の営みであり、詩を読む営みである。 これまで常識的な言葉ではぴったりと言いあらわすことのできないことを、工夫して表現する。精神科の診察室ではそのようなことが行われている。それは詩の営みと同じである。 たとえば特定の領域で隠語が発達する場合があり、それはその領域の人々の雰囲気によく寄り添っている。たとえば女子学生の用いる特有の流行語が面白がられる。そのときその言葉には特有の何かの「感じ」が付与されている。言葉に接するとき、その特有の雰囲気、その言葉からにじみ出る何か、その言葉でなくては伝達できない何か、それを感じとる感性が精神科の治療者には要求される。 精神科患者はしばしば「自分は本当には理解されていない」と絶望的になる。精神科患者の一番の苦しみは、他人に理解されない苦しみである。 したがって、精神科治療者が「言葉の体系にとって前代未聞の体験」をどのようにして理解できるかが重要である。 よく耳を傾けて、こちらの常識を押しつけず、言葉の「創造的使用法」の裏にある内的体験を探り当てる態度が必要である。 たとえば、「変な声が聞こえてきてつらいんです」と語る場合、「聞こえてくる」という意味の内容は、通常の「聞こえる」とは似ているがやや違うことである。他の患者の「聞こえてくる」体験と同じかどうかを比べることも難しい。ただお互いの言葉を通して推定できるだけである。その場合、語る側も、聞く側も、言葉の創造的な使用、つまり詩の言葉を語り、聞いているわけである。 2258 よいマネージャーであるために 部下に休養のタイミングをアドバイスできるようになること。 2259 人間は他の動物と違い、生まれた時に脳が完成していない。いわば開いた輪である。牛や馬などは、生まれてからすぐに近くにいるものを母親と認識して真似をする。その程度で輪は閉じる。完成である。 ところが人間の場合にはその後もたくさんのことを学び続ける。 ということはつまり、人間の場合には脳の生育と完成にあたって、環境の影響がとても大きいということになる。 木は、北風が強く吹いていれば、それに抗してまっすぐに伸びようとする。しかし、なかには自分自身のねじれと北風によるねじれとが打ち消しあわないで、非常に極端にねじ曲がってしまう場合がある。それが例えば反社会性人格障害である。 @北風+自身のねじれ=まっすぐ これは打ち消しあっている。 A北風+自身のねじれ=ひどく曲がっている これはマイナス同士で大きなマイナスをつくっている。 最終的な産物(表現型)は異なるが、内在するねじれの大きさは同じである。 Bたとえば内在するねじれが小さい場合、北風の影響はそのまま素直にあらわれて、北風の強さに応じて木は曲がって育つ。     外見      内在するねじれ @まっすぐ 大きい ……難しい人生を生きている Aひどい曲がり 大きい ……たとえば神戸殺人少年 B曲がり 小さい ……よくある非行少年 Cまっすぐ         小さい ……普通の良い子 Bは単に環境のままに育っただけである。病理は深くない。 @とAは同じくらい病理が深いが、外見はまったく違う。 知能とは、環境にもかかわらず自分の好む方向に伸びる力である。知能が低い場合には環境の奴隷になる。 神戸の少年が問題だというのなら、@タイプの人間も、同様に問題である。同じくらいのねじれを宿している。神戸少年の場合には、たまたま風の向きとねじれの向きが同じ方向を向いてしまった。 @は立派だがねじれが大きい。Bのほうがむしろ、問題は少ない。主観的にいえば、苦しみが少ない。@で、苦しみの自覚も少ないという人は、苦しみを抑圧している。そんな人たちは心身症の形で体が悩んでみたりする。 2260 セルフ・アイデンティティ いろいろな下位のアイデンティティが蓄えられているが、どんな場面でどんなアイデンティティを発揮するかをコントロールしているのが、セルフ・アイデンティティである。 これは現実場面にどのように適応するかということであり、神経症の発生と関連している。 ここがうまくいかないと適応障害になる。 2261 治療者として、精神科医と詩人がひとりの人間のなかで統合されていることの大切さ。 これは、科学と文学、体と心、客観と主観、普遍と個別、こうしたものの統合を意味している。精神科の診察室とは、こうしたものの統合の場所である。 患者の話を聞いていて、一方では客観的に診断をしている。そのような知識の体系がある。診断と治療の経験が科学として蓄積されている。 しかし一方では患者の主観に寄り添い、患者のこころの内部にあるイメージシステムをつかもうとしている。これは個別の領域である。 例えば、「海」という言葉にしても、治療者の心にある海では当然いけない。物理的な海を想像するだけでもいけない(人間である限り不可能であろうけれど)。患者の心にある「海」をつかまなければならない。それは容易ではない。しかしそのような作業が積み重ねられて、その患者の心の中のキーワードの輪郭・色・香りが理解されてくるようになると、「治療関係が深まる」ということになる。しかしそんなことは通常不可能に近いではないか? 自分の配偶者について、子供について、その人の内的なイメージシステムをどの程度知っているかと考えてみれば、難事であることが理解される。 普遍と個別は、容器と内容物の違いといってもよい。 治療者は、話を聞いて、態度を観察し、雰囲気を察知しながら、精神の構造がどうなっているのかを知ろうとする。これは科学であり、普遍である。多くの症例に共通するものとして抽出できる。構造の歪みである。容器の穴である。 一方で、語られている内容については、詩人のように接している。個人の内部にあるイメージシステムをもとに、この世界がどのように体験されているか、知ろうとする。 患者にすれば、患者に固有の部分をすべてを病気のせいとされるのは、納得できないはずだ。平均とのずれがすべて病気であるはずはない。 曰くいいがたいものをいかにして伝えられるか、その作業は人間を困惑させる。その困惑を、患者と詩人は共有している。創造的な一回限りの言葉の使い方になる。表現の言葉がないものを、いかにして伝えるか。そうした困難な作業を診察室で試みている。 たいていは、「一所懸命聞いてもらったから、それだけでもよかった」と優しいことをいってくれる。ほんとうはそれではいけないのだから、目標はもっと高く持っているつもりだ。 (風呂場で考えていた言葉が、今はもう消えている。もっとくっきりしたことを考えているつもりであったのに。) (風呂のなかで考えていることは夢のようなものかもしれない。一次過程が活 発に動いている。湯上がりには二次過程になる。それで言葉が違ってしまう。そうか?) 病気になっている部分と、病気を苦しんでいる部分とがある。病気に対しては科学でよい。病気を苦しんでいる部分に対しては、その苦しみを和らげたい。これは身体病でも同じである。 精神病患者の場合には苦しみの一部は「理解されないこと」に由来している。なぜ理解されないか。それは精神病者の体験は、人々の共有する常識外の事態、つまり言葉の使用法の圏外の事態だからだ。そうしたことを分かり合う方法は何か。ひとつは絵画などの言語以外のチャンネルを用いること。もうひとつは言葉の創造的な拡張しようである。後者が詩の営みである。 一般に、例えば「海」という言葉が発せられたときに、その発言した人の内部に何があったのか、注意深く感じてみたいと思ったとき、詩の世界である。 言葉を南極の氷にたとえる。見えるのは地上の部分だけ、見えない部分がその何倍もある。同じように、言葉はその人の体験の一部でしかなく、伝達のきっかけでしかなく、最大公約数でしかなく、しかたなく用いている記号に過ぎない。 知覚経験とは、外界の実体を、人間の五感で知覚して、それを脳の内部で統合しているに過ぎない。統合の際に、概念や先入観を混入させる。 そのような体験の構造に沿って、理解を試みる。 人が人を理解するのはいかにして可能か。ロマンにあふれた営みである。一面では無謀である。 2262 中沢恒幸「急迫性障害の現在」 中沢(1990)は強迫病の手掌皮膚電位反射から、音刺激を繰り返しても反射数および振幅を減ずることなく(健康者は音刺激が繰り返されると慣れが生じ、反射数および振幅が減少する)、まったく慣れをきたさないこと、精神運動テストのタッピングでその反応時間、間隔、正確さが明らかに優れ、選択反応時間の延長(一瞬ためらい手を離さない、トランプカードを持つ手のごとく、離すとき時間を要する)が挙げられた。 脅迫者は、慣れをまったく生じない反応を呈し、タスクを与えられたときの正確な反応時間が特徴である。 ●「慣れを生じない」との観点。 2263 中沢恒幸「急迫性障害の現在」 (Hollander 1992) 強迫と衝動が前頭葉機能とセロトニン代謝(セロトニンは社会的従属性と関連している)の上で、たがいに変異体であることに注目した。 すなわち強迫はリスクを避け、予期不安があり、反芻することによって不安を和らげリスクを減らしている。これに属するものは心気症、醜形身体表現障害、摂食障害(人格障害を併発しないもの)、離人症、抜毛症、トゥーレット症状群(ママ)で、セロトニン代謝は増加し(セロトニン代謝産物である5-HIAAが髄液内で増加する)、前頭葉機能も亢進(セロトニン受容体数の増加)している(前頭葉機能亢進)。 これに対し衝動性は、危機回避が欠損し、むしろリスクを探索し、感情の制御がきかず行動に出て、不安も少ない。このタイプは怒りの衝動の代表である境界性人格障害BPDや、間欠的に衝動調節障害をきたす放火癖、盗癖、病的賭博、性倒錯などの反社会(非社会)性人格障害の逸脱者で、その行動に多少の心の痛みはあっても、快楽を選ぶ特徴がある。多くの薬物依存(アルコールをはじめ)もこの群に入り、衝動性によりセロトニン代謝が低下し、また前頭葉機能も減少している(前頭葉機能低下)。 一般に脳の器質的変化には強迫を伴うことが多い。 強迫スペクトルの図 (危機回避、損害逃避、予期不安、髄液5-HIAA増加、前頭葉機能亢進)=強迫極 強迫欲動(ママ) 心気症状 身体醜形疾患(ママ) 摂食障害 離人症 トゥーレット症状群 ーーーーーー 抜毛癖 薬物依存 病的賭博 性倒錯 境界性人格障害 反社会性人格障害 (危機探索、損害意識欠如、予期不安小、髄液5-HIAA減少、前頭葉機能低下)=衝動極 セロトニン=心の抑制系 強迫性と衝動性のスイッチ機構は大きなテーマである。 Modell,J.G.,1989の強迫生理学。 2264 中沢恒幸「急迫性障害の現在」 人体で最古のレセプターは原始G蛋白共役セロトニン受容体。7億年以上の歴史を持ち、酵母からプラナリアが分化したとき形成された(?ママ)。以来分化を重ね、現在30数種の亜型を持ち、ドパミン、ムスカリン、エピネフリン受容体なども派生させた。だがセロトニン系は末梢臓器では後発のアセチルコリン系やエピネフリン系に主役を奪われ、生体防御機構としては過去の遺物に過ぎないと考えられてきた。 普段セロトニンは何をやっているのか、まったく分かっていない。 普段は沈黙していて、後輩伝達系が暴走をはじめるや表に立ち現れて、それを抑えるかのごとくである。セロトニン=心の抑制系らしい。 2265 中沢恒幸「急迫性障害の現在」 治療。強迫は治りきると考えてはいけない。むしろ治してはいけない部分があるし、そこに手をつけることは強迫人の歴史を破壊することにもなる。国際強迫障害協議会のパンフレット。 @患者を責めない。 A勇気づけ援助する。放置せず行動を強化する。 B患者にこちらで行動して見せ、痛みに気付かせる。(ママ。どんな意味か?) C患者と健康な関係を保つ。 患者は孤独である。それに対して、 @精神病ではない。恥ずかしがることでもない。 A君だけではない。20人に1人は強迫症。 B治療者とのオープンな関係。 C薬が効く。 Dなるべく外に出る。自由に行動する。 2266 先日テレビで評論家が言う。痴呆老人を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶのは、その人たちの人格を認めていない態度だ。その人たちは立派な社会人だったのだから、人格の尊厳を尊重して、きちんとした名前で呼ぶべきだ。 確かにそうでしょう。そして、そんなことを言えば評論家としては仕事にはなるでしょう。でも、そんなことで何がどうなるというのだろうか。 そんなことを言っていい気になっていられるのは評論家だけだ。また、そのような発言はマスコミから要求されていることでもある。 そんな意見があり、それは正論だろうと分かっている。しかし現場ではその通りにいかない何かがあるのだ。その何かを突き止めなければ意味がない。自分では現場の仕事をしていない人でなければ言えない言葉である。 そんなことがあってもいいけれど、何だか空しい。 痴呆病棟には元医者もいる。元婦長もいる。病棟でその人を「婦長さん」と呼ぶとき、「人間の尊厳のゆえに」その言葉が発せられているわけではない。 病棟で彼らが活動できることといったら、子供のようなことばかりである。大人にふさわしいことはもう何もできなくなっているのだ。集団生活という要因もあるだろうけれど、保育園の園児を扱っているのに似ている。しかも、彼らは園児ほどには可愛らしくない。 そんな状況が一年二年と続いたときに、どのようにして「人間の尊厳」という観念を保持したままで介護することができるか。難しいことだ。介護職の人が特別なのではない。普通の人たちだと思う。病院の仕組みが特に悪いわけでもないだろう。何かしら、必然的にそのような状況に落ち込んで行く要因があるのだ。 そのことを問題にして明らかにしてくれるのが評論家ではないか。 2267 子供の心が分からない どう教育していいのか分からない こうしたことの背景に、子供が生きている文化と、親が生きている文化とが、分離していることがあげられる。 子供は家庭や親も属する地域文化に属してはいない。 昔はそうではなかった。子供が成長するとは、親の属している文化を取り込むことであった。 子供は親とは違う文化のなかで育ち、別の価値規範を学んでゆく。 こうした観点からは、親が子供と心が通わないという状態も無理はない。 しかし一方、極端な性格や時に犯罪に至るような暴走、衝動性、こうしたものがどうして生じてしまうのか、それに対してどのような対策があるのか、答えが見えない状況である。 衝動性について、ちとえばセロトニン抑制系の弱さと言ってしまうのはどうだろうか?そのように割り切れるとも思えない。 2268 「幻聴が聞こえる」と患者がいう。この場合の「聞こえる」という言葉がすでに比喩的な意味である。「聞こえるというのに似ている何か」である。このように比喩的な用法が多い。言葉の正確な意味からは少しずつずれている。 2269 説明の文章について。 話しかける雰囲気。手紙を書いている雰囲気。患者に対するパンフレットのつもりで。 です・ます体。 「あなた」などの呼びかけ。 例を多用。 疑問、呼びかけ、話しかけ。 構造を明確に。 ひとつの文でひとつの主張。 頭でまとめ、最後でまとめる。 岩波新書の雰囲気。 2270 精神医学と詩 シニフィアン(記号)とシニフィエ(内容) 記号と内容の結合が社会のなかでの常識の結合の仕方をしている。それが通常である。しかし精神病者の場合には体験内容に対応する記号が欠けている。そこで、記号と内容の独自の結合を創造する。そうすることによってのみ、表現可能となる。しかしその記号は社会に流通するだけの普遍性を持たない。 そうした場面で、治療者は記号と内容の独自な結合を「読み解く」よう試みる。 それが深い意味での「受容」である。 2271 「こころのパトロジー」D松本雅彦 クレッチマーによる、ヘレーネ・レンナー症例。精神分裂病とは異質な、ある程度了解可能な病態として敏感関係妄想という診断名が与えられている。どのような気質(性格)の人が、どのような環境のもとで生活を送り、その中でどのような出来事に出会って妄想を抱くようになるのかという、患者の生活史全体のなかでこころの病をとらえようとする視点が鮮明に打ち出されている。 私という人間の考え方、生き方が環境の構成(たとえば職場の雰囲気)に関与していないはずはないし、一方、環境の方も、私の生き方、考え方に影響を及ぼしていないはずはない。この相互影響の持続の中に、今の私はある。私と環境とは、いつもすでに循環的、円環的な相互作用のうちにある。私が先(=原因)か、環境が先か、という因果論的な問題の立て方はできない。私という人間と私が今いる環境とは不可分で一体なのだ。 こころの病を原因、誘因と名指すことのできる出来事から生じた結果だとみる、そのような因果関係でとらえることを阻むものがある。だからこそ私たちは発病「状況」という言い方しかできない。 ●ここのところは、「因果関係でとらえることを阻むものがあるのはなぜか、原理的に不可能なのか」、そこまで論及したい。そうでなければ、単に科学として未発達だから、因果関係を辿ることができないだけだということになる。この程度の複雑さを扱う技法がまだ開発されていないだけだと断定されてしまうだろう。 @通常科学で用いるように、因果関係をたどる理解で原理的にはよい、ただし、複雑すぎて技術としては未完成である。 A因果関係をたどる科学的思考は原理的に精神科領域の説明には不十分である。 @とAのいずれであるのか、明確化する必要がある。 状況因という言い方は単に@の言い逃れであろう。ここに科学の原理的な限界があるなどという大げさな話ではない。 2272 精神病者の状況を一挙に全体的に把握することは不可能である。部分から理解をはじめ、何らかの仮説に立って見てみることが必要である。それを安永は「補助線を引く」という。 ●しかし理論はあくまで理論である。補助線を引いて得られる理解はあくまで一側面である。 2273 むかし流行した、トマス・クーンのパラダイムチェンジも、ゲシュタルト変換といってよい例である。 線画の立方体が出ているか凹んでいるか。 2274 「こころのパトロジー」@松本雅彦 実感を言葉にするのは難しい。人と人とが分かり合うためには、言葉によるしかないとされている。本当にそうなのか? 2275 妄想がなぜいつも被害的・迫害的なのか? 2276 「こころのパトロジー」松本雅彦 分裂病者の場合、自分の殻に閉じこもり、他者に助力を乞うことをしない。それでも彼らはどこかで救いを求めている。それを直接的な形で表明することができない。その直接的な表明を妨げているものがどこかにある、そう考えた方がいい。 2277 「こころのパトロジー」松本雅彦 →精神科医と詩人 ありのままに受けとめること。患者の波長に同調(チューニング)すること。 共感の欠如、「わかってもらえない」事態の連続は、患者をますます自分の殻の中に閉じ込めさせる。 「(自分の体験にはないが)もとそうであれば、しんどいことだろう」 既成の常識的規範で「おかしい」と判断されてきた患者にとって、その「おかしい」という判断以前のところで、実際に自分が実感している出来事を、そのままに受けとめようとしている治療者がいる、このような出会いがなんらかの「手応え」となるのではないか。自分のしんどさを分かってもらえた、少なくとも分かってもらえそうだという「感触」をもってもらうことにはならないか。 患者の言語化に「沿い」、その言語化を「誘う」。 病像をくまなく洗い出し診断を確かなものにしようとする作業は、患者が現在体験しつつある世界に沿って対話を進めてゆくという方向を歪めかねない。 診断学的枠にもとらわれない。 DSMによって初回面接が行われるとすれば、それは反治療的ですらある。 沈黙に治療者の方が耐えられない。 医療とは、個別の関係において成り立ちながら、客観性・公共性を求められる営みである。 個別性が客観性を失ってはならない。 サリヴァンの「関与しながらの観察」。 関与と観察、共感と冷徹なまなざし。この二面性、背理、矛盾。 2278 「こころのパトロジー」松本雅彦 薬の副作用に限らず、予告された事柄に対して、人はある程度それを受け入れることができる。 2279 「こころのパトロジー」松本雅彦 慢性化した患者が、独語を呟きながら、「声が聞こえる」と訴える事実は、セグラスやジャネ、村上(仁)によって観察されている。 妄想が外界の主観化subjectivationであるのに対比して、幻聴は、内界の客観化objectivation(=外在化)として位置づけられる。 コンラートは、妄想を外界のアポフェニー、幻覚を内界のアポフェニーと名付けた。 声は、聞こえているのではなく、「意味」を声のように「聴いている」。聴覚としての感覚性は希薄であり、むしろ意味の方こそが濃厚である。 覚醒剤中毒者の場合、感覚性が高く、生々しく聞こえるらしい。「声」の発生源を求めて、探し回ったりする。声の発生源が自分の外にあると確信しているからであろう。分裂病者は声の発生源を外に求めることは少ない。自分の内部の声だと知っているからだろう。 ●「声が聞こえる」という表現自体が比喩である。 2280 「こころのパトロジー」松本雅彦 →精神科医と詩人 分裂病の発症は当人にもとらえがたい出来事として出現してくる。しかし、その出来事を意味として言語として、とらえなければ、彼らは永遠に「無意味」「不気味」な世界をさまよわなければならない。「何か」としか表現できない変化を言語に置き換えるという試みをしなければならない。 妄想や幻覚と呼ばれる「症状」も、病者自身己に出来した事態に意味と言語とを付与しようとする点において、「創造」と呼ばれてよい営みだということができる。 ●「言葉で共有できない事態」を言葉で語ることができず、症状で表現している場合がないだろうか。そのようにして伝達している。 2281 精神科医と詩人 行動化や症状化ではなく、言語化して悩む方向に導く。これは詩人の営みである。 また、行動や症状が伝えているものを読みとる。これは詩の営みである。 2282 マザー・テレサの映画 隣人を愛する。しかし精神病者の場合、そうした尊い心を枯れさせる何かがあるのではないか。そこを解決しなければ、現状は改善されないのではないか。 精神科医療は、何かもう一つ足りないように思う。 世間の人や家族が愛想を尽かして嫌う。そんな人たちを職員たちが愛せるだろうか?自然な気持ちとしては難しい。どうしても愛しなさいといっても、無理をすることになる。しかも精神病者は集団である。ときに薬物中毒がいたり、暴力団の人がいたり、さまざまである。 そうした状況で、「仕事だから割り切って、必要なことをやるだけです」となってしまう場合が多い。そして必要なことさえしなくなる。さらには人間として恥ずかしい状態になっていても、反省の機会もなく日々を過ごす。 それも責められない状況がある。「場末の」精神病院は実に困難な場所である。何が問題なのか、考える必要がある。 2283 坂野雄二「認知行動療法入門」 ○これならなんとかなるという見通しを持つことのできる人は、そうでない人に比べて、身体的に安定した状態でものごとに取り組むことができる。 ○認知によって、いやな体験が再びいやな体験となるかどうかが決定される。 ○外傷体験をもつことに意味があるのではなく、それをどう理解しているかに意味がある。 ○行動は、@言語的・主観的成分(恐いと思う)、A身体的・生理的反応成分(ドキドキする、冷や汗をかく)、B運動的反応成分(回避行動)、の三つの反応成分からなる。 ○伝統的な精神療法は、@をターゲットとする。伝統的な行動療法では、AとBをターゲットとする。 ○認知モデル……個人が世界をどう構造化しているか。行動異常あるいは病理的症状は、個人の生育史の中で形成された固定的なスキーマにしたがって判断された歪んだ思考様式によって引き起こされ、維持されている。 2284 軽度の意識障害があるとき、軽度の躁状態に似る。 体や心がとても疲れているとき、軽度の躁状態に似る。それは実は軽度の意識障害である。 都会の喧噪は、疲労の故の軽度の意識障害で、それが軽度の躁状態に見える。 そんなときには思考が次々に進展するということはなく、ただきれぎれの思考が散乱しているだけである。 2285 自由意志。 自由意志はない。こう書いて反論があれば、それは自由意志の意味内容を理解していないからだ。 ただ物質の決定論があるだけである。それによって世界のありさまを記述するには複雑すぎるから人間の手に負えないだけである。 自由意志はない。それを否定することは、つまりは霊魂の存在を仮定してくれということだろう。物質の法則以外の何かを仮定してくれということだ。 物質→意識 言葉など、五感からの入力が脳を操作する。それもすべて物質のレベルで記述できることだ。 2286 「心の豊かさ」の内容について 目を閉じて、そこに何が浮かんでいるか 多面的な見方 挫けない心・楽観的姿勢 余裕 時間を楽しむ姿勢 対人関係の質と量 自分の心をコントロールできること 現在の瞬間を相対化できること 思いやり 他人を大切にすること(愛) 目的意識 2287 「こころの辞典」通信 計画 ○目的 ・勉強の動機付け ・臨床の支えとなる連帯感 ・よいものを紹介しあい、感性を高めるきっかけをつくる ・「こころの辞典第二版」準備委員会の性格を持たせる ○内容 ・書籍と論文の紹介 ・学会報告 ・やさしい解説 ・職場と大学の動向報告 ・映画、絵画、音楽、文学などの紹介 ・声 ・質問箱 ・エッセイ、文学(小説、詩、短歌、俳句) ・写真、絵画 ・近況報告 ・症例検討会の紹介 ○しくみ ・月刊 ・会員に郵送。自分の切手代を各自負担する。 ・クローズドで運営。新規会員は紹介制。 ・会員が自由に原稿を書く。 ・会員の仲が悪くなりそうな内容は避ける。 ・患者のプライバシーは守る。 ・印刷、紙、コンピューターなどの費用に「こころの辞典」の売り上げ収入をあてる。 ○まず趣旨を説明して、アンケートで各人の希望をきく。 2288 内科と精神科を比較すると、精神科は教育界でいう「困難校」のようなものだ。精神科患者といっても、でも物わかりがよくてこぎれいな人たちと、世間からはみ出して、愛想を尽かされ、見捨てられ、ひねくれて、よい意味での自尊心を失った人たちとは、かなり様子が違う。後者を扱うのがいわば「困難校」である。 精神科が敬遠され、敷居が高いとされるのも、後者の患者群がいるからである。この人たちの本質的な問題は精神病というよりは、性格だろうという印象である。 人に嫌われて、ひねくれて、自尊心を失い、人を恨み、居直り、ずるくなり、さらに人に嫌われ、と悪循環が成立する。 2289 目標を見つける 前進する 人生は明快である 2290 愛国心 それは自動的に誰にでも獲得されるアイデンティティである。誰にでも自覚なしに努力なしに。この点で税金に似る。 国家が国家であることによって各個人に自動的に生じるアイデンティティ。一網打尽である。 個人は自動的に選ばれるのだ。主体的能動的なプロセスが欠けている。 2291 学習性無気力と精神病院 精神病院は学習性無気力を制度化している。バカ扱い、子供扱い、犯罪者扱い、半人前扱い。バカな看護婦からバカにされることほど学習性無気力形性に適した状況はないだろう。 2292 映画などで:主人公が生き延びるためなら、脇役は平気で命を落とす。戦いの「尊い」犠牲者である。尊いらしいが、実に簡単に死んでしまう。 「自分のためなら他人は死んでもしかたがない」という、実に人間的な感覚があらわれている。 2293 未曾有の体験を語る人の悩みと、それを聞く人の悩み 内容→記号(言葉) A→a B→b C→c AとBの中間のことを語るにはどうすればよいか?また、Dを語るにはどうすればよいか?(→言葉の意味の拡張的使用。) 例:「ライオンとトマトの中間くらいの苦しみ」 zと言葉で表現されているとき、どう解釈すればよいか?abcと並べていって、外挿する、つまり補助線を引いて推測する。(→補助線を引いて聞く。言語の拡張的使用の理解。) 2294 坂野雄二「認知行動療法入門」(こころの科学 連載) ○認知の中に、反応パターン(一時的)と反応スタイル(一貫して固定的)とを考える。 反応パターンとしては、「期待」「象徴的コーディング」「対処可能性」「セルフ・エフィカシー(自己効力感)」「自動思考」「原因帰属の型」などの認知変数がある。 反応スタイルとしては、「不合理な信念」「認知構造」「スキーマ」「自己敗北的認知的習慣」などの認知変数がある。従来の「病前性格」に該当する。 刺激と反応の間の媒介変数としての認知。 行動や情動、認知的反応をコントロールする「自己(セルフ)」の役割を重視し、セルフコントロールという観点から行動変容をとらえる。 行動を単に刺激と反応の接近や連合だけで説明するのではなく、予期や判断、思考や信念体系といった認知活動が行動の変容に及ぼす影響を重視し(認知的機能主義:バンデューラ)、認知が行動に影響を及ぼすと考える。 認知と行動の両者の変化を治療効果の評価対象とする。 ペシミストは健康状態が悪く成人病にかかりやすく、無気力で希望を失いやすく、簡単にあきらめる、その結果、能力以下の成績や業績しかあげられない。 肥満傾向の人は過去に対するネガティブな思考を強く持っている。 2295 精神科の現場で、職員のしている行動が、治療として効果的であるという客観的な裏付けが必要ではないか?伝統だから、上司にいわれたから、さらに極端には特に誰にも止められなかったからというだけで続けていることが多いのではないか。 そんなことを議論しようとすれば、結局は対人関係を円滑に維持できない性格とレッテルを貼られてしまう。 つまり、エビデンスに基づく治療の感覚がなく、議論に基づいて真実に至る習慣がない。 2296 人間は「過度の慢性ストレス」に対処できるようにつくられてはいない。さっさと逃げれば正解である。 2297 坂野雄二「認知行動療法入門」 バンデューラの社会的学習理論 人間の行動を決定する要因:先行要因、結果要因、認知要因。 これらが絡み合い、人と行動、環境という三者間の相互作用が形成されている。 ●論旨やや混乱?人と行動と環境? バンデューラは行動の先行要因としての「予期機能」を重視し、二つのタイプの予期を取り上げている。 @結果予期。ある行動がどのような結果を生み出すか。 A効力予期。ある結果を生み出すために必要な行動をどの程度うまく行うことができるかという予期。 自分がどの程度の効力予期を持っているかを認知したとき、その個人にはセルフ・エフィカシー(自己効力感)があるという。 ●つまり、「どのくらいやれそうか」ということ。 ●結果予期とか効力予期とか分けることの意味は?つまりは「自己の能力についての認知」であろう。自分はできると認知していれば当然結果も良い、それは暗示やトリックであっても、やはり結果はよい、そういうことだろう。 ○セルフ・エフィカシーを高めるには、 @成功体験 A他人の成功を観察する B暗示 C生理的な反応の変化を体験してみること(情動的喚起)【●これは不明瞭】 うつのときにはセルフ・エフィカシーが低くなる。 ●楽観的とか肯定的、積極的というのではなく、セルフ・エフィカシーとしてやや限定してみることで本質に迫っているのだろうか? ●平たくいえば、「自分にはできるという自信を持たせる」ということでしょう?それだけのことではないのか?それを概念を洗練・限定し、実験的に確認できる客観的なものにしようとしている点が偉い? ●プロ野球などでよくいわれていることだ。「ピッチャーには、勝つことが一番の薬だ」など。それを@〜Cに分けてみせた。 2298 坂野雄二「認知行動療法入門」 セリグマン「獲得された無気力(learned helplessness)」 無気力な状態に陥り、自分から何もしなくなるという行動の特徴は、電気ショックという苦痛刺激(外傷)そのものによって引き起こされるのではなく、「自分の行った反応が外傷をコントロールできない」ということを学習した(対処不可能感を獲得した)結果引き起こされたものだということが示唆される。 つまり、外傷をもつことよりも、それに有効に対処できないという経験が重要である。 回避することのできない苦痛刺激に曝されること、対処不可能性を学習することが、無気力の形性の重要な要因となっている。 精神力動的心理療法では外傷体験がどのような意味を持つかが議論された。しかし、「外傷」に相当するような体験をもったときに人が何を学んでいたのか、すなわち、「対処不可能感」を学習していたのかどうかを明らかにすることが大切である。 ●対処不可能な苦痛刺激にさらされるのが分裂病者である。症状に対処することに無気力になっても仕方がない面もある。それがさらに全般の無気力になっても仕方がない面がある。 ○原因帰属の話 内的原因ー外的原因の軸と安定(持続的)ー不安定(一時的)の軸で四分する。 無気力者は失敗の原因を内的・継続的原因に帰属させる。 やる気のある者は失敗を努力の不足(内的・一時的原因)に、成功を能力と努力(内的)に帰属させる。 ○再帰属法 原因帰属を変更させる。失敗を能力不足ではなく努力不足に原因すると考えさせる。 失敗の原因帰属の例(表)       持続的 一時的 内的 能力がない 努力不足 性格のせい 体調不良 外的 運命だ 仕事が難しかった 部長の指示が悪かった 2299 生活保護という制度の悪弊 頑張ればそれがお金で報われる。そのような制度を作る必要がある。現状では、仕事は何もしない方が得、仕事できないと認定してもらえば成功、そんな風潮である。 生活保護をもらって遊び歩き、たまにデイナイトケアで遊ぶ。そんな人生をつくってしまうのは罪ではないか。「仕事ができない病人のままでいること」が「彼らの仕事」になっている。 雨宮の例でも分かるように、生活保護を受けるためのノウハウも彼らは知っている。そんな人生の場を提供し、手助けをするのが社会の提供すべき福祉だとは思わない。 もっと彼ら本来の人生を開花させるような、そのような制度が必要である。 ここには微妙に人生観も反映されている。「可哀想な病人さんだから、わたしの子分にしてわたしが守ってあげたい」と考える流派の人たちも厳然と存在する。岩のように。厚くて巨大な壁である。 2300 臨床的知恵というものは、実際の場面に遭遇しないと出てこない。しかしまた、自分が主治医になっているときには症例検討会とは異なった雰囲気である。知恵が出やすいのは症例検討会である。クリエイティブな議論ができる。思いがけなくよい考えに行き着いたりする。 一人で考えるのと、大勢で考えるのとではまた異なる。大勢の知恵が次第に自分のものになる。 症例検討会こそが勉強の場である。 2301 互いに愛し合いなさいとの言葉は、互いに大切にし合いなさいという積極的な要請である。 それができないなら、せめて赦し合いなさいというのは消極的な要請である。赦すことならば、積極的に行動しなくてもよい。ただ消極的に、自分の怨みの気持ちを抑えればよいことだ。 2302 DSMについて 番号と名称があるが、名称を省いて考えれば、もっとみんなが納得できるのではないか。 これは何病だろうかと考えるからややこしい。そうではなくて、この状態はコード番号×××であるとすればすっきりしている。 そしてさらには、コンピューターでフローチャートをたどっていくと、自動的に番号が出てくる、そんなものになっていればもっとよい。重複診断についても間違いなく出てくる。 そのようなものを目指しているのだから、そのようなものにしてしまえばよい。 そして一方では、クリエイティブな診断カテゴリーを提案したり議論したりすればよい。 2303 (笠原)「新・精神科医のノート」 対人恐怖症に対して薬物療法を行ったあと、仕上げとして集団精神療法が望ましい。 また、外来分裂病と彼が名付ける軽症型分裂病の場合に、こうした若年者を対象としたデイケアがあるのが望ましい。 ●どちらもわたしがデイナイトケアで意図したものである。しかし困難であった。困難のひとつは、重症・長期の患者が混入し、その場の主役となったしまう傾向にあった。診療所では、重い病気の人がどうしても主役になり、その場の雰囲気を決めてしまうところがある。病気の軽い人は、重い人に気を使い気兼ねしてクリニックにいるから、結局はリラックスできない。結果的には「はやくアルバイトを始めよう」などと考えるようになる。そのように背中をプッシュするという点で機能していた。しかしそれは本来の意図ではなかった。 ●また同業者の理解も不足していた。主治医が別にいる場合、その医師がそうした「軽症者対象のデイナイトケア」についてどう理解しているかが大切である。患者に操作されてしまう医師がいた。また、「軽症者対象」ということは患者の選別ではないかとの批判を招く。それは背景に悪意をもっての批判もあっただろうし、純真な無理解によって発生した批判でもあっただろう。いずれにしても、同業者によく理解されないのでは仕事としてうまくいかない。 2304 患者の属する社会階層も考慮する必要があるだろう。どんな常識をもっているのかも考慮する必要がある。人はさまざまである。 もっとも、考慮するとはいっても、どうしようもないことも多いけれど。 2305 認知療法で、外傷体験の有無ではなく、外傷体験についての本人の認知の仕方が問題であるというとき、それはフロイトの「心的現実」と似ているだろうか? 2306 境界型人格障害や自己愛型人格障害 現代型未熟性格という。どのように未熟なのか。ひとつには衝動コントロールの点で未熟である。また、苦悩に対して内省ではなく、行動化を用いている。また、現実把握の点で歪みがある。 人格の成熟度をグラフにするとして、ヒステリー者は全般的な未熟である。境界型は部分的に成熟を示し、部分的に未熟を示す。そのような差異が認められるのではないか? WISC-Rにおいて学習障害児は折れ線型であり、MRは全般的に発達障害を呈するのと似ている。 2307 (笠原) スチューデント・アパシーという概念に不快感を示す人もあった。神経症として見るのは病理中心主義であるとして反発を隠さない精神科医もいた。過度の医学化(メディカリザシオン)に警戒的な動きもあった。 ●病気であるとレッテルを貼って安心するという精神科医のとりそうな戦略であるというわけだ。悪質な場合が確かにある。 ●しかしながら、病気の人の批判がじつは当たっていたという場合もある。病気だという診断は正しい。だからといって病気のせいで批判が正しくないとはいえない。批判は正しい場合がある。 2308 (笠原)サラリーマン・アパシーの復職について。 復職の時点で、彼らは完全に心理的問題を解決できたわけではない。「いかに生きるか」という難問への解答をひとまず先送りできるようになっただけである。「一応、会社をやめたいという、あの差し迫った気持ちからは距離ができた。会社員をつづけながら自分の本当にしたいことをもう一度ゆっくりさぐってみる」という。未解決のままで生きることができる、というのはもちろん一つの進歩ではある。 2309 (成田善弘の説、「強迫症の臨床研究」p.270) 強迫型パーソナリティでは、悪い自己をよい自己とするべく、強迫的努力が行われる。 自己愛型パーソナリティでは悪い自己がいとも簡単に否認される。 境界型パーソナリティではよい自己と悪い自己が人格解離し、容易に統合されない。 2310 タイトル「なぜあの子はいじめらるのか」で計画したらどうか? 2311 ポジティブ・メンタルヘルス これは大切なことである。病気に対する防波堤。しかしこれを「より健康」な心と考えるには、難しい。何がより健康な心なのかと言われれば難しい。 学生に対して、どんなときに精神の変調を疑い、専門家に相談すべきか、どのような治療ができるのか、そうした知識を学校教育の中で浸透させれば有意義であろう。 2312 心の豊かさ 豊かであるとは、自分のことを後回しにできることである。物質もたくさんあれば自分のことは後回しにして他人を先にできる。心も同じ。 2313 神谷美恵子の伝記をテレビで見る。 自分を押しつけない 愛される優しさ 受容 安らぎ 自然な態度で人に愛される 「自分が病んでみてはじめて、病んでいる人の仲間になれたような気がする」と記す。 ●要は、どんな経験でも、それをどのように主体的に自分の成長に用いるかということである。 2314 市橋の「エッセンス」の新版をつくる。→これを「こころの辞典」新聞の目的とする。 2315 地域精神医療と職場精神医療はセットにして考えるべきだ。 2316 演繹(理性主義、先験主義)と帰納(経験主義) 系統発生的に蓄えられた脳構造と個体発生的に蓄えられた脳構造 長時間の環境適応と短時間の環境適応 2317 脳梁 女性で太い。そのことを左右脳が未分化だと言うべきか。左右脳の連絡がよいと言うべきか。 2318 無限背進? 自分の意識状態を観察する自分の意識がある……この全体の状況をさらに意識して観察することができて、このことは無限背進を構成する。 他人の意識状態を推定する自分の意識がある……これでおしまい。しかしまた、「他人の意識を推定している自分の意識がある」という状態を意識して観察することができるのだから、やはり無限背進が可能である。 実際の話、「意識している自分を意識する」というからくりを「いれこ」のように無限になどと考えるのは無理がある。鏡を鏡に映したときの様子に似ている。そこに奇跡が映っているわけではない。 2319 適応低下 → うつ状態 → 血液精巣関門の開放 → 適応遺伝子の組み込み → 進化の促進 2320 (笠原)「リスト・カット」 離人には、ヨーロッパ式の本来の離人と、米国式の人格の解離の場合とがある。米国式の解離型離人症は、縦割れのスプリッティング。昔でいえばヒステリー。 ●なるほど。こういう点を考慮する必要があるかもしれない。 ○ヨーロッパ式離人……知性では存在を承知しているが、実感が希薄である状態。違和感が持続し主観的につらい。長く続く。 ○米国式離人……主観的な苦しみに乏しい。尋ねられてはじめてこの症状の存在を口にする。長く続かない。人間はある心理的困難に出会ったとき、そしてそれに耐えがたくなったとき、一個の自分としてのまとまりを犠牲にして、二つの、ときには複数の自分に分割するという心理的戦略を用いる。パーソナリティの解離である。垂直型スプリット(コフート)といってよい。 ○解離型の離人症と古典的離人症の違いに言及したのはDeutsch H.(1942)。アズ・イフ・パーソナリティの人たちは、離人症とよく似ているが違う。自分では外界への情緒的な結びつきのみならず、自身についてのそれさえ薄くなっていることに気づかず、周囲の人ないし精神療法家に指摘されてはじめて、そういえばそうだと気づく。生活全体への彼らの関係の仕方をみていると、そこに真実性というものが欠けている、という印象を免れない、したがってアズ・イフと呼ぶ。 ●はたしてヨーロッパ式と米国式の離人を区別できるのだろうか?米国人は区別していないから、離人の語をあてているはずだ。 ●知覚と実感が分離するのが古典的離人。知覚と実感がセットになって、解離が生じるのが米国式離人。……なるほど違う。 ●「こころの辞典」で、DSM4では離人は解離性障害としていると紹介している。 2321 (笠原) クローニンガーの性格研究。 好奇心に基づく探索行動……行動の開始を可能にする……ドーパミン 危機の回避……行動の抑制……セロトニン 報酬への依存……行動の維持を可能にする……ノルエピネフリン ●その後クローニンガーは七因子モデル(2205:大野論文)。 新奇性追求、損害回避、報酬依存、固執、自己志向、協調性、自己超越性。 その後、心理学者たちの同意。五つのスーパー要素。 外向性、神経質性、几帳面性、同調性、解放性。 2322 先験的理性は人類が種として長い時間をかけて変異と選択を繰り返してきた結果である。 産まれてきた子供の脳には世界の物理法則があらかじめ書き込まれている。しかし一部の脳には別の法則が書き込まれている。どの脳も、大幅に異なったものではないが、微妙に異なっているのである。 脳の各部分 @先験的法則プール A経験を学習し蓄積することを指令する部分 →ここが壊れていると、経験が有用な情報として蓄積されない B経験の蓄積プール → これは一生に一度限りの学習から、何度でも学習し直せるものまで、いろいろである。 以前から考えているモデュール @空想産生 A照合 B現実法則プール 上の「脳の各部分」と関連付けると、 現実法則プールには先験的なものと個体経験によるものとの二種がある。 照合とはつまり、上のAである。 2323 東京で風俗産業などに従事した女性たちのその後。その人たちはどんな人生を歩むか?普通の人生もあるだろうが、創価学会などで活動する人たちも大勢いそうである。性格障害因子は年齢とともにどのような変化をするか。年代によってどのような発現の仕方をするか? 2324 刑事取り調べと精神科医療の類似。 2325 認知療法の基礎理論と他分野との関連 刺激→処理→反応 受診→処理→発信 認知療法では処理の部分が認知である。これはSSTの話につながる。 状況→認知→感情 認知療法的に診断して、SST的に治療することもできる? SSTはもともと認知行動療法を基礎としているのだから、ことさらにいうほどのことでもない? ジェームズ・ランゲの説 悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだとする説。しかしこれは原因Xに対して悲しい(主観的感情)と泣く(自律神経反応または行動)の二つの結果が生じていると考えた方がいいと「こころの辞典」に書いた。 これを認知でいえば、 刺激→認知→二つの反応(悲しいと泣く) という図式になる。 原因帰属療法も「こころの辞典」にある。これはもっと詳しく内容を書けるはず。→要改訂。 2326 自己主張訓練からSSTは始まった。 たしかにリバーマンの方法はそのようである。 しかしそれはSST全体からいえば部分である。こだわらない方がいい。 発信機能の不全を訓練して補うときに自己主張訓練が有効であると見きわめることである。診断作業が大事。 処理機能不全や受信機能不全の場合には対処が異なる。 2327 (認知療法ハンドブックより) 不安障害形成について(今による修正後のもの) ・ストレスから自律神経失調症状(脳の疲労) ・自律神経失調を破局ととらえる認知の歪み→不安反応の条件付け →発作自体が強化刺激となり悪循環を形成する ・症状に対する対処行動(これが不適切で悪循環を形成することが多い) ・不安発生刺激は般化し、一方、回避行動により生活が制限される。 (般化するとは、全般性不安障害の色彩を帯びること) (回避行動は、アゴラフォビアのこと) 症状に対する認知はどうか、対処行動はどうかを調べる。 発作→とらわれ・予期不安→発作を感知しやすくなる・発作が起こりやすくなる→発作 の悪循環 不安障害はこの悪循環が本質的である。 不安発作は台風または夕立である。かならず過ぎ去る。 あわてて対処行動に走ると、「発作はじっとしていれば自然に通り過ぎるものだ」ということが分からなくなる。 そして「対処行動をとらないとどんどんひどくなってしまうのではないか」と考える。また、ひどくなってはいけないからと、事前に対処するようにもなる。絶対に発作が起きないように対処したいと思うようになる。そしてどんどん自分を縛ってゆく。(→過剰な事前対処。過剰な予防措置。) 対処行動の例:薬、注射、家族にいてもらう、トイレに行く。 電車に乗るとトイレに行けないから、電車に乗れないという人がいた。この場合は、不安に対する対処行動としてトイレに行くということがあり、この対処行動を確保しておくために電車に乗れなくなっている。そして最終的には「電車に乗れない」と悩む。「トイレに行けない」も「電車に乗れない」も対処行動である。「対処行動を確保するために」次の対処行動が発生する。 医院があれば横断歩道を渡れるという人がいた。ここにも何重かの対処行動の重なりをみることができる。 発作→注射→医院→横断歩道(信号) うつ状態でない場合には、休養はかえって回避を促進してしまう場合がある。 不安を鎮める行動をやめれば、症状はかえって早く治まる。 治療のキーワードは、休む、待つ、やめる、慣らす。 待つとは、時間がたてば発作は必ず終わるから、待つことを学ぶ。 やめるとは、不要の対処行動をやめる。 薬物も対処行動の一つである。 2328 うつ病者に多い認知の歪み(井上1992) 全か無か思考 過度の一般化 選択的抽出 独断的推論 自己関係付け 誇大視と微小視 破局視 肯定的側面の否認 感情的論法 すべし表現 レッテル貼り ●「こころの辞典」では、うつの場合の「うつ場面選択想起」を指摘しておいた。記憶の障害または想起の障害といえばよいか。 2329 ●アイデンティティを同一性と翻訳するのはまったくよくない。同一であることが問題なのではなく、「同定すること」のほうで、「自分とは何か」ということだから。「自己定義」くらいでもよい。同一性と翻訳するから、同一性の拡散という言葉に引きずられて、いくつもの自分という話に横滑りするのではないか? 2330 (認知療法ハンドブックより) ●中核スキーマという言葉で、中心葛藤テーマ(?)CCRT : Core Conflict Relational Thema (?)を思い出す。似たようなものだろう。 2331 (認知療法ハンドブックより) 患者が怒りを激しく表現する場合、その場での直面化が必要になる。背後に中核スキーマが活性化されている場合が多い。 ●社会性の「蓋」を破って突出する感情である。ホットなスキーマである。 2332 ●認知療法に関しては、「そういう言い方をすれば分かりやすいだろう。しかし昔からあったような気もする」ことも多い。しかし患者にすれば、具体的にあれこれしてもらえるのでうれしいだろうと思う。つまり、昔からあった名人の技を技法として紹介している面がある。そしてその背景には米国の医療経済事情がある。医療保険に対して「この治療法の有用性」を客観的に証明する必要がある。金の問題から派生した状況といえるが、悪いことではない。 よいことであるから証明は要らないというのは甘えている。 2333 心的外傷に際して、その後の人生に影響を与えるのはその心的外傷をどのように受け取ったかである。これは大切な指摘である。人生は運命にも他人にも翻弄されるものではないと言える根拠になる。 主体性。心的外傷に対して自分は主体的にかかわることができる。どう解釈するかは、自分の側に責任もあるし、自由もある。それが主体的であるということだ。 しかしそうだろうか? そのように主体的に人生にかかわるか、非主体的に翻弄されてしまうか、そうした基礎を人は選びとることができないのではないか? 確かにそうかもしれない。しかしたとえばぼくは文章でその人に伝えることができる。主体的な人生にかかわる態度を伝えることができる。そのことはその人の人生を変えるだろう。 環境が貧しくてその人は今日まで苦労したかもしれない。その結果として人生に対して負け犬のように振る舞っていたかもしれない。しかしそうではない人生が可能であると伝えることができる。これはすばらしい仕事ではないか。 その人の認知を変えることはその人の人生を変えることだ。そのようにして人が人とかかわることができる。 環境や心的外傷に対する自由を伝えることができる。自由を知れば自由になれるのだ。これを伝えることはよい仕事である。わたしが為すに値する仕事である。 2334 精神病と神経症、金持ちと貧乏人、医者の好悪の情 一般に医者として相手を尊重したい場合には神経症と診断して、原因は心因性、しかも外部の事情に求める。(相手を尊重するつもりのない場合には、心因性といってもその原因を内部に求めて性格障害とする場合もある。) 相手を尊重するつもりのない場合には精神病と診断して、原因を脳に求める。 つまり原因を外部に求めるか、内部に求めるかは、医者の患者に対する好悪の感情を反映していると言えるかもしれない。 現在も、境界例または性格障害という診断はしばしば人格に対する非難であり、社会的断罪を含んでいると感じられる。つまり、「嫌いだ」「排除しろ」という積極的な意志表示と見える。 1997年9月29日(月) 2335 一部の人にとっては、病気の成り立ちや理論の進展などどうでもよいことのようである。ただ自分が優しかったか、それに対して患者が感謝したか、それだけが大切な人がいる。ある種の視野狭窄であるが、どうしようもない。 また、その他にも、自分の抱える心の問題を臨床の場で患者を相手に展開してしまう人がいる。 2336 言葉がなければ自意識は成立しないだろうか? 2337 ハンフリーが自意識は社会生活上で有利であるとした。つまり、自分の意識について参照すれば、他人の意識状態を推定できる。それは社会生活を送る上で有利であろう。「だから」自意識を有する個体が選択された? しかし自意識とは、突然発生するのだろうか。それとも次第に発生するのだろうか?あまり正確でない自意識でも生存を有利にするのだろうか? こうした有利さは、最終産物ではなくて、そのプロセスにおいて有利かどうかが実は大切ではないだろうか? 2338 感情は脳の自動判断装置である。 小脳が運動の自動化、感情は判断の自動化である。 脳は状況をシミュレーションして予測し、自分の行動を選択する。つまり行動選択マシンである。 感情はこのシミュレーションを省略していきなり結論を提示する。経験に感情を付与して貯蔵してある。似た体験が起こったときに、感情がついているので素早く判断できる。近づくべきか遠ざかるべきかが明確になる。悩まなくていいので被害が少ない。つまりどちらかといえば近づいてはいけないもののしるしとして有効である。 直感といってもいい。 長期記憶と感情が脳の近い場所に保存されていることには上のような理由がある。(辺縁系だっけ?→分析セミナーできいた。) 2339 面白く書く技術。今欲しいものはそれだ。書くことは自分の思考を鍛える。また、書くことは自分を耕す。土地を豊かにする。思いがけない土器のかけらが見つかる。ときに宝石が混じっている。 宝石を見逃さないようにすることだ。 2340 動機付けの大切さ 動機のないところにはなんらの達成もない。達成がなければ喜びもない。 高校時代に物理学の実験があった。徹底的にばかばかしいものであった。法則はすでに知られている。我々高校生が何か操作をして数字を得る。その数字が法則からずれていればへたくそだということを示している。ただそれだけのことだ。それだけのことのために実験をするのだった。 高校教師は動機付けに失敗していたのだ。 この実験は何のためにやるのか。わたしは何の動機も感じなかった。たぶんどんな風に説明されても動機は感じなかったと思う。無駄な苦労である。頭で理解していれば試験は済む。どうしても理解できない人の場合には実験は有効かもしれない。文字を読んでいても何のことか分からない人には実物を見せることが有効だろう。しかし分かってしまっている人にとっては、現実の実験は不純でばかばかしいものである。 2341 「心と脳は同一か」 心は機能で脳は形態である。形態を機能と関連付けながら研究するのが解剖学であると米国の解剖学の教科書の第一ページに書いてあった。分かっていることを書いてある教科書は特に面白味はない。先人がどのように愚かであったかにつきあうだけである。たとえば名前の付け方の変遷。 解剖学の一つの仕事は名前を決めることである。 形態と機能の関係を考えて、より形態に関心が強ければ解剖学であり、機能に関心が強ければ生理学である。その正常状態からの逸脱が病理学である。それを臨床的に正そうとする技術が医術である。病気や正常を理解しようとすれば結局は解剖学と生理学、そしてその変形である病理学に行き着く。 心と脳は同一ではないとするエックルズやペンフィールドは、結局、魂のことをいいたいのだ。脳が物質として消滅したあとにも残る魂がある。心という現象は脳だけでは成立せず、脳と魂が必要であるということをいいたいのだろう。そうでなければ一体何をいっているのか見当もつかない。霊魂がないならば、心は脳の産物であるとする現代科学の一般前提で充分である。 前提はそれでいいが、脳があることと心(特に自意識)が生じることとの間にはかなりの隔絶がある。現代科学の最高クラスの難問である。しかも現象としては宇宙の彼方で起こっていることではないのだ。人間の各人の内部で起こっていて、自意識がある人は全員その存在を確認することができる。そうしたあまりに日常的な事象を説明できそうな手がかりさえ見つかっていないのだから、これは巨大な謎である。そらにはこれは霊魂や神の問題とつながっている点でさらに重大な問題である。 脳は物で、心は機能または働きであるとする。 心のことはすべて脳の物質の言葉で記述できるはずである。機能性疾患や心因性疾患という場合も同様である。脳内の物質の変化を引き起こした原因が何であれ、記述としては物質で正確にできるはずである。 心因性障害は、視覚や聴覚からの情報が、脳の病的な状態を引き起こしたものだ。実験神経症が分かりやすい。 (未完) 2342 新しい芸術分析の原理 ジャクソニズムの高次機能と低次機能、陽性症状と陰性症状 芸術作品は、脳のどのあたりから生まれた作品であるかを考えると興味深い。その作品はどのような陽性症状と陰性症状の混合であるかを考えるのもよい。 酒に酔ってできた作品などはやや低次の部分からのメッセージである。低次の部分は誰でももっているから共感を呼びやすい。 最高次機能を働かせた作品は、そのような最高次機能を持っている人にしか分からないことがあるので、時代がたたないと受け入れられないかもしれない。時代がたっても受け入れられないかもしれない。一般大衆とは無縁のものとなる。 しかし昨今のように種々の薬物汚染や環境汚染が進行した状態では、脳の高次機能は失われていることも多いと考えられる。また、満員電車で通勤する人々のように身体的疲労の限界に近い毎日が続いている場合にも、高次機能はあまり活動しない。 世の中に受け入れられる芸術作品をつくろうと思ったら、脳の低次機能を活用することを考えれば近道であろう。高次機能を麻痺させた者同士で大いに評価されるだろう。 2343 解剖の養老先生が、脳は社会化をめざし、社会化は支配を目指すことであり、脳は支配とコントロールを好む、それは反自然である、などと書いている。予測と統御が可能なものとしての社会という。 学者先生にとって脳の特質は「強迫性の原理」であると映っているようである。学者の脳とはそうしたものだ。 彼は多くの脳を見たが、多くの心を見ていない。子細に観察したのはせいぜい自分の心だけである。彼の心に強迫性要素が色濃いことが分かる。 2344 芸術か否か 芸術だとか論文だとか称して、脳の低次機能の分泌物を吐き出している人がいる。それを「はなくそ」と呼ぶ。(きたないけれど) そうした低次機能の分泌物は原則として芸術とか論文とか称するべきではない。評価する者にはそのあたりの眼力が必要である。 2345 幻覚の発生機構、分裂病性幻覚の特質 たとえば幻聴が、聴覚路の一部分で生じた自発性刺激であるとする考え。それは錯覚の原理(幻肢の原理)によって、外部に対応する実在を要請することになる。それを幻聴という。 または自発性刺激でなくてもよい、他の回路からの刺激でもよい。他の回路からの「混線」が起こり、聴覚回路に信号が入りこむかもしれない。そのような混入回路が慢性化すれば、慢性の幻聴になるかもしれない。 極端にいえば、一つのメカニズムとしてニューロ・バスキュラー・コンプレッション(神経血管圧迫)に類したことが起こっていると考えてもよい。痛みが起こるなら、聴覚も起こるだろう。 てんかんの一種、精神運動発作(側頭葉てんかん)ではこのタイプの幻聴が起こる。 アルコール症の場合の幻覚も、外部の原因を突き止めようと探し回ることがあるといわれる。 しかし分裂病性の幻聴はそうしたもので説明できそうにない、より人間的な事象であるとするのが伝統的な見解である。被害的であったり、普段から気にかけていることが言葉の内容であったりする。 一言でいえば、より妄想に近い。 ということは、より高次の段階で、こうした信号の混乱があるのだろうか? (未完) 2346 情報の繰り返しと構造の繰り返し 現代もなお書かれているたくさんのこと。結局は既存の情報のまとめ直しの面が強いと思う。たくさんの素材の中からどれを選択するかに「現代」が表現されているとも言える。 また、内容としては新しいことを含んでいるともいえるが、構造としては新しくない、つまり構造は昔のままということも多い。たとえばロミオとジュリエットの話を現代風にアレンジするような類のことを何回も繰り返している。 それは人間の脳が、そのような構造をしていることの反映だろう。脳は、もちろん、自分の構造を超えることはできないのだ。 2347 直面化 現実を見ろと治療者は簡単に言う。しかしそれがつらいからこそ患者は別の道を選択しているのである。そこを分かってあげないといけないだろう。 2348 組織の変革 ガラスの一部分を急激に暖めると割れる。一部分だけが急激に膨張すると他の部分とずれが生じて割れる。だから全体を徐々に暖めていけば割らずに熱くすることができる。 組織も同じである。一部分だけが活発になり理解を深めてしまうと、他の部分との摩擦が大きくなり、組織としては「割れて」しまう。 このことを理解しないと組織の運営はできない。 2349 自信欠乏と完璧癖 自信がないから完璧主義になる。完璧主義だから100%達成できないと無力になる。こうした悪循環がある。 2350 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より ・基底にある心理メカニズムの層→顕在化した問題の層 基底にある心理メカニズム  →気分 行動 認知 ・気分、行動、認知には同時性と相互依存性が見られる。 ・基底にある心理メカニズムは「もし……れば」の形であらわされることが多い。さらにその奥にある確信的スキーマは「早期に形成された非適応的スキーマ」(EMS:early maladaptive schema)と呼ぶ。 ・基底にある不合理な確信 ・状況因や環境因が加わって顕在化する。 ・行動、気分、認知の各領域でどのような顕在的問題があり、その背景にどのような基底心理メカニズムがあるかを考えるのが「診断」。つまり、問題リストを作り上げ、それらの基底にある心理メカニズムについての仮説を提示する。 ○不合理な確信→行動、気分、認知の問題 ●不合理な確信=認知→気分、行動 と考えられないか? これは詳しく書けば、 基底にある不合理な確信(基底の、つまり深層の認知)→気分、行動、(表在の)認知 認知に深層と表層を区別してみる。 ・治療者は「基底レベルに働きかけるよりも、顕在化した問題に働きかける方がよい」と信じている。 ・行動と認知に対する介入が述べられている。気分に対する介入は方法がない。 2351 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より(p.31) Youngの発達早期に形成された非適応的スキーマ(EMS) ○自律(自分でやる、自分のためにやる) 1 依存:いつも人に助けられていなければなにもできない 2 制圧、個体化欠如:他人の欲求を満たすために自分を犠牲にする 3 危害もしくは病気に対する脆弱性: 4 自己のコントロールを失う恐怖: ○他人とのつながり 5 情緒剥奪:他人から充分に世話されたり、愛されたり、共感されたりすることは決してないだろうという確信 6 見捨てられること、喪失: 7 不信: 8 対人関係からの隔離、人との不和: ○自分の価値 9 欠陥がある、愛される要素がない: 10 社会的に望ましくない感じ:他人の目によくないと映る確信 11 能力がない、失敗者: 12 罪悪感、罰:罰せられて当然だとの確信 13 恥、困惑: ○自分がしていいことの限界と自分を判断する基準 14 非常に厳しい基準: 15 特権意識、不充分な限界:自分に厳しくできない ●翻訳が悪いので補った 2352 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より ○問題リストの作成 ・まず患者の語るあいまいで抽象的な言葉を、気分、行動、認知の各側面から明細化し、認知行動療法で扱える形式に変える。 ・患者から報告されることのない問題についても、情報を収集し推定する。 ・問題を量的に測定することは有意義である。ベックのうつ評価尺度。活動記録。自殺の危険性。バーンズの不安評価表(感情、思考、身体症状にわけて評価したもの)、恐怖調査スケジュール、恐怖階層、回避行動テスト(BAT)。 ・これまで経験した最高の不安を100として、その不安はどの程度かなどと数量化する。 ●ひょっとしたら、分裂病者の妄想についても、その主観的な確信の度合いを数量化してみたらいいのかもしれない。 2353 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より ○問題リストに基づいて、基底心理スキーマについての仮説を考える。 1 問題相互の関係を理解する 2 治療形態を選択する:たとえば不安症状が前景にある場合、筋弛緩法が役立つ。しかしそれでは根本の問題は解決されないままである。不安が起きた状況やその時の思考を記録することが根本的解決に役立つ。 ●こうしたことは通常の診察の中で考えていることだ。「あなたの考え方のここに問題がある」という指摘は通常しない。症状に焦点を当て、それ以外のところはなるべく隠蔽することが多いように思う。患者の意向に添っているわけだ。患者が困っていることが症状であり、言わないでいることは治療者も触れない。 不安階層表ならば、患者が申告した階層だから、問題ない。患者の深層について治療者が「決定」してしまうことは大いに問題があるだろう。 ○事例定式化のシート ・患者 ・主訴 ・問題リスト ・仮定されたメカニズム ・メカニズムと問題の関係 ・現在の問題の結実因子(状況因、環境因) ・中心的な問題の起源(生育史、特に親との関係) ・予想される治療への障害(完全癖や回避癖は治療の障害にもなるだろう。その点についての予測) ・「こんな行動をする人はどんな信念を持っているのだろう」と考えながら観察する。「橋を避ける人は、わたしは傷つきやすくてもろい人間だ、不安やストレスに立ち向かえないと考えている人」などと推定する。 うつで自己批判、敗北感、自己憎悪、罪悪感を訴える人は、「わたしは完全でなければならない、そうでなければ価値がないと考えていると推定できる。 「年老いて魅力がなくなることを気にかけている人は、依存的で人から拒絶されるのを恐れている」と推定できる。 2354 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より 行動に対する介入 ・基底にある問題の指摘 ・古い計画と新しい計画……スキーマの転換と同じ ・スケジュールの活用 ・モデリングとロールプレイ ・リラクゼーション ・賞と罰 ・課題の細分化 ・曝露 ・刺激コントロール ・運動 2355 形態と機能 形態と機能について養老さんが書いている。機能には時間成分が入っているというのだが、そんなことですむ話ではない。 瞬間は形態であり、それを時間軸に沿って動かせば機能が見えるなどというものではないだろう。 機能性精神病という言い方が英米語にあり、これも大変問題である。 まず説明のレベルを設定すべきである。 ・低レベル……つまり顕微鏡などを使って原因を探しても異常がない、それを機能性精神病と呼ぶというわけだ。それは言葉の厳密な論議ではなく習慣であるから、これ以上何を言っても始まらない。 ・高レベル……機能に変調があれば、それを可能にしている構造が必ずあるはずである。したがって、厳密な意味での機能性疾患はない。 ただ、こういう場合がある。構造に問題がなく、したがって機能に問題がない。しかしながら環境との適合の点で問題がある。この場合はどうか。適応障害と言えばいいのだが、はたして、変な環境に適応できないものが機能的に病気だといえるのだろうかなどの問題はある。これは神経症と言うべきものだろう。それを機能性疾患と言ってもいいのかもしれない。 それ自体に異常はないが、環境の異常な変化に適応できない点で異常であるというわけだ。 しかしながら、それは環境の側の異常ではないかと素直に考えて思う。 機能のない形態はある。形態のない機能はない。 形態の中で特殊なものが機能を持つ。「機能しないという機能」も機能に含めればどんな形態でも機能を持つ。 しかしながら、存在である限りは形態を持つ。 脳と意識の関係は、形態(物質)と機能の関係と同じだろうか? たぶん、同じでいい。 意識のない脳はある。脳のない意識はない。 では心とは何か?意識を含めた、脳の働き全体、さらには脳と神経系だけではなく人間の体全体でつくり出す何か。 2356 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」より 非機能的思考を変える方法 ・質問をする。ソクラテスの方法。 ・特定の状況を取り上げ、感情を伴った場面設定で話をする。抽象的な話は効果が薄い。 ・ベックの非機能的思考の日常記録(日付、状況、情緒、行動、思考、反応) 2357 「実践的認知療法(事例定式化アプローチ)(J.パーソンズ)」 ぎっしり書いてある割には内容はまとまりがない。推敲が必要。理論をもっと練る必要がある。思いつきを並べたお喋りに近いのではないか。実際の診療はこの程度の幅を持って臨機応変に対策がとられるのだろうが、本としてまとめるにはもっと凝縮する必要があるだろう。 2358 「認知療法ハンドブック(下巻)」 こちらは有意義な本。賛成するにしても反対するにしても。どういう意図で何を書いたかが明瞭に分かる。 1997年10月6日(月) 2359 人間が都市に密集して住むようになったことと分裂病の発生は関連しているとする説。また、文化の流動性が分裂病の発生に関連しているとする説(たとえば荻野、トランスカルチャー、能登半島の研究)。 これらは2×8レセプター説に都合のよい知見である。 母の胎内でセットされたレセプターレベルが、出生後の生活でちょうどよいものでなかったら、大変困る。 レセプター量がセットされるのは出生前のことなのか、幼児期なのか、いつなのか。クリティカルな時期(臨界期)があるのか。徐々に変化しつつあるものなのか。 子供の頃にいったんセットされて、思春期に再度セットされるというのは言えることのように思うがどうか? 2360 宮大工の棟梁の話から人間の心理につなぐ話。 環境の中で、地面に対して曲がっていることと、木として、材木として曲がっていることとの違い。これをはっきり言いたい。 地面に対して曲がっていても、材質としてはまっすぐだという場合。ぐれてはいても、環境に即して曲がっただけの人。 地面に対してはまっすぐ立っているが、材質としてはねじれている木。世間では人並みかそれ以上にきちんとやっている。しかしその人自身はねじれに悩んでいる。 そのあたりを見分ける目が専門家である。 2361 老化と多様性の喪失 年老いてゆくということを肯定的に考えることも当然できるのだろうが、この病院で目にすることから言うとすれば、年老いることは悲しいことである。どうしようもない喪失である。否応なしに、じわじわと、しかし確実に、すべてを奪い去る力が、老化である。 老化は、人生の可能性をひとつひとつ、カードのようにめくり、結局、他の可能性がほとんどなくなってゆく、そのような可能性の喪失のプロセスである。 現在の状態から推定される将来について考えれば、若いうちはたくさんの可能性があり選択肢がある。年老いるということは、そのような多様性が失われるということだろう。 「多様性」の喪失というキーワードで考えることができるかも知れない。 ということは、多様な可能性を失った時点ですでに、老化といえるだろう。 人生の豊かさとは、時間でもない、金でも物でもない、可能性と将来についての多様性だとの論がある。 その人なりの「豊かさ」がある。 2362 拳銃の絵を見せて、何ですかと聞く。拳銃と答える。このとき脳の感覚野が興奮している。拳銃の絵を見せて、何をするものですかと聞く。「うつもの、うつ」と答える。英語ならshoot。このとき脳の運動野が興奮している。 つまり、脳は名詞を感覚野で処理し、動詞を運動野で処理しているという。最近の研究結果だと種田先生がいっていた。そんなものだろうか。 2363 サラリーマン業は慢性の逃れられないストレスにさらされて、体に悪いと書いた。 しかし一方で、そのような状況にいると、今度は他人に対してストレスの原因として振る舞うようになってしまう。そうすることでなおさらよくない人生になってしまうことがある。 被害者として苦しんでいる間に、加害者になることによってストレスを解消しようとするのだ。あるいはストレス解消と意識してはいないままで、他人に対して加害するのだ。 2364 わたしは自己主張訓練法に一貫して否定的な態度をとっている。 わたし自身は「他人が自己主張することに嫌悪を感じ」、「自分が自己主張することについては当然だと思っている」面があるのだろうか? 他人は自己主張などしなくてもいいと考えている面があるのではないかと疑う。 2365 アゴラフォビアを広場恐怖と翻訳するのは、ソファを座布団と翻訳するくらいに無理がある。 2366 摂食障害の治療 ・食事や体重よりも、症状の背後にある悩みや苦しみを理解する。 ・治療関係を作る。 ・患者が自ら受診することは少ない。 ・症状は自我親和的である。 ・飢餓状態では心身に影響が生じる。飢餓状態では学習能力に障害が生じる。 ・飢え(低体重)の影響 ○食物に対する態度と行動 食物のことで頭が一杯になる レシピー、料理本、メニューなどを集める 普通ではない食習慣 気晴らし食い ○情緒的および社会的な変化 うつ状態 不安 イライラ、怒り 情緒不安定 社会からの引きこもり ○認知的変化 集中力低下 判断力低下 無気力 ○身体的変化 不眠 脱力 消化管障害 音や光に対する過敏性 浮腫 低体温 無月経 ・自分の感情や身体感覚を把握することができなくなっている。 ・自己評価が低く、他者に評価をゆだねる傾向がある。 ・二段階の治療 @食行動と身体状態‥‥行動的技法 A認知の障害‥‥認知療法 ・暖かさ、共感、誠実さ、患者中心、治療契約の重視 ・行動分析‥‥先行刺激、問題行動、周囲の反応、を分析。仮説を立て、行動変容のための治療法の選択。 ・治療としては、セルフモニタリング、オペラント技法、認知再構成法、問題解決技法、自己主張訓練法、リラクゼーション、家族への介入、など。 ・問題の同定と、問題を持続させている先行条件や結末(疾病利得のようなもの)の同定、動機付けの分析 ・心理教育的アプローチ‥‥動機を高める ・問題を要約すると、「心身が不安定で、したいことやしなければならないことができない」とまとめられる。 ・したいことをするためには、健康な体重、自然な食生活。 ・身体面では、飢えの影響の他に、動悸・胸痛の胸部症状、齲歯や歯肉障害、髪が抜けやすい、産毛が増えるなど。 ・オペラント技法‥‥入院が主。体重増加ごとに、報酬として行動制限を緩和する。 ・セルフモニタリング‥‥自分の行動、感情、思考を観察と記録する。具体的で客観的な気づき。‥‥三つのコラムを使用(状況、感情、思考) ・認知再構成法‥‥非機能的な自動思考に取り組む。多様な視点に気付くことが大切である。‥‥「三つの質問」技法。自分に問いかける。「証拠は?」「別の視点は?」「仮にその考えが正しいとしたらどうなるだろうか(帰結を考える)」 ・問題解決技法‥‥@問題を具体的に詳しく同定A代わりの対処法Bそれぞれの解決法の長所と短所C比較的よい解決を選択するD実行のための具体的な手順E行動F結果を評価してフィードバック ・治療の手順は、まず行動、つぎに認知。 ○過食 ・心理教育的アプローチに本や文献が役立つ。 ・気晴らし食い日記。→時間、食べたもの、食べる前の思考と感情、代わりの対処手段 ・食行動は、ストレスに対する対処行動のひとつである。日記により、どのような感情・思考の時に自分がストレス状況にあるのかが分かる。つぎに具体的な対処手段を発達させる。例えば、氷を口に含む、風呂にはいる、友達に電話する、など。 ・過食症に特徴的な非論理的思考とそれに代わる考え方→リストアップして手渡す。 ・うつ、不安があるときには「思考停止法」や「三つのコラム」 ・時間の構造化……活動スケジュール。背景に強迫性が存在することがある。その場合はなるべく大まかに計画を立てるように伝えておく。 ・自己主張ができなくて不安が高まり過食につながっている場合、主張訓練が有効である。ロールプレイもできる。一人でやるならミラー・テクニック。 ・問題解決技法。 ・実際の治療はまず@混沌とした食生活、感情、思考に秩序をもたらすこと、つぎにA症状の背後にある人格、行動の未発達や障害を是正すること、といった手順になる。詳しくいえば、 ・まず心理教育的アプローチ……過食症は誤った習慣(悪い癖)と定義づける……回復への希望を与える。 ・治療の青写真を与える。そのことが秩序形成につながる。 ・活動スケジュール、気晴らし食い日記のセルフモニタリング法。……まず活動スケジュール法で大まかな毎日の生活の様子をつかむ。課題を与えて生活の枠付けをして、達成をほめて強化することが目標。つぎに気晴らし食い日記。これは食行動自体ではなく、そのときの感情や思考を問題にする。代わりの手段を発達させることを強調する。この段階でうつや不安が強ければ、思考停止法、三つのコラム法を用いる。 ・次にAで、主張訓練、ミラーテクニック、問題解決技法。価値観やスキーマの検討。 2367 痴呆病棟では最初の何日かが大切 ・何かあったら家族は不信感を深める ・環境が変わり不安である ・入院に納得している人は少ない、帰宅要求が強い、何も説明されていないと被害的になる ・薬を使うにしても、はじめての患者であるから慎重にならざるを得ない 対策としては、 ・最初の二日くらいは家族に付き添ってもらう ・事前に在宅のうちから投薬を開始する(最適量が把握できる、入院初期の不安を低下させられる) 2368 遠くから見て富士山はどれか、明瞭である。しかし次第に富士山に近づいて、どこからが富士山か、決められるものではない。平地から次第に盛り上がって、富士山になっているのだ。 分裂病の診断について、このような連続体を考えるのか、あるいは不連続な事態を考えるのか。 2369 殺人幇助の疑い 腎不全があり、人工透析が必要な状態の痴呆老人を依頼されて、いったんは断ったものの、引き受けた。当病院では透析はできないと説明したものの家族が積極的な治療はしなくていいと希望して入院になった。 医療機関として正しいことか気になる。 この場合、人工呼吸器をつける必要があると知りながら、家族の要請によりつけなかった場合に近い。 家族の背景にたとえば「エホバの証人」などの特殊な信念の体系があるのならこれは分かりやすいだろう。しかし一般人の場合、最終的にインフォームド・コンセントが不充分であったと認定される危険はないだろうか? 人工呼吸器が必要で、それがなければ一日で死んでしまう人を、設備がないにもかかわらず家族の希望だからと引き受けた場合には、それは殺人の手助けに近い。「殺してくれ」という家族の要請に応えたと考えられる。 腎不全で、積極的な治療をしなければ死んでゆくのが必然と思われるが、その時期については、数カ月から数年と漠然としている。この場合には殺人幇助とまでは言い切れないのではないか。安楽死の手助けとも言い切れないだろう。 また、すべての人は次第に死に近づいているわけだから、腎不全の場合にも要するに程度の差、死に接近する速度の差ということもできるかもしれない。 といったことを考慮するとしても、なお疑問は残る。たとえば職員のモラルの問題。私たちは何をしているのかと反省したときに、つらい思いをする。 2370 神経症が反応性であるという意味 たとえば、重すぎる荷物を運んだあとで、腰や膝に障害が出る。これは反応性の障害である。脳に過重な負担がかかったときに、脳に障害が出る。これを反応性の脳障害としての神経症といいたい。 2371 ジョン・レノン、ハワード・ヒューズ(ハリウッドと飛行機会社を支配した男)、泉鏡花。みんな強迫性障害。躁うつの波があった。dysphory。 ジョン・レノンはガラスの無菌室に裸で寝ていた不潔恐怖の時期があった。 泉鏡花は部屋の隅々を目張りしてその中で暮らしていた。 強迫性障害と、短気・瞬間湯沸かし器、怒りっぽい、などの特質は無関係ではない。 「きちんとすること」を他人にも要求するのである。適当に遊ぶことが苦手。奥さんをこっぴどくしかる。お金にうるさい。ケチである。 こうしたことのやや延長上に、嫉妬妄想がある。怒りっぽい旦那の精神の背景に嫉妬の感情がないか、探る必要がある。 2372 痴呆病棟入院第一日目の大切さ。 ・まず患者は当然心細くて神経質になる、あるいは不穏になり、あるいはうつ状態になる。 ・入院第一日目は看護も患者も、第一印象を抱く日である。お互いにいい印象を抱きたいものだ。それなのに、いきなりおたがいが暴力を見せあうようなことはよくない。治療関係が形成できない。 ・「見捨てられた」という気分をどのように和らげられるか。 ・入院初日では薬の調整についても情報が足りない。そこで少しずつ使うことになる。 ・薬をどの程度使うか、抑制はどうするか、保護室または安静室を使うのか、看護力でどこまで対応するのか、他患との兼ね合いはどうするか、それらについて看護と充分に合意を形成する必要がある。どの方針にも理由はあるのだから、合意が大切である。 ・その患者の「急所」を抑えるような看護は、すぐにはできない。しばらくつきあって情報をためる必要がある。第一日目が難しい理由である。 ・第一日目は手術日のようなものである。オペに向けて予備投薬をしたりする。第一日目の困難を乗り切るために、入院前から予備的投薬を始める。そうすれば、薬剤反応性の情報も得られる。落ち着いた滑り出しになり、治療関係もうまく結べる。 ・第一日目は家族に付き添ってもらうのもよいと思う。見捨てていないことを示すことができる。また、家族は病院の大変さを理解することができるから、その後の家族と病院の関係維持に役立つ。 ・家族教育を積極的に進めることに意味がある。無理解が誤解につながる。 2373 痴呆病棟の診断 ・何型の痴呆かということは看護としてはあまり問題にならない ・看護するに当たっての問題を診断として表面化させて、それに対する技術を考えていく。そうした方向での診断。だとすれば、行動障害や身体病の診断が大切になる。また、性格傾向も大切である。性格について、また、扱い方のこつについての情報を、看護として適切な言葉でプールしていくことが大切である。 ・極端なことをいえば、看護タイプa-2などという記号でもよいくらいだ。 ・知識を共有することは、つまり共有の言葉を持つということだろう。それがクリエイティブな医療につながる。 2374 分裂病論 内的拘禁状態により幻覚妄想などの陽性症状が起こる。→信号が届かないから、拘禁状態になる。 内的廃用性機能障害により、陰性症状が起こる。→信号が届かないから、廃用になる。 1997年10月20日(月) 2375 DSMは前景症状についての分類学であると考えてよいだろう。そん点で意味がある。その奥にある背景病理については、今後の研究課題である。背景病理の分類と研究のために、まず前景症状について明確にしようと考えるのもよい。 2376 認知療法ハンドブック(下巻)より NANDA(北米看護診断協会)による看護診断。九項目の「人間反応パターン」。 交換 相互のやりとり (関係) 伝達 メッセージの送り出し(発信) 関係 絆の構築 (関係) 価値 相対的価値の帰属(処理) 選択 別法の選択 (処理) 運動 活動 (発信) 知覚 情報の受け入れ(受信) 理解 情報に伴う意味(処理) 感情 情報に対する主観的な認識(処理) ●これらについては、対人関係機能と、受信、処理、発信にまとめられるのではないか。 対人関係……交換、関係 受信……知覚 処理……理解、感情、価値、選択 発信……伝達、運動 看護過程は問題解決過程である。 「アセスメント、診断、計画、実施、評価」のサイクルの繰り返し。 2377 認知療法ハンドブック(下巻)より 治療者はよきモデルを提示する。一時的ではあっても、自動思考や感情のずれを補正する際のものさしに治療者がなるように。→モデリング。 2378 認知療法ハンドブック(下巻)より 介護する人のケアが大切。 疾患・現状・予後について正しく理解しているか。 適切な介助の方法を知っているか。 社会資源・福祉サービスの利用は適切か。 家族間のコミュニケーションはとれているか。 ここでも問題の列挙、問題間の構造の把握(仮説)、対策、の順序でことが運ぶ。 2379 認知療法ハンドブック(下巻)より 看護職員の問題 完璧癖のスーパーナース症候群 患者に対して、こちらが一所懸命やっていればすべて理解してもらえるはずだと不合理な過度の期待を抱く者も多い。 看護サポートシステムを考える必要がある。 ・信頼関係 ・日常の業務の関係を過度に持ち込まない……秘密保持、人事評価の対象としない、叱らないなど。 2380 認知療法ハンドブック(下巻)より うつ病に対する配慮(野村) @休養 A自殺を禁じる B励まさない Cうつになった原因を考えないようにする、当面の問題を棚上げにする、受身でいるようにアドバイスする。 D家族、配偶者に対して説明、うつ全般への理解をさせる(心理教育)。 E良好な治療関係 F改善しても一年は抗うつ剤を維持すること。 G抗うつ薬は思い切って増量し、必ず十分量を投与する。少量だと病相を遷延させるなど害がある。 H十分量を三ヶ月用いても効果がなければ難治例である。 I仕事への復帰はできるだけゆっくり。 2381 認知療法ハンドブック(下巻)より うつの再発予防の技法が確立されていない。 2382 認知療法ハンドブック(下巻)より うつ病者に多い認知の歪み 全か無か思考、過度の一般化、選択的抽出、独断的推論、自己関係付け、誇大視と微小視、破局視、肯定的側面の否認、感情的論法、すべし表現、レッテル貼り。 野村の紹介は訳語が正しい。 こうした認知の歪みを同定し、修正を図る。その際には全否定ではなく、緩和した形で再獲得させる。または妥協的な形でどうかと提案する。「すべき」ではなく「できたらそれに越したことはない」程度に。「失敗した」というとき「失敗ではない」とするのではなく「失敗したとして、その影響はどんなものでしょうか」と評価してゆく。 ●それは極端ではないですかと提案するわけだ。 2383 認知療法ハンドブック(下巻)より 素質+生育歴→スキーマ→自動思考 スキーマの発見と修正が認知療法である。 「考えの歪みによって感情の障害が生じる」 第一……急性期の症状改善。そのために認知の歪みの修正。 第二……再発予防。そのためにスキーマ修正。 ●スキーマ、ベリーフ、自動思考これらの区別? スキーマの例:「自分は有能で成功する運命にある」 2384 認知療法ハンドブック(下巻)より 考え方の歪みを正すための技法……同定と修正に分けられる ・良好な治療関係……陽性感情が認知の変化の前提になる。 ・協同的経験主義……患者自らの発見を助ける(ソクラテス法)、得られた認知の歪みはあくまで仮説である、日常生活で仮説を検証する。 ・理解していても気分がすぐに変わるわけではない。繰り返して訓練する。行動療法的な色彩。 2385 認知療法ハンドブック(下巻)より うつ病の70%程度は定型的な治療で治る。遷延した難治性うつ病に認知療法を用いる。 思考制止が強い、うつの極期には無理。 2386 認知療法ハンドブック(下巻)より 導入にあたっては動機付けを高める意味からも、認知療法について説明する。 ・認知療法をおこなうこと ・基本理論 ・方法、ルール ・効奏機序 ・効果がないこともあるが試みる価値はあること セッションの構造 ・現在の症状(気分)の評価 →ベックのうつ評価尺度 ・宿題のチェック ・テーマ、大体の方向(agenda)の決定 ・認知の歪み、スキーマの同定 ・認知の歪み、スキーマの修正 ・宿題を出す 2387 認知療法ハンドブック(下巻)より 認知の歪み、スキーマの同定のための技法 ・繰り返し現れる言葉や行動パターン ・「気分の変化がどのような状況で生じたか、そのとき心に浮かんだことは何か」を話題にする。 ・考えの根拠をきく。 ・「もしそれが起こったらどうなるのか」と繰り返し、最終的に帰着するところをみる。→誘導されながらの発見 認知の歪み、スキーマの修正のための技法 ・歪みの用語を積極的に教える ・訓練する姿勢が大事 ・思考記録表……気分、状況、浮かんだ考え、合理的な考え ・原因の再帰属の試み……自分で気付くように、他の原因の可能性は考えられないか、誘導する ・気分に点数をつけてグラフ化する ・日常生活スケール(時間と過ごし方)と行動・気分予測表(行動予定、予想満足度、実際の行動、実際の満足度) ・ロールプレイ 2388 認知療法ハンドブック(下巻)より (夏目より) 症状形成の四段階(疲労、不安反応の条件付け、不適切な対処行動、回避行動) 1 ストレス→疲労→不安・自律神経症状 2 「不安の条件付け」が起こる。予期不安で発作が起こりやすくなる→パニック→さらに予期不安。いろいろなきっかけでパニックが起こりそうに思う。パニックはコントロールできないものと考える。 3 対処行動は不適切。薬も同様。「じっとしていればおさまる」ことを知るチャンスを失い、「もし対処行動をしていなかったら、もっとひどくなったかもしれない」と考えて悪循環が始まる。 4 回避行動が生活を制限する。 四つの治療手順(休む、待つ、やめる、慣れる。) 1 疲労とうつがある場合、休養。ただしうつでない場合には回避を促進するので休養は勧めない。 2 発作が起こっても待てば自然に通り過ぎることを学ぶ。 3 対処行動をやめる。→悪循環を解消する。 4 少しずつ慣れる。 ・自律訓練。集団でやれば患者同士の交流が有効である。 ・家族の調整。理解を求める。 ・患者は症状を過大視している。自律神経失調症であるとはっきり伝えることは効果がある。「なにかとんでもないこと」が起こっているのではないと認識させる。 ・起こっても実際には大したことのない発作なのに、それを防止するために多大な努力を払う。このあたりは性格の問題もありそうである。 ・守るためにはもっと領土を広げるという、戦争と似たような状態ではないか? ・何を回避するかによって、恐怖症の内容が決まる。アゴラフォビア、乗物恐怖、対人恐怖。また心臓神経症など。 ・「もし対処行動をしていなかったら、もっとひどくなったかもしれない」と考えることは、不安を高めるだけである。対処行動は不安を高める。薬も同じ。不安を鎮める手段として薬を使わない。ただベッドで休ませる。 ・「待つこと」は衝動性のコントロールにも使えると書いてある。待てないから衝動性というのである。矛盾していないか? 2389 恐怖症 ・条件付けが成立した状態 それとも ・回避行動が成立した状態? 結局同じことか? ・妄想に近い面もある。思いこみ。ヒステリー機制にも似ている。 電車が恐いという場合。 電車に乗っていると突然発作。それは確かに一度は起こったかもしれないが、そのあとは回避しているわけだから、電車はむしろ回避の対象というべきだ。乗っていてまた発作が起こったとしても、たいしたことはないのだから。 自分が、「パニックの引き金は電車だ」と決めた面がないか? 自然に休んでいれば治るというものをそれほど恐怖するのはなぜか?→ヒステリー。疾病利得。 1997年10月20日(月) 2390 認知療法ハンドブック(下巻)より (井上) ・スキーマは、症状形成に直結する自動思考に比べると、治療における比重は低く見られがちである。 ・認知療法は過去を話題とせず、人格には直接言及せず、問題を細分化し、具体的かつ明確に規定できる「いまここ」の問題に還元し、解決を企図する。 ・認知療法は症状改善以上のもの、つまりスキーマの不活化という、より恒常的な構造変化を目指す。 ・さまざまな精神療法によって持続的な変化が生じるのは、中核的信念・スキーマが修正されるからであるとベックは考える。 ・妄想が精神分裂病の原因でないように、認知はうつ病の原因ではない。認知あるいはスキーマはうつ病において活性化され、非機能的スキーマが適応的スキーマを駆逐してしまう。その結果、肯定的情報は駆逐され、否定的情報だけが取り込まれる。認知の変換(シフト)が起こっている。スキーマの活性化とはうつ病の進展を意味している。 ●こうした文脈では、スキーマを「適応戦略」ととらえてもよいわけだろう。 ・精神療法は認知(スキーマ)の変化を伴うとき意味を持つ。 ・(ベック)人格障害は進化の過程で生じた一種の不適合として理解される。個体の生存を維持し、生殖を可能にするプログラムされた行動(方略)は、かつては環境に適合するものであった。しかし、我々をとりまく社会環境は急激に変化し、方略の修正はこれに遅れをとった。いくつかの方略は現在の文化的環境に適合しなくなり、個人や集団を脅かすものとして問題化した。こうして人格障害と診断される、硬直化して制御の困難な行動様式が生じたと推定される。 ●人格障害の行動様式が、どのような環境で適応的であったか、疑わしいところがある。強迫性障害などは、状況によっては適応的な行動様式とみなすことができる。人格障害よりもむしろ神経症の範囲のことを理解するのに役立つのではないか? ●神経症よりも人格障害の方が、細胞レベルの障害から遠い印象がある。だとすれば、こうした、進化論的に過去に有意義であったが現在はむしろ有害であるといった行動様式があるはずと考えてもおかしくはない。人格障害がそれにあたるかどうかは別として、そのようなものがあるはずである。 ●そしてそうした過去の遺物は、退行状況で発現しやすいだろう。ストレスがかかり疲労状態となり、退行的となり、過去の行動様式が発現する。ジャクソニズムである。 ・個々の人格障害には際だって特徴的な信念と方略が存在する。境界性人格障害の信念は広範で特異的なものはない。分裂病型人格障害は信念内容の特異性よりも思考様式の奇異さを特徴とするので考察から除外されている。 ・中核的信念→条件付き信念→道具的信念(命令形)→方略 ・スキーマを検討し、より適応的なスキーマを形成あるいは強化することが、人格障害の認知療法。スキーマの再構築、スキーマの修正、スキーマの再解釈。再構築は難しいので、修正と再解釈が現実的である。(→再解釈の意味が不明確?) ・矢印法(downward arrow technique)→? ・強烈な感情体験が中核的信念に至る糸口になる。(→たとえば、激しい夫婦喧嘩の中に、お互いのスキーマの違いがあらわれる。) ・状況依存性の自動思考とその基底にあって比較的恒常的なスキーマという二つの認知の間に、ある種の力動的関係が存在した。(→詳細不明。力動的関係とは、つまりお互いに影響しあう、程度の意味か) ・患者のスキーマを再構築、修正、再解釈するとき、児童期の体験が認知・行動的介入のための素材として話題に上り、強烈な感情体験を伴って追体験される「熱いスキーマ」が治療の標的となる。 ●ここまで来ると、従来の論と重なる。分析でいう、固着点と同じようなもの。 2391 境界例 特別な愛情の証拠をいつも求める。それは見捨てられるのではないかという不安と裏腹である。こんなにひどいわたしでも愛しているかと問いを発している。次第に強い酒を求めるようなもの。 根本にある不安は何か。その不安に対処するために何ができるのか。劇的な対人関係で不安を紛らすパターンを使うのが境界例。対人関係嗜癖。 しかしまわりの人間はたまらない。振り回される人間がたまらない。 愛情のやりとりとして、肯定的感情に対して肯定的感情で応えるのが一般的である。北風ではなくて太陽。 しかし親子の場面などで、「お前が優しくないから、わたしはこんなになった、もっと愛情を注げ」と訴えるために否定的感情を向けることがある。親はそれでも見捨てずに愛を注ぐ。これは否定に対して肯定で応答する例。 境界例の人たちは、肯定の感情を引き出すために否定の感情をぶつける。結局は他人に自分の方を向かせることができると知っているのである。 不安→他人にかまって欲しい→否定的感情を向けて惹きつけようとする(まだ足りない!とメッセージを投げる) 2392 認知療法ハンドブック(下巻) 物質依存の認知療法 動機付け→物質中止→中止維持の三段階になる。 ○動機付けの段階 ・行動化にどう対処するかが問題 ・依存症者が治療者を告発者と受け止めることを避ける工夫が必要である。薬物が自分にとって有害であることを否認する。否認をゆるめることが必要であるが、周囲の人に告発・白眼視されているとの状況認知がある限りは否認が強化される。 ・やめたい気持ちにどれだけ共感できるか。 ・集団療法的アプローチが有効。‥‥自分の否認は見えないが、他患の否認はよく見える。同じ問題を抱えるものに勧められた方が動機は生じやすい。 ・個人的理由を列挙してもらい記録に残す。初心を思い出す手がかりとして使用することができる。 ・「底つきを待つ」‥‥依存してきた物質に「裏切られる」経験をするまで、積極的な治療介入を控えること。いくら飲んでも酔えなくなったり、職業や家族をなくしたりなどの経験が「裏切られる体験」となりうる。 ・「底上げ」‥‥家族はあくまで傍観者としての態度、つまり物質使用には反対であるが、使用するかやめるかは本人自身が決める問題であるという態度をとる。この結果「底つき」が早められる可能性が生じる。 ・共依存の可能性について考慮する。 ○中止の段階で ・腹式呼吸のリラクゼーションで乗り切る ・肯定的変化のリストを作る ○維持 ・集団アプローチが有効 ●認知療法的な説明はあまりなかった! 2393 認知療法ハンドブック(下巻) ストレス免疫訓練 ・ストレスをすべて取り除くのではなく、それに対する「免疫」(心理的抗体や抵抗力のこと)をつけたり、対処技能を身につけることが大切だと考える。(マイケンバウム) ・人が状況や出来事をどのように受けとめ(一次的評価)、自分の対処能力をどう見積もるか(二次的評価)によって、対処の仕方が変わり、その結果も異なったものとなりうる。(ラザルス) ・人はただ置かれた環境に左右されるのではなく、自分のストレスをコントロールするために積極的に働きかけることができる。 ・個人でも集団でもできる。 ・(1)ストレス概念の把握(2)技能獲得(3)適用 ・技法には以下のものがある ○認知的技法 ・説得的教え ・ソクラテス的対話 ・認知的再体制化(再構成)restructure ・自己教示 ・問題解決訓練……社会適応と問題解決技能が関連している。 ・イメージリハーサル ○情動的(生理的)技法 ・リラクゼーション ○行動的技法 ・行動リハーサル ・自己監視 ・自己強化 ・環境を変える努力 2394 認知療法ハンドブック(下巻) エリスの論理情動療法 ABCDE理論 A Activating events できごと・状況 B Belief 信念 C Consequences 結果 D Dispute 論駁 E effective philosophy 効果的な人生観 簡単にはABC。 2395 認知療法ハンドブック(下巻) 問題解決訓練……社会適応と問題解決技能が関連している。 1 問題を解決可能な問題として、合理的、肯定的、建設的にとらえる。 2 問題を正確に評価する。 3 かわりの解決法を見いだす。 4 意志決定。 5 実行。 2396 認知療法ハンドブック(下巻) 認知行動療法家の中心となる仕事は、患者が、現実をどう構成(コンストラクト)し、とらえるかを理解できるように、手助けすることである。(マイケンバウム) →構成主義の視点。 2397 認知療法ハンドブック(下巻) 自殺について:高橋祥友 自殺の危険因子 1 自殺企図歴 2 精神疾患 3 援助組織の欠如 未婚、離婚など 4 性別 既遂では男>女 未遂では女>男 5 年齢 高くなると自殺率も上昇する 6 喪失体験 7 自殺の家族歴 または知人の自殺 8 事故傾性 ・自殺企図に際して表面的にはそれほど危険でない方法を患者が用いたり、他人を操作するための自殺企図のような場合でも、死の意図を簡単に否定してはならない。 ・狂言自殺と見えても、長期間の追跡をすると、一般人口よりも自殺率は高い。 ・患者の言動に突然の変化が現れた場合、たとえそれが表面的には改善の兆しと思われるような状態であっても、自殺の直前の予告兆候である場合がある。抑うつ症状が自殺決行の直前に突然改善することはしばしばある。 ・入院治療と外来治療の一貫性を保つことが必要。 ・チーム医療が有効。 ・家族の病理も注目。分離不安と非常に強い共生関係。→家族の中のあらゆる問題の責任をすべてある特定の人に帰する。それによって、より合理的な問題解決を回避する。家族はスケープゴートとされた人物の自殺行為に荷担することになる。 ○治療 ・自殺は何らかの有利なことをもたらすとの患者の主張に対して疑いを示す。 ・自殺以外の望ましい選択を提示する。 ・理由を探る。自殺によって何を求めようとしていたか。誰かに何かを告げようとしていたのか?状況がどのように変われば患者は自殺しないですむと考えているのか。 ・自殺したい気持ちになったとき、どうすればよいかを相談して一覧表にしておく。患者は常に持ち歩く。 ・どのような状況を苦痛に思っているのか。どのような状況に弱いのか?それは自動思考と関係していないか? ・年に一度程度は元気に暮らしていることを連絡してもらう。 2398 認知療法ハンドブック(下巻) 教育相談 ・未分化で混沌とした内的世界を分化成長させ、言語による情緒表出を可能にしてからでないと、外界とはつなげない。この、混沌とした内界を整理したり、そこに起こっている気持ちの動きに名前を付けたりという作業がまさに「認知療法的アプローチ」といえる。 ・治療者の側でさまざまな選択肢を提示する。 ・情緒的発達と言語的発達の両面。発達促進的なアプローチ。 ・言葉自体の意味内容に目を向けすぎず、その人の気持ちがことばの中にどれくらい含まれているかをよく見ながら言語化するように留意する。矛盾を明確にしたり、ことばを使って気持ちを変えようとしたりしても、気持ちがつながらないままに終わる。ことばに気持ちがうまく乗るかどうか。 ・情緒的つながりを特に大切にするのが日本人の対人関係の特徴である。 ・自分のパターンを知ること。 2399 老人の症状の構造 disabilityの原因とそれに応じた治療 ・神経細胞消失……代償促進 ・disuse……リハビリ ・症候性症状……現疾患治療 脳      末梢(筋肉など)   細胞消失 骨折・切断など 廃用性能力障害 廃用性萎縮 2400 病棟の臭いを何とかする たとえば柑橘系の香り 面会の家族にも不快な思いをさせない 職員の職場環境も考える 2401 脳が壊れるときや薬剤で脳機能が抑制されるとき、層構造の上位から機能麻痺が起こる。その場合、必ずしも陰性症状だけが起こるのではなく、陽性症状も起こる。 最上位の機能は微妙な抑制であるから、それが失われると脱抑制となり、活発になったりする。しかしそれは統制のとれた活発さではない。 一直線に「抑制」だけが進行すると考えるのは間違いで、一次的には脱抑制の時期が来る。その時間には長短がある。 2402 認知療法ハンドブック(下巻) ・面接時間を短くすれば、「悪性の退行」を防ぐことができる。 ・患者の心理的な健康感を高める。 ・人格障害の中核スキーマ(hard core schema)……「I am unlovable.」「I am helpless」 ・治療者の態度をモデルとして取り入れる。 ・境界性人格障害患者が対人関係から距離を置く形で落ち着いていくという、パリスの指摘。 ・現在の問題に焦点を当て、問題指向的、現実指向的な姿勢を維持する。過去を扱うときにも、現在と関連させる。 ・患者が怒りを激しく表明する場合、その場で直面化。背後に中核スキーマが活性化している場合が多い。 2403 家族が面会に来なくなるのは、病院に来ていい思いをしないから。何も報われることがないから。 改善案 ・臭い ・おむつ交換の場所 ・音楽(民謡、軍歌からクラシック、イージーリスニングまで) ・感謝のことば ・細かい報告 ・プライベートな面会室 ・面会記録簿のようなものを作り、どの患者の家族のどの人がどれだけ来ているかわかるようにする。 ・面会に来た時に治療団に対して要望があったら書いておくようなノートを個別に用意する。面会記録として大切なものになるのではないか。 2404 痴呆の行動障害のチェックポイント 徘徊 外出企図 好褥的 幻覚 妄想 同じ質問の繰り返し 人物誤認 独語 叫声、奇声、放歌 暴言、口論 破損行為 暴力 収集癖 荷造り動作 気候(?) 拒否 異常性欲 失禁 弄便 トイレ以外での排泄 食事忘れ・催促 異食・盗食 不眠 早期覚醒 夜間せん妄 2405 痴呆に対する心理社会的アプローチ リアリティ・オリエンテーション(RO) 回想法 音楽療法 コラージュ療法 絵画 折り紙 2406 痴呆 観察評価スケール 1 言語コミュニケーション 2 非言語コミュニケーション 3 注意・関心 4 感情 2407 遠隔記憶のチェック いくつになられましたか? 戦争 関東大震災 終戦 東京オリンピック ベトナム戦争 湾岸戦争 神戸大震災 オーム事件 その頃は何をしてどこにいたか? 結婚は 子供は 2408 痴呆 時計描画法 11:10 を描いてもらう。 2409 向精神薬は十分量を使わないと意味がない。ときには逆効果である。 脳の構成を大きく二つに分ける。本能的で衝動的な下位部分と、抑制的で制御的な上位部分である。下位部分は進化的に古いものであり、上位部分は進化の過程で後になって発生した。つまり、古くからある食欲や性欲といった本能部分を、後に発生した上位部分が抑制して、どんなときにどんなところで、そうした欲求を満たせばよいかを判断ししている。こうしたことで「社会性」を維持している。 老人性痴呆の場合、脳が壊れる。壊れるときには進化の歴史の新しいものから順に壊れることが多い。上記の脳の構造からいえば、衝動をコントロールする部分から壊れてゆく。痴呆の際の行動障害として下位の衝動が突出するのは上位の抑制部分が壊れるからである。これを脱抑制と呼ぶ。 普通の状態で衝動10に対してコントロール10だとバランスがとれている。 コントロール部分が壊れると10:5となり、衝動が突出する。 これを薬でコントロールする場合を考える。少量のみだと、コントロール部分をさらに抑制するので、10:5(差は5)10:4(差は6)となり、さらに衝動の突出を招く。適量を使用すると、衝動も抑えるので、5:2(差は3)くらいになる。これで衝動は抑えられることになる。しかし大量すぎると意識障害が起こったり、パーキンソン症状が強くなったりする。つまり少なければ少ないほどよいということは、向精神薬に関しては正しくないことになる。 つまり少量すぎると、抑制部分だけを機能停止させてしまうことになり、症状は悪化する。 (付加的考察) 抑制・コントロール部分が強すぎる人は強迫症。15:10くらい。 本能・衝動部分→コントロール・抑制部分→状況判断部分 の三つくらいに分けて考えたらどうだろうか。 上の三つの部分で考えれば、状況意味失認仮説の場合は最上位の障害ということになる。 セロトニン仮説はセロトニン過少だと衝動的になり、過剰だと過度の抑制で強迫スペクトラムに傾くという。 2410 「痴呆とケアのマニュアル」長谷川和夫監修 ・アセチルコリンの代謝 レシチン→コリン→(+アセチルCoA+コリンアセチルトランスフェラーゼ:ChAT)→アセチルコリン→(+アセチルコリンエステラーゼ)→分解 ・レシチンとコリンを増やしても効果がない。 ・CoAT活性を上昇させるのは有効。 ・AchEを阻害。フィゾスティグミンの効果は短すぎる。テトラハイドロアミノアクリジン(THA)をレシチンとともに投与すると効果があるが、肝障害が報告されている。タクリンは認可を受けている。 ・アセチルコリンのアゴニストとしてアレコリンがある。 2411 「痴呆とケアのマニュアル」長谷川和夫監修 ・急激な降圧は避ける。降圧目標を150-160mmHgと高めにおく。カルシウム拮抗薬を第一選択とする。 ・再発予防にアスピリンとチクロピジン(パナルジン)が有効。 ・せん妄に塩酸チアプリド(グラマリール)、ハロペリドール、プロペリシアジン(アパミン、ニューレプチル)、チオリダジン(メレリル)を少量眠前に投与する。 ・せん妄が続くとき、シチコリン(ニコリンなど)、メクロフェノキサート(ルシドリール)、TRH(ヒルトミン)などを経静脈的に投与。昼間の意識水準の上昇を図る。 ・物とられ妄想に対しては、薬物はあまり効果がない。不安を取り除き、情緒を安定させると次第に消失する。 ・抑うつ。ドスレピン(プロチアデン)、ミアンセリン(テトラミド)、セチプチリン(テシプール)など。塩酸ビフェメラン(アルナート、セレポート)、インデロキサジン(エレン、ノイン)も有効。 ・不眠にはエチゾラム(デパス)、ブロチゾラム(レンドルミン)、ゾピクロン(アモバン)、ロルメタゼパム(エバミール、ロラメット)などを短期間使用する。 ・いずれの場合も、感染症、脱水、発熱などの慎重なチェックが必要である。 2412 脳血管性痴呆のリスクファクター ・高血圧、心疾患、ヘマトクリット高値、高脂血症、高コレステロール血症、糖尿病、喫煙。 2413 ・痴呆の患者の不安……物忘れがあるので、常に「途中から映画を見ている感じ」になる。 ・家に帰りたいと訴えるとき、「ここはあなたの家ですよ」と言うのではなく、「一緒に帰りましょう」と言って散歩のつもりで一回りして、「さあ、帰りました」と言って自宅にはいる。 ・視力が良くないと夜になると物がますます見えにくい。明るいスタンドをつける。 2414 ・痴呆では動作性知能より言語性知能が保持されている。言葉を交わしたうえでは一見障害がないように見える。しかし実際の生活行動では間違いや危険なことが多くなる。 2415 ・徘徊する人には、その場限りであっても理由がある。 ・自尊心がある。子供扱いは好ましくない。 ・役割を与える。 ・正しい行動のきっかけを与える(モデリングなど)。頭ごなしの否定はしない。 ・寝たきりにさせない。関節拘縮、床ずれ、肺炎などが起こる。日中は布団を片付ける。 ・生活歴、習慣、癖、性格を把握する。文化的背景を知る。 ・介護にあたる人は計画的に介護に当たらない日を作る。 ・意志疎通が難しくなる。……目・耳の障害、記憶障害、見当識障害、判断力と推理力の低下、意志表示の困難、理解力低下。 ・感情は保持されていることが多い。プライドを傷つけられると怒る。 2416 だましに近いことば掛け ・遠足の後、ホームに帰ってもバスを降りない場合。「ホームに着きましたよ」とか「お昼ご飯ですよ」では降りないとき、「終点です」と言う。 ・妻がいないと騒ぐ場合。「隣の部屋で勉強しています」「薬をとりに行きました」などはだめだったが、「女の寄り合いに行きました」で納得した。その人の日常生活を知ることが大切。 ・自分の年は忘れても、相手の年は分かる。あまりに年下の職員に言われても納得しないことがある。少し間をおいて、年配の職員がかかわる。 ・自分が年寄りであると自覚していない場合、「おじいちゃん」「おばあちゃん」はまずい。自分の名前を忘れている人もいる。何と呼ばれれば認識するのか、確かめる。折にふれて姓名で呼びかけて自覚を促す。 ・簡潔に、一つずつ。 ・「おもらししたでしょう」はプライドを傷つける。「わたしお便所に行くの、一緒に行きましょう」と連れションする。 ・話しかける位置を工夫する。近くの正面から。後ろから呼びかけると振り向いてバランスを崩し、転倒する危険がある。 ・非言語的コミニュケーションが大切。不安・孤独に対して、手を握る、肩を抱く、背中をさするなど。 ・ひらかなより漢字が分かる。長い文はダメ。名前や「便所」を書いて貼ったら繰り返して読み上げる機会を作る。 ・24時間見当識訓練。折にふれて時刻を知らせる。 ・早く食事をと催促する人に……「いま支度中です」と答える。何度でも繰り返す。(●このあたりはあまり現実的ではない。そんな対応は普通はできない。)食べた時間を一緒に記録する。食器を小さくしておかわりをさせる。 ・失禁の始まりには時間を決めてトイレ誘導する。 2417 怒る老人 ・思い通りにならない時に怒るという形でしか表現できないことがある。 ・「お前は事務員のくせに、早くしなさい」と怒っているとき、事務員になりきり「はい、すぐにお持ちします」と応じる。(●こんなことまでするのだろうか?大変なことだ。続かない。) ・その人の生活歴を知り、興味や関心を利用して、気分を変える。怒りっぽいときに卓球のラケットを見せて「卓球をしましょう」と誘う。 2418 外出する人の理由 ・何かを探すため ・毎日の習慣のため ・不安や落ち着かない気持ちのため ・被害的気分から 2419 妄想 物とられ妄想、嫉妬妄想、見捨てられ妄想など。 2420 麻痺があるとき 麻痺のない方を下にする。 2421 口の衛生 ・歯磨きやうがいができないとき、番茶。 ・2%の重塩水(重曹と塩)を浸したガーゼを指に巻いて口の中や歯を丁寧に拭く。歯があるときは割り箸に巻き付けて拭く。 2422 膀胱炎の予防 尿が残っていると膀胱炎になりやすい。寝たきりだと残尿が多くなる。下腹部を押して出し切る。ポータブルに座った方が出やすい。 食事以外の水分を1000-1200ml程度に保つ。 2423 医者は何をあずかっているか。 医者は人間の一番大切なものである命をあずかっている。しかも精神科医は人間の魂をあずかっているともいえないだろうか。 脳をあずかっているというのでは不足であるように思う。診察室で、脳の話をしているのではない。 2424 人の脳の壊れやすさを考える。 子供の壊れた脳と老人の壊れた脳とは似ている。常同行為があったり。「チンタイ君」と「中途半端おばあちゃん」。 一般人でも、脳はさまざまに壊れている。痴呆の脳や障害児の脳と連続している。そのあたりを歩いている人も、脳がある程度壊れている。しかし大切な部分の損傷がそれほどでもないから、平気で生きていられる。それでも専門家の目から見ればやはり壊れている。 痴呆老人の脳機能の研究は、一般人の脳の壊れ方の極端な例として考えることができる点で、意義がある。 脳が壊れやすい時期は、胎児期と老年期である。障害児と痴呆になる。児童、青年期、壮年期は壊れにくい。しかしいろいろな要因で微細に損傷を受けている。 微細な損傷を判定する鋭敏な検査法があるか?できれば神経心理的に、脳の場所の特定につながるような検査法。 例えば、脳の機能停止を微細に見る方法。PETの高精度版。 精神病、たとえば分裂病やうつ病は、一般人の脳の壊れ方と同一平面にはない。別の次元の出来事であると考えられる。 2425 心と脳は同一か? 「脳は心である」とクセジュ文庫の一冊にある。そんなはずはない。構造は機能であるというならカテゴリーの混同をしている。 たとえば、「消化という機能を可能にしている構造が胃である」とはいえる。「胃は消化である」とはいえない。 「意識や思考、感情などの機能を可能にしているのが脳という構造物である」とはいえる。 心脳問題の核心は、霊魂の問題なのに、それを誰も明確にしない。そこを明確にすれば問題は簡単である。 さらに、「心」という言葉が何を意味しているのか、明確でない。心とは精神機能のことであると定義してしまえば簡単になる。しかしそうではない考えの人もいるのではないか?それも霊魂の考えと関係している。死後も存在を続ける霊魂の問題である。 1)霊魂はない。心とは精神作用全般を意味する言葉である。脳を含む身体全体、さらには伝承された文化や習慣の全体が、心の発生を可能にしている。その中心は脳である。脳があるだけで精神機能が発生するわけではない。感覚器や運動器が当然必要であり、栄養なども必要である。さらには脳の内容物とすべき文化全般が必要である。しかしながら、これらのものがあっても、脳がなければ精神機能は成立しない。その意味で、脳が心にもっとも強く関係している。 1ー2)脳から心が発生するとは到底信じられないとする考え。これは素朴だが強力で説得力がある。確かにそうだが、それは原理的な不可能を証明した上でのことなのか、それとも、我々がまだ知的に未熟で解明できないというだけなのか、その点を明確にしておきたい。現状では原理的な不可能が証明されたわけではない。 2)霊魂はある。心とは、霊魂の機能を含んだ、精神機能であり、脳の機能だけで全部ではない。 脳……心……意識、感情、思考 胃……?……消化 構造……?……機能 首相官邸、国会議事堂……?……政府機能、国会機能 そもそも物理学の全体、さらには科学の営みの全体が、神や霊魂を抜きにして世界を説明できるかという壮大な試みである。説明不可能であれば、やはり世界の構成要素として神や霊魂が不可欠であるということになる。 しかし説明不可能という場合、我々が知的に未熟であるからできない場合と、原理的に不可能である場合とがある。原理的不可能は証明されず、つねに我々が知的に未熟であった。それが科学の発展の歴史である。 神も霊魂もなしに世界は説明可能であると証明できたなら、神も霊魂も世界の説明には必要がないということを主張できる。主張できるのはそこまでで、「だから神も霊魂も存在しない」とは主張できない。 逆に、神や霊魂の存在を仮定せずには世界を説明できないと「証明」されることはあるだろうか。ないだろうと思う。せいぜい我々の知的な未熟さを確認するだけであろう。 つまり、科学の営みは、実用上の利益を別にして、世界論に関しての寄与で考えるなら、もっとも成功した場合にも、「神や霊魂なしで世界は説明可能である」ことを証明できるだけである。しかしそのことは偉大な一歩である。神や霊魂が実在しない可能性があるということだ。 逆に、説明が成功しない場合には、やはり神や霊魂が実在するだろうとの感触を強めることになる。しかしながら、いつでも、「それは我々がまだ知的に未熟だから」と考えて、結論を先送りすることができる。 2426 時と場合で変わる性格と変わらない性格 人間の性格を記述する際に大切なことは、性格は場面によって変わることではないかと思う。時と場合によって変わらない性格であれば、それは記述しやすい。それを因子分析して、独立な軸は何本などと論じることも良い。 しかし時と場合によって変わる性格については、どんなときどんな場合にどんな性格要素を発揮するか、そこにその人のパーソナリティがあると考えられる。 2427 認知精神医学序説(種田) ・密室恐怖に悩んでいるのは自分一人だと思っていたのが、自分だけではないと分かり、人に話せるようになった。 ・「密室恐怖は恥ずべきこと」とするベリーフが原因である。 2428 認知精神医学序説(種田) ・視覚的イメージは写真のようなコピーではない。経験がないのに、自宅を空中から見た図を思い浮かべることができる。小学校以来会っていない友人が、眼鏡をかけ白髪になっていても発見できる。 ・知覚は単なる外界のコピーではなく、知覚者が走査し抽出した諸特徴を組み合わせた構成物である。 ●ここに知覚の能動性がある。知覚は五感が抽出した特徴を脳内で再構成した何かである。人間が現実に存在するものと考えているものは、そうした構成物である。では実在そのものは何かということになれば人間には不可知である。長い進化の歴史の中で、抽出すれば有用であるような特徴が抽出されるようにプログラムされている。 ●知覚も再構成物であり、記憶も再構成物であるといえる。 2429 認知精神医学序説(種田) ALLportは英語で性格特徴を示す語を調べた。17565語あり、4500は環境への適応性を示す一貫した行動様式を意味していた。そのうち30%は他人に及ぼす影響を意味にしていた。たとえば魅力的、高慢など。 2430 認知精神医学序説(種田) 面接者について、「求職者面接だ」とセラピストに告げておくと、「現実的、熱心、快活」などと評価する。「精神科患者の面接だ」と告げておくと、「防衛的、依存的、攻撃的、敵意の抑圧」などと評価した。内的力動を問題にする性格理論のセラピストほどこうした方よりの傾向は著明であり、行動療法のセラピストはこのような偏りを示さなかった。 2431 認知精神医学序説(種田) ・権威主義の人は刺激のあいまいさに耐える力が乏しい。 2432 認知精神医学序説(種田) R.B.Cattelは「性格は、人がある状況におかれたときどうするかを予測するものである」と定義した。 2433 認知精神医学序説(種田) ・空間認知力がイメージに、言語は強迫性に関連する。 ・疑惑心、抑圧、否認、敵意、不信感、うつは強迫性を構成する重要成分である。同時に身体疾患にかかったり死亡しやすい性格タイプである。 2434 言語による認識は、時間系列に沿った一次元的なものである。たとえば音楽を時間をかけて聞いて初めて納得するようなもの。たとえば列車が次々に通り過ぎるのを見守るようなもの。 一方、イメージによる認識は、そうした時間の制約を超えて一挙に認識される。たとえばモーツァルトが楽譜を見ると、三十分の音楽が一挙に理解されるような事態。次々に通る列車も、もっと上空から見れば、一挙にその配列が理解される。 たとえば自閉症児。ばらまかれた豆が64個であると一瞬のうちに分かる。また、ある数が素数であるかどうか、常人を越えたすばやさで理解する。こうしたことは、イメージによる認識と関連しているのではないか。 2435 認知精神医学序説(種田) ブロイラーは言語連想の詳しい実験から、分裂病の症状や病理を理論化した。精神現象は感覚と感覚表象(イメージや観念を含む)の結合の結果として理解され、観念の連合が思考であり、言語がかかわる論理的(理性的)連合と感情がかかわる内閉的連合が区別された。分裂病の連想障害は前者が後者に圧倒されたものだと考えられた。 2436 認知精神医学序説(種田) ・執着性格は英語に訳すと強迫性格になる。森田神経質やヒポコンドリー基調も同じ。メランコリー性格も同じ。 ・うつ病では判断が滞るといわれるが、自分に関する限り極めて迅速で断定的である。自責など。また、相手に対する自分の影響力の強さを過大に評価している。そこで他人に申し訳ないとする断定が生じる。自分はダメだ、絶望的だとの推測は自信に満ちており、このパラドックスを理解しない。 2437 認知精神医学序説(種田) 「欲求不満の抑圧は不安をおこす」と一般には考えられているが、不満は抑えないで出した方がよいとするカタルシス説とともに、神話である。「ストレスがたまるとよくない」といわれるが、「ストレス下に長くいると抑制がうまくできるようになる」場合もある。ストレスが続いてたまるのは、不満や不快とラベルされ、手がかりとなった記憶であり、そんな条件下にいつまでも留め置かれた哀れさや怨みであろう。 カタルシスの技法が成功するのは神経症でも軽い人であり、自分の欠点や恥ずかしいことに直面しても余裕のある人である。このような人にはカタルシスを試みるまでもなく、説明するだけでよい。 2438 認知精神医学序説(種田) ・MASは不安そのものを測っているのではなく、不安に対する対処の仕方をある程度測っていると評価されている。 2439 認知精神医学序説(種田) ・強迫性は独断性である。 ・アレキシチミアとタイプAは同類である。さらに強迫性格と同類である。強迫者が増加し、時代によって強迫者のテーマが変化したと見られる。 ・平均的医師は強迫傾向を持つ。 ・強迫の三徴は、疑惑、罪悪感、過度の責任感。核になるのはわがままとマイペースの区別ができないこと。つまり独善性。独善性は他人の独善性と出会ったときトラブルになる。 ・タイプAは1)行動の性急さ、2)仕事への没頭や過剰適応、3)強迫的自己知覚 ・心身症の人は催眠にかかりにくい。 ・恐怖症の人は酒や薬の依存や乱用に陥りやすい。→依存者と強迫症者の関連。 ・精神病者の発ガン率。分裂病者は一般成員の半分、パラノイアでは四倍。 ・強迫の不安。不安だから強迫に至るのではなく、繰り返しているうちに不安になる。「自分で自分をコントロールした方がよい」とするベリーフを実行できないことが不安である。 ・強迫者は高い理想を自分にも相手にも求める。 ・強迫神経症の別名。理由付け狂、疑惑狂、決断不能症、永久熟考症。孤高ぶりから貴族の病。「思考、感情、行動のすべてにおける両極性。それは認知スタイルの偏りに起因し、言語処理への依存が本態であろう」(種田) ・強迫症の臨床では言語が目立つ。大脳左半球の過活性説につながる。否定文と批判文、「ねばならない」「するべきだ」が多い。 ・言葉による思考と推論が強迫者のもっとも際だったスタイルである。 ・些細なことを強く評価したり、意味づける傾向がある。それは妄想を育てやすい。 ・決定困難は「あいまいさに耐えられない」傾向を反映している。白黒つけたがる傾向。 ・LOI:Leyton Obsessional Inventory ・言語の働きを中心にすえた現代の教育や情報社会が強迫性を助長している。イメージの操作性を高める訓練や教育法が望ましい。 ●コンピューターで、MS-DOS環境はまさに強迫症者の世界であった。WindowsやMacの世界はイメージ操作の世界に近づいている。 ・強迫神経症の症状が、現代ではより妄想的に、あるいはより重くなったとの主張がある。環境の影響と考えられる。 ●コンピューター操作と強迫性は明らかに親和性がある。テクノストレスという場合、まず強迫性との関連が検討されるべきだ。次にはコンピューターリテラシーに欠ける人たちの不適応が検討されるべきだ。 ・アメリカではここ十年で恐怖症治療の施設が急増した。患者数は1300万人と推定される。 ・強迫症者は同じようなタイプを配偶者とすることが多い。 2440 小此木啓吾「困った人たちの精神分析」 ・性格の心理は他人との組み合わせの中での話として聞く必要がある。組み合わせによってそれぞれの性格のどの面があらわれるかという場合に「性格傾向」という。 ・パーソナリティはこれらの性格傾向を一つの心の働きとして司るような、個としての人格全体の構造と機能をいう。 ・結婚するときに好ましいと思った性格傾向が、一緒に暮らしているうちに、嫌悪の原因となる。 ・その人が環境の支えを失って、一人きりになったり、逆境におかれて、一番ひどい精神状態になったときにはどんな考えを抱き、どんな行動を起こすのか、という予測をたてて、その人を見る。(●ひどい悪文。お喋りをそのまま文章におこしただけ。) ・ミクロな狂いを見たら、距離をとる。 ・依存型。あまりにも見捨てられる不安が強いために、すべて自分と一体でなければ気がすまない。自分と相手の気持ちがちょっとでも同じでないとわかったときには、とても傷つき、見捨てられたと絶望的になって、飛び出して死んでしまいたくなる。 ・人間関係や社会生活におけるその人らしい適応の仕方や、その人らしい欲望や感情のコントロールの仕方が性格である。 ・境界パーソナリティ障害の人たち。良いときと悪いときの連続性がない。多重人格の場合には意識の変容が介在している。境界パーソナリティの場合には、意識変容の過程はない。認知としてはきちんと記憶しているのだが、感情状態の連続性がない。 2441 躁的防衛 悲しいこと、苦痛なことについて悩んだり、傷ついたりしている精神状態から、一挙に、このような心的リアリティを否認し、自分が頼っていたのに失った対象を過小評価し、自分は誰にも頼らず、元気で強いんだという自己像を描き出すことで、心の苦痛や悲しみを克服する心のメカニズムをいう。メラニー・クラインが定義した。(小此木) ●これでいいのだろうか? 2442 自己愛パーソナリティ ・誇大感を持っている。 ・すばらしい理想的な自己像を実現しようと努力している。 ・すぐに傷つく。 ・理想自己の実現にしか関心がないので、自分本位の思いこみがある。 ・人との共感性がない。 ・特別扱いを当然だと思う。 ・平気で人を利用する。 ・人に対する評価がころころ変わる。自己愛を充たす人はよい人、そうでない人は無価値な人。 ●誇大感と共感性欠如で全体のストーリーは組み立てられそうである。 ・誰かに自分の誇大感を投影して、崇拝して、自分の自己愛を満足させる人もいる。スターに対するファン、独裁者に対する大衆。 ・アイデンティティ型人間は安定している。そこから自我理想が失われ、個々人の裸の自己愛が残る。生身のパーソナルな自己愛の満足を生活の動機として暮らす人々を自己愛人間と呼ぶ。 ●たとえば医者でも、使用人根性が染みついた人がいる。ヘドが出る。 ●生身のパーソナルな自己愛の満足を人生の目標とすることなどできるものであろうか?なんという退落した人生であろうか。わたしなら一種の不全状態であると診断する。 ・自己愛パーソナリティの中の妄想タイプ。自己愛が過剰に肥大して、まわりから自分はきっとすごく尊敬されて大事にされているだろうと期待し、ときには思い込む。ところが相手はただの人として対応すると、自分の期待と現実のギャップがおこる。この細かいズレがすべて自己愛の傷付きになる。 2443 アメリカで 第一次大戦……肉弾戦……古典的ヒステリー 第二次大戦……遠隔戦・レーダー戦……自律神経症状(不安緊張、不眠、腹痛など) 日本は第二次大戦で古典的ヒステリーが多かった。 2444 強迫について たとえば老人や自閉症児に見られる常同行為は、行為の外見は似ていても、強迫症ではない。むしろ反対の事態であるといえる。 強迫症はコントロールの過剰である。自分をコントロールし、ひいては魔術的に外界をコントロールしようとする。 (だとすれば、強迫症の目印である、「ばかばかしいとわかっていてもやめられない」はどう解釈されるのだろうか?本当はわかっていないのか?) 常同行為は、コントロールの過少である。抑制中枢が壊れているから常同行為になる。 常同行為の治療は、 1)抑制中枢の再建 2)無害な常同行為への変換 3)常同行為実行部分を壊すことで行為を停止させる などが考えられる。 2445 自動車の運転 セルフ・コントロールの回復に役立つ 掃除や整理整頓と同様である。 2446 ピッチャーは完全主義者が多い 小さい頃からの成功体験が彼らを支えている。エースで四番という種族である。努力家である。自分と試合を完全にコントロールしようとする。 ところが予期せぬエラーが発生した場合、全か無か思考により、試合を続ける緊張が切れてしまう。 過剰なコントロール願望は達成されずに失敗に終わることも多いだろう。 2447 迫害(妄想)的なポジション いじめられたり心を傷つけられたりしたとき、ひがみやすい人、怒りっぽい人は、普通の人の十倍も二十倍も怒る。その怒りを相手に投影するので、相手は実際の何十倍も意地悪でひどい人で、自分をいじめていると感じてしまう。このような状況を、その人の心が迫害(妄想)的なポジションに落ち込んだという。 人間の心はときどきこの迫害(妄想)的ポジションに落ち込むことがある。しかも、そのたき自分の怒りを投影し、そこで経験される相手のいじめや迫害が本当に起こっているように思い込んでしまう。そうなると、実際に相手が悪いのだからという気持ちになって、いくらでも自分の怒りを向けることができるようになる。 2448 超自我 罪悪感が引き起こされる信号系 2449 ミッチャーリッヒ「喪われた悲哀」 ナチスに同化してサディズムを発揮していた軍人が、敗戦後、戦時中のサディズム心理をどのようにして人格の中に再統合したか。 2450 罪の意識から罪を行う者 ・自分が罰を受けるために悪い子になり、罰せられた後でかえって心が静まり穏やかになる。事故頻発など。 ・拡大すると「死の本能」になる。 2451 境界例の意味 1)精神機能水準として 2)パーソナリティのタイプとしてDSMでいうような意味。不安定型パーソナリティと同義。 3)一つの症候群として。 4)特有な発達障害の固着を持つものとして。 5)精神病とのスペクトラム・ケースとして。神経症と精神病の境界。 それぞれのパーソナリティ障害のレベルが、より病的なものになり、障害の程度が重くなると、共通の病像が見られる。それを境界型パーソナリティ障害と呼ぶ場合もある。 2452 境界例 ・本人の中で感情の動きがあまりにも大きいために、自分一人では処理することができない。それが苦悩の源泉である。相手を巻き込んで、相手とのトラブルの中で自分の感情を処理するという奇妙な対人関係のパターンを持っている。 ・感情や衝動の自己調整能力が著しく脆弱である。相手を巻き込んで、相手との関係の中でしか自分の感情や衝動を処理することができない。 ・自分の機嫌が悪い。一人でその機嫌がおさまるのを待つことができないときに、彼女は相手の機嫌が悪く、自分に冷たいと感じる。これを投影性同一化という。そして、何とか相手の機嫌が悪いのを鎮めようと思って、あれこれとコントロールを始める。自分で自分の感情をコントロールするよりは、相手の機嫌が悪いのを慰めると思うと自分の感情の処理もうまくできる。 ・ある女性はゆううつで苛立った気持ちを自分で処理できない。看護婦になり、亡くなっていく方の看護と死を看取る仕事をするようになって、長年にわたる抑うつといらだちははるかに軽減された。 ・人間には、自分の感情を自分一人で処理する以前に、相手に投影して、相手の気持ちをうまく扱うことで自分の感情を整理する、そういう心の段階がある。 ・もともと演技型であったり、依存型や自己愛型であった人々が、そのパーソナリティ機能がうまく働かなくなって破綻したとき、あるいは、それがより病的な状態のときに、境界パーソナリティ障害の状態を呈するのだと考える。演技型はますます演技型に、依存型はますます依存型になる。 2453 自己愛 理想自我があまりに肥大した場合が誇大自己。誇大自己にふさわしい自分でいなければならないという思いこみの過剰な人が自己愛パーソナリティ。 2454 道徳観やタブーが強固な世界では、超自我ー自我の仕組みがあった。このような内的規範を持つことなしに暮らすようになった現代では、心の仕組みが変容を遂げる。裸の自己愛を満たすために行動するようになった。欲動と自己愛の満足、この二つを追求するのが現代人の心のあり方である。境界パーソナリティ障害はこうした心のあり方の反映である。(小此木) 2455 心の満足を得ようとする。「どうなれば満足か」については、社会的に決定されていることが多い。それが流行である。宗教やイデオロギーといったいわば「大きな規範」は衰退したが、それに代わって、「小さな規範」が現代人のまわりを取り囲んでいる。 裸の自己愛と小此木は言うが、イデオロギーもない時代に、自分で自分の自己愛の方式を工夫できるわけではないだろう。マスコミに乗って流れてくる「小さな規範」をキャッチして生きているだろうと思う。 アイデンティティの問題にしても、大きなアイデンティティは衰退して、「複数の小さなアイデンティティ」が現代人を取り囲んでいる。 人間の脳はいつも内容物を必要とする。ちょうど、コンピューターのハードとソフトのようなものだ。 2456 医者不信 疑い深い妄想的な人格傾向の人にしばしば見られる。 2457 排便、食事、通学、性生活など、基本的な生活機能が別な心の葛藤を処理する手段に用いられる。その結果、生活機能が障害される。こうした基本的な生活機能が自律的に営まれていることが、パーソナリティの健康度の指標になる。 2458 パーソナリティの評価 1)一貫性、まとまり 2)現実検討 3)自己愛がどの程度満たされているか、超自我とどう関係しているか。 4)周囲への影響を評価できるか。 5)支配・達成の能力。職業的な能力。 ●こうした記述は全く散文的で、「昔からの知恵」で、「孫引き的」で、原理原則に欠ける。 2459 「わたしならきっと助けてあげることができる」「わたしなしではいられないのだから、あの人のために人生を捧げよう」と思うとき、相手の人がいつも波乱万丈のトラブルを繰り返している人ではないかどうか確かめる必要がある。 2460 ○○さんと呼ぶか、おじいちゃんと呼ぶか 「わたしはあんたのおばあさんではない」との考えもわかる。また、あまりに年寄りの看護に「おばあちゃん」と呼ばれたくないのもわかる。自分は35歳のつもりなのだから。 しかし一方、病棟での役割があり、人間関係がある。孫くらいの年の職員に自然な感じで「おばあちゃん」と呼ばれるのはいいものではないだろうか?疑似家族のようになった場合、「○○さん」とは呼ばないだろう。やはり役割の呼称である「おじいちゃん」「おばあちゃん」が一番落ち着くと思う。 その場にどのような人間関係が発生しているかが背景の問題としてある。入居者または入院患者であり、職員である、そのような関係の場合には○○さんと呼ぶべきだ。しかしそこに徐々に疑似肉親のような関係が発生して自然に「おばあちゃん」と呼ぶ関係ができたなら、それはとてもすばらしいことだ。 「お前なんかにおばあちゃんと呼ばれたくない」となるか、「わたしをおばあちゃんと呼んでくれてうれしいよ」となるか、どのような人間関係ができているかにかかっている。 入院している人たちはいままで○○さんと呼ばれてはこなかっただろう。特に家ではそんな呼ばれ方はしてこなかったはずだ。 病院をホテルに近い場所として考えるなら、呼び方は○○さんだ。しかし家庭に近いものとして考えるなら、「おばあちゃん」だ。そして、生活の場は家庭である。ホテルではない。それが普通ではないだろうか。 2461 できるところから ステップ・バイ・ステップで。 公文式の宣伝文句。 2462 分裂病 病院が変われば病像も変わる。そんな病像に普遍性はない。普遍性がないのになぜ分裂病と名付けるか。 環境因子を排除した「真水の病像」「真の病像」「環境と反応する以前の病像」そんなものがとらえられればよい。 2463 分裂病の妄想と痴呆の妄想 原則的には分裂病では超越者の登場がある。痴呆では記憶の障害や認知の障害が前提となり、反応性にあらわれた妄想である。前提をおけば、あとはある程度了解可能な性質のものとも言える。 違うようでもあり同じようでもある。分裂病と同じ妄想を呈する人は分裂病と呼びたい気もする。しかし経過が違いすぎる。しかしまた、痴呆と呼ぶにはやや特殊な像を呈している。 痴呆は次第にレベルダウンして、いわば「陰性症状」の集合体になる。 痴呆で神経細胞が脱失するにしたがって陽性症状や陰性症状が現れることはまさにジャクソニズムの典型例である。 前提をおいて、その先は了解可能であるというのなら、分裂病でもそのような面はあると言えるのではないか?状況意味失認などはそのあたりの議論に役立つ。 2464 人間と人間がいれば、対人関係による癒しが成立する。 まず好かれること。なじみになること。そのために専門性や権威が役立つ。 2465 アルツハイマー型痴呆はゆっくり進行する。血管性痴呆に比較して機能代償がおこる余地がある。 →逆に、アルツハイマーは急速に進行するから、血管性のような「まだら」な様子が覆い隠されてしまうのかもしれない。 →血管性は空爆で町全部が機能を停止するようなものだ。アルツハイマーは町の住人がひとりひとりあちこちで死んでゆくようなものだ。一人死んでも周囲の家族で機能を補完したりする。 要するに、痴呆とはcomaに至るさまざまな道のことである。それまでのプロセスがさまざまにあるということである。ときどきは陽性症状が出たりもする。 2466 ジャクソニズムを膝蓋腱反射で説明するとわかりやすい。 痴呆の人が環境刺激に過剰に反応するのは、膝蓋腱反射と同じことが起きている。抑制が壊れている。 2467 痴呆の症状と経過 ・症状の分析 痴呆症状(陰性症状+陽性症状)‥‥神経細胞消失の結果 ストレス反応症状(症状ストレス+入院ストレス) 廃用性能力障害 病前性格またはその先鋭化 薬の副作用 身体障害による活動制限がもたらす病像 意識障害 正常な老化 ・治療メニュー(あまりない) 薬物 支持的精神療法(なじみになる、好きになる、秘密を共有する、家族に似た関係) リハビリ(OT、SST、ADL訓練) 集団レク 個人レク 2468 入院中でも家族に協力していただきたいことを考える 一緒にご飯を食べる 散歩の相手 古い写真を見て懐かしむ 回想法に家族を入れる など 1997年11月17日(月) 2469 痴呆の中で 軽度(日常生活にほとんど支障がない)‥‥40% 中等度以上(日常生活に支援が必要)‥‥60% 2470 随伴症状 ケアを難しくしているのは随伴症状である。 アルツハイマーより脳血管性痴呆に多い。 2471 アジア、アフリカで生まれたユダヤ人は欧米で生まれたユダヤ人よりもアルツハイマー型痴呆の発生率が低かったとの報告がある。 人種よりも生育環境に問題があるとの議論もあるが、まだデータが少ない。 2472 正常老人が多い性格 同調型(明るい、社交的、開放的) 執着型(責任感、頑張り屋、義理堅い) 痴呆老人が多い性格(アルツハイマーにも血管性にも共通) 感情型(気性が激しい、短気、わがまま) 内閉型(閉鎖的、非社交的、人にとけ込めない) 精神的にも身体的にも活動性に乏しい消極的で不活発な人→若い頃からのライフスタイルが問題 2473 痴呆症状を規定するのは、基礎疾患ではなく、脳病変の部位や大きさである。 →これは分裂病と同様。疾患は「経過」を規定する。 皮質痴呆(アルツハイマーや進行麻痺)=言語、行為、認知、記憶、高次精神機能の障害 皮質下痴呆(パーキンソンなど)=幼稚化、自己中心的、抑制欠如、人格の障害、精神機能の緩慢化、意欲障害 辺縁痴呆(ウェルニッケ・コルサコフなど)=際だった健忘、特異な人格変化 白質痴呆(ビンスワンガーなど)=高次精神機能障害に加え、人格障害や意欲障害 ●しかしながら、場所によって著しく異なる印象でもないと思う。観察者の感度が鈍いだけなのか。 2474 痴呆の鑑別として切実なもの 正常老化 仮性痴呆‥‥非器質性・可逆性の痴呆。たとえば廃用性、心因性、症候性(たとえば代謝疾患)がある。 抑うつ状態 軽い意識障害 ●仮性痴呆は普通は「うつ」のときに用いる。 ●正常老化、うつ、意識障害、廃用性、心因性(神経症性、ヒステリー性)などが痴呆と鑑別すべき状態ということになる。 廃用性要因に対しては、多少時間がかかっても自分でするように仕向けることが大事である。 2475 天秤法    老年痴呆 高度の痴呆 もっともらしさ、人格の形骸化 進行性経過 多動、落ち着きのなさ 無関心 記憶障害、失見当 ▲ 高血圧の既往 人格の保たれ 感情失禁 言語障害 急激な発症、段階状悪化 神経症状    脳血管性痴呆 血管型はより身体的である。 アルツハイマーはより精神的である。高次機能がおかされている。微細な変調を補完しながら症状は進行するのだろう。「もっともらしさ、高次機能の形骸化」が本質的であるかも知れない。補完しようがない部分が記憶である。取り繕うにも限度がある。 2476 全身疾患に伴う二次性痴呆の経過 内分泌疾患→ 血行性→ 脳細胞の代謝障害  → 脳器質病変 代謝疾患 意識混濁・自発性低下 痴呆 中毒 可逆性 非可逆性 2477 痴呆の精神症状 中核症状‥‥器質性病変、非可逆性@ 周辺症状‥‥機能的病変、可逆性    意識障害あり‥‥せん妄A    意識障害なし‥‥通過症候群B 実際の症例では、@ABが混在して病状を複雑にしている。 意識障害‥‥急性の脳神経細胞エネルギー障害 通過症候群‥‥中枢神経系のシナプスにおける神経伝達物質の放出低下または放出過剰、あるいはシナプス後受容体の感受性の低下または亢進が起こり、神経回路網での相互調節作用が崩れたために起こるのではないかと推定されている。例えば、幻覚・妄想の発現機序として、中脳ー辺縁系のドパミン系シナプス後受容体の感受性の亢進が推定されている。 ●通過症候群をこのように解説しているのは初耳。 ●通過症候群が治るのだから、分裂病も治りそうである。 2478 老年期痴呆ではいきなり器質病変が出現するのではなく、なんらかの機能的病変が進行し、次第に器質病変が完成して痴呆が発現すると考えられる。 ニューロンやシナプスに起こる機能障害→器質病変のプロセスの一部が、薬物治療によってある程度まで代償的・補充的に回復するからであろう。 ●つまり、機能的病変の代償をしておけば、器質病変は進行しないだろうということだ。イメージとしてはつかみやすい。 しかし現在の痴呆の薬はそのような働きをしているのだろうか? 2479 痴呆の薬物療法の説明 患者を穏やかに保つ 介護の負担を減らす パンフレットを作っておく 周辺症状を緩和する 進行を遅らせる 対人関係を良好にする かえって痴呆が進行するように見えることはあるが、その事情を理解していただく→意識障害に関連して 痴呆患者を中心とした家族システムの全体を支援するといった視点が大切 2480 行動異常の分類 ・精神運動興奮を基盤とするもの‥‥周辺症状に相当する‥‥過剰活動、攻撃性‥‥薬物 ・知性の低下により見当違いの行為に及ぶ‥‥迷惑行為‥‥介護 ・脱抑制‥‥摂食異常、性的逸脱‥‥介護 2481 室伏の介護五項目 ・受容して安定感・安心感を与える ・禁止せず先延ばしする ・関連した別のことで要求の一部をかなえてあげる(帰宅要求に対して散歩など) ・「なじみ」による心理的結合を利用して患者に納得してもらう ・薬物も大切 ●要するに嫌われないように気をつけなさいということのように思われる。「今は嫌われても本人のためだったと後で分かってもらえる」といった教育的観点は有効ではないと思われる。今があるだけ。「いま好かれること」それが一番大切なことだ。 怒鳴ったりするのは最低である。 2482 薬物は急速に増量しない。不十分な面は看護によって補いながら様子を見る。 高齢者では長期間にわたって血中濃度の上昇が続くこともある。急ぐと過鎮静や筋弛緩、錐体外路症状が出る。 慎重と我慢。 介護に重きをおく態度。介護を補助するのが薬物。 老人は血中濃度がプラトーになるまで時間がかかる。これは大切。 2483 VB12はアルツハイマーや血管型痴呆で脳と脳脊髄液で減少していると報告されている。メコバラミンが有効と議論されている。 ヘキストール、アバンに神経細胞保護作用。脳虚血後の delayed neuronal death から保護する。 セレポート、エレンは抗うつ作用。 脳循環代謝改善剤は意欲、感情、自覚症状に効く。‥‥サアミオン、ヒデルギン 脳代謝賦活剤は意欲、感情に効く。‥‥全般を指す。 8週で有用性が判明する。 よくならないのに3ヶ月以上続けても無駄。 調整的‥‥ヒデルギン、アバン、サアミオン 賦活的‥‥シンメトレル、セレポート 抑制的‥‥ガミベタール、サアミオン エレンの位置づけは人によって違う。 併用は単独よりも有効。 サアミオン+(アバン、エレン、セレポート) 問題行動や活動過剰型のせん妄に対して、アバン、ヒデルギン、ブレンディール、コメリアン、サアミオン、ドラガノン 活動減少型のせん妄に対して、ニコリン、ルシドリール 痴呆のうつにエレン、セレポート、オイナール セレポートで不眠が解消する 早期診断の技術があれば早期治療ができて、治療の有効性が高まる。 高血圧を伴う脳血管障害慢性期には降圧作用のある脳循環改善薬がよい。脳血流を低下させることなくむしろ増加させて全身血圧を低下させる。→ヒデルギン、ペルジピン、カリクレインなど 心電図に虚血性変化がある場合には、ロコルナール、コメリアンなど 血圧は少し高めに維持しないと脳血流を維持できない。緩徐に降圧する。 強い抗血小板薬よりも、抗血小板作用を有する脳循環改善薬がよい。 2484 最大酸素運搬能‥‥ヘマトクリット33% 脳循環改善薬の第一の標的症状は、脳循環障害に基づく自覚症状、たとえば頭痛、頭重、めまい、頭鳴り、耳鳴り、手足のしびれなど。次いで精神症状。 2485 脳循環障害 軽いがびまん性の循環障害(正常の80%程度)……自覚症状 中等度のびまん性循環障害……精神障害、意識障害 著しい局所的循環障害……神経症状……短時間で不可逆的変化をもたらしやすいので器質的病変になりやすい したがって、脳循環を改善すると、自覚症状、精神症状、神経症状の順に改善しやすいことになる。 脳の血流低下が長期間続くと、明らかな再発作を起こさなくても、症状が徐々に進む。アスピリン(消化器潰瘍があるときはだめ)やパナルジンが再発予防に有効。 脳血管性痴呆は一度の発作で痴呆化する場合もあるが、多くの場合は再発を繰り返すことによって次第に痴呆化する。あるいはビンスワンガー型梗塞による痴呆のように明らかな再発作を起こさなくても長期にわたって脳血流があるレベル以下に低下した状態が続くことによって、痴呆化する。 痴呆化する前にはある期間脳血流(CBF)の低下が持続することが必要である。そのうちに脳酸素代謝率(CMRO2)が低下し、これが両側前頭葉におよぶと痴呆化する。したがって、痴呆化する前に、CBFとCMRO2を維持するようにすることが大切。 ●リハは廃用性障害にも有効だし、脳血流量や脳酸素代謝の点でも改善をもたらす。 2486 老年者の薬の副作用 細胞内水分比率が減少し、脂肪比率が増加する。したがって、水溶性薬剤では血中濃度が上昇しやすい。脂溶性薬剤では作用が遷延しやすくなる。 代謝と排泄は低下する。老化に伴う腎・肝機能は検査では検出されにくい。検査が正常でも、クリアランスは低下している。内因性クレアチニンクリアランスが一つの指標となる。 フルナリジン(フルナール)でパーキンソニズムが起こる。 2487 痴呆患者の治療 環境改善、やさしく暖かい語りかけ・接触、薬物療法の順に大切。 薬物療法の目的としては、知的機能改善、周辺症状(意欲低下、情緒障害)の改善、問題行動の抑制があげられる。 ●意欲低下は周辺症状か? 2488 脳代謝改善薬の第一義的な場は(星状)グリア細胞である。 2489 処方の実際 麦角アルカロイド(脳循環改善作用が強くしかも神経伝達調整作用が強い。ヒデルギン、オイナール、サアミオン)を基礎に、効果発現の早いセレポートあるいはシンメトレルを併用する。 アルカロイド系は頭痛、頭重、めまいなどの自覚症状に効く。 シンメトレル、セレポートは自発性、意欲を改善する。 エレンはドーパミン系を抑制するので、夜間せん妄など問題行動が合併している場合によい。 薬の大量投与によってかえってイライラしたりボーッとなったりする。注意が必要。一、二種類に限るべきである。 2490 吸収速度は液剤、錠剤、粉剤、時効性剤の順である。 成人に比して有効量と中毒量が近い。 2491 痴呆患者では認知や判断の障害があるため、妄想、曲解、誤解、怒り、不安が起こりやすい。それらは言語化されず、おちつかなさ(不穏多動)、失禁、弄便、せん妄などの行動で表現される。 2492 痴呆の妄想 被害妄想の対象はもっとも身近で本来は依存の対象となるべき人である。たとえば嫁。「弱者の攻撃」と言える。弱者の立場に立たされたという情けなさも前提としてある。 2493 強迫症状を呈する患者。家族も強迫傾向がある場合が多い。配偶者は特にその傾向がある。 ●強迫傾向に関しては、 1)上位の抑制低下による下位の強迫(これは常同行為と名付けた方がよい性質のもの)と、 2)下位の不全を補うために上位の強迫を発動する場合(過度のコントロール)と 二種があると考えられないか? 痴呆患者の場合、内省が欠如していれば、強迫症状の標識を確認することはできないはずである。 2494 痴呆の暴行にもたいていは理由がある。 言葉による暴力、無視、善意の過干渉など。 2495 抗うつ薬 せん妄の予防の点からは、抗コリン作用の少ない、認知機能に影響の少ない薬剤がよい。まず脳循環改善薬の系統から選択する。シンメトレル、セレポート、エレンなど。またスルピリド300mg程度まで。 ミアンセリンはうつと不眠の両方に効く。 ハロペリドールはせん妄に有効であるが、副作用として抑うつがあるのでできれば使わない。(●!) 2496 アルツハイマーの健忘に伴い、ものとられ妄想や作話性妄想が生じる。これらは適切なケアをおこなえば薬はいらないと室伏はいう。その原則は 1)急激な変化を避ける。やむを得ないときは早くなじませる。 2)安定の位置を占めさす(●?) 3)受容する。理解する。 4)尊重する。 5)ペースにあわせる。 6)老人同士の集まりを作る。 7)適切な刺激を少しずつでも絶えず与える。何かやらせる。 8)? 9)日常生活の基本動作を訓練する。 10)個々の反応様式や行動パターンをよく把握する。 ●決まったことをさせる、むやみに変化を与えないという方向と、適切な刺激を与えるという方向は逆の向きである。時と場合に応じ適切なミックスでということになる。このあたりは分裂病のリハと同じで、適切な負荷量がある。それを見る技術を開発すること。 2497 セレネースは3mg/1日程度まで。 アーテンは抗コリン作用を強め、せん妄を生じる危険がある。むしろヒベルナ25-50mg/dayを用いれば適度の鎮静にもなる。 抑うつを伴う幻覚・妄想にはスルピリド。 急性に生じる幻覚・妄想ではせん妄を疑う。 2498 痴呆死の特徴 1)肺炎などの感染症、2)骨折外傷、3)脱水、栄養障害、4)皮膚潰瘍 痴呆に関する医療は進行のある時点からは、合併する身体疾患の治療と予防に診療の重点が移る。 合併症の問題点 1)病識欠如 2)苦痛や症状を正確に表現できない。他覚所見に頼らざるを得ない。→これは神経症の場合でも似ている。 3)検査ができない場合が多い。 2499 痴呆と肺炎 寝たきりの場合、分泌液貯留傾向。肺血流はうっ血に傾く。球麻痺の場合は誤嚥。免疫能低下。 肺炎の始まりが不明瞭な場合も多い。 小さな誤嚥で小さな無気肺が生じる。 胃液が混入した吐物が気道にはいると予後が悪い。 肺炎の起炎菌の同定は必要。 2500 脱水 ・原因 体内総水分量の低下 水分摂取の低下 低張尿の持続排出・下痢(利尿剤・下剤に注意) 内分泌不全 発熱を伴う種々の感染症 長時間の徘徊の後 不食後、嚥下困難 ・影響 血液粘性の変化を背景に心筋梗塞や脳梗塞を併発することもある。寝たきりに移行することもある。 2501 褥そう 頻回の体位交換、体動促進、入浴、マッサージ、局所の清潔保持 二日寝込んだら褥そうあり プロスタグランジンE1、カリジノゲナーゼ 赤外線温熱、紫外線殺菌乾燥、イソジン糖、蛋白分解酵素、手術。 Campbell分類 2502 痴呆の心理療法の意義 ・残された能力を引き出す ・痴呆の進行を遅らせる ・覚醒レベル低下や注意集中困難は保たれている能力の発揮を妨げる。これらを取り除くことが有効。 ・心因性・環境因性部分は必ずある。 ●しかしながら、言葉が脳に届かない場合が多いだろう。環境を調整することが実際的である場合が多いのではないか。 2503 リハビリの二つの方向 ・患者の心理機能を変えて環境に適合させる‥‥この場合無理な訓練になりがちである ・環境を患者の心理機能に適合させる‥‥この場合過保護になり本来の能力をも埋もれさせる結果になりがちである ・従って、両者の程良いブレンドが望ましい。 ●これは精神のリハビリと同じ事情である。ベストな中間地点がある。 2504 リハの内容 1 集団処遇 ・環境整備‥‥豊かな環境 ・小集団‥‥仲間意識 ・スタッフの首尾一貫した態度‥‥個人として尊重し、適切な行動を奨励強化し、患者とコミニュケーションを保ち、しかも依存性を高めない。そのためにカンファレンスが大切。 2 個々人の生活史に応じた治療計画 指針として 刺激と活動(OT、感覚刺激、体操など)、RO(見当識強化)、環境療法(自立、依存からの脱却)、行動療法 運動やゲームは心理的にも効果がある。→覚醒水準を高め、精神活動を活発にする。 効果を左右する因子 治療頻度、患者の準備状態、動機付け、スタッフの態度 ●リハが有効な症例を鑑別して取りかからないと、燃え尽きになる。 ●集団運営としての発想と、個人のリハとしての発想のブレンドが必要である。 2505 ROの準備 眼鏡、補聴器、義歯 刺激の選択 ゆっくり話す 同時に触るなど多感覚モードを使う 非言語的メッセージを大切にする (後ろから声をかけない。正面からゆっくりにこやかに接近する。) 独立した大人であるから、選択の自由と独立性を保証する 時計・カレンダーを見やすい位置に置く 風呂場・手洗いの位置を見やすく表示する 家具、寝具などの色・形も識別しやすいものにする 短い文章で語りかける 反応を促す 待つ 繰り返す 記憶に残っている部分までいったんかえり、それと現在を結びつける(●実際はどうする?) リラックスさせる スタッフを好きになるように配慮する 2506 回想法 ・老人のグループに子供の頃から今日までのライフ・イベントを順を追って回想させるセッションを45〜60分、週に二回実施した。 ・自分史を語らせ、支持的精神療法を行う ・家族を参加させるセッションを設定しても効果的であろう。たとえば家族のアルバムや思い出の品を持参してもらい、思い出話をする。 ・患者は病院で、まるで「透明な存在」になったかのようである。個人の歴史を剥奪されて、ただの老人として処遇されている。 2507 食堂のテーブル配置、飾り付け、水差しの置き方、職員の動き方などが患者間のコミュニケーションに影響すると報告された。 ・児童施設との共存もよい面がある。 2508 家族をサポートする ・家族会が役立つ ・デイケアなど限られた時間だけ患者をあずかるタイプのサービスは介護者の神経症的諸症状を軽減させない。フルタイムの入院や入所が必要。 ・介護の一部を肩代わりすることにとどまらず、介護者自身の精神状態に焦点を当てた独立した精神療法的支援が必要。 2509 職員をサポートする ・日々進行する障害をケアする仕事で、モラルを維持し、意欲を保つことは困難である。 ・他職種カンファレンスを定期的に行う。患者についての情報を交換し、かつ、職員間の感情的な問題などを処理してゆく。 ・患者との話し方、接する態度。このなかにROや回想法を導入する。 ・いつまでも同じことが続くと感じられる職務に、変化をつけ、惰性に流れることを防ぐ。 ・がんばっても本質的によくならないことの徒労感。 ・ある時点から先は身体ケアだけに時間をとられるようになる。「痴呆」のケアは置き去りにされる。 ・絶望は孤独の中で深まる。前向きな、よいチーム治療ができているか。 ・介護の専門技術を高めあう環境。 ・対人関係のトレーニングが大切。 ・高度にトレーニングされたリーダーが必要。 ・看護婦は情報把握と報告を通じて、医師や同僚の批判にさらされる。誤りが訂正される。介護職員にそのような場があるか。 ・研究会などで交流。 ・特有のマンネリ。閉鎖された得意な社会を形成することが多い。 ・「相互批判を欠き、批判に対して集団的な反応で拒絶し、無気力に傾きやすい職場」VS「いきいきとした明るく創造的な職場」 2510 介護は、介助>指導。ケアは指導>介助であり、治療を志向している。 ●しかしながら指導は実に困難である。 的確な治療目標と、方法。 ●適切な治療目標を設定し、その具体的な方法については担当を決め、各自の研究に待つ。そのような運営ができないか。 2511 アルツハイマー型老年痴呆では健忘や人格変化は、家族でも異常と気付く頃は痴呆プロセスは急激で、患者が本格的に悩むのは数ヶ月程度と短い。 初老期アルツハイマー病では、人格は比較的長く保たれるので、長い間悩むことになる。 脳血管型痴呆の場合、多発梗塞性痴呆ではなかなか本格的に痴呆化しないことが多い。 ●病識があるうちは本人は苦しい。精神療法が必要である。孤独がつらい。コミュニケーションを保つ工夫。 2512 痴呆のケア 1 なじみの関係‥‥擬似的家族でもよい。安心がある。 2 現在を現実化すること。現実検討。 ・喪失体験に由来する存在不安を受け止める。なじみの関係を作る。 ・同調・迎合の態度。こうした老人の態度をスタッフも真似をする。老人との接点が生まれる。弱者の適応。‥‥好かれること。対決しないこと。その場限りでも好かれること。 ・保守的 ・廃用性能力低下になりやすい‥‥孤立させると退行する ・感情や行動、理解や思考のパターンを知る ・イメージを想起できない。そこで、ヒントになる視覚的な事実を提示しながら、繰り返して教える。 ●イメージで思考できないとすれば、情報処理能力は決定的に低下する。「一挙に写真を見る」ことと「一文字ずつ文章を読むこと」との対比に似ている。 ・現在を過去として生きている場合、直面化して訂正するにはタイミングが大切である。まず過去化した現在を肯定する。 ・知的判断は障害されているが、日常生活の交流、手順記憶(技能的記憶)などは保たれている。 ・部分同士が矛盾していると指摘しても説得できない。むしろ感情レベルでの共感が大切である。論理ではなく感情。 ・変化に弱い。‥‥変化させるときは変化しないなじみのものも残すように工夫する。 ・形骸化しているがもっともらしい行為。‥‥まずは受容する。 ・日課を固定し、時間を構造化する。 ・空間構造をイメージできない。‥‥トイレの位置に分かりやすい標識を与える。 ・今の瞬間に生きている。失認、失語、失行などを理解する。 ・性格の先鋭化 ・無自覚、病識欠如 ・無配慮 ・無反省 ・抑制できない‥‥脳因性なら薬物、心因・環境因性なら心理療法・環境調整。 2513 禁止するときも、好かれながら。 この矛盾を両立させることが専門技術である。 甘やかさないが、好かれている。 信頼されているが、依存されていない。 訓練しないが、迎合しない。 2514 薬物で「元気が出る」ことと「興奮している」ことの区別ができているか? 「鎮静」と「平穏」と「だるさ」の区別ができているか? 2515 個室の意義 ・適応力が最も弱った老年期に至り、共同生活を始めるという最大級の適応を強いられる。せめて個室があってもいい。 ・休息できる。 ・逃げ込める。 ・畳の大部屋はボスができやすい。不潔になりやすい。段差がなければスリッパを脱がず、不潔である。段差があると転ぶ。 ・ 2516 ・老人とはこういうものだという固定観念がないか?童謡、民謡、軍歌でいいのか?幼稚園の遊具が適切なのか?マスとしての処遇でいいのか?幼児扱いを喜ぶ老人がいるのだからそれはそれでいい。しかし幼児扱いをいやがる老人に何ができるか、工夫が必要である。 2517 老人の症状は非特異的で、検査が必要な場合が多い。CTやエコー。 2518 「痴呆を悪化させることは短時間でできるが、それを良くすることは長期間かかる」 家族は介護に行き詰まると医療に救いを求める。速効性の解決があると期待する。そこで詳しい説明が必要である。 2519 病院や職員に不満があっても、痴呆患者はうまく主張できず、痴呆のせいにされてしまう。 痴呆患者は適応能力が低下しており、画一的管理に最もなじめない人たちである。 望ましくない環境を提供した場合でも、痴呆患者はその環境になじもうと努力する。その結果として奇妙な行動をとったとしても、環境設定にも責任の半分があるはずである。それなのに痴呆のせいで奇妙な行動をすると言われてしまう。 そのあたりについての確かな観察眼と倫理的側面の判断力が必要である。 2520 痴呆病棟についてのハード面での考察 ・老人の過去の生活様式を理解する ・廊下が居場所になることは多い。楽しい場所にしたい。 ・回廊式廊下は看護の目が届かない。 ・浴室で恐怖を感じている人は多い。椅子浴が便利。 ・着衣場と脱衣場を分離する。流れがスムースになる。 2521 痴呆の辺縁精神症状は中核症状から派生したもの。記憶障害からものとられ妄想が生じる。 向精神薬は事故につながる。 痴呆の初期で心因が関与していると考えられる場合、非痴呆性疾患の場合には、向精神薬を用いる。 2522 アルツハイマー型痴呆では、やせの進行に伴って痴呆症状が進行するとも言われる。栄養管理が大切である。 ●確かに、体のやせとMRIでの脳のやせは、関連があるとの印象がある。 2523 薬物で元気が出たとしても、それを上手に導く介護の力がなければ「から元気」に終わる。 2524 老人デイケア 社会性の促進。 社会との接点を持つ。 集団運営は7〜8人でなじみができやすく、凝集性も高まる。 期間中はプログラム、スタッフ、メンバーを変更しない。 30〜40分のプログラムが適当。 訓練はしない。 禁止はなるべくしない。 (何があったのかは忘れる。しかし嫌な気分は残る。患者にとって居心地のいい場所を提供することがスタッフのつとめである。) 2525 施設ケアと在宅ケアの連携。 施設間の滑らかな連携。 ケアミックスである。しかしこれが難しい。誰がコントロールするのか。あるいは、各々の調整能力に期待するのか。それで老人は幸せか。「誰の都合で」老人が動かされるのか。 2526 SDATでは初期から頭頂葉・側頭葉で血流、グルコース代謝、酸素消費が低下している。 2527 アセチルコリン合成酵素を活性化する‥‥ヒデルギン アセチルコリンを放出させる‥‥シンメトレル アセチルコリン分解酵素活性を下げる‥‥サアミオン 2528 言語理解の障害、視空間失認、健忘、失語、失行などが比較的初期に現れる患者では、SDATが疑われる。 ●経過の特性からの鑑別診断。 老年期発症では、脳室拡大も明瞭でない場合が多い。 2529 MRIのT2強調画像で診断しない。T1強調画像でも明らかな場合だけ、梗塞やラクーネと診断する。 2530 脳梗塞の危険因子 高血圧、心疾患、糖尿病、高脂血症、喫煙、中等量アルコール摂取。 危険因子がある人で脳血管障害を発症した場合、二年前から脳血流量が低下している。 拡張期血圧が100mmHg以上では再発率が高い。 高血圧を伴う脳梗塞では、軽度の血圧低下でも脳循環障害を生じ、脳虚血発作や脳梗塞再発を生じる可能性がある。 収縮期血圧が135〜150mmHgにコントロールされていればよい。それ以下では痴呆が進行する。 血圧変動や夜間の血圧上昇も脳血管障害を起こしやすい。ビンスワンガー型痴呆や多発梗塞性痴呆の病因となる。 従って、過度の降圧は避ける。二ヶ月くらいかける。高血圧状態での脳血流調整に慣れているから。 夜間血圧はある程度下げる。 不整脈と低血圧による脳血流量低下は痴呆を招く。治療が必要。しかし利尿剤などは注意が必要。脳血管拡張性の降圧剤、起立性低血圧を起こさないもの、脱水や血液濃縮を起こさないもの。 まず降圧作用のある脳循環改善薬を用いる。つぎにβブロッカー、カルシウム拮抗薬、ACE阻害剤を用いる。 アダラート、ニバジールを一日二回。バイミカード、カルスロットを一日朝一回。 レニベース、インヒベースを朝一回、アデカットを一日二回。夜間には昼間より血圧が下がることも注意する。 アスピリン、パナルジン、ブレタールなどの抗血小板剤も用いるが、凝固能の検査、アスピリンの消化性潰瘍、パナルジンの白血球減少に注意する。 目標は、収縮期160(60歳代)、160〜180(70歳以上)、拡張期90以下。 心臓因性痴呆はまれではない。心筋梗塞、心房細動。 2531 せん妄 グラマリールを25から始めて増量。ドグマチール50、セレネース0.75、インプロメン1などから始める。 不眠 まず日中起こしておく。ロラメット、レンドルミンなど。 不穏 軽度の場合、サアミオン、エレン、アバン。さらにグラマリール。 激しい場合、ドグマチール、セレネース、 無関心、無気力 サアミオン、セレポート、エレンとリハビリ 2532 初老期発症のアルツハイマーは、症状が激しく、健忘が著しく、妄想、失語、失行、失認、運動障害、ミオクローヌスなどを認め、経過も速い。 2533 ピック病 発症:40〜60歳。 全経過は数年から十年。 一期‥‥軽度痴呆、集中困難、記憶障害、行動異常、多幸性気分変調。人格面での変化によって気付かれる。(一種独特の、一見したところ不真面目で、無関心に見える対人的態度。欲動性脱静止:欲動を制止できないで、半ば自動化される形で行動が現れる。) 二期‥‥人格変化の進行、思考障害、失語(超皮質性感覚失語:了解や自発書字はできないが、模写はできる。)、言語障害(滞続言語:特有の繰り返し)、錐体外路障害。いつも同じ返事をするグラモフォン症候群。 三期‥‥精神荒廃、原始反射、全面的介護。 前頭葉、側頭葉の萎縮。ピック細胞、嗜銀球。 2534 ラクーナとは? 2535 皮質下痴呆では、言語、行為、認知、記憶、思考などの要素的、素材的機能は保持される一方、それらの素材を制御し、統合し、連合させる機能が障害を受け、より高次の認識判断、抽象能力、倫理感、人格などに異常がみられる。 皮質性痴呆では精神機能のすべての階層が障害を受ける。 2536 パーキンソン病は元来執着気質の人がなりやすいと言われている。病気になって後はさらに執着的傾向が目立ってくる。一方、周囲のことに無頓着、無関心になるのは、皮質性痴呆のあらわれかも知れない。子供っぽくなり、自分本位で人のいうことを聞かなくなり、物事に平然として多幸的である。 ●ことさら特徴的といえるだろうか? 2537 ICU症候群と術後せん妄 違いは明らかではない。 術後順調に麻酔から覚醒し、その後1〜2日して、せん妄状態に移行するケースがかなりある。「意識清明期」があるのはなぜなのか、不明である。 2538 ピック病‥‥ナイフの刃状(knife-blade type)、あるいは楔状の境界鮮明な(sharply demarcated)著名に痩せた脳回。 2539 脳の前方症状‥‥人格変化、解体、語義失語 後方障害‥‥記銘力障害、視空間性障害、失行 2540 道に迷う よく知っている場所でも迷う‥‥空間的見当能力の障害 よく知っている場所なら迷わない‥‥記銘力障害 2541 左半側空間失認では左半側の不使用や「他人の手徴候」も観察される。 2542 Balint症候群ではアルツハイマー病では通常障害されにくい一時視覚野である17野にも顕著な障害が及ぶ。 2543 右半球の障害で、自己身体の定位障害。 2544 着衣失行‥‥脳の後方領域が両側性におかされるアルツハイマー病でよくみられる。 2545 手続き的記憶‥‥基底核ー小脳系 自動行為は手続き記憶に支えられている。これを意図的・意識的に行おうとした場合、主たる役割を担うはずの大脳皮質がアルツハイマー病では障害を受けているため、失行などが起こる。 2546 不器用‥‥アルツハイマーでは障害されにくいとされる一次体性運動感覚領域にも低灌流が認められている。 2547 鏡現象‥‥脳の前方部にも機能不全 2548 通常のアルツハイマーの経過 側頭葉内側部→側頭・頭頂・後頭(TPO)→前頭葉(これに対応して病識欠如、自発性低下) 早期から前頭葉障害がある場合には、早期から病識欠如、短気、多幸的などの性格変化。欲動の脱制止症状。 健忘、道に迷う‥‥脳の後方症状 2549 欲動脱制止‥‥前頭葉 側頭葉‥‥人格解体は目立たない 反社会的行為‥‥前頭葉 オルゴール時計症状、滞続言語‥‥側頭葉、前頭葉にも侵襲 行動過多、行動過少‥‥側頭葉では少ない 2550 脳の後方部障害‥‥行為のレベルでの障害 脳の前方部‥‥行為・行動を制御するレベルでの障害 2551 前頭葉型痴呆(demantia of frontal lobe type;DFT) 人格変化や社会的逸脱行為などの前方皮質症状を呈し、健忘、視空間障害、失行などの後方皮質症状を欠く、原発性脳萎縮(primary cerebral atrophyをさす。従って、ピック病、frotal lobe degeneration of non-Alzheimer type;FLD)、運動ニューロン疾患を伴う初老期痴呆いった疾患はすべて含まれる。アルツハイマーを4とすれば1の割合。 人格変化、社会的逸脱行為、情動面における無関心、脱抑制、ときに原始反射、しかし概して身体徴候に乏しく、発話量は少ないが滞続言語あり時間的空間的見当識は保たれ、視空間機能も保持。しかし前頭葉検査で著明な障害(たとえばWCST,Verbal Fluency Test,Design Fluency Test)。 FLD(Gustafson)とは、病理学的に規定されている疾患単位であり、前頭葉前方部、側頭極に、アルツハイマー病あるいはピック病に特徴的な病理所見を欠く非特異的病理変化を有し、前方皮質症状を呈するもの。遺伝負因が濃厚である。人格変化、病識欠如、脱抑制をもって徐々に進行する痴呆であり、経過とともにしだいに常同症や情意鈍磨が出現し、緘黙に至る。記憶や視空間機能は比較的保たれていた。 2552 前頭葉関連症状 (A)運動・反射 原始反射 抵抗症 括約筋調節障害 歩行障害 運動無視 kinetic-melodyの障害 (B)認知・行動 健忘・作話 知性・思考障害 発動性障害 人格情動障害 常同性・非影響性症状 しかしこれらは前頭葉に特異的というわけではない。前頭葉の巣症状というものではない。前頭葉症状というよりは、前頭葉関連症状という方がよい。 一般の知能検査よりはWisconsin Card Sorting Test,Trail Making Test,Maze Test,Stroop Testなど、抽象的で複雑な、柔軟なパラダイム変換を要求されるようなテスト。 記憶障害や失語、失行、失認といった巣症状はまれであり、アルツハイマーと対照的である。 2553 アルツハイマー型老年痴呆(SDAT)の経過 1 健忘 2 失語、失行、失認(とくに視空間失認)‥‥頭頂・側頭葉の変性過程 3 筋強剛、語間代を経て失外套症候群 経過中は大脳後方部の病変が優位である。 情意鈍磨、精神運動性緩徐、発動性低下‥‥前頭葉皮質下(●?●これでよいだろう)病変(前頭葉は皮質下痴呆で萎縮する。アルツハイマーは後方型。) 運動過多、落ち着きのなさ、注意散漫、脱抑制‥‥側頭葉皮質病変 2554 ソムリエの話:新聞で 客の体調、料理、天候、料金などを考えあわせて、ワインを決める。客が喜んでくれたときとてもうれしくて報われる。 なるほど。精神科医も似ている。いまこの患者さんに何が必要なのか考えて、薬や言葉や態度を処方する。 2555 エピキュロスの言葉:新聞で 私たちを助けるのは、友の助けというより、友が助けてくれるだろうという信頼だ。 精神科医が患者に提供できるものも、これである。助けでもあるが、助けてくれるだろうという信頼、これを提供できるかどうかが大切である。 2556 皮質下性痴呆は前頭葉型痴呆(前方型)に、皮質性痴呆はアルツハイマー型痴呆(後方型)に相当する。 皮質下性痴呆としては、 ウイルソン病 視床変性 オリーブ・橋・小脳萎縮症を含む脊髄小脳変性症 進行性核上性麻痺 パーキンソン病 ハンチントン病 視床梗塞 ビンスワンガー病も少し異なった立場から問題とされている。 特に、 進行性核上性麻痺、パーキンソン、ハンチントンが問題になる。 ・失念(想起困難、forgeyfulness) ・思考過程の緩徐化 ・人格・情動障害 ・獲得した知識を操作することの困難 ・明確な失語、失行、失認、輪郭鮮明な健忘を伴わない。(●輪郭鮮明とは何か?) これらに通底するのは、タイミングと賦活の障害としている。網様体賦活系との離断の結果、正常な知的過程が緩徐化する。 前頭葉症状との類似は、こうした皮質下構造と前頭葉との緊密な解剖学的結合が背景にある。(●「類似」としている。) 2557 Cambier 進行性核上性麻痺でみられるいわゆる「前頭葉症状」 ・明確な失語・失認・失行はみられない ・人格・情動障害(無気力・無関心・易怒性など) ・精神運動性緩徐 ・注意障害 ・言語流暢性の低下・高次言語障害(諺の説明困難) ・反響言語を伴った保続ないし反復 ・複雑な知的操作の実現困難 ・力動性失行(●ルリアの変換運動の障害という。不明。) ・強制把握、模倣行動、使用行動(●?) ・想起の障害あるいは注意の障害などによると思われる中等度の記憶障害 大東は「前頭葉関連症状」として ・健忘・作話 ・知性・思考障害 ・人格・情動障害 ・発動性障害 ・常同性・被影響性症状(反復保続・反響言語・模倣行動・使用行動など) をあげている。 なぜ皮質下障害が前頭葉症状を引き起こすかは明らかではない。 前頭葉賦活障害と考えてよいかもしれない。 2558 アルツハイマー型痴呆は根本的には道具機能の障害(失語、失認、失行、健忘)であり、系統発生的にも個体発生的にも新しい領域の障害。アセチルコリンが関与している。 皮質下性痴呆は、より基本的な機能の障害によるもので、生きていく上で不可欠の注意、覚醒、動機、企図、情動などの障害であり、系統発生的にも個体発生的にもより古く早期から存在しているはずの領域の障害であり、アセチルコリンとともにドーパミン、ノルエピネフリン、セロトニン、GABAなどの関与が推定される。 ●この記述は正確か? 「生きていく上で不可欠の注意、覚醒、動機、企図、情動など」が「発生として古い」とは?古いのは皮質下核であろう。前頭葉機能は新しいだろう。覚醒系は古い。企図、動機などは新しいのではないか?情動は古い。 道具機能は新しい?むしろ新しいのはそれらの道具を使おうと意図する部分であり動機を感じる部分ではないか?古い道具を組み合わせて新しいことをする、これが脳の原則であると考えられる。 何だか話が微妙にねじれているように感じられる。 進化論的に新しい順でいえば 1)意欲、動機(→道具があっても使わない状態) 2)道具機能 3)覚醒、注意(これは脳を縦に貫く構造) 4)基底核など皮質下核 といったようなレベル構成になっているのではないか。皮質下核と意欲・動機と覚醒・注意の部分は密接に関連し、道具機能はやや独立している。アルツハイマーでは主に2)が障害され、皮質下痴呆では4)から始まる病変が1)と3)の機能障害を引き起こす(二次的なのかどうかはわからないけれど。因果関係としてではなく時間関係としていえばこのように言えるかもしれない)。 2559 道具機能の障害があれば無意欲になる。アルツハイマーの場合。失語、失行、失認があれば、どうせだめだと思うようになり結局は意欲の障害と同じ状態になる。 また、感覚遮断状態になれば無意欲になる。たとえば老人になった状態を体験してもらおうとの試みがある。眼鏡をマジックで黒く塗りよく見えないようにする。耳栓をする。味や香りもよく分からないようにする。体にはおもりをつけて運動を制限する。このようにして感覚と運動を制限すると、「ベッドで寝ているのが一番楽しい」状態になってしまう。これは意欲の障害と映る。 また、感覚が弱るに連れて、幻覚妄想も起こりやすくなるだろう。 分裂病でも、内的に似たような状態になっているのではないか?内的感覚遮断を想定すれば、被害的になるのも、幻覚妄想が発生するのも、無意欲になるのも、理解できるように思う。 2560 失語、失行、失認と痴呆の関係 実は何の関係もないはずである。 ところが、 失語、失行、失認=部分的解体=限局的病変 痴呆=全体的解体=瀰漫的病変 と単純に考えることも行われる。(●単純でいいではないか?) しかし限局的病変が集合して全体を覆い尽くせば全般的な痴呆になるといった議論はあまりに楽観的である。(●そうでないなら、痴呆も部分的解体で責任病巣を指摘できるような種類のものだというのだろうか?) 「失外套症候群=汎失認+汎失行」として、失認・失語・失行のすべての精神領域を侵す究極の理想型としたが、失外套症候群は痴呆とも意識障害とも異なる別個の精神症候群であることが示唆された。(●一体どのように?) 痴呆とは?という問いである。 アルツハイマーを一応の典型としてみている。そしてその中心はやはり健忘であろうとも思う。そして失見当識、身体的衰弱と特有の進行を見せる点。 実際には自立生活困難で要介護、周囲に迷惑をかける、そんな老人といったところ。老人の場合の「事例性」で判定されている面もあるだろう。 2561 一人暮らしは痴呆を作る。 一人暮らしになったのが痴呆のきっかけになることがある。 2562 痴呆には 疾病論的水準での意味と症状論的水準での意味がある。 痴呆なき痴呆という場合、症状論的には痴呆はないが、疾病論としては痴呆があるという場合である。たとえば「全般的痴呆を伴わない緩徐進行性失語」などもそれに含まれる。 失語なき失語といえば、超皮質性失語。 痴呆では経過が重要である。進行性、可逆性、最終的転帰、なども痴呆の定義に登場する。 疾病論と症状論は、実際的には時間経過の特性と、現在症の特性との対比になるのではないか。そして分裂病論での議論のように、症状は脳の機能障害の場所を反映していて、時間経過は疾患の特性を反映しているということになるだろう。痴呆でも同じではないか。 2563 神経心理学では短期記憶(の一部)の障害が伝導失語に該当するという議論があり、当然健忘症候群とは別物である。従って、短期記憶、長期記憶の用語は検討を要する。 2564 痴呆のステージモデルとサブグループモデル。 痴呆は一つで、進行の度合に応じて症状が異なる‥‥ステージモデル。 それに対して、別々のサブグループがあるとする立場。 2565 痴呆の類型化 Gruhle(1932)‥‥健忘型、構造型、統覚型 Boor(1963)‥‥知性型、記憶型、統覚型、情動型、道具型、構造型 Scheller(1963)‥‥健忘型、コルサコフ・価値世界解体・自発性欠如・空間世界解体・失象徴症候群 Joynt‥‥局在性痴呆(皮質性、皮質下性、軸性痴呆)と全般性痴呆 皮質性痴呆はアルツハイマーが代表 皮質下性痴呆はハンチントン、パーキンソンなど。知的側面は相対的に保たれるが、発動性低下、精神・行動の緩慢化、注意低下、感情障害を呈する。中心には記憶・思考・運動面の緩徐化を伴うtimingと活性化の障害があるとされる。(Albert,1974) 軸性痴呆はウェルニッケ脳症などが典型で、脳の軸性構造(側頭葉内側面、海馬、脳弓、乳頭体などを含む)が障害される。特に記憶の障害。 ビンスワンガー病は「白質性痴呆」といった概念でとらえない限りは皮質下性痴呆にはいる。 辺縁系痴呆は軸性痴呆の特殊型。軸性痴呆には正常圧水頭症、頭部外傷、ヘルペス脳炎後の痴呆の一部などが含まれる。 2566 皮質性痴呆にはアルツハイマーとピックがある。 ・前頭葉性痴呆……ピック病前頭葉型……発動性障害 ・側頭葉性痴呆……ピック病側頭葉型……情動障害、記憶障害、性格変化、Kluever-Bicy症候群 ・前頭・側頭葉性痴呆……ピック病前頭・側頭葉型 ・頭頂・側頭葉型痴呆……アルツハイマー病初・中期……失語、失行、失認を伴う痴呆……左右いずれに起こるかで症状が完全に異なる。 ・瀰漫性痴呆 と分類することもできる。 2567 左側頭葉……失語、失行 右側頭葉……空間認知・操作の障害、地誌的障害 これらは記憶障害や人格変化などの痴呆の基本的な一般症状を背景に出現する。 進行につれて左右差は消失し、局在症状は薄れる。このような「偽巣性発症」のアルツハイマー病患者は23%。 また、変性が 左右対称……言語障害と視覚構成障害が同程度 左優位……言語障害優勢 右優位……視覚構成障害優勢 変性が一側半球の一定領域に限局しており、加えて進行が緩徐であった場合には、健忘や人格解体を伴わず局所症状だけが緩徐に進行することになる。これが痴呆なき痴呆の一群である。 変性過程が左に優位なら、「痴呆を伴わぬ緩徐進行性失語」である。種々の失語、健忘失語、超皮質性失語、ゲルストマン症候群や失行。 右に優位なら、相貌失認、人物記憶障害、地誌的障害、視覚構成障害など。 「シルビウス溝周辺の変性脳病変をきたす未知疾患」という仮説を完全に否定するには至っていない。 2568 辺縁系痴呆 辺縁葉の完全な破壊の表現は、健忘症候群とKluever-Bucy症候群である。 K-B症候群:連合型精神盲、口唇傾向、変形過多、情動行動変化、性行動変化、食餌習慣変化。 「一次的に失われた機能は心理テストで計測される認知機能ではなく、感情的な質を環境との日常の生存の相互作用に刻印し、それによって意味を与え、記憶に印象を与える機能である。」●結局何? 辺縁性痴呆を次の五つの症状で定義(松下:1985)。 健忘症候群 K-B症候群 特異な人格変化 言語障害(滞続言語、保続、反復、語間代など) 要素的知能が比較的保たれている →要素的知能が保たれている痴呆とは? 人格・発動性障害が重篤になれば、知能障害の重篤な場合と区別できない。どちらも痴呆と呼ぶ。 痴呆で侵されるものは何か? 道具や知識の上位にあって知情意を統合する人格の概念と分かちがたい「本来の知性」の障害。 2569 「記号・象徴機能」は多層的・階層的構造をなしている。 「失記号」という側面から痴呆を考える。 知性の本質的理解。 2570 精神運動性(Kleist) ・発動性……起動性……障害として多動性と無動性 ・持続性……励続性……障害として被影響性と固執性(●疑わしいと思うが?) 反響症候群と反復・常同症候群は被影響性と固執性の障害として理解することができる。 反響言語や反復言語 被影響性症候群……反響言語、反響書字、反響行為、反響描画などの反響症候群、補完現象、使用行動(Lhermitte)、道具の強迫的使用など。 固執性症候群……常同症、保続、反復言語、反復書字などの反復症候群。 前頭葉機能との強い関連が示唆されている。 ●つまり、 外部刺激に反応してその刺激内容を保持するのが被影響症状。 自己の発した言葉や運動に反応して、それを保持するのが、固執症状。 ●エコラリーは被影響体験であるとする。 ●Sの陰性症状と前頭葉機能の関連。 ●REM睡眠と前頭葉機能の関連。 2571 前頭葉機能検査 1)Weigl's color form sorting test 色と形で図形を分類する。 2)語の列挙 一定の頭文字(高頻度……し、か、い。低頻度……て、れ、ぬ。)やカテゴリー(一分間で鳥、色。鳥と色を交互に言わせる。) 3)グーパー検査 左右の手で交互にグーパーを繰り返す。前頭葉、特に運動前野の障害。 手指構成はより後部脳損傷。 グーパーと手指構成が解離することがある。 2572 注意機能検査 digit span(即時記憶の検査でもある) audio-motor method(50文字の系列を読み、きが聞こえたら合図してもらう。) Sternbergの検査に準じたもの(837を見せながら復唱させる。87を見せながら復唱させる。読まなかった数字は何かと問う。)(記憶走査の検査であるが)軽度意識障害に敏感である。 遠隔記憶については、autobiolographical memoryとpersonal semantic memoryとに分けて検討する。 2573 鏡現象 象徴化機能(虚像及び虚の空間である。障害されると鏡像や鏡空間が実在化する) 同一化機能(鏡の中の像と実物は同一の物である。障害されるとI=meが崩れる→自我意識の崩れにつながる。) 1)自己の鏡像を鏡の中や背後に探す 2)一緒に映った他者の鏡像は正しく認知できるが、自己の鏡像は身近な他者と誤認する。 3)自己の鏡像に話しかけたり、物を手渡そうとし、自己の鏡像と積極的な交流を持つ。 4)他者および対象一般の鏡像認知もできない。 5)鏡に関心を示さない。 6)鏡を鏡として認知できない。 この順に進行する。 ●1)以降は、鏡像であることが理解できていない。まず象徴機能が障害されている。 2)では他者像に関しては、同一性は保たれ、象徴化機能は障害されている。自己像に関しては、象徴化も同一化も障害されている。 自己  他者 象徴化機能 同一化機能 象徴化機能  同一化機能 1) × ○ ○ ○ 2) ×  × × ○ 3) × × × × ということらしい。 ●しかし3)について、他者については記述はないではないか? ●この表に忠実に考えるとすれば 1)自分だということは分かるが、鏡の奥に「自分」を探したりする。→これはすでに自分だということを分かっていないということではないか。象徴化機能と同一化機能を自己の場合に分離することができるか?「自分」を鏡の奥の空間に探すとしたら、それは普通の意味の「自分」ではないのではないか? 他者の場合であれば、他人が鏡の裏にいるかもしれないのだから、鏡の裏を探してもいい。それは他者についての象徴化機能の障害である。 2)鏡に映る自分は自分だとは分からない。鏡に映る他人はその人だと分かる。どちらについても、鏡の奥に実の空間があると考えている。 3)全滅。 理論的には以下のようになる。 まず自己に関しては象徴化機能と自己化機能は同時に失われる。 自己に関しての方が他者に関してよりも先に機能が失われる。(そうでないかもしれない。その場合がD以下。) 自己  他者 象徴化機能 同一化機能 象徴化機能  同一化機能 A) × × ○ ○ B) ×  × × ○ C) × × × × D) ○ ○ × ○ E) ○ ○ × × しかしながら、他者については実像と鏡像を比較できるので、自己同一化よりは簡単である。したがって、他者同一化機能が失われていれば、自己同一化機能は失われていると考えられる。 E)は存在しないだろう。 自己についての象徴化機能と他者についての象徴化機能が分離するとは考えにくい。 したがって表は、 象徴化機能  同一化機能 自己   他者 1) ×  ○ ○ ……実際には存在しない。 2) ×   × ○ 3) ×  × × 2と3の二種にとまとめられる。 「あれは自分だ」と言いながら鏡の奥を探すとき、「自分」と語っている物はすでに他者である。したがってそれは1に見えながら、2である。1は存在しない。 簡単に言えば、「どこにいるか」「誰か」の二つの問である。 理論的には空間同定と人物同定(自己、他者)の三者についていろいろな組み合わせが可能である。○×で八通り。しかし上記の理由から、二通りとなった。 相貌失認として考えたとき、以下の矛盾がある。 自分の鏡像は分からないが他者に関しては鏡像であると認知できる。 写真は自分の顔だと分かる。 壁鏡よりも手鏡の場合によく認知できる。 1)では象徴化機能は障害され、同一化機能は保たれている。 他者像については、実像と鏡像を比較すれば分かる。自己像については、鏡像だけが唯一の視覚的経験である。他者像の同一化よりも自己像の同一化が高次の機能である。 したがって、障害が起こるときにはまず自己像の同一化の障害がはじめに起こり、次に他者像の同一化障害が起こる。 自己鏡像の認知は他者鏡像認知に比較して高次の機能である。 ●崩壊プロセスの記述と、1から6の実際の症状の記述が一致していないのではないか? 2574 ADLとQOL 前者はリハビリの図で縦軸。後者は横軸。 2575 分裂病のデイケアでの認知指導 過剰相貌化が起こっているので、他人の仕草、表情、言葉に過剰な意味を読みとってしまう。それが「対人的敏感」の内容である。 したがって、デイケアでの対人場面で、過剰相貌化が起こっていると思われた場合には、過剰さを削り取るような指導をする。木目は人の顔ではない。クーラーの音は人の声ではない。インクのシミは骨盤ではない。そのように「意味を決めてやる」ことが意味のある指導である。 信頼はこうした指導の中から生まれる。 分裂病の人は育ち損ないの面も大いにあるから、信頼と愛情で育て直すような療育の配慮も不可欠であるが、一方で、分裂病の病理に直接関係する部分の認知的指導も不可欠である。 2576 投影 自分が怒っているときに、「相手が怒っている」と判断する。 投影性同一視はさらにこの上に同一視が重なる。 うつの時に「うつ場面選択想起」が起こると考える。 同じようなことだが、自分が怒っているときは、世界に存在している怒りに敏感に反応するのではないだろうか? 自分の目の前にいる人の感情は一色ではなく、いろいろな要素があるに違いない。その中にはたとえば怒りもあるから、怒っている人が他人の中に怒りを見つけるのは容易である。 その結果として、相手が怒っていると判断する。もちろん、自分の怒りを否認していること、さらには相手の感情を怒り一色で判断しようとしていること、この二つの点で間違いを犯してはいる。 しかし投影と言えば、自分の内部にあるものを相手の内部に投影することであるが、必ずしも投影ではなく、相手の中に元来あるものを敏感に選択的に発見しているということもあるのではないだろうか? 2577 老人の暴力 表現しがたいものをやっとのことで暴力という形で表現している。 あてはまる言葉、理解に至る言葉、自分を納得させる言葉に到達することができず、ただ暴力という形でしか表現することができない。 あてはまる既存の言葉を見いだすことができず、したがって自分独自の表現を試みる。これこそが詩人の営みである。 2578 自力救済の道を示す 分裂病患者がどの方向に努力すればよいかを提示してやる。そうすれば患者は無力感から救われる。ただ薬をのんで時間を待てというのでは患者はやりきれない。無力感を募らせてゆく。 いま何をすればよいのか、治癒への全体の道のりの中でいまはどのような時期なのか、明確に提示する。そうすればずいぶんと落ち着いて、将来への見通しを持って日々を生きられると思う。 2579 援助交際の何がいけないか。 合理的な理由はないかもしれない。それは超自我の要請だからだ。不倫や近親相姦も同じである。何がいけないかといわれれば理屈は弱い。 理屈というなら、進化論的意義にまでさかのぼる必要があるだろう。 一方は「人に迷惑欠けてるわけじゃないのに何が悪い」のなどと語り、一方はそれに対して宇宙人の言葉を聞くように思う。これは超自我の発育不全に接するときの当惑である。 現代社会は超自我の育成装置を失っていると見える。 超自我発育不全症である。 2580 老人が骨折→寝たきり→痴呆 この経路では、廃用性能力障害がある時点から器質的変性に変化しているのだろうか。筋肉の萎縮と同じに考えてよいのだろうか。筋肉の廃用性萎縮が起こると、ますます動きは億劫になり、萎縮が進行するだろう。萎縮は固定化し、器質的レベルの萎縮として固定化される。 →筋肉の場合、廃用性萎縮と器質的萎縮とは区別できるのだろうか?脳の場合はどうか? 廃用性萎縮は時間がたてば器質化する。 2581 神経変性の場所に好みがあるのはなぜか? アルツハイマーは頭頂・側頭に始まる。ピックは前頭葉型や側頭葉型がある。なぜそのような場所の特異性が生じるのか? 神経連絡の構造状の都合で、たとえば過剰のノルアドレナリンやドーパミンに反復して曝されることが神経細胞を死滅させるとか。 またあるいは、栄養血管の問題として、そのあたりに酸素やグルコースを運搬しにくくする要素が何かあるのか。たとえば側副路がない。また逆に、二つの血管に栄養されていて、どちらも無責任である。こうした理由がないか? 毒物が入ってきたとして、特異的に結合する部分があるか?たとえば一酸化炭素中毒では基底各部分を侵しやすいとか。 2582 斑(まだら)痴呆 Lacunal dementia,Lacnaere Demanz 2583 「この人は私にだけは心を開いてくれる」 そう感じたくて心理職を選ぶとしたら?そこにある病理は何か? 他人にとって特別の人間でありたい。愛の救済者でありたい。そのような欲望。 2584 患者に必要なものは何か? 薬だけではない。薬もむしろ、医師の代理物として考えた方がよい場合もある。宗教と医術が密接であった時代から、人間はそれほど変わっていないだろう。 どうしようもない運命を前にして、本当に人を慰めるものは何か。 特別な技術や知識ではないのだと思う。暖かい関心を持ち続けられるかどうかが大切な点である。 2585 医師の倫理 医療は市場原理が働きにくい部分がある。患者は健全な判断力を常に保持しているとは限らない。 そこでパターナリズムの傾向が生じる。しかしそれも「それでは医師は信用できるのか」との問いに行き当たる。医師の内部に確固たる倫理はあるのか?ないのなら、外部のチェック機構を設ける必要がある。あるいはさらに市場原理部分を拡大する必要がある。しかしそれらにもまた原理的な問題が内在している。 倫理なき時代に突入して、どうして医師の倫理だけが残っていると期待されるのだろうか?残っているはずがない。 しかしまた強い倫理の力が人の心を慰めることもある。 自己選択の権利を奪われている患者たち、たとえば精神病者、痴呆患者。あるいは専門性が極度に高い場合、特殊で稀少な道具を使用する場合。 どうしても専門家の側の内部の倫理に頼るしかない部分がある。しかしそのような倫理の保証はどこにもない。その結果が、精神病院と痴呆病棟の現状である。倫理は時間とともに麻痺して行く。その程度のものである。 そうした現状を受け入れることのできないような、真に倫理的な人間は絶望して職場を去る。残るのは倫理に鈍感な人間たちばかりである。あるいは鈍感にさせられた人間たちばかりである。生活のためには仕方がない。そういう側面もある。 2586 自己決定できない人たちの、しかしその奥にある感情や希望をどのようにして汲み取ることができるか。そこに医療人としての倫理がある。 ときにはビデオで自分の姿を客観的に点検してみるがいい。 職員は実にひどい言葉で老人を精神的に虐待している。鈍感なのだろうか? 2587 cureとcare いかにしてケアするか。QOLを高めるか。よい人生にしていただくか。そのようなことを考えて、痴呆患者の人生の最後を有意義なものにしたいものだ。 cureがかなわないときでもcareは可能である。そばにいてあげることがケアであったりもする。 2588 人の命は尊い。したがって命を扱う医師には高い倫理が要求される。 これは命をあずける側にしてみれば当然のことである。 人の痛みや不安がわかる人でなければこの倫理の感覚は持ち得ないであろう。 2589 培地としての性格 その人の人生のあゆみを見つめる。何か事件がある。それがどのような結果をもたらすか、培地としての性格が重要である。 人生全体を見る医学というとき、性格や信念、思考や感情の癖を見ることは不可欠である。それらが培地となり人生は営まれて行く。人間はこんなにも違うのだということを分かるようでないといけない。 そして、性格や思考の癖は培地であり、同時に過去の産物である。(→笠原の図。性格と出来事が合成されて次の時点での性格となる。そこに次の出来事が作用する。) 2590 ただ生きるのではなく、よく生きることを援助する。 この場合、何がよいかが分かっていなければできない。 価値観は人それぞれだと言っていては何もできない。 自分としてはこのような価値観を前提としてケアもするし、生きもすると宣言してよいはずだ。それが受け入れられないのなら、よそにいってもらえばいいのだ。そして、ケアに関しての価値観はそんなに大きな違いはないだろうと思うのである。 ただ長く生きる人生がよい人生ではない。偉くなったり金持ちになったりすることで測られるわけでもない。 どれほど誠実な愛を生きていたかである。 大きい小さいではなく、円として完結していたかどうかである。大きいが閉じていない円。小さいが閉じて完成している円。 2591 人間とは、こころと体の出会う稜線に実現する何かである。 ケアはこの事実を前提としておこなう必要がある。 心は成長を続ける。 一人の人格をケアするということは、もっとも深い意味で、その人が成長すること、自己実現を助けることである。 老年痴呆の場合、患者の生きている時間の意義とは何であろう。 脳死が人の死であるならば、痴呆は半死だなどと言われかねないではないか。 この世界を体験する旅の最後をどのように生きていただくか。 人格としての旅の最後の場面に立ち会っているという、厳粛な気持ちが必要ではないか。 人生の最後にいたり、人の助けがなければ生存そのものさえ難しい局面にある。そのような人間の痛みを共有しているか。そのように痛みを前にしてどのように接しているか。 2592 身体の悩みがこころをも蝕むとしたら、それはケアが必要である。 身体に苦しみがあるからといって、こころまでがその苦しみに彩られてしまう必要はないのだ。むしろこころは身体よりも高い次元に位置して、この身体や人生の苦痛を見つめることができるはずである。そのための援助をすべきだ。 こころの次元が低くなっているから、苦しみに押し潰されてしまう。こころ次元を高くしてやれば、難しい事態にも落ち着いてあたることができる。 心身症はこころの次元が低くなってしまっていることから生じるものだ。 こころの次元を高めるのに役立つのが、哲学や宗教である。 哲学や宗教の中のあるものはむしろこころの次元を低くする。人を盲目にし、卑小な存在にしてしまうのも宗教である。宗教にも種類がある。 2593 霊魂という、思考上の「装置」を用意してみる。納得できる部分が多くなる。だとすれば、霊魂という概念は有用ではないか?生きることについて、腹に染み込むような説明ができるなら、有用である。 医療の現場でも、そのような真実の「納得」が求められている。 2594 体の病気は依然として存在するとしても、こころの悩みが軽くなれば、ずっと耐えやすくなる。 そのようなものとして精神療法を考えることもできる。この場合は、身体病に対する根本的原因療法としてではなく考えている。 中心にある原因は消えない。しかしその周囲に形成されたこころの悩みに対しては、ある程度対処することができるし、解消することもできる。そうすれば問題がはっきり見えてくる。 これは全体としてとても有益なことだ。 2595 凡庸な精神科医は幸いである。その人は自分の信じるモデルにしたがって患者を診るという愚をおかさなくてすむ。 理論は患者にとっては災難である。流行に過ぎないもので自分が「診断」されるのである。いつ、誰に診断されるかによって扱いが異なる。そんなことでいいのだろうか。ただ真剣に話につきあって欲しいだけなのに。 凡庸な精神科医は自分のモデルを引っ込めることができる。だからその意味で凡庸になった方がいい。 病気や悩みはその人だけの輪郭を持っている。その人の輪郭を正確につかむことが仕事である。それだけだ。Aさんを研究して、「Aさんタイプの病気」を知る。そのようにして臨床経験は蓄えられるのだ。 2596 diseaseとillnessの差 疾病そのものと、それを主観的に悩む姿。癒しはillnessに多くかかわるだろう。 illnessの中の、主観的悩みの部分を癒すことはできるはずである。技術としては、さまざまな知識、レトリック、相手の性格把握、生活歴把握など。手相見と似てくるけれど。 2597 自然の中に、人の世の中に、神のメッセージを読みとる。それが詩人の仕事である。神に向けて言葉を送る。神に向けて生き方で答える。それが詩人の仕事である。 神は人間を探している。人間は神を探している。両者が出会うことは難しい。すでに常に出会っているにもかかわらず出会うことは難しい。 2598 高次元の世界観と人生観を持てば、その人は新しく生まれ変わる。内的に新生したのである。そのような作用を真の宗教は持つ。そしてそれは精神療法の目的の一部でもある。 精神の新しい次元を切り開く。そうすれば、古い悩みは新しい光に照らされる。消すのではなく新しい光を当てるのである。 2599 「現代医学と宗教」日野原重明(岩波書店) To cure sometimes. To relieve often. To comfort always. (アンブロアズ・パレ、フランス外科学の父。) 時に癒す。しばしば和める。病む人に慰めを与えることはいつでもできる。 時に癒し、 しばしば苦痛を緩和し、 常に慰める。 2600 人格に関することや宗教に関することは結局、よきモデルに接して感化される、そのようにしてしか教育されないだろう。そうでなければ染み込まない。 2601 医師の中で信仰者は七割と高率。仏教59%、キリスト教9%、神道3%。一般人口の中ではキリスト教0.86%であるから、医師はその十倍である。年をとるに連れて信仰を持つ人が多くなる。 2602 ホスピス 痛みを緩和する 心身の苦しみを取り除く 精神的な支えを与える 心の平静に導く 以上の全人的ケアがなされる。 ソンダースのターミナルケアの原則 1 患者を一人の人間(total person)として扱う 2 苦しみを和らげる 3 不適当な治療を避ける 4 家族のケア……死別の悲しみへのサポート 5 チームワーク 2603 末期患者の痛み 身体的痛み 精神的痛み 社会的痛み 霊的痛み(または宗教的痛み) 2604 健康は 解剖学的、生理学的、心理学的、社会学的、霊的に定義される。 肉体的、精神的、霊的の各面から考える。 2605 緩和ケア病棟で、 人生の意義や価値を論じる。この世にその人が生きたことの意義を語る。そのことによってその人の人格の尊厳が具現する。 ●つまり総まとめといった意味あいであろう。しかし痴呆患者はどうするのか?「例外」か? 2606 霊の痛み 霊的な救いは、霊的交わりによる。死に行くものの実存を支える。 霊的次元で癒され、霊の痛みが取り去られると、こころに静けさが生じ、こころが支えられているという感覚が生じる。 疾病は治癒されなくても、医師、看護職、聖職者はまったき人間としての存在に癒しの業を提供し、霊の痛みを和らげるべきである。 ●霊(spirit)の次元では、痴呆も何も関係ないだろうか?つまり「奥にある霊魂は無傷のままで世界を観察している」と考えてよいだろうか。よいだろうたぶん。 ●患者が興奮して騒ぐ。分裂病者と違って、部分的に了解可能な場合も多い。こんな病院で死んで行くのかと思えば抗議もしたくなる。説得も難しいし、薬もすぐには効かない。しかしそのようなとき、密接なかかわりを持つチャンスである。そのような経験は記憶に残らなくても、霊魂にきざまれる。この世の経験として、霊魂に刻印されるのである。 ●しかしあまりにロマン主義的。現場では説得力なし。 2607 科学とは違って、2000年前のいのちの言葉は少しも古くならない。 2608 絶望的な孤独に耐えるには信仰がなければならない。 人のいのちは単に時間の問題ではない。短命であっても、いのちの深さ、豊かさが問題である。 最後の時間には長さではなく質が大切になる。 2609 ガン患者への宣告 ある場合には、言葉では宣告しないが態度で感じとってもらうようにする。会話の中で、言葉では言わないが、ノンバーバルなコミュニケーションの中で、こころの通いあいを図る。目と目が合ったとき、患者に何かを感じとってもらう。感性高く人と人の心が通じ合いとけあう場面である。 2610 死そのものよりも見捨てられることの方が心に衝撃を与え、死以上に苦しい。 2611 何かによって支えられなければ生きていけない。 その人は何によって支えられてきたのか。何によって支えられているのか。 「魂の培地」「魂の支え」が何であるかをつかむ。それが生育歴の眼目である。 老人性痴呆のケアでは、ホスピスよりもさらに困難な状況がある。 精神には暗い影がさしている。「窓」は曇っている。それでもなお人間として最後の大切な時間を生きていただく。どうすればよいか。 その人らしい最後の時間。 その人らしい死。 そうしたものをデザインする必要がある。 2612 ぎりぎりの正味の死の場面では、科学は背景に退く。 サイエンスではない、より人間的なもの。 医療よりも看護。 生の質を高めるには何がこの患者の心の救いになるかを考える。 2613 生と死を考えるにあたり、誰のように生きて死にたいか、モデルを見つけることができるか。 2614 キュアできない患者をもケアすることはできる。 2615 死に直面しても、生かされたことの意義を発見することが、本当の自己を復活させることだ。(メンデルソン牧師) 死の意味を考える。そのことが本質的に人生の価値を決定する。 ●死の時点からの逆算によって生きる。死の瞬間にわたしは何を考えるだろうか。何を後悔し、何に満足し、何に感謝するだろうか。 2616 信仰や信念はその人の人格であるとみなし、限りある生命にもまして重要なものであると認識すべきである。朽ちる生命を越えるものである。人生観、倫理観。 ●痴呆の場合これが欠けているので辛い。「どうせ分からないのだから、最低の医者と最低の看護とで十分だ」と誰かが考えていないだろうか?しかしわたしにも何もできない。 2617 脳死は人の死か 細胞が順次死んで行く、そのプロセス全体が人間の死である。どこからが不可逆的な死であるか、それを定めよという要請である。臓器移植を前提としているからどうしても議論が歪む。 どの部分が機能停止しているか、どの部分は細胞死に至っているか、そのように語ることができるだけである。 「死」という言葉は科学の発達以前からの伝統的な概念であり、自然な死のプロセスの全体を意味している。これを現代の医療の現場で語ることは無理がある。部分的な細胞死が積み重なり、全体としての死に至る。 2618 クローン技術で体も人格も同じもう一人の人がつくり出されると書かれている。全くの間違いである。粗雑な議論である。 身体の発育も、精神の発育も、環境との相互作用がつくり出すものである。同一なのは遺伝子だけであり、つまりは一卵性双生児と同じである。 一卵性双生児の心も体も同一であるなどという事実はない。 一体何がいけないというのか?堕胎も許されている。人工受精もよい。乳母捨て山もある。遺伝子操作で怪物が生まれるというのか?そんなもので生まれる怪物ならばいずれは生まれるのだ。早いか遅いかの違いだけだろう。 2619 脱抑制と薬剤 ・痴呆に際して何が失われるか? ・抗精神病薬を使用するのはなぜか? 足が使えなくなれば松葉杖を使う。腎機能が低下すれば利尿剤で補う。便が出ないときには下剤で補う。痴呆では抑制が失われていろいろな行動異常が現れるので、抗精神病薬で抑制を補う。 痴呆では下位の欲動突出を抑制している部分が壊れる。これが脱抑制である。食欲、性欲、攻撃性などの本能や、物事を被害的に解釈する傾向などが、下位に存在している。その上位には現実に即した状況判断をおこなう部分があり、たいていの場合には下位を抑制的に支配している。 痴呆になって神経細胞が失われるとき、こうした上位部分が失われやすく(ただしこれは反応性である可能性も高いのであるが、それは高級な話である)、壊れた場合には脱抑制となり、下位の本能が突出する。 たとえば異常な食行動であり、異常な性欲であり、異常なほどの被害的な考え方である。 これは膝蓋腱反射にもたとえられる。膝蓋腱反射は、筋肉が急に伸ばされたときに、筋肉が切れてしまわないように収縮する反射であり、筋肉の断裂を防ぐ仕組みとなっている。しかしながら、正常状態では、周囲の状況に照らして考えて、それほど異常でも緊急でもないと思われるときにはそのような緊急反応をしなくてよいので「抑制」している。診察室で膝を叩かれるときがそうである。大げさに反応して医者に膝蹴りを加えてもまずいだろう。そこで上位から抑制信号が送られて、本来の腱反射は抑制される。しかし上位に何らかのトラブルが生じたときにはこの抑制がなくなり、反射は大げさに現れる。 食欲にしても性欲にしても、周囲の状況に反応していろいろと興奮しているのだけれど、上位からの抑制が働いているわけである。ところが脱抑制の状態になると、周囲からの刺激にいちいち大げさに反応してしまうようになる。怒りっぽい、性欲過剰、異常食欲、異常に被害的などの現象が起こる。これは膝が叩かれて異常に跳ね上がっているのと本質的に同じ状態である。 こうした場合には、抑制を補えばよい。それが抗精神病薬である。このように「失われたものを補う合理的な治療である」といえる。 抑制系が壊れている場合、患者は自覚的にも、「自分で自分を抑えられない」と苛立ったり、無力感にとらわれたりする。そんなときに抑制系を薬剤で補うことで、自分をコントールする感覚を取り戻すととても落ち着く。これは二重に落ち着いていることになる。抑制系が補強されて落ち着き、そのことによって自分の異常事態が改善されたと知って落ち着く。 抗精神病薬による抑制はさまざまに現れる。 まず作用について。 微量だと抑制系を抑制してしまい、結果として異常行動を補強してしまう。 それ以上の量を用いると、下位を抑制するようになり、治療的な目的を果たすことができる。 さらに大量を用いると、意識覚醒系を抑制し、眠らせてしまう。患者の状態によっては、いったん眠らせてしまった方が本人も落ち着くことも多い。目が覚めると、異常だったことは切れ切れの夢だったような感じになる。 さらに、抗精神病薬には副作用がいろいろとあり、それらがどの時点で現れるか、どの程度耐えがたいものであるか、個人差がある。 以上のような作用と副作用を考えあわせて、患者さんの状態にあわせた薬剤選択がおこなわれる。 2620 仮説 過食、拒食は強迫性の症状である。 強迫に二種があるように、摂食障害に二種を考えることができる。 下位の症状……常同行為に似る……過食 上位の症状……コントロール過剰……拒食 コントロール過剰の系列の場合、たとえば分裂病状態に対する「防衛」の一つとしての意味あいも生まれるだろう。 コントロールを過剰にすることによって分裂病症状に対処しようとする。しかしそれは有効とは言えない場合も多い。有効な場合でも、別の困った事態を呼び起こしていることもある。 分裂病で下位症状としての常同行動に似たものが発生することもある。 「反復行動」の場合にどのような系列のものであるか、鑑別するとよいだろう。 2621 拘束はすべきではないか、どうか ・まず病棟の目的をどこにおくか。生命維持か、事故防止か、リハビリ促進・QOL,ADL増進か。 ・患者の症状がある。治療目的がある。そこから治療手段は決定される。 ・薬剤、看護の技術、看護の人数、病棟の設備・構造などとの兼ね合いから、拘束の是非が結論される。 2622 在宅と入院 適応決定 ・身体の衰弱と精神の衰弱は必ずしも並行しない。時期によって違いが現れる。そのようすを図で表現できる。 ・身体はまだ丈夫で、精神は変調が著しい、そのような場合には徘徊や異常行動があり、本人や社会が困る。 ・精神科医がかかわるべき場合と、身体医がかかわる場合も、精神と身体の変調がどのフェイズにあるかによるのだろう。 2623 医療施設と福祉施設の合理的な役割分担 合理的ケアミックス ・医療資源の有効活用の面でも、患者家族のためにも合理的ケアミックスが必要である。しかし医者や医療施設間の役割分担を誰かが「中央集権的に」決定するのは難しそうである。 ・中央集権的にではなく、地方分権的に、あるいは市場メカニズムの結果として、最適配分が実現するようなシステムを設定すること。それが「中央」の仕事である。 2624 廃用性萎縮はどのようにして器質化するか 廃用性萎縮が容易に器質的萎縮になる、これが老年期の特徴ではないか。 2625 ヒステリーと心身症 心理的原因で随意筋系統に障害がでる場合、ヒステリー。失立、失歩、失声など。 ストレスの結果の症状が自律神経支配領域に発生する場合、心身症、胃潰瘍、大腸炎、狭心症。 中間的な位置に、摂食障害。 理屈からはこのように整理するとすっきりするのだが、まずストレスの質が違う。 ヒステリーの場合には、疾病利得や現実逃避の手段となる側面がある。心身症の場合にそう言えるか?多くは慢性の逃れられない慢性のストレスにさらされており、心身症例えば胃潰瘍になったとして、仕事から逃れられるわけではない。利得は少ない。 その点は戦争神経症で戦闘から免除されるのとはやや事情が異なるのではないか。 次に器官選択性の問題。なぜその器官に症状が出るのか。 随意神経系と自律神経系の違い。コントロールの強い人たちは随意神経領域のことならばコントロールしてしまう。そこで自律神経系統に症状が出てゆくのではないか。 例えば、ストレスは自律神経領域にも随意神経領域にも影響すると考える。症状が短期に明確に出るのは随意神経領域である。そこで性格の未熟な人の場合にはヒステリーの形をとる。ある程度成熟しているが、現実適応のあまりよくない人の場合、随意神経領域の影響については自分の内部で処理してしまう。自律神経領域の問題については処理しきれないので蓄積してしまう。そういった事情があるのではないか。 随意筋に症状が出るほど未熟ではないが、自律神経系に蓄積するひずみを解消できるほど適応がよくもない。 適応が悪いというが、悪いという言葉は当たらないかも知れない。自分の目標が高すぎる。目標に照らせば妥当な努力であるが、目標設定が高すぎるので、結局過剰な努力を強いられる。なぜ自分に見合った目標と努力を設定できないか。このあたりに病理がある。 自律神経系統に症状が出るのはやはり持続的慢性のストレスという印象がある。 例外としてたとえばPTSDなどは「一撃」の結果生じる反応であろうか。 2626 抗不安作用を調べるときのラット まず第一段階としてレバーを押せば餌が出るようにしつける。次に第二段階としてレバーを押せば電撃が与えられ不快な思いをするような状況に置く。ラットは葛藤状態に陥る。ここで抗不安薬を投与するとあまり躊躇することなくレバーを押すようになる。罰を気にしなくなる。 抗不安薬とはこのような薬である。 人間の場合、本当にそれでよいのだろうか? 2627 家族バナナ理論 買ってきたバナナを房のまましばらく置いても大丈夫だ。端の方からだんだん黒くなる。何かの事情で房から切り離してばらばらにすると一本全体がすぐに黒くなってしまう。表面に老人斑のようなものが浮かぶ。 家族は房についたバナナのようなものだ。不思議なことだが、ばらばらの状態でいるよりは、まとまっていた方が強い。長持ちする。 家族から離れて孤独になると人間も弱る。 一本だけ切り離されたバナナはすぐに黒くなり縮んで皺が目立つようになる。ちょうど家族から切り離された老人のようなものである。 老人でなくても、若者でも似たようなものだろう。房を通してつながりあっているということが、お互いの寿命を延ばしているのだろう。 バナナの場合どのようなメカニズムがあるのだろうか。水分や栄養分、あるいは老廃物を分解する酵素などは個々のバナナが保有しているものの総和以上にはならないはずである。 あえて想像すれば、ピンチを凌げばまたしばらく大丈夫で、各バナナに起こる危機を全員で補強していれば、全体としての寿命が延びる、そのようなことは考えられる。 各バナナは周期的に、たとえば一週間に一度、ピンチになるとする。そのときに他のバナナたちが補って助けるとまた一週間は大丈夫になる。そのようにして各バナナが一週間に一度のピンチを切り抜けていけば、お互いの寿命を延ばすことになる。 また、バナナは同じ房についているとはいえ、若いものと老いたものがある。ここで良好な補完関係が生じることもあるだろう。過剰と不足が補いあう。 家族の場合にもいろいろなことが考えられる。人間の場合の方がバナナよりも明確に共同体的存在になったときの利益を考えることができる。したがって、バナナにおいてもそうである、ましてや人間においておや、ということだ。 看護の観点から言えば、家族から離れた人に対していかにして新しいバナナの房として結びつくことができるかということだろう。家族に代わる、新しいバナナの房を作ることができるか。 病棟で生活している場合に、本質的に一人で暮らしているのと同じなのか、あるいは本質的に家族と同居の状態に近いのか。疑似家族の状態をつくってあげられるか。それが病棟運営のポイントになる。 家族と同居していることがなぜ痴呆の防止になるのか。 自分一人の考えというものは間違いもあるし行き過ぎもある。考え方や感じ方の点で訂正してくれるのが家族ではないか。他人は訂正の機会にはなかなかならないのではないか。 家族という単位でいた方が人間は強い。なぜかはよく分からないが。 無条件にあてにできる資源ということがあるかも知れない。現実にどのような訂正があるかというよりも、心理的に支えになる家族がいて、心の中に家族の信頼が住みついていることが有効なのではないか。 現実の助けよりも、助けがあるだろうという信頼感。 しかしバナナは現実に何かを供給しているのだろう。人間の場合にもそうした何かがあるのではないだろうか?フェロモンのような何か。五感からの情報も大切。しかしまたそれ以外の部分でも何かがあるかもしれないと思う。 2628 閉経期女性の問題 自律神経症状があれこれ出る。ホルモンの問題がもちろんある。しかし一方で、役割変化がある。妊娠可能女性としては役割を終える。社会の中で、家族の中で、夫婦の間で、役割が転換される。 男性の場合にはこのような移行は顕在化しない。むしろ退職に伴って、立場の変更がなされ、そこで大きな危機を迎える。 閉経期はアイデンティティクライシスの時期である。新しいアイデンティティを確立できるかどうか、問題を突きつけられている。多面的な女性性のうち、諦めなければならない側面があるということだ。そのことをいかにして受け入れられるか。そのような問題の身体化としての側面が更年期症状にはある。 2629 誰かが何かを言う。そのことで傷つく人がいる。 しかし誰かが何かを言わなかったことで、やはり傷つく人がいる。 どちらかが必ず傷つくとして、傷ついてもいいのはどちらだろうか? 2630 医者に何が期待されているか ・端的に言えば、人の心が分かることである。 ・患者は専門知識もなく、不安を抱えて疑心暗鬼のままで医者に相談に訪れる。自分の感じていることを100%説明することは難しい。そこをなんとか補助線を引いて分かってあげること。 ・必要に応じて専門医を紹介する。これは患者の立場に立って親身にお世話をするということだ。 ・紹介したら、状態を報告してもらい、そこ内容をさらにかみ砕いて患者に説明する。専門医の難しい説明を、その人の知識の背景に応じて説明するということだ。そこまでのケアを含めて家庭医というものが存在する。 ・「親身に自分の健康のことを考えてくれる人」が欲しいはずだ。それがホームドクター。例えば、親しい友人や親戚にそうした信用できる人がいて、専門知識を与えてくれるなら、どんなに心強いだろう。そのような人がホームドクターとして求められている。 ・そうしたことが本当にできるのは精神科医ではないか。少なくとも精神科医の素養が大切である。患者の不安の構造を診るのである。そして補助線を引きながら、患者が自己理解を深めるよう導く。 ・こうした需要は多いのだが、なかなか受診に結びつかない。 ・内科ではなくて、「(健康+心理)カウンセリング」の形のものが大切ではないか。現状の人間ドックや脳ドックは検査が主体で、相談が主体ではない。 ・心理相談などをすれば気持ちが楽になるはずの人は少なくない。しかしそれが受診動機とならない。そのような相談場所がどこにあるのか?活動内容は確かなのか? 2631 汚い頑固な職人気質の大工とサラリーマン工務店 また、地元の不潔な不動産屋と大手のサラリーマン不動産屋 どちらがいいか。一部は、「やはり地元のことは地元、昔からの習慣で。大手は結局中間マージンを乗せているだけで、高くついてしまう」といった考えの人もあるだろう。しかし時代の流れはそうではない。 安心感にもお金を払うのである。出来上がりが同じとして、話しやすい人と納得いくまで話し、内容や料金についての不安なく実行してもらう。 そのような仕事にならば多少のお金をかけてもいいのである。 たとえば運送業者。たまにしか使わないから、一般の人はよく分からない。分からないから不安である。その不安を和らげるような仕事ぶりが大手の業者にはある。それが大切である。経過の快適さも料金のうちである。 またたとえば、デパートと安売り屋。高いことは承知の上で、信用と快適さを買うのである。 ましてや自分の病気のことならば、最終的な治癒と同等に、経過の快適さが大切である。 つべこべ言わないで俺のいうことを聞いていればいいという、職人気質はだめ。 医者が患者を叱ってかえしたなどというのも悪い態度である。叱られて喜ぶ人だと見立てたならばそれもよい。しかしそうでないない場合、つまり「最終的に早く確実に治ればいいだろう。そのためには嫌われてもいい」と考えているところがあるとしたら、大きな間違いである。正確で迅速な診断と治療であっても、患者が心地よくないなら、上ではない。患者が納得して満足していること、そのことに敏感でありたい。 最終的な治癒に至るまでの経過がどの程度困難であるか、それも大変重要だ。そのことを頭に入れて診療する。 結局、患者の気持ちをよく分かってあげるということだ。簡単でかつ難しいことである。 少なくとも、患者の不安を分かること。どんな病気なのか、どうすれば治るのか、費用と期間はどの程度なのか。 2632 自分という井戸の底に、自分という洞窟の奥に、何が住んでいるのか。 知らない方がいいものか。知った方がいいものか。 2633 家族バナナ理論の続き1 では分裂病者とは何か? バナナの房につながっていない人。家族と一緒にいても、友人と一緒にいても、バナナの房でつながっていない。本質的に孤独である。他人の脳とうまくつながっていない。自分の欠如を他人の脳で補完することができない。 そのような何かの欠如。 状況意味失認はその点で分かりやすい。いろいろな状況が、個人から個人へのメッセージとなっている。机の上のミカンは母の愛情という意味を帯びている。しかし分裂病者はその意味を受け取ることができない。むしろ誤解してしまう。 バナナの房から離れているということは、そのような事態ではないか。 また、プレコックス・ゲフュール。「人間的反応」に類した何かが欠けている。まさにそのようなものによって人と人とはつながり合い、バナナの房を構成するのだろう。 内的感覚遮断はこうした状況をうまく説明するだろう。見えていても、意味は見えていない。その時、集団でいても、集団でいることの本質的な何かが欠落している。 集団療法とは、このような何かを利用することが眼目である。それは実現できているか? 2634 家族バナナ理論の続き2 集団療法とは、 バラバラだった個人を、房につながっているバナナの状態にして、養分を補給する作業である。 こうした比喩的な言葉を実物を指す言葉に置換すること。実際に起きていることは何か? 人と人との間にある房とは? 人を強くする房とは? つながるということの意味は? 食べ物を分かち合うものとしてのイメージ。 性的存在として分かち合うイメージ。 わたしが我々になるとき、何が変わるのか。 コンピューターをたくさんつないだときの、計算速度の速さを考える。 脳の部分を使ったときのシミュレーシューョンと、脳の全部を使ったときのシミュレーションの正確さの違い。それが集中力ということだ。 脳と脳とがつながって、能力を発揮したとき、個人の力を補い合い、それ以上の能力を発揮できる。訂正しあい、確認し合って作業は進む。脳のネットワーク状態が必要である。 2635 「人生には三つの年頃がある。第一はサンタの実在を信じる年頃。第二はサンタの実在を信じなくなる年頃。そして第三は自分自身がサンタにならねばならない年頃である。」 ・老人はどうか?サンタのおとぎ話に入れてもらえない年頃。 ・これを文明の成熟過程としてとらえることもできるのではないか。サンタの実在を信じていた古代宗教文明。サンタの実在を信じなくなった現代の物質・実利・無倫理の文明。そしてその先にある、さらに成熟した文明。それは「自分自身がサンタになる文明」である。 サンタを神による恵み、さらには神に由来する倫理と読み替えたい。 神による恵みと倫理を信じていた時代。これは人間の力がまだ弱かった時代である。 神による恵みと倫理を信じなくなった時代。現代は人間の知恵は増大し、神に頼まなくてもいい時代になった。しかしそこには大きな裂け目がある。「なぜ生きるのか」の問いにだれも答えてくれないのだ。古代の場合には神がその答えを与えてくれた。神がいなくなって、答えは消えた。問いを忘れたままで生きている人も多いが、しかし問いは消えないで残っている。ときおり思い出すのだが、ときおりである分、なじみもなく、どのように扱っていいものか途方に暮れるのだ。 次の時代は「自分たちがサンタになる」だろう。自分たちが恵みと倫理の根源になるのだ。そして自分たちが生きる意味の根源になる。 それは神がもはやいないことを発見した動揺を隠すための反動ではない。過去の時代にはそのような反動として、自分が意味と倫理の根源になるのだと主張した思想家もある。しかしそうではない。もっと自然な発展として、充分に成熟した人間は自分自らが価値を創造する。意味を創出する。価値ある倫理を自ら建てることができる。 2636 成田善弘「心身症と心身医学」岩波書店1986。 2637 福島章「心のはたらき」所収、東大出版会 ・解釈は、患者の意識の世界を拡大する知的作業である。 ●なるほど。イドのあるところにエゴあらしめよ。そのようにエゴの領域を拡大し、理解し、理性の支配の下に置く。しかしその先には、タルコフスキー「ストーカー」で描かれた悲劇もある。「自分の本当の心など知らない方がよかった!」 ・かつて自分が体験しながら忘れ去ったもの、現在起こってはいるが意識的には理解していないものが何であるのか、というストーリーを組み立てることを助ける。 ・その時、患者の自我は事実に耐えうるほど強いかどうかが問題である。患者は事実が耐え難いからこそ抑圧しているのである。従って、事実に直面するには大きな力と支持が必要である。そのために治療者は援助する。 ・分析家の最初の仕事は、超自我やエスとの葛藤に疲れて弱体化した自我を強化し、感情的にも支持すること。受容、共感、支持、理解、配慮などの積み重ねにより、患者の信頼と安心を引き出す。 ・陽性感情転移が生じただけで、全く洞察に達していないにもかかわらず、症状が改善することがある。これを転移性治癒という。(診療室以外での症状が、診療室での症状に限定される。このとき転移神経症が成立したことになる。この場合には外界での症状はいったん消えるので、転移性治癒という。という説明はどうか?→調査。) ・解釈は時の熟するのを待つ。患者の意識が洞察の一歩手前まで熟したときが解釈のチャンス。 ・患者の話のある局面に関心を示さないこと(選択的無関心)もまた、解釈のひとつである。 ・何が分からないかを治療者が分かることが大切である。 ・患者の話に疑問符や感嘆符を付すだけでも、解釈である。「よい解釈は、おおむね平叙文ではなく、疑問文だ」ともいわれる。 ・抵抗を解釈する。その解釈に対する抵抗をさらに解釈する。この操作の反復が徹底操作である。 ・幼児期原型(プロトタイプ)が反復される。 ・患者の転移感情の特徴は、概ねそれが両価的であることにある。 ・転移感情は、過去の感情の反復、診察室以外の生活での感情の反復である。それは幻想的・心内的である。しかし一方、それが診察室で起こっている点で、現実的である。(現実的ではなく投影の結果なのだけれど。) ・患者に決して現実的な満足を与えてはいけない。性的関係、恋愛関係、敵意に反応して喧嘩を買ったりするのもいけない。 (このあたり、デイケアはやはり特殊である。心理面接の延長をしていては、竜宮場になる。デイケアは現実への橋渡しの場所であるから、どうしても治療者も現実的な個人となる。その場合、心理面接でいう隠れ蓑も、鏡のような態度も、難しい場合がある。) 2638 荒井献「心のはたらき」所収、東大出版会 キリスト教が成立した当時、ユダヤの支配者達は、生活の価値基準を律法においていた。律法を守って倫理的に正しい生活をした人がその功績によって終末の時に神の国に迎えられる。律法を守らない人は神の国から閉め出される。しかしヨハネは、過去における律法の業を誇り、それを基準にして、律法を守らない人、あるいはむしろ、貧しさや病のゆえに律法を守ろうとしても守り得ない人々を差別する人間の心のありようを「罪」と見た。 (●ここが大切な指摘である。) 人間は過去(民族、社会階層、学歴、性別、宗教的敬虔)に価値の基準をおくのではなく、一切白紙の将来に価値の基準をおくべきである。 この価値基準にしたがえば、過去を誇る者は神の審判の対象となり、過去を誇り得ない者が、神の救済の対象になる。 ●たとえば頭が悪いのは本人の責任ではない。性格が悪いのも、本人の責任ではない。考えてみれば、本人の責任などどこにもないように思う。むしろ、責任といったような言葉で「抑制」または超自我を植え込むだけなのだろう。 人間は無限にやり直しの途上に立つ存在である。 過去は現在を免罪しない。 現在は将来を免罪しない。 しかし過去は現在により、現在は将来により、免罪される可能性を持つ。あるいは救済者によって一挙に免罪される。 オセロのようなものである。最後に浄化されれば、それまでの罪はすべて最終的な浄化のための布石であったともいえる。オセロでは相手の石がたくさんなければ、自分の石はたくさんにならない。罪が大きければ、浄化も大きい。→それよりも、罪の少ない人生がいい。また、反省すべきは、内部の罪である。大きい罪といっても、刑法でいう罪ではない。 指示刻々に浄化し続けなければ、魂は濁るのである。 罪は蜜である。人間に不可避の何かである。 2639 対話的関係 脳と脳とが並列につながるイメージ。 脳と脳とが直列につながるのは、命令であり、帰依である。支配であり指導である。 並列につながるとき、脳は独自の強さを発揮する。 電池を直列につなげば、電圧があがる。それはすばらしい。並列につなげば、電圧は同じだけれど、別の意味で強くなる。 並列につないでいれば、ある一つの電池の電圧が低下してきても、全体の電圧は維持される。このように「補いあう関係」ができる。 直列も助け合って全体の電圧を高くしているが、それは個々の電池の弱点を補うのない。むしろ個々の弱点が露呈する。 並列結合は無駄といえば無駄である。しかし個々の電池がいつでも常に完全とは限らないことを前提として考えれば、すばらしいシステムである。 対話的関係。電池の並列。家族バナナ理論。 他人の脳からの提言に耳を傾けるとき、自分の脳の限界を少し超えることができる。 他の脳はどんな風に考えているか、感じているか、それと比較して自分の脳をチェックする。 脳を並列につなげば、精密なシミュレーションができるようになる。 脳内でも、並列と直列を考えることができる。 2640 「心のはたらき」東大出版会 シャーマンの存在が肯定されている社会では、精神症状や行動異常について、神霊の一方的な意志による憑依に原因を帰すことによって、当人の内的・私的なものではなく、原因を外在化し、社会的に理解可能な公的次元での取り扱いに委ねられる。しかも、憑依を、神霊から選定され賦与された交流能力として肯定的に評価することによって、自己統御の能力を高めてゆくことを円滑にしている。また、宗教職能者としてのシャーマンがおこなう占いや治療の儀礼は、その顧客となる共同体の成員にとっても、そのやり場のない不安の原因を宗教的な次元で同定して、これへの対処と解決を可能とする点で、精神医療的な性格を有する。 このように、自身が精神的な困難を克服して社会復帰を遂げたシャーマンは、同時にその社会に特有な精神衛生全般に亙って重要な地位を占める。 ●精神病理的現象に対する態度の変化は、宗教や神に対する態度が「科学的態度」に変化したことと対応しているだろう。→サンタを信じる社会から、サンタを信じない社会への変化。 以前価値あるものとされていたものが、こんどは無価値で、むしろ排除されるべきものとされた。排除の装置が精神病院である。 排除することなく生きる社会も可能であった。現在は排除する社会を選択している。 さて、自分がサンタとなる社会では、精神障害者(障害者という言葉がそれ自体排除の標識として機能しているが)をどう扱うか。社会はサンタとして振る舞い、さらに精神病者をもサンタの役割を担うものとして迎える。 排除ではなく参加。 ●またたとえば、現代では宗教ではなくて、マスコミ・芸能界がそのような機能を果たしている面がある。引きこもり系統の陰性症状の場合には難しいが、陽性症状が中心の場合ならば、そして性格障害が中心の場合にはなおさら、芸能界のような場所で生きる場所が確保される可能性はないではない。あるいは大学や研究機関。 ●人々は病気の症状に対して、プレとトランスの錯誤をおかすことがしばしばである。ケン・ウィルバーはトランスをプレと誤解する場合を取り上げて問題にした。この場合にはプレをトランスと誤解する。つまり、脳の下層から出現したものを、何かありがたいもののように考える。文章にも、絵画にも、造形にも、そのような側面はある。一定の技術はあるが、根本的には下層からの産物を加工しているだけである。 2641 強迫症者は優柔不断である これが面白い 2642 心理学と精神医学で病理についての理解の違いがある。立場の違いといってすましていていいのか? あるいは、別のレベルからの働きかけと考えていいものか。 2643 「〈対話〉のない社会」中島義道(PHP新書) 私語の習慣 他人の発言中にも私語をやめない風景はいまでは珍しくなくなった。 高校生がタバコを吸いながら道を歩いている。誰も注意しない。 援助交際という名の売春が低年齢化している。 日本人の変化。 超自我の発育不全 社会全体の無責任 責任は集団にあり、個人にはない。個人はいいのだが、集団が悪いということにしている。 2644 「〈対話〉のない社会」中島義道(PHP新書) ●「優しさを妨げるもの」をかつて大江が論じた。「対話を妨げるもの」を中島が論じている。私のいう「対話」と一部重なり、一部重ならない。 ・対話とは、他者との対立から生まれるのであるから、対立を消去ないし回避するのではなく、大切にすること、ここにすべての鍵がある。 ●私見では「対立はある。しかしそれを何とかしようとは思わない。正誤で決着しようとも思わない。ただ政治力で決着しようとする。あるいは自分だけが正しいと信じ続け、自分以外の人の考えは価値のないものとみなして安心している。」たとえば海道病院での風景はそのようなことであった。「あいつは病気だ。俺はその被害者だ。どうしてくれる」というわけである。そのように断罪して自分を守っているのだ。 ・自分と他者との微妙な差異を正確に測定したうえで、その差異を統合しようとする場(ここに対話が開かれる)が完全に取り払われている。世界は自分と対立の生じえない世界であり、この意味で自我の拡大形態なのである。 ・対話は対立のない社会では育たない。対立を大切にする社会、互いの差異を正確に測定しようとする社会でなければ死んでしまう。倫理学者R.M.ヘアは「一般化generalization」と「普遍化universalization」とを分けている。前者は自分の価値観や規範意識をそのまま拡大する作用であり、後者は異質の価値観や規範を統合しようとする作用である。後者こそ対話を活かし育てる概念である。 ●個々の人間の内側にあるものを「統合する」とは言葉が怪しいとも思える。イメージとしては「脳と脳とが並列結合されている状態」を思い浮かべるとよいのではないか。支配ではない、指揮命令系統ではない、自分に欠けているものを持っているのではないかと謙虚に問いただすことである。自分に欠けているところがあったら補えばよい、それだけのことだ。プライドが邪魔をするというなら、プライドに拘泥していればよい。その地点がその脳の限界点である。 まずどんな脳にも間違いは内在している。次にどんな脳も、すべてを経験しているわけではない。 脳は脳内の状態を現実と照合する。その結果訂正する。それだけではない。現実の他に、他人の脳の内部状態と自分の脳の内部状態とを照合する。どちらが正しいのかは現実照合の場合よりは判定が難しい。しかし、人間の脳の最高級部分には、そのような判断を下す部分がある。プライドが邪魔をしてその高級機能部分が働かないなら、残念ながら機能不全である。それはある種の性格を構成するだろう。 2645 考える場合でも、本を書く場合でも、基礎となる事実として何を選んだか、どんな人の本を引用しているか。それは大切な点である。その点で、良心的であるならば、出典、引用文献を提示すべきである。煩わしくても、そのリスト自体に価値がある。 2646 対話は自分を危うくする 真の対話は自分を危うくする場合もある。自分の信念や感じ方の訂正を迫られることもある。そのようなものが対話である。だとすれば、なまなかのことでは危険で対話などできないはずである。 対話すれば自分の問題がめくり返される。それは苦痛である。相手が真剣になり、裸になり、全存在をかけてぎりぎりの言葉で語るのはよい。自分がそのように語るとなれば尻込みする。自分が薄っぺらで、実は何も中身がないことを知っているからではないか? 相手を傷つけたくないから言わないのではなく、自分が傷つく事態に巻き込まれるのを恐れているだけである。 本当の自身がないから、身を隠して生きている。いじめの恐さを知っている。正義も道理も通らないのだ。ただ目立つことが悪いことなのだ。しかも正義を振りかざしているとなれば胸くそ悪いと思われかねない。 みんな平等で弱くてみじめでしかも他人に優しいはずなのである。この規範に従わないなら社会から排除されても仕方がない。 2647 宮崎隆太郎「傷つきやすい子供たち」(三一書房) 灰谷健次郎批判。 2648 嫌われたくない。それだけが行動の規範のようである。 クリニックをしていてそう思う。患者は正誤ではなく、好き嫌いで物事を言いふらす。最後には理解して感謝と反省をしてくれるだろうなどというロマンは通用しない。現実の人間とは、それだけの存在である。お話を現実と混同していてはいけない。 結局残るのは、他人はどうなってもいい、自分が嫌われないように上手に立ち回るべしということだ。 しかしそれだけではない。「他人はどうなってもいい」の反対として「他人のために」との動機からの行動があるだろう。しかし「他人のため」は純粋に他人のためであろうか?お前のためだといいながら、鬱憤晴らしであったり、攻撃であったり、支配の感覚であったりするのではないか? そのあたりを敏感に感じとるから、反発される。 また、その反発も問題である。純粋な「お前のため」の言葉であっても、受け取る人間がひねくれていれば、単に自分のために語っているに過ぎないことになる。 二重に不純になっている。 こんな状態ではどうしようもないではないか。 2649 「〈対話〉のない社会」中島義道(PHP新書) ・「他人の痛みの分かる人になろう」との標語が「自己の痛みの拡大形態として他人の痛みを分かる」という図式になりやすい。自己の痛みの延長としてしか他人の痛みを理解できない。この場合、私がつらいときには他人もつらいであろうとまでは言える。しかし私がつらくないときでも他人はつらいかもしれないという発想にはなりにくい。他人は自分とは感受性がまったく異なっているかもしれない。だから、「他人の痛み」を分かるのは実は大変なことである。 ●共感の問題である。自分の感覚の延長として「自然に」理解するだけでは共感とはいえないだろう。 ●「他人は自分と感受性がまったく異なっているかもしれない」と前提してものを考えることには大変な無理がある。共同体、集団というものは感受性がある程度共通であることを前提として成立している。「まったく異なる」とはいったいどのような事態であるのか。どの程度のまったくなのか。 2650 甘え理論の話になるとなんだか違和感がある。なぜだろう。意味の輪郭があいまいである。日本語の「甘え」の輪郭があいまいなのだ。 甘えは主に他人を批判するときに用いられる言葉である。当然ではない特別の好意に期待する態度(自分の窮状を知っていれば、好意は当然であるという自分本位の姿勢がある)。こちらの心情を汲んでくれるはずだという意味での一体感(分かるはずだという自分本位の姿勢がある)。 言葉の使い方としては、「それはあの人のエゴだ」「それはあの人の甘えだ」というように、エゴと似ている。エゴイズム、自分本位。 自分本位の人が自分で何でもやって迷惑をかけているなら甘えではない。自分本位の人が人に何かをやってもらおうと厚かましく考えているとき「甘えている」のである。 自分のわがままのために他人を動かす。これが甘えである。 他人の行動や配慮を当然受けるべき場面ではないにもか変わらず、何らかのサインを発して、自分のわがままを通してしまう。それが甘えである。 ひどい利己主義である。自分のために他人に動いてもらおうとする利己主義である。 2651 「〈対話〉のない社会」中島義道(PHP新書) ●相手にレッテルを貼って、自分は優位に立ち、安全圏に逃れる。典型例が精神科の診断である。「あいつは境界例だ。性格障害だ」と診断してしまえば、自分の優位は決定される。自分は被害者である。悪いのは一方的に向こうである。そのように断定してしまうことが許される。そこに「対話がない」と思う。 ●対話の精神とは、科学的精神といってもいいのではないか。何が事実なのか、何が正しいのか、自分をも含めた状況を明確にしたいと思う気持ちである。自分だけが考察の対象外に保護されるのは正しい態度ではないはずだ。 ●真実を封殺するための会話ならば有害である。真実を発見するための会話が対話である。 ●人間同士の会話はいろいろな機能を持つ。 例えば、社会順位の確認のための会話。これはあいさつの変形であるし、動物でいえばマウンティングに相当する。議論の中身や事柄として真実であるか否かを問題にするのではない。どちらが優位なのかを確認するための言葉のやり取りがある。 一方で、共同して真実を探るための会話がある。科学的真実に到達するための共同作業である。脳と脳を並列に結合する。 特に、お互いの脳の中にしかないことを照合する作業を通じて、脳内の状態をチェックしているのである。 ●相手に診断名をつけて安心する作業は一種の防衛とも考えられる。自分を危険に場所にさらさずにすむように工夫していると言える。 ●正しいことでも忠告されれば腹を立てる。たとえば学生に社会人が忠告して殴られた場合。事柄の内容について吟味があったわけではないだろう。腹を立てたのは、その忠告が学生にはマウンティングのように感じられたからである。そうしたマウンティングをはね返す方法として、学生は言葉を持っていなかった。暴力ではね返すしか手段を持たなかった。 ●これは結局、真実や倫理に対しての同意(または信仰)がない場所では、真実や倫理についての言葉も、マウンティングの道具になってしまうということだろう。人間関係の序列だけが重大事である社会では、起こりうることである。 ●むき出しの、素っ裸の真実というものはない。いつも「誰がどんな状況で語ったか」がついて回る。真実も倫理も社会の順列の中で測られる。そのような社会では、正しいことを語るにも、「作法」がある。社会のルールに乗せて、真実を語る必要がある。 1997年12月9日(火) 2652 「〈対話〉のない社会」中島義道(PHP新書) ・竹内靖雄の指摘。西洋近代型の個人主義は強い個人主義であり、日本のものは弱い個人主義である。 強い個人主義 ・利益の追求に集中する ・他人との関係において攻撃的で、競争志向的である ・市場を利用する。すなわち、市場ゲームの個人プレーヤーとして生きようとする 弱い個人主義 ・不利益の回避を重視する ・他人との関係において防衛的で、競争回避的 ・集団を利用する。すなわち、個人はまず集団に属し、その集団が市場のプレーヤーとなる。 2653 「聖書と甘え」土居健郎(PHP新書) 不安を伴わない自由。 楽な方を選ぶ自由。 それも自由には違いないが、自由意志という場合の自由とはやや趣を異にしているのではないか。敢えて選ぶ、にもかかわらず選ぶ、そこに自由の真の価値があると感じられる。 ただ楽なほう、何も考えなくてもよいほうを選んで、それを自由だというのはなんだか違う。それは不自由というものだろう。楽と苦労の決定論でしかないだろう。 2654 無力感と力の感覚の回復‥‥これがストレスとストレス解消に関係しているということ。 イライラするとかストレスを感じるとかという場合、ストレス解消に皿を割ったり、歩道の自転車を蹴飛ばしたりする。 皿や自転車の例は、自分の力の確認であろう。イライラやストレスはつまり、無力感のことではないだろうか。 イライラとは無力感である。無力感を解消するために皿を割って力を確認する。「自分には力がある」と自分を肯定する気分になって落ち着く。 2655 「聖書と甘え」土居健郎(PHP新書) ●甘えとは、自己批判の停止、反省の中断、スーパーエゴの機能停止ではないか。 ●フリーチャイルド丸出しともニュアンスが違う。甘えはもっと巧妙で、効果を計算している。 ●太宰をまねていえば、下卑ている。 2656 「聖書と甘え」土居健郎(PHP新書) 育ち方によって妬みが強く発達する人と、あまり発達しない人がいます。突っ張って生きる人、世の中の不正が許せない人、「自由と平等」「差別撤廃」を叫ぶ人、これは妬みが強くなります。反対に、甘えられるところがある人はあまり妬まない。 甘えられる人を持つこと、甘えられる心を持つことで、妬みが緩和されて、人は救われます。ですから、甘えたりしてはいけないなどと思わずに、自分や他人を救うためにも、甘えられる関係をつくっておくようにした方がいいでしょう。 妬まれた場合、妬まれている人からなるべく離れているのがよい。なるべく目立たないようにする。慎む。派手にやると人の妬みを買うからいけない。 パウロの言葉で、「喜ぶ者とともに喜べ、泣く者とともに泣け」というのがある。これが本当にできれば人を妬むこともなく、人の妬みを買うこともない。 人間が社会をつくるのは妬みがあるからだといえる面がある。仲間で固まるのはなぜかというと、誰かが先行しては困るからです。妬むから一緒にいようという面がある。ですから、人間の集団ができるとき、妬みは非常に大事であるということになる。妬みが全くないとバラバラになってしまうおそれがあるかも知れない。 ●なるほど、集団というものはそのようなマイナスの動機で成立する面もあるかも知れない。例えば、他人への関心を超越しているタイプの分裂病者は、集団になる理由が乏しいのかも知れない。(そんな純粋な、聖人のような分裂病者はロマン主義の産物に過ぎないけれど。) ●世の不正を許せない人を妬む人であると断ずるのはいかがなものであろうか。今のままでいいではないか、文句を言う奴は頭がおかしい、性格がおかしい、生育に問題がある、だからひねくれた‥‥などとする低次元の話につながる部分があるのではないか。 妬みがあってもなくても、正しいことは正しいし、不正は不正である。そのことを性格の次元の話に変換する習慣は、対話を拒む態度である。ここに対話を封じ込めて自分が優位に立とうとする態度の典型が見えている。土居はそんな人ではないかも知れないが、不用意な発言であることは確かである。 2657 不正と父性 密接に関係している。 2658 「聖書と甘え」土居健郎(PHP新書) 貧しくても人を妬まない。豊かに暮らしても人の妬みを受けないように生きる。これが人生の達人である。 ●なるほど。 ●やはり妬みはマイナスの感情だろうか。逆に、自分に向けられる他人からの妬みを思うとき、快感が走るのだろうか。 2659 恨みを買う。妬みを買う。この場合の「買う」とは何か。 2660 クリニックの機能について ・医学的診断・治療機関としての機能(心身症、神経症、自律神経失調症、うつ状態、小児自閉症など) ・薬物療法、精神療法 ・心理カウンセリング、認知療法、行動療法、電車恐怖対策法、対人恐怖対策法、心理劇、ロールプレイ、SST、内観療法、リラクゼーション、バイオフィードバック、アロマテラピー、音楽療法 ・自律訓練法、マカトン法、集団精神療法、精神科デイケア・ナイトケア ・心理検査とその結果の説明、アドバイス ・リラクゼーションの方法、本、アロマテラピーの用具、各種小物、買える店の情報 ・各種施設や専門医、専門家への紹介の機能 ・今後どのような治療がいいのか、コンサルタント ・メンタル・ヘルス・アドバイザー ・医学の専門的な知識を分かりやすく伝える ・とりあえず相談に行く窓口 ・自分のような悩みの場合に、どこに相談に行けばいいのか分からない。自分にぴったりの相談窓口をアドバイスして欲しい。 ・痴呆の始まりではないかと心配だ。しかしうっかり病院に行くと病人扱いされてしまいそうだ。 ・病気ではないが、病気についての知識を確かめておきたい ・困っているが、自分である程度は調べてみたい。どんな本を読めばいいのか、アドバイスが欲しい ・地域のメンタルヘルスデータバンク(情報と人が集まる)→地域医療の拠点 ・各種専門施設に至る最初の窓口、きっかけ ・セカンドオピニオン提供機関(今の治療でよいのか。今の診断で間違いないか。本に書いてあることと違っているので心配だが主治医には聞きにくい。もっと詳しい説明が聞きたい。) ・悩みは漠然としていて、病気だとは思わないが専門家の意見が聞きたい ・漠然とした相談事、とりあえず誰かに話を聞いて欲しい場合 ・幼児や児童の言葉の遅れの専門外来→専門外来を標榜することのメリット(うつ、めまい、自律神経失調症、更年期障害、老年期痴呆、登校拒否、対人恐怖など) ・専門を特定せず何となくまず相談という雰囲気にすることのメリット ・リラクゼーション教室 ・今の状態から抜け出すことができるよう援助する。そのための最初の手がかり。最後の解決ではないかも知れないが。 2661 1997年12月13日(土) 精神力動などといわず、精神力学と呼べばいいではないか。ニュートン力学が模範であった。 現代では力学というよりは「回路」である。ニューロン回路が、巨大なコンピューターを形成している、そのようなイメージが支配的である。とりあえずそれでいいではないか。 2662 右手に愛を、左手に信頼を 母のように愛し、幼子のように信頼しなさい (あるいは幼子のように愛し、幼子のように信頼しなさい) 唯一の処方箋は、愛と信頼である。 2663 皮膚病における履歴現象 細胞のレベルで記憶が刻印されている。脆弱性が刻印される。そして次の体調不良の際にはその場所に問題が起こる。その意味で人は歴史的存在である。現在は過去に規定されている。 そのようなものとして精神現象もある。 天気の悪い日には昔の傷が痛みだす。 免疫力が落ちれば、潜んでいたヘルペスが顔を出す。 2664 総婦長の心構え演説について 自分はこんなに苦労してきた。だから、あなた方には余計な苦労はかけたくないといえば、共感が生まれる。不幸は再生産されずにすむ。 自分はこんなに苦労してきた、だからあなた方もこのくらいの苦労は当たり前だ。工夫が足りない。我慢が足りない。そう言うのでは共感は生まれない。奴隷のリーダーが奴隷に対してするお説教であり、不幸の再生産である。ナチの支配下で、ユダヤ人リーダーがユダヤ人に対してした演説のようなものだ。ドイツの栄光のために我々も尽力しよう! 2665 過食と不食の階層構造 不食はコントロール過剰、過食はコントロール不足、このように分けて考えてみる。 強迫傾向のある人の場合、目標に向かってのスケジュールを決定する際に、過剰なコントロールを目標とする場合が見られ、その反動として、少しでも予定が狂うと、コントロールゼロに陥る。目標が高すぎて(現実把握の悪さ)、しかし達成できそうにないとなれば、all or nothing の原則で動いてしまう。そのような基盤があるのではないか。 うつの場合でも、似た事情がある。躁はコントロール過剰に対応し、うつはコントロールゼロに対応する。つまり、躁の欠如態としてうつが考えられる。 不食は上位のコントロール行動であり、過食は下位の欲望行動である。階層的構造を考える。上位のコントロールが破綻して、下位の欲望が野放しになる。→これは躁うつの事態とはやや異なるけれど。躁とうつとは上位下位ではなく、同一平面上に散在している。 2666 脳の中に複数の人格セットを仮定する。それぞれの出現の時と場所を考えるのがセルフの上位部分である。セルフ・アイデンティティと呼んでもいい部分である。 それぞれのセットは、体験をいつもモニターしている。他の部分との連絡は取れている。連絡が遮断されると病的な状態になる。それが解離状態。 各セットに、感覚線維と運動線維が配置されている。それぞれが体験している。? このような分散システムは、脳の異常には強いが、能率は悪い。中央で一括して一度だけ処理するのが最も効率的である。しかし何か異常が起こって、どれかのセットが機能しなくなったとしても、他の部分での代償が十分にできそうである。並列構造である。 (脳内の並列構造に加えて、脳と脳との並列構造が考えられる。それが対話的関係である。) →脳内アイデンティティサブセット理論と時間遅延理論の結合ができるか?さらに層構造を考えて、退行と関係づけることができるか? 解離性障害を、統合障害と考えてよいと思う。いまこの場面でどのセットを用いるか、そのコントロールタワーが機能停止している。→思いがけないときに都合の悪い自分が出てしまう。→これは強迫性障害にも似ている。語ってはいけない場面で語ってしまいそうになるなど。また、分裂病の場合にもありそうである。 あるいはコントロールタワーが誤動作して、不適合なセットが用いられるとき、それが神経症である。 2667 アイデンティティを自己同一性と翻訳することの無理。「自分」という訳がよいのではないか。あるいは「正体」。するとセルフ・アイデンティティが翻訳できなくなる。 訳語がないということ自体、大きな発見である。人間の存在のあり方として、アイデンティティが必要なかったのではないか。そのような共同体が、日本語というシステムの上に作られていたということだ。 言葉の構造について、探求すること。ことば・制度・社会・意識・脳。これらの関係。 脳は発育の段階で言葉や制度を内部に構造化する。 たま逆に、言葉や制度は脳の構造を外在化する。 脳と、言葉・制度は互いに絡み合って、歴史の中で発展する。 2668 湘南心療内科・こころとからだのクリニック 湘南心療内科クリニック 湘南こころとからだのクリニック 2669 幼児期の虐待が後の精神症状の原因となるか? たとえば、幼少期に多動・衝動的であったならば、親は虐待するに至るかもしれない。また、ニグレクトも生じやすいだろう。十分に可愛い普通の子供であったなら虐待という事態にはならないのではないか? また性的虐待についても、やはり子供の側に多動、衝動的などの、憎く思われる要素が存在していて、その上で性的な事柄が起こったのではないだろうか? このように思われるから、被虐待者は口を閉ざしてしまい、解決のチャンスを失い、解決を持ち越してしまう。 2670 国語の時間に文章を図で理解して、フローチャートのようなものにまとめたものだ。それで理解が増すのなら、最初からフローチャートで図解して示せばよいのだ。文章はいらない。 文章は朗読のために使われるだけである。こだわる必要はない。 2671 トラウマについて 性的侵襲の際に、相手の女性も快感を感じていたから、自分のしたことは悪いことではなく、このようなセックスもあるのだと言い張るとしたら、それが二重のトラウマを形成するだろう。こうした無知が不幸を再生産し続けている。 しかしながら、これは性的な面で問題になるだけではないだろう。サディスティックな行動一般が問題になる。 たとえば、サディスティックに指導する人と、その指導をマゾヒスティックに受ける人との関係。本来それはサド・マゾ関係を基盤とした歪んだ関係である。しかしサドの側は、「いやなら逃げればいいだけだ、相手もそういう関係を望んだ」と言い張る。マゾの側は、そのような人間関係もあるのだと納得してしまう。特に、特殊技術を伝えるような場合。たとえば家元制度。たとえば専門職の職場。男女がいれば性的様相を帯びる。同性ならばサド・マゾ的色彩を帯びる。そのような場合がある。 指導であると信じ合っているが、外から見ればそれは異常な関係である。 男が言う「いやだいやだと言ってたけど、いまでは俺でなきゃだめなのさ」 総婦長が言う「つらい日々があったけど、そのあとで一人前になって、感謝してくれるのよ」 似ているのではないだろうか? 2672 「薬をのまずに頑張ろうと思っている」→説得の仕方 「あせらずに、ゆっくりと」 「薬のせいでぼーっとしてしまう、ものが覚えられない」→説得の仕方 「この世の中が、精神科医など要らない世の中ならば一番いい」でも、われわれはこの世界を生きるしかない。 「病気ではない、誰でも状況によっては陥る可能性がある。むしろ、現代社会の何かが間違っている。」→疾病観の相違。精神病について、最大限、反応性と解釈する。そのことは患者をどの程度救うだろうか?責任を外部に所属させるほうが楽だ。自己に帰属させるとつらい。 ただ、自己の範囲をどう考えるか。脳腫瘍は自己の外か中か。そうした問題もある。 2673 老人の場合のケアプログラム・症状分析表 老人の場合のトラウマ たとえば、老人の場合、未来は閉ざされているだろう(来世を信じるならば、未来は開かれているのだが)。この一点だけから考えても、老人はうつに傾きやすい。 未来について、世界について、自己について、悲観的に考える。これが認知療法の立場からいわれることであるが、老人の場合にはどれも閉ざされているのではないか。 未来はあまりバラ色ではない。世界は老人に対してやさしくない。自分はもうすぐ死ぬだろう。未来の予定は死ぬことだけである。 楽観的に考える材料に乏しすぎる。 ではそうした材料を与えることができるだろうか?たとえば来世を信じられるような宗教を?輪廻を信じられる宗教? 苦い現実をかみしめて死ぬことがよいか。嘘でも楽になった方がよいか。 徹底的虚無の立場に立てば、真実にこだわるよりは安楽さを選択することにも意味がある。一時を幸せにしてくれる宗教は有用であると思うのだ。 それほどに、老人の時間は苦悩に満ちている。 2674 サンタ・クロースに対する態度の変遷……素朴に信じる、信じなくなる、虚構と知りつつ人のために演じる。 文明として……古代宗教文明。現代唯物論文明。そして未来の文明。 個人として……同様の発達の仕方を見せる。 職業倫理として……「愛は患者を救う」との信念。これは駆け出しの、しかし折れやすい、しばしば薄っぺらな、信念である。信念というよりは、素朴な誤解に近いだろう。そして、そのような素朴な信頼の世界はないのだと絶望したあとの「それでもなお私は愛する。にもかかわらず私は愛する」、そこにこそ職業倫理がある。強い倫理がある。 2675 対話的関係の反対は、揚げ足取りとレッテル張り。 相手に対する尊敬も信頼もない。ただ自分が優位に立つためのゲームを展開している。支配のゲームである。 真実に対する畏敬がないのだ。結局は神の不在ということなのかも知れない。 支配や順位性は猿にも見られる、人類の深いところでの本能である。 猿でも見られるように、支配の本能は性の本能と深く連動している。だから、性的興奮と支配の興奮は混同されやすい。 たとえば、マウンティング。性の体位が支配の儀式に流用されている。 サド・マゾは、こうした、性と支配の交差部分で結実する現象である。 性は、一方では愛の結実でもある。 対話的関係は、支配やサド・マゾよりは愛に関係がある。 大人になるということは、性的存在かつ支配被支配の順位的存在になるということだろう。男と女の、それぞれのピラミッドに別れる。そのなかでの自分の位置を知る、それが大人になるということだ。 2676 トラウマ。 自然災害については、「熊に出会ったモデル」で充分なのではないか。 他人からのひどい仕打ち。これは性質が違うだろう。「熊に会う」のとは別のモデルが必要である。 人間は他人に出会ったとき、特別な反応をする。人間に出会うときと、人間以外のものに出会うときとは別である。リンゴに出会うことと、他人に出会うこととは別である。 特に子供の頃はそうだ。取り入れを盛んに試みる。それが学習であり成長過程ということである。 その時に、とても取り入れることのできそうもない他人の振る舞いが現れたらどうするか? 通常は相手の振る舞いに対して価値付けをして、理想としたり、否定したり、部分的に肯定したりなど、自分にある引き出しに整理してしまう。 うまい引き出しがない場合、新しく用意する。引き出しがきちんと用意できれば、それはセルフ・アイデンティティのコントロールのもとに機能する、自我の一部分となる。 しかしそのような引き出しにもうまく収まらない場合、これが解離性の病理を引き起こす。 たとえば、性的外傷の場合。頭では否定的な価値付けをしても、一方で、そこに快感があったことは承知している。だから、深刻な外傷になる。解釈しきれない傷になる。完全に否定的な価値付けができればそれでよいのに。 またたとえば、自分の大好きな人に折檻されたり、見捨てられたりした場合。「あいつはひどい奴だ」と解釈するだけではすまない。自分はやはりその人が好きで、頼りたいと思うから、悪いのは自分ではないか、その人は本当はいい人なのではないかと、思いは揺れる。そのような場合には、心の中のどの引き出しにもいれることができなくて、「独立した部分」になってしまう。 こころの一部に、コントロールを拒む形で、独立した存在がある。それがトラウマである。それは何かの引き金によってセルフを乗っ取り、暴れる。 そのような自律性を持った部分が一つあれば、二重人格。二つ以上あれば、多重人格である。 これはその時の体験として、他人の振る舞いが、自分として取り入れることの到底できない体験であった場合である。「自分の一部にする」ことができない経験である。「自分の行動パターンの一つとして保存する」ことのできない体験である。しかし、忘れるには強烈すぎる。人間というものを学習している子供としては取り入れなければならない。しかしそれができない。できないままに「独立した部分」として成立してしまう。 その人はその「独立した部分」が暴れ出すと、自分でもどうすることもできない。その時、別の他人を傷つけている。そして他人の心の中に「独立した部分」が成立する。このようにして被害は拡大して世代から世代へ伝承されてゆく。 2677 北米のDIDでいわれる、児童虐待を生き延びるための交代人格といった側面。 Ross:「多重人格とは何か?多重人格とは少女が虐待が他の誰かに起きていることを想像することである。虐待を受けた少女の自分自身の体験の側面は他人のものとして解離してしまう。」 ●いじめられているのは自分ではなく、別の子供だと解釈して、適応しようとする。これはこれで分かりやすい。 2678 多重人格は多重アイデンティティと呼んでいい部分もある。その場合には、いくつかの状況に対応して発達させたいくつかの適応様式を人格またはアイデンティティと呼んでいいことにもなる。 状況とは、さらに端的ないえば、誰に対する場合かということだ。厳格な父に対するときの自分。そして父を取り入れた自分。母親に対するときの自分。母親を取り入れた自分。 そのようにして、周囲の人たちに対するときの自分や周囲の人を取り入れた自分を、引き出しにしまっておいている。時と場合を考慮して、どの自分を外に出すか決定する。 正常状態においては、各アイデンティティの間で連絡が取れている。記憶の断絶はない。時間を通じて、まとまりを保っている。 目前の人に適応するために、また一つの人格を形成する。そのような形でしか適応できない。それが病理。なぜか? ダブル・バインドはやや似ている状況である。 2679 性的外傷の意味 確かに、性的外傷には、単なる虐待にはない意味があるだろう。快感の強制的発現が問題となるだろう。しかし、やはりさらに問題なのは、そうしたことをする人間の振る舞いを、どのように理解するか。それに対してどのような態度をとるべきか。その点で対応不可能な状況になってしまう。そのことが外傷的に作用するのではないか。 どのように対応していいか分からない。どのように取り入れていいかも分からない。 そんなときに、子供は解離を用いて、判断停止するのではないか。 2680 多重人格障害の治療(磯田雄二郎) ・安心できる環境。傷つけられないことの保証。 ・関与する人数の制限。人数が多いほど分離は進行する。(治療が進行すると、さらに新しい人格が出現して、人格の分離が進むことがある。) ・外傷体験の想起と徹底操作。思い出すことの重要性。 ・幼児的世界の回復。遊びの重視。 ・人格同士の連絡の必要性。 2681 わたしのこれまでの常識からいえば、患者の話を聞いて、あまりに原因を外部に帰属させるやり方は賛成できない。たとえば幼児期虐待が現在の症状を形成しているといったような「物語」を読むこと。そうした「物語」が語られた際には、現在からの加工、初期からの異常の現れ、などと可能性を考慮して、解釈を保留することもあった。また、同じような体験は他の人にもあるのに、この人は症状として発現している。それはなぜなのか。こうした方向で考えることもあった。概ね、原因を内部に帰属させることが多かったと思う。 しかし現在北米を中心に多く語られる外傷理論を参考にして考えなおしてみれば、原因内部帰属の態度はいかにも患者にかわいそうなものではないかと思われた。これは文章の上で抽象的だから、あるいは使用例を読んでも脱色されているから、そのような「過剰な同情」が起こる面もある。 そのような留保を置くとしても、やはりなにがしか、彼らに同情の余地があると思われてならない。 過剰に「外傷の物語として解釈する」のはいかにも素人的で、好きではない。しかしそうした初歩的な低次元のレベルではなくて、もっと高次元のレベルで、反省的に「外傷物語としての解釈」を採用してみる必要も感じる。 病気というものを知らない、例えば心理の駆け出しの人たちの態度に「外傷物語としての解釈」はたっぷりと含まれている。それはそれで害も多いので「撲滅」する必要がある。しかしその先の課題として、どのように「患者の背後に横たわる物語を解読できるか」という問題は残る。 患者の物語を読み解く場合に、内面の病理としてばかり見るのではなく、被害者としても見て欲しいということでもある。 これは患者の魂が求めていることであろう。 2682 多重人格の文化的背景(江口重幸) ・ジャネは二重人格を物語と復誦の病とした。 ・精神分析的パラダイムの影響力の低下→ジャネの再評価→外傷性記憶理論の再評価→北アメリカでの多重人格の流行 ・ジャネはヒステリーの本質を「意識野の狭窄」とした。 ・外傷性記憶‥‥ある出来事の記憶を持ち続け、その事件に関して我々が記憶と呼ぶような復誦を行うことができない現象。(物語的記憶と外傷性記憶の区別) ・外傷→解離→交代人格や症状の形成 ・ジャネ:観察者の催眠暗示が患者に影響を与える。これは避けられない。 ・自然が連続体として創り上げる全体から、限局された部分を切り出すのは科学者である。 ・精神的=身体的外傷によって解離した自己の部分に自己暗示による物語化が入り込み、実際の出来事として経験される。 ・複数の階層構造を持つ社会的人格 ・夢遊病‥‥体験の復誦の障害。見たことを物語ることができない。「言語=行動」理論。 ・幼児虐待はbattered childからsexual abuseへと変更された。 ●ジャネの紹介といえば、荻野恒一がある。 2683 状態像診断を押し進めるDSMと、わたしの言う、「前景症状と背景病理」はかなり考え方が違う。 たとえば、分裂病と解離性障害にしても、状態像診断からすれば、幻聴など、シュナイダーの一級症状の扱いが問題にもなる。しかし、前景症状としてはいろいろなものが出る、背景病理の診断はまた別の情報に基づくとする考えからは、分裂病と解離性障害はやはり重ならないものではないかと思う。病前性格や適応の仕方が違う。 と、一応抵抗してみたくなる。 治療の仕方が非常に違うわけではない。前景症状に対して投薬するという気持ちになれば同じ。背景病理に対して投薬するとなれば、治療を通じての診断ということになるだろう。 2684 解離性障害について(老人におけるトラウマの可能性について) ○宮崎事件の鑑定 ・多重人格か分裂病か……これは現在の精神医学界のホットスポットである。北アメリカの流行が日本にも及んでいる。 ・別の見方をすると、病気の原因を、個人の内部に求めるか、外部に求めるかの違いでもある。アメリカではフェミニズムの影響もあり、外部に求める傾向が育てられた。特に、幼児期の性的虐待が問題にされる。これはACについての動向とも重なる。問題を外部に原因帰属させる。 ・痴呆患者に対するとき、同じ傾向がないか?職員は自分を守るために、問題の原因を患者の内部にのみ帰属させる傾向がないか?(ベテランは内因と解釈し、新人は心因と解釈する傾向がある。それはいいことかどうか?両面がある。) ○トラウマと多重人格についての最近の説 ・ベトナム帰りの兵士(つらい思いをしたのに、歓迎されず、むしろ批判された。ここがトラウマ。) ・神戸の地震の後の子供たちの立ち直りの経過……PTSD ・幼児の性的虐待が多重人格を準備するとの説。その説に対する反論。フロイトは、歴史的事実が問題ではなく、心的事実が問題であるとした。事実としては近親相姦はなくても、それを無意識のうちに願望した自分は存在したと気づき、エディプス葛藤に行き着いた。このようにして精神分析学説を創始した。エディプス葛藤を充分に処理しなかったから、神経症が起こるとした。(ドラマ「青い鳥」はエレクトラ・コンプレックスの話でもある。母の死を無意識のうちに願い、それが成就してしまったとき、母の支配は永遠に続くのである。) ○人格の構造 ・子供の頃、いろいろな人と接する。その時に、相手の人とどのように接すればよいかを学び、同時に、相手の人の何かを取り入れる。そのような性格や行動パターンをこころの引き出しにしまっておく。そのようにして大人になる。 状況に応じて、どの性格や行動パターンを取り出すかを判断してコントロールしている部分もある。 各パターンは、微妙に異なって独立しているが、正常の場合には互いに連絡があり、記憶も共有している。家で子供と遊んでいる自分と会社で同僚と仕事をしている自分はかなり違うが、それでもお互いの記憶を共有しているし、どこか一貫性がある。 多重人格状態になると、こうした各パターン(これが人格である)が独立していて、記憶も共有されない場合も出てくる。およそ無関係な人格が出現するように見えるので周囲を驚かせる。 ・こうした「独立した内部の人格」がなぜ生じるか。自分にとってあまりにつらいことがあると、解離をおこして自分を守ろうとする。「父親に性的虐待をうけている子供」は自分ではないと考えて、苦しみから逃れようとする。虐待の苦しみに耐える時間には別の人格になっていれば耐えやすい。こうして解離は固定化する。思春期になり一時解離は解消されたように見えても、青年期になり性的行動が始まると、昔の傷が痛みだし、解離が発生する。症状としては多重人格になる。 ○トラウマが後に影響を及ぼし、症状を形成するほどのトラウマとなるためにはどのような条件が必要か?統合されないような別の人格が残ってしまうのはどのような場合か? たとえば、とてもつらい目にあっても、そのことを乗り越えられる人と、いつまでも引きずる人がいる。違いはどこにあるか? 単純にいえば、その人が内部で処理できる程度のつらさならば問題にならないだろう。そして、自分では処理しきれない場合でも、周りの人が助けてくれたり、見守ってくれたりすれば、何とか乗り切れるだろう。 たとえばベトナム帰還兵。人殺しをした体験自体はトラウマとして充分なものであるが、もう一つ重要なのは、その体験をとのように解釈し納得できるかという問題である。 仲間の全員が疑いもなく正義の戦争だと信じて戦い、実際に敵は悪魔のように邪悪で、本国に帰ってからは英雄と讃えられていたならばどうだろう?殺人の場面は脳裏をよぎるだろうが、それでも大きなトラウマにはならないのではないか? 地震が起こったとき、死の恐怖は確かにある。しばらくの間は「また地面が揺れたらどうしよう」と考えて、過度に敏感になる。棚の上に物が置けない。小さな物音がしても眠りから覚める。 しかしそれだけではない。災害のあと、人間のさまざまな面を見せつけられる。父や母など自分の頼りにして信じていた人たちの、頼りにならず信じられず、喧嘩もして裏切りもする、そのような姿を見てしまうと、そのことが心の傷になる。また、自分は生き残ってあの人が死んだ、それはなぜなのかと考え続ける場合もある。そうしたことから、忘れていたはずの過去のトラウマが活性化される場合もある。(ドラマ「青い鳥」では、自分の身代わりに兄が死んだとき、その兄の死を嘆いていた母が「あなたが死ねばよかったのに」と考えていたのではないかと疑い、そのことがトラウマとなる。何が起こったかではなく、どう解釈したかが重要である。) 幼児期の性的虐待の場合、見知らぬ男が強姦をして去ってゆくのなら、それは大変なことに違いはないが、まだ納得できる可能性もある。そうした男は完全に悪人であると納得する方法があると思う。しかし普段は大好きな父が、自分にしてはならないはずのことをする。これをどう解釈して納得すればよいか。その時の父はいつもの父とは違うような気もする。母は知っていながら、「あなたが誘惑するからいけないのだ」と父の味方をする。母も大好きなのに、こんなことを言われたのではつらい。また、性的行為であるから、いくら嫌悪の感情があるとはいっても、微妙に性的興奮も混入するかもしれない。 このような状況になると、父も、母も、自分も、信じていたものなのに、信じられなくなる。しかし寄る辺ない子供は、やはり父母を頼るしかないし、普段はやさしいところもある。自分の体についても、否定するわけにもいかない。しかし、そのような行為が繰り返されることについては納得できない。 こうした場面で、解離が起こる。「父とそんなことになっているのは、よその女の子だ、自分とは関係がない」そう考えて乗り切ろうとする。 つまり、何か災難があっても、どうにかこうにか考えて自分なりに納得できればそれでよいのだろう。しかしどうしても納得できない場合、腑に落ちない場合、消化しきれない場合、解離が起こる。心の一部に、独立した部分が生じてしまう。それは全体に統合されずに残り、何かの刺激に接したときに、心の全体を乗っ取ってしまう。昔は狐つきのような憑依状態が多かった。現代ではむしろ多重人格の像をとる。マイルドな形では、記憶の断絶、離人、脱現実感、遁走などがみられる。内部の声が聞こえて命令されたり非難されたりもする。 ●「納得できない、受け入れ難い」という点ではダブルバインドの話につながるだろう。 ○痴呆病棟で、老人達の気持ちは、子供が親に対する気持ちに似ているだろう。生活機能が衰えているから職員に依存せざるをえない。おむつを替えてもらうなど、まさに子供の立場である。そのような状況で、職員の気まぐれが起こったらどうなるだろうか?一度の決定的なトラウマでなくても、持続して反復して起こる、無視や小さな虐待、無理解、そうしたことがどのような影響を与えるだろうか? さらには、実際にはそのようなことがないとしても、痴呆患者はそうした虐待をうけたと「心的現実」を構成している場合がある。認知機能が落ちている。耳や目が悪くなっているし、記憶も弱くなっているので、どうしても被害的に物事を受け取りがちである。それを「痴呆だから仕方がない」としておいたのでは、そこから虐待に対する反応が生じてしまうだろう。それは抑うつであったり、ひねくれであったり、無為無欲であったりするだろう。 ○トラウマがあっても、そのことについてどのように解釈できるか、それが大事。こう考えると、認知療法の構図と同じである。刺激→認知→感情。事件→認知→トラウマ。 そうした認知に影響を与え、助けになる周囲の人とはまず第一に家族である。それなのに、問題が家族にかかわるものであったなら一人で悩まなければならない。家族がそのような問題を隠そうとする場合さえある。「このことを人に言ったら承知しないぞ」と父に脅かされ、「あなたが悪いからよ」と母に断定されると、あとは解離くらいしか方法がない。 だから、トラウマの問題は家族機能の問題とも密接に関係する。ACの病理はこうしたところと関連している。 ○老人にトラウマがないとは限らない。これまでの人生で潜伏していたトラウマにいま苦しんでいるかもしれない。 分裂病の幻聴が、一部は解離性障害による「他人格の声」の可能性があると言われている。同様に、痴呆の症状として、幻聴も妄想もあるだろうが、別の可能性もあるだろう。 それがたとえばトラウマの再燃である。またたとえば拘禁反応。痴呆だと知ったことによる心因反応。 宮崎事件で、いろいろと精神病的なことを語ったのは拘禁反応のせいであるとしたのが第一鑑定であった。 痴呆という器質的な病気に苦しむ人たちが、反応性の症状も重ねて持っている可能性はある。その部分については精神療法的な対応により軽減することが可能であるから、症状の成り立ちを見きわめる必要がある。たとえば、刺激の少なすぎる環境におかれて、ときどき刺激が与えられる、その場合にどのような反応が生じるか?拘禁反応や破瓜型分裂病者と類似の病理が発生する可能性がある。 ○伝統的には、虐待があったという場合、その子供にも何か要因があったのではないかとまず疑う。性格問題や注意欠陥、多動など、養育者を虐待に導く何かの要因が子供の内部になかったか。これも大変大切な視点である。忘れてはいけない。 ○過剰な同情は、患者の作話に巻き込まれているだけである。巻き込み・巻き込まれの病理を患者と共演してはいけない。 2685 本多ウラさんの悪循環 ・破瓜型分裂病者の悪循環(薬と引きこもりと刺激。RとD。) 分裂気質→ドーパミンレセプター増加→刺激が増大してドーパミンが多すぎる状態になると→幻覚妄想状態(特に被害妄想)→ひどい目にあった、もう決してそんな刺激に自分をさらしたくないと考えて、さらに引きこもる→レセプターさらに増大 ・このプロセスのどこかで、陰性症状が形成されるプロセスが付加されている。引きこもりも固定してしまえば陰性症状のようになる。しかしそれ以外に、たとえばドーパミンアップの時に、前頭前野の神経細胞を毒するような仕組みがないか? 陰性症状を促進・固定するメカニズムがどこかにあるのではないか。 ・こうした悪循環を防ぐためには、引きこもらずに、適度の活動ができればよい。そのうちにレセプターとドーパミンは適正な関係に落ち着いてくる。しかしそれができない。普段は引きこもり。決心すると過剰な活動に打ち込んでしまい、ドーパミン過剰になってしまう。ちょうどよい活動ができないのはなぜなのか。ここにも重要な病理が隠されていそうである。→? ・老人が痴呆病棟にいると、刺激過少になる。レセプターが増大する。何かの刺激で、レセプターには過剰なほどのドーパミンが出る。そのとき被害妄想状態になる。被害妄想を抑えようとして、ニューロレプティックを使うと、ますますレセプターは増えて、妄想になりやすい体質を準備してしまう。こうした悪循環にはまっているのが、本多ウラさんである。 ・痴呆老人が無為無欲になるのは、脳神経の廃用性萎縮の他に、上のような、「過敏さへのcopingとしての無為」の側面がないか。 2686 悪循環 引きこもり→R↑→(刺激)→D↑→幻覚妄想(陽性症状)→さらに引きこもり これを切断するような生活指導が精神分裂病のデイナイトケアである。 2687 エリスの論理療法 感情は思考の産物であり、思考を変えれば感情も変えることができる。不適切な感情は不適切な思考から発生する。 C(Consequence)はA(Activating event)によって引き起こされるのではなく、介在するB(Belief system)によって引き起こされる。 ●トラウマの病理と結合することができる。 トラウマが直接に症状を引き起こすのではなく、解釈が介在している。 ●記憶の二種との関連。物語記憶の系列になっていれば、解釈(スキーマ)の問題がある。しかし物語記憶の系列にはいることなく、トラウマが身体と直接に結合しているような場合、不適切も何も、介在する解釈が抜け落ちているのではないか? ●そもそもそのように、物語的記憶の系列にはいることができなかったのは、記憶に組み入れるときに、適切な解釈ができなかったからではないか。 1 解釈不能のもの→物語的記憶にならず、身体や感情と直接に結合する 2 解釈できたが間違った解釈であった→認知療法で対処できる 3 解釈できたし正しい解釈であった→症状は起こさない 2688 「多重人格の治療戦略」(高石昇) ・歴史的に、精神科医の関心は催眠から精神分析へと移る。そのころ多重人格は減少したが、分裂病への誤診も可能性としては考えられる。 ・「多重人格は自然に発生する自己催眠である」 ・催眠研究者Hilgard,E.R.「新解離理論」 意識とは本来必ずしも単一のものではなく、複数の下位システムがありこれを中央コントロール機構が選択的に促進したり制御しつつ、全人格は形成されていると仮定する。ある状況下で、ある下位システムが活性化されると、その中央コントロール機構が減退し、それに伴ってある程度自律的に働くようになる。消極的立場をとるようになったこの上位システムは「隠れた観察者」hidden observerと呼ばれるように、観察するだけの立場をとる。 ・多重人格では正常なコントロール機構の発達を妨げるような「基底欠損」basic faultが自我にあり、発達論的にみて早期の部分対象関係に見られるような解離が存在していると考えられる。 ・治療関係に交代人格を促進する側面がないかどうか内省してみる必要がある。また、交代人格の生活史については患者の訴えを額面通り受け取ってはならない。 ・「座り込んだので横にさせると交代人格Bが出現する。」 ●こうした記述は、多重人格の出現の仕方について、特有のテンポラルプロフィールを考えさせる。ちょうど血管性の病変に対応するような特徴がある。わたしはかつて神経症の出現について血管性の病理を考えてもよいのではないかと提案したが、多重人格の場合にも、考えてみてよい問題ではないか。ある特有の部分に血液が流れ込み、賦活されると人格として働きだす、そのようなスイッチングシステムがあるのではないか? ・「これから思ったことは、主人格を通じて表現するように努めてみよう」 ・「周りの人は主人格のみを対話の相手とする態度をとるようにする。」 ・治療が再度の外傷体験にならぬよう心がける。患者の資質や能力に応じたテンポを守る必要がある。 ・一日数回自己催眠を危機に際して使いうるようになるまで練習させる。 ・多重人格患者はほとんど例外なく催眠感受性が高いので、誘導そのものは容易である。催眠が解離と過去の外傷体験の想起の促進因子であることを考えれば、これは病態そのものを引き起こすことである。適量の利用が望ましい。 ・基本的には暖かく、受容的であることが必要だが、患者に社会的不適応をもたらす病態を支持することにならないよう、留意する。 ●自律訓練法は、自己催眠の一種である。ここで言われている自己催眠とどの程度異なるのか、吟味が必要であるが、一応自己催眠の一つであるとすると、分裂病と思われていても、自律訓練法が有効な場合には、解離性の病理の混入があると考えてよいのではないか? 自律訓練法がまったく無効な場合にはとてもすっきりした分裂病だといえるかもしれない。 ●トラウマというならば、分裂病体験は非常に大きなトラウマであろう。したがって、分裂病の病理には、トラウマによるものも含まれていそうである。 2689 多重人格の歴史・文献的考察(関根義夫) ・フロイトははじめ、二重意識、解離の傾向、類催眠状態が神経症(ヒステリー)の根本現象であるとした。しかし後には抑圧を採用した。幼児期の実際の性的外傷こそがヒステリーの原因であるとして疑わなかった彼が自己分析を通じて、幼児がすでに近親相姦願望を持ち、自我はこの願望を抑圧しようとして葛藤するということに気付いた。「彼らの父母、大人に誘惑された記憶の回想や空想は、実はむしろ自分自身の大人に対する性的な欲求、とりわけ、父母への近親相姦願望の投影である」と結論した。ここに精神分析が成立した。 ・Hilgard:Hidden observer:自分の精神活動を「統合」している自我とは別に、すべてを知覚しているもう一つの認知機能が存在している。 ●ここの部分、解説に異同がある。「統合している自我」が交代人格に人格を占領されると、いったんは背後に退くが、知覚だけは続けているとするものもある。ここでの解説のように、別の認知機能としている場合もある。 ・垂直分裂は解離。水平分離は抑圧。解離は交代人格の確認と、その人格との信頼に裏付けられた治療関係のなかでの十分な話し合いによって解決可能である。 ・多重人格者の自己催眠の問題。→催眠操作によって多重人格状態が作り出せることから。→自分でも気付かないうちに自己催眠を乱用している可能性を指摘。→そのような乱用をしなければならない病者の苦悩を受けとめることが治療として大切である。 2690 トラウマを解離によって切り抜ける。自己催眠を学ぶ。下位自我をコントロールする上位自我の機能不全(基底欠損)が固定する。解離傾向が固定する。 解離によって切り抜けるということは、現実を直視しないということだ。精神病性の機制によって切り抜けようとしている。 2691 多重人格障害の臨床症状(Putnamなど1986) ・宮崎事件や犯罪との関係で注目。 ・適正な治療により回復可能であるにもかかわらず、診断の困難さゆえに見逃されている例が多いのではないか。 ・多重人格は解離性障害の重症型であり、その特徴は一人の人間のなかに二つ以上の独立した異なる人格が存在することである。 ・仮説としては、トランス状態ないしは自己催眠現象の説が一つ。また、状況依存的であり、交代人格の創生は治療者を喜ばせようとする患者の反応であるとする説もある。 ・男性は外に暴力を向け、社会病質的行為を示す。 ・混乱した家庭環境の出身者。虐待された子供はしばしば成長して虐待する親になる。 ・臨床像は抑うつ気分、明らかな気分変動、自己破壊、自殺、不眠、性機能不全であるため、感情障害を疑われる。 ・生活史上、ある交代人格が別の人格の体験を覚えていないというエピソードが頻回にあり、それはしばしば小児期にまでさかのぼる。これこそが、多重人格性障害におけるもっとも特徴的な症状である。たいていの患者には、行動と体験を持続的に認知しているという交代人格が存在する。●本当?これをコントロール部分とする人もあるようだ。それとは別に、下位人格の一つが持続的記憶を蓄えているというのだろうか? ・患者の精神症状の問題の多くは、交代人格葛藤のアクティングアウトに由来している。自己破壊的行為となってあらわれる。診断や治療のために催眠を用いても、臨床症状を変えることはないようである。 ●いわゆる解離性の病理をとらえる態度ではない。うつとして扱われるというのだから。? 2692 一般に心因性疾患を論ずる場合と、心的外傷からの病理を論ずる場合の違いは何か?あまり違わないような気もするのだが?それは粗暴すぎるか? 2693 多重人格と家族機能(斎藤学) ・従軍兵士や強姦被害者の外傷後遺症をモデルとしたPTSD概念は、その成立経緯から見ても、児童虐待や配偶者虐待の精神心理的後遺症を包含しえない。幼児期に愛着対象を剥奪されたり、愛着対象から打擲、ののしり、性的虐待などを、予測不能な形で、長期間受け続けたものを対象とする外傷後遺症の概念が必要である。 ・無力感や自己卑下などの自己認識の障害 ・加害者の理想化や復讐願望にとらわれるなどの加害者についての認識の障害 ・他者を信頼できないなどの人間関係の障害 ・自暴自棄や絶望などの世界観の障害 ・これらを含むものとして、複合型PTSD、また複雑PTSDなどが提案されている。 ・その中核には、健忘、解離、駆逐(Verdraengung:抑圧と訳されてきた)されたものの回帰(再上演reenactment)がある。 ・(症例について)友人も母も、患者の人格解離については受容的であり、これに誘導されるかのようにして交代人格の登場が見られるようである。 ・小学生の頃注意集中困難と学習障害。漢字を書くと鏡像のように左右が逆になった。 ・おぞましい体験は健忘という形で、意識から駆逐されるが、これに成功しなかったものでは「無感覚」「凍えた」「ガラスの後ろにいる」などの感情鈍麻(離人症)によって体験の苦痛を緩和する。これにも失敗した者が、転換性障害や身体化障害、自傷行為、自殺企図、一過性の精神病(解離性フラッシュバック:健忘の破綻に伴う体験の再上演reenactment)、ドラッグの乱用などを多発する。 2694 解離性同一性障害の成因(安克昌) ・すべての解離が病的であるわけではない。白昼夢や一過性の軽い離人症は日常的非病理的解離現象である。 ・Steinberg:解離症状を五つの中核症状に分けた。健忘、離人、現実感喪失、同一性混乱、同一性変容。解離性疾患には解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害、解離性同一性障害がある。DIDはもっとも重症である。 ・病因としては、解離しやすさ(解離傾性)と心的外傷がいわれている。 ・Kluftの四因子説とBraunの3Pモデル。 ・患者は高い催眠感受性を示す。しばしば自発性トランス様状態に陥る。催眠は「制御され構造化された解離」であることから、催眠感受性と解離傾性(解離能力)は同じであることが知られている。 ・四因子……1解離能力、2外傷、3解離性防衛の形態を決定し、病態を形成するような影響力と素質、4重要な他者が保護と立ち直り体験を与え損ねたこと(neglect)。 ●3が分かりにくい。具体例はあがっているが、すっきりしない。 ・「隠れた観察者現象」は人間の認知システムが多重であることを示唆し、交代人格間の認知の違いを説明する。 ・Braunの3P。脆弱性因子(解離能力など)、促進的事件(外傷)、永続的現象(サポートの不足など)。 ・高度の催眠感受性を持っている人は物事を外傷的に体験しやすい性質を持っている。 ●これにどういう意味があるか?進化論的に考えられるか? ・小児期の心的外傷は患者の解離傾性を強める。 ・小児期心的外傷を1型……単発性外傷、2型……多彩、多発性、長期的外傷の二つに分ける。2型に解離症状が出現しやすい。慢性的に心的外傷にさらされている子供は、「自分じゃない」「痛くない」「何も起こらなかった」と否認することでその苦痛から逃れようとする。自己催眠は自己意識、記憶、感覚を変容させることで、この否認をさらに強め、子供を精神的に非難させてくれる。こうして子供の催眠感受性は増大させられる。 ・心的外傷は解離を促進する。子供は皆、複数の異なる行動意識状態を持っていて、その間を行き来している。これらは発達過程において徐々に統合されてゆく。ところが、反復する心的外傷を受けた子供は、行動意識状態の分離を進めることによって、ある種の記憶や自己感覚を切り離そうとする。これが解離である。こうして行動意識状態が充分に統合されないままに成長した人は、成人になっても解離しやすい性質を持ち続けている。 ●分かる。しかし、これがダブルバインドの話のようにしぼんでいかないという保証もない。 ●意識行動状態とは、下位人格セットである。部分人格セット。 ・Ross:DIDに至る四つの経路 1児童虐待経路(陽性外傷)……根本的な問題は虐待者への愛着にある。すなわち、子供は強烈な心的外傷に衝撃を受けたにもかかわらず、無力であるゆえ、生存のために虐待者に愛着し続けなければならない。このために解離して、愛着のための交代人格を作る。小児期に他人から虐待を受けた場合より、親からの虐待を受けた場合に、患者の解離傾性は高くなる。 ●主人格は愛着し、副人格が憎悪する?上の記述では副人格が愛着するようだが?どちらか?どちらもある? 2ネグレクト経路(陰性外傷)……親が精神病の場合など。依存型性格が多い。 3虚偽性障害……反社会型が多い。催眠感受性は低いのに、DESは高得点。 4医原性……カリスマ的治療者により宗教的洗脳に似た過程が施された場合。 以上のうち、1が典型的。現在症は同じでも、病因論的に異質な亜型が存在することを意味している。 ・Allison:上の1は交代人格で解離により生じたもの、2から4は想像上の友人であり、想像により生じたものである。交代人格は生存のために生み出され、年齢や役割が一定している。想像上の友人は願望充足のために想像されたもので、その都度言うことが違っていたりする。 ●なるほど。しかし2の場合には混合しているような気もする。 ●1の場合にも、サポートがしっかりしていれば、重篤にはならないだろう。つまり、2の要素であるネグレクトが1の場合にも関与している。そしてこのサポートの欠如が病因として重要ではないかと考えれば、Allisonのように区別することは難しくなるのではないか。想像上の友人はやはり解離性障害としては二次的な重要性しか持たないのではないか。 2695 攻撃性と順位性と性衝動は、つながっている。猿の社会ではこれらは一体である。 2696 芸術において、高次の産物と低次の産物を区別することができる。(多分) 強迫症状は高次のものと低次のものとに区別できる。(これも多分) 他人に対するお説教も、高次と低次を区別できる。単に自分のために語っているのか、相手のために語っているのか。これは大いに区別できると思う。 2697 看護婦の集団は、BPOみたいに振る舞っている。理想化と脱価値化が激しく交代する。仕事として反応しないで感情的に反応する。 ここの看護婦たちの連絡が不充分でちんぷんかんぷんなことになる様子を見ていると、BPOの内部でこのようなばらばらに事態が起こっているのではないかと連想される。 2698 スプリッティングと多重人格(岡野憲一郎) ・BPOとMPDではスプリッティングは共通で、BPOでは投影や外在化の機制を用いる点が異なる。 ・ボーダーライン的なもの……極端さ、唐突さ、アクティングアウトの傾向、背景には深刻な不安、恐怖、極端な気分の変調、さらには想像しがたい空虚感ないしは自己評価の低さ。情緒的な苦痛や不安に対する防衛としてスプリッティングを用いている。 ・自分自身の悪い点や弱い点について他人から非難や攻撃を受けることに耐えられない場合、私たちはしばしば開き直り、非難してきた相手を悪い対象と決めつけて非難し返すことで自己を正当化する。この機制を投影ないしはより一般的に外在化と呼ぶ。 ・スプリッティングしたものの投影は、自分の分が悪くなったときの条件反射的な他人への非難、責任転嫁のテクニックである。近親者の態度から身を持って学習している場合がある。ただしこのような投影を促進するような情動的な苦しみも想定するべきだろう。 ●DIDやACは外部に責任を帰属させて安心する典型である。投影を促進しているのではないかと疑う。 ・自分の弱さや悪い点を直視することに非常に強い苦痛が伴う場合、より頻繁に投影や外在化が用いられ、ボーダーライン的振る舞いが顕著になる。 ・近親者による虐待の場合、口を封じたり、罪悪感を抱かせたりする場合がある。結果として子供は孤立を深める。罪悪感を植え付けられていると罪を外部に着せることができない。 ●投影して、他人のせいにしてしまえれば、BPOの仕組みになる。DIDのような事態にはならずにすむ。どちらも大変ではあるけれど。 ●あるいは、相手をまるっきりの悪と決めつけることができれば、孤立のなかで深刻に悩むこともない。善であると思いたいのに思うことがかなわない、そのような状況で納得できないままに対象を心の部分に丸ごと独立した形で取り込んでしまう。しかしそれは未消化であり、自己の内部に組織化(organize)されない。 ●自身のあとで地面が揺れることを恐怖するのと、他人への信頼が揺らぎ、苦悩するのとは質が違う。 ・投影は、誤って植え付けられた罪悪感を排除し、自分自身を救出する手段ともなる。 2699 原因の外部帰属を推進する治療は安易である。 たとえば、外来に主人の悪口を言いに来る患者がいる。あなたは悪くない、ご主人が悪い、もう別れてしまいなさいよなどと言って時間をつぶす。北口クリニックで、他の医者の患者が紛れ込んできて、その医者とはそんな話になっているらしかった。 これは治療としてどうなのか。 うっぷんを晴らすという点では役に立っている。医者という立場の人が、主人を悪く言う憂さ晴らしにつきあってくれて、その場を慰められる。 しかし一方、原因を外部に帰属させるだけで、ことがすむとも思えない。むしろ、医者が外部帰属に加担することで、患者が自分のことを見つめ直す機会を奪っていると考えられる。 患者のどのような部分と同盟しているかを考える必要がある。「主人のせいでめちゃめちゃだ、これ以上我慢しなければならないのか」と語り、「それはご主人が悪い!あなたはよく我慢をした!」と応じる。それは一時しのぎとしてはそれでよい。しかし患者の病的部分と同盟してしまっているのではないか。 カタルシスだと言えばそうだろう。ここでガス抜きをすれば、それでまた日常生活が続けられる、だからそれでいいのだと言えば、それもそうだ。しかしそれでいいのだろうかと考える面もある。 原因の外部帰属を肯定してもらえば、患者は喜ぶだろう。しかしその態度は、患者の自己責任の回避に加担するだけではないか。 そこまで考えなくても、患者の欲しいものを一時的に与えて、落ち着けばそれでいいではないかと言うだろうか? 2700 セレネースは何に効いているのか? 1 上位からの抑制が欠損したので、それを補う作用。膝蓋腱反射が脱抑制により大きく起こって困るので、セレネースで抑制する、そのようなイメージ。 2 レセプターが増加している状態のところに、ドーパミンが急激に増大する、そんなとき幻覚妄想状態に対して、レセプターに蓋をして、過敏状態を抑える。 2701 災害と人的トラウマの違い ・人との関係は、内部に取り入れて内的対象関係を作る。災害はそのようなことが起こらない。 ・かかわった人との関係から、内部に人格セットを作る。その人にどうかかわるかで形成される人格と、その人を取り入れて形成する人格とがある。 ・そうした複数の人格セットを束ねてコントロールしている部分がある。基底欠損の場合には、そうした中央コントロール部分が欠けてしまう。 ・人格セット同士の関係は、さまざまである。各人格の記憶を、どの人格が知っているか、知らないか、それはさまざまで、非対称である。中央コントロール部分は全部を知っているとする説が強い。(隠れた観察者現象) ・各人格に連絡できる人格が、将来の統合された人格の核となる可能性がある。 ・統合されていない人格は、何かの引き金によって全体の人格を乗っ取ってしまう。それが交代人格として観察される。場合によってはそれが適応的な場合もある。スポーツの試合前の人格変換など。 ・こうした変換はまったく不自由に不随意に生じているかと言えば、そうでもない。自己催眠により、自分に都合のいいように生じる場合があると考えられる。 ・統合されない部分人格というものが形成されるのは、人に関する体験が納得できない、割り切れない、全面的に悪だと決めつけることができず解釈に苦しむ、そうした場面ではないか。好きだといってくれて頼っていいと言ってくれている人に虐待されるといったような状態。(ここでダブルバインドに近くなる) ・治療は、人格の統合。どんなときにどの人格を使うかをコントロールすること。 ・核となる人格をつかまえて、その人を通じて話をする。部分人格に直接話をしているとどんどん分裂していく。 2702 「境界性人格障害患者の初期治療について」(皆川他) ・「それそれ、それが病気のところ。そういう間違った確信というのが治せればいいんだけど」などと介入する。書き換えのできない情緒記憶。 ・「そう、それがあなたの治すべきところよ」とまず言わないといけない。それを相手が立ち止まって聞いてくれることが大切。 ・「それがあなたの強い思いこみで、そう思い込むのが無理もないような歴史があったかも知れない。しかし、それは昔の話で、大人になった現在では、そういう思い込みをしていることで何もいいことは起こらない」 ・この思い込みを書き換えていく必要がある。「この治療をやめると言うけど、一体治療者のどこが気に入らないのか」と聞いていく。 ●とっても皆川流。情緒記憶はモデレの説。「書き換える」とは、ROMとRAMの話でコンピューターの記憶にたとえた記憶の書き換えのこと。こうしてみると認知療法のセンスに近いかも知れない。認知療法は認知の書き換えだけれど、こちらは情緒記憶の書き換え。 2703 フロイト流に内的欲動に原因を求める→内部帰属説。道徳的。 現代流に外傷に原因を求める→外部帰属説。攻撃的。 「そういうつらい目にあっているのはあなただけではない。みんなそれぞれ大変な目にあっているんだ。個人の内部に原因がある」と言い張ることができる。 一方、「内部に脆弱性があったとしても、そんなつらい目に遭わなければ問題はなかった」と言い張ることができる。 折衷案としてストレス・脆弱性モデルが取り上げられる。 病院で環境のせいだと言うことはつまり、病院に責任があるということになるから言いにくい。結局は患者のせい、病気のせいということにしておけば問題ないことになる。そんな事情で、入院患者に対しては徹底的に内部帰属説を採用することになる。 外部帰属説は、おばちゃん素人カウンセラーがとりがちだ。患者を味方にできる。とりあえず嫌われなくてすむ。(その場では嫌われないだろうが、患者はあとで考えてみて、自分の大切な人についてあそこまで悪く言わなくてもいいのにと感じることもあるのではないか。そんなにまでいかない程度に患者に賛成するのがコツだろう。) 2704 「あなた達はとても不幸だと自分達のことを思っているだろうけれど、世の中にはもっともっと不幸で大変だけれど、何も言わずに黙々と頑張っている人たちがたくさんいる。」こんなお説教をする人もいる。 災害にあうことではなく、このような人にあうことがトラウマを作るのである。 大変な目にあって働いている看護婦たちに、「大変なのはあなた達ばかりではない、工夫が足りないのだ」とお説教する総婦長。 2705 性について 性器の快感を得ようとするだけではない。それを支配の道具に使う場合がある。その場合の快感は性器から発しているのではなく、支配の感覚から発している。ここでサド・マゾと結合し、支配・被支配のピラミッドの中での順位の問題へとつながる。順位の快感も大きい。そして性の快感と順位の快感が結合し混同される。 高貴な位の女性、社会階層として上位の女性を、性的に支配するという主題は文学で繰り返し扱われている。 2706 抑圧説(フロイト)と解離説(ジャネ)の対立にしても、結局は政治的なものだろうという気がする。自然科学としてどちらが正しいかという話にはなっていない。どっちが喧嘩に勝っているかということだろう。 特に心理屋の説は一種の呪文であって、実りがない。宗教の宗派の対立のようで、たいして実りはない。会員が多くなれば真実に近づくといった程度のものだ。くだらない。それを自覚していない人間がまたかわいそうである。 例えば、理性と感情とと体とがバラバラだ。などといって何が分かったことになるのだろうか。 神経生理で説明する。この態度が必要である。 抑圧モデルで説明していたことを解離モデルで説明することもできるだろう。認知モデルや神経心理モデルでもできるだろう。 抑圧については解離モデルで置き換えた法が広い事象を説明できるようになると思う。連絡不十分の、解離された部分に、抑圧の内容がパッケージされる。それが抑圧と見える。 2707 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ●「心の傷」ととらえて共感することがまず第一歩ではないかと考えさせられる。勉強になった良著である。 ・シュナイダーの一級症状を解離性の現象として読みとることができる。 ・境界状態の症例の中には、外傷性のものが混じっている可能性がある。 ・境界人格障害と外傷性精神障害の症候学的な類似。 ・患者さんの症状は、過去の外傷の繰り返しである。 ・患者さんの現在の症状は、過去に体験した心の傷の繰り返し、再現、ないしはその代償行為である。 ・フロイトの場合。人間が最も脅威に感じるのは、本人の持つ衝動であるという考えが常に優先されてきた。このような見方にのみ固執した場合には、時には現実の外傷の持つ病理性を軽視、ないしは無視する傾向を生む。 ・治療者が、自分にはよく分からない、納得のいかない、自分の手にあまる患者さんの症状を、いわば患者さんのせいにしていた。そしてボーダーラインという診断が下る。ボーダーラインの診断をレッテルのように用いて、その患者さんに対するネガティブな感情を同時に込める。 ・患者さんの症状を、患者さんが過去に受けた扱いを、治療者を含めた周囲に人々に対してしていたのだと理解できれば、患者の過去に対して共感の気持ちを向けられたはず。 ・治療としても、外傷記憶の再統合という目標を設定できる。 ●治療者は患者を微妙に「断罪」している面がある。それよりも、どこまで共感できるか、トライすることが必要である。そのために、外傷性障害といった概念が役立つ。よい切り口である。拡張すれば、心因性の解釈の可能性をもっと広げるということだ。了解可能性をもっと追求するということだ。ここまでくれば、すでに笠原が説いていることと同じになる。 ●語り口の問題。同じ内容を語るにしても、心に届く語り口というものがある。それは臨床では大切である。そこを修練する必要がある。 ・患者さんにとって安全と感じられるような治療環境を確保することが第一。 2708 新聞より ・「患者よ、がんと闘うな」が専門家でない読者の共感を呼んだ。反論して「病気と闘おう」とする医者もいるが、抗がん剤の投与を受けて病状の急変した患者を近親者に持つ人には素直には聞き入れがたい。 専門家が反論しても、患者の漠然とした不信感は消え去らないだろう。専門家と素人では納得の仕方が異なる。患者は素人とはいえ、当事者として深い納得を求めている。 ●素晴らしい指摘である。専門家が専門家として納得していればそれでいいというものではない。自然科学で「真実は一つ」、それだけが大事というのとはわけが違う。「納得の仕方が異なる」とズバリ刻み込んだ方がいい。不安はある。真実だから不安はない、真実を不安に思うのは本人に問題があると切って捨てるわけにはいかない。 2709 トラウマ・リハビリテーションの可能性 2710 メジャーを飲ませる ↓ レセプターに蓋→実働のレセプター減少 だるくて動きたくない→ドーパミン減少 ↓ アップ・レギュレーションにより、レセプター増加。 ↓ 過敏状態 ↓ メジャー増量 このようにして悪循環が形成される。 2711 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・外傷とは、精神にとっての圧倒的な体験。強い衝撃を受けて、その心の働きに半ば付加逆な変化を被ってしまうこと。我々はストレスや衝撃に対して、忘れる、無視する、落ち込むなどと対応している。 ・しかし衝撃が大きすぎる場合、心の通常の治癒能力では処理しきれなくなり、外傷記憶が形成される。 ●老人の場合には、こうした処理能力が減退している。使える対処方法としては、忘却、無視、解離など、低次の適応機制が手っ取り早い。健忘や失見当識に関して、このような側面がないか考えてみる必要はないか?つまり、痴呆に関して、了解可能性をどこまで拡大できるか、チャレンジすべきである。 ・自分の体験に対してコントロールを失ってしまっているという感覚。他人の意志や自然の力の前で、自分が意志を持たないひとつのモノのように扱われているという感覚が伴う。無力感。 ●「なされるがままの無力感」といっていいだろう。無力感はとても強烈なストレスである。無力感から抜け出し、自己と他者と世界へのコントロールの感覚を再獲得するために、暴力や衝動行為が有効である。たとえば皿を割る。支配の感覚の再獲得のためにはいじめも有効である。無力感は権力ピラミッドの最底辺であると感じさせられる。それは群れる動物の本能にとってはつらいことだ。 ●なされるがままになりつつも、そこに主体性を反映させ、余裕を持って事態の推移を見ることができる、そのような態度も考えられる。それを「なされるがままの態度」という。 ・外傷性障害‥‥解離現象、記憶の障害、世界観・対象関係の持ち方 ・解離‥‥軽度なら離人。「いじめられている子は私じゃない。」 ・外傷性記憶‥‥断片的、つながりがない、ストーリー・ラインを形成しない、感覚的、印象的、感情的、無意識的。外傷を体のレベルでのみ覚えているという場合がある。原因不明の身体症状という形をとる。外傷的な事態が起きた場合、しばしば海馬の働きが抑えられて、通常のストーリー性を持った記憶(「明白な記憶」)の成立が妨げられる。外傷記憶は「潜在的な記憶」により構成される。 ・外傷記憶が思い出されるとき、フラッシュバックや悪夢や身体症状という形をとる。意図に反して勝手に襲ってくる。フラッシュバックは多くの場合、本人も気付かないような非常に微妙なきっかけによって始まる。 ・PTSDでは二相性の反応。(1)過覚醒状態におかれる。フラッシュバックを避けるために感覚を遮断して引きこもりがちになる。これが(2)反応の鈍麻である。 ●過敏と、それに対するコーピングとしての引きこもりという図式は、分裂病と同じである。 ・解離はそれまで通常保っていた自我の体験(感覚、感情、記憶、行動)の一部が自我に統合されなくなった状態である。 ・「外傷性の論理」の中でもよくみられるのは、彼らが対人関係の上で起こることに対して、一切コントロールすることができないというある種の確信である。 ●一方的に虐待される状況の反復と考えてよいのだろう。 2712 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・「陰性外傷」に晒された人々は、他人との間に基本的な信頼関係を築いたり、「自分」という自然で安定した感覚を持つことについて重篤な障害を持つようになることが少なくない。 ・外傷論から見た精神の健康度。これまで外傷体験を持たずに人生を歩むことができたかどうか。 ●しかしこれにも問題がある。「あの人は○○の心的外傷があったから変なんだよ」と断定される材料に使われてしまうこと。差別と攻撃の材料にされてしまう。心の貧しい人たちはどんなことも相手の攻撃に利用してしまう。→昔書いた詩。 例えば、病院がおかしい、これでは患者がかわいそうだと誰かが声を上げる。それに対して、あの人はこれこれで異常だと診断が下る。その診断の材利用として、過去が引用される。病院がおかしいのではないかとの議論は彼の昔への興味にすり替えられる。このようにして斉藤先生は再発する。 ●外傷がなければ健康だという言い方には抵抗を感じる。外傷があるゆえに、ますます健康になることができるのである。 ・治療は、患者の心を癒し、その綻びを修復すること。 ・昔からの治療観。精神主義、禁欲主義の人間観。苦痛やストレスに耐えることが発達促進的であり、私たちの精神の健康度や成熟度を増すとする。 ・しかしこのような艱難辛苦は、他の人にとっては外傷的に働いてしまい、結果として性格的な歪みや明らかな外傷性精神障害が生じる可能性もある。 ・意地悪で暖かみのない人に出会ったとき、その人はきっと過去に、本当の意味での愛情に包まれ、安心できるような環境に育つという体験を持たなかったのだろうと考えることができる。きっと心の傷になるようなこと、人から裏切られたこと、それにより世界全体を恨んでも恨みきれないようなことをも体験している可能性がある。 そのような人は、ストレスを踏み台にできず、それに負けた人の姿としてとらえることができる。同じストレスでも、それを糧にできる人とそうでない人がいる。「艱難辛苦汝を玉にす」というのは、健康な人が外傷にならない程度のストレスを体験した場合という幸運なケース。そして現在のストレスを糧にできるかどうかが、今度は過去に体験したストレスの大きさによって決まってくるという事情もある。 ●適度のストレスが人を成長させる。 ・精神主義の治療者は、患者に何かを与えるという発想を受け容れ難く感じる。精神療法とは、患者に誠意やエネルギーを分け与えるプロセスであるという考え方を受け容れられない。 ・外傷を負った患者さんが持つ問題は、むしろ過去に過酷なストレスや苦痛を強いられすぎたことである。診察場面で、これ以上のストレスフルな解釈や直面化は少なくとも治療の初期には避けるべきである。 ・まず安全な治療関係を患者との間に作り上げること。安全でない場所での外傷記憶の想起は、再外傷体験につながってしまう。 ・患者さんがこれまで、過去の外傷記憶について話せるような安全な環境がなかったからこそ、その記憶は患者さんの心の隅に隔離され解離されたままでままでこれまで来た。 ・安全な環境を作り上げるためには、治療者の側の積極的な関わりが必要である。支持的態度、フレキシビリティーが必要。 ・治療者の側の積極性が必要な理由。多くの患者さんが、自分が治療者に対して要求を持ち、それを言葉に出して言うことに罪悪感を持ったり、自分にはそのような資格がもともとないと感じているためである。 ・患者さんの依存欲求を一つ受け入れれば、それが患者さんの退行を招き、収拾がつかなくなるといった固定観念がある。 ストレスに耐えることができる自我が成立している患者さんの場合には、精神分析的な、ストレスフルな面接でもよい。主として神経症レベルの人。自我の弱い人にたいしてそうすると、被害妄想的にしたり、再外傷体験になったりする。その場合の治療は、むしろストレスに耐えるだけの自我を育てることである。 ・治療者はストレスを積極的に施す立場にはない。ストレスによる苦しみに共感し、それについて話し合う立場である。 ●微妙である。これを低次の誤解により解釈する人もいるだろう。患者の中のどの部分と同盟を結ぶのかという感覚が大切である。病的部分の病的訴えについて共感していても治療にはならないだろう。 ・しかしながら、以下の注意も大切。治療者が支持的に接すれば接するほど、患者さんはそれに対する期待や依存欲求をかき立てられる可能性がある。それに対してすべて応えられる治療者などいない。そこに当然限界設定が必要になる。 例えば、面接のない日に10分だけ電話に応じることにしたとする。患者さんは今度は10分で電話を切るというフラストレーションを体験する。電話による対応はしないと決めていればこのようなフラストレーションは体験しなくてもすんだものである。 支持的であれば、フラストレーションは少ないとはいえない。 限界設定に対して患者さんが感じるフラストレーションに共感することが支持的である。 こうした限界設定は患者さんには外傷的な意味を持たず、むしろ現実検討を助ける。 ・面接を終わりにするとき、抵抗があったら。「決まっているから」「構造を守ることは大切だから」と言わない。「私の気持ちよりも、自分の治療方針に従うことの方が大切な、冷酷な人だ」と感じるかもしれない。「次の人も待っている」「残りの十分で所用を済ませる必要がある」「私にも休憩が必要だ」「あなたにとっては大変だけれど、仕方ありませんね」と話す。大きな違いである。 ・安全な環境の上で、断片化された記憶、断片化された自己を統合し、自分の人生におけるストーリーを再構成する作業が治療である。 ・安全な治療関係の上に立ち、外傷体験に関する記憶を再現し、それを少しずつ昇華していくことは治療の根幹である。徐反応はその典型。(●昇華の言葉は不適切だろう。比喩的には分かるが、用語としても成立しているから。消化とか、咀嚼とかが適切) 2713 外部の人格を内部に取り込む。そのようにして人格のセットが次第に増えてゆく。 その際に、神やイエスキリストや、釈迦がどのように扱われるか。 そうした部分人格からの「声」が、両親であり、道徳観・倫理観である。超自我の形成をこのように正常範囲内の解離性のシステムで説明してもよい。 憑依現象の場合。例えば、キツネ的な人格を内部に写し取って持っていたことになる。→それは十分理解可能。現実のキツネを内在させているのか、「いわゆるキツネつきといわれるもの」を内在させているのか、これについては両者があると思われる。 各人格セットの間には、ジャクソニズム的な階層構造がある、と考えてはどうか。 2714 座禅。 トランス状態。 トリップ。 没入。 人格Bへの変換。 座禅は他人格への変換の方法である。 症例→鎌倉の寺で、座禅をしていて、解離状態になった。お坊さんにのしかかられる。声が聞こえる。こうした症状は、分裂病性の幻覚妄想ではなく、解離性の症状であったのかも知れない。そして具体的な事実として、トラウマがあったのかも知れない。そのようなことを考慮しても面接はほとんど行われないで終わったのだった。 2715 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・ストレスを広義の外因に含めるならば、適応障害は外傷性精神障害に含めることができる。通常の意味では外傷とはいえないレベルのストレスに対して、深刻な症状を示すような外傷性精神障害として、適応障害を定義し直すことができる。 ●そうだろうか?腑に落ちない。外傷性障害は、何となく、「翻弄される」「主体の反応の限界を超えている」、そんな意味合いが強いのではないか?適応障害といえば、みんなそれなりに適応できるのに、その人だけが特殊な事情で適応できない、そんな感じがする。→ということは、通常病因的ではない程度のストレスによって心を傷つけられている。それなら、本文の記述の通りである。 この場合、傷が問題なのではなく、適応パターンの選択の失敗が問題なのではないか?「傷」とはいえないのではないか。 適応障害は、外部帰属ではなく、内部帰属の意味合いがある。普通傷とならなのものに対しても、傷ついてしまう、そのような病気。 ・パニック障害の症状がPTSDにおけるフラッシュバックと現象的に類似する。パニック障害は、無意識的な外傷的心理要因により引き起こされた一種のフラッシュバックではないかとの仮説も成り立つ。 ・虐待された子は攻撃的な人になりやすい。 ・外傷体験の被害者を、侵襲ないし苦痛の単なる一方的な受け手としてのみでは捉え切れない。特に外傷体験により暴力的な形ではあれ、被害者の性的、攻撃的本能が呼び覚まされるという事実を忘れてはならない。性的暴行を受けた人が、その際に性的な興奮を体験し、それが後に深刻な罪悪感や自己嫌悪感を引き起こす例、あるいは戦闘体験を持った兵士が、敵を殺戮した瞬間にオーガスムを味わって射精に至り、その後に長期にわたる性的不能に悩まされるというエピソードは、臨床場面でも稀なら図聞かれる。すなわち、外傷体験とは、被害者の自らの性的、攻撃的衝動を、受身的、一方的に刺激され、リビドー的な満足を無理矢理体験させられた、という意味でこそ真に外傷的なのである。 たとえば強姦の被害者が、加害者に協力的な態度を見せたり、最終的にオーガスムを感じたという事実が、強姦の暴力的性質を少しも変えないばかりか、その外傷体験を更に深刻にするという理解が可能になる。 ●これは大切な指摘である。 ●受動的にオーガスムに至ることは、被支配の感覚をうむ。ここで性的欲望と支配の欲望が交わる。 ・相手の意図にやむを得ず与してしまうことで、自分自身を裏切らざるをえないという体験である。 ・外傷が繰り返し長期的に起きた場合には、PTSDの複合型。知覚と記憶の障害はより深刻となり、頻繁に健忘が生じる。患者は自分で解離状態を自在に誘発することで、外傷体験をやり過ごす。 ・外傷となりうる体験の後に、周囲から支持的な介入を受けることは外傷性精神障害の発症を予防することにつながる。子供に対して安全な養育環境を提供し、それらの出来事について子供と話し合い、心の傷を癒すだけの愛情を与えることにより、それらが心に永続的な爪痕を残すことを防いでいる。 ・情緒的支持が大切。 ・ある体験が外傷として成立するためには、ある種の侵襲的な体験と、それに対する周囲からの情緒的な支持や養育の欠如の両方を必要条件とする。 ・小児期に解離性や催眠性がもっとも高い。この時期に外傷が体験された場合に、防衛として用いた解離を後に病的に発展させやすい。 ・カッティングは外傷が早期であるほど起こりやすい。潜伏期の外傷は自殺企図、思春期の外傷は自殺企図とアノシキシアを生みやすい。などという論がある。 ・出生直後は自我は未成熟で、体験の持つ侵襲や脅威としての性質、加害者の悪意を十分に理解できない。したがって外傷として作用することはない。 ・フロイトの水流モデル。神経系の興奮の高まりはそのまま人間の精神にとって苦痛ないしは侵害となる。流出すれば快感である。溜まっていれば不快である。 ・性的な興奮が意に反して一方的に引き起こされることによる外傷を(性的)欲動興奮的外傷と呼び、それ以外の圧倒的な外傷体験を侵襲破壊的外傷と呼ぶ。 ・ウィニコットは自我の成熟以前の性的本能の満足が外的な異物として、つまりは外傷として体験されると指摘している。 ・性的虐待。本能的にそれが誤ったことで本来起きるべきでないという認識を持つのが普通である。ところが一方で、その興奮を受け入れ、それに甘んじざるを得ないという矛盾が、外傷としての要素を構成する。 ・彼は少女に対する性的虐待について、その衝動がどこから来るのか理解できず、それを行うたびに自己嫌悪に陥っていた。 ・思春期前に極めて不自然な形で持たされた性的興奮が、自我に統合されずに他者への性的な攻撃という形で表現される。少女に起きた場合には、破壊性が自己に向かい、自傷行為、ないしは解離状態になりやすい。 ・一般に他人の悪意によってもたらされた外傷はそれだけに心に深い傷を残す。 ・人為的な外傷に際しては、世界や他人に対する見方そのものが大きく変化する。 ・「外傷スペクトラム」……時間的に限定された外傷により、恐怖症やパニックが生じる。より慢性的な外傷はその個人の人格に組み込まれて境界性人格障害やMPDなどの病理を形成する。 2716 過剰解釈。または投影的解釈(解釈者の内面を投影している解釈)。これを心理分析と誤解している人がいる。困ったことである。自分の内面を投影しているのだから、訂正ができない。 2717 ・トラウマと多重人格(解離性同一性障害)の関連   心的外傷とは何か   多重人格の捉え方。昔よりやや拡張して考える傾向→離人や記憶障害、ときに幻聴など ・トラウマの例(青い鳥、イヴ)   ドラマでは、トラウマがどのようにして癒されたかが興味の中心になる。   →つまり、どのような愛によって癒されたか。 青い鳥‥‥優秀な兄と、劣る弟がいる。川で遊んでいて、弟が溺れた。兄は助けようとして、自分が死んでしまう。弟は助かって気がついたとき、枕元に母の姿を見る。その時、母は「弟が死ねばよかった、兄が助かればよかった」と自分を非難しているのではないかと感じる。それがトラウマとなる。兄の夢であった鉄道の駅員となる。幼なじみの女性は慕ってくれるが、愛を結ぶことはない。トラウマを解決できないままの状態のところに、女性と少女が現れる。愛は彼のトラウマを癒すだろうか。 イヴ‥‥少女の母は少女を出産するときに出産が原因で死んだ。少女が子供の頃、富豪の父は悔やんで言う、「無理して子供を産んだりしなければよかった、あの子を産まなければ死なないですんだのに」その言葉を偶然聞いてしまった少女は「自分のせいで母が死んだ、父はそのことを後悔している」と知って衝撃を受ける。自分の存在について悩む。このトラウマをいかにして癒すか、それがドラマの主題となる。二つの愛が彼女のまわりで進行する。 ・どんなトラウマが症状形成に至るのか‥‥典型的には幼児虐待(依存と裏切り)   衝撃があっても、それをサポートする人がまわりにいてくれれば大事には至らない。心の傷を癒してくれるシステムが欠けているとき、心の傷は人格の成長を阻害するものとなる。 ・いろいろな症状について、単純に「痴呆だから」と片付けていないか。 ・痴呆病棟ではトラウマはないか?   第二の子供時代、依存的、無力感   昔のトラウマが活性化される可能性 ・サンタクロースの話   サンタを信じている時代   サンタを信じていない時代   自分がサンタになる時代 2718 心因と外傷 結局似たことを言っているのではないか?心因性疾患について言われたことの焼き直し。しかし症状については、従来の神経症レベルにとどまらず、幻聴などまで含んで拡張して説明している。外傷(心因)→解離→症状と並べたところで、説明範囲が広がった。 そして実際に、このような説明が有効であると思われる事例が外来では見られている。声が聞こえるとは言うが、分裂病的ではない、分裂気質でもない、そんな例。 2719 素因と環境が結合して現在を形成する。これが土台となり、次の環境と結合(化合)して次の現在を形成する。このようにして、過去の環境を取り込みながら次々に現在を生成し続ける。(笠原の図) 外傷についてもこの系列図の中で考えるとよい見取り図ができる。 2720 外傷を神経生理で考える ドーパミンで変換して良いか? どの回路が怪しいか? 「意味」として蓄えられる? 特殊な記憶として考えるのがよいように思われる。 2721 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・PTSDの急性期はパニック障害に類似する。解離状態は分裂病の陽性症状と混同されやすい。うつ状態との鑑別が必要な場合もある。 ・PTSD。DSM4では、外傷があること、再体験・フラッシュバック、鈍麻、過覚醒。過敏性と鈍麻が交互に見られることは重要。侵襲反応と鈍麻反応の二相性。 ・外傷体験への固着。受動的に症状に悩まされることも意味するが、自ら進んで再現する傾向も含む。外傷を受けた戦闘体験者が再び志願兵になったり、性的外傷を受けた女性が娼婦になったりする。 ・解離症状‥‥外傷により自己の統合機能が損なわれた結果、異なる自我状態が断片的に出現する状態と考えることができる。フラッシュバック、感情狭窄、孤立傾向などを含む。 ・フロイトは外傷を負った人がそれを再現する傾向について、子供の遊びに見られるように、受け身的な外傷体験を能動的なものに変え、主体的にコントロールするという意味があるとした。また、外傷の再体験が個人がそれを不快に感じるにもかかわらず繰り出される点に注目し、反復強迫それ自体を死の本能として説明した。 ●やはり素直に考えれば、「意に反して」行われていると考えるべきではないだろうか?強迫行為は「意に反して」行われる。しかしそれは他者の意志ではない。そうした微妙な地点である。それをわたしの「時間遅延モデル」で考えてもいい。しかしまた、ここでも解離を考えて、部分人格の仕業として、意志のコントロールから少し逸脱している状態と考えれば説明はできるだろう。解離モデルの説明力は強い。 ・フロイトは症状の反復をコントロールのため、マスターするためと考えたが、カーディナーとスピーゲルは症状を適応の破綻ととらえた。適応不全であり、環境からの撤退であるとした。 ●意味するところは必ずしも明確ではない。しかし推定すれば、現在の環境には不適応である。そのような行動を続けるのは、なぜか。それは現在の環境からは撤退して、過去の環境に戻っているということではないか。症状発生時点の環境に戻るとすれば、同じ症状が反復されてもおかしくないだろう。脳内の環境としては、問題が起こった時点の環境を再構成して、反復しているのではないか。反応が同じということは、環境が同じということを意味していて、同じ反応が起こるのは結果としてそのようになっているというだけではないだろうか。 ●外傷状況の再構成が自動的に起こってしまう、これが病理の根本ではないだろうか。同じ反応が起こるのは結果でしかない。そして、同じ反応が起こっている限りは、同じように外傷記憶が保持される。異なる反応を起こすことができれば、外傷記憶は別の保存のされ方をする。その結果、意に反して自動的に再生される現象は消える。 ●つまり、反応の仕方が、記憶のされ方を決定しているのではないか。 ・リフトン。外傷の被災者は、象徴機能が侵される。それが「死の刷り込み(刻印)death imprint」と呼ばれるものにとって代わられている。死の刷り込みは極度の死の不安や生き残ったことの罪悪感と結びつく。人間は死の象徴に縛られることで通常の象徴機能を損なう。外傷体験の固着の意味を示唆する見解である。 ●象徴機能についての説明が必要。しかしこのような線での議論も当然なされるであろう。 2722 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・外傷の記憶の反復的な想起を適応と見る立場→外傷の記憶の反復的な想起は、除反応としての役割を果たし、患者がそれを徐々にその他の記憶内容へと統合することに貢献する場合がある。また、外傷体験の反復に対する感情鈍麻や解離反応は、時に圧倒的な情緒体験による精神の破綻を防ぐための有効な手段と考えることができる。 ・症状は適応の破綻であると見なす立場→記憶の再生は外傷体験をマスターするという目的を超えて半ば自動的に繰り返され、患者は不快な記憶の再現や身体症状に苦しむばかりでそれを意識的に回避することはできないから。 ・しかし多くの場合、適応としての意味と適応の破綻としての意味と、両方を持つ。 ・対象関係論では、外傷を悪い対象の内在化として捉える。対象を内在化させることは、その対象を内的にコントロールすることを意味する。しかし多くの場合、患者はその悪い内的対象に逆に支配され、その反復的な想起を自ら統率することができない。極端な例は多重人格であり、内在化された内的対象は一つの独立した人格を有して勝手に出現し、患者の主要人格を支配するまでに至る。 ・症状の適応としての意味は、より軽い外傷に対して明らかである。より重症の外傷に対する反応の中には、それ自身が破綻を意味する場合が多い。 ・PTSDの身体症状の多くが、外傷の発生時に身体が示した反応の再現として捉えることができる。外傷性の記憶は身体レベルで硬直的で反復的である。言葉による表現を知らないために、もっぱら身体症状や感覚印象を介して再現されやすい。臨床的にはパニック発作の身体症状にきわめて類似する。外傷的な危機反応と不安発作は、極限状況における「闘争・逃走反応」を引き起こす点が共通している。 ●慢性ストレスでは「闘争・逃走」ができない。これが難点である。従って、別の反応様式、たとえば解離を選択するのだろう。 ●急性ストレスでも、現実に身体的に自分を遠ざけること(つまり逃走)ができない場合には、離人や解離が起こるだろう。「死んだふり反応」と離人の類似はしばしば指摘される。この文脈では、離人を包含した「解離反応」が死んだふり反応に当たると考えるのだろう。 ●解離は急性反応としても起こるが、慢性ストレスに対してはより出現しやすいと考えられる。 ・解離状態においてリストカッティングをした患者が、回復後に患部に痛みを感じ始めるといった例は頻繁に聞かれる。外傷性障害の患者にしばしば見られる自傷行為の一つの理由は、この感覚を取り戻す試みとして捉えられる。脳内麻薬物質との関連も考えられる。 2723 昔の理解をしている人にうっかり多重人格などと言ってはいけない。あくまでも、離人状態などという言葉で語る必要がある。概念の拡張を示す言葉が必要である。解離性障害と明確に語るのがよい。 また、解離をあまり広く適用してもいけない。解離を抑圧と同一平面のこととして考える習慣がある人には受け容れ難い。 2724 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・PTSDの症状について、ノルアドレナリン系による脳のアラームシステム、すなわち危機的状況を伝える働きが、慢性的に活動亢進を起こした状態であるという仮説が成り立つ。 ・外傷は半ば不可逆的な生物学的変化をきたし、それが人間の心に残す爪痕として体験される。 ・外傷への「固着」の現象は、記憶障害の障害として捉えることもできる。患者の外傷の記憶は決して薄れることなく身体的、精神的レベルにおいて生々しく再現される。そしてその記憶を司るのもやはり、青斑核から大脳辺縁系。大脳皮質等へと投影されるノルアドレナリン作動性の回路である。そこで外傷患者においては、青斑核回路の慢性的な賦活による侵入的な想起が生じているものと仮説をたてることができる。 ●記憶の側面から考えるのは正しいように思う。ストレス状況が再現されるから、異常反応が再現される。 ・「キンドリング」が側頭葉を中心に生じているのではないか。反復強迫のもっとも生物学的解釈。 ・セロトニン系とアセチルコリン系は抑制系である。このシステムの失調がPTSDの驚愕反応を起こす。SSRIはPTSDの過覚醒を抑制する。 ●なるほど、このようにして、サブタイプを考えることができるだろう。 ・動物実験において、慢性的な激しいストレスにおかれた動物の反応は麻薬に対する依存状態に類似し、そのストレスを取り除くことによっても、ナロキソン(麻薬物質の拮抗物質)の注射によっても、麻薬の離脱症状を起こす。 PTSDの患者が外傷的な状況に再び身をさらしたり、自傷行為に及ぶことで同様の麻薬物質の分泌が生じているものと推察している。 外傷体験を自ら誘発するような行動や自傷行為は、外傷体験に対する嗜癖に類似した現象と考えることができる。 外傷に対する固着の生物学的な解釈であり、二相性反応の性質についての示唆にもなっている。PTSDの急性反応は基本的に麻薬物質からの離脱症状に極めて類似する。侵襲反応と鈍麻反応を、それぞれ脳内麻薬物質が不足した状態と、それが一時的に分泌された状態として理解することができると提案されている。ノルアドレナリン系と脳内麻薬物質とは密接に関係していると推定される。 ●なるほど。説得力あり。 2725 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・小児・思春期の心的外傷は、PTSD症状にとどまらず、人格や防衛機制、行動様式にまで障害を及ぼす可能性がある。 ●この点で、トラウマといっても、二通りあることになる。深さに違いがある。精神病と神経症というのとも違う。 結果の点でいえば精神の症状と人格の発達障害と。 できあがった精神構造に傷が付くのと、形成過程で傷が付くのとはやはり決定的に違うだろう。 ・小児では、正常範囲の解離傾向が多彩な形で見られる。危機的状況に対する防衛機制として極めて頻繁に用いられる。 ・小児は変身願望が強く、ドラマやアニメの主人公になりきる。白日夢にひたる。空想上の友達を持つ。これらは解離傾向の強さを示している。 ・解離傾向と被催眠傾向は並行関係にある。 ●なぜ?ヒステリー傾向と同じにならないか?それはひいては治療者の前で症状を演技する傾向になるのではないか? ●解離をもっぱら使用する時期に外傷があると、解離が固定して、成人期になっても、解離を用いる人間になる。たとえば、都合が悪くなると自己催眠により解離を起こす。それが解離性障害として観察される。しかし一部は適応的な解離とされるだろう。たとえば座禅の人。また、極度の緊張に際して人格の変換が有用な場合。スポーツ選手。緊張が人格変換のスイッチになる。 ・病的解離は催眠傾向や没頭傾向とは関連しないとの説もある。病的解離はむしろ、離人体験や健忘に関連する。 ・小児の解離性障害の診断は困難である。症状が正常範囲の行動に類似し、小児は自分の問題について無知であることが原因としてあげられる。 ・典型的ヒストリー。 性的虐待を受けている子供は、どことなく虚ろ。ぼんやりしている。周囲からうそつきと呼ばれる。思春期に行動化や身体症状。20歳代や30歳代で家族から離れ自立すると、悪夢、自傷、幻聴、じばしば境界性人格障害と混同される。30歳はじめに多重人格と診断されるが、それが見逃されると、うつ状態その他の誤診を受け続ける。 ・家族は秘密にしたがる。そのせいで外傷は複合的なものになる。むしろその態度の方が虐待の本質であるともいえる。 2726 心の傷を癒す場所をまず見つけること それがアドバイス 2727 子供がいうことを聞かないとき、いけないと知っていてもついつい怒鳴って、挙げ句の果ては、殴ってしまう。いけないと知っている。本に書いてあるとおり、「腹が立っても、にぎりこぶしを作って怒りをこぶしにためる。必ず十数える」などをしてみている。しかし結果として子供を殴っている。 子供がいうことを聞かない場面で、自動的に昔の場面が想起される。昔の場面では自分は虐待される側、親が虐待する人であった。その時の自分も親も人格として格納されている。いま子供がいうことを聞かない場面で、昔の場面が想起され、自分の中の「虐待する人格」が励起される。そして自己のコントロールを離れたように子供を虐待する。あとで後悔する。 そのように、自動反応として虐待が起こっている。ではどうするか?子供がいうことを聞かない場面で、昔の優しい思い出が想起されるように記憶の引き金の組み替えをすればよい。そうすれば優しい自分で子供に接することができる。 子供に対して優しい自分は必ずある。自分が子供の時に優しくされた思い出は必ずあるだろう。そこの部分をだんだん大きく育てていけばいい。育児の中で親も育つことができる。 親に虐待され、自分も子供を虐待する。これは悪い連鎖である。どうしたら断ち切ることができるか、考える必要がある。 虐待された自分、理解されなかった自分、その部分で子供と共感しあうことができる。 虐待されてつらかった思い出は、虐待する人と虐待される人との両面が心に刻印されている。虐待場面の引き金が引かれると、虐待する人または虐待される人の行動が自動的に現れてしまう。自転車に乗って自動的に手足が反応するようなものだ。その結果、再び虐待状況が出現すると、記憶は強化されて、格納される。したがって、この行動パターンは強化されつつ保持反復されることになる。 多分、虐待場面で虐待の引き金が引かれても虐待せずに別の行動パターンを選択すれば、一種の「脱感作」が成立するように思う。 現実場面→記憶場面→人格セット→記憶強化……全体として悪循環 2728 A面 湘南心療内科 こころとからだのクリニック (心療内科・神経科・内科) 併設:湘南茅ヶ崎心理カウンセリングオフィス ご案内 安心してこころの相談ができるクリニック ストレスケアをご一緒に考えましょう  →適切な絵または図柄 B面 どんな人に? ・こころとからだの問題 不眠がち 心身症 更年期障害 心身不調状態 食欲の問題 慢性疲労 ・こころの問題 こころの傷 ストレスケア ゆううつ 不安 いらいら 物忘れ ・家族のこころの問題 子供の発達相談 学生のメンタル相談 働き盛りのメンタル相談 痴呆相談 C面 どんなことを? 診断面接 薬物療法 心理カウンセリング 心理テスト 自律訓練法、ストレスコントロール法 語り合いの場 本の紹介 専門施設や専門家の紹介 費用 各種保険適用 D面 曜日・時間 →表 9:00--12:00 3:00--7:00 月 ○ ○ 火 ○ ○ 水 ○ ○ 木 × × 金 ○ ○ 土 ○ ○ 日 × × 木曜、日曜、祝日は休診となります。 心理カウンセリングとグループセラピーは予約制です。 場所 →地図 電話 住所 2729 理解されないこと、心理的サポートがないことが、陰性外傷だとしたら、分裂病患者は陰性外傷にも傷つけられているといえる。 分裂病陽性症状そのものは大きな陽性外傷である。 こうしてみれば、分裂病者は外傷性精神障害をも併発している可能性が高いだろう。 この観点から共感できるし、サポートもできるはずである。この点では了解可能であるはずである。 このようにして了解可能性が拡大される。 2730 愛と対話 VS 支配と力(暴力) 2731 人の悪意、邪悪なたくらみはどこから生まれ、どこからエネルギーを得ているのだろう。 そうした悪がこの世からなくならないことは確かである。悪の連鎖。悪の再生産機構があるのだろう。 外傷性精神障害で、幼児期の虐待に関しての話はそうしたことを考えさせる。 処世術としては、そうしたものからいかにして上手に距離をとるか、それが知恵というものだろう。 自分も悪に加担せず、悪の被害者にもならないように、上手に生きることだ。 この世の中のどうしようもなさを見極めた上での実際的な知恵が必要である。 2732 生活歴を本人の口から聞くことの意義。 その時患者は自分の人生を再構成している。再び意味づけている。そのことに意味がある。事実ではなくてもいい。自分がどのような物語を生きているかということだ。そしてその話に沿って、治療者と患者は意味を共有する。 一つの民族が自分達の歴史について語るとき、同じ働きがあるだろう。自らを癒すのである。そのために歴史は何度も語られ、刷新され続ける。いまを生きるために、新しい過去が必要なのだ。 黒沢の映画「羅生門」 人は都合の悪いことはなかったことにする。嘘も都合のいいことは本当のことと思い込む。 といった意味のセリフがある。解離性の機制を指摘している。 それぞれの人のそれぞれの話とはつまり、それぞれの人の癒しのプロセスである。自分の心を保持するためのプロセスで分泌された物語である。 映画にはシャーマンまで登場するから、解離性障害の展示場のようである。 出来事を語るとき、過去を語るとき、人は現在のために語るのだ。 民族全体で、外傷体験を消去するために否認を続ける態度もある。これは幼い原始的な防衛の仕方をしているのだ。何度も繰り返すだろう。過去に縛られている態度である。 一方、事実を直視し、事実から学ぼうとするヴァイツゼッカーの姿勢もある。 2733 人はいかにして治療者たりうるか。 患者の人生の歴史の意味についての共感。 フランクル的態度が必要である。 患者の人生は意味がある。意味のない人生などない。それなのに自分の人生について、意味が損なわれていると感じているとしたら、やはりともに考える必要がある。悪い人生が問題なのではない。そこから何も学べないでいることが問題である。 2734 精神療法は公式のあてはめごっこではない。 クリエイティブで一回限りのプロセスである。それなのにこれ以上の一般化をして、公式化しようとするなどとは、矛盾している。間違いである。 どの公式をあてはめたらいいかを考えるのが診断だと思っている人もいる。 数学や物理を公式のあてはめごっこととらえている人さえいる。精神療法でそのような誤解があっても仕方がないところではある。 あてはめごっこに陥っている治療者について、患者は敏感である。この人はきっといい人だなどと夢を見たりしないのが患者というものである。 2735 症状は傷ついた心の悲鳴である。 特に、性格障害について、そのような見方をすれば患者はずいぶんと救われるのではないか。 2736 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・過去に外傷を与えてきた対象は、常にその被害者に内在化されて人格の中に組み込まれる可能性がある。解離性障害においてはそれが一つの独立した人格として振る舞う。 ・通常の苦痛な体験に関連した対象イメージや自己イメージは否認されたり忘却されたりするが、強烈で圧倒的な外傷体験においては、体験内容が解離の機制により、一時的に隔離されやすく、その記憶や対象イメージは後になって同じ解離の機制を通じて繰り返し蘇る傾向にある。 ●解離を用いて隔離するから、なおさら繰り返し蘇ってしまうという矛盾。これこそもっとも忘れたいものなのに、くっきりと蘇る。なぜこのような不合理なことが起こるのか? 解離が起こる場面は、たとえば「人が熊に出会ったとき」である。パニックの度が過ぎたので離人状態になる。その延長に解離がある。 「熊」はわたしが急性ストレス反応の説明として用いた例であった。このとき人は「闘争・逃走」をすればよいのだった。そのように考えてみれば、熊に出会って死んだふりをする(解離を起こす)こと自体が、おかしな事態の始まりであると考えられるだろう。さっさと逃げないで、または正面から戦わないで、解離を用いて事態を乗り切ろうとする。ここがまずもっておかしいではないか? ●解離を用いるしかない場面とは、急性ではなく慢性のストレス場面ではないかと想像される。急性の場合には闘争・逃走で対処できる。ところが慢性ストレスの場合にはそのようにはできないだろう。それが子供時代に起こったら、解離で対処するしかないのではないか? 大人の場合でも、身体化して防衛していることが多いだろう。身体化とは、解離に近いと考えてよいだろうか?行動化と身体化は解離の一つの形である。 慢性ストレスが解離と関係している。つまり、外傷性障害の中でも、慢性のタイプが解離と特に関係している。 一面では、急性の「熊に出会う」事態の時に、死んだふりが起こるのだから、それが解離の始まりだとすることもできるだろうが、闘争・逃走との関係から考えればそうではないように思われる。 ・患者により内在化された虐待者の対象イメージは、その侵害的ないし攻撃的性格以外にも、きわめて多くの性質を有している。虐待者は犠牲者にとって唯一の保護者であり、崇拝の対象であったりさえする。 対象との関係を通じて獲得するのは、攻撃的な性向よりはむしろ、きわめて受身的な性格であったり、強い被暗示性であったりすることが多い。 外傷体験への固着や外傷体験への嗜癖傾向も、虐待者となりうる人を前にした場合に、本人が気付かないうちに受身的な服従の姿勢をとってしまい、結果的に被虐待者の立場に身を置いてしまいやすいという彼らの傾向と深く関連している。 ●外傷体験の反復。結局これが問題の本質ではないか。 ●虐待者が全くの悪の化身であったなら、これほどの問題にならない。保護者であり、崇拝する対象であり、愛する人であるから、問題になる。心の中のどこに収納したかいいのか困る。 ・思春期においては物事を白か黒かに分け、その世界像を両極化する傾向にあるが、外傷の犠牲者においてはこの傾向は一層顕著になる。スプリッティングの機制に似る。日常的に現れるのではなく、解離という機制を介して異なる人格(ないしその断片)として再現される。 ●岡野は最近はスプリットと解離に関しては別の見解を書いている。つまり、解離した結果の悪い部分を外部に投影すれば、境界型の場合のスプリッティングになるという説である。 ●物事を白と黒に分離して収納したい。それは若い人であり、境界例の人であるといえる。それがつまりは未成熟ということか。灰色のものが状況に応じて白にも黒にもなるという世界観は受け入れられない。 ●つまりは心には白と黒の引き出ししかない。引き出しの数が少ないことが結局は問題で、それが未熟だということである。 2737 フロイトは心理学のおけるニュートン力学に当たるものを構想していた。だからメカニズム(力学)なのである。 神経回路モデルではなかった。エネルギーモデルであった。 2738 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・外傷の既往のある患者の典型例。女性の場合。小児期から多動傾向や衝動性が見られる。激しい攻撃性や自傷行為、自殺他殺の脅しなどのために入院に至る。スタッフから注意されたりフラストレーションが高まったりしたときに激しい感情暴発を示す。感情暴発はしばしば外傷体験のフラッシュバックへと移行する。作話や非現実的な話をする。性的行動化の傾向が強い。スタッフや他の男性患者から強姦や性的ないたずらをされたと訴える傾向がある。 ・男性の場合は、他者に向けられた攻撃性。小児期から多動傾向、衝動性が高い傾向。 ・患者は幼少時から衝動的であったり多動であるために、その養育は体罰や叱責、または養育の怠慢を導きやすい。 ●これも無視できない要因であると考えられる。 ・日本の社会環境や家族の構成等はこれらの精神的外傷を起こしにくいように作用していた。 ●解離性障害といってまずはじめにイメージするのはやはり、急性の解離反応だろう。慢性のストレスに対しては別の対処もありそうである。そのような低次の防衛規制を使用しなくてもよさそうなものだ。急性で巨大な衝撃に対して、死んだふりで反応するしかないことがあることはよく理解できる。しかしながら、そうした反応とは別の、解離性障害というものがありそうである。そこのところを上手に分離して提示できないか? ・カーンバーグによれば、BPDにおいては、幼児期における極度の攻撃性により、良い内的対象と悪い内的対象との間の統合が行われず、そこにスプリッティングその他の防衛機制が動員され、それが患者の人格上の病理を形成する。→攻撃性のもともとの高さが要因であるということになる。→葛藤モデル。 ・葛藤モデルでは、良い内的対象を攻撃性を持った悪い内的対象から守る際の種々の原始的な防衛機制(スプリッティング、投影性同一視など)が問題にされる。こうした両極端な自己、対象イメージの間のせめぎ合い(葛藤)を精神病理の本質ととらえた。本人の生まれ持った攻撃性や羨望が問題にされた。 ・他人から去られることにきわめて敏感で、暴力的に他人を自分につなぎ止めておこうとするBPDの病理。 ・これに対して欠損モデル。アドラーの説。健全な形での養育の欠如。養育期において形成されるべき「抱える取り入れ対象」が患者に欠損しており、そのために患者が体験する恐るべき「孤立感」や「空虚感」こそが患者の病理の中心であるとした。しがみつきや感情の不安定さもこの欠損から説明されるとした。 ●こうしたモデル論議にはなかなか共感できない。もっとどっぷりとこうした議論の雰囲気につかっていなければ納得などできるものではない。耳を傾けるべき要素もあるとは思うが、信じるに値するほどではないだろうと思う。ようするに説得力に欠ける。しかしそれは受け取るこちらの側の勉強不足の面がないか、それも反省の要があるだろうけれど。治療論として、何を提供できているかが、重要ではないか。 ・慢性PTSDとBPDの類似点。情動コントロール、衝動コントロールの悪さ、現実検討の障害、対人関係の不安定さ、ストレス耐性の低さ、焦燥感、抑うつ気分など。これは解離とスプリッティングの類似にさかのぼって論じることもできる。 ・スプリッティングは対象を良い対象、悪い対象に分ける。解離は自己像を分離する。BPDでは自己像もスプリッティングするが、悪い自己像は否認されたり他者に投影されたりする。 ・BPDの患者のしめす所見が解離としての性質を持つ分だけ、それは過去における性的、身体的外傷の既往を結果的に示していることになるだろう。 ●外傷→解離。スプリッティング→BPD。 2739 慢性の陰性外傷は、つまりは心因性疾患といままで読んできたものの拡張解釈であると考えられないか? いずれにしても、心因性の領野を拡大し、了解可能性を拡大することは大切である。 2740 ・症状・経過・転帰・病理所見。これらが一体となって臨床疾患単位と分類される。 ・DSMの問題。精神病ではそもそも病理所見の裏付けがないのだから、どのように分類を工夫しても、異論は残るだろう。説の数だけ分類ができる。 ・それを妥協して、疾患研究して原因を突き止め治療を確立するために、暫定的に分類を用意したと考える。初心者がそれに基づいて臨床をすればうまくいくといった種類のものではないのだ。 ・たとえば分裂病。人によって範囲が違う。患者はいい迷惑である。しかしそれはどうしようもないことだ。分裂病とは何かが誰にも分からない。政治力の違いはある。子分が多いかどうかは違いがある。しかしそれだけのことだ。 ・現在症やこれまでの経過から、分裂病の診断がズバリできるなら、すばらしい。しかしそれができない。 ・わたしは、前景症状と、背景病理の二段構えの考え方がよいと思う。しかし、はなはだあいまいである。自分の内部でも時間がたてば診断が変化する。その程度のものである。結局、分裂病の本質が分からないから、どの範囲のものが分裂病なのか、不明なのである。現状ではそれが限界である。 ・背景病理の診断には、生活歴、遺伝歴、病前性格、症状の経過などが重要である。時間経過が病理の特性を反映する。脳のどこの場所で異常が生じたか、つまり場所については、症状を決めるが、経過を決めるものではない。このあたりは神経病理とまったく同じ考え方である。そもそも脳の病理なのだから、同じものになるはずである。 ・経過→病理 ・場所→症状 ・性格が両者の培地になる。 2741 Kolkの提唱する「外傷スペクトラム」 深刻で慢性的な外傷に対するもっとも極端な適応がMPDであり、BPDは慢性的な外傷に対する中間の適応であり、ある種の身体化症状、パニック、不安障害は、さらに限局された外傷が、身体的に解離されて再体験されたものとして説明されている。 ●症状としないで適応とする。これも意味がある。一面では確かに自分を守っている。 ●「つらい記憶の、意に反した反復」というわけだ。 強迫性障害の構造はこれに近い。 ●分裂病性幻聴と多重人格による内的声の判別はどうなるか? ・外傷を受けた年齢やその他の条件により、そこで用いられる防衛機制が、主として解離となるか、スプリッティングとなるかに別れるのではないかとの仮説。 2742 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・スターンの情動調律の障害。コフートの共感不全。 ・ストロロウ。小児期における外傷的な体験は、親がそれに応答してくれるような環境にあれば、外傷的ではなくなる可能性がある。苦痛自体が外傷的なのではなく、それに対して養育者の側が十分心の波長を合わせることを行わないことが外傷体験である。 ●家族バナナ理論。つながった心は隣の人の心を癒す。なぜだろう。集団性の生物であるとは、こういうことだ。 ●このようなことになる前提として、子供の側の反応不全、たとえば自閉症のような、があることは想像できる。そして親との間で微妙な相互干渉が繰り返され、微分方程式を解くような感じで、共感不全に至る。 ●つまり、親は情動調律ができて、よく反応しているのに、子供がそれをキャッチできずに、調律不全だと感受したとしたら、結局は親に調律能力がないのと同じになる。 ・ある苦痛を伴った出来事が、通常の忘却のプロセスにしたがわないような、人間の心に半ば不可逆的な大脳生理学的変化をきたした状態を、外傷として定義し直すこともできる。 ●なるほど。このあたりの生理学的なメカニズムに関してはフロイトの初期のモデルの流儀が役に立つだろうということになる。 ●いずれにしても、忘却不全、意に反した想起、これが問題だ。記憶の病理。 2743 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・外傷に由来するBPDでは、葛藤は患者の中の良い対象と悪い迫害的な対象との戦いとして当人に常に体験されるであろう。その悪い内的対象は、通常は自己像から隔絶されているが、解離やフラッシュバックの際に迫害者として立ち現れる。外傷による葛藤は、神経症的な意味での葛藤とは大きく異なる。 ・患者の持つ攻撃的な人格ないし側面は、生来の過剰な攻撃性や羨望によるものではなく、基本的には外傷体験の産物として捉えられていることになる。 ・患者について、過去に被った種々の外傷により内在化された加害者の陰と戦いつつ、またその外傷が残した傷跡の痛みに耐える存在として理解しようと試みる。治療的には、彼らが被った外傷の可能性を考えて、その修復を目指した支持的な姿勢をとる。彼らを悩ます悪い内在化された対象にも積極的に注意を向ける。外傷とは、性的精神的外傷にとどまらず、養育者の共感不全や、実際の親の不在など、「広義の外傷」が子供の心に残した傷跡を意味する。 ●とてもヒューマンな立場である。このような治療者に出会えば、患者は救われるだろう。 ●なぜこのような悪い対象が内在化して、暴れるのだろう。なぜ悪い対象に支配されてしまうのだろう。なぜ過去の奴隷になってしまうのだろう。 ●過去に起こったのと同じ反応(たとえばパニック反応)を起こすことは、記憶の再強化につながる。忘れかけた英単語をときどき思い出して記憶を保持するようなものだ。同じ状況で反応を変化させることは、記憶を変化させるきっかけになるだろう。その意味で、パニック反応を自律訓練法によるリラクゼーションに置き換えることは意味があると思われる。 2744 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・天災に際して種々の意味を考える。さまざまに解釈する。それが心の傷の治癒につながる。 ●フランクルや宗教の立場。キリスト教は苦難の受容に際しての意味の体系を与えている。 ・天災が、忘れていた人生早期の心の傷を賦活することがある。 ・災害が起こると、家族が一緒に過ごす時間が長くなり、結果としていさかいが生じやすくなる、ひいては家族の情緒的なつながりに亀裂が生じやすくなる。それが心的外傷になることがある。 ・被災者のグループ療法……まず誰かに聞いて欲しい、理解してもらいたい、心の重荷を減らしたい。ひきこもりは自分の不幸をあらいざらい話せる相手がいないことの絶望感による場合もある。普段親しい人に自分の心の傷を話すことを想像すると、それがいまの自分には決して心の安らぎにはならないことに気付くことがある。日常的に会っていて、雑談をするには最適な相手が、自分の不幸や外傷体験を聞いてもらう相手としては必ずしも適当ではないばかりか、かえってその人だけには自分の不幸な体験を知られたくないという気持ちになることもある。相手が表面上は自分の不幸に同情していながら、同時にそれを嘲笑していないか、喜んでいるのではないか、という懸念は深刻である。結局母親がいい話相手になりそうである。ところが多くの成人の場合、母親はすでにないか、年をとりすぎている。また、幼少時にそのような母がいないことが外傷となりうる。 話相手の感情移入や共感の能力にも限界がある。 結局、自分の外傷体験を聞いてもらう相手として最適なのは、自分と同じ不幸や境遇を背負った人、同じ外傷を負った人である場合が多い。自分と不幸をともにするような仲間といることで初めて自分の気持ちが癒された、このような道が残されているとは知らなかったと体験を語る人は多い。グループ療法の基本理念はここにある。 ●同じ傷を持つものが、傷をなめ合い、世間や加害者に対しての被害者意識ばかりを肥大させる、だから有害であるとの非難も可能だろう。しかし本当の友人が必要なのだ。 ●ここで大切なのは、対話的関係である。支配や力の関係ではなく、いかにして対話的関係、合いの関係を結ぶことができるかである。 同じ経験をしていても、支配の感覚で生きている人は、話相手としてはふさわしくない。自分の方が大変だとか、相手のことに関して非難を浴びせたりとか、そんなことは多いだろう。正直なところ、そのような集団の一員であることがいやで、そのような体験を口にすることがなくなるという、一種のネガティブな動機付けにより、自分の外傷体験を語ることをやめる場合もあるだろうと思う。自分の姿をその人たちの中に見て、うんざりするのである。癒されるのではなく、反発を感じる。それでも結果としては悪くない。最高の癒しではない。解決するのではなく、引っ込めるだけ。抑圧するだけ。しかし時間が稼げればそれでもいいではないか。仕事に忙しくしていれば人間はそれなりにやっていける。その方がいいだろう。 同じ体験をしていなくても、合いと対話の関係が作れる人ならば、問題はない。十分な癒しの関係を結ぶことができる。 ・こんなことで悩んでいるのは自分だけではないと知ることは大きな収穫である。 2745 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・解離状態の典型例。ぼーっとしたうつろな目。おおむね正しい答えだが、ときどきはぐらかしたり、見当違いの答え。受け答えの反応は鈍い。振る舞いや様子がいつもと異なる。顔の表情も乏しい。感情表現も希薄。「心ここにあらず」「魂の抜けた感じ」といった印象。 ●老人の反応はおおむねこうした表現が当たらないでもない。無力になった老人は、解離によって適応していると解釈できないか。 ●解離というよりも、注意の障害の結果とも考えられるだろう。 ・トランス状態、夢遊病のような状態、憑依状態。 ・夢想にふける、没頭する、自分の目の前で起こっていることに心を奪われた状態。 ●ここまで解離状態に含めるとかなりの拡張である。要するに「注意の向け方」の問題とも思われる。 ・戦場、天災、暴行、レイプなどに際して、非現実感を体験する、痛みや苦痛を感じない、見慣れたはずの景色もどこか違って見える、自分自身をあたかも距離を置いて眺めているといった体験を持つ。 ●要するに離人体験。 ●分裂病で、「見慣れたはずの景色がどこか違って見える」との感想が聞かれる。現実変容感であるが、これは離人とは別の、世界の変容感であると理解していた。これが極端になると世界没落体験につながる。しかし、そうだろうか?世界変容感は分裂病性の変化そのものとしての解釈である。しかし、分裂病性の変化に対する反応として、解離性の反応を呈し、離人感を感じていると考えてもよいのではないか。その区別がどこにあるだろうか? ・解離について、ジャネは心理的なエネルギーの不足により精神の統合ができないという意味である種の欠陥を表すものとみなした。フロイトはそれを患者自身の意識的なしい意図的な試みとし、原則的には正常状態にも現れるものとした。これは防衛機制としての見方になる。 ・解離の用語を外傷体験に限定して用いることもある。 ●では、外傷性精神病を抑圧モデルで説明できるか?→多分、ジャクソニズム的に、多層的な人格構造を考えて、その間に抑圧の関係を考える。抑圧と退行と、ジャクソニズムをからめて考えれば、解離といった、並列的な並べ方よりは構造化された人格のあり方を描けるのではないか。 ●その場合、どこかの層の人格セットが、全体を乗っ取る様子をどのように描くことができるか? ・解離と抑圧は、通常の意識内容から、ある一定の体験の記憶ないしそれに関連した思考(それを無意識と呼ぶかどうかはともかくとして)が切り離されているという状態を指す点で共通している。 ・心がある種のパニックを起こし、その際の感覚入力が通常と異なる仕方で処理され記憶された結果、後に通常の意識状態に戻ったとき、それらが想起不能となる。 ●ここにスイッチングのメカニズムが介在している。どの回路に情報を流すか、決定しているスイッチがある。このスイッチを利用することが治療では大切であると考えられる。つまり、このスイッチをオンにしないように注意して、別の回路に情報を流すことができれば、除反応できるのである。これが治療になる。 ●スイッチは何か。情動と記憶の関連がいわれている。記憶回路と情動回路が、海馬や辺縁系でいわれる。 ・抑圧は主体により積極的に用いられる機制であるのに対して、解離は主体が外傷体験に翻弄された結果、受身的に陥る状態である。 ・解離は抑圧に必要な自我の成立以前から用いられる原始的な反応。文化結合症候群や原始反応に見られる心因性の狂躁、カタトニー、離人症状は解離の一型と考えられる。動物の仮死反応にも通じる原始的防衛機制。 ●カタトニーを解離に含める?躁については「人が変わったような」という印象を解離として捉えれば、不可能な解釈ではないだろう。それにしても、やや広げすぎ?「まるで違う人のような印象や記憶の断絶」などの標識がなければ解離というには難しいのではないか。しかし一方で、解離といわず、多重アイデンティティとでもいえば、やや拡張した議論ができるのではないか。 ●通常人格も、ある程度の幅を持って変化しつつ現実に対応している。いちいち解離で反応しているわけではない。人格の変化のすべてを解離としてしまうのは拡張しすぎである。 ●実態の裏付けのない、単なるスペキュレーションと非難されても仕方がない。 ・陰性外傷においては解離性障害は恐らく目立たず、基本的な信頼関係を築いたり、自分という感覚を持つことについて重篤な障害を持つことになる。 2746 台のチャンネル理論も解離性障害の一種として考えられる。 治療同盟の考え方にしても、健常部分とか病的部分とかいうときには、解離性の病理を考えてもいい。 アイデンティティの理論にしても、そもそもたくさんのアイデンティティの集合体として一つの人格が構成されていると考えられる。多重アイデンティティが人格の普通の構造で、それがなんとなく統一されて構造化されているのが普通の人格である。 人格の引き出しという言い方も、この線で考えられる。 下位人格セット。行動パターンのセット。適応パターン。行動様式。 他人を取り入れる。行動や性格を取り入れる。その中には「狐的なもの」を取り入れて狐つきに至ることもある。反発と真似(模倣)の両方の取り入れ方がある。また、その人に接しているときの自分というものが固定されることもある。 多重人格といえば劇的である。多重アイデンティティという表現の方が、適切な響きである。 2747 新聞で。電車に乗っている高校生達のマナーの悪さを嘆いている。大声で話す。携帯電話。二人分に腰掛ける。親は躾をしない。注意されても反発するだけ。そんな躾のない若者がだんだん増える。そんな人たちに子供が産まれても、多分躾はしない。結局、このような困った人たちが増えてゆく。 「やさしさの精神病理」(大平健)では、やさしさとは、他人の心に踏み入らないことだとする。その程度の考察をありがたがる風潮もある。大平はまた、豊かさの精神病理との論も書いている。 勝手気ままを尊重する。 個人的ファンタジーにくるまれた繭のような存在でいたいという欲望を肯定する。肯定するどころか、至上の価値として、尊重する。 社会化するということをお互いに価値あるものとしていないのではないか。 共同の価値観の中には個人を越える、もっと深くてもっとすばらしいものがたくさんあると感じていない。つまり文化や文明というものを信じていない。技術の恩恵には浴するが、それは自分が金で買うだけのものだ。 文化の新しい世代として、過去の蓄積を学ぼうとしないのではないか。 こうした一連のことが、精神的形成不全の一部の人間に見られるというなら事は重大ではない。全体の風潮であるように感じられる。そこに年長世代の絶望がある。若い世代の全体が、あからさまに、まったく明白に、精神的形成不全である。これでは嘆きたくもなるだろう。 2748 解離性障害として解釈しているさまざまなことを、注意の障害として考えればどうなるか?一考に値する。 注意の転換。それにともなうアイデンティティの選択。これでかなりのことが説明できそうである。 2749 「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、自己催眠によって解離状態になれば、身体に関しての離人状態になると解釈できる。 座禅は自己催眠である。 「火渡りの術」などもこれに類している。 修行はつまりはこのような解離状態を随意的に出現させる方法の体得を目標としている。 2750 脳内麻薬物質と反復 人間が反復して求めるものの中に、脳内麻薬物質が絡むものを探せないか。 ランナーズ・ハイ。 針・灸。→針は、神経が密集していないところを狙えばよいのではないか?→それとも、催眠との関連で考えた方がいいか?効果が一定しないところを見れば、催眠との関連で考えた方が正しいだろう。 一般に、嗜癖。薬物、アルコール、プロセス嗜癖、対人関係嗜癖。 性的快感。サド・マゾ。支配の快感。暴力による快感。ジェットコースターを好むわけ。ホラービデオ。お化け屋敷。 フラッシュバック。外傷性体験の反復。 音楽の快感。 香り。皮膚の刺激。 てんかん発作を自己誘発する現象。ここに脳内麻薬物質が絡んでいないか? 2751 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・健忘障壁を解離の主たる特徴としてあげる臨床家もいる。しかし完全な形の健忘を呈さない解離もある。異なる交代人格のうちのいくつかが、互いの間に起きている出来事をよく把握していることが多い。健康状態での白日夢や軽度の離人体験も解離に含むのが最近の傾向である。 ●むしろ、他の人格についても記憶を有している人格が、人格統合の核となることがあるのではないか。シュナイダーはお互いのことは知らないとはっきり記載しているが、非常に深い解離を呈したときにはそのようなことが起こるだろうと思われる。よりマイルドなケースの場合には、健忘障壁もあいまいになるのだろう。 ・解離症状の三つのカテゴリー。没頭、忘却、離人。 2752 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・臨床家が患者の幼児期の虐待について聞き出すことに躍起となり、そこに患者の被暗示性も影響し、偽りや誇張された虐待の記憶が報告され、それにより両親が身に覚えのない虐待の罪をおわされる場合もある。 ・実際は空想の産物であるはずの複数の人格を、患者自身があたかも実在するように信じ、また治療者もそれに加担しているとする見方もある。 ●Allisonの説。→安の論文。「空想上の友達(imaginary companion)」に関連した問題。 ・MPDの多くは、症状は目立たず、微妙な表現のされ方をする。面接中に突然あたりをきょろきょろし、「わたしはどうしてここにいるの?」(人格が急に入れ替わったときの反応)という表情を示す典型的な症例がある。一方では、いくつかの「同型の人格」を有し、診断のつき難いタイプのMPDが非常に多くある。 同じ名前、記憶もほとんど同じ、人格相互にコミュニケーションもある、そのような場合には人格の入れ替わり自体がうまくカモフラージュされている。 ●こうした微妙な入れ替えが起こっているなら、それはそれでいいと思う。特に問題はない。そうしたことまで問題に含める方がおかしい。そんなことまで診断しなくてもいいはずだ。 ●入れ替えが、「人格」という規模で起こっているのか、「アイデンティティ」の規模か、あるいは「記憶のセット」という程度の規模で起こっているのか。そうした違いは考えられる。 ●「人格」の入れ替わりと「記憶セット」の入れ替わりは違うことなのだろうか、同じことなのだろうか? 同じ脳が機能するのだから、基本的な反応の仕方は同じはずで、それがまず基本的なその人らしさを作っている。いろいろな記憶セットがあって、いま現在どの記憶セットにアクセスしやすい状態になっているかで、人格の外観が違ってくる。つまり、通常記憶と外傷記憶はある程度離れた場所にあって、どちらにアクセスできるかは二者択一のようである。 人格が入れ替わるといえば、一体どのような事態が起こっているのかと思うけれど、アクセス可能な記憶セットがどれかということでなら、納得できそうにも思う。 ●結局、そのように分離されたままの記憶が放置されていることが問題なのだろう。異常な記憶と異常な情動が結合している。 2753 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・アメリカでは、患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する傾向がある。一部フェミニストの姿勢に通じる。 ●この、問題の外部帰属説には大いに問題がある。人気取りの面もある。免罪符としても働く。 ・これまで分裂病やその他の精神病として理解しがちだった患者の所見について、解離という視点から捉え直せないかという観点。日常診療で頭に置く。 ●この態度が了解可能性の領野を拡大する。精神病であっても、その中に神経症成分(心因成分)を分離して見いだす、診断的な目である。それは患者が理解されたという実感につながるだろう。 ・MPDでは、人格を多く持ちすぎるのが問題なのではない。(健全な)人格を一つももてないことが問題である。 ●これはやや不正確で、言い過ぎである。おおむね健康に暮らしているが、部分的に不健康な反応が見られるという場合もあるだろう。全人格の問題とは考えられないだろう。むしろ部分の問題と考えていい場合も多いのではないか?→そうでない場合も多いだろうけれど。解離の範囲を広くとった場合には、問題のない解離現象も多くなるはずである。 ●別人とするなら、選挙権はどうなるか、刑事上の責任はどうなるか、など問題がある。どの人がその人を代表するのか、誰が決定するのか? ・交代人格をそのものとして扱うか、メタファーとして扱うか。症状自体のもつ苦痛を扱うか。その防衛としての意味を扱うか。 ・MPDは患者の幼児期の外傷体験が心に残した傷跡であると同時に、患者が(たとえ不適応な仕方であっても)生きるための手段として用いているものである。この両方の視点が必要である。 2754 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・MPDの病理の問題点。多重な人格は問題ではない。それらの間に連絡がないことが問題。そして、どの人格がいつ登場するか、コントロールすることができないことが問題。 ・外国語が堪能な人の場合、使う言語が変わると人格まで変わることがある。 ●これは多分、記憶セットが異なるからではないか? ・悲しいときに覚えたことは、悲しいときに思い出しやすい。状況依存の記憶。記憶と感情はセットになって収納されている。 2755 人はいかにして心の傷を癒すのか。 ・まず忘れること。記憶のメカニズムはそのまま癒しのメカニズムである。残存記憶のフラッシュバックが外傷性障害の病理を構成する。 ここで問題は、 1 消去したいのに残存してしまうこと、 2 フラッシュバックが起こってしまうこと、 3 そしておそらくフラッシュバックによってこの不都合な外傷記憶の回路は強化・維持されるだろうこと。 これらを解決できればよい。 ・意味を変換すること。身にふりかかった災いも、その意味を変換することで、耐えられるものになる可能性はある。 このために人は「物語る」。あるいは物語を更新し続ける。治療者と共同で、生活歴を再構成してみることが有効である。フランクル的視点。 2756 クリニック計画 患者数 家賃 今  三島  事務 合計 4 50 0 0 0 50 10 50 37.5 37.5 0 125 15 50 80.5 57 0 187.5 20 50 118 57 25 250 30 50 243 57 25 375 一人0.5万円で計算。 25日開院で計算。 事務員を雇わないと、一日17人診察するといまの給料になる。 118*12=1416 243*12=2916 57*12=684 40*(12+5)/12=680/12=57 2757 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・フロイト。リビドーの水流モデル。ないしは水力学モデル、貯留モデル。 人間にとっての不快体験はリビドーが発散されることなく蓄積されていく過程であり、快感体験はそれが解放、発散される過程である。神経症の原因はリビドーが放出されることなくうっ積する状態である。幼児は性的に興奮させられても、その発散方法を知らない。これが後の神経症を準備する。 ●フロイトの話は順を追って理解すれば分かりやすい。 ・性的外傷を受けた子供は性的興奮を覚える。その意味で、外傷体験に対して全く受身的態度にとどまらない可能性がある。ここに性的外傷体験の持つ難しさがある。外傷体験の持つ「欲動興奮的」側面はその体験自体の外傷性を一層深刻なものにする可能性がある。 ●論は分かる。しかし、そうなのだろうか?受動的にせよ、教えられてしまい、そこで深刻な事態が出現する。頭では嫌悪があり、興奮してはいけないと思いつつ、しかし感覚は否応なしに興奮する、というわけだ。 話としては面白いが、たとえば、そのような体験以来不感症となり……といったコースも考えられるのではないか。性的興奮にマイナスの意味付けしかできなくなる。 性欲の処理に悩む人も多いだろうが、そのような欲望のあまり強烈ではない人も多いだろう。 その場合、面白がって欲動興奮的などというのは理論家の興奮しすぎである。 ・抑圧の機制を含む自我の働きそのものを圧倒して無効にしてしまうほどの外傷体験について、フロイトは考察の対象としなかった。 ●そうであれば、陰性の慢性の外傷はどうなるか。 普通に考えれば、急性の陽性の外傷については、緊急反応として(死んだふり)位置づけできる。これが解離をもたらすことも分かりやすい。慢性の陰性の外傷については、発達に損傷を残すということで、それはつまり、従来からいわれている発達論の中に位置づけることができるのではないか。 このあたりはまだ納得できない面がある。 ・人間が外傷的な体験を空想や夢の中で繰り返し、時にはあたかも積極的にそれを再体験しようとする傾向について、フロイトは論じている。 人間は快楽原則に従う。快楽の享受を一時的に延ばす(現実原則)こともあるが、結局は快楽を最大にしようとしている。しかし「快楽原則の彼岸」では、人間が快楽原則が成立する以前のより原初的な状態において、反復強迫として定式化されるべき習性を持つことを示した。「刺激障壁を破るような過剰な刺激が外界から加わると、それにより快楽原則は一時的に機能が停止する」、そして「快楽原則よりもより原始的でかつ根源的であり、より本能的な反復強迫」が露呈することになる。 ●過剰刺激の処理→反復強迫の形式をとる。このあたりは「メカニズム」として分かりにくい。 ●ジャクソニズム。より下位のシステムが発動する。 ・現実的な不安と神経症的な不安(フロイト)。後者は内的な危機に対するものであり、その対象が本人に見えないことが特徴である。それ以前には「不安は蓄積したリビドーが形を変えたものである」と考えていた。不安についての説の変遷が見られる。 ・不安信号説。不安は危機状況において(かつて経験した)外傷的状況が近づきつつあることを知らせる信号の役割を果たす。 ●今回読んでみて意味不明瞭。予期不安と同じ意味? ・不安が抑圧を生む。以前は逆に考えていた。(リビドーが抑圧され、それが不安へと変化すると考えていたが、実はその逆だった。) ●フロイトが何を言ったかがそんなに大切なのだろうか。共感できない。 2758 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・フェアベーン。「子供が愛してもらい、また自分の愛情を受け入れて欲しいという欲望が満たされないことは子供が体験する最大の外傷である。」 ●「愛情を受け入れて欲しい」という子供の欲望とは何か? ●意味がはっきりしない。何となく読めば分かるけれど。クリティカルに読むと意味不明。要するに親の愛情の不足は陰性外傷となるという話である。それはいい。しかしこの文章は何か? ・このような状況においては、自分を満足させてくれない悪い対象を内在化させる結果となるが、フェアベーンによれば、そうすることで自分が変えることのできない状況を少しでもコントロールするためである。こうしてスキゾイド状態が生じる。 ●どうしてこんなことを仮定していいのだろうか? ・ウィニコットは、幼児が侵襲を受けることで自己の感覚(sense of self)を発達させることができなかったことに精神病理の根拠をおく。 ●こんな根拠でいいなら百通りも可能である。針の先で天使が百人踊っている。 ・スキゾイド(フェアベーン)。外傷や侵襲により、自己の統合機能が破綻し、攻撃者の内在化が生じ、それが通常の人格とは隔絶された形で一つの人格として成立するのがスキゾイド状態である。たとえば、普段は保護的な良い対象であるはずの養育者が、ある日突然に虐待者として立ち現れ、患者はその矛盾した体験に圧倒されて意味付けができない。そこで虐待者としての対象イメージ(悪い対象)や、それにより外傷を被った自己表象を、異物ないし未消化物として良い対象や良い自己イメージから隔離し内在化させる。 ・虐待者は患者に性的興奮を引き起こそうとし、対象を支配したという全能感を得ようとする。 ●酒を飲ませて酔わせようとするのも似たところがあるだろうか。 2759 (外傷事件)+(共感欠如、サポート欠如)=外傷体験  陽性外傷 + 陰性外傷        =外傷体験 2760 外傷性精神障害(岡野憲一郎) ・治療の第一歩は、患者にとって安全と感じられるような治療環境を提供することである。 ・安全な治療者患者関係を築く。それがないところで外傷記憶の再生や除反応が行われれば、再外傷体験になりやすい。 ・患者は自分にはどうしようもないところで立ち止まっていることがある。そんなときには積極的介入が支持的になる。 ・葛藤モデル・表出的技法(カーンバーグ) ・欠損モデル・支持的技法(アドラー) ・患者は過去の外傷や、本来あるべき生育環境が欠損していた結果として、単刀直入な解釈や直面化には耐え得ぬような弱さ、傷つきやすさを持っている。彼らが幼少時に被った養育上の欠損はまず埋められなければならない。 ●養育上の欠損が病因的で、それを埋めることができる?本当に? ・除反応とは、十分に意識化されずにいる外傷記憶を、その情緒反応とともに想起、解放することである。事実としての記憶はあっても、情緒反応までは想起できないことが多い。除反応により、記憶の認知的、情緒的側面が統合される。その記憶が本人の生活史に組み込まれる。 ・たまった悪いものを吐き出すイメージ。 ●感情をためているとよくない、だから感情を発散する。これを外傷記憶についてやってみるということだ。ひと泣きすればすっきりする。再び演じるといったことかも知れない。子供のごっこあそびの延長のようだ。これがなぜ有効なのだろうか。何が変化するのだろうか。 ・激しい感情表出が一向に症状改善に結びつかない場合、それは除反応ではなく、フラッシュバックである可能性がある。これは「自発的な除反応」であり、氷を体に押し当てるなどしてできるだけ早く止める。 ・支持的で信頼感に基づいた治療関係の中で、外傷記憶に再解釈や新たな意味付けが行われて、外傷記憶は全人格に統合され吸収されていく。 ・「あなたの体験したことを話すことで、気持ちが楽になるかも知れませんね。可能な範囲でお話し下さいませんか?」「何をどこまで詳しく話すかは、あなたが自由に決めて下さい」あくまで患者の自由意志であることを確認する。 ・「三分の一原則」。外傷記憶の想起の導入はセッションの最初の三分の一で行う。次の三分の一は徹底操作、最後の三分の一はセッションの終了に向けての準備。 ・除反応の後、解離状態のままで外に出てはまずい。 ・除反応では、その事件そのものの話題にいきなり入るのではなく、周辺から。一度に全部ではなく、一部について一回ごとに。感情暴発に対してはストップをかけることもする。 ・はじめは激しい情緒反応を伴ってしか想起できなかった過去の体験を、次第に客観的に報告できるようになる。 ●最初から客観的では、除反応にならない。 ・セッションの最後には患者を催眠状態から現実に戻す。明るくする、音楽をかける、窓を開ける、深呼吸をするなどを行うのがよい場合もある。 ・リラクセーションと催眠は共通点が多い。リラクセーションからはじめて、状態を見ながら催眠に移行する技法もある。 ・面接室に毛布を常備しておく。女性患者の膝にかける。 ・どのようなときにBさんに変わるのか、Bさんは人生の中でどんな意味を持っているのか。 ・患者は直面化に際して、解離という機制を用いることなく、それをより適応的な防衛機制を用いて処理する必要に迫られる。 2761 リラクセーション導入の実際 説明 ・無理をしているから、抑圧にはエネルギーを消費している。心と体の力を抜いて、心の中で無理に働いている力を取り除く。そうすればエネルギーを補充できる。 ・ヨーガや黙想や座禅に似たこと。あくまで自分の意志で、自分が自分をコントロールする。 ・始める前に、イメージトレーニングとして、海に浮かんでいる自分や、森の緑に囲まれている自分を考えてもいい。どこまで具体的に細部まで描き出せるか、試みる。目を閉じて、しばらくイメージする。考えるのとは少し違う。イメージである。心のスクリーンにくっきりと浮かぶように。絵がありありと見えるように。 自律訓練法のように(呼吸と脱力) ・ゆっくり目を閉じる。自分の呼吸のこと、いま現在の体のことをイメージする。雑念を払う。 ・腹式呼吸をする。一つ息を吐くと、体の力が一つ抜ける。だんだん力が抜ける、だんだん重くなる、だんだん熱くなるとイメージする。それ以外のことは考えない。いまここで、体の状態に集中する。自律訓練法のように、各部位に集中してみるのもよい。 だんだん安らかなよい気持ちになる。体が重くなり、熱くなる。血液がだんだんすみずみまで行き届く様子が分かる。 しばらくこの感覚を楽しむ。安らかなよい気分である。 戻し 戻す操作を必ず入れる。 2762 パニック障害を、外傷記憶のフラッシュバックと考えて、対処法を考える。薬剤で予期不安に対処し、発作→記憶の再強化の悪循環には自律訓練法で対処する。 パニック障害が形成されるに至るプロセスについて興味を持って聞く。 2763 心因について語り合うことが診察室で少なすぎた。なぜか。 診断作業に片寄りすぎていた。治療作業が少なすぎた。そして会話は診断のためのものであった。そのような扱いをされた患者はどのような気持ちだっただろうか? 患者の人生の航路についての関心が希薄であった。 しかしながら、一方で、あまりに心因主義になり、患者の心因をほじくりだし、そのうちに患者と共同して創作していることにならないように、十分に注意が必要である。 2764 課題 対話的関係と非対話的関係を対照して提示すること。 愛と平和の価値観か、戦いと攻撃の価値観か。 世界観の根本的な違いかも知れない。この世界は根本的に信頼できるよいところで、人々は知り合えば知り合うほど幸せになれると信じられるかどうか。 2765 『もう「うつ」にはなりたくない』(野村総一郎)……海道病院で、IBMのサブノートを打って原稿を書いていた様子を思い出す。 ・うつは時を待てば必ずよくなる。したがって医学的治療は「苦しみの時期を短くし、最悪の事態を乗り切る手段」である。 ・うつは「しっかりしているからこそかかる」、「しっかりしている性格が裏目に出て生じる」。 ・「やっぱり、あのとき最初に早く休んだのがよかったのですね。そうでないと、取り返しのつかない悪評がたつところでした」躁状態の人。 ・操作的診断基準とは、「これが正しい基準かどうかは神さましか知らないけれど、今の段階ではひとまずこのように定めておいて、これにしたがってデータを集めて、あとで議論をしよう」という考えで作られたもの。 ・抗うつ薬はある一定の量が身体に入らないと副作用ばかり出て効果はいつまでたっても出ないことが証明されている。思い切って十分な量をのむことがコツ。 ・「頑固である」と同時に「他人に気を使う」。「相手に合わせようとしても自分の内面の秩序とぶつかって折り合うことができず、自分で自分を苦しめることしか解決が見つからない状態」がうつである。 ・うつ的思考パターンの名前を覚える。どの思考パターンが何回生じているか数える。合理的思考に修正する。そのさいに否定するのではなく、妥協する。 野村のうつの仮説 ・うつの人は、「柔軟性がない」、「気持ちの切り替えに非常に時間がかかる」といった傾向がある。 ・「物事の重み付けができない」「あるネガティブな感情がいつまでも残る」この二つの問題点が根本である。 ・「物事の重み付けができない」場合には、片っ端から全部やってみるしかないことになる。「とにかく全部を必至でやったときにのみ成功する」と感じる。結果として、「必死で几帳面にすべてに取り組む」という性格傾向が形成される。 ・エネルギッシュに動くことによりすべてをカバーしていく術を身につけた場合には、活動的で一見元気者のように見える病前性格になる。 ・「感情がいつまでも残る」つまり「気持ちの切り替えができない」人は、子供の時から失敗したときの「悔しさ」「悲しさ」が長く残る傾向がある。どうしても失敗を恐れる、慎重な、冒険心のない、性格が形成される。これがうつ病者の几帳面とつながる。但し、双極性躁うつ病者の場合には感情が残りやすいということはないようだ。 ・几帳面によって世の中に適応していると、いつかエネルギーが枯渇し、失敗する。そんなときにも几帳面によって乗り切ろうとするので、事態は悪化する。休んでエネルギーを充電すればよいのにそれができない。悪循環がある。 ●執着器質や循環気質の成立を「物事の重み付けができない」と「あるネガティブな感情がいつまでも残る」との二点に遡って説明しようとしている。 ・ドパミン……やる気 ノルアドレナリン……行動を維持し活動を高める セロトニン……ブレーキ ・うつの人の各種物質の増減の報告はばらばらである。またどれが原因で結果なのかも不明である。 ・ストレスがない状態では、うつ病者と普通の人の間でセロトニン系に何の差もない。ところがストレスがかかると、セロトニンの反応性に差が出る。ストレスが来れば、それが危険なものである可能性がある以上、セロトニンの働きが強まり行動にブレーキがかかる。しかしそれは短時間であり、すぐにドパミンやノルアドレナリン系のスイッチが入り、対処行動ガスターとする。しかしうつ病者ではセロトニンの機能亢進がいつまでも続く。ブレーキがかかったままとなる。子供の頃から小さなストレスの連続であるから、そのたびにセロトニンのブレーキがかかりっぱなしではたまらない。そこでうつ病者ではノルアドレナリンやドパミン系が常に緊張した状態にセットされる。ストレスのない時にうつ病者が活動的なのはこのためではないか。そして物事の弁別にもセロトニンが関係しているとすると、セロトニンの機能異常は「物事の重み付けができない」といううつ病者の病前性格と関係してくると思われる。この考えでいけば、うつ病の発症は、ノルアドレナリンやドパミンの緊張が追いつかなくなった時のセロトニンの暴走であると説明できる。 ・つまり、セロトニン過剰に対処するためにノルアドレナリンが過剰にセットされている。これが過剰な几帳面さと活動性を生む。だから休養が大切である。 ●以上の野村説とわたしのMAD説を比較検討すること。 ●抗うつ剤はどのように効いているのか?セロトニンを増やすのがなぜ治療になる?本文では不明瞭。 ●うつの仮説としてクリアしなければならない条件は何かをまず明確にしたい。それに対する解答としてどのような可能性があるか、次に考察したい。 ●外傷性障害についても、アドレナリン系、セロトニン系、ドーパミン系、麻薬系などについて、特にレセプターの増減の面から考えてみる。侵襲相と鈍麻相の二相性の反応についてうまく説明できないか? アドレナリン(交感神経)  セロトニン、アセチルコリン(副交感神経) 麻薬物質はAd系と関連? 侵襲相  鈍麻相 Opi ↓ ↑ Ad ↑ ↓ Ser ↓ ↑ 2766 森田療法で、「ねばならない」をやめて、「あるがまま」になる。これは認知のスキーマを転換することであり、ひとつの認知療法であると考えてよいのではないか。 2767 「愛情セラピー」この類のものが一番いい。求められているし、分かり合える。あくまで患者の程度に合わせてこそ意味がある。 2768 たとえば町のラーメン屋でも、いろいろな工夫がある。自分の味で勝負している。そのような品質に関する探求をクリニックではしているか。医者はしているか。都合の悪いことを患者のせいにしていないか。 せめてラーメン屋くらいの工夫はしないといけないだろう。 2769 人間を腐らせるデイケアであってはいけない。そのことは治療者として敏感であるべきだ。それがわたしが経験から学んだことである。 2770 人間はどうしようもなさを内面に抱えた存在である。 そう思わないのは、内面の欲動を自身の意志発動によるとの自発性の錯覚が徹底しているだけである。徹底的に錯覚し続けている鈍感さの結果である。 あるいは、そうしたどうしようもなさが、完全に社会の規範に従った範囲であるというだけのことである。ところがそのことがとても価値があるのだった。 自分の内面の欲望をコントロールできない人間。 内的欲動の過剰な興奮を引き起こされる場合がある。現代社会では少なくない。 内的欲動が自己破壊にまで至る例。 自分の意志をなくしたように罪を犯す。 支配される。あたかもどこかのボタンを押されると命令に従ってしまうような。 苦しいと思いつつしかし内心で面白がっていたはずだ。 2771 内的欲動の暴走。 そのメカニズム。 またたとえば「むしゃくしゃしたから万引きをした」との言葉。 2772 水の上にプカプカ浮いているリラックス状態。 どの筋肉も緊張していない状態。 2773 犯人探しの心理療法は間違いである。 探偵ごっこではない。 癒しとは何かを考える。 探偵だとすれば、無責任な探偵である。批判されることのない探偵である。 2774 Quality of life を考える。 2775 ペイペッツの情動回路 記憶と情動が関連している。 たとえば、物事を記憶するにはよく理解することが必要だといわれる。もちろん、分からないことはすぐに忘れるという意味でもある。しかしそれ以上の意味もある。 覚えるとに感動があるかどうかという問題だ。このような関係があったのか!と感動したり、感激したりすれば、それは情動回路に入って、記憶としてもよく定着されるだろう。 偉大な発見に感動することができる、それくらい理解すれば忘れないだろうという、実に本当のことを言っている。 1998年1月3日(土) 2776 『物忘れは「ぼけ」の始まりか』(宇野正威) ●なかなかよくまとまっている ・記憶の分類  1 手続き的記憶(技能の記憶)  2 宣言的記憶(事実の記憶、陳述的記憶)    1 エピソード記憶(思い出)    2 意味記憶(知識) アルツハイマーではまずエピソード記憶(個人的歴史)が失われる。次に意味記憶。たとえば漢字はよく覚えていたりする。 自伝的記憶と社会的記憶。自伝的記憶が失われやすい。 2777 『物忘れは「ぼけ」の始まりか』(宇野正威) ・老人斑ができる場所は脳の神経細胞の外側。神経原線維変化はニューロンの内部。 ・言語機能が男性では左半球に集中している。女性では左右分化がそれほど顕著ではなく、右半球もある程度の言語機能を持っている。痴呆に関しては有利に働くはず。これが若年では女性にアルツハイマーが少ないことと関係しているかも知れない。八十歳を越えると女性に多いことについては説明不可能。エストロゲンとの関係が考えられている。 ・アルミについては、判定保留。 ・CDRやFASTを補う質問。 1人名想起。有名人と親しい人。2最近の記憶。3二十歳の頃の記憶。4時間見当識。5場所見当識。交通機関を使えるか。6家庭生活。炊事など、道具を使う複雑な行為ができるか。7社会生活。地域老人クラブなどにどの程度参加しているか。 これらを詳しくチェックする。 ・物語再生検査。新聞のような、15語句からなる文章の再生を検査する。健常で直後で10語程度。三十分後でもほとんど同じ。痴呆疑いでは直後で5語程度。三十分後では何の話だったかほとんど覚えていない。 ・十個の単語を覚える検査。「梅、椿、先生、魚屋、うどん、サンドイッチ、鶴、いのしし、扇子、糸」のカード。単語の横に絵。同じ分野の語が二つ、同じ音で始まる単語が二つ。 ・治療薬の可能性。アセチルコリン系をターゲットとする薬が主。その他に、抗炎症剤。リュウマチ患者がのんでいたインドメタシン。またステロイドやアスピリン。ハンセン病の薬ダプソンも抗炎症剤。ビタミンE。鉄剤。これはアルミがトランスフェリンによって運搬されるので、鉄で飽和させておけば運べなくなるとの考え。クエン酸鉄とビタミンB6。女性ホルモン。しかしどれも決定的ではない。 ・前頭葉の損傷……意欲や自発性の低下。計画的に仕事をやり遂げる力が失われる。気まぐれになる。 ●こうした知識を分裂病やアルコール性の障害に流用してもいいはずだろう。 ・記憶にとって最大の敵は集中力の欠如。集中力を失わせる第一のものは疲労とストレス。最近物忘れがひどいという人は、疲労やストレスがたまっていないか点検する。疲労を回復するだけで、良性物忘れは回復する。 ・退職前から、会社とのつながりや地域とのつきあいを考えておく。 ・前頭葉障害……道具を用いる複雑な行為ができない、地誌的記憶の障害……炊事、陶芸、園芸など、道具と手を用いる行為を勧める。 ・側頭葉障害……言語。理解が悪くなり意思表示も少なくなる。……家庭でもできるだけ会話。地域の老人クラブに参加し友人を作る。 ・物忘れをして同じ話を何度もするから嫌われる。そこで自分から話をしなくなる。 ・痴呆があるから老人クラブに行きたくない。重度痴呆デイケアでは物足りない。そこで「軽症アルツハイマーデイケア」が行われる。 ・「物忘れ外来」や「メモリークリニック」が増えている。 2778 何でも話せる状況と作り話もしてしまう状況との差を認識すること。治療者の環境設定として大切。 ほじくることと、受けとめることとの、差。 受けとめた内容に嘘が混じっていても、それがその人の人生の再構成であればそれでいい。生活史を語るとは、自分なりの再構成である。誠実であればよい。 そうでなくて、プラスであれ、マイナスであれ、治療者へのプレゼントであるならば、治療としてはどうだろうか? 2779 分裂病の自我障害を、解離性同一性障害と見る見方。さらに将来は、注意の分配の障害として見る見方もありそうである。 解離性障害も、結局、注意の分配の障害ともいえる。 注意の障害として精神症状のあれこれを記述できないか、考えることは意味があるかも知れない。 2780 物忘れ外来 めまい外来 更年期障害外来 自律神経外来 うつ傾向外来 など、専門外来形式をとる? 早期診断をして、投薬と生活指導。 2781 「若い読者のための短編小説案内」村上春樹 ・吉行淳之介「水の畔り」を紹介して論じた中で。 「……少女の意識の中に特定の具体的な男性としてはいりこむために、少女の意識の下にうごめいている感情を引きずり出してしまいたいという発作にもしばしば捉えられていた。……」 ●これは少女の内面に育っているはずの内的欲動(ここでは思春期の性欲動)を引きずり出し利用するということだろう。 これは見方によっては卑劣な操作行為であると評価することができるのではないか。 この感覚が外傷性障害の発生につながるのではないか。この感覚は対話的ではない。愛情的ではない。操作的で、支配的で、自己の欲望を遂げるための作戦といった様子である。 追いつめられれば何でもするし、何でも利用するのが人間だろう。それはそうだろう。しかし主人公はそこまで追いつめられているのだろうか。このような問題のある言葉を吐くほど?これがそのような問題をはらむと意識されているか? しかしそれはまた過度の理想化であるともいえる。少女の側でも、似たような心の動きはあり、同程度の卑しさで、両者は響き合っていると言えなくもない。 2782 「心のつぶやきがあなたを変える」(井上和臣) ●序章に例話がある。認知療法というわけではなく、会話の中で相手が何を求めているか、間違うとよいコミュニケーションにならない例。慰めて欲しいときに具体的なアドバイスで返すと、会話は行き違いになる。 面接の技術として考えたときに、このあたりが大切である。相談者に何が必要か、治療者が考えることと、自分が何を求めているか相談者の考えていることと、食い違いがあると、なかなか難しいことになる。 ●この本自体はよい練習帳である。何かをマスターしようとすることの伝統的な方法に則った練習帳。この本に沿って治療と宿題を展開していくのもよいのではないか。 2783 認知がうつを招くというのは本当か?信じがたいところもある。自己、世界、将来についての悲観的な認知にしても、原因ではなく結果であると考えてもよいだろう。 ある出来事が起こったときに瞬間的に頭に浮かぶ意識の流れを自動思考と呼ぶ。一瞬浮かぶイメージや考えが、心を支配する。自動思考がうつを招く。そういうことはあるだろう。 では自動思考を選択することができるかといえば、それは難しそうである。自動的に浮かぶものだから。 認知が変化したり、自動思考が変化したりするのは、努力の結果というよりは、病気が治ったからだろう。 どのイメージ、自動思考、スキーマを選択するかについては、結局注意の機構と同じ様なものではないだろうか?心の中のどのイメージにスポットを当てるか、それがどのようにコントロールされているか。 たとえば赤い部屋では注意散漫になり、青い部屋では集中力が高まる。そのような基礎的なことが影響していそうである。 うつの時に、どれが原因でどれが結果であるか、どのようにして決められるか?方法は? 「考え」のレベルで提示する(認知療法)よりは、柑橘系の香りと抗うつ剤・ベンゾジアゼピンと色彩コントロールと……そんなもので働きかけた方がいいような気がするのだが。 認知療法がぴったりの人もいるだろう。そのあたりの適応の判断がもっとも大切な点ではないか。 2784 「若い読者のための短編小説案内」村上春樹 安岡章太郎「ガラスの靴」の紹介の中で、現実を離れたイカレタ女性のことが出てくる。現実の世界から意識が離れている。ずれている。演技のようでもあるし本当にずれているようでもある。病的なものが含まれているようでもある。 わたしは仕事の場面でこのタイプの「ずれた」人たちと話すことがある。 病気のカテゴリーで理解できる人たちの場合にはさほど問題はないように思う。むしろ、どうといってはっきり分類できるわけではないけれど、やはり何かの性格障害のようなものかなといったタイプが困る。 異様である。おかしいなと分かる。しかしどこがと言われると困る。 演技的という要素が含まれていることは多い。しかしそれが嫌われてしまうと知っていてよさそうなものなのに続けている。そういうことも理解できない点である。 「つるつるの件」は演技的な印象を残している。昔、青森で。電話機のそばの貼り紙に「つるつる」と書いて、そのあとに電話番号があった。妹がラーメンを注文しようというので、「つるつる」に電話をかけた。「もしもしつるつるですか」と言った。「だってつるつるではないんですか」と続けてしばらく何か言っていたようだった。結局休みだったような気がする。このようなとき何が起こっているのか?非常識なのか、つるつると書いた祖母を笑おうというのか。そんなことではなしに、自分がとてもおかしなことをして話題として思い出話として残りたいというのか。このようなやりとりがとても面白いものなのか? そばで見ていたわたしはとても気分が悪かった。微笑ましいというものではなかった。わざとらしさと程度の低さと、何というかとてもいやな気分であった。 文学でこうした「わけの分からなさ」を描くときは、このわけの分からない奇妙な感じが伝わればいいのだろう。しかしそれだけではなくて、この奇妙な感じの思考や行動のスタイルを、賞賛する態度がややもすればあるのではないか。 これは「鼻くそをありがたがる」の類である。病的分泌物である。このような人間に出会ってしまうことはある。交通事故にも遭うし、病気にもあう。それと同じようにこのようなタイプの人間にもあう。鈍感な人はどんな人なのかよく分からないままに生きているかも知れないけれど。それにしても歓迎すべきことではない。それなのに何だか憧れを込めて書き、肯定的感情で読むということがあるのではないか? これは錯誤である。「異常とおしゃれの錯誤」とでもいうべきか。 2785 現代を生きるということは情報端末機のようになることなのだろうか? 次々に最新情報が流れて行く。電光掲示板のようなものだ。そんなことに何の意味があるだろうか? すべては無意味で、その点で等価値であるという虚無を前提にして考える。そのときどきで感覚を楽しませるものがあればそれでいい、そのことに空しさを感じたとしても、どのくらい虚しいものなのかを味わえばいい、本物とか偽物とか、そんな区別もあまり考えなくていい、ただ手近なところで満足が得られればそれで充分だ。しかし、本当にそうだろうか?何か違う。 たとえば、いまいわれることは次のようなことだ。現在では田舎にいても情報が速い。たとえばインターネットで、直接に情報に接することができる。 だからどうしたというのだろうか?だからよい人生になるとでもいうのだろうか?明日は古くなる種類の情報を、今日手に入れて、喜んでいても、それがどうしたというのだろうか? 古い新しいではなく、大切かどうか。人生を本当に幸福にするかどうか。 情報端末機として、たとえばテレビのブラウン管のようではないか?それでいいのだろうか? ゴミのような情報を次々にあさるのはもうたくさんではないか?情報をフィルターにかけるような工夫ができないものか? 田舎に住んでいても都会に住んでいるのと変わらないといわれるのは、実はほめ言葉ではなく、都会に住むと同じように困った状況が田舎にも発生しているということではないだろうか? つまり、直接経験から何を学んでいるか。間接的知識から何を学び、間接的情報にどのように影響されているかということだ。それは大切なことではある。しかしそれは生きていることとは少し違う事態である。ゲーテは学問は灰色であると語る。間接的経験は灰色なのだ。 送り届けられる情報は灰色だと思う。テレビの中でどのような出来事が起ころうとも、それは経験としては不足である。本当に現実としての痛みが発生しないだろう。 ただ影響されているだけの末端でしかない。 2786 「心のつぶやきがあなたを変える」(井上和臣) ・わずか二つのスキーマで全体を代表させている例もある。 1 わたしは無力である。(能力スキーマ) 2 わたしは愛されていない。(対人関係スキーマ) ●なるほど。そうかも知れない。これで充分かも知れない。 ?症例を見回してみる。そうではない例もあるようだ。 2787 何を考えるかは、結局、心の中のどの部分にスポットライトを当てるかということではないか。それが注意の機能である。 抑圧とか解離もこれ一本で説明できそうである。→試みる価値があるだろう。そして治療は、注意機能の調整、誘導ということになるだろう。 2788 「今年はいい年になりますように」と神社でお祈りをしたとする。この人は自分が何を欲しいのか、どうなりたいのか、明確に意識していない。幸せのイメージが明確でない人は幸せになりようがないだろう。何が欲しいのか分からなければ、何をどう努力すればよいのかが不明確である。結局、努力の潜在力はあったとしても、十分に発揮されることのないままに終わるだろう。 何となくいい結果が出ればいい、と思うのと、「レフトオーバーのホームランを打つ」と明確にイメージするのとではかなりの違いがある。 2789 計画のない人生は結局何もしない人生である。 したいことがあれば、実現に向けてのスケジュールが要請される。そこから夢の実現は始まる。 そのように生きたいものだ。スケジュールのある人生がいいのではないか? 2790 快感が脳内麻薬物質と関係しているとして、外部からの麻薬物質摂取には歯止めがかからないのに、脳内麻薬物質の関連しているであろう快感を生む活動には普通の状態であれば、適切にブレーキがかけられて制御されている。これはなぜなのか。どのような制御系があるのか。 2791 「うつを生かす」大野裕 ・リラックス練習法(ジェイコブソン) ・自律訓練法 ・バイオフィードバック ・注意をそらす技法……本、音楽、テレビ、ラジオ、家族と会話、電話。計算、クロスワード、ゲーム、冗談、コイン投げ。 ・腹式呼吸(5まで数えて吸う、5まで数えて吐く) ・膝屈伸運動 ・認知的リハーサル ・主張訓練法 ・ロールプレイ ・カードに「しばらく待っていよう」などと書いておき、取り出して読むようにする。 ・自動思考は瞬間瞬間に頭に浮かぶ考え。いつも同じようなパターンが現れる。心のさらに奥底に、いわば無意識に、その人に特徴的なものの見方の鋳型のようなものがあって、それがその瞬間的な反応を決めているようだ。その鋳型をスキーマとか図式と呼ぶ。 ●こうした「鋳型」で考えるのは分析的な考え方。 ●何が繰り返されているかを分析し、その共通部分を抽出する。 ・性格の三軸。1 人から距離を置くか人に近寄ろうとするか。2 人の上に立とうとするか人に従おうとするか。3 行動的か思索的か。以上の6つの方向で考える。 2792 木村敏の論集「自己・あいだ・時間」の前書きを読んで 1998年1月5日(月) 記憶障害とオリエンテーションの障害 時間と場所に関する認知の障害は、結局記憶の障害に帰着させられるのではないか? 自分が誰であるかといったアイデンティティの問題も、結局記憶の問題である。記憶のどの部分にスポットを当てるかということに他ならない。記憶のどの部分に注意を向けるかということだ。 自分に歴史があること、自分が時間的存在であることを知るのは、記憶があるからだろう。 この点で、辞典に書いてあるような記憶と、自分の人生を構成するような記憶とはかなり異なるものであるように思う。 アルツハイマーで、自分の人生の歴史に関する部分を忘れるという事実は興味深いものだ。 アルツハイマーで、漢字などの物忘れが、廃用性健忘とどのくらい違うのか同じなのか調べる方法はあるだろうか? 2793 分裂病と躁うつ病を対極的なものとして論ずる習慣はやはりおかしい。愚かな習慣というべきである。特に両者の病前性格を対比して論ずるのはおかしいと思う。排他的な病気だというのだろうか? 少なくとも、分裂病者は躁うつ病の波を経験する場合がある。 臨床場面では、躁うつ病を考える前に分裂病をチェックする。分裂病であろうということになったら、結局は症状として躁うつ状態があると診断する。分裂病を優先概念として扱っているから排他的になるだけである。COMOBIDITYもあり得るだろう。 単一精神病観でいえば、躁うつ病の症状としての分裂病性の症状ということになるのだろう。これも裏返しになっているだけだろう。 分裂病と躁うつ病は逆といいながら、薬剤は逆の方向かといえばそうでもないだろう。ハロペリドールはうつを導くというが。 ドーパミン系とセロトニン系を分裂病と躁うつ病で考えるとして、一方は意欲発動系で、一方は抑制系だとして、これが両者を対比的に論じる根拠となるだろうか?はやり根拠薄弱である。このような程度の人間学的精神医学ならば、言葉を連ねてただうっとりしているだけではないか? そうはいいながら、木村敏は内容がある。 2794 社会度。仮にこのようなものを考えてみる。 たとえば正月に人と同じように旅行に行ったり田舎を訪れたりする。人と同じようにすることが社会度の高さである。そのような人たちが社会の中核である。 2795 宇沢弘文がテレビで語る。面白かった。 ・monetary descipline.金融的規律。医療や法律家にもいえる。「専門家としての規律」が求められる。 ●これがゆるんでしまった場合、モラル・ハザードが生じる。特権的な立場を利用して、私的利益の追求に走る。専門家の領域は、社会が歯止めをつくることが難しい。そうは言っても、ではどのようにして、専門家の規律を維持していくか。絶望的に不可能ではないか。 ・自由主義とリベラリズム。自由主義は強者の自由。リベラリズムは人間の倫理観に基づくもの。 ・経済学者の責任。水俣で。誰も住民に居住を強制しなかった。誰も魚を食べるように強制しなかった。だから企業にも国にも責任はないとする、経済学者の言葉。また、上流で排水に有害物質を捨てる企業があり、下流の住民が困る。その場合、住民は自分達でお金を出して下流の水の浄化装置を付けるか、そのお金で、工場に浄化装置を付けてもらうか、どちらかであるという。それが経済学の答え。 ●同じような状況は医師にもある。「我々は末端の医師だから、どうしようもない。」あるいはさらに「そんな大局的なことは厚生省の役人が考えればいいことだ。どぶ板さらいのように末梢のことに追われているだけで精一杯だ」と語って、現状の矛盾や制度としての間違いを考えようとしない。 ・制度学派からケインズ学派への流れ。 ●まるで資本家の使い走り。詭弁家。言いくるめるための知恵。 ・河上肇「貧乏物語」 ●精神病院解体論。老人病院解体論。必要悪であると追認していてはいけないと思う。地域医療の推進。 ・社会的共通資本で私的に儲ける。 ・経済学は心を追放する。経済人。本当の豊かさはそこにあるのに、それを切り捨てて理論化している。 ・1980年には資本主義の弊害と社会主義の幻想。1990年には社会主義の弊害と資本主義の幻想。資本主義と社会主義の緊張の中で、ぎりぎりの細い一本の道を慎重に歩く。それが制度主義であった。 ・役人は自己保存のためのマフィアのようなものだ。 ●その意味では役人にならなくてよかった。自分の人生を生きることができる場所がいい。 ・社会的共通資本の観点から論じる。 ・「20世紀を越えて」(宇沢) 2796 わたしが手にしている「専門的な道具」は何か。 そのことを考え直してみよう。何を手にしているか。そしてそれによってわたしに何が見えてくるか。それを提示したい。 ニュートン力学での公式のような。化学での爆薬の調合方法のような。 とりあえずは、フロイト式の手法や用語がある。現代的にいえば、コフートでもラカンでもいいのだろう。あるいは外傷性障害の理論でもACの話でもよい。外部の人をも説得できる「公式」があれば強い。それが認識と分析の道具になる。 しかしそれでいいのだろうか?そうした公式の胡散臭さを知っているのが専門家というものではないのか? たとえば、倫理について。精神医学的見解。現代社会への処方箋。 しかしそんなものができそうもないことは分かるはずではないか。 それなのに敢えてもっともらしく結論を提示するのは詐欺に近いではないか。 しかしそれではあまりに敗北主義的である。 たとえば進化論的思考。系統発生的観点。これはとても有効である。症状の一部は、こうした進化の遺物と関連しているだろうと思う。このあたりを追求できないか。 もっと精神医学的な領域でいえば、たとえばジャクソニズム。(これは脳の系統発生的・個体発生的理論である)。私の場合は、純粋に心理学的な仮説は説得力をあまり感じない。解剖・生理の領域と心理の領域の中間領域くらいの部分でおもしろさを感じる。薬物の話もこの領域だと思う。 2797 ●医療も、私企業の側面と、公的側面の両方がある。メディカル・マインドの実現の場である。 最大のクリニックではなく、最良のクリニックを。 2798 たとえば、倫理について。精神医学的見解。現代社会への処方箋。 こうした場面で、有効な方法論を持っているか?病気についての考察を過度に拡張するのは間違いであるとして留保をつけるとしても。 2799 恥の文化から恥が消えた。そして現在日本社会は堕落している。 会社は重視するが社会は軽視する。 とテレビで指摘。 そうかも知れない。 昔から日本社会での仲間規範の優位と、個の内面の倫理の希薄さは指摘されてきた。要するに仲間内では遠慮もあり恥もある。しかし仲間でない、一般の人、面識のない人に対しては倫理を発揮できない体質である。それは結局、倫理の源泉がヨーロッパ的個の場合とは異なる、キリスト教的な神の内在が欠如している、そうしたところに原因があるとされてきた。 罪と恥の対比ということができるだろう。 こうした指摘自体は問題点もある。妥当性を信じ切るわけにもいかないと思う。しかし日本社会の変質は明らかであり、その原因について考えることは必要ではないか。 その場合、顔の見える、名前の分かる範囲での倫理を生きてきた人々が、都市化とマスコミ化にさらされ、お互いに名前が分からない、分かったとしてもテレビに出る人の名前は分かるが、テレビを見ている人の名前は分からない、そのような構造の中で、昔からの倫理では間に合わなくなっているのではないか。 たとえば匿名の嫌がらせ電話のようなものだ。 こうした匿名性の中で援助交際や不倫、その他のモラルの解体、ひいては人生の価値の解体が生じているのではないか。 2800 ●精神病院解体論。老人病院解体論。必要悪であると追認していてはいけないと思う。地域医療の推進。そもそもそういった疑義を提出するのは専門家だけに成し得ることではないか。少なくとも、必要であり、誰かがやらなくてはならない、そこまでは認めよう、しかしその役割を自分が引き受けるかどうかについていえば、やはり引き受けたくない。それはいい人生ではないと思うからだ。 どんな特権的な利益からも離れて、少なくともこの世の悪の一団に属していないという意識を持って生きていければよいと思うが。大声で糾弾するのもよい趣味ではないだろう。他人様のすることはそれなりに理由があるのだと大目に見ていたいような気もする。どうでもいいことだという思いもある。 たとえば土岐さんの惨めな精神の有り様を見て、とても悲しくなる。どのように痛めつけられ、いじければ、このような惨めなこころになるのだろうか。病気であると理解するとしても、やはりそばで見ているのも辛い気がするのだ。 2801 「ストーカーの心理学」福島章(PHP文庫) ●なかなか面白い。恐さがある。 ・乳児は母親に絶対的に依存する。相手は無条件に自分を満足させる。そうでなければ乳首をかんで攻撃する。ただ求めて得る。ギブアンドテイクはその次の段階である。ストーカーが、「そんなことをしたら嫌われるだけだ」と思われる行為を止めない理由はこのあたりにある。いうことを聞かなければ「乳首をかんで攻撃する」、そのことによって被害者とストーカーは一対一の関係に入る。 相手に好かれるためにはどうすればよいかという思考回路は働かない。 アメリカでマドンナがストーカーに侵入されたとき、マドンナは法廷に立つことを拒否した。しかし出廷しなければ逮捕するというので、無理に引きずり出された。その時彼女は法廷で語る、「このようにしてわたしが彼の前に立つ、そのことで彼の欲望は成就された。この場面こそ、彼が望んだものだ。」 ・パラノイドには分裂病の軽症型と見られるパラノイアと、特別の性格の人に心理的・環境的ストレスが加わって起こる心因性パラノイドの二種類がある。妄想以外の点では正常者と変わらない。 ・自己愛性人格障害。自己中心的で、自身、自負心が強く、自分の有能性と万能感にだけすがって生きている。他人の存在や感情には無関心で、本当の意味で人を愛することができない。いつも自分が賞賛され関心の中心で、ちやほやされないと不機嫌になる。人を愛するもの、その人が自分をほめてくれることを期待してである。いったん拒絶されると、これまでの愛の対象に対しても激しい怒りや攻撃性をもって反応する。他人の愛情を得られなかったことに落胆するのではなく、自分がそれほど有能でも魅力的でもないことを思い知らされるから怒る。これを「自己愛性の激怒」という。 ●現実的ではない自信。妄想的自信。有能性・卓越性の幻想。しかしこれだけならば、妄想性障害と言っていいはずではないか?妄想的自信を抱いていることではなくて、それが傷つけられたときの反応の仕方が激烈であり、その反応の異常さゆえに人格障害というのではないか。 2802 人間である限り、ストレス状況で神経症成分が観察できる。いろいろな病気の際に神経症成分を吟味・鑑別することができる。精神病の場合には、神経症成分も本来の病気である精神病と同じ精神領域の症状になるので鑑別は一層困難であるが、それでもやはり区別して考えることができそうである。 2803 精神病院や老人病院で仕事をしている自分に疑問を感じないのだろうか、同業者の皆さんは。高すぎる倫理観を振りかざして、他人様を非難しようというのではない。自分の実感として、こんなことを続けている人生はよい人生ではあり得ないと感じるのだ。 どうしようもないのだろうか?本当に?おかしいと思う。 例えば、自殺未遂で救急病院にかつぎ込まれたときに、救急の医師は冷淡であるといわれる。死にたい奴を助けるなんて、という気持ちがあるのだという。また例えば、精神病者を外科に依頼したときに、どうせ精神病者でしょうという気持ちがないでもないらしいといわれる。もちろんあからさまではないだろうけれど。 このような「差別」の雰囲気が蔓延しているのではないだろうか。その上に精神医療は成立している。どうせこんな人たちを扱うのだから、あまり高い倫理は要求されないと高をくくっている。それでも彼らを扱ってやるんだからありがたいと思え、そんな気分があるのではないか。いずれにしても、人間として最高の倫理を実践してはいない。そのような場所である。退廃がある。 精神医療ばかりではない、社会全体がそのようなものなのだといえば、確かにそうだろう。そのようなちんぷんかんぷんな場所でもどうにかこうにか動いているのが人間というもの、社会というものの実体であるといえばその通りだろう。だから、どの分野でも、それほど高級なことを要求するのは間違いだといっていいだろう。それが一般論である。 しかし自分がそのような場所で生きたいかどうかはまた別ではないか。 2804 新聞で、性犯罪被害者の手記が出版されたとの記事。自分が「モノ」になったような気分。人格を否定され、惨めな悲壮感。「わたしは人間の形をした、ただのモノなんじゃないか」と思った。そしてその後の、警察でのひどい扱われ方。 昨日の夕刊では、こころを忘れている、倫理はどうなったという対談。人間の行動を快楽を求めてとか有利だからとか、そんなことで説明しようとして、「こころ」を忘れてしまっていると二人の倫理関係の老人が対談しているのである。 人間がモノであることは否定しようがない。こころという、モノとは別の次元の事象があると信じればいろいろと都合がいいとしても、それもやはりモノの次元で説明できることだろう。そのような穏当な唯物論までも否定するなら、それは「否認の機制」である。 しかしこれは認識論の次元のことだ。目の前にいる人間をモノとして扱うとしたら、こんどはそうした態度が病理的である。認識論の次元と、対人関係の次元とを混同して、唯物論としてまとめるなら、それは大きな混乱である。 「モノ扱い」は、結局「支配の感覚」だと思う。ボタンを押せば動く、それだけの存在。ボタンを押す人と押される人との間には無限の距離がある。 対話は対等な話でもある。 ストーカーの話で、性関係を考えるときも、結局は支配の関係で考えることしかできない人がいるらしい。そのようなこころの傷つきはどのようにして修復され、望ましい発達の機会を与えられるのだろうか。 人間のこころも、植物が成長するように、放っておけばすくすくと普通に成長するものと思うのだが、人生には阻害要因がそれほどまでに多いのだろうか。 社会で生きる人間の属性として、いろいろなことがらを身にまとっている。社会的地位、生い立ち、家族の関係、友人の関係。そうしたものをはぎ取られて、ただ徹底的に「モノ」であると思い知らされるときがある。例えば、手術台に乗せられて麻酔をかけられたとき。密室で暴力にさらされたとき。「社会の中での自分」がはぎ取られて、肉体として、モノとしての自分がむき出しになる。肉体といっても、スポーツやよい意味でのセックスは、自分をモノと感じなくてすむ。むしろ、惨めさとは逆の位置にある。その対極にある、自分という存在の無意味さ、無力さにつながる体験を押しつけられて、自分は「モノ」に過ぎないと思い知るとき、耐えきれない大きな傷になる可能性がある。 一言で言って、「無力感」の体験であろう。 自分の意志が反映されず無視される状況におかれる苦痛。意志発動の主体としての感覚を剥奪される。一方的に翻弄されるだけの存在。 そのような場所で生きてゆく方法は何があるか?最悪の場合、意志など消去しても生きていける何かを持っていればまだましである。何もない人もいる。たとえば精神病者は意志を剥奪され、かつ、なんら取り柄がない。 自分がモノになってしまったという感覚を反復して味わいたいとするなら、外傷性障害と似ている。戦場での兵士。娼婦。 2805 テレビで。私鉄の東武は利用者の減少に驚いている。満員電車対策を急いでいたが、利用者数の自然減があり、目標は達成されてしまった。少子化で通学定期の使用が減少、不況の解雇で通勤定期の使用も減少、この二つが大きな要因と分析している。しかし東武では大規模団地を二つかかえており、その地域での人口増加を計算に入れれば、将来はそれほどの落ち込みにならずにすむと考えている。 これまで増加の一途だった鉄道利用者にもこのような変化が現れている。日本の社会は変わるだろう。 2806 援助交際の是非について有効な説得の方法がないという。 これは例えば、ドストエフスキーが描いた世界と似ている。「この世の害悪となっている老女を殺害する権利をわたしは持っている」と考えた男。一方で、「自分の体をどう使ってもいいではないか。誰かに迷惑をかけたか?」と居直る女。 認識論の次元と対人関係の次元とを混同した錯誤ではないか?ドストエフスキーは故意に混同して読者を錯誤に引き入れて、その錯誤の仮定の上に、どのような運動が発生するか、展開して見せた。前提条件を設定しておこなうシミュレーションのようなものである。 この世界の原理的なあり方と、人間が社会の中でどう生きるかは、直結していない。前者から後者を演繹できるわけではない。遠い前提ではあるが、決定しているわけではない。? 2807 宇沢が、「経済学者にだまされないようにするために経済学を勉強する」という話を紹介している。精神医学者にだまされないように、精神医学を勉強する。これでもいい。 2808 「現代は過剰に合理的である。その反動としてオーム事件のようなものが起こる」などと山中康裕(臨床ユング心理学入門)。わたしはその反対で、現代も依然として合理性の欠如が著しいと思う。 合理性という言葉にも幾層もの意味があるようで、それを区別してからでないとくっきりした意味は伝わらないのではないか。 例えば、現代社会は効率の追求にのみ忙しいと論じられることも多い。標準的な意見である。「効率的」の反対は、ゆっくりと人間的なゆとりを持った生活態度といったあたりか。結局それは、人間的なゆとりを効率的に追求しているに過ぎないではないか。 効率性の追求に罪を求めるのは皮相的で頭が悪い。 目標と方法と分類する。効率追求はつまりは方法の分野の話である。目標はたいていは企業の利益であったり、個人の利益であったりする。それらを非効率的に追求すればよいという話ではないのだ。論者のいうところは、ゆとりをもっと効率的に実現せよということだ。それを悪い頭で、効率追求が悪いと表現しているに過ぎない。 方法の次元で、効率的でない方がいいというなら、理解不能である。目標がゆとりであればそのように、利益であればそのように、さっさと実現すればよいはずである。非効率のほうがよい面があるというにーなら、それは非効率を目標として掲げるべきで、その場合の方法としてはやはり効率的であった方がいい。 方法としての非効率をいうなら、もっと説得力が必要だ。 2809 「臨床ユング心理学」(山中康裕) ・魂に呼びかける仕事 ●このような言い方は聞こえはいいが、どうだろうか?その実態は何かと厳しく問いかけたい。 ・ユングはナンバー・ワンとナンバー・ツーの自分があったという。→●解離性障害と見える。 ・神経症。表面的には立ち向かわなければならないものから退却している。しかし実は立ち向かうために必要なエネルギーを蓄えつつある状態。そしてそこから立ち直るためには、「これではいけないのだ」というもう一つの心の声が必要である。 ●現状をよい観点から捉えるとすれば、このような言い方が可能になる。それはとてもよいことだと思う。 ・フロイトと決別後のユングは七年の内閉生活を送る。外界との交流を少なくし、自らの内界と進んで深くつながった。 ●やはりこのような時期が必要なのではないか。学びの旅の宿りのようなもの。 ・自分の出会った経験のすべてが、「自己」を実現する方向、一本の自己への道につながるものであった。神経症は一つの退却であるが、それも次なる自己を実現するための退却であった。 ●「次のための」と考えるか、現在は現在のためにあり、それ自体でよいものとして完結しているとみるか。苦難の時期が、将来のために役立つと捉えるのもいい。しかしそれ以上に、苦難も現在の人生を輝かせていると捉えられれば、さらにいい。 ●人生の各断片が総合・統合されて、意味のあるまとまりとして姿を現す瞬間。それは幸福である。 ・高い境地を実現するというのではなく、むしろごく自然な「あるがまま」の自分になるということ。 ・心身症。感情の表し方が非常にストレートで、例えば怒っているかそうでないかは明確に分かるのだが、その間のこまやかな感情表現ができない。心身症に共通の特徴である。……そして、攻撃性の表出は回復のために必ず経なければならないプロセスである。 ・ずいぶんと無駄なことに延々と時間をかけて、と思う人もいるかもしれない。しかし、どのような生き方を選んでも、何一つとしてむだなことはないのが人生である。 東京から京都まで、新幹線で二時間、江戸時代だと徒歩で五十三日。生きる意味においては全く等価である。どちらの道を選ぶかは、一人一人に委ねられている。 すべてを知ることはできなくても、その中で魂が震える一ページに出会うことができれば、それは次からその人の糧となっていく。 ・分裂病……「本当の自己」は現実から遊離し、「にせの自己」が人格の外側を覆っている。本当の自己は奥深くで殻に閉じ込められているので、体験をすることができない。つまり、成長が止まってしまっている。「本当の自己」が殻を破るように成長して「にせの自己」を凌駕すれば治る。 ・躁うつ病……感情と人格が乖離。 ・神経症……人格そのものは保たれているが、過度に抑圧されたコンプレックスによって、何らかの考えにとらわれたり、何らかの行動や症状に精神活動の一部を支配されている状態。しばしば何らかの葛藤がみられ、その葛藤から距離を置くために、人格そのものの痛みを防ぐために、何かにせの症状ともいうべきものを作り出す。抱えている問題の本質に触れることがあまりに辛いので、寸分の狂いもなく儀式を遂行することにエネルギーを費やして、そこから回避するという方法をとっている。ヒステリーの場合には、体の方に症状を出すことによって、葛藤を回避しているとみることができる。 2810 腑に落ちるたとえ話が語られたとき、人は真に理解する。チャートにして理解できたとき、人は真に理解する。 治療もこのようなものではないか。理解を助ける物語を提示する。仮説やチャートを提示する。 2811 テレビで宇沢弘文。 ・体にメスを入れて傷をつける。それが許されているのは医師だけだ。 ●精神科医療は心にメスを入れる。その自覚が大切である。 ・教育は刷り込みである。そして再教育はできない部分がある。だから教育者の責任は大きい。 ●なるほど。一度限りの教育チャンスというものがある。 ・感情を分かち合う。 ・ヒポクラテスの誓い。 ・患者からの評価でいい医者が選択されるのか? ・レセプト制度の矛盾。ベテランも新米も同じ。聴診器のベテランは不必要な検査をしなくても分かる。診察回数も少なくてすむ。 2812 「心身症を治す」(山岡昌之)茅ヶ崎図書館で。 ●頭の悪そうな、勉強の足りない、文章である。これはひどい。しかし一般人の知的水準を考えればこれでいいのかも知れない。そういった絶望的な現実が目の前にあるのである。 ●母子関係の不全や生育歴の欠損に原因を求め、母親に育て直しのようなことをさせている。これは一般の人には「ウケル」のだろうけれど、やはりひどいと思う。原因が分からなければ、生育歴の傷を拡大して指摘する、このは悪い習慣である。自閉症のときも、分裂病のときも、このような態度が見られた。探せばそのような傷は必ずあるのである。指摘された人は後ろめたいので受け入れるしかない。昔、結核の原因も倫理的な面に求められ、その傷を指摘されると受け入れざるを得ないという事態があった。宗教者は狡猾にも、そのような人の弱みを利用したのである。いま、同じようなことを医者が行う。ひどいものだ。 2813 ●器官選択の問題。例えば、昔あった、植物の場合の必要栄養の図が思い出される。樽があり、樽を構成する木はそれぞれ長さが異なっている。水を満たしていくと、一番短い木のところから水が漏れる。そのような図であった。 水はストレスに対応する。木は器官である。ストレスが次第に大きくなっていくと、器官の中で弱いものが症状を呈する。ストレスはそこから逃げてゆくので、しばらくは他の器官は守られていて、症状を現したりはしない。 そのような脆弱性は何に由来するか?遺伝的要因と生育要因の両方である。 また、同じ環境にいたとしても、ストレスが人によって異なる。受け取るストレスの大きさが異なり(つまり適応の違い)、かつ、ストレスに対する耐性が異なる。 適応が上手であれば、ストレスそのものを小さくできる。たまる水そのものが少ない状態である。 ストレス耐性が大きければ、耐えられる。ストレス耐性が大きいことは、樽の木がどれも背が高くてなかなか水が漏れない様子と考えられる。 2814 ●ストレスコントロールについてまとめてみること。 2815 宗教と精神病理について 呪術的思考→密教、錬金術、迷信、占い、独自のジンクス。 強迫性儀式→ジンクス うつの自責→罪の宗教 分裂病性超越→超越神 宗教の超越の面と、集団力動の面。超越は分裂気質的、集団に安らぎを求める傾向は循環気質的。 2816 生育と性格 特に几帳面に着目。生まれ持った几帳面と、後天的にしつけられた几帳面と。躾とは几帳面さを定着させる訓練である。 他には超自我。ひいては自責の念。後悔の念。これらは後天的にしつけられる要素が大きいのではないか。 2817 真の犯罪抑止力は何か。 「援助交際」で、「人に迷惑をかけていないからいいじゃない」と語る。 例えば、親に申し訳ないと思わないか。育ててもらった恩はどうなるのか? そのような生き方がいい人生なのだろうか? 大蔵省の役人がおかしな接待を受けていることが次々に報道されている。これも本人たちは「大したことではないだろう」と思っているはずである。見つかってまずかった、しかし大して迷惑をかけているわけではないと思っているだろう。料亭やゴルフが何だというのだ、大したことではないだろう。上に行けばもっと濁っている。 大蔵省の役人も「誰にどれほどの迷惑をかけましたか?」と反問することもできるだろう。「ご馳走したいという人がいるからご馳走になりました」、誰かのご迷惑になりましたか?というわけだ。 要するに、見つかって損をしたな、という雰囲気である。 マスコミ報道は日が経てば誰もが忘れる。家族などの範囲でいえば、つきあう人たちは会社や役所の身内である限りは、大して罪に思っていないだろう。みんなが同罪なのだから。 村落共同体のような形の、ある程度プライバシーのない社会が基盤にあってはじめて、犯罪の抑止につながるのではないか。「こんなことをしたら、世間に申し訳がない」という「世間」が実体的なものとして意識に存在する。「こんなことをしたら、家族にすまない。子供が恥を受ける。など」 まるで、日本国憲法に書いてある、権利と義務、基本的人権が、そのままで歩いているかのようだ。人間というものは、そのような権利義務関係以上の存在である。それなのに議論は「人に迷惑をかけない」といった低い次元のことに帰着してしまう。理論化するときはそのようにしか言えないかもしれない。しかし人間が実際に生きているということはもっと深い感情であり遠い希望である。 母乳哺育をやめて、母親との哺乳を通じての交流が失われたとき、人間精神の生育に重大な変化が生じたとする指摘は説得力がありそうだと思う。それは動物を飼育しているのと変わらない。 2818 倫理の感覚 適用範囲の錯誤 例えば、宇宙規模の感覚でいえば、地球上に生命が誕生し、人間が発生し、社会を作り、いま自分が生きている。倫理といっても、局所的で、大して理由はない。やりたいようにやっていいのだ。理論的には何もあなたを止められない。たとえばドストエフスキーのラスコーリニコフである。 一方、日々を生きる人間の感覚がある。家族がいて、友人がいて、自分としての歴史があり、希望があり、そうした特殊事情を抱えて生きている。地域や時代の倫理感情や価値観に支配されて生きている。そのことはバカにはできないし、御破算にもできないものだ。なにしろ感情は自動的にそのように動くのだ。従うしかない。 簡略化していえば、「理論の要請」と「実際の感情」の対立である。理論の要請は、まるで宇宙規模の理論で日常生活の倫理を語るようなもので、適用範囲の錯誤である。 2819 注意の理論 意識は暗い部屋のようなもの。懐中電灯で部分部分を照らす。これが注意の機能。抑圧や解離などといわなくても、いろいろなことが説明できる。 2820 悪い人生はあるか 人生から何を学ぶか 人間はいつ成立するか 「悪い人生」と思える人生の場合にも、距離を持って考えれば、たとえば宇宙的な規模の感性で考えれば、悪いことはない。悪いと考えてもいいが、そこから何をくみ出すことができるかという問題が大切である。 人生というものは教材である。そこから何を学ぶことができるか、それが大切である。そう考えれば、よい人生や悪い人生というものはあまりないだろう。どのような人生であれ、そこから何を学ぶか、そのことの方が大切だ。学ぶべき何もない人生というものは考えにくいだろう。 しかしそういった思考は、はるかな距離をとって考えるから成立するのだ。間近に見ていれば、人生の幸福と不幸は比較的明瞭である。だからこそ人は幸不幸に敏感になり、神を恨んだり、人を妬んだりする。 人生を見る地点をどこに設定するか。ずっと遠くと、近くと、いくつかの視点を持つことができれば、バランスのよい把握ができるだろう。これは心理療法家にとって必要であり、かつ、このことを患者に伝えることが必要であろう。 遠くから見れば、苦痛もいとおしい。近くから見れば、そんなことを言ってはいられない。 苦しみはある。しかしそこから何を学ぶかは、主体の問題である。 傷口があって人の優しさがしみるように、苦しみがあって、神との対話が始まる。感謝するだけの神ではなく、問いかけかつ問いかけられる神との関係が始まる。その時はじめて人間が成立するのだと思う。 2821 「母乳」山本高治郎(岩波新書) ●土居健郎が紹介していた。なるほど大切な指摘を含んでいると思う。 ・刷り込み。後追いの対象となる個体は、そのひなの生涯を通じて不変で、変更を許さないユニークな存在となる。異なった種の里親の鳥に育てられたひなは、成長となった場合、性的な反応を里親の種の異性に対してのみ示し、自分の属する種の異性には示さないことが確認されている。性的固定が、自分の続さない種に対して起こったり、人間に対してすら起こる。 ●本当だろうか?動物は鏡を使うわけではないから、自分が何であるかは分からないはずだ。刷り込みの時点で親となって種に自分は属すると考える。それはよい。しかし、配偶行動の段になって、自分は相手と同じ種のつもりでも、相手は相手と同じ種であるとは判定してくれないだろう。しかも、種の中でも異性に対して配偶行動を起こす。自分とは異なる種について、異性か同性かの区別ができているのだろうか?オオカミ少年の場合、刷り込みがオオカミを対象として起こったわけだ。 ・出生から二週間、子は親に固定され、親は子に固定される。母性愛という愛が点火する。ヤギの場合は分娩後の数分間、ヒツジの場合は数時間、ネズミの場合は三日間。人間は二週間程度。母とこの最初の日々はきわめて貴重な日々である。 ・ゴム乳首。二重に不幸である。母性愛の火に待ったがかかる。新生児は最初にゴムの乳首の吸い方を覚えてしまう。 ・子宮外の胎児の状態は満一歳の頃まで続く。その未熟の脳に、ということは発達をとげつつある脳に、遺伝子によらない多くの情報がインプットされてゆく。ポルトマンは、「人間の尊厳は、子宮外に出た胎児の期間に獲得される」と述べる。 ・母性愛は、出生後二週間ほどの間に、母と子がどのような蜜月を過ごすかにかかっている愛情である。 ・母親が子供に乳を与えることをnursingという。 ・乳房から直接に乳を与えることは、単純に食物を補給するということだけでは終わらない。 ・工業化。人の心を充たす何ものかが失われた。 ・聖アウグスチヌスは小児のもつ天衣無縫の行動の中に、人間の原罪の萌芽を認めていた。母親が自分の子供に哺乳する行為すらも、一種の肉欲によるものであるとしていた。子供が泣くたびに乳を与える行為は、放縦につながる行為だった。 ●母親は子供の泣き声が聞こえる範囲に常にいて、一日に何度でも好きなだけ乳を与える。これが理にかなっているという。 ・エストロゲンは少女を女性にする。プロラクチンは女性を母親にする。 ・乳頭に吸啜反射→視床下部プロラクチン分泌阻止因子が休止→プロラクチン分泌 ●ここでドーパミンがプロラクチン分泌阻止因子である。ドグマチールの副作用。 ・オキシトシンは乳頭の筋上皮細胞に作用して、射乳。プロラクチンは腺細胞に働いて乳汁産生。 ・多発性硬化症は髄鞘が変性する病気。自律神経は植物神経とも呼ばれ、髄鞘がない。錐体路は髄鞘がある、有髄神経。新生児は満二歳で髄鞘化が完成する。 ・牛乳は母乳に比較して、蛋白質と電解質が多い。熱量が同じ場合には、電解質と蛋白質を過剰に摂取することになる。未熟な腎臓で処理する必要がある。しかし、濃い尿をつくることができないので、多量の水分を必要とする。水だけを要求することはできないので、さらにミルクを飲まされることになる。酷暑の際に乳児にみられる夏季熱は、体温を犠牲にして、浸透圧を正常に保とうとする。その結果が体温上昇になる。水分を与えて一汗かかせると体温は低下する。 ・幼児は耳が聞こえていないのではない。刺激が繰り返されると慣れを生じる。これは高位中枢が働いていることを意味する。 ・虐待が、新生児期に集中医療看護を受けた未熟児に多発する。親とこの間に愛が成立しなかったことを物語る。母乳哺育を通じての母子の関係は、人間の尊厳の獲得に通じる。 ・出生後一時間以内に、母子が哺乳により結ばれれば、人間にとってのもっとも幸福な体験を持ったといえる。 ・母乳を与えること自体、母親の心をやすめる。プロラクチンがトランキライザーの働きをする。 ●つまりは、母乳哺育以外の方法で育てられた場合には、精神的に重大な欠損を残して生育する可能性があると考えられる。人工栄養はそのような効果をもたらしている。近年の若者の「出来損ない」の様子を見れば、納得させられるところがある。人間として異質な人たちであり、そうした人たちが今度は親になる。ますます異質な人間になるのではないか。 そして「向こう」からみれば、母乳保育された人間は異質と映っているのではないか?感性も倫理も価値観も、異なった世界ができて、それはそれでいいのだろうと思う。二種類の人類が同居して、お互いが違う種類であると認知していないと、居心地が悪いことになるだろう。 新人類という現象はこうしたことと関係しているかもしれない。スタートにこの事実があり、さらに生育の過程で、学校教育、家庭のあり方、地域社会のあり方、遊びの仕方、いろいろな要素が絡んでくる。 2822 ホルモンの嵐→思春期と妊娠・出産期→これは女性の場合の分裂病好発期 ドーパミンが、プロラクチン阻害因子であること 2823 すりこみ 刷り込み時期に、子に刷り込みが起こり、同時に、母親に母性愛への点火が起こる。 (刷り込みとホルモンの関係) 同様の点火が思春期に起こる? 最近の事件。シンナー中毒の既往がある青年が、道路で見ず知らずの人を包丁で切りつけた。朝、通学途中の女子高校生を重体にし、幼稚園のバスを待っていた女の子は逃げようとして転んで殺された。それを助けようとした母は重体。犯人が逮捕されたときには背中に包丁が刺さっていたという。 母親は子供を見捨てて逃げることもできただろう。しかしそれをしなかったのはなぜか? 「ソフィの選択」のソフィは、子供を見捨てたことが外傷体験となる。その傷を癒すことができなくて、苦しみ、死に至る。 母性愛のユニットが彼女を許さなかった。内側から苛む声となった。 2824 自分は何をしたいのか。自分はどうなりたいのか。そのイメージを明確に持つこと。くっきりと細部までイメージできるようになること。そうすれば実現に近い。人生を生きるポイントである。 2825 「季節性うつ病」(ローゼンタール)講談社現代新書 精神療法についての比喩 コンピューターソフトにバグ(間違い)があり、繰り返し何度も同じところでエラーが発生する。そうしたエラーを訂正すること。 家の中にいるハエが外に出ようとしてガラスに頭をぶつけている。そこにガラスがあることや、後ろに飛べばドアが開いていて外に出られることなどを知れば、問題は解決する。ただ状況を知ればよいだけである。 神経症者は間違いから学ぶことなく、同じことを何回でも繰り返すといわれる。 フロイトは幼児体験に遡る。(●幼児期の内的欲動の興奮体験。興奮させられても、解消する方法を知らない。) 2826 変な理論 うんちが臭くて足が丈夫な人。なるべく遠くに臭いうんちをするから、自分の領域を広く保つことができる。すると食料を多く確保できて、家族をたくさん養える。 赤ん坊はうんちが臭くない。老人になるにつれて臭さが増す。これは遠くにはいけなくなるが、自分の領域を確実に確保する働きがある。 遠くにうんちを置くには足が速くてかつ我慢できなければならない。下痢気味が続くとよくない。領地をとられてしまう。 老化に伴う変化の中で、進化論的に有利なものがないか? 2827 「1998年精神医学的考察」と題して考える 2828 躁うつ病者の認知は、「ないものをあるとする妄想的な認知」ではなく、「あることはあるが、それほど過大視するのは間違っている」といったような認知である。ないものがあるとするのはひどい間違いであるが、あるものを過大に評価するのはマイルドな間違いである。 これは注意のスポットライトの当て方の問題ではないか。 「ないものをあると認知する」のは、結局、「自身の内面にあるものを外部にあると誤認する」ことだろう。言い方を替えただけとも見えるが、かなり違うように思える。 2829 人を愛することはどのようにして報われて、ポジティブ・フィードバックのループが形成されるのか。報酬系は何か。考えてみる必要がある。 愛がなくなっているのは、報われず、強化されないからだと思う。 報われない愛を救済するために、神の愛が役立つと思う。人のためと神のためと自分のためとの三者が一致する地点では幸福である。 2830 ギブアンドテイク 境界例 子供がそのまま大人になった(あるいは不適切で大幅な退行状態) 自分の命、自傷他害を武器にして、親が示すのと同程度の関心を引き出す。 境界例は、衝動性が高く感情制御が悪いという特徴がある一方で、他人にあれこれ無理な要求をするという印象がある。「無理な要求」というのは、大人だったら普通であるギブアンドテイクの原則を逸脱して、まるで乳幼児が親に何かを要求するような態度である。乳幼児と親は特にギブアンドテイクというわけではない。それをそのまま大人になってもやっている印象である。これは生育不全というべきか、極度の深い退行というべきか、両方の要素があると思うが、やはり退行がひどいのではないかと思う。 普通ならばそのようなおかしな要求には誰も応じないものである。ところが、彼らは命や自傷他害を武器して周囲に要求をのむように迫る。周囲の人の中には優しい人がいて、「親のように」ギブアンドテイクではない関係に入り込む人がいるものである。そのときに境界型人格障害的人間関係が成立する。一方的に要求して、一方的に利益をかすめ取る。 愛情という利益をかすめ取られた人がきっぱり絶縁してしまえば、それで終わりである。しかし絶縁できずに続けてしまう。境界例の女性に対して、あくまで優しい夫がいるものである。また、衝動的で感情統制の悪い娘に対して、なされるがままの母親がいるものである。 その場合、普通ではギブアンドテイクになっていないけれど、実はギブアンドテイクになっているという深い事情があるのではないか?だからこそ境界例は存在していけるのだと思う。 ギブアンドテイクよりは、親と乳幼児の関係に近い。親が乳幼児の要求を聞き入れて自分達も楽しんでいるのには理由がある。それと同じような何かがあるのではないか。 2831 うつ状態の進化論的な意味 不適応のサイン 異質の遺伝子の導入を促す仕組みの仮説(適応状態と免疫システムと精子製造細胞とが連動して働く) 適応の仕方を変えてみる柔軟性が求められている。死ぬことが求められているのではない。それは過去の社会の話である。現代では、知識や経験の蓄積は大いに価値がある。 自己保存本能、種保存本能、集団性本能の衰退→つまり死ぬということ。 生殖年齢を過ぎてからの発症……「もう要らない」という集団からの通告 不適応な個体は集団のお荷物になる。そこで排除の圧力が働けば「好都合」である。(集団の生存可能性としては) →ではそれに抗して生きる理由を持つためにはどうするか?存在の理由、価値がある、必要とされている、みんなのためになる、そこが信じられればいい。→しかしそこに妄想的で訂正不能の思考が入りこんでいる? 不適応遺伝子の排除は集団のシステムとして確保しておかなくてはならないだろう。そうでなければ、その集団は衰退する。 しかしそれは過去のことであって、これから先の人類がどのように選択するかは、我々の自由である。「自然のままに」することが最良であるとは限らない。 2832 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ●日本語の推敲が不充分である。誤植や校正ミスと思われる部分がいくつもある。 ●恋愛転移が当然のコースのように書いているが、これはどうだろうか?治療者の中に内在する欲望を読みとって患者がサービスしている面があるのではないか? ●たとえば症例で、どうしようもなくなり閉鎖病棟に移ってもらったところ、医者は何も分かっていないといいながら、退院してから後は仕事に就いている例があった。これなどは、理解されるかどうかではなく、社会復帰に役立ったかどうかでみるならば、閉鎖病棟の無理解な医者が有用だったということになるだろう。(治療の全体の経過というものがあるから、このように単純化するのは危険ではあるけれども。) ・フロイトの時代は欲望の抑圧の時代であった。現代は欲望の発散の時代である。 ●フロイトの時代には強すぎる抑圧があり、それに拮抗して強すぎる欲望があり、症状を形成していた。そこで抑圧されている欲望の内容を意識化することで症状を消した。抑圧を解除して欲望を満足させてしまうのは社会的に容認されないとなれば、欲望を意識化するという解決はとてもスマートであった。 現代は抑圧が少なすぎる。従って、自分の内部の欲望をコントロールする方法を学ぶ必要がある。しかし現代の消費社会は、欲望をあおり立てる。そして火をつけられた欲望を冷ますには、金がかかる。広告があおり立てる欲望をコントロールするとしても、広告産業はさらにどぎつく欲望を刺激する。それが商売だからだ。プロの技で欲望を刺激されれば、制御の弱い人たちはひとたまりもない。カード地獄に陥る。借金を返済しようとして、人生をだいなしにしてゆく。 しかし結局は、そうした「欲望をあおり立てるもの」に抗するように、欲望制御を学ばなければならない。非常に困難であるだろうけれど。このような「学習」はいかにして可能であるか。難問である。 嗜癖の問題はこうしたことの線上にある。境界例の場合も同じ。対人関係嗜癖と捉えて、どのようにして自分の内部の欲望や感情を制御できるか考える。 しかしある程度は生物学的に規定されているものだろうと思う。 2833 テレビでひとくち知識 不眠症。交感神経と副交感神経のバランスが悪い。交感神経は太陽、副交感神経は月、昼と夜にそれぞれ優位になる。夜になっても緊張してぐっすり眠れないという人は交感神経優位の状態が夜になっても続いている。交感神経から副交感神経への交代がうまくいっていない。 背景にはストレスがある。持続的ストレスがあると、交感神経の興奮がいつまでも続いてしまう。 ラベンダーは副交感神経を優位にする。休息のためによい。 ローズマリーは交感神経を優位にする。集中力を高める。 持続的交感神経興奮状態。ストレスの実態をこの面から考える。 2834 SSTでは、受信→処理→発信モデルを使う。 認知療法では、出来事→認知→反応モデルを使う。 類似している? 脳は、感覚神経→中枢で処理→運動神経となっている。だからこの類型が繰り返し登場するのではないか。 認知療法の「出来事→認知→反応」モデルはやや次元が異なるかもしれない。「出来事→認知スキーマまたは自動思考→認知発生」と、ここまでで感覚が成立し、このあと、中枢処理と運動神経による反応が続く、と考えた方がよいのだろうか。 どこまでが中枢処理化については、区別はない。次第に高次の処理になるというだけで、連続している。だから中枢処理というのも正しくないと思う。 感覚から始まり、認知になり、高度の処理になり、意志発動になり、運動神経に至る。関係する神経細胞のそれぞれが、独自の処理をしているのである。 2835 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・生産社会から消費社会へ。(ボードリヤール) ・物そのものよりも、物についての情報を交換する社会。 ・消費社会、情報社会において、人の内面はどのように扱われるか。生き方や価値観を記号的情報にすることは難しいだろう。そこで内面は疎外される。 ●内面が疎外されることの原因をここに求めるのは間違いではないか。対人関係のあり方に影響を及ぼしているのは何かと考えたい。対話的関係を阻害しているものは何か。 ただ昔は内面が大切にされていたのに、現代は内面が疎外されているというなら、間違いであろう。昔は昔で、現代は現代で、問題があるのだと思う。 ・地位、学歴、要望、ファッションなどの表面的な価値は情報になりやすい。 ・情報社会、消費社会は人の欲望をかき立てる社会。人は欲望のコントロールを失うようにしむけられる。 ●ここでは大衆の欲望を操作する側と、操作される側とに分かれるのではないか。そしてさらに、欲望を操作する会社に属している人間が、家に帰って、操作される大衆の一員になる。勿論、家に帰らなくてもどこにいても操作される大衆の一人である。 ・リースマン「孤独な群衆」で、伝統志向型人間、ジャイロスコピックな人間(個人主義、生産主体の人間、資本主義を生み出した)、レーダー人間(情報収集にたけている)と分類している。 ・価値観の混沌。価値観を持たないまま、情報収集にのみ能力を発揮する。一人おかれると自らの人生を楽しむ能力がない。孤独に弱い。一人になると情報のないレーダーになる。 ・情報の交換が行われている機械に過ぎない。本当の喜びはそこにはない。 ●本当の喜びとは?幻想ではないか?あるいは人と人との真性の交わり。 ●レーダー人間というのは、現在でいえば、情報末端たとえば「ザウルス」のようなものである。パソコンでもいい。 2836 昔の物語は精神病は少なかった。障害は外部にあった。たとえば愛ゼンカツラ。 今は障害は精神の内部にある。トラウマがいかに癒されるかという物語と、愛の物語が交錯する。男と女が愛し合うということの中に、心的外傷の癒しが混入する。そこでは純粋な愛ではなく、別の何かが混入しているのである。 2837 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・意味や価値が空洞化し、人格の外枠しか身につけていない。 ・見かけの自由はありあまるほどあり、その自由の裏側に消費熱あるいは欲望を操る隠れた意図がある。我々はその見えざる手に支配されている。 ・自分なりの価値観をつくることから限りなく逃げようとする時代。 ・この中心のない人間こそ、境界性人格障害である。人格に核がなく、人に依存し、親密さを求めるのだが、それが得られないとなると一挙に退行し症状を呈する。 ・現代社会には枠が乏しくかつ不安定である。境界性人格を作り出すとともに、境界性人格に適した社会である。 ●衝動性人格障害、不安定型人格障害などと明示すれば利益があると思われる。 ・成熟を放棄し逃避するのが境界性人格。 2838 出生前の遺伝子診断でダウン症が分かる。この技術をどう利用するか。新聞で。 また一方では、幼児期の教育過熱についての記事。親の喜ぶ顔が見たいからと頑張る子供もいるらしい。 「命の選別」といった言葉で表現される。しかしそれを言うなら、配偶者を選択するときにすでに選別は始まっている。血縁関係に遺伝しそうな病気の人はいないかなど、調査するとしたら、それは「命の選別」を前提にしているのではないか。 しかしまた一方で、ダウン症が診断されたとして、どうするかという問題は残る。どうすればいいのだろうか?クールな選別がいいように思うが、しかしどこで線を引くかという問題がある。例えば、女の子なら「要らない」との考えはどうか?「要らない」という言葉で表現されるような心理があるとすれば、それは過剰な選別かも知れないのだ。 難しい問題である。しかしながら、こうした問題は、倫理観と実利の対立である。時間が経てば確実に、倫理は後退して、あるいは倫理は変容して、実利に従うようになるだろう。 無条件に尊重されるべき命が、親の都合で選別される。それでいいのか?この延長上には、カトリックの考えがあるだろう。 だとすれば、フェミニズムの発言の中に、有力な反論が含まれているだろう。 選別の原理を拡大すれば、「自分に都合の悪い存在は消去してもよい」とすることになってしまう。しかしこのような「拡大」は意味があることなのか?一部の論理を過剰に拡大して、そのことに意味があるとも思えない。 2839 大江健三郎が新聞で書いた、「人を殺してはいけないのはなぜなのかとの子供の発言の中に大いに問題がある」とする文章に、また一人、新聞紙上で文章を発信している。灰谷も書いていた。大江が非難されている。 大江は障害者の中に、弱いものの中に、無垢の子供の中に、真に大切なものがあるとする論者の代表であったから、年末の新聞のような発言は、「仲間」から見れば非難に値するものであろう。 しかし、個人的にいうとすれば、現代日本の子供たちは明らかに一つの曲がり角を曲がったように思うのだ。 「なぜ人を殺してはいけないか」などという問いは、実際はドストエフスキー的な哲学的な問いである。そのレベルでなら、問いかけにも深い意味がある。しかし、そうしたレベルに達していない子供が、何を考えてテレビで発言したかが問題である。 殺人を禁じる根拠についての深い哲学的問いと、人を殺してはいけない、傷つけてはいけない、仲良くしたいとする、自然な生活感情を問い直す態度との間には大きな隔たりがあるのではないか? 2840 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・DSM4での9つの診断基準 マスターソンは「見捨てられ感」が中心と考えている。カーンバーグは理想化と脱理想化を揺れ動く、不安定で激しい対人関係、つまりスプリッティングに関係した項目が中心と考えている。 その他の多くの人たちは、衝動的、自殺のそぶり、感情の激しい変動、強い怒り、強い愛情飢餓、をあげている。 ・ICD10では、不安定人格障害。下位分類に衝動型とボーダーライン型。ボーダーライン型は、自己同一性の障害、慢性的虚無感、見捨てられ感、自殺の危険、自傷行為が見られ、DSMでいうボーダーラインに近い。 ・ストーン。診断基準の中に、人格傾向ではなく、症状と見なすべきものが入っている。不安定な対人関係、不適切な怒り、気分の変動性など。この点からは、人格障害というよりは症候群と考えた方がよい。 ・「発症」というニュアンスが強い。 ・治療は自然成熟を待つ。やや軽うつ状態で治っていく。 ・神経症者を治すには最終的には性格の問題にぶつかる。 ・スターンの指摘。深刻な自己愛的病理を持っている。現実感覚が弱いので、ストレスにあうといとも容易に適応能力を失う。 ●現実感覚が弱いとは。現実検討に問題がある。これは自分の内面のことを外部のことと区別できなくなっている状態。情報の帰属を間違う。内部と外部の区別ができない。しかし、それにしてもなぜそのようなことが起こるのか?→情報不足がそのような結果を招く?少なすぎる情報で何かを推定しなければならないとしたら、過度の推定が生じ、それを訂正するプロセスを持たない。 結局、「情報が不足し」、「訂正のプロセスが欠如している」と考えればよいのではないか。情報の不足については、内的情報遮断が起きている。内的情報遮断と訂正プロセス欠如とは分裂病の病理であると思う。 ●過度の傷つき易さ。 ・カーンバーグの説。すべての患者は、性格構造として、精神病的構造と神経症的構造、その中間の境界性パーソナリティ構造の三つのうつのいずれかを持っている。 境界性パーソナリティ構造は、アイデンティティが損なわれている、原始的防衛機制特にスプリッティング、現実見当識の保持、が特徴である。 神経症的構造では、アイデンティティは保持、防衛機制は抑圧が主体。 精神病的構造では、現実検討能力が失われている。 アイデンティティ  防衛機制    現実検討 神経症的 ○ 抑圧 ボーダーライン × 原始的 ○ 精神病的 × × ・自我の弱さとは、不安に耐える力が弱いということ。 ●なるほど、このように定義して考えるのがよいかも知れない。自我といっても結局何のことか、よく分からないのだから。 2841 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・カーンバーグのスプリッティングは、クラインに由来している。パラノイド・ポジションの主たる防衛メカニズムであり、つまり分裂病の主たる防衛メカニズムと考えている。自我の対象の状態が、良いと悪いとにスプリッティングすることは、良いと悪いが共に混在することによる、当人の不安を防衛する働きがある。これによって自我が混沌となることを防ぎ、自我の体験を整理するのを助ける。 ●「良いと悪いが混在すると不安が高まる」これは、たとえば父からの性的虐待を受けたときの子供の心理である。いっそのこと all bad であれば、不安も少ない。(恐怖は大きいだろうが) ●こう書くと、不安が内部発生のものであることが分かる気がする? ・しかしこの意味では、スプリッティングは分裂病のメカニズムである。 ●分離(解離)することと、投影することの混合。「投影すること」に精神病性のメカニズムがある。 スプリッティング=解離+投影 解離は解離性障害 投影は分裂病性障害 と公式化してもよいかも知れない。 ・大人の仮面をかぶった3、4歳の子供というイメージが強い。その表面の大人の部分と多くの子供の部分をどう統合するかが主たる問題である。 ●このイメージは、「ヒステリーは全般的に子供に帰る。ボーダーラインは部分的に子供に帰るが、他の部分は成熟した大人である」という考えに一致する。全般性低下と、部分的低下の差と考えて良い。 ・衝動制御、感情制御、うつ気分の改善、自立心育成などが治療の主目的である。 ・BPOの人も、抑圧を使っている。原始的メカニズムと神経症的メカニズムの両方を使っている。 ・他人への幼児的接し方。自分の依存心が満足されない場合には、大変な強い反応が見られる。他人と対等な人間関係が結べない。 ●このあたり。母親でもない人に、母親ほどの巨大な愛情を要求している。 ・ガンダーソンは理想化、投影性同一視などを批判。過小評価は見られるとした。 ・自己嫌悪、自虐性、マゾヒズムはうつ病よりもBPDで強い。 ・BPDの自殺をそぶりと考えてはいけない。操作的でない自殺も混合している。 ・安定した一貫性のある自己感が障害を受けるのがBPDにとって中心的な問題であるとガンダーソンは考える。 ●MPDの像に近くなる。 ・一見表面的には明るくて、虚無感など持っていないかのように思われる。しかし空しさに悩んでいる。 ・能力の割には達成は低い。 ・研究が進むに連れて、衝動性、怒り、対人関係の障害あたりにまとまりつつある。 ・境界性分裂病のグループは分裂病型人格障害。感情病圏にやや寄ったのがボーダーライン(スピッツァー)。スピッツァーの考えは、カーンバーグ、マスターソンよりは、グリンカー、ガンダーソンを大幅に取り入れている。 2842 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・見捨てられ感について ・二十歳以上のBPDの方が見捨てられ感が強い。これは二次的「見捨てられ感」が混入しているから。成人後の多くの要因が絡んで生じる。つまり成人後に実際に見捨てられる体験をする。 ・マスターソンはマーラーの考えを踏襲している。15〜22ヶ月までの乳幼児の再接近期に、母親の適切な個性化、分離化の励ましと愛情がないと、独特の傷つきやすさを有し、見捨てられうつを体験する。それが外傷体験となり、発達過程に障害を残し、全体的発達を抑制し、思春期に至って見捨てられ体験に近い体験をすると一挙に退行して、再接近期の見捨てられ感が再び大きくその患者の心に生じる。 ・アメリカのデータによれば、BPDを外傷後症候群と考えることも可能な状況である。 ・BPDの親にBPDが多いのではないか。彼らは子供に対して衝動的で不安定なため。 ・母子と父子で分離体験の差はないとする報告が多い。 ●母子と父子では重みが違うように直感するが? ・日本では虐待は少なく、性的虐待はさらに少ない。→むしろ過保護という虐待を考える必要があるだろう。遅すぎる分離・個体化。母子共生。 ・同一性障害主体型のBPDには見捨てられ感のテーマは少ない。 ・男女の治療者が父親、母親の役割を持ち、共同して治療にあたる方が患者にも治療者にも余裕を与える。一方の治療者に対する転移を話すことで客観化するとこができる。 ●「治療者に対して患者が性的欲求を持つ」と解釈している。まあ、これは理論通りだからいいのだろうけど、こんなことを言われたら、普通の患者は離れてしまうだろう。それでも離れないのは、なんとなく治療者と患者が、同じ体質を持っていて、演技的に診察場面を過ごしているような印象を受ける。 治療者がエロスで対応しているから、そのことを患者が感じ取って、エロスで返している面がないか?テニスのボールを最初に打っているのは、ひょっとすれば治療者の側である。自然の心の動きということもあるし、理論がそのように教えているという要因もある。 このような症例報告を読むと、「町沢さんに?」という印象を受けるのだ。 恋愛転移を起こさせるような面接をして、こじらせているだけではないのか? ・自己愛性人格障害を合併する人は多い。幼児的万能感が傷つき続けると、他者からの評価過敏から見捨てられ感が生じる。 ●幼児的万能感が傷つけられる。これが自己愛人格障害の中核かも知れない。 ●自己評価が高いと、自己愛的になり、自己評価が低いと境界例的になると言えるか? ・「見捨てられ感」よりも、「強い分離不安」、ないし「自立心の弱さ」と表現した方がよい。見捨てられ感は分離不安や依存心のあらわれに過ぎない。 2843 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・下位分類の提案。 自己の構造の障害を思わせる、分裂病圏寄りの自己脆弱性優位型。 絶望感、無力感、孤独感といった感情病圏寄りの症状を主に訴える抑うつ気分優位型。 ・自己脆弱性優位型は、自己の感覚が不安定であり、それを補強する。支持的。抗精神病薬。 ・抑うつ気分優位型は、感情コントロールが主たる治療。情緒の言語化を促し、それによって単に気分に流されるのではなく、自分の直面するストレスを明らかにし、その対応を共に検討する。そうするプロセスで感情の言語表現によって、できるだけ自己をコントロールすることを学び直し、欲求不満耐性を強くすることが心理療法で求められる。抗うつ薬。ときにリチウム。 2844 援助交際についての説得がそもそもかみ合わないわけ 説教が、マウンティングになってしまっているからだ。 「優位を示して相手をやっつけるゲーム」としてしか感じていない。だから、共感のないあの言葉「誰にも迷惑かけていないじゃない」も出てくる。 他人にこんなに心配をかけて申し訳ないと思わないのか? まじめに顔で説得しているこの人はどういう気持ちなのだろうかと考えないのか?この人と同じ土俵に登ってあげようという優しさがないのか?どうしてただ拒絶の言葉を吐くだけなのか? この人は自分の人生を心配してくれているのだとなぜ伝わらないのか?なぜそれさえも拒絶するのか? 「いいような顔をしてきれいな言葉で言ってるけど、本当はあんたも私たちを買いたいんでしょう?」などとひねくれて思うのだろうか? 対話的関係がない。共感的関係がない。女子高生は相手を思いやる気持ちがない。だから拒絶があるだけ。 これは親と対するときと同じ態度である。ギブアンドテイクではない関係である。親は一方的に関心を持続していてくれる。それを前提にして、子供は自分の利益を最大にしようとゲームを始める。 それと同じパターンで、他人にも接している。「自分は子供だから」という地点から発言している。 子供だと思わなければ、「何をしても勝手だ」と言われるまでもない。勝手である。あとは法律があるだけだろう。子供だと思うから「教育的に」接したいと思う。すると、「勝手でしょう、余計なおせっかいだ」とくる。言葉では子供ではない次元で語っている。しかし相手の善意をそのように踏みにじって、なお許されるのは子供だけである。その点では子供の場所を確保している。 子供の場所を確保しながら、大人の言葉を吐いてみせているのだ。卑怯な態度である。 2845 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・治療 ・転移の扱いがキーポイント。 ・行動化に対して限界設定。 ・治療目標を意識化させること。何度も再確認する。 ・衝動性が激しい時期……限界設定、行動療法。衝動コントロール 落ち着いたら……支持療法 さらに進んで……認知行動療法 内省できるようになったら……力動精神療法 ・「もう一人の自分がいる。悪い自分、それが出てきそうで恐い」 ●このようなMPDのような訴えは、どう聞いたらよいものか。 ・家族について ・境界性人格障害の衝動性、あるいは自我の脆弱性は家庭そのものの混沌、あるいは親そのものの混沌ときわめてよく対応しているように思われる。 ●つまり、混沌を取り入れて(introject)内面が混沌になった。 ・成熟が停止したというよりは、思春期に至り強いストレスが加わり、分離不安のレベルにまで退行し、したがって急速に症状を呈するように思われた。それは人格障害というよりも、DSMの第一軸に属する精神障害が「発病した」というニュアンスに近いものであった。 ・まとめてみると、境界性人格障害の中核は、感情と行動の調節障害と同一性障害であり、さらに感情障害の中核は分離不安を中心とする見捨てられ感である。脆弱性としては、多彩な精神障害の遺伝負因と、劣悪な家庭環境や親子分離を有している。多くは思春期のストレスによって「発症」することが多いと考えている。 2846 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・自分を悪く考えてしまう傾向、対人過敏と対人依存、強迫的思考の三者が、精神疾患にかかりやすい人の認知パターンである。 ●かかりやすい人というべきか、かかった人のその後というべきか。 ・BPDとうつ病を判別する項目。「わたしがいない方が家族はうまくやって行くだろう」「自分が他人に必要とされている人間とは感じない」「私は人生に立ち向かう力がないと感じている」つまり、見捨てられ感の強い対人関係の障害が中心。 ・ボーダーラインについての町沢の分類‥‥衝動型、抑うつ型、同一性障害型。‥‥衝動型と抑うつ型が日本では多い。抑うつ型は抑うつがとれると衝動的になることが多く、結局、衝動型をボーダーラインの中心と考えて良い。ライヒの衝動的性格が基本ではないか。 ・特徴。衝動的。甘えが強い。自立心に乏しい。過剰な転移。大人の顔をしながら三、四歳の子供のように思える。スキンシップを求める。治療者に「抱いて」などという要求は実に一般的である。 ●治療者がこうした要求に巻き込まれ易いであろうことは容易に分かる。誰がこのような要求に対して上手に対処できるだろうか?心のどこかで、治療をはみ出しているのである。やはりチーム医療にするしかないだろう。 しかしまた、チームというものは容易に倫理的に堕落するものである。だから難しい。 チーム医療は、底の抜けたザルになりやすい。しかしまた一方で、治療者の個人的暴走につきあわざるを得ない患者という立場もまたかわいそうである。暴走と底の抜けたザルと、どちらも最悪である。 チームのよう面と、個人の良い面とをミックスするような仕組みを考えればよいわけだ。 ボーダーラインシフトをもっと工夫して洗練する必要があるだろう。しかしその前提として、個々のスタッフのレベルがもっとあがらないと何もできない。それが日本の精神科医療の現状である。 ・衝動性、感情不安定、愛情飢餓から、すべての症状の説明が付く。 ・日本における過保護は、子供の自立心を奪うという意味において虐待に近い。子供のペット化である。自立心や自己主張を抑えてしまう。成熟停止を起こす。思春期になり抑制できない感情がわき出てきて、境界性人格障害になる。 ・家庭の混乱が激しいと、子供は無理に「仮の自分」をつくってしまう。偽の自分をつくり、一時期しのぐ。 ●このあたりはMPDと同じ考え方。 ●1‥‥抑制系の未発達に由来する、衝動コントロール不良。2‥‥心的外傷に対処するために、解離機制を用い、それが固定する場合。 ボーダーラインはこの二つの要素の混合物であると考えてはどうか。 ・BPDは単独に見られるのではなく、いろいろな人格障害や精神疾患と合併している。演技性、自己愛性、依存性、回避性など。男性なら反社会性も多い。 ●小此木は、「各種人格障害が重症タイプになると境界性人格障害の像を呈する」と提案している。 ・BPDは「感情や衝動のコントロール障害」と捉えられる。加えて、自立できないための愛情飢餓。つまり「未成熟による愛情飢餓」この二つがBPDの二本の柱。 ●成熟とは、孤独でも不安にならないこと。不安耐性の発達。 2847 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・社会の辺縁つまり境界線上に立つ患者は、ときに一般社会に潜む偽善を告発する。社会の仕組みのグロテスクさを表現する。 ●しかしそうしたことは、社会分析から得られるのではない。自分が感じている病的違和感が、見方を変えれば、社会を告発することにつながるというだけのことだろう。 しかし、社会が間違っているとしても、間違うに至るには理由があったのだ。そのことを度外視して、結果だけを批判するというのは未熟というものである。まさにBPD的な未熟さである。子供の語る真実、正義。それは原則的であり、誰も反対はできない。 宗教でいう、原理主義のようなものだ。 現実よりも原理原則を優先する態度である。 しかしこれはただ単に現実把握としても未成熟であるといえる。数少ない原理で現実のどの範囲を説明できるか、試みることは大切である。しかしそれは思考実験というものだ。 原理に現実をあわせることが大切なのではない。 またその場合の原理というものは、本当に人間を幸せにする原理であるか?そうしたことも吟味する必要があるだろう。 ・BPDは「砂漠を一人歩いている恐ろしい孤独」をよく訴える。 ・心の混沌を統合してくれるものを求める。 ・結局、社会の中に入り込めない自分というものに直面せざるを得ず、再び虚無感の中に投げ返されてしまう。 ●町沢は日本語が正しくない。多分、思考が粗雑である。そして言葉が美しくない。真に内的関連を持った言葉のつながりになっていない。言葉と言葉が内的関連を持ってしっかりと結びついていない。 ・BPDは自虐的である。自己愛人格障害になれば、もっと自分が好きで、誇大的意識もある。BPDがよくなれば、自己愛人格障害に近い形になる。これはコフートが指摘している。 ・他人の批判を極度に恐れている。 ・カーンバーグは探索的心理療法。治療初期に起こる患者から治療者への否定的転移の解釈は不可欠。スプリッティングと否認についての解釈と防衛解除が大切という。 ・マスターソンは、ボーダーラインは発達障害ないし停止と考えている。分離・個体化の段階で発達が停止している。したがって母親からの見捨てられ感が強い。分離・個体化の段階から、もう一度自我の再構成を行うべきだと考えている。 ・アードラーは、ボーダーラインの問題は葛藤ではなくて欠損だとした。つまり自分が愛されているというイメージが乏しいか、または欠損していると考えた。治療には、安定したホールディング(抱え込み)が重要であり、彼らのよい自己イメージを作り上げ、慰めることが重要。原則的には支持的、後に探索的。 ・ガンダーソンは葛藤の問題であると同時に、欠損の問題であるとした。治療は支持と同時に解釈的。治療は、 1 治療の安定枠や構造。 2 治療者の強い役割 3 否定的転移への忍耐力の確保 4 患者の現在の行動と感情の関係を作り上げる。 5 自己破壊的行動を不快なものとし、自我異和感として排除する。 6 行動化を阻止する。 7 「今ここで」に焦点づけた明確化と解釈が重要である。 8 逆転移に十分な注意を向けること。 治療者の人格と患者の人格がうまくマッチするかどうかが、治療のポイント。 2848 症状形成・維持に関してはポジティブ・フィードバックができているはずだという推論 パニックアタックにしても、うつ思考回路にしても、何度も繰り返していて、それがだんだん消えていかないのはどうしてかと考えれば、どこかでポジティブ・フィードバック回路が形成されているのだと思う。ネガティブ・フィードバックができていれば、だんだん起こる頻度は少なくなっていくはずではないか。 2849 言葉の網の目を細かくすることはどのようにして可能かと考える。 比喩の意味について考える。 比喩を用いることの前提条件について考える。 たとえば、音楽を聴いたあとで、その感動をどのように伝えられるかと考える。その場合、言葉で表現するということは、ある程度、比喩を用いるということになるだろう。どんな比喩か?その人が、音楽以上に細かい語彙を持っている領域である。 つまり、比喩を用いるとして、自分が非常に細かく精通している分野が最低一つなければならない。そうでなければ、より細かな意味の網の目をかけるわけにはいかないはずだ。 今の若い世代が、あるいは単純に知能の発達の充分でない人が、言葉の網の目を発達させられないでいるのは、まずもって細かい意味の網の目に対応するだけの経験を持たないからではないか? 精通している領域がなければ、どうしようもないではないか? 2850 タイプAまたは執着気質に特徴的な二つの性格 1 上昇志向。内面的実存的価値よりも社会的価値を重んじる。 2 1を実現するために、真面目、几帳面、全エネルギーを注ぎ込む、といった正面攻撃で挑む。 結果として全エネルギーを使い果たす。年をとるに連れて、職責は重くなりより大きなエネルギーを要求され、一方でエネルギーは若いときほどではなくなる。こうした適応の仕方を変えていかないと、いつかは行き止まりになる。持続的交感神経緊張状態の結果、中高年のうつ病が成立する。あるいは心臓病、胃炎などの心身症が成立する。 →ここでMAD理論でうつの形成を説明できる。心臓や胃などについては交感神経そのものの影響として説明できる。 2851 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・いろいろな治療法を学び、自分の人格と自分の持っている雰囲気とに合わせて修正し、自分のものにして、あらゆる治療法がある程度こなせるといった方向が望ましい。 ・カーンバーグにとっては、最初に患者から向けられる否定的転移を解釈し、それをくぐり抜けることによって、やがて力動精神医学的アプローチ、あるいは洞察を目指した治療、あるいは表現的治療が可能になる。最終的には、「よい・悪い」のスプリッティングを統合することが彼の目標である。 ・マスターソン。二歳前後の分離・個体化の時期に母親の愛情が充分来ないために、成熟が停止した。そこで母親に見捨てられていると考えるところにボーダーライン発生の源がある。この見捨てられ感の克服がボーダーラインの治療である。これか「再構築法」。 ・自由は彼らを悪化させることもある。自滅を進めてしまう。 ・自然成熟を待つ力が、患者、家族、治療者に要求される。 支持療法について ・支持療法は、治療者がかなり活発で積極的な働きによって感情の安定化を助けるものであり、社会的機能向上、能力向上、精神分析とは異なり、感情を掘り下げず、自尊心を高め、安心感を高める。 分析は掘り下げるので不安を高める。 ・ロジャーズの心理療法は患者への指示や助言を出さないものであり、あくまでも患者への共感に徹するものである。支持療法は助言や指示がきわめて重要な要素となる。ロジャースの頃に比べて、精神医学的、臨床心理学的知識が積み上げられた結果である。 ・自我が脆弱な人やストレスに弱い人は、自分がどうしてよいか分からず、助言が欲しいと思うのも当然である。これを延々と共感的に聞くだけでは、彼らは一層不安になってしまうだけである。決定する力がない人に対して、決定をじっと待つことは時に残酷である。 ・支持療法は、患者の自我の肩代わりをしてあげる。どのような助言や選択が望ましいか、またタイミングはどうか、センスが要求される。 ●結局、広義の常識が必要である。 ・自尊心を保証し高めること。必要に応じて直接介入すること。つまり、示唆、助言、指示、誘導。 ・Bの人は一見自尊心は高いように高飛車に出ることが多いが、よく聞くと実に劣等感が強い。彼らがおかれている社会的な立場は、現実にたいてい低いからである。話を共感的に聞いて、やがて出てくる自尊心の低さを守ってあげる。そしてひとまず荒れた感情の静まりを待つ。 力動精神療法 ・無意識を意識化し、自我の管理下におくこと。古典的精神分析の方法。 ・解釈は抑圧されていた欲望と症状の関係を説明すること。 ・自我分析。行動は本能によってのみ決定されるのではなく、自我によっても決定される。生まれた時から自我が働いている。その自我を分析する。人間は能動的存在であり、欲望や環境の奴隷ではない。 ・短期力動精神療法。目標は具体的、患者の一番悪い状態を改善する。解釈は現在の状況に主に向けられる。転移性神経症が生じるのは望ましいものではない。心理療法は治すのではなく、困っている患者が。自分の人生の避けられないストレスに対してよりよく対応できるように社会的学習を助ける。 2852 「ボーダーライン」(町沢静夫)丸善ライブラリー(1997) ・彼らは概して家庭が混乱し、両親の喧嘩が絶えなくても、その頃は「仮の自分」として両親の間をうまく「良い子」として生きていたことが多い。しかしこの「良い子」は、本当の感情、本当の自己主張をしていない自己だけに、思春期、青年期になってきたときに、いろんな衝動に耐えうる十分な、本来的な自己に成熟していないものなのである。そのためにボーダーラインとして発生してくる。 ●日本語が不安定で味が悪い。 ●ACの論と同じ系列。 ●どのように育てば、十分な衝動耐性が身に付くのか、実証はどうなっているのか。「本音でぶつかる」ことがいいことのように書いている。そんなものとも思えない。まあ、いつも仮面でいるよりはずっと健康だろうけれど。 ・彼らが何故に衝動的であり、何故に感情のコントロールがうまくできないのか、何故に愛情飢餓が強いのかというその由来を分析し、突き止め、それをどう埋めていくかを話し合うことが中心になる。 ●話し合ったところで、誰にも何も分からないような気がするけれど。 ●そうした行動様式が自分に損失をもたらすなら、改めればよい。それが利得をもたらすなら、改めることはない。それだけのことのように思う。治療者は、判断の材料を充分に提示することでいいのではないだろうか? 判断は、価値判断であり、それは生きることの選択である。どうなろうとその人の勝手であり、結果を引き受ければよい。ただそれが自傷他害に及ぶ場合には特別の対策が社会として必要だということだろう。 あなたは何をどうすれば、どのような人生を送ることになるか、その見取り図のようなものを提示することだろう。それは治療というよりも、アドバイスである。指示ではない。 価値判断の材料を提示すること。 2853 声の大切さの指摘 テレビでも、ニュースキャスターとして真に人気を確保するためには「声」が大切。安心感を与える声。 これは精神療法でも同じ。昔からよく指摘されることだ。声の調子、抑揚など。これを「営業用」にコントロールすることは大切である。 2854 新聞で。親が嘆く。 家では何もしない。片づけもしないし、風呂にも入りたがらない。躾というものが全くできない。家庭不和があるわけではないし何といって問題もないのに、どうしてこんなことになるのか。 なるほど。「親の顔がみたい」と言いたくなるけれど、親も困っている。どうしていいか分からない。 これは生物学的な変異であろうとおもう。 本当にどうしようもない事態が進行しているのだろう。 2855 知識の三つの源泉について 知的に高等な人々と下等な人々の間では、この三つの源泉の比重が異なるだろう。 2856 日経メディカル1998-1月号「外来での会話術」(飯島克巳)で「解釈モデル」について書いている。 患者との面接で、患者が疾患についてどのような「解釈モデル」を持っているかを探る。 原因と経過、治療、病気がもたらしたもの。なぜあなたがこの病気になったか、失うものは何か、得るものは何か。あなたにとって病気とは何か。特に原因についての解釈。 「解釈モデル」が治療者と患者で異なっている場合、治療に支障のない範囲にまで、教育によって是正する必要があるだろう。 しかし精神病の場合にはこれが難しい。 一つには、患者は病識に欠ける。 病感があったとしても、原因については心因主義に傾きがちである。 従って、薬に不信感を持つことが多い。また、依存性や副作用についての根強い俗説がある。薬よりもアルコールの方がよいと考えている。(参った!) つまり、精神病に関しては、素人と専門家との間で、原因から治療に至るまで、疾病についての解釈モデル、理解のモデルが全く異なっている。 「心の問題だ」という言葉が一体何を意味しているのか。専門家と素人では差が大きい。 だからといって、「素人は仕方がないものだ」では済まない。その素人が悩んで訪れる。強制入院ならばまだ強制的治療の方法もあるが、外来ではそんなわけにもいかない。 そこで悩みは大きくなる。一体どうすればよいものか。 2857 唯物論的宇宙論と日常生活を生きている我々の倫理感覚は矛盾していてもいいか? 世界論、宇宙論については、勿論唯物論である。神がどこかで何かをしているなどとは考えない。 人生をいかに生きるかということに関して言えば、むしろ神のある倫理主義をとる。 この両者は論理的に整合する必要があるのだろうか?たとえば倫理の根拠を求めて、宇宙論との整合性を追求し、最終的には唯物論的宇宙論か、日常生活を生きている我々の倫理感覚か、いずれかを否定するに至るのは、果たして正しいだろうか? 論理を追究すれば、これらは整合すべきである。どちらかを展開していって他方と矛盾するなら、やはり訂正が必要である。 しかし私が思うに、そのような論理はやはり間違っているのではないか。 それはそれ、これはこれだ。それじゃだめかな。 自由意志論についても同じ。哲学は哲学である。 「サイエンス・ニュー・ストーリー」の序文でエックルズが書いていたこと。つまりは現代科学の世界観が未熟なのだという指摘である。それはそうかもしれないが、しかし、そんな世界観が我々の日常を本当に蝕んでいるのだろうか?そうとは思えない。 我々の日常の倫理を蝕んでいるのは何か他のものだろう。そしてそれは何か。 世界観はむしろ結果である。言葉がやや拡張的になるが、症状である。病因ではない。 2858 「心の豊かさ」とか「物質主義でないもの」「物質の豊かさだけでは充たされない」という言葉で人は何を指し示そうとしているのだろう。 謎解きをするならば、結局は満足は脳内の状態に過ぎない。脳内麻薬物質か何か、そのようなものが、「心の豊かさ」の実体である。そしてそれを作り出すことが現状では薬剤では難しいから、どのような操作によればいいかということになる。 そのように言ってしまっては嫌われる。 「心の豊かさ」とは、私の定義は、「個々の豊かな心が結び合った状態」とでも言おうか。循環的な定義を一部含む。個々の心が豊かであるためには、心がつながっていることが前提である。さらにつながっている心がそれぞれ豊かであることが前提であり、そのような個々の心が成立するためにはつながりが必要である。つまり、「豊かなつながり」と「豊かな心」は同時に成立するだろう。 しかしまた、つながればつながるほど、孤独が深くなるという事情もあるだろう。孤独でもいいからつながるのである。孤独を癒すためにつながるのではない。自分が豊かになるためにつながるのである。 豊かになるということと、空っぽになるということが、同じことなのだから、難しい。「自分」を空にすればするほど、自分は豊かになる。自分の中にいろいろなものを詰めれば詰めるほど、貧しくなる。 真に心に詰めるべきは神だけである。しかし神は留まることがない。風のようである。何もない空間に発生する何か、それが神である。 豊かさとは、そういう事象である。 2859 「認知行動療法の理論と実際」(培風館) ・アメリカでは心理療法は長くても26週(回)以内、一般的には13週(回)以内のものにしか給付金を認めない傾向である。 ・問題行動の根底に無意識の関与を仮定することについての科学的実証性の疑問 ・実証的に検証された事実の上に科学的に構築すべきだ ●言葉が不安定。現在では、Evidence-Basedがいわれる。 ・行動の大部分は学習されたものである。 ・S−R理論は行動主義、S−O−R理論は新行動主義。Oは有機体内部の諸要因。 ・ゲシュタルト心理学の人たちによって認知理論が展開された。認知理論とは、学習というものを知覚体系の体制化あるいは再体制化で説明する。つまり、認知の変容という視点から学習を説明する理論である。 ・不安障害の患者は、まわりの状況を現実以上に危険であると評価し、さらに自分の対処能力を過小評価して、反応している。 ・恐慌性障害の患者は、自分の身体の不調を緊急性のあるものと考え、不安を強める。息切れからは窒息を、胸部の緊張感からは心臓発作を、手足のしびれからは脳血管障害を、めまいからは意識消失を、動機からは死を、非現実感からは狂気を瞬間的に連想して、発作を加速する。 ・否定的側面にばかり目が向くようになる抑うつ状態の場合にも、原因か結果かはまだ明らかにされていない。 ・気持ちが動揺している場合には、他の人の反応を歪曲してとらえる可能性が高くなる。その危険性は特に情報が多い場合に高まってくる。 ・最初に選ぶ主題は、核心的なものよりも、それを扱うことによって患者の自己価値や自己効力感を高め、治療者への信頼感を増すような可能性の高いものにし、その後、核心的な主題に移っていく。 ・注意を他にそらす技法(diversion technique)を身につける。読書、散歩、電話、会話、固いものをかみきる、周囲に関心を向ける。 ・「○○は××である」と考えるのではなく「○○は××という面がある」と考えることが、事象を適切に理解する方法であると伝える。 ・「〜ねばならない」というほどのものはない。せいぜい「〜であってほしい」「あればいいな」という程度のものであることを強調する。かりにそれが果たされなくても、最悪などという事態はそれほど多くは存在しないという思考スタイルに導く。 ●心の中のスポットライトが、狭い部分にだけ当たってしまう。もっと広くみることができれば楽になる。しかしそのような狭いスポットライトがどのようにして成立するのか。 ○絶対的価値志向をやめて、相対的、多面的な観点に導く。 ・一般臨床において、生活習慣病と、ストレス病が主流となった。各患者の心身病態、ライフスタイル、性格傾向、職業・生活環境などを正確に把握した上で、心身両面からの「生活指導」と「歪んだ認知の修正」をする。 2860 寓意の技術 これは大切である。「分かる」ということはこうしたことと関係している。 2861 「グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳) ・ユング派との関連あり。 ・寓意の技術に長けていた。 ・グノーシス主義者は自らについて語ることを好まない。彼らが著作の中でなそうとするのは、数多くの天上的な存在が集う上の世界を想起すること。これらの存在の中心には知られざる神がいる。知ることができ、知ることを望む人間、そうした人間の「知識」が究極の目的とするのは、この神である。 ・地上における魂は、劣った神が創造したこの世界の暗闇に幽閉されている。 ・人間は、暗澹たる苦悶の色に塗り込められたこの世から逃れて、自分自身に回帰し、そうして自分自身を乗り越えて神を見いだす。 ・真のキリスト教徒、啓示の唯一の受託者を自称した。 ・この世は劣った神が創造したもので、キリストが汚れのるつぼである肉体に具現したはずがなく、その肉体の中で苦しんだはずがない。 ・人間の魂を誘惑しようとする詐欺師と非難された。 ・絶対を探求する魂の道程。 ・自らを知り、自らの起源を探求したいという関心。 ・世界は邪悪な勢力の仕掛けた罠の所産である。 ・自らの内面に埋もれている知識(グノーシス)の閃光によって世界から逃れることができる。 ・人はこの賜物(グノーシス)によって神との結合、神と一つになることが許される。 ・汝自身のもとへと立ち帰る。 ・変容させ、彼を神的にする。 ・福音の救済は万人に提供される。ところがグノーシス的宗教は選ばれた者たちだけのための宗教である。人は選択によって知る者(グノーティスコ)となるのではない。知る者は最初から知る者なのである。したがって、少なくとも理論上は、グノーシス主義への改宗なるものは存在しない。 ・自分達だけが、イエスの隠された言葉を受け継ぐと主張した。 ・人間と宇宙と神との関係を論じる夥しい文献。 ・複雑で魅惑的な神話。 ・旧約聖書の神は正義の神ではなく欺瞞の神である。この神は、人間に自らの神的な起源を忘れさせるために運命の重い鎖で人間を縛った。神の神は創造と無縁である。彼は無限の光の中にひとり存在している。 ・世界や被造物に対する軽蔑から、グノーシス派は、超然主義的な道徳に導かれた。結婚や出産の否定にまで至る。 ・絶対かつ究極的知識に対して抱いた憧憬。 ・グノーシス派は旧約聖書を悪の神の作品とし、新約聖書を善と光の神の言葉とみなすために、旧約聖書の神と新約聖書の神が同一であるということを否定している。(カトリック教会は、両者の根底における一致を主張している) ・オフィス……ギリシャ語で蛇。 ・「パナリオン」……ギリシャ語で、医者の持ち歩く「薬箱」。蛇の噛み傷すなわちグノーシス主義者の教えに対する解毒剤。サラミスのエピファニオスの反グノーシスの著作。 ・教義は神についての個人的かつ直接的知識に基づいており、この知識は、教会組織を無用にしてしまうと考えられた。 ・ナグ・ハマディは一部ユング研究所の所蔵になったこともある。 ・彼女を人間の体の中に閉じ込めて、無慈悲な輪廻の鎖に縛り付けることに成功した。物質に囚われた魂を象徴する。この魂を(邪悪な)天使たちの束縛から解放すること。 2862 「グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳) ●神がつくったはずのこの世界が、なぜこのように邪悪で不幸に満ちているのか。なぜ人間はこの不幸を味わわなければならないのか。この問いにどう答えるか。ヨブの問いにどう答えるか。そして病者たちの問いにどう答えるか。ひとつの整合性のある答えが、グノーシスではないかと思うのだ。 ●イエレンステンという作家の「青春」?という作品があり、解説部分にグノーシスについての言及があった。 ・魂を破滅させようとする悪意に満ちた神を想定し、これを旧約聖書の神と同一視した。 ・この世に囚われた魂の救済者。 ●この世に流タクされ(流罪とされ)、肉体に幽閉されている。 ・魂たちを奴隷状態にとどめている邪悪な創造の天使たちから逃れる方法を教える。 ・宇宙に対する神性の絶対的超越。 ・バシレイデスは厭世主義。個人的厭世主義……全ての魂は罪で汚れており、受ける報いは自分の過ちの報いに他ならない。罪を犯さないで苦しむ人を見いだすことは稀である。宇宙的厭世観……唯一にして名付けることのできない神は、この世から無限に遠くにある。神的な源泉から離れるにつれて不完全になる。 ・神は、彼を信ずる者たちを解放するためにこの世に初子を送られた。その名は知性であり、彼こそがキリストである。 ●しかし現在では知性についてもその起源をかろうじて論じることができる。 ●自分の過ちの報いとして苦しみがある。しかし、無垢の幼子がなぜ苦しまなければならないのか?こうドストエフスキーは問いかける。この世界をつくった神に抗議する。 ・仮現論。キリストの人格の理解の仕方。キリストの一切の人間的属性を否定する。彼は受肉せず、十字架の上で苦しんだということはあり得ない。彼の神的性質と両立しない。グノーシス主義者は受肉しないキリストを描く。 ・自分をこの世に幽閉しているアルコーンたち(地上の邪悪な天使)から、どのようにして逃れられるか?呪文、魔法の言葉、合い言葉によってだ。 ●こうなると賛成できない。議論の出発点は共感できるが、解決の方向は間違っていると思う。 ・ホロス……ギリシャ語で境界。→境界例に使える。 ・人間を三階級に分ける。霊的な者、心魂的な者、物質的な者、霊は神の閃光であり、これを宿している者はほぼ自動的に救われる。心魂的な者は慈善活動に頼る。物質的な者は望みは全くない。すでに堕落しきっている。 ・救いは自己の探求として理解されている。それは過去と現在を知り、自分自身の運命を認識することだ。 ・地上の人間の状態は悪夢にうなされた一種の重苦しい眠りに等しい。生は悪夢に過ぎない。 ・我々がこれら全ての夢を経て目覚めるまで、それは続く。これらの様々な困惑のまっただ中にいるとき、人は何も分からない。これらは何ものでもないからである。 ・知る者は目覚めた者に似ている。盲の目を開いた者に祝福あれ。 ●不幸の底で苦しむ人々への救済。特に、自らの知力を誇りつつ、しかし世に入れられない者への救済。 たとえば、知力がありながら、自己愛が巨大すぎたり、感情や衝動の制御ができない人たち(つまり自己愛人格障害や境界性人格障害)には適した宗教である。ドストエフスキーもこの系統といえるのではないか。 社会の一角には、必ずこのタイプの人たちがいる。社会に歓迎されない知識人のタイプである。 2863 「グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳) ●生は悪夢に過ぎないというなら、どう生きればよいのか。一刻も早く夢から覚めるのがよいのだろう。しかしそのことは肉体とこの世からの脱出である死を意味するだろうか? ●しかしこれは思弁のレベルのことであって、現実の生活はまた別である。それが人間の通常の仕組みである。認知などというものは、現実生活の一部を精錬して拡大適用したものに過ぎない。知識や論理などというものこそが「あだ花」である。そんなものが過剰に現実生活を縛るようなら、本末転倒である。 ・肉体と性と出産を。屍でしかないこの世との絆として非難する。 ・禁欲の理想、単独者、隠者の姿。 ・神性との直接的な接触を探し求めていた。人と神とを直接に出会わせる知的で純粋な思弁。 ・二元論的な発想。 ・否定神学様式。未知なる神はいかなる方法によっても定義されえないという思想。人間の言語は、神が何でないかを言うだけで満足しなければならない。なぜなら人間の作ったいかなる属性も神にはふさわしくないからである。 ・プロティノスの飽くなき自己の探求。 ・プロティノスにとって、神の認識は長い知的研究の結果もたらされた。他方、グノーシス主義者にとって、この知識は神の啓示に由来し、しかも選ばれたものだけのものである。 ・一者、一つの光を源泉として発し、一者から離れるにつれてほんのわずかずつ劣化してゆく流出である。 ・世界が悪だということ、人間が世界から離脱せねばならず、さらに真の神は未知なる神であって、キリストは彼の使者だと告げる。これが明快で、断固として、執拗に繰り返される教義である。 ・救済はもはや終末まで延期されない。グノーシス主義者は、知識をもたらす啓示を聞くことにより、いますぐにでも救われる。 ・複雑な教えを言葉とイメージと象徴によって伝えている。人間に課せられた大きな実存的諸問題。 ・人間論は宇宙論および神論(神学)と不可分に結びついている。 ・身体は一つの牢獄である。 ・お前が衣のように身につけていた敵はこのようなものである。 ・身体は狭い牢獄である。魂はそこで苦闘し窒息しかかっている。 ・身体は世界の似姿である。世界はおぞましい牢獄であり、人類はその中であたかも迷宮にいるように、道に迷っている。 ・悪は教義の根本的関心の一つである。 ・世界が悪だということは、その創造者も同じく悪だということを意味する。実際、真の神、無限に善なる神が、無限に邪悪なこの世を創造しえただろうか。 ●世界は悪で身体は牢獄であるという。この決め付けは認知療法の良い対象となるだろう。 ・身体はアルコーンたちが人間に着せた忘却の鎖であり、これがアダムを死すべきものとする。 ・アダムに生を与えることは、彼に死を与えることを意味した。 ・大がかりな欺瞞。その目的は人間の誘惑であり、その武器はセクシュアリティである。 2864 「グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳) ・模倣霊。邪悪な力。幻影の能力によって、現実を虚偽に、虚偽を現実に変容させる。自分の無知を知と思い込み、自分をとりまく宇宙の幻影を見抜こうとしない。 ・この幻影は狂気に通じている。 ●幻影が、夢が、現実と奇跡的な一致を果たしている。長い淘汰の歴史が、一致をもたらした。しかし一致というが、完全な一致どころではない。人間が五感により、さらに時間と空間の形式により、抽出した部分での、脳内の幻影と現実との一致である。脳が現実を写し取ったといってもいい。 ・アルコーンたちの陰謀の究極の目的は、人を神から遠ざけることである。 ・次々に生起する時間、そして歴史は、グノーシス主義者にとっていかなる意味も持たない。神は世界を創造しなかった。歴史に神が介入するのは、ただ人間が陥っていた袋小路から彼を連れだし、歴史を粉々に打ち砕き、それがペテンであると暴露するためだけである。 ・魂の堕落の結果は、天の出自の忘却であり、したがって無知であった。魂は物質によって盲目にされ、アダムと同じく、自分の狭い独房しか分からなくなった。 ・彼女は強盗や傲慢な人間の中に迷い込んだ。 ・救済者は霊であり、魂の分身だ。地上のことどもに巻き込まれていない。その役割は魂を知識へと連れてゆくことである。 ・教育の目的は、帰還のときアルコーンたちが尋ねてくる質問に対してどう答えればよいかを教えることだ。 ・私は全てを見るためにやってきた。 ・浄化された霊。 ・人間を構成する三つの属性、身体と魂と霊のうち、霊だけが救済に値する。 ・魂を投げ捨てる。 ・魂と霊は昇華され浄化された愛により結合する。 ・内面的な美、魂がわが身を飾る最上の装飾品。 ・彼らの霊的な性質のゆえに、グノーシス主義者は救われるために善行をする必要がない。同じく、どのような事柄に巻き込まれようとも、彼らが堕落することもありえない。 ・キリスト教徒たちを、知識に到達できない二流の連中として見下すようになった。 ・肉体的人間、心魂的人間、霊的人間の分類では、キリスト教徒は心魂的人間である。彼らは魂を持っているが、霊は持っていない。彼らは知識に直接到達することはできないのである。 ●全体として仏教との類似がある。生老病死や四苦八苦をまず掲げ、その後に救済を説く。「悟る」ことはつまりは高い次元での「知ること」である。 ・マルコスの方法。彼女を惹きつけたいと望むと、彼は歓心をそそるような話を続ける。「私は汝に恩寵を分かち与えたい。……さあ、私の恩寵が汝に下った。口を開け、予言せよ」女性は「今まで予言をしたこともないし、予言の術も分かりません」と答える。しかし彼は呪文で煙に巻きながら、「口を開け、何でもよいから言え、汝は予言するであろう」 この言葉で彼女は愚かしくおごりたかぶり、自分の心が飛び跳ねるのを感じ、意識に浮かんでくるあらゆる愚言を口にし始める。この瞬間から彼女は自分を予言者と思い込み、マルコスに感謝して、何とか彼に報いようと努めるのである。 ●心理家にはこのような一面があることを自戒として明識しておくべきである。 ・キリスト教世界、そしてキリスト教の直系の子孫である近代が闇の中に押し込めてきた部分、ユング心理学の言う影が、グノーシス主義に不可避的に投影されていたのだろう。グノーシス主義はある種の負の聖性を帯びるに至った。 2865 精神科の現状を告発して喜ぶつもりはないけれど、しかし、必要悪がなぜどのようにして行われているか、その認識を共有することは意味があるのではないかと思う。解決はないのだということも、しかし、何か非常に後ろめたいことをしているのだということも、社会が共有すべきだと思う。 この世界にはよいことも悪いこともある。その比率がある。精神病院や老人病院では、その比率が一般社会と違うように思う。 2866 アウトサイダーについての考察 知力は高いのに世の中から評価されず、逆に世の中を恨んでいる。それは性格が影響している。自己愛性性格障害であったり、境界性性格障害であったりするのだろう。ときには世界と人間は悪であると断定してグノーシス主義者のようになったのもする。また、仏教の中にも似たような雰囲気はある。 社会の中核を構成する人々は、何かしら排除の装置も持っている。その排除装置に引っかかると、文学者になったり、宗教者になったり、アウトサイダーとしてアイデンティティが定まることになる。 排除の装置が働くのは、やはり性格要因に対してであろうと思う。また、知的に非常に優秀な人が、人事の都合で、また同僚からの嫉妬が作用して、排除されることもあり、そのような人たちもアウトサイダーとして生きることになる。 2867 3Rプログラム。 薬をのませながら、活動拡大を指導することは、ブレーキをかけながらアクセルを踏むようなものだ。患者さんにはとても苦しいことではないだろうか? 薬が過剰だと、レセプターが増えて、敏感さが増す。これは悪循環になる。 →グラフ化できる。 薬が適量で活動が適量だと、薬の減少とレセプターの減少が相伴って起こる。 薬が過少で、活動が過剰だと、ドーパミンが多すぎて、再発の危険が大きい。 案一 横軸‥‥敏感さ(レセプター量) 縦軸‥‥活動量(ドーパミン量) 案二 横軸‥‥薬 縦軸‥‥活動量(ドーパミン) 3Rは具体的な数字を提示するのが分かりやすい。 独立変数は薬と活動。レセプター量はそれらに伴う従属変数と考えてよい。ということは、薬と活動量を変数として、時間とレセプター量の動きが分かるようなグラフがよい。 2868 3Rプログラムでの薬と活動量の調整の実際 (レセプター)ー(ドーパミン)ー(薬)=適量 (レセプター)ー(薬)=有効レセプター (有効レセプター)ー(ドーパミン)=適量‥‥これが過剰だとdown regulation、過少だとup regulation。 主にダウンレギュレーションを利用してレセプター量を減少させるのが3Rプログラム。 レセプター、ドーパミン、薬は薬が最も独立で、ドーパミンが次、レセプターは従属している。 つまり、薬↑とすると、レセプターは長期には↑、ドーパミンは↓(動きが鈍くなる、億劫になる)。 薬↓とすると、レセプターは長期には↓、ドーパミンは↑(動きやすくなれば↑、しかし恐怖心が起こってきて外に出られないとなればかえって↓) →なるほど、もう少しいろいろな要素を考えあわせて相互の関係を考察する必要がある。あまり単純化しても役立たない。 2869 セレネースは本当にうつにするのだろうか? 体が重くて動きたくない、億劫だ、抑制がかかる、そんなところをうつと言ってよいのだろうか? 本当にうつになるのだろうか?レゼルピンがうつを起こすように。 2870 3Rプログラム 結局、レセプター減少を目指すとすれば、薬と活動の方向は、再発可能性を高める方向と同じである。だから、再発しない範囲で、薬は減らして活動は高めるということになる。その具体的な目安は何かということが課題である。 すぐには何も思いつかない。→「範囲」である。上限と下限。 一方の極は分かりやすい。再発ぎりぎりということだ。不眠がちとなり、過敏になる。 鎮静しすぎの場合にはどうか?これが分かりにくい。 アクセルとブレーキのサンドイッチであるから、ある程度は矛盾している。 サンドイッチにすれば、動揺が少なくなる。動揺をなくして、固定しながら、望ましい方向に向かわせる。そのために薬と活動量をコントロールする。 2871 出産後、授乳をはじめると、プロラクチンが出て、精神的にも安定する。 これはドグマチールの場合に最も近い。そしてハロペリドールの場合にもやはりプロラクチンは上昇している。 プロラクチンが上昇するまでの経路の中で、どこが精神安定に役立っているのか。 2872 なぜ分裂病になったかと問う。つまりは「なぜレセプターが増えてしまったか」と問うことだ。(一応単純化してみる) ここに生育の歴史を振り返る必要が出てくる。レセプターが増えるような生活歴があって、その結果として特有の性格が形成されていたのではないか。 2×8になるとしても、素因と環境の両方の影響を様々な程度で考えることができるわけだ。 例 対人距離の取り方が下手で、不用意に近づきすぎたりする人は、それに懲りて対人距離を遠くとり、結果としてレセプターを増やしてしまうことがある。 この場合には、対人距離の取り方の障害が一次障害で、レセプターは二次的な障害となる。 これとは別に、レセプターが多いことが一次障害である場合もあるだろう。 また例 親が性格の変異を有している場合。子供は環境に対して引きこもることで適応しようとし、結果としてレセプターを増やしてしまう。これも二次性にレセプターが増える。 2873 ベンチャービジネスに関しての日米の違い 若い人がベンチャービジネスに挑み、その結果がだめだったとしても、アメリカではそのチャレンジ精神と経験を評価してもらえる。履歴書にも書いて、それがポジティブに評価される。経験がない人よりは価値があると考えられる。苦い経験もしたのに、再びチャレンジするだけの気力もあると評価される。 勿論、その前提として、失敗の原因分析が大切である。人は失敗から学ぶことができる。 日本ではどちらかといえばネガティブに評価されるという。 2874 「認知行動療法の理論と実際」の中の「摂食障害患者の精神発達と環境」(青木宏之) ・摂食障害には2系列の問題がある。食事行動に関する問題と、心理社会的発達に関する問題。後者は社会的技能、対処行動、問題解決技能。 ・食事行動を改善する過程が同時に心理社会的発達を促進する過程ともなりうるように工夫する。 ・患者家族向けにパンフレットを作り、病状の説明、治療の進め方、家族への助言などを載せている。 ・患者が自分で問題を同定し、方法を考える。主体性が尊重され、治療者との合意、納得が確保される。人間関係における相互性が経験される。→これが患者を育てる。 ・良い面は積極的に評価。寂しいなどの否定的な面も、集団療法において共感され、支持され、安定感が促進される。 ・様々な考え方、対処の仕方があることを体得する。 ・試行錯誤の中で、治療者にも不充分なところがあると知る。現実受容が促進される。 ・問題解決技能。目標をスモール・ステップに分ける。代替方法を考える。 ・食事行動改善を通して、主体性、相互性、積極性、安定性を促進し、多様な見方・やり方があることを経験し、現実受容が促進され、問題解決技能が学習された。つまり、心理社会的成長を促進した。 ●なるほどうまい方法である。 1)問題は二つあるものの、患者は食事行動だけが問題だと認識している。 2)患者の問題意識に合わせて、それを解決していく過程で、もう一つの問題について学習していることになる。患者はそれを最初は意識しないが、次第に理解するようになる。成功体験が患者を変えるという面もある。 3)自主性を重んじ、相互性を守るという点で、療育的である。この点に、「対話的関係」のセンスが見えていると思う。ソクラテス的対話の関係である。産婆役としてかかわる。治療者にそのような「余裕」がなければならない。 4)問題解決技法や社会的技能の開発は、つまりは生き方のコツの伝授のような側面がある。 2875 本当に分かりやすい、親切な説明が必要である。患者に親切になろうと思ったら、そのことがまず第一に必要だと思う。 専門ではないからよく分からない。本を読んでもすぐに分かるわけではない。どの本がいいのかもよく分からない。 すっきりしない状態で生きているのである。そのことを理解しないといけない。医者というものは往々にして共感性に乏しい人が多い。 2876 スタイルまたは様式の問題である。 絵描きはいろいろなものを描いて、とてもその人らしい。スタイルがあるからだ。 現象を分析する、それを表現する、そこに自分なりのスタイルがある。 臨床の場面でも同じである。自分なりのスタイルがあり、それに熟練することだ。絵描きは全てのスタイルを追い求めるのではない。自分だけのスタイルを求めるのだ。 2877 シンボルの過剰の病理 人間はシンボルを操作する。記録して伝達して解釈する。 たとえば紙切れなのにそれは紙幣として流通する。 シンボル操作部分の病理としての面が分裂病にはあるだろう。特にシンボルの解釈の点で、過剰な解釈がなされ、そのせいで自分を苦しめてしまう。 他人の仕草がシンボルとしての働きをするから、分裂病者の苦しみがある。過剰に被害的になる。 過剰相貌化とはシンボルの過剰解釈である。 1998年1月19日(月) 2878 新しい社会現象を新しい精神の傾向の原因として分析してみせる。関係づける。昔からある方法である。 たとえばテレビゲーム。たとえばブランドものを扱った豊かさの精神病理。関係付けの仕方は情緒的、あいまいなもので十分である。 それで一丁あがり。 日本的なものについても伝統的に盛んである。日本人に特有のものとされる二つを取り出して因果関係をつけてみせる。 これでもう一丁あがり。 2879 チンパンジーの様子をテレビで。 道具の使い方などについて大人のやり方を好奇心を持って見ている。自分でいろいろと試してみる。 臨界期があり、それを過ぎると好奇心もなくなり探求心もなくなる。 人間の知能や性格傾向についても、同じことがいえるのではないか。時間が経てば成長が止まってしまう。 2880 たとえば対人緊張の診察で 異性に対しての緊張は異性愛の過剰傾向、同性に対しての緊張は隠された同性愛の傾向と診断するとしたら、どうだろうか? 誰も相手にしないのが常識というものである。しかし診察室では異様な関係が生まれる。そのような公式的あてはめごっこを診察だと誤解している治療者がいて、一方で、そのことをありがたがる患者がいる。時間が経てば、愚かなことであったと思うに違いないのだが。 2881 兵力の逐次投入は愚策である。昔からの公式であるという。 セレネースほかのメジャートランキライザーにおいても同じ。 また、抗生物質についても同じ。 2882 「認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症の認知行動療法」 ・フェアバーンの認知行動療法 1)ストレスは何か。食行動は対処行動である。別の対処行動を発達させる。 2)自動思考の同定と修正 3)スキーマの同定と修正 ・カッツマンらの心理教育的アプローチ 1)ストレスは何か。食行動は対処行動である。別の対処行動を発達させる。 2)過食時の感情・思考の同定と修正 3)人格面での問題点の同定と修正 ・痩せたいなあという気持ちが出てくると、雑誌をみて、(憧れの)宮沢りえもたいになるには、もっと太らないといけないと思うようにしている」と、ボディ・イメージの障害に対する自分なりの対処の方法を考えた。 ・「自分が太っていると思ってしまうのがこの病気の特徴だと思うようにして下さい」と『病気のせいにする』技法を用いてサポートする。 ・病気の情報を十分に提供する ・過食症にならないためには、 1 3回の食事を必ずとる 2 吐かない、下剤乱用しない 3 過食前の自分の様子をよく観察する 4 気晴らしをする ・主張訓練法もよい ・ミラーテクニック‥‥一人でできる主張訓練法 ・結局、1)食生活の乱れを正す。2)性格の問題を是正する。の二点にまとめられる。 2883 分裂病の場合にどのような原則に従ってリハビリを構築するか、そうした基礎的仕事が求められている。 しかし根本的に何が障害されているのかも分からないのだからどうしようもないけれど。 認知療法では、認知がうつの原因ではないと言いながら、認知を是正することによってうつが治る。これで言えば、原因が特定されないままでも、分裂病の場合にも何とかなるかもしれない。 2884 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・脳波はあてにならない。脳波にしたがって薬を増減してはならない。 ・てんかん性格はない。環境によって形成されるものである。医原性および社会心理学的な重圧を与えてきた治療者の責任は重い。 ・ワイツゼッカー(1929)。多くのてんかん患者は、両親と過度な結合が目立つ。思春期に結合の危機に陥り、神経症的加工が始まる。性格変化は、彼らに固有な性質ではなく、彼らに理解を示さない周囲への反応様式である。彼らは几帳面で思慮深く、すべての問題に真剣な義務感をもって取り組む。 ●そう言われてみれば、特有の性格があるのか、自信はない。昔から言われていて、その通りだと信じていたというだけのことであったか。「こころの辞典」にもてんかん性格であれこれ書いた。 ●てんかん性格があるかどうか位、調査すればすぐに分かることだと思うのだが? ・てんかん患者にもっとも多く見られる神経症状態は、ヒステリー反応(疑似発作)である。 ・てんかんにうつは多い。心理的要因から起こると考えられる。非精神病性である。器質因としては、左側頭葉の機能障害、さらには抗てんかん薬の副作用が考えられる。 ・Sは優位半球、躁うつは劣位半球と関連するとの説があり、現在でも支持されている。 ●本当?聞いたことない! 2885 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・全身けいれん時、特にあれこれしなくていい。自然な呼吸を確保する。事故の原因となる危険物を除去すること。自然に目が覚めて、また自然に眠る。 ・抗てんかん薬が発作を誘発することがある。特にレンノックスで。また、離脱発作も起こりうる。離脱発作だと思ったらすぐに薬を元に戻すのではなく、再度の発作が起こるまで自然経過を観察する。 ・治療終結は家族の強い希望があったときだけ。医者の方からやめるといって再発したら、関係が壊れる。 ・五年間発作がなかったら、終結を考える。しかし積極的には勧めない。再発すれば雇用と運転免許を失う。 ・適剤。症候性部分てんかん……CBZ。あとはVPA。 ・血中濃度を治療適範囲内に維持することが適切だと誤解されている。治療経過が大切である。 ・バルプロ酸は血中濃度と治療効果の関連が弱い。 ・CBZやVPAは活性代謝産物を有するので、単剤投与していても厳密には多剤治療である。 ・治療初期の血中濃度は、代謝速度の個体差を把握することに役立つ。 ・バルプロ酸とフェノバールの併用はダメ。 ・テグレトールは自己誘導がある。投与初期には少量で十分な血中濃度に達する。持続投与では代謝速度が亢進し、治療効果が減弱する。 ・ヒダントールD、E、Fは使わない。 ・点頭てんかんの場合、ACTHよりもビタミンB6を試みる。 ・発熱と発疹のときは直ちに連絡。 2886 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・事前に説明されていた副作用は患者と家族の不安は少なく、医師患者関係は維持または強化される。 ・説明がないままに予想外の副作用が出現すれば、医師患者関係は根底から破壊される。 ・すべての薬物を有効濃度に維持すれば、覚醒水準が低下し、発作が増悪する。生活の質を重視する立場から、薬物の限界を設定することが必要である。 ●なるほど。薬ではどうにもならないてんかんがあるという事を専門家は知っているから、限界を設定して、発作と副作用の天秤を考えてQOLを最大にするように考える。 ・精神的緊張と弛緩を比較すれば、弛緩が誘発因子として頻度が高い。覚醒時の全身けいれん発作の好発時間である「くつろぎの午後」も、弛緩に関係する。 ・通常の晩酌は禁止しない。 ・重積に対して、即効性のDZP、遅効性のPHTの両者を静注する。 ・てんかん患者の精神症状の2〜3割は薬の副作用による。多剤を避けて、鎮静催眠作用の強い薬物を回避する。 ・CBZは精神症状を改善、VPAは影響しない、あとの薬剤は悪化させる。とくにバルビタールとベンゾジアゼピンはよくない。 ・妊娠に関しては、フェノバールやヒダントールが安全性が高いと思われる。 ・重症度評価。発作頻度と発作型を手がかりとしていたが、不合理である。頻度が多ければ重症というものではない。複数の発作型を合併する患者も少なくない。 2887 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・生活の質とは、患者の心理的な期待と実質的な体験との差異である。患者の視点による満足感、日常生活の快適さ、生きる喜びなど数値では表現できない主観的指標。希望と自覚。「客観的な生活の質」などという奇妙な用語は、基本理念が理解されていない証拠である。 ・てんかん質問紙の臨床尺度 家族的背景、情緒適応、対人関係適応、職業適応、経済状況、発作の受容、意志・医療との関係、全体的社会心理的機能 ・てんかん患者の治療予後を決定するのは疾患の特性ではなく、治療者の資質である。大多数の患者が最適の治療を受けていると考えることは机上の空論である。 ・てんかん患者に対する社会の偏見には、医師の否定的見解が有害な影響を及ぼしている。 ・処方内容を教えてくれる医師がいい。 ・転院患者の両親には、患児に服薬させることの必要性を確信していたかどうかを質問する。 ・発作を報告すると薬を増やされる。これでは寝てばかりになってしまう。だから適当に調整する。 ・患者は正確な情報を求めている。病気への援助は十分な説明から開始される。しかし病名告知と催奇形性の問題は扱いが難しい。病名告知は高度な医学的判断に属する。催奇形性の説明は「恐怖のカタログ」の呈示になりかねない。 ・治療者の本来のあり方は、疾患に関する正確な知識を提供し、患者が自由に選択できる複数の治療法とその長短を提示すること。最終決定は患者と家族に委ねられる。……この過程での治療者の配慮が、病者への人間愛に基づいたものである限り、封建的権威主義に陥る危険は回避できると考えている。 2888 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・病名告知……患者家族の心性を考慮。否認が強い初期の段階での告知は望ましくない。治療関係を関係を悪くする。告知が、患者家族の治療意欲の増大につながるような状況を作ること。医師患者関係が深化すること。そのために説明する。 ・教育的接近が大切。同時に精神療法的配慮。精神科医がてんかん治療に当たる必然性。 ・過保護と適切な養育は必ずしも明確に区別できず、普通の子と同じように育てて下さいといっても、現実には実行できない。 ・障害児の親は激しい葛藤を経て障害児を受け入れる。障害が重度であるほど、わずかの成長と発達が喜びとして体験される。治療者は障害の正確な特徴を早急に伝えるべきである。 ・あいまいな表現を避け、明瞭な指針を伝える。単なる医学的診断だけではなく、日常生活と教育、福祉、援護措置などについて十分な情報を伝える。 ・てんかんの服薬しばしば不規則である。 ●この上もなく正確と伝え聞いていたのに!見解が異なる。 ・症状が起こらないのに、長期にわたって薬を飲み続けなければならない。これでは服薬が不規則になる。 ・本来消失するはずの発作が抑制されないのは不規則な服薬による。不規則な服薬→慢性化、治癒の遅延、適切な処方が決定できない。 ・外来主治医がある患者は規則的に服薬している比率が高い。 ●こんなにも当たり前のことなのに。 2889 ヤロムの集団における治癒因子 これはたとえば自由を保証したとして、いいことをする自由もあるが強盗殺人の自由もあるといったように、二面性があるのと似ている。 治癒因子はそのまま治癒阻害因子でもある。これは臨床家の実感である。 2890 2×8理論による説明 近年の分裂病の軽症化を説明 昔は、田舎で育って、子供時代を田舎の環境に合わせて適応した。レセプターもそのように調整した。 そんな人が都会に出たりすると、バックグラウンドの刺激が大きい。パンクしやすくなる。つまりドーパミン過剰になりやすくなる。 現代では、田舎も都会もテレビなどの影響で、バックグラウンド刺激が大きくなっている。この場合に思春期になって都会に出たとしても、さほどの変化があるわけではない。 つまり、田舎も騒がしくなって、心配するほどのレセプター過剰にはならないと考えられる。 2891 2×8理論による説明 レセプター量を決める臨界期がどこかにあるのか。 あるいは、レセプター量の可変性、異変性が問題なのか。これがなかなか変化しないような体質だと、あっという間にドーパミン過剰になってしまう。 2892 専門外の人のための精神医学入門 一般知識人のための精神医学入門 まず診断学。疾病分類。何が異常なのか。反応性と内因性と外因性。 社会が許容しないから病気、社会が許容するから正常範囲内、そんなものではない。医学的判断は事例性とは本質的には別である。 2893 「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明) ・運動は脳波を改善させるとの指摘がある。体育を危険視するのも考えもの。水泳が難しい。 ・発作に対しての級友のあざけりは患児の心理に破壊的な悪影響を残す。 ・「発作が多少増えてもいいから、薬を減らして、元気だった頃に戻して下さい」これが生活の質の視点である。 ●そうは言うものの、発作は脳神経細胞を焼き尽くすのではないか。だとすれば、やはり発作を抑えることは患者の利益である。しかしそのことが患者の消極的で非社交的な人生の原因になっているとすれば、問題である。生活の質が低下している。 ・三年発作がなければ、一定の条件下で運転も許可されてよいと考える。しかし現状では絶対欠格である。職業としての運転や大型車両の運転は避けるべきである。治療中止してから三年が経ち、発作がない場合には運転は許可される。 ●自動車免許も難しい。一通り説明して分かってもらうしかない。 ●てんかんであることの宣告は、ガンや分裂病に比較して受け入れやすいと考えるが、実際の状況としてはそうはいかないようである。重大な衝撃となる。だとすれば、病名告知にもっと配慮があってよいはずだろう。この点は反省させられる。 2894 「認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症の認知行動療法」 ミラーテクニック(篠田1989) 一人でできる主張訓練法 独居時に自分に話しかける。 1)その時点の自分の表情、顔色、ムードなどを確認する。 2)復習 その日の対人関係でのやり取りを想起する。相手に対する感情やその時点で言語化できなかったことについて、言語化して鏡の自分に話しかける。‥‥発散効果がある。 3)予習 いつも自己表現しにくい相手に対しての意見、言いたいことを言語化し、鏡の自分に向かって少なくとも五回以上練習する。言語化する際の自分の表情、仕草も選定し、練習する。これらを毎晩就寝前に行うのがよい。 ●なるほど、面白そうである。 2895 「認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症の認知行動療法」 低体重の影響(Garner 1986)‥‥いろいろな症状について低体重が原因だとわかり、治療の動機付けができる。また治療経過中にチェックする。 ・食べ物に対する態度と行動 食べ物のことで頭が一杯になる レシピー、料理本、メニューなどを集める 普通ではない食習慣 コーヒー、紅茶、香辛料などの量が増える 気晴らし食い ・情緒的・社会的変化 うつ状態 不安 イライラ、怒り 情緒不安定 精神病的体験 心理テストでの性格変化 社会からこきこもる ・認知変化 集中力低下 判断力低下 無気力 ・身体変化 不眠 脱力 消化管障害 音・光への過敏 むくみ 低体温・基礎代謝率の低下 知覚異常 性的関心の低下 ●?だって、拒食症は、基礎代謝も亢進して、活動的で‥‥という像ではないか?拒食で体がだるいなんて? 2896 「認知行動療法の理論と実際」の中の野村の論文。 ・基本姿勢は、「気分の背景にどんな考えがあったのか?そこにゆがみはなかったのか?」と共に考えること。 ・自動思考同定のために。「その時、どんな考えが浮かびましたか?」と尋ねる。 ・うつの人‥‥努力と根性で乗り切ろうとする。 ●この点では、将来はうつは少なくなるのではないか?あるいは、執着気質を根底に持つうつは減少するのではないか。逃避型のうつが増えるのではないか。→? ・生活を構造化し、行動を強化する行動療法的治療。→病理が深いときや患者の能力が低い場合に有効。 ・うつの遷延化という場合、慢性化と神経症化を含む。(市橋1987) ・遷延化の要因として、人格構造と状況構造の二つを区別することができる。(曽根ら1987) ・広瀬の逃避型うつ病(1986)。過保護に育ち苦労の経験の少ない、「粘りに欠ける完全主義者」で、出社恐怖を中心とした抑制症状の強いタイプ。 ・遷延性うつ病の性格が通常のうつ病とどう違うのかについての研究がない。分裂気質や回避性、境界性人格障害が遷延化に役割を果たすという見解もある。(山口1987) 2897 中年の心の寓話 1998年1月21日(水) 浦島太郎の話は、中年期の心性を捉えたものではないかと思える。 人生という竜宮城に生きる。中年期は安定しているし、家庭や仕事の局面ではしなければならないことが次々にある。人生を忘れていられる時期である。青年期には異性や仕事の選択の場面で、自分の人生を考える。中年期にはそのような深刻な選択はあまりない。脱サラリーマンをして独立したり、転職したりすればまた青年期のような悩みも蘇るのだろうけれど。また、老年期のように、喪失体験に悩まされることもない。自分の体、知的能力、友人の死、子供の独立、仕事からの引退、社会的役割の変更など、喪失体験が次々に襲う。中年期はその点では比較的安定している。 このような相対的安定に包まれて、あっという間に白髪のおじいちゃんになる。 浦島太郎が玉手箱を開けるときとは、仕事をやめて隠居生活になった瞬間のことだ。 2898 うつの場合に特徴的な自動思考やスキーマが論じられる。 しかしそれらは、うつに特異的というよりも、一般に心の視野狭窄状態を示しているものではないか。 不安が心を覆うと、心の視野狭窄状態になる。 例えていえば、心の中を照らす懐中電灯が弱くなって、本の一部分にしか光が当たらない状態。つまり、注意が狭くなり、いろいろなことを総合して勘案することができなくなっている状態である。 二分割思考でも、選択的描出でも、過度の一般化でも、うつ以外のいろいろな状態にみられると思う。 そしてこのようなことで心がふさがれて、結局はうつ状態になるという経路は理解できる。 しかしそれならば、一般的な不適応思考というだけのことである。そんなことを考えていたのでは、よい適応ができるはずがない。適応が悪ければ不安にもなりうつにもなる。 では、不安が視野狭窄をもたらすのか?視野狭窄が不安をもたらすのか?→両方だと思うが? 視野狭窄は思考障害か?注意の障害か? 一種の退行状態とも見える。見たくない部分があるから、心に覆いをする。結果として視野狭窄になる。 視野狭窄にアナンカスティクがプラスされると華々しいくっきりとした病像となる。 視野狭窄にマニーがプラスされるとこれもくっきりとした像を結ぶ。 一般に、疲労が視野狭窄を誘発する。視野狭窄は、内部に潜んでいたいろいろな病理を露呈させる。 たとえばスプリッティング。外部への投影。→S系の病理。Bも。 アナンカスティクやマニー。→うつや強迫症。 2899 木村敏「うつ病と罪責体験」(1968) かれらの有する強い責任感や義務感の背後にあるのは、自己の責任や義務を敢然と担い通そうとする強力な意志ではなく、またかれらの利他的な同調性の背後にあるものも、真に他人のために他人を愛そうとするような積極的な人間愛ではない。彼らの勤勉さや誠実さを支えている努力は、責任を遂行し周囲の人たちに尽くそうとする努力ではなくて、自己の勤勉さをあくまでも保持しようとし、自己の誠実さを決して失うまいとする努力である。かれらは自らの責任や義務の対象に対して誠実であるのではなくて、責任感、義務感をもっているという自己の態度を保持することに懸命なのである。かれらは他人のために他人に尽くすのではなくて、他人に尽くすという自己のあり方を変更することのないように努力を払うのである。‥‥うつ病者一般を特徴づけている好ましい人物像は、実はポジティブな誠実さの仮面に隠されたネガティブな無力さの表現である(Williams 1984)。 ●日本の第一級の学者がこのようなことを書いている。古いから仕方がないかも知れないが、それにしても、よくない。俗流心理分析そのままではないか。 ●仕事はこうしたことの背後にある構造を抽出することだ。この場合でいえば、例えば、内的規範への硬直化した忠誠。 価値の置き方として、他人よりも、自分の内面。しかしそんなことは当たり前ではないか。他人が大事というような「仮面」をつけていることが特徴。 それを本当に利他的で他人を大事と思っていると考えては間違いだということ。しかしそんなことではあまり精神医学とはいえないだろう。 むしろ問題点は、硬直していることにあると思う。「どのように」硬直したいるかが違うだけで、硬直自体は他の病気でも問題になる。状況に応じて対応することができれば、たいてい問題はないはずである。 ●要するにアナンカスティクということではないだろうか?現実の状況に合わせて変更できないことが病理であると思える。頭の中にある秤が、すこし壊れている。秤の支点が錆びついていて、天秤が動かなくなっている。 ●価値観がずれているということと、柔軟性がなくなっているということとはかなり違う。 2900 SとBの共通点。 幻覚妄想状態とは、つまりは内部状態を外部状態に投影・延長するということだろう。 外界の認知に関して障害があり、主に、内部状態を外部状態と取り違える、この点ではS(分裂病)とB(境界例)は似ている。 2901 金剛出版「抑うつ症候群」広瀬徹也1986 →入手すること 2902 「認知行動療法の理論と実際」 ・ブレンナーの統合心理治療プログラム(TPI)。 認知分化、社会知覚、言語伝達、生活技能、対人問題解決といった五段階について、最初は認知能力を中心に訓練し、徐々に社会的能力に訓練の重点を移行させていく小グループでのプログラム。 ●本があるが、印象は弱い。 ・写真週刊誌やビデオを使う。写真だけを見て、見出しや記事の内容を推定する。ビデオの一場面を見て、人物の関係や事件について語り合う。また、ビデオの途中でそれまでのあらすじをまとめ、その後の展開についての推量を話し合い、続きを見て推量について確かめあう。→個人の高位認知機能の修正を狙う。 ・薬物を持続するよりも、再発前駆症状をとらえて素早く服薬することを学習させることも試みられる。遅発性ジスキネジアが問題であるし、陰性症状や基本的認知障害に対しては薬剤は無効か悪化させることもあると示されていることから。 ・Sの症状を陽性症状、陰性症状、生活技能欠損の三種に分ける。予後予測性が高いのは生活技能欠損。 2903 どんな患者に何をするかを標準化する。検査や治療。その方が患者の満足度も高いのではないだろうか。 素人っぽくなく、プロっぽい印象が大切だ。 2904 「認知行動療法の理論と実際」 自己臭症について ・自己臭妄想には「自己臭の発散→周囲の不快感→周囲からの忌避」という分節構造がある。つまり、心気妄想、加害妄想、関係妄想の側面を有している。 ・相手の言動から自己臭の存在を直感するという関係妄想。 ・周囲の人に害を与えているという加害妄想。 ●しかし、自己臭の存在の確信と、加害妄想とは時間的に同時に成立するのではないか?どちらも原因となり結果となっている。 ●「周囲から忌避されていると妄想する」のも上の事態と同時に成立するだろう。 ・自分の恐怖を不合理とは考えない点で、通常の恐怖症とは異なる。 ・対人場面の回避はひとつのオペラント反応である。 ・勉強に向かったときには対人敏感性が低下し、自己臭体験は弱まった。 ・了解的に把握できる。症状は学習によって形成された。こうした点は行動療法的接近に適している。 2905 結局どのような方法論を獲得するかということだと思う。 2906 「認知行動療法の理論と実際」 アルコール症 ・アルコール症者は問題解決技能が不足している。その根底に認知のゆがみがある。 ・映画をスローモーションで再現するときのように、飲酒前、中、後に考えたことについて明らかにする。 パニック障害 ・DSMではパニックが上位概念で、ICDでは広場恐怖が上位概念である。 ・焦点型認知療法(前半は認知療法、後半は行動療法。) 1)破局的認知を同定する(自動思考) 2)パニック発作に至るシナリオを、患者が明確に理解できるようにする 3)行動実験(例:過呼吸)を行うことにより、患者が破局的認知の誤りに気付き、認知の再構成ができるようにする。 4)回避してきた状況への段階的暴露を行う(行動療法) ・EMD(眼球運動による脱感作法)、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法) ・CAC(Computer-Asisted Counseling)‥‥認知療法には適している。 ・病気そのものと、病気をかかえている個人と、二つの次元に心を配る必要がある。 ・家族の動揺は治療にマイナスである。 ・同情されたくない、安易に頑張れと言ってもらいたくない。 2907 服薬を我慢することがよいことだと考える理由 ・服薬が不規則になる人で、「我慢しなくてはならない」と考えている人がいる。 ●薬を我慢することが、病気の治癒に役立つと信じている人がいるらしい。教育的に接することができるか。病気の成り立ちや、治療の戦略が理解できていない証拠である。しかしながら、解釈モデルが医療の常識と大幅にずれている場合には困る。 ●薬をのむのは自分を甘やかすことで、根性がないことだと思っている?なぜだろう?「我慢しよう」と思うのはなぜか?我慢に何の利益があるだろうか? ●薬なしでやっていけるようになる、それが最終目標だということは分かる。しかし治療の妨げになる。やはり理解が足りないのだ。 ●自助努力をしたいという気持ちは大切である。努力すべきは、薬を我慢することではなく、何であるかを理解していただく。他にやることがあれば変なことはしないのではないか。 ●薬をやめたいという目標を前提にして考える。早く止めるためには今どうすればいいかを指導する。そうすれば腑に落ちるのではないか? 2908 「認知行動療法の理論と実際」 ・あれこれ質問する患者に対して、すべて答えるのではなく、なぜそんなにいろいろ知りたくなってしまうのかという患者の気持ちに焦点を当てて話を聞く。 ●インフォームド・コンセントとはいっても、実際にすべてを話すわけではない。しかし例外的ではあるが、すべてを知ろうとする人がいるし、時には挑戦的な態度で質問を繰り返す人がいる。すべてを適切に答える義務があると前提しているかのようである。 一種の性格障害であり、現在病棟で担当している人の家族は妄想性性格障害(パラノイア)と思われる。医療は手抜きをすると前提しているかのようである。 ・特定の役割を特定の職種に割り振るタイプのチーム医療と、ネットワーク型のチーム医療。 ●なるほど、そのように柔軟に考えてもいいのかも知れない。特に精神科領域で、多様な転移関係を観察し処理するという観点からいえば、ネットワーク型チーム医療は望ましい形である。 ・患者と共に問題を整理する。 ・考え方や受け取り方の極端なところをより現実的なものに変えていく。 ・患者の悲観的な考えをより現実的な考えとバランスをとるために、現実よりも少しだけ楽観的な方に話を進めることの方が多い。 ・患者の抑うつに気付かずに励ましている家族が多いので注意を要する。 2909 ある性格傾向をつくる悪循環 「不安なところを探しているところもあるみたいです」 不安を忘れたい、不安から遠ざかりたいはずなのに、なぜか不安を探して見つけてしまう。なぜか? フィルターと言えば言えるが。 例えば、食事の葉っぱに付いている虫。気にする人は決まって見つける。次第に敏感になり、習慣として固定する。逆に、気にしない人は見つけないから、次第に無頓着になる。これも習慣として固定する。 不安やうつに関しても、背景に悲観的思考などを考えるとして、こうしたメカニズムが作用しているのではないか。 2910 「認知行動療法の理論と実際」 ・「治りますか、本当ですか」といった話になったとき、まずは病気について説明するが、次には「そこに認知の癖が現れている」と指摘し、悲観的な考えを現実的な考えに変えていく。治療動機を高める方向に治療的に利用することができる。 ●つまり、患者の発言には二つの次元の異なる情報が含まれているということになる。 ●心配は現実的ではないというのであれば、妄想的だと言っているのに等しいではないか?現実把握がずれているという点では、妄想的であると指摘しているのに等しい。幅広い、正確な情報を、適切に処理することができなくなっている。悲観的情報を集めるフィルターが働いてしまう。なぜなのか。それが問題である。???? ●「不安なところを探しているところもあるみたいです」不安を忘れたい、不安から遠ざかりたいはずなのに、なぜか不安を探して見つけてしまう。なぜか? フィルターと言えば言えるが。 例えば、食事の葉っぱに付いている虫。気にする人は決まって見つける。次第に敏感になり、習慣として固定する。気にしない人は見つけないから、次第に無頓着になる。これも習慣として固定する。 ・うつ状態の患者は、行動できないことや行動しても楽しめないことで自分を責めることがある。従って、患者には、行動することそれ自体が目標なのではなく、行動を通して患者自身の考えや受け取り方の極端なところを変えていくことが目的なのだと十分に説明する。例えば、予定していた行動が十分にできなくても、できなかったときに頭に浮かんでいた考えについて検討することが大事だと話す。 2911 「認知行動療法の理論と実際」 ・良くなったという答えに対して、明細化する必要がある。抽象的な表現では、具体的な内容がつかめない。表面的な言葉では患者の真意が分からない。 ・スキーマに対して。スキーマ通りにしないとどうなると患者が考えているのか、明らかにする。また、患者の現在の行動の中からスキーマに反する部分を取り出し、それが必ずしも患者が予測するほど悪い結果になっていないことを指摘する。こうした作業を通じて、徐々にスキーマが変化する。 ●精神分析のように、罪悪感を刺激したりや犯人探しのようにならないのがよい。現在に集中する。 ●逆に言えば、精神分析のような因果関係をたどる思考は、患者が納得しやすいのではないか。科学的根拠は薄いとしても、納得はしやすい、精神分析はそんなタイプの思考法だと思う。人間の思考の癖をよくつかまえていると思う。 ●このような手続きでスキーマや自動思考を変化させることができるなら、とても素晴らしいことだ。 ●魔術的なところがなくてすっきりしている。だから物足りないという人と、だから信頼できるという人とがいるのではないか。 2912 患者が使用している思考と感情の「鋳型」を抽出、分析、修正して、治療しようという戦略は、精神分析も認知療法も共通している。「自分では意識していない心の中の鋳型」という点でも共通である。 そうした鋳型は、素因と生育歴の相互作用によって形成される。これも共通。 抽出の方法論に関しては、分析に一日の長があると思われる。 その修正の仕方については方法が異なる。認知療法の方が納得できる。分析は、意識していないものを意識するようになれば、つまり前意識と無意識に属するものを意識に属するものに変更すれば、症状は消えるとする。認知療法は、繰り返し指摘し働きかけることで修正しようとする。 「自分では意識していない心の中の鋳型」を分析しようとして、まさにその鋳型が邪魔になるとしたら?自己分析がパラドックスに陥るとしたら? だからこそ、治療者が必要である。 →問題:そのようなパラドックスを指摘できるか? →予測:そのような自己分析を阻むようなパラドックスが何種類かあり、そのことが何種類かの精神病につながっているのではないか? 1998年1月22日(木) 2913 治療コースとして、何種類か提示し、あなたはどのタイプであるかを診断し、治療を提案するという形にできないか? 患者として納得して医療を受けられる環境づくり。 2914 デカルトのコギトについて。 中学の国語教師は、「吾思う、故に吾在り」と黒板に書いて、人間は深く考えなければならないといった意味のことを言ったように思う。 夏目漱石言う、向上心のない人間は馬鹿だという意味に解釈していたように思う。 とても道徳的な、人間の生きる態度についての教訓として受け止められていた。 デカルトは、心が存在することの証明として述べたのだろうが、このように別の解釈が付与されて流通している。 2915 心の鋳型について ・生育歴のある時点において適応的な行動パターンがあった。それが鋳型として蓄えられる。私の以前の言葉で言えば「行動パターンのユニット」である。 ・アイデンティティユニットといってもよい。たとえばおじいさんとの関係から考えれば、おじいさんに対する孫としての鋳型と、おじいさんを取り入れた鋳型。これらが形成される。 ・それがどんな場面で発揮されればよいかをコントロールする部分がある。不適応とは、不適切な鋳型を用いているときのことである。 ・退行とは、より幼児型の、より古い鋳型を用いることである。 ・鋳型は層状に古いものから新しいものに積み重ねられている。新しいものを使っているときは古いものは不活化されている。 ・鋳型を変える、修正するとは、何かたった一つのものを変形するように聞こえる。そうではなくて、別の鋳型を使うように勧めることである。 ・別の鋳型を引き出す操作として、注意をそらす方法や、自動思考、スキーマの修正がある。修正といっても、別のものに置き換えることである。 ・なぜ不適切な鋳型が選択されてしまうのか?それが問題である。過去にその鋳型が作られて、適応的であった時期との、類似が手がかりになっているはずである。それはフロイトが例としてあげたように、「あごひげ」であるかもしれない(少年ハンス)。 ・心の鋳型説は、精神分析と認知療法の両者の深層の構造を抽出したものである。さらに注意の理論につながる。 ・不適応→退行→ここで偶然うまくいけばよいが、いかなければ更に退行→更に不適応。こうした悪循環が形成される場合がある。 ・もともと鋳型のレパートリーが少なければどうしようもない。 ・学習はいつでもできるのだろうか?覚悟を決めて、現状に適応的なパーソナリティを学習して身につけることも大切ではないか。どのようにすればできるのか? ・退行して子供に帰っているということは、学習可能性が高まっているということを意味するのではないか? 2916 個人の発達段階と、社会の発達段階がたまたま一致した場合、その人は偉人となり天才となる。才能や個性が独立して存在しているのではない。環境、社会との一致が問題である。 具体的には、社会に半歩先んじる、そのようなパーソナリティが有用である。成功するタイプである。 2917 適応の二つのレベル ・いろいろな個体が独自の「鋳型セット」を持ち、世界を生きて、その鋳型セットの適応の程度を実験している。それはちょうど、魚が種々のDNA変異をしていて、環境に対する適応を持続的に実験していることに対応している。少しずつ変化して、環境への適応をより高めるとともに、環境が変化しても追従できるように、いつでも変化しつつある。 ・人間の場合には、DNAが直接試されているというよりは、DNAがセットした脳と分化の全体が試されているといってもよい。それは結局DNAであるが。 ・遺伝子で決定されているのではあるが、ここで実は二段構えになっていて、直接DNAが試されるのではなく、脳の構造が試されている。脳の構造は素因もあるが生育歴の結果でもある。 コンピューターでたとえれば、ハードと、基本ソフトと、それによって蓄積したデータのすべてが、検証される。つまりハードとソフトと記憶媒体の内容と、これらすべてが検証される。勿論、進化の歴史をたどれば、ソフトも記憶内容も、ハードから発生したものではあるのだけれど。 ・ポパーの三世界理論を使える?物質と心と分化。ハードとソフトと記憶内容。 ここで問題は、心とソフトの対応である。怪しい。 ・人間の場合には遺伝子が直接に試されるのではなく、ずるく奥に引っ込んでいる印象である。それを二段階の淘汰システムと表現できるのではないか? 2918 こころとからだの病気に対して積極的ストレスコントロールの提案 皆様こんにちは。この場を借りて、皆様へのメッセージを記させていただきます。 現在、臨床の場ではいわゆる心身症が急増している印象があります。心身症は、心身の不調の原因として心理的要素が関与し、さらに治療の面でも心理面への専門的な配慮を必要とするものであります。 具体的には、心の症状タイプ、身体の症状タイプ、心と身体の両方に悩みが出るタイプ、家族が悩むタイプなどいろいろあります。たとえばパニック症状や、全般性不安症状、いわゆる心身症やライフスタイル病、摂食障害、家庭内暴力やアルコール問題、アダルトチルドレン、幼児虐待まで。さらにはご高齢になって不眠がちになった場合にも、背景にはストレスがあることが多いものです。 心身症の増加の背景としては、現代社会のストレスに我々が対応し切れていないことがあげられます。会社、学校、さらには家庭にいたるまで、人類が今まで経験したことのない、持続性で強度のストレスがわれわれをとりまいているといえましょう。逃げることも休むことも許されず、ストレス解消の手段も考えつかずといった状況です。自分なりのペースが許されることは少なく、社会に自分を合わせるしかないのが実状です。 遠い昔には昔なりにストレスがありましたし、それに適したストレス解消の手段もありました。悩みの聞き役も村にはいたでしょうし、青年期危機の経験を伝える役の人もいたでしょう。その程度のストレスコントロールで適切であったのです。 現代を生きるあなたはどんなストレスに悩み、あなたに適切なストレス発散の手段は何でしょうか。多くの人が適切な指針を得られずに困っています。 当クリニックでは、まずあなたの症状構造とストレス構造を考えます。次に治療目的を明確にし、薬とカウンセリング、その他の療法をどのような割合で用いるのが適切か、ご希望やご都合を伺いながら決定します。本を紹介したり、さまざまなグッズを提案することもできるでしょう。なかでも基本は対話的関係であり、納得して、治癒の希望を持って治療することが大切だと考えています。 以上の方針で、ストレス病に対しての積極的ストレスコントロールを提案させていただきたいと思います。 2919 ・こころの問題 こころの傷を解決できない ストレスケア ゆううつ 不安・イライラ 物忘れ 人の視線が気にかかる うわさ話をされている どうしてか人を傷つけてしまう ・こころとからだの問題 不眠がち 心身症 ライフスタイル病(成人病) 更年期障害 心身不調状態 食欲の問題 アルコールの問題 慢性疲労 パニック 広場恐怖 過呼吸 強迫症状 ひきつけ・てんかん 乗物恐怖 ・家族のこころの問題 幼児虐待 お子様の発達相談 学生のメンタル相談 働き盛りのメンタル相談 痴呆相談 2920 ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー ・逸話の利用についての提案。 ・治療を受けていることが問題だ。自主的な人生を歩めばその方がいい。 ●全体として冗漫。つきあいきれない。 ●翻訳は清水義範のジャック・アンド・ベティみたい。 ●催眠を用いた、名人芸といったところか。ついていけない。全体の雰囲気も、カルトみたい。 2921 「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット) ●買って損した。面白くない。あるいは、面白さが伝わってこない。支離滅裂なお喋りにやや近い。→だんだん面白くなってきたので、取り消し。 ・詩集を顕微鏡で読もうとするのは的外れである。 ・ダーウィン型生物……遺伝子を変化させて適応実験する ・スキナー型生物……行動変異を起こして適応を実験する。強化のプロセス。 ・ポパー型生物……シミュレーションと洞察により、行動選択する。高度の適応が可能になる。 ・グレゴリー型生物……道具を相続して、それにより知性を発達させる。他者の経験を利用することができる。文化を相続する。 ●しかしながら、ポパー型生物の場合、特有の症状が発生することらなるだろう。 シミュレーションの前提として、外部現実を内部現実に写し取るプロセスが必要である。すべてを忠実に再現するのではない。必要な要素だけでよい。しかしそれは途方もないほど大変な作業であり、これこそが奇跡に近い。 内部現実が外部現実のモデルとして不適切な場合。……これは病気としては性格障害になるだろう。 内部現実を調整して、外部現実との一致度を高める機能……これが現実照合機能。これが壊れているのが、? 幻覚妄想状態とは、内部現実と外部現実がずれているのに、内部現実を外部現実と思い込むことである。照合と訂正の機能が働かないからずれてしまう。 外部現実に内部現実が優先している状態という。たとえば笠原の教科書。しかしそうだろうか? 1)内部現実は常に外部現実に優先している。 2)内部と外部が一致しない場合には、結果的に、内部が外部に優先すると見える。 3)一致している場合には、どちらといっても構わない。常識的には、外部を優先していると言う。 4)空想を非現実と認定する。それはまた別の次元の、内部と外部の区別である。空想を現実と認定するのは、……いやこれが妄想か。では一致していない内部現実を外部現実として信じてシミュレーションし、行動するのは何というべきか。現実把握が悪いという言い方になる? ●内部現実と外部現実というモデルでできるだけのことを記述してみること。これは楽しい試みである。 ローレンツの「鏡の背面」の理論。参考になりそう。 ●ポパー型生物……以前の精神病モデルに一致している。記憶部分、現実モデル部分、照合部分と三分して、それぞれの部分に障害があるとき、どのような症状になるのかを論じたもの。リドルの分裂病論ともつながる。各理論の接続はとても良好である。 ●生物が内部に蓄えている世界モデル、それをスキーマと言ってもいいのだろう。拡張しすぎか?認知療法とは、この内部にある世界モデル、つまり内部現実を、外部現実のよりよいモデルに修正することである。合理的思考とは、外部現実により適合した内部モデルのことである。 課題 →なぜ自力では修正できないのか? →どうすれば効果的に修正できるのか? 2922 「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット) ・生物では、古いソフトのある部分を消去してしまうのではなく、「コメントアウト」しておく、つまり不活性化のマークをつけて、残しておくことをする。時にはこうした部分を再活性化して利用することもある。 ●このようなプログラムの誤動作として症状をとらえることができるだろう。たとえば(低次の)強迫症。 ・草花の成長をビデオで早回しにすると、まるで意志を持ち、指向性を持っているように見える。 ・観念連合学説、行動主義、結合主義。単純な学習モデルの進化。 Associationism,Behaviorism,Connectionism.ABC学習と呼ぶ。 ・吐き気、めまい、恐怖、震えなどの典型的な反応を示して身体が抵抗したら、それは考慮された行動がよくないことを示す信頼性のある合図である。進化は、悪い選択を選ばないようにするために、それを試したときに強烈にいやな感覚を伴うようにして、実行する気をなくしてしまう。 ●感情でラベルをしておく。 ・好奇心。強力な学習システムの原動力になっているのは、好奇心だ。強化因子がない環境でも、結局は強化がなされた。 ・痛みの中心的な機能はマイナスの強化、すなわち「罰」を与えて同じ行動を繰り返す可能性を減らしている。 2923 図解。 チャート式。 「一目で分かる」方式。at a glance. こうしたもので理解を助ける親切さが大切。何よりも自分の頭がすっきりするはずである。 2924 履歴書から分かることと分からないこと 転職を繰り返しているとき、どう判断するか。気持ちの落ち着かない人、問題のある人とするか、向上心がある、理想を求める、くじけない心を持つなどとするか。 結局は文面からは分からないことだ。どちらの可能性もある。そこで面接が必要になる。面接で感じる直感が何かを教えてくれる。 2925 「拒食の喜び、媚態の憂うつ」(大平健)岩波書店 ●意外に面白い。やはり文章に芸があるのだろう。ある程度勉強もしている。後半はくだらないお喋り。 ・近代的自我とは。「本物の自分」と「生活している自分」とが分離して、本物の自分を近代的自我と呼ぶ。 ・昔の人間は「生活している自分」が本当の自分だと思っていた。19世紀近代になって本物の自分が本当の自分になった。 ・「本物の自分」→「生活している自分」という構図。 ・アルコール中毒。自らの意志で自制心を失うことを選んだ人格の病。 ・フロイトが見抜いたのは、「生活している自分」に現れた症状が実は「本物の自分」の自己表現に他ならないということ。ヒステリー患者は「生活している自分」を「本物の自分」が自己表現するときの道具にしている。 ・「本物の自分」はスーパーエゴに突き上げられ、「生活している自分」はイドに突き上げられる。この二つをまとめて「イヒ」と呼んだ。 ●ここの解説は見る自己と見られる自己の分化である。自意識の誕生に関連して論じられる。また、時間遅延理論でも重要な骨格となる。 ・「抗ストレス薬」という言い方をしている。抗不安薬のことなのだろう。分かりやすくてよい。 ・心的意味のある身体症状を示すのがヒステリー。 ・アイ→ミー (反省) ・「クレイミング・アメリカン」子供の病気は親のせい、しかし親の欠陥もそのまた親のせい。いくらでも他人のせいにできる。その手助けをしているのが精神医学。 2926 一日を終えて、「やれやれ困ったことが起こらないいい一日だった」と感じるか、「いいことが起こらないつまらない平凡な一日だった」と思うか、かなりの隔たりがあるのではないか。 このあたりで、人生に何を期待しているかが分かる。 2927 広告 ネガティブなイメージを持たれそうな要素を排除することによって効果を上げるタイプの広告がある。 一方で、ポジティブに売り込もうとする広告がある。 たとえば「安い!」とメッセージを発したとすれば、それを好ましいと感じる人と好ましくないと感じる人がいる。 戦略がはっきりしていれば、それもいいが、マーケット状況をつかんでいない段階では危険である。その場合にはむしろ、ネガティブを回避する戦略が正しいだろう。 2928 開業医のあり方:専門医として、あるいは家庭医として わたしの場合にはどのような立場をとるか。神経科、心療内科という科目。立地条件。 たぶん、専門医として活動するのがよいと思う。患者が直接に訪れるのも大切なルートであるが、専門医として、他の医師からの紹介を大事にすることがいいだろう。 2929 対象疾患 心身症、神経症、うつ病、自律神経失調症、ストレス病、てんかん、不登校、痴呆の心配。 治療 薬(抗うつ薬、抗ストレス薬、抗不安薬、睡眠導入剤、自律神経用剤、抗てんかん薬、抗痴呆薬、そのほか一般に身体の薬) 精神的治療(カウンセリング、集団精神療法、精神分析療法) 訓練的治療(自律訓練法、認知療法、行動療法、デイケア、ナイトケア) リラクゼーション(アロマテラピー、バイオフィードバック) 2930 田舎の青年が、「退屈な田舎はうんざりだ、都会に行きたい」、そんなことを言うようになって、分裂病の時代が始まったと思うのである。この青年は生育の過程でやや問題があった。環境に刺激が強すぎる点があったか、環境とは関係なく、内的に異常が発生したか。田舎の環境で満足するにはレセプターが足りない。 子供の頃のレセプターレベルのセットが問題である。「田舎は退屈だ」と言って実際に出て行ってしまう人は、子供の頃からのレセプターレベルのセットは他の人たちと異なっていたはずである。つまりより多くの刺激を欲していた。 1)子供の頃の環境は変化する。大人になると言うことはある意味で鈍感になることだから、子供時代よりは大きな刺激を欲する。 2)生育に従って、レセプターはどう変動するか?多感になるともいえる。逆に、より多くの刺激を求めてさまようともいえる。 生育歴を聴取する目的の一つはここにある。どの程度のレセプターレベルが子供時代と青年時代で見られたか。そのために聴く。 未完成 2931 バックグラウンド・ストレス・レベル と 最大ストレス・レベル この中間で、生活は営まれる。 グラフで、生活の領域が描かれる。 田舎は低ストレス過ぎるので、我慢できない。 都会に出て、バックグラウンド・ストレスレベルは上昇する。 未完成 2932 哲学関係の本は、「心とは何か」と始まる。うんざりである。 精神医学は心とは何かを問う必要はない。「なぜ」と変調の原因を考える必要さえないかもしれない。「どのように」変調があるのかを記述する。しかしそれさえ必要なく、ただ「これから何をしようか」と話を進めるのがよいのかもしれない。 過去を掘り返していては幸せは逃げていく。そういうこともある。 2933 シンボルの無限背進 人は異性に恋をする代わりに、シンボルに恋をする、さらにそのシンボルに恋をする。 所有の欲望は、ものそのものではなく、貨幣に向かう。さらに貨幣の代用物、シンボルに向かう。 名誉のシンボル、力のシンボル、富のシンボル、若さと健康のシンボル、それらはさらにシンボルのシンボルへと連鎖してゆく。 その果てに、外部現実を転写した内部現実が成立するのではないか? つまり、シミュレーションは、シンボルとシンボル、(それらはシンボルのシンボルのシンボルの……という「深さ」が異なる場合もあるだろう)、の間で実験される。 観念の動物とは、シンボルの動物であるということだ。 シンボルによって構成される世界が、脳内現実である。変換を続けていくうちに、最後には「シナプスの言語」に変換されているのだ。 2934 自意識と他意識とに分割して考え、自意識は他意識の様子をモニターしているだけで、実際には他意識に影響を与えないとする。 自由意志は(本質的な意味では)錯覚であり、時間遅延が自由意志の錯覚を生み出している。それがタイミングがずれたときに、(ある種の)離人感、自動症、させられ体験が発生する。 だとすれば、言葉でスキーマや自動思考に働きかけるとは、どんな作業をしていることになるのだろうか? この考えでは、自意識は他意識の内部状態についてモニターするのが役目であり、その観察は集団の他の個体の内部状態の推測に役立つ。 自意識→他意識 ↓ 他者 2935 一度として途切れたことのない遺伝子の連鎖の結果としてわたしが今ここに存在している。めまいを覚える。 このすき間のなさ、完璧さ。 2936 「拒食の喜び、媚態の憂うつ」(大平健)岩波書店 ・摂食障害における、「本物の自分」と「生活している自分」 ●強迫性障害の二種と同じ論点。常同症とコントロール過剰症といえばいいだろうか。 ・節約のために、本物の自分を「自分」、「生活している自分」を私と表記する。 自分→私→他人 と憎悪が成立する。 うつの場合には、 自分→私→×→他人 となっていて、私が他人への憎悪を表現できなくなっている。せき止められた攻撃性は自分から発して私で止まる。 ・自分を殺して他人と事無く付き合う人。 自分→×(自分を抑える)……私→→他人(事無く付き合う) 自分→私→×他人 怒り ・テン・セント・セラピスト、安っぽい療法士。 2937 森田神経質 コントロール過剰の病理と見える 診察室を映したビデオでは、症例の選択・限定が徹底していないようだ。 「あるがまま」は、つまり、(他意識に対する)自意識の過剰について是正するものである。 自意識→他意識。 行動だけ修正する、自意識については仕方がないので「あるがまま」とする つまり、他意識については修正する。自意識は受け入れる。 「とらわれ」は、自意識と他意識の間での不具合とも見える。たとえば赤面しても用を足すことは、「他意識→他人」の部分である。赤面が気になって、気が散って何もできない」とするのは「自意識→他意識」の部分である。 パニック発作があっても「まあいいや」と思えるようになる。 生の欲望を肯定し、身を任せる。 素直になる。みじめだったり恥ずかしかったりする自分を素直に認める。 不安と共存するしかないと悟る。 豊かになると内面と向き合うようになる。 薬を使わない。身を委ねる。頭の中でいじくらない。 思考の遊戯をしない。受け入れる。 ●薬を使わないというのはここでも大事なキーワードである。 2938 バックグラウンドストレスに関しては、サブカルチャーの問題もあるだろう。 2939 痴呆病棟で。「いつ帰れるの!」と老女性が職員に対して怒っている。「あしたですよ」と答える。「嘘じゃないだろうね!私は嘘つかれるのが一番嫌いだ。嘘だったらわたしはあんたを刺すよ。わたしはそんな人だからね。嘘じゃないだろうね。本当に刺すよ!」と真剣でせっぱつまった言葉を語る。職員は手慣れた感じで、「はい、本当ですよ。あしたですよ」と応じている。興奮しているのは患者だけである。 これでいいのだろうか。仕方ないのだろうか。嘘は嘘である。しかしこれ以外にどうしようもないのも事実である。 2940 不安は危険の信号系で、赤信号である。回避しろ、逃げろ、の信号である。 これが誤作動することがある。なぜ誤作動しているか、何に反応しているか、調べればよいはずだ。 2941 これは夢だと意識する。これは自意識があるからこそ可能になることだ。 2942 自分の感覚を延長して、他人の内部状態を推定する。感情や思考、意志など。 他人以外のものに向けると、擬人化、アニミズムになる。 他人についての情報が少ないときに、被害的になったり、ときには過度の理想化をしたりする。このような投影を行うのは人間の本性である。 投影する内容が不都合なとき、性格障害と言われる。 妄想性性格障害では、たいてい被害的。 境界性では過度の理想化と過度の脱理想化。 自己愛性では相手は自分を愛している、崇拝しているという思い込み。 2943 多重人格のスイッチングのメカニズム。何がきっかけになるのか? 一般に、人間の感情や行動をリリースするメカニズムと関係しているだろう。 2944 マスコミがこのように発達し、日中に主婦はテレビをつけっぱなしで生活するということであれば、芸能人とともに年をとる感覚が生まれてくるだろう。 芸能人は年をとらないから、おかしな現象が生じるかもしれない。 2945 To be or not to be,that is the question. 生きているか、死んでいるか、それが問題だ。 脳死問題のテーマとすることができる。 2946 共生の感覚。 一方的な寄生ではないという感覚。 障害者と共に生きる社会の視点。どのように寄生ではなく、共生であると納得できるか。 2947 ある種の精神異常は人に夢と希望を与える。 狂った宗教者は、ある点で人類に光をもたらす。 2948 開業医が感じる、高度先端医療からの遅れ。 2949 解剖学実習室での悟り 心が張り裂けそうになるとき、現世価値の相対化が役立つ。 たとえば、解剖実習室に入るとよい。そこには人間の死後の肉体が横たわっている。人間とは何であるかが伝わってくる。本当の虚無が身にしみる。そしてそこからどう生きるかを考え始める。 2950 「ソフィーの選択」のソフィーのトラウマと癒し 結局癒しは成功しなかった。どのようにすれば可能であったか? ソフィーはアルコールを用いた。 解離や忘却、抑圧は用いなかった。 2951 Vanity 虚飾 こうした虚しいものを追い求める人生はどうか? 早く気付いて「本当の人生」を始めた方がいいとする人もいる。たとえば修道院にはいる。グッチ家の長女は修道院に行った。 また、虚飾であっても、つまらないゲームであっても、わたしはそれに参加したいと考える人もいる。虚飾であると悟った上で、参加しているのである。 2952 現代……安定した世界観が崩れて、価値観の相対化の中に生きている。絶対の指針がない。 そうした状況では、自分の内面と向き合わなければならない。向き合ったとき、不安が見える。拡大されて心を占めるようになる。 絶対の価値観や指針があるときには、自分がそれに合わないのはなぜか、もっとよく合うようにするにはどうするか、問い続ける。強迫症者に生きやすい世界である。 子供時代はある程度そうしたものだろう。大人になるとやや緩くなる。しかし現実の社会を生きていれば、やはり社会の根底的な規範はかなりの程度に、人々を縛っていると思う。 社会常識や規範が緩くなっているなどといえるのは学者ばかりではないだろうか? 2953 QOLを自分の人生にも考えてみる。 わたしは自分の人生の価値を、他人からの外面的な賞賛以外の何かで測ることができるか? 2954 精神病院や痴呆病棟、デイケア施設で、わたしは本当はいいことはしていないとしか感じられない。現実はこうなのだからというものの、もっとよくできるはずだという思いを強く抱く。 モラルが麻痺しているという現実が見えるし、忘れられない。弱者からむしる態度がわたしを居心地悪くさせる。 2955 新聞で。 老人用のデイサービスの車が家の前に停まると、それは屈辱であると感じる人たちがいる。 他人がそれを見て、自分達のことを軽蔑するだろうと予測して、悔しがる。 そのような人たちもいるのだということは理解する必要がある。 精神科でも、頑なに32条を拒む父親がいた。理解が足りないというべきか、別の感覚があるというべきか。 2956 「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット) ・第一次の志向システムから第二次の志向システムへの進歩。 第一次志向システム……いろいろなものを信じたり欲したりする。 第二次……自分や他人に信念や欲求があることを信じたり欲したりできる。 第三次……自分が何かを欲していることを相手が信じるようになって欲しいと思う。 第四次……相手が何かを信じているとこちらに信じるように欲していると信じることができる。 ・入院してADLが低下した老人も、自宅に戻ると自分のことは自分でできるようになることが多い。老人は長年にわたって自宅という環境の中に日常の行動をうながしてくれる目印を刻みつけており、それによって何をしなければならないか、どこに食べ物があるか、どのように服を着るのか、どこに電話があるのかなどを思い出している。新しい学習はできない老人でも、いたるところに目印がつけてある環境でなら、自分で自分のことは処理できる。老人を自宅の外に連れ出すことは、老人をその知的能力から切り離すのに等しい。脳手術を受けさせるのと同じくらい破壊的な行為である。 ●こうまで極端に言っていいかどうか疑問であるが、そのようなことも部分的には当たっているだろうと思う。 ●難しい本である。議論の背景がある程度以上分かっている人でないと、理解できない。たとえば「解離」を分離と訳して、その部分も詳しい説明はないから、理解し難くなっている。不親切というか、表現力の問題がある。翻訳のレベルも問題であろう。 ・人間を除く動物は痛みは感じられても、苦しむことはできない。 2957 ある一つの言葉の背後にあるもの。 顕在的な、あるいは潜在的な、言葉と言葉のつながりが、国語の中から、あるいは生活経験の中から、形成される。 それが意識内容(無意識内容も含むといってよい)である。世界観である。内的世界モデルである。 つまりこのようにして観念連合説ができるのだろうか? 2958 シンボルの読解 小説を読む、ドラマを見る、コマーシャルを見る、音楽を聴く、ポスターを見る。そこに何が描かれているのだろうかと読解を試みる。読解のレベルは様々である。 作者は何を意図したか。あるいは作者の意図を超えた何が表現されているか。 全体の筋書きは何を意味しているか。部分は何を表現しているか。 何重かの記号化が達成されている。 ここのセリフは何を意味しているか。一つ一つの小物は何を意味しているか。それらがまとまって何を意味しているか。意味は何重にも読解される。 送り手と受け手の読解のレベルが合わないとき、コミュニケーションの錯誤が生じるのではないか? 分裂病者が読解に失敗しているのは、このようなシンボル読解の階層の錯誤があるのではないか? 1998年1月26日(月) 2959 人間は誰でも自信がない。 なぜなら、自信があれば、人間はもっと困難なことに挑みたいと思うようになる。そして自信をなくしたところでやっとこの動きは止まる。 したがって、すべての人は自信がない状態で暮らしている。 自信があるというのは、向上心がないということで、怠け者だということだ。 2960 自律訓練法がなぜ効くか 注意の向け方が変更されるからである。 いままで内的不安や外部の不安要因に向けられていた注意が、たとえば「右腕が重い」という点に振り向けられる。 2961 縦軸……活動レベル(精神と身体) 横軸……鎮静、興奮、過興奮 興奮から過興奮に向かうと活動レベルは低下する。山形の曲線を描く。 2962 マックを使っていて、何度もリセットする羽目になった。起動するまでじっと待たなければならなかった。はじめからやり直し。そしてこちらがどんなに焦っても怒っても、むだである。相手に合わせるしかない。 これは精神療法と同じであることに気付いた。精神病者を相手にするということはつまりそういうことである。 2963 分裂病の軽症化とテレビ環境 テレビが幼児期からある環境では、ドーパミンレセプターのセッティングが、テレビのない環境に比較して明らかに異なるだろう。このことと、分裂病の軽症化が関係しているのではないか? 1)分裂病になる人は、レセプターが多すぎる人。 2)(ドーパミン)×(レセプター)=過剰 となってときに、発病する。 3)普段はドーパミン過剰にならないように静かな生活を続けている。しかし思春期に、危機が訪れる。こうして破瓜病が成立する。 レセプターが多くなってしまった人も、テレビで刺激にさらされていると、レセプターは、減少する。つまり、レセプターの過剰が緩和される。 通常は刺激4に対してレセプター4であるとする。=16 昔なら破瓜型予備者は刺激2に対してレセプター8の状態になる。=16 テレビを見ていると、これが3と16/3(=5.3)程度になる。=16 この状態で思春期に至り、刺激が8程度になる。 通常者 8x4=32 古典的破瓜型 8x8=64 現代の破瓜型 8x5.3=42.4 仮に、40以上が幻覚妄想状態になるとすると、古典的破瓜型は重症化するが、現代の破瓜型は軽症ですむ。テレビの刺激のおかげで、レセプターが減らされているからだと考えられる。 しかし一方で、テレビは有害刺激を含む。「悪い行動や思考の刷り込み」が起こる。 テレビは内省を奪う。映像で「考える」ようになる。つまり、通常の意味では「考えなく」なる。衝動的になる。 衝動的とは、原因刺激と結果行為が直結している状態である。間に複雑な感情や思考が入るはずなのに、それが抜けてしまう印象である。テレビの人はそのように行動している。 テレビは世界の悲惨や残虐を集約して見せてくれる。人間が自然状態で生きていれば、見聞きする残虐はそれほど多いものではないのではないか。ある程度の幸せを確信しながら生きていられるのではないか。しかしテレビは残虐を集約し、人間の世界では常にひどいことが起こっているかのような印象を生む。他人のことを細かに伝えるので自分との比較を生む。しかも、そこに露出している像は虚像であることも多い。しかしその虚像と現実の自分を比較して考えるようになる。 たとえばここのところ報道されている、私立大学運動部員による集団レイプ事件。このようなことがどうして起こるものか。何が彼らを教育したか。 2964 ストレスが高まったとき、衝動行為に至る人と、幻覚妄想状態に至る人との違いは何か? 幻覚妄想の結果として、衝動的攻撃行為に出たり、衝動的自傷行為に至ることはある。 中学一年男子生徒が、授業に遅れた。叱った女性教師(26歳)を持っていたナイフで刺し殺した。 ナイフを持ち歩く、授業に遅れて叱られる、このあたりは健常ではない。普通ならば授業に遅れても、理由があるし、したがって叱られたりはしない。普通の生徒だったという言い方には嘘があると思う。 1998年1月29日(木) 2965 分裂病の根本病理は、レセプター可変性の低下(つまり固定化)にあると思われる。 レセプター固定化=ストレス病 (つまりは適応障害) この場合、人のタイプによって、様々な反応を示す。身体に出れば、心身症、幻覚妄想状態で出るなら分裂病、うつ状態ででるならうつ病。 環境に合わせて柔軟に変化させられる人は、ストレス病にならない。 心身症、分裂病、うつ病といろいろな表現型をとることの理由は不明。たぶん、嘘だ。 もっと正確な考察が必要。 こう仮定して、どの範囲のことが説明できるか、試みること。 もっといろいろな病気があっていいはずであるが?たぶん、たいていは、正常からの統計的にあって当然の変異とされているのではないか。少し変わった性格とか、少し知能が低いとか、つまりは個性の範囲内で理解されているのではないか。その範囲を超えるものはつまり、自傷他害であり、その背景には現実把握の歪みがあるだろう。 2966 ある雑誌で性格・行動異常のある芸能人の顔の類似について指摘があった。花柳幻舟、東電OL、中森明奈、小柳ルミ子など。頬がこけて痩せている。少し出っ歯。目つきがすさんでいる。似ているという印象がどのあたりから生まれるものか、興味深い。 心の状態を外見が示していることになるからだ。 2967 人は現在を過去の結果だと考える。 清算されていない過去が、現在を縛る。 2968 アメリカ大統領のルインスキー疑惑。 目立ちたがり屋の女性が有名人とのスキャンダルを語る。一方は迷惑顔に否定する。ルインスキーという人にも大いに問題があるのだろうと推定できる。 しかし、やはりここでも通常のもみ消しの作業が行われる。性格がおかしい、頭がおかしい、何か裏にあるのだろうといった言葉が流される。 そうした言葉も納得できるから、ややこしい。 こうした成り行きを見越して、そのような人たちを被害者として選んでいたとしたら。 一方で、権力のある側、世間に信用にある側が、自分の都合のいいように丸め込むことも厳然として多数あるだろう。 性的虐待の被害者と加害者の分析を読むと、とても納得させられる。説得力がある。ハーマン「心的外傷と回復」。 2969 「絶望がやがて癒されるまで」町沢静夫 ・セルフインストラクション法。自分の心の中にもう一人の自分の理想像をおき、その理想的な自分といつも対話する癖をつける。自分のなかに指導者をつくる、そしてその指導者といつも対話しながら自己決定していく。 ・悲観的で否定的な考えに陥りやすい人。→その由来があるはずである。 ・自ら絶望を呼び込み、人の同情と援助を得ようとするスタイル。→その由来もあるはずである。 ●個を超える‥‥transpersonal ・芥川は自分自身をさらけだすことを美しい行為だと思っていなかった。内面の汚い部分や醜い部分をわざわざ表現することが文学なのであろうかと思っていた。このような告白的なことをやっていたのが自然主義文学である。 ・その人が挫折しやすいポイントに気付くようにしていくのが心理療法。 ・現在のストレスを明らかにすれば、その中にそれまでの生き方、考え方のすべてが現れているので、現在のストレスの分析がまず大切。 ・フラストレーション・トレランス(欲求不満耐性)の極端な低さ。 ・耐える力が乏しい。 ●人はなぜ耐えるか?耐えたことの報酬が望ましいからである。その人には耐えるに値するだけの報酬が与えられない。 ●自分のことを平気でほめて書く感覚。愚かで未熟なことのように思える。 2970 患者の希望はどう扱うか。例えば、デイケアで、横浜に買い物に行こうと患者が「自主的に」決めた場合。今泉クリニックの例。 医者が頭ごなしに禁止すれば、そのことを非難される。 希望してことが現実的な希望なのか、症状として、たとえば思考障害の結果として出たものか。あるいは現実把握の欠損から出たものか。そのあたりについての検証はどうするか。 人間観、疾病観、理解の深さ、そうしたことが複雑に絡む。 結局のところ、よく理解されず、恨みを買うだけのことも多いと思う。未熟は未熟ながら、正義感は強いことがある。未熟だからこそ、正義を振りかざすことができる。 女性の場合、愛情の競争をしているところがある。「受容。理解。わたしにだけは心を開いてくれる」こうしたことについて、自分が一番すぐれていると主張したがる。患者は治療者のそうした心理に「寄生する」形で症状を固定させてゆく。 治すこと、治療を卒業すること、クリニックに来なくても自分で自分を支えていけること、こうしたことが目標にならない。自分になつく、自分にだけ心を開く、これだけが目標になる。こうした倒錯に鈍感になる。 2971 天声人語で。 最近の若者の変化。たとえば、学校で「ムカツク」「キレル」。保母さんの印象。最近、小さい子を抱いてみると、体が硬い子が多いという印象を持つ。抱かれることができない子、触られるのをいやがる子が増えた。 子供を教師もしつけられない。親もしつけられない。 結局、微細脳障害の結果ではないかと考えたくなる。 人間は自動的にちょうどよく育つようにできているのだ。それが育たないのだから、欠けているものがあるのだ。 原因を生育環境に求めるとして、昔と比較して変化したすべてが怪しいということになるだろう。因果関係の推定は任意に理論化できるだろう。統計的な推定がまだましな手がかりをもたらす。 母親のアルコール、タバコ、精神状態、環境ホルモン、ダイオキシン、親子関係の変容、地域社会の崩壊、学校の変容、テレビや漫画、マスコミが伝える暴力や奇形的な人間関係。 器質的要因も思い当たるし、心理的要因も山積している。 2972 医療の水準はどのように確保されるか、大いに問題がある。高度な水準で、医師の自由裁量が保証されることは良い。すべてが国家統制される必要はないだろう。 しかしひどい例が多い。二十年くらい何の自己研鑽もせずに生きてきた医師がいたとして、その人も自分なりに勉強して、現代の水準を超えた医療を実践していると確信しているとしたら、もうどうしようもない。妄想患者と同じである。 信念と事実関係とを区別できない人に対してどうすればよいのか。被害をくい止めるためには「規制」が必要になるだろう。 実際の話、現代医療に老年医師がどうかかわることができるか考えると、限界があるだろう。定年制などが適切かも知れない。自由競争にまかせるのでも良いが、精神科や痴呆医療の場面では自己選択できないときがあり、その場所に、そのような医師が集まることは憂慮される。 2973 自律訓練法の意味 ・自己催眠である ・つまりは「注意の振り替え」である。身体の一部に注意を集中すれば、フィードバックループが完成する。それは強力に注意を惹きつけるので、たとえ不快な思考や感覚、不安などが心を占めていても、一時的に注意を振り替えることができる。 ・解離性が強い人の場合には、終わりの時に「消去」の手続きをしておかないと、解離状態のままで日常生活に出て行く、つまりは横断歩道を渡って危険な目に遭うおそれがある。解離性の強くない人の場合には消去は不可欠というわけではない。 ・催眠とかトランスとかいうが、つまりは注意の方向と範囲をコントロールして変化させることである。注意が狭まれば、現実把握が低下する。また、注意の方向が別の方に向けられれば、現実把握は低下し、ファンタジーの世界に入りこむ。 2974 達成目標がなければ達成の喜びもない。 老人性痴呆のケアでは具体的で達成可能な目標を設定することが医師として大切な仕事になる。 何を、いつまでに、どのように、誰が、これらを明確にする。 2975 精神病院と痴呆病棟は合法的な監禁施設である。そこでは緩徐な虐待が進行している。自己決定権を奪われ、無力を思い知らされ、希望を剥奪され、服従を強いられ、結局、複雑性心的外傷を受ける。その結果、入院時の精神症状の他に、複雑性PTSDの像を呈する。さらに、精神病そのものが、重篤なPTSD体験となりうる。 2976 心理的外傷体験 わたしの場合は、母の死に伴い、親戚から受けた仕打ちである。夏目漱石「こころ」に描かれているような、財産管理人による財産の横領であり、その後の居直りであり、さらには攻撃である。 こんなことをしてどうなるというのか?生きるということはこのようなことか?生きるにあたっての苦労はこのような結果を生むだけなのか?それなのになぜ生きるのか? なぜこのような無益なことをしてしまうのか。人間はこれから先もこうなのか。 わたしに神が必要であった理由。わたしがユダヤ教的な裁きの神、正義の神を必要とする理由。それがここにあるだろう。わたしは個人的に、愛の神には賛成できない。それが高次の神であり、望ましいものであり、人間の未来を開くものだと承知してはいても、わたしにとって神とは、依然として裁きの神である。 たとえば、妹は父親似で、わたしは母親似であった。そのことからも妹は母に可愛がられなかっただろう。わたしは可愛がられたし、ある意味ではわたしが家長であった。常に尊重されていた。妹はそうではなかった。 母は結婚後暮らした父の実家で様々に傷つけられただろう。その思い出は父親似の妹を母にとって疎ましいものにしたのではないか。 さらに母の死後に、妹は母の実家で暮らした。そのことも妹の人格形成に影響しているだろう。 妹の事故傾性の例。雑貨屋の前で、道を横断しようと急に走り出して、車にひかれそうになった瞬間。 2977 物語もドラマも、心的外傷からの癒しの側面がある。 たとえば「ソフィーの選択」。この小説をトラウマとその癒しという視点で読み直すことができるだろう。 あるいは大江健三郎は障害を持つ子供を授かったときから始まる苦しみを描き、救いを描く。 精神科医としての直接の関心は、どのような人が、どのようなトラウマに、どのような症状で、さらにどのように治癒に至るか。病前性格、トラウマ、症状、治癒。 人が何かを求めて文章を読む。それはトラウマからの癒しであろう。傷ついた心、もはや他人についての基本的信頼を保ち得なくなった自分に、しかしそれでも人を信じる気持ちが必要だと感じているからこそ、物語を読みたがるのだ。人と話をしたがる。映画やドラマを見たいと思う。 2978 老人のPTSDについて研究できるだろうか? 痴呆老人は言葉を失っている。症状は未分化なものが多いのではないか。 2979 傷つけられた人が、次には傷つける側に回る。意識しないままに、そのような役になる。なぜか?一部分は「取り入れ」による。また、傷つけることには特有の快感があり、傷つける行為は自分の傷を忘れさせる場合すらあるのではないか。 勿論、自分の傷を思い出してしまうので、傷つける行為に加担することはできないと考えることもあるだろう。 しかしながら、この世界からこれほどまで悪がなくならないのは、やはりからくりがあるはずだ。 そして、人は生まれた時から悪なのではない。この世の悪に触れることによって、何かが変容するのである。 2980 心的外傷を受けた人は、その後の人生において、悲惨、裏切り、不幸などに敏感になり、あたかもそれらを「選択的に収集し記憶する」傾向が生まれるといえるかもしれない。 うつ場面選択想起もそのようなものと考えられる。 うつだから、つまりそのような体質だからと考えるのも一つの方法であるが、心的外傷の影響の一つが、そのような選択想起を固定させることであると考えられないだろうか? だからその後の人生が陰鬱なものになる。 2981 心的外傷の話のこの妙な説得力は何だろうか?不思議なくらいである。 2982 虐待 老人を虐待していると見える。 老人は子供に帰っている。食事は介助が必要、おむつをして取り替えてもらう。こんな中では全面的依存になる。人間としての欲求を主張することもなくなるし、自尊心もなくなる。意欲はない。感情制御はできない。目的的行動がなくなる。 そうしたことは痴呆の結果なのか。ホスピタリズムという側面からの理解が正しいのか。外傷性障害という理解が正しいのか。まわりの患者を見せつけられて、その結果自分の像を描き直すこともあるだろう。 人生の最後がそのようであってよいものだろうか? しかしまた、老人は現実把握が歪んでおり、妄想の中で、虐待されていると感じている部分がある。 また、病棟での虐待は職員側の立場の優位を基盤としているし、家庭での虐待は他の家族の肉体的経済的優位を基盤にしているけれども、逆に、自分は痴呆老人でありわがままを言っても許されるのだという逆の優位を利用する老人もいて、その場合には事態は複雑である。 病棟で断片的にやりとりを見ているだけでは分からない。 結局事例ごとに細かく観察診断しなければならない。 現実にはどうしようもないのだということも分かる。経済的に余裕があれば解決できる部分もあるけれど、みんなに可能なわけではない。 2983 レストランで小耳に挟んだ会話から。 「精神科なのに、行ったらいきなりドグマチールを出されたらしいの。精神科なんだからまずよく話を聞くのが大事だと思うのに」 なるほど。すぐに診断がついても、薬をポンと出してはいけない。慎重に話をよく聞いて、その上でお薬をお勧めするという態度が大切である。 したがって、つぎのようなスケジュールになる。 1)初診時、薬についての希望を確認する。対話と納得である。 2)初診では病歴聴取。 3)二回目に心理検査を何か一つ。 4)三回目に「これまでの」データから、診断面接を何度かに分けて行いましょうと導入する。 5)早く薬がもらいたい人なのか、慎重にしたい人なのか、区別して対応する。 6)一般人の、精神科薬に対する心理的アレルギーは大きいと想定して対応する必要がある。 7)心の悩みを薬で治すなんて、お門違い、はっきり言えば誤診、薮医者、カウンセリングを求めてやって来るのだと知ることが大切である。 2984 分裂病論と解離性障害との結合 分裂病は深刻な心的外傷となりうる。(痴呆も同じく深刻な心的外傷となる。)したがって、解離性症状を伴う可能性が高い。 1)異様な体験、世界変容感、これは自分をとりまく世界のゲシュタルトが変換してしまう事態である。意味の枠組みが一挙にずれる。(ドーパミンレセプター過剰状態の時に過剰なドーパミンが発生した場合。典型的には分裂気質の人が思春期になり刺激過剰となった場合。→しかしこのことが本当は何を意味しているのか?たとえば、これが幻覚妄想状態の実体であるとしたら、以下に述べる反応性の事態は何だと考えるべきか?) 異常なほどの孤立感。孤立無援感(helplessness)。迫害者に包囲される感覚。不気味な孤独感。世界は変容し、自分は取り残される。あるいは自分は変容し、世界はよそよそしい。 これが原発症状と思われる。何かもっと適切な表現があるかもしれないが、いずれにしても、これはレイプや戦争体験、災害体験に匹敵する、心的外傷となりうる。 2)対処として解離。 3)陽性症状と陰性症状。 幻聴。これは実は解離症状。反応である。第二人格と第一人格との対話(二人称幻聴)。あるいは第二人格と第三人格の対話(三人称幻聴)。あるいはまた、離人症状。 たとえば中安の仮説の後半部分については、解離性障害を骨格としてもいいかもしれない。? わたしの従来の言い方でいえば、「神経症成分」である。その実体を明示するのが、解離性障害である。 こうして考えてくると、解離性障害とはつまり、神経症性部分、反応性部分、異常人格反応の部分といえるだろう。シュナイダーの異常人格反応は、複雑性PTSDを指していると考えてもよいのではないか。 2985 オウムが再び活発化と報道。 現代の若者の傾向。催眠傾性、解離傾性、衝動性、非内省性、これらは連動していて、オウムのようなカルト型宗教の素地となっている。 オウムの場合には宗教の側面ではなく、監禁と脅迫と薬剤を用いた洗脳が実行されていた側面を重視すべきではないか。 2986 若者の「キレル」現象と戦争 戦争は人口の調整機能があると同時に、人口の中で、衝動コントロールの悪いものを排除する機能があるのではないか。 戦争で生き残る人と死んでいく人の区別。 律儀で真面目な人は死にやすそうだ。衝動的で事故コントロールの悪い人は死にそうだ。 ずるい人は生きるだろう。 カッとなったり、キレたりする人は死ぬだろう。 大義に殉ずるとか、裏表のない人は死ぬだろう。 何が自分にとっての利益かを見失わないでいられる人は生きるだろう。 そのようにして選別がなされる。そのあとで二、三世代が経過している。 戦争直後の世代は、選別された直後であり、自己コントロールが高い。学力も高かった。世代を経るにしたがって、統計的にばらつき、現代では学力も落ちて、並の国になりつつある。 「戦争を知らない私たち」はこのようになりました。 ドイツと日本で、几帳面さが際だっていて、……などの議論は、戦争でどのような人間選別が行われたかということと関係があるのではないか。 わたしは、本当に立派な人、倫理的な人は戦争で死んでしまったと、悲観的になっていた。しかし実は、戦争があって、悪い人が選別されていなくなって、戦後はよい国ができた。 時間がたって、また本来あるはずの統計的なばらつきが回復してきて、犯罪は増え、凶悪化し、学力は低下してきている。 2987 わたしの言う、自意識と他意識の分化も、元をたどれば解離性の分化かもしれない。 こうした分化をどの程度意識しているかについては人によって様々ではないか。 何かに熱中して我を忘れているとき、この分化は消滅している。そしてその時間はたいていよい時間である。恐怖に駆られて、その結果として分化が消滅する場合もあるけれど。 自意識と他意識は、次元が異なる。同一平面上にない。反省意識のレベルが一つ上である。意識についての意識である。ここの微妙なズレが、問題ではないか。 2988 社会的役割理論と分裂病 人間の集団があれば、誰かがリーダーになり、誰かが道化になる。そして誰かが分裂病になる。人間の自然集団の規模はほぼ決まっていて、その中での分裂病役割を担う人の数も決まっている。したがって人口全体の中での分裂病の数も決まっている。 このように考えても面白い。 2989 傷つけられた心を背負った者 傷ついた人生 そのような人たちが集まって、幸せに生きられるものだろうか 狩猟用の矢が刺さったまま飛び続ける鳥がいる。テレビで痛々しい姿。 トラウマを背負いながら生きる人の姿である。 ドラマ「青い鳥」 自分では背負いきれないトラウマを、他人同士が補いつつ生きることができるのだろうか。 2990 自律訓練法の感覚 注意を自分の呼吸と手足に集中すると、頭のどこかが切り替わるのが分かる。テレビのチャンネルを切り替えるような感覚である。カチッと切り替わり、さっきまで心を占めていた映像は消え去る。 2991 トラウマに際しては、理不尽さ、つまり、「なぜ自分がこのような運命を?」という問いに答える必要があると思う。 そしてそれは「神はどこにいるのか?」という問いにつながる。神は何を意図しているのか? トラウマ体験がなければ、神も不必要な装置であろう。 2992 「命さえ忘れなきゃ」岩波(朴慶南) ・朝鮮人学校の四人組が電車に乗ろうと並んでいる人たちを無視して席取りに走る。あまりに目に余るのである日注意した人がいた。それに対して、「差別だ!朝鮮人だからといって差別するな!」と言い返した。 ・障害者のA君を公立高校に入れてあげたいと署名運動が起こった。A君はいい子だし、クラスのみんなが面倒を見ている。でも、わたしは成績が悪いから公立高校には行けない。それでもA君のために署名をするのだろうか。 ●成績が悪いのは努力が足りないからだとの前提がある。確かに努力が足りないせいもあるだろう。しかし知能は努力だけで補えるものではない。また、努力することは本人の気持ち次第だというなら、浅薄である。そこにもどうしようもない事情というものがある。状況も、脳も。 だから、かわいそうなA君とかわいそうな「公立高校に行く学力のない筆者」と、何の違いもないと思う。 しかしながら、そうした一般的な知力の差は、社会での有用性の差と連動していると信じられているので、「差別」につながる。 ●朝鮮人だから、女だから、貧乏だから、その他にも理由はつけられるだろう。差別だと叫ぶ。 悪い人間は、差別する側に回れば、悪い差別をする。差別される側に回れば、差別された!と言い立てて自分に有利に事を運ぼうとする。 そんな人のおかげで、差別する側もされる側も迷惑を受けている。 2993 テレビドラマで わたしはあの人を殺したいんじゃない、そんな単純なことじゃないのよ、わたしはあの人の心を殺したい。 これは逆恨みのドラマ。 新婚の妊娠中の女医がいる。生育歴は悲しみに満ちている。実の母とも別れてしまいひとりぼっちである。夫はひき逃げをしてしまう。目撃者が警察に連絡をした。夫は悲観して自殺してしまう。その衝撃で流産する。 偶然のことから目撃証言した女性を知る。逆恨みが始まる。復讐は、彼女の心を殺すことだと語る。 ドラマの作り方としては、最後には、このような逆恨みは無益で、自分自身をも滅ぼすものである、極限状態では人は逆恨みをしたりもするが、そんなときにも愛を忘れてはいけないなどと教訓を付け加えて、残虐な場面も、すべてその主題のために必要な描写であったといいわけをするだろう。 しかし見るものの心に残るのは、圧倒的に逆恨みの晴らし方の具体例であろう。 1998年2月5日(木) 2994 朝日新聞で1998年2月5日(木) スナック菓子を多食し、きちんとした食事をしない現代型栄養失調が、キレる一因と指摘。 食事内容を調査し、野菜、魚などをよく食べる食事を良い食事、カップ麺や缶ジュースをとる食事を悪い食事と評価する。五段階に分ける。 いじめている、すぐカッとする、自殺したいと思ったことがある、根気が泣く飽きっぽい、などを同時に調査した。 食事が悪くなるほど、様々な問題が増えた。 全体に親の関心が薄い子ほど、家族そろって食べる回数が少なく、食事の質も低い。脳の健康に必要な栄養がとれていない。 80年代のアメリカの少年院。菓子や炭酸飲料を除き、新鮮な野菜、果物、全粒粉パンを与えた。けんかや看守への反抗が半減した。 凶暴な少年たちはビタミンB群、鉄、亜鉛などが不足していた。 理想的な食事は60年頃の日本の家庭料理だ。 2995 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●意外に骨が折れた。不親切で抽象的な言葉が多い。翻訳になるとなおさらなのだろう。翻訳は柔らかい砕けた調子にしたと言っているが、中井久夫の頭はややおじいちゃんかも知れない。 ・回復過程‥‥安全の確立、外傷物語の再構成、生存者とそのコミュニティとのつながりの取り戻し。 ・人間の本性の中にある、悪をやってのける力と対決すること。 ●悪にも存在理由がある。悪も人間の存在を助けているかも知れない。一瞬そう考えて、もうそれ以上はどうでもいいことのように感じてしまう。 ・教会支配への反発‥‥ヒステリー 戦争崇拝への反発‥‥戦争神経症 フェミニスト運動‥‥性的虐待・家庭内暴力 それぞれに社会背景がある。こうした背景がなければ、顕在化しなかっただろう。 ●こうした社会学的指摘は有益である。面白い。 ・患者の過去の再構成が有効である。 ●それはなぜなのか。謎である。 ・17世紀、科学がスコラ哲学に挑戦したとき、「本からではなく、自然から学べ」が合い言葉だった。 ●これが正しい。大切なことである。しかしこれができる人は少ない。たいていの人は本と社会から学んでいる。 ・脅威に対して、通常は闘争か逃走かで反応する。しかしどちらもできない場合、解体が起こる。現実の脅威が去った後でも、長期間持続する。症状は一人歩きをはじめる。 ●こころの辞典で心身症の項目の説明に使ったのと同じ説明がある。心身症は緩慢なPTSDであった。 2996 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・ジャネ:ヒステリー者たちは、彼女らを圧倒した事件の記憶を(意識に)統合する能力を失った人たちである。 ・記憶と知識と感情の正常な結びつきが切り離されてしまう。 ●苦しすぎるから解離して防衛する。それを言語化して物語ることが「意識への統合」の達成であり、治癒である。しかしそれは結果かも知れない。統合されたから、物語ることができる。そういう事情である可能性もある。 ・PTSD症状の三大別 過覚醒 hyperarousal:長期間にわたって危険に備えていたことの反映。持続的警戒態勢。交感神経の慢性的賦活状態。 侵入 intrusion:心的外傷を受けた刹那の消せない刻印を反映 狭窄 constriction:屈服による無感覚反応を反映 ・過覚醒 リラックスがない。小さな刺激にも過剰に反応する。不眠。心身症的愁訴、悪夢。 ・侵入 再体験、フラッシュバック、統合されない記憶。それは厳密には記憶ではない。加工を拒む。 コルク:交感神経系が高度に賦活された場合には、記憶においては言語性記銘力が不活性化され、中枢神経は幼少時の感覚性、映像性(イコン性)形式に戻るのではないかと憶測している。 ・外傷後の遊びは強迫的に反復される。 ●子供‥‥遊び 大人‥‥イメージ想起 どちらも加工なし 2997 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・外傷体験は何度も立ち戻って侵入する。フロイトは反復強迫と名付けた。外傷体験を消化し乗り越える方策と考えた。しかしそれでは再演の持つ、「デーモン的」な質を捉えそこなっている。意識の意向を無視し嘲笑し変化に抵抗する。適応的・生命肯定的とは考えられず、「死の本能」と説明した。 ・ジャネは、表現こそしていないが、外傷が人の心を傷つける本質は孤立無援感にあると認識している。回復には自分には力があり役に立っているのだという、力と有用性の感覚が必要だと分かっていた。 ・侵入現象を、外傷を統合しようとする内発的試みとしている。 ・新しい情報を処理して、内的図式をアップトゥデートなものにする。 ・何が起こったかを理解する新しい「心的図式」を生み出したとき、その時だけ治癒する。 ●内的世界モデルの改変が起こらないと、その体験は居場所が与えられない。居場所が与えられるとは、意味が与えられ、納得されるということだ。→しかしながら、外傷体験のようなむごい経験がどうして、人生の経験として「統合」されることができるだろうか?せいぜい忘れることができるだけではないか。 ・外傷を受けたときの圧倒的感覚を生き直し、その支配者となるための試み。 ●なぜ反復が体験消化に結びつくのだろうか?慣れるということか? 2998 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・反復は苦しいからと回避すれば、意識の狭窄、引きこもり、人生の貧困化を招く。 ●そうだろうか?そうまでして戦いを挑み、豊かな人生が得られるのだろうか?勝つ人生、自分の人生を自由にコントロールする人生ということか。しかしそんな人生は、外傷体験がないとしても、不可能に近いのではないか。 外傷に対して絶対に克服しなければならないという極端な考えではないだろうか。‥‥ ・狭窄。‥‥意識状態を変えることによってそこから抜け出ようとする。 ・狭窄のもたらすもの‥‥知覚変化(マヒ)、感情的変化(変性意識)。深い受け身感、超然状態。トランスとの類似。 ●解離状態とか、離人状態。 ・コルク:戦争帰還兵に痛覚の半永続的な変化がある。内因性モルヒネ様物質の調節に長期間続く変化を起こすのではないかと示唆している。→トランスの生物学的基礎。 ・解離の代用品としてのアルコール、麻薬。 ●注意のスポットライトを狭める。そうすれば余計なことは見えなくなり、心の平安が得られる。 ・狭窄症状は未来の予見や計画立案を妨害する。迷信深さ。未来短縮感。 ●未来短縮感。「はやく年をとって60歳くらいになりたいですね」と貴ノ花が語っていたことを思い出す。 2999 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・外傷的事件は基本的な人間関係の多くを疑問視させる。感情的靭帯を引き裂く。それは自分以外の人々との関係において形成され維持されている自己(セルフ)というものの構造を粉砕する。 ・人間の体験に意味を与える信念のシステムの基盤を空洞化する。自然的、超自然的秩序への信仰を踏みにじる。 ●神の問題は無視できない問題のようである。これは日本とは違う感覚だろう。 ・ホロウィッツ:外傷的事件とは「被害者の〈世界との関係における自己〉の〈内的図式〉に同化し得ない事件」である。 ・世界の安全性に関する基礎的前提を破壊する。 ・自己の積極的肯定的価値を破壊し、創造された世界の意味ある秩序性を破壊する。 ・安全保障感の喪失。世界の中にいて安全であるという感覚、基本的信頼。 ●ドラマ「新宿鮫」。同僚によるあからさまな裏切りと悪意。死にさらされる。その傷つきをいかにして癒すことができるか。それはつまり、世界と人に関しての信頼をいかにして回復できるかということだ。そして、それは不可能、世界の大部分は腐っている、しかしそれでも、腐っていない一部分に希望を託し、信頼していくのだと、祈るように考える。 ・母と神は慰めと庇護の最初の源泉であり、母と神を求めて泣き叫んで応答がなかったとき、基本的信頼感は粉々に砕ける。見捨てられ、孤独で、人間と神とのシステムの外に放り出されたと思う。疎外感、離断感。信頼が失われたとき、自分は生者よりも死者に属していると思う。内的荒廃感。 3000 「二度と見捨てられることのない人間関係があるのだと保証すること」。しかしそのことを実行することができるのだろうか?そんなことを言ってしまっていいのだろうか? 二度と見捨てられない関係など、母と子の間でも現代では不可能のようだ。 境界例など、対人関係に問題があり、不安定に関係を壊し続けている人たちの場合、安定した関係を築くことが最終目標でもあり、その目標にいたるために必要な「栄養分」もつまりはそうした安定した信頼関係である。それが欠けているのだ。治療は難しいと悲観的にならざるを得ない。 文章でつづるだけならばいくらでも美しいことが書けるだろう。しかしそのような暢気な態度ではすまない現実がある。 医者には転勤がある。24時間をその患者に捧げるわけではないから、現実には「見捨てない」というメッセージを実行することは無理だ。「それほどの心意気である」というあたりで妥協してもらえればそれでもいいのだけれど。 不可能なことに、愚かな故に挑む。残酷なことであるが鈍感な故に続けられる。そのようなことであってはならないだろう。 共に修復を試みるべきは、治療者ではなく、別の誰かであるはずではないか。それをどうするか。 3001 人間関係は一筋縄では行かない。 憤るべき相手は誰か、そんなことも対人関係の中で曇らされ、ねじ曲げられてしまう。 各人のわずかずつのファンタジーや誤解が加算されて、ひどい事態を構成していく。 そんなことでいいはずはない。しかしそれが現実である。個人は太刀打ちできない。 せいぜい、身をよける知恵を身につけるだけである。 3002 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・嫌悪、憎悪、絶望、永続する苦悩。衝動と虚栄。親切もなく信仰もなく愛もない。ただ現在限りの快楽。……内的荒廃。 ・発達途上の葛藤が再び口を開ける。自立とイニシアティヴ、能力、アイデンティティ、親密性をめぐる闘争。 ・自立をめぐる正常な発達論的葛藤の解決が不充分であると、その人には恥辱や疑念を起こしやすい脆弱性が残る。→恥辱はSのタイプ。 ・有能性とイニシアティヴとに関する正常な発達的葛藤の解決が不十分であると、その人は罪悪感と劣等感とを起こしやすい。→うつのタイプ。 ・無惨な死あるいは残虐行為に積極的に加わった場合、外傷後障害のリスクはもっとも大きい。 ●加害に加担した被害者。医療の現場ではどうか?これは一種の虐待であると思う。それ以外にどうしようもないようなものではあるけれど。一部の人のために全員が悲惨な運命をたどることが倫理的な正しいのかどうか。どのような運命を選択すべきなのか、困難な問題がある。 ・共同体への信仰を破壊する。 ●神の希薄な社会では、共同体への信仰が決定的に重要である。 真実への信仰はない。真理は命がけで守るべきもので、その原理が踏みにじられるとしたら、魂にとって重大な危機なのだといった感覚に乏しい。 ・外傷を受けた人は孤立と他者への不安に満ちたしがみつきとの間を頻繁に往復する。強いが不安定な、両極間を往復する人間関係が生まれる。 3003 ドラマ「聖者の行進」 「ウーのこと、思ってました」と内心で語り、辛い場面に耐える。ウーは「三匹の子豚」で煉瓦の家を造って最後にみんなを救った末っ子。 ややマイルドではあるが、解離性の防衛の仕方が表現されている。 3004 人間の自意識は、解離の産物である。 出産時に非常に強い困難にさらされ、そのときに強烈な解離を必要とする。それ以来、人間は解離を生きている。出産時外傷の新しい解釈。 最近は分娩の仕方が変わってきた。そのことと現代の人間の精神のあり方が関係しているかも知れない。 また、帝王切開で生まれた人たちの性格特性が何かを語っているかも知れない。たとえばシーザー。 3005 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・レイプは個人を身体的、心理的、社会的に犯すことである。 ●しかしながら、女は結局それを待っている、といった類の表現がマスコミには満ちている。 ・従軍以前に反社会的行動に走りやすかった者は、主症状が苛立ちと怒りとなる場合が多く、逆に硬い道徳水準で自分を律し、自分以外の人間への共感性が高い者は主症状が抑うつとなる確立が高かった。 ・ストレス抵抗性の高い個体は、人付き合いがよく、よく考えて、積極的対抗行動を選び、自分の運命は自分で切り開く能力が自分にあると強く感じている人。 ●何かしら、アメリカ的理想が反映されているような気がする。どうだろうか? ・十人に一人の児童が、幼年時代の逆境に耐える抜群の能力を示した。特徴は、めざとく、敏感、積極的、人付き合いがよく、自分以外の人とコミニュケーションする能力に優れ、自分の運命は自分で決められるという強力な感覚を持っていること。内的統制(internal locus of control)。 ・平均的な人は恐怖に際して、金縛りにあい、孤立してしまう。復元性の高い人は、他人と協力し、目的にかなった行動をとる機会があれば必ずそれを捉える。 3006 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・積極的・合目的的な対処戦略、高い社交性、内的管制塔の存在。 ●つまりは現実的知能が高いこと、孤立しないこと、自己コントロールができること。 孤立しないということは、ネットワーク型コンピューターの形をとるということで、自分の脳の限界を超えることができる。 一般的知能が高くても、非現実的な行動をとる人は少なくない。つまりは内部によい世界モデルを持っていることが大切なことではないかと思う。 一般知能が高いということは、道具が優秀ということだろう。道具が良ければ、それによって把握した世界も、外部現実の正確な転写になる可能性が高い。しかし、中枢部分で特有の「ズレ」があれば、外部世界の正確な転写にはならない。そのような人は、優秀な道具を持ちながらも、非現実的・非合目的的な行動をとる。 ・怒りに身を任せることを避ける。怒りは身を滅ぼすもとである。 ●まことにそうである。人生の外に立って眺めて見れば、怒ったところで益はない。他人は結局のところどうしようもないものである。諦められないのは何かがおかしい。期待しているからだ。期待など早く捨て去ることだ。 もっと冷静に現実的に、他人を見ることだ。その人の行動の特性は何か、今自分との関係ではどのような側面をつかまえればお互いにうまくできるか。 人を使ったり、人に使われたりとは、そのような関係のことだ。理想を求めて、規範を押しつけるのではなく、その人なりに何ができるのかを観察しつつ、創造的に求める。 あり合わせの材料で料理をつくる感覚。間に合わせの道具をクリエイティブに使う工夫。 3007 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・極限状態においても絆を見失わない。 ・レイプに際して、金縛りになり、抵抗せず屈服した場合、余波期に自責の念と抑うつが激しくなる確率が高い。 ●負け犬は、負けてからあとも、負けたことの余波に悩み続けるわけだ。しかしそのように強くなれるのだろうか?アメリカ女性のように?フェミニズム世界観がよく出ているのではないか。「見よ、負け犬はこんなにも辛く惨めである、何が何でも勝つのだ!」と檄を飛ばしているような印象。被害者同志が集まって告発を誓い合う、そんな場面を想像する。 それでいい。最善はそのような被害に遭わないことだ。しかし現実には被害はある。その前提がある限りは、せめてこのようにして被害者の救済を考えるしかない。たとえもっとも美しい救済というわけではないとしても。 そう考えると苦々しい。このような破壊的な力は人間にこれまでもずっとつきまとってきたものなのだろうか?あるいは現代社会のあり方との相関物なのだろうか?これからどうなるのだろうか? 過去の生活は、現在よりもずっと悲惨で、困難に満ちたものではなかったかと思う。とにもかくにも、食糧が確保され、医療も行き届いている現状は過去に比べれば、外商的でない環境と考えられるのではないか? ・すでに無力化されている人、他者とのつながりを失ってしまっている人は、一番危険である。すでに障害を持っている人に特に過酷である。 ●再度の外傷にさらされやすい。いじめる人が狙うのも、このような人であろう。 3008 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●思い出すべき最大の絆は、やはり家族だろう。だからこそ、家族内での「搾取」は最大の悲劇である。絆そのものが破壊される。 ・思春期女性のレイプ。アイデンティティの形成、原家族からの漸進的分離、広い世間探測という青春期の適応への三つの正常な課題をみごとに駄目にしてしまう。 ・自己感覚は粉々に打ち砕かれている。子の感覚は元来他者とのつながりによって築かれたものであるから、他者とのつながりにおいてしか再建できない。 ●しかしその「つながりを再建する能力」が破壊されたのである。再建には、ギブアンドテイクの世界ではなく、チャリティの世界、一方的に信頼される世界が必要ではないか、つまり、母親からすべてが与えられる世界。神からすべてが与えられる世界。絆は一方的に何度も繰り返し与えられることによって、再建される。再建されたら、ギブアンドテイクの世界で生きていける。 しかしここで性格障害の問題もある。やはり病理の本質を見定めていかなければならない。 ●中井久夫のわかりにくさが、「ウケテ」いるのではないか?洗練された日本語とは言えないと思うのだが? ・安全と庇護を保証し、最低限の信頼を再建することが最優先課題である。「二度と見捨てられることはない」とはっきり口に出して保証すること。 ・周囲の人が生存者をもう一度無力化する危険がある。 3009 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・他者と外傷体験を共有することが、「世界には意味がある」という感覚を再建するための前提条件である。 ●高校バレー部でダウンした人。今何をやって、それが何になるのかと考えて、何も分からないと語る。自分の人生の意味を感じられない状態である。 ・社会側からの反応がどうであるかは、外傷が最終的に解消されるか否かを強く左右する。 ●こうした社会的視点は大切だろうと思う。個人精神療法で、密室で二人とも退行しているよりはいい。 ・傷害を被ったことが公的に認知されれば、社会は直ちに誰に責任があるかを確定し、受けた傷を修復するための行動をとらなければならない。正しい認識と修復は被害者の秩序感覚と正義感覚とを再建するのに欠かせない。 ●交通遺児の集まりで感じた、あの特有の感覚は、このあたりから発しているものかも知れない。 庇護を受ける弱者の集団。金を与えられることに応じて、真面目に努力し、社会に還元することを義務づけられている。何か慢性的なうっとおしさが積もっている。 傷ついたものたちの特有の体臭であったかも知れない。 庇護を受けることで、慢性的に心理的外傷を受け続ける。そのような構造があったかも知れない。 金に屈従する。 いずれにしても、爽やかでない人たちであった。べとべとジトジトしていた。全部女のような。弱さを証明することで施しを保証されているような。 3010 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・長期反復性外傷は監禁状態という条件があってはじめて生じる。刑務所、強制収容所、宗教的カルト、売春窟、家庭。 ●その他に、精神病院、学校。分裂病者は世界全体が自分を迫害すると感覚していて、その点ではこの世界そのものが牢獄であり強制監禁状態である。 分裂病者は、抵抗不可能な状態の中で無力感にさいなまれ、さらに孤立している。長期反復性外傷にまさにあてはまる。 ●痴呆老人の扱われ方を見て、心が痛む。そのような乱暴で繊細さのない職員しか勤めたがらない職場。この状況はなかなか変わらないだろう。ひどい言葉が発せられている。この世界はむごい場所である。 ・他人を完全にコントロールする方法。心的外傷をシステマティックに反復して加えて痛めつけること。無力化と断絶化。恐怖と孤立無援感を注入し、「他人との関係においてある自己」の感覚を破砕する。 ・別の人への脅しをみせることにも意味がある。 ・犯人は万能であり、抵抗は無益である。暴力は予見できず、規則は気まぐれに強制される。……つまり、外的規則ではなく、犯人の気分次第。この状況で恐怖は増大する。 ・「確実に死ぬはず」を何度か取り消してもらうと、被害者は犯人を命の恩人だと思う錯覚に陥ってしまう。 ・自立性の感覚を粉砕する。 ・情報、物質的援助、感情的支持から遮断して孤立させる。「きみの一番の味方もきみを忘れてしまったよとかきみを裏切ったよ」という話を信じ込ませる。 ・家庭の中での孤独な幽閉状態。 3011 ☆ 自律訓練法 注意のあり方を変える方法 注意の範囲と注意の場所の二つに分けて考えることができる。 範囲‥‥広い範囲に注意を漂わせるか、スポットライトのように集中させるか。 場所‥‥スポットライトにしたときに、どこにライトをあてるか。 これに応じて、自律訓練の方向にも二つがあることになる。これを整理し区別することが有用である。 不安が襲ってきたときに、それから逃れるには、意識をスポットライトにして、リラックスの場所にあてればいい。まず不安から注意を引き剥がすことが難しいが、そのことに自律訓練法が役立つ。注意のスポットライトの場所を、自己の身体に変更させることができる。それも強力に。 これは解離性の機制と似たことである。 しかしまた、自律訓練法を、日常生活で生かしていくことを考えれば、注意を広い範囲に漂わせることと、狭い場所に集中させることとの二つを意識的に変換することに役立つと考えて、訓練するのがよい。 こちらは必ずしも解離とは言えず、むしろ良質の禅に見られることではないか。 禅にしても、解離を助けている部分と、意識の広がりを増す部分とがあり、悪い禅と良い禅と言えるのではないか。 3012 外傷について 起こってしまったことは取り返しがつかない。それはどうしようもない事実ではないか。 償いがつく外傷など、ない。 3013 バレー部で傷ついた高校生に、ボランティアとしてさくら病院で働いてもらうという考えはどうだろうか? 自分も人の役に立つのだと自信を持つようになるのではないか。人生で何が大切か、何が生きる目的となるか、考え直すきっかけにならないか? 出来、不出来がはっきりとは分からないもの。 他人とあまり接触しないもの。 自分のペースでできるもの。 予定に組み入れられて、急に休めばみんなが困るというのでは適さない。 自分が受け入れられる集団を確保すること。 集団感情が個人を癒す。その観点を大切にできないか。 そのような保護的な集団がないか。 老人ホーム。障害のある児童の施設。こうしたものがいいかもしれない。さくら病院は少し重度すぎるかもしれない。 3014 「障碍を生きる意味」青木優・道代(岩波) ●障碍者が排除されている教育状況と、障碍のない子供たちが生き生きと生きられない教育状況とは、同じ根から発しているのだと分かる。 ●障碍者のための土曜学級や、母親の会を組織する。母親の会には、障碍児ではない子を持つ母も出席した。障碍児を育てる母親には教育力があるということだろう。 ・車椅子を押すのは大変だから、もうやめたいと語った子。しかし次の日に思い直した。 ●ここで実に単純だが本質的な倫理的葛藤に悩んでいる。親切をして得られるものと、そのことによる苦痛を秤にかけてみて、もうやめようと考えることは多いだろう。 たとえば、デーケンさんが語っていた。キリスト者になること、キリスト者でいることは苦しいことだ。倫理への内的要請に応えていかなければならない。 それで得られる内的な満足が本当にその人の心を満たすか。満たすことはあるとしても現代社会でそのことを持続していくことは簡単ではない。 ●NTTで障碍者を排除する。そのことと、普通学校で障碍者を排除することは同じことなのだろう。 「会社はなぜ障碍者との共生を考える方がいいのか」という課題に答えることは、学校問題においても重要である。その答えがこの本に示されている。 人間として大切なものを学ぶからだ。 3015 山内先生が臨床に踏み出した。長い間の交流で、その潜伏するものをわたしは感じていて、わたしの方が先に臨床に踏み出したということかもしれない。 このようにストーリーを構成することができる。 3016 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・ささやかな譲歩と見えるものが、他人とのつながりを目に見えないほどゆっくりと壊していく。 ・大多数の女性は人間関係を維持する自分の度量の広さに自尊心と自己評価とをおいている。犯人はこれを利用する。 ・心理的支配の完成は、被害者に自分の倫理を侵犯させること、自らの人間的つながりを裏切るようにさせることである。屈服した被害者は自己を嫌悪し憎悪するようになる。ここで被害者は本当に「背骨が折れる」。 ●仲間同士に裏切りを強制する話はいくらでもある。内的規範も、美しい友情も、破壊される。粉々になる。 しかし、人間の条件として、肉体的に死を選ぶか、精神的に破滅を選ぶか、二者択一であることがある。小説や映画でそのような状況が描かれる。 ・監禁する者が被害者の内面の生命を乗っ取ってしまったことをさとる。そのときの恥辱感と敗北感。 ・「背骨が折れる」……ロボットになり、動物になり、植物になる。 ・「絶対的受身の態度」に至る。 ●わたしの言う「なされるがまま」はこうしたことだろうか?わたしが言うのは、外面的にはなされるがままであるが、心は別の次元にあり、支配されていないことを示す。何が起こっても、それを味わうだけの教養を持つということである。 ここでいう絶対的受身は、無力感の末に、すべての意志を放棄した心境である。 3017 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・慢性的外傷受傷者は、過剰警戒、不安、興奮、パニックを起こしやすい。暴力と危機の悪夢。 ・耐え難い現実を改変する術。囚われとなっている人は歌、祈り、簡単な催眠術によるトランス状態誘発法を教授しあう。瞑想法、リラクゼーション。 ●解離、自己催眠。意識の変容、トランスというが、注意の向け方、意識の中のスポットライトのあて方の変更ではないかと思う。精神病レベルの機制。現実を歪めて認知する。 ・長期監禁者はトランス能力を発達させる。幻覚、視覚像消去、解離。時間感覚の狭窄。現在にだけ生きるようになる。理解しない。問うことをやめる。 ・過去を語ることを拒否すればするほど、過去の断片は永続的に直接的現在性を保持する。 ・主動性と計画立案力にも狭窄が続く。脱学習が必要。 ・学習された孤立無援性は間違いである。内面の葛藤ははるかに生々しく複雑である。 ・加害者への両義的関係。恐れる一方で、加害者のいない人生は空虚で、混乱し価値がないと思う。 ●たとえば天皇制教育の残骸。客観的に見れば、加害者を慕う不可解な行動である。しかしそれが病理の表現である。愚かなわけではない。そう考えたい。 ●「ダブルシンク」と表現している、解離の様子。両義的ともいえる。ブロイラーのアンビバレンツを連想する。 ・生き残りのための基本単位は個人ではなくてペアである。しかし孤立している被監禁者は仲間との絆を作る機会がない。そこでペアの絆が被害者と加害者の間に作られても不思議ではない。 3018 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・監禁状況では、被害者と加害者の間にペアの絆が生まれることがあり、誘拐犯は救済者になる。被害者は加害者にしがみつく。これを強制退行過程と呼ぶ。 ●精神科診察室でも同様のことが起こっていないか?マイルドではあっても、恐怖と恐喝の支配が行われているようだ。 精神科病棟では確実に起こっている。絶対権力者の支配と強制退行である。 ・「あの男たちはわたしを助け出すチャンスがあったのに、動こうとしなかった」。心底の軽蔑。 ・ティメルマン:「ホロコーストは犠牲者の数によって理解されるのではなく、口をつぐんでいた者たちの数の大きさによって理解されるようになるだろう。そして今わたしの心をもっとも重くするものは口をつぐむことが今も繰り返されていることだ」。 ●精神病院も。 ・長期捕囚状態。強烈な愛着と脅え・引きこもりとの間を揺れる。絶望的しがみつき、極め付きの忠誠と献身、怒りと罵り。 ●境界型性格障害の像。何が起こっているのだろうか? ・生存者は他者を信頼しない。対人関係から身を引いて引きこもるようになる。 ●確かにそうかもしれない。それが絶望というものだ。 ・名前を変える。過去のアイデンティティの完全な消滅。「自分は整合性があり目的を持った存在である」という感覚、価値と理想の破壊。 ●「自分としての整合性、統合」といった言葉は、西洋的である。日本の文化はやや異なるように思う。 そんなことは何も考えずただ家族がまとまって暮らしている、それだけの精神構造ではないか。 3019 行動や思考の「鋳型」ができるのは、刷り込み可能な時期に限られるのではないか。 その時期の環境に応じて、適応行動がセットされる。だから、その後に環境が激変すれば適応障害となる。 学習理論であり、記憶の理論でもある。 なぜ、いつ、刷り込みの状態になるか。つまり、永続的で消去不可能な記憶になるか。 記憶という言葉はやや範囲が狭いので、行動と思考と感情の「鋳型」といえばいいと思う。 学習のタイプを分ける。 一生に一度だけの、消去できない学習から、一時的ですぐに忘れるタイプの学習まで、幅がある。そして、本来は永続的記憶になるはずのないものが、永続的記憶にされてしまうことから、たとえば強迫症状が生まれるとする。 鋳型ができるのはいつどんなときなのか。それが分かれば理解は前進する。何かのメカニズムで、刷り込みの層が急に露呈するのではないか。 たとえば、非常に強い恐怖の時には、極度の退行が起こり、刷り込みの時期の脳の層が露呈する。そこでは一生に一度の大切な学習がなされる。不幸なことに、恐怖が刷り込みされる。こうして強力な鋳型が作られる。 恐怖症、パニック、強迫症などはこうした説明が可能であろう。不適応な鋳型による病理である。 1998年2月9日(月) 3020 極度の恐怖の中で人間が精神から離れて物質にかえる。その感覚。 また、性の感覚の一つの側面として、「物質にかえる」面があるかどうか。 フロイトの「死の本能」とはそうした側面の描写であろう。 3021 分裂病者の対人距離。 一般的な親しさの距離が取れない。 家族のような親密さに落ち込んでしまうか、そうでなければ全くの他人の距離しか取れないか。 つまり、対人距離ゼロか無限大かということだ。 中間程度の「世間のつきあい」が欠けている。それはそのようなつきあいの鋳型が引き出しの中にないからだろう。 3022 言葉の伝承 たとえば古典を読まなくても、言葉のシステムは古典の成果を含んでいる。 集合的無意識という言葉があたるものを言葉のシステムが含んでいる。 →集合的無意識は、言葉の中にあり、一方では脳の中にある。 3023 なぜ語ること、物語ることが癒しになるのだろうか。どのように語ることが有効なのだろうか? 3024 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・被害者の自己イメージには、「他者を見放し他者に見放されうる人間」というイメージが含まれている。 ・加害の共犯者、汚れたアイデンティティ。被害者は恥辱、自己嫌悪、挫折感のとりこになる。 ・神に見捨てられたという苦い悲哀。エリ・ヴィーゼルに嘆き。 ●ソフィーの嘆き。 ・慢性外傷のもっとも一般的な臨床症状は遷延うつ病である。ニーダーランドの生存者の三徴「不眠、悪夢、心身症的愁訴」。PTSDの症状である慢性の過覚醒と侵入症状とうつ病の自律神経症状との融合。アパシーや孤立無援と結びつく。 ●児童虐待。児童は現実に働きかける力がないので、未熟な防衛システムである解離をもって対処するしかない。そこで児童虐待は解離性障害の発生原因となる。 ・症状とはあまりに恐ろしすぎて言葉に表せない秘め事を、偽装した言語によって語るものである。 ・自己の歴史を再構成する。 ●この作業がなぜ有効か。 ・母が暴力を振るい、そのあとで痣をみせると、母はいつも、「おやどこでもらってきたんだい」と言うのでした。 ・父さんが母さんにしたことを母さんがわたしにするのです。 ●なぜこのような暴力の連鎖が起こるのだろうか。たぶん、強力な鋳型ができてしまうのだろう。そしてこの鋳型はこの環境で進化論的に生存可能性を高める種類のものなのだろう。 ・虐待者は虐待を秘密にさせ、孤立を強要している。 ●分裂病者はなぜかこの孤立のパターンをとる。世界と自分についての重要な秘密を誰にも語ることができない。語れば狂人扱いである。 3025 ヒステリー女の不合理、非合理、脱目的的な行動。ドラマで見て、ぞっとする。 3026 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・被虐待児は基本的信頼を取り戻し安全の感覚を育成し、イニシアティヴをとる能力を育てなければならないのに、そのような環境は全く失われている。 ・被虐待児は、本来怒りを向けるべき対象には怒りを向けず、怒りを起こす元ではない人に向ける。 ●八つ当たりである。しかしそのようにしてしか生きられない人もいるのだと知ることも大切である。 ・被虐待児はいい子になろうとする。完璧な演技者。しかし何をやり遂げても自分の資産にはならない。それはニセの自己だという感覚をもつからである。他人からほめられると、「本当は誰も分かってくれない」という確信を裏書きするだけである。 ・被虐待児はほどほどの長所と許されるほどの欠点をもった一まとまりの自己イメージを育てることができない。 ●「にもかかわらず愛される」ということがない。 ・よく見られるのは、自分を虐待しない方の親に怒りをぶちまけること。 ・自分に倒錯的興味を示している虐待者に愛着し、虐待しない親を冷淡だとすることもある。 ●遺伝的素質の問題もある。そのような親であれば、そのような子であると言えないこともないだろう。このような味方は、支配的虐待者の側の圧制的な立場というものだろうか?被虐待者にも問題が見えると言ってはならないのだろうか?当分は言わないのが利口である。時流が変わるまで。 ・「見捨てる」脅迫に対する効果的方策としての自傷行為。 ・自傷行為に先立って深い解離状態が起こると述べている。 ●この告白はS氏から聞いた。恐ろしいと言っていた。そして、離人症という言い方は実にぴったりだとも言っていた。 3027 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・身体状態の正常な制御は慢性過覚醒のためにめちゃめちゃになる。感情状態の制御もめちゃめちゃになる。ディスフォリア(いても立ってもいられないイライラ)、つまり一種の恐怖状態となる。 ・このディスフォリアへの対処行動を発達させる。随意的に自律神経系のクリーゼすなわち自律神経系の超限的興奮状態を起こすことによって、感情状態を一時的ではあるが大幅に動かすことができることに気付く。浣腸、嘔吐、強迫的性的行動、強迫的冒険すなわち危険に身をさらすこと、そして精神変化薬の使用などは被虐待児が自分の感情状態を制御しようとするときに使われる常套手段となる。これらの工夫によって、被虐待児は自らの慢性的ディスフォリアを根絶し、短時間しか続かないとしても他の方法では得られない上機嫌と幸福を得ようとする。このような自己破壊症状は青春期に入るとさらに顕著なものになる。 (●日本語が美しくないので困る) ●自律神経系のクリーゼで不安を解消しようとする。不安コントロールが間違っている。解消されず、なおさらみじめに、なおさら困難な状況にはまりこんでいく。 食行動の異常もこの系列のものとして考えられる。 ●自律神経系のクリーゼが短時間とはいえ不安解消に役立つのは、注意をそらすからだろう。注意のスポットライトを別の部分に当てるからだろう。 ・慢性虐待の環境の中で、子供が生き延びることを許してくれる三つの主な適応形態、解離、断片的自己規定、感情状態の病的制御。 ・しかしこれらの状態は一般には正常の見せかけをもつ。変性意識状態、記憶途絶などの解離状態は一般に察知されない。悪性のマイナス的自己規定は一般に世間に合わせた「ニセ自己」によってカモフラージュされる。 3028 リラクセーションかリラクゼーションか。 →リラクセイションである。 3029 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・断片的自己規定、悪性のマイナス的自己規定とは、「良い両親という妄想」を維持するために被虐待児が発達させるものである。「自分が悪いからだ」と考える。断片化は、垂直的スプリッティングに関係している。また、他者からの判定に合わせることによるアイデンティティの障害と断片化とも表現される。 ●いまひとつ明瞭さに欠ける。とにかくたくさんの言いたいことがあるのは分かるけれど。 ・新しい人生を築こうとして傷に再会してしまうことがある。 ・児童虐待経験者は、親密を強く求め、その一方で見捨てられるのではないか、搾取されるのではないかという恐怖にもつきまとわれている。救済を求めて特別なケア関係を約束してくれる強力な権威的人物を探し求めるかもしれない。理想的人物への恋着。 ●境界型。 ・成人になった被虐待児は対人脆弱性があるため被虐待を再演しやすい。 危険な状況をもう一度生き直してそれを正したいという願いがあるため、結局虐待を再演する羽目になることもある。 事実、被虐待児は成人してから虐待を受ける確率が高い。 ・過不足のない安全な関係を他者との間に結べない。自分はダメで、愛着の対象を理想化することで判断が鈍る。 ・無意識的な服従の習慣。相手に合わせる。 ・外傷嗜癖。 ●なぜこんなことになるのか。自分にとって不利な行動様式であるのに。強力な鋳型ができてしまっている。鋳型ができたときには最低限のところで適応的であった。しかし現在では全く適応的ではない。そう説明したとして、理解して、症状が消えるだろうか?行動療法的アプローチが有効だろうか? 3030 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・大多数の人は、自由を剥奪されれば心の変化が起こることに無知である。 ・慢性的虐待にさらされた人は、途方に暮れ、人の言いなりになり、過去から抜け出せず、どうしようもなく憂うつになり、身体のあれこれの不具合を訴え、怒りを陰にこもらせたりする。それに対して身近な人たちはどうしてやることもできずただイライラするだけに終わる。 ・非経験者は自分ならそうはならないと思い込み、心的外傷受傷者の道徳的欠陥を論じたりする。被害者の欠陥探しを行うのは自然的傾向である。たとえばユダヤ人の「なすがままの受身性」など。 ・慢性外傷の被害者は性格障害と診断されることが多い。生き残るための最小限の基本的欲求が残るだけになってしまった人の臨床像を見て、これは被害者の元来の性格だと誤診されることがしばしばである。本来的に「マゾ的」「依存的」「敗北願望的」などとされる。「自己敗北型人格障害」はマゾヒスト的人格異常と言われていたもの。 ・正確な診断がつかないと、部分的断片的治療アプローチになる。頭痛、不安、抑うつ、などとそれぞれに薬を処方し、どれもあまり効かない。外傷という基底にある問題に向けられてはいないからである。さっぱりよくならない、慢性的に不幸な、これらの人にうんざりすると、貶めの意味あいのある診断レッテルを貼り付けたい誘惑を感じる。 ・しばしばPTSDはありとあらゆる性格障害を模倣するように見える。 ・誤診誤療が一般的で、ケア提供者によって虐待をもう一度受けてしまう。患者も治療者も症状と外傷の関係に気付かない。 3031 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・児童期虐待の被害者は身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害などと診断される。これらはかつての「ヒステリー」の下位病名である。 ・時にはあっさりと「いやな奴」とされる。 ・境界性人格障害は、高級な学問の装いの下で人を中傷する言葉に過ぎない。 ●そういう面も確かにある。しかしそういう言葉があるおかげで、ありがたい面もある。それが現実である。治療者も所詮は人間である。また逆に、普通の人間だからこそ、診断もできるわけだ。 ・BPは一人でいることへの耐性がきわめて低い。その一方で、他者に対する極度の警戒心を持っている。 ・身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害、この三つはすべて高度の被催眠性と解離と関係している。分裂病症状と誤認されることもある。親密関係において特有の困難を持つ。 ●親密関係における特有の困難とは、分かりにくい表現である。親密関係というよりは対人関係というのが日本語としては落ち着きがいい。 ・複雑性PTSDが生理神経症 physioneurosis として現れると身体化傷害、変性意識は多重人格、同一性と対人関係の障害は境界性人格障害。 ●行動‥‥境界例、精神‥‥多重人格、身体‥‥身体化障害。かつてヒステリーとよばれていたもの。 ・これらを児童期外傷の既往としてみれば治療者も被害経験者ももっとよく理解納得できるものとなる。 ●変な日本語。 3032 「精神科医になりたい人のために」というタイトルで本を書く。 ・偉い患者を診る医者が偉い医者になる。 子供に偉い子供はいないから、小児科医は偉くなれない。 日本では女性はまだまだ偉くないから、産婦人科医も偉くなれない。 偉い人がかかる病気は高血圧や糖尿病や高脂血症、中でも心臓病とガンが致命的である。このあたりを専門に選ぶと偉くなる。 精神病の人たちはたいてい社会の表舞台から排除される。重要な決定権を握る場所からは退くことになる。したがって、偉い人はいない。だから精神科医は偉くなれない。 精神病者はたいてい貧乏だ。だから精神科医も貧乏だ。平均給料も低い。 ・精神病院の悲惨な現実 変な医者が変なことをしている場所。患者と野球をして骨折して死んでしまった医者もいる。哲学をしている医者も精神科でなら許される。 治療というよりは収容であり、退院に向けて頑張ることはドンキホーテのようなものである。退院しても社会の受け皿がないのですぐに病院に帰ってきてしまう。 ・しかし脳の不思議にはロマンがある。 田舎の高校の生徒が東大の医学部に入学するのだから、とても優秀だと思う。最初は何だか分からなくても、しばらく勉強していれば、すっきりと見通しができて、はっきり分かるようになる。そんな僕にしてみれば、心臓病もガンも、遺伝子操作も、臓器移植も、いずれ何かのちょっとした工夫を重ねればできそうなことだと思われる。すでに原則は提出されていて、その路線の上で工夫すればいいだけだと分かっているのだ。その分かりきった退屈さがたまらない。僕のような人間が一生をかける仕事ではない。それはたとえば、ジグソーパズルを完成させるようなものだ。どうせ完成することは分かっている。完成した形も分かっている。ただどのピースが合うか、探すだけ。それを競っているだけである。 ところが脳と心の領域だけはそれではすまない。まだ原則の問題が解決されていない。その意味で現代でも大きな謎が立ちはだかっているのは、宇宙の生成と限界の問題、それと意識の問題くらいだろう。(宇宙の構造の問題と脳の構造の問題が実は表裏一体の問題なのだとカントは指摘した。偉い人である。なぜか、それに答えたのが、コンラート・ローレンツである。天才である。) こう考えれば、やはの脳がターゲットになる。しかも、神経内科や脳外科のアプローチでは不足である。脳、意識、心、魂、精神、そういったものの広がりの中で探求するとすれば、やはり精神科である。 またたとえば超能力や天才の問題。想像力の謎。 ・現実には人の悩みにつきあうことは苦しいものだ。そのうっとおしさに耐える必要がある。たとえば、苦しんでいる人は、原因か結果かは定かではないが、思考障害を呈している人も多いものだ。普通の話の筋道が通じないのである。何度でも振り出しに戻ったり、奇妙な飛躍をしたり。結局諦めてしまうことも多い。患者には確信がある。それに寄り添うしかないのである。何という無力であろうか。精神療法など無力である。 3033 「死の淵からの帰還」野村祐之(岩波) ・人格的出会い。→●精神病院でこそ、これが必要である。治療ができないならせめて、人格的出会いがあって欲しい。深い出会いがあって欲しい。患者は閉じ込められて自分ではよい出会いを探すことができないのだから、よい出会いを提供したいものである。 ・上質の時が流れる。→●病院での生活は、部分的にでもよいから、こうでありたい。大切なことだ。職員は生きている時間の質に敏感である必要があるだろう。 3034 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・心的困難は児童期の虐待環境に起源があると認識すれば、自己の生まれながらの欠陥のせいにする必要はなくなる。そうなれば、体験に新しい意味を見いだし、新しいスティグマのない自己同一性にいたる道が開かれる。 ●アメリカ流外部原因説。良い面もある。こうでなければ被害者は救われないだろう。 しかし極端に自己批判と反省が嫌いな人たちでもある。 ●しかしやはり、外傷患者には、責任はあなたの内部にあるのではないと明言し、責任の所在を明確にすることが有効だろう。大切で不可欠のプロセスである。 ・原因は児童期の虐待であり、現在の症状は反応として正当なものであるが、しかし現状に対しては適切な反応ではない、このままではさらに繰り返し被害者にされる危険がある。こうしたことに関して、共通の理解に達すれば、治療同盟の基盤となる。 ●こうしたことが患者の、治療に関する理解の枠組みとなる。基本スキーム。 ●疾病と治療のモデルを共有すること。そこが出発点である。たとえ誤りであっても、治療関係は築ける。それが有益である。 ●性格障害や精神病という診断を下して伝える場合に、患者はどのような疾病モデルと治療モデルを持っているか、検討を要する。それが対話と説得、説明と同意、インフォームド・コンセントの出発点である。 テレビで流れたことは信じるのに、医者には不信感を抱く。ここの差を考える必要がある。 説得の材料をどれだけ提示しているか。医者としての説明にどれだけの説得力があるか、考える必要がある。 3035 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・心的外傷体験の中核は、無力化と離断である。(孤立無援感と孤立感)。したがって、回復の基礎は、有力化と他者との新しい結びつきをつくることにある。回復は人間関係の網の目を背景にしてはじめて起こり、孤立状態においては起こらない。 ・損なわれた心的能力を新しい人間関係の中で新しく作り直す。 ●なるほど。このような視点が大切だと納得できる。 ・患者から力を奪うような介入は回復の助けにならない。 ・「よい治療者とは、わたしの体験を本当にまともに取りあげて確認してくれ、わたしがわたしの行動をコントロールできるように助けてくれる人のことで、わたしをコントロールしようとする人のことではない。」 ・当事者の希望を尋ね、安全と両立する範囲で選択肢をできるだけたくさん出すべきである。 ●内的決定過程を外在化し、練習させるという作業である。どの場合にはどのような得失があるという点までで明細化する。 ・患者の自己決定を引き出す。治療者は中立性を守る。 ・治療者のエンパシー的態度。ほどよい母親(good-enough mother)が自分の幼い子に対して抱くエンパシーと共通の要素がある。しかし禁欲的、理性的な面もある。 ・「強制よりも説得、物理的力よりも新しいアイディア、権威的コントロールよりも互酬的関係が、価値も効力も高い」という暗黙の信頼を土台としてパートナーとなる。この信念こそ、外傷体験によって粉砕されてしまう信念である。 ●この点では、パターナリズムは患者を育てる態度とは言い難い。療育のためには辛抱強く、非能率にも耐え、無価値でも愛情を撤回しない、そのような態度が必要であろう。 3036 まず疾病モデルと治療モデルの共有を試みる。それが「人間の」診断と治療の第一歩である。医者だけが正確な理解をしていても、外来の、とくに精神科心療内科分野では不十分である。 精神病に対する偏見があるから、自分や家族が精神病ではないかと考えたときの反応には独特のものがある。そのことが症状を修飾する。苦しみが増える。 精神病の症状で苦しむことと、精神病についての(自分と社会の)無理解と偏見の故に苦しむことと、両方についてのケアが必要である。悩む人間に対して何ができるか。 3037 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・外傷患者がつくる特別なタイプの転移がある。権威的地位にあるすべての人間に対する感情反応は恐怖体験によって歪んでいる。外傷性転移反応は通常の治療的体験とは比べものにならない強烈な命がけの性質を帯びる。治療者患者関係には一種の破壊的な力が繰り返して侵入してくる。この力は伝統的には患者の生得的な攻撃性のせいであるとされてきたが、今では加害者の暴力であることが確認されている。外傷患者における転移関係は、二者関係ではなくて、加害者が影の第三者として介入する三者関係である。 ●一体どのようにして確認される? ●治療室で何が起こっているかを把握するために大切な視点である。攻撃性の由来が、加害者にあると認識すること。そこから治療の展望は開けてくるだろう。 ●この本全体でいわれていることは、パラダイムチェンジというべきものだろう。 ・見捨てられて孤立無援だと感じる反動として、治療者を万能者と見立て、再体験の恐怖から守らせる。治療者は理想化される。 ・「恐ろしいのは先生がわたしを殺せることです。お言葉で、放っておくことで、去ってしまわれることで。」 ・患者は自分の生命が救援者次第だと思っているため、いい加減を許すことができない。 ●治療者の気分次第と思われるのはまずい。客観的で検証可能な基準を共有する態度が正しい。そのような試みには価値がある。患者の立場にすれば当然の、大切なことである。 3038 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・治療者に対して向けられる怒りは屈辱と羞恥を交えたものであり、治療者を自己の位置に引きずり落としたいと思う。彼は敵に対してではなく、無能な救援者に対する復讐の計画を温めるようになる。ケア提供者に対して怒りを覚え、復讐の空想を胸に秘めている人は多い。自分を失望させた、羨ましい御身分の治療者を、自分が苦しんできたのと同じ耐え難い恐怖、孤立無援、羞恥の位置に引きずり下ろしたいと願う。 ・信頼が傷ついている。一般に、治療者とは自分を助ける能力がないか、助ける気がないかという、いわれのない仮定をおいている。 ・被害者は治療者が外傷の真実の話を聞くのに耐えられないと仮定している。治療者の聞く能力に不信感を持っている。本当にひどい話を聞くと後ずさりして逃げてしまうと感じている。 ●この人なら理解してくれそうだという場面設定はどうするか?それがプロの仕事。まず場所の設定が重要である。 ・耐えて聞こうとする治療者には不純な動機があるのではないかと疑う。搾取的または覗き魔的な意図。反復性・長期の外傷にさらされた患者は、治療者には倒錯的、邪悪な意図があるという予想を変えることに大変抵抗する。さらには加害をわざわざ招いていると見えることさえある。支配と屈従は再演される。その中には治療関係もある。 ・治療者のささいな態度の中に、被害者は被害経験によって深い意味を読みとる。 ・治療者の意図が悪意のないものと信じられないので、患者は間違った解釈ばかり下す。治療者は慣れていないやり方で敵視されるので、この敵視に対して反応してしまいがちである。「投影性同一視」とされてきたものである。 3039 クリニックにおける顧客満足度 標準的治療プログラムを提示する。 治療に関する見通しを持ってもらう。パースペクティブ。 自分は何をすればよいのか、知ってもらう。 治療者の気分次第と思われるのはまずい。客観的で検証可能な基準を共有する態度が正しい。そのような試みには価値がある。患者の立場にすれば当然の、大切なことである。 マクドナルドで注文するように。またはエステでどのコースにするかを注文するように。何を期待しているか、期待通りのものが出てくるか、そのサービスに対する金額は適切か。 いいものを、と考えない。期待通りのものをと考える。満足度が問題である。 その点では「体験記」の類が役立つのではないか。 症状への不安、孤立感。しかしその後の安心感。 最初にあった薬への不安と、その後の薬への感謝。 こうしたことを体験記の形でまとめておいて、患者に読んでもらい、患者・家族教育の材料とする。 3040 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●なるほど。人格障害の治療場面を適切に描写している。この場合も、怒っているのは治療者ではなく、患者でもなく、第三者である加害者であるということになる。治療室で、第三者が登場している。治療場面での隠れた主人公になっている。 ・長期性虐待経験者は性的供与のみが価値ある供与であると思いこみやすい。 ●セックスを媒介とした人間関係だけが残される。なぜか。それは関係というよりも「利用」ではないだろうか。 ・多重人格の転移。各人格によってさまざまな転移を示す。断片的で動揺する。 ・外傷には伝染性がある。治療者は患者と同一の恐怖、怒り、絶望を体験する。「代理受傷」である。また患者の外傷体験物語を聞くことは、治療者が過去に受けた個人的外傷体験を再活性化する。 ●それが共感というものだろう。 ●この本を読むことも同じく、過去の外傷体験の再活性化であり、再整理である。 ・治療者の精神衛生のためにサポート・システムが必要である。単独で回復する患者もいないし、単独で外傷と取り組める治療者もいない。 ・人間の加害性と残虐性の物語に何度もさらされれば、治療者の基本的信頼が揺さぶられることは避けられない。不信を抱き、シニカルに、ペシミスティックになるかもしれない。 ●「かもしれない」などといってはいられない。人間として幸せに生きる条件のようなものが取り去られるのだ。不幸せの循環が始まってしまう。それはいけないことだ。 ●不幸の循環。外傷→不信→さらに外傷を招くさらに不信 3041 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・治療者は患者の出口のない鬱憤と孤立無援感に同一化した。治療者は精神療法に何ができるかと疑うようになり、その代わりに実際的な助言を行っている自分に気付いた。 ・「みんなはただ自分が体裁を整えて正常に戻ることを望んでいただけだ」 ・「あなたは本当にひとりぼっちだと感じたに違いない」「ひょっとするとわたしにも全部は打ち明けていないのでは?」実際、彼女はこれまで治療者は聞きたがらないと思っていた。 ・治療者は自己孤立無援感に対する防衛として、救済者役をとる。これは患者の転移を強化し、患者を無力化する。弁護士役になれば、患者には「あなたは一人では行動できない」と告げていることになる。 ●なるほど。難しいものだ。無力化の再演になってしまっている。 ・治療者の自己防衛の極限は万能感で、この治療者のナルシシズムを放任すれば、治療関係は腐敗する。 ●これは治療関係ではないと鋭く感覚する能力が必要だ。多くの人にはそれができないから、システムが必要である。風通しが必要である。密室のナルシシズムは腐敗するだろう。 ・治療者は悲しみによって患者と同一化し、喪の状態にはいる。これでは患者の証人役は果たせない。希望喪失の伝染性を自覚することによって立ち直る必要がある。 ・立ち直るには愛情とユーモアという自然な感覚が役立った。 ・治療者は私生活のありふれた楽しみを享受することが難しくなるかも知れない。治療の熱意の不足は無際限な献身で補うしかないと思うかも知れない。 3042 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・多重人格障害を治療することは、全身麻酔をしないで手術を行うようなものだ。 ・児童期の反復性障害の患者の場合、外傷よりも損傷された対人関係に反応してしまうだろう。 ・被虐待児の内面の混乱を自分も経験し、外傷既往の可能性に思い至る。 ・治療者の任務は、境界例患者の内部世界における「役者は誰々か」を、逆転移を患者の体験理解の導きの糸として突き止めることにある(カーンバーグ)。 カーンバーグはこのような「役者たち」を患者の歪曲された、幻想上の表象であると理解しているが、それらは外傷を受けた児童の人生の初期の対人関係的環境を正確に反映している確率のほうが高いだろう。つまり、これは幻想ではなく、過去の現実である。 ・安全を保障する二つのもの。一つは治療契約による目標・ルール・境界の画定。もう一つは治療者に対するサポートシステム。 ・治療契約‥‥人間的愛着の起こす情熱のすべてを喚起するけれども、それは情事でもなく親子関係でもない。実存的関わり合いの関係である。 ・治療者は耳を傾けて聴いて、証人(目撃者)となる。 ●取り返しのつかないものではあるが、神の前での証人という感覚であるかも知れない。 ・真実を語り、すべてを開示することの重要性を大いに強調しなければならない。患者は多くを秘密にしており、その中には自分自身にも秘密にしていることがあるからである。 ・「真実こそ常に努力目標であり、最初は到達困難であるが、時と共に次第に到達できるようになること」を明確に述べる。 3043 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・よきコーチとなり、ベスト・タイムで走らせよ。 ・何をなしうるか、その潜在力を知らせる。 ・治療は共同作業が本質である。パートナーシップである。 ・患者には信頼が欠けている。治療関係の始まりには信頼は存在していない。治療関係が何度もテストされ、断ち切られては作り直されるということを覚悟していなければならない。 ●日本語の味がまずい。 ・患者は一挙に救われたいという切実な求めを必ず体験する。治療者にも、患者の耐えた残虐体験の償いをしてあげたいという気持ちが湧いてくる。このように実現不可能な期待が必ず湧いてくる。したがって、失望を味わうことも避けられない。 ●こうした一般的経過を知ることは役立つ。 ・どういう場合に予定外の緊急連絡をしてよいかという基本ルールを決めておくこと。 ・治療以外の社会的関係は一切結ばない。限界設定は患者をエンパワーするためのものである。 ・治療者は自己の限界のある弱さのために、無条件な関与が不可能であることを明言しなければならない。「自分は限界のある弱い人間であって、大きい感情的関与を必要とする人間関係にかかわり続けるためにはいくつかの条件設定がなければならないのだ」と説明する。 ●これは重要なよい説明。使える。●それにしても、患者さんというものは、医者は死んでも患者に奉仕して当然だと考えているところがある。患者が苦しいのだから、患者が話をしたいのだから、医者はいつでも電話に出るべきだと考えている人もいる。昔分院小児科の早川先生が嘆いていたことを思い出す。医者ももちろんそうしたい。それが理想である。しかし現実にはできない。だから苦しい。 3044 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●走るのはあなたで、治療者はコーチだと、はっきり意識してもらう。これも大切。治療の枠組みは、治療構造としての取り決めの面もあるが、お互いの役割についての考えを確認していくことも大切である。疾病理解、治療観についての対話と納得も大切である。 ・治療者の孤立は問題である。結局は二人ぼっちになる。治療者は患者を本当に理解しているのは自分だけであると思い、傲慢となってこれに懐疑的な同僚といさかいを起こすようになっても不思議ではない。治療者の孤立無援感がつのるにつれて、誇大妄想的な行動に出るか逃げ出すかになる可能性が高い。 ●「わたしだけには心を開いてくれる」この言葉は容易に治療者をとりこにする。「そんな言葉を吐いている間は、治療者として問題があるのだ」と注意したいが、遅すぎることが多い。専門教育が足りないことも問題であるが、ある種の素質を持った困った人がこの業界に少なくないことも問題であると思われる。まあ、仕方ないけれど。 ・孤独を自覚したら、治療を中止すべきである。 ・治療者へのサポート。治療者が自分には現実的な限界があるということを忘れないようにすること。他者にしているのと同じ良質のケアを自分自身にもしなさい。 ・治療の報酬は人生が豊かになることである。人生への見方が、広く深くなる。 ・社会運動に身を投じた人。人生には日常をこえた目的があるという感覚を持ち、また一種の連帯感をもつ。 ●社会運動への関与は、非常に肯定的に評価されているようだ。 3045 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・人格の統合性とは、死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。 ●こうした臨床的な本で、人格の統合性を論じることはどうだろうか?場違いではないか?言葉の感じからして、こういう内容は、人格の統合性という言葉にはぴったりしないと思うが?どうだろうか?日本語にはぴったりの概念がないのか?キリスト教的な背景でも考える必要があるのか? ●「絶望なくして人間の条件を受け入れること」は不可能だと思う。感覚マヒか、妄想か、いずれかだけが救いとなるだろう。感覚マヒは、現実を遮断する。妄想は、現実を歪曲する。そうではなくて、現実を現実のままに受け入れて、おなかつくじけることなく、生き続けることだろうが、そんなことは不可能だろうといいたい。 ●あいまいに、なし崩し的に、現実は現実だから受容するしかないという、低次元の態度と、どう違うのか。よく考えた上で、すっきりと受け入れる方法があるだろうか。そのことを問いたい。 ●あるとすれば、何かの方法で「個」をこえるものだろう。トランスパーソナルでもよい。集団でもよい。宗教の中にはいずれの要素も用意されている。超越と、集団と。これは分裂気質と循環気質でもある。(気質についての、このような対立的な把握には問題があると感じるけれど) 3046 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・まず安全を確保することが大切。そのために、暴力の恐怖がなお存続しているか否かを質問することをルーティンとすべきである。 ・多重人格者も、症状は隠蔽しようとする。 ・外傷症候群は患者に全面的に告知されるべきである。自分の疾病の本当の名前を知ることでほっとする場合が少なくない。症状の主人となる過程が開始する。外傷の無名性に囚われている状態から解放される。自分の体験に当てはまる言葉があることに気付く。自分がクレージーではないこと、外傷症候群は極限的状況における人間の正常な反応であることを知る。苦しみは無限ではなく、回復してよいのだと知る。他の人たちも回復したのだから。 ●このような癒しの作業に、治療者との人間関係が本質的な働きをするということは、実に感動的である。 ●名付けられることのない悲しみ。その時まだ治療への一歩を踏み出していないわけだ。 ●「ほっとする」ことの中には、精神病ではない、クレージーではないとする安心感があるだろう。では外傷ではない、本当の精神病の人はやはり救われないのだろうか。困難な現実である。 ・外傷直後に情報を患者と共有することが大切。PTSDに関する説明書(ファクト・シート)を渡す。1)自分の体験を人と話し合いなさい。2)アルコールに逃げるのはやめなさい。 ・しばしば治療者は、援助を受け入れることはあなたの勇気を証明する行為であるというリフレーミングを行う必要がある。 ●薬に関しても使えるかも知れない。薬を使わないのが勇気ではない。薬を適切に使って現状を変革し、よい人生を生きること。そのために一歩を踏み出す勇気を持ちましょう。 3047 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・ストレス・マネージメントには行動療法がよい。リラクセーションも過激な運動もある。認知療法としては、症状を認識しそれに名前を与えること、症状と好ましい対応とを記録する簡単な日記を使うのもよい。宿題もよい。 ・レイプ後の検査で、再レイプにならないように注意する必要がある。心の準備に充分の時間をかける。検査に至る一つ一つのステップごとに患者に意見と承諾を求める。情報を与え、被害者が積極的当事者になれるようにする。 ・交感神経過覚醒に関して。プロプラノロールやリチウムを推奨する人もいる。 ・単に「薬をのみなさい」といわれるならば、患者は力を抜き取られることになる。患者の判断により、一つの道具として薬物を提供されるならば、患者が自分には有能性と自己統御性とがあるという感覚は強められるだろう。この精神で薬物を差し出せば、協力的な治療同盟が築かれる。 ●そうはいうものの、患者が自己決定するのは難しい。自己決定のチャンスは必ず確保することが必要だろう。最終的には、来院しないという権利があるが、そうする前に、いろいろなことを相談できるようにすべきだ。しかしそれにしても、医者との関係は難しい。権威との付き合い方は難しい。 ・安全な避難場所を確保する。 ・生活における重要な対人関係を念入りに洗う必要がある。実際的援助となるか、危険の出所である可能性はあるか、検討する。 ・家族面接について。家族に何を話すか、誰に来てもらうか、最終決定は被害者にゆだねる。 ・安全感を保てる場所に引きこもる権利を保障する。 ●このような配慮をケースワーカーのようにしてあげれば役立つ。 3048 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・症状の安定と回復は別である。 ・慢性児童虐待の被害経験者。安全確立はきわめて困難。自己管理能力が破壊されている。自己破壊行動の多くは、元来の虐待の象徴的再演、時には文字通りの再演と解することができる。 ・自己破壊行動は、自分を落ち着かせる適応的な行動がない場合に、耐え難い思いを制御しようとする役割を果たす。 ・自己管理能力と、自分を落ち着かせる能力は、虐待児道には発達しない。 ●虐待にもかかわらず、自己管理能力と、自己を落ち着かせる能力を発達させる場合はないだろうか?「にもかかわらず」の場合。意識的に、能動的に、これらを獲得する場合がないだろうか? ●運命に翻弄される。一方的に翻弄される。それに対して抗する道はないのだろうか?何かとても無力な人間像ではないか?無力であることを認めるからこそ、患者は自分を責めさいなむことから解放されるのだけれど。 ・慢性外傷患者は自己管理を治療者にゆだねようとする。その背景には、自己の身体が自己に所属するという感覚が失われていることもある。 ・自分が自己身体をコントロールするという感覚。 ●過食の場合。コントロールの喪失と映る。 ●一方、拒食は自己身体の過剰なコントロールであろう。だとすれば、自己管理能力の喪失は、過食となって表れるのではないか。 管理の過剰と喪失を、拒食と過食と考えることはできないか。 ・患者が自分で計画し、開始し、自己判断することは、有力化に貢献する。 3049 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・双方が和解を願ったとしても、虐待者は通常、強制的支配を取り戻したいと思っている。虐待者が暴力行使しないと誓う代わりに、被害者に自己決定権を放棄して欲しいとの裏の条件があることがある。 ・カップル面接は、支配と強制という図式が全くなくなってしまうまでは禁忌である。 ●なるほど。面接室で怒ったことの尻拭いを家でしなければならないのなら、問題である。盲目の治療者は平気であるが、被害者はますます追いつめられる。 ●そうはいっても簡単ではない。患者はもちろんだが、家族や周囲の人もたいていは問題を抱えている。また治療者も問題を抱えていたり、時期によっては関心が偏っていたりもする。そんな中で、多様な、しばしば予測不可能な、乱反射に似た事態が発生する。そのようにして治療は信仰する。いっそのこと、薬物療法が好ましいかとも思える。 しかしそれは専門家としての高等な印象である。一般人はそのようには考えない。あくまでもカウンセリングが必要との信念である。 ・カップルは別々に治療されるべきだ。誓約をしても意味がない。「強制的にコントロールしたい」という欲望を治療すべきだ。 ●他人を、特に自分にとって魅力があり、意味のある他人を支配したいという欲望は、人間にとって本質的かも知れない。ある場合は暴力によって。ある場合は、自分の弱さや弱点によって。たとえば境界例患者の対人関係は、支配のゲームを続けているようでもある。母親や夫を支配する。支配される人はなぜそのように支配されてしまうのか、なぜその状態から抜け出ないのか、周囲の人間には理解できない。 3050 外傷性として取り扱うには特有の困難がある 症状を、器質性または分裂病態と断定してしまえば、むしろ治療は楽である。外傷性であると考え、現在の症状は過去のこころの傷のせいだと仮定して治療するのは困難がある。治療者が苦しい。取り返しのつかない過去をどうしてくれるのかという、解決困難な問題に取り組むことになる。当事者でない者が、どうして解決ができるはずがあるだろうか? そのような困難に取り組もうと意志することがまずもっておかしなことなのだ。事態を明確に把握していないからこそできることだ。 しかしまた一方で、外傷性障害の捉え方は、一般の人たちの精神障害の捉え方に一致している。心因の後遺症としての障害。この一致があるからこそ受け入れられるし、治療の開始に当たってはむしろスムースに事が運ぶだろう。 しかしそのあとが問題である。治療者にはたいしたことはできない。そのことを納得していただくのは難しい。たいしたことはできないけれど治療はできるというのだろうか?治療はできないけれど、通院はしなさいというのだろうか? それでも通院するというのなら、一体どのような動機があるのか、問題にすべきではないか。魔法は使えないのだし、患者の幻想を実現してあげることもできない。 治療者は自分に実際にできることは何か、してよいのは何か、明確に把握すべきだと思う。 3051 「よい子という病」春日耕夫・岩波書店 ●いわゆる「よい子」とは、内発的によいのではない。まずよいことは何かといえば、それは親と社会が期待する「よい子」である。その期待に従順でいられることが「よい」こということだ。 そのままの自分でいて愛されるということがない。期待に沿うことが、愛されること、そのような取引がある。 それでは親と社会が期待する「よい」とは、本当によいのかといえば、子供にとっても親にとっても社会にとっても、疑問があるだろう。 ●こうした趣旨である。しかしながら、人間はしつけられて始めて人間になるのだ。そのままの存在でよい社会人になれるものではないだろう。 ではどのようにしつければよいかという事になる。親はそんなことを知らない。倫理は欲望の下に置かれている。「やったほうが得」そんな風潮である。 自分の内面からの生理的な欲求を満足させることがよいことだとするか、それともそれをコントロールすることがよいことだとするか、これは文化のあり方に従う。現状では、生理的満足を最大限に実現することが目標になっている。(その一方で、より高次の満足を求める欲求は小さいようである。人間として出来損ないに近づいている。ニーチェの言う超人と人間と猿でいえば、ますます猿に近づいている。) このような文化のあり方に子供はまことに素直にしたがうしかないのではないか。こどもは生理的欲求が激しい。コントロールはまだ悪い。そもそも欲望のコントロールができるというのは、諦めたり先送りしたりして得られるものが、現在の満足よりも意味があるからだろう。そのような利益の天秤ができていないのだから抑えようもないはずだ。 3052 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●他人を強制的にコントロールしたいとする欲望。それがやや高級になれば、徳によって他人を支配するようになる。その場合には支配といわず、別の「高級な」単語を用いる。信服するとか師事するとか。 猿もつくる階級型社会を維持するための本能である。他者との優劣を決定しておきたいのだ。水平的な連帯は本能に反する。ピラミッド型の社会がいい。そうした思考の人々が一定数存在する。そしてその人たちが社会の中で、特に実業の分野では成果を上げる。 ●例えば、最近の中学生のナイフ事件。中学生の心の世界にくっきりとした階級制社会がイメージされていれば、もっと別の状態になっているだろう。階級制社会が内在化されれば、そこに超自我や倫理が育つのではないか。 集団のボスの役割は、各人の超自我の代理をすることではないか。誰かがナイフを出して衝動を発散しようとしたとき、外部超自我装置としてのボスまたはリーダーが、それを止める。 非階級型水平社会はむしろ居心地が悪いのではないか。とくに個人の衝動を抑制する装置としては水平型社会は出来損ないである。 階級型社会となれば、自動的に軍隊や闘争的利益集団、会社のようなものを考えてしまうからいけない。徳による階級社会とでもいうべきものならば平和型階級社会となるのではないか?→やや低レベルの思考? ●人間社会のルールというものへの感覚が問題なのではないか?他者を支配したい、優越したい、そうした欲望があること自体はいいではないか。その欲望をどのように発揮していくか、そこに社会のルールというものがあるはずだ。ルールを守らない場合には何が起こるか、そのあたりの教育が大切ではないか。それこそが躾である。 3053 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・治療者は安全はすでに確立されていると安易な仮定をすべきではない。 ・被害者の自己決定の範囲を拡大する。原家族との間に限界設定を行う。 ・原家族に真実を開示し、加害者との対決は後の段階で行う。 ●加害者を懲らしめるという発想に乗ってはいけないのだろう。 ・家族への早すぎるディスクロージャーは有害である。 ・虐待の発生源が、被害者を経済的に支配している場合、事態の解決は困難である。 ・自由なくして安全も回復もない。しかし自由の代価はしばしば大きい。 ・過早に、猪突猛進に深い問診を行ってはいけない。 ・患者には、ぶちまけて話をすれば問題が解決するという思いこみがある。暴力的なカタルシス的治療によって、外傷が一挙に永久的に除去できるという幻想がある。このイメージは通俗文化の至る所に浸透している。 ・早すぎる「暴き療法」が、悪夢とフラッシュバックを引き起こす。 ・患者の「大丈夫」を信用しすぎてはいけない。 ・治療者は安全を余分に見込む。 ・「患者には自己管理能力があること」「治療者は慎重すぎるほど慎重であること」を患者に証明する。慎重にすれば、自信を育てることができる。 ・回復は短距離ではなく、マラソンである。治療者はコーチ兼トレーナーである。 ・安全、信頼、人生の予見性などを取り戻して、第一段階は終わる。ここまで至れば、外傷を一時棚上げして、人生を前進させてもよい。 3054 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・第二段階では、外傷のストーリーを再構成して語り、ライフストーリーに統合する。再構成の作業により、記憶は変形を受ける。 ・外傷記憶はそのままでは、言葉を持たない。また時間は停止し、静止的である。スナップショットかサイレント映画。 ●記憶の構成要素が十分ではなく、欠如がある。思い出して再構成することは、欠けた構成要素を後から付け加えて、完成することのようだ。しかし、だからといって何も変わるわけではないだろう?なぜ、治癒が可能なのか。謎である。 ★●塗り絵のようなイメージである。どのような色を塗るかで、印象ががらりと変わる。 ・治療者がそばにいてくれるからこそ、被害経験者は口に出せないことを口に出せるようになる。揺るがない同盟と勇気が必要である。 ・患者の疾病は患者の敵である。戦うべき相手である。 ・安全を保ちたいという欲求と、過去に直面しようという欲求との間のバランス。 ・狭窄と侵入の間にある、安全な通路。 ・外傷の再活性化の危険。 ●微小再燃や添え木療法の話は、分裂病でもよいが、外傷性障害の場合によく当てはまっている。 ・覆いをはがすとしても、患者の耐えられる範囲にしておく。 ・悪化したら、治療の速度をゆるめる。 ・外傷の再構成は大事業である。日常の業務は大目に見てもらうことも必要である。 3055 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・ストーリー再構成は外傷以前から始める。過去との連続性を取り戻すためである。重要な対人関係、理想と夢、努力と葛藤を語らせる。「どのような文脈においてその人にとっての外傷の意味を理解すべきか」の鍵を与えてくれる。 ●なるほど。その人のイメージシステム、意味のシステムを理解することから始めなければならない。しかしながら、ちんぷんかんぷんの人も多いのだが。 ・物語がもっとも耐え難い瞬間に向かうにつれて、患者は言葉で表現するのが難しくなっていくのに気付く。時には非言語的コミニュケーションに切り替える。絵などを用いる。 ・映画を見ている感じで、細部まで再現する。五感を全部言ってもらう。 ・身体感覚が大切である。匂い、心臓の鼓動、筋肉の緊張、足の疲れ、それらを語ってもらう。 ・変性意識状態で書いたものであるとしたら。診察室で一緒に読むべきである。 ・感情抜きで事実だけを語らせるのは実りがない。治療効果はない。何が起こったかだけではなく、何を感じたかが大切である。感情も具体的・微細に再現されるべきである。 ・感情をその強度の全幅において再体験することができるように、安全を保障する。 ●治療者として、このようなことができるものだろうか?この日本の風土ではどうだろうか?いたずらに恨みを深めるだけにならないか?医者という権威と共に、誰かの罪悪を再構成する作業にならないか?それは利益のあることだろうか? いや、このようなことをいえば泣き寝入りになり、加害者は裁かれず、被害者は救われず、いつまでも変わらない。それを変えようというのが本書の趣旨である。 3056 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ・生存者には、かつては所有していて、外傷が破壊した、価値と信条とをはっきりと口に出していってもらう。 ●レイプ被害の告発同盟のような印象。一種の洗脳プロセスのようである。被害者として生きるのではなく、社会改革者として生きるように洗脳される。そのほうが確かに幸せかも知れない。そしてその幸せは何となくアメリカ的という感じがある。 ・既知の説明体系の不十分さを味わっている。怒りよりもむしろ戸惑いである。その答えは人間の悟性の限界を超えている。 ●説明不可能のやりきれなさ。 ・さらに「どうしてこのわたしに?」の問いがある。 ・彼女が不当にこうむった苦しみに意味を与える信条体系を再建しなければならない。 ●ドストエフスキーなどは、こうした線上にある。捕らえられて、死刑の宣告を受けて、理不尽にも死刑のまねごとまでされた。なぜなのか。そうしたことの一切をどのように理解して自分の人生を考えたらよいのか。そのようにして他人の心を引き裂くのはなぜなのか。そうしたことの一切を考察しようとした。キリスト教的解答が用意された。 ●意味の体系を再建するとすれば、大変な作業である。キリスト教やマルクス主義、フェミニズムなどの背景があるならばよいが、そうでない場合には行き止まりになるのではないか? ・有意味感は思考だけでは再建できない。行動も必要である。生存者は何をなすべきかを決めなければならない。 ・有意味感はかつての共同体の中では共有することができないかも知れない。それでも、批判に抗して持ち続けなければならない。 ●洗脳に似ている。こうまでしなければならないほどの悲劇であることは理解できる。しかし何か他に方法はないものか。 3057 病棟で山田さん。「もう全部だめになっちゃったよ」と語る。実際そうだと思うので辛い。それは妄想ではないか考え違いでもない。その行き止まりをどのようにして打破できるかといえば、非常に困難である。 3058 「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン ●例えば、むかし女性が尼さんになってしまうこと。外傷からの避難と癒しの場所であっただろう。物語の中には、外傷としてはっきりは描かれないことが多いとしても。 ・治療者は被害者との道徳的連帯性を鮮明にすべきである。この点では中立的では足りない。 ・治療者の役割は既成のありきたりの答えを与えることではない。 ・治療者は、生存者の価値と威厳を肯定するような、外傷体験の新たな解釈を構築する助けをしなければならない。 ●たとえば分裂病者の家族の場合。世界について、人生の価値について、新たな解釈を必要としている。一時はそのようなことを積極的に語りかけたこともあったが、そのレベルに達する人は少ない。他人の言葉が耳に入らない。耳にはいるようになるには、余裕と、自分の内部での成熟が必要である。結局、そばにいて、嫌われないようにしていることが、できるせいぜいのことだ。 何という悲観主義。 ・道徳的連帯を鮮明にする。 ・生存者の価値と威厳とを肯定するような、外傷の新たな解釈を構築するよう励ます。 ・被害者は治療者に真実性の確認役をしてほしいと期待している。「語るよう励まし続けて下さい。語る姿を見るに忍びなくても。わたしがそれについて語れば語るほど、それが間違いなく起こったと思えるようになり、それを統合できるようになる。絶えず大丈夫だよと言ってもらうことは非常に大切である。」 ●なるほど。明確に語ることを補助する。語ることが禁止されているから治らない。 3059 乳幼児死亡率が低下して、いろいろな子供が生き残る。ここで淘汰が働かないことも、その後の問題を多くしている。 親はどのような人生の方針を呈示するべきか。 正解を呈示することは難しい。正解は普遍的ではなく、状況に応じてのものである。 だから呈示すべきは態度である。自分として人生の価値についての仮説をたて、それを検証するために最善を尽くす。この、ベストを尽くす態度は、子供にも強い共感を持って迎えられるのではないか?しらけるという。これは結論を留保したままで、しかし結論にしか意味がないと考えているから、しらけるのだと思う。 価値の相対化の時代、価値の変化の早い時代の中にあっても、伝えられる価値はあるはずである。 それは最終結果にあるのではなく、悩みつつ進む過程にあり、なにより自分の仮説を検証する態度にある。 (とはいうものの難しい) 何になればいいかではない。何を手に入れればいいかではない。そうしたことをどのように進めるか、その手順について、態度について、伝える。 医者になることを目標とするのではなく、目標を立て、目標に向かって努力する姿を目標とする。 (説得力なし。平凡。中学生の作文並み) 子供は親の価値観ではなく、テレビや雑誌の価値観にしたがう。マスコミは「伝導」のプロだから、親はかなわない。何よりも、親がマスコミにのみ込まれている。 3060 最近の子供についてテレビでコメント。 悩みを語ることさえできない。 感情が抜けている。心が抜けている。